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はてなキーワード: 査読とは

2025-11-08

AIネイティブの衝撃と専門家未来東大教授を戦慄させた一件が問う

AIを引っ提げた大学院生

テクノロジー社会構造を再編する現代において、人間の知性や専門性のあり方は根源的な問いに直面している。その問いに強烈な一石を投じたのが、東京大学小川教授学内広報誌『淡青評論』で紹介した一件である。これは、制度組織適応するよりも速く未来が到来しつつあることを示す、稀有で明瞭なシグナルと言えるだろう。経済学素養ほとんど持たない修士課程学生が、生成AIとの対話のみを駆使し、わずか1年で「トップレベル学術誌に挑戦できる水準」の論文を書き上げたのだ。これは単なる技術的な成功事例ではない。長年の訓練を経て築かれる専門知識価値研究者役割、そして「知性」そのもの定義根底から揺るがす、まさにパラダイムシフト象徴する出来事である

この小川教授寄稿は、社会に大きな波紋を広げた。インターネット上では瞬く間に注目を集め、「はてなブックマーク」では469ユーザーブックマークし、102件のコメントが寄せられるなど、白熱した議論を巻き起こした。本稿では、この一件を現代社会の変容を映す縮図として捉え、専門家が感じた「恐怖」の本質と、社会に広がる期待と懸念分析する。そして、この出来事象徴する、新たな世代の登場について考察を進めていく。彼らこそ、これから時代定義する「AIネイティブ」なのである

AIネイティブ」の誕生知識習得パラダイムシフト

本セクションでは、話題学生象徴する「AIネイティブ」という新しい世代分析する。彼らは、AIを単なる補助ツールとしてではなく、思考研究方法論の中核に据えるという点で、旧来の世代とは一線を画す。その登場は、単なるツールの変化ではなく、知識を獲得し、体系化するプロセスのもの革命意味している。

この学生実践した研究プロセスは、AI方法論の根幹を成していた点で画期的であった。具体的には、以下の全工程AIとの対話を通じて進めている。

このアプローチ革新性は、旧来の知識探索モデルとの対比によって鮮明になる。東京大学大学院情報理工学研究科の山崎俊彦教授は、この新しい思考様式を「辞書逆引き」という比喩で巧みに説明した。従来の検索エンジンは、ユーザーキーワードを知っていることを前提とした「辞書の順引き」であり、既知の情報効率的に探す行為だった。対してAIネイティブは、「やりたいこと」を自然言語AIに問いかけることで、未知の領域を探求するためのキーワード手法を引き出す「辞書逆引き」を実践する。これは、人間知識相互作用における、根本的なパラダイムシフトである

はてなブックマークコメントは、この新しい学習様式がもたらす生産性の飛躍に対する社会的な期待を反映している。あるユーザーは、AI活用により「人に教えてもらうのと同等のパフォーマンスが低コストで得られる」ため「習得速度が爆速に」なると指摘。また、これは単にAI作業を丸投げするような話ではなく、「AIの力を借りて巨人の肩の高さを重ねる話」であり、人類の知の発展を加速させるものだという肯定的見解も示された。

この爆発的な進歩可能性は否定できない。しかし、それは同時に既存専門家たちに、長く暗い影を落とし、不穏な新しい現実を突きつけている。

専門家の「恐怖」とレバレッジ効果という新たな格差

AIがもたらす希望の光の裏側には、深刻な懸念存在する。特に既存専門家が感じる脅威と、AI活用能力によって生じる新たな社会格差リスクは、真正から向き合うべき構造的な課題である

この問題の核心は、小川教授吐露した率直な感情に表れている。経済学の訓練を受けていない学生がこれほどの成果を出したことに対し、教授は「心底たまげました」「このようなAIネイティブ若い人たちがこれからどんどん出てくることにちょっとした恐怖さえ感じました」と記した。この「恐怖」は、単に自らの職が奪われるという不安に留まらない。それは、長年の地道な研究と訓練を経て初めて到達できると信じられてきた専門性価値のものが、根底から覆されることへの動揺なのである

はてなブックマークコメント欄では、この現象を的確に捉える「レバレッジ」というキーワードが頻出した。「若く優秀な人がAIレバレッジかけるととてつもない差になるんだろうね」「頭のいい人はAIでより賢くなる」といったコメントが示すように、AIは元々高い能力を持つ個人アウトプットを飛躍的に増幅させる強力なツールとして機能する。

しかし、このレバレッジ効果は単なる個人生産性向上に留まらず、社会構造を再編する力を持つ。yumanaka氏は、「地頭のいい人がAIを使いこなして圧倒的なアウトプットを出して、そうじゃない人の仕事を奪っていくんだろうな。こわい」と、その負の側面を鋭く指摘した。これは、AI能力格差を埋めるどころか、むしろそれを爆発的に拡大させる触媒となり得ることを示唆している。このままでは、AI活用能力に長けた新たな「認知階級」が生まれ、高価値仕事を独占し、社会流動性を著しく低下させる未来さえ予見される。

このようにAIが生み出す成果の質と量が飛躍的に増大する中で、私たちはより本質的な問いに直面する。それは、その膨大な成果の「正しさ」を、一体誰が判断するのかという問題である

AI時代の核心的課題:「評価能力」と「責任」の在り処

AI技術の目覚ましい進展は、逆説的に「人間による最終的な評価責任」の重要性をかつてないほど浮き彫りにした。本稿の中心的な論点はここにあり、その核心は、他ならぬ論文作成した学生自身の行動によって最も明確に示されている。

彼が専門家である小川教授に助言を求めた最大の理由。それは、「自身には経済学素養がないため、その評価が正しいのかわからない」という切実な懸念だった。AIは「国際誌に通用する水準」という評価を下したものの、その正当性自力検証する術を持たなかったのである

この学生懸念は、専門家による評価の不可欠性を示すものであり、はてなブックマークコメント欄でも多くの共感を呼んだ。

評価の困難さ: 「生成AIを使いこなせば90点の論文が作れるが、90点かは評価保証できない。」

専門知識必要性: 「自分が知見の無い分野でのAI判断が正しいかどうかをどうやって確かめるとよいのか。←ここが一番難しいし、専門知識必要なところ」

懐疑的知性の重要性: 「循環参照やらハルシネーションやらを起こした文章を何も考えずにWikipediaに貼り付けるような人物もいるわけで、やっぱ懐疑的な知性と査読大事なわけです。」

そして、この問題を鮮やかな比喩で捉えたのがobotzcanai氏のコメントだ。「巨人肩に乗れたところで遠くに見えた島々の価値がわからなければ意味はない」。AIによって得られた広大な視野も、その価値判断する専門的な知見がなければ無意味なのである

