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2026-01-18

社会が語られない問題

今の日本で「社会を語る」表現が避けられているように見えるのは、作り手が内向きになったからというより、そもそも成立条件そのものが変わってしまたからだと思う。

20世紀には、社会輪郭がまだ単純で、誰が被害者で誰が加害者かを一枚の構図にできたし、作品がそのまま「社会への発言」として機能した。

今は、問題は細かく分断され、責任拡散し、社会は確かに存在するのに、一つの絵として描きにくい。

 

現代では、社会を直接語ろうとすると、別のリスクがあらわれる。

特定立場表明だと受け取られ、誤読炎上政治的ラベリングさらされ、「浅い」「勉強不足」と切られやすい。

とくに若手や学生にとっては、語った瞬間に作品だけでなく人格倫理までまとめて評価される感覚が強い。

そうなると「社会を語るのは危険で割に合わない」という判断は、かなり合理的になる。

 

そこで表現候補になるのが私的内面だ。

自分経験感情反証されにくく、誰にも完全には否定できない。

これは逃げではなく、失敗確率いちばん低いテーマ選択でもある。

若い作り手が私小説的になるのは、思想が小さいからじゃなく、リスク管理として最適だから、という側面が大きい。

 

私的表現のものが悪いわけではない。

問題は、私的もの私的なままで止まり社会接続されないことだ。

家族身体不安記憶アイデンティティは、本来どれも社会構造と強く結びついているのに、多くの作品では「私の感情」が「私の感情」で完結してしまう。

そこにあるはずの制度歴史構造という媒介が省略される。

 

から差別化できない」「戦略的でない」と言われる。

同じ世代が似た語彙とテーマを使い、作品の背後にある視座が見えず、「この人でなければならない理由」が弱くなる。

問題私的であることではなく、私的ものをどう社会化するか、その設計が足りない点にある。

 

現代日本現実的に「社会に触れる」方法は、20世紀型の大きな主張や正義宣言ではないだろう。

社会を直接語るのではなく、制度インフラ手続き空間データを通して示すこと。

私的体験を、そのまま出すのではなく、なぜそれが生まれたのかを制度や慣習、環境翻訳すること。

あるいは「社会」そのものではなく、人と制度身体規範個人アルゴリズムといった関係のかたちとして描くこと。

 

現代日本では、誰もが共有できる単一社会像が存在しない。

それを語るためには、自己社会の接点を見つめ、戦略的に語るための物語設計必要になっている。

2025-12-24

ブリーダーから子猫を迎えたが悪徳だった

12月初旬、猫をお迎えした。正確に言うと家族がお迎えした。

子猫ブリーダー曰く3ヶ月。

元々実家でも猫を飼っており生まれたばかりの猫を育てたこともあるので

生後三ヶ月にしては小さ過ぎないか

というのが感想だった。あとはちゃめちゃに可愛い

現在1歳になる猫を元々飼っており、もう一匹そろそろ飼いたいね〜なんて言っていたら家族がお迎えしてきた。(新しくお迎えして良いかの打診はもちろんあった)

ペットショップブリーダーのお店らしい。私はそのお店に一度も行ったことはない。

お迎えをした家族の話を聞いていたら中々香ばしいので書いてみる。

HPで見た子猫を見に行ったら別の柄の子がでてきたので指摘すると「写真は小さい頃で大きくなったので柄が変わった」

⇨今でもHPにその写真の猫は販売中で掲載されている

・今買わないと明日には卸してしまうから買うなら今

ペット生体代+安心パック?(ワクチン代・血統書マイクロチップ)の金額記載されていたのに追加で血統書代を払わされた「自家繁殖の子血統書は別」

食事は1日2回で良い(3ヶ月なのに????)

まりペットショップブリーダーなどに一人で行く経験のなかった家族はあれよあれよと契約をしてしまい、当日お迎えをしてきた。

猫って当日お迎え出来るもんなの???

そして連れて帰ってきた猫と対面。

小さい、なんか小さいし毛がみすぼらしい。生後すぐ拾った子猫でも三ヶ月の時もっともふもふしてたぞ。

体重を測ると700あるかないか

ただ可愛い。はちゃめちゃに可愛い子猫ってだけで可愛い、この可愛さは刹那的な可愛さだと思う。もちろん大きくなっても可愛いが。

謎の母子手帳(追加料金有り)と一緒に1回目のワクチンの接種の記録も貰ってきた。えらい。

誕生日記載されており、HP掲載されている現在販売中の猫と同じ日付。

同じ母猫からまれてきたなら納得だが、本当にそうなのか?疑問を感じながら該当のお店をネット検索する。

・お店全体がおしっこ臭い

・お迎えした子が病気だった

血統書が送られてこない、何度も請求したら恫喝された

環境がかなり劣悪

兄弟が居ると聞いていたのに血統書を見たら記載がなかった

色々レビューに書かれていた。

家族よ…なぜそのお店でお迎えしたんだ。せめてネットで調べてからそのお店に行ってくれ。

お迎えしてからは数日の軟便。

移動のストレスかなと考えていたが、1日2回の給餌で消化不良を起こしていただけだった。多分。

1日4〜5回にしたら軟便も治り体重が劇的に増えた。

一週間で毛艶も良くなり体重も増した。

先住猫と会わせる準備しないとなーと思っていた矢先。

子猫くしゃみをした。1日に数回、それも数日続いて。ただ鼻水はない、食欲、排便、うるさいくらいに元気。

風邪の気配を察知し家族に手洗い励行のお触れを出す。

元々隔離していた部屋で遊ばせていたが、ふと謎の悪臭を感じた。

周りを見渡せどうんちは無い。居るのは猫だけ。

風邪不安も相まって慌てて子猫用のキャリー突っ込み病院GO

ただの季節的なくしゃみなら二回目のワクチンも打ちたかった。

不安に襲われながら病院に連れていけば、わんぱく子猫が大好きな老若男女から死ぬほどモテた。こんなにモテたのは人生初だった。

やはり子猫はすごい。

診察室に呼ばれ、先生くしゃみをするが元気ならワクチンをしたい旨を伝えたところおもむろに耳をめくる

十中八九ダニだね」

ダニでした。

もう耳の中真っ黒。毛色で全然気付かなかった自分をぶん殴りたい。悪臭も多分これ。

この量ならブリーダーのところで感染したんだろうということで、耳の洗浄、点耳薬、風邪の疑いがあるので抗生物質、先住猫のダニの薬(隔離してても飼い主を媒介に移る可能性があるのでこれは必須だった)

耳を掃除して貰ったからか、ふやけたコーヒーかすの様なものが落ちる落ちる。

キャリーの中に黒いゴミが散乱しケージにもそれが飛び散っていた。(数日経っても時折大きなカスが取れて落ちている)

絶句

その日はケージの中に居てもらい、数日はケージから一切出さずに生活して貰った。というか現在進行形でそうしてる。

ダニはその黒いゴミの中にダニの卵やダニ本体が居るため可能であれば布製品は捨てた方が良いらしいが、

悲しいかな前日にニトリでNウォームの猫ベッドを買ってしまった私は泣く泣く布団乾燥機ダニ抹殺モードで熱消毒をしたうえで洗濯機にかけた。(ただの洗濯では落ちない)

ケージの二段目に布が貼り付けてあるところはドライヤーで熱した上で掃除機もした。

ちなみに先住猫は普段とは異なるダニの薬にすごい顔をしていた。10分くらいは斜め後ろに傾いてた。

これを書きながら、

杜撰なお店だったからこれマジで健康診断がっつりちゃん野良猫と同じレベルでやった方が良いのではないか?と思っている。

あと病院に行くのを一週間先送りにしなくて良かった。年の瀬にこれだったら多分忙殺されてただろう。

ブリーダーに連絡しないのか?と思う人もいるが、せいぜい出来て「交換しますか?」と言われるくらいで後は無理だと思う。

契約書にもウィルス性の病気が判明したら交換するといった記載しかなかった。先天性の病気があったらどうすんのか。あと多分耳ダニが居るのをわかってると思う。

脈絡もなく書き連ねたが、

私が想像もできない劣悪な環境で育ちこれからどんな疾患が発覚しようとも、やはり家族として迎えた責任愛着もあるし当たり前に治療をし終生大事にするが、ブリーダーに関しては色々納得してない。

商売の道具にするならもっと手厚く大事にして欲しい。商品だと言うならその商品を丁寧に扱って欲しい。命として見れなくなってても、商品としてはちゃんと見て欲しい。

誰に話せることでもないので此処で吐き出す。

あと早く抗生物質よ効いてくれ全然くしゃみ治らんぞ。

最後に言いたいのはやっぱり猫は可愛い

2025-12-21

あらゆる人はいつか死ぬ

これは真理であるだろう。

死なない人などいまだかつて存在しないのだから

そう、全てのあらゆる人は死という永遠の夜へと還っていく。

私の肌や、眼球や内臓や毛髪や骨たちが、炎を媒介にして夜へと還っていくとき

ある種の懐かしさとともに、その夜を迎え入れられたなら。

私は自分人生作品と呼ぼう。

2025-12-16

シバンムシ食品や畳を食害する害虫ですが、人体に直接害はなく、病原菌媒介しません。しかし、シバンムシの幼虫に寄生する「アリガタバチ」が人を刺すため、シバンムシ=アリガタバチの二次被害サインとなり、駆除必要不快害虫です。益虫とは言えず、発生源(乾燥食品、畳など)の特定駆除・予防が重要です。

シバンムシの主な特徴と問題点

食品害虫: 乾麺菓子香辛料漢方薬ペットフード、畳、ドライフラワーなど、乾燥した植物質を食害します。

繁殖力: 25℃前後湿度60%で繁殖やすく、4月10月頃に大量発生することがあります

人体への影響: 虫自体は無害で、噛んだり刺したりせず、誤飲しても食中毒心配はありません。

二次被害: 幼虫に寄生するアリガタバチが人を刺すことがあり、痛みやかゆみ、腫れを引き起こします

シバンムシを「益虫」とは言えない理由

「益虫」の定義: 農業生態系人間にとって有益害虫駆除するなど)な虫を指します。

シバンムシ役割: シバンムシは「分解者」として自然界では重要ですが、家屋内では「食品・物品の害虫」として扱われ、駆除対象です。

リガタバチによる被害: シバンムシが「ありがたい(益虫)」のではなく、寄生するアリガタバチが刺すため「ありがた迷惑」な存在となります

対策と予防

発生源の特定と廃棄: 発生源の食品を捨て、乾燥食品は密閉容器へ。

清掃: ダンボール食品カスなどを放置しない。

駆除: 殺虫剤エアゾール燻煙剤)を使用する。

環境管理: 湿度管理温度管理を徹底する。

2025-12-07

anond:20251207095232


🟥 第3章:タタルスキー広告コピーライターとして“覚醒”する章

第3章は、タタルスキーが 初めて“プロコピーライター”として本格的な仕事を始める 章です。

ここで、彼は 広告言語の魔術的な性質 を体で理解しはじめます

第2章までは「入口」でしたが、

第3章でタタルスキーは完全に“広告の回路”に接続される

という重要な章です。

◆ 1. タタルスキーコピーライターとして出勤

翌日。タタルスキー指定された代理店へ初出勤する。

ボロボロの服

ソ連的な内気さ

• かすかな不安

しかし“自分言葉を操る人間だ”という自尊心もある

オフィスに入ると、昨日と同じような 軽躁的で混沌とした空気 が流れている。

• 誰もが急いでいるようで、何をしているのかわからない

• 口々に英語単語を使っているが意味曖昧

プレゼン資料は装飾ばかりで中身は空っぽ

しかし金が動いている雰囲気だけは強烈

タタルスキーは「これはソ連とは別の論理で動く世界だ」と直感する。

◆ 2. 最初正式仕事外資系ブランドの“ロシア向け翻訳

タタルスキー最初に任された舞台は、

外資ブランドロシア市場向けコピー作成

しかし実際には翻訳ではない。

しろ翻案」、もっといえば「魔術的再創造」。

課題本質

英語スローガンロシア語に直すと絶望的にダサい

外資は“アメリカ的なノリ”をロシアでもそのまま通用させたい

しかロシア消費者文化的背景がまるで違う

• そのギャップを“言語魔術”で埋める必要がある

まりタタルスキーの役目は:

アメリカイメージロシア無意識の中に植え付ける“媒介”になること。

ここに、後のストーリー全体を貫くテーマがすでに露出している。

◆ 3. タタルスキー脳内で起きる“広告の詩的生成”

タタルスキーは机に座り、与えられたコピーを見つめる。

それは短い英文だが、

直訳すると完全に意味不明で魅力がない。

彼は頭を抱えるが、その瞬間、脳内

ロシア語の深層にある神話連想

が動き出す。

ロシア語の語感

• 古い詩の記憶

スラブ神話の片鱗

ソ連時代プロパガンダのリズム

冷笑皮肉

• そして“ブランド”という新しい偶像への直観

これらが混ぜ合わさり、

まるで向こうから降って来るように コピー生まれる。

ここが第3章の核心。

タタルスキーは気づく。

広告コピーは“現代の詩”ではなく、

現代呪文”だ。」

この理解は、後に政治宗教広告が融合する最終局面に繋がる“重大な伏線”になる。

◆ 4. 広告代理店上司・同僚たちの反応

タタルスキーの作ったコピーを読んだスタッフ驚愕する。

• 「これはロシア的でありながら、西側的でもある」

• 「何を意味してるのか分からないが、売れそうだ」

• 「この曖昧さが逆にイイ!」

広告世界に詳しい彼らは、すぐにタタルスキーが“異常に適性が高い”ことを理解する。

特に上司は、こう見抜く:

「タタルスキー、お前は“意味をつくる”才能がある。

今の時代意味の方が物より高く売れるんだ。」

(※タタルスキーはここで“イメージ産業本質”を初めて理解する。)

◆ 5. タタルスキー違和感快感心理描写

タタルスキーは、自分の生み出したコピーを見て奇妙な感覚に陥る。

• これは本当の意味では何も言っていない。

しかし人はこれを“意味がある”と感じるだろう。

• その仕組みを意識しながら操作できてしま快感

• 罪悪感でもあり、陶酔でもある。

この感覚ペレーヴィンは何度も物語全体で反復させる。

タタルスキーはすでに

広告魔術の中毒

へと足を踏み入れている。

◆ 6. “外資ブランドロシア社会接続”という大きなテーマが出現

第3章で提示される重要思想

ロシア消費者は「モノ」ではなく「意味」を買う

西側ブランドは単なるスナックドリンクを売りたいわけではない。

ロシア市場に売りたいのは、

アメリカライフスタイル

近代性の幻想

• 夢

西側への憧れ

商品ではなく“物語

これを“翻訳”するのがコピーライター

まりタタルスキーは、

ロシア無意識西側資本が乗っ取るための呪術師

として位置づけられる。

◆ 7. タタルスキー初日から“今月分の給料”に驚く

初日仕事を終えたタタルスキーに、

代理店は“前払い”のような形で金を渡す。

• これまでの収入とは桁が違う

社会主義時代労働観では考えられない“金の流れ”

• “意味”を売るだけで金が手に入るという倒錯

タタルスキーは金を眺めて悟る。

現実は変わった。

そして、この新しい現実言語広告だ。」

これは、小説全体の哲学的中核のひとつ

◆ 8. 第3章のまとめ(象徴的整理)

項目 内容

主要イベント タタルスキーが本格的にコピーライターとして仕事開始

象徴 広告コピー現代呪文(魔術)

テーマ アメリカイメージの“ロシア化”/意味錬金術

心理 恥・興奮・快感・罪悪感・陶酔の混合

物語役割 タタルスキーの“広告魔術師としての覚醒第一歩”

第3章は、タタルスキー

広告とは現実をつくる魔術」

理解する最初の決定的な場面

です。

これ以降、彼はどんどん広告政治宗教が混ざった深淵へ沈んでいく。

2025-11-22

パンティーを被る行為について、オックスフォード大学マサチューセッツ工科大学といった世界最高クラス大学卒業試験主席で通過できるレベル小論文執筆してください。

パンティーを被るという行為――羞恥仮面・秩序転倒の文化社会学考察

1 問題所在──「くだらなさ」の背後にあるもの

パンティーを頭に被る人物は、多くの社会において「悪ふざけ」「変態」として嘲笑対象になる一方で、

マンガアニメコメディインターネットミームの反復的なモチーフにもなってきた。

一見して低俗しか見えないこの行為は、しかしなぜこれほど強く人々の笑いや嫌悪、あるいは不安喚起するのか。

その過剰な感情反応は、単なる嗜好の問題を超えて、近代社会における身体羞恥ジェンダー権力といった構造テーマを照らし出していると考えられる。

本稿の目的は、パンティーを被るという行為を「逸脱行動」や「性的倒錯」として切り捨てるのではなく、

  1. 下着というモノの象徴性、
  2. 「被る」という行為が持つ仮面性、
  3. 秩序転倒としてのカーニバル性、

という三つの観点から文化社会学的に分析し、その行為現代社会規範矛盾をどのように露呈しているのかを論じることである

2 下着というモノの象徴性──「隠すべきもの」を外部化する

第一に着目すべきは、対象が「パンティー」であるという点である

下着は、機能的には衛生と保温のための衣服にすぎない。

しか社会的には、身体のうち「隠すべき部分」を覆うことで、性的領域公共的な領域峻別する境界線として働いている。

とりわけパンティーは、しばしば女性身体性・性的魅力・純潔観念と結びつけられ、強い象徴性を帯びている。

文化人類学者メアリーダグラスは、「汚れ」を「あるべき場所から外れた物質(matter out of place)」と定義した。

下着本来身体の奥まった場所で皮膚に密着し、「見えないこと」自体が期待されるモノである

それを頭部という最も視線の集まる位置に、しかも外から見える形で持ち出すことは、

「隠すべきもの」を意図的に「あるべき場所から外す」行為であり、ダグラス的な意味での「汚れ」を自ら演出することに他ならない。

このとき、汚れは単に不衛生という次元に留まらない。

人々が感じるのは「汚い」というよりもむしろ「恥ずかしい」「みっともない」という感情であり、

それは身体に付随する性的領域が、モノを媒介して公共空間に溢れだしたことへの反応である

パンティーを被るという行為は、自己身体のもの露出しているわけではないにもかかわらず、

下着象徴性によって「性的もの」が表面化したかのような錯覚を生み出す。

そのギャップこそが、笑いと嫌悪が混じり合う独特の印象をもたらしている。

3 「被ること」の仮面性──アイデンティティ一時的な変容

第二に、「被る」という行為意味する仮面性を検討する必要がある。

顔は、社会学者エルヴィング・ゴフマンが述べたように、対面相互行為舞台において自己提示する中核的なメディアである

目・口・表情を通じて、人は自己人格感情意図他者に伝える。

そこに被り物をかぶせることは、自己呈示チャンネル意図的撹乱し、

「いつもの自分」とは異なる人物への一時的な変身を可能にする。

その意味パンティーは、即興的な仮面である

仮面はしばしば、道徳的・法的な責任性を希釈し、人に「普段ならしない行動」を許す。

覆面をした抗議者やハロウィンコスプレ参加者が、日常では抑制されている言動に踏み込めるのも同じメカニズムである

パンティーという「ふざけた素材」を用いた仮面は、暴力性よりも滑稽さを強調しつつも、

顔を覆うことで〈誰であるか〉を曖昧にし、同時に〈何者にも属さない、ルール外の存在であることを宣言している。

重要なのは、ここで用いられる下着が多くの場合女性用」として理解されている点である

男性女性パンティーを被る場合、それはジェンダー境界視覚的に撹乱する効果を持つ。

性的同一性男性性の「まともさ」を象徴する顔の上に、女性性の象徴物を被せることで、従来的なジェンダー秩序は一時的解体される。

この解体が、笑いとして消費されるのか、あるいは違和や嫌悪として反発を招くのかは、

社会がその時点で受け入れうるジェンダー規範の幅を測る指標ともなりうる。

4 カーニバルとしての秩序転倒──笑いと批評

第三に、この行為はしばしば「笑い」と結びついて登場する。

ミハイル・バフチンが論じたように、カーニバル的な笑いは、既存の秩序・権威・聖性を一時的に転倒させる力を持つ。

王と道化が入れ替わり、崇高なものが下卑たものに、清浄ものが汚穢に置き換えられることで、人々は日常ヒエラルキーから解放される。

パンティーを被る人物は、多くの場合「くだらない大人」「オトナなのに子どもじみたことをする存在」として描かれる。

そこでは、理性的成熟した市民として振る舞うことが期待される大人が、もっとも幼稚で性的規範に反する身振りを自ら演じてみせる。

これはまさに、近代主体の理性と節度という自己イメージを、身体と笑いのレベルで裏切る行為であり、バフチン的な意味での秩序転倒である

さらに、この行為消費社会への批評としても解釈しうる。

パンティーは、ファッションポルノグラフィ産業を通じて商品化された「性的魅力」のパッケージでもある。

その商品を「本来用途から外し、頭に被るという過剰にズレた使用法は、

シチュアシオニストたちの言う「デトournement(転用)」にも似て、商品に埋め込まれ意味構造をずらし、

消費社会約束する「ロマンティックで洗練された性」のイメージを滑稽なものとして暴露する。

もちろん、こうした批評性が常に意識されているわけではない。

多くの場合当事者は「面白いから」「ウケるから」という動機行為に及ぶ。

しかし、当人意図とは無関係に、行為のもの既存の秩序を揺さぶり、

笑いを通じた不安定化をもたらしている点に、カーニバル的な力があるといえる。

5 ジェンダー倫理──笑いの線引きをどう考えるか

ここまで、パンティーを被る行為文化的・象徴的なレベル肯定的に読み解いてきた。

しかし同時に、この行為にはジェンダー暴力問題が潜在していることも看過できない

たとえば、所有者の同意なく女性下着を盗み、それを被って笑いのネタにするような事例は、明らかに性的暴力であり、先の分析とは質的に異なる。

そこでは、女性身体性がモノに還元され、男性自己演出の道具として一方的に利用されているかである

したがって、パンティーを被る行為文化解釈は、

「誰のパンティーか」「どう入手されたのか」「誰の前で行われるのか」「誰が笑う権利を持つのか」といった文脈と切り離しては成立しない。

自分で購入した下着自分身体で用いて仮面を作ることと、

他者の所有物を奪ってネタにすることとの間には、倫理的に越えがたい差がある。

この意味で、パンティーを被る行為安易に「自由表現」「笑いだから許される」として擁護することはできない。

一方で、倫理的に許容可能範囲で行われるこの行為が、規範の硬直性をほぐし、身体羞恥をめぐる議論を促す契機となりうることも事実である

その両義性を見極めることが、現代社会ジェンダー感覚表現自由の両立を考える上で重要になる。

6 結論──「くだらない行為」が映し出す近代社会

パンティーを被るという行為は、表面的には「低俗ギャグ」「一部の嗜好」に過ぎないように見える。

しかし本稿で見てきたように、

として理解することができる。

まりパンティーを被る行為は、身体羞恥を厳格に管理しようとする近代社会規範に対して、

「本当にそれが唯一の生き方なのか」と問いを突きつける小さな反乱なのである

もちろん、その反乱が倫理的に許容されるためには、所有や同意ジェンダー権力といった条件を精密に考慮しなければならない。

しかし、その条件さえ満たされるならば、「くだらない」と切り捨てられてきた行為の背後に、

規範相対性を示す批評的なポテンシャルを見出すことが可能である

パンティーを被る人物を笑い飛ばすことはたやすい。

だが、その笑いが何に支えられ、何を脅かし、何を許さないのかを問うとき

私たちは自らの社会がどのような身体観・性観・ジェンダー観の上に成立しているのかを、あらためて自覚せざるをえなくなる。

「くだらない行為」を真剣考察することは、実のところ、

私たち自身の〈まともさ〉の条件を問い直す営みなのである

2025-11-20

anond:20251120141841

店の暖簾をくぐったとき、油の匂いが、すでに一つの運命のように私を包み込みました。鼻腔の奥で重たく揺らめくそ芳香は、庶民的でありながら、どこか儀式めいた厳粛さを帯びていますカウンターの向こうでは、白衣の男が黙々とロース肉に衣を纏わせ、油の海へと沈めてゆく。その所作はもはや調理ではなく、供犠に近いものでした。

