「住友銀行秘史」(國重敦史著、講談社)より
(発売日: 2016/10/6)
エピローグ あれから四半世紀が過ぎて
93年に丸の内支店長、94年に取締役になり、取締役になったのは同期で一番早い3人の一人だったが、私はいち早く住銀から去った。97年に住銀が出資している住友キャピタル証券の副社長となったのだ。体よく出されたということだ。格好をつけるわけではないが、半ば自分で住銀から出ることを選んだ面も大きかった。
さらに99年、ネット証券の社長となった。
そのネット証券会社が楽天グループの企業となり、私は楽天の副社長、副会長を経て、2014年に辞職した。今は70歳だが、新たな事業を始めたばかりだ。
今思えば、あのころの自分が一番理想に燃えていた。純粋で、まっすぐで、ひたむきだった。その後、いろいろな仕事をしたが、イトマン問題に真っ向から取り組んでいたときのような興奮は、残念ながら感じられなかった。私は、よく言えば、「大人」になってしまった。
私の銀行員人生とは、たとえてみると、塀の上を歩いているようなものだったと思う。
銀行員とはこういうものだという一つの規範があって、そのぎりぎり境界線にいる。敢えてその道を行く。
そうなったのは、平和総銀の合併に関わったことが大きかった。
平和総銀の株を3分の1握ったフィクサー、佐藤茂氏と知り合った。銀行員が知っている整然とした世の中と、実際の世の中とは全然違う。そう思った。
そして、イトマンのあの混乱、阿鼻叫喚へと突っ込んでいく。
私は、自分が関わらなければ、住銀はもっともっとイトマンに貸し込み、損失が増えていたと思っている。私が関わったから、5000億円程度で済んだのだと。
そんな人間だったから、銀行を遅かれ早かれ出る運命だったのだと思う。そのことで住友銀行を恨む気持ちはまったくないし、私を育ててくれた銀行には今も感謝している。
乱世の英雄という言葉がある。
乱世のときには生き生きと仕事をする、しかし、平和な世の中ではその存在を必要とされない。
私もこれに似ていたかもしれない。
私の、とても好きな短編小説に太宰治の『お伽草紙』がある。その中のカチカチ山は、タヌキがウサギに泥舟で沈められてしまう話だが、ここでのタヌキは37歳の男で、ウサギは16歳の女だ。そして、タヌキはウサギに惚れている。
タヌキは最後、沈んでいくときに「惚れたが、悪いか」と言い残す。それに対してウサギは、「おお、ひどい汗」
と言うのだ。
たとえ最後は自滅するとわかっていても、自分の思いは曲げられないし、後悔もしない。
そんなタヌキの生き方に惹かれ、自分もそういう生き方をしてきたように思う。やはり、銀行員的な生き方と違うのかもしれない。
でも、それでいいと思って生きてきた。
そしてこれからも、そうやって生きていくのだと思っている。
最後になぜ本書をこのタイミングで世に出すことにしたのかについて語っておきたい。
イトマン事件当時に綴っていた手帳のメモは、あくまで自分の備忘録としてつけていたもので、公開する予定はなく、墓場まで持っていくつもりだった。
だが、あるとき、知り合いの講談社の編集者と話していてイトマン事件の話題になり、私が何気なく手帳の存在を口にしたことがあった。今から20年近くも前のことだ。
その編集者はずっとそれを覚えていて、折に触れ、「手帳を公開する気になったらいつでも言ってください」と声を掛け続けてくれた。そのたびに私は「迷惑が掛かる日地がいるかもしれないから」と口を濁してきたのだが、彼の「イトマン事件の記録はあなただけのものではなく、日本の経済史の一場面として、絶対に残しておくべきです」という言葉は私の中に残り続けた。
イトマン事件から、はや四半世紀が過ぎた。本書の登場人物の中にもお亡くなりになった方が少なくないし、住友銀行も三井住友銀行として生まれ変わった。今なら、さほど迷惑をかけることもないだろう。幸い私はビジネスの現場で生きているが、70歳になったのを機に、あの事件を語れる人間の一人として記録を残しておくのも、自分に与えられた役割の一つではないかと考えるようになった。
同時に本書には、私が見聞した住友銀行内部の人事にまつわる話も随所に登場する。「すまじきものは宮仕えかな」という言葉があるが、人事を巡る権謀術数は住友銀行に限らず、日本のすべての大企業に共通するテーマだろう。その意味では本書は『日本大企業秘史』とも言える。私の体験が組織で生きている読者の皆さんに、多少なりとも役立てば望外の喜びだ。
あるいは当事者の中には、快く思わない方がおられるかもしれないが、ご寛恕を願う次第である。
2016年9月 國重敦史
>>かつての上司が書いた本。エライ人たちが自らの人事にあれほど熱心だったとは残念でならない
「伝え方が9割②」(佐々木圭一著、ダイヤモンド社)
⑦「合体法」
――ヒット商品、流行の現象の多くはこれでつくられている!
「妖怪」と「ウォッチ」 どちらも、ふつうのコトバ
⇒「妖怪ウォッチ」 流行ワード
「ゆるい」と「キャラ」 どちらも、ふつうのコトバ
⇒「ゆるキャラ」 流行ワード
①軸コトバを選ぶ
②別軸コトバの言い換えをたくさん出す
③組み合わせる
Before 「大きなたこ焼き」
After 「野球ボールたこ焼き」
言わば「トレンド発明器」。
ブームコトバをつくるレシピ。
それが「合体法」
⑧「頂上法」
――人は一番が大好き。もともと眼中になくても、それだけで注目する
「一番搾り」
こちらキリンビールで、それこそ一番売れているビール。
「お菓子のホームラン王」
これは、亀屋万年堂のナボナのCMに使われていたフレーズ。
①伝えたいコトバを決める
②適した頂上ワードを入れる
Before 「大きなたこ焼き」
After 「原宿で一番、大きなたこ焼き」
「とっても受けたい授業」
⇒「世界一受けたい授業」
お店の棚で一番使われ、
購入動機をつくるレシピ。
それが「頂上法」
第2章 まとめ
①あっ! という間、すぐにできるレシピ。
それが「サプライズ法」。
②他は忘れても、これだけは覚えてほしい、名言ができるレシピ。
それが「ギャップ法」。
③顔が火照るくらい、恥ずかしく感じるくらい、じぶんをさらけ出すレシピ。
それが「赤裸裸法」。
④かんたんに、かんたんにできてしまう、記憶に残るレシピ。
それが「リピート法」。
⑤これだけは、忘れないでほしい、注目されるレシピ。
それが「クライマックス法」。
⑥95%の人が知らない、数字で表現して説得力を出すレシピ。
それが「ナンバー法」。
⑦言わば「トレンド発明器」。ブームコトバをつくるレシピ。
それが「合体法」。
⑧お店の棚で一番使われ、購入動機をつくるレシピ。
それが「頂上法」。
>>「合体法」でブームをつくり、「頂上法」で購入動機をつくってゆきたい
「伝え方が9割②」(佐々木圭一著、ダイヤモンド社)
2015年4月23日 第1刷発行
パート2を書こうと思った理由
本書の目的は、伝え方の技術を、完ぺきに身につけ、使えるようになることです。
必ず身につく「7つの切り口」と「8つの技術」
◎「イエス」 に変える7つの切り口
①「相手の好きなこと」
②「嫌いなこと回避」
③「選択の自由」
④「認められたい欲」
⑤「あなた限定」
⑥「チームワーク化」
⑦「感謝」
◎「強いコトバ」をつくる8つの技術
①「サプライズ法」
②「ギャップ法」
③「赤裸裸法」
④「リピート法」
⑤「クライマックス法」
『伝え方が9割②』ではこれらに加えて、新たな3つの技術を初公開します!!こちらです。
⑥「ナンバー法」
⑦「合体法」
⑧「頂上法」
この本は、あなたが「伝え方のレシピ」を身につけて、即使えるようになることに、徹底的にこだわっています。
①記憶に定着する!「実践ストーリー」
②読むだけで練習になる!「アウトプット型構成」
③実際の講演を体験できる!「実況中継」
新しい3つの技術を初公開!「強いコトバ」をつくる技術
⑥「ナンバー法」
――「大切」と言うより「9割」と数字にしたほうが強い
これは95%以上の人が知らないレシピです。
「数字」をコトバに入れると、それだけで説得力が増すのです。
「ひとつぶ300メートル」
グリコのキャラメルのキャッチコピーです。
「101匹わんちゃん」
ウォルト・ディスニーがつくった、アニメ。「たくさんのわんちゃん」というタイトルだったら映画化すらされなかったのではないでしょうか。
「3分クッキング」
「短時間クッキング」というタイトルだったら、たとえ同じ内容であったとしてもここまで人気の番組にはなっていなかったでしょう。
文章の中に、数字が入るとそれだけで、圧倒的に目を引きます。
さらに。数字の中でも、気づくことはありませんか? 実は奇数が多いのです。
1、3、5、7、9という奇数のほうが、エッジがあり強いのです。
①伝えたいコトバを決める
②適した数字に置きかえる
Before 「大きなたこ焼き」
After 「300%大きなたこ焼き」
95%の人が知らない、数字で表現して説得力を出すレシピ。それが「ナンバー法」
>>数字で表現して説得力を出す「ナンバー法」を身に付けてゆきたい
「伝え方が9割」(佐々木圭一著、ダイヤモンド社)より
第3章 「強いコトバ」をつくる技術
――感動スピーチも、映画の名セリフも、こうやればつくれる
「強いコトバ」とは?
