はてなキーワード: 演出とは
出来ることはひととおり試してみたので一旦ここでリファクタリングしたよ
全部 main.c と適当なスタックで hoge とか foo とかでやってたのをきれいきれいに
あとワークエリアは流石にu8 buf[16]; とかしておいて
「(s16)(((s16*)buf)+0) は x で…+2 は y で…」なんてやってられないので
{ s16, x, y; s16 n, c; Sprite *spr; u16 pad[2]; } *HOGE
とかで this = (HOGE)buf; してから this->x とか this->y とか にしたらだいぶ見た目がふつうになったンゴ!
あと構造体でのアクセスがめちゃんこ遅いという噂があったけどどうにもならんて感じじゃないので気にしないことに(計測する余裕がないンゴ!)
もちろんAVだ。AV男優のことだ。
公序良俗を鑑みて詳しくは書かないが、数名の女性から同時に責められるような場合があるだろう。
私など嫁に軽く三点責めされただけでも大声が出てジタバタ暴れてしまうほど気持ちがいいというのに、AV男優は練達のプロたちから延々と責められ続けても静かにじっとされるがままになっている。
いや、作品の演出上十分な時間が経過してから射精しているので気持ちはいいのだろう。
どうなっているのかわからない。
世の中間違ってる。
FGOの何をやりたいんだ?そろそろという事はイベントやガチャ目当てではないのだろう。
メインストーリー読むだけなら周回しなくていいしガチャも回さなくていい。戦闘速度宝具演出は早くできる。
いつ始めてもいいぞ。
YMO(Yellow Magic Orchestra)は、日本の音楽史において極めて重要な位置を占めており、その評価の高さは革新性、音楽的影響力、そして国際的成功に基づいています。以下に、その評価を支える要素を日本の音楽における歴史的文脈と革新性を交えて詳説します。
a. ポップとテクノロジーの融合
• YMOは1978年に結成され、日本のポップ音楽(歌謡曲や演歌)が主流だった時代に登場しました。当時の音楽シーンにおいて、テクノロジーを積極的に活用した音楽制作は画期的でした。
• シンセサイザー、リズムマシン、シーケンサーといった電子音楽の技術を駆使し、日本独自の音楽性と融合させることで、ポップ音楽に新たな次元を開きました。
• 日本で「テクノポップ」というジャンルを確立し、他のアーティスト(坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣がそれぞれの活動を通じて影響を広げました)を巻き込む形で、テクノロジーを基盤とした音楽の普及に寄与しました。
• YMOの成功をきっかけに、テクノポップは一時的なブームとなり、プラスチックスやピチカート・ファイヴなど後のアーティストたちに影響を与えました。
2. 革新性
• 当時の音楽シーンでは、電子楽器の使用は主に実験音楽や映画音楽に限定されていましたが、YMOはそれをポップミュージックに取り入れました。
• アルバム『Solid State Survivor』や『BGM』では、シンセサイザーとリズムマシンを駆使しながらもキャッチーでありながら知的な楽曲を作り上げ、多くのリスナーを魅了しました。
• 楽曲「Technopolis」や「Rydeen」では、当時まだ一般的でなかったサンプリングやシーケンスの技術を駆使しました。このアプローチは後のエレクトロニカ、ヒップホップ、ハウスなどに直接的な影響を与えました。
• 細野晴臣のエキゾチシズム、坂本龍一のクラシカルな音楽教育、そして高橋幸宏のロック・ポップス志向が融合し、多文化的な音楽を生み出しました。
• 「東洋的なサウンド」を意図的に取り入れた楽曲(例: “Firecracker”)は、当時の西洋リスナーにとって新鮮かつ魅力的であり、日本独自の音楽文化を国際市場に発信しました。
• アルバム『Solid State Survivor』は日本国内だけでなく、海外でも高い評価を受けました。特に、アメリカやヨーロッパのエレクトロニカシーンにおいてYMOは一種のカルト的な人気を持つ存在となりました。
