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はてなキーワード: 査読とは

2025-02-24

最近、アンフェ界隈で存在感を増してるrei氏について

https://note.com/beatangel

このアカウントね。思想については本題ではないので、彼の論文解釈の仕方に絞って言う。

彼が持論を擁護するためにもってくる論文は確かにまともな学術論文誌(だと思われる。専門外なので確信はもてないけど)に掲載されたもので、査読付き論文なんだけど、解釈の仕方が致命的におかしい。俺も最初は知らない論文が多かったから、興味深く読んでたんだけど、途中で英文解釈乖離してない?と思って原文見たら、彼の言ってることと違うこと(あるいはむしろ反対のこと)を主張してることが多くて、頭抱えた。一部とかじゃなくて、ほとんど全部にその手の牽強付会があるので、くれぐれも氏の主張にハマらないように。

解釈おかしい例についてはとりあえずめんどいから書かないけど、もし要望があったら別に書く。彼が意図的にやってるのか、それとも単純に論文解釈能力が欠如してるのかはわからんけど、とにかく彼のnote購読するなら「必ず」引用された論文を見て解釈おかしいか確認しないとやばい、くらいにはおかしい。

2025-02-17

anond:20250217164532

スラム街(𝕏)の地獄ラップバトルに参加するわけねーだろ

アサクリ関連を英語で見てるとその寝言はほざけなくなるぞ

白人様は~」「カトリックは~」我慢したのに、イエローというかジャップの分際で生意気みたいなセリフガンガン出てくるぞ

アジア差別を是とされる世の中なら、SHOGUNエミー賞史上最多の18部門を受賞なんてことは無かったろうよ。多様性大事だぞ

 

この件で積極的に声を上げてくれてるのが、weeb & 虹エロ推進派 が中心なのは悲しい

『あらゆる規制に反対してるのに、人種差別文化の盗用(非尊重)の表現は、規制するのかよ』って突っ込まれてる

まぁそらスラム街(𝕏)ではそういうラップバトルになるよな・・・とは思うが、

そういうツッコミしてるのが、あらゆる規制反対派ではなく、包摂を唱えるDEI推進派のつもりのひとだからな(イエローというかジャップの分際で生意気みたいな発言も同様)

地獄めいてます

 

DEI推進派のつもりのとんでもねぇ差別主義者を作らないためにも多様性マジで大事だぞ

そもそも任天堂SONY日本メーカーからな。weeb ホイホイでしょ

  

皮肉ではなく本来意味意識高い人は、侍の定義、弥助は侍ではないに納得してくれてるし、

英語話者向けのコンテンツでも説明されているし(WIRED見直したぜ)、

Japanese Historian Answers Samurai Questions | Tech Support - WIRED

https://youtu.be/IEpd2SVw0F8

そもそも歴史の授業や専門書でちゃん日本を学んでくれると思う

とはいえ京都大学トンデモ査読通ってるのがこの界隈の油断ならないところだが)

 

 

あと、人種によって異なる不均等な暴力表現白人に対しては攻撃できないが日本人は四肢欠損させて非武装市民殺せてペナルティ無し)、

宗教施設無意味破壊御神体破壊、無断盗用についても、問題意識を持ってくれると思うけど、

意識高い人は、スラム街地獄ラップバトルに参戦しねーんじゃねーかな

一般誌やTVで取り上げられたら『よくない』っていう程度じゃないかしら

 

なので、アサクリで声上げてるのは、weeb & 虹エロ推進派 が中心というのが現実

2025-02-06

anond:20250203224000

数年後、卒業論文指導根本的に変わっていた。

学生たちは相変わらず論文を提出するが、それを読むのはもはや人間ではない。査読指導もすべてAIが行う。指導教員形式上いるものの、論文の中身を精査することはなくなった。研究テーマが与えられ、学生は生成AIを使って論文作成し、AIが採点し、フィードバックを与える。論理破綻矛盾、誤った計算結果があれば、AI修正を促す。それで問題解決すれば、それでよし。

学生はもはやコードバグに悩むこともなければ、理論の正しさに苦しむこともない。すべては「最適化」され、円滑に流れる。誰も研究の内容を理解していなくても、論文は完成するし、評価される。大学はそのシステムのもとで問題なく回り続けていた。

