はてなキーワード: 夜と霧とは
…そもそもなぜ、そんな問いがあるんですかね?
なぜ人はすぐ「意味」と言い出すのか?
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人間が高い知能を持つために、「意味」や「目的」を持たない状態をストレスと感じるのは、心理学的および進化論的な視点からも理解できることです。ここでは、この現象についていくつかの側面から考えてみましょう。
ポジティブ心理学の研究では、人生に「意味」を感じることが、心理的なウェルビーイングにとって非常に重要であるとされています。人々が自分の行動や経験に意味を見出すことは、自己効力感や満足感を高める要因となります。逆に、人生に意味や目的を感じられない状態は、「存在的不安」や「空虚感」を引き起こし、うつ病や不安症といった精神的健康問題を引き起こすリスクが高まることが知られています。
ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』でも語られているように、極限状況においても「意味」を見出すことができる人は、困難な状況を乗り越える力を持ち続けることができます。これは、意味の感覚が人間にとって非常に強力な心理的リソースであり、それを失うことは耐えがたいものであることを示しています。
進化論的には、「意味」や「目的」を見出すことは、生存と適応のための有効な戦略として理解できます。もしも個体が自分の行動や生活に意味を見出すことができなければ、その行動は無駄で非効率なものと感じられ、エネルギーやリソースを無駄にすることになります。これは、共同体内での評価の低下、リソースの浪費、さらには生存可能性の低下に繋がるリスクを含んでいます。
また、人間は社会的な動物であり、他者とのつながりや評価は非常に重要です。「意味」のある行動や目標に向かうことは、共同体内での評価を高め、協力関係を強化する手段でもあります。こうした社会的な評価や支援は、個人の生存可能性や再生産成功率を高める要因となります。
意味の探索は、人間の認知的負荷を増やすこともありますが、長期的にはより効率的な行動を導く助けになります。例えば、明確な目標や価値観があれば、選択や判断が迅速かつ正確になるため、リソースの浪費を避けることができます。
さらに、人間は認知的一貫性を求める生き物です。矛盾や不確実性に直面すると、不快感やストレスを感じ、それを解消するために「意味」を求める行動をとる傾向があります。この一貫性を求める性質は、進化の過程で効率的な情報処理と意思決定を促進するために発達したものと考えられます。
総合的に考えると、人間が「意味」を必要とする理由は、多岐にわたる心理的および進化的な要因によるものです。「意味」を見出すことは、心理的ウェルビーイングを保つだけでなく、生存と適応のための有効な戦略でもあります。したがって、人間が「意味」のない状態を避ける傾向を持つのは、非常に自然なことであると言えます。
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(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231212192423
一人目の職員である。この人は女性だった。勤務態度は、ありていにいえばやる気がない……ということになる。社会教育課は、当時約15人ほどの部署だった。T区の社会教育に関する機能がこの一部署に集約されている。
ところで社会教育というのは、「学校・家庭以外の広く社会で行われる教育」をいう。身近なところだと、公民館でのサークル活動(生け花、カラオケ教室、絵画体験、パン作りほか多数)や、少年自然の家などの公共施設での活動講座や、大学で行われる公開授業、民間企業による通信教育、カルチャースクールもこちらの仲間だ。
Aさんは、そういった社会教育活動のうちスポーツを主に取り組んでいた。児童向けの運動体験教室や、レクリエーション行事、各体育協会と共催するイベントを担っていたという。体を動かす仕事である。
Aさんは高齢だった。50代半ばほどか。過去にスポーツの経験はあったというが、足腰が弱っている印象があった。私の視点だと、彼女には体育活動の振興とでもいえばいいのか、そういう仕事に適性はないように思えた。
※熟練の増田読者であればおわかりだろうが、人事部局としてはAさんが早期退職するように仕向けている。
それにしても、Aさんは士気が低かった。私やほかの仲間が仕事に集中している時でも、Aさんの上司である係長とやり合っている声が聞こえた。ひとつだけ挙げるとしたら、Aさんが仕事が間に合わない旨を述べた場面だ。当時の手帳に控えている。口調は文語とする。
Aさん「イベントの準備が間に合わない。だが今日は帰らないといけない」
係長「状況はわかった。それでどうする?」
「私は午後6時に家に帰らないといけない。何とかしてほしい」