本書では、「強いコトバ」を、人の感情を動かすエネルギーのあるコトバと捉えています。そのエネルギーのことを、「コトバエネルギー」と私は呼びます。
定義 強いコトバ=心を動かすエネルギーのあるコトバ
「強いコトバ」をつくる5つの技術
①サプライズ法
――超カンタンだけど、プロも使っている技術
これは伝えるコトバに、驚きワードをつくる方法です。
例えば、「サプライズ法」で一番カンタンなのが「!」をつけること。
「好き」
「好き!」
サプライズ法をつくるのには、10秒です。
①伝えたいコトバを決める。
②適したサプライズワードを入れる。
そうだ 京都、行こう。 JR東海
あ、小林製薬
サプライズワードを、
自分が驚いたときではなく
相手の心を動かしたいときに使う。
②ギャップ法
――オバマ氏、村上春樹氏も使う心を動かす技術
これは私の勝利ではない。あなたの勝利だ。(オバマ大統領就任演説)
「高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立つ」
『エルサレム章受賞スピーチ』村上春樹
①最も伝えたいコトバを決める。
②伝えたいコトバの正反対のワードを考え、前半に入れる。
③前半と後半がつながるよう、自由にコトバを埋める。
ギャップをつくれば
感動をつくることができる。
③赤裸裸法
――あなたのコトバを、プロが書いたように変える技術
「赤裸裸法」はあなたのコトバに、体温を感じさせ、ときに詩人のようなニュアンスをつくりだすことのできる方法です。
くちびるがふるえてる。あなたが好き。
①最も伝えたいコトバを決める。
②自分のカラダの反応を赤裸裸にコトバにする。
③赤裸裸ワードを、伝えたいコトバの前に入れる。
赤裸裸ワードを入れれば、
生命力あふれるコトバに変わる。
④リピート法
――相手の記憶にすりこみ、感情をのせる技術
「今日は暑い、暑い。」
①最も伝えたいコトバを決める。
②繰り返す
リピートをすれば
記憶に残し、感情を
のせることができる。
⑤クライマックス法
――寝ている人も目をさます、強烈なメッセージ技術
「ここだけの話ですが、~」
①いきなり「伝えたい話」をしない。
②クライマックスワードから始める。
クライマックスをつくれば、
切れかけた相手の
集中スイッチを入れられる。
「強いコトバ」をつくる技術
①サプライズ法
超カンタンだけどプロも使っている技術
②ギャップ法
オバマ氏、村上春樹氏も使う心を動かす技術
③赤裸裸法
あなたのコトバを、プロが書いたように変える技術
④リピート法
相手の記憶にすりこみ、感情をのせる技術
⑤クライマックス法
寝ている人も目をさます、強烈なメッセージ技術
5つの方法を駆使すれば、無限にコトバはできる
――周りの人から「コトバが変わったね」と言われる日
紹介した「サプライズ法」「ギャップ法」「赤裸裸法」「リピート法」「クライマックス法」の5つの方法を知ったことは、シェフのレシピ基本5原則を知ったことと同じです。
人間の本能に基づいたコトバはグローバルだ
――どの国でも、どの人種でも使える技術
言語が違っても、「サプライズ」があると人はドキドキします。
人種が違っても、「ギャップ」があると人は感情します。
地域が違っても、「赤裸裸」なものに人はひきこまれます。
国が違っても、「リピート」があれば記憶に残ります。
文化が違っても、「クライマックス」に注目します。
10分で「長い長文」をつくる技術
――つまらなそうな長文を、読みたくなるものに変える!超カンタン版技術
ステップ1 先を読みたくなる「出だし」をつくる
●1文目に「強いコトバ」をつくる
●極力短いコトバを選ぶ
そうだ、ボランティアしたい。と思った方へ。
ステップ2 読後感をよくする「フィニッシュ」をつくる
●出だしのコトバを使ってフィニッシュ
「そうだ、ボランティアしたい。」の気持ちを、ご応募へ。
ステップ3 飛ばされない「タイトル」をつくる
●「出だし」がよくできていたら、そのままタイトルに
●または「サプライズワード」+「出だしの重要ワード」の組み合わせを入れる
ボランティア!
第3章 まとめ
●レシピを知れば、誰にでも強いコトバはつくれる。
●情報量は、10年前の530倍になり、ふつうのコトバは無視される。
●コトバに高低差をつけると、コトバエネルギーが生まれる。
●「強いコトバ」をつくる技術
①サプライズ法 ②ギャップ法 ③赤裸裸法 ④リピート法 ⑤クライマックス法
●長文を10分でパワーアップするには、「出だし」「フィニッシュ」「タイトル」。
●メールは、デジタルの冷たさをなくすためにも、感情を30%増しで。
おわりに
あなたの宝の地図を見つけよう
私がコトバで昔、苦しんでいたとき
「考えるな、感じろ」
「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!!」
は同じ技術、「ギャップでつくられいてる!」と発見したように、また別の心を動かすあなたの技術を発見できるはずです。人生の中で出会ってきた、素敵なコトバ。それはただ素敵なだけでなく、理由があるのです。そしてその理由を見つけたとき、再現ができるようになります。あなたの技術となるのです。
あなたの未来が、今まではなんだったんだ? と思うほど嬉しいことで溢れますように。体中のうぶ毛が立つような感動が連続する人生を、つくりだそうじゃありませんか。
このページをめくった、あなたの手で。 佐々木圭一
>>「強いコトバ」をつくる技術を鍛えて、未来をつくりだしてゆきたい
「伝え方が9割」(佐々木圭一著、ダイヤモンド社)より
第2章 「ノー」を「イエス」に変える技術
――あなたがこれからする頼みごとに「イエス!」をもらう具体的な技術
コトバは「思いつく」のではなく「つくる」ことができる
――誰にでもつくれる方法がある。一般公開されていなかっただけ
私は、コトバを「つくる」ことをしています。
では、いよいよコトバの黄金レシピを公開します。
結果を変える「お願い」コトバのつくり方
大切なお願いを相手の気まぐれ次第にしないで、あなたのお願いのしかたで「イエス」の確率を上げるのが、この章の目的です。
あなたの人生を前に進ませたり、夢をかなえる鍵を手に入れていただきたいのです。
「イエス」に変える3つのステップ
「ノー」を「イエス」に変える技術
ステップ1 自分の頭の中をそのままコトバにしない
まずステップ1では、頭で思ったことをそのまま口にするのはやめることです。
「ノー」を「イエス」に変える技術
ステップ2 相手の頭の中を想像する
お願いに相手がどう考えるか/ふだん相手は何を考えているか、相手の頭の中を想像します。
「ノー」を「イエス」に変える技術
ステップ3 相手のメリットと一致するお願いをつくる
大切なのは相手の文脈でつくることです。
「驚くほど旨いパスタの店があるんだけど、行かない?」
相手のメリットと一致するお願いをつくる方法です。
はじめは丁寧に、レシピ通りに
このステップは、どんな「お願い」にも万能です。
レシピに従わずにいきなり自己流でつくると、想像と違う味になるものです。
「イエス」に変える「7つの切り口」
慣れるまでは、手順を踏むのです。
ステップ2「相手の頭の中を想像する」ときの、とっておきな切り口があります。
「イエス」に変える切り口1 「相手の好きなこと」
「デートしてください」
→あなたのメリットでしかない。
「驚くほど旨いパスタどう?」
→相手の好きなことをもとにつくり、相手のメリットに変わった。
「できたてをご用意いたします。4分ほどお待ちいただけますか?」
「後方のお客さま、お時間がかかってしまうので、ごゆっくり、お支度ください」
気を使ってもらってサービスをうけた感じになります。
「イエス」に変える切り口2 「嫌いなこと回避」
「芝生に入らないで」
→あなたのメリットでしかない。
「芝生に入ると、農薬の臭いがつきます」
→相手の嫌なことからつくり、あなたのお願いを聞くこと(芝生に入らないこと)が相手のメリットに変わった。
「住民のみなさまのご協力で、チカンを逮捕できました。ありがとうございます。」
「イエス」に変える切り口3 「選択の自由」
「相手の好きなこと」からの応用です。
人は「決断」が得意でないのです。一方で、人は2つ選択肢があるときの「比較」が得意です。
「デートしてください」
→あなたのメリットでしかない。相手は「決断」しなければいけない。
「驚くほど旨いパスタの店と、石窯フォカッチャの店どちらがいい?」
→こっちがいい、という「比較」は非常に簡単にできる。相手の好きなものである上に、選べることで、相手のダブルメリットとなる。
選択の自由をつくることで、よりあなたのお願いが受け入れられる可能性が増えます。
「A案とB案がありますが、どちらがよろしいですか?」と言う方が、相手は決めやすいのです。
「イエス」に変える切り口4 「認められたい欲」
これはステップ2で相手の頭の中に、「他人に認められたい」とか「いい顔を見せたい」ときに効果を発揮する技術です。 人間のDNAには「認められたい欲」が組み込まれていて、それを満たすためにちょっとくらい面倒なことでもやろうと思うのです。
「残業お願いできる?」
→あなたのメリットでしかない。
「きみの企画書が刺さるんだよ。お願いできない?」
→認めているコトバから始まっていることで、面倒くさいこともやってみようとする気持ちが生まれる。
「イエス」に変える切り口5 「あなた限定」
人は「あなた限定」に弱いです。
「自治会のミーティングに来てください」
→あなたのメリットでしかない。
「他の人が来なくても、斉藤さんだけは来てほしいんです」
→その人の名前を使い「私こそが必要と思ってくれている」と思わせ、心を満たすことで相手のメリットに変える。
「はじめて来たあなただけ、特別なデザートに変更します。貴重なフルーツで、この店にあるのは最後の1つです」と。
「イエス」に変える切り口6 「チームワーク化」
こちらは、ステップ2で相手が「面倒くさいと思っている」「やる必要性がそこまで見つからない」ときに効果を発揮します。
「勉強しなさい」
→あなたのメリットでしかない。
「いっしょに勉強しよう」
→面倒なことであっても、人といっしょであれば動くもの。
「イエス」に変える切り口7 「感謝」
こちらは、最終手段にして最大の方法です。
「ありがとう」と感謝を伝えられると、ノーとは言いにくいことを昔から人は知っていたのです。
「領収書おとしてください」
→あなたのメリットでしかない。
「いつもありがとうございます。領収書お願いできますか」
→感謝から入ると、「ノー」と言いにくい。
「トイレをきれいに使っていただき、ありがとうございます」
「お願い」は相手との共作だ
「ノー」を「イエス」に変える技術の答えは、相手の中にあります。 「お願い」は、あなたのコトバではなく、あなたと相手の共作なのです。
「イエス」に変える「7つの切り口」
①「相手の好きなこと」
②「嫌いなこと回避」
③「選択の自由」
④「認められたい欲」
⑤「あなた限定」
⑥「チームワーク化」
⑦「感謝」
あなたのお願いを実現させる答えは、自分の中にない。相手の中にある。
第2章 まとめ
●コトバは「思いつく」のではなく「つくる」ことができる。
●「イエス」に変える3つのステップ。
ステップ1 自分の頭の中をそのままコトバにしない
ステップ2 相手の頭の中を想像する
ステップ3 相手のメリットと一致するお願いをつくる
●はじめは丁寧に、レシピ通りにコトバをつくる。
●「イエス」に変える「7つの切り口」
①相手の好きなこと ②嫌いなこと回避 ③選択の自由
④認められたい欲 ⑤あなた限定 ⑥チームワーク化 ⑦感謝
●あなたのお願いを実現させる答えは、自分の中にない。相手の中にある。
●学んだ技術は、すぐ毎日の生活に使っていこう。
●ふせんマジック「立てる」「やぶる」「隠す」を使おう。
>>「イエス」に変えるコトバをレシピ通りにつくってゆきたい
「伝え方が9割」(佐々木圭一著、ダイヤモンド社)より
2013年2月28日第1刷発行
第1章 伝え方にも技術があった!
――なぜ同じ内容なのに、伝え方で「イエス」「ノー」が変わるのか?
確率0%をアリに変える!
――すべてのことで可能性が増えれば、人生が変わる
「いつもありがとう、山田さん。この領収書、おとせますか?」
たったこれだけの差で成功率が上がります。理由が2つあります。
なぜなら、「ありがとう」と感謝するコトバに、人は否定をしにくいからです。
さらになぜなら、「山田さん」と名前を言われると、人は応えたくなるからです。
人生は、小さなものから大きなものまで、伝え方で変わります。
大切だとわかっているのに、誰も鍛えていない「伝え方」
――学校では教えてくれなかったこと。
でも手に入れると人生の決め所でスマッシュを打てる
人生の重要なシーンで成否をわけることなのに、誰も鍛えていない。もしくは「伝え方は鍛えられる」ことさえも知らない。一方で気づいた方にはとんでもなく大きなチャンスです。
世の中大勢の伝え方は、温泉でお気軽ピンポンをやっているレベルです。
人生の決めどころで、狙ってスマッシュを打てるようになる。
「伝え方に技術がある!」と気づいたできごと
――伝え方が苦手だったからこそ気づき、技術として体系化できたこと
「あれ、このコトバとこのコトバ似てるな」
――いや、たまたまではない。正反対のコトバを効果的に使えば、心を動かすコトバになる!これは応用ができる!