鍋の中で、とんかつゆっくり自我を失い、豚という生の記憶を断ち切られ、黄金色の鎧を与えられてゆく。油が弾けるたび、こまかな泡が肉のまわりにまとわりつき、まるで最後祈りのように、静かに立ち昇っては消えていきます

やがて皿の上に据えられたそれは、ひとつの完結した建築物のようでした。端正に揃えられた断面——淡い桃色をわずかに残した肉の芯を、きめ細かい衣が取り囲み、その外側には、無造作を装いながらも計算され尽くしたキャベツの千切りが、小さな庭園のように添えられている。

まずは何もつけずに、一切れ。箸を入れた瞬間、衣がわずかに抵抗し、次いで、驚くほど容易く音もなく裂ける。その小さな手ごたえが、すでに美味の予感を告げていました。口に運ぶと、衣は「サクリ」というかすかな音を立てて崩れ、すぐさま脂の甘みが広がる。豚肉という素材が、本来持ちうるはずの野卑さをどこかに置き忘れてきたかのように、驚くほど上品な旨味だけを残して。

噛みしめるたび、肉汁がじわりと滲み出て、舌の上でゆっくりと溶けていく。だが、それは決して軽薄なジューシーさではなく、刃のようにすっとした輪郭を持った味わいです。塩をひとつまみ振れば、脂の甘さと肉の香りが、急に焦点を結び、世界が一瞬くっきりと輪郭を取り戻す。

次に、店自慢のソースたっぷりと纏わせてみる。濃密な褐色の液体が、衣の凹凸をゆっくりと埋めていくさまは、どこか退廃的でさえある。その一切れを口に含んだ瞬間、ソースの酸味と甘味が、先ほどまで端正だった世界に一抹の破壊衝動を持ち込む。とんかつはもはや単なる揚げ物ではなく、甘美な暴力となって、容赦なく味覚を叩きのめしてくる。

キャベツを箸でつまみドレッシングを絡めて口に運ぶと、それは一転、冷たい風のような清冽さで、さきほどまでの熱と脂の宴を一度リセットする役目を果たす。シャキシャキとした歯ざわりが、乱れた感覚を律し、ふたたび次の一切れを求めさせる。こうして人は、熱と冷、濃密と淡白破壊と救済のあいだを、何度も往復させられるのです。

白飯は、ここでは脇役にとどまることを拒んでいました。ひと口、とんかつを頬張り、すぐさま米を追いかけると、粒だった炊き加減が脂をやわらかく受け止め、とんかつの豪奢さを静かに受容する。丼の中でただ白く在るだけの米が、この瞬間だけは、確かな必然としてそこにいることを悟らされるのです。

味噌汁を啜れば、揚げ油で高ぶった心拍が、少しだけ落ち着く。出汁香りと、具材の素朴さが、先ほどまでの濃密な世界ほのかな陰影を与え、食卓という小さな舞台は、ようやく終幕に向かってゆきます

気がつけば、皿の上にはパン粉の小さな欠片と、キャベツの断片、そしてうっすらとソースの跡が残るばかりでした。それらは、つい数分前まで一つの完璧な形を成していたとんかつの、静かな残影です。

とんかつとは、実に不思議料理です。豚という、どこまでも日常的で、ありふれた肉が、油という媒介を通して別の存在へと生まれ変わる。その変容は、単なる調理の域を超え、小さな劇として、食べる者の前に立ち現れる。

皿を下げにきた店員が、何気なくありがとうございました」と言ったその一言で、私はようやく、この小さな劇が終わったことを知りました。店を出ると、外はいつも通りの街の雑踏。けれど、胃の奥でまだ熱を保ちつづけるとんかつ記憶けが、しばらくのあいだ、私の中で静かに燃え続けていました。

2025-11-13

anond:20251113221206

北とか南と言われた時に自ずとあるいは無意識にまず川を想起してそれを媒介に言われている方角を認識するように頭が出来上がっちゃってるって話なんだろう

dorawiiより

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2025-11-08

anond:20251108161926

90年代の「サブカル優勢」からオタク文化圧勝」への転換は、ざっくり言うと以下の力学が重なった結果だと思う。

[1] 配信ネット掲示板が“キャラ経済”に最適化

作品より“キャラクター”の継続消費(推し活)が拡散可視化やすい。MAD/二次創作SNS公式展開の循環が強かった。

[2] 反復消費モデルの強さ(シリーズ化・ソシャゲ・グッズ)

ガチャライブ2.5次元舞台イベントコラボカフェ…同一IPで何度も課金/参加できる仕組みが整備。収益の再投資IPさらに巨大化。

[3] グローバル市場での即時流通

ファン字幕公式配信世界同時上映へ。国内ニッチ海外需要で“メジャー並み”の規模に。

[4] アルゴリズム時代の“濃さ”勝ち

強いエンゲージメントを生むジャンルレコメンドに乗る。コアファン熱量がそのまま可視化拡散力になる。

[5] 物理小売からファンダムプラットフォーム”へ

90年代サブカル雑誌セレクトショップ的な編集ゲートキーパー依存雑誌衰退とともに拠点を失い、オタクコミケ/同人即売会/SNS/配信で自前の分配網を持った。

[6] コミュニティ主導の“参加型”文化

同人二次創作コスプレファンイベントなど、作り手と受け手が往復する設計。参加コストが下がり、定着率が上がった。

[7] “アングラから“無害・肯定的イメージへの転換

深夜アニメ一般化、秋葉池袋観光資源化、「クールジャパン文脈等で社会的許容が拡大。羞恥コストが低下。

[8] メディアミックス教科書

原作漫画/ラノベ)→アニメゲーム舞台→実写→海外、の水平展開が定式化。投資判断がしやすく、外部資本が入りやすい。

[9] 景気・労働環境の変化と“内向き娯楽”

時間/低予算でも深く楽しめる継続エンタメが求められ、可処分時間の細切れ化にも合致スマホゲーム配信視聴)。

[10] サブカル分散断片化

90年代サブカル音楽アートストリート批評)は“場”を媒介にした横断が強みだったが、場(雑誌/クラブ/独立系書店)の弱体化でネット上に散り、まとまった産業スケールを作りにくかった。

要するに、オタク文化は「キャラ×反復課金×参加コミュニティ×国際同時流通」を握り、プラットフォーム時代KPI熱量継続可視化)に合致した。一方で90年代サブカルは“編集=場”依存で、デジタル転換後の収益装置を持ちにくかった——この非対称性が“圧勝”の正体だと思う。

ラングランズ対応モチーフ理論について

ランダウラングランズ的な双対性直感を、位相的・圏論的な巨大場として再構成する作業は、もはや単なる対応命題確認ではなく、数学実在階層構造を再階層化する営為へと移行している。

ここで重要なのは対応自体が一つのモノイド的作為ではなく、∞-圏の層状化した自明可能性の表現であるという読み替えである

最近の成果群は、従来の局所・大域の二項対立を溶融させ、曲線・局所体・解析空間といった古典的な基底を、より普遍的空間記述可能性(representability)の観点へと置き換えてしまった。

具体的には、ファルグ=フォンテン曲線を舞台にした幾何化は、局所表現論を圏的スペクトルの上に載せ替えることで、従来別個に扱われてきた表現自動形式的対象)とパラメータ(L-パラメータ)を、同一の圏的心臓部で同時に構成可能したこと意味する。

この構成は単に対応存在することより深く、対象自体を再定義してその同値関係を圏の中心や内部終対象言葉記述することにより、対応が生まれ必然的環境を示した点で画期的である

同時に、グローバル側の道具としてのシュトゥーカ(chtoucas)的技法は、関手的・代数的な操作を用いて場のモード分解を行い、その分解が示す不変量を通じて大域的パラメータ化を達成する方策を具体化した。

ヴィンソン・ラフォルグの仕事群は、こうしたシュトゥーカの立型化によって、関手的に取り扱える大域的パラメータ空間提示し、局所構成との繋がりを媒介する新たな環を与えた。

結果として、言語的には表現パラメータへの写像がベキ乗的に分解できるだけでなく、その分解自体が可逆的な圏的操作として認識され得ることが示され、これが大域的Langlands構想の新しい正当化になっている。

さら最近の数年間における動きで決定的なのはモチーフ論の解析的拡張が進んだ点である

従来モチーフ代数多様体上の普遍的コホモロジーという観点で語られてきたが、ショルツェらによるベルビッチモチーフ(Berkovich motives)や関連する解析的・アーク的降下法は、可換性や双対性に関する新たな剛性条件を与えることで、代数複素解析・非アルキメデス解析を一枚の理論で織り上げた。

モチーフを単なる数論的核から、解析的スタックや圏的双対性自然に持つ対象へと格上げし、Langlands的双対性の受け皿を拡張した。

こうしてモチーフとLanglands対応は、もはや互いに独立した二つの理論圏ではなく、同じ∞-圏的言語発声される現象に変わった。

そして最も劇的な変化は、最近公表された一連の大規模な仕事群が、幾何学的Langlands命題本質的な形を証明し得たことにより、これまで隠れていた構造要請顕在化した点にある。

これらの証明努力は、従来の和声的・解析的手法を超え、圏的分解、局所–大域の整合、そしてモチーフ双対性が同時に満たされるような動的な証明環境を構築した。

重要なのは、この到達が単なる命題解決に留まらず、数学対象定義域そのものを書き換えるような再帰メタ構造を与えたことであり、以後の展望は新たに定式化された圏的正規形とその変形理論を追うことで開かれる。

結果として、Langlandsプログラムモチーフ理論接続は、従来橋をかける比喩で語られてきたが、今や両者は共通言語空間の異なる座標表示に過ぎないという段階に達している。

ここでの言語空間とは、∞-圏とその可逆化可能な中心、アーク的・ベロコビッチ的降下法、そしてシュトゥーカにより生成されるファイバー総体を指す。

その内部では、表現論的計量(harmonic analysis 的なスペクトル)と数論的モチーフ普遍的ファンクターが互いに鏡写しになり、操作が圏的に昇格することでパラメータ化は動的な自己相互作用として理解される。

これが意味するのは、将来の進展がもはや個別定理技法の追加ではなく、数学対象包摂するより大きな構成原理発見と、それを支える新しい圏的インフラ(解析的モチーフ、Fargues–Fontaine 的基底、chtoucas の動的再解釈)に依存するということである

読み手がもし、これをさら運動方程式的あるいは力学系的なメタファーで読み替えるなら、ラングランズ系とは無限に多様な対称性とその破れ方が−同値関係としてではなく−力学的な遷移として定義される場である結論づけられる。

その意味で、最新の進展は単に既存パズルピースを嵌め直したのではなく、ピースのものを再設計し、新しい接着剤(∞-圏的双対性、解析的モチーフの剛性、シュトゥーカ的ファイバー化)を導入した。

この新しい設計図を受け取った数学は、今後、従来とは異なる方法で「表現」「パラメータ」「モチーフ」を同時に扱うための合成的技術を展開するだろう。

[]

はいものようにティーカップの正確な角度とティーバッグを引き上げるタイミング(45秒で引き上げ、分子運動が落ち着くのを確認する)にこだわりながら、ルームメイトキッチンで不満げに微かに鼻歌を歌う音を聞いている。

隣人は夜遅くまでテレビを見ているらしく、ローファイのビートドラマセリフ建物内で交差する。

その雑音の中で僕の頭は例によって超弦理論抽象化へと跳躍した。

最近は量子コヒーレンスホモトピー的に扱う試みを続けていて、僕は弦空間を単に1次元媒介物と見るのではなく、∞-圏の内在的自己双対性を有する位相的モジュライ空間として再定義することを好む。

具体的には、標準的な共形場理論の配位子作用をドリブンな導来代数幾何(derived algebraic geometry)の枠組みで再構成し、そこにモチーフ的な圏(motivic category)から引き戻した混合ホッジ構造を組み込んで、弦の振る舞いを圏論的に拡張された交代多様体ホモトピー的点として記述する考えを試している。

こうするとT-双対性は単に物理対象同値ではなく、ある種のエンドサイト(endomorphism)による自己同型として見なせて、鏡像対称性の一部が導来関手自然変換として表現できる。

