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「人間の器量」①




「人間の器量」(福田和也著、新潮社)より


  西郷隆盛の無私


 西郷は至誠の人であるとともに、権謀の人でもありました。

 開明的な斉彬の薫陶を受けた西郷が、開国に反対のわけがありません。

 けれども、開国を否定する攘夷のエネルギーを利用して、幕府を徹底的に追い詰め、その挙げ句に倒してしまった。

 そして倒幕が成功した途端、方針を大転換して全面的に開国し、近代化政策を推進した。

 勇猛果敢な薩摩健児を引き連れて、東北諸藩を平定し、明治国家を発足させましたが、いざ新国家が誕生してみれば、最大の功労者であるはずの薩摩健児たちのほとんどが、新知識を身につけているごく一部の者を除けば、新時代には無用の存在になってしまったのです。

 
 自分が彼らを欺いた事を、西郷は誰よりもよく知っていました。

 それは徳義に反することだが、社稷を守るためには仕方がなかった。

 行き場のなくなった彼らに自らの身を与え、彼らとともに滅んでしまう事にした、そう私は考えています。


  西郷のためには何千人といふ人が死んで居るのであるけれども、西郷を怨むといふ者はない。今でも神様のやうに思つている。つまり少しも私といふことがない。始終、人のため国家のためといふ一念に駆られて居つたからこそさういふ風に世人からも言はれて居るのだと思ふ。結局は人の信用である。その信用が七十年後の今日豪も変らぬ処に大西郷の姿を窺ふべきである。  (牧野伸顕『松濤閑談』)


>>西郷の器の大きさに少しでもあやかりたい


「時代と闘った男たち」



「時代と闘った男たち」(監修:会田雄次、PHP研究所)より


 西郷隆盛 ⇒ 維新を拓いた度胸の人


 明治元年正月二日、会津・桑名を主力とする旧幕軍は薩長討つべしと大挙して大坂から京都に進撃した。

 こうして鳥羽・伏見戦争が勃発する。

 この戦闘は錦旗をひるがえした薩長軍の勝利に終わり、新政府軍は怒涛のように江戸に向かって進撃する。

 その征討軍参謀となったのが西郷隆盛であった。

 参謀とはいっても、そのときの西郷は実質的にはすでに新政府の大立役者であった。

 西郷の参謀としての役割は、薩長軍を倒幕挙兵まで持ち込んでいくまでであった。幕末の京都を舞台に西郷は公卿の実力者岩倉具視とコンビを組み、太っ腹で茫洋とした大人物といった後年のイメージからは想像もできないほど凄まじい謀略をくり広げた。

 旧幕軍を開戦へと引きずり込むためである。


>>薩長の掲げた大義名分「勤王倒幕」への西郷の凄まじい謀略にしばし思いを馳せる



「歴史家の心眼」


「歴史家の心眼」(会田雄次著、PFP研究所)より


絶大なる時人気の秘密――西郷隆盛


 勝は、「今までに天下で恐ろしいものを二人見た」としてその一人に西郷をあげ、次のように述べている。

「(自分が)西郷に及ぶことができぬのは、その大見識と大誠意にある。おれの一言を信じて、たった一人で江戸城に乗り込む。おれだってことに処して多少の権謀を用いないこともないが、ただこの西郷の至誠は、おれをしてあい欺くことができなかった」


>>西郷の至誠の心に触れてみたい


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