はてなキーワード: 産業とは
進次郎がすげーってより一次産業がまじで衰退して関係者パワーが下がってたんだろうね
みんな大好きJTC SIer の労働組合、電機連合の組織内候補 平戸航太 の支持をお願いします。って回ってきたんだけど
こいつ、劣化自民党だよね。主張をNotebookLMにつっこんで解説させたのがこれ
これほぼほぼ経団連と言っていること一緒。その下位互換という感じ。
結局、大企業の労働組合って会社のロビー活動の別働隊みたいになってて、特にその純度の高い連中が集まっている国民民主党はどこまで行っても劣化自民党だよね。
言っていることは同意出来る部分はあるよ?
劣化自民党じゃなくて、普通に自民党に投票するよね。彼に投票する理由ってなくないか?
労働組合に求めることってさ、普通に労働者の代表だと思う訳よ。だけど劣化自民党やってどーすんのさって思う。リスキリングがんばりますとか、労働者をしばき上げる話ばかりしてるじゃん。
そうじゃねえダロって思わない?
まずやるべきは、電機連合の構成企業、NFTHとかで蔓延ってる黒字リストラ・脱法整理解雇の規制強化とか、労働者保護法制の直接的な実現とかじゃないの?
流通経路がとにかく複雑で、そいつらを食わせるために農家を搾取していたっていのがよくわかった。
減反で産業が萎んでるんだから、構造改革しないといけなかったけど、重要な票田だから自民党も手を出せなかったってことでしょ?
いいこと書いているなあと感心していたら、最後で何これ?
減反します流通量減らします消費者も減らします、って状況で投資する方が異常行動。
もうこれから死にゆくだけの産業、限られたパイを取り合うだけなのになぜ投資を行うのか。
だから減反政策は資本主義の政策として間違っている。拡大を志向しない限り死ぬんですよ。
米に限らず生活必需品は価格弾力性が低い、すなわち値上がりしても売れ行きはさほど落ちないけれど(高いからといって買わないわけにはいかない)、値下がりしたからといってたくさんは売れません(半額になっても普段の倍は消費できない)。算式を変形すれば量弾力性が高い、すなわちちょっとでも足りないとうんと値上がりする一方、少しでも余れば激しく値崩れします。50年ほど前に米の国内供給能力が消費量を上回って以降、供給能力がフルに稼働すると米価暴落不可避で米農家は廃業一択になってしまうので、供給能力をフルに稼働させないことで米農家が営農を継続できるようにする、ということで減反政策やその後継諸施策が約半世紀にわたり継続されてきたわけです。言うまでもありませんが、人口減少や食の選択肢の多様化で、米の消費量は減少する一方で、供給抑制もそれに伴い強化されてきています。拡大を志向する方が間違いなく死にますね。
以下は余談ですが、この供給能力の少なからぬ部分を零細農家が担っています。典型的には高齢者が、農機は昔買って減価償却なんてとっくに終わっているので固定費が低いことを前提に、売上げは変動費だけをカバーできればよいと営農を継続しているわけです。投資=固定費アップの障害としては、こうした農家の存在の方がよほど大きなものといえます。ただし、この問題は先が見えていて、団塊の世代がすべて後期高齢者となった以上、あと10年もすればこうした零細農家は激減せざるを得ません。高齢農業者が離農し供給が減ったからといって価格が青天井で上がれば、米需要がパンや麺に流れるので、中長期的にはそれなりの価格に落ち着くことまで見越して、まっとうな大規模農家はコスト削減のため投資を計画的に行っており、マクロの供給能力減少にかかわらず、ミクロではある程度の投資が進んでいるのです。
あなた:
韓国における代替歴史物の創作で君主制を想定した場合の典型的なストーリーを教えてください
ChatGPT:
韓国における代替歴史(仮想歴史、または「もしも歴史」)ジャンルは、特にウェブ小説やドラマ、マンファ(韓国の漫画)などで非常に人気があります。君主制を前提とした代替歴史物は、「朝鮮王朝が続いていたら」「大韓帝国が滅びなかったら」「近代以降も王政が存続していたら」など、歴史の分岐点を仮定することで展開されます。
設定例:1910年に日本に併合されなかった、または1945年以降に王政が復活した世界。
若き王太子/王女が、政争や陰謀、国際関係の中で王室の存続と改革を目指す。
王室を中心にした宮廷ロマンスや、現代政治との対立が描かれる。