• 初期MTV時代にも、彼らのビジュアル表現やスタイリッシュなパフォーマンスが注目されました。
• YMOの音楽は、後にテクノ、エレクトロニカ、IDM(Intelligent Dance Music)といったジャンルの発展に寄与しました。Aphex Twinやエイフェックス・ツイン、ダフト・パンク、ジャスティスなどのアーティストにその影響が明確に見られます。
• YMOは、アジアのアーティストが世界的に成功する道筋を作ったパイオニアとして評価されています。彼らの音楽は、「日本の高度経済成長期」における技術革新を象徴する文化的な成果としても語られています。
• YMOの楽曲やアルバムアートワークは、常に「未来」を感じさせるものでした。例えば、『Technodelic』ではアルバムタイトル自体が「テクノ」と「叙情」を掛け合わせており、電子音楽と人間の感情を統合する試みが見られます。
• メンバー全員が音楽だけでなく、映像やテクノロジーへの深い関心を持っており、YMOのライブパフォーマンスやプロモーションビデオにおいて、当時としては非常に先進的な視覚演出を採用していました。
a. 後進アーティストへの影響
• YMOの活動は、坂本龍一や細野晴臣が手がけたソロ作品やプロデュース活動を通じて、多くの後進アーティスト(例えば、小室哲哉、電気グルーヴ、Perfume)に直接的・間接的な影響を与えました。
• 日本の音楽制作において、MIDIやシーケンサー、デジタルオーディオ技術の使用を普及させた功績は非常に大きいと言えます。
まとめ
YMOは、日本の音楽史において「テクノポップ」という新しいジャンルを確立し、世界的な電子音楽の潮流をリードしました。その革新性は、音楽的、技術的、文化的な側面で非常に広範囲にわたり、現在でも多くのアーティストやプロデューサーに影響を与え続けています。YMOの存在は、日本音楽のグローバルな発展とその多様性を象徴するものと言えるでしょう。
ペンライト演出の起源には意外な歴史的背景があります。それは、遥か昔のキリスト教のミサにまで遡ります。
中世ヨーロッパでは、ミサが非常に重要な宗教儀式として行われていました。このミサの中で、信者たちは一斉に蝋燭を灯し、その光を聖なる象徴として用いていました。特に夜のミサでは、闇の中で揺らめく無数の蝋燭の光が幻想的な雰囲気を作り出し、信者たちの心を一つにしました。
時は流れ、現代の音楽シーンに目を移します。1980年代後半、日本の音楽業界は新しい演出を模索していました。その中で、あるアーティストがヨーロッパ旅行で訪れた大聖堂のミサの光景を思い出しました。蝋燭の光が作り出す神聖な雰囲気と一体感に感銘を受けた彼は、これをライブで再現できないかと考えました。
しかし、蝋燭をライブ会場で使用するのは安全上の問題があります。そこで彼は、化学発光のペンライトに着目しました。このペンライトは、安全に光を楽しむことができ、かつミサでの蝋燭のように観客全体で一体感を演出できる道具として最適だったのです。
初めてライブでペンライトが導入された時、その光景はまるで現代の「光のミサ」のようでした。観客全員が一斉にペンライトを振ることで、音楽と光の融合が実現され、会場全体が一つに繋がる感動的な瞬間が生まれました。
この新しい演出は瞬く間に広まり、他のアーティストやグループも次々とペンライトを取り入れるようになりました。そして、現在ではライブの定番として定着し、色とりどりのペンライトが織りなす光の海は、ファンとアーティストが一体となる象徴的な光景となっています。
TBSがお送りする、年末の大型スポーツバラエティ番組といえばSASUKEである。もともとは「名もなき男たちのオリンピック」を標榜し、SASUKEオールスターズに代表される一般人の参加を中心に据えていたこの番組だが、近年は芸能人の参加が目立っている。ゴールデンボンバーの樽美酒が著名だが、芸人やアイドルや業界問わず多数参加している。
