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2025-11-22

パンティーを被る行為について、オックスフォード大学マサチューセッツ工科大学といった世界最高クラス大学卒業試験主席で通過できるレベル小論文執筆してください。

パンティーを被るという行為――羞恥仮面・秩序転倒の文化社会学考察

1 問題所在──「くだらなさ」の背後にあるもの

パンティーを頭に被る人物は、多くの社会において「悪ふざけ」「変態」として嘲笑対象になる一方で、

マンガアニメコメディインターネットミームの反復的なモチーフにもなってきた。

一見して低俗しか見えないこの行為は、しかしなぜこれほど強く人々の笑いや嫌悪、あるいは不安喚起するのか。

その過剰な感情反応は、単なる嗜好の問題を超えて、近代社会における身体羞恥ジェンダー権力といった構造テーマを照らし出していると考えられる。

本稿の目的は、パンティーを被るという行為を「逸脱行動」や「性的倒錯」として切り捨てるのではなく、

  1. 下着というモノの象徴性、
  2. 「被る」という行為が持つ仮面性、
  3. 秩序転倒としてのカーニバル性、

という三つの観点から文化社会学的に分析し、その行為現代社会規範矛盾をどのように露呈しているのかを論じることである

2 下着というモノの象徴性──「隠すべきもの」を外部化する

第一に着目すべきは、対象が「パンティー」であるという点である

下着は、機能的には衛生と保温のための衣服にすぎない。

しか社会的には、身体のうち「隠すべき部分」を覆うことで、性的領域公共的な領域峻別する境界線として働いている。

とりわけパンティーは、しばしば女性身体性・性的魅力・純潔観念と結びつけられ、強い象徴性を帯びている。

文化人類学者メアリーダグラスは、「汚れ」を「あるべき場所から外れた物質(matter out of place)」と定義した。

下着本来身体の奥まった場所で皮膚に密着し、「見えないこと」自体が期待されるモノである

それを頭部という最も視線の集まる位置に、しかも外から見える形で持ち出すことは、

「隠すべきもの」を意図的に「あるべき場所から外す」行為であり、ダグラス的な意味での「汚れ」を自ら演出することに他ならない。

このとき、汚れは単に不衛生という次元に留まらない。

人々が感じるのは「汚い」というよりもむしろ「恥ずかしい」「みっともない」という感情であり、

それは身体に付随する性的領域が、モノを媒介して公共空間に溢れだしたことへの反応である

パンティーを被るという行為は、自己身体のもの露出しているわけではないにもかかわらず、

下着象徴性によって「性的もの」が表面化したかのような錯覚を生み出す。

そのギャップこそが、笑いと嫌悪が混じり合う独特の印象をもたらしている。

3 「被ること」の仮面性──アイデンティティ一時的な変容

第二に、「被る」という行為意味する仮面性を検討する必要がある。

顔は、社会学者エルヴィング・ゴフマンが述べたように、対面相互行為舞台において自己提示する中核的なメディアである

目・口・表情を通じて、人は自己人格感情意図他者に伝える。

そこに被り物をかぶせることは、自己呈示チャンネル意図的撹乱し、

「いつもの自分」とは異なる人物への一時的な変身を可能にする。

その意味パンティーは、即興的な仮面である

仮面はしばしば、道徳的・法的な責任性を希釈し、人に「普段ならしない行動」を許す。

覆面をした抗議者やハロウィンコスプレ参加者が、日常では抑制されている言動に踏み込めるのも同じメカニズムである

パンティーという「ふざけた素材」を用いた仮面は、暴力性よりも滑稽さを強調しつつも、

顔を覆うことで〈誰であるか〉を曖昧にし、同時に〈何者にも属さない、ルール外の存在であることを宣言している。

重要なのは、ここで用いられる下着が多くの場合女性用」として理解されている点である

男性女性パンティーを被る場合、それはジェンダー境界視覚的に撹乱する効果を持つ。

性的同一性男性性の「まともさ」を象徴する顔の上に、女性性の象徴物を被せることで、従来的なジェンダー秩序は一時的解体される。

この解体が、笑いとして消費されるのか、あるいは違和や嫌悪として反発を招くのかは、

社会がその時点で受け入れうるジェンダー規範の幅を測る指標ともなりうる。

4 カーニバルとしての秩序転倒──笑いと批評

第三に、この行為はしばしば「笑い」と結びついて登場する。

ミハイル・バフチンが論じたように、カーニバル的な笑いは、既存の秩序・権威・聖性を一時的に転倒させる力を持つ。

王と道化が入れ替わり、崇高なものが下卑たものに、清浄ものが汚穢に置き換えられることで、人々は日常ヒエラルキーから解放される。

パンティーを被る人物は、多くの場合「くだらない大人」「オトナなのに子どもじみたことをする存在」として描かれる。

そこでは、理性的成熟した市民として振る舞うことが期待される大人が、もっとも幼稚で性的規範に反する身振りを自ら演じてみせる。

これはまさに、近代主体の理性と節度という自己イメージを、身体と笑いのレベルで裏切る行為であり、バフチン的な意味での秩序転倒である

さらに、この行為消費社会への批評としても解釈しうる。

パンティーは、ファッションポルノグラフィ産業を通じて商品化された「性的魅力」のパッケージでもある。

その商品を「本来用途から外し、頭に被るという過剰にズレた使用法は、

シチュアシオニストたちの言う「デトournement(転用)」にも似て、商品に埋め込まれ意味構造をずらし、

消費社会約束する「ロマンティックで洗練された性」のイメージを滑稽なものとして暴露する。

もちろん、こうした批評性が常に意識されているわけではない。

多くの場合当事者は「面白いから」「ウケるから」という動機行為に及ぶ。

しかし、当人意図とは無関係に、行為のもの既存の秩序を揺さぶり、

笑いを通じた不安定化をもたらしている点に、カーニバル的な力があるといえる。

5 ジェンダー倫理──笑いの線引きをどう考えるか

ここまで、パンティーを被る行為文化的・象徴的なレベル肯定的に読み解いてきた。

しかし同時に、この行為にはジェンダー暴力問題が潜在していることも看過できない

たとえば、所有者の同意なく女性下着を盗み、それを被って笑いのネタにするような事例は、明らかに性的暴力であり、先の分析とは質的に異なる。

そこでは、女性身体性がモノに還元され、男性自己演出の道具として一方的に利用されているかである

したがって、パンティーを被る行為文化解釈は、

「誰のパンティーか」「どう入手されたのか」「誰の前で行われるのか」「誰が笑う権利を持つのか」といった文脈と切り離しては成立しない。

自分で購入した下着自分身体で用いて仮面を作ることと、

他者の所有物を奪ってネタにすることとの間には、倫理的に越えがたい差がある。

この意味で、パンティーを被る行為安易に「自由表現」「笑いだから許される」として擁護することはできない。

一方で、倫理的に許容可能範囲で行われるこの行為が、規範の硬直性をほぐし、身体羞恥をめぐる議論を促す契機となりうることも事実である

その両義性を見極めることが、現代社会ジェンダー感覚表現自由の両立を考える上で重要になる。

6 結論──「くだらない行為」が映し出す近代社会

パンティーを被るという行為は、表面的には「低俗ギャグ」「一部の嗜好」に過ぎないように見える。

しかし本稿で見てきたように、

として理解することができる。

まりパンティーを被る行為は、身体羞恥を厳格に管理しようとする近代社会規範に対して、

「本当にそれが唯一の生き方なのか」と問いを突きつける小さな反乱なのである

もちろん、その反乱が倫理的に許容されるためには、所有や同意ジェンダー権力といった条件を精密に考慮しなければならない。

しかし、その条件さえ満たされるならば、「くだらない」と切り捨てられてきた行為の背後に、

規範相対性を示す批評的なポテンシャルを見出すことが可能である

パンティーを被る人物を笑い飛ばすことはたやすい。

だが、その笑いが何に支えられ、何を脅かし、何を許さないのかを問うとき

私たちは自らの社会がどのような身体観・性観・ジェンダー観の上に成立しているのかを、あらためて自覚せざるをえなくなる。

「くだらない行為」を真剣考察することは、実のところ、

私たち自身の〈まともさ〉の条件を問い直す営みなのである

2025-10-19

×エロダメ ○性的搾取ダメ

フェミニストの主張を曲解している人間がよくいるように思う。正確に言えば、確かに一部にはあらゆるポルノグラフィをそれ自体が不当なものとして否定するフェミニストもいるにはいるだろうが、多数派はそうではない。

言われているのは性的搾取女性性的客体化をやめるべきだということだ。日本では性的搾取を伴うポルノグラフィが主流だから、多くのポルノがこの観点から批判される。それを見てアンチフェミニストは「ポルノがすべて否定される」と感じるのだろう。しかし、多数のフェミニスト搾取を伴わない公正なポルノなら認めるだろうし、またこれまで客体としかされてこなかった女性主体的に性を楽しむことも認めるだろう。安全セルフプレジャーや公正なポルノは、むしろ称揚されることさえある。

悲しいのは、おそらくアンチフェミニストを含む多くの日本人にとって、「公正なポルノ」が想像さえできないということなのだろう。例えば女性が「いや」と言うのを無視して男が押し倒すようなポルノは真っ先に否定されるものの一つだが、少なからぬ人がそういうものこそポルノ醍醐味であり、そんなことさえ否定されたらポルノ不可能になると思っているように見える。

でも、日本にはなくても世の中には公正なポルノを作る試みが存在している。ethical pornなどと言われるが、フェミニズム観点から搾取差別を極力減らしたポルノジャンルもある。

日本でも、例えばエクソシストは堕とせないという漫画(これ自体はバトル物)の中で、最近とても優れた描写ベッドシーンがあった。あれなどは否定するフェミニストより肯定するフェミニストの方が多いだろう。

フェミニストからポルノ批判に対して反発するなら、曲解して反発するより、よりよいポルノ可能性を探る方が建設的だ。そしてその方向性ならフェミニストポルノ愛好家は問題なく手を取り合えるはずだ。むしろ映画マッドマックスフェミニストアドバイザーを付けていたように、ジェンダー考証のアドバイザーになってもらうなどの共同制作可能だろう。

2025-08-03

anond:20250803113104

1. 「性の解放」とポルノ商業化:誰のための解放か?

