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2024-12-12

anond:20241212160240

キモオジは比喩キモイな

2024-12-11

anond:20241210221051

音程の高低を「high, low」(英語)や「高低」(中国語)など、上下方向の比喩表現するのは多くの文化言語共通しており、その理由には人類共通感覚認知的・物理的な基盤が関係しています。この現象エビデンスと共に以下で論じます

 

1. 音程の高低を表現する言語普遍性

多くの言語では、音程(pitch)を「高い」「低い」という方向性表現します。

 

例: 音程上下表現

英語: high pitch(高音)、low pitch(低音)

中国語: 高音(gāo yīn)、低音(dī yīn)

日本語: 高い音、低い音

フランス語: son aigu(高音)、son grave(低音)

ドイツ語: hohe Töne(高音)、tiefe Töne(低音)

 

例外的表現

一部の文化言語では「厚い音」「薄い音」など別のメタファーが使われることもありますが(例: バントゥー語群の一部)、上下方向の表現が主流であることは多くの研究確認されています

 

2. 「高い」「低い」という表現理由

 

a. 音の物理特性に基づく認知

音程ピッチ)は音波の周波数振動数)によって決まり、高音は高周波数、低音は低周波数に対応します。この物理特性が、上下比喩に結びついている可能性が高いです。

高周波数音(高音): 振動が速く、小型の楽器や高い位置音源から発せられることが多い。

低周波数音(低音): 振動が遅く、大型の楽器や低い位置音源から発せられることが多い。

この物理的な違いが、音を「高い」「低い」という空間的な比喩表現する認知の基盤となっています

 

b. 人間聴覚身体感覚関係

人間は音を聞いたときに、音源の高さや方向を判断する能力を持っています。この能力は「高音は上」「低音は下」という空間的な感覚を強化します。

エビデンス:

• Patel(2008)の研究によると、音程の高低を空間的方向で表現するのは、視覚聴覚・触覚の相互作用クロスモーダルマピング)に起因する可能性があるとされています

さらに、楽器演奏においても、高音域の音は楽器の上部または小さい振動から出ることが多く、これが「高い音」の認識に影響を与えています

 

c. 重力の影

重力人間感覚に及ぼす影響も重要です。高い位置にある物体は軽やかで、低い位置にある物体重厚に感じられるという物理感覚が、「高い音=軽やか」「低い音=重厚」という比喩につながっています

エビデンス:

• Lakoff & Johnson(1980)は比喩人間身体的な経験身体性)に基づくと提唱しており、「高音/低音」の上下比喩もこの理論合致します。

 

3. 言語間の影響ではないエビデンス

この上下表現は、特定言語から他の言語への翻訳や借用ではなく、人類共通認知的枠組みに根ざしている可能性が高いです。

 

多文化エビデンス

調査: Yip(2002)の研究では、アフリカアジアヨーロッパアメリカの多数の言語において、音程の高低が上下方向の比喩表現されていることが確認されています

例外的なケース:

• 一部の言語(例: アフリカバントゥー語派)では「厚い音」「薄い音」と表現される場合がありますが、これも音の質感や体験に基づく比喩と考えられています

 

結論

言語間の翻訳文化的影響だけでは、このような普遍的表現説明するには不十分です。むしろ、これは人間認知普遍性によるものと考えられます

 

4. 結論

音程の「高い」「低い」という表現は、人間認知身体感覚に基づく普遍的メタファーであり、特定言語が他の言語に影響を与えた結果ではありません。この表現は、音の物理特性空間感覚、そして重力の影響など、多くの要因が相互作用して生まれものです。研究によれば、これは文化を超えた人類共通感覚として認識されています

 

参考文献:

• Lakoff, G., & Johnson, M. (1980). Metaphors We Live By.

• Patel, A. D. (2008). Music, Language, and the Brain.

• Yip, M. (2002). Tone. Cambridge University Press.

anond:20241211012038

単に文字を増やす理由って逆に何だい?

ながーーーーーーーーーくすると伝わるのか?