一部のSASUKEファンはこの変化をよく思っていないらしい。とりわけ、人気アイドルグループSnow Manのリーダーである岩本照を取り上げすぎている、という声が時折聞かれる。彼はまだ自力で3rdに到達しているわけでもないのに、番組で尺を取りすぎている。もっと当初のように、名もなき一般人に焦点を当てるべきだ、というわけだ。
だが考えてもみてほしい。この番組はすでに、山田勝己という狂気の一般参加者を輩出してしまっている。もう20年以上も前に、その後長きにわたりバラエティ番組で擦られ続けるかの名言を生み出した男だ。あの時代よりだいぶ平均的な倫理観が成熟した現代に、いったいどこに、山田を超える一般人エンターテイメントを生み出す余地があるだろうか。
*
SASUKEの総合演出を務める乾氏は、「SASUKEが生んだモンスターは2人だけ」と語っている。一人は人間ドラマとしての番組の方向性を決定づけた山田勝己、もう一人は現役最強のSASUKEプレイヤーである森本裕介だという。SASUKEの主人公になりたければこの二人のバケモノのどちらかに勝たなければならない。森本に実力で勝つか、山田勝己を越える人間ドラマを演出するか、二つに一つだ。
前者がかなり厳しい道のりであることは論を俟たないだろう。第40回のファイナルステージ、森本は他二人のファイナリストに圧倒的な差をつけて鋼鉄の魔城の頂すれすれまで辿り着きかけた。第41回では愛媛銀行職員という新星が現れるも、彼すら森本と同じ位置で脱落してしまった。
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とはいえ、もう一つのルートも険しいものだ。山田勝己はSASUKEに打ち込むために、およそ常人が捧げられるあらゆるものを捧げ尽くしてしまった。命綱なしでクレーン車からぶら下がってファイナルステージの練習をし、SASUKEの練習に熱中して仕事を首になり、にもかかわらずあっけなく失敗する姿を見て妻が涙をこぼしてみせる。命、仕事、家族、真っ当な人間なら犠牲にできないものを全て。そうして暗い沼地に落下し、「俺にはSASUKEしかないんですよ…」とこぼす。本当に全てを賭けてしまい、ドラマのようには美しく勝てなかった男の言葉を。
だから山田に勝つためには、山田が持っていないものを賭けるしかない。総合演出の「SASUKEにはまだ林業やっている人がいない」みたいな戯言を間に受けて林野庁に就職した若者は自分の未来を賭けたわけだ。広大な土地に膨大な労力を費やして、巨大な模擬セットを作成した選手も一人ではない。あの実力者の愛媛銀行ですら頭取のハンコを持ってきた。もちろん、もうちょっとばかし穏当な、家族とか友情とか起業とかそういうアピールもあるけれども、それらは大抵、当人たちのテレビ映えする立ち回りのうまさと、着実に前半をクリアできる実力とセットになっていたりもする。
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そこにきて岩本照は、「トップアイドルとしての偶像性を捨てること」という間違いなく強いカードを持っている。彼は日本で最も売れているアイドルグループのリーダーだ。その彼が、割と平気で1stで落下する。初回はなんと冒頭のクワッドステップスで落ち、そこから少しずつ距離を伸ばして6回目にしてとうとう1stをクリアしたかと思いきや、新エリアの前にまた沈んだりする。特別回で3rdの良いところまで進める姿を見れば、練習はちゃんとやっているのだが、全体としての本番の成績は芳しくない。
要はぶっちゃけ、微妙なところで結構落ちてるのだ。きらきらとしたアイドルのリーダーが。あの汚い泥沼に。普通に考えて、アイドルがスポーツバラエティに出場する動機があるとするならば、その華麗な活躍模様をファンに見せつけるためではないのか。初回出場で1st最終エリアまで到達したり、あるいはクリアまでしている諸先輩後輩がそうであるように。
