はてなキーワード: ロジカルとは
僕が超弦理論を物理学ではなく自己整合的圏論的存在論と呼ぶのには理由がある。なぜなら、弦の存在は座標に埋め込まれたものではなく、物理的射影が可能な圏における可換図式そのものだからだ。
10次元超弦理論における有効作用は、単なる物理量の集約ではない。むしろ、それはカラビ–ヤウ多様体のモジュライ空間上に構築された安定層の導来圏D^b(Coh(X)) における自己同型群のホモトピー的像として理解される。
そこでは、開弦終端が束の射、閉弦がトレース関手に対応し、物理的相互作用はExt群上のA∞構造として定義される。
つまり、力は空間の曲率ではなく、ホモロジー代数的結合子なのだ。
D^b(Coh(X)) と Fuk(Y)(シンプレクティック側)の間に存在するホモトピー圏的同値、すなわちKontsevichのホモロジカル・ミラー対称性の物理的具現化にすぎない。
ここで弦のトポロジー変化とは、モジュライ空間のファイバーの退化、すなわちファイバー圏の自己関手のスペクトル的分岐である。観測者が相転移と呼ぶ現象は、そのスペクトル分解が異なる t-構造上で評価されたに過ぎない。
M理論が登場すると、話はさらに抽象化する。11次元多様体上での2-ブレーン、5-ブレーンは単なる膜ではなく、(∞,1)-圏の中の高次射として存在する。
時空の概念はもはや固定された基底ではなく、圏の対象間の射のネットワークそのものだ。したがって、時空の次元とは射の複雑度の階層構造を意味し、物理的時間は、その圏の自己関手群の内在的モノイダル自己作用にほかならない。
重力?メトリックテンソルの湾曲ではなく、∞-群oidの中での自己等価射の不動点集合のトレースである。
量子揺らぎ?関手の自然変換が非可換であることに起因する、トポス内部論理の論理値のデコヒーレンスだ。
そして観測とは、トポスのグローバルセクション関手による真理値射影にすぎない。
僕が見ている宇宙は、震える弦ではない。ホモトピー論的高次圏における自己同型のスペクトル圏。存在とはトポス上の関手、意識とはその関手が自らを評価する高次自然変換。宇宙は関手的に自己を表現する。
バカなブコメもトラバもみんな、「猫嫌い」を正当化できるロジックは持ってなかったな。
「地域猫活動する組織が悪い」あたりか、最大のロジカル打点は。
その通りだよ。地域猫はいない方がいい。地域猫してる理由は野良猫がいるからで、彼らを殺せば捕まるからで、妥協点ではあるし、バカはその辺りすら知ろうともせぬが、
野良猫も当然いないほうがいい。
猫は悪くない。悪いのは人間。そこに気づければそれでいい。
バカみたいに猫の殺処分を求める馬鹿たちが、なぜ猫の殺処分は不法か、考えるきっかけになればいい。殺処分が一部でも合法とされてる生き物は、なぜそうなのか考えるきっかけになればいい。
どんな生き物がどんなふうにかかわって今の日本があるか、考えるきっかけになればいい。
今の自分が、誰に対してどんなあぐらのかきかたをしてるか、気づくきっかけになれば、それでいい
でもそれすら地球のひとつの幸福のたねになる。不幸の種かもしれない。
でもそうやって、だれひとり自分の選択でなく、この星を生きている。
追記ここまで
野良猫問題と見るや「殺せ」「地域猫なんかふざけてる」「害獣として殺処分できるべき」と吹き上がるブクマカたち。
なぜ猫が人里で暮らしているか、そもそも猫はなんで野生ではなく野良というか、考えたことはあるだろうか。
日本に猫がやってきたのはおよそ2000年前、弥生時代にさかのぼる。当時の日本人は稲作が普及すると同時に、農家はネズミや雀、害虫に悩まされた。