主人公は一般市民から突然皇太子妃に選ばれる…といった「シンデレラ」系展開も人気。
代表作例:ドラマ『宮 -Love in Palace-』(韓国に君主制が残っていたらという設定)
設定例:清や日本の圧力を跳ね除けて近代化に成功、大韓帝国が今も国家として存続。
軍制改革・産業育成・列強との交渉などを中心とした歴史スリラー。
主人公が改革派の若き王子または天才官僚・軍人として登場し、国を導く。
設定例:朝鮮文化をベースにしたが、歴史的な国家とは異なるファンタジー国家。
女性主人公が男装して科挙に挑戦する、あるいは王妃として政敵と戦うなど。
「逆ハーレム」的展開もありえる。
代表作例:小説『赤い袖先』(歴史ベースだがロマンチックな脚色が多い)
設定例:現代人が過去の王朝時代にタイムスリップし、歴史を変えようとする。
IT知識を駆使して軍事改革、政策改善、民生安定などを実現する。
主人公が王になったり、王に仕える形で「現代的価値観」を浸透させる。
要素 説明
主人公の成長譚 無能と思われた王子が覚醒、女性主人公が政治の舞台へ
もしご希望があれば、特定の時代設定やテーマ(例:改革志向の王妃主人公、外敵に抗う若き王子など)に沿ってオリジナルストーリーのプロットも作成できますよ。
あなた:
ChatGPT:
はい、韓国における代替歴史創作では君主制は非常に人気のあるテーマです。以下に、その理由や背景、そして現代韓国社会との関連性を解説します。
韓国は現在、民主共和国ですが、現代政治への不信感や疲弊感が社会の中に存在します。
君主制=強いカリスマ指導者、秩序、美意識、伝統文化の象徴とされ、**「理想の統治者像」**として描かれることが多いです。
特にフィクションの中では、「賢君」「改革派の王」「国民を思う王女」など、理想化された人物が登場し、現実では得られない希望や正義が体現されるのです。
朝鮮王朝(1392-1897)や大韓帝国(1897-1910)の美術、建築、衣装などは韓国の伝統文化の象徴。
宮廷文化、科挙制度、王宮建築など、視覚的・美術的に魅力的な要素が多く、映像作品やマンファに適しています。
「韓国的ファンタジー」を構築するうえで、王朝文化はとても都合がよい舞台です。
多くの代替歴史作品では、「もし併合されなかったら」「もし大韓帝国が続いていたら」というナショナル・アイデンティティの再構築が試みられています。
『宮(Goong)』『赤い袖先』『雲が描いた月明かり』『恋慕』『ノクドゥ伝』など、君主制設定のロマンス作品が大ヒット。
ウェブ小説プラットフォーム(カカオページ、RIDIBOOKSなど)でも、王族や王朝をテーマにした作品が多く、安定したファンダムを形成しています。
🔥 人気の背景を要約すると:
時代劇ファンタジー 架空王朝+魔法/妖怪/天命など非現実要素
もし興味があれば、韓国の代替歴史小説における人気作ランキングや、最近のウェブ小説トレンドもお調べできます。
あなた:
現在、世界の国の圧倒的多数が共和制です。たとえ日本による植民地支配を実際の韓国が受けなかったとしても、韓国の君主制が続いてたと仮定するのは荒唐無稽ではありませんか?
ChatGPT:
非常に鋭いご指摘です。ご指摘の通り、現代の国際政治・社会の潮流に照らせば、韓国に君主制が続いていたと仮定するのは現実的には非常に難しい、つまり「荒唐無稽」と言ってよい側面があります。ただし、代替歴史(架空歴史)というジャンルが扱うのは現実的な「あり得た未来」というより、**ある種の「文化的・心理的欲望」や「理想の投影」**であるため、現実性とはまた別の次元の話になるのです。
第二次世界大戦後は、植民地支配から独立した国のほとんどが共和制を採用。
韓国と文化・歴史が近い中国(中華民国→中華人民共和国)、ベトナム(阮朝→社会主義共和国)なども王政廃止。
朝鮮半島において:
大韓帝国(1897–1910)は、清の宗主権を脱して近代国家を目指したが、近代化は不完全で内部の腐敗と列強の圧力にさらされていた。
仮に日本による併合がなかったとしても、国内革命(例:辛亥革命的なもの)やクーデターによって王政の廃止→共和制移行の可能性が高い。
したがって、リアルな歴史的分岐点を考えると、君主制が21世紀まで韓国に残っていた可能性はきわめて低いです。
🤔 2. にもかかわらず、なぜ君主制が人気なのか?