「心を動かすコトバには、法則がある」
料理本のレシピのように、その手順通りにつくれば、プロに近い味を出せるコトバのつくり方です。
心を動かすコトバはつくれる。
料理のレシピのように。
いちど知れば、伝え方は一生あなたの武器になる
――使えば使うほど磨かれ、鋭くなる伝え方の剣
注意してほしいのは、はじめは意識してつくることです。
料理をやめない限り、人とコミュニケーションをすることをやめない限り、あなたの一生の武器となります。
どんな資格より、まず伝え方を学べ
――就職でも、昇進でも、あなたを最後まで守ってくれるのは、伝え方
伝え方やコトバの技術をもっている人は、働いても成果を出せるのです。
個人発信力が求められている時代
――お店オススメより、バイトのゆっき~オススメが求められる
この現代ほど、個人発信力が力をもった時代もかつてありません。
この変化には2つ理由があります。「組織へのうたがい」と「情報の洪水」です。
「鹿児島農協のかぼちゃ」ではなく「福留数幸さんのかぼちゃ」を世の中は求めるようになったのです。
「お店がオススメの毛ガニ」ではなく、「バイトのゆっき~オススメの毛ガニ」を世の中は求めているのです。
コトバの一般常識にサヨナラ
――正しいコトバづかい、教科書の国語は実践で役に立たない
「愛している」
「愛してる」
この本での、正解は「愛してる」です。
どのコトバが相手の心に響くかという1点に絞って話をすすめます。
ほとんどすべての人が自己流。つまり学べば突出できる
――個人発信の今こそ学ぶチャンス。他の人はまだ気づいていない
私がおすすめしたいのが、専門家に学んで、一気にレベルを引き上げてしまうことです。
実は、伝え方は学べる。
それを知っている人は少ない。
第1章まとめ
●0%だったものが、アリになれば人生は変わる。
●伝え方は大切だとわかっているのに、誰も鍛えていない。今こそ学ぶチャンス。
●伝え方には、技術がある。
●資格では差がつかない。伝え方で差がつく。
●個人発信が求められる時代になった。
●教科書で正しいコトバと、実践で効くコトバは違う。
●プロに学べば、時間を短縮できる。
>>個人発信が求められる時代、伝えることを鍛えること、確かに意味がある
「人生を変える勇気」(岸見一郎著、中公新書ラクレ)より
第4章 勉強、就活のグズグズ
大人になるってどういうこと?
●年齢とは関係ない
大人になるというのは、年齢とは関係がありません。歳を重ねれば自動的に大人になれるわけではないということです。
●自分で決める
大人になるというのはどういうことかといえば、次の三つのことがあります。
一つは、自分が決めなければならないことを、自分で決められるということです。
年齢的には大人になっているのに、自分の人生を自分では決められない人がいます。どの学校に行くのか、どんな仕事につくのか、誰と結婚するかというような選択についてです。
決められないのは、うまく行かなかった時に、責任を他の人に転嫁したいからなのです。そのような人は「大人」とはいえません。
●自分の価値を自分で決められる
大人であるためのさらにもう一つの条件は、自分の価値を自分で決められるということです。子どもの頃からほめられて育った人は、大人になってからは誰かに承認されたいといつも思うようになり、自分の価値を自分では認めることができなくなります。
自分で自分の生き方の正しさを確信できず、誰かがそれでいいといえば喜び、批判されたら、たちまち自分の人生なのに生き方を変えるようでは、大人ではないということです。そのように人からの評価や承認を拠り所にする人は他者に依存しているのであり、大人であるとはいえません。
●自己中心性からの脱却
第三に、自己中心的な考えから脱却できているということです。
大人になるというのは、自分の課題は自分で解決できること、自分は決して自分が所属する共同体の中心にいるのではなく、他者は自分の期待を満たすために生きているのではないという事実を知っているということです。
>>自分の課題は自分で解決し、自分の価値を自分で認められる大人でいたい
「人生を変える勇気」(岸見一郎著、中公新書ラクレ)より
2016年6月25日発行
はじめに--自分のことが好きですか?
■原因論は目的論に包摂される
生きづらさや、幸せになれないのは過去の経験や今の社会状況などに原因があると考えること(これを「原因論」といいます)には「目的」があります。そのように考えれば、原因論は目的論に包摂されることがわかります。そのように、今の問題の原因を何かに求める限り、本来自分の責任で自分の生き方を改善しなければならないのに、そして実際、改善できるにもかかわらず、少なくとも積極的には自分の課題を解決しようとはしなくなります。
■これからどうするか
私なら、「あなたはこれからどうしたいのですか」とたずねます。嫁姑問題に悩んでいる人に、積年の恨みを話してもらうのではなく、もしも、姑と仲良くしたいというのであれば(そう答える人は多くはないかもしれませんが・・・・・・)、あるいは、少なくとも今、姑に感じている不愉快な思いを軽減したいというのであれば、今後その姑とどのように関われば人生を穏やかに過ごせるか、どうすれば苦しまずにすむかを一緒に考え、そのように過ごせるために積極的に助言します。
過去や他人のせいにしないことは、カウンセリングを受ける人にとってはずいぶんと厳しいことになります。今起こっていることの責任を、自分が引き受けるということだからです。ですから、私の講義を聞いた人が、「いい話だと思ったが、帰ってから腹が立った」ということがあります。もしも、「いい話」だと思った人は、私の話を少しも理解されなかったといわなければなりません。
■変えられることに注目しよう
今となってはどうすることもできない過去の経験、あるいは、今自分が置かれている状況が、今の問題の原因であるということには「目的」があります。そのようなことをいう人は現状を変えるつもりはないのであり、現状を変えないために原因を持ち出しているのです。
変えられないことについてではなく、変えられることに注目することが大切です。それは対人関係です。アドラーは「すべての悩みは対人関係の悩みである」といっています。アドラーは、神経症も心の問題ではなく、対人関係の問題だと考えます。その対人関係もこれまでどうであったかではなく、これからの対人関係の改善に努めることを提案します。
この対人関係は悩みの源泉であるだけではありません。人と関われば、どんな形であれ摩擦が起きないわけにはいきません。だからこそ、対人関係を避けようとする人は多いのですが、生きる喜び、幸福も対人関係を離れては考えられないのです。この対人関係をどう見るのかが悩みを解決する突破口になります。
本書は前作『困った時のアドラー心理学』と同様、アドラーが創始した「個人心理学」(Individualpsychologie, individual psychology/日本では創始者の名前をとって「アドラー心理学」と呼ばれています)に依拠して、対人関係をめぐるさまざまな悩み相談に答える試みです。
アドラーはこんなことをいっています。
「誤った見方をしている時は、心理学はほとんど役に立たない」(『子どもの教育』)
私なら「まったく役に立たない」に言い換えます。アドラーを知ると、それまでいったいどうしてこんなことを知らなかったのかと思います。新しい見方ではありますが、思いもよらない考え方というよりも、腑に落ちる気がします。人生を変える勇気が沸いてきます。
本書で取り上げられる多くの質問を通して、どのように問題解決の糸口を見いだしていけばいいかを学んでもらえたら嬉しいです。少しずつアドラー心理学の勘所がわかってくるはずです。
2016年5月 岸見一郎
>>問題の原因を何かに求めることなく、現状を変え続けてゆきたい
「99%の会社はいらない」(堀江貴文著、ベスト新書)より
第5章 会社に属しているあなたへ
ギブ・アンド・ギブ
これからの時代を会社の中で生きるにしろ、会社の外で生きるにしろ、「人を惹きつける力」を持つことは重要だ。
大事なのは、ギブ・アンド・テイクではなく、ギブ・アンド・ギブの精神だ。
認めてもらうかどうかは関係なく、お互いにとって何かの面で「win-win」の関係になればいい。この人と一緒に仕事がしたい、と思えるような面白いことをすればいい。
周りの評価ではなくて、自分が満足できる面白いことをすればいいだけなのだ。
人は「スキル」に惹きつけられる
本当のコミュニケーションスキルとは、自分から話しかけられるようにしゃべるりがうまくなるのではなく、人が話しかけたくなるようなスキルのことだ。
何か磨かれたスキルを持っていれば、そのスキルが自分の空白を補完してくれるのでhないかと考えて、その人に惹かれる人が必ず出てくるはず。
この“人が惹かれるスキル”こそが、実はコミュニケーションスキルの本質だ。
そして、人と会っている中で、自分のスキルを必要としてくれる人がいたら、その人とのつながりを大切して欲しい。そうすると、気がついたときには、その人からさまざまな誘いがやってくることになる。
面白いと感じること、好きなことを追いかけて得た、多少の努力では真似できないようなスキルこそが人を惹きつけるのだ。
あとがき
この本を買って、あとがきまで読んでいる人は「積ん読」ではなくしっかり内容を読んだ人だと思う。だとしたら、繰り返し僕が訴えていた「行動すること」を実践に移さなければならない。だって、この本を読んだ時間が無駄になってしまう。
行動するのは実に簡単である。バカになればいいのだ。
僕はバカが悪いことだとは思わない。どんどんバカになって突拍子もない行動を起こ人が増えれば増えるほど、社会全体のイノベーションは活発化する。
この本を出した目的はそこである。すぐに行動することを求む。
2016年6月 堀江貴文
>>人を惹きつけるスキルを身に付けて、行動してゆきたい
「99%の会社はいらない」(堀江貴文著、ベスト新書)より
とことんハマっていくと新しい展開が拓ける
「好きなことをやった方がいい」というのは、好きなことだったら毎日の積み重ねを努力と思わないでこなせるからだ。好きでもないことを「毎日やれ」と言われたら、やはりつらい。好きなことであればこそ、どんなに忙しくても新しいことを次々にやっていくことができる。
本当に好きなことだったら心が折れることなく、ハマり続けられる。最初からうまくいく人なんて存在しない。
誰でも一度は何かにハマったことがあるはずなのだ。
あらゆるしがらみや人間関係を振り切ってでも、ハマってしまうことぐらいでないと、本当の面白さは見えてこない。さらに言うなら、それぐらいハマれるものに、出会えていないとも言えるだろう。
好きなことや興味のあることにハマりまくって、後からその「点」をつなぎ合わせて「線」にしていけばいい。
そうやって遊びを楽しんで、ハマっていくうちに、気づいたころにビジネスにつなげられているはずだ。僕にとって、真剣に遊んでいるのと、真剣に仕事をしているのはイコールだ。遊び尽くした先に、もっと楽しい遊びがあることも経験している。だからいったんハマったものは全力で楽しむ。「好きなことを仕事(お金)にできないか?」という考え方もできるようになる。