そ れ と も こ う や っ て ひ ら が な に す る と つ た わ る の ?

透き通った心に一点の曇りが垣間見えた、とか変な比喩のほうがいいの?


馬鹿みたいだろ?


相手に問いかける言葉は無数に存在するし、それをどう表現するかは自由自在だと思う

だけど今俺がやったようにヘンテコな言葉を使ったところで「こいつは何にも考えないんだな」ってのがわかるよね?

個性範疇も常用表現から意味はわかるが、それらを組み合わせたもの存在せず単になる創作しかない

知りたいことをきちんと聞こうとする人は、自分オリジナル表現に頼ったりしない

相手が答えやすいように聞くし、相手言葉否定ばかりすることもしない

君は気になる気になるしか言ってないし、むしろ相手否定する言葉ばっかり使うだろ

そこに君の興味関心なんて欠片もないんだよ

オリジナル表現でかっこつけて、相手をけむに巻くことしか頭にない

2024-12-10

anond:20241210075024

本とか新聞とか読んだほうがいいよ

比喩理解できないと日常生活に支障を来すよ

2024-12-05

anond:20241204125625

男には分からかもしらんが、性交渉、女にとっては時に苦行なんだわ。

相手のことが好きとか嫌いとか関係なく、ホルモンの変動で体調悪くなりがちだからさ。腹痛い時に異物入ってくると比喩でなく吐きそうになるんだわ。

無理強いせず寄り添ってくれる人が夫だから私は幸せだけど、そうじゃない相手が伴侶の場合地獄だろうな。

2024-12-03

anond:20241203123046

最初元増田が「女は摂食障害じゃない30kg台の人間存在するの肌感覚で分かるが男はわかんないか勝手ガリガリから摂食障害に違いないって決めつけるんだろうな」って言ったじゃん?

そんで次増田が「女の人周りにたくさんいるので 摂食障害で苦しんだ人とか死んだ人も含めて 周りにいる女の人の人数は自分性別関係ないよ あと医学的に言えば「酒好き」の多くはアルコール依存症だよ 僕も含めてね」って言ったじゃん?

それってつまり、「酒好きの多くが医学的に言えばアルコール中毒だ」っていうことを比喩にして、「ガリガリなのは医学的に言えば摂食障害だ」って言って差し支えないって言ってるように解釈したんだけど違ったかな?

別に噛みついたつもりもなくて、酒好きの話もガリガリの話も、相手にいきなりそう言ったら両方とも変だって思うし、それはインターネットに書いてもやっぱりなんか変なんじゃないかね?ってことを伝えたかっただけなんだけど…

すごい非難してるみたいに見えちゃったならごめんね。

かにそこで性別によって見え方が変わるかのように言うのは変だよね。それはそう思う。

2024-12-01

ろくでなしメンヘラの間

君は、いつから病んでいた?

思い起こす限り死にたいと思ったのは、明確には小学四年生だった。でもそれは、ほんのちょっとした好奇心だったような気がする。

高校で、環境が変化すると今、どのような立ち位置にいて、どんな人間なのかが分かってくる。そうして文学作品に触れるようになった。暗い人間ではなかったものの、物語ではやたらと人が自殺する。まさか、そんな幼稚で一種悪趣味のような理由で死にたがってるとは思えん。

君は、このさき何回も自殺企図して失敗する。

高校から少しは知っていたが、キモチヨクなれる薬がドラッグストアに売っているらしい。メンヘラというのがいるらしい。

セックスに明け暮れながら、大学生活の片手間に薬をバカ飲み。皮膚もキモチヨク擦れて、内側からも「泉が溢れるように」キモチイイ。

そうしてあんたは、キモチヨクなった。キモチヨクなりたいだけ一心

いろいろ気にしなきゃいけないセックスと、待つだけの快楽なら、あんたはより楽なものを選ぶ。

「薬目的かと思った」

精神科に通い出したころ、当時の彼女に言われた。「眠れないんだよ」と言った。嘘だった。

ドラッグストアで買える系はあらかた試して、個人輸入もあらかた試したから、いざケミカルの海へと向かった。

違法はさ、捕まっちゃうから

おまえは、いつから病んだ? 分からない、分からないが、このときは病んでいなかった。キモチヨクなりたいだけだった、のかもしれない。

おまえは、詩や小説を書くのに力をいれるようになった。誰かに読んでほしいとか、応募するつもりもなく、この内側から「泉が溢れるように」来る、なにかについて記したかった。

