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「読書について」②


「読書について」(小林秀雄著、中央公論新社)より

  読書の工夫

 文学青年或いは文学少女という言葉がある。今日文学と言えば、小説の異名とも言えるほど、小説は盛んに書かれ読まれているが、小説というものを享楽しているものの大部分が、若い人達である事は確かである。例えば、トルストイの「アンナ・カレニナ」という大小説を若い人で読んだ人は沢山あるだろう。併し年とってから又読み返すという人は、非常に少いであろう。処が、トルストイは、勿論若い人に読ませる為に、あの小説を書いたのではない。従って若い人達が、あれを読んであの小説のほんとうの面白さが理解出来る筈はないのである。

 無論どんな種類の芸術作品でも、人生と関係のないものはないわけだが、小説というものは人生の直ぐ隣にあるという事を、広津和郎氏が書いていたのを読んだ事があるが、そうも言えると思う。世間知らずの画家にも美しい画は描け、別に人間通でなくても、美しい音楽の書ける作曲家もあるだろうが、小説というものは、何んと言っても世間の観察、人間の観察が土台となっているもので、世間を知らない小説家なぞあるものではない。

 そういう事を考えると、世間を知らぬ若い人達にとって小説というものほど、苦手な芸術はないわけである。いい小説は、世間を知り、人間を知るにつれて、次第にその奥の方の面白みを明かす様な性質を必ず持っているからだ。具体的な例を挙げれば、例えば石川達三氏の「結婚の生態」という小説は、世間を知らない人にでもわかる程度の面白さだけしかないが、徳田秋声氏の「仮装人物」という小説は、世間を知らない人には全く解らぬ面白さを隠している。


 前に、いい小説には、実際の世間をよく知った人でなければ、解らぬ面白さがあるものだ、と書いたが、それなら、世間を知って小説を詰らなくなる理由がどこにあろうか。要するに、小説の読み方が拙い為に、世間を知ったら忽ち破れて了う様な夢想しか小説のうちに読みとれずに済んで了うからである。

 立派な作家は、世間の醜さも残酷さもよく知っている。そして世間の醜さも残酷さもよく知っている様な読者の心さえ感動させようとしている。これが作家の希いであり、夢想である。こういう夢想が、結婚した為に嘗て恋愛小説から得ていた夢想が、今は馬鹿々々しくなったという類の夢想とは、凡そ異るのは言うまでもなかろう。だが、一方から考えると、こういう大小説家の夢想を、しっかりと抱き、これを実現するという様な事は僕等には出来ないとしても、こういう夢想の在る事を知り、これに幾分か与する事は、誰にでも出来るのである。大小説の味読によって、これに与る事は出来るのである。そこに読書の工夫がある。

 大小説家の夢想といったが、大小説家の思想と言ってもよかったのである。思想というと直ぐ何々主義という様な、理論的なものを思いたがるが、そういうものは思想というより寧ろ知識というべきもので、ほんとうに生きた思想をそういう読んで覚えられる知識と誤解しなければ、上述の様な小説家の夢想こそ小説家の思想に他ならぬと言ってもよいのだ。

 高遠な思想も、無邪気な夢想と異なった材料から出来上がっているわけではないのだ。小説の読者は、小説から得る無邪気な夢想を、工夫によって次第に鍛錬し、豊富にし、これを思想と呼べるものにまで、育て上げねばならない。育つにつれて、大小説は、次第にその深い思想を読者に明かすであろう。


 これは小説ばかりではない、いろいろな思想の書物についても言える事だ。読書というものは、こちらが頭を空にしていれば、向うでそれを充たしてくれるというものではない。読書も亦実人生の経験と同じく真実な経験である。絶えず書物というものに読者の心が目覚めて対していなければ、実人生の経験から得る処がない様に、書物からも得る処はない。その意味で小説を創るのは小説の作者ばかりではない。読者も又小説を読む事で、自分の力で作家の創る処に協力するのである。この協力感の自覚こそ読書のほんとうの楽しみであり、こういう楽しみを得ようと努めて読書の工夫は為すべきだと思う。いろいろな思想を本で学ぶという事も、同じ事で、自分の身に照らして書いてある思想を理解しようと努めるべきで、書いてある思想によって自分を失う事が、思想を学ぶ事ではない。恋愛小説により、自分を失い他人の恋愛を装う術を覚える様に、他人の思想を装う術を覚えては駄目だと思う。