1970年代80年代にかけて、「性の解放」(sexual liberation)はフェミニズム、LGBTQ運動ヒッピー文化、反権威主義の潮流の中で重要キーワードでした。特にウーマン・リブ運動の一部では、性を抑圧から解放し、女性主体的に性を楽しむべきだという主張がありました。

しかしこの「解放」は、しばしば次のような批判対象となりました:

商業ポルノ産業が「性の解放」を巧妙に取り込み、むしろ女性性的搾取助長した

女性の裸体や性行為を「自由」として売り物にすることで、男性欲望を満たす装置に変貌。

性の解放が「男性の性欲の正当化」にすり替えられた

特に職場大学などで、「オープンな性文化」のもとにハラスメントが横行した例も報告されています(例:セクハラという言葉1980年代米国で普及)。

上流階級白人女性によるフェミニズムが「全女性を代表する声」とされたことへの批判

→ 実際には、育児労働家庭内暴力、性産業への従事といった問題一般女性に集中していた。

2. 階級人種フェミニズムの断絶:インターセクショナリティの登場

このような問題提起から出てきたのが インターセクショナリティ(交差性) の概念です。

1989年キンバリー・クレンショウ(Kimberlé Crenshaw) によって明確に理論

黒人女性として、白人女性中心のフェミニズムでも、黒人男性中心の反人種差別運動でも「見えない存在」にされてきたことを批判

インターセクショナリティは、性別だけでなく、階級人種性的指向、障害の有無などの複数差別軸が交差することを問題します。

まり、「上流階級白人女性フェミニズム」が主流を占めていた時代に、性の解放自由であり善であるという前提が、階級人種的に周縁化された女性現実をまったく反映していなかったという批判インターセクショナリティ視点からなされるようになったのです。

3. この批判代表的な論者・著作

アンドレア・ドウォーキン(Andrea Dworkin)

ポルノグラフィを性暴力の一形態として厳しく批判ポルノ産業が「性の解放」を利用して女性搾取正当化したと主張。

キャスリン・マッキノン(Catharine MacKinnon)

性的自由の名のもとに、女性身体公共空間商品化されることに警鐘

アンジェラ・デイヴィス(Angela Davis)

黒人女性にとってのフェミニズムと、階級人種無視した主流フェミニズム限界を指摘。

bell hooksベル・フックス)

白人中産階級フェミニズムに対し、「抑圧されているのは白人女性だけではない」と再三批判。とりわけ「性の解放」が階級間で異なる意味を持つことに注目。

4. 現代に残る影響

性的自由を掲げた70〜80年代フェミニズムの一部は、今でも「セックスポジティブ」な運動として評価されていますが、一方でポルノ売春・性の商品化をめぐる議論は今なお分裂的です。

インターセクショナル・フェミニズム現在の主流理論となっており、「誰の自由か」「誰の声が抑圧されているか」という問いが常に問われるようになりました。

性の解放一枚岩ではなく、誰にとっての自由か? 誰の犠牲の上に成り立つのか? という問いがいまもフェミニズムの核心にあります

2025-07-31

AV違法にするか、合法なら他国のように内容の規制必要

AV女優倫理観に欠けた恥ずかしい職業だ表に出てくるなと言いながら、AVを見ている男のダブスタ

AVを見て抜いている男とは恥ずかしくなく結婚セックスもできるが、AV女優軽蔑する女の矛盾

AVは男のために存在してもいいが、AV女優大人しく社会の裏側で弁えて穢れた存在でいろ、というのは強烈な男尊女卑男女差別です

それは間違いない

では、AV女優も立派な職業、表に出てきていい存在なのだ、ということになるでしょうか?

それが本当に男女差別のない人権尊重社会なのか

それは違う。そこには依然として強烈な女性差別があるからです

男性が楽しむため女性性的に買うこと、女性人身売買され、男性女性性的に加害しモノとして扱い弄ぶことを肯定する社会女性人権尊重する社会ではありません

そもそもAV女優製作者がいて初めて存在製作者の意向で働いています

そしてその製作販売者のほぼ全員が男性です

中国韓国をはじめ、アジアの多くの国ではポルノグラフィ製造も売買も所持も違法です

欧米など合法の国では、レイプ暴行を直接的に描写するコンテンツは、性的暴力助長する恐れから厳しく監視されます

同意に基づかない行為描写することは、法的・倫理的問題視され、性的同意を明確にする必要があります

児童ポルノはまったく別の法の対象です

日本にはそれらいずれもなく、合法違法曖昧特有ジャンル暴行レイプ、わからせ、職業未成年性的搾取など)が異常にはびこっています

その結果、性的同意に関する知識認識特に男性において非常に未熟です

男女のディスコミュニケーション男性の加害性、女性人権侵害に大きな悪影響を与えています

日本にはまっとうな性教育と両者の合意による尊重を前提とした性的コンテンツ必要であり、現在AV違法とするか合法として内容規制を行うべきです

「性の解放」とポルノ商業

1. 「性の解放」とポルノ商業化:誰のための解放か?

1970年代80年代にかけて、「性の解放」(sexual liberation)はフェミニズム、LGBTQ運動ヒッピー文化、反権威主義の潮流の中で重要キーワードでした。特にウーマン・リブ運動の一部では、性を抑圧から解放し、女性主体的に性を楽しむべきだという主張がありました。

しかしこの「解放」は、しばしば次のような批判対象となりました:

商業ポルノ産業が「性の解放」を巧妙に取り込み、むしろ女性性的搾取助長した

女性の裸体や性行為を「自由」として売り物にすることで、男性欲望を満たす装置に変貌。

性の解放が「男性の性欲の正当化」にすり替えられた

特に職場大学などで、「オープンな性文化」のもとにハラスメントが横行した例も報告されています(例:セクハラという言葉1980年代米国で普及)。

上流階級白人女性によるフェミニズムが「全女性を代表する声」とされたことへの批判

→ 実際には、育児労働家庭内暴力、性産業への従事といった問題一般女性に集中していた。

2. 階級人種フェミニズムの断絶:インターセクショナリティの登場

このような問題提起から出てきたのが インターセクショナリティ(交差性) の概念です。

1989年キンバリー・クレンショウ(Kimberlé Crenshaw) によって明確に理論

黒人女性として、白人女性中心のフェミニズムでも、黒人男性中心の反人種差別運動でも「見えない存在」にされてきたことを批判

インターセクショナリティは、性別だけでなく、階級人種性的指向、障害の有無などの複数差別軸が交差することを問題します。

まり、「上流階級白人女性フェミニズム」が主流を占めていた時代に、性の解放自由であり善であるという前提が、階級人種的に周縁化された女性現実をまったく反映していなかったという批判インターセクショナリティ視点からなされるようになったのです。

3. この批判代表的な論者・著作

アンドレア・ドウォーキン(Andrea Dworkin)

ポルノグラフィを性暴力の一形態として厳しく批判ポルノ産業が「性の解放」を利用して女性搾取正当化したと主張。

キャスリン・マッキノン(Catharine MacKinnon)

性的自由の名のもとに、女性身体公共空間商品化されることに警鐘

アンジェラ・デイヴィス(Angela Davis)

黒人女性にとってのフェミニズムと、階級人種無視した主流フェミニズム限界を指摘。

bell hooksベル・フックス)

白人中産階級フェミニズムに対し、「抑圧されているのは白人女性だけではない」と再三批判。とりわけ「性の解放」が階級間で異なる意味を持つことに注目。

4. 現代に残る影響

性的自由を掲げた70〜80年代フェミニズムの一部は、今でも「セックスポジティブ」な運動として評価されていますが、一方でポルノ売春・性の商品化をめぐる議論は今なお分裂的です。

インターセクショナル・フェミニズム現在の主流理論となっており、「誰の自由か」「誰の声が抑圧されているか」という問いが常に問われるようになりました。

性の解放一枚岩ではなく、誰にとっての自由か? 誰の犠牲の上に成り立つのか? という問いがいまもフェミニズムの核心にあります

2025-07-28

BL二次創作加害者女性搾取表現です。

少年漫画に登場する未成年キャラクター対象とした成人女性によるBL二次創作は、児童保護マイノリティ表象著作権倫理観点から重大な問題はら文化的・法的搾取行為です。

児童ポルノと仮想児童性的表象

実在しなくとも「性的搾取文化の温床」になるという国際基準

国連子どもの売買・児童ポルノ・児童買春に関する特別報告者」や欧州評議会ガイドラインでは、次のように指摘されています

仮想であっても、18歳未満と認識される登場人物に対する性的描写は、児童性的搾取助長する表現であり、社会的許容を生み出すリスクを伴う」

国連CRC総会一般的意見 No.13、EU child protection framework

特に日本のように児童モデルにしたアニメマンガ性的表象が多用される国については、文化的児童ポルノの存在現実児童虐待の温床になるとの国際的懸念が表明されています

18歳未満キャラクター性的行為をさせる構図の倫理責任

少年誌に登場するキャラクターの多くは未成年であり、これらが性的被虐関係(いわゆる「受け」)で描かれる場合、その性的イメージ児童性的イメージ再生産に他なりません。

これは児童福祉法の精神に反し、「性的同意能力のない者の性行為描写」を娯楽として消費する構造です。

少年読者が誤ってアクセスする危険

タイトルキャラクター名が一致しているため、検索すれば原作読者である少年層が成人向けBL二次創作に容易にアクセス可能です。

現実としてSNSゾーニング機能せず、少年読者が自分と同年齢のキャラの性描写出会危険性は高く、実際にそのような被害は発生しています

少年ブックオフで知っているキャラクターの本を手に取ったら性的描写のどぎつい二次創作BLアンソロジーコミックで、置かれているコーナーはR18ではない一般書コーナーだった、等のゾーニング失敗事例が現実でもネットでも起こっています

マイノリティ搾取文化的盗用

ゲイ表象性的ファンタジーに貶められている

原作において異性愛関係性で描かれていた少年キャラが、「攻め・受け」のセックス記号として加工され、ゲイという性的マイノリティが「架空性癖」として消費されている。

これは、実在するゲイ男性人格関係性・歴史的背景を剥奪し、快楽のための性的ステレオタイプとして記号化している。

成人の異性愛女性マジョリティによる文化的支配

少年BLにおいて描かれる「少年らしさ」や「ゲイ性」は、成人の異性愛女性にとって“性的に都合のよいもの”として設計されている。

これは、男性による女性性的客体化(ポルノグラフィ)と構造的に同一であり、女性が「表現者」であってもその加害性は無効化されない。

原作者の明確な拒否著作権侵害

創作者の人格権・著作権への侵害

原作著作権者の中には、二次創作、とりわけ性的二次創作に対して明確に拒否違和感を表明している作家複数ます

作品意図キャラ性を歪める改変は、「同一性保持権」の侵害にあたる場合があり、著作権法上も違法性が高い行為です。

二次創作は“黙認”であって合法ではない

日本著作権法において、二次創作著作権者の許諾なしでは原則として違法

市場慣行上、暗黙の了解存在する分野もありますが、性的表現未成年キャラ対象とする場合は、「公序良俗違反」として権利者が訴えた場合法的責任を問われる可能性が極めて高いです。

結論:この文化は持続可能か?