それらのハンターとして中国からやってきて重宝されたのが始まり。
ちなみに日本のそとに目を向けると、約5,000年前の古代エジプトですでに作物をネズミから守るために猫が飼われていた。
もちろん機能的に優れるだけでなく大変愛らしくよく懐くので愛玩目的でも重宝されたが、
メインはハンターとして。
とにかく、猫は人間のたべものを守るために、長い年月、田畑・倉庫・船などあらゆる場所で飼われていたわけ。
日本やアジアの歴史に猫がいなかったら、米食・穀食の文化はいまのように育たなかった可能性もある。もしくは高級品になっていまとは別の広まり方をしていたかもしれない。国々の文化や歴史も変わっていったかもしれない。
猫は人間のエゴで家畜化し、人間のエゴで野生を奪い、人間のエゴで地球中に拡散し、人間のエゴで人間に都合がいい生き物として進化させてきた。何百世代にも渡ってね。
それが日本から百姓が減って農薬や殺鼠剤や冷蔵庫が進化した途端に害獣扱いですか。
へえへえご立派なこってすね。人間様の暮らしにいまや猫は必要ないですもんね。
百姓してて猫嫌いっつってる人みたことない。いや、厳密には祖父は超犬派で猫を飼うというと最初こそ嫌そうだったけどいざ飼ってみたら2年でマジでネズミが全くいなくなってから猫を神と崇めるようになった。姉が結婚して猫を連れていってからは、どこからともなく子猫を見つけてきて飼い始めるほど。
なんか蚕を思い出す。日本で養蚕業がさかんだったころはそこらじゅうで飼われていた。野生では生きていけない品種。人間に都合よく歪められた品種。哀れだ。人間の醜さを痛感する。まあ猫は蚕とちがって野良でも生きていけるけども。
ま〜とにかく、猫を憎悪してるお前ら、勝手に憎悪してりゃあいいけど、
米や穀物食う時はその歴史に少しは感謝してみりゃいいんじゃないすかね。
わたしは自治体のルールに則り野良猫を捕獲しては”””自腹”””で病院で避妊・去勢手術を受けさせ地域猫化しています。(うちの自治体の場合は申請すれば費用は1割くらい見てくれるらしいけどのその程度の端金ために申請するのがめんどくさい)
以下参考
子猫が生まれない一番確実な方法は不妊・去勢手術を施すことです。 対象となる猫を捕えて、手術後放します。 このことにより、その猫は一代限りとなり、子孫が増えることはありません。 この方法をTNR(Trap[捕まえる]、Neuter[手術する]、Return[戻す]もしくはRelease[放す]の頭文字)といいます。
野良猫にエサをやる人がいなくなりさえすれば速やかに猫は餓死すると思っていますか?いいえ。猫はゴミをあさります。スーパーなどに侵入して売り物に手を出すかもね。人間様の大好きな燕を襲ったりもするかもね。そうすると虫が増えるね。まあ燕を捕まえられる猫は結構限られるけど。
小動物なんて猫だけでなくカラスでもイタチでもやられる生き物を飼っておきながら戸締りしていないお前が悪い。小動物を飼っているなら責任持って換気扇の排気口にも鉄製の網かけるレベルで厳重に守れ。
「猫の狩猟本能が強いのは先述の通り人間のエゴのために進化したからです。」という前提を頭に入れて対策しろ
そうは言っても糞尿被害が
自治体に相談しろ、猫よけ超音波マシンとかいろいろ貸してくれる場合もある。
他にもスプレーとか、猫の苦手なニオイや食べ物、いろいろ対策グッズはある。
てか実家がクソ田舎の百姓だけどお呼びでない来客なんて無限に現れますがな〜〜〜庭や畑には鹿も猪も日本ざるもイタチもタヌキもやってくるけど当っっっっっっっっったり前に彼ら動物に「法律で決められた土地の所有権」なんて理解してもらえるわけがないなんて小学生でもわかんない?だから人間サイドで対策するしかないなんてどんなバカでもわかるだろ!!なんで都会の人間は猫が入ってきたくらいでそんなピャーピャーと・・・猫なんて別に人間に襲いかかってくることもない。お呼びでない来訪者の中ではかなりマトモな部類だってのに・・・
