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「艦長たちの太平洋戦争」



「艦長たちの太平洋戦争」(佐藤和正著、光人社NF文庫)より



 孫子の兵法<戦艦「大和」艦長・松田千秋少将の証言>


 フィリピン沖海戦では、私は「日向」に乗艦して「伊勢」を率いて出撃したんだが、二十四日に栗田艦隊がシブヤン海で苦闘して、いちじ西方に避退したんだが、これが小沢機動部隊とひじょうに関係があるんだ。

 栗田さんが避退する前にね、フィリピン基地航空隊が敵艦をやっつけて、われわれの前方に傷ついた敵の戦艦が三隻残っているから、「伊勢」「日向」は残敵を追いかけて、大砲でこれを撃破すべしという命令が出たんだ。そこで私は駆逐艦四隻をともなって、前衛部隊として、「瑞鶴」など空母部隊の本体から離れて南進したんだ。私はね、これは命がけだけれど、いい機会だと思ったんだ。栗田部隊も出る。「伊勢」「日向」も北から出るとなると、米機動部隊を南北からはさみ打ちにすることになり、ますます成功の公算が強くなるわけです。

 それでどんどん南下していくと、水平線上に盛んに光芒がひらめいているんだ。これは友軍機が夜間攻撃をやっているものだと、私は考えたんですよ。しかし、このまま突っこんでいくと、夜中ですから、友軍機と同士打ちをやる可能性があるので、夜明けを待とうと思い、南進から東進に進路を変えたんです。

 ところが、栗田さんは、こっちが突撃の態勢をとっているとき、反転の電報を打ってきたんだね。それで小沢長官は、栗田部隊が反転したのに、松田部隊だけが進撃しても意味がないということで、私の部隊に反転して、主隊に合同せよと命令を出されたんです。それで私は、突入をあきらめて北進するわけです。

 ところが、まもなく栗田部隊は、シブヤン海で再反転して進撃を再開したでしょ。この再反転という電報を小沢部隊はうけてないんだ。それをうけていたら、また話が違ってきたんだ。この戦いが終わったあとで小沢長官は、栗田部隊が再反転してレイテ湾に向かって突撃していることを知らなかった、と言ってましたよ--」

 これは重大な証言である。

 栗田部隊がシブヤン海で大空襲をうけ、戦艦「武蔵」が撃沈されるほどの猛襲に耐えかねて、進撃路とは反対の針路をとって反転したのは十五時三十分だった。そして、反転したことを大本営や連合艦隊司令部、機動部隊などに通報電を打ったのが十六時である。小沢機動部隊本体が、この反転電をうけとったのが二十時であった。

 このとき小沢長官は迷った。栗田部隊が反転してから、すでに四時間を経過している。それなのに、それ以後なんの連絡もない。そのまま退却したのか、それとも再反転するのか、情報はまったくない。ところが、その間に、連合艦隊司令部が十八時十三分発電で、「天佑を確信し全軍突撃せよ」という伝令を下している。とすると、栗田長官は、この伝令をうけて再反転し、再突撃するかもしれない。米軍にしても、栗田部隊は脅威のはずだ。かりにそのまま退却したとしても、明二十五日には、米軍は総力をあげて栗田部隊を追撃することが予想される。それなら機動部隊本隊としては、たとえ自隊の存亡を賭しても、あくまで牽制作戦に出るできであろう。

 小沢長官はそう判断した。そして、栗田部隊の再反転を期待していたが、いつまで待っても、栗田長官から再反転を知らせる電報が届かない。そこで小沢長官は、栗田部隊は退却したものと判断せざるを得なかった。それなら自隊と栗田部隊とは相当の距離を逆方向に進んでいることになり、機動部隊本隊がこのまま進撃をつづけるなら孤立することになる。そこで小沢長官は、艦隊をいちじ反転北上させることにし、二十一時二十七分、松田部隊にたいして、「前衛は速やかに北方に離脱せよ」と電令したのである。この電令を松田司令官が、「日向」の艦橋でうけとったのが二十二時十六分であった。

 松田司令官はこの電令をうけて、ちょっととまどったが、栗田部隊が突入を断念してすでに反転しつつあることでもあり、作戦は米軍の反撃によって阻止されたとみなさざるを得ない。おそらく機動部隊としては、明日の戦闘に備えるために態勢を立てなおすのであろうと判断、二十二時三十分に進撃を中止、針路を北へ向けたのであった。

 まさにちょうとその頃、米機動部隊のシャーマン隊(空母レキシントン、エセックス基幹、軽空母二、戦艦二、軽巡三
駆逐艦十六、このうち軽空母プリンストンは特攻機の命令で沈没)が、松田部隊の南方、至近距離にたっしていた。しかし、両軍とも、これにまったく気がつかなかった。