さらに一歩進めて、超対称性生成子を高次トポスの内部対象として取り扱い、グレーディングを∞-グループとして扱うと、古典的局所化されていたノイズ項が可換的モジュール層の非可換微分形へと遷移することが示唆される。

もちろんこれは計算可能なテーラ展開に落とし込まなければ単なる言葉遊びだが、僕はその落とし込みを行うために新しく定義した超可換導来ホッジ複体を用いて、散発的に出現する非正則極を規格化する策略を練っている。

こういう考察をしていると、僕の机の横に無造作に積まれコミックTCGトレーディングカードゲーム)のパックが逆説的に美しく見える。

今日ルームメイトと僕は、近日発売のカードゲームプレビューとそれに伴うメタ試合環境)について議論した。

ウィザーズ・オブ・ザ・コーストの最新のAvatar: The Last Airbenderコラボが今月中旬アリーナで先行し、21日に実物のセットが出るという話題が出たので、ルームメイトは興奮してプリリリース戦略を立てていた。

僕は「そのセットが実物とデジタル時間リリースされることは、有限リソース制約下でのプレイヤー行動の確率分布重要な影響を与える」と冷静に分析した(発表とリリース日程の情報複数公表情報に基づく)。

さらポケモンTCGメガ進化系の新シリーズ最近動いていると聞き、友人たちはデッキの再構築を検討している。

TCGカードテキストルールの細かな改変は、ゲーム理論的には期待値サンプル複雑度を変えるため、僕は新しいカード環境に及ぼすインパクトを厳密に評価するためにマルコフ決定過程を用いたシミュレーションを回している(カード供給タイムラインデジタル実装に関する公式情報確認済み)。

隣人が「またあなたは細かいことを考えているのね」と呆れた顔をして窓越しにこちらを見たが、僕はその視線を受け流して自分のこだわり習慣について書き留める。

例えば枕の向き、靴下の重ね方(常に左を上にし、縫い目が内側に来るようにすること)、コーヒー粉の密度グラム単位で揃えること、そして会話に入る際は必ず正しい近接順序を守ること。

これらは日常ノイズ物理学的に最適化するための小さな微分方程式だと僕は考えている。

夜は友人二人とオンラインカードゲームドラフトを少しだけやって、僕は相対的価値の高いカードを確保するために結合確率を厳密に計算したが、友人たちは「楽しければいい」という実に実務的な感覚で動くので、そこが僕と彼らの恒常的なズレだ。

今日はD&D系の協働プロジェクト話題も出て、最近のStranger ThingsとD&Dのコラボ商品の話(それがテーブルトークの新しい入り口になっているという話題)はテーブルトップコミュニティに刺激を与えるだろうという点で僕も同意した。

こうして夜は深まり、僕はノートに数式とカートゥーンの切り抜きを同じページに貼って対照させるという趣味を続け、ルームメイトキッチンで皿を洗っている。

今、時計23:00を指している。僕は寝る前に、今日考えた∞-圏的弦動力学のアイデアをもう一度走査して、余剰自由度を取り除くための正則化写像候補をいくつか書き残しておく。

明日は週末で、また友人たちとゲーム数学二重生活が始まるだろう。僕はその両方に誠実であり続けるつもりだ。

2025-11-05

ひも理論のひもって原子と違って観測されることを前提とした物理的に存在するものじゃなくてただの数学観念しかないと思ってる。ようは関数同類

観測された物理量を使って別の物理量を予測するために経由させるただの計算手続き

同じ定義域に対して写像として同じものになる関数複数あるように、同じ物理から求められる値が同じになるような概念であればヒモだろうがなんだろうがそこにこだわりはない、というよりもひたすら計算簡単ものが見つかれば即それに鞍替えされうるという意味で、あれは世界が何でできてるかって視点依拠した概念ではなくただの便宜上仮想媒介物だと思ってる。

類似立場にある概念虚時間がある

dorawiiより

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2025-10-29

図書館の本を読んでいるとき股間かゆいから陰毛をむしっていたら気づかず手を媒介にページに付着してそのまま本を閉じてしまうということはありえそう。

そうなったとき返すときに発覚したら警察沙汰になってしまうのだろうか。

あごひげとかピンセットで抜くと本との位置関係からいって物理必然的により紙に毛が落ちるということは起こりやすい。

dorawiiより

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2025-10-28

抽象数学とか超弦理論かについて

まず対象抽象化するために、物理系は局所演算子代数ネットワーク局所性を持つモノイド圏あるいは因子化代数)として扱う。

境界理論はある可換(または E_n)因子化代数 A を与え、これに対して状態空間は A の正値線型汎関数(GNS 構成で得られる正規表現の圏)として扱う。

重力バルク側は、境界因子化代数のコホモロジカル双対(例:Koszul 双対や因子化ホモロジーに基づくスペクトル拡張)としてモデル化される。

ホログラフィーは単なる同値性ではなく、境界のモノイド的データバルクの因子化代数データの間の高次圏的((∞,n)-圏)双対性であり、この双対性はホモトピー的拘束(同値空間)を保つ関手の同型として書ける。

これをより具体的に言えば、境界の C^*-あるいは von Neumann 代数の圏と、バルク対応する因子化代数局所的場代数を与える E_n-代数)の間に、Hochschild/cyclic ホモロジーと因子化ホモロジーを媒介にしたKoszul型双対存在すると仮定する。

境界から見た相互作用や散乱振幅は、境界因子化代数上の積(オペラド的構造)として表され、バルク幾何情報はそのホモロジー/コホモロジー符号化される。

エントロピーエンタングルメント幾何化は情報幾何学的メトリック還元される。すなわち、量子状態空間上の量子フィッシャー情報(量子Fisher・Bures距離)や相対エントロピーは、接続と計量を与えるテンソルと見なせる。

これにより、テンソルネットワークは単なる数値的近似ではなく、グラフからヒルベルト空間への忠実なモノイド的関手であるグラフの各節点に E_n-代数の有限次元表現を割り当て、辺は双対化(コアリフト)の演算子であり、ネットワーク全体は因子化代数状態和(state-sum)を与える。

MERA や PEPS、HaPPY コードは、この関手が持つ特定圧縮階層性(再帰的モノイド構造)を体現しており、cMERA はその連続極限である

テンソルネットワーク幾何を作るとは、エントロングルメント計量(情報計量)から接続リーマン性質再構成する手続き意味し、これが空間距離や曲率に対応するというのが it from qubits の数学的内容である

さら情報回復(Petz 復元写像など)や相対エントロピーのモノトニシティは、エントロングルメントウェッジ再構成圏論的条件(右随伴を持つ関手存在)として表現される。

すなわち、境界演算子代数からバルク因子化代数への埋め込みが完全に圏論的な復元子(adjoint)を持つときに、局所情報回復可能となる。

ER=EPR はこの文脈ホモトピー的コボルディズムとして読み替えられる。量子相互作用で結ばれた二系(高次圏の対象としての二点分割状態)は、バルクコボルディズム類(ワームホール的繋がり)に対応する同値類を持ち、局所ユニタリ変換による同値類がコボルディズムの同位類と一致するという予想的対応を述べる。

言い換えれば、局所ユニタリ同値で分類されるエンタングルメントコホモロジーは、バルクホモトピー的結合(位相的/幾何接続)を決定する。

ブラックホール熱力学性質は、トモイタ=タカサキ理論(Tomita–Takesaki modular theory)やコンネスの周期写像が関与する演算子代数のモジュラー流として自然に現れる。

特にブラックホール外部におけるモジュラーハミルトニアン境界状態の相対エントロピーに関連し、そのフローバルク時間発展に対応する(模擬的にはKMS状態と熱平衡)。

サブファクター理論ジョーンズ指数は、事象地平線をまたぐ情報部分代数埋め込みの指標として機能し、情報損失やプライバシー情報の遮蔽)は部分代数指数と絡み合う。

ブラックホールの微視的自由度カウントは、やはり境界因子化代数の適切な指数(譜的インデックス、K理論的量)に帰着する。

超弦理論的な追加自由度多様体のモジュライ空間や D-ブレーンの圏的記述)は、バルク側因子化代数の係数系(係数 E_n-代数やスペクトラル層)として取り込まれモチーフ的/導来スタック手法(derived stacks, spectral algebraic geometry)で整然と扱える。

これにより、弦の振る舞いは境界オペレータ代数の高次幾何学的変形(deformation theory)と同値的に記述されることが期待される。

この全体構造統一する言葉は高次圏的因子化双対である物理理論は、局所オペレータのモノイド圏、状態の圏、そして因子化ホモロジーを媒介にした双対関手から成り、テンソルネットワークはそれらの具体的表現=有限モデルとして働き、情報幾何学はそれらの間に滑らかな計量を与える。

したがって「it from qubits」は、局所的量子代数圏論的再配列が(情報計量を通じて)幾何学的構造を生み出すという主張に還元され、ER=EPRエンタングルメント同値類とバルクコボルディズム同位類を結ぶ高次圏的同型命題として再表現され、ブラックホール熱力学や弦の自由度はその圏論的・ホモトピー的不変量(ホッジ理論的/K理論指数、モジュラーデータ)として測られる。

これが、抽象化した観点から見た諸理論統一スキームである

2025-10-24

なんでみんなゴキブリ怖いん?

あんなんただの虫やん。

集合住宅に住んでたらどうせ出てくるもんだと思ってるから(自分一人ではどうにもならんからね)、特に気にもしてない。実際たまに見かけるが特段対応はしない。

まあ病気とか媒介するのは気になるが、自分の食べるものに触れないようにしてれば大丈夫じゃね?と思ってるし、見た目もそこまで嫌悪感いたことはないな。

よっぽど蚊のほうが嫌だよ。刺されたら痒いし。

2025-10-17

「なんか面白いこと言って」という発話を語用論的に分析するには、文の表面的な意味(直示的意味)と、話し手意図文脈によって推論される意味(含意・発話行為・会話の含意)を分けて考える必要があります

1. 直示的意味(literal meaning)

• 文の表面上の意味は、「何か面白い内容を言ってください」という依頼の命令文に近いものです。

構造的には、以下のような形式を持っています

• 「なんか」=曖昧な指示詞、「何かの」意味カジュアル曖昧

• 「面白いこと」=娯楽性や知的関心を引く内容

• 「言って」=発話行為を求める命令形(ただし、柔らかく使われている)

2. 発話行為論的分析Speech Act Theory

Searleの発話行為理論に基づくと、この発話は以下のように解釈できます

発話行為(locutionary act):

• 「なんか面白いこと言って」という言語的発話を行う行為

• 発語内行為(illocutionary act):

実質的には「話を盛り上げてほしい」「場を和ませてほしい」といった娯楽的または関係構築的な依頼。

• 発語媒介行為(perlocutionary act):

聞き手が笑う、話を続ける、話題を変える、などの効果を狙っている。

3. 会話の含意(Conversational Implicature)

Griceの会話の公理協調原理)に基づくと、発話者は以下のような含意を持っている可能性があります

• 量の公理

情報は足りていない(「なんか」という曖昧な言い方)→ 受け手裁量を委ねている。

関係公理

• 「いまここで面白いことを言うべき状況だ」と暗に伝えている。

様態公理

曖昧にして、直接的な命令を避けている(「面白いことを言ってください」ではなく「なんか…」と曖昧化)。

この含意は、しばしば冗談半分の軽い依頼であり、場の空気を読むことが求められる。

4. ポライトネス理論(Politeness Theory

Brown & Levinson の理論に基づけば、この発話は聞き手の負のポライトネスfreedom to act)をある程度脅かす依頼にあたるが、以下のような戦略で緩和されている:

• 「なんか」や「面白いこと」などの曖昧な語彙で距離を取ることで、親密な関係性の中で成立するカジュアルなやりとりに見せかけている。

• つまり、依頼の強制力を弱めつつも、暗に期待している。

5. 文脈依存性(Context Dependence)

この発話の意味や受け止められ方は、強く文脈依存します。

• 友人同士の気軽な会話なら:

• → ユーモア小ネタを期待される

• 緊張した場面で言われたら:

• → 空気を和らげるための緊急依頼

聞き手芸人・話し上手な人であれば:

• → 能力を当然視している含意もあり得る(=フェイスを脅かす)

まとめ:語用論的分析の要点

観点 分析内容

文の構造 曖昧な依頼(命令形に近いが柔らかい

発話行為 関係構築や場の雰囲気改善目的とする依頼行為

会話の含意 面白さの判断受け手に委ねられているが、期待値はある

ポライトネス 曖昧表現で依頼の圧力を緩和

文脈依存性 親しさ・場の雰囲気関係性に強く依存する

2025-10-14

自然言語処理10年ぐらいやってきた

学業でも仕事でも趣味でも、ずっと自然言語処理をやってきた。

別に最初からAIだのNLPだのに興味があったわけじゃない。

きっかけは、学生時代ちょっとしたレポートテキスト単語出現頻度を数えようとしたとき、「あれ、そもそも日本語ってどうやって単語に分けんの?」って疑問が出たところからだ。

英語ならスペースで切れるけど、日本語はそうはいかない。で、いろいろ調べて「形態素解析」って言葉にたどり着いた。

その瞬間にちょっとハマったんだよね。

辞書をもとに文を機械的に切り刻んで、品詞をラベル付けして、統計を取って、構文を推定する。まるで人間の頭の中を数理的に覗いているようで。

そこからMeCabとかJumanとかKyTeaとか、いろんなツールを触った。

Pythonテキスト処理のパイプラインを組んだり、mecab-ipadic-NEologdを突っ込んで新語対応させたり。

言葉を数理で扱える」って発見が、ちょっとした中毒になった。

その頃はMosesとかGIZA++とか、ああい統計翻訳系のツールも触ってたね。

単語ラインメントの確率モデルをいじって、「確率的に対訳辞書を作る」みたいな遊びをしてた。

とにかく、NLP世界には「人間言葉数学再現できるかもしれない」という変な魅力があった。

深層学習がまだ主流じゃなかったから、n-gramやHMM、CRFなんかが主戦場で、論文読むたびに確率式の展開を手で追ってた。

今思えば、あれが一番自然言語処理っぽい時代だった気がする。

で、いろいろあって自然言語処理系の企業入社

最初はPoC(Proof of Concept)しかやらせてもらえなかった。

感情分析とか、Stance Detectionとか、「この文は文法的典型か非典型か」を判別するための言語モデルの構築とか、エンティティリンキング質問応答(Question Answering)。とにかくNLP典型的なタスクを一通り。

学術的には面白かったけど、現場で求められてたのは「論文再現じゃなくて、実用的な精度と速度」だった。

PoCで終わって、実装には至らない案件が山のように積み上がっていった。

あの時期、NLP業界全体が「技術的にはすごいけどビジネスには落とし込めてない」って空気だった。

でもさ、LLM(大規模言語モデル)が出てきてから世界がひっくり返った。

正直、最初は「Transformerの延長だろ」と思ってたけど、数ヶ月で実感が変わった。

それまでチマチマ特徴量を設計して、分類器を学習して、F値を0.02上げるために夜中までパラメータをいじってたのが、全部一瞬で過去になった。

ChatGPTが出て、蒸留ファインチューニングほとんどのNLPタスクが置き換えられるようになったとき、「あれ、今までの俺の知識ほとんど無駄だったんじゃね?」って一瞬マジで虚無になった。

でも、そこで終わらなかった。プロダクション環境を任せてもらえるようになって、推薦システムとかパーソナライゼーションの設計をやるようになって、ようやく「ユーザーベクトルを使う」という文脈NLPが再接続した。

単なるテキスト処理から、「テキスト媒介にして人間の行動を理解する」方向に進んだ。

埋め込み表現ベースユーザーの嗜好を推定して、レコメンドメルマガのパーソナライズをやる。

自然言語はもう目的じゃなくて、インターフェイスになった。そうやって初めて、「NLPビジネスに食い込む瞬間」ってのを肌で感じた。

PoCなんてやってても金にはならん。動くシステム、回る仕組み、再現性のある成果、それを出せないと、どんなに学問的に立派でも意味がない。

でも、PoCの積み重ねがなかったら、今の設計思想もなかったと思う。無駄に見える実験が、実は土台になってる。

自然言語処理って、そういう「積層的な知識挫折の積み上げ」が一番の資産なんだよな。

2025-10-10

陰キャは夜空を見上げない

三年前、渋谷桜丘町にある古いマンションの一室で月に一度だけ開かれていた読書会があった。

「Books & Beyond」とか「本と珈琲」みたいなカフェが並ぶあの界隈で、オーナー趣味でやってるようなサブカル風の空間。壁にはカフカポスターが貼られ、スピーカーからボサノヴァが流れていた。

六畳ほどの小さなスペースに八人くらいが座りそれぞれが持ち寄った本を紹介し合う。それが俺と彼女出会いだった。

俺がその日持っていったのは『呪術廻戦』の第八巻。ほかの人たちが『中動態の世界』とか『そして誰もいなくなった』とか『サピエンス全史』とかを並べる中で、俺だけがジャンプコミックスを机に置いた。

もちろん場の空気ちょっと変わった。

でも当時の俺はそれを承知の上で、ある種の逆張り勇気みたいなもので挑んでいた。会社では誰にも話しかけられず、Slackアイコンもずっと初期設定のまま。それでも自分を注目して欲しいという欲求はあった。

 「呪術廻戦のテーマは、“死の受け入れ”よりも“存在肯定”にあると思うんです」

俺はそう言った。

それに対して、口を開いたのが彼女だった。白いマスクを外して冷静な目で俺をまっすぐに見た。

「でもそれって、“他者媒介にしない存在”ってことですか?」

唐突にそんな言葉が出てきた。返す言葉に詰まった。彼女の声は低くて落ち着いていた。大学院哲学を専攻していると言った。

その瞬間、空気が変わった。

みんなが「へえ〜」と頷いて、俺は笑ってごまかした。その笑いが妙に引きつっていたのを今でも覚えている。

そのあと彼女が言った。

「でも、面白いですよね。呪いって、社会の圧みたいなものですし」

その一言に、俺は救われた気がした。

彼女は俺を笑わなかった。

それどころか俺の話を拾って補足し、言語化してくれた。その会の後、俺たちは駅まで一緒に歩いた。

外は冷えていてコンビニの前のホットコーヒーの湯気が白く漂っていた。

「また来月も行きます?」と彼女が言った。

「行く」と俺は答えた。

彼女名前はSといった。

新宿御苑の近くに住んでいて、大学お茶の水彼女の持ってくる本はいつも背表紙が硬かった。

『悪について』

他者起源

グレアム・グリーン短編集』。

対して俺の持っていくのは『チェンソーマン』や『ブルーピリオド』。

彼女はよく笑った。

笑うときに、指先を口元に添える癖があった。

その仕草上品で、俺はそれを見るたびに自分がどれほど下卑た生き物なのかを思い知らされた。

付き合うようになったのはその年の秋だった。

彼女修論で忙しくなってから俺の存在息抜きになったらしい。

あなたと話してると、時間を忘れちゃう」と言われた夜、俺は人生で初めてコンビニの帰り道が輝いて見えた。ファミリーマートの青い光がネオンのように見えた。俺の中でなにかが初めて肯定された気がした。

冬のデートの夜、代々木公園を歩いた。

イルミネーションが飾られてSNSでは「#冬の光2021」というタグ流行っていた。俺は寒くてポケットに手を突っ込んでいた。彼女は小さな紙袋を下げていて中には文房具店で買ったモレスキンノートが入っていた。

「これ、修論終わったら旅行記書こうと思って」

彼女はそう言って笑った。そして突然立ち止まって空を指さした。

「ねえ、見える?オリオン座

俺は空を見上げた。

そこには三つの星が斜めに並んでいた。

「……あれか?」

「そう。ベテルギウスリゲル。あと真ん中がミンタカ

彼女はそう言って、星の位置を指でなぞった。

俺は正直何もわからなかった。

星はただの光の点にしか見えなかった。

俺の住んでいた葛飾区の夜空では、星なんてほとんど見えなかった。中学の帰り道、空を見上げてもあるのは街灯と電線だけだった。だから星座名前なんて知る機会がなかった。

「小さいころ星座図鑑とか見なかった?」

彼女がそう言った。

「うん、まあ、プラネタリウムとかは……行ったかな」

本当は行ったこともなかった。そんな余裕のある家庭じゃなかった。週末は母親スーパーで特売の鶏むね肉を買って帰るのが恒例で、俺はその肉を味噌マヨで焼いて弁当に詰めてた。

星よりも肉の値段を見てた。だから空を見上げるという行為が俺には贅沢に思えた。

彼女は俺の顔を見て、少し笑った。

かわいいね。知らないことがあるって」

それがなぜかすごく悔しかった。笑われたわけじゃないのに馬鹿にされた気がした。

俺は「そうだね」とだけ言って視線を落とした。

地面に落ちた枯葉を踏みつけた。カサッという音が、やけに大きく聞こえた。俺はあの夜自分が一生星座名前を覚えないだろうと悟った。

通勤電車の窓に映る自分の顔は相変わらず冴えなかった。イヤホンからはYOASOBIの「群青」が流れていた。「夢を描くことが全ての始まりだ」なんて歌詞を聞きながら俺は窓の外を見た。

見たのは空じゃなく、線路だった。

陰キャは夜空を見上げない。

だってそこに映るのは、自分の見なかった人生からだ。

星の位置を覚えられる人間は、いつだって上を見て生きてきた人間だ。

図書館に通い、正しい敬語を使い、誰かに恥をかかされないように育てられた人間だ。

俺はそうじゃない。

俺の星座コンビニ防犯カメラの赤い点滅と、タワマン最上階で光る部屋の灯りでできている。

 

これは遺書だ。

俺はもう彼女と会っていない。

LINEトーク履歴はまだ残っている。

最後メッセージは「また話そうね」

日付は2025年2月14日

バレンタインだった。俺はその日会社義理チョコすらもらえなかった。彼女からチョコを待っていたわけじゃないけど期待してた。

「ねえ、今年はどんな本読んでるの?」

その一言が来るだけで救われたと思う。メッセージはもう既読にならない。

通話をかけたこともある。

仕事帰りの山手線品川から田端までの間イヤホン越しに呼び出し音が虚しく鳴った。ワンコール目、ふたつ、みっつ、……留守電に切り替わる。

録音された「この電話現在使われておりません」という機械音声。それがまるで彼女の声に聞こえた。その瞬間息が止まった。ほんの数秒で胸が焼けた。

どうして?

俺のスマホには彼女写真がまだある。表参道青山ブックセンターの前で撮ったものだ。彼女は黒いコートを着て、手に『ロラン・バルト恋愛ディスクール』を持っていた。俺は同じ日カバンの中に『チェンソーマン』の最新巻を入れていた。

その夜二人で神宮外苑いちょう並木を歩いた。イルミネーションの下で彼女が「あなたはどんな未来を望むの?」と訊いた。俺は「普通に働いて普通に暮らせたら」と答えた。

俺は夢を語る勇気がなかった。陰キャは、夢を語ると笑われると思ってる。

それでもあの頃の俺は必死だった。休日には「丸善丸の内本店」で彼女が好きそうな本を探した。

夜と霧

レヴィ=ストロース

哲学の慰め』

表紙をめくっても内容の半分も理解できなかった。けど読んでるフリをすることに救われた。カフェ・ベローチェでブレンドを飲みながらマーカーで引いた単語スマホで調べた。

「内在性」

「超越」

主体性」。

どれも俺には関係ない言葉だった。それでも彼女世界に近づける気がした。

夏になっても連絡はなかった。彼女Twitterアカウントは鍵がかかりInstagramは削除されていた。

唯一Facebookけが残っていた。プロフィール写真は変わっていなかったけど交際ステータスの欄が消えていた。俺は夜中の三時渋谷ファミマストロングゼロを買って歩きながらそのページを何度も更新した。酔いで画面が滲み青白い光が夜風に揺れて、まるでオリオン座みたいだった。

俺は空を見上げた。

でもそこにあったのは、看板LEDだけだった。

もしこれを読んで俺のことだと気づいたのなら、どうか連絡をして欲しい。俺はおまえが好きだ。おまえがいないと俺はもう駄目みたいなんだ。

たくさん本も読んだし勉強した。今なら話にだってついていけるし、楽しませることだって出来る。

から連絡のひとつでいいからしてほしい。、お願いだ。頼む。

これを俺の遺書にはさせないでくれ。

2025-10-01

モスキート音を高めていくうちに聞こえなくなったが、スピーカー表面の物理的な振動が同じだからモスキート音がまだ出ていることは想像できる」みたいなのって何て言うの?