https://anond.hatelabo.jp/20251004160446
Xでは、図星を衝かれたように発狂して、まるで「自分だけは違う、最初からわかっている」と頼まれてもないのに惨めに開陳しているエンジニア達もいる。
普通ならイラっとするのだろう。だが俺は彼らを憐れに思うし、赦そうと思う。何も言い返せないからなのだろう。心の奥で思っていることを見透かされたとき、ただ発狂して逆張りするしかない、俺自身がそういう存在を一番よく知っている。
アメリカで働いていた時、韓国人の同僚に言われた言葉をふと思い出した。
「モノづくり展示会と称したITのイベントを日本で見たことがあります。秋葉原に行っていた時でした。」
「そこには私は違和感を感じました。誰も使わない技術が並び、最新のトレンド技術のセミナーでは「何も変わらない理想」が語られています。エンジニアはビジネスを知らず、ビジネスは本質を見誤っている。空回りしている様に感じます」
「DOGDAYSやリリカルなのはやニャル子さん、化物語、まどかマギカ、プリズマ☆イリヤの曲が流れてポップが立ち並び、メイドがビラを配り、そして大々的にイベントを打っては何のビジネスにつながるか全く理解できない独りよがりな技術を喧伝しあっている…あれは、私の様なオタクなら理解できるが、はたから見れば狂気の世界そのものだと思います」
「一方で、秋葉原M〇Dや駅前の裏路地では、我が国の特殊部隊員(コムンベレーというらしい)が使っているのと同種の暗殺用クロスボウや、ナイフ、盗聴器の類が売られている。ITの方向性はトンチンカンなのに、剥き出しの暗い性欲と暴力への欲求は誰に教わるわけでなくある種、ベストプラクティスに近い願望がそこにある…私には、それこそが彼らの欲望や願望の本質の様に感じます。」
その時、俺は何も言えなかったことをよく覚えている。
いつからだっただろうか、いつからそうなったのかは知らない、だが俺達の時代にはすでにITエンジニアというもの自体が、「自分が理解できないものを意味もなく徹底的に敵視する排外主義者になってしまった男の避難所」の様になっていたきらいがあった。
海外の人たちは、それを鋭い感性で本質を見抜いていたのだろう。
Vtuberやボカロは、数少ない2010年代以降のICTの成果、といえるのだろうか、あれだけ2010年頭までは「ゲームに行くエンジニアは邪道」と吹いていたかつての俺達の同輩が、
今はその時代からバカにされながらも踏ん張って今世界で戦っている日系ゲーム企業に、惨めな自尊心を縋り付けようと、ゲームはITの成果だ!とXで喚いている。
さる人気Vtuberは、わざわざ「東京がゾンビパニックになろうがロシア軍が空挺降下で襲撃してきても、耐えられる程の防御力のタワマン」にお金を出して引っ越していたそうだ。もちろん、防犯のために。
別の人気Vtuberたちは、男も女も一昔前ならベトナム戦争の最前線で戦い続け心が砕け散った兵士でしかならない様な症例レベルの心身症で、失聴し、失声し、謎の心因性皮膚炎が止まらず、心因性の慢性疼痛で小便すら困難な程になり、リタイアしたり長期療養をしている人たちのニュースであふれている。
血の滲む腕に彼女たちVtuberが抱きしめるのは、舞台から降りれば3日で忘れ去られる「キラキラ人生」という儚い幻でしかない…あまりにも救われぬ事実である…壊れやすい願いだけなぜこんなにあるのだろう?