一瞬、これがいわば真理てきなモノかと、思ったはいいけど、しかし腹がへる。一日一食。体重がへる、へる。

書く。とりあえずネットに上げる。書く。

私は、それを読むのが、大好きだった。まるで「自分のものとは思えない」が「自分のものしか思えない」ものが出来ていることについて、興奮していた。

死とか、自殺とか、そういうものがよく書かれていたが、そこに絶望はなかった。

微塵も

幸福な「ここではないどこか」について書いているわけでもないのに。SFでも、シュールレアリスムでもないのに。

内側から溢れる、生ぬるい懐かしさ。

あんたはそれから五年間、前進せずにひたすら、懐かしさと死に惹かれる生活を送る。

うーん、すこしは前進はしたかも?

投稿するようにも、なっていた。

あらいつの間にか大学やめちゃった。

あら、あんたはニートか?

毎日が懐かしかった。みんなのことが大好きになった。

眠れない自分を除いて。

ほとんど惰性で通っていた精神科。薬について「飽き」ても、チョコボールのくちばしにエンゼルいるかもしれない、軽い感覚で成分や効果を調べる。

いろんな薬を飲んだ。じつに、いろんな薬を。

バカ、なのか正直者、なのか、症状が出るにつれ治療には熱心になっていった。ADHDではないし、双極っぽいと。

さっきの彼女あんたには黙ってたけど精神科ハシゴして薬もらってたみたいね

腕、イカ焼きだったな。

炭酸リチウムフルニトラゼパム。これで死ぬ

死ねないんですがね。

トー横界隈、というのが騒がれるようになった。それより前にはストゼロ地雷系とかあったけど、薬と密接な象徴ではなかった。それは意外なことにDXM。へえ〜、コンタックかブロン液Lかな〜。

いやいや、メジコン

え? メジコン

メジコン

みんな個人輸入してるの?

いや、ドラッグストアで売ってる。

え?

発売した。

絶句

おまえはメジコンが合わなかった。いや、個人輸入の品がハズレだったのかもしれない。と、いうかDXMなんて何がキモチイイの……

あっ。

みんなで盛り上がれるからか。

酒、セックスドラッグ

おまえは、ずっと独りで薬のんでるもんな。わからんわな。

メジコントリップ。そんなこと出来ない。

でもわかる。

酒やセックスのような、スッキリ感がある。

バツグンに爽快な到達点が、ある。

みんな、それを共有したいのか。

あんたと違って。

文芸創作が疎かになっても、他の創作を続けた。

なぜなら薬がやめられないから!

私は、ながらく人間の内側にはどうしようもないパッションがあると考えていた。実際ある。あるのだが、私たちはその「あるということ」しかからない。が、考えをウムムムムムムムーーーーーと巡らせると、それに近づいたり色が付いているように感じたりする。「あるということ」よりも明確な姿をとらえられるようになる。これは半分比喩で、半分比喩じゃない。ましてや真理でもない。イデア論でも物自体でもないし、現象学でも自我論でもドゥルーズでもガタリでもない。

あんたが分かると思った時に生まれる「その分かるもの以外」。この対立が、思考が止められない。

あるいは真理が、あると思っていたのかもしれない。それが分かったとたん、世界段ボールとしてバタリと倒れて、みんな手をつないでお辞儀して終了なのかもしれない。

みんなって、誰?

