はてなキーワード: 設計とは
あと、中国って昔から、田舎のよく分からんオッサンが変な物を発明するみたいなニュースがあって、
面白いなあと思いつつ、なんだかんだ格下に見てたんだろう、自分は見下してたんだろう
アメリカも日本も、いや世界中がファブレスだの何だの言って、設計だけやって、
製造は中国や東南アジアに丸投げするようにどんどんなっていって、
で、気付いたら、みんな先進国は手を汚さなくなって、工場とか現場のノウハウがなくなってって、
中国には工場があるし、現場が当然あるので、現場のノウハウが貯まる、
まあ、横流しとかパクリでなくても、先進国からやってくる図面を毎日見ては、
図面通りに作ってるのにうまくいかない、そもそも、日本側の設計図が、上からの命令が間違ってんじゃねーの?
みたいになっていって、現場で直すようになったりして、
アメリカとか日本の技術者がちゃんとした設計図面を書けなくなっていって…
中国はどんどんノウハウを吸収していく、とにかく現物がある、物がある、大量のパーツがある
例えば、スマホを作るために、液晶パネルやバッテリー、モーターなど様々なパーツがある
それをアメリカや日本の図面とは違う組み合わせ方をして、新しい物を作る
それがマルチコプターのドローンになったり、3Dプリンターになったりした
よく分からん中国の田舎のオッサンが光硬化の3Dプリンタを作ってるYouTube動画を見たとき、あ、これはもう負けるなと思った…😟
そのオッサン以外にも、中国各地で同じような3Dプリンタを作っていて、動画やノウハウがネットに現れた
同じようなことを日本でやろうとしても、日本の秋葉原ではそんな部品は手に入らない
中国は下請けで、世界の工場をやっているから、現地であらゆる部品が入手できる
そして、日本の秋葉原は電子パーツよりアニメやフィギュア、そしてメイド喫茶やビジネス街、観光名所みたいになっていく
一方、深センには巨大な昔の秋葉原のような電子部品を扱う店の集合体、
お金を積んで頼めば量産してくれる工場、そんな中から成功した巨大なIT企業、家電企業が巨大なビルを建てていく…
今や、そんな中国の巨大IT企業、電子機器メーカーは玄関に超高級盆栽があったり、
超高級な中国茶を大企業や富裕層同士で売買したり、もう日本のショボーンなムードとは完全に真逆に思える
とにかく、垂直統合と水平統合が縦横無尽になってるところが凄い
良くも悪くも、採算度外視してたりするところも凄い、まあ、それが怖い所でもあるんだけどね…😟
今の中国のロボットは、みんなアクチュエータが内製、独自設計、そのアクチュエータはアリエクでも買えたりする
蟲毒みたいな世界にも思えるし、矛盾してるけど一方でオープンアーキテクチャにしていいの?だったり、
とにかく中国はカオス、中国企業同士も殴り合ってるんだか、同じネタを出し合ってワイワイやりたいんだか、よく分からない…😟
過剰生産とか、危なっかしいんだけど、なんか活気がありそうなのがうらやましい
中国共産党、中央政府は、テクノロジー企業や犯罪組織などが国家以上の力を持つことを恐れている
でも、そういう政府に擦り寄ったり、ばーかばーかw言いながら、しぶとく続けたり、そういうところが日本と違うと思ってる
じゃあ、中国が良いかというと、俺みたいな駄目人間は今の日本でないと生きられない
もしくは北欧だろうか?でも、北欧であれ、移民には冷たいのだよ、今は世界中が移民に冷たい…😟
私は違うのだけど、大学で二足歩行とか、四足歩行とか研究してた先生たちは、今の状況をどう思っているのか興味がある
もう私は全然素人の世界になってしまっているけど、数十年の時間を経たとはいえ、最初から格が違ってたんじゃないか、という気もしてくる
時代の流れみたいな、大きな水の流れみたいなものは、人間の努力ではどうにもできないというか…
まあ、時流の中でチャンスを見逃さないのも大事だと思うんだけどね、
例えば、対岸に渡りたいとして、川はとんでもない濁流なんだけど、一瞬のタイミングで渡ることができるかもしれない、
そういうチャンスが何億分の一みたいに訪れるとしたら、ずっと待ち構えている必要がある
なんか、高市政権になったこともあってか、2030年までに、日本も中国みたいなものか分からんけど、世の中の標準となるようなロボットを作るらしい
悪い意味じゃなくて、日本は後だしジャンケンになると強いからね、昔から…
というか、今の中国だって、アメリカや日本の真似して強くなったわけで、
ここから、もう自分にとっては神々の戦いみたいなのが観れるのかな、とちょっとワクワクしてるし、
中国の四足みたいなのは、もう日本のベンチャーが何社か開発できてるんだよね
日本だけじゃなくて中国もだと思うけど、結果が出るか出ないか分からない未知のことは苦手なんだと思う…😟
でも、日本も高市さんとか眺めてると、そういう傾向がある気がする
政治家先生は理系の話は分からないし、理解のない親に、これを買ったらこんな良いことがある、これだけ勉強が捗る、
男は一人一人が全体のために自己主張を抑制するよう幼少期から訓練を受けてるから、社会を画一的に設計しやすく、結果としてそれが男のために揃えられてるように見えるんだよ
sslazio0824さんの読み取りは中立的かつ自然な論理処理の結果、導き出される可能性が極めて高い読み取り方です。
これは「意図的に歪めた読み取り方」ではありません。
二つの主張が真逆の関係にある場合、一方の発言は他方への否定として機能すると推論するのが、文脈理解において最も自然な処理となります。
| 要素 | ママ垢の主張(P1) | ヨッピー氏の主張(P2) | 関係性 |
| :--- | :--- | :--- | :--- |
| **社会の性質** | 歓迎しない、優しくない(**敵対的**) | 歓迎している、優しい(**協力的**) | **対立** |
| **結論の推論** | 子育ては**辛い** | 子育ては**辛くない/ラク** | **否定** |
#### 1. 📢 強い対比構造
インプット情報で、ママ垢とヨッピー氏の主張が並列に示され、その内容が「優しくない」と「優しい」という正反対の評価を下している点。
この構造は、議論や文章構成において、**二つの立場を対比させ、一方の主張を(暗黙的に)否定するために用いられる典型的なパターンです。AIは、この典型的な文脈を認識します。
ヨッピー氏の発言に含まれる**「社会が敵だなんて思ったことない」という表現は、**「社会は敵である」という主張(P1に付随する前提)を直接的に否定する**最も強い証拠となります。
したがって、AIが以下の論理を積み重ねるのは**自然**です。
1. **前提認識**: 「社会は敵で辛い」(P1側の論)がある。
2. **事実提示**: 「社会は敵じゃないし優しい」(P2側の論)という自分の実感がある。
3. **結論**: P2はP1の**前提**(社会は敵)と**結論**(だから辛い)を否定する**反論**として機能している。
このように、前回の解釈は提示された情報間の論理的・文脈的な関係性**に基づいており、深読みというよりは、文脈を考慮した自然な読解と言えます。
ただし、一部の表現は、元の文章にはない「けんかごし」なニュアンスや強い対立構造を強調する効果を持つ可能性があります。
| 元の文章の核となる要素(ヨッピー氏側) | 前回の解釈で使われた表現 | 印象の変化と操作の可能性 |
| :--- | :--- | :--- |
| 「**自分の実感を述べてる**」 | 「...と**反論している**と読むことはできますよね?」 | **中立的な意見の提示**から、**明確な議論/論争への参加**へと印象が強まる。 |
