「ことばを尋ねて」(島森路子 インタビュー集①、天野祐吉作業室)
所ジョージ バカみたいなことばから考えてる
--一見とは違って、かなり頑固。
頑固、頑固!、頑固!!(笑)はたから見たら、あいつすごい楽しい生活してる、と思われてるだろうけど、本当に楽しいもんね。(笑)そりゃそうだよね、まわりにいる人間が楽しくて、私も楽しくて、そういうのがすごく気持いいわけじゃない。みんなが幸せそうにしてるのが。それなら、どうしたって幸せだし、文句あんのかよっていうね。ひとによっては他人が不幸にあるのが楽しいって人もいるみたいだけど、私、そういうの、あまり好きじゃないみたいよ。
(1986年3月号)
>>まわりにいる人間が楽しくなれるような仕事をし続けたい
「ことばを尋ねて」(島森路子 インタビュー集①、天野祐吉作業室)
ビートたけし おいら下町のワルガキだ
ただ、いまもやっぱりスケベだな、と思うのは、他人が面白いコントをやってると、オレも絶対コントをやってるのね。
--自分のほうが面白くないと、イヤなわけ?
うん。そうそう。絶対、そう。コント・レオナルドが出てきたとき、オレもちゃんとコントやってるのね、すぐ。花王名人劇場で二人がコントやってると、オレもやってるの。やっぱりそれはスケベなんだよね。あいつがコントやってウケるなら、オレだってウケるって部分がどこかにある。だからなんでも手を出しちゃうんだ。あれ、一体なんだろうと思ってたけど、スケベだったんだね。子供時代は、物欲というか、電気機関車が欲しい、グローブが欲しいってズーッと来てたんだけど、それがなくなったら、なにも欲しいものがなくなったわけじゃなくて、もっと違うことを欲しがってる。相変わらず、スケベ。全然あきらめてない。
>>いつまでもスケベであきらめずにいたい。
「ことばを尋ねて」(島森路子 インタビュー集①、天野祐吉作業室)
タモリ タモリはかく語りき
ぼくの場合は、パロディというよりも、あるものがあって、それにぼくがどれだけ近づけるか、その近づくときに面白さが出てくると思ってるんです。「天井桟敷」ごっこというのを、たとえばみんなでやるとするでしょ。そのときに、ギャグやなんか、面白おかしいようなことを織りこもうとは思わないんです。そのものに、どうしたら自分がなり切れるか。どうやったらその心境までいけるか、そればっかりを一生懸命やる。なにか、そのほうが面白さが出るんじゃないかと思うんですよ。それはパロディではないですよね。ただ、同じように真似しても、立っている位置みたいなものは全然違う。それに本気で憧れているわけではないんですけど。
だから、ぼくは勝手なんだけど、あまり他人を楽しませようとはそれほどには思っていないところがあるんです。ホント、身勝手なんだけど、自分が面白いからやってる、いい気分になりたいからやってる、そんな感じなんですよね。舞台に立っている自分が本当の自分なのか、ふだんの自分が本当の自分なのか。両方本当でしょうけどね。
(1981年6月号)
>>面白いことをやり切るという姿勢を学んで行きたい
「フォルトゥナの瞳」(百田尚樹著、新潮社)より
葵とともに幸福な人生を歩めないなら--それならば、子供たちの命を救いたい。
その決意は、悲痛な覚悟というよりは、迷いながら心に降りてきたものだった。
ただ、自分が死ねば葵が悲しむだろうことが辛かった。でも、その悲しみは永久には続かない。人はどんな悲しみにも耐えられる。そのためにも、葵とは深い関係になる前に別れなければならない。
葵に別れを切り出す必要はない。なぜなら、自分はクリスマスイブの日に死ぬからだ。子供たちの命を救ったあとに寿命を終える。葵と一緒にいられるのは、あと四日間しかない。一緒に旅行に行く日を迎えることもないだろう--。
>>他人のために役に立つ命となりたい
「さよなら広告 さよならニッポン 天野祐吉対話集」(芸術新聞社)より
岸田秀 幻想としてのセックス 幻想としてのボディ
編集部 性の欲望は本能だと、私たちはなんとなく思いこんでいるわけですが・・・・・・。
岸田 本能がないわけじゃないんです。本能はあるけど、壊れている。だから、本能的に女のからだを求める、ということはないと思いますね。性的エネルギーそのものは存在しているけれど、それが“女とセックスをしたい”という形に出るのは、そこに幻想があるからです。だから、幻想が壊れると、男はセックスができなくなる。
天野 もともと持っていたはずの本能が壊れたのは、やはり言葉を操作するようになってからなんでしょうね。
岸田 ええ、人間は言葉を操作し、観念を操作して、すべての行動をしている。セックスも幻想に支えられているから、物語がないと欲望が起こらなくなる。女を犯すとか、征服するとか、俺のものにするとか、子宮に帰るとか、なんでもいいんだけれど・・・・・・。(笑)
岸田 どちらかというと日本兵は、自分の所属する部隊長のために戦っているんです。顔をしっている部隊長に恥をかかせたくないとかね。直接知りもしない人間のためになんか、日本人は働かない。「武士は知る人のために死ぬ」と言いまして、自分を知ってくれていない人のためには死なない。日本人は理念のためには働きも死にもしませんから。この対談だって、ひとつ島森さんのために引き受けようと思っただけで、「広告批評」の理念に共鳴したわけじゃない。(笑)
天野 「あの人に頼まれたから」って言いますもんね、日本人は。
岸田 そう。あの人に頼まれればしようがない、というのが日本人の行動原理ですから。
>>天野さんが創設した雑誌「広告批評」が創刊された1979年が懐かしい