「銀の街から」(沢木耕太郎著、朝日新聞出版)より
2015年2月28日 第一刷発行
受容と葛藤 『おおかみこどもの雨の雪』
元来、「狼男」の物語を支えるのは、周囲の人間の「恐怖」と不可抗力的に狼になってしまう当人の「悲哀」である。ところが、この作品は「恐怖」の物語でもなければ「悲哀」の物語でもない。あえて言えば「受容」の物語なのだ。
主人公の花は、すべてを受け入れる。恋人が「狼男」であることを受け入れ、生まれた子供が「おおかみこども」であることを受け入れる。どんなに哀しく辛いことがあっても笑いを絶やさない。移住先の村で、最初に見方になってくれた頑固老人から「そんなにヘラヘラするな」となじられても、やはり顔に笑みを浮かべることをやめない。それは亡き父が花に言い残していった遺言のようなものだったのだ。「笑っていれさえすれば、どんなこんなんも乗り越えられる」と。
その花の笑いは、この物語に、常に振りそそぐ陽光のような暖かさをもたらすが、ドラマとしてのうねりを排除することにもつながる。ドラマは多くの場合、登場人物の「葛藤」によって生まれることになるからだ。
しかし、この「受容」の物語に、ついにひとつの「葛藤」が生まれる瞬間が現れる。
何事にも積極的で外交的に育つ姉の雪。繊細で内向的な性格の弟の雨。その雨が、あるとき、母親の花につぶやくように言う。
「おおかみって、どうしていつも、わるものなの?」
そしてこう続ける。
「みんなにきらわれて、さいごには殺される。だったら、ぼく、おおかみはいやだ」
ここにおいて初めて「葛藤」が生まれる。つまり真のドラマが生まれるのだ。「狼」である自分を否定しなくてはならなくなった雨はどうなるのか。どうしようとするのか。実はこのあと意外な逆転が用意することになるのだが、物語は雨の運命をひとつの軸に展開されていることになる。
三人の住む村に冬が来て、山に新雪が降る。その雪の仲を、「おおかみこども」の雪と雨が歓喜の声をあげながら駆けまわる。走り、滑り、転がり、跳ぶうちに、二人はしだいに狼そのものになっていく。
このシーンが眩しいくらいに美しい。そして、その大自然の中での疾走が、雨の体の中にひそむ何かを呼び覚ます。
花の「受容」と「おおかみこども」の「葛藤」。だが、最後は、やはり花の「受容」が「おおかみこども」の「葛藤」を包み込むことになる。「しっかり生きて!」という呼び声とともに。
『おおかみこどもの雨と雪』
監督:細田守
出演:(声)宮崎あおい、大沢たかお
2012年日本
>>実家のある国立が舞台らしい(気が付かなかった)ので再見したい
「ジェンダーの法律学 第2版」(金城清子著、有斐閣アルマ)より
初版 あとがき
工業社会から脱工業社会への移行が進むにつれて、人々の意識や選択、行動様式も、確実に変化していくと予想される。いや、少子化現象などに見られるように、すでに若い人々、そしてとくに女性たちのあいだでは、意識変革が先行しているようにも見える。しかし社会全体となると、多くの人々は、これまでの意識をそのまま引きずっている。とくに、社会の指導的立場にいる人々のあいだでは、この傾向が強いのではないだろうか。人々の意識が変わらなければ、どんなに理想的な法制度が整ったとしても、社会はそのままであろう。そこで女性差別撤廃条約は、男は、女はという性に基づく偏見、慣習、慣行を撤廃し、人々の行動様式を修正するために適切な措置をとり、子どもの養育は男女の共同責任であることの認識を家庭についての教育に含めることを、国に対して求めている(5条)。男女共同参画社会の形成のためには、教育こそ、これから大きな役割を担わなければならない。人びとの意識を変革していくにあたって、重要な役割を担っているのは、家庭教育、学校教育、そして社会教育などの教育であろう。
2001年 初秋
第2版へのあとがき
女性の政策決定への参画をはじめとして、男女共同参画社会への歩みが、非常に遅々としていて、ほとんど変化していないといっても過言ではないということです。このままならば、真の男女共同参画社会が形成されるまでには、長い歳月を要することでしょう。そんなことでこの急激な社会変化に対応していけるのでしょうか。本書で提案してきましたようなさまざまな手法を駆使して、共同参画社会への歩みを速めていくことが強く望まれます。たとえば「少子化現象は、根本的な性別分業の変革のないまま、女性が家庭に加えてさらに仕事という二重の負担を追う状況から生じた必然的な結末」(横山文野『戦後日本の女性政策』(勁草書房、2002年)354頁)ということができます。しかし、鳴り物入りで展開されるいわゆる少子化対策は、今のところ子育て費用への財政的支援、保育支援などで(これらも勿論大切なことなのですが)、性別分業を変革して、子育てに男女が関わるために不可欠な労働時間の短縮、子育て期間中の男女への転勤に際しての配慮などは、一向に進んでいません。景気が回復する中で人手不足となってきた結果、労働時間は長期化しているとさえ指摘されています。これでは、出生率の回復はおぼつかないでしょう。
2006年9月10日
>>一刻も早く、安倍政権下での(欧米のような)男女共同参画社会へ近づくための各種法制度の整備が望まれる
「ジェンダーの法律学 第2版」(金城清子著、有斐閣アルマ)より
2002年4月20日初版第1刷発行
2007年4月10日第2版第1刷発行
第4章 家族とジェンダー
前工業社会と家族
農業中心の前工業社会では、生産が家族のなかで営まれていたから、生産共同体として家族が効率的に生産を行い、円滑に生活を営んでいくためには、家族員を統括する戸主の存在が必要であった。戸主は家族員の日々の生活ばかりでなく、結婚、居住などについて強大な権力をもつとともに、家族員の生存を保障する責任を担い、家族は生活・経済共同体であった。このような家族は、戸主以外の家族員、とくに女性にとっては抑圧的であったが、生産に参加して生存を維持していくには、家族から離脱することは不可能だった。明治民法が採用した家制度は、当時の社会・経済関係に適合的なものであり、そこでは3世代同居の大家族が理想の家族とされた。家族の中では、性別分業ではなく、男性も、女性もともに生産と家事・育児などに協力して携わっていたのである。
工業社会と家族――戦後の民主改革と家族
戦後制定された日本国憲法は、法の下の平等(14条)、家族生活における個人の尊重と両性の本質的平等(24条)を規定した。そして戦後のいわゆる民主改革によって、家族に関する法律である民法が全面的に改正され、家制度は廃止された。家制度のもとでの3世代戸籍は解体されて、夫婦と未婚の子どもの2世代戸籍となり、法制度上は小家族がモデルとなったのである。
法律は改正されたものの、改正直後は、人々は意識のうえでは、戦前の家制度のもとでの大家族が理念型として存在しつづけた。しかしこの時代の状況に先駆けた小家族というモデルは、民主家族として人々の憧れを誘い、生産の重点が農業から工業に移行していくにあたっての意識変革を先導していった。とくに大家族のなかで嫁として最も厳しい立場におかれていた女性たちは、「家付き、カーつき、婆ぬき」ということで、理想の結婚の対象はサラリーマン、そして夫婦と子どもの2世代家族、小家族をつくることを夢見たのだった。
民主家族の現実――性別分業のもとで
高度経済成長期を経て、夫婦と未成熟の子どもで構成される小家族が、日本の家族のなかでは多数派となった。ところでこの小家族は、男は仕事、女は家庭という性別分業によって営まれる家族だった。家族のなかでの性による分業は、男性が会社人間として家族をかえりみることなく長時間労働に耐え、女性が家族の守護神として家庭を守ることに専念することによって、日本の高度経済成長をささえ、家族を、そして社会を安定的に維持してきたのである。前述のように戦後の民法は、その理念としてはあくまでも家族のなかでの両性の本質的平等を掲げていた。しかし現実には、外で働くことによって家族賃金(family wage)を得て家族を扶養することによって経済的な力を握る夫と、経済的には自立することができない妻や子どもとは、決して平等ではなかった。性別分業によって営まれる小家族でも、ジェンダーの平等は実現しなかったのである。
脱工業社会と家族
脱工業社会、情報社会、経済のソフト化といわれるような社会変化が進んでいる。経済は、成長期から成熟期へと移行し、男性1人の収入では、家族に豊かな生活を保障することが厳しくなる。そして女性の社会的労働が、男性のそれと等しく評価され、少子高齢化のなかで女性の労働への期待も高まってくる。このような社会変化のなかで、働く女性が増加していきた。そして女性が経済的に自立する可能性が高まってきたことは、家族のなかでの夫と妻の力関係や性別分業を変え、さらに家族の機能を大きく変化させようとしている。
男女共同参画家族へ
婚姻観の変化、離婚率の上昇などによって、これからは家族のあり方も変化し、人々の家族への期待は、愛や思いやりなど情緒的なものに集約されて、家族は愛の共同体へ純化していくであろう。そのような時代にあっては、夫も妻もともに自立した男女共同参画家族が、時代にふさわしいものになっていくことであろう。
>>脱工業社会の次の社会に適応した新しい家族法の制定が望まれる
「戸籍って何だ」(佐藤文明著、緑風出版)より
2002年8月10日初版第1刷発行
2011年5月20日増補改訂版第2刷発行
江戸時代、日本には私生子という概念も、差別する習慣もなかったことは明治政府の調査ですでに明らかなことでした。とすると、私生子に対する排除、差別は人為的に作り出される必要がありました。法がその差異を確定し、戸籍がそれを登録・公示しました。そして軍と警察がそれを悪しきこととしてあげつらい、学校がそれを教えたのです。その結果「私生児」という社会的に嫌悪の対象とされる差別語が生まれます。
こうした観念が形成されるのに大きな力となったのは軍の存在でした。軍人(尉官以上の職業軍人)は正しき婚姻の励行者とされ、国民の範と位置づけられます。そして、彼らの結婚は華族などと同様、国の許可制で、妻の身元の保証を出身地の戸長(戸籍役場の長で、現在の市町村長に当たる)に預けたのです。
これによって、届出婚が正しき結婚となり、身元の確かな妻を娶ることが国民の範となりました。そして戸長は正しき結婚の推進者としての地位を手にしたのです。これらの仕組みのほとんどは、戸籍を徴兵台帳として揺るぎのないものにしようとする軍の意向によって作られたものです。
私生子は日本人の中に「家」を形成・発展させる正しき結婚を希求する心理を生み出し、都合のよい支配に組み入れるためにも、差別の対象でなければなりませんでした。私生子が公正子(私生子ではない嫡出子と庶子とをこう呼んだ)並に保護されてしまっては、日本人の中にこうした心理を育てることはできないからです。
こうして、社会的営みに過ぎなかった結婚が国家的な公事と認識され、婚姻届をしていなかった親も、子が生まれると慌てて婚姻届を出し、子を嫡出子として登録することに腐心するようになります。それによって戸主による「家」支配を後押しし、戸主の力で徴兵を確実にするとともに、「家」の名誉のために死ねる新たな皇軍兵士の卵を手に入れることになります。
戸籍は本質的に外国人と婚外子を排除・差別する必要を持った制度なのです。
>>私生子に対する排除や差別、「家」支配を生み出している戸籍制度を見直す時に来ているのではないか
「事実婚 新しい愛の形」(渡辺淳一著、集英社新書)より
はじめに
――なぜ、今「事実婚」なのか――
事実婚とはどのようなものなのか。
わたしとしては「実質的な愛を育んでいける、自由度の高い制度である」と理解している。また、人の心や社会状況など、さまざまな変化に対応できる、現代にマッチしたカップルの形態であると感じている。
実際、スウェーデンでは四割以上が、フィンランド、フランス、オランダなどでは三割以上の女性が、事実婚を選択している(25~29歳のデータ)。
特筆すべきは、スウェーデンには「サンボ」、フランスには「パックス」と呼ばれる制度があり、事実婚が公的に認められていることである。二人のあいだに誕生した子供も嫡出子・非嫡出子と区別されることなく、さまざまな社会保障も享受できる。
少子化にあえいでいたフランスが、この制度を導入して以来、出生率の奇跡的な回復と伸びを見せたことは有名である。
このような世界的な動きに対して、日本は、はなはだ立ち遅れているといわざるをえない。事実婚の法的整備どころか、夫婦別姓の民法改正一つできないのが、日本の現状なのである。
なにごとにつけ、日本には意見を統一し、画一化しようとする風潮が強いが、結婚のような個人的な問題はもっと自由であるべきである。そしてなによりも大切なのは、個々の意思が尊重されることである。
親も家も大事かもしれないが、より大事なのは、個人の意思であることはいうまでもない。そして、個人の意思が尊重されるためには、選択肢が多いにこしたことはない。
最も割合が高いのは北欧のスウェーデンで、25歳から29歳の年代で43%の女性が同棲を含めた事実婚を実行している。
続いてフィンランド、フランス、オランダなどが多く、フィンランドでは34%、フランス、オランダでは33%と、3割以上のカップルが同棲を含めた事実婚をしている。
また、婚外子の比率は、スウェーデンが最も高くて、2008年の数字でみると54.7%、次いでフランスの52.6%、デンマークの46.2%と続いている。(『アメリカ統計年鑑 2011年版』)。