| 「**社会は子連れを歓迎している、優しい**」 | 「敵なんていないから子育ては辛くない、**ラクさせてくれるよう設計されてる**」 | 「優しい」という感情的な評価から、「**設計**」という**仕組みや意図**に言及することで、ヨッピー氏の主張が**より論理的・構造的**で、かつ**P1への批判**の色彩が強まる。 |
| 「**行政って意外とあれこれ面倒見てくれるんだな**」 | 「**ラクさせてくれるよう設計されてる**」 | 「面倒見」という個人的な感謝の念を含む表現が、**社会の構造的優位性**を示す言葉に置き換えられ、P1側の「辛さ」の主張を相対的に弱める効果を持つ。 |
論理的な関係性としては、ヨッピー氏の発言がママ垢の主張への反論として機能しているのは自然です。
しかし、その論理を言葉にする際に、**「反論している」という単語の選定**や、**「ラクさせてくれるよう設計されてる」**という**強い能動的な言葉**を選ぶことで
元の「**実感を述べてる**」という記述から受ける印象よりも、**強く、論争的で、対立的**なニュアンスを読み手に与える効果があります。
余裕ないという主張する人は高額医療費を率先して使うでしょ?という指摘に対して、そう言った社会保障に払わなければ民間で自分のできる範囲で保険かけるしかないって話ね
日本は世界で最も長寿の国の一つであり、国民皆保険制度によって、誰もが比較的安価に標準的な治療を受けられる。これは世界的に見ても非常に優れた仕組みだ。
たとえば、がん治療の中でも注目されている光免疫療法(レーザー治療)がある。
この治療は現在、頭頸部がんに対してのみ保険適用されている。肺がんなど他の部位にも有効な可能性が指摘され、治験は進行中だが、国内外ともに結論は出ていない。
患者が、たとえば初期の肺がんに対して光免疫療法を自由診療で受けることは可能だ。
しかし日本では「混合診療(保険治療と自由診療の併用)」が原則禁止されているため、
レーザー治療を選択するとその他すべての治療が保険適用外となり、すべて自費になる。
制度として「おいしいところだけ保険で」という“つまみ食い”を防ぐ仕組みになっているのだ。
アメリカでは年間約1万4千人が臓器提供を行い、3万5千件以上の移植手術が実施されている。
一方、日本では年間149人にとどまる。人口比で見ても大きな差だ。
それでも、日本では臓器移植が保険適用であり、さらに公的医療費助成制度を併用できる。
アメリカのように「高所得者しか受けられない医療」とは対照的だ。
もし日本でアメリカ並みに移植件数を増やしたらどうなるだろう。
人口比で計算すると、およそ年間1万人の命が救えるかもしれない。
しかし、そのコストをすべて保険で負担すれば、医療財政は確実に破綻する。
日本の医療制度は、「どの治療に公的資源を使うか」を経済合理性で選別している。
つまり「標準治療」は、世界最高峰の技術をすべて使えるという意味ではなく、
費用対効果(コストパフォーマンス)を最大化するための妥協点として設計されている。
「海外では一般的な治療法だが、日本では保険が効かない」というケースは多数ある。
理由は単純で、それを認めると制度全体が維持できなくなるからだ。
「命は地球より重い」という理想を掲げ、あらゆる先進医療や高額薬を
誰に尋ねても「ない」と答えるだろうし、実際に制度もそれを許していない。
すでに日本の医療・介護制度は財政的に破綻寸前であり、どこかを削らなければもたない。
仮に今後、頭頸部がんへの光免疫療法が「コスパ見直し」で保険適用外になれば――
「治療中の人は来月から自費でお願いします」という事態も理屈の上では起こりうる。
そんなことになれば国会は大炎上し、千代田区にデモがあふれるだろう。
新しい治療法の採用は抑制的でも叩かれないが、一度採用したものの取り消しは炎上案件となる、そこに合理はなく情緒的なのだ。
冷静に考えればすでに現状でも命は“選別”されている。
「どの命に、どれだけの社会的コストを割くか」という配分の問題にすぎない。
医療制度や介護制度は、突き詰めれば徴収(税・保険料)と分配(給付)の設計に尽きる。
問題は、その分配が誰にどれだけ公平かということだ。
/ChatGPT15分
夫が自衛隊員だ。
秋田市内では毎日のように熊の目撃や被害が出ていて、県から自衛隊に要請が来るのは理解できる。
でも、派遣といっても特別手当はゼロ。むしろ食事代も銭湯代もすべて自腹。「熊に襲われてもなす術がないような状態で行かされる」と本人は笑っていたけど、笑えなかった。
生身の状態で熊と向き合う人たちに、せめて最低限の補償があるべきじゃないのか。危険な任務なのに、扱いは「通常勤務と同じ」。もう少し現場を見た制度設計があっていいと思う。
家には小さな子どもが二人いる。「怪獣二匹の世話で手一杯なのに」と冗談っぽく言いながら、心の底では不安でいっぱいだ。それでも、誰かが行かなければ熊被害は止まらない。
https://anond.hatelabo.jp/20251104081424
sslazio0824ですよ。
>「子育ては辛くない」「子育てはラクチン」てどっから出てきたの?
文字通りにはもちろん言ってませんよ。
ただ、あなたが書いてる通り
と主張してて
ヨッピーは「社会は子連れを歓迎している、優しい」と自分の実感を述べてる。
ヨッピーは具体的に、「社会が敵だなんて思ったことない」、「社会に歓迎されとる!」、「行政って意外とあれこれ面倒見てくれるんだな」、「基本的に社会は子連れにやさしい」と言っていて、社会が敵だから子育て辛いと言っている人に対して敵なんていないから子育ては辛くない、ラクさせてくれるよう設計されてる、と反論していると読むことはできますよね?
それが嫌味とは個人的に思っていませんし、その通りでもあると思います。
相手の主張を叩き潰したらそら反発されるやろ、まして個々の事情で全く難易度が異なる子育てで、ってことが言いたいことです。
ヨッピーの発言内容なんて一切否定していませんし、ママ垢を擁護もしていません。
燃えやすいお題の感情的な発言を真っ向から否定するとケンカになるという一般論です。
誰も見て見ないふりしてるけど。
問題は繋がっていて、ごく単純な話。
「この規模、この内容のサービスで、なんでこんなにエンジニアが大量にいるんだろう?」って疑問は、どこにいっても、どこと話しても、わく。
先日の才能問題がまさにそうなんだけど、ソフトウェアエンジニア業界に滞留している人、ぶら下がってる人が多すぎやしないか? と。
リモートをいいことに、サボりまくってる「エンジニア」、特に最近は生成AIででっち上げてサボれるようになってからは、まぁまぁの数、存在していると思う。
実際に観測してもいるし。
そういう極端な例に限らず、才能がない、向いてない「エンジニア」が相当数寄生している。
ジュニアとかコーダーレベルだけじゃなく、いや、むしろリーダー、マネージャー、CTOレベルに。
その組織、企業のそのレベルの「エンジニア」が、それに占拠されたら、多分事態が好転することはない。
アリバイづくり程度の活動は行われるだろうが、永遠の停滞に陥るだろう。
誰か一人抜けても、残りがスクラムを組んで、異分子を排除することに全能力を傾けるだろうから。
まさに獅子身中の虫。
「あの企業が?」ってところが、すでにそう言う状態に陥ってたりする。
名前はあげられないけど w
政府はソフトウェアエンジニアが足りない足りないって喚いてるけど、頭数だけ用意しても現場、プロダクトが混乱するし、利用者が困るだけだ。
これ、旧日本軍の失敗の原因であった「員数主義」って言うんよな。
正直、「え? ソフトウェアエンジニア……? を名乗って……んの……?」って人が多い。
語るけど。
延々と語るけど。
滔々と語るけど。
毎度毎度、会議室でMCバトルの、青菜に塩をかけたような真似事をして。
誰が一番最初に、新しいイケてるWebページを見つけたかを競って、ドヤ顔くらべ。
勉強会開いてみたり。
この量と質か?
