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「イノベーションのジレンマ」


「イノベーションのジレンマ 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき」(クレイトン・クリステンセン著、翔泳社)より
2001年7月3日 初版第1刷発行


  破壊的技術の原則

1、企業は顧客と投資家に資源を依存している

2、小規模な市場では大企業の成長ニーズを解決できない

3、存在しない市場は分析できない

4、組織の能力は無能力の決定的要因になる

5、技術の供給は市場の需要と等しいとはかぎらない


 経営者が新しい技術に取り組むときにおかす最大の過ちは、破壊的技術の原則と戦い、克服しようとすることである。持続的技術では成功してきた従来の経営慣行を適用すると、破壊的技術ではかならず、失敗する。成功につながる有効な方法は、破壊的技術に関する自然の法則を理解し、それを利用して新しい市場と製品を生み出すことである。破壊的技術が発展する背景にある力学を認識すれば、破壊的技術によって生じる機会にうまく対処できる。

 とりわけ、破壊的技術に直面した経営者に対して、つぎのことを勧めている。

1、破壊的技術の開発を、そのような技術を必要とする顧客がいる組織にまかせることで、プロジェクトに資源が流れるようにする。

2、独立組織は、小さな勝利にも前向きになれるように小規模にする。

3、失敗に備える。最初からうまくいくとは考えてはならない。破壊的技術を商品化するための初期の努力は、学習の機会と考える。データを収集しながら修正すればよい。

4、躍進を期待してはならない。早い段階から行動し、現在の技術の特性に合った市場を見つける。それは現在の主流市場とは別の場所になるだろう。主流市場にとって魅力の薄い破壊的技術の特性が、新しい市場をつくり出す要因になる。


>>新しい技術が発展する可能性を感じて、それを利用して新しい市場と製品を生み出す環境をつくることが大切だ


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テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

「イノべーション・オブ・ライフ」⑧



「イノべーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ」(クレイトン・M・クリステンセン、ジェームズ・アルワース、カレン・ディロン著、翔泳社)より


  終講  

企業が自らの目的と使命を十分に考え抜くことは、まずない。このことが、企業の挫折と失敗を招く、最も重大な原因の一つなのだろう
――ピーター・F・ドラッカー


  目的の三つの部分

 企業の表明する目的が意味をもつためには、次の三つの部分をもっていなかればならない。一つは、わたしが「自画像」と名づけたものだ。たとえていうと、絵画の巨匠は心でとらえたイメージをまず鉛筆描きのデッサンにしてから、油彩で描くことが多い。企業の「自画像」とは、主要なリーダーや従業員が、企業がいま進みつつある道を最後まで行ったとき、こんな企業になっていてほしいと思い描くイメージを言う。「自画像」という言葉が、ここではポイントだ。

 二つめとして、目的が役割を果たすためには、従業員と幹部が、実現しようとしている自画像に対して、深い献身を――ほとんど信仰とも言えるものを――もたなくてはいけない。目的は書面で簡潔するのではない。従業員は、何を優先すべきかという問いを、思いもよらない形で四六時中突きつけられる。このとき深い献身をもっていなければ、やむを得ない事情の波に揉まれて、自画像を傷つけてしまう。

 企業の目的の三つめの部分が、経営者や従業員が進捗を図るために用いる、一つまたは少数の尺度だ。すべての関係者が、それぞれの仕事を尺度と照らし合わせることでこそ、企業全体が一貫した方向に進んで行ける。

 この自画像、献身、尺度の三つの部分が、企業の目的をつくる。世界をよい方向に変えようとする企業は、けっして目的を成り行き任せにしてはいけない。価値ある目的が、いつの間にか現れることはまずない。蜃気楼やパラドックス、不確実性に充ち満ちたこの世界で、目的を運任せにするわけにはいかない。目的は、明確な意図をもって構想、選択し、追求するものだ。だが企業がいったん目的をもてば、そこに行き着くまでの方法は、一般に創発的であることが多い。新しい機会や挑戦が現れ、それを追求する。偉大な経営者は、世界に足跡を残そうとする企業にとって、目的がいかに大切かを心得ている。