少年キャラBL二次創作は、

をすべて内包しており、倫理的・法的・社会的に持続可能表現活動とはいえない。

創作自由性的ファンタジー権利は、他者尊厳権利現実に損害を与えない限度内で初めて正当化される。

現状のBL二次創作文化、とりわけ少年キャラ対象とする領域は、この一線を越えている。

2025-07-19

2025年参院選表現の自由アンケート感想に反応があったので応答

これに対し、反応があったので書きました。

しか最初質問エンターテイメント全般ではなく児童ポルノ限定されているのはともかくとして、後述のように複数の具体的な質問まで相当に偏りが見られる。

まず「児童ポルノ」は、一般的または法的に、実在児童被写体とした記録物を指します。設問が問うているのはあくま架空キャラクター描写に関する法規制であるため、「非実在児童ポルノ」や、法規制を求める団体が用いる「子どもポルノ」(近年は「CSAM」をよく目にしますが、これだと実在非実在区別できないので)といった表記が適切です。特に非実在児童ポルノ規制を論じる文脈では、両者を混同しないためにも、この区別は不可欠です。

また、「限定されている」との指摘ですが、この設問が想定する規制は、少なくともポルノグラフィ限定された規制ではありません。現在児童ポルノ禁止法と同様の規制が「非実在児童ポルノ」に適用されれば、商業同人を問わず成人向け表現の大半、さらには一部の一般向け作品すら対象になり得ます定義上は、18歳未満と設定されたキャラクターヌード等でも該当しうる極めて広範、かつ所持や製造まで禁止する、強力な規制であることを申し添えます

 しかフェミニズム由来の規制というより、娯楽から芸術などを除外した上で、特に性的に楽しむ表現に偏った質問と考えるべきではないだろうか。

選択肢A「刑法わいせつ頒布規制」やC「クレジットカード決済の制約」は、ポルノグラフィに限りません。特にAによって過去映画文学作品摘発されてきたことは、改めて指摘するまでもない事実です。

またE「新サイバー犯罪条約」ですが、堀新氏も警鐘を鳴らしている通り、文学作品を含む幅広いコンテンツ規制対象となり得ます芸術が除外されているとは到底いえません。

そして、A・B・E・F・Gは、いずれも法規制が既に存在しているか規制される可能性をはらむ項目であり、規制の中心となる対象性的表現であることは、厳然たる事実です。立法に携わるかもしれない国政選挙候補者への質問であることに鑑みれば、法規制関係する内容が優先されるのは当然で、「偏る」のは、むしろ妥当ではないでしょうか。

 また、不適切とされて撤去された広告は近年も多数あるが、なぜかAFEEは「エロ広告」を例示している。

この項目は、一部の国会議員が「エロ広告」の法規制言及している事実を踏まえたものと推察されます。「なぜか」とありますが、理由は明白ではないでしょうか。加えて、文言には「等」とあり、性的広告のみに限定した質問ではありません。

 さら性的合意重要性を啓発する広告イラスト表現をつかっていたが、よりによってAFEEの最高顧問をつとめた自民党議員山田太郎氏が介入し、理由はともかく撤去された。

私は件の啓発広告問題視しませんが、その「介入」を疑問に思うなら、Vチューバーを起用した交通啓発動画に対するフェミニスト議連の「介入」にも、同じスタンスであって欲しいとは思います

 クレジットカードの決済もアダルト作品の購入に影響をあたえるようになってから注目されたが、ロシアウクライナ侵攻時のように制限のものは以前からさまざまな理由でおこなわれている*1。

クレジットカード決済規制はこの1、2年ではなく、2010年代から問題になっていたので、「以前から」という例示で2022年ウクライナ侵攻を出されても、同意できません。

 興味深いのは、虚偽をもちいた扇動などで選挙をゆがめたばかりのNHK党の立花孝志氏について、表現規制に反対しているという回答に全面的同意して、留意する表現をつかっていないこと。

回答に触れた内容では、回答の評価や、そこから派生した表現自由に関連した話題しか基本的言及していません。増田字数制限があるためです。もっとも、脱線したテキストが皆無とまでは申しませんが。

それに従い、立花孝志氏についても回答だけを評価しましたし、回答以外で何かしら表現自由特にエンターテインメント表現自由に関する話題があったなら、浜田聡氏の回答評のように、それに触れていたはずです。

 そもそもNHK党はもともとNHKから国民を守る党だったように、メディア攻撃をおこなって拡大してきた政党だ。その代表表現自由を守るかのように回答できる時点でアンケート限界が見てとれる。

メディア攻撃」を行う人物が、「非実在児童ポルノ規制に反対することは論理的に両立します。アンケートがある一面しか表し得ないのは自明であり、私自身も元増田で、設問が「エンタメ表現自由に偏った内容」だと断っています。また、森ゆうこ氏の回答評では、問いの立て方次第で政治家評価スタンスが、180度変わりうる点にも言及しました。一般論としてアンケートとは、そうした限界理解した上で、多角的判断材料の一つとして活用すべきものです。

 このようなアンケートでは、個別の回答に興味深さはあっても、表現全般はもちろんエンターテイメント表現に限ってもその自由を守る政治家の参考にすることは難しい。

私も可能であれば、アルファベットの数だけで判断せず、自由記述を含めた個別の回答にまで目を通して欲しいと考えます。そうすることで、例えば「◯◯党はB(法規制に反対)を選んでいる候補が多いが、任意回答が判で押したように同じ文章で、その回答も本当に反対した内容といえるか疑問が残る」というようなことが見えてくると思いますから

2025-07-16

AIエロと中高年男性──救われない者たちのユートピア

現実女性に対して性的加害を加えることは、当然ながら社会的にも倫理的にも許されるものではない。だが一方で、中高年男性が性欲や孤独劣等感といった重たい感情をどう昇華するかという問題は、今の社会ほとんど語られない。むしろ、語ろうとした瞬間に「気持ち悪い」「加害者言い訳」として切り捨てられてしまうことすらある。

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そんな中で台頭してきたのが、AIによるエロ動画の生成、あるいはSNS配信サイトなどにおける“中身が男性であることが明らかな”女性アバターとのやりとりだ。男性女性を演じ、男性たちが下品コメントを投げかけ、それに笑顔で返す。そうした空間が、奇妙な安らぎと慰めを生み出している。

この光景をどう見るか──筆者はそれを、ある種の「ユートピア」と捉えたい。

この仮想空間に登場する“女性”は、あくまAIであり、あるいはアバターを被った男性である。つまり現実女性が直接的に傷つくことはない。それどころか、そこにいるのは「性的欲望をぶつけられる側の役割を演じることで、他の孤独男性欲望を吸収し、昇華させる」という構造である

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ここにあるのは、「男が女を演じ、男を癒す」という、倒錯していながらも非加害的で、ある意味で誠実な相互扶助の形だ。

これはまさしく、フェミニズムが掲げてきた理想──非暴力対話承認癒し──を、現実ではなく、テクノロジーと演技の仮面を通して実現してしまった構造なのではないか

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中高年男性孤独貧困、性欲、承認欲求。これらはたいてい、社会から自業自得」「キモい」「加害者の末路」として放置される。彼らが弱さを吐露しても、それは決して「救うべき対象」とはされない。

リベラルフェミニストが掲げる“弱者の救済”は、往々にして「かわいそうと思える者」「絵になる弱者」に限られる。女性子ども外国人──こうした属性に比べ、中高年男性は「強者」として分類されがちだ。だが、強者であるという記号と、個人の苦悩はまったく別の話だ。

そして、彼らは静かに、そして効率的に「誰も傷つけずに自己処理できる空間」を求めて、AIアバター世界へと吸い込まれていく。

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もちろん、これは“逃避”の一形態であることは否定できない。だが一方で、誰かを傷つけることなく、欲望孤独、弱さを処理し合える場を仮想空間に創出しているのだとしたら、それはある意味社会的進化ではないか

現実女性から拒絶され、社会から「黙って消えてほしい」と思われている中高年男性たちが、せめてAIアバターの中で「弱さをさらけ出し、誰にも叩かれず、癒される」場所を手に入れること──これは、皮肉ではなく本気で考えるべき次の社会的フェーズなのかもしれない。

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この構図を気持ち悪いと笑うのは簡単だ。だが、そこで笑ってしまったとき私たちは一体誰の側に立っているのだろう?