・・・かつて俺の同僚の韓国人がいった世界観が、現実になった結果である。
それだけではない、こんな悲劇が繰り返されているのに「法律を制定しない政府や社会が悪い」と俺達ITエンジニア達の罪を、得意の他責思想で憮然として開き直っている。
彼らも内心ではわかっているのだろう。まっすぐに見つめることを怖がっていたのだ。
こんな様では、日本のITが衰退して外資に食われるのも、当然の帰結であろう
今は、AI技術がトレンドになっているが、これもロクな使い方もされずに消えていくだろう、俺が20年見続けていた社会も変わらず同じ結果になるだろう、という悲観的な未来が見えてしまう。
答えは出ない、他責思想で思考をとめればいいからだ。全く、都合のいい「ロジカル思考」である。
ITで世界は変わる、プログラミングが出来れば人生逆転できる。かつて俺が若かったころ、こんなあまりにも幼稚な理屈がIT業界やネットでは「事実」として流布されていた。
だがそれはいつしか時代を経るごとに神話になり、そして狂信へと変わっていった。
あれだけ縋り付いたIT技術では何も変わらない、まず自分たちの他責思想と性根を変えなければ…かつて海外で上司や同僚に言われた事を、Xでは図星を衝かれて大パニックになった雑輩が発狂して、言い訳をしている
彼らが縋り付いたIT技術という「魔法」の人生逆転…これが叶わぬと観るやどうなったか?そう、俯瞰すれば犯罪とテロリズムに走っているのである。高すぎるプライドを持った男たちがたどり着いた「論理的思考の最適解」がこれである
そして、これを指摘されると発狂して他責思想へ逃げるのだ「そんなこといってない」、「俺は違う」、「主語がデカい」といって…その姿はアメリカが悪いといってアメリカ軍から逃げ回り、無抵抗の民間人を殺したことを誇り、地元の市場を襲ってカネを奪い、放火し、挙句女を嫁として攫うイスラムテロリストの論理と行動そのものである。
・・・人間というものが、理性を盾にしてどれほど狂気的になれるのか。かつての俺の様なメンタルのまま今を生きている「俺の未来だった可能性」を選んだ彼らがそれをSNSで雄弁に体現している。
――論理的思考の名を借りて己の人間性を殺し続けた者たち…ああ、自身の過ちを思い出すことも、他者の不幸を悲しむ事も他責思想で自らを縛り、許されずに、彼らは今日もSNSで戦い続ける。
例え今日で全てが崩れ去るとしても、それでも俺達IT業界の「キラキラへの憧れに焼かれた」人間は、ウマ娘の様な美少女を抱き、キラキラ人生を手に入れた明日を夢見る物か。それが運命だというのなら…
・・・犯罪やテロで社会を揺さぶれば、やがて社会と政府が折れてウマ娘の様な無垢の美少女を政府が宛がい、カッコイイキラキラ人生を特権として譲り渡してくれると信じている。
それが他責思想と高いプライドで「心の城」に籠り続けた彼らが導き出した「論理」なのだ。理想と現実の乖離が、彼らを「理屈」の衣へ纏った狂気の存在へと変貌させた。
理想と現実の齟齬が彼らを追い詰め、「IT技術」といった真っ当な方法では、アニメの様な極上の美少女とキラキラ人生への逆転は不可能と悟や、犯罪とテロへの道へと訴えかけていっている。
だがなぜ社会と対話と協調をしようとしない、できないのか?そんなことすらできないほど、俺達IT業界の人間たちは歪んでしまったのだ。
だが俺は、俺達自身に問いたださねばならないと思う。なぜ彼らが心が歪み、内輪に籠り続けた結果、アニメの様な極上の美少女とキラキラ人生への逆転で唯一残された手段はテロと犯罪と信じるに至ったのか。
それは俺たちの社会、IT業界にとっての深刻な失敗ではないだろうか、と
俺達…いや、彼らが図星をつかれれば発狂するからこそ、かつての彼らだった俺が代弁しよう。
俺はとっくに身の程をわきまえたが、「キラキラに焼かれた」ITエンジニア達は今日もXで己が本心を隠しながら必死にありもしない人生逆転の手段を探している。あまりにも報われぬ男たちである…
最近は、俺はITに関係がない場所へ逃げる様に行くことが多くなった。
