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全てが詰まったHANA-BI最後の言葉?

 

【 北野武:HANA-BI 】



 先日、20年振りに、『HANA-BI』(主演:ビートたけし、岸本加世子。脚本・監督:北野武)を見た。

 以下は、脚本家・野木亜紀子のインタビュー記事から。
https://s.cinemacafe.net/article/2020/11/06/69809.amp.html

 


私、大仰なセリフってイヤなんですよ、決めゼリフ的な。ドラマではどうしてもキーになるセリフがあった方がいい場合もあるので、必要であれば書きますが、必要以上に詩的だったり、持って回ったような言い方はかゆくなっちゃう(笑)。普段そんなこと言わないじゃないですか。私は「普通」の会話で呼び起こされる感情が一番強いと思ってます。

 

よく例えに出すのが北野武監督の『HANA-BI』なんですけど、それまでひと言もしゃべらなかった岸本加世子さんが、最後の最後に「ありがとう。ごめんね」って言う。あれだけで胸に迫るものがある。

 

「ありがとう」と「ごめんね」なんて、100万回以上聞いてる言葉だし、その言葉だけを書いても、何が泣けるかわからないだろうけど、見ればわかる。その重さ――映像作品ってそういうことだと思っていて、構成とか、そこまでの積み重ねの上にその言葉が発せられると、なんでもない言葉がすごい意味を持つんです。それが至高である気がしていて、奇をてらわない、普通の言葉こそが強いんじゃないかって思います。

 


<感想>
 ビートたけし演じる西の、余命短い妻が、最後に言った「ありがとう。ごめんね」。
 それまでの全てが詰まった最後の言葉に感動した。

 

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危機を煽っての武器輸出


「テレビじゃ言えない」(ビートたけし著、小学館)より


 以下は掲題書よりの一部抜粋(その2)


  トランプ米大統領を生み出したのは、「インテリの傲慢」と「B層マーケティング」


 まぁ、個人的にはトランプってのはけっこうクレバーなんじゃないかと思ってるけどね。共和党も周辺のスタッフに優秀なヤツをつけてガチガチに固めるだろうし、きっと「大統領らしく」進めていくことになるだろうよ。

 「ニッポンや韓国を守ってやる必要はない」「核軍備したらいいじゃないか」なんて言っているのも、したたかな計算なんじゃないかってさ。北朝鮮との危機を煽って、緊張をわざと高めておいて、ニッポンと韓国に武器を売りつけるという作戦かもしれないぜってね。


 オイラが「核武装しちゃえ」とか「ジジイ・ババアを姥捨て山に」なんてヒンシュク丸出しのネタをやってるうえに、トランプと一緒で過去にスキャンダルを山ほど抱えてるってことで「似てる」って声が出てきてるらしいんだけどさ。

 別に「なるほど」と納得するのは勝手だけど、この論はひとつ大きなことを忘れているよ。オイラは若い頃から「笑いのネタ」としてこういう話をしていて、要はこういう極端な話で「政治」やら「社会」のヘンな部分を横から突っついているわけだよ。一方でトランプは、「政治」という土俵に乗っかって、大マジメに極論を言ってるわけだよな。

 これってたとえ同じ「極論」を説いていたとしても、そのスタンスは真逆だぜ。こっちはお笑いだから許されるんであって、トランプみたいに拳を振り上げたことなんてないんでさ。そのことに気がつかなきゃダメだよ。


<感想>

 危機を煽っての武器輸出、(お笑いと違う)政治家の大マジメな極論など、ビートたけしの見方は的確であるように思う。


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「我が愛と青春のたけし軍団」


「我が愛と青春のたけし軍団」(たけし軍団編、双葉社)より


  第三章  フライデー事件  ガダルカナル・タカ

  事件当日


 1986年12月8日――。
 その日、俺ら軍団は、たけしさんと一緒に新春スペシャル番組を撮っていた。

 「昼間、フライデーといろいろあってよ。話つけようと思って電話したら“話があるなら来い!”って言うから、いまから行くぞ」
 まあ、わかりやすくいうと、当時、たけしさんとつき合いのあったおネエちゃんが、写真誌『フライデー』の記者に強引な取材を受けたことに端を発する。その女性は、記者に腕を掴まれて無理やり話をするように強制されて軽いケガをした。いくらなんでも、素人相手にケガまでさせるような、そんな無茶苦茶な取材の仕方はないだろうと、『フライデー』編集部に電話すると、まっとうに取り合ってくれない。それで業を煮やしたたけしさんは軍団を集めて、講談社にある『フライデー』編集部に直接抗議に行くと決めたのだった。