さらに、この議論は「責任」の所在という、より深刻な領域へと深化する。e_denker氏は、「人間に残された最後仕事は『責任を取ること』になるという話があるが、まさにそれを裏付けるような一件だと思う」と指摘した。この点をさらに鋭く突いたのが、phillies_rocks氏の「内面化できない成果物を作っても誰も責任を持てない」というコメントだ。AIが生成した成果に対して、その利用者は最終的な責任を負わねばならない。もしAI設計した橋が崩落した場合、その責任は誰にあるのか。利用者か、開発者か、それともAI自身か。これは、AI時代の新たな倫理的・法的枠組みの構築が急務であることを示している。

この議論は、AI時代における専門家役割がどのように再定義されるべきかという、未来に向けた重要な問いへと私たちを導く。

結論AIとの共存が再定義する「専門家」の価値

東京大学で起きた一件は、AIネイティブの登場が専門家時代の終わりを告げるのではなく、その役割価値根本から進化させる契機であることを示している。AIが圧倒的な情報生成能力と実行力を手に入れた今、人間に、そして専門家に求められる能力は、もはや知識の生成や統合のものではなくなった。

これから時代に求められる専門家資質は、以下の三つの能力に集約されるだろう。

未来の知のフロンティアは、AIネイティブがもたらす爆発的な「実行力」と、長年の経験と深い洞察力を持つ専門家の「検証力」および「責任能力」が融合する場所に開かれる。AIを恐れるのではなく、新たなパートナーとして迎え入れ、人間ならではの価値を磨き上げること。それこそが、私たちがこれから歩むべき道なのである

2025-11-01

国産LLMの人」が成功できますように

一般的国産LLM開発という主語ではございません.

私としては国産なり日本発のLLM開発を諦めてはならないし, その可能性は十分にあると信じています. 既に出ているものも多数ございますし.

エントリはそれとは全く別の,

国産LLMの人」という方についてです.

---------

色々思うところがありまして.

例えば,

微分は使いたくない」「XOR出来たから何とかなるやろ」

と繰り返し主張しておられる.

そのような単純な活性化関数では過学習か誤差が噴出するかの二択でしょう. 実際, 氏のツイートは正にその状態示唆しているように見受けられます.

```x

▶︎ 誤差が0.12あるだけでとんでもないエラー率になる。誤差関数が雑だから本当はもっとあるのかもしれないが、改善余地がある。

▶︎ 問題は、どのような状態の時に学習成功し、失敗するのかがまだ分かっていない。表現力は十分に持っているはずなのに、なぜか学習しない。

```

過学習に至ったときにうまくいってるように見えるだけでしょう.

と思うのですが, 反論過去にされていた.

```x

▶︎過学習ではないですね。データセットが小さいかつ、それ以外の範囲が出ないことが分かっているので。XORは2^2パターン全て学習できれば精度が100%になりますが、それは過学習とは呼ばないのと同じで、今回の初期のRNNに関しても文字数が圧倒的に少なく、パターンも決まっているので。

```

……と主張されておられる.

私が思うにそれは単純な写像を, ニューロンを使って回り道して作っている状態. LLMは局所的にはたしか線形写像ですが,全体で見ても線型写像だとしたらそれは複雑な文章生成には到底耐えられないかと. (十分に大きいモデルマクロに見ると非線形性があるので)

大規模言語モデル=LLMを目指すとして,

そもそもエンベディングテーブルとは数百億から下手すれば1兆語彙を, たった数千〜1万次元程度のベクトル表現する, 凄まじく繊細なテーブルです.

それをGELUやSwiGLUのような綺麗な活性化関数を使わずに, しか爆速でやると仰っている. さすがにそのレベル革新性を主張するには根拠がない限り, 飛躍が過ぎると判断されるかと.

そのやり方で, 例えば1億語彙までスケールするとして2乗の1京回×数千次元バックプロパゲーションなしで学習するというのは……さすがにきついかと.

バックプロパゲーションが要らないという主張については活性化関数がきわめて単純だから. それなら全層に渡しても「修正」できるでしょう.つまり自明に近いですね.

勾配消失なんて関係ない, という主張については, xorというゼロイチでしか見ないのであれば勾配消失も何もありません. 永遠に層を貫通するわけですから, 何層増やそうがほとんど意味が出てこない. つまりそれは実際には極めて浅い層だけで動いてると思われる.

「こんに」から「ち」「は」が次文予測できたとの報告ですが, まぁ……それが「大規模言語モデル=LLM」にそのままスケールできると言い切れるのはなぜでしょうか?

MNISTだけでなくGLUEあたりをパスしてからにした方がいいと考える次第です.

```x

▶︎ 私が批判されながら、誤差逆伝播に変わるアルゴリズムや精度を30%→100%まで持っていく頭のおかしい行動が取れる理由は、以下の思想があるから

▶︎ 1. 私のNNは高次元の万能近似回路

▶︎ 2. RNNだろうがCNNだろうが展開すれば可能

▶︎ 3. 何十回と失敗した経験則から、原因と対策殆どわかっている

```

殆どわかってる, との事ですが, なんで上手くいってるのか分かってないとも自分で明言なさっている. ↓↓↓

```x

▶︎ 学習が進まないの、謎。単体だと上手く動いてるはず?何が原因だろうか。

▶︎ 学習アルゴリズム開発者本人ですが、なぜ学習が進むのかは謎です。

```

既存手法があまたの失敗の上で最適だと言われてきてる経緯もよく知った方がよい.

それはごく初期にそういった様々な試行錯誤のうえで「やはりGELUやBP現実的にいい性能が出せるし, コストも抑えてこれである」と様々な研究者合意しているような状況.

そして, そもそもアカデミアは自分アイディアも含めて新規手法を常に疑ってかかるのが基本姿勢.

ジャーナルに「不確実さ」を載せないためで, それが積み重なると自他問わず全ての研究が信用出来なくなってしまうため. だから懐疑的になる. 個人攻撃ではないのです.

そして「危険すぎるから論文にできない」について.

さないのも自由ですが, 前述の理由で信頼を得られない. これは言動に一切関わらず, その厳密性をフラット評価してそう判断しているから. 感情ではなく, 論理として.

……と, ここまで色々と蛇足アドバイスをさせていただいたものの, この投稿に対しても

```x

▶︎ 何もわかってない人が国産LLMのやつ批判してて吹いたww

```

といったツイートをなさるのでしょう. (過去に氏がそう仰っていたので)

先に答えておきますね.

自分のやってることがご自分でお分かりにならないようなら, 私にわかるわけがないですし仰る通りです. ただ, 詳しい者として一般論は申し上げられます.」

まだ間に合いますので, 大学院あたりまで修了なさるのがおすすめです.