にもかかわらず彼はなぜか、「俺はこれだ」と確信し、自グループの冠番組でもSASUKEの番組名を連呼し、忙しい合間を縫って千葉の片田舎にあるセット練習に赴き、枕元には山田勝己カレンダーを置き、結果として見事にSASUKEキャラを確立している。他のメンバーがドラマとかダンスとか言ってる最中、リーダーのこの男のキャラ付けがSASUKEである。まあ冷静に考えたら何かがおかしい。まだアニメオタクとかの方が普遍的だし理解できる。トップアイドルがTBSの一企画にキャラクターを預けることがあろうか? あかつやクロちゃんじゃないんだから。例えばVS嵐のアトラクションに全てをかける後輩がいたら、相葉くんだってドン引きだろう。それでいて別に毎回クリアできるわけじゃないのだから、彼は間違いなく、ある種の「本物」なのだ。
SASUKEの熱心なファンは「SASUKEに全精力を費やすのは普通のこと」と考えている向きがあるようだがそんなわけがない。思い出してほしい。これは所詮、いちバラエティー番組なのである。
*
そんなたかがバラエティ番組で、輝くことを求められるアイドルが、時にぶざまとも言える失敗を見せる。しかし、どれだけ恥をかこうがなんだろうが決して諦めたがらない姿、それこそ山田勝己が紡いできた物語のそのまま続きと言えないだろうか?
SASUKEがもしも、完全制覇をゴールとする英雄の物語だけだったならば、Mr.SASUKEの称号は長野誠のものだっただろう。けれども、ここには山田勝己が代表してきた、人間の物語がある。見果てぬ夢を見て、敵わぬ敵と戦い、届かぬ壁に手を伸ばす。それは冷静に見れば滑稽で、傍目には理不尽とすら思える情念で、ときに哀愁すら漂い、しかし不思議な輝きを放つ、奇妙な人間讃歌である。その世界に岩本は、アイドルらしい視聴率を手土産に、アイドルらしからぬ泥臭さで挑んでいるのだ。
*
というわけで、一般人にもっとスポットを当てろという意見、お気持ち大変よく分かりますが文句はこの際、森本と山田に言いましょう。エリア難易度をインフレさせた森本と、人間ドラマをインフレさせた山田に。でも次回にこそは、とんでもない素人のドラマが現れるかもしれないという希望もかすかに抱いて。
そんな今年のSASUKEはクリスマス決戦、12月25日18:00からスタートです。岩本照で何回CMを跨ぐのか。みなさん絶対絶対絶対見てください。
演出やテーマとか見せ方とかを考えてデザインを討論して描けるイラストレーターが、そう言うことを言語化してプロンプトにしなきゃならないAIオンリー絵に負けることはないと思うが…
そう、その通り。そもそもAIとイラストレーターが互いに潰しあう存在という認識が間違ってる。
演出とかテーマとか見せ方を考えてデザインを構築する能力を、AIとかデジタルツールでより効率化、高クオリティ化するのがあるべき姿だと思う。なのにAI反対派はそういうメリットからは目をつぶってAI技術そのものに反対している。問題はそこじゃないのに。
正直AIオンリー絵なんて嫌がらせくらいでしか使えないしこれから廃れていくと思うから、もっと長い目で建設的な案を出せたらいいのに...と思ってる。
1. じーさんに触媒として扱われる
アビーちゃんの触媒(魔法陣とかキャンドルとか)を「これでオレっちも召喚士だぜ!」と勝手に使われ、カオスな召喚儀式が始まる。
じーさんがアビーの魔法を真似て「おりゃあクトゥルフ召喚!」と叫ぶも、出てきたのは謎のゆるキャラ風クトゥルフで周囲が騒然。
じーさんが「お前そのナイトキャップ、おむつみてーだな!」とツッコミ、アビーちゃんが若干ショックを受ける。
4. 黒い鍵を使うギャグ
じーさんがアビーの黒い鍵を「万能鍵!」と言って学校のロッカーを開けまくり、先生に怒られるオチ。
アビーの宇宙モチーフを見て、「これで宇宙人と交信できるんだろ!」とスプーンでトンチンカンなセッションを開始。
じーさんが「この子、超怖い話してくれるぞ!」と期待するが、アビーちゃんが怖がりすぎて逆にみんなで慰める展開に。
じーさんが唐突に「処刑人呼んでこい!」とサンソンを召喚し、アビーに「こいつ友達?」と聞くカオスな展開。
8. テスカトリポカの介入
アビーが「幼女枠」を強調される中、テスカトリポカが乱入して「いや、俺の方が神だから」と変なマウントを取る。
じーさんがアビーを見て「こいつがメイヴってやつか!やっぱ幼女だな!」と発言して周りから訂正される。