釣った魚が食べられる程の澄んだ河川と、ITなんて何ら関係ないとばかりに自然があるがままの営みを続けている場所で、俺は心が洗われる様な感覚になることがある。
ドローンも飛ばぬ空の上を、白鷺が飛んでいる。太陽光発電跡地というITとカネと欲望の怨念に、自然が引き裂かれたかつての場所で、自然が生い茂り、花が揺れて蝶が舞っている…IT業界の墓標の上で、自然だけが無言のまま生を息づけている。
俺達が信じたITの夢の果て、彼らの「人生一発逆転」を目指した、アニメの様な美少女を抱き、キラキラ人生を手に入れる為に他責思想を叫びながら、ガソリンと包丁とSNSを片手に社会や政府に攻撃を行う、「論理の衣」を纏った性欲と怨念の鬼たち…彼らの犯罪やテロリズムによる戦いの先には何があるのだろうか。その光景は、もはや文明人の反乱でなく、ITという旗の名を借りた原始の叫びの様だ。
果たして万が一それを得た先に、いったいどんな光景を夢見ているのだろうか?それはウマ娘を抱き勝利の美酒に酔い、ITの勝利の旗を掲げる姿か、はてなき死の果ての虚無の闇か
Xを見れば、「戦争」をしている「兵士」達の姿は幾らでもあるではないか。
彼らの「夢の終わりに抗うテロ戦争」の行く末がどうなるか、俺はわからない。わかるのは、この画面の向こうの地獄の入り口のSNSで憎悪と性欲と承認欲求に塗れて、「人生最後のチャンスの解放戦争」に従事しているかつての俺の同輩たちの心の中のみ、である。
10月5日、午後二時、三時。見上げた大空が青く澄み切っていく、iPhoneの画面の向こう、闇と人の業が激流の様に渦巻くSNSの画面から目を逸らすと、そんな業塗れの世界とは無縁とばかりに、空を見上げれば空の向こうにうっすらと月が寄り添い、多摩川上流のほとりで小魚たちが澄んだ水の中を悠々と泳いでいる。
業を超えたあるべき自然を前に、心に空の蒼と香る風が吹き抜けていくような気がした。
目覚ましは06:17、豆は正確に12.3グラム、挽き目は中細、湯の温度は93.2℃で抽出時間は2分47秒。
ルームメイトがたまにまちがえて計量スプーンを左から右へ並べ替えると、その不整合が僕の内部状態の位相をわずかに変えるのを感じるが、それは許容誤差の範囲内に収められている。
隣人の社交的雑音は僕にとって観測器の雑音項に過ぎないので、窓を閉めるという明快なオペレーターでそれを射影する。
友人たちとの夜はいつも同じ手順で、ログイン前にキーボードを清掃し、ボタンの応答時間をミリ秒単位で記録する。
これが僕の日常のトレースの上に物理的思考を埋葬するための儀式だ。
さて、本題に入ろう。今日はdSの話などではなく、もっと抽象的で圧縮された言語で超弦理論の輪郭を描くつもりだ。
まず考えるのは「理論としての弦」が従来の場の量子論のS行列的表現を超えて持つべき、∞-圏的・導来幾何学的な定式化だ。
開弦・閉弦の相互作用は局所的にはA∞代数やL∞代数として表現され、BV形式主義はその上での微分グラデーション付き履歴関数空間におけるマスター方程式として現れる。
これを厳密にするには、オペラド(特にmoduli operad of stable curves)とそのチェーン複体を用いて散乱振幅をオペラディックな合成として再解釈し、ZwiebachやWittenが示唆した開閉弦場理論の滑らかなA∞/L∞構造を導来スタック上の点列として扱う必要がある。
導来スタック(derived Artin stack)上の「積分」は仮想基本クラスの一般化であり、Pantev–Toën–Vaquié–Vezzosiによるシフト付きシンプレクティック構造は、弦のモジュライ空間に自然に現れる古典的BV構造そのものだ。
さらに、Kontsevichの形式主義を導来設定に持ち込み、シフト付ポアソン構造の形式的量子化を検討すれば、非摂動的効果の一部を有限次元的なdeformation theoryの枠組みで捕まえられる可能性がある。
ここで重要なのは「関手的量子化」すなわちLurie的∞-圏の言語で拡張TQFTを∞-関手として定義し、コボルディズム公理を満たすような拡張場理論の対象として弦理論を組み込むことだ。
