「自省録」(中曽根康弘著、新潮社)より
漂流を続ける日本
「政治というものは、なるべく手を出さないで事態を見ているのがいい」、つまり「無為の政治がいい政治」という誤った民主主義政治の理解が、政治家の中にさえあります。こうした怠惰な政治姿勢に対して戦後マルキシズムがもたらした「国家の悪の機構」という知識人の迷妄が結びついて、現在の政治の空洞化を招いたのです。
本当の民主主義とは、国民全員が、直接、指導者をつくり出すことなのです。
そして大型政治家が目指すべき改革、取り組むべき課題は、内閣をつくり、壊すこと、あるいは憲法改正です。派閥の締め付けは弱くなっているのに、若手から政治生命をかけて堂々と国策を示し国の進路を明示する改革者が出てこないのは不思議なくらいです。目立つのは、妙な小細工ばかり弄する出世主義の集団です。
我が国では戦前の昭和十年頃から二十年の敗戦まで、約十人の総理が出て短期内閣で政治が漂流しました。歴代内閣に政治や国家統治の確固とした基本原則とその遂行がなく、軍や一部の政治家とジャーナリズムの扇動の中にその場その場の臨床的対応に追われついに意に反して戦争に突入しました。戦後、冷戦終結後の1991年以降の日本の政治が正にこれに似て、政治は漂流して今日に到りました。今や現代日本政治の基本的改革について真剣に考えなければならない時が来ています。
以前は日本がどうあれ世界に影響を及ぼす事態など想定する必要はありませんでした。しかし、私たちの時代に、ようやく国際舞台の一員として存在感と影響力を世界に向けて示すことが出来るようになったのです。現在の日本には、国際的責任があるのです。
日本の政治家、国民それぞれに求められているのは、「志」を持つことです。それがなければ、日本の将来は暗澹たるもので、やがては亡国の道を辿りかねません。
ローマ帝国がなぜ滅亡したのか、カルタゴがなぜ消え去ったのか。それらの問題を深く思索しているのが塩野七生の『ローマ人の物語』ですが、私たち日本人はその歴史を振り返ってみる必要があります。
司馬遼太郎は、明治の興隆期を著した『坂の上の雲』という小説の中で、明治には国の志があったが、今の日本にはないと憂え、日本は亡国の淵に臨むと戒めて逝かれました。
私は、代議士のバッジは外しましたが、一野人政治家として、これからも尽きることのない熱情を傾け晩年の力を尽くして、日本の危機を回避したいと念じています。教育基本法や憲法を改正し、二十一世紀の日本の国家像を確立する夢を胸に、国家の行く末をしっかりと明定したいと念願しているのです。
>>政治生命をかけて堂々と国策を示し国の針路を明示する改革者の出現が望まれる
「自省録」(中曽根康弘著、新潮社)より
北朝鮮問題にはどう対処すべきか
ここからは、日本にとって安全保障上の最大の懸案である北朝鮮問題について論じたいと思います。北朝鮮の核問題に関しては、北京での六カ国協議が続いていますが、まだ大きな進展は見えません。
まずアメリカが北朝鮮問題をどう考えているかですが、イラクも北朝鮮も同じ「ならずもの国家」と規定しながらも、北朝鮮に対するアプローチは、イラクに対するそれとは大きく違っていることに着目すべきです。
アメリカはイラクに対しては軍事的強攻策を取ったわけですが、北朝鮮に対しては、フランス、ドイツ、ロシアが対イラク政策で取るべきだと主張した、国際協調を大事にして、外交戦略で真綿で首を絞めるようなやり方を取っています。
なぜかといえば、一つにはアメリカといえども、イラクと北朝鮮の両方を同時に攻撃するという二正面作戦を取る余裕がないのです。また、北朝鮮の隣には中国という大国があって、北朝鮮が中国の一種の緩衝国のような立場にあるので、中国をあまり刺戟し過ぎないように、慎重に対処しているところがあるのです。
北朝鮮に核兵器の開発をやめさせることには、中国も基本的に同調しているので、北朝鮮問題ではアメリカは中国の力をうまく使おうとしているともいえます。
第一回小泉訪朝の際にも、金正日総書記は拉致を認めて謝罪しました。これで彼らは話が済むだろうと考えたようですが、日本は逆の反応を示しました。このような錯覚は、北朝鮮の外交が稚拙だからです。求愛を恫喝でやれば、成功すると思っているのかもしれないが、それは錯覚なのです。