じーさんが「アビーの魔法で世界征服だ!」と叫びつつも、魔法に失敗して校舎ごと爆発する。アビーが「おじいちゃん…」と呆然とするラスト。
海賊船上で全キャラが一斉に踊る!ルフィがゴムゴムの腕を使ってみんなをリードする中、ゾロとサンジが「踊るな!」と小競り合いしつつもしっかりキメる。曲名は「Yo Ho Ho and a Bottle of Chai」。
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原作で「サメに食われた」なんて地味な話じゃ済まない。サメが火を吹き、雷が落ち、最後にシャンクスが「これが友のためだ!」と叫びながら自ら腕を引きちぎる熱血展開。
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ベルメールとの過去やアーロンへの復讐は泣きポイントのオンパレードに。ナミがダンスを交えながら「この村のために!」と歌い上げ、観客がハンカチ片手に号泣。
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インド映画の「必要悪」担当!鼻を赤く塗られるシーンが村人総出の儀式に変更され、バギーの手下たちがターバン姿で謎のタップダンスを披露。
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エネルがインドの雷神インドラに変わり、ルフィがその化身として降臨。「雷神対ゴムの戦い」というキャッチコピーで、映画中盤の大見せ場に。
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ピンクの羽根コートをさらに豪華にし、部下全員がバックダンサーに。彼の「パラサイト」で操られた民衆が踊りながら戦う狂気のシーン。
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キッチンで踊りながら「これはガラムマサラ、これが俺の必殺技だ!」と叫び、悪党たちに熱々カレーをぶちまける。ついでにスパイス市場での大乱闘も挿入される。
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「歴史の本文」を読んで歌う場面が完全にミュージカル化。古代文字が空中に浮かび、バックコーラスはインド神話風の衣装をまとった歌手たち。
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「俺は巨人を100体倒したんだ!」という話が映画中で本当に映像化される。さらに巨大なトリを召喚して一緒にダンスするカオス展開。
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海賊旗を掲げて「私たちは家族だ!」と大合唱。ビビや白ひげ海賊団まで駆けつけ、全キャストで泣きながらダンス。エンドロールも延々と踊り続ける。
※二十祭のセトリネタバレも含みますので踏みたくない方はお戻りください。
ふとTwitter(と頑なに呼ばせていただく)のおすすめ欄に二十祭のセトリなどのレポが流れてきた。
そこには∞UPPERSの名曲やずっとずっと好きで仕方がなかったYOU CAN SEEなど私が青春を捧げてきたあの頃の曲たちが詰まっていた。
ふと色々な事があったなと回顧してしまったので独り言をここに書きたいと思う。現在の5人を応援しているeighterの方にとっては気持ちのいい話では無いです。
自分はeighterになってからずっと錦戸担で、脱退をきっかけにエイトを降りた人間だ。Y&Jの時代から地方住みではあったがお小遣いやバイト代を握りしめて現場に通い、個別FCが出来た後の会員番号は5桁でちょっとした優越感を覚えたりなんかもした。
脱退当時は「すばるの脱退から1年少々しか経ってないのに早くない?」という気持ちが最初に来た。後々ゆっくり考えたら(自担の贔屓目というのはもちろんあるのだろうけど)明らかにセンターとして引っ張らなくてはという重圧に疲れてしまったのかというのは察せた。