これらと比べて、日本では2.1%(厚生労働省『平成21年人口動態調査』)と極端に少い。
【パックス法(PaCS:Pacte Civil de Solidarite)】
フランスで1999年、民法に制定された18歳以上の成人同士(三親等以内は除く)の連帯民事契約制度。登録は裁判所で行う。すでに結婚している場合や、一人が二つ以上のパックスを同時に契約することはできない。
もともと結婚が認められない同性カップルに結婚と同様の権利を認めるための制度だった。しかし、双方の同意ではなく一方の申し立てで解消できることや、結婚と違い貞操義務もなく、フランスでは離婚が難しいこともあって異性カップルが大多数契約している。
パックスのカップル間に生まれた子についても、家族手当や出産手当などを受けられる。
【サンボ法(Sambolagen)】
スウェーデンで1987年に制定され、翌年施行された「サンボの共同住居に関する法律」と「ホモセクシャル同棲法」が、2003年に統一されてできた制度。これにより、異性間、同性間共に婚姻関係と同じような権利を持てるようになった。相続は遺言がないとできないが、社会保険法に定められた基礎金額の2倍相当の財産の権利を有する。
なお、宗教上の問題などもあり、かつては法律婚は異性間のみにしか認められていなかったが、2009年の改正により、婚姻法は性に中立のものとなっている。
>>日本でも事実婚を一般化し、法的に認めるべきときにきていることは間違いない。
「婚外子の社会学」(善積京子著、世界思想社)より
日本の婚外子の状況との比較
近年ヨーロッパでは婚外子の地位が飛躍的に改善され、差別が解消されてきている。
なぜ日本では戦後少しも婚外子の地位が改善されないのであろうか。それは第一に、西欧諸国以上に日本の資本主義経済システムは性別役割分業体制を維持・利用し、主婦を低賃金・パート労働で活用し、他方では出産・育児という再生産機能ばかりか老人福祉の機能まで家族(つまり主婦)に負担させ、そこから大きな利潤を得ているが、そのために家族の外形的な安定性が重視され、性別役割分業に基づく法律婚家族が保護されているからである。第二に、日本では全般的に人権に対する意識が低いが、特に婚外子の差別については、政府はもとより革新的な人々の間でさえ「人権の問題」として認識されていない点である。「家」制度のもとで、夫の婚外性行動にはきわめて許容的な文化土壌が形成され、男女対等な厳格な一夫一婦婚主義の思想は戦後に庶民の間に広まったばかりである。「家」観念が残存し、妾のいることが「男の甲斐性」という考え方さえ残っている。こうした状況下では「婚外子」の権利は「妾腹子」の権利に等置され、婚外子差別の解消は妾の存在の容認することであり、「妻の座」を脅かすものと短絡的に受け取る人も少なくない。
日本は、<ライフスタイルの自己決定権>の論理から婚外出産を認めるスウェーデンの状況からほど遠く、<子どもの人権尊重>の論理から婚外子差別が不当とされる西欧諸国の状況ですらない。日本は生産力・経済力の上では世界のトップレベルに達したが、残念ながら人権問題については後進国であり、なおも婚外子の保護が法律婚家族の尊重と対立・矛盾するものととらえられている段階である。しかしながら婚外子の人権を保障することは、実は、男性の無責任な婚外の性行動に歯止めをかけるばかりか、婚姻制度に縛られない男女の独立した生き方を可能にし、女性の開放にも密接につながるものなのである。子どもの人権という観点だけでなく、多様なライフスタイルの選択性という観点からも、婚外子への差別が完全に取り除かれることが望まれる。
>>婚外子への差別の解消を通して、子どもの人権の確保、婚姻制度に縛られない男女の独立した生き方――多様なライフスタイルの選択――を可能にし、女性の開放にもつながって行くことが望まれる
「婚外子の社会学」(善積京子著、世界思想社)より
婚外子の差別と解放の論理
社会福祉国家のスウェーデンでは、法律婚家族のみを尊重する態度が改められ、ライフスタイルの<中立性>が家族法の根本理念とされ、同棲は法律婚に匹敵する共同形態として法レベルにおいても尊重されるようになり、婚外の出産も個人が選択するライフスタイルのひとつとして認められ、婚外子や非婚の親に対する差別的扱いは撤廃される。つまり<ライフスタイルの自己決定権>(二宮周平)の論理から婚外子差別が取り除かれる。それを可能にしたのは、社会民主主義の政治体制のもとでの個人を単位にした高福祉の実現である。以前からスウェーデンでは、生産部門は資本主義システムを採りながら、消費部門つまり富の再分配に関しては社会主義システムを取り入れ、社会保障制度を充実させて国民全体の生活水準の向上が図られてきた。その後、フェミニズム運動の影響を受けた男女平等政策で従来の性別役割分業が完全に否定され、婚姻していようと夫婦は経済的にも人格的にも個々の独立した存在として扱われ、本人の生活と家族状況が分離され、種々の社会保障は家族ではなく個人を単位にして提供されるようになる。夫婦関係を法制度によって固定せず、関係の永続性を前提にしない男女関係をも許容し得る社会保障制度が完備される。その結果、同棲者や婚外子を不当に扱い、人々を法律婚に押し込めておく必要性は消滅する。
かつてマリノフスキーが<摘出の原理>を唱えた時、婚姻の本質は性関係を許可するものでなく、親になることの許可であるとし、婚姻を通じて父が決められると主張した。ところが現在、血液検査技術の進歩で不正確定の信頼度は飛躍的に高まり、スウェーデンでは、たとえ母と婚姻関係になくとも父親が決められ、親としての責任遂行が課せられる。つまり科学技術の進歩により、生物学的父親を血液検査で明らかにする方法を人類は手に入れ、父親の確定を婚姻制度に必ずしも依拠しない社会が到来したのである。
またスウェーデンでは社会保障の円滑な提供のために総背番号制が導入され、その人が国内にいる限りどこで就労しているかが把握され、非婚の父が行方をくらまし養育費を母に支払わなくとも、役所が父を追跡して養育費を取り立てる体制ができている。たとえ女性が未婚で子どもを産んだとしても、セックス・パートナーに父親としての責任を果たす義務あるいは権利が与えられ、その母との婚姻関係や同居の有無にかかわらず。父としての子への扶養責任は子が成人になるまで課せられる。避妊せずにセックスだけを楽しみ、あとは“知らん顔”という男性の無責任な態度は、もはやこの国では許されない。
スウェーデンのように、婚姻関係がなくとも父親が確定され、父親としての責任が追求されるようになると、「婚外で生まれると父が決められない。そのために婚外で子どもを産むべきでない」という規範の根拠が崩れる。さらに父子関係の形成が婚姻制度に依拠しなくなると、子どもを父母の婚姻の有無の基準によって「摘出(legitimacy)と非嫡出(illegitimacy)」に区別し、「合法と非合法」「正統と非正統」の観念から把握すること自体が無意味なことになる。
こうなると、マリノフスキーの「結婚の本質は親になることの許可であり、結婚を通じて父が決められる」という命題は、どの社会にも適合する普遍的なものでないことが明らかになる。では「子どもは社会学的父親の役割を果たす男なくして生まれてくるべきでないという規則が普遍的に存在する」という<嫡出の原理>の命題はどうであろうか。スウェーデンでも<嫡出の原理>は貫徹され、生物学的父にできるだけ合致するように社会学的父が決められ、社会学的父の存在が重視されているのである。
>>日本のマイナンバー制度導入時期に合わせて、スウェーデンのように、法律婚家族のみを尊重する態度が改められ、ライフスタイルの<中立性>が家族法の根本理念とされ、婚外の出産も個人が選択するライフスタイルのひとつとして認められ、婚外子や非婚の親に対する差別的扱いの撤廃が望まれる
「婚外子の社会学」(善積京子著、世界思想社)より
1993年3月20日初版発行
序 婚外子研究の個人史
非婚の生き方に市民権を与え、婚外子差別を克服するための論理はないものか。 私の関心は非婚の親や婚外子への差別の論理を解明し、その差別を克服するための解放の論理の構築に向けられることになる。
諸外国の婚外子
スウェーデン
スウェーデンでは結婚して夫婦になっても、それぞれ「独立の主体」であり、「独立した人格」をもつと主張され、結婚当事者の身分が法的に結婚したことで影響を受けないように考慮されている結果でもある。たとえば、結婚によって夫婦間に扶養の権利と義務の関係が生じるとされているものの、福祉国家であるスウェーデンでは誰もが働くことが保障され、もし収入が得られない場合には、必要な生活費を政府が支給することになっている。すなわち、スウェーデンでは、日本のように結婚が「生活保障の場」ではないのである。
1980年改訂の公教育カリキュラムで、性教育はすべての学年で不可欠なものとされ、望まない妊娠を避けること妊娠を避けることが家族計画の中心に据えられ、六歳から七歳の時期にすでに避妊についての情報を与えられる。生徒には、①すべての子どもは出産時に生まれる権利があり、両親は子どもの世話をできるようになるまで、子どもを生むのを待つべきこと、②子どもをもつ決意をする時に、母親の健康と家族の経済状態を考慮しなければならないことが教えられる。生徒が「どうして親は子どもをもつかどうかを決められるのか」をたずねた時には、「お母さんが、毎日飲んでいるピルを止めるなど、避妊を中止すればよい」と答えるように教師用テキストには助言が載せてある。このアプローチでは親の責任が強調され、子どもにとって家族計画が<自明の理>になるよう企てられている。
カリキュラムの中には、避妊の相談とサービスが得られる場所を教えることも含まれている。ストックホルム市では、八年生(日本の中学二年生)の担任は、校区にあるRFSU(スウェーデン性教育協会)に生徒を引率し、生徒はそこのクリニックの助産婦から実際の器具を見せてもらいながら具体的に避妊について指導を受けるようになっている。クリニックでは、避妊相談だけでなく、ピルの処方、ペッサリーやIUD(子宮内避妊用具)の挿入、コンドームの配布、中絶の無料手術などを行っているが、生徒が困った時にはいつでも気軽にそこを訪ねられるよう、助産婦と生徒との顔つなぎの役割をすることも、クリニック訪問の重要な目的のひとつになっている。
<連鎖の社会的要因>の枠組から整理してみると、スウェーデンでは同棲が法律婚と同じように扱われ、「法的婚外子」はほとんど「社会的婚内子」であり、婚外出生は、何よりも、第一の結婚慣習という社会的要因から発生しているといえる。確かに、婚前の性関係には許容的であり、第二の性統制の要因は婚外子の発生を促進するようにプラスに作用し、非婚の親や婚外子に対する差別も廃止され、社会保障も整い、第四の婚外子の養育の要因もプラスに作用している。しかし多くの人は、不安定な男女関係や経済的に自立できない段階で子どもを生むのは好ましくないと考えており、第三の嫡出制の規範は今もマイナスに作用し、十代や同棲関係のない状態での出産を回避しようとする動機づけは強く形成されている。一方、性教育・家族計画が進められ、避妊や中絶は容易に用いることができ、第五の避妊・中絶の普及は婚外出生を抑えるようにマイナスに作用している。結局、重大や不安定な男女関係での性交には避妊が用いられ、万一、妊娠に至った場合には中絶を施すことで婚外の出産が回避されている。したがって、第二と第四の要因は現象的にはプラスと評価されるが、スウェーデンでの近年の婚外子出生率の増加には、第一の結婚慣習の要因が最も直接的に関係しているといえる。
>>少子化対策という観点で、スウェーデンの現状をもっと学ぶ必要がある
「企業のリアル」(田原総一朗×若手起業家、プレジデント社)より
サイバーエージェント社長 藤田晋
1973年、福井県生まれ。青山学院大学卒業後、インテリジェンスを経て、98年、24歳でサイバーエージェント設立。インターネットの広告代理店事業で躍進し、2000年、当時史上最年少で東証マザーズ上場を果たす。現在、芸能人ブログやゲームなどを展開するインターネットサービス「アメーバ」が主力事業。
なぜライブドア元社長の堀江貴文氏はマスコミに叩かれた挙げ句、逮捕されるに至ったのに、盟友の藤田氏はいまも活躍を続けられるのか。ドッグイヤーと言われるITの世界で、主力事業を変えながら愚直に成功を積み重ねる生粋の起業家に、田原氏が素直な疑問をぶつけた。
芸能人にタダでブログを書いてもらう
藤田 アメーバはいま(編集注 2014年1月現在)会員数が3000万人です。平均年齢は30代。ただ、3000万人もいると、人口分布とあまり変わりません。男女比で言うと、女性が六割以上います。
本当は技術力でいいものをつくらなきゃいけないんですけど、スタート当時は技術がまだ弱くて、ほかの部分でカバーせざるをえませんでした。それで芸能事務所へ営業して回ることに。そこを一生懸命やっている会社がほかになかったから、まずはここだと。
芸能界はもともといろいろな人が寄ってくる世界なので、とても敷居が高いんです。最初は相手にされないか、もしくは非常に高い金額を要求されるかのどちらかでした。そのうちにいま、ケイダッシュ(芸能事務所)にいる方と親しくなって、その方経由でいろいろ人を紹介してもらっているうちに、状況が変っていきました。
うちのサービスを使ってほしい、書くことについてお金は払えないけど、そのかわりに、商売を一緒につくりましょうと持ちかけました。