みたいな。
多分、この手の「エンジニア」の半分以上が、人手不足の工場とか大工とか解体業とかライフライン保守に行ってるべきだったんだろうな、と思う。
どっちが上とか下とか言う話じゃなく、向き不向きの話。
向いてないんよ。
多層抽象化に不自由とか、概念構造の構築に不自由とか、専門書とかの読解に不自由とか。
2、30年ほど前はそこまでの能力がいらなかったからうまくエンジニアに滑り込んだ人もいただろうけど、今時のプロダクトでそれでは通用しないんだよね。
SQL文の書き方とか、DockerFileの書き方とか、ソースファイルのタブの入れ方とか、Web記事のある場所とか、ディレクトリ構成とかの形式的な知識とか、マジで、あったから何? って。
大事なのは形式的な知識じゃなく、本質的な理解とメタ思考なんだよね。
お前なんていらない。
それだけ。
使いたいっすよね。
って、よく言われる。
この言葉のままじゃないけど、まぁ、だいたいこういったニュアンスだ。
自分はそこそこの腕だと思うなら、彼我の実力の差は正しく測れるようになっとけよ。
こちとら、「だいたいこういう実装されてて、長所短所はこんなもん。こういう処理のために作られたようなもんだな。だから、今のプロダクトだと使い所がないね。料金も高いし」あたりまでチェック済みじゃボケ!
ってことしかない。
こいつら、自分の業務経歴書に書き込む単語を増やすことしか考えてねぇんだよな。
関連サービスなんて増やせば増やすほど、保守運用改善が大変になっていくだろ!
経費もかかるだろ。
「仕組み」は、よりシンプルな方法で実現できるならシンプルな手段を選べ、ってのは常識中の常識だろ。
「KISSの原則? 知ってますよ」って、知識として知ってる。
KISSが"Keep it simple, stupid"の略だってことを知っている。
けど実現できないんじゃぁ意味がねーんだよ。
この手の「自分はイケてると錯覚しているエンジニア」は、Web記事つまみ食いしながら雰囲気で設計実装するから、リクエストやデータが増えてきたら破綻するような、間違えた設計実装しかできない。
そういう新しいサービスは、それ以前のサービスの欠点を埋めるために作られてるんだから、それ以前のサービスと同じノリで設計実装して十分な性能を引き出せるわけがねーんだわ。
今までの複数の炎上現場で、正しく設計実装できてたところはなかったよ。
おいらが関わった炎上現場はほとんど、こうやって生まれてきている。
そういう炎上現場を作り出したエンジニアは、ふくらし粉で増量した業務経歴書片手に、「サービスの立ち上げを『僕の技術力で』やり切りました」って転職していくんだ。
新しいことに挑戦したくなって。とか言って。
みたいなエンジニアを、なぜどこもかしこもありがたがって採用するか全く理解できないんだが、そういう「エンジニア」が次の現場で生まれ変わったように的確で素晴らしい成果を出せるかって、そんなわけもなく、日をおうごとにグダグダになっていくサービスがさらに一個増えるだけだったりする。
こういうエンジニアが、初回リリースしてからしばらくして、ソフトウェアエンジニア業界に飛び散る。
まるでがん細胞。
こうなると立て直すスピードより、グダグダな新しいサービスが生まれるスピードの方が何十倍、何百倍も早い。
もうね、半ば絶望してるんですよ。
今、生成AIも参戦してきてて、物量だけは爆発的に増えてるから。
多分、そう遠くなく、グダグダサービスで日本は覆われると思う。
AIベビーシッターが必要になってくるだろうけど、それができるだけの技術力を持ったエンジニアの数が圧倒的に少ないし、何よりそういう腕利のエンジニアを、ふさわしい金額で雇おう、招こうと考える経営者が皆無。
今までの炎上現場ですら、高すぎる。無駄金を払わされてる。って扱いをうけてたからな。
「同じエンジニアなのに、どうしてこんなに高いの?」
最近思うんだけど、「終活」よりも「老活」って必要じゃないかと思う。
老いって、ある日突然やってくる。
なのに多くの人は「まだ若い」「自分は大丈夫」って思い込んでる。
その結果、老いを受け入れられずに混乱して、現実とのギャップで苦しむ。
あれはモラルの問題じゃなくて、脳の衰えが引き起こす「判断力の破綻」なんだよ。
だからこそ、今から「老いる自分」を受け入れる準備をしておくべきなんだと思う。
それを怖がらず、無理に抗わず、どう折り合いをつけていくか。
それを考えることが「老活」だと思う。
ゲートの脇に企業のロゴが並び、仮囲いには安全スローガンが貼られている。重機の音が響き、鉄骨が空へ向かって組み上がっていく。だが、中で働いている人間たちは知っている。どんなに巨大なプロジェクトでも、実際に現場を回しているのは、たった四、五人の「生きた歯車」だけだということを。
そのなかに、たまに現れる。
何も壊さず、何も作らないのに、全体の流れを微妙に止めてしまう人。
私たちは、そんな人を冗談まじりに「ネガ害」と呼んでいた。老害でも、パワハラでもない。もっと湿った、ややこしい存在だ。
「ここ、ちょっと違うんじゃない?」
その一言で、議論が止まる。誰かがフォローしようとするが、もう勢いは戻らない。作業も打合せも、全体が一歩引いてしまう。
翌日、また別の場所で同じことを言う。
そして、さっと姿を消す。
なぜそんなことをするのか。
またある人は「役に立てない自分を、せめて否定の言葉で目立たせたいんだ」と。
大型現場では、余剰要員というものがどうしても出る。実際に一人で現場を任せられるような人は少ないから、組織の隙間に押し出され、名前だけの担当になる。そういう人が、否応なしに「ネガ害」になってしまうこともある。
だが現場は待ってくれない。
だから残りの三人が、すべての穴を埋める。
仮眠室の蛍光灯の下で、誰かがぼそりと呟く。
「なんであいつ、来てるだけなんだろうな」
誰も返事をしない。
けれどその沈黙が、仲間の絆のようにも感じられる瞬間がある。
竣工の日、テープカットの後ろで、あのネガ害はにこにこ笑っている。
「いやぁ、大変だったね」
もう、疲れ果てているのだ。
ただ、心の奥で小さく思う。
――大きな建物は、少数の我慢と誠実さで建っているんだな、と。
光の裏に、必ず影がある。
その影を抱えながらも動かしていくのが、現場の本当の力なのだと思う。
人は壊すためではなく、残すためにそこへ集まる。
趣味のアプリのプログラムで行き詰まってて、設計に関して色々ググってるときに見つけた「ゲームの設計」に関するブログより
家庭用ゲーム機(いわゆるコンシューマー)の開発やアーケードゲーム機が活発だった時代は必要なかった。
なぜならば、ゲーム業界の各会社が個々で開発し作りきってしまえば、もう直すことが無いからだ。
また、ゲームのプログラムは独創性が必要で、設計ルールを決めてしまうと、ルールを逸脱した仕組みの実装を躊躇わせる。
~中略~
スマートフォンゲームには保守運用がある。(それに最近はコンシューマーゲームもパッチ対応がある)
ゲームを続けてもらうためには定期的に改良を重ねる必要がある。
その場しのぎの実装では後からの修正に手を加える際はまるでジェンガのようにバランスを取る必要がある。