「あなたの仕事である。時間外勤務をしてでも、休日に出てでも終わらせる必要がある」
「定時になったら帰る。休日も出られない」
「何か理由があるのか」
「断る」
「そんなことができると思っているのか。これは上からの指示である」
「関係ない」
「何が関係ないのか」
「公務員は上司の命令に従う義務が法律で定められている。そんなことも知らないのか」
「知っているが、今この状況と何か関係があるのか?」
「たとえ頭に拳銃を突き付けられても、人には抗う自由がある(※1)。私は自分の責任でそうすると言っている。どうしても家に帰らないといけない」
「そんなものは屁理屈である。これから課長にも相談するがいいか?」
「どうしてもと言うなら、(労働)組合に相談する。組合の女性部に言って、あなたのことを組合新聞の記事にしてもらう。不当労働行為は許さない」
「好きにしろや、ボケッ!! 我儘言うならさっさと辞めろ。この職場から消え去れや。人間の屑が」
「労働者の権利である。次にそんなことを言ったら、組合があなたを許さない(※2)」
※1…夜と霧の著者であるヴィクトール・E・フランクルがアウシュヴィッツ強制収容所にいた時の矜持のひとつ。頭に拳銃を突き付けられて、「殺す」と脅されている状況でさえ、人間には命令を拒否できる(運命に抗うだけの)意思の自由がある、という崇高な喩え話。
係長が口汚い言葉を発した直後、ほかの女性職員が間に割って入った。その人は、係長とAさんの間を取り持つことに成功したようだった。社会教育課の数少ない『良心』だった(Aさんの仕事はこの女性が片付けた)。この人のおかげで、教委が恥をかかなくて済んだ場面がいくつもある。今でも感謝している。
あの連中は、指導課が普通に仕事をしている時も、オープンの協議机で話をしている時も、小中学校の校長や教頭が来庁している時ですらも、あんなやり取りをしていた。
Aさんに限らず、ほかの職員もそうだった。社会人とは思えないほど粗暴な物言いだった。職場の人間関係は悪かった。目の前の来庁者に対して申し訳なくなる。
実際、あなたが標準的なはてな民であると仮定して、公務員にはどんな人がなると思うだろうか? 「焼酎学校の中でも真面目だった人がなるのでは……」といったところか。
国や県の職員の場合はそれで合っているが、例外がある。市区町村の場合は、いわゆる不良やヤンキー、チーマーといった類の人間が公務員試験に合格することがある。筆記試験のボーダー点数が低いのと、地元出身者優先という原則があることによる。地元に思い入れのある人ほど内定を取る構造がある――と、T区の幹部職員から酒席の場でうかがったことがある。
Aさんのほかにも、50代後半の男性職員が社会教育課にいた。その人は、Aさんと比べると人格はしっかりしていた。が、数年前に脳の病気になってしまい、体の右半身があまり動かず、常に足を引きずるようにして歩いていた。認識も少し弱っている。元はちゃんとした働きをする職員だったらしいが、人事部局としても扱いに困ったのだろうか。早期退職制度を使って早く辞めてほしいとばかり、このような部署に異動させることになった。あくまで想像に過ぎないが。
この男性職員は、どこの方言かよくわからないしゃべり方をする(おそらく関西の何処か)。彼は、教委事務局に毎週出入りしているヤクルトレディがいたのだが、いつもその人から昼食の一部を買っていた。彼は右半身の一部が動かないので、財布からうまく小銭を取り出せないのだが……そのヤクルトレディは、彼をうまいこと補助しているようだった。
ある日の正午、社会教育課から私の方に聞こえてきた声によると、彼はカップヨーグルトを買ったようだった。いつものように、左手を使って小銭入れの中を仕事机にばらまくと、ヤクルトレディが必要な額を持っていった。その後のやり取りは、こんなだったか。
「おいAさん。俺、さっきのヤクルトの人からヨーグルト買ったんだけどの~」
「なんかあった?」
「ヨーグルトにのう、ストローを付けよったんよ! スプーンじゃのうて」
「なんで、こないなことをしよったんじゃ、あいつは。わからんのお」
「まあ、飲んでみたら。どうなるかは知らないけど」
「なんでじゃ。なんで、こんなことをしよるかのう。非常識なやつじゃ。で、このストローをヨーグルトに刺して……こういう風に飲むんかのう、面倒じゃのう。どうしてあのヤクルトレディはこんなことを……うん、これが……」
「うまいんじゃのう!」
「え、おいしいの?」
「うまい!」
「どんな味?」
「デザートを飲んどるようじゃ」
「へえ~!」
「やるの~、あのヤクルトレディは。ほんまにやるのう……今度ほめてやろう」
ヨーグルトにストローを刺して飲むとおいしい、というのは私が教育委員会で得た知見のひとつである。あれは確かにおいしかった。
実際、彼は漢だった。若い頃の努力は老人になって出る、という言葉がある。それを地でいっている。顔に刻み込まれた皺が、地方公務員としての歴戦を物語っていた。脳の病気にさえならなければ、本庁のどの部署出身なのかは知らないが、今でも活躍していただろうに。
