【 山本周五郎:柘榴 】 先日、山本周五郎の「柘榴」を読んだ。< 本文より > 嫁していって間もなくことだ。昌蔵は熟れた柘榴の実を割って眺めていたが、ふと熱のある人のような眼で真沙をかえり見、割った果実の中の紅玉のような種子を示しながら、こんなことを云った。「この美しい実をごらん。私にはこれがおまえのからだのようにみえるんだよ」「割れた果皮の中から、白いあま皮に仕切られて、この澄んだ生なましい果粒が現われる。まるで乙女の純潔な血を啜ったような、この美しい紅さを眺めていると、私にはおまえの?の中を見るような気持がしてくるんだ」 「自分は若すぎたーー」真沙は胸の痛むような思いでそう呟いた。「良人となり妻となれば、他人に欠点とみえるものも、うけ容れることができる。だれにも似ず、誰にもわからない二人だけの理解から、夫婦の愛というものが始まるのだ」ーー老人の掌の上には、柘榴の熟れた実があった。真沙はなんだと思って苦笑しながら、「うちの柘榴は酸っぱくて喰べられないのだよ」 こう云った。どんなに吃驚したものだろう。伊助は殆ど台木からとび上り、柘榴は彼の手から落ちてころころと地面を転げた。「ああ肝がつぶれました」伊助はあけびを採りながらも、幾たびか太息をついた。「こんなに驚いたことはございません。きっとはんぶん眠っていたのでございましょうがーー」 八年いるあいだに、彼がそんなあからさまな自分をみせたのは初めてである。真沙も久方ぶりにずいぶん笑い、後になってからも、思いだしては可笑しくて微笑まされた。ーーそして伊助が昌蔵であったにせよなかったにせよ、最期に囁いた彼の言葉は、真沙を慰めるのに十分であった。ーーいい余生を送らせて貰いました。< 阿刀田高氏のコメント >https://mainichi.jp/sp/shikou/70/03.html 山本周五郎さんの短編小説『 柘榴ざくろ』を3年前に見つけて読んだんですけど、これが素晴らしい作品で、性の問題を上品に扱っている。テーマを一言でいえば、男が性的に女を好きになるのは愛ではないのか、男が肉体的な愛を女に求めるのはそういう形で表現するしかないからではないか、と訴える小説です。清純な女性からは『いやしい、邪悪な欲望に過ぎない』と非難が出るでしょうが、単なる欲望ではなくそれも男の愛ではないか、それを認めてほしいと作家は書いています。あまりに見事に書いているので作家の真意は伝わりにくいかもしれません」 <感想> 私の故郷である山梨県大月市生まれの山本周五郎の柘榴。 山梨県立図書館の名誉館長*を務める阿刀田高氏の上記コメントに脱帽。*https://www.lib.pref.yamanashi.jp/ ----------------------------------------------------------------------元証券マンが「あれっ」と思ったこと発行者HPはこちら http://tsuru1.blog.fc2.com/ ----------------------------------------------------------------------
【 山本周五郎:柘榴 】
先日、山本周五郎の「柘榴」を読んだ。
< 本文より >
嫁していって間もなくことだ。昌蔵は熟れた柘榴の実を割って眺めていたが、ふと熱のある人のような眼で真沙をかえり見、割った果実の中の紅玉のような種子を示しながら、こんなことを云った。
「この美しい実をごらん。私にはこれがおまえのからだのようにみえるんだよ」
「割れた果皮の中から、白いあま皮に仕切られて、この澄んだ生なましい果粒が現われる。まるで乙女の純潔な血を啜ったような、この美しい紅さを眺めていると、私にはおまえの?の中を見るような気持がしてくるんだ」
「自分は若すぎたーー」真沙は胸の痛むような思いでそう呟いた。
「良人となり妻となれば、他人に欠点とみえるものも、うけ容れることができる。だれにも似ず、誰にもわからない二人だけの理解から、夫婦の愛というものが始まるのだ」
ーー老人の掌の上には、柘榴の熟れた実があった。真沙はなんだと思って苦笑しながら、
「うちの柘榴は酸っぱくて喰べられないのだよ」
こう云った。どんなに吃驚したものだろう。伊助は殆ど台木からとび上り、柘榴は彼の手から落ちてころころと地面を転げた。
「ああ肝がつぶれました」伊助はあけびを採りながらも、幾たびか太息をついた。「こんなに驚いたことはございません。きっとはんぶん眠っていたのでございましょうがーー」
八年いるあいだに、彼がそんなあからさまな自分をみせたのは初めてである。真沙も久方ぶりにずいぶん笑い、後になってからも、思いだしては可笑しくて微笑まされた。
ーーそして伊助が昌蔵であったにせよなかったにせよ、最期に囁いた彼の言葉は、真沙を慰めるのに十分であった。
ーーいい余生を送らせて貰いました。
< 阿刀田高氏のコメント >