時折、「教育とは何だったのか?」と疑問を抱く教員もいたが、それを考えたところで何かが変わるわけではない。そもそも、今の学生たちが本当に学びを求めているのかすら分からない。彼らにとって重要なのは論文を出し、卒業し、就職すること」であり、その過程がどのように進められるかは大した問題ではないのだ。

社会もまた、それで回っていた。企業AIの精査を通じた論文評価を受け入れ、AIによってトレーニングされた人材採用する。研究成果もまた、AIによって評価され、AIによって管理される。結果として、誰も論文の中身を読まなくなって久しい。だが、不思議なことに、学術論文の数はかつてないほど増え続け、研究生産性は上がり続けている。

ある日、ある学生AI指導に疑問を持った。「この結果、本当に正しいのかな?」と。しかし、その問いに答える人間はどこにもいなかった。教授も、研究室の先輩も、誰もが「AIが正しいと言っているなら、正しいんじゃない?」と口をそろえて言う。彼が自分の手で確かめる術を持っていなかったのは、そもそもそうした能力が養われる機会が失われていたからだった。

教育意味は、完全に変わってしまったのだ。

2025-02-05

朗報トランスさん、著名医雑誌ボコボコにされる

https://adc.bmj.com/content/early/2024/10/15/archdischild-2024-327994.info

Gender medicine and the Cass Review: why medicine and the law make poor bedfellows

(ジェンダー医学とキャス・レビュー:なぜ医学と法は相性が悪いのか)

2024年4月英国カスレビュー(Cass Review)の最終報告書が発表され、18歳未満のジェンダーアイデンティティ関連医療改善目的とした勧告が行われた。このレビューは、NHSイングランド(NHSE)の依頼により実施され、特にホルモン治療エビデンスが不十分であることを指摘し、臨床研究の枠組み内で提供されるべきである結論付けた。

しかし、英国医師会(BMA)の評議会は、7月レビューの「方法論的な弱点」に懸念を示し、特にYale Law SchoolのIntegrity Projectによるマクナマラらの論文がその根拠となっていた。

論文では、カスレビュー正当性擁護し、批判根拠となった論文の誤りを指摘している。

マクナマラ論文問題点:

(1) キャス・レビュー方法論に関する誤解

マクナマラ論文は、キャス・レビューが「標準的な臨床ガイドライン作成プロセスに従っていない」と批判しているが、独立レビューガイドラインとは異なる枠組みで行われる。

カスレビューは、独立した公的調査として機能しており、医療ガイドラインとは異なる目的を持つ。

(2) ヨーク大学エビデンス評価批判

マクナマラ論文は「ヨーク大学レビュー重要研究を除外した」と主張するが、実際には最も包括的システマティックレビューを行っており、多くの研究が「重大なバイアスリスクあり」と評価されている。

例えば、Chen et al. (2023) および Tordoff et al. (2022) は、ROBINS-I基準で「重大なバイアスリスク」と評価され、信頼性が低いとされた。

(3) 事実誤認

マクナマラ論文は、キャス・レビューがWPATH(世界トランスジェンダー健康専門家協会)のガイドラインを高評価したと主張するが、実際には「開発の厳密性35%、編集独立性39%」と低評価していた。

また、キャス・レビューが「デ・トランジション率(性別移行の中止)を0.3%と報告した」とする誤った解釈提示している。

(4) ジェンダー医療が他の小児医療より厳しく評価されているという誤解

マクナマラ論文は「キャス・レビュージェンダー医療に対し、不当に厳しい評価をしている」と主張するが、実際には他の小児医療でも同様の基準適用されている。

例えば、GLP-1作動薬(小児肥満治療)は、ランダム比較試験(RCT)で検証されているが、ジェンダー医療ホルモン治療には同様のRCTが存在しない。

5. 結論

論文は、BMAが未査読の法的文書に基づいてキャス・レビュー批判することは誤りであり、キャス・レビュー提言を受け入れ、より安全エビデンスに基づいたジェンダー医療提供するべきだと主張している。

重要ポイント:

キャス・レビューは、ジェンダー医療における科学的根拠の弱さを指摘し、慎重なアプローチ提案

BMAの批判は、法廷向けの文書依拠しており、医学的・科学的な根拠に乏しい。

独立レビューは臨床ガイドラインとは異なる役割を持ち、BMAの批判カテゴリーミスである

2025-02-04

anond:20250203224000

もう研究AIにとって代わられる時代もすぐそこだから、そんな葛藤短期的なものでは

妻が旧帝トップ大学教授海外ジャーナル査読も散々担当してるけど(もちろん自分でも論文出してるよ)、家ではあと10年もしたら新しい学者って殆どいらなくなるねって話してるよ

自分ギリギリ逃げ切ったけど、アカデミアでもこれから若い人は全然違う世界が広がるんだろうなって

2025-02-02

悲報】反ワクチンのRFK Jr.科学勝利してしま

https://x.com/JmaxTopics/status/1885482150277128387

アルスブルックス

ケネディ氏、失礼ながら、それは非常に危険です。私はあなた指名に反対票を投じます。」

RFK Jr.