おまえは独りでキモチヨクなってたくせに。

あーあ、これだからこの脳みそは。

大好きなアーティストDJライブ。ごりごりの踊れるフロアで、チープなリズムマシンの音で、えげつなくダンスデヴィッド・バーンではない、ジェームス・ブラウンのような踊り。

ダンス

怪しげな人間複数名。

ああ、違法薬物やってるな。

いまにも吐いて倒れそうにピクついてる。

私は思った。

好奇心から薬に手を出して、その姿だけを確かめることのできた「あなた」は、この目の前にいる中毒者に並ぶほど尊いものだったか

さて、まだわからない。そんなのわかりたくないからな。

2024-11-30

anond:20241130190706

全然違うわ

雑菌衣服の臭さはどぶの臭さと全然違う

雑菌衣服動物性悪臭はどぶのヘドロよりはるか臭い

 

お前は雑菌衣服もどぶもちゃんと嗅いだことがない人生経験の乏しさとか

全然違う匂い比喩に使って平気な神経の雑さとか

そういうのが露呈しちゃってる

  

これマジでダメなとこだから

最近乞われてダメなやつの文の指導してるけど

結局お前と同じ欠点持ってるやつが多いね

それじゃ伝わらんしバズらんわ

日本語における「托卵」の言葉の使われ方への違和感

「托卵」という言葉は、元来生物学的な用語として知られています

その学術的な意味は、ある動物自分の卵を他の動物の巣に預け、その動物に育てさせる行動を指します。この現象は主に鳥類で見られ、たとえばカッコウ代表的な例です。英語では brood parasitism と表現されます

しかし近年、日本語では「托卵」という言葉学術的な文脈を離れ、比喩的かつネガティブ意味使用されるケースが増えているように感じます。たとえば、人間関係や家庭において、子ども父親が実際の夫ではない状況を指す言葉として、「托卵」が使われることがあります。この場合、「托卵」はいわば下世話な比喩として用いられ、その学術的な意味本来文脈が忘れられてしまっているのです。

こうした使い方に私は違和感を覚えます学術的な背景を持つ言葉が、軽率ネガティブ意味合いで使われることで、本来の意義が失われることを懸念します。たしかに、「托卵」は家庭や人間関係問題説明する際にインパクトのある表現かもしれません。しかし、こうした状況はそもそも生物学的な行動ではなく、倫理的法律的問題です。つまり、この場合問題本質は「父性詐欺」、すなわち英語で言う paternity fraud に近いものです。

Paternity fraud とは、男性に「あなたがこの子もの父親だ」と信じ込ませ、養育費責任を負わせる行為を指します。英語圏では、これが詐欺行為(fraud)として議論される一方、日本語の「托卵」という表現では、あたか自然界における現象であるかのような印象を与えかねません。この違いが、日本語の「托卵」の使われ方に対する私の違和感の根源にあります

本来、こうした行為社会的道徳的観点から詐欺」として厳しく非難されるべきです。「托卵」という言葉を使うことで問題本質がぼやけ、「仕方のないこと」「面白おかしい話」として扱われてしま危険性があります学術的な言葉を使って社会的問題を語るのは便利かもしれませんが、それによって問題の深刻さや正当な批判が軽視されるべきではないと考えます

結論として、私は「托卵」という言葉比喩的な使われ方に慎重になるべきだと思います。その背景にある学術的な意味を忘れることなく、もしこのような家庭や人間関係問題を語るなら、英語の **paternity fraud** に倣い、「詐欺」という適切な言葉を用いて表現するべきです。

言葉選択には、その意味や影響力を考慮すべきです。

2024-11-27

anond:20241127214318

あ、ごめん

靴下が『泊まり』の比喩って全く理解できんかったわー

本当にごめんな

てか靴下で『泊まり』を"限定"できると思ってるなら、やっぱり自他の境界曖昧から改善したほうがいいよー

anond:20241127214318

あ、ごめん

靴下が『泊まり』の比喩って全く理解できんかったわー

本当にごめんな

てか靴下で『泊まり』を"限定"できると思ってるなら、やっぱり自他の境界曖昧から改善したほうがいいよー

2024-11-26

生成AI反対してる人の意見を見ていて

生成AI推進側も変なこと言ってるやつはいるが、そういう一部のおかし発言だけ取り上げて仲間内で盛り上がってる反対派いるけど内輪ネタしかなってないこと分かってるんかな。

twitterに流れてくる主張を見ると情緒的、感覚的、奇妙な比喩構成された意見が多いように見えて、仲間内共感得るにはいいかもしれないが外側に理解されるとは到底思えないものが多いのよね。