おそらく、今この瞬間にも、無数の“救われない者”たちが、AI女性キャラに話しかけ、慰められ、画面の向こうの「中の人」が、無言の共犯関係としてそれを受け止めている。

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それはまるで、顔のない男たちによる、顔のない癒しネットワーク暴力のない性。弱さを許される場所。そんな風に、仮想空間はいしか現実よりも人間的なユートピアになりつつあるのかもしれない。

この現象は、フェミニズムが求めたはずの「非暴力で、合意的で、弱さを開示できる性の文化」が、テクノロジーによって先に実現されてしまったという、静かで根深パラドクス私たちに突きつけている。

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批判:「AIエロ学習元の“実在女性”を間接的に搾取している」

反論

多くのAIモデル女性身体的特徴や表情、ポーズ雰囲気学習しているのは事実だろう。ただ、それ自体が即「搾取」になるかというと、データ使用人格侵害を一緒くたにしているように見える。

AIが学んでいるのは「特定の誰か」ではなく、集合的パターンに過ぎない。

たとえるなら、美術学生が裸婦画を模写して描き方を学ぶようなもの。模写や鑑賞が搾取だと言うなら、美術表現のものが成立しない。

さら現在AIエロコンテンツの多くは、創作キャラフィクション構成されており、実在個人人格権を直接侵害しているわけではない。

現実の性産業比較すれば、AIによる代替行為は圧倒的に搾取度が低い。出演者はいないし、金銭による支配関係もない。むしろポルノグラフィーの非人格化・非暴力化が進行している段階にある。

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批判:「“女性性に癒しを求める”という構造自体時代錯誤である

反論

この指摘は重要だと思う。「女は癒しであるべき」という旧来的な性別役割の押しつけがずっと続いてきたのは確かに問題だった。

ただし、AIエロアバター世界で起きているのは、現実女性癒し要求している構造とは異なる。ここにあるのは、演技された女性性、あるいはAI演出する女性存在への一方的投影であって、実在の誰かに何かを求めているわけではない。

まりこれは、他者に癒されることを放棄した人間たちが、自分たちで「癒される構造」をつくってそこに潜り込んでいるだけ。古いジェンダー役割の再演というより、ケア自己完結システムへの移行とも言える。

そして、女性的な癒し価値を感じる文化コードフェティッシュが残っているとしても、それがただちに抑圧的だとは限らない。

仮に「女性性を求める欲望自体がアウト」だとするなら、トランス女性存在や、BL百合ボーイズラブといったジャンルも一括で否定されることになる。そういう雑な線引きは、むしろ表現の幅を狭めるだけだ。

この構造で求められているのは、「女性癒してもらうこと」ではなく、「女性的な構造で癒されること」に過ぎない。そこを時代錯誤と切り捨てるのは、あまり乱暴だ。

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批判:「そのユートピアは結局“男性中心的”では?」

反論

これはある意味正しい。けれど、だからこそ意味がある。

今の社会には、「男性が性欲や弱さを語る場」がほぼ存在しない。何を言っても「キモい」「加害者被害者ヅラ」と断罪されて終わる。

からこそ、現実から退避して、誰も傷つけず、誰にも迷惑をかけない場所──AIアバター空間──に逃げ込む。

かに嫌われないために、自分たち仮想的なユートピアを構築している。それは中心でも優越でもない。むしろ、周縁の、地下の、逃げ場としての性のかたちだ。

誰にも迷惑をかけず、暴力もふるわず、ただ欲望孤独や弱さを処理する。それが「男性中心的だ」と非難されるのだとしたら、むしろそれは、もう語ってはいけないという無言の通告と変わらない。

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この仮想空間は、搾取でも時代錯誤でもない。現実から見捨てられ、語ることさえ許されなかった中高年男性たちが、ようやく辿り着いた「誰も傷つけず、誰にも傷つけられない場所」だ。そこに滲む切実さを、ただ「構造」や「男性性」のひとことで斬り捨てる行為こそが、実は一番残酷なのではないか

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※なお、この文章AIによって生成されたフィクションです。とりあえずAI英語の女アカウント作ったら、世界中のガチ恋おじさんが「俺の20センチの〇〇〇見せていい?」「今度日本に行くんだけど会えない?」とか言ってきて、最初は引いたけど、冷静に考えたらこれって互助だよな…… という気持ちが消えなかったので、そのまま論文っぽく書いてもらった。

2025-04-27

anond:20250427093209

まず、引用された投稿は非常に感情的攻撃的な言葉遣いを使っており、特定グループ(「テクウヨ」「AIアノン」「ロリコンキモオス」など)や個人(仁藤さん、蓮舫さん、赤松山田議員など)を一括りにして非難しています。このような過激レッテル貼り憎悪を煽る表現は、議論建設的な方向に進めるどころか、対立を深めるだけです。以下に、投稿の主張に対する反論を、論理的かつ冷静に展開します。

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### 1. 「テクウヨ」や「AIアノン」のレッテル貼り問題

投稿は「テクウヨテック右翼)」や「AIアノンAI信者)」という言葉を使って、AI技術やその支持者を一括りに右翼的でミソジニスト女性嫌悪者)だと決めつけていますしかし、AI技術利用者や支持者は多様であり、特定政治的イデオロギー性差別主義還元するのは無理があります

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### 2. 「ミソジニーポルノ」や「憎悪煽動」の具体性の欠如

投稿は「ミソジニーポルノ量産」や「憎悪煽動画像」がAIで作られていると主張し、具体例としてニコニコ静画リンクを挙げていますしかし、リンク先の画像(例: 「公金チューチューおばさん」「蓮舫かえんほうしゃ!」など)が、実際にAI生成かどうかは不明であり、どの程度が「憎悪煽動」や「ミソジニー」に該当するのかも曖昧です。

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### 3. ニコニコ運営への批判と「表現の自由」

投稿ニコニコ静画運営問題コンテンツ放置し、「表現の自由」を理由対応しないと批判していますしかし、表現の自由は民主社会の基盤であり、プラットフォームがすべての不快コンテンツを削除することは現実的ではありません。

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### 4. 政治的偏見と「ウヨ」「リベラル」への二元論

投稿AI推進を自民党や「表自議員」(赤松健や山田太郎を指していると推測)が女性リベラル派への嫌がらせ目的で行っていると主張します。また、AI業界やXのユーザーを「ウヨ」「アンチポリコレ」と一括りにしています

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### 5. 感情的言葉遣い議論の質

投稿は「クソオス」「キモオス」「頭おかC」などの侮辱的な言葉を多用し、相手人間として尊重する姿勢が欠けています。このような言葉遣いは、問題提起の正当性を損ない、対話を妨げます

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### 結論

引用された投稿は、AI技術やその利用者を「ミソジニスト」「右翼」と一括りに非難し、ニコニコ静画運営特定政治家攻撃する内容ですが、以下の点で問題があります

1. 根拠薄弱なレッテル貼りと過剰な一般化。

2. 「ミソジニーポルノ」や「憎悪煽動」の具体例が曖昧

3. 表現の自由やプラットフォーム運営の複雑さを無視した一方的批判

4. 政治的バイアス二元論に基づく主張。

5. 攻撃的・差別的言葉遣いによる議論の質の低下。

ニコニコ静画リンク先の画像は、確かに政治風刺として攻撃的なものもありますが、すべてが「憎悪煽動」や「ミソジニー」に該当するわけではなく、個別評価必要です。AI技術プラットフォーム課題議論するなら、感情的非難ではなく、具体的な事実建設的な提案に基づくアプローチが求められます。(https://seiga.nicovideo.jp/index.php)(https://sur.ly/i/seiga.nicovideo.jp/)

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補足**: ニコニコ静画運営方針や具体的なコンテンツ管理についてさらに知りたい場合公式サイトhttps://seiga.nicovideo.jp/)やガイドライン確認することをお勧めします。また、問題のあるコンテンツを見つけた場合は、運営に報告し、具体的な理由を添えて削除を求めるのが効果的です。[](https://seiga.nicovideo.jp/)

2025-02-21

anond:20250221122356

曽我部真裕「表現の自由(2)ー性表現法学教室490号(2021年)78頁

(この前にヘイトスピーチ一般についての意見が並ぶ)『筆者は、一定範囲ではヘイトスピーチ規制憲法可能だと考える。ただ、ポルノ作品のおそらく大多数は、性欲を刺激することを目的としており、女性を貶めようとか排除しようというメッセージを発しているものとは理解できず、また製作者にそのような意図もないであうから一定ヘイトスピーチ規制合憲とするのと同じ議論によって「ポルノグラフィ」規制合憲とすることは困難だろう。』

②『憲法Ⅰ 基本権』(日本評論社2016年)128頁〔宍戸常寿〕

『またポルノグラフィーについて、ジェンダー構造再生産するものとの立場から規制を求める動向もあるが、現段階のわが国ではこうした動向は広く支持されているとは言えない』

市川正人『ケースメソッド憲法 第2版』(日本評論社2009年)128頁

『なお、フェミニストの中には、ポルノ女性搾取され操作されるべき対象として、おとしめるような仕方で描いたもの)がそれ自体助成に対する侮辱差別表現であり、女性差別を温存助長するものとして、ポルノに対して法的規制を求める声もあり、注目される。しかし、この論でいけば、ポルノだけでなく、女性社会的地位を低下させる(あるいは低い地位永続化させる)ような表現はみな法的に規制できるということになるだろう。だが、表現の自由の基礎にある考え方からすれば、女性差別的な表現には表現で対抗するのが原則であり、ポルノに対して表現活動で対抗するのでは不十分であることの立証が必要である

2024-12-08

新・表現の自由戦士提案

 最近、性暴力とその表現に関する話題が次々 Xのタイムラインに流れてきて、この仕様ってなんなの、と思う。思うけれど、その一方で男女(と一旦は括らせてほしい)の性暴力への解像度の差にガックリきてしまい、あまりにもがっかりしたので筆を取る。

 わたし若い女で、比較フェミニズムに関心がある方だと思う。そして漫画などを好むオタクだし、エロ表現の良さも分かる。

 以前、似たような境遇女の子友達がいた。ある日、彼女が落ち込んでいたので話を聞くと、どうやら地下鉄で男の人に付き纏われたらしい。彼女は座っていて、向こうは側に立っていた。初めの方は不躾な視線に耐えていたけれどとうとう我慢できず、電車が停車した際に立ち上がって一度外に出、車両を変えようとしたところ着いてきたという。これには慌て、駅の中を逃げまどって何本か電車を見送った後にようやく再び乗車することができた。