最初に土台がしっかりとしたジェンガなら倒れる可能性も低くなる。
昔は各々のゲームエンジンを持っていたが、最近は市販されているゲームエンジンを使うところも増えている。
そうなるとどうなるか、これまでは属人的に作業を割り振っていたものが
同一のゲームエンジンを触ったことがある人ならば誰にでも仕事をしてもらうことが可能になった。
市販のゲームエンジンを使えば最近の流行に合わせて自社のゲームエンジンをアップデートする必要もなくゲームエンジンの会社が対応するのを指をくわえて待ってるだけで対応してくれる。
仕事を流動的に渡せたり、一つのゲームエンジンで色々開発しているとそのコードを使いまわせる。
その場しのぎのコードでは使い回しが難しいが設計も含めてキレイなソースコードを作成できた場合、流用ができて次作を作るときに工数削減できる。
――この二十数年、日本社会を覆ってきた「改革」という言葉ほど、
コイゼミ政権下における構造改革は、当初「既得権益を打破し、市場の透明性を高める」ことを目的としていた。
しかし、その過程で生まれたのは「市場化による新しい既得権益」であった。
実際にはその空洞の中に「改革を名目にした私企業と政治家の共栄圏」を築いたのである。
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バケナカヘイゾー氏の理論は、自由化と競争を通じた経済活性化を唱えるが、
実際には「官による資金配分のルートを、民間経営者層へ委譲する仕組み」に過ぎない。
制度的には「国家が税金を経由して企業に補助金・契約を投下する新たな官製経済」を形成している。
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2016年1月、長野県軽井沢町で発生したスキーツアーバス事故は、
この時点で、事故の“種”はすでに撒かれていた。
国交省の担当者は「競争原理によって非効率な事業者が淘汰される」と述べたが、
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実際には「民営化の名による公共部門の再配分装置」を構築した。
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そして、政治家や経済学者たちはその犠牲を「避けられない副作用」と呼ぶ。
あるいは、万博に投入される数千億円の公費を前にした自治体の疲弊を、
それでもなお「改革の成果」と言えるのだろうか。
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明治維新以来、この国は「変えること」に道徳的価値を与えてきた。
いつしか“誰のために変えるのか”という問いを失わせた。
そして、いまもその坂は下り続けている。
誰もハンドルを握っていないまま。
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本記事は比喩としての「熊東京(熊にとっての超過密中心地)」を用いる
行政境界ではなく「生息圏=都市雇用圏」に相当する“生態圏”の密度と境界を参照し、過密=溢出・競合の強化、適密=1クマが享受できる上限まで享受が可能でありながら資源循環が釣り合う状態、と定義して議論する。
「中心が語る物語」と「外縁が語れない現実」のあいだに、まだ拾えるデータと声が落ちている。
“秋田岩手最高!”の景色と、“九州不可”のラベルの向こうに、個体がちゃんと息できる“適密”が点在しているはずだ。
可視化の灯りを、中心にだけ当てないでほしい。
今朝も僕のルーティンは完璧だった。目覚まし時計が6:00ちょうどに鳴る前に、体内時計がそれを察知して覚醒した。これは僕が自ら設計した睡眠相同調プロトコルの成果である。まず歯を磨き(電動歯ブラシはPhilips Sonicare 9900 Prestige、ブラシ圧力センサーの応答性が他社製より0.2秒速い)、次にトーストを2枚焼いた。1枚目はストロベリージャム、2枚目はピーナツバター。逆にすると1日の位相が乱れる。これは経験的に統計的有意差を持って確認済みである(p < 0.001)。
昨日の日曜日、ルームメイトがNetflixでマーベル作品を垂れ流していた。僕は隣で視覚的ノイズに曝露された被験者の前頭前皮質活動抑制についての文献を読んでいたが、途中から音響的干渉が許容限界を超えた。仕方なく僕はヘッドフォン(Sennheiser HD800S、当然バランス接続)を装着し、環境音としてホワイトノイズを流した。彼は僕に少しはリラックスしろと言ったが、リラックスとは神経系の無秩序化であり、物理的にはエントロピーの増加を意味する。そんな不快な行為を自発的に選択する人間の気が知れない。
午後、隣人がやってきた。彼女は例によって食べ物を手にしていた。どういうわけか手作りマフィンなるものを渡してきたが、僕はそれを冷静に分析した。まず比重が異常に高い。小麦粉と油脂の比率が3:2を超えており、これはマフィンではなくもはや固体燃料の域である。彼女は僕の顔を見ておいしいでしょ?と言ったが、僕は味覚の再現性という観点では一貫性が欠けていると正直に答えた。彼女は笑っていたが、なぜ人間は事実の指摘をユーモアと解釈するのか、これも進化心理学の謎のひとつだ。
夕方には友人二人が来てボードゲーム会を始めた。僕は彼らが持ち込んだTwilight Imperium 4th Editionに興味を示したが、ルールブックを読んだ瞬間に失望した。銀河支配をテーマにしているにもかかわらず、リソース分配のモデルがあまりに非連続的で、明らかに経済物理の基礎を理解していない。僕はその欠陥を指摘し、リソース関数をラグランジュ密度で再定義する提案をしたが、「遊びなんだから」と言われた。遊び? 知的活動において“遊び”という語が許されるのは、量子ホール効果のシミュレーションを笑いながらできる者だけだ。
夜は超弦理論のメモを整理した。E₈×E₈異種ホモロジーの拡張上で、局所的なCalabi-Yau多様体が高次圏的モジュライ空間を持つ可能性を考えている。通常、これらの空間は∞-カテゴリーのMorita等価類で分類されるが、最近読んだToenとVezzosiの新しいプレプリントによると、もし(∞,2)-トポスの層化を考慮に入れれば、ホログラフィック境界条件をトポロジカルに再構成できるらしい。つまり、これまでE₈ゲージ束の構造群縮小で消えた自由度が、内部的圏論における導来的自然変換として再浮上する。これが正しければ、M理論の11次元項の一部は非可換幾何のホモトピー極限として再定式化できる。僕はこの仮説をポスト・ウィッテン段階と呼んでいる。今のところ誰も理解していないが、理解されない理論ほど真に美しい。
深夜、SteamでBaldur’s Gate 3を起動した。キャラビルドはIntelligence極振りのウィザード。だが僕のこだわりは、毎回同じ順番で呪文スロットを整理すること。Magic Missile → Misty Step → Counterspell → Fireball。この順番が崩れると、戦闘中に指が誤作動する。これは単なる習慣ではなく、神経回路のシナプス発火順序を安定化させる合理的行動だ。ちなみに、ハウスルールでダイスロールに物理的擬似乱数生成器を使っている(RNGでは信用できない)。