「つまりあなた科学危険だと思いますか?上院議員、これは公開された査読済みの研究です。」

査読論文マウントをやり返してしまケネディ氏、レスバ強いな

2025-01-28

anond:20250127110733

漢方薬出された時「それエビデンスあるんすか?」って聞いたら医者がムキになって

日本語学会予稿みたいなの(査読なさそうなやつ)見せてきて草生えたわw

熱意に負けて漢方薬はもらっておいた

2025-01-20

anond:20250120123948

それ文系論文も含めて?どの調査範囲

たとえば精神医学系だとかなり社会状況がかわってて再現できないとは聞くけどね。

男女差別とか人種差別とかがひどかったから、アンケート圧迫面接になってた時代もあったわけで。

提出が最近であり、かつ再現率が悪ければ、普通に査読がある学会誌には載らない。

学会誌掲載されない論文はただの没論文であり、「論文があります」を自称することはできないんだよ。

ただお金ものをいわせて載せられるクソ学会誌最近はでてきた(DOIがつくかはしらん)。

掲載料目当ての「学会誌」、学位取得料金目当ての「卒業証明書」、売れないけど印刷費が妙に高い「自費出版」。

そういう権威を金で売ります(売れてない)系が出てきた世の中で、

無知だとこういうふうに簡単にダマされるから気をつけて。

2025-01-17

anond:20250116231730

法学なんかはむっちゃドメスティックだね

だけど、経済学政治学ネットじゃもっぱら馬鹿にされる対象だけど社会学なんかも、国際査読誌はあるし、そこに乗せるんなら当然最低限の英語数学必要だよ

  

うちの夫は↑のどこかの分野の帝大教授だけど、朝っぱらからいつも英語論文ばっかり読んでるし、コホート分析とかカプランマイヤー分析とかそんなんばっかりやってる

もちろん自分英語論文もたくさん出してるし、英語査読誌のレビュワーボードにも参加しているよ

  

結局、日本国内文系教授が国際査読誌に出版できなさすぎる(かつ、できなくても社会的出世できる仕組みになってしまってる)から、こういうことも言われちゃうんだよね

2025-01-01

anond:20250101173249

まず、自分フェミニストリベラルに対する理解が、社会が期待する基準値に到達していないことを認識しま

まぁ上なんとかさんとか腐女子なんとかさんがいるのが日本アカデミア、長年ゴミみたいな説明載せてたのがGoogle日本法人なので、

"フェミニスト" に関してのみ、社会の期待に達していないのは、増田だけのせいではないけどな

そもそも日本はこういうレベルだしな ZINBUN は査読付き学術誌と京大で紹介されてる"法隆寺"

 

ただ、年がら年中トロッコきゃっきゃってやってるのに コミュニタリアニズム という概念が無いことについてはフツーに反省していいと思う

あと、リベラリズム修正や補完して色々なリベラルの形がある以前に「リベラルの徳」という考え方もあるでな

 

そもそも活動家思想家でもない限り、日常生活で『私はリベラルです(キリ』『私はコミュニタリアンです(キリ』ってする必要性が無いと思うんだけど(周囲はドン引きですよ)、

どーしてもやりたくてやりたくて仕方がないのなら、下記は最低限守るべきだと思うし、それが出来てないのをその枠に括ってはいけない

 

リベラル自称するなら最低限守らなきゃいけないこと:「私はあなたの説には反対であるしかあなたがそれを発言する権利は命をかけて擁護する」

コミュニタリアン自称するなら最低限守らなきゃいけないこと:「おかげさまで」

2024-12-29

アカデミア連中のワークライフバランス議論を見ていると

アカデミアは本当に終わりなのかもなと思えてきた。

競争資金まわりや予算削減とかの話題ときには「我々は人類の知への貢献を担っているのに!」と言いつつ、ワークライフバランスの子育てだのの話題ときは「我々は単なる雇われサラリーマンのようなものであり特別ではない普通人間」と言いだす。「厳しい査読クリアして論文出版している」「厳しいテニュアトラック審査を通過してポジションを得たのである」(だから偉い)と主張しているが、それは本当に「人類の知への貢献」なのかどうかについては口をつぐむ。酷い奴になると「自分論文を出すのが責任である査読ゲーム意味のあるものかどうかは査読者の責任」とか言い出したりする。