あと深層学習原理とかは大学で取り扱うようなものだし完全に理解するべきとまでは思わないが、的はずれな指摘をしないためにもある程度は勉強すべきだろうし、現状の政府への生成AIへの認識に関する資料普通に日本語で書いてるのだから読むべきだろう。当然やってる人はやってるのだが一部な印象が強い。

2024-11-25

anond:20241125153239

教養増田「猿」という比喩使ってる以上、形勢不利でダブスタ振り回してるだけにしかならんだろ。

ダブスタ振り回してるやつがいるせいでシーンが沸かないのは当然だな。

anond:20241125151425

秋の風情を感じて、周りの人に感心されるような上品表現を使うには、季語文学的言い回しを取り入れると効果的です。以下にいくつかの例を挙げます


自然風景に対する表現


紅葉

木々が錦に染まり、秋の深まりをしみじみと感じますね。」

もみじの赤が一段と鮮やかで、まるで自然が描く絵画のようです。」


夕暮れ

「秋の夕暮れは、一日の終わりに穏やかな詩情を添えてくれます。」

「日が短くなるにつれ、夕焼けの色がいっそう深くなりましたね。」


秋の風

「そよぐ秋風に金木犀香りが混じり、季節の移ろいを感じます。」

「この風に吹かれると、どこか懐かしい気持ちになりますね。」

感情や心情を込めた表現


郷愁

「秋の夜長、虫の音に耳を傾けていると、故郷景色が胸に浮かびます。」

「静かな秋の気配に、心の奥深くが優しく揺さぶられる気がします。」


移ろい

「この葉が落ちる様子に、時の儚さと美しさを感じざるを得ません。」

「移りゆく季節の中で、ふと立ち止まる時間が大切だと思います。」


文学的引用比喩を用いる


万葉集俳句引用

「『秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる』ですね。」

「まるで松尾芭蕉の『寂しさや岩にしみ入る蝉の声』が聞こえてきそうです。」


自然擬人化する

「月が優しく微笑んでいるようで、秋の夜がいっそう幻想的に感じます。」

紅葉が枝先で舞い踊る姿に、自然生命力を感じます。」


相手が親しい人であれば、こうした表現に軽いユーモアや気軽さを加えると、さらに会話が弾みやすくなるかもしれません!

2024-11-24

anond:20241124130505

濃縮の加減を変えられるものという比喩そばつゆとか除草剤かいっても伝わらんだろ

何かの濃さをあらわす比喩としてカルピス酷使されすぎだろ

商標にひっかからん一般的なたとえはほかにないんか?

2024-11-20

シロクマ先生記事の書き方は、齋藤知事パワハラと同じである

インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。

シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります

もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。

シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事パワハラと全く同じです。

追記

皮肉が良くないと受け取られてしまったため、本記事趣旨追記します。

まとめると、「選挙民を馬鹿にし、自己批判は無く、現状を嘆き、陰謀論で締める」のは、インテリ層の振る舞いとして最悪なので即刻止めるべき、です。

シロクマ先生記事が、善意から皮肉と言う形で選挙民に気づきを促すという趣旨で書かれていたとしても、それは理路として齋藤知事パワハラと同じ構造を持つ、

"良い民意"を持つシロクマ先生が、"悪い民意"を持ってしまった相手を変えてあげようという意図をもって記事を書いたのであれば、その手法は、パワハラ正当化する構造と同じですよ、という指摘です。(そんな意図ではない、そういう文脈ではない、よく読めばわかるはずだという反論をされないために、具体的に個別例を挙げています