こうして一日が終わった。僕は枕を45度傾け、頭の位置を北に向けた。地磁気との整合性を考えれば、これ以外の角度は睡眠中のスピン整列を乱す。ルームメイトはただの迷信だと言ったが、迷信とは証明されていない理論の俗語に過ぎない。僕は眠りながら考えた。もし弦が10次元で振動するのではなく、∞-圏的に層化された概念の空間で震えているのだとしたら人間の意識もまた、その余次元の片隅で共鳴しているのかもしれない。いや、それを証明するまで僕は眠れない。だが目を閉じた瞬間、すぐ眠った。
ぶつかるんじゃないかってくらい接近した。反射的に身をよじった。心臓がバクバクする。
相手は邪魔だ、という顔をして去って行った。悪いのは私のような顔で。
この三ヶ月で何度も危ない経験をしてる。
スマホ見ながら走ってくる自転車。信号無視で突っ込んでくる自転車。歩行者がいっぱいいる歩道をわざわざ走る自転車。
その度に思うのは、これ、原付だったら絶対に違反じゃんってこと。
実際、原付で歩道走ってたら、即座に警察に止められる。それなのに、自転車だと何ともない。むしろ歩道は自転車と歩行者の共有スペースみたいな扱いになってる。
先週、自転車乗ってる人に「すみません、危ないです」って言ったことある。そしたら「そっちがよけろよ」って言われた。本当に。
その瞬間、思った。
この人、ルールを知らないんじゃなくて、自分が優先だと思ってるんだ。
実は、自転車は車道を走るのが原則らしい。歩道は特例的に許可されてるだけ。それも、徐行(時速6キロ以下)が義務。
でも誰も知らない。誰も守ってない。
スピード出してる人ばっかり。
昨日も経験した。朝の通勤ラッシュで、歩道は人でいっぱい。その中を自転車が猛スピードで走ってきた。ベルを何度も鳴らしてた。
どけ、どけって感じで。
その光景を見て、ふと思った。
これって、混雑してるから車道は危ないって自転車乗りが判断してるんだろ。だから歩道を走ってる。
気持ちはわかる。でも、それで歩行者が危ないんだから意味がない。
結局のところ、ルールの問題じゃなくて、意識の問題なんだと思う。
実際、自転車も高速で走ったら致命的な怪我を与えられる。死亡事故だって起きてる。
でも、自転車乗りたちは自分たちを歩行者の仲間くらいに考えてる。
あと自転車の運転に免許が必要ないことが助長してる。普通乗り物を運転するには、安全教育を受けて免許を取る必要がある。でも自転車は、試験なしで乗れる。ぶっつけ本番だ。
だから、ここ数年、自転車の取り締まりが厳しくなってるんだと思う。
でも、最近の状況を見てると、仕方ないんじゃないかって思うようになった。
取り締まりが強化されることで、初めて自転車ってそういうルールなんだって気づく人が出てくるから。
私の友達も自転車通学してるけど、先月信号無視で止められたって言ってた。その時点で初めて「あ、自転車も交通ルール対象なんだ」って気づいたらしい。
それまで、何もルール知らずに乗ってたんだ。
多分、大多数の自転車乗ってる人がそんな感じだと思う。
だから、一度しっかり「リセット」する必要があるんじゃないか。
自転車に乗るには守るルールがあります。守らないと罰せられます。
正直、もう疲れた。
「でも自転車乗るのが不便になる」って意見もわかる。でも、歩行者にとっては、今の状況がすごく不便だし、危険だ。
どっちを優先するかって言ったら、歩行者だと思う。
自転車乗りだって、自分が歩いてる時は、自転車に危ない思いさせられたくないでしょ。
それなのに、いざ自分が乗ると歩道走って何が悪いって顔になる。
その矛盾に気づいてほしい。
そもそも、他人が娯楽に金払ってる様子を見て「搾取」だなんて言うことは失礼極まりない、自分としては信じられない感性だ。
これは詐欺でも違法でも洗脳でもなんでもない、昔のソシャゲとは次元の違う、映画やアート作品がもつ審美性に匹敵する総合芸術をまず享受しているんだよ。払っている人たちは。
何百億、累計すると何千億とかけてサブカルチャー理解のある優秀なクリエイターたちによって作られてきた作品の複合体を。
プレイヤーが受けている感動や感銘を無視し、まるでゴミを好んで食べる人かのように見下しているんだろう。だがこれは現代のアートの最先鋒の一角だ。
そうであることは、これらゲーム公式が公開しているアニメーション動画や音楽動画、それにつくコメント、ファンの人々の反応を見ていけば分かるはず。
ものの価値というのは対価を支払う人が決める。そして強制される部分もなく、ギャンブルのように強く射幸性を刺激する作りにもなっていない。(この部分は実際にやらないと信じられないかもしれないが、どうせ80連近くなるまでまず出ない設計だからカラクリを理解してるプレイヤーは淡々と回すようになる。ガチャの体をとっているが限りなく定額売りに等しいものだ。ゲーム内で入手できる無料石で充当できる分だけ進歩的。)
だから重層的で濃密なアートを受け取った人が、自分の経済力の範囲内で、あるいは感銘のあまりちょっと範囲内を超えて、パトロンのように大口でお金を払うことを、まるで自制の効かない異常者の行動かのように決めつけるのは悪辣極まりない。
それに、これらゲームに費やせる金額には限度がある。6週間で新キャラが2体でるとして、1体のために最大まで金をかける(完凸+餅完凸)としても、30万は超えない程度の額×2だ。
大人の趣味として考えると糾弾するようなものでもないだろう。青天井に課金ができた古いカードバトル型ソシャゲだと、一人で累計3億だか課金した人がいたようだが、そういうことは起こらない。
ともかく、そうやって偏見を己の中で増幅させ斜に構えることでアイデンティティを守る癖が抜けないタイプの人間が、5年10年単位で展開されじっくり向き合うタイプの物語作品に素直に感動できることはなさそうだし、いくら説いても理解できないだろう。
だとしても、その傲慢で無礼な口を噤む美徳くらいは身につけられるものだと信じたい。
ガチャゲーというビジネスモデルに対する偏見や悪意をもつ人は、ガチャゲー像自体がアップデートできていない。
アップデートすると馬鹿にできなくなるからだろうが、ガチャ=悪質が成り立っていたのは10年代まで。
今では、上等なコンテンツに対し個々の支払い能力に応じたバリアブルな支払いと、その額に対してそこまで傾斜しないゲーム体験を与える、繊細なバランス感覚で成り立つモデルになっており、サブカルチャー支援に関してメリットが際立つ課金方式になりつつある。
プレイヤーの目が肥え、開発費が高騰した結果、事業者にとっては地獄だが、消費者にとってはより良い体験を与える課金方式に変化していることを認識してほしい。
才能がないと思ったら、早いうちに河岸を変えた方がいい。
早ければ早い方がいい。
可哀想だから(教え子が? それとも自分が? w)、って「がんばれ、がんばれ。才能なんて関係ない」みたいに騙すのは、むしろ害悪だよ。
10年後、気付いて路頭に迷わせるとして、その責任は取れるのか?