北朝鮮問題については、日本とアメリカと韓国の三国がしっかり陣営を組んで、三位一体で臨むことが何よりも大事です。この関係が崩れると、北朝鮮にすき間を狙われる危険性がありません。そこで心配なのは、韓国の盧武鉉政権がどのような対北朝鮮政策を取っていくかです。
対北朝鮮政策についてはかつて五原則というものを提唱したことがありますが、この基本的な考えに変わりはありません。五原則とはこうです。
第一、北朝鮮に関する問題は包括的に解決すべきで、部分解決はない。
第二、拉致問題と核兵器廃絶が第一関門である。
第三、韓国に対して与えた条件以上の条件は与えるべきではない。
第四、経済協力は、最終段階で決められる問題である。
第五、日米韓三位一体で対応にあたらなければならない。
日本としては、こういう基本線を堅持しながら、アメリカと提携しつつ、韓国を巧みに誘導して、同じ方向に進むように斡旋して、その周りに中国やロシアを入れて、核兵器廃絶問題について協力を得るのです。これが、日本の対北朝鮮政策の基礎であるべきだと考えます。
>>まずは国として拉致問題を早期に解決することが必要だ
「自省録」(中曽根康弘著、新潮社)より
日本の取るべき外交・安全保障戦略
では、国際社会が「一強多元世界」の傾向を強めていく中にあって、日本はいかなる外交・安全保障戦略を取るべきでしょうか。
主なポイントは三つあると思いますが、まず第一は、海洋国家としての戦略を明確に持つことです。先にも飛べたように、日本は基本的に海洋国家であって、資源に乏しい貿易立国であり、常に水平線を見ていなければ生きていけない国家です。その意味ではイギリスに似ています。海洋国家、貿易国家としての戦略を確立することが大事です。将来、中国との関係を考えると日本の海洋国家路線は必要でしょう。
第二は日米関係です。日本はアメリカと同盟関係にあり、日米同盟は最も大事にしていかなければなりません。だからといって、アメリカと無条件に提携していればそれでいいかというと、決してそうではありません。アメリカは「一強」である意識が強いため、時にアメリカ的心情に凝りすぎる傾向がありますが、植民地政策にはまったく未経験の未熟な国ですから、イラク統治で困難に遭遇しているような事態にこれからも陥りかねないのです。いかなる国も固有の文明や文化を維持して生きているという多元的世界の共存の思考からいえば、アメリカは行き過ぎることがあるのです。そういう場合には、日本は植民地政策の経験も豊富なイギリスとも組んで、アメリカの行き過ぎは是正していかなければなりません。多元的な世界という基礎に立って、世界的な調和を実現する基本戦略をもつことが重要です。
そのためにも第三に、日本は自国の安全保障について、ある程度の独自性、自主性を持たなければなりません。さらに自主防衛力を強化すべきです。もちろん日本は核兵器を持たないので、核による抑止についてはアメリカに依存しなくてはなりませんが、しかしそれ以外の面では独自の安全保障力をもって、外交安全保障戦略を確立すべきです。そういう独自性のある戦略を持っていなければ、仮にアメリカに忠告をしなければならないような場合に、何もできません。
日本の防衛の原則とされてきた「専守防衛」という考え方については、それ自体はいいとしても、「専守防衛」の概念の中身は考え直すべき必要があるのではないでしょうか。たとえば、相手方が日本に対して、いまにもミサイルを発射して、大量破壊兵器を使ってくるという危険性が明らかに迫ってきたような場合には、日本としては、その相手方のミサイル基地を、日本からのミサイルで攻撃するというようなことも考えなくてはいけないかもしれません。これも一種の専守防衛として、です。
これまでは、こういう危険についてもすべてアメリカに依存して、日本は何もしなくていいという考え方でしたから、日本は長距離ミサイルや爆撃機は持たなくていいという基本方針できましたが、これを改める必要が出てきたと考えます。日本も独自の外交安全保障戦略を持って、現在の防衛体系について検討を加え、国民的合意を得て、必要な改革を実行していくべき時期に来つつあるということです。これは憲法九条の改正問題にも絡んでくる問題ですが、憲法改正以前にも解決できる問題もあると思います。
>>集団的自衛権行使を含めた独自の外交安全保障戦略を確立することが必要だ
「自省録」(中曽根康弘著、新潮社)より
「一強」というアメリカの自覚