たとえばタレントさんのブログの空いたスペースを広告枠にして、その広告の売り上げを折半する。そこの営業活動をけっこう頑張ったので、徐々に信頼してもらえるようになって、使ってもらえるようになりました。
約束を全部守るしかないです。たとえば「売り上げが上がりますよ」と言って上がらなかったら、「なんだ、嘘ばかりじゃないか」ということになる。芸能界は、そうした小さい約束もきちんと守ることがとくに大事です。
アメーバを始めたのは2004年でしたが、07年まではあまり増えませんでした。ページビューでいうと、少なくても月間30億いかないと商売にならないのですが、あのころは5億くらい。このままではダメだということで、僕が直接、アメーバの事業をやることにしました。
僕が社長で、一番重要な事業はアメーバだと言っていたのですが、それまではアメーバを人に任せていました。当社はもともと広告代理店で、アメーバはメディア事業。会社としてメディアにシフトすると言っているのに、人任せでは何も変わらないことに気がついて、自分でやることにしたんです。
人任せでは文化は変わらない
藤田 企業文化が変わらないんですよ。社長の僕が広告事業を見ていたら、そっちの考え方が正しいということになります。僕がメディア事業に集中すれば、それが正しいということになる。
広告事業は企業向けの商売で、メディアのほうは消費者向けですから、一般の生活者に便利なものとか、おもしろいものをつくらなきゃいけません。
たとえば以前、浜崎あゆみさんの七日間限定ブログを展開しました。これがいきなり初登場でランキング5位になる。これはアメーバの中ではものすごいことなんです。
数百万ページビューは確実にいってます。1000万超えているかもしれないですね。そのぐらいのページビューをあっという間に稼いでしまうというのは、やはりそれだけおもしろうコンテンツだと言えると思います。
細かいところに関与するようになりました。大きな方向性を示して、あとは考えてくれと任せるんじゃなく、こうしてくれと指示したり、具体的なアイデアがなければ、その場で一緒に考えていくようにしました。たとえば、ここの絵文字は違うとか、この線はもうちょっと太くしようよとか、本当にそういう細かいレベルで。
「21世紀を代表する会社を創る」というのが、サイバーエージェントのビジョンです。それを実現するには、広告代理店では難しいので。
(ネットの広告代理店として)圧倒的な一位なのに、このぐらいの規模ですから。グーグルとか、ヤフージャパンのような稼ぎ方をしないと、ネットの中では影響力を持てません。広告代理店って、結局は人のものを販売しているだけ。たとえばグーグルの代理店になっていると、グーグルに切られたら終わりという非常に弱い立場にいる。それに広告主からも値引きを要求されたりもします。
僕は代理店業に対するコンプレックスを昔から持っていました。最初に入ったのはリクルートを辞めたメンバーがつくった会社で、リクルートの代理店をやっていた。やっていることは、営業ですよね。
リクルートは自分でメディアを持っているからです。僕たちはリクルートに厳しいことを言われても、言い返せない。僕が代理店からキャリアをスタートさせたのはたまたまなんですけど、そのとき経験した弱い立場というものがコンプレックスになっていて。
インターネットのメディアって、当時はポータルサイトくらいしかなかったんですよね。でも、そこはヤフーが独占している。ほかにイケそうなものがないかとずっと探していたときに出合ったのがブログでした。
コンテンツだけじゃネットで勝てない
藤田 うちは広告代理店で営業力はあるけど、技術力はない。堀江さんのところは技術力はあるけど、営業力は弱い。それでお互いに組んで事業をやっていたんです。それが当たって、うちもオン・ザ・エッジ(ライブドアの前身)も2000年に上場しました。それで資金力がついたので、別々にやろうと。
エンジニアを採用していきました。でも、足りなかったです。アメブロを始めたころは社員750人のうち、エンジニアが数十人という割合でしたから。いま(編集注 2014年1月現在)は社員2700人のうち、六割弱がエンジニアです。
インターネットメディアは、芸能人を集めれば伸びるというほど簡単ではありません。やっぱり使いやすい、見やすいということが重要。テレビだとコンテンツが視聴率をつくりますが、ネットの場合、コンテンツの寄与する割合は大きくないです。
僕の感覚でいうとコンテンツは3割ぐらい。7割は技術やデザインです。
テレビ局や出版社がネットをやろうとしても、あまり成功していないですよね。あれば、「コンテンツがよければいい」というテレビや雑誌の文化をそのまま持ち込んでいるからです。
いいときに傲慢になってはいけない
藤田 スマートフォンが出てきて、われわれにもチャンスはあると思っています。
また新しい「よーい、ドン」が始まったんです。われわれはこの2年で、会社をスマートフォン企業に入れ替えました。いま年商1600億のうちの1000億はスマートフォン。そこでトップになれる可能性があるなと。
いま各部門、ぜんぶスマートフォンに替えているんですけど、その延長で、かなりの規模までいけるだろうと戦略を立てています。
いいときに傲慢にならないことが大事ですよね。いいときって、プライドがすごく高くなったり、けっこういろんな人を怒らせてしまう。それに、短期的な評価に満足して、長期的に手を打っておかなきゃいけないことをやらなかったりする。そういうことがないように、僕自身も戒めているし、社内でもそう言っています。
まだ売り上げ1600億ぐらいの規模で、まったくお恥ずかしいレベル。たぶん兆の規模にいかないと、まだピンとこないと思います。
対談を終えて
いつもチャレンジ精神にあふれた努力家
ITは安定がない世界だ。次々に新しいことにチャレンジしなければ、若い会社にポジションを奪われてしまう可能性が高い。現在はスマートフォンに注力しているところだというが、藤田さんの頭の中では、もう次のアイデアが浮かんでいるに違いない。いまから非常に楽しみにしている。
>私も次々に新しいことにチャレンジし続けて行きたい
「企業のリアル」(田原総一朗×若手起業家、プレジデント社)より
ディー・エヌ・エー社長 守安功
1973年、茨城県出身。茨城県立土浦第一高等学校卒。東京大学大学院工学系研究科航空工学終了後、日本オラクル入社。99年、システムエンジニアとしてディーエヌ・エー入社。2006年、取締役。09年、取締役兼COO。11年、代表取締役社長。13年4月より代表取締役社長兼CEO就任。
創業1999年。いまや毎年多くの東大生が入社する人気メガベンチャーへと成長したDeNA。同社を率いるのは、2011年に創業者の南場智子氏からバトンタッチされた守安功社長だ。球団買収、コンプガチャ問題など、世間を騒がせたテーマに切り込んだ。
二代目社長が狙う
「モバゲーの先」
無料ゲームでなぜ儲かるのか
守安 当時、収益を上げていたところは二つありました。一つは広告。もう一つはアバターです。
モバゲーに登録するときに、アバターといって、自分の分身みたいなものを選びます。アバターには好きな服を着せたりできる。そのアイテムを100円とか300円で売るわけです。
フェイスブックは、実際の名前を使って、リアルの知り合いとコミュニケーションを楽しむサービスです。一方、モバゲーはニックネームを使って、モバゲー上で友達をつくって、バーチャルなコミュニケーションを楽しみます。だから機能的には似ているけど、用途が違う。
LINEもフェイスブックに近くて、実際の友達とのコミュニケーション。だからバーチャルな空間で友達をつくりたいというモバゲーのユーザーとは違う。LINEがモバゲーとガチでユーザーを取り合うというのはないのではと。
じゃんけんで負けIHIを不採用に
守安 航空宇宙工学を専攻して、スクラムジェットエンジンの研究をしていました。航空機に使われるエンジンで、マッハ10のスピードが出ます。
当時、そのエンジンは実用化に30年かかるといわれていました。30年かけて一つのことに取り組んで、仮に途中でダメになったとしたら、ちょっと怖いですよね。それよりも、もっと早く結果が出ることをやったほうがいいと考えて研究職をやめました。もうひとつは、実力で勝負できるところがいいなと。
大学四年のとき、大学院より企業に入って研究しようと思い、学科推薦でIHIの求人に応募しました。求人三人のところに、応募は四人。どうやって絞り込むのかと思ったら、じゃんけんでした。僕はそのじゃんけんに負けて不採用に。じゃんけんで決まる会社なら、入社後も実力以外のところでいろいろなことが決まりそうですよね。それはいやなのでガラッと進路を変えて、院を卒業した後は日本オラクルというデータベースの会社に就職しました。ソフトウェアをつくっている会社では、マイクロソフトの次に大きなところです。
結局オラクルは1年半で辞めました。僕がオラクルに入った1998年は、アメリカでインターネット業界がかなり盛り上がっていた時期。 調べれば調べるほど、この波は日本にも絶対くると確信。インターネットサービスをやるスタートアップの会社に入りたいなと思って、DeNAに転職を決めました。
田原 守安さんが転職したときは六人しか社員がいなくて、まだ何のサービスも始めていなかったと聞きました。よくその段階で入ろうと思いましたね。
まずオークションでモバイルにいって、その後のゲームを展開したのですね。流れがよくわかりました。いま、社員は何人くらいですか。
守安 海外を含めて約2100人です。
田原 DeNAは、就職の新御三家といわれているそうですね。昔は三菱商事、三井物産、住友商事だったけど、いまはDeNA、グリー、サイバーエージェント。学生は、どこに魅力を感じているのでしょう。
守安 私たちは自分自身を「永久ベンチャー」と位置づけています。つまりこれからも新しい事業をつくっていくし、いまある事業も変えていく。そこに可能性を感じている学生さんが多いのではないでしょうか。まだ、業界全体が若くて、優秀な人なら一、二年で能力やノウハウがトップクラスに追いつく。早く結果を出したい人にとっては、うってつけの業界であることも理由の一つでしょう。
私たちは年齢による考課をしていなくて、実績や実力で評価します。だから数年で1000万を超えるケースもあります。
収入だけに注目すると、私たちよりいい条件の会社があるかもしれません。それでもうちで働きたいと思ってくれるのは、若いうちから大きな仕事にチャレンジできる環境があるから。いまの若い人には、お金よりもそっちの方が刺さります。
与えられた仕事じゃなくて、自分が考えたサービスで、ビジネスをつくっていくところがおもしろいのです。新しいサービスを立ち上げて、それが多くの人に使われて事業の規模が大きくなるという経験は、すごくチャレンジングで魅力的ですから。
日本のプロ野球もアメリカのように伸ばせる
田原 11年に、DeNAはTBSからプロ野球の球団を買いました。これは守安さんが社長になった後だ。どうして球団を買ったのですか。
守安 DeNAという会社は当時、世間であまり知られていませんでした。多くの人にわれわれの会社を知ってもらいたいというのが一番の動機です。
最終的には24時間365日体制でのサイト監視による実績を評価していただきました。
いま(編集注 2013年6月現在)は年間20億円ぐらいの赤字です。
強くしたいですし、赤字も解消したいです。プロ野球人気は下火だといわれていますが、アメリカの野球界は売り上げがグーンと伸びました。日本もやりおうによっては、業界全体で売り上げを伸ばせるはずです。
多くの人に応援してもらって、球界全体のパイを増やしていくしかないでしょうね。そうすれば選手に払える年俸は増えて、好転していくはず。少なくても球界全体の売り上げはもっと増やせると思っています。
世界で使われるサービスをつくりたい
守安 実際、ゲーム以外にもいろいろやっているんですよ。
一つは「コム(comm)」です。これは実際のリアルの友達と無料通話したりコミュニケーションできるサービスです。音楽にSNS的な要素をいれた「グルーヴィー(Groovy)」にも期待しています。これは、たんに好きな音楽を買って聴けるだけでなく、音楽の好みが合う人とつながって、自分に合う曲を推薦してもらえたりするサービス。まだ明かせませんが、ほかにも新事業をいろいろ仕込んでいます。
コミュニケーションとエンターテインメントの要素を持っているものが軸になると思います。ただ、それにとらわれずにいろんなサービスをつくっていきたいです。
対談を終えて
二代目社長でも守らず攻める姿勢がすごい
同社では優秀な若手が1~2年でプロジェクトリーダーになり、会社を引っ張る存在になれるという。若い人たちに活躍の場を与えられる大手企業は少ない。その話を聞き、学生が就職したがる秘密がわかった気がした。
彼は自社を“永久ベンチャー”と位置づけて、新しい事業に意欲的に挑戦しようとしている。こうした攻めの姿勢も、同社が若い人たちから支持を集めている理由なのだろう。
>>私も新しい事業に意欲的に挑戦し続けて行きたい
「企業のリアル」(田原総一朗×若手起業家、プレジデント社)より
innovation社長 岡崎富夢