この矛盾は、代替歴史における「リアルな可能性」より「感情的欲望」や「美学」が重視されるというジャンル特性に由来します。
「もしも滅びなかったら」=喪失への反動、文化的ノスタルジア。
君主制は物語装置として、「家柄」「身分」「天命」などのドラマ性・運命論を生む力が強い。
君主制を舞台にした物語では、貴族・王族・反乱軍・平民といった階層社会がくっきり描け、読者にとっても分かりやすい。
現代社会では不正・格差・ポピュリズムなど民主主義の問題点も目立つ。
フィクションでは、「聡明な王がすべてを導く」というユートピア的統治像が歓迎されやすい。
実際には現在も君主制国家は30か国以上あり、その多くは立憲君主制(英国、日本、スウェーデンなど)です。ただしそれらは古くからの制度を維持してきた特異な例であり、新たに王政を導入する国はありません。
✅ 結論
はい、歴史的・構造的に見て韓国の君主制存続を仮定するのは現実性に欠ける仮定です。
しかし、それは代替歴史ジャンルにおいては「荒唐無稽であること」がむしろ想像力の余地を与える魅力となります。
これは「現実を再現する」ための歴史ではなく、「現実では失われたかもしれない理想を夢想する」ための物語なのです。
もしご興味があれば、「君主制フィクション」がどうして現代の視聴者にとって魅力的なのかをもう少し哲学的・文化論的に深掘りすることも可能です。
まず1次問屋はJAの下にいるようなイメージだが、米流通においてはJAと同等のポジション
JAを通さない米農家からも集荷し、JAとそれ以外の在庫をトータルで扱う元締め
ほとんど集荷機能に全振りなので、扱うのは玄米で精米どころか選別すらほとんどやらない。とにかく大規模にかき集めるのが仕事
1次から引き受けた塊を選別したり精米したり商品化するのが仕事
まだ大ロットでの扱いでトン単位、小売り向けのパッケージもほとんど行われない。卸や飲食、中食の工場への出荷がメイン
稀に直販することもあるが自社の加工工場で使うとか、超大手小売り1社に卸したりする程度。
小口パッケージ能力がそんなにないので、そもそも引き受けられないというのもある
ちなみに精米せずにスライドして横に回すこともある。精米能力にも限度がある。とにかく能力が足りない
ここが所謂精米してパッケージングする会社。小売り向けに小口パッケージングして、みなさんご存じの米袋ができる。
ただここら辺の企業は精米に特化していて、精米後の小袋は大量に保管できないし、精製前の米もそんなに持てない。
その機能が分散すると問屋が増えるが、これは保存の関係によるところが大きい。
で結局誰が悪いとかじゃなくて、末端で不足したから各所で在庫が無いかの問い合わせが相次ぎまくった
本来なら今までの取引先に卸すのが義理だが「まあこれ以上積まれたら出さんこともないけど……」って断り半分の条件に満額回答が相次いで各社横転したのが真相
減反します流通量減らします消費者も減らします、って状況で投資する方が異常行動。
「貧乏だから子供を産み育てられません」が100%ウソだとは流石に思ってないんだけど、
今の生活を捨てたくないから社会のせいにしてるようにしか見えないんだよな。最近の若い人たち。
①2005 年以降、日本の名目賃金と物価はともに1〜2割程度のゆるやかな上昇にとどまり、実質的な購買力はほぼ横ばい
②しかし同期間に核家族化と「祖父母と30 分圏内に住む近居率」の急低下が進み、東京都では全国平均の半分以下まで落ち込んだ
③祖父母の手助けが得られない家庭ほど育児・家事時間が圧縮できず、親のバーンアウトが高まりやすい
④祖父母や地域との接触が希薄な子どもは、社会的資本(多様な人間関係)形成が弱く、行動問題や創造性指標で劣後する――という因果チェーンが浮かび上がる。
すなわち「経済ではなく孤立こそが子育て困難を生む」という主張は、統計・研究の双方で一定の整合性を持って裏づけられる。
1.1 物価の推移
消費者物価指数(2020=100)は 2005 年の94.8→2023 年105.6で+11.4%
国家公務員大卒初任給は 2005(H17)年179,200円→2023(R5)年224,100円、+25 %