>>小説から得る無邪気な夢想を思想と呼べるものにまで育て上げられるよう努めたい


「読書について」①



「読書について」(小林秀雄著、中央公論新社)より

  作家志願者への助言

 扨て、引っ込みがつき兼ねるから、私も私の助言を二三述べよう。これは読むことに関する助言だ、書くことに関する助言は私の手にあまる、助言となるより前に自戒になり兼ねない。いうまでもなく平凡な助言である。尤も平凡だから見事だとは限らない。併し断って置くが、そのなかで私の実行しなかったものは一つもない。或いは今も実行しているものだ。無論大変有益である。
  

  1  つねに第一流作品のみを読め

 質屋の主人が小僧の鑑賞眼教育に、先ず一流品ばかりを毎日見せることから始めるのを法とする、ということを何かで読んだが、いいものばかり見慣れていると悪いものがすぐ見える、この逆は困難だ。惟うに私達の眼の天性である。この天性を文学鑑賞上にも出来るだけ利用しないのは愚だと考える。こうして育まれる直観的な尺度こそ後年一番ものをいう。

  2  一流作品は例外なく難解なものと知れ

 一流作品は文学志望者の為に書かれたものではない。近づき難い天才の境地は兎も角、少なくとも成熟した人間の爛熟した感情の、思想の表現である。あわてて覗こうとしても始まりはしない。幸か不幸か、私達は同じ事実、同じ理屈を理解するのに、登ってみなくては決して見透しのつかぬ無数の段階をもっている。だから大多数の人が、名作に接して、或る段階に立ってこれを理解したに過ぎぬ癖に、何も彼もわかった顔をしたがる。再読して何が見つかるか一向気に掛けない。そこでこういえる。一流作品は難解だ、しかし難解だというそのことがまたあんまりわかりやすくはない、と。

  3  一流作品の影響を恐れるな

 世間で影響を受けたとか受けないとかいっているような生まやさしい事情に影響の真意はない。そういうものは、単なる多少は複雑な模倣の問題に過ぎぬ。真の影響とは文句なしにガアンとやられることだ。心を掻き廻されて手も足も出なくなることだ。こういう機会を恐れずに掴まなければ名作から血になるものも肉になるものも貰えやしない。ただ小ざかしい批評などして名作の前を素通りする。

  4  若し或る名作家を択んだら彼の全集を読め

 或る名作家の作品全部を読む、彼の書簡、彼の日記の隅々までさぐる。そして初めて私達は、彼がたった一つの思想を表現するのに、どんなに沢山なものを書かずに捨て去ったかを合点する。実に何んでも彼でもやって来た人だ、知っていた人だと合点するのだ。世間が彼にはったレッテル乃至は凡庸な文学史家が解き明かす彼の性格とは、似ても似つかぬ豊富な人間に私達は出会うのだ。

  5  小説を小説だと思って読むな

 文学志望者の最大の弱点は、知らず識らずのうちに文学というものにたぶらかされていることだ。文学に志したお陰で、なまの現実の姿が見えなくなるという不思議なことが起る。当人そんなことには気がつかないから、自分は文学の世界から世間を眺めているからこそ、文学が出来るのだと信じている。事実は全く反対なのだ、文学に何んら患わされない眼が世間を眺めてこそ、文学というものが出来上がるのだ。文学に憑かれた人には、どうしても小説というものが人間の身をもってした単なる表現だ、ただそれだけで充分だ、という正直な覚悟で小説が読めない。巧いとか拙いとかいっている。何派だとか何主義だとかいっている。いつまでたっても小説というものの正体がわからない。


>>早く一人の名作家を択んで全集を読むようにしたい


「小林秀雄 学生との対話」⑥



「小林秀雄 学生との対話」(国民文化研究会・新潮社編、新潮社)より


  問うことと答えること    池田雅延

 小林秀雄氏は、批評家です。1902年(明治35)、東京に生れ、1983年(昭和58)に世を去りましたが、その80年の生涯において、「ドストエフスキイの生活」「西行」「実朝」「モオツァルト」「ゴッホの手紙」「本居宣長」などの文章を書き、日本における近代批評の創始者、確立者として大きな足跡を残しました。