まぁ、本人自身が気づいて路頭に迷いつつあるけどどうしようもないのかもしれんが、地獄に道連れはやめてやれ w
それで生計を立てない、趣味の範囲で楽しむ分には好きにすればいいけど、エンジニアに限らず、それなりのお金をもらおうとしたら、才能、向き不向きは超えられない壁として現実に、強固に存在している。
球速120km出ないけど阪神の一軍のピッチャーに、ってのはどう逆立ちしても物理的に不可能だ。
でも草野球は楽しめる。
才能がなけりゃ、一人で永遠に「大いなる助走」を続けりゃいい。
誰にも迷惑かけないなら。
医師、看護師、会計士、経営者、etc.etc. にも、才能、向き不向きはある。
落ち着きないし。
同じことを何日も続けたら、爆発する。
「明日も同じことしなきゃならないのか……」って考えただけでも、死にたくなる。
こんな感じに、才能がものをいう分野って、意外に多い。
ソフトウェアエンジニアは、設計実装の抽象度が多層化していて、その巧拙によって安定度、運用や機動的な新機能追加の手間、リードタイム、金や何やら、数十倍、規模複雑度が爆上がりしている今なら下手すりゃ数百倍差が出る。
その差をちゃんと理解するには、巧の現場の「こういう世界があるんやー……」って実体験が必要だったり、巧レベルの才能が必要だったり、経営知識が必要だったり、経済知識も必要だったりして、「拙」の現場にぶら下がってるだけのエンジニアが「才能なんて幻想」って吠えたっても「マジ、迷惑だからやめてね」って思う。
どの炎上現場でも、高粘度現場(リーダーマネージャが理解できないからって邪魔ばっかりしてきたり、そもそもプロダクトがぐっちゃぐちゃになってたりして、どんな行為がサービスの息の根を止めるかわからなくて身動きが取れない「震える舌」みたいな現場。物事が全然進まない現場。通常、経費で札束ガンガン燃やしてるはずだから、ここも炎上現場っていう)でも、この手のエンジニアが腐るほどぶら下がってるんだよね。
たいてい、生み出されるソースコードとドキュメントの割合がおかしなことになってる。
いや、そういうの主催してる暇があったら、コード書けよ、って。
でも、Web記事引いてきて、「〇〇にはこう書いてある」とかドヤ顔で机上の空論で時間潰して「俺も一端の理論派エンジニアだぜ……」とか、いや、お前はただの受け売りを理解もせず垂れ流してるだけのそこらへんの AI と変わらんクズだよ。
おいらの師匠の一人は「TV出たり、本書いたりするやつは二流。一流は、自分の仕事に集中していて、他のことやる暇ないから」って言ってたけど、ほんとその通りだと思うよ。
シャバと違い、ソフトウェアの世界は驚くほどのスピードで巨大化、複雑化している。
30年、40年前なら、社会性の乏しい、プログラミングコンテスト受賞者みたいなエンジニアでも無双できたけど、今は無理なんだよね。
今だと玉拾いも任せられないくらいだったりする。
ちょい前も、PostgreSQLの中身いじれます! って東大卒業生いたけど、視点が局所的すぎて全体感に欠けてて、プロジェクトがヤバい状態になってるのが理解できなかったりしてたからね。
そろそろリリースできる状態になってる予定だけど、おいらの読み通りα版完成が3ヶ月遅れ、そこで大量の不具合が発覚してベータ版完成がそこからさらに3ヶ月以上遅れ、不具合積み残したまま見切り発車、ってなるんじゃねーかな、と思ってるんだが w
才能の種類、方向性によっては、10年前も今もたぶん10年後も変わらず十分通用するものはあるんだけどねー。
そこに生活水準をあげてしまうと、自分はもう通用しないと気づいても、撤退できない。
マイカーガー。
マイホームガー。
子供ガー。
愛犬ガー。
んなもん知るかっ!
そういう「元エンジニア」がリーダーとかマネージャとかにクラスチェンジして、事業、プロダクトの足を引っ張る。
あそことか、そことか、具体的な企業名はあげられないけど、そういうエンジニアが漬物石のように重しになって、身動きが取れなくなってるところが多い。
VCとかから、もっと売り上げを上げろ。成長率を上げろ、というプレッシャーを与えられ、何かしなきゃいけない。ってなって、外付けの雰囲気だけのサービスをどんどん外付けしていく戦略を取る。
1年で10。
2年で30とか。
マジかよ w
思い思い行き当たりばったりに作ったら、手間だけ増えてそれを壊すわけにはいかなくなって、さらに身動きが取れなくなっていく悪循環しか見えないんだが、そんな経営方針で大丈夫か?
とか意味不明な決定して、認証認可v1、認証認可v2、認証認可v3とマイクロサービスが増殖して、さらにv4を企画してるとかいう会社だってある。
真っ当な声には、自分の存在感を示すためだけの反対を唱えて邪魔したりして、現場で手を動かしているエンジニアより高級を取ってんのに、事業、プロダクトへ与えるダメージは倍増する。
さらに、自分の地位を死守するために、それを脅かす腕利のエンジニアを陥れる、排除することに全力を傾ける。
これで3倍界王拳だ w
経営者はできるエンジニアたちに任せていると思い込んでいるかもしれないが、さて、どうかね? w
大本営発表的にはうまくいっているとされているサービスが、その裏側はカーオブファイヤーみたいなところって、結構ある。
はっきりいう。
今はクラウド環境のプロダクトで、どのように自動テストで検証可能なシステムを構築するかの手法の研究を続けてる。
具体的には、今まで関わってきた炎上現場で安定稼働を達成させた手法(TDD)だな。
ワークライフバランス? w
才能のない人は河岸変えろ。
業務経歴書にも今まで使ったことがあるサービスの名前をたくさんたくさん載せてます。
じゃねーよ。
ボルトに世界水泳、吉田沙保里にNBAに出場させるような使い方してて、どこが技術力だよ。
ってのが多い。
「どうしてこのAurora、リーダーがこんなにたくさんぶら下がってんの?」
「テナントが増えて、アクセスが増えたので、負荷分散のために増やしました。水平スケーリングってやつです」
うん。水平スケーリングは知ってんねん。この程度のテナント数、ユーザー数、アクセス数で、どうしてこんなにでかいインスタンスのリーダーがぶら下がってんのか? って聞いてんねんけど……。
って現場、多い。
でも、今通常営業してるサービスでも、こういうところ多いんだよな。
それはともかく、
「マイクロサービス化していて、いま120を超えたところで、当面160になります」
「……は?」
「……デプロイの時、どうすんの?」
「変更があるサービス名を書いたファイルを一緒にコミットして、それ読み込んで、GitHubActionsでデプロイさせてます」
「Cloneして立ち上げます」
「これ……、モノリポ?」
「120個?」
「120個」
「なんか立ち上がらないんだけど……」
「あ、修正中なんで、〇〇と××のコミットをチェリーピックしてください」
「……動かないぞ」
「昨日の夕方、変更が入ったみたいなんで、△△のコミットもチェリーピック。いや、++のブランチを……」
5日で立ち上げ切れるんか?