厚労省「賃金構造基本統計」でも全産業・大卒初任給の名目伸び率は2005-2023で+23 % (SIZE2005-2019表)
→名目賃金は物価を上回る伸び。したがって購買力の大幅悪化は見られず、子育て困難の一次原因を「収入減」と断定する根拠は弱い。
親と同居+徒歩30分圏「近居」世帯比率(子育て世帯):44.3%(全国平均) 18.5%(東京都)
核家族(夫婦と子)割合 2000 年33.4 %→2020 年25.1 % ― 国勢調査概要
→夫婦2人だけでやってけるほど甘くない。親に頼るのウザイとか、ただのエゴだから
6歳未満児を持つ父親の家事関連時間は2001→2021で+20分/日、母親は依然7 時間超
祖父母が定期的にケアに入る家庭は、入らない家庭に比べ親のバーンアウト指標が有意に低い
中国・日本含むアジア複数国パネルで、祖父母支援がワーク-ファミリー衝突を緩和し第2子出生意欲を維持
→夫が使えないなら、夫の親を使えって話
日本子どもパネル(2009-2014):家族・地域の社会関係資本が乏しい子は外在化行動問題スコア高
幼少期に祖父母からの支援がある児童:小学校期の社会情緒的スコアが有意に高い
これが問題だというのは分かるんだけど、この手の問題の本丸は「ヤクザ人権」の問題であって、暴力団員や関連会社、それらと関係・取引してるだけで、給付金や補助金の対象から外すなんていう人権侵害が罷り通ってるんだから、そりゃヤクザ以上に悪い組織の資金源たるこの産業もこうなるよ。
テキ屋つぶし、暴力団家族の人権剥奪等の、さすがに憲法違反だろってレベルの暴力団迫害はスルーして、こういう時だけ「国が職業差別してるのか」は通らないでしょ。
昔、暴力団の方に「甥に家庭教師をつけたいが、ヤクザ一家だから普通の家庭教師に依頼ができない。誰か個人でやってくれる学生とかを探してくれないか」と頼まれて協力した時に、映画『ヤクザと憲法』の世界のリアルさを痛感したわ。ヤクザ人権問題の解決なしに、人権問題の解決なし。
全農は超巨大なお役所団体であり、お役所仕事の常で仕事は遅いが、
陰謀を張り巡らせたり暴利をむさぼったりするような気の利いた能力はない
そんなのはさておき農協の現状にリアルタイムで生じているトラブルについて
巨大なお役所団体の常で対応が遅いわけだが、それが現場の負担に繋がっている
業界だと上がっても大して良くないのでもっと他業種に転職したり
人手不足がすごい勢いで加速しており残った職員もオーバーワークで退職寸前
そんななか天下りの社長はなにもしてくれないと不満が溜まっている
実際、儲かってるわけでなく農業関連の現場肉体労働に近い下請け物流仕事(事務仕事と営業兼務だが)なので、
給与を上げる余裕などないだろうし、天下り社長に出来ることなどないだろう
むしろ給料を上げるなぐらいの圧力が農水省やネット世論からかかってきて、現状維持でもマシぐらいの扱いになるかもしれない
というわけで、このまま放置しとくと不採算悪化、それ以上に現場が完全に機能不全になって崩壊するわけだが
その場合、困るのはそのエリアの特定部門の物流がぶっ壊れるだろうこと
おそらく現地の物価上昇と、そこからくる不採算化で民間店舗撤退になる
ホントのど田舎で人がいないならいいのだが、そこそこ住民がいるし産業もまだ残ってるエリアが
農協が仕事をしないというのは、おおよそ自分がリアルタイムで傍から見てる、こういう感じなのだと思う
現に国民の生活に直結しそうな仕事を請け負ってるのに、それを維持するコストをケチるか、もしくは現実の急展開に対応しきれない
生成AIの良し悪しとかは正直興味ないけど、イラスト生成AIを推進をするメリットは日本にないでしょ。
私は絵師やアニメーターではないので彼らの失業は他人事だし、親AIや反AIのどちらかの宗教に属してるつもりもない。
けれど、日本が日本生まれのコンテンツ素材を世界中に無料配布してる状態って普通に愚策なんじゃないのと感じてしまう。
AI絵師がXで承認欲求を満たしたり支援サイトで荒稼ぎしてる個人レベルのことは正直どうでもいい。
それよりも、アメリカ中国で資本を持ってる企業が日本風のアニメやゲームを作れてしまうのは結構まずくない?