当初はNEWSの脱退時も「でもNEWSというグループが好きだし応援しよう!」と(メンバーの未成年とのあれこれがすっぱ抜かれるまでは)応援していたし、5人になったエイトももちろん応援しよう!と47都道府県ツアーも行く気満々だった。
けれど、そんな勢いで買った「友よ」のセブンイレブン限定版に付属していたぼち夜を見て、私は更新し続けていたFCを流してしまったし、エイトの顔も見たく無くなった時があった。
もう手放してしまったので検証も出来ないのだけれど、ジャニーさんのお葬式で錦戸さんは何を思ったのだろうかと横山さんが呟いた時に、何も考えてないだろと大倉さんが吐き捨てるように言ったこと、記憶が朧気だけれどその後の話もどうにも錦戸さんの欠席裁判をしているようでとても嫌な気持ちになってしまった。
今思えば5人それぞれがいっぱいいっぱいで、そんな限界な中での言葉だったのかもしれないけれど、本人がいないところで悪口めいたことを、しかも「大切な夜」と銘打って限定盤として売り出されるものに収録されていることがとても嫌だった。もちろん自担にだって非はあるだろう(時系列は違うがソロになった後にファンネーム決めるの寒いという発言はかなりいただけなかった)けれど。
しかし私個人としては色々な現場に行くため、オタ活を謳歌するために土日休み+有給の多さで職場を選んでさあこれからガンガン稼いでガンガン楽しむぞというのに、オタ活の対象がそもそもバラバラになっていくような状況を目の当たりにしてしまって正直かなりメンタルにきた。一時期は名前を見るのまで嫌になってしまった。
今は時間が経つにつれて自分も離れてから落ち着いて当時を振り返ったり彼等の当時のインタビューなども見かけるようになり、情報を入れることで大分受け入れられるようになったと思う。改名を余儀なくされたことは辛かったけど、それでもEIGHTという言葉を使い続けてくれたことは素直に嬉しかったし5人で出ていたしゃべくり007は普通にゲラゲラ笑って見た。
まあ何が言いたいのかと言うと、どの立場からと言われるかもしれないけれど、それぞれメンバーがいた時代の名曲も無かったことにしないでくれてありがとう。あの頃の演出も、オタクが求めていたものを形にしてくれてありがとう。
辛い事があっても応援し続けてきた現役eighterの方々も、おめでとうございます。
これからも突っ走り続けてください。
偽りの平和にうつつを抜かす国民に北朝鮮の脅威を思い出させる為に「幻の戦争を演出してみせた」が裏で切れ者リーダー率いるはぐれ特殊部隊が活躍して防いだ。もう少し偽りの平和を見たかったから投降した。
30代で喪女――それは社会の枠組みから自由になった者たちだ。恋愛至上主義という虚構に縛られず、自分だけの世界を築き上げる選ばれた存在。周囲が婚活だ、恋人だと浮かれている間、喪女は一人で静かに本物の自由を噛みしめている。喪女とは孤独の達人であり、その孤独こそが人間を深く耕すのだ。
恋愛市場という狭苦しい闘技場から一歩外に出たとき、人は初めて本当の自分を見つけられる。30代喪女は、その外側から冷静に世の中を眺め、他者に左右されない選択を取る。結婚を人生のゴールだと盲信する人々がいる中で、喪女はその欺瞞を知っている。そしてその視点こそが彼女たちに深みを与え、社会的な"普通"を超越した存在へと押し上げる。
朝はお気に入りの紅茶を淹れ、静かな部屋で本を開く。休日は誰にも邪魔されずに映画館へ向かい、名画をじっくり堪能する。SNSで誰かの承認を求める必要もなく、派手な生活を演出する気もない。自分と向き合う時間をたっぷり持ち、自分が好きなことに情熱を注ぐ。それが喪女の生活だ。そして、それは決して孤独ではない。むしろ喧騒の中にいる他者よりも豊かで、誇り高い生活だ。
30代喪女という言葉には時にネガティブな響きが伴う。しかしそれはただの偏見にすぎない。彼女たちは恋愛や結婚という「社会的成功」の幻想に惑わされず、真に価値のあるものを手にしている。喪女とは、選ばれし孤高の存在であり、その自由と深みは羨望の的となるべきだ。