  自分のなりたい自分

 ・人がよりよい人生を送れるよう助けることに身を捧げる人間
 ・思いやりがあり、誠実、寛容で、献身的な夫、父親、友人
 ・神の存在を信じるだけでなく、神を信じる人間

 自分のめざす自画像について、宗教的信仰をもとにしていようといまいと、わたしと同じような結論にたどりつく人も多いことだろう。これは目標を――人生で最も大切な目標を――定める方法の一つだ。だがあなたの自画像は、自力で描くからこそ、価値がある。

 じっくり時間をかけて人生の目的を考えれば、あとからふり返ったとき、それが人生で学んだ最も大切なことだったと必ず思うはずだ。



  訳者あとがき

 クレイトン・クリステンセン教授は、毎年ハーバード・ビジネススクールで受けもつ講義の最終日に、ビジネスや戦略ではなく、どうすれば幸せで充実した人生を送れるかについて、学生たちと話し合う機会をもっている。2010年には学生たちのたっての希望で、その年の卒業生全員に向けて授業を行った。この内容を、二人の若々しい共著者とともに加筆、書籍化したものが、本書『イノベーション・オブ・ライフ』(原題:How Will You Measure Your Life?)である。

 優秀であるがゆえに失敗してしまう既存企業と同じで、才能にあふれた、達成動機の高い若者たちが、優秀であるがゆえに不幸な人生を歩んでしまう――教授はそんな同級生や教え子を、数えきれないほど見てきた。この人生のジレンマを乗り越える手助けをするために、本書は書かれたのだ。

 なぜマネジメントの理論が、充実した人生を送る指針になるのだろう? それは本書の理論が、何がものごとを、そして人々を動かすのかを――つまり相関性ではなく因果性を――とらえているからにほかならない。優良企業が「正しい」行動をとるがゆえに衰退するという破壊的イノベーション理論を始め、すべての理論が人間心理についての深い洞察に支えられている。そしてそれは、人を助けたいという、教授の強烈な目的意識があってこそ得られた洞察なのだ。

 理論を正しく理解し、それがビジネスにどう活かされているかを学んだうえで、自分の人生にどうあてはまるかを、自力で考える。このプロセスを経てこそ、理論を人生の問題を考える枠組みとして体得できるのだと、教授らは語りかける。渾身のメッセージを、あたりまえのこととして読み流さずに、どうか立ち止まって自分自身の問題としてじっくり受けとめていただけるよう、著者たちとともに願っている。

  2012年11月 櫻井祐子


>>自分のめざす自画像、人生の目的を自力で考え続けてゆきたい

「イノべーション・オブ・ライフ」⑦



「イノべーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ」(クレイトン・M・クリステンセン、ジェームズ・アルワース、カレン・ディロン著、翔泳社)より


  第3部 罪人にならない       Staying Out of Jail

地獄へ向かう最も安全な道は、緩やかな道だ――坂はなだらかで、足下は柔らかく、急な曲がり角も、道しるべも、標識もない。
――C・S・ルイス


  第10講  この一度だけ・・・・・・
        Just This Once・・・

 わたしたちが人生で重要な道徳的判断を迫られるときには、どんなに忙しいときであろうと、またどんな結果が待っていようと、必ず赤いネオンサインが点滅して、注意を促してくれると思っている人が多い――「この先重要な決断につき、注意」。自分はこういう大事な瞬間に正しい判断ができると、ほとんどの人が確信している。第一、自分が誠実でないと思っている人などいるだろうか?