https://mainichi.jp/sp/shikou/70/03.html
山本周五郎さんの短編小説『 柘榴ざくろ』を3年前に見つけて読んだんですけど、これが素晴らしい作品で、性の問題を上品に扱っている。テーマを一言でいえば、男が性的に女を好きになるのは愛ではないのか、男が肉体的な愛を女に求めるのはそういう形で表現するしかないからではないか、と訴える小説です。清純な女性からは『いやしい、邪悪な欲望に過ぎない』と非難が出るでしょうが、単なる欲望ではなくそれも男の愛ではないか、それを認めてほしいと作家は書いています。あまりに見事に書いているので作家の真意は伝わりにくいかもしれません」
<感想>
私の故郷である山梨県大月市生まれの山本周五郎の柘榴。
山梨県立図書館の名誉館長*を務める阿刀田高氏の上記コメントに脱帽。
*https://www.lib.pref.yamanashi.jp/
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
発行者HPはこちら http://tsuruichi.blog.fc2.com/
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「人間の器量」(福田和也著、新潮社)より
山本周五郎の背水
作家が原稿料を貯金したり、それで家をたてたりすることは、金を「私」すること、つまり横領することだと解釈していました。
私のもらう原稿料というものは、これは収入ではなくして、ジャーナリズムが、私につぎの仕事をするために投資をしてくれているんだと思う。これは原稿料をもらった初めっからの気持であって、今でもその通り考えていますし、将来もおそらくそうでしょう。小説を書き、原稿料をとるということは、これは事業ではなくて、したがってはいってくる原稿料は収入ではありません。(「金銭について」『雨のみちのく・独居のたのしみ』)
これは控えめに云ってもかなり過激な発言ですが、それは周五郎の作家としての自負と緊密に結びついています。
周五郎に私淑した木村久邇典は、こう書いています。
骨董をいじくるとか、大邸宅を構えるとか、いっさい関心がなかった。ただひたすらに散文の道にはげんで倦むことを知らないというふうであった。
山本さんの作品のほとんどは、これだけはどうしても訴えずにおられないという生命の危機感がみなぎっており、作家の使命感に裏づけられたものである。まことに稀有な天成の小説家だったと思う。(『人間 山本周五郎』)
周五郎はあらゆる文学賞を辞退し--『日本婦道記』が直木賞の候補になりますが辞退、『樅ノ木は残った』が毎日出版文学賞に選ばれ辞退、『青べか物語』が、文藝春秋読者賞に選ばれ辞退--、読者の支持以外に、世間的な栄誉を求めませんでした。
先に、原稿料は収入ではないという言葉を紹介しましたが、周五郎にとって作家というのは職業ではないのでしょう。
それはもっと高く厳しい、人間が携わる仕事のなかで、もっとも高く尊いもの、というような。
そういうような自負が、たしかに周五郎にはありました。
同時代の作家にたいして、強いライバル心を抱いていました。
吉川英治、長谷川伸、川口松太郎を敵視していいました。直木賞候補を辞退した理由の一つは、吉川が、選考委員をやっていたという事もあるようです。
一方で、葛西善蔵を尊敬し、牧野信一を評価し、太宰治と会おうとしていたとか。
アメリカ現代文学を愛し、ウィリアム・サロイヤンの『人間喜劇』を英語で読み、翻訳が出たら大量に買い込んで、来客に配った。いずれにしろ、文学に対する志はきわめて高く、話柄のほとんどは文学論、創作にかかわる話であったといいます。
明治三十六年、山梨県大月市で生まれた山本周五郎は、四歳で山津波により生家が崩壊し、都内を転々した後、横浜に移り小学校卒業後、銀座木拚町のきねや質店に務めました。この店の主人は、一円までは質草も利子もとらずに貸すという人物で、名作『裏の木戸はあいている』は、この主人--その名は、山本周五郎といいましたが、自分にとって、作文を褒めて「小説家になれ」と云ってくれた先生と、この主人が二大恩人だと“山本周五郎”は云っています--に捧げられたものです。
たしかに涙あり、笑いあり、人情の温かみはあるけれど、それだけの作家ではありません。
『樅ノ木は残った』『ながい坂』『青べか物語』『虚空遍歴』などの長編には、さまざまな要素が重層的に溶かし込まれていますが、その低層にあるのは、存外厳しい、絶望的なものなのではない、とも思います。近代日本の小説家のなかで、ここまで深刻なものを書いた小説家はいなかったのではないでしょうか。
その深刻さを読者に届け、受け入れさせたところに、周五郎の渋みがある。