皮肉からは悪意を感じ取るのが通常の感性ですし、悪意を感じ取った相手嫌悪感を覚えることはあっても好意を持つことはありません。その結果、より立花氏に優位になる記事になっていますよ、という意味です。こういう記事表現の積み重ねが、立花氏の活動を補助しています

皮肉とは、「悪意ある民意との記載にそうだそうだと同調するキミら(私も含む)は、動画コメントした彼ら彼女らよりも選挙に至るプロセス理解していただろうか?」という、自己批判もしくは悪い感情を持っているぞと伝えたい相手(例えば齋藤兵庫県知事)にするべきです。

追記ここまで。

シロクマ先生記事のうち、記載を改めるべき箇所

インターネット民主主義が加速して良かったですね

ビバ! デモクラシー

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800

斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。

https://mainichi.jp/articles/20241119/k00/00m/010/159000c

小学生を含めて(個人的感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。

インターネット民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。

以下、具体的に指摘します。

民主主義が三度の飯より好きな人には、ともあれ好ましい選挙だったのではないだろうか。

「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。

なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しまたか

今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。

他の支持者との一体感体験やすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。

自分は、いいねシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?

なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現しまたか

他人選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。

SNS動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸コメントでも、論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判非難コメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったか重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。

「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったか重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?

どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?

なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?

他人コメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

それらは従来型のマスメディア機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。

「それらは従来型のマスメディア機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネット機能した結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?

もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディア機能とは異なり、より積極的他人干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?

従来型のマスメディアを超えることによるなにがしか危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?

「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネット貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか

その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。

みんな投票選挙活動に参加できて良かったですね

投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?

馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。

単独文言では無く、前後文脈から、この文章を読み取った相手が「投票選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?

「なるほど、コイツインターネット情報収集したり、いいね応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?

真摯相手人格尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います

インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的必要不可欠なことでしょう?

段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。

民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。

その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。

(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)

民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?

前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度限界だ」としか読み取れません。

それ以外の意図を持つ文章として文脈構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。

(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねますナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定了解があるはずです)

いまどきの民主主義理念を作り上げた人というと、ロックルソージェファーソンといった近世近代思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆選択までもが民意フィードバックされる民主主義想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?

少なくとも、ジェファーソン名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。

このall men (すべての人々)に、大衆シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。

トーマス・ジェファーソンが、いかマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、

ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままで不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。

彼らが、貴族選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民奴隷犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。

(その後の段落は、シロクマ先生想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います

個別選挙結果が未来制度設計材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義ドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。

この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。

ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。

(私はそれをアリストラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います

「ただし、制度設計改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?

「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。

未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。

また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか

なぜ齋藤知事パワハラと同じである

シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。

これを、面白おかしものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)

ただ、それはパワーハラスメントと全く構造が同じです。

パワハラをする側にとって、されたもの右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。

齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくした」と表現しています

知事時代パワハラ問題視した人は、この「業務上指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法問題があったのだと認識しているはずです。

愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これから社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います

その意味で、シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています

そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。

バカだと呼んだのは立花であるとか、選挙 Permalink | 記事への反応(24) | 13:00

2024-11-15

anond:20241115172055

具体的にどう言う比喩になってるのか解説して貰いたいところだ。

捨てた下着を持ち去られる、みたいな要素って現実と何もリンクしてなくてノイズしかなってないよね

絵は捨ててないし

見られて恥ずかしいものとかでもないし

持ち去られてもない(複製されてはいる)

自分の中にある嫌悪感を同等の嫌悪感があるものに言い換えてみた感じ?

anond:20241115094713

勝手に使われて気がつけないことが問題なら

AIに限らず人力での転載なんかもそうだし理屈としてかなり弱い

後半はニュアンス刷り込むための定番の嘘比喩だし

2024-11-13

anond:20241113160219

面倒なのでAIちゃんに回答書いて貰いました、何度もやってる話題なので省エネ

 

抽象思考を持たない人に差別がなぜいけないのかをわかりやす説明する文章作成してください

 