サラリーマン的な保護された生き方をしたいということなら、それは普通の人たちであるということだからアカデミアの特権的社会的立場は捨てなければならない。民間企業なら儲からない事業アカデミアなら学部や専攻や研究室)は撤退して配置転換もするし、失敗すれば責任を取って降格やクビや左遷もあるということだ。そういった「普通」になることを暗黙的に拒否しつつ特権的社会的立場は維持しながら社会的保護されたいということを要するに言っている若い(あるいは若くない)アカデミシャンが増えており、そこには「人類の知への貢献」という建前はもはやない。「論文を出しているのだから貢献である」という子供のようなロジック民間企業ですら通用しない。

極め付けは「このままではアカデミアは衰退し無くなってしまうぞ」という脅しだ。収益を挙げられない、掲げた存在意義を達成できない民間企業は潰れて消えるだけである。その従業員が「このままでは俺たちの会社は潰れるぞ」と訴えたところで社会は「そうですね」としか言わない。サラリーマンになるというのはそういうことであるアカデミアは関係者希望通りにサラリーマン化し、意味のない目的を掲げている、あるいは掲げた目的を達成できないサラリーマンであるということでつつがなく消えていくのかもしれないと思うようになった。

2024-12-27

Twitter(現X)のコミュニティノートに参加してみた

これまで、Twitter上の疑わしいツイートについた「コミュニティノート」に「役に立った」ボタンポチポチ押してきたのだが、そのうちに「あなたコミュニティノート作成に貢献しませんか?」というオファーが来たので、深く考えずにオファーを受けてみた。オファーが来た、というのはもちろんTwitter(現X)アプリ上だけでの話で、X社側の生身の人間が私に電話をかけてきたわけではない。

コミュニティノート協力者コミュニティ」(ややこしい)の中では、私はまだ新米扱いで、いきなり自分コミュニティノートを書けるわけではない。今許されていることは、他の協力者が起案したコミュニティノート案に対し、「役に立った」「少し役に立った」「役に立たなかった」の三段階で評価し、その理由複数回答チェックボックス式で答えるということだけである。このアクティティで「功徳」を積み、評価ポイントなる数値が5に達すると、晴れてコミュニティノート執筆が許される立場になる、という仕組みらしい。このポイントは、ノート作成権限が与えられたのちも、自ら作成するノートが他の協力者や一般ユーザーにどう評価されるかによって変動しうるので、真面目にやっていないと執筆剥奪もありうる。

以下、現時点での感想メモ代わりに記すが、他の「コミュニティノート作成に協力したい」と考えていらっしゃる各位や、「そもそもコミュニティノートって実際どうなの?」といぶかる各位にも、ある程度は資する部分があることを期待する。

1. コミュニティノートはかなり堅牢な仕組みである

協力者は全員コードネームで呼ばれる。そのため実際のTwitterユーザIDなどとは第三者からは紐づけられないが、どのコードネームの人がどういうコミュニティノートを書き、またどういうコミュニティノートをどう評価しているか、という点に関しては、協力者コミュニティ内では完全に可視化される。

また、コミュニティノート採用に至るまでの仕組みは、単なる協力者コミュニティ内での多数決ではなく、「異なる立場に立っていると思われる複数の協力者から賛同を得ること」が必要となるように設計されている。このように、ある特定界隈に協力者コミュニティが乗っ取られるような事態を、仕組みで防いでいるのである

概して、近年のXの荒れようから見ると不釣り合いに見えるくらい、堅牢性の高い仕組みだと感じた。

2. コードネームを貰えるのがなんか嬉しい(ただの厨二病

もちろん私がX社より与えられたコードネームをここで公表することはしないが、英単語3語で構成される、意味のあるようなないようなコードネーム付与され、それが自分アイデンティティを指し示す唯一の鍵として扱われる、というのは、エージェント感が半端なく、個人的にはまあまあ楽しく思えた。