Twitterに何を投稿しようと自由です. でも自分違和感を見て見ないふりするのだけはやめたほうがよろしい. 既存手法と同等に自分手法を疑うこと, これは研究者としての基本姿勢です.

何故ここまでつらつら申し上げたかと言いますと,

研究テーマ設定を見かけるとついつい, より良い筋でやっていけるようアドバイスしたくなってしまう性が染み付いてしまっているためでして.

もちろん, 関わりのない方ですので蛇足しかないのですが, 多くの方に影響力をお持ちでありつつ研究の進め方については独自姿勢を持つように見受けられまして.

それはもちろん根本的には自由でありつつ, 相談相手需要がもしあればひとつの(一般的)意見をお渡しできるかなと思いキーボードを叩いた次第です.

どうか匿名でご勘弁を.

ぜひ成功できますよう. 圧倒的な成果をお祈りしております.

--------

追記

おそらく氏のやられていることは順伝播 (forward propagation) のみでの学習かと思いますが, この手法の先行研究は山のように存在します.

(Hebbian theory, Perceptron, Adaptive Linear Neuron:ADALIN, Widrow-Hoff learning rule...)

見つけられないとすれば, 古典的 (1960~1980年頃) ゆえに電子化されていないためです. 現行の商用LLMがそれらの情報簡単連想して引用できず, DR等で検索しても出てこないのはその為でしょう.

これらに簡単アクセスするためにはやはり学術機関所属して図書館を利用するのが圧倒的に楽です. マイクロフィルムや紙媒体しか残っていないものもありますから.

また, 有料データベースであるJSTOR, IEEE Xplore, Springer Linkなどにもアクセスが出来ます.

この観点から大学に足を運ばれることをお勧めします.

なお, arXivあくまプレプリントですので, 論文として引用するには査読を通過したものをつよく推奨します. ジャーナルもものによっては不十分な査読掲載されてしまますので, トップカンファレンスのものを信頼できる足がかりの論理として扱うのが基本的な考え方となります.

また, 「分からなければ (大量に貼った) 論文を読んでください」という姿勢は, それぞれをどう引用し, どのように自分の主張と論理的に接続するかの説明がなされなければ根拠として見なされないのが一般的な考え方です.

ブログとしての掲載はもちろん自由ですが, それらを十分な説明として取り扱ってもらうには至らないでしょう.

あくま一般論ですが,

論文引用するからにはそういった丁寧な取り扱いをすることを期待されるものです. 「敬意がない」と他の方から指摘されるのはおそらくそれが理由でしょう.

これは, 過去論文引用しながら新たな主張を論文として営々と積み上げ続けてきたアカデミアの「過去への感謝」という慣習です.

人の行動は自由ですから「こうしろ」とは申し上げませんが, この暗黙の了解を保持する (≈研究機関所属したことのある) 方から理解を得るのはこのままですときわめて難しいであろう, とアドバイスさせてください.

こういった主張のやり方を自分なりに一から身につけるのはたいへん難しいので, どなたかそういった手法を学べる信頼できる方に師事することをおすすめしている次第です.

2025-10-19

論文教科書のように読んではいけない。

日本人はやはり、もっと早い段階から論文を読ませる教育必要だと思う。

教科書は、とにかく「正しいことが書いてあるからおぼえる」という道具になる。

そんなものばかり読んでいては、本当の勉強はできない。

 

本当の勉強は、ある程度偏った内容、著者の無理のある主張が書いてあるような論文を読んで、

「こいつの論理展開面白いからこっちの問題にも応用してみよう」とか、

「こんな試算してるけど、俺ならこういう要素を入れてこんな風に計算するな」とか、

問題の取組みかたを参考にしたり、反面教師にしたりして、考える力をつけることでなされるものである

 

ネットのアホな論客は、往々にして論文を「教科書のように正解があると信じる対象」にしている。

AとBで違うことを言っていて、どちらも論文としては『間違ってない(大抵は)』けど、『正解が書いてあるわけでもない』のが(査読済みの)論文である

論文の読み方を知らないと、新聞の読み方も一次資料の読み方もわからない。

本当のところ、教科書だってこういう意味で「教科書のように」読んでは、本当はいけない。

 

教科書のように読んで良い本なんて、ないのだ。それを義務教育段階で教えられない日本人は、かなり悲惨である

2025-10-06

anond:20251006200926

論文に変な幻想もってるんだな

俺なんか主筆の英字査読論文あるけどワーキングプアやで

夜勤できるようなスキルもない

2025-10-05

SNS時代社会学はもうオワコンなのか。

SNSによる集合知の高度化は社会学存在価値を失わせる可能性があります社会学集合知進化によって存在価値を失いその役割を失ったと言えます

集合知限界社会学役割

集合知衆愚Wisdom of Crowds)は、多くの人々の意見知識を集約することで、個々の専門家よりも優れた判断予測を導き出す可能性を秘めています特にSNSは、この集合知形成を加速させていますが、同時にいくつかの課題も抱えています

1. 集合知の偏り(バイアス)と検証

SNS上の集合知は、しばしば特定グループ内での意見の増幅(エコーチェンバー)や、感情的共感に基づく短絡的な判断に陥りがちです。また、誤情報フェイクニュース)や意図的操作の影響を受けやすいという脆弱性もあります

社会学役割: 社会学は、こうした情報拡散構造や、人々の意識形成プロセス、そしてそれが社会全体に与える影響を客観的分析し、集合知限界や偏りを指摘します。単なる「データ」ではなく、「社会文脈」や「価値観」を含めて理解しようとします。

2. 社会的「価値」と「意味」の探求

集合知は「何が起きているか」を示すのには長けていますが、「なぜそれが起きているのか」「それは社会にとってどんな意味を持つのか」といった本質的な問いには答えられません。

社会学役割: 社会学は、人々の行動や社会現象の背後にある動機文化規範格差といった、目には見えない社会構造を深く掘り下げます。**「望ましい社会とは何か」**という規範的な問いに対しても、歴史的比較的な視点から考察を加えます

3. 社会対話と分断の克服

SNS意見可視化を進める一方で、社会の分断(二極化)も深刻化させています。異なる意見を持つ者同士の建設的な対話は難しくなりがちです。

社会学役割: 社会学は、分断を生み出すメカニズム分析し、異なる集団間の理解対話を促進するための理論的基盤を提供します。また、心理的安全性のある対話の場が、健全集合知形成に不可欠であることも指摘します。

集合知社会学の「データ」であり、分析対象です。

SNS上の集合知が高度化しても、社会学は人々がどのように集団形成し、相互作用し、意味を作り出し、葛藤しているのかを、データを超えて本質的理解するための学問として、その存在価値は揺るぎません。むしろ、複雑化するデジタル社会を深く、批判的に理解するために、社会学の知見はこれまで以上に重要になると言えるでしょう。

