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「人間の器量」③



「人間の器量」(福田和也著、新潮社)より


  伊藤博文の周到


 山口県の下関市内に、櫻山神社というお社があります。

 奇兵隊の隊士を祀る神社です。

 やや急な階段を上ると、高さ1メートルほどの石柱が数百個ならんでいる。

 奇兵隊隊士の墓ですね。

 最前列真ん中の吉田松陰の墓が少し大きいのですが、それ以外の墓柱大きさはみんな一緒です。

 山縣有朋や井上馨といった元老、重臣の墓石と、百姓義助、大工蓑吉、力士大衛門といった石が均等に並んでいる。

 ここにこそ、日本のデモクラシーがある、と私はいつも思うのです。

 身分に囚われず、国事に奔走するものを平等に扱う、平等の原理が明らかに示されている。

 吉田松陰が説き、高杉晋作が奇兵隊として形にして見せた、四民平等の共同体がここに具現されているのです。

 伊藤博文は、長州デモクラシーの胎動から生れてきたのです。

 伊藤は、百姓ともいえない身分から出てきた。

 父に連れられて、長州藩内を転々としているうちに、萩に越してきた時、近くにあった松下村塾に入って、ここから運が向いてきた。

 薩摩の西郷、長州の松陰と云うけれど、実際、松陰という人は、何もしていない人です。

 
 何もしていない、というのは乱暴ですが、それに近い。

 
 松下村塾という私塾を営んでいただけです。

 けれども、その塾が爆発的な意義を歴史にもたらした。


 高杉晋作も、久坂玄瑞も、山縣有朋も、品川弥二郎も徹底的に褒めた。


 褒められてしまうと、どうしても期待を裏切りたくなくなる。

 ところが、伊藤博文はあんまり褒められなかった。

 「周旋の才あり」という具合ですね。

 交渉が上手いということですね。たしかに間違っていないけれど、若者がよろこぶ評価ではない。

 でも、あまり褒められなかったのが、かえって良かったのかもしれない。


 その分、距離をとって、ちょっと僻んでいる位なのがよかったのかもしれません。

 いずれにしろ、松下村塾の仲間に加えて貰ったのはよかった。

 特に遊び好きの高杉晋作と井上聞多(馨)の二人とつるむようになった。


 伊藤といえば、女性関係についても避けられません。

 晩年まで漁色を続けて、倦む事がなかった。

 本人が常々「予は麗わしき家屋に住まおうという考えもなければ、巨万の財産を貯うるという望みもなく、ただ、公務の余暇、芸者を相手にするがなによりだ」(つや栄『新橋三代記』)と言っていたほどです。


 先に言及した池辺三山は、伊藤博文を藤原鎌足とも並べています。

 鎌足は蘇我一族を討伐し、政権を握った後、大化の改新をして、一挙に中国の文物を導入した。

 伊藤も明治維新に参画し、ヨーロッパ文明を日本に一気に導入した点で似ている、と。伊藤は内閣を作り、憲法を作り、議会政治を作っただけではありません。

 華族を作り、勲章を作り、みずから公爵になり、勲章をたくさん貰いました。

 そういう事について、まったく衒いがない。名誉が好きで、その名誉をおおっぴらに楽しんだのですね。

 俗物ぶりも、ここまで来ると器の大きさを感じさせるからたいしたものです。


>>伊藤博文の器の大きさに少しでもあやかりたい


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