『--おたがいにまったく知らなかったわけで、もしあのまま突っ込んでいたら、私の周りは敵だらけで、おそらく全滅していたでしょうね。戦後、米軍側は、松田隊が、なぜ東進したか理由がわからない、と戦史に書いていますけど、友軍機の夜間攻撃だと思った光は、じつはイナズマだったんですね。これは私の判断が誤ったものだったんです。そいういう事件が米軍側ではわからないから、私の行動がナゾに思えたんでしょうね。

 北上しはじめて間もなく、夜が明けたんですが、水平線場で、敵機が空母に着艦しているのが見えましたよ、眼鏡で。だから、すぐそばにいたんですよね。ですから、栗田さんが反転の電報を打たなければ、私はそのまま突っ込んでいたわけです。これは私としては悪運ですよ。だから戦さというものは、ほんとうに面白いものだと思いますね--』

 こうして、小沢部隊は、栗田部隊が反転した以上、単独で戦闘することの愚を避け、戦場から避退しはじめたわけである。ところが、事実は、栗田部隊は十七時十四分に、シブヤン海上で再反転、ふたたび進撃を開始していたのであった。

 この栗田部隊の再反転を知らせる電報は、なぜか打たれていなかった。なぜ栗田長官は再反転したことを、連合艦隊司令部および関係部隊に知らせなかったのか。これは重大なミスといわねばなるまい。この作戦は、栗田部隊と小沢部隊との連携作戦であった。しかも、松田部隊が本隊から先行して進撃していることを、栗田長官は知っていたはずだ。この松田部隊突撃の知らせは、「大和」に十七時十五分に着電している。それならなおさらのこと、再反転したことを、栗田長官は知らせるべきではなかったか。大きなナゾの部分であるといえよう。

 栗田長官が、進撃を再開したことを知らせる電報を打ったのは十九時三十九分、ミンドロ島サンホセ基地に派遣してあった自隊の水上偵察機の指揮官に、「第一遊撃部隊進撃中、レガスピー東方およびレイテ湾総合敵情速報せよ」と打った電報である。この電文で再反転したことがわかるが、連合艦隊司令部にも、小沢機動部隊にも到達しなかった。それがはじめてわかったのは、二十一時十五分に、スリガオ海峡に向かっている西村部隊に発電された命令である。

「第一遊撃部隊主力は二十五日○一○○サンベルナルジノ海峡進出、サマール島東方接岸南下、同日一一○○レイテ泊地突入の予定・・・・・・」

 この電報は、連合艦隊司令部では受信されたが、小沢部隊までは受信されなかった。したがって、いぜんとして小沢長官は、栗田部隊の行動を把握できないまま、二十五日の敵空襲をうけることになったのである。

 今日、問題とされていることは、小沢部隊がハルゼーの機動部隊を北方に吊り上げることに成功し、その報告電を打ったにもかかわらず、栗田長官座乗の「大和」に無電が届かなかった、ということである。小沢長官は、二十五日の午前七時三十二分に、米軍機の触接を打電し、つづいて八時十五分に、「敵艦上機約八十機来襲・・・・・・」と第二報を打電した。以後、「瑞鶴」は被弾したため送信不能となったが、この二つの電報は、ともに栗田長官のところには届いていない。

 電報の不達原因は、今日なお、不明で問題になるところだが、しかし、小沢長官にとっては、栗田部隊はすでに退却したと思っているのだから、積極的に、敵部隊の吸収を報ずる必要がなかったといえる。したがって、電文もきわめて短いものだし、二報しか打電していない。第一報から第二報まで四十三分もの間がある。もし、栗田部隊に敵誘致成功を知らせるのなら、もっと多くの情報を打電してしかるべきだろう。自艦が通信不能になったのなら、「大和」や「日向」に、送信を代行させるのがオトリとしての責務であろう。そうしなかったところをみても、小沢長官が、栗田部隊の再反転を知らなかったことの信憑性がうかがわれる。

 栗田長官が、敵情を得られぬまま、暗中模索の進撃をし、レイテ湾を指呼の間に見ながら反転し、幻の敵機動部隊を追って北上するという錯誤をおかしたのも、原因はシブヤン海での再反転を通報しなかったという、作戦要務の処理場のミスにかかっていると考えられる。これは、ひとり栗田長官だけでなく、第二艦隊司令部の不手際といわねばならない。

 さて、松田部隊は二十五日午前七時、主隊と合同した。小沢機動部隊は、針路を零度にとった。このまま小沢部隊も敵情を得られなかったら、内地へ帰還するコースである。ところが、まもなく敵機に捕捉され、熾烈な海戦が展開されることになった。

 
>>栗田部隊の反転からの再反転と松田部隊の北進に通報の重要性を見る



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