「下半身のおんな」
「下半身のおんな」(家田荘子著、リヨン社)より
下半身にある人格
この下半身の行動は、持ち主の人格そのものを表している。だから、下半身の取材をすると面白い。
裸になったら、同じ男性。競えるのが、下半身そのものしかないとなった時、人格が顕著にあわられて、男性そのものが、もっと面白くなると、私は思う。
下半身がつくる時代
もともと日本という国は、太古の昔より性に対して、大らかだった。天の岩戸の伝説の話にはじまり、戦国武士は、何人もの愛人に子供を産ませていたし、江戸時代には大奥もあった。
庶民も負けずに大らかすぎたから、姦通罪ができた時代もあった。
また売春宿は、男の遊び場の定番で、赤線や青線、吉原遊郭がなくなってから、まだたったの半世紀余りしか経っていない。
現在の下半身模様について、厳しく言う論客も多いが、昔と同じ大らかな意見の文化人や識者も多い。
ただ昔は、もっと節操や、思いやり、人情が下半身を取り巻く事情を包んでいたのではないかと私は思う。
下半身を取材すれば、やっぱり、その人の上半身、つまり建前や肩書きを取り払ったその人間の本質そのものが姿を現す。
今後これから、どんな下半身が社会を、そして時代を作っていくのだろうか。
現在の既成概念、固定観念、常識を覆し想像を超えた現象に下半身は辿り着くことになるかもしれない。しかし、太古の昔がそうであったように、明るく、大らかで、けれども思いやりのある下半身でいてほしいと願うのだ。
2007年3月30日 初版発行
>>人格が顕著にあわれる下半身に責任を持てる人間になりたい