  逮捕

 取調室に行く途中、大塚署の暗い廊下を歩いていとき、たけしさんはちょっと振り返るようにして俺らのほうをチラッと見ると、ボソッと小声で言った。
「悪かったな。お前らには感謝してるぜ・・・」
 後にも先にもたけしさんから感謝してるなんて言われたのは、そのときだけだ。そして、たけしさんは続けて、
「お前らのことは一生、面倒みるからよ」
 胸がジーンとなった。その言葉だけで俺らは全員、
「もう、どうなってもいい」
 本気でそう思った。

  広がる波紋

 事件後に『フライデー』が、
「言論・出版の自由を脅かす暴挙に対して、断固たる態度で臨む」
 と声明を発表したこともあって、「言論・出版の自由」vs「個人のプライバシーなどの人権問題」みたいな壮大なテーマに発展していた。
 たけしさんは事件前に、周囲にこう話していたことがある。
「取材は勝手にやってもいいの。写真も何も撮らせてやってもいいの。ただね、俺たちタレントを使って飯のタネにしてるんだったら、俺たちと同等の立場じゃねぇかってのよね。もし、俺たちを下司呼ばわりするんだったら、お前らはもっと下司だっていうことを自覚してほしいのね。
 それを、いざ何かあるっていうと、すぐに言論の自由だなんだかんだと抜かしやがって、テメーたちだけは正義ヅラして、正しい人間のような顔するから腹が立つんだよ。やってることは、どう見たって俺たちと同じだぜ。いや、そのやり方の汚さからいったら、俺たち以下だよな」
 このときも『フライデー』側は、たけしさんが言うように、「言論の自由」を持ち出してきた。「言論の自由」を正義の旗印にして、言ってみれば俺らは、言論の自由を脅かす逆賊にされたようなものだ。

  復帰

 俺らの事件をきっかけに、それまで隆盛を誇っていた写真週刊誌は衰退し始める。事件の背景にある強引な取材方法やプライバシー無視の姿勢などが批判され、写真週刊誌に対する世間の風当たりは強くなった。それとともに売れ行きも落ちて、部数が半減したものもある。5誌あった写真週刊誌は2誌が廃刊になり、その後、さらに1誌も廃刊。結局、2誌だけが残った。
 別にどっちが勝った負けたってわけじゃないけど、結果的には俺らの起こした事件は、それまで、なんでもありだった写真週刊誌業界に一石を投じた形になった。
 そんなこととはまったく関係なく、たけしさんと俺ら軍団は、また以前の生活に戻っていた。ヤクザ組織を作ることもなく、土建屋にもなることもなく、お笑い芸人としての毎日を送っていた。仕事しては朝まで飲んで野球やってまた仕事に行って、終わったらまた飲んで・・・・・・。
 そこには、事件の前と変わらぬ日常があった。