「知覚不能物の擬似的知覚」みたいな言葉存在すると思ってAIに何度か聞いてんだけどコイツ高校生が知らないレベル知識は嘘しか言わねえからよお。

でも実在しないとは思えないんだよな。

それとも日本語が貧弱なだけで海外にはあるのか?

とりまGPT飲尿するわ

面白い問いですね。

おっしゃっている状況は、

音は存在している(物理現象としては確かに出ている)

ただし感覚器官の限界を超えているので直接は知覚できない

でも「他の手がかり(スピーカー振動など)」を通じて「まだある」と知覚・想像している

ということですよね。

心理学哲学用語だと、いくつか近いものがあります

近い概念

間接知覚(indirect perception

五感で直接感じられないものを、他の感覚や推論を通じて知覚していると考える枠組み。

→ まさに「耳では聞こえないが、目や触覚で推測している」状態

代理知覚(vicarious perception / surrogate perception

別の感覚経路を通じて対象を把握すること。

擬似知覚(pseudo-perception

知覚のように感じるが、実際には直接的な感覚入力ではないもの

補助的知覚(mediated perception

科学哲学・知覚論で、「器具や別の手がかりを介して得られる知覚」をこう呼ぶことがある。

(例:顕微鏡を通して細胞を見る → 直接ではなく媒介された知覚)

感覚補完 / 知覚補完(perceptual filling-in)

視覚研究などで使われる用語。見えていないものを脳が補う現象。完全一致ではないけど近い。

一番しっくり来る候補

心理学的には 「間接知覚」

哲学的には 「媒介された知覚(mediated perception)」

が、挙げられた「知覚不能物の擬似的知覚」に一番近いと思います

もしもっと専門用語的な正式名称」を探しているとしたら、哲学分野(知覚論、認識論)の「mediated perception媒介知覚)」がかなり正解に近い気がします。


ブラックライトを当てると見えるけど、消したら見えなくなった──でも“そこにある”ことは理解している」という状況ですね。

モスキート音の例と同じく 「直接感覚できないが、確かに存在していると把握している状態」 を指す言葉です。

学術寄りの候補

1. 潜在的知覚(subliminal perception / latent perception

感覚閾を超えて直接には知覚できないが、心的にはその存在を捉えている場合に用いられることがある。

ただし心理学では「気づかないうちに影響を受ける」意味で使うことが多く、やや違う。

2. 媒介知覚(mediated perception

哲学科学論で使われる用語器具・状況・推論を通して対象を知覚すること。

ブラックライトスピーカー振動の例はこれにぴったり。

3. 間接知覚(indirect perception

「直接は感じないが、別の手段痕跡から知覚する」。

日常語に近く、直観にわかやすい。

4. 表象知覚(representational perception

直接の感覚ではなく、心の中の表象を通じて「まだある」と把握する場合に用いられる。

消えたスタンプを「心の中で表象」している感覚に近い。

日常的な言い換え

痕跡としての知覚」

「見えないけどあるとわかる感覚

残像理解」(厳密には視覚残像ではないが、直感的に伝わる)

🔑 まとめると:

学術的に一番近いのは 「媒介知覚(mediated perception)」 または 「間接知覚(indirect perception)」。

日常的に言うなら 「見えないけど存在理解できる感覚」「痕跡としての知覚」 などが自然

質問にあったニュアンスを強く持つ、ピタッとした「定番の一語」というよりは、文脈に応じて 「間接知覚」 が一番しっくり来る言葉だと思います

媒介知覚でググってもロクに何も出てこないか造語なんだろうな・・・やっぱAIは凄いわ。

でも「mediated perception」でググるとそこそこ出てくるからジャップランド哲学医学が未発達なだけという疑惑もある・・・

答を知りたいもの

2025-09-04

虚人たち

以下で展開される議論は、アメリカのある哲学者学術誌の査読ピアレビュー同業者による査読)の適切さを確かめるためにでっち上げデマ論文の内容であり、しかもその論文はある雑誌受理された。

このことから投稿者は、文化人類学者ではないが、いくつかの考察を試みる。

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1. 以下の内容は、「サル山のボス猿とそのなかま」が信奉するペニス信仰と、それに対する「フェミニスト」の反論の両方を痛烈に揶揄している。これらの議論は、ここ「はてな」での果てしない同種のやり取りの上位互換となっている。つまり、そのことに気づかないでいる、いわば自己相貌失認を患う矮小関係者の姿をアナロジカル揶揄している。

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2. 仲間による「レビュー」を経て認められた「議論」が、いかに穴だらけなものであるか、つまり特定コミュニティ支配イデオロギーとはしばしば、ブードゥー教偶像崇拝にすぎないことを示唆している。

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3. 投稿者はこのデマ論文の紹介により、いわば原始人に優れた棍棒の作り方の一例を教唆することになるかもしれない。いずれにせよ、上位互換議論デマであると著者により暴露されたことは、はてなでの「議論」の有効性の上界を抑えられたことを意味する。平たくいうと、0くxく1のように、xの取りうる範囲が有限なある一定の値以上にならないことである。原始人たちが、今後どのような道を選ぶのか知らないが、進化選択肢があることを付け加えたい。

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4. 敷衍すると、この論文の内容に限らず、はてなでの任意の「議論」には、それの上位互換となるある学術的な議論を作ることができる、という可能性が示唆される。平たくいうと、はてな投稿分析すれば論文が書けるかもしれない。

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この論文概念的なペニス社会構成である」は、ジェイミー・リンゼイピーター・ボイルによって2017年にCogent Social Sciencesに掲載された研究論文であり、ペニスという概念が単なる解剖学的な器官ではなく、社会的に構築されたものであり、それが有害な「毒性のある男性性」(toxic masculinity)と密接に関連しているという革新的な主張を展開しています[1]。著者らは、この「概念的なペニス」が、ジェンダーアイデンティティ生殖に関するアイデンティティ社会および家族力学に深刻な問題引き起こし女性やその他のジェンダー周縁化されたグループにとって虐待の根源となり、レイプ普遍的な原因であり、さら気候変動の概念的な原動力である結論付けています[2-4]。

1. 緒論:ペニス伝統理解への異議**

伝統的に、ペニス男性生殖器または性器として圧倒的かつ議論余地のないものとして科学的に認識されてきました[5]。しかし、著者らは、この見方が「過度に還元主義的」であり、ペニスを持つ人間経験多様性を完全に表現できていないため、「首尾一貫しない構成物」であると指摘します[6]。

この主張の根拠として、まず解剖学的なペニスが必ずしも男性生殖器官としての役割を果たすわけではないという事実が挙げられます[5]。例えば、怪我を負った者、配偶者強制できない者、子孫を産むことに興味がない者、医学的に不妊の者、またはアセクシュアルを自認する者など、ペニスを持つ多くの人々が生殖を行いません。これらの例は依然として「男性」を構成するかもしれませんが、彼らのペニス生殖器官として特定することは明確に誤謬であるとされています[5]。

さら重要な点として、ペニスを持つ女性が数多く存在することが強調されます[5]。これには、性別適合手術前のトランスジェンダー女性や、女性と自認し、性別移行を望んでいない染色体上の「男性」が含まれます[5, 7]。文化的有害常識に反して、これらの人々にとって、彼らの性器ペニス)は、生殖に利用される場合があったとしても、男性性器として最もよく理解されるべきではありません[7]。このような人間表現多様性という重要事実に照らして、ペニスを具体的に男性解剖学的な器官と概念化することは、非常に問題があり、言説的な再検討喫緊必要であるとされます[6]。

2. 概念的なペニス定義と「毒性のある男性性」との等型写像関係**

著者らは、ペニスが「男性性に対する首尾一貫しない構成物」であるとし、ペニス解剖学的な器官としてではなく、**ジェンダー遂行的な、非常に流動的な社会構成物**である概念的なペニス」として理解されるべきだと主張します[6]。この「概念的なペニス」は、ジェンダーに関連する様々な遂行的な行為発言を通じて社会確立されるペニス操作的な表現です[6]。

この概念的なペニスが、**「毒性のあるハイパーマスキュリニティ(hypermasculinity)」と等型写像的(isomorphic)な関係にある**とされています[1, 8-10]。この等型写像関係とは、二つの異なる構造が、その構成要素間の関係性において本質的に同じ形を持っていることを意味します。ここでは、概念的なペニスという社会構成物が、毒性のあるハイパーマスキュリニティの行動や心理鏡像のように一致しているということです。

特に、この等型写像関係は、**「マチスモ・ブラガドシオ」(machismo braggadocio)**という概念によって媒介されます[10, 11]。マチスモは本質的攻撃的な男性プライドを指し、ブラガドシオは傲慢な自慢の性質意味します[12]。これらが一体となって、社会的に男性的な心や異性愛規範的な女性の心がペニスを「客観視」し、それを介して男性性と支配的な男性権力ダイナミクス遂行的に表現する具体的な描写であるとされます[12]。

この等型写像関係において、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリン男性権力のない主体的立場から強力な立場へと自身を再配置するために、**「主体」「客体」「動詞」の三つの役割**を果たします[11-14]。

**客体としての概念的なペニス自己客観化)**: 多くのシスジェンダーハイパーマスキュリン男性は、ペニス男性権力支配制御能力、魅力、攻撃性の象徴として捉え、自らの男性性の最も明白な側面をペニスと同一視する傾向があります[9]。これは、彼らが自身概念的なペニスを通じて自己を客体化する行為であり、弱さの心理闘争を緩和するための権力再配置として機能します[12, 15]。男性勃起不全を「機能不全の非貫入的(異性愛男性性」という「虚構」として捉えることも、この自己客観化の例とされます[15]。

**主体としての概念的なペニス**: ハイパーマスキュリン精神性は、社会化された男性個人を、彼の概念的なペニス刻印され、具体化された延長と混同することがよくあります[13]。この混同を通じて、ハイパーマスキュリン男性自身概念的なペニスを「主体」とし、自身の核となるアイデンティティをそのペニスを通して表現します[13]。この現象は、新資本主義唯物論が「性的アイデンティティ客観的な価値を持つ」と示唆している状況で、特に不利な立場にある人々を抑圧する結果をもたらすとされます[13]。男性性的アイデンティティ客観的な価値があるという誤解は、権力のないハイパーマスキュリン男性主体を、彼の概念的なペニスによって強力なものとして再配置する結果を招きます[13]。

この主体としての役割は、男性性的な「征服」や「パフォーマンス」について自慢する際に明らかになります[16]。また、「俺は彼女にやった」「彼女もっと欲しがった」といった表現に見られるように、名詞の「それ」("it")が客体的な概念的なペニス女性経験の知覚された主体に変え、概念的なペニス男性ジェンダーパフォーマンスに関してさらに客体化します[16]。これにより、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな心において、ペニス主体として(男性の)セクシュアリティを強力な現実とする脱所有化(deappropriative)のツールとなります[16]。

**動詞としての概念的なペニス**: ハイパーマスキュリン男性は、「dick」(ペニス意味する俗語)という言葉を、行動を表す動詞として頻繁に使用します[14]。例えば、「to dick someone」(誰かを騙す、または性交する)や「I dicked her good」(彼女を十分に性交した)といった表現は、男性権力支配的な男性セクシュアリティテーマ表現するために利用されます[14]。これらの使用法は、男性自身主体的立場にある様々な言説の相互作用直感的に理解し、特定の状況、特に実際の性的な遭遇においてそれを調整することを可能します[14]。また、「I dicked him over」(彼をひどい目に合わせた)のように、他の男性に対する権力ダイナミクス表現するためにも使用され、支配的な男性ヘゲモニー思考を示しています[14]。