 
  この本には、九州でひらかれた「全国学生青年合宿教室」において、小林秀雄氏が行った講義と、講義に続いて行われた質疑応答の模様を文字にして収めました。これらの講義も応答も、すべて「私たちはどう生きていけばよいか」に貫かれています。が、読者には、その発言内容はもちろんのことですが、小林秀雄の講義を聴くため全国から集まった若者たちに、小林自身はどういう思いで接していたか、そこをぜひとも読み取って下さるようお願いします。


 小林秀雄は、ドストエフスキーや西行、実朝、モーツァルトやゴッホ、本居宣長たちを、自分を写す鏡にしたと先に言いましたが、彼らを鏡にしたとは、同時に彼等に質問することでもあったのです。小林自身は、人生いかに生きるべきかの答えを、頭を使ってはいっさい出そうとせず、ドストエフスキーや本居宣長たちと何年も向きあい、その時その時の彼らの気持ちを推しはかり、彼らの身になって問いかけ問いかけするうちに、おのずと胸に浮かんできた「こうかな・・・・・・」「こうらしいな・・・・・・」という思いを、すなわち、自分のなかで自然に発芽し熟成した仮説を文章にしたのです。九州で若者たちに呼びかけた、「君たち、質問してくれよ」は、そういう小林秀雄の批評家としての一貫した姿勢に発していたのです。

 しかし、質問するということは、決してやさしいことではありません。昭和49年の講義「信ずることと考えること」に続いた質問時間の冒頭で、小林秀雄はこう言っています、--質問するというのは難しいことです。本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのです。ベルグソンもそう言っています。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる・・・・・・。「信ずることと考えること」の約十年前、昭和40年63歳の夏、世界的数学者、岡潔と京都で行った対談「人間の建設」では、こう言っています。--ベルグソンは若いころにこういうことを言っています。問題を出すということが一番大事なことだ。うまく出す。問題をうまく出せば、即ちそれが答えだと。この考え方はたいへんおもしろうと思いましたね。いま文化の問題でも、何の問題でもいいが、物を考えている人がうまく問題を出そうとしませんね。答えばかり出そうとあせっている・・・・・・(「小林秀雄全作品」25)。ベルグソンは、小林秀雄が高校時代から傾倒しつづけた哲学者です。

 この、物を考えている人たちが、「答えばかり出そうとあせっている」さまは、現代にかぎったことではありません。「本居宣長補記Ⅰ」で小林秀雄はさらにこう言います、--先生の問いに正しく答えるとは、先生が予め隠して置いた答えを見附け出す事をでない。藤樹に言わせれば、そういう事ばかりやっていて、「活溌融通の心」を失って了ったのが、「今時はやる俗学」なのであった。取戻さなければならないのは、問いの発明であって、正しい答えなどではない・・・・・・(同28)。「藤樹」は江戸時代の儒学者、中江藤樹で、本居宣長らが後に続いた近世の学問を最初に切りひらいた人です。


 この世に生れて、人間社会の一員として生きていくためには、子供のうちに人間社会の決りごとを叩きこむのが教育であるとすれば、小学校、中学校までは親や先生に正解正解とうるさく言われるのもやむをえないでしょう。このあたりについては、小林秀雄も教育は訓練だと、物理学者湯川秀樹との対談で言っています(同16)。しかし、高校生、大学生となるにつれて、ましてや社会に出てから大事なことは、一途に正解を探すことではありません。そもそもこの世には、誰の眼にも正解とされていることなどわずかしかないとは、大人になってからの私たちがさんざん思い知らされてきたことです。

 誰のものでもない自分の人生を、溌剌と独創的に生きていくために必要なことは、答えを手にすることではない、問いを発明することだ、自分自身で人生に上手に質問することだ、小林秀雄はそう言います。そして、上手に質問するにはどうすればよいか、小林秀雄はそれも具体的に教えています。ひとことでいえば、上手な質問か下手な質問かは、質問する当人にとってそれが切実であるかそうでないかです。ジャーナリズムの扇動や流行に乗って、右か左か、賛成か反対かと世論調査のように訊く、これがいちばん下手な質問です、小林秀雄が最も嫌った質問です。

(元新潮社編集者)