3. 評価させられるツイート内容は大体ひどい

今のところ、日本語及び英語で書かれたコミュニティノート案のうち、自分知識で適切性が確認できるものしか評価していないが(それが協力者に求められる誠実性だと信じる)、とにかく世にあふれるひどいツイートは本当にひどい。原口一博ASKAなどの有名人に連なる反ワクチン関連の誤情報インド某所で拷問を受ける女性の生々しい動画(これは私の知識不足で真偽が判然としなかったため評価はしなかった)、ギャンブルサイトに暗に誘導するツイート(※X利用規約違反)、頭おかしエロ動画ツイート、などなど。

これは、精神が脆い人はやられてしま可能性がある。急性ニンジャリアリティショックに勝るとも劣らないショックを受けてしま可能性がある。アイエエエ!ナンデ?クソツイートナン!?

協力者自身の心身がイカれてしまっては元も子もないので、各協力者は、自分の心身のキャパティというものを見極め、適度な距離感を持って、過度な義務感に苛まれことなく、この協力者コミュニティと(ひいてはXと)付き合っていく必要があると思われる。

4. 世に出ているコミュニティノートは、協力者コミュニティの中で評価待ちのノート案より、概してクオリティが高い

これは本当に正直な感想。「査読」を通って世に出たコミュニティノートは、概して客観的事実提示に徹し、主観的表現をなるべく遠ざけ、かつ言語表現として分かりやすものになっている。他方、私がこれまで見てきた「査読」待ちのコミュニティノートには、引用しているソース片手落ちだったり、表現主観的だったり(陰謀論と思われるものを「陰謀論です」と断定してしまっているなど……気持ちは分かるが、そう書いてしまったら客観性がガクッと落ちる)、要点を外していたり、あるいは単に読みにくかったり、というものがかなり散見される。いきおい、「少し役に立った」という評価がどうしても多くなる。

したがって、一般Xユーザの各位におかれては、時々X上で目にするコミュニティノートはこのような「査読」のような仕組みをクリアしたものであるので、もちろん頭から盲信する必要はないが、目にしたらまずは一読することをお勧めする。

2024-12-20

うちの部署にいた妖怪の話

 うちの部署に居た妖怪から、何名かの社員ラインが来た。多分転職した先で人間関係仕事がうまくいっておらず、前職の人々と連絡を取ることで「様々な職を経験してきた自分」としてプライドを保っているんだと思う。色々思い出したがうちの部署指導役として口うるさく接してきた結果、ブロックされている存在としてお焚きあげしたい。妖怪性別はぼかす。

 この妖怪は、とんでもなく仕事ができない訳ではなかった。話はそこそこうまく、ひとコマだけ新人教育を任せた時には小話の面白から中々の一定の評価を得ていた。妖怪の何が一番まずかったのか。それは2つあると思う。①責任感のなさ②社交辞令友情のはき違えだ。

責任感の無さ

まず、自分仕事自分仕事認識していない。部署全体の仕事だと思っている。その結果、期日を守らない。期日を守れてないかギリギリで滅茶苦茶残業して仕上げる。その結果、資料体裁やらが死ぬ。当たり前だ。一カ月かけて丁寧にやる仕事を一週間の全力の残業で同じクオリティの物ができあがる訳が無い。そして、最終チェックをするのは上司から体裁を守らない。この体裁を守らないについては上司に「てにをは」やら「フォント」の修正やらせる訳にはいかず、同一の報告書だのプレゼン資料を作っていた俺の資料を渡して「このまんまやって」と伝えていた。そもそもうちの部署資料作成比較裁量余地がある。とは言え、部署内で俺と妖怪担当分で体裁が著しく異なるのも取りまとめる上司が困るので本来なら妖怪と話し合って資料体裁について決めたかった。が、前述の通り全てギリギリなのでそんな暇はなく、妖怪は「こんな体裁でやりたくない。」「自分が院に居たときはこんなことやらなかった。」等とぶつくさ言っていた。そして最終的に一週間の残業後に上司に全部仕事をぶん投げて妖怪ラスト仕事は終わった。これが転職の約4カ月前である。これ以降妖怪マジで何もしていなかった。他に責任感の無さすぎるエピソードとして架電に対してメモ一つ取らないので「〇〇社の▲次長から連絡ありました。〇〇と▲は中身は覚えてません。」「メモ、今度取る暇あったら取ってみます。」と言われたときは30超えた奴に「メモ帳渡すから、どの電話でも必ず相手を書くこと。これは君じゃなくても上司でも誰でも社会人なら誰でもやる。」と説教することになった。