実際、この人は可哀想だった。上司からは腫れ物に触るかのように扱われていたし、若い職員からは、わざと聞こえるような声で、「役に立たない」「障害だから仕事が出来なくても許される」「人事課もちゃんと引導を渡した方がいいのでは」などと噂をしていた。
体が動かないから、活躍しようにもできないのだ。その人がびっこを引きながら廊下を歩いている時、すれ違いざまに「無理しなさんな。あんたも早く辞めればいいのに」~と声を出す職員もいた。
私は、ここまでひどい連中でも――この区役所は採用をしているのかと、むなしい気持ちになった。T区役所がひどい連中を採用しているのか、それともまともな人間が入庁後にひどい連中に化けてしまうのか、そのどちらかだろう。
なんというか、社会人というか、同じ人間として情けなかった。なお、私は都道府県の教委に採用されて給料をもらっていた者である。T区役所に対する直接の恩義はない。当時感じていた義憤については、何の遠慮もなく吐き出させてもらう次第である。
さて。上のような劣悪かつ悲惨な状況について、誰が悪いのか、誰に責任があるのか? 組織レベルでいうとT区役所の人事部局である。問題のある職員を特定部署に集めるという作戦を採っている。だからこうなる。一番迷惑を被るのは区民だろうに……。
蛇足になるが、いわゆる問題職員というのは――汗水を流して働く部署や、窓口での市民折衝がある部署に集う傾向があるという(建設、農業、体育、福祉、収税、環境、支所など。私が直接見知っているわけではない)。真に優れた職員は、企画や調整を担う部署に配属される。これは、学校教育を司る立場である教育職でも同様である。
私の見立てでは、このT区役所における社会教育課約15名のうち、少なくとも5名が問題職員番付とでも呼べばいいのか、そういうリストに入っている人間だった。ただし、そんな人間ばかりでは仕事で大事故が生じる可能性がある。よって、上の『良心』のような人も1,2名ほどは配置してバランスを取っている。
Aさんについては、その後もトラブルが続いた。
本人は、なにしろ仕事に対するやる気がない。区民が窓口にやってきても、朗らかにはしているが、できるだけ手間のかからない方法を取ろうとする。そのために、ルール上は出来ることを出来ないと言うこともあれば、反対に、出来ないことでも出来ることにして通したこともある。
Aさんのようなタイプは、私が知る地方公務員の中では一般的な部類である(数はそれほど多くないが、見渡せば普通に存在している)。確かに、社会教育という行政分野は人を選ぶ。向いている人はとことん向いているし、向いていない人はとことん向いていない。
かくいう私も、別の市区町村の教委に配属された折、社会教育課(※便宜上の名。T区とは違う名称)に二年だけ居たことがある。主査~主幹ほどの立場で、絵画展や音楽演奏会など文化芸術方面の仕事に携わった。
スポーツの仕事も少しだけやっていた。大雨が降る中、区営の陸上競技場で泥んこ塗れの陸上競技会を開催したのは今でも記憶に残っている笑
私もそこまで社会教育に向いている方ではなかったが、それでもやっているうちに楽しくなってきたものだ。Aさんには、その姿勢があるかも怪しかった。すなわち、気が向かなかったり、やったことがない仕事に対しても、真摯に、愚直に向き合って、その業務を好きになっていくという姿勢である。
ただ、彼女は人柄が悪いかといえば、そういうわけでもない。スポーツ団体や取引先業者との人間関係に問題はなさそうだったし、実際に話し方を見ても朗らかだった。私も、職場や飲み会では何度か雑談をしたことがあるが、異常性は感じない。普通の人だった。
Aさんは結局、それから約七年ほど社会教育課にいたらしい。私が教委から異動して中学校長になった後も、職場で働いている姿を見ることがあった。昔のように声をかけてみたが、どうやら元気がない様子だった。疲弊しているのだろうか。明らかに不健康だった。心も体も弱っている様子だったが、それでもゾンビーのように働き続けていた。職場には、おそらく這うようにして出勤しているのだろう。
定年後はどうしているかわからないが、それでも数年間は一緒の事務所にいた仲間だ。多幸であることを祈っている。
(追記)
金曜日は終日外出先のため、土曜日に2本を投稿して〆とします。
(次part)
8,674
岸田 奈美
2021/07/22 15:29
※身近な読者さんに聞いてほしいだけなので、気が済んだらマガジンに入れて、そのあと消します。
21:26追記
過去ラーメンズを紹介する記事を読んでくださった読者さん、彼らのファンの方々に届いてほしいと書いた文章でしたが、わたしの説明の至らなさ、思考の未熟さゆえに、どんどん違う捉え方が広がっており、傷つく人を無闇に増やしてしまっているやもしれないので、22時で非公開にします。すみません!