「全身小説家」だと云ってみたり、自分は筆一本で生きている、と云うような、聞いた風な事を云う物書きは沢山いますけれど、周五郎のように完全に書く事に投入し、余事、それだけに邁進した作家はそうはいない。その投入の強さ、深さは、人としての狭さを微塵も感じさせない、スケールの大きなものだったと思います。人物の大きさは、彼の作品の湛える悲しみや喜びのひろがりとして、いつでも感得することが出来る。
>>山梨県大月市で生まれた山本周五郎の仕事に対する自負にあやかりたい
「さぶの呟き 山本周五郎の眼と心」(木村久邇典著、世界文化社)より
名言・逸話拾遺
私が書く場合に一番考えることは、政治にもかまって貰えない、道徳、法律にもかまって貰えない最も数の多い人達が、自分達の力で生きて行かなければならぬ、幸福を見出さなければならない、ということなのです。一番の頼りになるのは、互いの、お互い同士のまごころ、愛情、そういうものでささえ合って行く・・・・・・、これが最低ギリギリの、庶民全体のもっている財産だと私は思います。暗い生活、絶望的な生活といっても、これは日本だけではなく、或いは世界中の庶民というものがいつでも当面している問題だと思うのですが、ただ、この中から我々を伸ばしたり、救ったりしてくれるのはいつでも、人間同士のまごころでつながっている、このつながりだと、私は思います。(お便り有難う「文化放送」昭和35年5月)
私はもっとも多数の人たちと共に生活し、共通のことで苦しみ悩み、そのなかに生きる希望を探求してゆきたい。私のもっとも恐れる事は、机上で仕事をすることである。(『山本周五郎選集』--扉に--昭和30年9月)
人間が一つの仕事にうちこみ、そのために生涯を燃焼しつくす姿。--私はそれを書きたかった。ここでは浄瑠璃の作曲者になっているが、他のどんな職に置き替えても決して差支えない。人間の一生というものは、脇から見ると平板で徒労の積みかさねのようにみえるが、内部をつぶさにさぐると、それぞれがみな、身も心もすりへらすようなおもいで自分とたたかい世間とたたかっているのである。その業績によって高い世評を得る者もいるし、名も知られずに消えてゆく者もある。しかし大切なことは、その人間がしんじつ自分の一生を生きぬいたかどうか、という点にかかっているのだ。「黄金でつくられた碑もいつかは消滅してしまう」ということを書いたことがあった。大切なのは「生きている」ことであり、「どう生きるか」なのである。(作品の跡を訪ねて--虚空遍歴「小説新潮」昭和38年11月)
>>お互い同士のまごころでささえ合いながら、机上で仕事をすることなく、しんじつ自分の一生を生きぬいて行きたい。
「さぶの呟き 山本周五郎の眼と心」(木村久邇典著、世界文化社)より
第44話 自分の知らないことを語るな 『虚空遍歴』
「人は身に備わった才能だけで仕事ができるものではない」(中略)「一芸一能を仕上げるには、いま云ったように百般の煩悩、あらゆる迷妄を脱却し、生死一如の悟りを得ることがだいいちだ」
沖也は反論する。
「私は迷うだけ迷い、悩むだけ悩む、悲しくなれば泣くだろうし、つまらないことではらもたてるだろう、金がなくなればうろうろするだろうし、恩愛の情にも脆くなりたい、一生、人事葛藤の中でよろめき、むなしい望みに縋りついたり、絶望したりするだろう」(中略)
「人の十倍も苦しみ、人の十倍も悩み、誰も経験したことのない恐怖を経験しよう」(中略)
「私は才能も乏しいごく平凡な人間だ、一生を賭けて、人間の弱さ、はかなさ、醜くさや哀れさをさぐりだしてみせる、自己元来鉄壁銀山と悟りすまして、人間のおろかさや悲しさがかけるか、--私はごめん蒙る、悟りなんぞまっぴらごめんだ」
これらの問答は、山本周五郎が日ごろ抱いていた芸術についての持説を、登場人物の口をかりて語らせているように思う。前述したように、『虚空遍歴』は作者が自分自身の芸術論を展開した小説だと論じた批評があったのも、分からないことではない。
「これまで多くの人間から嘲笑され、侮辱された」沖也は低い声で続けた、「そのたびにおれはふるえるほどの怒りに駆られ、がまんできずに人を斬ったことさえある。けれどもおれは、自分の浄瑠璃にみきりをつけたことだけは一度もなかった、誰に悪口を云われ、けなしつけられ、笑われても、自分の浄瑠璃に絶望したことは決してなかった」(中略)
「まだこれからも失敗するだろう、つまずいたり転んだりするかもしれない、しかしおれは必らず沖也ぶしを仕上げてみせる、きっとだ」
ぜったいに自分にみきりをつけない、息をひきとる瞬間まで、精一杯に努力する、というのは山本の信念だった。ここまでくると、山本が沖也に乗り移ったように感じさえしてくる。
「なにか仰しゃって」とおけいが聞いた。
「ああ」と沖也は空をみつめたまま云った、「支度ができたから、でかけることにするよ」
そして彼は死んだ。
「<そして彼は死んだ>というところをな、ここをよく読んでほしいんだ」
と山本周五郎が言った。
「ずいぶん苦労したからね」
“終わりの独白”の節でのおけいの言葉が、『虚空遍歴』の幕をひくのにふさわしい。
(前略)あの方が自分の作に満足せず、作っては