冷戦が終了してからは「散乱の時代」が続いてきたわけですが、21世紀に入ってから起こったのが、ニューヨークの9・11であり、イラク戦争の勃発でした。この二つの事件が、「冷戦以後の時代」にまた新たな変化を与えつつあります。
いま世界では新たな歴史的大転換が起こっており、密かに新たな形が形成されつつあります。現代のアメリカの動向について、「ローマ帝国の再現」というような文学的表現をあえて使いましたが、その新たな形というのは、一言で言って、「一強多元世界」が出現しつつあるといの観測です。
「一強多元世界」とは、アメリカが「一強」という自覚をもって、自らが信じる理想や正義を力をもって世界的に拡大していく。その中で、他のさまざまな国々が多元的なパワーゲームを展開しているという構図です。
一方、イラク戦争直前の段階で、フランス、ドイツ、ロシアが、国連の手続きがまだ済んでいない、武力行使を実行するには、以前の国連決議の中身では弱いなどといって、武力行使には反対の姿勢をとりました。しかしアメリカ側からすると、それらの国々が政治ゲームに走って、事態を意図的に遅延させようとしていると見えたでしょう。四月に入ると、砂嵐の季節が来て、軍事力でイラクを打倒するチャンスを失うかもしれず、さらに一年伸びるとなると、2004年の11月には米大統領選があるので、年初めからは選挙運動をしなければならず、戦争のタイミングを失ってしまいます。そういう情勢分析をもとに、ブッシュ大統領は、2003年3月にイラク戦争を決断したのだと思います。
私はこの種の国際的大問題を処理するにあたり、国家や政治家は次の三つの点を考慮する必要があると言ってきました。一、国際法はもちろん考慮されるべきものですが、万能ではない。二、世界的、歴史的意義と結果への評価を目測する。21世紀はテロとの闘いの世紀です。ある政治決断が、臨床的判断では否定的に評価されがちでも、歴史的結果的には有意義なものであることが少なくありません。三、国益を考慮する。イラクの場合は北朝鮮への効果と米国の成否が日本に甚大な影響を与えます。この判断から私はアメリカを支持したのです。
ポストイラク戦争の世界が「一強多元世界」になっていく中で、いくつかの変化が生まれてくると考えられますが、特に、三つの変化に注目すべきだと思います。
第一は、湾岸地域の政治地図が変わってくる可能性です。イラク暫定政府に関しては、2004年6月末に、イラク人に主権を委譲することになっていますが、現状から言えば、その後もアメリカ軍は長期的にイラクに駐留することになるとみられます。仮に首都バグダットや他の都市からアメリカ軍が引き上げても、航空基地および飛行場周辺は確保して長期的に利用することになる可能性大です。当分はテロ対策のため殆どの要所に兵力を配置する必要があるでしょう。
中世の十字軍以来、キリスト教徒の進出に対して、この地域の回教徒は警戒心と反感を持っています。ましてや、典型的なキリスト教国で、しかもユダヤ人勢力がかなり支配的な力を持っているアメリカが湾岸地域に鎮座することには非常に強い危機感を持つのも当然です。
だからこそ、イラク占領統治を成功させるためには、イスラエルとパレスチナの独立国家共存体制を実現しなければならないのです。
湾岸地域で何か紛争や問題が起きた時に、乗り出して調整役を果たせるのは、むしろ日本です。なぜなら、日本はあの地域では割合に過去に傷がなく、しかもこれまでも経済協力を熱心にやってきたという歴史があるからです。
したがって、イラク戦争後の湾岸諸国の政治については、日本はアメリカと協力しながら、そしてときにはアメリカに忠言しながら、あの地域の安定化に協力していくべきです。
第二に考えるべきは、中東全体の石油政策に変化が起こる可能性です。
イラク戦争の結果、アメリカがイラクの石油にかなりの支配力を持ち、日産で約三百万バーレルもの原油が得られるようになりました。基本的にアメリカは湾岸の石油の値上がりを嫌う傾向が強いのです。このこと自体は、中東への石油依存度が高い日本にとって決して悪くはないことです。石油価格には不安定要因がこれからもつきものですが、アメリカがイラクの石油をある程度支配して、原油価格や生産体制などに強い発言権を持つようになると、OPEC(石油輸出国機構)との関係にも変化が生ずるかもしれません。