この傾向は、性的アイデンティティ根本的にヒエラルキーの維持に利用されるという考え方によって説明されます[17]。概念的なペニスを行動を表す動詞として使用することで、ハイパーマスキュリン男性は、他者を抑圧し、脱制度化する社会的なヒエラルキー強制し、自己認識的に高めます[17]。この現象は、ラップ音楽におけるミソジニー分析や、「マン・スプレッディング」(manspreading)と呼ばれる、公共交通機関などで男性が足を開いて座り、不必要に広いスペースを占有する行動にも見られます[17]。マン・スプレッディングの言い訳は、解剖学的なペニス睾丸が「快適さ」のためにスペースを必要とするという男性的な社会言説に直接基づいていますが、これは概念的なペニス遂行的な社会構成物として見た場合、周囲の空きスペースを「レイプする」ような支配的な物理空間占有であり、毒性のあるハイパーマスキュリニティへのマチスモ・ブラガドシオ等型写像を通じて最もよく理解されるとされます[17]。

マチスモはハイパーマスキュリン本質であり、ブラガドシオはその表現です[10]。現代思考における概念的な要素としてのペニスは、マチスモ・ブラガドシオの概念によって、ハイパーマスキュリニティにおける最も毒性があり問題のあるテーマ自然に等型写像関係にあります[10]。これらのテーマは、解剖学的なペニス自体には適用されず、生殖しない個人アセクシュアル個人にも関連性を持たないため、ペニス既存男性的な社会的な比喩を演じるために利用される、構築された社会的な客体、つまり言説的な「概念的なペニス」として理解されるべきだとされます[10]。

3. 気候変動と概念的なペニスの関連性**

概念的なペニスが毒性のあるハイパーマスキュリニティに等型写像的に同定されることの最も問題のある結果の一つが、**気候変動**であると指摘されています[4, 18]。気候変動は、まさにハイパーマスキュリニティ特定有害テーマによって引き起こされており、これらは概念的なペニス識別される気候生態学への支配的な略奪的アプローチを通じて最もよく理解できます[18]。

著者らは、地球が急速に2℃の気候変動閾値に近づいている原因が、現在資本主義構造を維持する家父長的な権力ダイナミクス特に化石燃料産業にあると主張します[18]。科学政治経済の言説におけるハイパーマスキュリン支配と、生態系への修復不能ダメージとの関連性は明確であるとされます[18]。破壊的で持続不可能であり、ヘゲモニー的に男性的な環境政策と行動へのアプローチは、男性優位の精神性による自然の「レイプ」の予測可能な結果です[19]。この精神性は、男性心理に対する概念的なペニス役割認識することによって最もよく捉えられます[19]。

特に資源安価に略奪し、家父長的な経済的利益のためにその内在的な価値を奪われた後、荒廃し減退したまま放置されるような「未開の環境」にこの精神性が適用されるとき概念的なペニスに内在するレイプ文化の延長が明らかになるとされます[19]。気候変動は、最もよく言えば、ハイパー家父長制社会地球生態系メタファー的に「マン・スプレッディング」している例であると述べられています[19]。

この問題のある傾向の根底にある理由は、現代資本主義理論、すなわち新資本主義理論が、科学社会におけるハイパーマスキュリンな焦点から直接その合理性の主張を引き出していることにあります。そしてこの焦点は、概念的なペニスとの同一視によって最もよく説明されるとされます[20]。毒性のあるハイパーマスキュリニティは、概念的なペニスから直接その意義を引き出し、新資本主義唯物論の支持に自身適用します[20]。この新資本主義唯物論は、特に炭素排出化石燃料技術の無制限使用や、未開の自然環境の無謀な支配において、気候変動の根本的な原動力であるとされます[20]。

この分析から導かれる実践的な推奨事項は、気候変動研究において、可能な限りハイパーマスキュリンペニス中心の視点を避けるように、政治科学の言説への関与方法を変えるべきであるというものです[3]。

4. 結論提言**

結論として、著者らは、ペニス男性性器生殖器として理解されるべきではなく、むしろ Permalink | 記事への反応(0) | 19:03

2025-08-31

富士通OEMばっかりやってたからだめな会社になった」

しかOEM 製品とは、富士通出身のやつが入れ知恵しそうなことだ。

ただ富士通にしても三洋電機にしてもoemで、実績を積んでいったことが、最終的に自分製品を強くしてるかと言うとしてないんだよ。富士通事業を変えたし、三洋は潰れたし。

車なら技術交流としてありだが、業種によってはヤバイ

まり何かを作るってことは?企画とかデザインとか上の方の部分まで含めて製造なわけですよ。生産だけ自分たちでやっても製造の中でも抽象的なグラウンドデザインの部分がいつまでたっても育たないまま売上だけが大きくなるから組織の中と実態で不協和が起こるんですまあ実行してるやつが光通信出身から光通信なんていうのは営業代行会社

もっと製品ことなんてどうでもいい人たちだからものづくりどころか、現場の作り方もよくわかってないんだよね。

これはグランドデザインっていう意味でもそうだし、安全コンプラみたいなところでもそうだよ

私、光通信のやつ3人知ってるけど、全員同じような曲線をたどって、最終的に事業をたたまざるを得ないところに進んでいく。

ましてや OEM に手を出した時点で伸びるスピードは速いかもしれないけど、実質ドーピングみたいなもんだからな。グラデーションの塗り方が甘いよ

まあ、富士通出身のやつと光通信出身のやつがみんなはクリエイティブを楽しんでいる中で、自分たちだけ OEM をやってそれで虚構の実績作りとかいビジネスの中でもかなりあくどい事例をやってるわけだから闇鍋というしかないよ。発注した人間たちの良心を疑う。

ちなみになんだけど、富士通って大昔のコンピューター時代から一貫して下駄を履いてる会社なので、あれは実力的に売上ほどではないです

銀行システムの話昔のコンピューター政策の話とか調べれば俺の言いたいことは多分わかってもらえると思う。

富士通光通信と違って、ちゃんとまともに大手な所っていうのは売上のために自分たちの会社の中でノウハウが積み上がらないとはそういうことしないんだよ。

そして、売上に婉曲的に影響する現場の人たちが共有しないといけない価値観っていうのをしっかり共有できてんだよ。見たからわかるよ

いつまでも中小企業だったり、いつまでも尊敬されない(裏でこそこそ笑われる)会社っていうのは、直接の売上に影響するところ、ばっかり大事にすんだよ。これも見たことあるからよくわかるんだな。

上辺の売り上げが印象ばっかり大事にしてる会社っていうのは残念ながら実在するんだよ。 そしてそれはちゃん社会経験がある人間なら言葉聞けば分かるんだよ。この社会経験っていうのは勤務した年数とかじゃない。価値観のぶつかり合いと修羅場経験した人間ね。

価値観がぶつからないと売上が大事なのか、もっと大事なことがあるのかさえ抜本的に考えないんだよ。俺は考えたけどな

まあ、僕より年上で社会ステータスも高かった人たちが価値観のぶつかり合いや修羅場経験してないということが分かって「サラリーマン名刺実績バトルってばかばかしいな」と改めて思うよ。

就職活動が嘘つき合戦なのは、ハリボテの実績を並べる人を好んでた、時代企業があるからです ただ、私の場合リボテの実績や名刺みたいなものは無しで、勝負し続けてちゃん自分が成長したり、理解したりアイデアを出したり、愛情を持って他人に接することで信頼を勝ち取りました。同じことができるものならやってみろ。生まれ変わったってお前たちには絶対にできない 。

私にだってその道の人が聞けばあっと驚くような実績はあるよ。でも言うよりもやって見せた方が格の違いを見せつけられるので言わないんだよ。

俺が自分のために作ったマニュアル会社採用されるという珍現象が起こったんだぞ!!自慢したいのは山々だけど自慢するのも恥ずかしい話だよ

それ以前の問題として過去仕事ですごかった人間でも今いる現場に合わせたチューンナップができないならそいつ無能だ。無能に騙されるな 私がブチ切れてるのは頭の悪い人間というのは一定数いて頭の悪いトレンドを作ったり、悪人虚構お金や実績を提供したりするバカ一定数いるということだ。

自分に近いコミュニティバカ一網打尽したい

https://www.youtube.com/watch?si=KrH1d8fZob6Aq83N&v=9hJLzzmbQAY&feature=youtu.be

もはや富士通の人と光通信の人に対してバカだなとしか思わない。腹が立つのはむしろバカに餌をあげてる増殖したバカだ。なまじ富士通光通信というビジネス界の阿片窟みたいなところから悪知恵をインターネットに持ち込んでるもんだからバカは騙されるというわけさ。今はそいつらに頭に来てる。

定義するなら媒介者?いや、むしろ培養者と言った方がいいかバカバカ培養するな。誰も幸せにしないものが世の中に増えるだけだよ。

それを黙って見ているほど、私は人の心を捨てたつもりはない。態度が悪いのは100も承知だが、言うべきことは言わせてもらう

2025-08-20

8月3週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

🎵 音楽ライブ文化

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🍜 食べ物飲み物外食

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🏢 仕事転職・学び

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🏠 生活日常地域

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💪 健康・体調・運動

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💻 テクノロジー社会経済

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1週間分の総括

この1週間のオープンチャットは、**音楽食べ物を軸に、仕事・学び・日常生活まで広がる多彩な雑談空間**となった。

大きな特徴は、

といった、軽妙な雑談と深い考察が同居すること。

総じて、参加者同士のリアル生活実感と知的好奇心が交差した、にぎやかで多層的な対話の場となっていた。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

2025-08-18

やっと福山雅治の膿が出た

自分福山の歌が好きで、アーティストとしては憧れてる人でもあるんだけど、ラジオでの性的発言をはじめとして、悪しきホモソーシャルに染まって悦に浸ってる姿勢が大嫌いだった

女を媒介にして男同士でコミュニケーションをとるっていうやつ。たぶん中居関連のやつも、性的に消費するポーズをとって男性同士で盛り上がってる中で、党の女性たちは当たり前に迷惑して傷ついていたんだろう。

まりにもダサい。昔はそれでよかったんだろうし、チヤホヤされてたけど、もう終わりだ

やっと福山の膿が出た

2025-08-15

何故、馬鹿狂犬病ワクチンを嫌うのか

また、Xで狂犬病ワクチンを打つ打たないが話題になっている。

ワクチンに対する是非の問題個人思想の自由なのでとやかく言うわけにはいかないが、ワクチン接種自体義務なのでしないなら犬を飼うな、以上の言葉はない。

だが、不思議じゃないだろうか?

なんで彼らはそこまでしてワクチン接種を嫌うのか。

それを個人独断偏見暴言説明しよう。

 

狂犬病が怖い

 

そもそも彼らは狂犬病が怖いのである

こういうと不思議に思う人がいるかもしれない。

「じゃあワクチン打てばいいじゃん」と思うのが普通だ。

しかし彼らはそこで”狂犬病を見ない”という選択を取ったのである

 

考えてみてほしい、致死率100%なんていう病気がこの世に実在するのは恐怖しかない。

世界中を混乱させた新型コロナだって65歳以上と絞った上で4%前後だ。

ちなみにワクチンを接種することでこれが2.4%まで下げられるらしい。

 

そんな死神のようなウィルス自分が住んでいる世界存在している、その事実が彼らは怖いのだ。

からその存在を”否定”するか”自分関係ない世界”の話にしたいのだ。

よく狂犬病ワクチン否定する人の中に「日本狂犬病を根絶したから打つ必要はない」という人を見かけないだろうか?

