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「時代と闘った男たち」



「時代と闘った男たち」(監修:会田雄次、PHP研究所)より


 豊臣秀吉 ⇒ 不世出の出世男


 およそ人が成功者となるとき、天下をその手に握るときには、「天の時、地の利、人の和」という条件を併せ持っていなければならない。

 豊臣秀吉がまさにそうだ。

 日本市場で最大の出世人である秀吉が、尾張中村の百姓の息子から身を起こして天下人にのし上がることができたのも、天の与えてくれた絶好のチャンスを逃さず、自分の置かれた状況を最大限に利用し、人々の心を巧みに掌握して協力を得たためであった。

 しかし、この天下取りの三つの条件のうち、基本となるのはまず「人の和」であろう。

 引き立ててくれる人々、盛り立ててくれる人々の力だ。

 それが背後にあってこそ、地の利も生かすことができ、訪れた天の時を確実にものにできようというものである。



 天正五年、信長は柴田勝家を大将として北陸に攻め入らせたが、秀吉もその配下として出陣した。しかし、勝家と意見が衝突するや、勝手に戦線を離脱し、長浜に引き上げてしまった。当然ながら信長は怒って秀吉を安土に出頭させて叱りつけ、謹慎を命じた。

 平謝りして長浜に戻った秀吉は、それから連日、遊女や芸人を呼び寄せてどんちゃん騒ぎをつづけた。家臣らが、「これではかえって信長公の御機嫌を損ずるのでは・・・・・・」

 と心配すると、秀吉は、

「もしわしがじっとおとなしくしていたら、あの信長公のことだ。猿め、何かよからぬことを企てているのではないかと、あらぬ疑いを招きかねない。これでいいのだ」

 と笑い飛ばしたという。秀吉がいかに信長の性癖を洞察していたかがうかがわれよう。事実、信長はあきれかえり、それ以上の秀吉の処分はしていない。そればかりか、この年から始まる中国の毛利攻めの総大将に任命している。この命令を受けた秀吉は信長の前にまかり出て、「中国路などはただちに平定してごらんに入れましょう。その暁には、中国の領土は御家来衆にお与えください。その後は九州を平定しましょう。そして大船を仕立て、朝鮮に攻め入ります。私に褒美をくださるというなら、朝鮮をくださるよう、お約束ください。挑戦の後は、お子様方のどなたか一人を総大将に戴き、明国をも手に入れましょう」

 といってのけた。これも秀吉が日本の領土にはいささかも野心は持っていないということを、大言壮語に託してさりげなく信長に伝え、あらぬ猜疑心を持たれるのを避けたのだった。


>>「人の和」を重視し、人の心をつかむ名人だった秀吉にあやかりたい



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