>>人生いかに生きるべきかを自分に質問し続けて行きたい

「小林秀雄 学生との対話」⑤



「小林秀雄 学生との対話」(国民文化研究会・新潮社編、新潮社)より

  講義  文学の雑感

 歴史を知るというのは、みな現在のことです。現在の諸君のことです。古いものは全く存在しないのですから、諸君はそれを思い出さなければならない。思い出せば諸君の心の中にそれが蘇って来る。不思議なことだが、それは現在の諸君の心の状態でしょう。だから、歴史をやるのはみんな諸君の今の心の働きなのです。こんな簡単なことを、今の歴史家はみんな忘れているのです。「歴史はすべて現代史である」とクローチェが言ったのは本当のことなのです。なぜなら、諸君の現在の心の中に生きなければ歴史ではないからです。それは史料の中にあるのではない。諸君の心の中にあるのだから、歴史をよく知るという事は、諸君が自分自身をよく知るということと全く同じことなのです。 

 諸君にとって子供の時代は諸君の歴史ではないか。日記という史料によって、君は君の幼年時代を調べてみたまえ。俺は十歳の子供の時に、こんな事を言い、こんな事を書いている。それは諸君にとって史料でしょう。その時諸君は歴史家になるでしょう。十歳の時の自分の日記から自己を知るでしょう。だから、歴史という学問は自己を知るための一つの手段なのです。

 もう一つ重要なことは、歴史は決して自然ではないということです。現代ではこの点の混同が非常に多いのです。僕らは生物として、肉体的には随分自然を背負っています。しかし、眠くなった時に寝たり、食いたい時に食ったりすることは、歴史の主題にはならない。それは自然のことだからです。だから、本当の歴史家は、研究そのものが常に人間の思想、人間の精神に向けられます。人間の精神が対象なら、それは言葉と離すことはできないでしょう。宣長は『古事記伝』の中で、「事」と「意」と「言」、この三つは相称うものであると書いています。歴史というものは、そういうものです。


 歴史上の出来事というものは、いつでも個性的なものでしょう。諸君の個性は、どの人もみな違うのではないか。けれども物理学者にとっては、諸君の個性などないではないか。生物学者が諸君を観察すれば、諸君の個性は消え、人類という腫が現れるでしょう。人間はみな同じことをやっていると言う。それは抽象的なことだが、そうしなければ科学は発達しないのです。だから、科学というものは個性をどうすることもできない。しかし、僕らの本当の経験というものは、常に個性に密着しているではないか。個性に密着しても、僕は生物たる事を止めやしない。だから、科学よりも歴史の方がもとです。歴史の中には、抽象的なものも入って来るし、自然も入って来ます。しっかしそれは歴史の一部です。

(昭和45年8月9日、於:長崎県雲仙)


>>自分の歴史を改めて知り直したい


「小林秀雄 学生との対話」④



「小林秀雄 学生との対話」(国民文化研究会・新潮社編、新潮社)より

  講義  「常識について」後の学生の対話

 家庭の教育でも、本末が転倒しているようです。子供に対する外的な影響ばかりを、やかましく言う。テレビの影響だとか、雑誌の影響だとかが、しきりに論じられている。だが、子供が一番深く影響を受けるのは、家庭の精神的、感情的雰囲気というものでしょう。親が本当に子供に深い愛情を持っていれれば、子供は直ちにこれに感応して、現実的な態度を取るものです。親の愛情をきちんと受け止める能力を、子供は完全に備えている。当り前のことだが、こんな当り前なことが、存外忘れられているのです。

 もう一つ悪いのはジャーナリズムの趣味です。戦後の青年はどうだとか、いまの青年はどうだとか、騒ぎ立て過ぎるのではないですか。戦前の人と戦後の人の間の思想の食い違いというようなことなど、お互いに捨てるのがいいのです。これは一種の猜疑心です。

 いくら外面的なことが変わっても、少し深い問題とか、微妙な問題に入ってみると、戦前も戦後もない大問題が人生にはたくさんあります。いまの世の中がむずかしくなったとか何とかいうけれども、敏感で利口な人には、人生がやさしかったことなど一度もありません。もっと長い時間というものを、常に念頭においておくことは大事なことです。

(昭和39年8月9日 於:鹿児島県桜島)


>>子供に対する外的な影響を排除し、深い愛情だけで子供が育つ世の中を作り上げてみたい


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