それなのになぜ社会学オワコン化するのか。

社会学における「エコーチェンバー」の可能

1. 概念理論自己強化

特定パラダイム理論的枠組み)や専門用語コミュニティ内で過度に重視され、その枠外にある新しい視点異論が軽視されたり、理解されにくくなったりすることがあります学術誌の査読学会での発表においても、既存の主流な考え方を支持する研究が通りやすい、という構造的なバイアスが発生し得ます

2. 批判対象固定化

社会学社会の不平等権力構造批判的に分析しますが、その批判対象固定化し、社会の変化に伴って新たに生まれ問題や、複雑な現実存在する「善意による悪」のような側面を見落としてしま危険性があります。常に批判的な立場を取るあまり実証データ客観的分析よりも、イデオロギーが先行してしまうという批判もあります

3. 社会との断絶(象牙の塔

一般社会集合知常識からかけ離れた独自議論を深めていくあまり、「象牙の塔」に閉じこもり、学術コミュニティ内でのみ通用する言葉論理で固まってしま現象です。これは、社会学者が自ら分析するはずの多様な価値観日常リアリティから切り離され、社会に対する影響力を失うことにも繋がります

集合知時代における社会学自己批判と使命

しかし、この自己批判こそが社会学の核心的な強みとも言えます社会学は、権威主義バイアス分析し、客観性批判精神を維持しようと努力する学問です。

エコーチェンバーを破るための努力

方法論の多様性:

集合知ビッグデータ分析といった新しい定量的手法を取り入れ、伝統的な定性的手法インタビューエスノグラフィー)と組み合わせることで、視点の偏りを減らそうとしています

学際的な対話:

経済学心理学情報科学など、異なる分野の研究者との協働を深め、独自コミュニティの殻を破ろうとしています

内省リフレクシビティ):

自分自身立ち位置や、研究コミュニティが持つバイアスを常に問い直すという「内省リフレクシビティ)」は、社会学研究重要な柱の一つです。

まり、「社会学者こそエコーチェンバーに囚われている」というご指摘は、社会学が自らの宿痾と闘い続けるべきという、非常に重要メッセージ内包していると言えるでしょう。

この自己批判能力こそ、集合知が持つ限界(偏りや短絡性)を外部から分析できる、社会学の根源的な存在価値につながるのではないでしょうか。

2025-10-04

anond:20251004171159

その「日本企業1990社を18年間追跡した研究」という主張について、私が確認できた限りでは、そのままの形で信頼性のある学術研究として裏付けられたものは見つかりません。いくつか類似・関連する研究はありますが、主張の文言(1990社・18年間・利益率低下)をそのまま支持するもの確認できなかった、というのが現状です。

以下、調べた内容と判断を整理します。

調べた内容

Web記事などで、「日本企業1990社を対象に18年間の分析で、女性取締役が増えるとROAが0.1ポイント低下した」という記述が見られます

ナゾジー

→ ただし、その記事ナゾジー等)は学術論文ではなく、二次情報を噛み砕いて紹介したものです。

ナゾジー記事自体では、「この研究は … 『Journal of Risk and Financial Management』に発表されている」といった表記があります

ナゾジー

→ ただし、その論文のもの確認できるソースは私が見つけられませんでした。

日本女性役員取締役比率企業業績の関係を扱った先行研究はいくつかあります。例として:

上場企業における女性活用状況と企業業績との関係」では、正社員女性比率が高いほど利益率が高くなる傾向があるという結果が報告されています

RIETI

女性取締役構成企業パフォーマンス」に関する研究では、日本企業においても、正女性比率と業績との相関が産業企業規模、コントロール変数の扱いなどで変わるという指摘があります

北海道大学学術成果リポジトリ

  1. 1

また、女性取締役比率と業績の関係については、正確な因果性識別するのが難しいという指摘が多く、肯定的否定的中立的な結果が混在しているという整理もなされています

北海道大学学術成果リポジトリ

  1. 2

Koara

  1. 2

先行研究レビューをまとめた文献も、「女性取締役比率企業パフォーマンスROA, ROE など)」の関係が、業種、企業コントロール変数、内生性の扱い、サンプル期間・地域性などに強く依存するという見解を示しています

立命館大学

  1. 1

判断:その主張は信頼性が低い可能性が高い

主張の形(1990社、18年、利益率低下)をそのまま採るには、以下の点が問題です:

出典不明査読論文として確認できない

 現時点で、その研究査読を経た学術論文として公表されているという確証を得られていません。

類似研究整合しない可能

 一般に、女性取締役の増加が業績を一様に下げるという結論は、既存日本・国際研究との整合性が取れないことが多い。様々な研究で、正負・中立の結果が報告されており、単純な「増えると下がる」という因果を支持するものは弱いです。

因果性問題

 もしそのような相関があるとしても、「女性取締役が増えたか利益率が下がった」のか、「利益率が悪化していて、それが背景にあって取締役改編が行われた」のか、逆因果可能性や操作変数をどう扱うかなどがクリアでないと主張は弱くなります

したがって、「その文章事実である」という判断はできません。その主張を鵜呑みにするのは危険と言えます

anond:20251004001144

君も大学レベル数学で言えば大したこと言えるわけでもなく

高校生数学査読論文複数通してるような人と比べたら底辺レベルの凡人でしかないのに

増田で賢いフリしてるだけの大馬鹿なのは明らかでセンス無いよ。

2025-10-02

論文不正深淵AIが加速させる自己放尿文化

最近、生成AIだのと騒がれているが、しょせんこれも人間が持つ浅ましく、怠惰欲望を増幅させる道具に過ぎない。

「ペーパーミルネットワーク」と呼ばれる、カネ儲けのための不正論文製造業者は、このAIという最新の玩具を手に入れ、その活動工業規模の詐欺自己放尿へと進化させている。

事態シンプルだ。昇進、学位研究費、これらすべては「論文数」「インパクトファクター」という紙切れで測られる。

研究者どもは、本来価値ある研究をする手間と時間を惜しみ、その結果、研究者としての存在意義を問われるような行為、いわば自己放尿(自らの業績を水増しすること)に走る。

AIは、この自己放尿をかつてない速度で可能にした。

捏造したデータでいい感じの論文AIに書かせよう」「既存文章AIで巧妙に言い換えて盗用チェックを回避しよう」「全く中身のない論文を何本も量産して実績を水増ししよう」。