1977年、山口県下関市生まれ。99年下関市立大学経済学部卒業、同年東邦レオ入社。2003年東京支社東京戦略室室長、07年建築関連事業部副部長、09年取締医薬事業本部長などを経て、10年木造用屋上庭園「プラスワンリビング」事業を立ち上げ、12年から現職。同年から屋上庭園付き企画住宅「プラスワンリビングハウス」を販売。
日本ではまだ珍しい木造住宅の屋上庭園を手がける会社がある。株式会社innovation。岡崎富夢社長が、「住宅業界にイノベーションを起こしたい」という思いで名づけた社名だ。岡崎氏は、自社の屋上庭園を“住宅業界のiPhone”と位置づける。その意味するところとは――。
目指すは
住宅業界のiPhone
なぜ売価を5分の1にできたのか
岡崎 木造住宅の屋上庭園は普通、500万円くらいかかります。それを100万円で実現できるようにしました。
まず一つが、オーダーメードからレディメードへの転換です。
次に見直したのが施工です。オーダーメードのときは、屋上庭園を一つやるのに15人ぐらい必要だったんですよ。これを2人でできるようにしました。
現場で簡単に施工できるように、まずハーフメードぐらいまで仕掛けます。さらに荷揚げの方法から施工まで、どうやったら簡単にできるのかということをビデオに撮り、パートナーの工務店に見てもらっています。
もう一つあります。販売システムを変えたのです。これまでは、僕ら資材メーカーから工務店に売るまでに建材商社が3~4社入っていました。僕たちは、これを工務店への直販にしました。木造業界では直販しているメーカーは、僕らのほかにはほとんどないはずです。これによって、100万円で売って利益が出るくらいのところにまで下げられました。
僕は人が集まるきっかけを屋上庭園が提供することによって日本を明るくすることができると思うし、お客さんもそういう使い方をしてくれている人が多いです。
売り始めて3年で、屋上だけで延べ3000棟です。僕たちは屋上庭園付き住宅「プラスワンリビングハウス」も手がけていて、そちらはいま、延べ300棟。おかげさまで受注は伸びていて、いま屋上のみは月150棟、住宅は月50棟です。
住宅も屋上庭園と同じ手法でコストダウンしています。普通なら買うと2500万~3000万円くらいする家を、1500万円で売っています。
僕は「住宅業界のiPhone」をつくりたいんです。iPhoneに使われているCPUやガラスをオーダーして一品ずつつくったら、きっと何十万円もするはずです。だけどアップルは、「これが最高です」という仕様を決めて、何千万台規模でつくることでコストを下げ、多くの人が手にできるようにした。住宅業界でも同じことができるはずだと思って挑戦しているところです。
交渉のコツは「信用されたいと思わないこと」
岡崎 僕たちのビジネスって、100人に1人ぐらいしか信じて買ってくれないと思うんです。すべての人に信用されるのは最初から無理なので、本当に心の底から思っていることだけを伝えて、わかってもらえる人だけにわかってもらえたらいいかと。
お客さんはだいたい僕と同世代なので、歴史ある会社よりも、若い社長がやっている新しい会社のほうが、イノベーションということで共感性を得られるんじゃないかと。僕自身、親会社の取締役をやるより、子会社の社長をしていたほうが経営リテラシーも上がるという狙いもあります。
対談を終えて
「危機こそチャンス」の言葉を体現した人物
岡崎さんの「僕は住宅業界のiPhoneをつくりたい」という夢も印象に残った。若い力がそれぞれの業界でiPhoneを目指せば、日本はもっとおもしろくなるのではないだろうか。
岡崎さんが次にどのようなイノベーションで世間を驚かせてくれるのか、非常に楽しみにしている。
>>イノベーションで共感を得ることができたら人生楽しいに違いない
「企業のリアル」(田原総一朗×若手起業家、プレジデント社)より
リブセンス社長 村上太一
1986年、東京生まれ。早稲田大学奥等学院、早稲田大学政治経済学部卒業。大学在学中の2006年にリブセンス設立。アルバイト求人サイト「ジョブセンス」をはじめとしたインターネットメディアを運営。11年12月に東証マザーズ、12年10月には東証1部へ上場。ともに史上最年少記録を更新した。
ネット求人広告ビジネスモデルは、リブセンスの登場前後で大きく変わった。同社の運営する求人サイト「ジョブセンス」が成功報酬型を導入し、いまや多くの会社が追随している。同社を学生時代に立ち上げ、六年弱で上場企業に育てたのが26歳の村上太一社長だ。人懐っこい表情がトレードマークだが、にこやかな視線の先に見据える、彼の野望とは――。
上場最年少社長の
「無料で稼ぐカラクリ」
仕事を辞めたらぽっくりいっちゃう
村上 まずは大和総研の起業リサーチチームで一ヵ月、インターンをしました。その間にいろんな社長さんに説明したのですが、わかりづらいというアドバイスをもらったので、求人広告を無料で載せて、アルバイトを探している人から応募があるたびにお金をもらう仕組みに変更。2006年2月に、仲間四人で創業しました。
新しい仕組みも反応が悪くて、10月には、応募ではなく採用が決まった後にお金をもらう成功報酬型に変更しました。成功報酬型にしたら、お客さんから「本当にそれでいいの?」と聞かれるくらいに反応があって。いままでお客さんのところに説明に行っても5件に1件くらいしか掲載させてもらえなかったのですが、採用ごとの報酬にしたらほぼ100%、掲載させてもらえるようになりました。
『会社四季報』とか、いろいろな情報を見ながら、かたっぱしから電話していました。
アルバイトが決まると最大二万円のお祝い金がもらえる制度をつくりました。インパクトがあったようで、口コミで徐々に広がりました。
確率を考えていたら起業はできない
村上 当社は「あたりまえを発明しよう」というビジョンを掲げています。いまでこそ宅配便はあたりまえのサービスですが、クロネコヤマトが宅急便をやるまでは、存在しなかった。そういうものをつくって、多くの人に使われれば、社員の誰もが喜びを感じられるはずです。それが社員のモチベーションの源泉になればいいのかなと。
たとえば大塚製薬のポカリスエットもそうです。運動をやるときに水を飲んではいけないという時代があったそうですが、ポカリスエットという吸収性のいい飲料が登場し、きちんと水分補給することがスポーツの常識になった。これってすごいことですよね。
統計学はロジックを説明するときに便利です。ただ、過去の常識をもとにしているので、未来を予測して新しいものを生み出すということには向かないかも。私の場合は、むしろ確率論を超えていくところに興奮を覚えます。そもそも成功の確率を考えていたら、起業なんてできない(笑)。
ビジネスって、社会を最適化する一番のものじゃないかと思います。濁った水をきれいな水に変える浄化剤を提供する日本ポリグルという会社があります。その会社の会長がソマリアに寄付で浄水装置をつくったのですが、1年後に行くと、蛇口が壊れていたりしてうまくいかなかったそうです。そこで寄付じゃなくビジネスにしたところ、警備する人や売り歩く人が現れて、普及していったとか。ボランティアを否定するつもりはありませんが、ビジネスにはそうやって社会にインパクトを与えて最適化していく力がある。私はそこにおもしろみを感じます。
対談を終えて
その発想に天国の江副さんも舌を巻くだろう
その昔、リクルート創業者の江副浩正さんは求人情報ばかりの雑誌をつくった。それまで求人情報は記事のついでに新聞や雑誌に掲載されるものだったが、逆転の発想で、求人広告のほうを中心に持ってきた。これには当時、多くの人が驚いた。
ところが、村上さんはリクルートの向こうを張って、さらなる新しい求人ビジネスを定着させようとしている。従来は求人広告を出した時点でお金がかかるが、村上さんは成功報酬の料金体系にして、リクルートにお金を払う余裕のない飲食店などを取り込んでいる。この発想に、天国にいる江副さんも舌を巻いていることだろう。村上さん率いるリブセンスが、どこまでリクルートに迫れるのか。注目したい。
>>将来の時点で当たり前になっているものを生み出す発想力を身に付けられるよう努めたい
「企業のリアル」(田原総一朗×若手起業家、プレジデント社)より
ライフネット生命社長 岩瀬大輔
1976年、埼玉県生まれ。開成高等学校、東京大学法学部卒業、在学中に司法試験合格。ボストン・コンサルティング・グループなどを経て、米ハーバード・ビジネススクール留学。2006年ライフネット生命保険の設立に参画。08年、同社取締役副社長、09年2月より代表取締役副社長。13年6月より、代表取締役社長に就任。世界経済フォーラム(ダボス会議)「ヤング・グローバル・リーダー2010」選出。著者に『入社1年目の教科書』『入社10年目の羅針盤』など。
セールスレディの数が営業力を左右すると言われる生保業界において、ネット販売で営業職員ゼロという革命を起こしたライフネット生命。同社を出口治明会長と二人三脚で創業したのが、岩瀬大輔氏だ。岩瀬氏は、ハーバード・ビジネススクールを上位5%の成績で卒業。日本きってのエリートが、旧態依然の業界で起業した理由とは。
74年ぶりに
新規参入したわけ
起業のきっかけは留学中のブログ
岩瀬 当時は堀江貴文さんが逮捕される少し前で、村上ファンドの村上世彰さんが世間から叩かれていました。でも、僕は日本には投資家が足りないし、誰もリスクを取っていないことが問題だと思っていて、村上ファンドを擁護する記事をブログに書きました。それを読んで、「バランス感覚がいい」と評価してくれたようです。
田原 なるほど。それにしても、どうして生命保険だったのですか。日本の生保業界は大手の寡占状態でしょう。ベンチャーでもいけるという確信はあったんですか。
岩瀬 きっかけは、投資家の方からの提案です。僕のまわりはモバイルとか技術系のベンチャーばかりなので、保険業界と聞いて直感的に「意表をついておもしろい!」と思いました。冷静に考えても、僕が留学中に聞いた「大きく伸びるベンチャービジネスの三つの条件」に生保はあてはまっていました。
まず、一つは、「みんなが使っているものを対象とせよ」。これは大きい市場を狙えという意味です。次に「みんながわずらわしさを感じているものを対象にせよ」。これは大きな非効率がある市場がいいということ。そして三番目が、「技術革新や規制緩和で、そのわずらわしさを取り除く可能性のあるものを対象とせよ」。生保が、どれもあてはまるのです。
古くて変化のない業界こそチャンス
岩瀬 護送船団のせいでしょう。日本の生命保険会社は戦後、1946年に21社で再出発をしました。72年にアリコを筆頭にアフラックなどが参入。96年に子会社を通した生命保険と損害保険の相互参入が自由化されたため、あらたに10社が参入、43社になりました。ということは戦後、外資と損保以外の新規参入はずっとなかったということになります。不思議に思って、最後に親会社として保険会社の資本が入っていない新しい保険会社ができたのはいつかと調べてみたら、34年でした。起業しようという人がいなかったわけではありません。当局が免許を出さないから、新規参入がなかったんです。
逆に言うと、古くて変化のない業界だからこそ規制緩和でベンチャーにもチャンスが生まれます。生保業界の規制緩和は少しずつだったのですが、2006年の保険料自由化で大きく前進しました。保険料は死亡率によって当局が決める部分と、各社の手数料の部分にわかれていますが、以前は手数料でも規制があり、護送船団で一番弱いところに合わせた値段にする必要がありました。ただ、06年から手数料は各社の経営判断で決めていいことに。僕が保険業界に飛び込んだのも、そのタイミングでした。
禁断の保険料内訳を公開して躍進
田原 岩瀬さんたちは06年に準備を初めて、08年に認可を取りました。会社は何人で始めたのですか。
岩瀬 準備を始めたときは出口と二人です。溜池山王の雑居ビルにほかのベンチャー数社と共に居候して、何もないところからスタートしました。
インターネットで直接販売しています。お客様の平均年齢がちょうど36.9歳で、僕は今37歳(編集注 2013年6月現在)。僕らの世代は営業職員に会っている時間もないし、そもそも押し売りされるかもしれないから会いたくない。それなら自分でネットで調べて選ぶから安くしてくれと考える人が多い。そういう需要が必ずあるはずだと思って、インターネットでの直販にしました。
商品は基本的に(大手生保と)同じです。ただ、僕らは特約などをそぎ落として、ほんとうにシンプルな保険だけにしています。うどんで言うならトッピングのない素うどんです。生命保険は災害時の非常食みたいなものだから、デラックスである必要はないというのが僕らの考え方です。
年齢や商品によって違いますが、一番差がある例でいうと、30際の人が保険金3000万円の掛け捨ての10年定期保険に入ると、うちの場合は月々3500円ぐらいで、大手さんは7000円ぐらい。10年で約40万円の差が出ます。
あるインターネットの記事がきっかけでした。じつはその記事で、われわれが保険料の手数料の内訳を公表したのです。たとえば、僕らは月々約3500円の保険料で、お客様に保険金として返す分は約2700円。つまり手数料は約800円です。大手は月々約7000えんですが、この2700円部分は同じなので、手数料は4300円になる。これを開示したら騒然となって契約数が1日40件前後に。その後に、週刊誌上でプロが選ぶ生命保険ランキングで1位になったこともおおきかったですね。契約数が1日40件から60件に増えました。
楽天参入で新たな価格競争に!?