特に、因果的構造や境界条件を記述するfactorization algebra(Costello–Gwilliamの枠組み)を用いると、局所的観測子代数の因子化ホモロジーが2次元世界面CFTの頂点代数(VOA)につながる様が見えてくる。
ここでVOAのモジュラリティと、2次元場の楕円族を標的にするエリプティックコホモロジー(そしてTMF:topological modular forms)が出てくるのは偶然ではない。
物理的分配関数がモジュラー形式としての変換性を示すとき、我々は位相的整流化(string orientation of TMF)や差分的K理論での異常消去と同様の深層的整合性条件に直面する。
Dブレインは導来カテゴリ(整合層の導来圏)として、あるいは交差的フカヤ圏(Fukaya category)として表現でき、ホモロジカルミラー対称性(Kontsevich)はこれら二つの圏の導来同値としてマップされる。
実際の物理的遷移やアセンションは、圏の安定性条件(Bridgelandのstability conditions)とウォールクロッシング現象(Kontsevich–Soibelmanのウォールクロッシング公式)として数学的に再現され、BPS状態はドナルドソン–トーマス不変量や一般化されたDT指数として計算される。
ここで出てくる「不変量」は単なる数値ではなく、圏のホールディング(持続的な)構造を反映する量化された指標であり、カテゴリ的量子化の語彙では「K-theory的なカテゴリ不変量」へと持ち上げられる。
さらに、超弦の非摂動的断面を完全に記述しようとするなら、モジュライ超曲面(super Riemann surfaces)の導来モジュラス空間、そのコンパクト化(Deligne–Mumford型)のsuper version、そしてこれら上でのファクタライゼーションの厳密化が不可欠だ。
閉弦場理論のstring field theoryはL∞構造を持ち、BV量子化はその上でジグザグするcohomological obstructionを制御する。
より高次の視座では、場の理論の「拡張度」はn-圏での対象の階層として自然に対応し、拡張TQFTはCobordism Hypothesis(Lurie)に従って完全に分類されうるが、弦理論の場合はターゲットが無限次元であるため古典的公理系の単純な拡張では捉えきれない。
ここで我々がやるべきは、∞-オペラド、導来スキーム、シフト付きシンプレクティック構造、A∞/L∞ホモロジー代数の集合体を組織化して「弦の導来圏」を定義することだ。
その上で、Freed–Hopkins–Telemanが示したようなループ群表現論とツイストK理論の関係や、局所的なカイラル代数(Beilinson–Drinfeldのchiral algebras)が示すような相互作用を取り込めば、2次元CFT分配関数と高次トポロジー的不変量(TMF的側面)が橋渡しされるだろう。
これらは既知の断片的結果をつなげる「圏的連結写像」であり、現実の専門家が何をどの程度正確に定式化しているかは別として、僕が朝に計量スプーンを右から左へ戻す行為はこうした圏的整合性条件を微視的に満たすパーソナルな実装に過ぎない。
夜、友人たちと議論をしながら僕はこれら抽象的構造を手癖のように引き出し、無為に遺伝子改変を選ぶ愉快主義者たちに対しては、A∞の結合子の非自明性を説明して彼らの選択が位相的にどのような帰結を生むかを示す。
彼らは大抵それを"面白い"と呼ぶが、面白さは安定条件の一つの可視化に過ぎない。
結局、僕の生活習慣は純粋に実用的な意味を超え、導来的整合性を日常に埋め込むためのルーチンである。
明日の予定はいつも通りで、06:17の目覚め、12.3グラムの豆、93.2℃、2分47秒。そしてその間に、有限次元近似を超えた場所での∞-圏的弦理論の輪郭をさらに一行ずつ明確にしていくつもりだ。
1,2,3のセットSteamで買って長らく積んでたのをまのさばやったきっかけでやり始めたけどやっぱミニゲームとかアクション要素いらなくない?