 問題は、人生がそんなふうにはできていないことだ。警告標識など現れない。むしろわたしたちは、大きなリスクが伴うようには思えない、小さな決定を日々迫られる。だがこうした決定が、やがて驚くほど大きな問題に発展することがあるのだ。

 企業でも、まったく同じことが起きる。ライバル企業にわざと追い抜かれようとする企業などない。企業をその道に向かわせるのは、何年も前に下された、一見あたりさわりのない、多くの決定なのだ。本章では、これがどのようにして起きるかを説明し、このうえなく魅惑的な罠を避けるにはどうすればよいか、その方法を学ぼう。


 一般に、企業は将来のイノベーションへの投資を考えるとき、数字を分析して、既存事業の観点から是非を判断する。分析の結果、投資の限界便益が限界費用に見合わないと判断すれば、投資を見送る。だがこの考え方には、大きな間違いが潜んでいる。

 これが限界思考の罠だ。投資に要する当面の費用はわかるが、投資をしないことの代償を正確に知るのはとても難しい。既存製品からまだ申し分のない収益があがっている間は、新製品に投資するメリットが薄いと判断すれば、他社が新製品を市場に投入する可能性を考慮に入れていないことになる。ほかのすべての条件が――具体的には既存製品からあがる利益が――これからも永遠に変わらないと家庭しているのだ。また決定の影響がしばらく表れないこともある。たとえば競合企業が立ち行かなくなれば、当面は「追いつかれる」こともなくなる。だが限界的思考のレンズをとおしてあらゆる決定を下す企業は、いつか必ず代償を払うことになる。成功している企業がこの思考にとらわれたせいで、将来への投資を見送り続け、最後に失敗する例はあとを絶たない。

 同じことが人にも言える。

 倫理的妥協が招く厄介な影響を免れる方法は一つだけある。そもそも妥協を始めないことだ。妥協の道の第一歩が現れたら、踵を返そう。


>>妥協や一見あたりさわりのないように見える決定をすることなく生きてゆきたい

「イノべーション・オブ・ライフ」⑥



「イノべーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ」(クレイトン・M・クリステンセン、ジェームズ・アルワース、カレン・ディロン著、翔泳社)より


  第9講  家庭内の見えざる手
        The Invinsible Hand Inside Your Family

 たいていの人は、自分の家庭がこんなふうになってほしいという理想像をもっている――またはもっていた。子どもたちは行儀よく育ち、わたしたち親を敬愛してくれるだろう。家族水入らずで過ごす時間はとても楽しいはずだ。自立して社会に巣立っていく子どもたちの姿を見て、さぞや誇らしい気持ちになることだろう。

 それなのに子育てを経験した親は、決まってこう言う。理想の家庭を望んだからといって、それを実際に手に入れらるわけではない、と。自分の望む家庭像と、実際に手に入れる家庭のギャップを縮めるのに役立つ最強のツールの一つが、文化だ。文化の動きを理解し、自分の望む文化が形成されるよう、力を尽くさなくてはならない。


 自分がそばにいて見守っていなくても、正しい選択ができるように子どもを育てたいと、どんな親も思っている。これを最も効果的に行う方法の一つが、適切な家庭文化を築くことだ。家庭文化は、どのように行動すべきかについて、目立たないが強力な指針を家族に与えてくれる。

 集団がくり返し問題の解決に取り組むうちに、規範ができあがっていく。家庭についても同じだ。家族が何かの問題に初めて直面したときや、何かを家族で行う必要が生じたときには、解決策を見つけなくてはいけない。

 ただ好ましくない行いを律するだけではなく、よい行いをほめることも必要だ。家族は何に価値を置くのだろう? 創造性だろうか? 勤勉? 起業家精神? 寛大さ? それとも謙虚さだろうか? 子どもはどんなことをすれば親に「よくやったね」とほめてもらえるかを、理解しているだろうか?

