黒田長政が戦略的に城を解体?
【 幻の福岡城 】
昨日、福岡城跡に行ってみた。
以下は、「知略を駆使した九州最大級の城郭 福岡城」からの一部抜粋。
https://future.hitachi-solutions.co.jp/series/fea_shiro_returns/02/
福岡城には天守はないが、大きな天守台が現存する。およそ東西25メートル、南北22メートル、高さ10メートルの大規模なもので、天守が実際に存在した場合、五層はあったのではと推測される。しかし、これまで天守があったという確かな記録が残っていなかった。果たして、天守はあったのか、なかったのか。
当時は福島正則が城を幕府に無断で修繕したとして改易されるなど、豊臣恩顧の大名の改易や転封が露骨に行われている時期だった。そうした時代の流れを読んだ長政が、幕府に目をつけられないように先んじて天守の解体を行ったと考えられる。ビジネスであれば、福岡城の天守の解体は創業地の本社ビルの取り壊しのようなもので、かなりの痛みを伴う。
城の天守よりも黒田家という組織の存続、家族や家臣の安全を守るほうが重要。もし長政がそう考えたとしたら、正しい経営判断だったといえるだろう。
長政の死後、後を継いだ忠之は専制的な政治を行い、お家騒動が起こる。いわゆる「黒田騒動」である。家臣の機転によって黒田家は辛うじて取り潰しを免れたが、それは長政が天守を崩し、幕府に恭順な姿勢を示していたことが、免罪符のひとつになったとも考えられる。
ご参考)福岡城VR【現地体験型VR観光アプリ「ストリートミュージアム」】ご紹介映像
https://m.youtube.com/watch?v=keoomVQ7gw4
<感想>
福岡城の天守閣は初めから存在しなかったのか、解体されたのか。
個人的には、豊臣恩顧の大名の改易や転封の時代の流れを読んだ長政が、戦略的に先んじて天守の解体を行って、黒田家の存続を図ったものと考えたい。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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