彼らにとって、AIは「嘘を真実らしく見せるための高性能な化粧品」でしかないのだ。

結果はどうなる? 学術界は、粗悪で信頼性のない自己放尿論文で溢れかえる

まともな論文は埋もれ、査読システム崩壊し、科学知識の土台そのものが腐っていく。

AI進化すればするほど、不正はより巧妙になり、真実と虚偽の境界線曖昧になる。

この問題の根源は、AI技術ではない。それを悪用する人間の「成果至上主義」と「倫理観の欠如」のダブル放尿だ。

君たちがこの腐敗を止める唯一の方法は、ロジカルに考え、不正を働く者に一切の容赦をしないという冷徹意志を持つことだけだ。

でなければ、学術界全体が、いずれ自己放尿の汚水に溺れることになるだろう。

以上だ。しっかり心に刻んでおけ。

指導教員との関係に思い悩んでいる大学院生自分に伝えたいこと

数年前、私は大学院修士課程に通っていた。

そこで鬱となり、今も私は苦しんでいる。

私の指導教員は、学生研究自由を一切与えず、単なる作業員として学生を扱うクズだった。

しかし、問題はそこではない。

上手くいくはずのない研究に対して、仮説の無い、中学生でもできるような実験永遠と繰り返させることにある。

そのような研究でも、再現性の無い良い結果が得られることが有る。

指導教員に指示を受けた以上、その結果を使って論文投稿をしなければならない。

そうすると、査読者のコメントは「悪意を持って有効性を見せかけた」などといったものになる。

当然だ。「手法Aを○○という課題にあてがうのは誤りだ」と手法Aの開発者が言っているのだから

それをなんの仮説もなくただの行き当たりばったりで覆そうとしているのだから

研究に取り組んだ実に3年間、穴を掘って埋める作業を繰り返すだけの、私の貴重な二十代の時間無駄になった。

それどころか、鬱になったから私の脳がもう元通りになることはない。

独学で技術を磨いていれば、スタートアップ経験を詰めていたなら、研究室を変える勇気が有れば、

私が目指していた専門性の高い人材になれていたかもしれない。鬱にならなかったかもしれない。

今はただ、逃げなかった後悔が募るばかり。

全て自分責任。現状に流されて、自分の居るべき場所主体的選択できなかった。

レールを外れることが恐ろしく、それ以外の道を作る覚悟が無かったのだ。

研究者はどんなクソ論文にも査読者がいるのになろう小説には読者がいない

2025-09-28

anond:20250928104153

学部生ごときが専門誌の査読シバシ通せるわけないだろ

論文の読み書き発表をブートストラップして勉強研究の境目を跨いだ証左論文となってブックされてる事実重要なんだよ

2025-09-26

またソーカル事件デマがばら撒かれてしま

またソーカル事件についてのデマがばら撒かれているらしい。

https://x.com/kenmcalinn/status/1971350035465220500]

ソーカル事件、よく調べると話が全然違って(査読紙ではなくフィクションもの雑誌に、エディタ意味不明から大幅に訂正するように要求されるもソーカル無視して、有名な物理学者の挑戦として特集号に出版)、たぶん悪影響のほうが大きかったんじゃない。

雑誌側は後から掌を返して「最初から少し怪しい論文だなとは思っていた」「哲学的部分の多くを削除してほしいと頼んだ」と反論してるんだけど、ソーカル側が「そんな要求は一度も受け取らなかった」と証言してる。それどころか、何度も批判コメントを求めたのにまったく送ってもらえなかったとか。

その他にも雑誌側の主張のおかしな点はAmato氏の記事などで散々指摘されてるよ。

こういうふうに故意に誇張や嘘を混ぜた言葉アジテーションを行うのは、デマ師のいつもの手口だ。

2025-09-12

政府外国に乗っ取られている!」と言って中国ロシア工作に騙される

マスゴミは嘘ばかり!」と言ってアホみたいなまとめブログYouTuberを信用する

学者は信用できない!」と言って論文査読を通っていないような疑似科学にハマる

2025-09-11

気がつくと瑠璃宝石の事ばかり考えているんだが

なんか瑠璃ちゃん物語の裏側で発表されないだけで、せっせと凪さん伊万里さんが所属する研究室の報告や論文の共著者になってそうだよな


学力不安があって凪さんの大学(恐らく国立)に入れるかとか悩む描写があるけど、そ2年生ぐらいに凪さんが今までの研究活動論文にするように仕向けて、国際論文誌に応募、査読通って掲載されて話題になって調子にのってやらかすまでがセット。

で、やらかしてとほほ状態になって、瀬戸さんとうーうーうなりながら受験勉強やっているところに、最近来ないけどどうした?って凪さんに言われて、受験勉強にきまってんじゃん、とかいって、瑠璃総合選抜じゃないのか、査読論文があるからかると思うぞと言われて

ガッコの先生に「総合選抜で受けたいです。そうしたら受験勉強しなくていいと聞きました」とか瑠璃ちゃんが言い出して先生頭を抱えて必死勉強させるみたいな展開。英語地理科学はできるけど他がからっきしダメみたいな評価で。

で、なんかの拍子にガッコの先生が、瑠璃ちゃんが置き忘れた論文印刷版を見て何だこりゃとなって発覚みたいな。

そういう希望ある若者未来が読みたい。

俺は希望のないKKOなので

2025-09-10

anond:20250910134432

その「ネガティブ学術情報」とやらが、現場で働く医療者が参考にしているガイドラインの変更や保健当局公衆衛生政策を決めている専門家たちの判断に影響を与えるほどのインパクトが今のところはないというお話ではないでしょうか?

素人なのでよく知らないのですが、主流の学説批判する論文が何本か、とりあえず掲載条件は満たしているということで査読を通って専門誌に載ったら、それすなわちファクトとなり、すぐに実務のガイドライン政策が変更されるような世界なのでしょうか? ワクチンの分野というのは。

いえね、あなたが実はHPV子宮頸がんワクチン専門家で、近年「HPVワクチン効果なし」という論文が続々と一流の医学雑誌掲載されて専門家コンセンサスが塗り替えられつつあるのだ、

ということでしたら、わざわざ素人の我々に専門家の最新の動向を紹介していただきありがたく存じますけど。

しかし、それほどの知見をお持ちの方がこんなネットの片隅で匿名投稿している理由がよく分かりませんが……

専門学会で発表したり政府審議会に入ったりするなど、もっと学術公衆衛生のために活躍できる相応しい場があるのでは?