岩瀬 契約件数は17万件(編集注 2013年6月現在)を超えました。ただ生命保険の場合は、システムなどの初期投資が大きいため、まだ黒字化していません。生命保険は法律上、10年以内に黒字化する必要がありますが、さらにペースを速めて前倒ししたいと考えています。
田原 岩瀬さんにとって、このビジネスのおもしろさは何ですか。
岩瀬 業界の常識を変えていくところでしょうか。僕らがやり始めたころ、生命保険をネットで買う人なんて誰もいないと言われていました。でも、いまや世界中の保険会社が僕らのところに話を聞きにやってきます。世界の生保業界で誰もやっていなかったことをやるのは、やはりおもしろい。
ブランドが大事なのかなと考えています。若い世代の間で、僕らは誠実さと透明性を武器にして古い業界に一石を投じる新しい世代を代表する会社だというイメージを持ってもらっています。そのイメージを強調していけたらいいなと。
経営者は文化芸術を支えるべき
岩瀬 文章だけでなく、文化活動とか芸術全般が好きです。海外のビジネスマンは、成功したらアートやチャリティーに社会貢献をする人が多く、かつては日本にもそういう経営者がたくさんいましたが、僕らの世代はほとんどいない。だから仲間を文楽に誘ったり、一緒にアートを買いにいったりして、アートにもっと興味を持とうよという運動を密かにやっています。
田原 たとえばアサヒビールの樋口廣太郎はオペラにものすごいお金を使った。電通の成田豊も、劇団四季を支えていましたね。たしかに最近は文化芸術を支える経営者がいなくなった。
岩瀬 僕らの世代の起業家が世間からリスペクトされない原因も、そういうとこにあるんじゃないかと思っています。起業家は会社の利益を追求するだけじゃなく、社会と共生したり貢献する姿勢を示さないとリスペクトされません。そこに気づいた人は、僕らの世代でもTシャツじゃなくてスーツを着ていますし、文化・芸術の保護にも積極的です。楽天社長の三木谷浩史さんは最近、東京フィルハーモニーの理事長になられた。そこは先をいかれています。
対談を終えて
現状に満足しないベンチャー精神の塊だ
戦い方もユニークだ。岩瀬さんは、これまで業界が秘密にしてきた保険料の内訳を公開。自社と大手との手数料の違いを浮き彫りにして、お客さんの心をつかんだ。これは既存の大手にはできない戦い方だ。現状に満足せず、将来について意欲的に語る姿も印象的だった。
>>私も現状に満足せずベンチャー精神を持ち続けて、業界の常識を変えて行きたい
「仕事は“6勝4敗”でいい」(出口治昭著、朝日新聞出版)より
会社の方針(社会に対して何を提供しようとしているのか)に
照らし合わせ、
きちんと言うべきことは言える社員であってほしい――。
それが私の社員たちに対する願いであり、
そのような会社員こそが
「最強の会社員」になり得る人材なのではないかと、
私は思っています。[「はじめに」より] 2012年7月
序章「最強の会社員」とは
人生を慌てない
「鋼」のような人物を目指さない
自分の個性である「角」は削らない
会社員でなくなった姿をイメージしておく
仕事を続けられればよしとする
目の前にある仕事を楽しむ
繰り返しになりますが、人生とは偶然の連続です。
99%の人間は、その偶然の連続の中で、周囲の状況に翻弄されながら生きていくことになります。その時、重要なことは「自分の足で立っていられるかどうか」です。
自分の足で立つとは、健康で仕事を続けることであり、その仕事を通じて世界とつながっていくことです。そのためには、人と異なる「角」を失わず、伸ばしていくことが近道になります。
では、どうすれば「角」を削られずに会社員として生きていくことができるのか。答えはとてもシンプルなものです。
仕事を楽しむこと。
今、目の前にある仕事を楽しめる人は「長所を伸ばして、短所を直す」という発想に巻き込まれることなく、自分の足で立っていくための力を磨くことができます。
もちろん、仕事を楽しんでいるだけでチャンスに恵まれるとは限りません。しかし、仕事を楽しめない人は、小さなピンチにも屈しやすくなり、チャンスを見極める目を養うこともままならず、凧をあげるための風が吹いたことにも気づけなくなっていくことでしょう。
原則16 仕事は6勝4敗でいい
10勝0敗の圧倒的な勝ちでは勝者・敗者の間に遺恨が生じてしまいます。
では、どうすればいいのか。
目指すべきは、6勝4敗か、5勝4敗1分。
わずかに相手を上回れば、十分です。どんな交渉の場、取引の場でも、自分が完全に優位に立とうという考え方はいけません。「意見を通す」にしても、「交渉をまとめる」にしても、相手を打ち負かす必要はないのです。
優秀な将軍は、城を囲んで攻め落とす時にも守り手のための逃げ道を残しておいたものです。そして、逃げて行ったら放っておく。結果、味方の損傷は少なく、勝負が決するのも早くなるわけです。
>>私も目の前にある仕事を楽しみ続けながらチャンスを見極める目を養いたい
「考える人」(2015年冬号No51、新潮社)より
親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみたんだ。
――小津安二郎 「映画の味・人生の味」『小津安二郎「東京物語」ほか』田中眞澄編 みすず書房
人にはどうして家族が必要なのでしょう ロングインタビュー 山極寿一
ゴリラ研究の第一人者であり、
ゴリラから探る家族の起源論や
父性論で知られる山極寿一さんだが、
意外なことに若いころは
「家族をつくりたくなかった」という。
いったいどんな変遷があったのでしょうか。
山極 私が高校紛争を体験したからだと思うのですが、家族というものがあるために個人が自立できないと考えていた。家族のような、生まれながらにして負荷されたような思いを個人が背負って生きていくのはとても耐えられないと思っていたので、子供はつくりたくなかったし、特定のパートナーを選んで、互いに重荷を背負って生きていくのはバカらしいと思っていました。子供にしてもパートナーにしても、自分の存在を押しつけるべきではない。そういう押しつけみたいなものは嫌だと思っていました。自分自身に責任をもって、いつでも自由な選択ができる身軽な存在でいたかった。家族をつくってしまえば、自分の責任が家族の責任になるし、自分のしたことが、どうしても家族の中で強い影響力を持ってくるでしょう。
例えば戦争責任のように、子供は親の世代が死ぬと自分が生きていない時代のことまで背負わなくてはならない。そういうことを自分が引き受けるのは嫌だし、子供に引き受させるのも嫌だ。それより、人間の自由に焦点を合わせて行きたいと思っていました、若いころは。だけど、ゴリラの社会に行って、考えが変わったのです。
――女は一人で生んで、小さな家族をつくることができますから。
山極 相手がいなくても、精子バンクなどいろいろ手段がありますからね。でも子供は欲しい。そこが問題だと僕は思う。果たして、子供にとって母親だけでいいのか、あるいは父親だけということもありますから、片親だけでいいのか。しかも地域コミュニティもない非常に限られた人間関係の中で育つことが、果たして子供にとって幸福なのか、ということです。
僕は子供であるときの自分を思い返したとき、あるいは今一般に育ってくる子供を見るとき、親というのは世間に通じる関門だと思うのです。そのときに、常に一対一で親と向き合うのは辛い。やはり、親は複数であってほしいし、親以外のコミュニティもあってほしい。たとえば父親と喧嘩してどうしようもなくなったときに母親が助け舟を出してくれたり、姉貴が慰めてくれたり、あるいは近所の人たちがとりなしてくれたりするでしょう。そういう緩衝材がなければ、世間を知っているわけではない子供は非常に辛い。
仮に父親はいらないとしても、少なくともコミュニティは必要だと思います。そういうものがあって初めて、子供は信頼に足る世界をつくることができる。信頼に足る世界というのは、背後に常にいてくれる母親だけではだめなのです。もう少し広い世界が、自分を常に見つめていてくれるという安心感が必要だと思うのです。それが今の子供にはないのではないかという気がする。子供には無条件に信頼できる世界が必要です。
そのためには、母親、父親だけでなく、言うなれば先ほどの老人ですね、老年期にある人たちが非常に重要です。まだ十分に体力のない子供は、体力の衰えた動きの鈍い老年期の人たちによく合うわけです。もちろんエネルギーは子どものほうがあります。でも老年期の人たちは許してくれる、許容力がある。時間を無駄に使ってくれる。子育てしたらわかるけれども、忙しいときに限って子供に何か起こる。そのために時間を快く差し出してくれる老年期の人たちは、子供にとってすごくありがたい存在だと思います。それが、安心という壁をつくってくれるものです。それが今ないことが非常に問題だという気がします。
>>老人を含めた地域コミュニティが子供の幸福に必要なのは間違いない
人生、最高に面白い「名作映画」(一個人4 2015 No.179、KKベストセラーズ)より
胸が熱くなる!ラブストーリー [洋画]部門
選・文/よしひろまさみち
誰かに「自分の一部」を見出せる
群像劇『ラブ・アクチャリー』
選んだのがこの10本。なんといっても心をふるわせたのは『ラブ・アクチュアリー』と『ホリデイ』だ。前者はクリスマスのイギリスを舞台に、10数名の男女が織り成す恋愛模様を描いた群像劇。後者は傷心の女性2人が、互の家を交換して生活環境を変えたことで巡り会った新たな出会いを描くもの。とりらもアリテイにいえばアリテイではあるが、これほど愛にあふれた作品はない。特に『ラブ~』は、同じく選んだ『アバウト・タイム』と同じリチャード・カーティス監督作なのだが、彼の作品には人の悪意がどこにも存在せず、しかも数多くの登場人物それぞれをうまく掘り下げて、どこにも捨てキャラがいないこともポイント。そうすることで、劇中の誰かに必ず、観ている者が「自分の一部」を見いだすことができ、ひたすらに誰かを愛することの素晴らしさにひたることができるのだ。一方の『ホリデイ』は一件女性向けのドラマに見えるものの、じつはそうでもないところが良い。男性キャラがどこか心に傷を持ち、女性キャラの傷心と同様、痛みを分かち合う者達のエピソードとして見ることができるのだ。
また、そういう意味では『恋人までの距離(ディスタンス)』の三部作や『テイク・ディス・ワルツ』、『(500)日のサマー』も当てはまるだろう。なんせ、これはどれもオトナが抱える男女問題を浮き彫りにしているから。少々現代的すぎる描き方かもしれないが、これらは普遍的な恋愛の苦悩を描いている。
>>さまざまな愛の形を追体験できる恋愛映画、いろいろ見てみたい
「企業のリアル」(田原総一朗×若手起業家、プレジデント社)より
保育NPO、社会起業家という生き方 フローレンス代表 駒崎弘樹
1979年、東京生まれ。99年慶應義塾大学総合政策学部入学。同大学卒業後、NPO邦人「フローレンス」を起業し、代表理事に就任する。2010年待機児童問題を解決するため、小規模保育サービス「おうち保育園」を開園。『「社会を変える」を仕事にする社会起業家という生き方』(英知出版)、『働き方革命』(ちくま新書)など著書は多数ある。
ここ数年、補助金やボランティア頼りではなく、ビジネスの手法を活用して社会変革を目指す「社会起業」というスタイルで起業する若者が目立っている。その先駆けが、病児保育事業を展開するNPO邦人「フローレンス」代表の駒崎弘樹氏だ。若き社会起業家はいまの日本をどう捉え、何を変えようとしているのか。
病児保育の仕組みに行き着いたわけ
駒崎 一般の保育園は、子どもが熱を出すと預かってくれません。親が看病できればいいのですが、仕事があってどうしても休めない場合もあります。そのとき保育園に代わって子どもをお預かりするのが病児保育です。
二年くらいITベンチャーをやって、これは自分が本当にやりたいことではないなと。じゃあ何をやりたいのかと自問自答して浮かんできたのが、社会をもっとよくすることでした。
きっかけは、ベビーシッターの会社に勤めていた僕の母親です。あるとき母が、お得意さんだった双子のママから「会社をクビになったから、もう頼むことはない」と打ち明けられたそうです。そのママは子どもが熱を出して会社を休んだのですが、双子が風邪をうつしあったために休みが長引いて、事実上解雇されてしまったとか。その話を聞いて、そんなことが経済大国の日本で起こっていいのかと耳を疑いました。子どもが熱を出すのは当たり前だし、親が看病するのも当たり前でしょう。当然のことをして親が職を失うなんてありえない。それでいろいろ調べるうちに、病児保育の仕組みに行き着きました。
興味を引かれていりいろいろ調べてみたら、アメリカのNPOはボランティアではなく、ビジネスの手法を使って社会問題を解決するソーシャルビジネスという形が多いということがわかりました。収益を出しながらやっていくなら長続きしそうだし、日本でもできるのではないかと思って、僕も社会起業という形でやることにしたのです。
田原 いま(編集注 2013年5月現在)はどれくらの数の病児を預かっているのですか。
駒崎 うちは会員制で、だいたい2500世帯預かっています。いままでの累計の病児保育回数は、約3万回を超します。
保育スタッフは約70人います。職種は二つあって、一つは登録しておいてもらって、出番があるときに行ってくださいという人たち。子どもはいつ熱を出すのかわからないので出番があったときにしかお金がもらえない、というのが保育業界の常識でした。ただ、それだとスタッフが食べていけない。そこでフルタイムでお給料を払って、出番がないときは本部で研修をしてもらう職種をもう一つつくりました。週4~5日のフルタイムで、17万~25万円の月給制。こうした形で病児保育のプロを育てています。
駒崎 いま、待機児童は、洗剤待機児を含むと85万~100万人います。原因の一つが、20人以上でないと保育園をつくれないという規制です。街には空き家がたくさんあるのだから、規制緩和して小規模保育できるようにすれば、待機児童は減らせるはず。そこでまずマイクロ保育園モデルとしてマンションや一軒家を使った「おうち保育園」を始めました。
村木さんの復帰先が待機児童対策チームでした。村木さんが僕たちのモデルを評価してくれて、小規模保育を法案の中に入れ込むことになりました。12年に法案は通りました。
15年からは小規模認可保育園が全国でつくれるようになりました。
いまは自治体から補助が出るのですが、国の消費税財源からお金が出るようになるので、全国のNPOや企業も小規模保育園をつくりやすくなります。これで待機児童問題は大きく前進します。
もちろん会社のために一生懸命働いてもいいと思います。でも僕らは、会社に所属すると同時に、社会の住人でもあるという多元的な所属をするべきだと思います。多元的に所属していれば、会社が社会に対してよろしくないことをしたときにも、迷うことなくいさめたり、内部告発できます。島耕作的なモデルを終わらせて、多元的に所属する個人というモデルをつくっていきたいですね。
対談を終えて
積極的にパクらせて社会を動かす人である