「仕事は仕事。遊びは遊び」と分けなくても生きていける。逆に線引きすることで、新しい出会いとビジネスチャンスを逃しているくらいに思った方がいい。
これからの時代、仕事を得ていくのは「遊びの達人」たちなのだ。
>>好きなことや興味のあることの「点」をつなぎ合わせて「線」にしてゆきたい
「99%の会社はいらない」(堀江貴文著、ベスト新書)より
マイナーという安定したインフラを活用せよ
マイナーでニッチな分野であってもやり方次第では稼ぐこと、生活していくことができるからである。そこからメジャーでしか得られないモノが欲しい人だけがメジャーに行き、それ以外はそのままマイナーに残るパターンが出てくる。
マイナーの部分では、僕たちの知らないエリアの層が誕生する可能性もある。
「面倒くさい」も理解できる
ここまで書いても行動を起こせない人が世の中には多い。だが、どんなことでも、動き出さなければはじまらない。やはり大事なのは行動力。動くことだ。
しかし、多くの人は行動することができないと言う。それは単純に行動したくないというよりは、行動するよりも、行動しない方がベターだと判断しているからなのかもしれない。
動き出すというのは、最初は本当に大変だ。面倒くさいことも多い。だから動き出せない人の気持ちも理解できる。
でも、そこは動き出すしかない。強い意思や気合い、勇気で一歩を踏み出すしかない。
失敗は当たり前、失敗したらすぐ忘れる
失敗を恐れずに動き出そう。打席数が多いければ多いほどホームランの確率は上がる。打率が1割なかったとしても、100回打席に立てば1回くらいはホームランが出る。失敗をしないために打席数を少なくして打率を上げるのではなくて、打率は低いけれどより多く打席に立った方がいい。だから、まずは打席に立たないといけない。
下手に頭を使って考えて動けなくなるよりも、とりあえずはじめて続けた方が結果はついてくる。続けていることで能力が下がることなんて、世の中にはほとんど存在しないのだから。
毎日続けること、真似をすること
有料メルマガやサロンで成功している人物には、はあちゅうさんやイケダハヤトさんがいるが、こう言ってはなんだが、2人とも普通の人だ。バカではないと思うが、ものすごく頭のいい人間というわけでもない。
ではなんで成功したのかというと、彼らは愚直に一生懸命、毎日のように続けたのである。そして、いまのような一つの形になっている。
「毎日続けるのは無理だからやめよう」ではなく、「続けられる形はどういうものなんだろう」と考えるとろこにいくのが重要だ。好きなことを続けるためにも、それがさらに楽しめる場をどう作っていくのかは大切である。
第1章で「真似すること」の大切さも書いたが、イケダハヤトさんを真似するというのも一つの方法だ。彼は、いま高知で暮らしながら、その様子や田舎暮らしの素晴らしさを有料記事で伝えることで、年商2000万円以上を稼いでいるらしい。
本音を言えば、それと同じことなんて誰でもできるのではないかと思ってしまう。もちろん、イケダハヤトさんは先に別の仕事をしながら、ネット上で発言を繰り返し、ネット上の一部でニッチな人気を得てからいまの状態にまできたので、アドバンテージはあっただろう。
堀江貴文イノベーション大学校(HIU)の前身である「堀江貴文サロン」も、勝間和代さんが運営するサロン「勝間塾」や、岡田斗司夫さんの「FREEex」、はあちゅうさんのサロンなどを参考にし、それらにブラッシュアップを重ねて発足させたものである。勝間塾のいい部分を真似て合宿所を作ることにもしたが、勝間さんの合宿所は千葉県の茂原だから僕は都心部の方がいいなと考えるなど、+αの要素を取り入れている。
知人である『iモード』の生みの親である夏野剛さんや、元・マイクロソフト日本の代表成毛眞さん、日本を代表するマンガの編集を手がけている敏腕編集者でコルク代表の佐渡島庸平くんなど、話をしていても抜群に面白い人たちは本当に頭がいいし、行動力もあるから何をやってもうまくいく。
でも、そうでない人であったとしても、上手に真似をしつつ、そこに新たなアイデアを入れ込めば、うまくいくのはそう難しくないのだ。
>>マイナーでニッチな分野で動き出してみたい
「99%の会社はいらない」(堀江貴文著、ベスト新書)より
第3章 だから「遊び」を仕事にすればいい
メジャーを目指すなら、マイナーなネットから
[メジャー&高収入]/超有名人型
人でたとえるなら、大手芸能事務所に所属する人気俳優や人気歌手で、上戸彩やSMAP、サザンオールスターズや福山雅治など。
[マイナー&高収入]/ネット著名人型
業界新聞や地方紙、成功したネットメディアなど。メジャー感はそれほどないが、根強いファンを抱え、毎日見てくれる人がいる。2ちゃんねるのまとめサイトなども、これに該当する。2ちゃんねるのまとめサイトは一般的にメジャー感はないが、人気サイトであれば管理者の年収は1000万円を優に超える。人でたとえるなら、YouTuberのヒカキンやマックスむらい、歌手のGoose house。ニコニコ動画の人気歌い手や人気踊り手、ネットアイドルなど、ネット上で名を馳せたことにより生計を立てている人々。
[メジャー&低収入]/売れない芸人型
人でたとえるなら、芸能事務所に所属する売れないアイドルやグラビアアイドル、売れない芸人、過去に名を馳せた歌手やタレントなど。
[マイナー&低収入]/一般ブロガー型
誰も見てくれないような個人のブログなど。普通の人がメディアを作ったりすると、まずはここになるだろう。もちろん、当てはまるのは一般人。
この4つのパターンの中で、日本人はだれもが最初にいる[マイナー&低収入]から、[メジャー&高収入]を目指すことが多い。
そうなると頭に浮かぶのが「目指すべきポジションは本当に[メジャー&高収入]なのか?」ということ。
いまの時代は[マイナー&高収入]という新たな選択肢がある。そして、実際に[メジャー&高収入]から[マイナー&高収入]へと移行したパターンも数多く出てきている。
メジャーになれるなら、それに越したことはない。だが、最初に目指すのはメジャーではなくマイナー。そして、その中で影響力を持つこと。エンターテインメントビジネスは、ネットというマイナーな場所から大きくしていくことができる可能性を秘めている。
好きなことを武器にして、[マイナー&高収入]を目指せ
このようにマイナーな場所を攻めることで、メジャーへと進む道は存在している。しかし、なにもメジャーでなくても、[マイナー&高収入]のままで問題ないのではないか、と思う人もいるだろう。
その考えは正しい。というか、間違っていないと言った方がいいかもしれない。
僕の言っている「遊びを仕事にする」コツは、この部分にある。
ネットでは、ある分野に特化した情報源などがニッチな人気を得ることが多い。なんらかのグッズでも、一般的に知られていないが、一部の熱狂的ファンのいる名品などは高値で取引されている。超有名なポジションにいなくても、マイナーなポジションで高収入を得ることは可能になっているのである。高収入とまで言わなくても、ある程度の収入を得ることは難しくないはずだ。
ブロガーのイケダハヤトさんや藤沢数希さんもテレビなどのメジャーな場には出てこないものの、まったく知られていないような状況から自身の考えをブログなどで公開することで徐々に人気を得ていき、それこそ生活するには十分すぎるほどの収入を得られるようになっている。
実は、このように最初からメジャーではなく[マイナー&高収入]を目指す方が生活は安定しているし、苦難も少ないと言える。むしろ好きなことを武器に、収入を得ることができるようになるのだ。
>>好きなことを武器にして、[マイナー&高収入]を目指してみたい
「99%の会社はいらない」(堀江貴文著、ベスト新書)より
2016年7月20日初版第1刷発行
はじめに
「自分の時間を生きる」。僕が起業を勧める理由もそこにある。レールから外れること、そして自分一人で企業・行動することは不安だと感じるかもしれない。自分に何ができるのだと、思うこともあるかもしれない。
だが、安心して欲しい。これからの時代、そんな不安はなくなっていく。
IT化が進み、世の中ではさまざまなことが変わった。電話ではなくメールやLINE、会議もネットのグループ通話で十分、知りたいことは図書館に行かずともネット検索で済むようになるなど、場所という制限が取り払われ、世界は極端に狭くなった。
テレビや新聞がなくてもスマホで簡単にニュースが手に入るようになり、メディアのあり方は急速に変化した。さらに、これからはAIや人工知能などの発達によりその流れが加速し、人間が自分だけではできなかったことを代替してくれる時代がやってくる。
それだけではない。いまや会社という組織がなくても、他人に協力をしてもらい、お互いにとって楽しい忙しさを作り出すことだってできるのだ。
事実、僕はその仕組みを考え実行し、まだまだではあるがその基盤となるカタチを作り出しつつある。「それはホリエモンだからできるんだ」と思われるかもしれないが、そんなことはない。これは誰であってもできることだ。
本書はこれからの組織のカタチと、新しい働き方を記している。僕のように好きなことを、うまくいけば遊びですら仕事にできる時代が必ずやってくる。そして、「自分の時間」を生きる忙しさを手に入れることができれば、誰でも納得のいく幸せな人生を送ることができるようになると信じている。
これからの時代の幸せは「自分の時間」をいかに生きるかで決まる。
会社勤めをしながら、自分の時間を生きている人は、100人のうち1人くらいだろう。
そう、「99%の会社はいらない」。そして、遊びが仕事になる時代がやってくる。
これからそのことを証明しよう。
>>これからも自分の時間を生き続けてゆきたい
安倍政権「任期延長」巡る疑心暗鬼(山口敬之、週刊文春8月25日号)
パワーバランスの変化を如実に示すもの、それが人事だ。8月3日、内閣改造に踏み切った安倍晋三首相。二階俊博幹事長起用の真意、そして政権の骨格となってきた麻生太郎副総理と菅義偉官房長官の関係。変容する安倍政権の真相を抉るインテリジェンス・レポート。
麻生との会談で漏らした本音
五月末の二人きりの会合の時だった。
「憲法改正への道筋を考えたら残された時間は少ない。安倍さんが本当にやりたいことを成し遂げるためにも今回は解散すべきだと言っているんですよ」
「麻生さんのお気持ちはよくわかりますし本当にありがたいです。ただ憲法改正には国民投票という最後のハードルが待っている。私の任期中に実現できるかを考えた時、心が揺れないと言ったらウソになる」
安倍が憲法改正を諦めていないとすれば、選択肢は二つしかない。「総裁任期を延長する」か、「憲法改正に邁進する人物に禅譲する」かである。そして、それが「二階幹事長」と「稲田防衛大臣」という今回の目玉人事につながっていく。
五月末の手打ち式でぼんやりと漏らした安倍の本音が「二階」と「稲田」という二人の登用で、しっかりと像を結んだのである。
官邸で真っ二つに割れた二階評