ラーメンズが好きだ。
小林賢太郎氏が好きだ。
父を亡くし、友人を失くし、誰とも笑えない鬱屈とした子どもであったわたしに、笑いという光をくれたのが彼らのコントだった。絶妙にわかりづらく、複雑に絡みあう、壮大な世界観のもとに成り立つそのコントは、誰かと語りたくなる衝動をくれた。天才なんよ。これはわたしの圧なので、異論は認める。
父が「お前の友人はこの箱の向こうにもおる」と残してくれたmacのキーボードを叩き、ラーメンズの、小林賢太郎氏のコントについて語り合うとき、わたしは孤独であったけれども、孤独でよかったと思えた。
その小林賢太氏郎が、東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式のショーディレクターに着任したとき、わたしの頭では「マジか小林賢太郎…」と「マジか小林賢太郎!」が同時に鳴り響いた。
こう、なんか、ものすんごく無責任なオタクとして言うと、彼らのコントはもともと知る人ぞ知る、当時のお笑い界のメインストリームを堂々と外れて宣戦布告しながら飄々と笑い転げるという位置にあったと思うので、一抹の不安があった。しかしその不安をコーナー鋭角でまくってくるのは「オイオイ、これでみんな小林賢太郎の魅力に気づいちまうんじゃねえの〜?まっ、わたしは芸能界引退前に舞台で見たけど〜?」というオタク特有の愚かなドヤりである。
わたしはドヤりドヤりしながら、孫の七五三を見るような迷惑かつ気色悪い心地で、彼が手がける開閉会式を心から楽しみにしていた。ここまでの前置きがすでに早口気味なのはお察しの通りである。とても気色悪い。
実はさっきまでテレビ局での生配信に参加していたので、解任にいたる経緯も、解任された結果も、成り行きを見守ることなくひとまとめにして見知った。
情報の石つぶてに襲われ、小林賢太郎氏の謝罪文の最後「先ほど、組織委員会から、ショーディレクター解任のご連絡をいただきました。ここまで、この式典に関わらせていただけたことに感謝いたします」まで読み終え、涙が出た。
京都に向かう新幹線でなければ嗚咽していた。頼む、車掌さん、止めてくれ。三河安城でこの新幹線を止めてくれ。しかしのぞみ163号は止まってはくれないので、静かに泣きながらこれを書いている。
解任の理由は1998年に彼が演じたコントのなかで、「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というセリフがあり、肯定する文脈でなくとも、笑いの演出に使われていたからだ。これが人権を著しく侵害しているとされた。
その決定に、わたしは反対しない。
五輪憲章ではあらゆる差別への反対が定められているし、たくさんの人々の命を不当に奪った歴史を、今もなお魂を傷つけられている人々がいる事実は侮辱されてはならない。
なのでこの文章は、オタクのわたしがわたしに宛てた、ただの戒めである。
というかもう、ここ最近、責任をとる人が多すぎてなにがなんだかわからん。責任をとっては去り、責任をとっては潜り、責任をとってはキングギドラに車一台で爆走して挑む。
シンプルすぎる。
シンプルすぎて二度聞きしたくなるようなこの結論にいたるまで、内田樹氏は懇切丁寧に筆を尽くしておられるので、ここではわたしの雑なあらすじで勘弁していただきたいのだが、
要は
「ごめん、で済む話はない」
ということだ。
人が傷つけたり、人が大切にしているものを傷つけた場合、それを元どおりに復元するということは不可能だ。医学がド発達したとして「いったん殺したけど、きれいに元通りにしといたから、これでチャラね」と殺人犯から言われても、きっと誰も許せん。
あってはならないことだけど、学校でいじめにあった子どもが自殺して「一億円の損害賠償を請求した」とニュースで報じられたとしてそれは「一億円払ったら許してやる」というわけではない。相手の一生を台無しにできるくらいの金額を求めて、「わたしはお前らを絶対に許さない」と告げている。
責任をとれという言葉は、「なぜなら、お前には責任をとることはできない」という意味を常に伴っている。めっちゃわかる。
ここまであらすじですけど、このド下手なアレで間違ってないですかね、内田先生。こんなところで引用してごめんなさい。
まさに今。
ここからも内田樹先生がね、答えをくれるんですけど。その答えはどうも、ひとつだけらしくて。
「我々が考えることができるのは、ただひとつ。どうすれば責任をとることを求められるような立場に立たないか」
これは、わたしは知らん、わたしは関係ない、わたしには責任がない、と言い訳をしスタコラサッサするわけではない。そんな言い訳が平気でまかり通ったら、なんか起きたらすぐさま電気は消えるわ、水道は止まるわの大惨事だ。