駒崎さんは、若い世代の象徴的な人物だ。駒崎さんたちが生まれてから、日本はずっと景気が悪かった。何をやってもうまくいかずに、政治家も経営者も自身をなくして途方に暮れていた。僕らは政治家たちを叱咤激励して動かそうとしたけれど、駒崎さんは「本人も答えがわかっていないのだから、批判しても変わらない」と冷静な目で見ている。でも、けっして冷めているわけではない。「政治に答えがないなら、僕らがアイデアを出して、実際にやってみせて、パクらせればいい」といって、実際におうち保育園や寄付税制のアイデアを提供した。
自分のアイデアをパクられたといって怒る人はいるけれど、駒崎さんはむしろ積極的にパクらせて社会を動かそうとしている。上の世代には、この発想ができなかった。駒崎さんには、これからもどんどんアイデアを出してほしいと思う。
>>アイデアを積極的にパクらせて社会を動かして法律を変える、という発想はとても興味深い
「企業のリアル」(田原総一朗×若手起業家、プレジデント社)より
2020年、ミドリムシで飛行機が飛ぶ日 ユーグレナ社長 出雲充
1980年、広島生まれ。東京大学農学部卒業後、東京三菱銀行に入行も1年で退社に、2005年、ユーグレナ設立。同年12月には世界で始めてミドリムシの屋外大量培養に成功。12年、Japan Venture Awards「経済産業大臣賞」受賞、世界経済フォーラム「ヤング・グローバル・リーダーズ」に選出。
0.05mmの小さな生き物、ミドリムシ――。動物と植物、両方の性質を持つ不思議な藻類に本気で人生を捧げている男がいる。東大発のバイオベンチャー、ユーグレナの出雲充社長だ。栄養不足に苦しむ世界の人々を救うだけでなく、石油の代替エネルギーとして飛行機を飛ばす燃料にもなるという。夢のような話は、本当に実現するのか。
世界で起きているのは飢餓より栄養失調
出雲 いま地球が抱えている一番の問題は、栄養失調です。お米もパンもあるから飢えはしないけど、ほかの栄養のある食べ物がないんです。ビタミンがとれないから抗酸化物質が不足しているし、牛乳がないのでカルシウムも足りません。また鉄分が不足しているので貧血になるし、肉や魚がなくて筋肉をつくれず、腕や脚が細くなってしまう。栄養不足で苦しんでいる人は、いま世界で10億人いるとされています。それを救うのがミドリムシ。ミドリムシのなかには、人間が生活するために必要な59種類の栄養素が含まれています。魚のDHAも、牛乳のカルシウムも、肉のタンパク質も、ニンジンのベータカロチンもです。
航空会社が注目するミドリムシの可能性
出雲 動植物からつくられる燃料は、クジラからロウソク、ヒマワリから軽油、サツマイモからガソリンとあります。ただ、ジェット燃料は、どの植物からつくるよりもミドリムシからつくったほうが効率的です。
そこで白羽の矢が立ったのが、植物でもあり動物でもあるミドリムシです。光を当てないで動物のように育てると、植物にはつくれないオイルがミドリムシのなかにできます。
大手都銀を一年で退職し、企業
出雲 発想を変えました。ミドリムシを食べる雑菌を蚊にたとえるなら、これまでは蚊帳を二重、三重にして菌の侵入を防ぐ技術を研究していいました。でも、いくら蚊帳を重ねても、結局はどこかから蚊が入ってきています。それならば蚊帳はやめて、蚊取り線香のように菌が寄りつかなくなるものはできないかと考え方を変えました。それでようやく、ミドリムシは平気でもほかの菌は気持ち悪くて入ってこられない培養液の開発に成功したのです。
100万㎡、東京ドーム約21個分です。この大きさのプールがあれば石油由来のものと同程度の価格、1リットル150円ぐらいでジェット燃料ができます。その価格でつくれるようになったら、あとは2個、3個とプールを増やしていけばいい。
対談を終えて
彼の功績はノーベル賞もの
いま世界で起きているのは飢餓ではなく栄養失調。ミドリムシには人間に必要な栄養素59種類すべてが入っているので、これを食べれば栄養の問題を一気に解決できるというわけだ。さらにミドリムシは、飛行機のジェット燃料にもなるという。まさに夢の生物である。
ミドリムシの可能性は80年代から世界中で注目されていたが、大量培養に成功した人は誰もいなかった。それを成功させた出雲さんは、ノーベル賞ものだと思う。
>>ミドリムシによる栄養失調の解消とジェット燃料の量産化に成功することを祈念する
「企業のリアル」(田原総一朗×若手起業家、プレジデント社)より
管理能力ゼロの社長兼クリエーター チームラボ代表 猪子寿之
1977年、徳島県生まれ。96年徳島県立城東高等学校卒業後、東京大学教育学部理科Ⅰ類に入学。アメリカ、イギリスに1年間遊学。東京大学工学部計数工学科卒業と同時に、チームラボ創業。2006年産経デジタルのニューズ・ブロクサイト「iza」を開発。以後、世界各国の最新のデジタルアート事業を精力的に展開中。
ウルトラテクノロジスト集団「チームラボ」を率いる猪子寿之氏。チャーミングな笑顔と物怖じしない言動が強烈な印象を残すが、独特のキャラクターに目を奪われてはいけない。猪子氏の真骨頂は、いまの時代を鋭くつかむ観察眼にある。若い世代を代表する論客でもある猪子氏が、いまの日本の問題点から理想のリーダー像まで語った。
21世紀では中間管理職はいらない
猪子 昔と違って、いままでの概念で言う管理なんて必要ないです。20世紀まではメールもインターネットも、携帯もない時代だったから、情報をやり取りするのも大変でした。一人が情報をやり取りできる人数は限られているから、全体の人数が増えると、あいだに誰か管理者を入れざるをえなかった。そうしてピラミッド型の組織ができたわけです。
でも、いまはメールで情報をみんなに一瞬で伝えたり、逆にみんなの情報を一瞬で集まることができるようになった。そうすると、管理職なんていらないかもしれないですね。
ジョブズにもマネジメント力はなかった
猪子 一人じゃできないですよ。いまは仕事の内容が細分化しているから、一人の専門職がすべてを考えられることはない。でも、専門職じゃない人が考えるのも無理です。テクノロジーがわからないと、それを使っていま何ができるのかもわからないから。
アイデアとしておもしろくても、実現できなきゃクリエーティブじゃないから。実現できてこそ、創造(クリエーティブ)というわけでしょ。だからクリエーティブには、テクノロジーがわかっていることが必要。ただ、新しいものは専門的なものがいろいろ合わさって生み出されるから、一人じゃ考えられないし、何も生み出せない。だからこういう場がいるのです。
プロジェクトのリーダーでもあるわけ?
リーダーはやらない。マネジメント能力がないから
猪子 だってスティーブ・ジョブズ(アップル創業者)だってマネジメント能力ないんじゃないかな。むしろマネジメント能力がある人がトップに立つべきじゃないかもしれない。
未来を否定する日本、肯定するアメリカ
猪子 なんだろう。大きく言うと、アメリカの西海岸、つまりシリコンバレーは、未来を全面的に肯定している。それに対して、日本は未来を否定している。その違いかな。
例をあげると、コピーライト(著作権)ビジネスがそうでしょ。20世紀までは音楽も出版もソフトウェア、あらゆる業界がコピーライトをパッケージ(複数のものを一つにすること)化してビジネスにしてきた。でも、情報化社会になった瞬間、コピーライトパッケージはビジネスにならなくなった。それを受けて、シリコンバレーの人たちは、「いままでのモデルがビジネスにならなくなるなら、次はどういうものがいいのか」と未来を肯定して、YouTubeをつくったり、音楽はライブのビジネスに移ったりするわけです。ソフトウェア産業のアップルもグーグルもコピーライトをパッケージにして売ったりしてませんよね。
日本は20世紀が、つまり情報化社会前の社会で成功しすぎたから、それが大好きで離れられない。法律も産業も、ぜんぶです。
対談を終えて
ぜひ日本の21世紀をつくってほしい人
猪子さんは、「日本は20世紀にこだわり、前に進んでいない」という。たとえば人の話を聞くとき、日本ではノートPCでメモするのは失礼にあたる。しかしアジアは逆で、紙のノートにメモを取ると、「それじゃ情報共有できない」と怒られるそうだ。このエピソードは印象的だ。猪子さんのような若い人に、ぜひ日本の21世紀をつくってほしい。
>>私も、過去を否定し「次はどういうものがいいのか」と未来を肯定し続けて行きたい
「企業のリアル」(田原総一朗×若手起業家、プレジデント社)より
「競争嫌い」で年商1000億円 スタートトゥデイ社長 前澤友作
1975年、千葉県生まれ。94年早稲田実業高等学校卒。95年輸入レコード・CDの通販ビジネスを開始する。98年有限会社スタートトゥデイを設立。2000年同社を株式会社化。03年イラク戦争に反対し、「ノ―・ウォー・オン・イラク」のTシャツを製作し、売上金の全額を寄付し、話題を呼んだ。07年同社を東証マザーズに上場、12年同社を東証1部に上場させる。
日本最大級のファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイ。同社は2012年、六時間労働制を打ち出して話題を呼んだ。成果報酬なし、基本給・ボーナスは一律支給など、大胆な給与制度にも特徴がある。「争うのは嫌い」という前澤友作社長が目指すのは、どのような企業像だろうか。
ミュージシャンから起業家へ
前澤 高1の時点で大学に行く気がなくなってしまって。僕は、千葉の鎌ケ谷に住んでいて、高校がある早稲田まで、電車で一時間半かけて通っていました。そこでラッシュにもまれてつらそうな顔をしているサラリーマンを見ているうちに、このまま大学に行って就職するというレールに乗っかるのは嫌だなと。高校卒業後、当時つき合っていた彼女がアメリカに留学するというので、一緒についていきました。
前澤 帰国して、彼女とバンド仲間でもある高校の同級生と三人で、向うで買い付けてきたレコードやCDの通信販売を始めました。当時はネットではなくカタログ販売。A4用紙を何枚か束ねてつくったカタログを郵送で送り、電話で注文を受けるという形です。会社を創業したのが1995年で、20歳ぐらいのときですね。
田原 ファッションを始めたのは?
前澤 カタログ通販からネット通販に切り替えた後なので、2000年くらいかな。当時、自分が着ていたものとか、仲間のバンド友達がつくっているブランドの洋服を売り始めました。
田原 バンドもそうだけど、自分が好きで買い付けてきたレコードを売り、それから自分が好きなファッションを売りって、ぜんぶ、趣味じゃないですか。
前澤 はい、ぜんぶ、趣味です。
なぜ楽天にないものが買えるのか
田原 ZOZOTOWNはメーカーから信頼されているわけだ。
前澤 それには二つの側面があると思います。一つは、サイトのデザインがいいとか写真が綺麗という見た目の問題。もう一つは、売っている人がどれくらい洋服のことを理解しているか、ブランドのことをどれだけ好きでいてくれるのか、という目に見えない部分です。どちらも大事ですが、アパレル業界で重視されているのは、目に見えない部分。ショップはメーカーさんの思いをお客様に伝える中継点なので、僕たちがメーカーさんと同じ思いを持っていないと、お客様に届かない。うちが信頼されているのは、おそらくそこの部分じゃないかと。
前澤 楽天さんの場合、ハイセンスなものを置いていても、楽天市場という大きな仕組みの一部と見られるじゃないですか。一方、うちは専門店なので、洋服を選びやすい売り場構成になっているし、思いも届けやすい。そこの違いですかね。うちだけでなく楽天さんやアマゾンさんにも出しているブランドさんもありますが、売り上げはうちが上というところが多いです。
田原 面接はどうですか。センスがあるかどうか、話せばわかる?
前澤 僕の持論ですが、服のセンスがある人は感受性が豊かで、自分のことをよくわかっています。だからこそ自分に似合う服を選べるわけです。で、自分のことを知っているかどうか、感受性が豊かかどうかは、どんな話からでもわかる。だからファッションに限らず、いろいろ聞きますよ。
採用してから教育するのですか。
背中を見てやって、という“放任主義”です。
前澤 うちは12年の5月から、9時出社で午後3時に終る「六時間労働制」を始めました。仕事は短期間で集中して終わらせて、もっとよそで学んだり、遊んだりしたほうがいい。自由な時間が増えて、趣味や家族とのコミュニケーションに使ってもらい、そこから得たものを仕事で発揮してもらえば、会社にとっても有益じゃないですか。
僕の幸せの大部分は人の幸せが占めている
前澤 金儲けとか勝ち負けに重点を置かないほうがいいと思うんですね。僕の幸せの大部分は、人の幸せが占めています。じゃあ、どうやってまわりの従業員やスタッフ、その先のお客様や取引先、株主を楽しませたり驚かせることができるのか。それを考えてやってきたら結果的に儲かっていたという感覚なので、これからもそれでやっていきたいなと。
田原 前澤さんは嫌がるかもしれないけど、稲盛和夫さんが言う「利他」に通じるところがある。とても興味深いです。これからも注目しています。
対談を終えて
1日「六時間労働」制度を運用する先駆的経営者
ZOZOTOWNはファッションに特化した専門店。最初からファッションに興味のある人向けに設計されていることが強みになっている。
1日六時間労働制の話も興味深かった。一般的な1日八時間労働だと、子育て中の女性は育児と仕事の両立が難しく、それが少子化の一因にもなっていた。
しかし、1日六時間労働ならグッと両立しやすくなる。もちろん男性も育児を担いやすくなるだろう。今後、同社と同じ制度を取り入れる会社は増えるのではないかと思われる。幕張に本社を置くのもユニークだ。このようなところに先鞭をつけた前澤さんの経営者としてのセンスはすごいと思う。
>>趣味を実益につなげられれば、きっと人生が面白くなるに違いない
「企業のリアル」(田原総一朗×若手起業家、プレジデント社)より
(2014年7月2日第1刷発行)
まえがき
僕は年を取って柔軟な思考力を失ってしまったせいか、ニューズを聞くだけでは、彼らのビジネスモデルや、それが生み出す新しい価値についてよくわからないところがあった。しかしポスト・ホリエモンを知るのに、そこは避けて通れない道だ。
だから僕は自分の恥をさらすことをいとわず、懸命に話をきいた。
本書は、僕と彼らの真剣勝負のドキュメンタリーである。
田原総一朗
日本発のスマートフォンアプリ「LINE」。2014年4月、ユーザー数は四億人を突破し、今や台湾、タイ、インドネシア、スペインなど、世界に広がっている。支持されたきっかけは、文字では伝わりにくい様々な感情をイラスト化したスタンプにある。日本を代表するITサービスへ成長したLINEはいかに誕生したのか。
第一章 儲けを追わずに儲けを出す秘密 LINE社長 森川享
1967年、神奈川県生まれ。89年に筑波大学卒業後、日本テレビに入社。99年、青山学院大学大学院国際政治経済学科でMBA取得。2000年、ソニー入社。03年、ハンゲームジャパン(現LINE)入社。07年、同社社長就任。11年「LINE」をスタート。13年4月、ゲーム事業を分離し、社名を「LINE」に変更。同社社長に就任。
どうして差別化がマイナスになるの?
