「日本人はいつ日本が好きになったのか」(竹田恒泰著、PHP新書)より
私たちは震災で、大切なものはカネだけではないということに気付かされた。これまでいしきもしていなかったもの、たとえば家族や地域の絆や、日本人の精神、そういったものに本当に価値があることを知った。私たち日本人が原点に立ち返り、美しい日本の精神を取り戻し、その光のなかで立ち上がって本物の復興を遂げたときに、もしかしたら震災で亡くなった方々に報いることができるかもしれない。
それでも、いまの日本はそれなりに輝いていると思う。しかし、もし将来、真っ当な教育がほ施されるようになり、憲法第九条が改正されて敗戦コンプレックスから抜け出し、未来の青年たちが、日本人であることの誇りと、国を愛する心を持つようになったら、日本はどうなるだろうか。そうなったら、日本は輝きわたると私は思っている。
>>教育・外交・軍事を疎かしないことが肝要だ
「日本人はいつ日本が好きになったのか」(竹田恒泰著、PHP新書)より
九条は第一項で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とし、第二項で「前項の目的を達するため、陸海軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定している。
現在の政府解釈では、九条は第一項ですでに戦力の保持を禁止しており、第二項は戦力を保持可能な例外規定ではないとしていて、「前項の目的を達するため」というのは、改めて第一項の趣旨を強調したに過ぎないと考えている。つまり、「目的」が第一項の趣旨全体にかかるという読み方である。
そこで「前項の目的を達するため」の解釈を変更して、「国際紛争を解決する手段としては戦力を保持しない」と読めばよい。これは、「目的」が「国際紛争を解決する手段」にかかるという読み方である。そうすれば、「侵略のための戦力は持たないが、自衛のための戦力は持つ」という意味になる。むしろそのように読むのが日本語の文法からして自然であろう。
しかも、「前項の目的を達するため」の文言は、大日本帝国憲法から日本国憲法への改正を議論する帝国議会で、原案に付け加えられた経緯があり、帝国憲法改正特別委員会小委員会委員長芦田均の名をとって「芦田修正」と呼ばれている。GHQはこの修正により、日本が自衛軍を保持し得ることが解釈上も明瞭になった、と理解している。
ちなみに、芦田修正に激怒した極東委員会の中国代表は、「変更を加えられた第九条は、日本の軍国主義が世界を欺くためのからくりである」「日本は、完全に軍事力を放棄していると世界に思わせておいて、実際には、憲法条文の修正によって作られた抜け道を使い、国家の再武装計画を立てているのだ」と主張したとされる。
政府が当時のGHQや極東委員会中国代表と同じ見解に立てば、現行憲法のままで日本は自衛のための軍を保持することができるようになるはずである。
とはいえ、九条はひっかけ問題のようなわかりにくい表現であるから、憲法を改正して、自衛のために軍を保持することを明記すべきであろう。ただし、政府見解の変更だけなら閣議決定で可能であるから、まずは政府解釈を上記のように変更し、そのうえで条文改正を模索するほうが、自衛隊の国軍化を早めることになる。
また、九条の精神的呪縛により、戦後日本人は、自分たちの手で自分たちの国を守るという意識を完全に失ってしまった。しかも、平和であることが当たり前と思い込み、国の独立に感謝の気持ちを抱かなくなってしまった。それを思えば、たんに解釈変更だけで乗り切るのではなく、国民的議論を経て第九条を改正することは、私たちが精神的に自立するために、避けては通れない道であると思う。
戦争が終わって七十年近く経過しているにもかかわらず、日本人は、戦争を始めたことに対する罪の意識を自らに植え付けてきた。その権化ともいえるものが第九条ではなかろうか。九条を改正することで、日本人が戦後抱いてきた自虐史観から脱却することができると私は考えている。戦後レジームからの脱却とは、すなわち、第九条の改正により実現できると思う。