それが後者タイプ人間だ。

狂犬病と言う恐ろしい病気は遠い海を渡った異国の世界の話であり、日本には関係がない”と思い込みたいのだ。

その道理が通るなら新型コロナウィルスだって中国国内で治まっているか日本アメリカまで感染が広がることはないのだが。

 

当然だが、国内での狂犬病を根絶したからと言って、今後100%国内で出ないとは言い切れない。

そもそも狂犬病と言うのは哺乳類全般がかかる病気であり、海外ではコウモリキツネ、猫等が媒体となっていることは有名だ。

日本ではあまり見られないが、飼い猫にも狂犬病ワクチンを打つべきだという人も少なくはない。

外来種問題がここまで有名になっている昨今、海外から持ち込まれ動物媒介者となって再び日本狂犬病が出る可能性は、国際化が進んでいる昨今の方がリスクが高い。

そうなっていないのは、航空や港で水際対策をしている人たちの陰ながらの努力のおかげでしかない。

 

想像力の偏り

 

ワクチンを反対する人の中に、副作用による死亡を危惧する人も少なくない。

事実副作用によって死亡したケースも存在する。

麻布大学論文によると15年間で打った7257万3199回のワクチン接種のうち重篤副作用発症したのが317件でそのうち死亡したのが71件あった。

重篤副作用が起こる可能性が0.4%であり、死亡率はさらに低いことになる。

こういうことを言うと、この人たちは必ずと言っていいほど「でも0%じゃない! 可能性はある!」と声高に叫ぶ。

人が1年間のうちに交通事故にあう可能性は1-2%と言われているが、これを知ったら狂犬病ワクチンに反対する人は外出できなくなるんじゃないかと私は心配である

なにせ狂犬病ワクチン副作用の2倍の確立である

私も先月、愛車をぶつけられたばかりだ(涙)

 

もちろん、そんなこと心配して外出しない反対派はいないだろう。

では、どうしてそこまで彼らが0%に拘るのか、と言われれば”愛犬の死は想像やすいから”だ。

巷にもペットとの死別の話は山のように存在しているし、ドラマ映画等々で映像で見ることも多い。

からこそ「もし、自分の大好きなペットが死んだら……」という想像は容易い。

 

では狂犬病はどうだろう?

これを書いている私も狂犬病患者を診たのはブラックジャック漫画の中くらいだ。

実際、日本清浄国になったのは1957年であり、大体70歳以下の人は少なくとも国内で見たことがある人はまずいないだろう。

身近な病気ではないので創作物でもなかなか取り上げられることはなく、どんな病気なのかもわからない人もいるだろう。

 

この結果、何が生まれるかと言うと、想像やすい愛犬の死を致死率100%病気と比べて前者を優先してしまうのだ。

ちなみに狂犬病での世界の死亡者数は年間で5万5千人であり、万が一この病気がまた日本蔓延すれば、71匹など目ではない人数の人間と犬が死ぬ

だが、彼らには年間5万5千人の死亡者は見えない、見ようともしない。

遠い異国の何万人の死亡者想像できない。

半世紀前にはその病気日本にも存在して猛威を振るっていたけど、現在はないか想像できない。

もしその病気日本に渡ってきたら数多くの人や犬が死ぬかもしれないけど想像できない。

でも、身近な愛犬の死は想像できるから死亡率0.4%以下のワクチン忌避したい。

だ っ て 想 像 力 が 偏 っ て る か ら。

 

そうやって狂犬病の恐ろしさから目をそらしてワクチンに反対しているのだ。

 

もちろん、重篤副作用から犬を護るために安全性を高めることを製薬会社に求めるのは間違っていない。

たとえ0.4%でも自分の愛する家族へのリスクが減ることに越したことはない。

可能な限り0に近づける努力をすることは製薬会社義務である

愛犬を護るために打ったワクチンで、苦しむ犬が少しでも減ることは大事ことなのだからちゃんワクチンを打ってる人がそれを求めるのは当然の権利だ。

 

不勉強勉強

 

陰謀論にハマってしまった人に対して「不勉強勉強家」と表現する人がいる。

これは、何かに対しての不安を解消するのに自分が信じたい情報だけを集めて間違った考えを強固にしていく人を指している。

狂犬病ワクチンの反対派にも言えることだ。

おそらく、最初は小さな気持ちが始まりだったのだろう。

注射を嫌がる愛犬を見て心を痛めたり、ワクチン費用の出費が痛かったり、ただ単純に連れて行くのが面倒だったり。

そうした時にふと沸き上がった”ワクチンて本当に必要なの?”という不満。

そう思ってネット検索すれば、その自分気持ち肯定してくれる情報が次々と見つかってくる。

「やっぱり自分は間違ってなかったんだ!」という歪な承認欲求が満たされ、さらに”自分肯定してくれる”情報ばかりを集めていく。

都合のいい情報ばかり集めて自分肯定し、安心を得ているからこそ、それを否定する人たちに強く反発する。

だって、それを否定されたら安心できないから。

だって、それを認めたら自分否定されたと思うから

そうやって否定する人を遠ざけて、自分にとって都合のいい人たちだけ集めてお互いにいい子いい子して安心している。

それが”不勉強勉強家”の哀れな姿である

 

最後

 

狂犬病ワクチンの接種は飼い主の義務であり、これを拒否する人間は犬を飼う資格はない。

日本はそういう風にルールを敷いているので、それが嫌なら日本を出ていくしかない。

文句があるなら法律を変えてくれる政治家を探すか自分政治家になればいい。

ワクチンを打った上でワクチンに疑問を呈するのは何ら問題はない、それは認められている。

そういった最低限の義務も果たさずに文句を言ったとしても、誰も受け入れてくれるわけがないのだ。

 

最後にとやまソフトセンターyoutubeチャンネルでは毎年、狂犬病予防接種会場の様子を編集してあげている。

飼い主とワンちゃん悲喜こもごもな様子はとても面白いで興味がある方は是非、見てほしい。

何故、馬鹿狂犬病ワクチンを嫌うのか

また、Xで狂犬病ワクチンを打つ打たないが話題になっている。

ワクチンに対する是非の問題個人思想の自由なのでとやかく言うわけにはいかないが、ワクチン接種自体義務なのでしないなら犬を飼うな、以上の言葉はない。

だが、不思議じゃないだろうか?

なんで彼らはそこまでしてワクチン接種を嫌うのか。

それを個人独断偏見暴言説明しよう。

 

狂犬病が怖い

 

そもそも彼らは狂犬病が怖いのである

こういうと不思議に思う人がいるかもしれない。

「じゃあワクチン打てばいいじゃん」と思うのが普通だ。

しかし彼らはそこで”狂犬病を見ない”という選択を取ったのである

 

考えてみてほしい、致死率100%なんていう病気がこの世に実在するのは恐怖しかない。

世界中を混乱させた新型コロナだって65歳以上と絞った上で4%前後だ。

ちなみにワクチンを接種することでこれが2.4%まで下げられるらしい。

 

そんな死神のようなウィルス自分が住んでいる世界存在している、その事実が彼らは怖いのだ。

からその存在を”否定”するか”自分関係ない世界”の話にしたいのだ。

よく狂犬病ワクチン否定する人の中に「日本狂犬病を根絶したから打つ必要はない」という人を見かけないだろうか?

それが後者タイプ人間だ。

狂犬病と言う恐ろしい病気は遠い海を渡った異国の世界の話であり、日本には関係がない”と思い込みたいのだ。

その道理が通るなら新型コロナウィルスだって中国国内で治まっているか日本アメリカまで感染が広がることはないのだが。

 

当然だが、国内での狂犬病を根絶したからと言って、今後100%国内で出ないとは言い切れない。

そもそも狂犬病と言うのは哺乳類全般がかかる病気であり、海外ではコウモリキツネ、猫等が媒体となっていることは有名だ。

日本ではあまり見られないが、飼い猫にも狂犬病ワクチンを打つべきだという人も少なくはない。

外来種問題がここまで有名になっている昨今、海外から持ち込まれ動物媒介者となって再び日本狂犬病が出る可能性は、国際化が進んでいる昨今の方がリスクが高い。

そうなっていないのは、航空や港で水際対策をしている人たちの陰ながらの努力のおかげでしかない。

 

想像力の偏り

 

ワクチンを反対する人の中に、副作用による死亡を危惧する人も少なくない。

事実副作用によって死亡したケースも存在する。

麻布大学論文によると15年間で打った7257万3199回のワクチン接種のうち重篤副作用発症したのが317件でそのうち死亡したのが71件あった。

重篤副作用が起こる可能性が0.4%であり、死亡率はさらに低いことになる。

こういうことを言うと、この人たちは必ずと言っていいほど「でも0%じゃない! 可能性はある!」と声高に叫ぶ。

人が1年間のうちに交通事故にあう可能性は1-2%と言われているが、これを知ったら狂犬病ワクチンに反対する人は外出できなくなるんじゃないかと私は心配である

なにせ狂犬病ワクチン副作用の2倍の確立である

私も先月、愛車をぶつけられたばかりだ(涙)

 

もちろん、そんなこと心配して外出しない反対派はいないだろう。

では、どうしてそこまで彼らが0%に拘るのか、と言われれば”愛犬の死は想像やすいから”だ。

巷にもペットとの死別の話は山のように存在しているし、ドラマ映画等々で映像で見ることも多い。

からこそ「もし、自分の大好きなペットが死んだら……」という想像は容易い。

 

では狂犬病はどうだろう?

これを書いている私も狂犬病患者を診たのはブラックジャック漫画の中くらいだ。

実際、日本清浄国になったのは1957年であり、大体70歳以下の人は少なくとも国内で見たことがある人はまずいないだろう。

身近な病気ではないので創作物でもなかなか取り上げられることはなく、どんな病気なのかもわからない人もいるだろう。

 

この結果、何が生まれるかと言うと、想像やすい愛犬の死を致死率100%病気と比べて前者を優先してしまうのだ。

ちなみに狂犬病での世界の死亡者数は年間で5万5千人であり、万が一この病気がまた日本蔓延すれば、71匹など目ではない人数の人間と犬が死ぬ

だが、彼らには年間5万5千人の死亡者は見えない、見ようともしない。

遠い異国の何万人の死亡者想像できない。

半世紀前にはその病気日本にも存在して猛威を振るっていたけど、現在はないか想像できない。

もしその病気日本に渡ってきたら数多くの人や犬が死ぬかもしれないけど想像できない。

でも、身近な愛犬の死は想像できるから死亡率0.4%以下のワクチン忌避したい。

だ っ て 想 像 力 が 偏 っ て る か ら。

 

そうやって狂犬病の恐ろしさから目をそらしてワクチンに反対しているのだ。

 

もちろん、重篤副作用から犬を護るために安全性を高めることを製薬会社に求めるのは間違っていない。

たとえ0.4%でも自分の愛する家族へのリスクが減ることに越したことはない。

可能な限り0に近づける努力をすることは製薬会社義務である

愛犬を護るために打ったワクチンで、苦しむ犬が少しでも減ることは大事ことなのだからちゃんワクチンを打ってる人がそれを求めるのは当然の権利だ。

 

不勉強勉強

 

陰謀論にハマってしまった人に対して「不勉強勉強家」と表現する人がいる。

これは、何かに対しての不安を解消するのに自分が信じたい情報だけを集めて間違った考えを強固にしていく人を指している。

狂犬病ワクチンの反対派にも言えることだ。

おそらく、最初は小さな気持ちが始まりだったのだろう。

注射を嫌がる愛犬を見て心を痛めたり、ワクチン費用の出費が痛かったり、ただ単純に連れて行くのが面倒だったり。

そうした時にふと沸き上がった”ワクチンて本当に必要なの?”という不満。

そう思ってネット検索すれば、その自分気持ち肯定してくれる情報が次々と見つかってくる。

「やっぱり自分は間違ってなかったんだ!」という歪な承認欲求が満たされ、さらに”自分肯定してくれる”情報ばかりを集めていく。

都合のいい情報ばかり集めて自分肯定し、安心を得ているからこそ、それを否定する人たちに強く反発する。

だって、それを否定されたら安心できないから。

だって、それを認めたら自分否定されたと思うから

そうやって否定する人を遠ざけて、自分にとって都合のいい人たちだけ集めてお互いにいい子いい子して安心している。

それが”不勉強勉強家”の哀れな姿である

 

最後

 

狂犬病ワクチンの接種は飼い主の義務であり、これを拒否する人間は犬を飼う資格はない。

日本はそういう風にルールを敷いているので、それが嫌なら日本を出ていくしかない。

文句があるなら法律を変えてくれる政治家を探すか自分政治家になればいい。

ワクチンを打った上でワクチンに疑問を呈するのは何ら問題はない、それは認められている。

そういった最低限の義務も果たさずに文句を言ったとしても、誰も受け入れてくれるわけがないのだ。

 

最後にとやまソフトセンターyoutubeチャンネルでは毎年、狂犬病予防接種会場の様子を編集してあげている。

飼い主とワンちゃん悲喜こもごもな様子はとても面白いで興味がある方は是非、見てほしい。

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