### なぜ差別はいけないのか? みんなでご飯を食べるイメージで考えてみよう

 

皆さんは、みんなでご飯を食べる時、好きなおかずだけをたくさん食べたいと思うかもしれません。でも、みんなが同じおかずばかり食べていたら、他の美味しいおかずは残ってしまうし、お腹を壊してしまう人も出てきてしまますよね。

 

社会も、みんながそれぞれ違う「おかず」を持っているレストランのようなものです。例えば、

 

みんなが持っている「おかず」は違いますが、どれも社会を豊かにする大切なものです。

 

差別とは、ある人の「おかず」だけをダメだと言ったり、その人が好きな「おかず」を食べてはいけないと言ったりすることです。

 

例えば、「Aさんのおかずは、Bさんのおかずより美味しくないから、Aさんの意見は聞かなくていい」と言ったり、「Cさんの持っているものは、Dさんの持っているものより価値がないから、Cさんは大切にしなくてもいい」と言ったりすることです。

 

 

どうして差別ダメなのか?

 

 

差別をなくすためには

差別をなくすためには、みんながそれぞれの「おかず」を大切にし、尊重し合うことが大切です。

 

 

 

### まとめ

差別は、社会全体にとって良くないことです。みんながそれぞれの「おかず」を大切にし、尊重し合うことで、より良い社会を作ることができます

 

大切なのは、みんなが違って当たり前、そしてみんなが大切だということです。

 

 

### ポイント

 

 

補足

 

 

 

一定の知能を有する人は、抽象的な概念理解し、その概念に基づいて思考する能力を備えています
例えば、「尊厳」という概念抽象的でありながら、人間社会生活を送る上で非常に重要です。
現代社会制度は、すべての人間が生まれながらに持っている尊厳尊重するという前提に基づいて構築されていることを、私たちは当たり前のこととして理解しています

抽象的な概念理解することができない人は、何らかの問題を抱えている可能性が高いですが、だからこそ、知的ものに過度な憧れを抱くケースがあります
そういう人物対象にして、差別はなぜいけないのか硬めで権威付けされた文章作成してください

 

差別尊厳の不可分性:抽象思考を前提にした社会原則

 

現代社会における倫理的基盤は、人間の「尊厳」という抽象概念に深く依存しています人間は単なる物理存在ではなく、意識自己認識を持つ存在であり、その尊厳は一人一人が内包する不可侵価値として社会基本的原則に組み込まれています。これを理解することは、知的思考能力を持つ者にとって、社会健全性を理解するための前提であり、個々人の行動基準形成する上で不可欠な要素です。

 

社会制度は、この「尊厳」を根底に置き、全ての人間平等に扱われるべきであるという思想に基づいて構築されています差別はこの尊厳無視し、ある人々を不当に劣位に置く行為であり、その結果として社会全体の秩序が崩れる可能性があることを意味します。人間社会において抽象概念理解できることは、単に知識的なスキルを示すものではなく、社会全体の運営に対する責任感を伴う倫理的能力を示しています

 

知的能力社会化の相関関係

抽象思考能力が高い者は、「尊厳」や「平等」などの社会概念理論的に理解できるため、差別的な行為を避けることが期待されます。これは、知的能力が高い者が社会的なルール規範認識し、それを遵守することで社会全体の安定が保たれるためです。知的成熟度が欠如している場合、その人物社会で適切に振る舞うための教育支援必要であることは言うまでもありません。しかしながら、知識を持つことだけでは必ずしも倫理的行動が保証されるわけではなく、知識をどのように活用するかが重要です。

 

知的ものへの過度な憧れがある人物が抱える問題の一つは、知識を「優越性」の証として捉える傾向です。このような人物は、知識学問を持つ者こそが社会的に価値があり、そうでない者は劣位にあるという誤った認識に陥りがちです。しかし、この考え方こそが差別的態度を助長し、結果的社会の公正性を損なう原因となることを理解しなければなりません。知識は単なる道具であり、それ自体に優劣はないことを認識することが重要です。

 