2025-09-04

虚人たち

以下で展開される議論は、アメリカのある哲学者学術誌の査読ピアレビュー同業者による査読)の適切さを確かめるためにでっち上げデマ論文の内容であり、しかもその論文はある雑誌受理された。

このことから投稿者は、文化人類学者ではないが、いくつかの考察を試みる。

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1. 以下の内容は、「サル山のボス猿とそのなかま」が信奉するペニス信仰と、それに対する「フェミニスト」の反論の両方を痛烈に揶揄している。これらの議論は、ここ「はてな」での果てしない同種のやり取りの上位互換となっている。つまり、そのことに気づかないでいる、いわば自己相貌失認を患う矮小関係者の姿をアナロジカル揶揄している。

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2. 仲間による「レビュー」を経て認められた「議論」が、いかに穴だらけなものであるか、つまり特定コミュニティ支配イデオロギーとはしばしば、ブードゥー教偶像崇拝にすぎないことを示唆している。

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3. 投稿者はこのデマ論文の紹介により、いわば原始人に優れた棍棒の作り方の一例を教唆することになるかもしれない。いずれにせよ、上位互換議論デマであると著者により暴露されたことは、はてなでの「議論」の有効性の上界を抑えられたことを意味する。平たくいうと、0くxく1のように、xの取りうる範囲が有限なある一定の値以上にならないことである。原始人たちが、今後どのような道を選ぶのか知らないが、進化選択肢があることを付け加えたい。

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4. 敷衍すると、この論文の内容に限らず、はてなでの任意の「議論」には、それの上位互換となるある学術的な議論を作ることができる、という可能性が示唆される。平たくいうと、はてな投稿分析すれば論文が書けるかもしれない。

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この論文概念的なペニス社会構成である」は、ジェイミー・リンゼイピーター・ボイルによって2017年にCogent Social Sciencesに掲載された研究論文であり、ペニスという概念が単なる解剖学的な器官ではなく、社会的に構築されたものであり、それが有害な「毒性のある男性性」(toxic masculinity)と密接に関連しているという革新的な主張を展開しています[1]。著者らは、この「概念的なペニス」が、ジェンダーアイデンティティ生殖に関するアイデンティティ社会および家族力学に深刻な問題引き起こし女性やその他のジェンダー周縁化されたグループにとって虐待の根源となり、レイプ普遍的な原因であり、さら気候変動の概念的な原動力である結論付けています[2-4]。

1. 緒論:ペニス伝統理解への異議**

伝統的に、ペニス男性生殖器または性器として圧倒的かつ議論余地のないものとして科学的に認識されてきました[5]。しかし、著者らは、この見方が「過度に還元主義的」であり、ペニスを持つ人間経験多様性を完全に表現できていないため、「首尾一貫しない構成物」であると指摘します[6]。

この主張の根拠として、まず解剖学的なペニスが必ずしも男性生殖器官としての役割を果たすわけではないという事実が挙げられます[5]。例えば、怪我を負った者、配偶者強制できない者、子孫を産むことに興味がない者、医学的に不妊の者、またはアセクシュアルを自認する者など、ペニスを持つ多くの人々が生殖を行いません。これらの例は依然として「男性」を構成するかもしれませんが、彼らのペニス生殖器官として特定することは明確に誤謬であるとされています[5]。

さら重要な点として、ペニスを持つ女性が数多く存在することが強調されます[5]。これには、性別適合手術前のトランスジェンダー女性や、女性と自認し、性別移行を望んでいない染色体上の「男性」が含まれます[5, 7]。文化的有害常識に反して、これらの人々にとって、彼らの性器ペニス)は、生殖に利用される場合があったとしても、男性性器として最もよく理解されるべきではありません[7]。このような人間表現多様性という重要事実に照らして、ペニスを具体的に男性解剖学的な器官と概念化することは、非常に問題があり、言説的な再検討喫緊必要であるとされます[6]。

2. 概念的なペニス定義と「毒性のある男性性」との等型写像関係**

著者らは、ペニスが「男性性に対する首尾一貫しない構成物」であるとし、ペニス解剖学的な器官としてではなく、**ジェンダー遂行的な、非常に流動的な社会構成物**である概念的なペニス」として理解されるべきだと主張します[6]。この「概念的なペニス」は、ジェンダーに関連する様々な遂行的な行為発言を通じて社会確立されるペニス操作的な表現です[6]。

この概念的なペニスが、**「毒性のあるハイパーマスキュリニティ(hypermasculinity)」と等型写像的(isomorphic)な関係にある**とされています[1, 8-10]。この等型写像関係とは、二つの異なる構造が、その構成要素間の関係性において本質的に同じ形を持っていることを意味します。ここでは、概念的なペニスという社会構成物が、毒性のあるハイパーマスキュリニティの行動や心理鏡像のように一致しているということです。

特に、この等型写像関係は、**「マチスモ・ブラガドシオ」(machismo braggadocio)**という概念によって媒介されます[10, 11]。マチスモは本質的攻撃的な男性プライドを指し、ブラガドシオは傲慢な自慢の性質意味します[12]。これらが一体となって、社会的に男性的な心や異性愛規範的な女性の心がペニスを「客観視」し、それを介して男性性と支配的な男性権力ダイナミクス遂行的に表現する具体的な描写であるとされます[12]。

この等型写像関係において、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリン男性権力のない主体的立場から強力な立場へと自身を再配置するために、**「主体」「客体」「動詞」の三つの役割**を果たします[11-14]。

**客体としての概念的なペニス自己客観化)**: 多くのシスジェンダーハイパーマスキュリン男性は、ペニス男性権力支配制御能力、魅力、攻撃性の象徴として捉え、自らの男性性の最も明白な側面をペニスと同一視する傾向があります[9]。これは、彼らが自身概念的なペニスを通じて自己を客体化する行為であり、弱さの心理闘争を緩和するための権力再配置として機能します[12, 15]。男性勃起不全を「機能不全の非貫入的(異性愛男性性」という「虚構」として捉えることも、この自己客観化の例とされます[15]。

**主体としての概念的なペニス**: ハイパーマスキュリン精神性は、社会化された男性個人を、彼の概念的なペニス刻印され、具体化された延長と混同することがよくあります[13]。この混同を通じて、ハイパーマスキュリン男性自身概念的なペニスを「主体」とし、自身の核となるアイデンティティをそのペニスを通して表現します[13]。この現象は、新資本主義唯物論が「性的アイデンティティ客観的な価値を持つ」と示唆している状況で、特に不利な立場にある人々を抑圧する結果をもたらすとされます[13]。男性性的アイデンティティ客観的な価値があるという誤解は、権力のないハイパーマスキュリン男性主体を、彼の概念的なペニスによって強力なものとして再配置する結果を招きます[13]。

この主体としての役割は、男性性的な「征服」や「パフォーマンス」について自慢する際に明らかになります[16]。また、「俺は彼女にやった」「彼女もっと欲しがった」といった表現に見られるように、名詞の「それ」("it")が客体的な概念的なペニス女性経験の知覚された主体に変え、概念的なペニス男性ジェンダーパフォーマンスに関してさらに客体化します[16]。これにより、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな心において、ペニス主体として(男性の)セクシュアリティを強力な現実とする脱所有化(deappropriative)のツールとなります[16]。