なんかまずいことが起こったときの責任を他人になすりつける社会と、自分の手が届く範囲のことでみんなが「あ、じゃあ責任を持つよ」とさらっと言ってくれる社会なら、後者の方が「誰かが責任をとらんとあかんようなヤバイこと」が起こりにくい。
「誰の責任だ、誰の責任だ!」と犯人探しをしてる間に、最悪の状況に陥るのを、わたしたちは何度もこの目で見てきた。もちろん、例外はあれど。
責任は、誰もとれない。
誰もとれないから、人に押しつけられるものでもない。だが、最初から自分で引き受けることができる。引き受ける人が多いほど、人間は幸福に、豊かに、安全に生き延びることができる。
だって大切なのは、同じことを未来で二度起こさないためには、どうしたらいいかだから。
さて。
小林賢太郎氏が過去の発言で解任されたのであれば、その責任は、気持ち悪いオタクのわたしにもある。今をもってわたしが引き受ける。
「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の発言がなされたコントは、わたしも見たことがある。記憶は定かではないが、中学生になったばかりの頃だったと思う。
「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の意味を深く考えることなく「なんか真面目そうな教育番組のMC役なのに、やばいこと言ってんのがシュールだな」というふわっとした文脈だけで笑った。未熟なわたしは、笑ってしまったのだ。
小林賢太郎氏がそれを「浅はかに人の気を惹こうとしていた」のであれば、わたしも「浅はかに彼らの笑いを受け取っていた」に過ぎない。
今では、その文脈で笑っていたことが、どれほど罪深く、どれほど愚かなことであったか、わたしはわかる。
それは、中学生の後半で、ホロコーストについて学んだから。中学生の授業の範囲なんて、教科書での字面だけなので、そこまで深く知ることはできない。本格的に背筋が凍るほどの恐怖がわきあがったのは高校生で世界史の授業を受け、終戦のローレライを観て、アンネの日記を読み、作家になって編集者から勧められた「夜と霧」を読んでからである。
教えてくれる人がいて、咎めてくれる人がいて、対話をしてくれる人がいたからだ。
道徳観が歴史の積み重ねであるならば、わたしたちもまた、人生という歴史を積み重ねながら、ここに生きる人としてあるべき姿を学んでいく。大人になればなるほど、聡くなればなるほど、わたしたちは過去の行いを恥じ、己を正すことができる。
小林賢太郎氏は、彼の頭のなかをのぞける自著「僕がコントや演劇のために考えていること」で語る内容をみれば一目瞭然だが、ストイックな創作家である。ストイックすぎて芸能界を引退したようなもんだとわたしは思う。
年々、彼の思考と作品は、目を見張るようなアップデートを重ねていた。
世間でまだ誰も言葉にしていない「時代感」を読み、言葉やパントマイムに落として、笑いに変えるやんごとなき天才であった。近年は特に、誰も傷つけない笑いなんてあるわけがないことを悟りながら、その状態になるべくして茨の道を歩みながら近こうと試行錯誤する、戯曲に取り憑かれた化け物であった。その背中に憧れて、わたしもここへ来た。
そういう男であるからこそ、こんな時が迫るまでに、ファンのわたしたちは話さなければならなかった。
彼に直接言うのは叶わなくても、ラーメンズについて語るたびに、記事を書くたびに、言葉にするチャンスはどこにでもあった。あれはアカンのやと。
今もさ、たぶん「いやあれってそこまでダメかな?」って思うファンもいると思う。わかるよ。わかる。でもね、ダメなんだ。気づかないといけなかったんだよ、わたしたちは。彼をいつか、日本の大舞台に送り出すつもりでいるならば。
20数年前のコントをいまさら、なのではない。20数年間、いままで、なにも言わなかっただけなのだ。
そして小林賢太郎氏は、そういう社会の奥底に埋もれてしまいそうなわたしたちの言葉を、目ざとく掘り出し、両手ですくいとって、なんらかの形で応えてくれる、いい戯曲のためなら見栄も地位も何を犠牲にしても厭わない、そういう男だと、わたしたちは、知っていた。知っていたのに何もしなかった。
むしろ、批判されているコント「できるかな」は、DVDには収録されていない。ラーメンズがあれだけ太っ腹に公開している動画の中にもない。VHS以降、公式の手で誰にも見せないという選択をとっていた小林賢太郎氏は、わたしたちより先に、気づいていたかもしれない。