明らかに体臭の異なる二階が幹事長としてチーム安倍に正式に加わったまさにその日、二階と麻生が早くも軋轢の火花を散らした。発端は、十月に行われる鳩山邦夫元総務大臣の死去に伴う福岡六区の補欠選挙だ。自民党福岡県連が地元の県議関係者の擁立で固まりつつあっただけに、すかさず麻生が牽制球を投げた。
「福岡県連が決めた事を、幹事長がひっくり返すようなことはないよな?」
「もちろんです」
鳩山家は、邦夫の次男の二郎を立てて弔い選挙にしたい。そして、安倍も菅も12年の総裁選で安倍を支援してくれた邦夫への義理がある。福岡県連の擁立する候補と鳩山二郎が共に立候補すれば、自民党は都知事選に続いて血で血を洗う分裂選挙となる。そして元来麻生と緊張関係にある二階が安倍・菅側について動けば、安倍・菅・二階vs麻生という、官邸を二分する全面対決になりかねないのである。
内外に不協和音を孕んだ新体制で、政権をどこまで引っ張っていくつもりなのか。安倍に最も近い盟友・側近ですら、安倍の真意を測れずにいる。
>>分裂選挙になった福岡六区の政権に与える影響が気になる
「私が見た素顔の安倍・麻生・菅」(山口敬之、月間ウイル8月号)
『総理』著者インタビュー
誰にも見せていない
山口 今回、会社(TBS)を辞めるにあたって、次のようなことを考えました。
いままでのテレビニュースという枠では、ご紹介できなかった、伝えることのできなかったナマの情報や真実の部分を、お伝えるすことには意味があるんじゃないか。そのときに安倍さんがどういう表情をしたとか、一瞬、間があったのかとか・・・・・・それは僕が間近にいたからわかることですよね。政治家の人となりとか、政局の一番緊張しているときの空気。そういうものをお伝えできれば、本として出す意味があるんじゃないかと。
最初にお伝えしなければいけないのは、この本は本屋に並ぶまで、中身を誰にも伝えていないんです。つまり「ここまで書きますよ」ってことを、安倍さんはおろか、麻生さん、菅さん、誰にも言ってないんです。知っていたのは担当編集者だけです。
要するに、僕は一応記者なんで、「これを書いていいですか」あるいは「書きますよ」って言ったら、「嫌だ」って言うかもしれない。「嫌だ」って言われた、あるいは「これ、やめといて・・・・・・」って言われたからといって、書かなかったら、そのとたん、僕は記者じゃなくなっちゃうんじゃないかと思ったんです。
だから、もしかしたらこの本を読んで、激怒している人もいるかもしれないし、そこまで書いていいとは言ってないっていう人や、内心苦々しく思っている人もいるでしょう。
今後、僕の電話には、出てくれなくなる人もいるかもしれない。
ただ、やっぱりそれだけの覚悟を持って、書きました。
それで切れちゃう関係だったらしょうがないし、とにかく、事前に是非を聞いていないから、わからないんです。
――少なくとも安倍首相の人柄を考えれば、そういう「嫌だ」はないだろう、と思いますが。
山口 いや、わからないですよ、聞いてないから。国内政治の部分は、事実を書いているだけなので大丈夫だと思いますが、外交のこととか、たとえば安倍さんが、財務省に対して、こう言っていたということを、こんなふうに公表されるとは思っていなかっただろうから、それは、もう本当にわからない。
本の中に、何回か岸さんが出てくるのは、僕の考えとして安倍さんの骨格、DNAに当然、強い影響を及ぼしているか、深く関与している人物であることは間違いないからです。
>>誰にも伝えずに本になった後でも関係は切れずにいて欲しいと思う
「総理」(山口敬之著、幻冬舎)より
それぞれの宰相は、その時々の個別の重要政策について「是か非か」を示せば、それで足りていた。
ところが、冷戦構造が崩壊し多様化が進むにつれて、国家が直面する課題は質的に変わりつつある。「金融危機にどう対応するか」「日本社会の閉塞感をどう克服するか」「少子化問題にどう対応するか」「拡大するテロリズムにどう対応するか」。
「Yes or No」ではなく、「How」を問われる局面が急増しつつある。日本と世界の未来が不透明性を増している。だからこそ、これからの宰相には、日本が何を目指すべきかを総合的に示すことが求められるのだ。社会保障、安全保障、教育、外交といった個別分野で方針を明確にすることがもちろん、それらをひとつの大きなキャンバスに描いて大きな国家像を見せることが求められるのである。
安倍の描く絵は「誇りの持てる国づくり」をキーワードに、内政も外交も一貫して同じ色合いで描かれており、極めてシンプルである。好むと好まざるとにかかわらず、わかりやすさにおいては群を抜いている(わかりやすい分、反発する者も少なくない。「アベ政治を許さない」といった掛け声に代表される、リベラル勢力の安倍政権に対する感情的かつ苛烈な攻撃の根底には、安倍の描く国家像に対する生理的嫌悪が見え隠れしている)。
安倍の絵の欠点を取り除き、より魅力的に改善するのか。あるいは全く違う絵の具を使って自らの言動と矛盾なく描き切ることができるか。この高いハードルを越えた者だけが、ポスト安倍に名乗りを上げ、次世代の本格的政権を興す候補者たりうるのである。
あとがきにかえて
私が本書で示したかったのは、安倍晋三という人物、麻生太郎という人物、菅義偉という人物が、政治の重要な局面でどう発言し、どう行動したのかという客観的事実である。総理大臣とはどういう仕事なのか。私が体験し目撃した事実を公表することで、読者が「日本という国で、平成という時代に、総理大臣を務めるべきはどういう人物か」を考える材料としてくれたら、これ以上の喜びはない。
夏目漱石の門下生に小宮豊隆という文学者がいる。漱石全集の編纂に携わるなど、戦前から戦後にかけての漱石研究をリードした人物で、漱石が求道者として悩み抜いた末、「則天去私」という悟りの境地に達したとの立場をとったことで有名である。一方で、こうした小宮の主張は、漱石を神格化しすぎだとして「漱石神社の神主」などと揶揄された。そして1955年に江藤淳が「夏目漱石」を書いて、小宮の「則天去私論」と真っ向から対立する漱石像を描くと、江藤の視点に支持が多く集まるようになり、小宮の則天去私論は次第に忘れられつつある。
小宮の評論は次第に忘れ去られても、生の漱石に肉薄したその記録は今後の漱石研究の貴重な礎となる。対象に肉薄した記録がない限り、正確な評論などできないのである。小宮が亡くなったのは1966年5月3日。私が生まれる前日である。図らずもジャーナリストの機能も果たした小宮に経緯を表して、私はこれからも取材対象に近づくことを恐れず、かといって独善的な視点に陥らないよう自らを戒めながら、取材を続けていくつもりである。
>>多様化や不透明性が進む中、安倍総理には日本の大きな国家像を示し続けて欲しい
「総理」(山口敬之著、幻冬舎)より
第3章 消費税をめぐる攻防――麻生太郎との真剣勝負
吉田の血、岸の血
1951年、吉田はサンフランシスコ講和条約に署名したのと同じ日に日米安全保障条約にも署名した。その6年後に首相となった岸は、吉田が署名した日米安保条約の不平等性や片務性などを問題視し、首相としての最重要課題の一つとして安保改定を位置づけた。そして、安保改定に向けた重要局面に直面するたび、岸は吉田に意見を聞きに言ったという。幾度となく行われた吉田と岸の極秘階段のほとんどは、永田町の国会議事堂の隣にある国会図書館の一室で行われた。このうち何回かの階段に陪席していた麻生はこう証言する。
「安保改定をしたいという岸の申し出に対して、吉田は即座に『あれは当時はしょうがなかったが、変えなければならない代物だ。憲法と日米安保は、本当は俺が総理のうちに変えたかったんだ』と言っていた。傍から見ると、二人の関係は、政敵というよりは盟友にに近かったと思う」
第5章 新宰相論――安倍を倒すのは誰か
「国家像」「ポリティカル・アセット」という概念と、貯金の使い道
日本のこれまでの宰相は、往々にして不人気法案を先送りにしてきた。
ところが、二度の政権交代を経て、「広き道」を選ぶ政治家に対する有権者の不信感が、日本の政治の風景を変えつつあるのではないか。
東京大学名誉教授で政治学者の北岡伸一は、2015年11月に訪米した際、昨今の国民意識の変化について、次のように語っていた。
「安倍は自らの祖父・岸信介以来滅多に見られなくなった『媚びない政治』を再興しようとしているのではないか。これは安倍独りの力で達成されるものではない。これまで裏切りを続けてきた、『媚びる政治家』への国民の本質的な嫌悪が安倍への静かな追い風となっていることは間違いない」
それでは、当の安倍はどう考えているのか。総裁選が終ってしばらく経った2015年の秋、久びりに富ヶ丘の自宅を訪れた私は、次々と不人気法案に取り組むその真意を尋ねた。
「総理大臣になることや総理大臣であり続けるのことが重要なのではなく、総理大臣になって何をなすかが重要なんです」
安倍は一貫して「保守政治家」であり、掲げる大目標は簡単にいえば「誇りの持てる国づくり」とまとめられるだろう。安倍にとっては、「強い経済」も「安心できる社会」も、大目標を実現するための方便に過ぎない。
>>安倍総理の『媚びない政治』の実行力に期待したい
「大人の流儀3 別れる力」(伊集院静著、講談社)より
第三章 正義っぽいのを振りかざすな
奇人と偏屈が国を変える
人間というものは何かにつけ、流され易い一面を持っていて、周囲がすることと同じような行動、考え方、物事のおさめ方をする。
なぜ周囲と同じようにするのか?
それは安堵、安心を好むためである。
人と違った行動をするということは案外に難しい。当人が不安になるのである。
人が群るのは、安堵の典型であろう。人間が社会的動物と呼ばれる証明でもある。
ところが何万人に一人か二人、群る、連むのを嫌い、自分一人でもやるべきことをやるという者がいる。
こういう輩が、社会が変革する時には必要で、世の中が変わる時には、あちこちからそういう偏屈が同時にあらわれる。
明治維新などはその典型かもしれない。
吉田松陰という人もその一人であろう。若き日の松陰に、蘭学、洋楽を教えた佐久間象山もその一人と考えていい。
この松陰に松下村塾で教えを受けた高杉晋作もその一人である。
小倉城に攻め込むなどということは江戸期の三百年、誰一人実行しようとしなかったことであり、平然とできるのは奇人の発想といっていい。
なぜアメリカが正義なんだ
経済、企業にとって大切なのは他利を考えることではないのか。ならそれは資本論、マルクス主義との共通点があるのではないか。
ゴールドマン・サックスの中枢にいた者が、この会社は自分たちの利益しか考えていない、と言って退職したが、この会社だけではなく、何ひとつ物を創造していない金融業者がなぜあんなに傲り、若いエコノミストがなぜ私たち大人の前でわかったような口をきくのだ。
東北の人は可哀想だが瓦礫がうちに来ては困まる、は沖縄の人は可哀想だが基地が来ては困まるとどこが違うのか。
もうこれくらいにしよう。体調を崩すと、世の中はおかしい点は見えるが、答えがないのでは大人の男の雑文にならんだろう。
ともかく春が来た。大人の男よ、外に出て飲もうぜ。
>>何ひとつ創造していない金融業者に務める者としてわかったような口をきくことのないようにしたい
「大人の流儀3 別れる力」(伊集院静著、講談社)より
恋に死ぬ男はバカなのか?
