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「失われた志」


「失われた志」(城山三郎対談集、文春文庫)より


「満州」という名の物語が終わるとき 浅利慶太

 理屈っぽい話で恐縮ですが、日本人というのは大変演劇的な民族なんです。能、狂言、文楽、歌舞伎などいろいろのスタイルの演劇様式をもっている民族は日本人ぐらいです。季節が四つあって、農耕民族である、という風土からきているのでしょう。

 それほど芝居は日本人の生き方と密着しているから、江戸時代には、緊縮令、倹約令が出ると真っ先に弾圧されました。つまり政治に影響を与えるくらい大きいエネルギーをもっていた。それが明治維新以降はまったく萎えてしまった。なぜかというと、演劇が西欧の文物を取り入れるためのひとつの窓口、いわば啓蒙主義の場になるということで、劇場が演劇的な喜びから遠ざかってしまったからです。そして民衆に見捨てられた。戦後になって、経済はよくなってきたけれども、演劇を支える人たちはあいかわらず啓蒙主義、観念主義から抜け出せない。だからいっそう民衆の生活から離れて、日本演劇は将来生きていけなくなるのではと思えるほどの危機になった。

 その立場に立たされた僕たちにとっては、日本演劇に観客を取り戻すというか、市民生活の中に演劇を戻すということが非常に大きな問題でした。ミュージカルはそのための手段です。そしてそれはほぼ実現できた。あとは、ミュージカルの演目の内容を多様にしていったり、ミュージカルで劇場に来る喜びを味わった人たちをもう一度、今度はドラマに呼び戻してくるという作業が残っています。


 李香蘭はイノセントとはいっても、純真、無垢だったかもしれませんが、無実だったかどうかはわかりません。人間というのは犯意がなくてやったことでも罪に問われますから。僕としては、李香蘭は処刑される可能性が強かった人だと思っています。それがなぜ帰って来れたか。蒋介石が「対日戦の処理については以徳報怨の思想をもって行う」といったことが遠因のひとつです。それから周恩来も、たとえば撫順の戦犯収容所で誰も処刑せずに返すよう指示した。彼はそのとき「いまここで彼らを返すことの意味は将来わかる」と言ったそうです。大変な政治家だったと思いますが、これも一種の以徳報怨ですね。


>>劇団四季の李香蘭は遠大なスケールに基づく作品のようだ


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