**動詞としての概念的なペニス**: ハイパーマスキュリン男性は、「dick」(ペニス意味する俗語)という言葉を、行動を表す動詞として頻繁に使用します[14]。例えば、「to dick someone」(誰かを騙す、または性交する)や「I dicked her good」(彼女を十分に性交した)といった表現は、男性権力支配的な男性セクシュアリティテーマ表現するために利用されます[14]。これらの使用法は、男性自身主体的立場にある様々な言説の相互作用直感的に理解し、特定の状況、特に実際の性的な遭遇においてそれを調整することを可能します[14]。また、「I dicked him over」(彼をひどい目に合わせた)のように、他の男性に対する権力ダイナミクス表現するためにも使用され、支配的な男性ヘゲモニー思考を示しています[14]。

この傾向は、性的アイデンティティ根本的にヒエラルキーの維持に利用されるという考え方によって説明されます[17]。概念的なペニスを行動を表す動詞として使用することで、ハイパーマスキュリン男性は、他者を抑圧し、脱制度化する社会的なヒエラルキー強制し、自己認識的に高めます[17]。この現象は、ラップ音楽におけるミソジニー分析や、「マン・スプレッディング」(manspreading)と呼ばれる、公共交通機関などで男性が足を開いて座り、不必要に広いスペースを占有する行動にも見られます[17]。マン・スプレッディングの言い訳は、解剖学的なペニス睾丸が「快適さ」のためにスペースを必要とするという男性的な社会言説に直接基づいていますが、これは概念的なペニス遂行的な社会構成物として見た場合、周囲の空きスペースを「レイプする」ような支配的な物理空間占有であり、毒性のあるハイパーマスキュリニティへのマチスモ・ブラガドシオ等型写像を通じて最もよく理解されるとされます[17]。

マチスモはハイパーマスキュリン本質であり、ブラガドシオはその表現です[10]。現代思考における概念的な要素としてのペニスは、マチスモ・ブラガドシオの概念によって、ハイパーマスキュリニティにおける最も毒性があり問題のあるテーマ自然に等型写像関係にあります[10]。これらのテーマは、解剖学的なペニス自体には適用されず、生殖しない個人アセクシュアル個人にも関連性を持たないため、ペニス既存男性的な社会的な比喩を演じるために利用される、構築された社会的な客体、つまり言説的な「概念的なペニス」として理解されるべきだとされます[10]。

3. 気候変動と概念的なペニスの関連性**

概念的なペニスが毒性のあるハイパーマスキュリニティに等型写像的に同定されることの最も問題のある結果の一つが、**気候変動**であると指摘されています[4, 18]。気候変動は、まさにハイパーマスキュリニティ特定有害テーマによって引き起こされており、これらは概念的なペニス識別される気候生態学への支配的な略奪的アプローチを通じて最もよく理解できます[18]。

著者らは、地球が急速に2℃の気候変動閾値に近づいている原因が、現在資本主義構造を維持する家父長的な権力ダイナミクス特に化石燃料産業にあると主張します[18]。科学政治経済の言説におけるハイパーマスキュリン支配と、生態系への修復不能ダメージとの関連性は明確であるとされます[18]。破壊的で持続不可能であり、ヘゲモニー的に男性的な環境政策と行動へのアプローチは、男性優位の精神性による自然の「レイプ」の予測可能な結果です[19]。この精神性は、男性心理に対する概念的なペニス役割認識することによって最もよく捉えられます[19]。

特に資源安価に略奪し、家父長的な経済的利益のためにその内在的な価値を奪われた後、荒廃し減退したまま放置されるような「未開の環境」にこの精神性が適用されるとき概念的なペニスに内在するレイプ文化の延長が明らかになるとされます[19]。気候変動は、最もよく言えば、ハイパー家父長制社会地球生態系メタファー的に「マン・スプレッディング」している例であると述べられています[19]。

この問題のある傾向の根底にある理由は、現代資本主義理論、すなわち新資本主義理論が、科学社会におけるハイパーマスキュリンな焦点から直接その合理性の主張を引き出していることにあります。そしてこの焦点は、概念的なペニスとの同一視によって最もよく説明されるとされます[20]。毒性のあるハイパーマスキュリニティは、概念的なペニスから直接その意義を引き出し、新資本主義唯物論の支持に自身適用します[20]。この新資本主義唯物論は、特に炭素排出化石燃料技術の無制限使用や、未開の自然環境の無謀な支配において、気候変動の根本的な原動力であるとされます[20]。

この分析から導かれる実践的な推奨事項は、気候変動研究において、可能な限りハイパーマスキュリンペニス中心の視点を避けるように、政治科学の言説への関与方法を変えるべきであるというものです[3]。

4. 結論提言**

結論として、著者らは、ペニス男性性器生殖器として理解されるべきではなく、むしろ Permalink | 記事への反応(0) | 19:03

2025-08-29

研究室で貴重な20代の3年間を無駄にした

実験作業員として、破綻しているテーマでの研究を3年間続けさせられた。

一つ上の優秀な先輩やその前の代も病んでまともに研究できていなかった。

修士を修了して3年たった今も、鬱で頭もずっと回らない。

取り組んだ内容を国際会議投稿した際に、査読酷評コメントをいただいたことがある。

変な話、私が指導教員に対して言いたかたことが全部詰まっていて、かなり嬉しかった。

それでも、頑なに同じことしか言わない指導教員。お前の実験の仕方や書き方が悪いんだ。と。

なぜ逃げなかったのか。

2025-08-18

anond:20250818111600

本文中に患者個人情報や、非公開の院内データは出てきてないよ。

著者の人は旧Twitterで「ガイドライン二次著作」と述べていたことがあるように、データガイドラインだったり、それなりに知れている論文だったりから引用し、イラスト類は自分で作っている模様。


ただ、一部実際のCT画像だと思われるものが出てくる。著者の同僚の方も査読してチェックしていると言う話が出てくるので、そこら辺はちゃんと処理してるんじゃないかなあ。

2025-08-06

anond:20250806195844

いいえ、その主張は 基本的に誤り です。

現在の主流のソーラーパネル太陽光発電パネル)は、生涯で発電するエネルギー量が、自身製造・設置に要するエネルギー大きく上回ります

✅ 正確なポイントエネルギーペイバックタイム(EPBT)

🔋 寿命30年でのエネルギーバランス(概算)

項目 概要
製造・設置に必要エネルギー 1〜3年分の発電量
パネル寿命 約25〜30年(実際には40年使える例も)
生涯発電量 製造エネルギー10〜30倍以上

まり太陽光パネルは「元が取れる」どころか、10倍以上のエネルギー供給できます

🏭 よくある誤解の出所

🔍 信頼できる情報源(例)

🧮 数値の例(結晶シリコンパネル):