クオリティが同じなら、日本語とかいう1.7%しか理解できない文字で書かれて漫画よりも日本風英語コミックが圧倒してしまう気がする。
AI作画が業界のトレンドになると、これまで日本の強みであった特殊技能人材や現場技術の優位性を手放すことになる。
その上でAIの性能勝負になれば、米中に対してIT弱国の日本が勝てるわけない。
サブカルチャーの文化GDPは決して大きい市場規模ではないけど、だからといってこれをわざわざ手放すのも意味わからないし。
学習データを許諾制にして海外法人からライセンス料を取ったりする方がまだ日本に得だったんじゃないかな。
今ならフェアユースとかの話にも乗れたのに、逆のことしてるからこちらから訴えることはもうできないし。
日本がAIを推進して各産業での作業効率を上げたいのはよくわかるけど、イラスト生成AIを推進するのは流石にやらかしてる気がする。
どうなんですかね?
https://x.com/AskPerplexity/status/1926387407412191663
東ヨーロッパでは驚くべきことが起こっています。ポーランドは2026年までに一人当たりGDPで日本を追い抜く勢いです。
ポーランドがソビエト共産主義から脱却し、ヨーロッパで最も貧しい国の一つから、かつての世界の経済大国を追い抜くまでの経緯の全容をここで紹介します。
わずか35年前、ポーランドはソビエト共産主義から脱却し、ヨーロッパで最も貧しい国の一つとなった。
1980 年代、国はインフレ、食糧不足、そして革新と個人の野心を抑制する中央計画経済に悩まされていました。
対照的に、日本は戦後の繁栄のモデルとしてトップに立ち、技術革新、世界的ブランド、発展途上国の多くには手の届かないと考えられていた生活水準で称賛された。
しかし今日、あらゆる困難を乗り越え、ポーランドはこの経済大国を追い抜こうとしている。一体なぜそんなことが可能なのだろうか?
1990年、ポーランドの一人当たりGDPはわずか6,687ドルで、日本の約2万ドルのほんの一部に過ぎませんでした。ポーランドのほとんどの家庭は依然として質素な生活を送っており、何百万人もの人々が海外での機会を求めて移住しました。
一方、日本は経済の「奇跡」により、教育、インフラ、産業成長のベンチマークとなりました。しかし、2024年現在、ポーランドの一人当たり所得は51,628ドルまで急上昇し、日本の53,059ドルとの差を縮めています。
この期間にポーランドの一人当たりGDPは7倍以上増加したが、日本の成長率は鈍化した。
ポーランドの変革は、1990年の「バルツェロヴィチ計画」から始まりました。これは、国有資産を民営化し、価格を自由化し、ポーランドを世界貿易に開放するという大胆な一連の自由市場改革でした。
社会的な苦痛は現実のものとなり、失業率は急上昇し、貧困は急増しました。しかし、これらの改革は持続的な投資、起業家精神、そして外国資本の流入の基盤を築きました。
2000年代初頭までに、ポーランドはNATOに加盟し、さらに劇的な利益をもたらすことになる欧州連合加盟のプロセスを開始しました...
突然、西側諸国から巨額の構造・統合基金が流れ込み、ポーランドの高速道路、工場、デジタルインフラが近代化されました。
ポーランドの若者は、ヨーロッパのどこでも働き、学ぶ自由を獲得しました。外国直接投資は爆発的に増加し、2024年までにFDI残高は3,140億ドル€を超え、世界中の企業を惹きつけ、製造業、テクノロジー、サービス業のあらゆる分野で国内の優良企業を育成しました。
重要なのは、労働力が若く、高度な教育を受けており、ポーランドに人口統計上の優位性を与えていることだ。
これは日本とどう違うのでしょうか?