  第四章  バイク事故

  “ビートたけし”という着ぐるみ


 あれはバイク事故を起こす3年ぐらい前、確かドラマ『浮浪雲』を撮っていたときのこと。その日、ロケを休んだたけしさんと一緒に飲んだいると、ふとした拍子に、たけしさんが呟いた。
「オレ、このまま死んだらいいな」
 たけしさんは事故の何年か前から、“自分の死”について話すことがあった。普通にバカなこと言いながらワイワイ盛り上がって飲んでるときにはそんな話はしないけど、少人数、たとえば二人きりで飲んでいて、ふとした会話の間が空いたときなど、たまにすっと切り出すことがあった。
「あれだな、もうやりたいこともやってきたし、十分、生きさせてもらったし」
そんなことをポロッとこぼしたりする。
 のちにたけしさんはバイク事故を振り返って、こんなこと言ったことがある。
「“オレは自殺したんじゃないか”って思うことがある」
 どう考えても、ブレーキをかけずに凄いスピードでガードレールに突っ込んでいくわけはない。自殺した言って以外に理由が見つからないから。
「意識的というより、無意識的に自殺しようとしたんじゃないか。もう一人の自分が『行け!』って言って、それで無茶なスピード出して、ブレーキもかけずに突っ込んでいったんじゃないか」
そう思うときがあるって。
 事故以前から、たけしさんの中では常に“引退”と“死”ということが頭にあったんだと思う。
「いま、このまま死ねりゃいいよな」
 そんなふうに言うことも、ときどきあった。
「いまが一番いいときなのかな」
自分の中で、ピークで辞めるとしたらいつ辞めればいいのか? それが常にあったんだと思う。俺ら芸人みたいな水商売みたいな仕事は、いつ何時、どうなるかわからない。常に、この先どうなるかわからないところで仕事をしてると、
「いまがピークなのか? まだ、これから先があるのか?」
自分でもわからないし、不安になる。世間から“天才”と呼ばれてる、あるビートたけしですら、そう思うときがあるのだ。

「オレは“ビートたけし”っていうぬいぐるみを着てるのかもしれないな。オレがいま演じている“北野武”も“ビートたけし”も、オレという人間がいて、そいつが“北野武”や“ビートたけし”という着ぐるみを着て普段仕事してるんだ」
 そうかもしれない。いや、たけしさんがそう言うんだから、きっと、そうなんだろう。つまり、俺らの前で見せるたけしさんはいつでも“ぬいぐるみを着てるたけしさん”だってことだ。
それをたぶん、どっかで脱いでいるんだろう。俺らの知らないどこかで、きっと。ちょっとしたら、バイクで事故を起こしたとき、たけしさんは自分でも無意識のうちに“ビートたけし”というぬいぐるみを脱ごうとしていたのかもしれない。


>>人間誰しも、何らかの着ぐるみを着て生きているのかもしれない

「たけしのグレートジャーニー」


「たけしのグレートジャーニー」(ビートたけし著、新潮社)より
発行/2014年5月15日


  Mission 04 ゴリラから人間関係を学べ  ゴリラの達人 山極寿一

  ヒトとゴリラはかくも似ている

山極
 遺伝的にDNAを開設すると、オランウータン、チンパンジー、ゴリラ、ヒトというのは「ヒト科」に属しています。ですから、類人猿は人間に非常に近い仲間なんです。それとサルは全然違います。

 ニホンザルと類人猿が違うのは、類人猿の場合、仕草として対面するコミュニケーションがすごく多くなります。人間の場合も、対面しながら話し合います。しかし、もし情報だけを伝達するんだったら、後ろ向いて話していても構わないじゃないですか。ニホンザルは決して向き合わない。なぜならば、顔を見つめると威嚇になってしまうから、必ず弱い方が顔を背けるわけです。


  類人猿と人間が大きく違うところ

山極
 最も違うところは何だと思いますか。

 それは人間が劇を作ることなんです。チンパンジーやゴリラは劇を見ても意味が分からない。その中に自分が入っていけない。劇中で、AとBという人間がいたとしたら、それぞれの行動を見ながら、どういう思惑で何をやろうとしているのか、我々は劇中の人物に共感しながら見るわけです。しかし、類人猿にはそれができないんです。
 
 彼らは現実に起こっている事実からあまり離れられない。しかし、我々は現実から離れて、空想の中でドラマを作ることができるわけです。

 みんなと一緒に食べることと、トイレでウンコをすることが当たり前のことに思えるのは、子どものときから強制的に躾けられているからなんです。でも、子どものときに体験してなければ、なかなかできない。ちょっと前に新聞で読んだのですが、みんなと一緒に食堂で食べられないので、かわいそうにトイレの中で食べている東大生がいるという。


  人間の家族はこうして出来た!?