第三は、戦争の体系そのものが変化するかもしれないという問題です。
対イラク戦争ではコンピューターを駆使した精密誘導兵器、衛星、航空母艦といったものを有機的に結合させた最先端兵器が使用されたのです。こうした軍事技術の著しい進展によって、アメリカの戦争のやり方そのものが大きく変わったといえます。可能な限りアメリカ兵を殺さないで戦争をする形に変わってきたのです。そして、さらに軍事技術が進歩すれば、その方法が攻撃する相手国の市民をあまり殺傷させない戦争形態に変わってゆくでしょう。
戦争形態の変化は、発展途上国や普通の国力の国にはあまり大きな影響は出ないかもしれませんが、G8の国々への影響は多大なものになるにちがいありません。いずれも自国の防衛体系や戦争体系を再点検して、彼我の国民は出来る限り殺傷しないで、重要な軍事ポイントだけを長距離から攻撃するような先進軍事技術体系に転換することになるでしょう。この点は、当然、わが防衛庁も考慮しなければなりません。
>>一強のアメリカとの連携を強化しつつアジアの安定に貢献することが必要だ
「自省録」(中曽根康弘著、新潮社)より
漂流する日本と小泉政権の登場
「散乱の時代」が到来して、90年代は各国・各地域がアイデンティティの確立に邁進する中で、日本だけがアイデンティティの確立を怠って、国家の方向性が定まらず、漂流を続けていたのです。90年代は、バブル経済が崩壊して、経済的に低迷した「失われた十年」とよく言われますが、単に経済的な意味だけでなく、日本は国家として喪失状態の十年間を漂ってきたわけです。
日本にとって「冷戦期」はある意味でいい時代でした。アメリカに協力して、高度経済成長を実現して、私が総理を務めた80年代に入ると、国際的な発言権もかなり回復していました。
しかし、やがて国家としての金属疲労が出てきて、私の言う「三つのバブル」が崩壊した。第一が「政治のバブル」の崩壊です。いわゆる「金丸問題」に代表される政治の腐敗が出てきて、自民党が分裂。その後は十年間に総理大臣が十人も入れ替わり立ち代り登場する連立内閣の政治の漂流がありました。第二が「経済のバブル」の崩壊です。大蔵省が主導する護送船団方式が批判され、金融機関の不良債権問題が表面化し、経済全体が不況に陥った。第三が「社会のバブル」の崩壊という問題です。犯罪が増加して、学級崩壊といわれるほど教育が崩壊してしまったのです。
こういう「三つのバブル」の崩壊があって、日本は漂流し始めたわけですが、その事態を収拾しようという意味もあって、小泉内閣が登場します。しかしその登場のやり方が、これまでの自民党政治家とは大いに変わっていて、いわゆる自民党内の既成勢力に依存するのではなく、国民大衆からの支持を基に、既成勢力だった自民党と対決するというジェスチャーを小泉君は取ったのです。総裁選では「自民党をぶっ壊す」とセンセーショナルに宣言して、党内支持ではなく、国民からの支持も得て、総裁選に勝ち抜きます。そして、政権発足当初は世論調査で80%もの支持率まで獲得したのです。まさにそれはポピュリズムの手法でした。小泉君はいまもその延長でやっており、大統領的首相を満喫しているといえましょう。
小泉君はいわば「変人首相」ですが、日本全体が「変人社会」になったから、「変人首相」が出てくることができたという面があります。というのも、「冷戦期」の自民党政治を基盤としていた相対的安定が金属疲労を起こして、それを乗り越える新しい政治の体系を国民が要求したからです。換言すれば既成勢力、既成秩序からの脱皮です。そうした流れに、小泉君は「自民党をぶっ壊す」という表現でうまく乗っかり、これまでの自民党の既成勢力は、“抵抗勢力”だと言い放って、「われは白、向こうは黒」という対決方式で、国民の支持を得たのです。
冷戦期の自民党時代というのは、相対的に安定した政治社会体制が出来上がっていたので、ある意味で、国民自体が“粘土”のような存在だったと思います。ところが90年代に入り、世界全体が「散乱の時代」に入り、各国が自らのアイデンティティを模索したように、日本国民もおのれのアイデンティティを探して、自己主張を持つようになり、かくして、国民は“粘土”から“砂”に変わったのです。小泉君は、その砂に乗っかる戦略をうまく成功させたのです。
>>漂流する日本から脱出することを安倍政権に期待する