いろいろ理屈はあるんだろうけど境界戦機のメカ郡は単純にダサいわな
ダサかっこいいってことでもないし
片持ち関節がダサいんじゃなくて境界戦機の片持ち関節の表現の仕方がダサいってこと
あと鳥足が致命的に似合ってないとか
新ガンダムの片持ち関節を腐すために境界戦機を出してきてるんだろうけど
境界戦機デザイナーの心を完全に殺しちゃうことになるからもう比較してどうこう言うのはやめた方がいい
山下いくとは時代感がずっとあって理屈抜きにかっこいいフォルムやシルエットやパーツを描き出せるセンスと才能があって
比べられたら誰だって負ける
悪目立ちしてないのがめちゃくちゃすごい
ガンダムの角にしても顔をガードするという演出上のギミックがあるとはいえ従来のガンダム顔からなにも外れず新しいデザインになってるのもすごいと思う
おなら検定2級では、他の人がおならをした瞬間に別の音を出して、その人がおならをしなかったかのように隠蔽する能力があります。
またおならの匂いだけを吸い込み、おならがなかったかのように演出することも可能となります。
例えばおならをしたくなってる人の腸内を遠隔で調整し、おならを引っ込ませたり、逆におならを出させることができます。
また自身のおならが楽器となり、ストリートおならミュージシャンとして活躍できます(もちろん無臭)。
・お、おもんなかった…
普通におもんなかった…
りしていた
終盤泣いてる熟女いて
「え?これで?本当に?」
ってなった
・でも頑張って作ってる(光の撮影の感じとか山田孝之の熱演(これがなかったら本当に空中分解してたんではないないか)感じしたし、多分これは「邦画」じゃなくて「グッドルッキングガイ映画」であってネットフォアミーだっただけなんじゃないかと思った
そう、この映画は最近再評価されつつある「邦画」じゃなくて「進化したイケメン映画」だったのだ
・Filmarksて星4つだった+時間の都合がついた+スオミ的な「自分の1人の人物の全然違う側面を知る赤の他人が複数人いて、その各々の人間が集結して当人について話し合う」映画がみたくて(スオミもあったがちょっとコントではあって話し合いてはなかった)みたけどFilmarksも大概信用できねえなってなった
ネタバレ回避のためレビュー文まで読み込まなかったのが仇となった
闇の重松豊だ
・まじで「どんでん返し」とか「視聴者を驚かせるとっておきの隠しネタ」「予告からは気取らせないネタ」がまじでなくて逆に「え?」ってなった
・変装もどうあがいてもその美しい目鼻立ちをと「美しい人間」の骨格は隠せてないし、呼んでますよアザゼルさんの「二重の美女を一重にしたら…涼し気な美女になっただけじゃねーか!」を思い出した
・写真撮られても割と「あっ… …です」(顔を下に背けっ)な主人公くん もっと「やめてください!!!!!」(ブチギレ)フーッフーッ←相手ドン引き 位やるかと思ったし案の定ネットに上げられとる…
・人を信じてみたいゆうとりますけど2/3が色恋由来のものやんけ!性善説というより「イケメンはやはり得(女が勝手にSNSに自慢動画あげて寝首かかれる時もある)」としか思えん
・でもスオミで観たかったけど観れなかった「自分の知らない相手が沢山いてその各々の知人が集結して当人について話し合う」描写が見れたのは満足だったが今回の映画は実質「友情」か「色恋」どっちかしかねえんだよな…それは割と普通の人も全然やるペルソナの使い分けの範囲なんだよな…
・①ニキターン
劣悪な環境で微かに芽生えるダチ!との友情!からの「アレッ…?コイツもしかして…?」「コイツを警察に突き出してお金を…」の感情揺れ動きの描写、すごくよかった
2万回収してきてくれた主人公くんに、その場で主人公くんに1万渡すのすごい「仲間になる」描写として的確すぎたしその直後その1万コンビニ?で使う所が「良くも悪くもバカ」感(自分のために動いてくれた主人公くんと酒盛りしたいとすぐ行動できる素早さ人懐こさ?とそうやってすぐ使うからお金が無くなるんじゃ…)感がすごいよかった
じ、地面師!ライフの方が安いのでおじいちゃんじゃないか!ビジュアルもキャラの世間的な立ち位置もほぼ同じやんけ!
