「帝国としての中国」(中西輝政著、東洋経済新報社)より
新版へのまえがき
「政治主義」という中国文明の一大契機に忠実に、「政治」の必要に応じて「真実」は操作されるべきであり、もしそれが許されないなら道徳や秩序はいっさい成立しないのではないか、という確固たる価値観がある。日中の歴史論争の根底にも、それが横たわっている。一方、日本人にとって、それに応じるには深い呵責――ときには耐え難い――を背負うことになり、内面のカオスに陥ってしまう。ここに日中関係に独特の困難、つまり「文明の衝突」という構造があるのである。
>>「政治」の必要に応じて操作された「真実」には注意が必要だ
「イギリスの智慧」(中西輝政・マークス寿子 著、中公叢書)より
私が二度目にケンブリッジへ行った時に下宿していたフラットは、労働社階級――といっても年金生活をしているおばさんたちです――が多く住んでいる地域にありました。そこでたまたま、今後の選挙では誰に投票しますかという話をしていたら、「サッチャーなんか大嫌い」と言ってずっと労働党を支持していた中年の女性が「今回はやっぱりサッチャーに投票しなくちゃいけない」と言い出したのです。私が「どうして」と反問すると、「今はやっぱり国全体がおかしくなっているのよ」と。あれを見ろ、これを見ろ、公園でこんなことがあった、スーパーマーケットでこんなことがあった、という話を始める。
イギリスでサッチャーと同年代の女性は、エリザベス女王をはじめ、サッチャーが大嫌いという人が多いのです。そのおばさんも例にもれずサッチャーが大嫌いだと公言していたのですが、ある時期を境にそういうふうに変わってしまったのです。私はその変化がとても興味深かったものですから、もっとしつこく聞いたら、「今の労働党はすべてに失敗した。彼らは破産した。国がおかしくなった時には、自分の好き嫌いを横において判断を下さなくてはいけない、と親が言っていた」と言う。彼女の親というのは、選挙民が利己的になりすぎて国力が徐々に低下するのを放置し、その日暮らしの政治の惰性を許したため、結局庶民がいちばんひどい目に逢った1930年代の経験を持っているのですね。その世代は、二つに一つのギリギリのところに来たら、好き嫌いや感情で投票をするのは、有権者の義務を果たさないことになるのだ、という自分たちの失敗の教訓を次の世代に残していたのです。
>>日本の庶民にも、いつか、イギリスと同じような智慧が身に付く日が来るんだろうか。