時代が未熟すぎるがゆえに許してしまった、愚かな笑いというのは、どこにでもある。
だからこそ、今さらなんてなかった。遅すぎることなんてなかった。彼が責任をとれと言われる前に、彼に存分笑わせてもらったわたしたちが、責任をとらなければならなかった。
そうしていれば、明日には、小林賢太郎氏の舞台を、わたしたちは、テレビで、観れたはずなのに。なんでいまわたしは、テレビの前じゃなくて、新幹線で、どこの誰ともわからんサラリーマンが首を65度に曲げなから爆睡している前方座席を見ながら、泣いてるんだ。もうすぐ新幹線はわが京都に着く。
つらい。こんな形で、小林賢太郎氏の名が知れ渡っていくのがつらい。彼のコントを、世界を、観たことがない人も彼のことをボコボコに言うのがつらい。おもしろおかしく揶揄されるのがつらい。
しかし、それもまた、気色悪いわたしの責任なのである。彼らより、彼女らより、先に、先に語りたかった。
誰が作ったかわからんが、至言だと思う。推せるときに推せ。いいから推せ。ともかく推せ。しかし、時代は変わった。怒りや悲しみが容易に世界へ届くようになった。誰かの笑いは、誰かの悲しみになる。
行き過ぎた悲しみに気づいたとき、わたしたちは、立ち止まり、振り返り、それを受け止めなければならない。そして語る。
「その世界を作ってしまったのには、わたしたちにも、責任がある」
推しの世界に魅了され、推しの世界に生きてきたわたしは、いまここで誓う。気色悪いと言われようとも、恩着せがましいと言われようとも、その世界を終わらせないために、人知れず責任をとっていく。
そして、なにかが燃えて、燃えて、燃えて、燃え過ぎた焼け野原で、責任をとりながら両足をつける。そこからなにかを芽吹かせていく。作家という仕事に就いたなら、その責任も伴う。
10年、企業で広報を務めた立場からえらそうに語ると、重役や有名になればなるほど、謝罪文はすぐに出せない。すぐに書くことはできる。でも関わる人が多すぎて、ありとあらゆるチェックが必要になる。「チェックするための事前チェックに回す前の念のためチェック」みたいなバグった概念が普通に存在する。
しかし小林賢太郎氏は、解任の連絡があって、すぐにコメントを自分で出した。前述のとおり、彼と彼の発言をかばう余地はないが、なかなかできることではない。
ついていくぞ、どこまでも。
(当初ここに、オリンピック・パラリンピックについての表記がありましたが、本文の趣旨には関係ないのと、開催についてはいろんな思いで受け止められている方がいるので、削除しました)
数年前、一時期婚活をしていた。
マッチングアプリは今ほど隆盛していなかったし、オンラインの出会いはデジタルネイティヴ世代な割に黎明期寄りの自分のマインドとも合わないので活動は現場、婚活パーティーへの参加が主だった。
当時は結構な頻度で通っていたし、かなり成果もあった。しかし、親の病気や自身の結婚観の変化が重なり次第にパーティーから足が遠のき現在に至る。
先日、以前婚活で利用していた婚活サイトからお見合いパーティーの無料招待の知らせが届いた。男女比のバランスが悪い回や参加者のキャンセルが生じた時にこういう知らせが届く。
普段は気にも留めないが、その日に限ってふと「行ってみようかな」という考えが起こった。
(これは余談だけど、恐らくコロナ禍の自粛生活で人との交流に飢えていた。婚活というより見知らぬ人間と会話したかったのだと思う)
数年振りに参加した婚活パーティーはコロナの影響で規模はかなり縮小していた。会話の際は以前のような向かい合わせの形ではなく、横並びで座ったまま会話するスタイルに変わっていた。
挨拶の際に一瞬顔見せするものの、会話中は当然マスク姿なので声が聞き取りづらく不便に感じた。
それでもパーティー自体に個人的にはブランクは感じなかったし、見知らぬ他人との会話はやはり楽しかった。
(これも余談だけど、当時は全く気にしていなかったが会場で記入するプロフィールカードに女性のみ「得意料理」の項目があるのことが気になった※ちな男性は年収。
また、そこに違和感を持つ参加者がいないようにも見受けられた。婚活市場の男女観は前時代的なんだなと感じたし、人口減少・価値観の多様化する現代においてこの価値観でこの企業は大丈夫かと心配になった、大きなお世話だけど)
話が逸れた、ここからが本題なんだけど
手前味噌だが、以前は同様のパーティーに参加すればめちゃくちゃモテていたので今日も余裕とタカを括っていたらこのザマ、笑うしかない。
しかし、自分の魅力は婚活で無双していた当時より確実に上がっていると自負している。そこそこ稀有な人生経験を経て人間的にも成長した、習慣的に鍛えている今の体型が人生ベストに整っている、今の自分の容姿が一番綺麗と自負している。この日参加者との会話だって盛り上がった。