ラストらへんは②ネキと③ネキのような2人と接してる+資格勉強のなかで服が少しずつ脱ドン・キホーテしてて①ニキの変化が感じられてよかった
最後、ジャンプニキの歯、真っ白で「その生い立ちで?」ってなったけど気になったの最後だけだからそこも演出なのかな
・②ネキターン
「なんか急に色々ガバいラブコメ始まった?きみはペットか何か?」「クゥ〜ッ この民放のドラマでよくある「イメージの寄せ集め」のようなオサレオフィスゥ〜ッ!②ネキのちょっとカッチリしたオフィスカジュアルの服装〜ッ 民!放!」「マスコミ系の仕事しててかつこんなにイケメンすぎるイケメンで、飲み屋時点で素顔みて気づかないとかある?」「これ主人公くんの顔がイケメンじゃなかったら家に泊まらせてあげて「次の家が決まるまで、(家に)居ていーよ」はぜってえしねえよなあ???!やっぱイケメン大勝利って事しかわからん…」「え?これずっと続くの?キツ…」「ま、まあお二人が幸せなら、いいんじゃないんスかね…(もうどうでもいい劇場から出ようかな)」
・③ネキ
途中までこの子のご家庭が惨劇の場になるのかと勘違いしてたからそんなことなくて本当によかった…
美人ではないが愛嬌がある ほっぺたがもちもちしてて可愛い しかしロックオンしてからのモーションの早さが怖い これが女子ってもんなの?怖…
最後の「もう、私、逃げない!」って言うほど主人公くんに関わってたか?
・現実の「女」同士の場合、②ネキと③ネキが邂逅した際に②ネキが主人公くんについて語る瞳から「信用」ではない「色恋」の熱を感じて「ハ?私が目を付けていたんだが??(主人公くんに出会っているのは②ネキのが先だし居た期間も質も多い)」ってなる③ネキは全然あると思いますがまあそこは要らないからね 仕方ないね
・公開2週目平日30〜40人くらい
女性3/4 年齢40〜50代多め
・今まで「自分の感性はズレてる」って思って悩んでたけどこの作品を「いい」と判断するのが大多数なのを見てると「イケメンに目眩ましされて情緒の判断材料がザル通り越してワクなのにそれっぽい大まかな流れに流されすぎる大味すぎる感受性はどうかと思うから…まあ…ズレてて…ええか…!」って自分の感性に自信を持てた
エンタメの世界では「犯罪=表現のひとつ」くらいの認識しかなくて
それどころかヒト56しが主人公の話とか今でもふつうに存在するやん。
つっこみによる過度な暴力。壁や床などが気軽に壊れる(器物破損)。
セクハラとか、パワハラとか、演出上のつごうとか時代背景とか抜きにしても
エンタメ作品の登場人物って、平気で犯罪行為しまくってるよね。
こいつを叩きまくってるひとらが一方で、そのようなエンタメを享受して、
頭の中でどういう線引きしてるのかなって疑問に思うんだよ。