「17歳のための世界と日本の見方」
「17歳のための世界と日本の見方」(松岡正剛著、春秋社)より
パウロがどのようにキリスト教というものを編集していったのかというと、ユダヤ教ではあくまで神の言葉である「律法」を重視していたのを、パウロは、神の子であるイエス・キリストの教えを守ることことが神への道であるとしました。
その根拠として、イエスはすべての人々の罪を贖うために十字架で死んだということ、しかも三日目に復活をしたということ、それは父なる神が贖罪を正しいありかたとして認めた証拠なのだということ、こういうことを次々とあげたんです。
そしてだからこそ、イエスを信仰することによって、誰もが罪や苦しみから解放されるのだと説いた。このロジックが非常に人々の共感を得ました。大ヒットした。
パウロはこのような新しい信仰のありかたを、もっぱら異教徒たちを相手に広めていきました。まあ、いまの企業が新しく市場や顧客を開拓しようとするようなものですね。そのために、本来はまずユダヤ教に入信して、それからキリスト教に入るという手続きが必要だったのを簡略化して、異教徒たちをどんどん直接にキリスト教に入信させていった。
こうしてパウロが残したものに、福音書と、たくさんの書簡があります。新約聖書に「コリント人への手紙」とか「ピリピ人への手紙」とか「ローマ人への手紙」とかありますが、あれがパウロが異教徒に向けて書いた書簡です。これこそキリスト教に関する世界で最初の文書です。
かくてキリスト教はパウロによって、完全にユダヤ教から分離されて、新宗教として一人立ちしていくことになります。またパウロの精力的な布教によって、わずか数年で、キリスト教徒になった異教徒の数がキリスト派のユダヤ人の数を追い抜いてしまいます。さっき私は、五年あればいろいろなことができると言いましたが、パウロはまさんそれを実践したのです。
パウロはさまざまな工夫もしました。とくに「キリストの死と復活」という劇的なドラマを強調することによって、波瀾に満ちた時代を生きる人々のなかの救世主願望をうまく引き出して行ったんです。救世主を待望するというのは、世直し運動のようなものです。非常に巧みな情報編集だったといえるでしょう。
>>パウロの宗教編集術がなかりせば、今日のキリスト教はなかったかもしれない