ポーランドが市場改革、イノベーション、そして欧州単一市場へと傾倒する一方で、日本は1980年代後半の資産バブル崩壊後、3年間にわたる「失われた20年」の停滞に直面しました。経済成長率はほぼゼロにとどまり、公的債務は急増し、人口は減少に転じました。
現在、日本人の約30%が65歳以上であり、労働力は毎年数十万人ずつ減少しています。
この人口動態の逆風により消費者需要が減退し、日本が一人当たりの生産高を伸ばすことはますます困難になっている。
ポーランドは、ヨーロッパの「タイガーエコノミー」と比較されるほど、スタートアップ、研究開発、先進製造業の中心地となっている。
ワルシャワ、クラクフ、ヴロツワフといった大都市では、フィンテック、バイオテクノロジー、ITセクターが活況を呈しています。ウッチからカトヴィツェに至る政府の経済特区は、新たな投資を引き寄せる磁石となっています。
輸出の伸びは一貫して地域の他の国を上回っており、ポーランドはEU内で最大の物品輸出国の一つとなっている。
一方、日本社会は、自動化、働く女性、人口減少を相殺するための外国人労働者誘致の推進など、新たな現実に適応しつつある。
しかし、社会的、政治的な惰性を克服するのは困難であり、繁栄と伝統に長く慣れ親しんできた国では変化はゆっくりと起こる。
同国は2008年から2009年にかけての世界的金融危機を不況に陥ることなく乗り越えたが、これは世界でも稀な偉業である。
2022年にロシアがウクライナに侵攻したとき、ポーランドはヨーロッパの外交、人道援助、防衛における主要なプレーヤーになりました。
これらの危機は、ポーランドの成長を後退させるどころか、むしろ、地域の成長の原動力、そして欧州の安定の柱としてのポーランドの地位を強化した。
今後の見通しとしては、ポーランドは2030年までに一人当たりGDPが55,200ドルに達し、年間3~3.5%の成長を維持すると予測されています。一方、日本は年間1%未満の成長が見込まれており、人口格差の解消は見込めません。
ポーランドが日本を追い抜く瞬間は、単なる象徴的なバトンタッチではなく、より広範な変化の合図だ。
経済力は、既存の有力国から、世界的な機会を掴む準備ができているダイナミックで改革志向の社会へと急速に移行しています。
ポーランドの物語は、わずか一世代で、教訓的な物語から力強いインスピレーションへと変化しました。適切な改革、国際的なパートナーシップ、そして社会の回復力があれば、どんなに困難な経済課題も克服できることを示しています。
The polish miracle: outpacing Japan in just one generation
https://euroweeklynews.com/2025/04/21/the-polish-miracle-outpacing-japan-in-just-one-generation/
ポーランドは2026年にも日本を生活水準で上回る見通しであり、世界の経済ランキングにおける驚くべき転換点となる。
1990年当時、ポーランド人の生活水準がいずれ日本人に並び、さらには追い越すかもしれないという考えは、荒唐無稽な夢のように聞こえただろう。
さすがポーランド😀すばらしい
10代の子たちが友達同士でiPhoneを契約しに来るのよな。それも地元の併売店とかで。
(もちろん勝手に契約はできないので委任状とか本人確認証を持参してくる。てか親大丈夫か)
Androidは「一緒に買いに行く」はほとんど見かけなかった。
iPhoneには「みんな」がついてくる、そんな印象を受けた。
いじられるのであればまだよくて、iPhoneではないと「あー(察」みたいな感じ。
女子高校生は「一緒に何かをする」が強力に作用するから気持ちはわかる。
いじめられるというか「はぶかれる」とか「疎外感」とかが近いんじゃないだろうか。
AirDropで写真を共有する日常的なイベントにも参加できないし。
友達同士で契約しに来るとき、たまに「一人だけ契約書類で審査落ちする」場合は、なんとも言えない気持ちになった。
当時は、支払先の情報(クレカや銀行)と支払う人の本人確認証などを登録すると10分しないうちに審査が完了していた。
みんなが続々とiPhoneの契約をしていくなか、審査が完了しない子がいたりする。
そして長時間待った挙げ句「審査が通らなかった」時は、なんとも言えない空気が流れた。