地域 年間EPBT 寿命 生涯発電量/製造エネルギー
ドイツ 約2年 30年 約15倍
日本 約1.5〜2年 30年 約15〜20
アメリカ南部 約1年 30年 30倍近くも可能

結論

ソーラーパネルが生涯で生み出すエネルギーは、その製造エネルギーを下回る」というのは 事実ではありません

実際はその何倍ものエネルギーを生み出します。

2025-06-30

Z世代動画を倍速視聴することとAIに丸投げして要約することの違い

Z世代タイ思考動画の倍速視聴が普通になってきているといった話題が出た時に「そんな視聴の仕方で分かったつもりになって物事語るなよ」とか「そのカット割りや間にも意図があるんだぞ」といったような否定的ツッコミを見ることがままあった

要はタイパ優先でそんなインプットの仕方をして何かを分かった気になるなよといったことを言いたいのだろう

これってAIに丸投げして要約させたものに目を通したり評価したりするのも同じことなのでは?とAI論文読ませて査読している者を狙い撃ちにしたスクリプト論文に仕込んだという記事を見てふと思った

倍速視聴へのツッコミをした者もスクリプトを仕込んだという者も同じような思いだったのかもしれない

2025-06-21

anond:20250621145446

増田うんぬんより、ここ5年で人類全体の知能は低下しているよな。

なんかそんな論文あったはず。査読中だったけど。

2025-06-13

ここ数年の飯田泰之について思うこと

飯田泰之が「右派論者は左派論者より寛容」というポストをして

つくる会や、正論界隈を知らないのかと突っ込まれている。

  

ここ数年の飯田泰之面白い論考もあるが首をかしげる主張も多い。

  

少し前に「さす九」という言葉が騒がれたことがある。

九州男尊女卑意識が強いという風潮を指す言葉だ。

それに対し飯田泰之は、九州女性にとって暮らしやすいと思われているとデータで主張していた。

https://note.com/iida_yasuyuki/n/n498ed70f9010

  

「さす九」については以下の記事が、実証専門家の誠実な主張だと思う。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/04fc4beba1099620abe1dd31a9033505c6c2bc98

  

「さす九」といえるような体験があったことは否定しないが、それを九州全体の意識に原因を求めてもそれが正しいかどうかは判定が難しい。

それよりも家事の偏りなど明確になっていることを議論した方がいいというわけ。

「さす九」のような議論定義曖昧なため、数量データでは「わからない」と書いているのだ。

  

けれど飯田記事は、直接明言はしていないけれど「さす九は存在しない」と主張していると解釈できると思う。

でもその根拠微妙だ。飯田記事は有料なので全部は出さないが、根拠ひとつとして九州女性幸福度が高いというアンケートがあると主張している。

主観データをそのまま信用するわけではないと飯田自身留保をつけてはいるが、それなりのエビデンスにはなると紹介している。

https://www.hakuhodo.co.jp/uploads/2014/11/20141120.pdf

上記以外にも同様のデータ複数noteで挙げているが、それらを見ると沖縄がどれも結構な上位なんだよね。

で、沖縄DVシングルマザー貧困が多い県であることは知られている。

まり沖縄女性生活する上での困難が多いわけで、これは「幸福度アンケートだけで判断するのは危うい」ということだろう。

(尚、飯田記事アンケート以外の行動データもあるがそれでも沖縄は高い)

  

他にも社会保障関連で「20代が最も負担率が大きい!そんな国聞いたことない!」と煽っていたが、突っ込まれて訂正とかしている。

https://x.com/iida_yasuyuki/status/1923519888762732802

  

下記で「飯田泰之は信頼しているが・・・」とあって、自分もかつてはそう思っていたが、今はもう信頼できないと思う。

https://x.com/michihito_ando/status/1923404258910576967

  

実証専門家なら上記のようなデータ解釈は注意するべきでしょう。

確か小島寛之の初学者向け統計学の本で、謝辞の中に内容をチェックしてもらったと飯田泰之名前があったと記憶しているが、

学者向けの本に名前が載っている人がこういう振舞いをして、それが統計学だと思われるのはまずいだろう。

飯田本人も「さす九」の記事内で「データ分析のコツ」とか言っちゃてるし……

  

まぁ色々書いてきたが、まともだと思う記事結構あるんだけどね。

  

下記は小泉時代空気って確かにそうだったし、説得力があった。

https://note.com/iida_yasuyuki/n/n4bce9a8714db

  

軽めの記事だと下記のエッセイもとても良かった。

地に足の着いた議論大事にする姿勢も好きだった。この記事だけ読むと良質な保守派感覚を持っている人だと感じる。

https://note.com/iida_yasuyuki/n/n73e316e18af1

  

今もしっかりした人だと思うことはある。

先ほど挙げた社会保障関連でもまず訂正をちゃんとしてるわけだし。

あと、下記で確か「査読付きの論文を出さない人は経済学者と名乗らないでほしい」って感じのこと言ってたと記憶しているが(違ってたらすみません)、

まり論文を書いていない現在飯田泰之はそれをちゃんと守っているようにも思える。

エコノミストを名乗っているよね。

たまに経済学者と紹介されたりしているけど本人がそう主張しているわけではないんだろうな。

学問に対する矜持は失っていないんだなと思いたい。

https://www.videonews.com/marugeki-talk/473

  

でもなぁ、大学女子枠に批判的だからって、レーサム事件が流れたときに「この学生女子枠かな」とXで書いてそのポスト消したり、

飯田泰之が〇〇を批判しないのは卑怯だ」みたいな意見に対して「こういう態度がダメなんだ」と反論しておきながら、

フェミイスラム批判しないのはダメだ」みたいな意見をリポストしているのを見ると悲しくなるよ。

ポスト同意とは限らないけど、普段フェミ批判的なポストが多いしこのリポスト同意だろう。

フェミ批判やるならちゃんとやればいいのに、なんでここまで雑なんだろう。

自分が気に食わない主張をするやつは馬鹿に決まってるって思考なのかな。

https://x.com/iida_yasuyuki/status/1770697951108649325

2025-06-08

違う研究分野の業績評価って正直自分の分野の基準で物を言うことなんて出来ないと思うわ。人文科学系の研究者やってるけど、うちの分野だとハイペースに研究が進むわけではないから、論文数は多い人で年一本くらいで、日本語査読つきで十分、英語査読つき論文はごくごく一部の人だけ書いてる感じ。それよりも公募だと単著学術書出版してるかどうかが一番評価されるからちゃんとした出版社を納得させられる本一冊分以上の原稿を書き、場合によっては資金の一部を自分持ちにしてでも本を出す(借金する人もいる)というのが、テニュア獲得のほぼ前提になってたりする。

anond:20250608170037

どれだけ上なのかと思ってresearchmapを見に行ったら、査読ありの英語論文ワイより少なくて草

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