 これが、文化のとても強力な側面だ。文化は、自動操縦装置のようなものだ。文化が効果的に機能するには、自動操縦装置を適切にプログラミングする必要があることを、けっして忘れてはいけない。つまり家庭に求める文化を、自ら構築するということだ。家庭生活の早い段階から意識的に構築し、強化していなくても、どのみち文化は生まれるが、あなたの望むようなものにはならない。子どもの怠惰な行動や無礼な行いを何度かでも見逃せば、それを家庭文化にしてしまうプロセスが発動する。また子どもが問題を解決しようと精一杯努力したとき、立派なことをしたねとほめれば、やはりプロセスが発動する。親にとって、つねに一貫した態度をとり、子どもの正しい行いをいつでも励ますのは大変なことだが、文化はこうした日々のやりとりのなかで定められていく。そしていったん文化ができあがれば、それを変えるのは不可能に近い。


>>問題の解決に取り組みながら強力な指針を家族に与えてくれる適切な家庭文化を築いてゆきたい

「イノべーション・オブ・ライフ」⑤


「イノべーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ」(クレイトン・M・クリステンセン、ジェームズ・アルワース、カレン・ディロン著、翔泳社)より


  第7章  子どもたちをテセウスの船に乗せる
        Sailing Your Kids on Theseus’s Ship

 わたしたちはだれしも、子どもに最良の機会を与えることの大切さを知っている。最近の親は、自分には与えられることのなかった機会を、子どものために生み出すことに、ますます精を出しているように思われる。わたしたちはよかれと思って、子どもに人生を豊かにする経験をさせようと、さまざまなコーチや講師のもとに送り出す。子どもに将来生きていいくのに必要な能力を身につけさせるには、そうするのが一番だと信じているのだ。だが子どもにこのような形で手を貸すことは、大きな代償を伴うことがある。


 あなたは子どものためだと思って、資源を与える。実際、子どもに必要なものを与えることが、親として当然の務めと思っている人がほとんどだ。子どもがいくつの活動に関わり、いくつの楽器を習い、いくつのスポーツをしているかを、隣人や友人と競い合う人もいる。これは比較しやすいし、そうすることで自分はいい親だと満足できる。だがこの愛情あふれる行動も、やりすぎるとかえって、子どもがあなたの望むような大人になるのを妨げてしまう。

 子どもに必要なのは、新しいスキルを学ぶことだけではない。能力の理論は、子どもに困難な挑戦を与えることの必要性を教えてくれる。子どもに厳しい問題を解決させ、価値観を養わせよう。どれほど多くの経験をさせても、心から打ちこめるような機会を与えない限り、将来の成功に必要なプロセスを身につけさせることはできない。また子どもにこうした経験をさせる役割を他人任せにする、つまりアウトソーシングすれば、子どもをあなたの尊敬、賞賛するような大人に育てあげる、貴重な機会を失うことになる。子どもが学ぶのは、あなたが教える準備ができたときではない。彼らは、学ぶ準備ができたときに学ぶのだ。子どもが人生の困難に立ち向かうそのとき、あなたがそばにいてやらなければ、彼らの優先事項を、そして人生を方向づける、貴重な機会を逃すことになる。


  第8講  経験の学校
        The Schools of Experience

 子どもに困難なことを行う方法を学ばせるのは、親として最も大切な仕事の一つだ。これは、人生で遭遇する困難に立ち向かう能力を子どもに与えるうえで、欠かせないことだ。だがどうすれば子どもに正しい能力を与えられるのだろう?


 子どもがぶつかる困難には、重要な意味がある。子どもは大変な経験をすることでこそ、生涯をとおして成功するのに必要な能力を磨き、養っていく。気難しい先生とうまくつき合う、スポーツでの失敗を乗り越える、学校内のグループの複雑な人間関係を生き抜く方法を学ぶといったすべてが、経験の学校の「講座」になる。仕事で失敗する人は、もともと成功する能力が欠けているのではなく、仕事に伴う困難に立ち向かう力を身につけるような経験をしてこなかったのだ。言いかえれば、間違った「講座」を受講してきたということになる。

 世の親は、よい学業成績やスポーツの実績など、子どもの経歴を積みあげることにこだわる傾向がある。だが子どもが生きていくのに必要な力を養う講座をおろそかにするのは間違っている。子どもにどんな力が必要になるかを考え、そこから逆算しよう。将来の成功に必要なスキルを養う助けになる、適切な経験を探し出そう。それはあなたが子どもに与えられる、最高の贈り物の一つなのだ。


>>子どもが生きていくのに必要な力を養う経験をさせることが重要だ

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