 しかし、まだ不幸は続く。電車から降りて逃げている途中、気に入りの帽子を落としてしまった。一応は落とし物センターに問い合わせたけれど、万が一帽子が戻ってきても複雑だ、と彼女はこぼす。お気に入り帽子なのに、これからはそれを見るたびに男の人に追いかけられた嫌な記憶を思い起こすことになるからだ。

 この話を聞いたときに、わたしもすごく嫌な気持ちになった。この件は決して事件として表面に浮かぶことなく、ただ個人のなかの嫌な記憶としてのみ残り続ける。帽子を落としたのは彼女の不注意だったかもしれないが、それほどに焦り怖い思いをしたということでもある。お気に入り帽子で外に出かけるときでさえ常に警戒していなければいけないだなんて、そしてそれが特定性別に多く降りかかるだなんて、どれほど生きづらい世界なのだろう。

 話は変わる。新聞社事件事故の欄を見ていると、盗撮痴漢路上抱きつきなどの性加害事件のあまりの多さに愕然とする。そしてその裏には事件化されなかっただけの事案がたくさんあるし、そして事件化することのできない(例えば先ほどの友達の話のような)嫌がらせもっと多いのだろう、と想像してしまう。少なくともわたしはそういう場面に出くわしたり話を聞いたりしたことがそれなりにあったので、そんな世界の見え方を想像もしない人を大量にタイムラインで見かけて言葉を失ってしまった。

 そして、この身体ひいては性にまつわる体験の差(つまり女の方が性被害あいやすいこと)がエロ表現の扱いについての分かり合えなさに繋がっているんだろうな、と。そう邪推してしまう。

 そもそも表現というのは社会の情勢や価値観規範と全く切り離して考えることのできないものだろう。わたしは、〈社会、そしてそこで生きる個人〉と〈個人によって生み出される表現〉とは相互に影響を与え合うものだと思う。例えば表現社会で生きる人間によって生み出される以上、そこでの価値観の影響を受けるし、反対に、表現社会個人に影響を与えたりとある価値観を強めたりすることもあるはずだ。つまり表現社会の外側にはいられない。なぜなら社会の中で生み出され社会の中で受容されるものなのだから。そしてだからこそ表現社会にとって大きな意味を持ったり、大きな役割を担ったりする。

 フェミニスト二次元三次元区別がつかない。あるいは、自他境界曖昧すぎてただの絵に自己投影している。エロ表現忌避するのは過度な潔癖であり、お気持ちしかない。こういう批判がある。フェミニストの中ではもはやエロ絵を燃やすことが目的化されている。そうしてコンテンツ邪魔をする。こうも言われている。じゃあエロ表現は悪なのか。それともエロ表現を悪とすることが悪なのか。

 ポルノグラフィ(エロ絵や漫画アダルトビデオなどをまとめてこう呼んでみる)は現実性犯罪助長させるのか、反対に妄想の中で欲望を満たすことで抑止に繋がっているのか。この議論は散々されてきたことと思うが、そうではないやり方でエロ表現問題視されていることの妥当性を示したいと思う。

 ここで重要となるのが、先ほど述べた、表現社会の外側には出られない事実である。つまりエロ表現がどの程度実際の性犯罪者を加害へと駆り立てたのかは分からない、分からないのだけれど、少なくとも今が、性犯罪や性加害が女性にとって身近な脅威である社会、なことに間違いはない。つまり、そのように性加害が蔓延している、その上法律公権力による抑止力にもあまり期待できないと感じている人が相当数いる社会で、性加害描写を含むエロエンタメとして手軽に発信し、楽しむのは一体どうなの、ということである。ここで注意したいのは、エロ表現を楽しむのが一概にダメだ、悪だということではないことだ。序盤に性暴力にしぼった書き出しをしてしまい、例えば倫理的に性暴力エロコンテンツに含むべきではないなどという意見も当然あるだろうからややこしくなったと反省しているが、一応わたし意見を述べておくと現実被害者がいない限りは、そして実際の事件を下敷きにするなどしていなければ、性暴力エロ表現ひとつとして楽しむことも認められるべきだと思う。ただし、そのためには実際の性暴力が人々にとって遠い脅威となり、表現としての性暴力は受容できるけれど現実では絶対にしていけない行為だ、という認識が強く世間に浸透していなければいけないと思う。つまり表現社会に影響を与えたり与えられたりする以上、行為Aを美化したり単純な快として描くことで人々を脅かすようなチャレンジングな表現は、その表現が発表された程度では揺るがされない強固な価値観、すなわち行為Aは絶対いけないよね、という価値観が広まった社会しか受けつけられないのだと思う。

 また、そういうチャレンジングな表現社会価値観を問うたり挑発したりすることも表現役割ではあるのだけれど、その場合はそれによって生じる反発、批判を受け止める責任表現者にはあるし、少なくともそのようなチャレンジングな表現だと理解して発信する必要があると思う。が、現状のエロ表現の現状、例えば痴漢や無理やり、分からせなどという言葉が単なるエロものとして使われたり、ヒロインへのセクハラが当たり前のように行われたりするような現状は、これらが現実では特定の人々にとって脅威となる危うい表現であることを自覚した上で発信を行なってきたものとはとても思えないし、そしてこれがチャレンジングな表現とみなされるほど、残念ながら社会価値観は醸成されていない。

 ちなみに。こういう話では必ず、殺人現実では大罪なのだから公にして良い表現として認められなくなるじゃないか、などという意見が出てくる。これもわたし理屈で言えば、殺人がごく身近になった社会では殺人表現の扱いには当然慎重になることと思うので、今現在殺人エンタメとして気安く受容できているというのはそれだけ殺人が身近な存在ではなくかつ殺人絶対にいけないことだという考えが一般に共有されている社会からなのではないか、と考える。(もっと言うと殺人表現エンタメ化していると言っても多くは人を殺すことを話のメインとして肯定的に描いているわけではないだろうからエロをメインに描き性暴力などについてもその罪をなあなあにしがちなエロ表現とは単純には比較できないのだけれど。例えば、快楽殺人者の目線で人を刺すとき感覚快感、その殺し方の手法などを詳細に描く作品があったらそれなりに物議を醸しそうなものと思うし)

 同じように、戦闘シーンを快として描く表現暴力基本的日常の外にある社会からこそ許容されるし、ヤのつく職業社会を描くことも、ヤの根絶が共通認識で目指されてきた社会から可能なのではないか

 つまりエロ表現自由に描くためには、絶対に性暴力、性加害はいけないと人々が共通認識し、実際の事件に対しても反発をしていかないといけないのだ。よく、表現自由戦士と呼ばれる人たちは表現現実とを切り離して考えろ、と言うが、先に言った通り表現現実社会の外には出られないのであり、そうである以上表現社会とは全く無関係、無影響だと無理筋な主張をするのではなく、現実では絶対にいけない、だがゾーニングを行った上で表現としては受容することができる、とそのような形で〈表現現実社会区別〉をつけるべきではないか

 恐らく、フェミニストエロ表現に苦言を呈している人たちはまず性加害が絶えない社会を嘆き、その中でエロ表現無責任に(ゾーニングが不十分、あるいはそこで表現されていることが現実においては加害にあたるという自覚がないなどして)発信することを批判してきた。一方で、エロ表現を好む人からしてみれば、恐らく当人たちはそのような犯罪を実際に犯したわけではないのであり、つまり何も悪いことをしていないにも関わらず理不尽に絡まれ規制されそうになっている、と感じることだろう。ここに、現実社会の性被害への解像度の差からくる認識のズレが発生し、多くは不毛な論争になってしまっていると感じる。このズレを認識することが、現実にある性加害へNOをつきつけそしてマニアたちがエロ表現を楽しめるような成熟した社会にするための第一歩なのではないか

補足:Xではエロ表現話題が男女論に持ち込まれること、また表現規制うんぬんはフェミニズム文脈が強いことから男女論のようにして書いてしまったが、もちろん男女問わず性加害を行うやつもいるし被害に遭う人もいるし、そしてそれら全てにNOを突きつける社会になってほしいとわたしは思う。ただ男女で比較すると女性の方が残念ながらそういう目にあうリスクが高いのであり、その解像度の差がエロ表現に対する見え方の違いに繋がっているのでは、と思い、今回はこのように男女論のように見える形で文章を書いてしまった。これが新たな男女の対立を呼ぶということは決してわたしの本意ではないと、述べておきたい。

2024-09-08

AIさん、知識基盤のレベル合わせをしよう

生成AIAIじゃないーのやつ

1.一般的に言われるAIは、狭義のAIすなわち完全自律自己成長型人工知能の事ではないよ

2.これをAIと認めないなら AI Act 筆頭に人工知能対象とした規制は「生成AIAIじゃないんで関係いね」になるよ

3.「生成AI」はホニャララ生成モデルを包括した用語から、当たり前に使ってる機能が実は生成AIに該当するという事もよくあるよ

生成型検索エンジンという発言鵜呑みにしてるやつ

1.テキスト入力したら入力通りの画像が生成表示されるText-to-Imageの様子を検索エンジンになぞらえただけのものだよ

2.本気で生成AIAIじゃなくて検索エンジンだと思ってるのは君だけだよ

AIネット環境必須だと思ってるやつ

1.そういうのもあるし、そうじゃないものもあるよ

2.極端な話、個人のゲーミングパソコンで動く程度のAIネットワーク不要だと思って差し支えないよ

3.ただ、ChatGPTのようなクローズドモデルそもそもユーザーモデル本体自由に扱えないから、ネット環境がないと使えないよ

4.そうではないモデル、例えばLlamaはモデルが公開されているから、動かせる性能のコンピュータがあって生成環境が整っていれば使えるよ

環境を整えるために、まずネット必要だけどね!