今、心中にまで至るほどの恋愛をする男女が果たして何人いるか。それでも恋愛をナメてはイケナイ。あれは人を狂わすことがしばしばあり、そこが人間の摩訶不思議で、私に言わせれば、恋愛を見てると人間はなかなかの生き物だナと、思わざるをえない点でもある。
恋に落ちて、バカなことを、と噂される男を見て、私はたいした人だと羨ましい。
事業なり、起業して世界一の大金持ちになった成金の男と世界で唯一無二の相手とめぐり逢い死んだ男を比べれば、この世に生まれてどちらが良かったか。世界一の金持ちならこれは悪党に決まっている。恋で死んだ男はバカではある。私には答えがあるが書かない。
話が逸れた。男と女が別れるのに死に至るのは特殊な例で、そこまでしなくても別れ方はあるはずだし、少し前までは男は上手に女と別れた(但し男が辛い思いをせずに別れるなんて都合のイイ話はない)。
男の立場では、女の方が別れた後も何かと大変だろう、と思って対処した方がよろしい。
実際は女の方がはるかに恢復は早いし、少し時間が過ぎれば、そんなことあったっけと平然と口にする。むしろ男の方が愚図々々する。これは昔からの常識である。
“時間はクスリ”という言葉がある。
最愛の人を亡くして絶望の淵にいても、時間はいつかその気持ちをやわらげ、新しい光さえ見せてくれる。ましてや死別でなければ、それぞれ平気で生きて相手の知らぬ場所で大笑いもする。
世間一般で言う男の浮気相手(私はこの浮気というのがよくわからない)なら別れるのはさほど難しいことではない。別れに際して男が、金と労を惜しまねばいい。相手が一銭でも多く金が欲しいと要求すれば、あるものをくれてやればいいのだ。世の中の基準が金と思う、そんな女はバカなのだから。
>>世界一の成金より唯一無二の相手とめぐり逢い死んだ男を選びたい
「大人の流儀3 別れる力」(伊集院静著、講談社)より
別れの流儀 ギャンブル篇
私は若い時に、何をどうとち狂ったか、ギャンブルでひとかどの打ち手になろうと決心して(バカだね)、関西では、当時、名前の知れたG次という老車券師に半年ばかりついていたことがある。
G次は、或る時、“旅打ち”の居酒屋で私に言った。
「あんた博徒打ちになるのはやめなはれ」
「たとえ日本一でも、博打打ちの日本一は、日本で一番の三流の仕事いうことですわ」
「考えてみなはれ。仕事いうもんは誰かの役に立って仕事です。ほれ、そこの八百屋かてええ白菜仕入れて売れば、翌日、客から、あの白菜を鍋にして食べたが美味しかったわ。おおきに、と言われる。ところが博徒打ちいう奴は一から十まで手前だけが勝てばそれでええんや。他人がパンクしようが、首を吊ろうが関係ない。そんなんは仕事ちゃいますやろ」
何年前のことか忘れたが、大晦日に立川競輪場に阿佐田哲也さんこと色川武大さんと二人で打ちに行き、最終レース前まで的中が続き、すでに家一軒分の金が手元に残った。これで年が越せるという気持ちもあったが目的は最終レースだった。
「そうするね、伊集院君」
「やりましょう。ここで引いたらバカです」
「そうだね。勝って正月はハワイでも行って、あの島を全部買って帰りましょう」
レースは見事に外れ、気が付けば二人とも手元に電車賃があるかなしかだった。
私は口もきく気がしなかった。
「伊集院君、これから俳優のN門の家に行きませんか。メンバー(麻雀)がいるらしい」
「先生、あそこの麻雀は半荘が終っての現金精算ですよ、もうタマ(現金)が切れてるんですよ」
「大丈夫、最初の半荘を負けなきゃいいんですよ」
「・・・・・・・・・・・・」
>>自分だけが勝てばいいなんていう人生はつまらない
「大人の流儀3 別れる力」(伊集院静著、講談社)より
最後まで信じてくれた人
三十数年前の冬のことだった。
十二月中の締切りの他のふたつの小説誌に別の作品をそれぞれ送り、T川さんがいる小説誌だけが一月締切りだったので、他の二作品とは少し違うものを清書して送った(当時はワープロなんてなかった)。
他の作品は箸にも棒にもかからず、一次予選で振り落とされたが、最後の作品だけが最終の候補作まで残った。
それはそれで嬉しかったが、最終候補作になる条件として近影を提出せよ、と通知の手紙の中に記してあった。
私は子供の時から写真が嫌いだった。
「小説になんで写真がいるんですか。それだったら最終候補から外してください(たいしたものだったネ。青いと言うか。ほとんどバカだった)
私は前妻と逗子の写真館に行き、初めて二人で写真を撮った。彼女は大喜びだった。
最終選考はケチョンケチョンに評されて落ちた。
――そこまで言わなくても・・・・・・。
結果として、それが良くて、その後何年か小説を書くのはやめた。その作品は今、日本の中学二年生の大半が教科書で読んでいる(教科書に載るのがイイのか悪いのかは別として)から妙なものだ。
定年退職後一ヵ月に一度、電話で話をした。夕刻はすでにほろ酔いで上機嫌だった。
或る夕、T川さんが言った。
「私、あなたをずっと信じてました」
そう言えばデビューして苦悶している頃、T川さんから何度か酒の誘いがあったのを、今、思い出した。
今頃はもうあの世の酒場だろうか。
>>信じてくれる人がいるというのは幸せなことだなぁと思う
「大人の流儀3 別れる力」(伊集院静著、講談社)より
生きることの隣に哀切がある
私は二十歳の時、十六の弟を海の海難事故で亡くした。弟が一人で沖に漕ぎ出したボートだけが浜に流れ着いた。台風の最中だった。そんな中で私の友人や弟の友人で手をつないで海に入り、弟を探してくれた。夏であったから風邪を引く友もいなかったが、それでも頭の下がる思いだった。
弟の死は、私にふたつのことを教えた。
ひとつは自分が人生を決め、そこにむかって歩み続けること。もうひとつは命を大事にすること。前者は弟の残した日記を読み、私に生家の仕事を継がずに一人で新しい土地で生きることを選択させ、後者は通夜の席の弟の遺体の前の父と母の姿を見て、それまで何かにつけ人とぶつかり、殴り合いも初中後(しょっちゅう)であった暮らし方をあらため、必要なら泥に額をつけても謝ることができるようにすると決めた(なかなか実行できなかったが)。
――こんなことが自分を慕ってくれていた者の死をもってしかわからないとは・・・・・・。
その思いは今でも私の内に残っている。
私が生家を離れる前夜、父が私の暮らす棟に来て、父の生い立ちから、生きることでの忠告(いやあれは命令か)を受けた。
「倒れてはならん。生きて行くんだ。この先二度とおまえと私は逢えないことが起こるのが生きるということだ」
まさか、と思って聞いていたが、今なら父の言わんとしたことがわかる。
人間は別れることで何かを得るものなのかもしれない。別れるということには、人間を独り立ちさせ、生きることのすぐ隣に平然と哀切、慟哭が居座っていることを知らしめる力が存在しているのかもしれない。
人は大小さまざまな別れによって力を蓄え、平気な顔で、明日もここに来るから、と笑って生きるものでもある。人間の真の姿はそういう時にあらわれる。
>>人は別れることで独り立ちして、力を蓄えることなると思いたい
「大人の流儀3 別れる力」(伊集院静著、講談社)より
別れる力 伊集院静
あの震災から一年半、さまざまな別れを見つめながら、或る時は憤怒し、或る時は笑い飛ばし、一冊の本にしたつもりである。別れることは決して何かを不幸にさせるだけのものではない。それを伝えたくて今日も・・・・・・。
2012年12月1日 東京のホテルにて
第一章 別れて始まる人生がある
愛する人が残してくれたもの
人と人は出逢いではじまる。
鴈のヒナは最初に目に映った対象を自分の親と思うそうだ。
鴈を人だと考えると、人は生まれいずる瞬間に、誰かの差し出してくれる手を必要としているのである。
人と人、生きものと生きものは出逢いがはじまりだが、人間以外の生きものに例えると、大半の生きものは生まれてすぐに別れを経験する。
海ガメの子供たちがそうである。
私は三十五歳で若い妻を癌で亡くした。
仕事を休みともに治療現場にいた(このことは後に仕事を休むべきではないと思った)。二百九日後、妻は亡くなり、私は呆然とした。妻の仕事が女優であったため病院の周囲は騒然とした。ところが私に言わせると、生きる希望を抱いていた若い一人の女性が、私の妻が、生きること、明日があることをすべて断たれたことに、
――いったい何が起こったのか?
と混乱するばかりであった。
それから一年はまたたくうちに過ぎて、私は故郷に帰り、後輩の野球部員の指導をしたりしていたが、一日の大半はギャンブルと酒の日々であった。
なぜそうなったのかと考えると、彼女が日々の暮らしで語っていた些細なことが次から次にあらわれ、あの言葉は、ぐうたらでしょうしようもない私を励ましてくれていたのだと思えたからだ。
篠田正浩という名監督がいて、彼女が亡くなって二年後、偶然あった折に言われた。
「あなたの小説を、彼女が突然私に持って来て、読んでくれと言われました」
そんなこと露とも知らなかった。
「私はこの人は小説家になるべき人だと思うのですが」
と大きな目を見開いて言ったそうである。
同じことを久世光彦にも言われた。
言ってきた当人は、当時、花になろうとする女優である。
「読んだが見込みはありません」
とは言えるはずがない。
今思えば拙い作品である。
私は何を言いたいのか。
彼女はそれを男たちに見せようとした時、何かを決心したのではないかと思う。
人は自分だけのために生きているのではないということである。
死別の哀しみと世間は言うが、私などはたいしたことはない。それでもである。
私は別れた瞬間から何かをすべく生き方を模索し、偶然、小説を書くようになり、それが妻の願いであったことは後年知るようになったにせよ、私は今でも彼女が多忙な日々の中で、そうしてくれたことに感謝し、何かひとつまともな作品を残したいと思っていることは事実である。
それにしてはつまらない作家で申し訳なく思っているが・・・・・・。
>>夏目雅子亡き後、伊集院静にギャンブルと酒の日々があったなんて知らなかった
「イノべーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ」(クレイトン・M・クリステンセン、ジェームズ・アルワース、カレン・ディロン著、翔泳社)より
終講
企業が自らの目的と使命を十分に考え抜くことは、まずない。このことが、企業の挫折と失敗を招く、最も重大な原因の一つなのだろう
――ピーター・F・ドラッカー
目的の三つの部分
企業の表明する目的が意味をもつためには、次の三つの部分をもっていなかればならない。一つは、わたしが「自画像」と名づけたものだ。たとえていうと、絵画の巨匠は心でとらえたイメージをまず鉛筆描きのデッサンにしてから、油彩で描くことが多い。企業の「自画像」とは、主要なリーダーや従業員が、企業がいま進みつつある道を最後まで行ったとき、こんな企業になっていてほしいと思い描くイメージを言う。「自画像」という言葉が、ここではポイントだ。
二つめとして、目的が役割を果たすためには、従業員と幹部が、実現しようとしている自画像に対して、深い献身を――ほとんど信仰とも言えるものを――もたなくてはいけない。目的は書面で簡潔するのではない。従業員は、何を優先すべきかという問いを、思いもよらない形で四六時中突きつけられる。このとき深い献身をもっていなければ、やむを得ない事情の波に揉まれて、自画像を傷つけてしまう。
企業の目的の三つめの部分が、経営者や従業員が進捗を図るために用いる、一つまたは少数の尺度だ。すべての関係者が、それぞれの仕事を尺度と照らし合わせることでこそ、企業全体が一貫した方向に進んで行ける。
この自画像、献身、尺度の三つの部分が、企業の目的をつくる。世界をよい方向に変えようとする企業は、けっして目的を成り行き任せにしてはいけない。価値ある目的が、いつの間にか現れることはまずない。蜃気楼やパラドックス、不確実性に充ち満ちたこの世界で、目的を運任せにするわけにはいかない。目的は、明確な意図をもって構想、選択し、追求するものだ。だが企業がいったん目的をもてば、そこに行き着くまでの方法は、一般に創発的であることが多い。新しい機会や挑戦が現れ、それを追求する。偉大な経営者は、世界に足跡を残そうとする企業にとって、目的がいかに大切かを心得ている。
自分のなりたい自分
・人がよりよい人生を送れるよう助けることに身を捧げる人間
・思いやりがあり、誠実、寛容で、献身的な夫、父親、友人
・神の存在を信じるだけでなく、神を信じる人間
自分のめざす自画像について、宗教的信仰をもとにしていようといまいと、わたしと同じような結論にたどりつく人も多いことだろう。これは目標を――人生で最も大切な目標を――定める方法の一つだ。だがあなたの自画像は、自力で描くからこそ、価値がある。
じっくり時間をかけて人生の目的を考えれば、あとからふり返ったとき、それが人生で学んだ最も大切なことだったと必ず思うはずだ。
訳者あとがき
クレイトン・クリステンセン教授は、毎年ハーバード・ビジネススクールで受けもつ講義の最終日に、ビジネスや戦略ではなく、どうすれば幸せで充実した人生を送れるかについて、学生たちと話し合う機会をもっている。2010年には学生たちのたっての希望で、その年の卒業生全員に向けて授業を行った。この内容を、二人の若々しい共著者とともに加筆、書籍化したものが、本書『イノベーション・オブ・ライフ』(原題:How Will You Measure Your Life?)である。
優秀であるがゆえに失敗してしまう既存企業と同じで、才能にあふれた、達成動機の高い若者たちが、優秀であるがゆえに不幸な人生を歩んでしまう――教授はそんな同級生や教え子を、数えきれないほど見てきた。この人生のジレンマを乗り越える手助けをするために、本書は書かれたのだ。
なぜマネジメントの理論が、充実した人生を送る指針になるのだろう? それは本書の理論が、何がものごとを、そして人々を動かすのかを――つまり相関性ではなく因果性を――とらえているからにほかならない。優良企業が「正しい」行動をとるがゆえに衰退するという破壊的イノベーション理論を始め、すべての理論が人間心理についての深い洞察に支えられている。そしてそれは、人を助けたいという、教授の強烈な目的意識があってこそ得られた洞察なのだ。
理論を正しく理解し、それがビジネスにどう活かされているかを学んだうえで、自分の人生にどうあてはまるかを、自力で考える。このプロセスを経てこそ、理論を人生の問題を考える枠組みとして体得できるのだと、教授らは語りかける。渾身のメッセージを、あたりまえのこととして読み流さずに、どうか立ち止まって自分自身の問題としてじっくり受けとめていただけるよう、著者たちとともに願っている。
2012年11月 櫻井祐子
>>自分のめざす自画像、人生の目的を自力で考え続けてゆきたい
「イノべーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ」(クレイトン・M・クリステンセン、ジェームズ・アルワース、カレン・ディロン著、翔泳社)より
第3部 罪人にならない Staying Out of Jail
地獄へ向かう最も安全な道は、緩やかな道だ――坂はなだらかで、足下は柔らかく、急な曲がり角も、道しるべも、標識もない。
――C・S・ルイス
第10講 この一度だけ・・・・・・
Just This Once・・・
わたしたちが人生で重要な道徳的判断を迫られるときには、どんなに忙しいときであろうと、またどんな結果が待っていようと、必ず赤いネオンサインが点滅して、注意を促してくれると思っている人が多い――「この先重要な決断につき、注意」。自分はこういう大事な瞬間に正しい判断ができると、ほとんどの人が確信している。第一、自分が誠実でないと思っている人などいるだろうか?