社交辞令友情のはき違え

うちの部署はかなり雰囲気が良い。激務にも関わらず穏やかで面白上司を筆頭にかなり和気あいあいとした職場だ。そんな中、他支社からやってきた妖怪部署内に溢れる笑顔社交辞令から自分がその中心と勘違いし始めた。小粋なジョーク雑談、それ自体は良い。雑談人間関係潤滑油だ。しかし、責任感が無く仕事をしない人間から業務中に振られる雑談、すぐにみんな愛想笑い妖怪との話を打ち切るようになった。なんで皆は仲良くしてるのに妖怪面白いのにその中心にいられないんだ。皆が相手してくれない。妖怪は他部署の似たような妖怪とサボったり、部署内の人間風邪を引いたら「家を教えてないのにどこからか聞き出してメシを届ける。」等の行動に乗り出した。それが許されるだけの人間関係を築けていると思っているようだった。勿論みんなドン引きしている。段々と妖怪スルーされるようになった。

 さて、妖怪は一週間の全力残業中、仕事をおっつけた上司に向かって「今、転職考えてて〜もう何社か受かってるんですよ〜」とのたまった。終電間際に、尻ぬぐいしている上司である。こういった凄まじく空気の読めていない発言は多々あり、激務の同僚捕まえて「〇〇さんは外回り無くて楽そうでいいですよね〜」と言ったりした。空気の読めなさは天性のもので、隣の席にどんどん荷物侵略したり、他部署事務員タメ口聞いたり中々のものだった。ちなみに今回急に連絡が来たのは「外回り無くて楽でいいですね〜」と言われてた人だ。妖怪は〇〇さんを親友だと思っている。〇〇は当時激務のうちの部署で一番仕事を抱えていたため、「何言ってんだあいつ頭おかしいのか?」と思ってた。悲しいすれ違いである。

 今回この妖怪を供養したかったのは俺が彼とかなり似ているからだ。俺はかなり空気が読めなかった。集団で外で話してる時に、「大した議題でもないし寒いからとっとと中に入ろうぜ。」と抜かしたりと空気が読めない上に欠片も協調性が無かった。そして細かいミスも多いので割とボロカスに叩かれて矯正されてきた。そんな能力的にそうでもない俺が部署の中でやらかした時に「テヘペロ」とかやって許されているのは、「やらかしたことに対して責任を取る、自分リカバーする。」「お調子者でも仕事はしっかりやる。」からだと自分でも思っている。そして俺は妖怪を見る度に「矯正されて来なかった俺だ。」と思い、妖怪は俺を「何であの人がよくて自分は受け入れられてないのか。」と思っていると思う。妖怪学歴が高いのもあり、プライドが高かった。自分は正しい筈だというのが透けて見えた。というか、指導してもあんまり響かなかった。一応妖怪より学歴職歴も上だったんだけど。なんか院卒なのが妖怪に自信を与えていた。査読論文なんか無いのにあの自信は何だったんだろうか。

 俺は見た目のコミカルさもあってかなり人になめられる。よくふざけたりしてるのもあるとは思う。ただ、当たり前のことは後輩だの部下にキチンと指導してきたつもりだ。妖怪については指導する立場だったのに指導しきれなかった。多分今別仕事でも「中途の空気の読めない人」と言われているのが目に浮かぶ。一度雑談を止めて、仕事を一つ丁寧にこなしてほしい。それを続けて始めてあなた雑談してくれる人間関係が構築されていくんだよ。

2024-12-19

anond:20241219155417

いや何者かになったあとが辛い。ある分野で誰もなし得ていないことをやった。新聞にのった。ラジオにも出た。TVには出なかった。単発だけど記事コラムの依頼もあった。講演依頼は毎月あった。学会では座長もお願いされた。論文査読依頼も来た。

が、今はなにもない。さらに意欲がない。意欲がないけどかつて脚光を浴びたことが忘れられない。あとはおいていくだけだと思うと日々つらい。

anond:20241219165428

まず戦闘美少女って言うのがなんのこと言ってんの?って感じだから査読通らない

2024-12-16

anond:20241216080802

(t)検定というのはゼロイチで結果が決まるものから有意という結果が出た下では相関係数が大きい小さいは関係ないというか、そのことで検定の結果や評価問題があるとは言えないよ。