「人が何をほしがるか」を考えなくなるんです
目指したのは「スマホの水」
森川 水のようなサービスをつくりたかったのです。水って要らない人がいないですよね。スマホにおける水は、コミュニケーションです。その分野でトップになろうと試行錯誤しているうちに生まれたのがLINEでした。
田原 松下幸之助さんの水道哲学に近いね。幸之助さんは、水道をひねると水が出てくるように、みんなに家電を行き渡らせるという考えを持っていた。LINEは、まさしく水だ。ところで、LINEはすぐできたの?
森川 いえ、そのころはネット上だけで出合えるツールが流行っていたので、最初は僕たちの意識もそちらに向いていました。ところが、11年に東日本大震災が起きた。最初は自社のツールを使って社員の安否確認をしていたのですが、フェイスブックやツイッターの方が使いやすく、結局はそれで連絡をとり合うようになりました。そうした経験を通して、求められているのは、いまこのタイミングに身近な人、大事な人としっかりコミュニケーションをとれるものだろうと確信。それからLINEのプロトタイプをつくってリリースしたという流れでした。
会議なし、仕様書もなし
森川 インターネットのビジネスが成熟してくると、人は機能よりデザインや気持ちよさでサービスを選ぶようになるという確信を持っています。なので、アイデアが出たら仕様書をつくるのではなく、まずデザイナーに絵を描いてもらいます。それをいじりながら、「これ、いいよね」とか「こうしたら使いやすいよね」となったところで、初めてエンジニアのほうに渡すというやり方をしています。
森川 ユーザーが求めているものと企業が求めているものがずれると、当然、ユーザーは離れていきます。そこをどれだけイコールにできるかがチャレンジ。それをやり続ければ、つぶれることはないです。
森川 僕たちの目的はユーザーさんを増やすこと。もちろんサービス継続のために必要な部分だけは収益モデル化していますが、ユーザーの方がいやがるような収益モデルをやるつもりはないんです。実際、LINEで広告はやっていないですし。
田原 あっ、そうなんですか。広告で儲けてるのかと思ってた。
森川 厳密に言うと、企業の方がユーザーの方とコミュニケーションをするツールとして「公式アカウント」というものがありまして、それは企業の方にお金をいただいています。ただ、ユーザーが登録しないとコミュニケーションがとれないし、企業から送るメッセージも月に二本とか一本という形になっています。つまり、ユーザーの人が見たくないものを見せられるということはないわけです。
田原 そうすると、いま売り上げの内訳はどうなっているのですか。
森川 ゲームやスタンプといったコンテンツの売り上げが大きいです。企業広告の要素がある公式アカウントの売り上げはそれほど大きくない。
田原 他社の話ですが、フェイスブックはどうですか。あそこは上場して、収益化を考え始めたという印象があるんだけど。
森川 そうですね。僕は筑波大学出身なのですが、フェイスブックを使うと、画面に「筑波大学卒業の方へ」っていう広告が出てきます。僕のプロフィールを見て出してくるわけですが、それって気持ち悪いですよね。ビッグデータの時代になると、行動や属性をマイニングされて、それを収益モデルに活かすことになるのでしょうが、使う側からするとプライバシーが守られているのかどうか、不安が残るでしょう。
経営哲学の源はジャズの即興精神
田原 フェイスブックのユーザー数は11億人。LINEは急速に伸びていますが、まだ差がある。いずれフェイスブックを抜くつもりですか。
森川 抜きたいなと思います。ただ、闘うという意識はないです。
田原 それもおもしろい。闘わないで、どうやって勝つの?
森川 闘うことが目的ではないですから。そこが目的になると、ユーザーの求めるものから離れちゃうじゃないですか。とにかくシンプルに、ユーザーが求めるものをつくり続けるだけです。
森川 音楽でもクラシックより、ジャズのインプロビゼーション(即興)に近いと思っています。
対談を終えて
無料なのに広告をとっていないのがすごい
LINEはスタートしてから3年経たずに、利用者が4億人を突破した。今や日本だけでなく、台湾、インドネシア、ブラジル、ロシアなど世界中で使われているという。もともとITサービスは当たると一気に広がるものだが、それにしてもLINEの成長スポードはすごい。
今回驚いたのは、LINEに広告はないということだ。ITにかぎらず、無料で使えるサービスに広告はつきものだ。ところが、森川さんは、「企業が収益化を考えると、ユーザーはそれに気づいて離れていく。だからいま広告はやっていない」と言う。こうした姿勢がユーザーを惹きつけ、結果的に収益の増大につながっている。儲けようとしないほうが、かえって儲かる。それがいまのビジネスのトレンドなのだろう。
>>確かに、ユーザーが求めているものと企業が求めているものをイコールにできれば、それがビジネスになるに違いない
「なくそう婚外子・女性への差別」(なくそう戸籍と婚外子差別・交流会編、明石書店)より
フランスの家族と日本の今 浅野 素女
婚外子差別の撤廃と家族の変容
1972年の法改正の時点で、姦通によって生まれた子どもと、事実婚によって生まれた子どもの区別がなくなりまして、みんな自然子と名前が統一されました。ただし、相続に関しましては差別が残っていました。1年前まではその両親の一方または両方が別の相手と婚姻関係にあった場合には、婚姻関係にある男女の子どもの半分しか相続できませんでした。この点につきましてはフランスでは2000年にヨーロッパ人権裁判所の勧告を受けました。そして2002年、ようやく改正に至ったわけです。とは言いましても、出生証書などの身分証明に自然子などといいう言葉が差別的に記載されることはなかったわけです。さきほども申し上げましたように、出生証書に「一貫性」など全くなく、父が誰で、母が誰で、認知があった時にはその事実が書き込まれる、という形になっています。
家族の変容はここ30年で急激に進んだわけですが、やはり親という概念を婚姻という制度と全く切り離した形で考えられるようになるまでに、これだけ時間がかかってしまったわけです。
フランスの婚外子差別撤廃の時期を見ますと、家族法の改正の動きとぴったり連動していたと思われます。この30年の間に家族は驚くほど変化しまして、婚姻関係というのが家族をつくるうえで必要不可欠事項ではなくなりました。事実婚が増加し、PACSという結婚に準ずる契約が可能になりました。また大人の三人に一人が独身であるというシングル化現象があります。またひとり親家庭が増加しており、子どもの10%がこれにあたります。これらをすべてまとめて非婚化現象と呼んでいいと思います。これは20世紀末社会の最も大きな変容の一つだと言われています。
別の言い方をしますと、婚姻制度に頼るよりも、生活の実績が重んじられるようになったと言ってもよいと思います。また日本でも同じことが言えると思いますが、婚姻制度の枠組みが弱まりまして、女性の経済力が高まったためにカップルは別れることを躊躇しなくなりました。しかも「複合家族」の増加に伴いまして、血縁主義の考え方から脱却して、一緒に生活することから結ばれる絆に対する評価が高まってきました。そして親子関係自体は複雑でまたより広がりのあるものに変化してきたのです。今までは親子関係と婚姻の有無というものを当然結び付けてきたわけですが、それはおかしいという一般認識が生まれ、婚外子差別完全撤廃に至ったのだと思います。
>>日本でも「親子関係と婚姻の有無を当然に結びつけることはおかしい」という世論が盛り上がることが望まれる
「バーバラが歌っている」(落合恵子著、朝日新聞社)より
亜弓はケースから抜きとったCDをプレイヤーにセットする。
嶋容子から贈られて、亜弓がいま一番気に入っているバーブラ・ストライザンドの一枚だった。クラシカル・バーブラとあるように、クラシックを歌っていた。
「正当なクラシックを自任する人は、バーブラ・ストライザンドが歌うクラシックに、きっと眉をひそめているかもしれないわ」
「でも、バーバラさんは、自分のやりかたで、気持ちよさそうに歌っているじゃないの」
「そこよ、フミさん。自分のやりかたで気持ちよくっていうのを認めないひとは結構いるのよ。・・・・・・クラシックにはクラシックのやりかたがある、伝統が毀れてしまうって怒るひとがいる」
「・・・・・・わたしの世代なんか、女は男の後ろにいなければと自分の居場所を決めてきた。・・・・・・男が女に、どこに居ろって言ったこともあるけど、それに従ってきた女も女なのね。・・・・・・男のひとは、いつも前にいなければいけないと思い込んできたし、女もまた守ってもらえるものだと思い込んできた」
「クラシックの決まりってものがあるかもしれないけど・・・・・・、バーバラさんの方法が間違っているとは思えないよ。だって、ほら、現にわたしが楽しいじゃないの」
>>私も、決まりに縛られず、自分のやりかたで気持ちよく楽しく生きて行きたい
「楠田實日記-佐藤栄作総理首席秘書官の二〇〇〇日」(楠田實著、中央公論新社)より
2001年9月25日初版発行
解題――『楠田實日記』で読む佐藤政権 五百旗頭 真
本書は佐藤栄作首相の秘書官を5年半にわたってつとめた楠田實の日記である。楠田が首相秘書官となったのは、佐藤政権発足後、2年3ヵ月余を経た1967(昭和42)年3月1日であったが、日記はその後間もなくの5月15日から始まり、政権終了の1972年7月まで、若干の休止はあっても、ほぼ毎日、かなり立ち入った記述がなされている。
『佐藤日記』は、沖縄返還の共同声明について「満点以上、小生としては120点か」と完全な満足を表明しつつ、繊維問題の厄介さを記し、ジュネーブでの「とりきめの成立を望むのみ」としている(11・21)。沖縄返還を英断しつつ、他方で自由貿易の原則に直面して、佐藤としては応ずるほかなしと判断し、その時点ではそれほど重大化するものとは考えていなかったのである。しかしながら、いずれにしろ、沖縄返還に成功し、総選挙で300議席の勝利を得たあとも、佐藤首相が勇退しなかったこと、ニクソン大統領が日本に説明と協議をせずに米中接近を発表したこと、田中角栄が佐藤首相の後継者の座を手にしたこと、これら70年代を開く運命的な出来事に、繊維の密約は影を落としているように思われる。
歴史は一回性を本質とし、同じ状況は存在しない。それでいて状況に対処する政治の困難さには変わらぬものがある。『楠田實日記』はあの時点で課題に立ち向かった一つの記録である。今日、冷戦後の世界と国内社会の流砂の如き事態を想えば、さらに状況は困難ですらあろう。そうであれば、時代の挑戦への対処能力も高められねばならない。「明日へのたたかい」が繰り返し沸き起こることが本書の願いであるに違いない。
>>これからも、常にいろいろな課題に立ち向かい、たたかい続けて行きたいと思う
「日本の風俗嬢」(中村淳彦著、新潮新書)より
第六章 性風俗が「普通の仕事」になる日
もうそろそろ、建前での議論をやめて、性風俗業は社会にとって必要であり、あること自体を当然と考えたほうがいい。そのような認識が浸透し、現実的な議論が進むことで、安全な環境の下で安心して働けるという風俗嬢たちの最低限の権利が、一日も早く実現することを願うばかりである。
あとがき
過酷な状況を理解して、それでもなお足を踏み入れるならば、風俗嬢たちは、個人事業主という意識をさらに強く持つ必要があるだろう。身近にいる従業員やスカウトマン、求人サイトの言葉をすべて鵜呑みにするのではなく、本書のような書籍などに目を通し、法律や歴史、規制、経営に関することなど、自らのかかわる仕事に対して最低限の知識を持ち、売りものである自分を客観的に判断しながら価値が少しでも高く認められる場所を探さなければならない。
業界には、まったく風俗に行ったことのない層や、女性客を掘り起こすことが求められるようになるだろう。たとえば現役を退いた団塊世代、たとえば上位1%強の富裕層といった「未開拓」の客層に向けたイノベーションが求められるはずだ。短期的な売り上げのために目先の性的快楽の記号化に走り、料金を安価にするだけでは悪化の一途をたどることは確実で、社会の流れを加味しながらの長期的展望を含んだ意識がもっと必要になってくる。
>>風俗業界に求められるイノベーションが発見できたら凄いことになるだろう
「人口減少と少子化対策」(高橋重郷・大淵寛編著、原書房)より
おわりに
第2次安倍政権は、これまでの政権が重視してこなかった、あるいは認識してはいても実質的に対応してこなかった少子化問題に積極的に取り組む決定をした。このことは大きく評価すべきであろう。しかしながら、少子化対策に対する議論の中には、従来の子育て・育児支援に大きく偏向した議論があり、「少子化問題=待機児童問題」となるもの、学童保育の不足、夫の家事・育児支援の不参加、ワーク・ライフ・バランスの議論等々が大きく注目され、さらに政府の有識者会議の構成も、そのような分野のメンバーによって構成されてきた。出生率低下の約9割は、初婚行動に起因する要因によって説明され、それ以外は1割でしかない。少子化の原因と考えられる可能性のあるものを列挙していくと、多種多様なものがあがってくるであろうが、まずそれらを「初婚行動に影響を及ぼすもの」と「それ以外に影響を及ぼすもの」に、あるいは「そのどちらにも影響を及ぼすもの」に分類して政策的優先度を考慮していかなくては、「1.57ショック」以降に費やした時間と同じ時間を消費することになろう。