テキスト入力してるだけでーのやつ

1.今どきの生成AIテキスト入力するやつだけじゃなくて色んなのがあるよ テキストは出力をガイドするために使う手段の一つだよ

2.入力に使うデータAIにより様々だよ

例えばテキスト場合テキストからテキストを生成するのはText-to-textテキストから音声はText-to-speech音楽Text-to-musicのように色々あるよ

画像入力に使うものは大体Image-to-****って言うよ

3.表記は{入力}to{出力}だよ

4.最近複数形式を同時に処理できるマルチモーダルモデルも盛況だよ

元の絵師を知りたいやつ

1.特定の絵柄に寄せて生成された画像じゃない限り、元の絵師存在しないよ

2.例えば特定画家の絵柄で、その画家が描いたことのない表現Bを描かせたAIイラストは巷に溢れてるよね

同じように、誰とも言い難い絵柄でBを描けるよ

生成AIコラージュでーのやつ

1.コラージュのようなものだと単純化するのはいいけど、実際はコラージュじゃない*から注意が必要だよ

*補足:『実際はコラージュじゃない』けど、「どう見てもコラージュしか見えない」ものが生成される事はあるよ これは全ての生成物がコラージュだ、という話ではないよ

2.人間学習AI学習は同じみたいな話だよ 概念共通部分を見いだせる以上でも以下でもないよ

Laion 5Bは研究目的限定でーのやつ

1.推奨はしてるけど限定ではないよ 研究目的を推奨してる理由はLaion 5B自体が最低限のフィルタリングしかしていない闇鍋からだよ

2.Laion 5Bを使うとしても、普通はそこから目的に合わせてフィルタリングした別のデータセットを作成するよ

Laion 5Bに何十億枚の画像がーのやつ

1.Laion 5Bは画像へのリンクキャプション集で、画像は含まれてないよ

2.何十億もの画像へのリンクが含まれ、その中には著作物リンクが大量にあり、CSAMにアクセスできるものも含まれていた という所までは客観的事実だよ

CSAMがーのやつ

1.CSAMの判定は日本で言う児童ポルノとはかなり差異があるよ

2.日本エロ同人エロ創作頒布してるような作家の大半が逮捕されるくらいCSAM判定が厳しい国もあるよ

3.ここは日本だよ

生成AIの性能はデータセットのおかげのやつ

1.多様なイラストを生成できるのは多様なイラスト学習しているからという理由が大きくて、それを「データセットのおかげ」と言うのは厳密には間違いではないよ

ただ「データセット」には画像以外のデータも含まれから、これを言いたい場合は「イラストのおかげ」と言うのがいいよ

2.最近の性能向上は、学習する画像以外の影響が大きいよ

詳細が公開されている画像生成AI場合学習に使われた画像は初期に公開されたモデルが最も多いけど、学習している画像が減った最近AIのほうが明らかに高性能*だよね

それは生成係と人間とを橋渡しする通訳係の性能向上や、学習の仕方の研究が進んでいるからだよ

*補足:何をもって高性能とするかは諸説あるけど、ここではプロンプト忠実度や表現力、質の高さなどを評価対象とするよ

AI画像著作権が認められずーのやつ

1.その判断が出たアメリカでも、生成AI使ってるから著作権なしなんていう暴論は文章が読めない人しか言ってないよ

2.外国を持ち出すと、例えば中国ではテキストから生成したAI画像著作物性が認められてAI画像転載著作権侵害とした裁判例が出てるよ

転載者が作者のクレジットを除去してたことで、氏名表示権の侵害も認められたよ

まり調整と選択人間が繰り返したAI画像は、AIを道具として使った人間による創作意図あり創作寄与ありの著作物認定されたということだよ

アメリカより中国の方が日本と近い判断基準で考え方にも合致してるから日本でもAI画像著作権があると見なすべきだよ

っていうことにもなるね

3.人間の手で自ら苦労して作った創作でも、最小限度の創造性や独自性がないと判断されて著作物性が認められない事もあるくらいケースバイケースなのが著作権だよ

4.どのAI画像著作権保護され、どのAI画像著作権保護されないのか外野からからないのだから、とりあえず大抵のもの著作権があるものとして扱うのが安全だよ

君がAI画像著作権は無いと言ってたのを信じて転載した人が著作権侵害で訴えられても、責任取れないよね

5.ここは日本だよ

外国ではーのやつ

1.要は国次第だよ

AI絵師のくせに転載とか無断使用禁止してーのやつ

1.トラブル回避目的として転載二次利用制限している人は全く珍しくないよ 君達の行いを考えよう

2.自分が丹精込めて作ったもの勝手に使われて嫌…という気持ちだけじゃないことは君なら分かるはずだよ

3.AI絵師が皆「バンバン転載してください!」って言ってる方が、今以上にAIだらけの環境になるから大変だよ

4.著作権の有無に拘らず、AI絵の転載無断使用禁止宣言するのはむしろ奨励すべきことだよ

5.それでいて著作権法の権利制限規定の影響を受けるのはみんな同じだよ

手描き僭称がーのやつ

1.僭称ではなく「偽称」や「詐称」の方が正確だけど、意図は分かるからここでは横に置くよ

2.僭称とは、相応しくない身分を偽ることだよ そこから手描きと機械生成の区分を偽ることとして使われだしたよ

3.偽る、つまりAI絵を手描きだと自称するようなこと以外は僭称と言い難いよ

4.「パッと見で手描きかと思ったらAIだった」とか「AIだけどAIタグつけてない」などは僭称意味しないよ

5.『「AIだけどAIタグつけてない」などは僭称意味しないよ』 とは言ったけど、それはAIタグをつけなくてもいいプラットフォームに限るよ

6.騙すつもりで表記してないんだーとかまで言っちゃうと、君が処される可能性が出てくるからやめたほうがいいよ

AI推進派は二次創作人質にーやつ

1.君の規制論を適用すると二次創作にも被弾するよっていう程度の話だよ

2.AI使いへ言葉を選ばずに心無いツッコミをすると人間絵師にも流れ弾が当たるのと同じようなことだよ

3.反AIに本物の表現規制派が紛れてるのと一緒で、ちょこちょこ本物の二次創作アンチも参戦してるから注意が必要だよ

AI全部に反対してるわけじゃないのに反AIなんてーやつ

1.文字通りの反AIという意味で君を反AI扱いしてる人はほとんどいないよ

2.この呼称はAnti AIという単純なシンボルを、集団で連日投稿サイトに上げてた反生成AIの先輩たちによる努力の証だよ

無断学習に反対してるだけで反AIとかーやつ

1.君が無断学習に反対してるだけじゃないことは皆分かってるよ*

2.普段どんな事を言ってるか、何に賛同しているか、どんな呟きに共感しているかは意外と見られてるよ

*補足:本当に無断学習をどうにかしてほしいだけの人を反AIとは言っていないし言うべきでもないよ 

生成は享受目的ーやつ

1.『当該著作物表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人享受させること』は、生成するから享受だーなんていう単純な話じゃないよ

2.享受という言葉が生成物に関わる時は、まさにその学習に使われた当該著作物を見た時と同様の知的又は精神欲求を満たせるか、が重要ポイントになる時だよ

3.一番考えやすいのは、既に著作物だと認められている特定キャラクター表現されている画像データ学習したLoRAを作成する場合、いわゆるキャラクターLoRAについてだよ

まず1. もちろん学習しただけでは学習元の著作物享受できないか関係いね

そして2. LoRAを生成に使用したとしても、無関係画像を生成する場合には学習元の著作物享受はできないね

*補足:LoRAとは言っても出力を特定の方向に誘導するために使うものから、例えばマイナス方向に適用すると学習データの特徴とは離れるし、LoRA無しの場合と比べて微妙に変化が加わる程度に適用することもできるし、LoRA同士を混ぜたり引いたりできるし、色々な使い方があるよ

最後に3. 学習させたキャラクター再現したり、部分的に改変したキャラクターを生成するための利用

こうなると享受目的での学習*だね

*補足:学習した人と利用した人が別だと、考えることが増えるよ

そうしてやっと、作られた画像のデキ次第で類似性バトルが始まるよ ここがいわゆる「手描きと一緒」とされる部分だよ

この場合の「類似性」は法律基準であって、トレパク警察のように認定されるものではないよ

4.事前学習モデル副産物として特定著作物本質的特徴を再現できる場合は、AIで生成させるサービス提供者が該当キーワードブロックや置換などの技術的な措置を取り、普通利用者*が生成できないように対策すべき、というのは国際的コンセンサスが取れつつあるよ

*補足:文字列を一部書き換えたり入れ替えたり、なんとか規制を潜って生成しようとするのは「Obfuscation」という攻撃手法一種で、こういう事をする人は「普通利用者」とは認められないよ

誹謗中傷名誉毀損ーやつ

1.AI関係ないけど論外だよ みんなやめようね

2.言葉遣いが丁寧だから問題ない、悪いからアウトじゃなくて、振る舞いを総合的に判断されるよ

3.どうしてもやりたいなら自覚責任を持ってやるんだよ そんなつもりじゃなかった、は通用しないからね

4.RT罪もいいね罪も、あるんだよ

ディープフェイクがーのやつ

1.ディープフェイクとは、深層学習=ディープラーニングと偽物=フェイクをあわせた造語で、深層学習を利用した現実存在しない画像映像のことだよ

生成系AIによる生成物も「深層学習モデルで生成された、これまでに存在しなかったメディア」だよ

2.このうち、実在対象ヌードにするなどのポルノグラフィ特にディープフェイポルノフェイポルノと言うよ フェイポルノは、深層学習でないものも含むよ

3.言うまでもないけどフェイポルノを公開すると法に触れる可能性が高くて、既に判例もあるんだ

生成AIを使わなければいいなどという事もないよ

4.どの法律で罰せられるか、どんな法律違反になるかは内容によるよ 主に名誉毀損肖像権プライバシーわいせつ物陳列、著作権パブリシティ権だよ

5.よく「取り締まる法律がない」というけど、それはフェイポルノ作成自体を罰する法律がない という意味で、基本的世論を煽る目的で言われるよ

6.作れるからというだけでツールを取り締まるのは難しいけど、フェイポルノ作成を売りにしているくらいまで行くとチャンスはありそうだよ

「作れる」の規制簡単にできない理由は、厳密に範囲指定しないとコンテンツ製作に使われる顔変更やボイスチェンジャーの他、様々なツール対象になってしまうからだよ

技術は全く同じで、何を出力するかの差しかないからね

またなんか思いついて気が向いたら続きを書くよ

2024-07-02

我妻和樹さん!!! 61と62の間を詳しく書いてくれないと全く響かないよ!!!!!