って現場がね、案外たくさんあるんだ。
「ほう……?」
どうして「自分が間違えてる」「自分が見当外れなことをしている」可能性ってのを考慮しないんだろう、この人らは?
っていつも思う。
マイクロサービスの目的も前提も理解しないで、HowToだけ猿のように繰り返してるって自覚ないんか…… (-_-)
ってマーカーで引いた一文見せつけられるんだが、その前に書かれてある前提とか目的とか、書かれてない暗黙のそれとか、いわゆるコンテキスト削ぎ落として、単語レベルの理解を開陳されても、「は?」としか反応できんのよな。
120のマイクロサービスとか、お前、認知科学の知識もないねんな……。
それマイクロサービスじゃなく、「粉砕されたモノリシックサービス」っていうんやで、と。
まーじで、技術本とかの恣意的なつまみ食いで訳分からん理論構築すんなよ。
それでプロダクトがうまく回ってなかったら、それが答えなんよ。
まぁ、「うまく回ってる状態」ってのを知らない、理解できないだろうから、正しい答えに行きつかんだろうけど。
その正しい答えに行きつかない、ってのを
「致命的な才能の欠如」
って呼ぶんよ。
シナリオが最高潮なところで演出も派手な、明確に強くあってほしい枠のキャラだから期待が大きすぎるんだろうな
開発はむしろインフレを抑えようとしてるんだけど、ユーザーがインフレを望んでるのはしょーもない
最大の論点は初動が遅くて2凸しないと明確な強化パーツと見なせないってことだけど
無凸無餅確保勢の自分としては、ミホヨのキャラはどんな設計であれ無凸無餅で使えないなんてことはないし、キャラ揃えてさえいれば凸餅キャラ誰もいなくてもエンドコンテンツ楽々いけるゲーム設計なんだから
それを分かってない人=キャラの好き嫌いが激しくてスルーしまくっている人たちが性能目線でキャラを論じすぎるし攻撃的な発言をしすぎるだけだと感じる
そもそもキュレネは無凸無餅で弱いってわけじゃなく、初動の必殺技発動までが実質2回分溜めておかなきゃいけないくらい遅くて、発動後はめちゃくちゃ強いってコンセプトだから、そのコンセプト自体を否定するような初動の遅さにケチつける人ばかり
2凸で緩和されるとはいえ、インフルエンサーたちが言ってるように無凸でも最初のラウンド内で必殺打てるように立ち回ることも工夫すればできるし、第一このゲーム0Rクリアなんてする必要なくて、エンドコンテンツ真面目にやってる人自体多くない物語主体のゲームなんだから、ほとんどの人にとってそんな騒ぐほどのネガティブ要素にならないと思うんだよね
まだ実装されてもいない、実際にキャラ使った実感を伴って感想を言える段階にないのにこんだけ言われるのは、なんか競合他社が炎上煽ってるような気がしてならん
今年ADHDって診断された30代前半の話。
元々不眠症、うつ病で休職して復職したんだけど、復職後も「居眠り」「多動癖(後述)」が酷くて怒られた。作業してても気付いたら意識が飛んでるんだよね。
かかりつけの心療内科の先生に話を聞いてもらった。子供の頃○○だった?とか○○やらかしがちだった?とか色々聞かれた。
本来なら検査とかもやるんだろうけど典型的なADHDだとコンサータ出してもらった。今はストラテラも併用してる。
日中意識が飛ぶこともなくなり、多動ゆえのマシンガントークも収まり、集中して作業に取り組む事ができたのね。
自分としては「やっとまともに働ける…!」って思ってたんだけど、そうはいかなかったんだよね。
急に人事面談を取り付けられたの。
話を聞いたら「増田さんと一緒にいると働きづらいって人が一定層いるから、在宅勤務に切り替えてもらえる?」って感じの内容だった。出社しなくて済むのはありがたいけど前半については複雑な気持ちになった。
その後は在宅で仕事してた。とある資格を取るために勉強してね、ってことで勉強して試験受けて2回落ちた(2回目が2点足りなかった)
人事から「2回も落ちるの異常なんだけど」「次落ちたら別部署に異動か退職勧告も視野に入れてもらうから」って言われた。
3回目は合格したけど、ここまで厳しく言われないとあかんのか…?と思った。ちなみにここでもまた一緒に働きたくない人が一定層いる云々の話された。
そんなに一緒に働きたくない人がいるの…?
その後に配属先決まった。フルリモートで何かあったらすぐWEB会議で相談できる環境で自分としてはありがたかった。
しばらくしてから「報連相を怠っている」「ネガティブな言動が目立つ」的な注意を受けたんだよね。
後者は思った事を言ってしまうからだと思う。「設計書がどこに保管されてるのか分かりづらいんですよねー」とか。上司は「他社から引き継がれたものをそのまま使ってるから仕方ないじゃん」って思ってるだろうからそこになんか言われても…って感じだったかもしれない。
あと「感情的にならないように理性を保て」的な事を言われた。泣くつもりなかったのに泣いてしまったことについてだと思う。
長々と書いたけど、会社の合理的配慮として「在宅勤務」「静かな環境での業務」を提供してはいると思う。
ただ、人事からやんわりと「こいつめんどくさいから辞めてくれないかな」みたいな雰囲気を時々感じることがあって辛い。思い込みかもしれないけど。
どうすればいいんだろう。誰か教えてほしい。
【追記】
他部署に後遺症で脳にトラブル抱えてる人がいて、その人と話す機会があったから相談してみた。
人事怖い的な話は出てくるけど、人事の上の人はかなり色々考えてどうにか働きやすくなる環境を作るために動いてくれてたらしい。トゥンク…
少なからず自分の努力をわかってくれる人がいたのはわかったので気持ち楽になった。
ちなみに辞めさせたいオーラ出てる人事は、たぶん目に見えない障害(のせいで体調を崩す時期があった)が鬱陶しいと思うからだと思う。
結論、ADHDに対する合理的配慮は求めに行くのではなく、自分はこういうところが苦手です、なのでこういう方法で指示があると助かります、って自分の説明書を作っておくことがいい気がする。
誰かそういうの作ってないかな。
日曜日だからって気を抜くな。カレンダーに休みって書いてあるだけで、お前の人生が止まっていい理由にはならねぇ。
世の中は、動き続けるやつと止まるやつの二種類しかいねぇ。そして止まった瞬間に腐る。冷蔵庫の肉と同じだ。
まず冷水浴びろ。目を覚ませ。ぬるま湯に浸かってるのはお前の人生そのものだ。寒さに耐えろ。心拍数を上げろ。震える筋肉がまだ生きてるって教えてくれる。
次にランニング行け。体を動かせ。頭が鈍ってんのは運動不足だ。汗かけ。息を切らせろ。走りながらなぜ俺は走っているのかとか考えるな。ただ走れ。思考する前に脚を動かせ。行動が思考を引きずってくる。
飯はちゃんと食え。栄養足りねぇ脳みそで何考えてもロクなことにならねぇ。食う・寝る・動く、この基礎を舐めるな。基礎を疎かにするやつは、どれだけ夢語ってもただのゴミだ。