問題は、人生がそんなふうにはできていないことだ。警告標識など現れない。むしろわたしたちは、大きなリスクが伴うようには思えない、小さな決定を日々迫られる。だがこうした決定が、やがて驚くほど大きな問題に発展することがあるのだ。
企業でも、まったく同じことが起きる。ライバル企業にわざと追い抜かれようとする企業などない。企業をその道に向かわせるのは、何年も前に下された、一見あたりさわりのない、多くの決定なのだ。本章では、これがどのようにして起きるかを説明し、このうえなく魅惑的な罠を避けるにはどうすればよいか、その方法を学ぼう。
一般に、企業は将来のイノベーションへの投資を考えるとき、数字を分析して、既存事業の観点から是非を判断する。分析の結果、投資の限界便益が限界費用に見合わないと判断すれば、投資を見送る。だがこの考え方には、大きな間違いが潜んでいる。
これが限界思考の罠だ。投資に要する当面の費用はわかるが、投資をしないことの代償を正確に知るのはとても難しい。既存製品からまだ申し分のない収益があがっている間は、新製品に投資するメリットが薄いと判断すれば、他社が新製品を市場に投入する可能性を考慮に入れていないことになる。ほかのすべての条件が――具体的には既存製品からあがる利益が――これからも永遠に変わらないと家庭しているのだ。また決定の影響がしばらく表れないこともある。たとえば競合企業が立ち行かなくなれば、当面は「追いつかれる」こともなくなる。だが限界的思考のレンズをとおしてあらゆる決定を下す企業は、いつか必ず代償を払うことになる。成功している企業がこの思考にとらわれたせいで、将来への投資を見送り続け、最後に失敗する例はあとを絶たない。
同じことが人にも言える。
倫理的妥協が招く厄介な影響を免れる方法は一つだけある。そもそも妥協を始めないことだ。妥協の道の第一歩が現れたら、踵を返そう。
>>妥協や一見あたりさわりのないように見える決定をすることなく生きてゆきたい
「イノべーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ」(クレイトン・M・クリステンセン、ジェームズ・アルワース、カレン・ディロン著、翔泳社)より
第9講 家庭内の見えざる手
The Invinsible Hand Inside Your Family
たいていの人は、自分の家庭がこんなふうになってほしいという理想像をもっている――またはもっていた。子どもたちは行儀よく育ち、わたしたち親を敬愛してくれるだろう。家族水入らずで過ごす時間はとても楽しいはずだ。自立して社会に巣立っていく子どもたちの姿を見て、さぞや誇らしい気持ちになることだろう。
それなのに子育てを経験した親は、決まってこう言う。理想の家庭を望んだからといって、それを実際に手に入れらるわけではない、と。自分の望む家庭像と、実際に手に入れる家庭のギャップを縮めるのに役立つ最強のツールの一つが、文化だ。文化の動きを理解し、自分の望む文化が形成されるよう、力を尽くさなくてはならない。
自分がそばにいて見守っていなくても、正しい選択ができるように子どもを育てたいと、どんな親も思っている。これを最も効果的に行う方法の一つが、適切な家庭文化を築くことだ。家庭文化は、どのように行動すべきかについて、目立たないが強力な指針を家族に与えてくれる。
集団がくり返し問題の解決に取り組むうちに、規範ができあがっていく。家庭についても同じだ。家族が何かの問題に初めて直面したときや、何かを家族で行う必要が生じたときには、解決策を見つけなくてはいけない。
ただ好ましくない行いを律するだけではなく、よい行いをほめることも必要だ。家族は何に価値を置くのだろう? 創造性だろうか? 勤勉? 起業家精神? 寛大さ? それとも謙虚さだろうか? 子どもはどんなことをすれば親に「よくやったね」とほめてもらえるかを、理解しているだろうか?
これが、文化のとても強力な側面だ。文化は、自動操縦装置のようなものだ。文化が効果的に機能するには、自動操縦装置を適切にプログラミングする必要があることを、けっして忘れてはいけない。つまり家庭に求める文化を、自ら構築するということだ。家庭生活の早い段階から意識的に構築し、強化していなくても、どのみち文化は生まれるが、あなたの望むようなものにはならない。子どもの怠惰な行動や無礼な行いを何度かでも見逃せば、それを家庭文化にしてしまうプロセスが発動する。また子どもが問題を解決しようと精一杯努力したとき、立派なことをしたねとほめれば、やはりプロセスが発動する。親にとって、つねに一貫した態度をとり、子どもの正しい行いをいつでも励ますのは大変なことだが、文化はこうした日々のやりとりのなかで定められていく。そしていったん文化ができあがれば、それを変えるのは不可能に近い。
>>問題の解決に取り組みながら強力な指針を家族に与えてくれる適切な家庭文化を築いてゆきたい
「イノべーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ」(クレイトン・M・クリステンセン、ジェームズ・アルワース、カレン・ディロン著、翔泳社)より
第7章 子どもたちをテセウスの船に乗せる
Sailing Your Kids on Theseus’s Ship
わたしたちはだれしも、子どもに最良の機会を与えることの大切さを知っている。最近の親は、自分には与えられることのなかった機会を、子どものために生み出すことに、ますます精を出しているように思われる。わたしたちはよかれと思って、子どもに人生を豊かにする経験をさせようと、さまざまなコーチや講師のもとに送り出す。子どもに将来生きていいくのに必要な能力を身につけさせるには、そうするのが一番だと信じているのだ。だが子どもにこのような形で手を貸すことは、大きな代償を伴うことがある。
あなたは子どものためだと思って、資源を与える。実際、子どもに必要なものを与えることが、親として当然の務めと思っている人がほとんどだ。子どもがいくつの活動に関わり、いくつの楽器を習い、いくつのスポーツをしているかを、隣人や友人と競い合う人もいる。これは比較しやすいし、そうすることで自分はいい親だと満足できる。だがこの愛情あふれる行動も、やりすぎるとかえって、子どもがあなたの望むような大人になるのを妨げてしまう。
子どもに必要なのは、新しいスキルを学ぶことだけではない。能力の理論は、子どもに困難な挑戦を与えることの必要性を教えてくれる。子どもに厳しい問題を解決させ、価値観を養わせよう。どれほど多くの経験をさせても、心から打ちこめるような機会を与えない限り、将来の成功に必要なプロセスを身につけさせることはできない。また子どもにこうした経験をさせる役割を他人任せにする、つまりアウトソーシングすれば、子どもをあなたの尊敬、賞賛するような大人に育てあげる、貴重な機会を失うことになる。子どもが学ぶのは、あなたが教える準備ができたときではない。彼らは、学ぶ準備ができたときに学ぶのだ。子どもが人生の困難に立ち向かうそのとき、あなたがそばにいてやらなければ、彼らの優先事項を、そして人生を方向づける、貴重な機会を逃すことになる。
第8講 経験の学校
The Schools of Experience
子どもに困難なことを行う方法を学ばせるのは、親として最も大切な仕事の一つだ。これは、人生で遭遇する困難に立ち向かう能力を子どもに与えるうえで、欠かせないことだ。だがどうすれば子どもに正しい能力を与えられるのだろう?
子どもがぶつかる困難には、重要な意味がある。子どもは大変な経験をすることでこそ、生涯をとおして成功するのに必要な能力を磨き、養っていく。気難しい先生とうまくつき合う、スポーツでの失敗を乗り越える、学校内のグループの複雑な人間関係を生き抜く方法を学ぶといったすべてが、経験の学校の「講座」になる。仕事で失敗する人は、もともと成功する能力が欠けているのではなく、仕事に伴う困難に立ち向かう力を身につけるような経験をしてこなかったのだ。言いかえれば、間違った「講座」を受講してきたということになる。
世の親は、よい学業成績やスポーツの実績など、子どもの経歴を積みあげることにこだわる傾向がある。だが子どもが生きていくのに必要な力を養う講座をおろそかにするのは間違っている。子どもにどんな力が必要になるかを考え、そこから逆算しよう。将来の成功に必要なスキルを養う助けになる、適切な経験を探し出そう。それはあなたが子どもに与えられる、最高の贈り物の一つなのだ。
>>子どもが生きていくのに必要な力を養う経験をさせることが重要だ
「イノべーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ」(クレイトン・M・クリステンセン、ジェームズ・アルワース、カレン・ディロン著、翔泳社)より
第2部 幸せな関係を築く
Finding Happiness in Your Relationships
わたしが人生の至福を味わうのは、一家水入らずでくつろいで過ごす、数少ない時間だ。
――トーマス・ジェファーソン
第5講 時を刻み続ける時計
The Ticking Clock
家族や親しい友人との関係は、人生で最も大切な幸せのよりどころの一つだ。だが気をつけなくてはいけない。家庭生活が万事うまくいっているように思われるときは、家族との関係への投資を後回しにできると、ついつい考えてしまう。これは大きな間違いだ。深刻な問題がもちあがる頃には、関係を修復しようとしても、もう手遅れであることが多い。つまり、矛盾しているようだが、家族との強力な関係、友人との親密な関係を築くことに最も力を入れる必要があるのは、一見その必要がないように思われるときなのだ。
家族や親しい友人との関係は、人生の最も幸せのよりどころの一つだと、わたしは心から信じている。簡単なことのように聞こえるが、重要な投資の例にもれず、こうした関係にも絶えず気を配り、手をかける必要がある。だがそれを阻もうとする二つの力がつねに働いている。一つには、あなたはことあるごとに、ただちに見返りが得られるものに、自分の資源を投資したい誘惑に駆られるだろう。二つには、あなたの家族や友人は、あなたの注目を得ようとして声高に叫ぶことはない。あなたのことを大切に思い、キャリアを応援したいと思っているからだ。こうしたことが積み重なるうちに、結局は世界で一番大切なはずの人たちをおろそかにしてしまう。「良い金、悪い金」の理論は、充実した関係を構築するための時計が、最初からずっと時を刻み続けていることを教えてくれる。大切な人との関係を育み、築いていかなければ、長い人生の旅路で出会う困難を乗り越えようとするとき、そばにいて支えてくれる人がいなくなり、大切な幸せのよりどころを失うことになるだろう。
第6講 そのミルクシェイクは何のために雇ったか
What Job Did You Hire That Milkshake For?