もちろん相関係数が低ければt検定が有意にはなりにくいわけだが、有意になった上では相関係数が大きいものの方が説得力が高いとはならない。

いや高いだろ

相関係数が低ければ有意にはなりにくいって自分で書いてんじゃん 相関係数がp値に関係するって自分で書いておきながらなんで最後で逆のことを言い出すんだ

そういうことをやりたいならベイズでないとね。

なんでこういう半端に統計かじった感じの人ってベイズ妄信しがちなんだろうね

ま、もっと執筆者当人が「非常に弱くではあるが認められた」といった強弱含む評価をしていて、検定とはどういうものかを誤解している可能性はあるけど、これはnoteでの殴り書きでなく論文にするならその過程で指摘を受けて直ると思う。

検定の話と相関の強弱の話は両立しうるだろ なんでこんなバカみたいなことすらわからずにウエメセ評論を書けるのかりかいできない

そもそもこの程度のことさえ指摘できない連中が査読してるパターンなんて無数にあるだろ ウエメセ馬鹿なこと書いてドヤってる奴もすぐわいてくるくらいだし

あと、相関係数が低いもの有意と言うことはそもそもp-hackingとは言わないよ。これがたとえば裏でSRSCRT以外にも様々な数値とで検定を行っていて、その中で有意となったがSRSCRTだけだったときに、有意とならなかったもの公表せずSRSCRTの結果だけを出していたならp-hackingの一種だけど。

でも今時の論文最初に(検定などをする前に)SRSCRTを使うという設定や有意水準の設定など決め事をした上でやるのが最低限の流儀なんで、それくらいは守ってるんじゃないかな。

ここは同意

かけ算の順序・おすすめ文献10

 かけ算の順序史上最も重要なエントリ10選の続編として、学術文献・出版物を選んでみました。

1. 中島健三(1968). 乗法意味についての論争と問題点についての考察

 主な対象は、小学校5年の「小数のかけ算」です。ただし「乗数、被乗数の順」が、参考文献で言及されていますアレイ直積アメリカ日本との違いも、見ることができます。参考文献に書かれた「乗数を operator としてみる」は、最近教科書にも「×10」といった形で取り入れられています

2. 宮田ら(2011). かけ算の意味理解を促すための問題状況の図示の試み

 読み手評価は「こんな教え方ではよくない」「児童特性配慮した指導事例だ」に分かれているように思います。「学習支援教室」は「特別支援教育」ではない点にも注意が必要です。

3. 石川雅章(2022). 事象数学化に及ぼす言語の影響

 1つの調査問題(4つの式にそれぞれ○か×を付ける)に、「たし算の順序」と「かけ算の順序」が入っています

4. 布川和彦(2010). かけ算の導入

 平成20年告示学習指導要領に基づく内容ですが、小学校2年のかけ算の単元で、何を重視しているか教科書ではどのように出題して学びを促すかについては、現行(平成29年告示)の学習指導要領や、令和2年度・令和6年度使用教科書においても、大きな変化は見られませんので、現在においても参考にしてよいものと考え、取り上げました。

5. 守屋誠司(2019). 小学校指導算数 改訂第2版

 82ページの「第2学年や第3学年では,読み取った数を,「1つ分の数×いくつ分=全体の数」と表現できることが重要であり,逆に,この立式ができているかで,数の読み取りができているか判断できる。」が真髄と言っていいでしょう。2011年初版や、異なる著者による2018年書籍にも、同じ趣旨の文が含まれています

6. 日本学術会議理科委員会数学教育分科会(2016). 初等中等教育における算数数学教育改善についての提言

 提言の中に「乗数や除数が整数から小数分数になったとき演算意味拡張統合されることをより一層強調すべきである。」という文があり、翌年(平成29年告示)の小学校学習指導要領の算数に、「乗法及び除法の意味に着目し、乗数や除数が小数である場合まで数の範囲を広げて乗法及び除法の意味を捉え直すとともに、それらの計算の仕方を考えたり、それらを日常生活に生かしたりすること。」として反映されています

 学術会議で「かけ算には順序がない」を提言すれば、後の学習指導要領改訂の際にも反映される可能性がある、と考えることもできます

7. 伊藤ら(1993). 算数を教えるのに必要数学素養

 高校までで学習する数の演算は、「環」や「体」で考えることもできますが、この文献では「Z-加群」を使用しています担任教師とのやりとりに、Z-加群のほか、「私の子供は帰国子女からごく自然に3×2と考えたのだと思う」が含まれています