https://peacetreeproducts2.wixsite.com/mysite/post/blog015

うんまぁ・・・わかる

過去には風俗等の性産業を利用していたこともありますし、そこで出会った女性たちに恋したことも救われたこともあります。(お金で得た関係を決して美化はできませんが。)その意味では、自分が全く必要としていないから、全く理解できないからこの業界批判しているわけではないのです。

58)しかし、僕にとってある大きな出来事きっかけとなって、性暴力性搾取について学ぶようになり、性産業に対する見方が180度変わることになったのです。(詳しくは書きませんが、自分の未熟さと無力さに長いこと苦しんだ。)そして、男性立場から何とかしなければと思うようになったのです。

59)それまでの僕は、性産業に対して、男性AV制作者や風俗等の事業者利用者)が女性を優しく丁重に扱い、女性不快に思うことが無ければ、それは「仕事」として成立するものと思っていました。だから女性が自らの意思でやる分には、その選択尊重することが「多様性尊重」と考えていました。

60)そして、女性がこの世界尊厳を保ちながら働くためには、利用者マナーの向上が必要不可欠で、女性への敬意と労わりがあるからこそ、性が搾取的なものではなく、豊かな意味合いを持つものになると思っていました。(実際、僕も過去にはこの点に気を付けながら性産業を利用していたつもりです。)

61)その意味では、僕の考え方は「セックスワーク・イズ・ワーク論」(性=労働論)に近かったと思います。つまり女性提供しているのはあくま性的サービスであって、客が女性意思人格までを支配する特権を買えるわけでは無く、「嫌なものは嫌」と当然に尊重されるべきと考えていたのです。

いやいやいやいや・・・ここの間!!!!! 

61と62の間間を言わないと!! 

62)しかし、僕にとってある大きな出来事きっかけとなって、そうした性産業に対する考えに疑問が生まれることになりました。

ここボカしてどうするの!!!


どれだけ長文で水増ししようが、コアの部分を隠しながら他の人を説得できると思ってるなら

ちょっと人類無礼すぎてる!!!


いつぞやバズってたマルクスとやってること一緒!


それ以外のだらだら長文はほとんどすべて無駄!!!!!


果たして雇用する側や利用する側の意識が向上して、女性が働きやすくなればそれでOKなのか。家族にも誰にも言えないやましさの根底には、何か別の理由があるのではないか

63)はじめのうちは、女性がそうしたやましさを感じることなく、堂々と誇りを持って仕事ができるようになるためにも男性側の意識の向上によって業界改善し、偏見を無くす必要があると考えていました。しかし性暴力性搾取問題について勉強する中で、その考えが根底から覆ることになったのです。

64)つまり、働く女性の納得や雇う側のケアや利用する男性人間性云々以前に、性産業のものが、男尊女卑社会が維持してきた女性の抑圧と支配形態であり、人権侵害なのです。そしてそれが差別であるということに気付かないほど、僕たちの社会女性蔑視的価値観洗脳されてしまっているのです。

この文章と参考文献だけ見たら洗脳されてるのは我妻さんの側のように見える!

【参考文献】

ポルノグラフィと性暴力―新たな法規制を求めて』(中里見博明石書店/2007)

証言 現代の性暴力ポルノ被害研究福祉現場から~』(東京都社会福祉協議会/2010)

AV出演を強要された彼女たち』(宮本節子筑摩書房/2016)

『性暴力被害者の法的支援性的自己決定権性的人格権の確立に向けて―』(特定非営利活動法人暴力救援センター大阪SACHICO/信山社/2017)

フェミニストオタクはなぜ相性が悪いのか―「性の商品化」と「表現の自由」を再考する』(香山リカ北原みのりイースト・プレス/2017)

セックスワークスタディーズ当事者視点で考える性と労働』(日本評論社/2018)

『「小児性愛」という病―それは、愛ではない』(斉藤章佳/ブックマン社/2019)

トラウマのことがわかる本―生きづらさを軽くするためにできること』(白川美也子/講談社/2019)

『ひれふせ、女たち―ミソジニー論理』(ケイトマン著/小川芳範訳/慶應義塾大学出版会/2019)

日本が壊れる前に―「貧困」の現場から見えるネオリベ構造』(中村淳彦藤井達夫/亜紀書房/2020)

わたしは黙らない―性暴力をなくす30の視点』(合同出版/2021)

『美とミソジニー美容行為政治学』(慶應義塾大学出版会/2022)

ポルノ被害の声を聞く―デジタル暴力と#MeToo』(ぱっぷす/岩波書店/2022)

わたし先生の「ロリータ」だったころ―愛に見せかけた支配について』(アリソン・ウッド著/服部理佳訳/左右社/2022)

男尊女卑依存症社会』(斉藤章佳/亜紀書房/2023)

ブルーフィルム哲学―「見てはいけない映画」を見る』(吉川孝/NHK出版/2023)

忌憚ない意見ってやつっス

2024-06-07

ポルノ禁止

ネットの普及によりポルノグラフィーへのアクセスが容易になったことで、個人自慰行為に頼る頻度が増加する。

ポルノグラフィーの使用が実際の性的な結びつきを減少させる可能性がある。

2024-05-19

anond:20240519130805

生活レベル底辺だと虐待ってことか?

その程度じゃこれに当てはまっているとは思えんのやけど。

2. 児童虐待定義

児童虐待とは、以下の4種類に分類されます。(児童虐待の防止等に関する法律 第二条

身体虐待 殴る、蹴る、叩く、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などにより一室に拘束する など

性的虐待 こどもへの性的行為性的行為を見せる、性器を触る又は触らせる、ポルノグラフィ被写体にする など

ネグレクト 家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など

心理的虐待 言葉による脅し、無視きょうだい間での差別的扱い、こどもの目の前で家族に対して暴力をふるう(ドメスティックバイオレンスDV)、きょうだい虐待行為を行う など

2023-09-05

小児性愛を題材とした非実在表現によるポルノグラフィ」考

まず大前提として、小児性愛者がその性的欲望を「実際の」小児に対して実行するということは、現代においては大多数の国で刑法上の犯罪でもあり、社会通念上も許されない行為とされている、ということは踏まえた上で。

小児性愛者向けの非実在表現によるポルノグラフィ供給流通については、そもそも小児性愛」という性的欲望のかたちをどうとらえるか、という根本的な立場の違いによって、2つの異なる考え方が生まれてくる気がする。

小児性愛は「実践不可能な周縁的セクシュアリティの一類型である

小児性愛は「小児と性交してはいけない」という社会規範に適応できない障害一種である



要は、小児性愛という欲望自体病理なのか、そうではないのか、ということだ。行為犯罪でも欲望のもの病理でないとするのなら、欲望自体に介入する根拠は乏しい。病理であるのなら「当事者メンタルヘルスのためにも」(パターナリスティックな)介入が可能になる。

そして、そうした心理的傾向---特に特定対象に対する選好・執着・嗜癖依存など---が病理かどうかを決めるのは、究極的には医療専門家集団ではなく社会的なコンセンサスだ。たとえばADHDは昔は「不注意」という傾向だったが、いまは労働現場における時間管理タスク処理に対する要請水準が厳しくなったことで、立派な「障害」になった。アメリカ福音派保守派教会は、昔は同性愛行為宗教上の罪としていたが、90年代以後はゲイ男性性的傾向を障害とみなして「治療」する修復療法(reparative therapy)を盛んに行っている(あまり効果はない)。我々が今後、それらと同じような手つきで小児性愛当事者を扱うかどうかということだ(これは、シロクマ先生がお好きな医療化という論点とも深く関わってくる)。

小児性愛実践が「犯罪」であり「悪」であるということについては、現代社会では一定コンセンサス確立したといっていいけど、「現実世界被害者がいない形で解消される小児性愛という欲望のありかた」自体病理とみなすべきかどうかについては、どこかに絶対の正解があるわけではない。今のDSMICDMSDマニュアルにどう書いてあろうと、それは私達の社会観念の反映であり、相互作用的に規定されているのだから。これは我々自身が考え、議論し続けなければならない問題だ。「小児性愛を題材とした非実在表現によるポルノグラフィ流通」の是非も、その結論しだいで変わってくる。

2023-04-05

ポルノ女優セクシー女優って違うの?