山極
 人間社会では、男に平等に繁殖させるために家族というものを作り上げていったのではないかなと僕は思っているわけです。だからこそ、人間の男は家族から出ていろんな集団で生活することができる。会社に行って、社長にペコペコしても、家族に帰れば自分が繁殖できる場というのは保証されているわけだから。他の霊長類ではそうはいきません。人間は家族があるから、融通無碍に集団を行き来しながら生きられるのではないかなと思うんです。

 ゴリラの赤ちゃんは四歳で脳が二倍になって500CCになる。ところが、人間は1500CCにしなくてはいけない。そのためにどうしたかというと、一歳で二倍まで脳を大きくした後、十六歳まで脳を徐々に大きくするようにしたんです。ところが、脳の成長にはものすごくコストがかかるので、身体の成長を遅らせたわけです。ある程度、脳が成長したときに、今まで貧弱だった身体にエネルギーをどっと送る。それが人間の思春期です。男も女も、あっという間に大人になるから、心身がものすごいアンバランスになるわけです。そこで男も女も体をもてあますようになる。男は自分の体を試したくなって、粗暴になって喧嘩をしたりする。だから、その年代の男子は事故死などの死亡率が高くなる。女の子のほうは、男をいっぱい試すようになって、非常に性的に活性化してくるんです。

 今でこそ、その時期の女の子というのは社会的に非常に抑圧されています。だけど、大昔はどうだったんでしょうか。ゴリラのメスだったら、性的活性化の時期に、自分の生まれ育った集団を出て行く。つまり、いいオスを見つけるために集団を渡り歩いて行くわけ。セックスができる体と生理状態を持ったメスというのは、どこでも人気があるから、どのオスの群れも受け入れるわけですね。

 出会ったオスとうまくいかないと、見限って他の群れに移っていく。最終的に気に行ったオスのところに身を落ち着かせて、自分の子どもを産んで、その自分の子どもをオスに預ける、それがゴリラのメスのやり方です。人間の女性も、ひょっとしたら昔はそうだったのかもしれないなと思います。今、また、そうなりつつあるのかもしれませんけど。


>>確かに、躾けにより食事をみんなでしたり、トレイでウンコをしたり、空想の中でドラマを作ることが人間の特徴であろう

「日本人改造論 父親は自分のために生きろ」②



「日本人改造論 父親は自分のために生きろ」(ビートたけし著、KADOKAWA)より


 考えるのと覚えるのとあって、本当に頭のいい人は両方ともできるんだけど、今の子供たち、勉強しているのは片っぽだけだね。暗記ばかり。考えるほうは忘れちゃってるから。官僚になるのにはいいだろうけどね。官僚っていうか、番頭だね。努力して、暗記して東大に入った人が世の中に出ていちばん役に立つ仕事は番頭さん。この計算ちょっとやっとけなんて言われたら、ビシビシやるんじゃないの。

 東大出た人の横暴さっていうか傲慢さってあるね。たまにオレのとこに漫才の台本書いて持ってくる人がいて、これが東大出なの。東大出た俺が考えたお笑いなんだから素晴らしいんだって勘違いしんだよね。これがたまんないね。
たいして役に立たない学問をさ、それも、ただ今までにあった学問を覚えてるだけの奴がさ、なんですごい扱い受けんだか、未だにわかんねえ。アマチュアレスリングの世界チャンピオンなんていっても評価低いでしょ。でも、東大出たって言われると、最低の学部でも偉そうに見えちゃうでしょ。あれがよくわからない。


 それでも東大ってのは相変わらずきくんだよね。競馬の予想やっても。歌うたっても。東大っていうと人気になっちゃう。東大のイメージが世の中にこびりついているんだ。本当に東大が優秀な人間とる大学ならいいんだけど、やっぱり入試がね。たくさん覚えたもんが勝ちっていう、それだけでしょ。あなたの考えはどうなんですかっていうテストなら信用できるんだけど、その手前んとこで全部カットだもんね。


 オレにとっての掟? 他人を裏切っても最低自分だけは裏切らないってことかな。それとセックスは家庭にもちこまないっていう・・・・・・。大切なことだね。


 オレなんかホントはいつも敗北してるけど敗北に気が付いていない。負けたんだと人に言われてもまだ負けてないと言う、それだけで生きてきちゃった。敗北を感じたときはもうしれで終わりだから。負けたって言わないのは、言ったとたんにホントに負けちゃうから。敗北宣言しないうちはまだまだ頑張れる。強がりかもしれないけど、それがオレのエネルギーだね。


>>私も敗北宣言することなく生きていきたい

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