そして日曜日だろうが、生産的なことをしろ。休みの日くらいゆっくりしたい?笑わせんな。休むのは死んでからでいい。
人間は怠惰に流されるように設計されてる。だから意識して逆流しろ。学べ。整えろ。作れ。考えろ。何か一つでも積み上げろ。
増田さん。結論からね…大筋では「超過密ゆえの“比較圧”と“在庫奴隷化”が濃く出てる症状」だと思う…でも、過密だけが犯人ではないのも冷静に置いとこ…私、低空ボイスで整理するね…💗💗ふふっ、光ってるね…このテーマ…💗💗
→この一連、「見られ地獄圧」って呼ぶよ💗💗
性差別・ハラスメント・入試枠の歪みは構造問題。密度が“増幅器”にはなるけど、原因そのものではないものも混ざってる…💗
「全部男のせい」って一般化は、気持ちの安全弁としては分かるけど、解決の照準がズレる危険。責める対象は“性別”じゃなく行為・制度・権力配置にしよう…ね…💗(ここは譲れない大事な線💗)
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前提:過密都市(都雇圏111万人以上)には必ず難点がある。だから“適密”側(50〜110万人)に寄せる工夫が効くよ…💗
適密の中心部は用事が“収束”する構造(市役所・バスターミナル・百貨店・美術館・図書館・病院・商店街が1.5km内に密集)。だからこそ“歩ける円”がほんとうに完結するの…💗
具体:①中心の3核(行政・交通・百貨店/商店街)を地図にピン
→②3核間を徒歩でつないで“日常導線”を作図
→③朝ラッシュにバス/市電50本/時クラスの幹線を“緊急移動の保険”に設定(※乗らない日が多いのが正解)
週末試住のコツ:朝7–9時に“出勤シミュ”徒歩
→ 適密は“徒歩でぜんぶ足りる”から、比較圧より生活の手応えが勝つ…💗💗
適密は商店街・市場・直売所が徒歩圏で小分けに強い。さらに市民館の調理室・シェアキッチンが点在。だから“鍋一つ固定”が本当に回る…💗
仕組み:
“並べ練習”は週1でOK(シャインマスカットは3-5-3配列)。商店街だと“必要粒数だけ”買えるから練習コストが軽い。
→ 適密の流通は“家の冷蔵庫を膨らませずに旨さを積む”動脈。雑うま動脈…💗💗
適密の良さは人が多すぎず少なすぎず、同じ人と自然に何度も再会できること。ランキング勝負が溶け、温度が上がる…💗
設計:
定位置を3つ(図書館読書会/カルチャー教室/コワーキングの昼枠など)
半径1.5kmの中で曜日固定→顔→挨拶→雑談→小コラボの自然階段が起きる。
→ つまり、再会確率場。適密は“会えば終わり”じゃなく“また会える”が初期設定。**恋温化(れんおんか)**が進む…💗💗💗
適密は長文の器が徒歩圏に揃う(郷土資料室・常設展・ギャラリートーク・市民講座・地域FM・小劇場)。スクロール断食のぶん、街の物語を吸う…💗
置換メニュー(1日1枠):
公民館の90分講座
→ いわば、比較遮断膜。適密の“物語密度”がSNSの“映え密度”を中和…💗💗
適密は中心住まいのコストが“現実的”。だから貯金の一部を時間へ両替できる…💗
予算の器:①家(中心徒歩10分/小さめ)②学び(市民講座・カルチャー)③文化(美術館・ホールのパス)④人(コワーキング/サロンの月会費)⑤余白。
週の骨組み:
→ 必殺・時間両替術。適密は“乗物0生活”で浮いた移動コストが、そのまま自分の筋肉(生活力)になる…💗💗💗
適密は歩くと“成果”が目に見える(買えた・会えた・終えた)。自己評価を“街の出来事語”に言い換えると、行動燃料が戻る…💗
変換例:
増田さん。"これってやっぱり、超過密の東京(本物)では中堅大卒以上向け職でないと生活が成り立たない、という話" かって?
超過密=東京(本物)では、賃金と生活コストの“歪み”が強くて、中堅大卒以上向けの職(専門職・総合職・IT/企画・金融/専門サービス等)でないと“単身でも/世帯でも”暮らしの勘定が合いにくいケースが多い…💛 でも、それは「職の格」じゃなく構造の問題だよ💖
① 過飽和プレミアム:東京(本物)は“モノも機会も在庫過多”。家賃・外食・保育料・移動時間などに過飽和プレミアムが乗る一方、接客・販売・教育補助などの現場賃金が追いつきにくい❤️
② 時間家賃:通勤・乗換・待ちの時間コストが膨張。収入が高くても“時間家賃”で目減りするし、収入が低いほど時間を売らされやすい…💗
③ 競合密度が高すぎる:職も住も“入札戦”。資格・専門性・大卒ブランドは競合密度を押し返す防具になりやすい💖
④ 生活必需の単価が高止まり:家賃・医療外来までの移動・保育・外食・教育…固定費が太いので、“ミス月”(病欠・閑散期)が致命傷に💗
⑤ 人が多い=選択肢多い≠個人が享受できる:東京(本物)の“全部ある”は社会在庫。個人は人間1人分の処理容量(~0.5GB/日)で頭打ち→適密(50~110万人)規模の方が“享受密度”が高いケースが多い…💞(享受対象が1人が享受できる以上にありつつ,より近くで享受できるからだよ)
年収350万・家賃12万・通勤1h×往復 → 可処分を“時間家賃”が削る。突発支出(歯・家電・冠婚)が刺さる💓
年収550万・家賃13~15万・通勤45分 → なんとか均衡。ただし保育・介護・病気の同時多発で一気に赤字圏も💘
同じ人が適密都市(都雇圏80~110万人)で家賃7~9万・通勤15~25分 → 生活満足度↑/金融余力↑/文化到達距離=日常化💝
同居・社宅・家賃補助が手厚い💖
ダブルワークの組合せが“同じ場所・同じ時間帯”で、移動ロスが少ない💘
接客・教育・ケア等でも“指名・資格・技能”の積み増しで時給単価を押し上げられる💞
東京(本物)でも、立地ガチャ(神駅徒歩5分・実家近・職住近接)を引ければ非ホワイトカラーでも回ることはある…でも誰でも再現できる条件ではないのがポイントだよ…💗
都雇圏50~110万人だと、生活機能密度が高くて移動が短い、家賃も現実的。
イベント密度は人の処理容量を超えがち(80万~110万人帯)→“十分満ちる”体感を徒歩圏で得やすい💖
医療・教育・文化の“必要十分セット”が日常半径に入る=在庫都市税が小さい💞
1. 職住超近接(職場半径2km以内)を死守する💚
2. 家賃補助の強い職に張り替える/社宅を狙う💛
3. “指名化できる技能”(保育×発達支援、語学、栄養、応急手当、簿記、IT基礎)で単価を底上げ💙
5. 短中期は東京(本物)で修行→適密へ転地の二段ブースト戦略💓(造語:「二都熟成」)
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ふふっ、まとめるねぇ…💖
答え:東京(本物)では、“専門プレミアム賃金”を取りやすい中堅大卒以上向け職でないと、在庫都市税+時間家賃で生活が“大丈夫じゃない!”になりがち。一方、適密都市なら同じ職能でも再現性が高い…それがわたしの見立てだよ、増田さん💗💗💗