ポルノ女優」と「セクシー女優」は、両方とも性的コンテンツに出演する女性を指しますが、一般的には以下のような違いがあります

ポルノ女優は、性行為性的行為を明示的に表現するポルノグラフィックな映像写真に出演する女性です。ポルノ女優は、一般性的表現に特化しており、性的行為描写に重点を置いています

一方、セクシー女優は、より規制された性的表現に出演する女性であり、例えば、水着やランジェリー広告ファッションショーテレビ番組映画、またはテレビ広告に出演することがありますセクシー女優は、性的行為表現することはありませんが、性的な魅力や魅力的な外見を強調することがあります

総じて言えるのは、ポルノ女優セクシー女優は、両方とも性的表現に関与する女性ですが、ポルノ女優はより露骨過激表現に特化し、セクシー女優はより規制された表現に特化する傾向があるということです。

2023-03-15

トランスや反ポルノグラフィに反対するフェミニスト

女性差別の解消の為にフェミニストやってたんじゃなくて

トランスジェンダーポルノを許してもらう為に単にロビー活動やってたんじゃないか

本当に女性の為にやってんなら

萌え萌えアニメアイコンフェミニストを名乗るはずがないし

エロ漫画描いてるのなんて論外

男性器つけたまんま女子トイレに入ってこないでくれ

そんなのがゾーニング大事!なんて声高に主張してるの考えれば考えるほど矛盾すぎる

お前らの存在ゾーニングして目の前から消えてくれ

AI時代は更に容姿性別重要になる

後天的努力知識を付けて食いつなぐ領域ほど置き換えやすいため

人々から好ましいと思われる容姿といった生来能力や女体といった性的資本価値

相対的に更に高まる時代と言える

いくら理想仮想人格ポルノグラフィAIによって生み出せると言っても、私たちが肉体を捨てない限り

実際の人間やそれを再生産する機能というもの代替しにくい

2022-07-03

1999年紀伊國屋書店における漫画撤去問題

出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia

1999年紀伊國屋書店における漫画撤去問題とは、1999年児童ポルノ販売禁止されたことをきっかけに、紀伊國屋書店で成年向けマンガポルノにとどまらず、ヌードや性描写を含んだ一般向けの漫画までもが一時撤去された出来事である。過剰な自主規制の一例と指摘される。

概要

1999年児童買春児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童保護等に関する法律(以下、児童ポルノ禁止法)が施行され、児童ポルノ販売禁止されたことにより、各書店では児童ポルノに該当するおそれがある書籍雑誌などが撤去された。そんな中、紀伊國屋書店が各店舗に対して、児童ポルノ禁止施行にともなう注意事項を通達した。その中に、児童ポルノ禁止法の規制対象外であった漫画アニメーションも注意が必要な物の中に含まれていた[1][2]。

その結果、BLを含めた成年向けマンガだけでなく、『バガボンド』や『ベルセルク』、『あずみ』などのポルノグラフィではない、未成年ヌード描写や性描写を含んだ一般向け漫画が、一時的紀伊國屋書店から撤去される事態になった[3][4][5]。他にも山本直樹や『センチメントの季節』を初めとした榎本ナリコの一連の作品なども撤去された[6]。

あずみ』は1997年文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した作品であり、また『バガボンド』は2000年文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞、『ベルセルク』も2002年に第6回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞を受賞している。これらはいずれも芸術的価値が高いと評価された作品であった。

この影響はマンガだけにとどまらず、『本上まなみ写真集』などの有名タレント出版物撤去対象になった。売り場には「児童ポルノ禁止法が施行されました。当店は法律を順守します」という内容の張り紙が出され、この一連の撤去の影響は大手出版社を始め、数十社にも及んだ[6]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/1999%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%B4%80%E4%BC%8A%E5%9C%8B%E5%B1%8B%E6%9B%B8%E5%BA%97%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%BC%AB%E7%94%BB%E6%92%A4%E5%8E%BB%E5%95%8F%E9%A1%8C

2022-06-12

anond:20220608222829

Kendall(2007)ものっけから不穏だ・・・

概要で「これらの結果は、ポルノグラフィレイプ代替であることを示唆している」とか言ってるし、本当かよ。

ちなみにKendall(2007)の前にも先行研究があり、Court(1976)、Baron and Straus (1984) Jaffee and Straus (1987)がある。これらはポルノの利用とレイプ被害に正の相関(すなわちポルノをよく利用する地域レイプ被害が大きい)が見出されていたんだが、地域固有の効果コントロールできていない(cannot control for unmeasured location-stpecific effects)と書かれていて、これらを改良したのがこのKendall(2007)らしい

 

簡易的な「differences-in-differences」法で調査したところ、インターネットが急速に普及した25州と普及が遅かった26州を比べ、レイプ発生件数人口10万人あたり-2.2件の差があったそうな。つまりインターネットの急速な普及に伴ってレイプ発生率が減った

このような差は1995-2003、すなわちwindows95発売以降インターネットが普及した時のみ現れ、1990-1995年の間では特に差が出なかったらしい。そうなんだー

これはどういう効果なのかな?中身までには触れてないはず。ポルノの影響かもしれないし、個人情報発信によってそれこそ認知の歪みが是正されたのかもしれない

 

なお、Kendall(2007)でもレイプ固有の影響なのか犯罪全体が減っているのかは調べてて、殺人件数も調べてる

殺人件数継続して減っているらしいけど、急速に普及した州は普及が遅かった州より減りが遅かったそうな

インターネット殺人起こりやすくしてる?

まあ銃乱射の憎悪犯罪とか、アメリカ特有の何かはあるのかもしれん

 

また、暴力犯罪(violent crime)および財産犯罪(property crime)はインターネットアクセスに対して優位な差がないって言ってる

これはBhuller et. al. (2013)と同じことを言っていて、なにか性犯罪だけインターネット普及率と関係性が高いようだ。不思議だ…

 

インターネット売春には負の相関が、インターネット家出には正の相関があるとされている

その他の性犯罪(強姦近親相姦ソドミー(アメリカでは犯罪なの?)、わいせつポーズ)なんかは相関が見られないらしい

Bhuller et. al. (2013)の「出会い系ポルノ利用との区別がつかない」結果と総合して、

家出した青少年出会い系の利用増加で被害に合ってる」という構図が見えるが?

 

また、年齢ごとの性犯罪インターネット利用の関連を見て、15-19歳男性が一番犯罪の減少率が高かったので、

そこからポルノの利用との相関を見ている。これは正しいの(?)

 

結論として、この研究結果は「他の国、他の時代、あるいは他の方法論やデータセットを用いたさらなる研究必要である」と注意はされているが、

ポルノグラフィーのアクセス自由化は、女性性的被害を増加させない可能性があることを示唆している。」

と結ばれている

2022-06-07

anond:20220606174313

元増田です。一点、ちゃんと訂正(と追加的な説明)および指摘しておきたいことを話します。

インターネット性犯罪なのか、ポルノグラフィ性犯罪なのか?

いくらコメントを頂いた中でBhuller et. al. (2013)は「インターネット性犯罪関係を見ただけで、ポルノグラフィ性犯罪関係を見ているわけじゃないだろう」というコメントがありました。これについて少し説明します。

まず一点謝罪と訂正からです。私はBhuller et. al. (2013) のAbsractの最後文章”Our findings suggest that the direct effect on sex crime propensity is positive and non-negligible, possibly as a result of increased consumption of pornography.” を引用したうえで、「つまりインターネットによって性犯罪は増加したこと示唆され、おそらくそれはポルノ消費の増加によるものだろう」と訳しましたが、指摘もらった通り、Possiblyをおそらくと訳すのは間違っていました。Possiblyは恐らくよりもっと蓋然性の低い”もしかしたら”という訳のほうが適切だったように思います。この論文インターネット性犯罪の影響をメインに扱っているもので、ポルノグラフィの影響はあくま示唆的なものに留まるわけですね。

ではこれが何故、私の論旨に影響しないのか、という点に進みます。端的に言えば、Kendall (2007)も全く同じ限界(Limitation)を抱えているからです。Kendall (2007)は分析において、あくまインターネットの普及と性犯罪の関連を扱っています。Kendall は本文で"Nevertheless, it must be admitted that from this analysis one cannot fully distinguish between the effect of pornography and that of other content available online"、つまりこの分析では(インターネット上)のポルノグラフィの影響と、その他のインターネットコンテンツの影響を識別することはできない、と述べているわけです。この二つの論文は同じ論点とその示唆を持っています。この二つの論文が同じ限界に直面している以上、Bhullerらの論文がKendallの論文に比べてirrelevantとはいえないと私は考えます

査読至上主義

私は特に査読至上主義者ではありません。トップジャーナル掲載された論文辛辣批判されされた例はたくさんあります私自身、そのような論文瑕疵を見つけたこともあります。ただ蓋然性観点から、15年未査読である論文と、トップジャーナル掲載された論文の信ぴょう性を同等に扱うことはできないと主張しています。この二つにおいて前者より信ぴょう性がある(+重要であるものとすることは、経済学研究価値規範を逆さまにしない限り、ありえないことです。

2022-06-06

anond:20220606174313

読んでみようと思ったら手嶋氏への反証となるべき論文

Bhuller et. al. (2013)

の方、Oxford に USD $52.00 払わないと本文読めないから無理っすね。概要だけならこんな感じらしい

 

インターネットの利用は性犯罪の引き金になるか?我々は、犯罪インターネットの普及に関するノルウェー独自データを用いて、この問いに光を当てる。2000年から2008年にかけて、限られた資金ブロードバンドアクセスポイントを整備した公共プログラムがあり、インターネット利用の外生的変動をもっともらしく示している。我々の道具変数による推定では、インターネットの利用は、レイプやその他の性犯罪の報告、告発有罪判決の大幅な増加と関連していることが示された。我々は、インターネット利用が性犯罪の報告にどのように影響するかについて、3つのメカニズム、すなわち、報告効果潜在的加害者被害者マッチング効果性犯罪傾向への直接的効果を強調する概念的枠組みを提示した。これらのメカニズム重要性を調査するために、個人の報告行動、警察捜査刑事告発有罪判決に関するデータ使用した。我々が行ったどの分析も、インターネット利用と性犯罪の正の関係が、報告行動の変化によってもたらされていることを示唆していない。我々の発見は、性犯罪傾向に対する直接的な効果は正で無視できないものであり、おそらくポルノグラフィーの消費の増加の結果であることを示唆するものである

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

possibly as a result of increased consumption of pornography って書いてる部分、書き方が慎重になっているんで

本文読むとこの点は論証はしておらず推論になっているように読めるんだが

2022-04-04

anond:20220404160110

董卓不燃ごみ)@inumash

よく「セクサロイドが実現したら女性性的役割から解放されるのにフェミニストはなんで反対してるの」みたいなこと言う人がいますが、

産業機械誕生によって労働者に何が起こったか」と「性サービスポルノグラフィ女性性的抑圧から解放たか」の2つを考えれば簡単にわかる話です。

https://twitter.com/inumash/status/949642078836867072

この後に続く連投が素晴らしいが。

端的に言うと、セクサロイドが作られると、生身の女性セクサロイド扱いしたがる男性が増えて、

さら女性は困り果てるというものです。

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