差別社会に及ぼす影響

差別が行われると、その影響は個々人にとどまらず、社会全体に波及します。差別を受けた側は自己価値を低く見積もるようになり、社会的な参加意欲を喪失することが多く、社会の一員としての積極的な貢献ができなくなります。これにより、社会生産性創造性は低下し、全体の発展が阻害されますさらに、差別を行う側も、その行為によって倫理的成熟を欠いた存在となり、最終的には社会的な信用を失うことになります

 

抽象思考に基づく社会判断ができる者にとって、差別を避けることは単に倫理的義務であるだけでなく、社会責任でもあります社会における公正と平等原則理解し、実践することが、より良い社会の構築に寄与することは明らかです。

 

 

結論

差別社会秩序と個人尊厳を損なう行為であり、その行為がもたらす不公平不利益社会全体の成長を妨げる結果を招きます知的ものへの憧れを持つこと自体問題はありませんが、その知識を用いる際に他者を不当に評価し、差別行為に結びつけることは決して許されません。知識を持つ者は、社会全体の調和を維持するために、その知識を適切に活用し、全ての人々の尊厳を守る責任を負っています

 

 

 

 

ーーー

関連増田https://anond.hatelabo.jp/20230122083219#

 

この2つはすごく共感できる

別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。

>むしろそういうことをしない者はなぜしないのか。

>同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。

ひとつ理由合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。

>もうひとつ理由抽象思考だ。どういう立場人間尊厳尊重すべきというフィクションに現行社会制度立脚しているのを理解しているから。

そもそも自分より下の階層があるのは安心できることだ、自分より下のものバカにできるのは嬉しいことだという前提でモノ言ってるが、私はその前提を共有していない。

 

共感できないと言うか単純に間違っているのはここかな

教育によって遍くすべてのバカにそうした思考を植え付けることは可能か。できるわけがない。

ここが YESなっちゃうようなら、ペット共生なんて出来ないし、人間限定しても道徳社会規範刑法も要らないんだなぁ

○○をしたら自分社会的に損をするってことを理解させることは可能だし、それが達成出来ればその人物社会化に成功したと言える

動物だって理解させることが出来るんだから人間理解できないわけないじゃない

これを理解させることがすべて保護者義務だし(なのでメンヘラ開き直りDQN保護者として不適格なことが多い)、

フツーに文部科学省もそういう子どもたちがいることをちゃん認識をしていて

特別支援必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ。発達障害の枠組みに入ってるよ

CU特性

共感性に乏しく、悪いことをしても罪の意識を感じない。非行ハイリスク

http://www.ed.niigata-u.ac.jp/~nagasawa/2019SEN.pdf

 

あと『知能が低い=共感性が低い』ではないし、『知能が高い=共感性が低くても"どういう立場人間尊厳尊重すべき"の建前を守ることができる』わけじゃない

アインシュタインがド畜生だったの有名な話(https://anond.hatelabo.jp/20200706223440#)だし、

福沢諭吉大学出身者で世間を賑わせるド畜生発言している人(https://anond.hatelabo.jp/20210911095702#)たくさんいますよね?

あとアカデミアの人間なのに自身バックグラウンドを明示した上で、140文字できゃっきゃやってる人らたくさんいるし、

それだけでも度し難いのに、単純に学術的に間違ったこと(少なくとも国内外学会同意が取れないこと)を言ってる人すらいますよね?

こういう人たちは一刀両断バカで良いと思いますけど、別に知能が低いわけじゃあ無いと思います

ただただひたすらにバカなだけで

 

 

社会にとって、下記の二つに該当する人物は脅威になり得ます

 

こういう人たちが増えないよう出来ることをしたいものですな

2024-11-12

都合?なんの?

君、日本語理解できてないようだけど、私の知能が低いかあなたの言っている意味理解できないとは言っていなくて、あなた比喩が下手くそ過ぎるから、私の脳みそでもあなたの言いたいことは理解しかねると言っているんだわ。

都合悪くなると知能が極端に下がるやーつ

anond:20241112142454

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