8. 岸本忠之(2021). 海外における乗法・除法研究の動向

 海外乗法・除法研究(「かけ算の順序」に関する研究ではなく)を手早く知るのにおすすめです。

9. 遠山啓(1972). 6×4,4×6論争にひそむ意味

 「かけ算の順序論争」における古典と言っていいでしょう。

10. 黒木玄(2014). かけ算の順序強制問題

 2010年からネットにおける「かけ算の順序」について、ひと区切りを付ける形になったものです。2017年6月に、同年告示された学習指導要領に基づく「小学校学習指導要領解説算数編」のPDFファイル文部科学省サイトダウンロードできるようになるまで、ネットの論争は下火となった(とはいえ2015年には「足し算の順序論争」が発生したのですが)ように感じます

選定方針

 「かけ算の順序史上最も重要論文10選」にはしませんでした。査読論文だけでなく、書籍やその一部、査読を経ていない文書からも選びました。

 「かけ算の順序史上最も重要エントリ10選」でリンクした「かけ算には順序があるのか」「日常生活の中で計算活用できる子供の育成を目指した学習指導の一試み」、それと海外文献は、今回、対象外としています

 よく引用されていることや、入手が容易であることは、選定の際に考慮しましたが必須の要素ではありません。「かけ算の順序」について直接主張していない文献も、取り入れています

 (2024年12月30日: 1番目の文献の解説を追加しました。)

2024-12-12

anond:20241204182650

しっかり好きなことな努力できる才能があるみたいだし、博士課程でもなんとかやれると思う

博論は三年でかけるように、しっかり博論の構想を練っておいて、査読論文をそれぞれ博論の1章、2章、3章...としていくように、パーツを作るみたいに書いたらいけると思うよ。

やるべきことをやれば多分道は開けるし、一旦教職に就くっていうのも全然アリ

博士人材教職に就くっていうのは、非常に意義があることだから主体的探究学習が今文科省によって求められているので、博士人材のような研究ノウハウを知っている人材はとても重要)。

いずれにせよこれからも頑張って欲しい

2024-12-06

anond:20241204182650

しっかり好きなことな努力できる才能があるみたいだし、博士課程でもなんとかやれると思う

博論は三年でかけるように、しっかり博論の構想を練っておいて、査読論文をそれぞれ博論の1章、2章、3章...としていくように、パーツを作るみたいに書いたらいけると思うよ。

やるべきことをやれば多分道は開けるし、一旦教職に就くっていうのも全然アリ

博士人材教職に就くっていうのは、非常に意義があることだから主体的探究学習が今文科省によって求められているので、博士人材のような研究ノウハウを知っている人材はとても重要)。

いずれにせよこれからも頑張って欲しい

2024-11-29

anond:20241129015550

researchmapを見る限り、唯一の「査読あり」論文学位請求論文なので、実質的な業績はゼロかと。

Google Scholarでザッと調べた限りでも本人らしき論文は見当たらない。

査読付き論文至上主義的なことを言うつもりは無いが、業績無しで学位を与えてしま早稲田大学にも問題があるのではないかと思う。

この際和文誌でも構わないから、1報以上の業績を学位取得要件にすれば良いのに。

査読付き論文至上主義的なことを言うつもりは無い

個人的には 多少なりとも査読付き論文を書いていれば、新書などの上梓も業績とみなして良いかと思うが、

査読論文ゼロ新書ばかり出版しているのは正常な状態に思えない。

社会学が良く槍玉に挙げられるが、文系分野の実情はどうなんだろう?

研究は、査読つき論文として発表してなんぼ

話題のこの件ですが

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2471926

正直、データから言えない結論を出すような学会発表などは山ほどあるわけで、表題に書いた通りであるが、そういう研究査読でぶっ叩かれる。学会などの研究発表は単なる意見交換会で、科学として議論に足るレベルの主張は査読付き科学雑誌に発表された研究を持ってしてやれば良いものである、という研究の基本に立ち返ればいいだけの気もする。

インパクトファクターだけに頼るのはいけないけれど、インパクトファクターの高い雑誌というのは、それにふさわしいレベルの高い査読者を揃えることができるので、信用度が高いということでもある。

すると悪いのは、そういった留保を持たせなかった報道側だけなんじゃないかなぁ。あとは受け入れ側は、上記を再認識する、と。

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