また、少子化対策と地方創生の関係についても、冷静な考察が必要であるように思う。わが国の人口は縮小傾向にあり、かつ東京への人口の一極集中の状況であることは明らかである。地方自治体にとって、出生率の上昇をもたらす対策を実施していくと、妊娠から出生までの妊婦検診、出生後の乳児健診、保育、初等教育、中等教育と自治体としては財政支出に関わるものが18歳まで続いていくことになる。その後、高等教育機関の存在や雇用機会の創出がなくては、就学や就職のために、他の自治体に移動していくことになり、せっかく育てた人口が税収に結びつかない問題が発生する。東京への一極集中の構図の背景には、こうした背景が存在し、まるでブラックホールのように、東京が人口を吸収していっていると言えよう。人口減退に苦しむ自治体では、税収に結びつく人口の転入が喫緊の課題であり、産業振興や企業誘致が最重要の対策と考えられる。つまり、地方創生と少子化対策は、同じ問題ではなく、次元の異なるところでの課題であると言えよう。
>>安倍内閣で、より実践的で具体的な出生率向上のための施策を実施して欲しい
「人口減少と少子化対策」(高橋重郷・大淵寛編著、原書房)より
また、内閣府の経済財政審会議の専門調査会である「選択する未来」委員会は2014年5月13日にこれまでの議論の中間整理(案)として「未来への選択(これまでの議論の中間整理)」を公表した(「選択する未来」委員会2014)。現状のままの出生率では今後50年間は人口減少社会が継続し、経済規模の縮小、人口オーナスと縮小スパイラル、格差の固定化・再生産、地方自治体の4分の1以上が消滅可能性、東京の超高齢化、財政破綻リスク、国際的地位の低下が生じるとしている。そのための対応として、①「希望を実現できる環境(理想子ども2.4人、現実は1.7人)をつくり、50年後に1億人程度の安定した人口構造を保持する、②「経済を世界に開き、『創意工夫による新たな価値の創造』により、成長し続ける」、③「年齢、性別にかかわらず意欲のある人が働ける制度を構築し、女性、若者、高齢者がこれまで以上に活躍できる」、④「『集約・活性化』と個性を活かした地域戦略を進め、新しい発想で資源を利活用し、働く場所をつくる」、⑤基盤的な制度(社会保障・財政)、文化、公共心など社会を支えている土台を大切にする」といったことを目指している(「選択する未来」委員会2014)。「50年後に1億人」の根拠となるのは、2030年に合計出生率が2.07まで上昇した場合、2060年には20歳未満20.7%、20~64歳46.3%、65歳以上33.0%となり、年齢階層間の不均衡は、現在の推計結果よりも解消すると推計されることである。そのために、「抜本的少子化対策」として、子どもを持つことによる経済的負担を最小限にとどめるための制度・仕組みの見直し、資源配分の重点を高齢者から子どもへ大胆に移行し、出産・子育て支援を倍増(費用は現世代で負担)。さらに「子どものための政策推進と意識化変革」として、少子化対策を子どものための政策という視点から見直すとしている。具体策は2014年度末に最終報告で示される予定となっている。
「選択する未来」委員会の提言を受けて、政府は「経済財政運営と改革の基本方針2014~デフレから好循環拡大へ~」(いわゆる「骨太方針」2014年6月24日閣議決定)の中で、「日本の未来像に関わる制度・システムの変革」の望ましい未来像に向けた政策推進の一つとして「人口急減・超高齢化に対する危機意識を国民全体で共有し、50年後に1億人程度の安定した人口構造を保持することを目指す」として人口政策目標を掲げている(内閣府2014)。また、「地方創生」という観点から、首相官邸に「まち・ひと・しごと創生本部」を設置し、「人口急減・超高齢化」に対応するために「政府一体となって取り組み、各地域がそれぞれの特徴を活かした自律的で持続的な社会を創生すること」を目的としている(首相官邸2014)。創生本部では「若い世代の就労・結婚・子育ての希望実現」、「『東京一極集中』の歯止め」、「地域の特性に即した地域課題の解決」を3つの視点として掲げ、「魅力あふれる地方を創生」することを目的として担当大臣を設置、有識者懇談会などを行い、2014年11月に「まち・ひと・しごと創世法案」等の地方創世関連2法案が可決・成立した。
>>政府は机上ではなく、より実践的で具体的な政策による出生率向上を目指すべきである
「人口減少と少子化対策」(高橋重郷・大淵寛編著、原書房)より
第5節 少子・高齢化、人口減少への対応としての数値目標
わが国の合計出生率は1974年に「人口置換水準」を割って以来、一度もその水準に戻ることなく低下を続け、2005年には戦後最低の1.26となった。この出生率の水準は、「超低出生(very low fertility)」状態にあるといわれ先進国の中でも最低水準である(Caldwell and Schindlmayr 2003)。その後2006年から出生率は反転し、2013年には1.43まで回復したが、2013年の102万9,800人という出生数は2005年の106万3千人よりも少なく、これは出産可能な女性人口の減少による。さらに、この間の出生率の変動の大部分は、これまで先送りされていた出生が取り戻された一時的な変動である可能性が高く(金子2010)、今後の出生率の見通しは依然として不透明である。
長期的に低い出生率の中で、わが国の人口は2008年の1億2,808万4千人をピークに人口減少時代に突入した。人口減少の規模は、2010年代では毎年30~50万人ずつ減少し、その減少規模は年を経るごとに増加し、2040年代には年間100万人の減少となることが推計されている(国立社会保障・人口問題研究所2012)。それに伴い、高齢化率は2010年23%から2060年には39.9%へと増加する。65歳以上人口は2042年の3,878万人をピークにその後減少するが、他の年齢層の減少の規模が大きいため、高齢化率は増加し続けることになる。
このような少子・高齢化の進行に対する対応策として、3つの方策が考えられる。第一は、この少子化の流れをくい止めるための積極的な対策を行う。例えば、EUなどで行われている家族・労働政策、日本の少子化対策など。第二は、増大する高齢者の福祉の向上と年金支給年齢の引き上げ・支給水準の切り下げ、介護予防施策や本人負担などによる社会保障負担の軽減、第三は、少子・高齢化は国民の選択の結果であることを受け止め、減少していく人口の中で国民の幸福が達成されるような社会の構築が求められるといったミクロ的視点による対応である。
2014年に入り人口や出生率に関する数値目標を掲げる動きが官民の両方で出てきている。まず、全国的な議論を巻き起こした日本生産性本部「日本創生会議」の「ストップ少子化・地方元気戦略」がある(2014年5月8日公表、座長:増田寛也東京大学大学院客員教授、以下「増田レポート」)。「増田レポート」では、「ストップ少子化戦略」(国民の希望出生率の実現、子育て環境と企業の強力、男性の育児参加など)、「地方元気戦略」(東京一極集中への歯止め、地域の多様な取り組みを支援)、「女性・人材活躍戦略」(女性、高齢者、海外人材の活躍推進)の3本柱で人口減少の深刻な状況を国民の基本認識にし、長期的かつ総合的な視点から政策を迅速に実施することを提言している。また、市区町村別に20~39歳女性人口の将来推計を行い、2040年の同女性人口規模が50%以上減少する自治体を「消滅可能性」のある都市として認定している(日本創生会議2014)。同レポートでは人口問題に関する全国的な議論を巻き起こす結果となり、「消滅可能性」都市と認定された市区町村はその対応に追われるなど、「増田ショック」とも呼ばれる衝撃を与えた。同レポートでは、基本目標の中で「国民の『希望出生率』の実現」として出生率の数値目標を掲げ、「結婚をし、子どもを産み育てたい人の希望を阻害する要因(希望阻害要因)の除去に取り組む」(日本創生会議2014)としている。「希望出生率」は合計出生率換算で1.8と試算されており、2025年に1.8、2035年に2.1となった場合、総人口は2095年に約9,500万人規模になり、高齢化率は26.7%となると試算している。
>>政府においても、EUなどで行われている家族・労働政策をより深く研究し、可能な制度を早期に導入して出生率の向上を図るべきである
「人口減少と少子化対策」(高橋重郷・大淵寛編著、原書房)より
7点の「課題」に続いて、「取りまとめ」では、以下の3点の「提言」を行っている。
提言1.新しい大綱の策定に向けた検討
残業時間や、税制についての検討を進めるための研究会を立ち上げる必要がある。
提言2.少子化対策集中取組期間の設定と施策の総動員
都市と地方の相違から、従来の子育て支援を中心とした少子化対策のみならず、地域活性化、女性の活躍促進、若者の雇用対策、定住促進等の関連政策との連携など、様々な施策を総動員した、政府内に戦略本部を置くなど政府を挙げた抜本的な少子化対策を目指す。
提言3.残された課題に対する議論の深化
少子化対策における目標の設定については、あくまでも国の目標であり、個人にプレッシャーを感じさせないようにすべきであるとしている(内閣府2014g)。
2014年9月には、森まさこ少子化対策特命大臣は退任し、後任として有村治子参議院議員が任命された。このように、2013年3月からの第2次安倍内閣での少子化対策は、従来の子育て・育児支援、働き方改革に加え、少子化の原因の大部分を占める、再生産年齢期間に属する青年達の未婚問題や晩婚化問題、そしてそれに伴う晩産化の問題として「結婚・妊娠・出産」の局面にフォーカスを当ててきた。
2014年9月の安倍改造内閣には、内閣府特命担当大臣として少子化対策の他に、地方創世担当(国家戦略特別区域)が設置された。この担当として、石破茂衆議院議員が選任された。地方創生については、2014年5月に日本生産性本部が設置した「日本創生会議」による「ストップ少子化・地方元気戦略」という報告書により、このままの少子化状態が継続するとわが国の多くの自治体が消滅する可能性があること、その結果、日本人口も激減し、これまでの社会システムを維持することが不可能になることなどから、急激に少子化対策の議論が高まった背景がある。
>>将来、より実践的で具体的な方策を取り纏めた上で、有村治子少子化対策特命大臣あて建白して行きたいと思う
「人口減少と少子化対策」(高橋重郷・大淵寛編著、原書房)より
はしがき
日本の合計出生率が1974年に人口置換水準の出生率を割り込み、人口学的にみて潜在的に人口減少を生じる人口状況に入った。1970年代半ば以降、合計出生率は持続的に低迷し、一貫して人口置換水準の出生率からはるかに下回っている。2013年現在で合計出生率は1.43人と、人口置換水準の出生率2.07人の7割弱に相当するに過ぎない。
序章 日本と欧州の低出生率と家族・労働政策
日本社会は、出産や子育てが、いまだに夫婦やその家族の私的行為としてみる考え方が根強く残っており、子どものいる多様な家庭を国や社会が積極的に支える仕組みを構築することが重要であると考えられる。
第9章 第2次安倍内閣の少子化対策
第4節 「少子化危機突破タスクフォース(第2期)」の取りまとめ
1.都市と地方のそれぞれの特性に応じた少子化対策
都市では著しい低出生率や若者の高い未婚率、待機児童、子育てと仕事の両立の困難の諸問題があり、地方では就学や就職による若者の都市への流出や、出生数の減少などによる人口減少という異なる問題が存在する。都市と地方のそれぞれの特性に応じた少子化対策に国と地方自治体、都道府県と基礎自治体がそれぞれ連携し一体となって取り組む必要がある。
2.少子化対策のための財源の確保
少子化を反転させたフランスやスウェーデンなどの欧州諸国では、家族関係社会支出は対GDP比で3%超であるが、わが国は1%程度にとどまっている。抜本的な少子化対策に取り組むためには、まずは対GDP比2%の財源の更なる確保が必要である。また、社会保障財源の配分が年金、医療、介護に大きく傾斜し、次世代への投資にバランスを欠いている点などの問題がある。対策の効果を国民と共有し、国民からの支持を高めるよう努力するとともに、その負担とそれにより受けられる支援を「見える化」し、必要な財源を確保していく必要がある。
3.結婚・妊娠・出産・育児の「切れ目のない支援」のための地域少子化対策強化交付金の延長・拡充
2013年度補正予算により創設した「地域少子化対策強化交付金」は、都市と地方のそれぞれの特性に応じた、結婚・妊娠・出産・育児の「切れ目のない支援」のための取組を支援するものである。この交付金は、地方自治体の多様なアクションを促進する前提となるものであることから、2015年度以降についても継続及び拡充する必要がある。
4.妊娠・出産等に関する正確な情報提供
妊娠・出産等に関する情報提供・普及啓発の内容、提供手法については次の4点に留意した情報提供を行うことが重要である。
4-1.医学的・科学的に正しい情報提供
4-2.個人の自由な選択尊重
4-3.社会関係の喚起
4-4.誰もが正しい情報にアクセスできる環境
5.少子化危機突破の認識共有に向けて
5-1.社会全体における認識共有
5-2.企業における認識共有
6.施策の整理・検証(「CAPD」サイクルの実施)
7.少子化対策の目標のあり方の検討
>>政府において、まず、欧州各国の出生率が上昇した背景の分析と対GDP比2%の財源の確保が望まれる