>>九条を改正することで、ようやく日本も普通の国になることができる
「日本人はいつ日本が好きになったのか」(竹田恒泰著、PHP新書)より
日本人が自虐的である原因は敗戦にあるのではないか。占領軍が真っ先に改革を断行したのが「報道」と「教育」だった。これらの分野では「War Guilt Information Program(日本人の潜在意識に戦争についての罪の意識を植え付ける宣伝計画)」(以下、WGIP)が実行されたのである。
では、連合国が日本を占領した最終的な目的は何であったろう。それは、日本を精神的に武装解除させること。すなわち、日本人を精神的に骨抜きにすることである。
ところが、日本の軍国主義が否定されたことで、国を愛することが危険思想であるかのような誤った認識が広まってしまったことは、その後、日本を苦しめることになる。日本人が愛国心を持たなくなったのは、WGIPが原因だったのだ。日本人が日本のことを「好き」と言えなくなったのはこのときからだった。そして、一度作られた空気は、簡単には変えることができない。かくして、占領下にGHQによって創造された「東京裁判史観」に支配された日本が今日まで続いてきたのである。
日本を占領するGHQが、日本人を精神的に骨抜きにするために講じた措置は、原論統制だけではなかった。彼らが容赦なく学校教育に介入してきたことは、あるいは一般の原論統制よりも深刻だったかもしれない。教育は国の足腰そのもので、日本人に戦争を始めたことの罪の意識を植え付けるWGIPが学童にまで及んだことは、いまだに大きな影響を残している。
戦後の教科書には、日本人として最低限知っておくべきことがかかれていないことは大きな問題であろう。その筆頭に挙げられるのが、わが国の建国の経緯とその精神である。米国の学生で祖国独立の経緯を知らない者はいないし、フランス革命を知らないフランスの学生や、毛沢東を知らない中華人民共和国の学生などいるはずもない。
文部省は、昭和21年5月15日に教師用の手引き書である「新教育指針」、続いて11月9日に「国史教育の方針」と名付けられた指導要項を作成して全国に配布した。
「新教育指針」は日本人の欠点を列挙して、これらが戦争の原因であると述べ、「戦争の責任は国民全体が負ふべきであり、国民は世界に向かって深くその罪を謝するところがなければならない」と結んでいる。これがWGIPの正体であり、いまだに謝罪外交を続けていることの原因はここにあるといえよう。そして、この「新教育指針」はGHQが示した方針に従って、文部省、つまり日本人自らが作成し、教育現場に周知徹底させたものであることを押さえておきたい。
教員組合と発展を促したのは、GHQと文部省だった。そしてその流れのなかで拡大統合を果たしたのが日教組であるから、つまり「GHQの占領政策の落とし子」であると同時に「『新教育指針』の落とし子」ともいえよう。ところで、労働組合も同じ流れのなかで結成と促進が推奨され、平成元年(1989)に4大組合が統合して組合員800万人の日本労働組合総連合会(連合)が発足し、日教組もこれに加入することになる。
「新教育指針」を忠実に実行し、これをいまに伝えているのが、日教組なのだ。サンフランシスコ講話条約発効によって占領軍が撤退したあとも、日教組「新教育指針」を引き継ぎ、現在も現役で活動している。これは、日教組が占領軍の占領政策をそのまま引き継いできたことを意味する。
日教組は現在では加入者が低迷しているとはいえ、最盛期には90%に上り、1980年代でも50%程度を保っていた。「新教育指針」を学校現場に浸透させたのは日教組であり、戦後教育に多大なる影響を与えた。
そろそろ周辺諸国条項を見直し、いつまでも自虐史観に偏っていないで、東京裁判史観と戦後今日行こうの呪縛から解放され、日本人のための日本の歴史教科書を作り、普及させるべきではあるまいか。日本人が真っ当な教科書を使うようになるまで、戦争は終わっていない。
>>教育の仕方を抜本的に変えるタイミングは安倍内閣の今でしょ