じゃあ以前の私と何が違うのか、帰りの電車で1人考えた。服装?髪型?少し喋り過ぎた?けれど考えを巡らせれば巡らせるほど当然の結果に行き着く。
『自分の年齢が以前より増えた』
それに尽きるのだ。なるほど20代と30代ではこれほど異性からの需要に差があるのかと思った。
以前は30人以上集まる会場で上位人気という経験もザラにあった、その時自分は(あくまで婚活市場という枠内だけど)人間的な魅力があるから選ばれていると思っていた、私の努力の賜物だと思っていた。しかしそうではなかった、『年齢』だったのだ。
自分がブスと自覚した日から人一倍努力した、おかげで人と比較すればそこそこ美人になった。
礼儀や所作も人より整っていると思う、今でも習慣的に本も読んでいる。確実に私は去年よりずっと魅力的になっている。ただ年齢という数字で私は以前よりずっと異性から選ばれない。
そもそも生まれ持った容姿だって年齢だって自身ではどうすることもできない、整形だって限界がある。言わば不可抗力だ。
そんなもので自分を値踏みされて自尊心を削られ続ける女としての生き方に何の価値があるのかと思った。つくづく結婚に向いていない思考の女だと思う。
とはいえ、優秀な子孫を残そうとする生物の本能という観点から捉えても男性が若く美しい女性を望むことは至極合理的で当然な選択だと思う、そこを責める気は一切ない(私は子を持つ気はないけど)
人間の価値は不可抗力以外の場所にある。それは刹那的に生きてルッキズムに囚われていた10代と20代前半の自分があったからこそ胸を張って言える。
ただ恋愛市場・婚活市場における『価値』は圧倒的に『不可抗力』な側面が大きい。それを今回理解した。この知見を肌感覚で得られたことは大きい。
これは決してネガティブな話ではなく
恋愛/婚活市場での価値を失いつつ(もう失っているのかも)ある人間がそこを自覚してふっきれた時、人生はもう一段階面白くなるのではないかと感じた。努力ではどうにもならない事象に囚われることは無意味だ、投資する必要はない。
この市場で私はもう定年に近いが、人間年齢では私はまだまだ若いのだ。何にだって投資できる、オラわくわくすっぞ状態なのだ。
男性の30代の市場価値はまだ高いので彼らがこの境地に至るのは肉体がもう少し衰えてからなのだろうと思うと、30代で前半でここに至った私(女)はラッキーなのかもしれない。
最後に経験者からのアドバイスだけど本気で結婚したい人は市場価値の高い間に婚活を頑張った方が良いよ、突然暴落するからね。
私はもう婚活市場には積極的に戻らないと思う、ただDINKS希望のパーティーがあれば一度参加したいかも。
おわり
■追記
伸びてて笑った、少しだけ返信
有益な情報もあって大変有り難く読ませてもらった。ただ、そもそも今回婚活パーティーに参加したのは冒頭で書いた通り無料招待だった上に「見知らぬ他人との交流に飢えていた」からなんですね。
散々な結果やその後の思考・気づきはその副産物、子供は望まないので特に結婚に焦ってもないんだなこれが。
20代の頃は漠然とそろそろ結婚しなきゃと思い活動していたけれど、今は結婚という形にこだわる必要すらないと考えている。
30代独身女として”わきまえろ”と言うならそんな市場もこコミュニティも願い下げですね。
(ただ、一回の復帰戦で損切りを決断するのは早い/戦う市場を間違えているというコメントは「たしかに」と思った)
②『お見合いパーティーの場で子供がいらないと言ってしまうことが原因、子供が欲しくて参加している人が多い』
百も承知、お見合いパーティー時に子なし希望は言わないよ。数分の会話で初対面の人間に語れるほど軽い覚悟じゃないもの。
ただプロフィールカードに子供に関する欄がある場合は正直に書いていたし、最低限のマナーとしてマッチングした相手には一回目のデートまでには告げることをマイルールにしていたよ。
③ 頑張った分だけ人の魅力は増えるのか
少なくとも自己評価は上がる。本来自己肯定感に理由なんて不要だけど、例えば筋トレなら引き締まっていく身体という目に見える裏付けが上乗せさると自己肯定感は爆上がりするよ。(筋トレは良いぞ)
仮に失敗したって”努力した”過去は消えない、その人間の過去は誰にも奪えないと「夜と霧」のヴィクトール・フランクルも述べていた。
つまり頑張り続ける限り人間の魅力は確実に上がるし、誰が何と言おうと私は昨日の私より魅力的なのです。
それもそうだね、元婚活無双女の婚活パーティーアドバイスとか書いたら需要あるかな?
