「17歳のための世界と日本の見方」
「17歳のための世界と日本の見方」(松岡正剛著、春秋社)より
イスラム教は7世紀のはじめにマホメット(最近はムハンマドと表記します)によってつくられますが、これはなんと世界で初めて最初から文字を持った宗教でした。すなわち『コーラン』はその当時の各地の文字を使って、それを一章一節ずつ使い分けて書いてあるんです。これは大いにウケた。いわば方言がそのまま入っているからです。だからイスラム教はあっというまに広まっていったんです。ついでにいえば、イスラム教は最初から軍隊をもった宗教でした。このこともイスラム世界の拡張に拍車をかけました。
マホメット(ムハンマド)の死後わずか24年で、イスラムは西アジア全域に拡大します。その勢いはさらに拡張して、8世紀になるとイベリア半島に侵入して、西ゴート王国を滅亡させる。当然、ヨーロッパにとっては大変な脅威です。
その勢いはとまりません。ついにイスラム軍がピレネー山脈を越えて、いよいよヨーロッパに侵入をはかろうとしたときに、いまのフランスの元になったフランク王国のカール・マルテル将軍がなんとかがんばってイスラム軍を撃退します。この勝利はいまでもヨーロッパ人が誇りとしているもので、「トゥール・ポワティエの戦い」といいます。
もしここで敗けていたら、ヨーロッパはイスラム世界に完全にとりこまれていたかもしれない。たしかにヨーロッパから見れば、これは史上最大の危機を回避した戦いだったといえるわけですね。
イスラム世界は西方にばかり広がったわけではありません。東方にもどんどん勢力をのばしていった。いまもパキスタン、インド、インドネシアをはじめ東南アジアにはイスラム教のモスクがたくさん残っていますし、イスラム教徒がたいへん多い。なかには過激派もまじっています。
もっとも、イスラムも一つの国として完全にまとまっていたわけではありません。マホメットの死後、アラブ人たちを中心とする「スンニー派」と、イラン人たちが中心の「シーア派」とに別れるのですが、これは現代の中東世界でも深刻な宗教民俗抗争が続いているほど、互いに相容れない二大勢力になっていきます。歴史的にも現在も、スンニー派のほうが圧倒的多数派です。
ここはちょっと重要なことなので、ぜひおぼえておいてほしいのですが、ヨーロッパではあのすばらしく先駆的だった古代ギリシアの人間文化遺産を、中世でかなり失っていたんです。キリスト教世界がヨーロッパを覆いつくしたことによって、それらはひそかに封印されてしまったのです。前にも言ったように、アリストテレスの著作の一部は長らく禁書扱いにされていました。
ところが、そのギリシア文化はイスラム世界によって継承されていったのでした。ようやくルネサンス時代になってから、ヨーロッパはかつて失われたギリシア文化をもう一度発見していくのですが、それはアラビア語に翻訳されたギリシアの文献を、もう一度ラテン語に翻訳し直すことによって、ようやく取り戻すことができたものでした。
もしもイスラムがギリシア文化を継承してくれていなかったら、ヨーロッパは永遠にギリシアというものを失ったままだったでしょう。もちろん、今のようにぼくたち日本人がソクラテスの哲学やアリストテレスの論理学を学ぶということもなかった。それだけではありません。イスラムが独自に深めた科学や数学の知識も多く、たとえば今の世界中の会社や企業が使っている簿記の仕組みはイスラムが発明したものです。
>>イスラムのギリシア文化継承に感謝
イスラム教は7世紀のはじめにマホメット(最近はムハンマドと表記します)によってつくられますが、これはなんと世界で初めて最初から文字を持った宗教でした。すなわち『コーラン』はその当時の各地の文字を使って、それを一章一節ずつ使い分けて書いてあるんです。これは大いにウケた。いわば方言がそのまま入っているからです。だからイスラム教はあっというまに広まっていったんです。ついでにいえば、イスラム教は最初から軍隊をもった宗教でした。このこともイスラム世界の拡張に拍車をかけました。
マホメット(ムハンマド)の死後わずか24年で、イスラムは西アジア全域に拡大します。その勢いはさらに拡張して、8世紀になるとイベリア半島に侵入して、西ゴート王国を滅亡させる。当然、ヨーロッパにとっては大変な脅威です。
その勢いはとまりません。ついにイスラム軍がピレネー山脈を越えて、いよいよヨーロッパに侵入をはかろうとしたときに、いまのフランスの元になったフランク王国のカール・マルテル将軍がなんとかがんばってイスラム軍を撃退します。この勝利はいまでもヨーロッパ人が誇りとしているもので、「トゥール・ポワティエの戦い」といいます。
もしここで敗けていたら、ヨーロッパはイスラム世界に完全にとりこまれていたかもしれない。たしかにヨーロッパから見れば、これは史上最大の危機を回避した戦いだったといえるわけですね。
イスラム世界は西方にばかり広がったわけではありません。東方にもどんどん勢力をのばしていった。いまもパキスタン、インド、インドネシアをはじめ東南アジアにはイスラム教のモスクがたくさん残っていますし、イスラム教徒がたいへん多い。なかには過激派もまじっています。
もっとも、イスラムも一つの国として完全にまとまっていたわけではありません。マホメットの死後、アラブ人たちを中心とする「スンニー派」と、イラン人たちが中心の「シーア派」とに別れるのですが、これは現代の中東世界でも深刻な宗教民俗抗争が続いているほど、互いに相容れない二大勢力になっていきます。歴史的にも現在も、スンニー派のほうが圧倒的多数派です。
ここはちょっと重要なことなので、ぜひおぼえておいてほしいのですが、ヨーロッパではあのすばらしく先駆的だった古代ギリシアの人間文化遺産を、中世でかなり失っていたんです。キリスト教世界がヨーロッパを覆いつくしたことによって、それらはひそかに封印されてしまったのです。前にも言ったように、アリストテレスの著作の一部は長らく禁書扱いにされていました。
ところが、そのギリシア文化はイスラム世界によって継承されていったのでした。ようやくルネサンス時代になってから、ヨーロッパはかつて失われたギリシア文化をもう一度発見していくのですが、それはアラビア語に翻訳されたギリシアの文献を、もう一度ラテン語に翻訳し直すことによって、ようやく取り戻すことができたものでした。
もしもイスラムがギリシア文化を継承してくれていなかったら、ヨーロッパは永遠にギリシアというものを失ったままだったでしょう。もちろん、今のようにぼくたち日本人がソクラテスの哲学やアリストテレスの論理学を学ぶということもなかった。それだけではありません。イスラムが独自に深めた科学や数学の知識も多く、たとえば今の世界中の会社や企業が使っている簿記の仕組みはイスラムが発明したものです。
>>イスラムのギリシア文化継承に感謝