間違った観点に立って開発されたせいで、失敗する製品が多い。顧客が本当に必要としているものではなく、顧客に売りたいものにしか目を向けないのだ。ここでかけているのは共感、つまり顧客が解決しようとしている問題への深い理解だ。同じことが人間関係についても言える。わたしたちは、相手にとって何が大切かを考えもせず、ただ自分に必要なものを得るために、関係を結ぼうとする。そんな見方を変えることは、人間関係を深めるための、きわめて効果的な方法だ。
愛する人に幸せになってほしいと思うのは、自然な気持ちだ。難しいのは、自分がそのなかで担うべき役割を理解することだ。自分の一番大切な人たちが何を大切に思っているかを理解するには、彼らとの関係を、片づけるべき用事の観点からとらえるのが一番だ。そうすれば、心から共感を養うことができる。「伴侶がわたしに一番求めているのは、どんな用事を片づけることだろう?」と自問することで、適切な視点をもってものごとを考えられるようになる。関係をこの観点からとらえれば、ただ漠然と自分のなすべきことを憶測するより、ずっと明確な答えが得られるはずだ。
ただし、伴侶があなたに片づけてほしいと思っている用事を理解するだけではだめだ。その用事を実際に片づける必要がある。時間と労力を費やし、自分の優先事項や望みを喜んで我慢し、相手を幸せにするために必要なことに集中するのだ。また子どもや伴侶にも、他人に献身的に奉仕する機会を積極的に与えよう。相手のために一方的に何かを犠牲にすれば、相手との関係を疎ましく感じるようになると思うかもしれない。だがわたしの経験から言うと、その逆だ。相手のために価値あるものを犠牲にすることでこそ、相手への献身が一層高まるのだ。
>>家族や親しい友人のなかで自分が担うべき役割を理解して献身的に奉仕することに努めてゆきたい
「イノべーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ」(クレイトン・M・クリステンセン、ジェームズ・アルワース、カレン・ディロン著、翔泳社)より
第3講 計算と幸運のバランス
The Balance of Calculation and Serendipity
自分を動かすものが何なのか、それを理解することは、満ち足りた人生へと向かう、重要な一歩だ。だがそれだけではまだ道半ばでしかない。動機つけを与えてくれ、衛生要因を満たすようなキャリアを、実際に見つける必要がある。これが簡単なことなら、だれもがもうそんな仕事を手に入れているだろう。そう単純な話ではないのだ。願望や目標を追い求めることと、思いがけない機会を活かすことのバランスを図らなくてはいけない。戦略プロセルのなかでも、とくにこの部分を正しく行うことが、企業の成否を分けることが多い。わたしたちのキャリアについても同じだ。
創発的戦略と意図的戦略の概念を理解すれば、自分のキャリアでこれという仕事がまだ見つかっていない状況で、人生の向かう先がはっきり見えるようになるのをただ漫然と待っているのは、時間の無駄だとわかる。いやそれどころか、予期されない機会に心を閉ざしてしまうおそれがある。自分のキャリアについてまだ考えがまとまらないうちは、人生の窓を開け放しておこう。状況に応じて、さまざまな機会を試し、方向転換し、戦略を調整し続ければ、いつか衛生要因を満たすとともに動機づけ要因を与えてくれる仕事が見つかるはずだ。このときようやく、意図的戦略が意味をもってくる。これという仕事が見つかれば、ピンと来るものだ。
難しいかもしれないが、このプロセスでは自分に正直になろう。自分を変えることは難しいものだし、いましていることをそのまま続ける方が簡単なきがする。だがこの考え方は危険だ。問題に向き合うのを先延ばしにしていると、何年も経ったある朝、鏡のなかの自分を見て、こう思うことになる。「わたしはいったい何をしているんだろう?」
第4講 口で言っているだけでは戦略にならない
Your Stragety Is Not What You Say It Is
人生に戦略をもち、動機づけについて理解し、切望する目標と予期されない機会とのバランスを図ることの大切さはわかった。だが自分の時間とお金、労力を費やす方法を、これに応じて変えていかなければ、何も始まらない。
別の言い方をすれば、最も肝心なのは、自分の資源をどうように配分するかだ。
企業であれば人生であれ、実際の戦略は、限られた資源を何に費やすかという、日々の無数の決定から生まれる。一日一日を過ごしながら、正しい方向に確実に向かうには、どうすればいいのだろう? それには、自分の資源がどこに流れているかに注意を払うことだ。資源配分の方法が、自分の決めた戦略を支えていなければ、その戦略をまったく実効していないのと同じだ。
戦略は――企業戦略であれ人生の戦略であれ――時間や労力、お金をどのように費やすかという、日々の決定をとおして生み出される。あなたは一瞬一瞬の時間の過ごし方や、労力とお金の費やし方に関わる一つひとつの決定をとおして、自分にとってほん田王に大切なのはこういうことだと、公に宣言しているのだ。人生に明確な目的と戦略をもつことはたしかに大切だが、自分のもてる資源を、戦略にふさわしい方法で投資しない限り、何にもならない。結局のところ、戦略は正しく実行されなければ、ただの善意でしかないのだ。
自分が心から実行したいと思う戦略を、実際に実行しているかどうかを確かめるには、どうすればいいだろう? 自分の資源が流れている場所に、つまり資源配分プロセスに目を配ろう。自分の立てた戦略を支えるような配分がなされていない場合、深刻な問題が起きるおそれがある。たとえば自分は慈善心のある人間だと自負している人は、自分の気にかけている大義や組織に、それだけの時間やお金を費やしているだろうか? 家族が何より大事だと言うなら、ここ一週間の時間の使い方の選択で、家族を最優先しているだろうか? 自分の血と汗と涙をどこに投資するかという決定が、なりたい自分の姿を映し出していなければ、そのような自分になれるはずもない。
>>自分の資源(時間、お金と労力)をどのように配分してゆくかを常に考えながら生きてゆきたい
「イノべーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ」(クレイトン・M・クリステンセン、ジェームズ・アルワース、カレン・ディロン著、翔泳社)より
第2講 わたしたちを動かすもの
What Makes Us Tick
わたしたち一人ひとりを動かすものは何か、それをまず理解しないことには、幸せについて有意義な話し合いなどできない。わたしたちが知らず知らずのうちに不幸なキャリアや不幸な人生にとらわれるのは、自分を真に動機づけるものを根本的に誤解しているせいであることが多い。
よりよい動機づけ理論
答えは、誘因(インセンティブ)と動機づけ(モチベーション)という、二つの概念の関係性について、わたしたちがかけ離れた考え方をもっていることにある。この問題に関しては、大まかに言って二つの陣営がある。
1976年に、マイケル・ジェンセンとウィリアム・メックリングという二人の経営学者が発表した論文が、一つめの陣営のよりどころとなっている。これは過去30年で最も広く引用されている学術論文の一つで、エージェンシー理論、またの名を誘因理論(インセンティブ理論)として知られる問題に焦点をあてたものだ。 経営者と株主の利害を一致させる必要があるとされた。経営者の報酬が株価と連動する仕組みを設けることで、株価が上昇すれば経営者の報酬が増え、株主と経営者の両方が満足する。ジェンセンとメックリングは、巨額の報酬を与える必要を具体的に唱えたわけではないが、彼らが経営者に特定の仕事に集中させる手段として考えたのは、金銭的報酬だった。
ここで別の考え方に経つ、二つめの陣営を紹介しよう。これは二要因理論、別名動機づけ理論(モチベーション理論)と呼ばれる考えで、要は誘引理論を逆さにしたものだ。たしかに、報酬を支払えば、あなたの望むことを相手にも望ませることは(何度でも)できる。だが誘引は動機づけとは違う。真の動機づけは、人に本心から何かをしたいと思わせることだ。この種の動機づけは、好不況に関係なく持続する。
動機づけ理論の分野でおそらく最も明敏な研究者の一人であるフレデリック・ハズバーグは、この問題にずばり焦点をあてた画期的な論文を『ハーバード・ビジネス・レビュー』に発表した。ビジネス界の読者を想定して書かれたものだが、彼が動機づけについて発見したことは、万人に等しくあてはまる。
ハーズバーグによれば、仕事の満足感が連続的に変化していく――つまり一方の極の非常に満足度の高い状態から、その対極のまったく満足していない状態までが、連続的につながっている――という一般的な前提は、人間の心の働きを正確に表していない。満足と不満足は、実は一つの連続体の対極に位置するのではなく、別々の独立した尺度なのだ。たとえば自分の仕事が好きでもあり、嫌いでもあるという人がいてもおかしくない。
わかりやすく説明しよう。この理論は、衛生要因と動機づけ要因という、二種類の要因を区別する。
仕事には、少しでも欠ければ不満につながる要因がある。これを衛生要因と呼ぶ【衛生状態が悪ければ健康を害するが、衛生状態がよくても健康が増進するわけではないことからつけられた呼び名】。ステータス、報酬、職の安定、作業条件、企業方針、管理方法などがこれにあたる。たとえば、部下を自分のいいように使う上司や、職務外のことにまで責任をとらせようとする上司がいないことは重要だ。人は衛生要因が満たされないと、不満を感じる。仕事に不満を感じないようにするには、満たされていない衛生要因に働きかけ、改善する必要がある。
この理論のおもしろいところは、報酬が動機づけ要因ではなく、衛生要因に含まれる点だ。
「仕事に不満がある」の反対は、「仕事に満足している」ではなく、「仕事に不満がない」だ。この二つはけっして同じことではない。
わたしたちが最も陥りやすい間違いの一つは、それさえあれば幸せになれると信じて、職業上の成功を示す、目に見えやすい証に執着することだ。もっと高い報酬。もっと権威のある肩書き。もっと立派なオフィス。こうしたものは結局のところ、あなたが職業的に「成功した」ことを、友人や家族に示すしるしでしかない。だが仕事の目に見えやすい側面にとらわれたとたん、ありもしない蜃気楼を追いかけた、わたしの何人かの同級生と同じ道をたどる危険にさらされる。今度昇給すればとうとう幸せになれると、あなたは思うかもしれない。だがそれは雲をつかむようなものだ。
動機づけ理論は、ふだん自分に問いかけないような問題について考えよと、わたしたちを諭している。この仕事は、自分にとって意味があるだろうか? 成長する機会を与えてくれるだろうか? 何か新しいことを学べるだろうか? だれかに評価され、何かを成し遂げる機会を与えてくれるだろうか? 責任を任されるだろうか? ――これらがあなたを本当の意味で動機づける要因だ。これを正しく理解すれば、仕事の数値化しやすい側面にそれほど意味を感じなくなるだろう。
>>好不況に関係なく持続する動機づけ理論に合致する仕事に就き続けてゆきたい