市場において年齢という最強のアドバンテージを持つ20代女子なら戦略次第で無双は余裕よ、婚活パーティーは戦場だ。それに不特定多数の人間と会話する経験はなかなか勉強になるし、刺激的で楽しいよ、頑張ってね。
返信おわり
では、またどこかで
自分にとって庵野氏の作品がつまらなく思えるのは正しいのかもしれない
シン未見組だけど、高評価する人たちも不評の人たちも、
俺達の庵野が帰ってきた、
みたいな点では共通しているみたい
シンゴジラも含め、マンネリズムさえ感じるのは寧ろ当然であって、
リスペクトする過去の作品、オマージュ、パロディー、そこから新たな記号、お約束を作り出したわけで、
つまり、シンゴジラつまらんと自分が思うなら、それは庵野氏を卒業したというか、
他の何かを求めて自分が出ていくべきなんだろう
自分には庵野氏のように新たな記号、お約束を生み出せるような能力も運も何もない、
凡人以下のコロナで無職になったKKOであって、社会的にはゴミにも劣るかもしれない
そんな自分ではあるが、恐れ多くも御大、大先生の成果物に不満を思うというのなら、
それは単にnot for meであって、俺が自分のfor meを求めてさまよい続ければいい、
ただ、それだけの話なんだろう
それは学ぶは真似ぶであり、過去のコピーからスタートして、守破離の破、
庵野氏よりも若い世代だけど多分長く生きられないと思うのだけど、
社会的評価は別として、なんか自分なりに自分の人生にケリをつけなければならない、
例えば、自分に虐待された過去があったとして、それをマイナスに評価するのではなく、
その因果に何らかの自分なりの納得というか、決着をつけたいと思っている
それは単なる自己満足ではあるわけだが、そういった不愉快な過去とか、
そういったこれまでの人生の諸々にできるだけ決着をつけて、納得してから死にたい
そう思うようになった
他人の作品がつまらないというなら、おまえは代替案があるのか?
代替案はある、
つまり、商業的に社会的に成功するかではなく、自分ならこうするは明確にある、
繰り返しになるが、どことなく庵野氏は、その仕事としてはどうなのか?
というか、庵野氏より貞本氏の方が、特にオネアミスのBDだかのパッケージの絵とか、
できるだけ、昔の、スポンサーサイドに嫌われていた、
そうはいっても、作り手である若者たちは貞本氏のあの頃の絵に惚れて賭けていたとも思うわけで、
なんでエヴァみたいな絵柄を判で押したように描いたんだと思ってしまったのだけど、
自分がとやかく言う筋合いはないのだ
それより、おまえの、俺の到達点は、人生の到達点は何なのだ?ということだろう
私が人生に問うのではない、
人生が私に問うのだ、
人生に、運命に、運に、神に、なぜ俺の人生をこんな風にした?と問いかけるのが1つ目であり、
2つ目は、人生が私に、おまえは何を成し遂げられれたのか?と問うているのだ
そこには当然、仕方がなかった、怠惰と諦め、打算も入り混じっている
メディアが生存者バイアスというか、社会的成功者を持ち上げすぎる余り、
まるで、この社会に、世界に、何か正解があるように思い込んでしまう