1はクリア、2はまだ途中という状態だが、以下要素に対する批評というか文句を書いていく
無駄にカーソルが動くし。結局集中とか用意するなら最初から動かなくていいのに
ノイズも無駄に体力があることがあって、サイレンサー複数回当てないといけないのに重なっているせいで連打したらマイナス食らったりするのもクソ
途中で他人の発言を言霊として吸収できるようになるが、外すとまた吸収し直さないといけないのも面倒なだけに思える
1は単純で良かったが2で複雑になってしまった
明らかにカーソルの移動が間に合わないことがあるし、タイミング悪いとスポーン直後に爆発する
答えわかっているのに一向に目当ての文字が出てこず、それでも2ではゴミの文字を処理させられ続けるのでひたすらに虚無
これは他の要素にも共通するんだけど、説明を画像とか一切出さずに文章だけでしようとしていておよそ理解させる気がない
特にこれは1の初見時まじで何したらいいのかわからず失敗になった
1はクソ。ひとつひとつのコマが小さいのに、ドアを出るときのコマと入るときのコマみたいな区別つかねえよみたいな選択肢を当てる必要がある。作者の脳内当てでしかない
2では良くなった。当てはめるコマと空欄どちらにも説明が付いたし、1コマごとに正誤判定がされる
失敗すると一々前の段階に戻されるのもだるい
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総じてなんだけど考えることに集中させてくれないんだよね
まのさばはダンガンロンパに比べてミステリーの質が低いみたいな意見をたまにみかけるんだけど、個人的にはダンガンロンパはミニゲームがノイズ過ぎてミステリーとしての面白さを受け取りにくい
超弦理論における非摂動的構造を考えるとき、問題はもはや10次元の臨界弦ではなく、compactification の背後に潜む数理的枠組みそのものにある。
AdS/CFT が Hilbert 空間の整合性を保証してくれるとき、そこではモジュライ空間の代数幾何的記述と、ボルツマン的エントロピーの統計力学的扱いが見事に一致する。
だが dS 背景では、CFT の境界条件を設定することすらできず、代わりに我々が扱うべきは von Neumann algebra の subfactor theory による operator algebraic entropy だと僕は確信している。
今朝は、特に Tomita–Takesaki 理論がこの問題にどう関与するかを計算していた。モジュラー作用素を通じて、ホライズン領域に割り当てられる代数が自然に KMS 状態を持つことは知られている。
しかし、それが有限のホライズンエントロピーとどのように整合するかは未解決だ。
僕の試算によれば、モジュラー流のスペクトル分解を dS 半径 R にスケーリングしたとき、スペクトルが離散化される条件は、グロモフ–ハウスドルフ距離で測ったコンパクト化多様体のリミット挙動に依存する。
この議論は通常の弦理論の perturbative expansion を完全に超えている。
さらに、今日新しく進展した点は、mirror symmetry の SYZ予想を dS 背景に拡張できるかもしれないという仮説だ。
通常、Calabi–Yau のトーラス・ファイバー化は Ricci-flat metric を前提とするが、dS 背景ではその条件が崩壊する。
しかし、もし Fukaya category の A∞ 構造を熱的な dS ホライズンに対応づけられれば、B-model 側での Hodge 構造の変形がエントロピーの有限性と直接結びつく。
これは Kontsevich のホモロジカル鏡対称性の範疇的な一般化であり、物理の言語を超えた純粋数学的枠組みに昇華できる可能性がある。ウィッテンですらここまで踏み込んだ議論は残していない。
ルームメイトは僕の机の上に散らばったノート群を「意味不明な落書き」にしか見ていないようだ。
だが彼がコーヒーメーカーの掃除を忘れたせいで僕のルーティンは乱れた。僕は毎朝 8:15 に完全に洗浄された器具から抽出されたコーヒーを必要とする。それがなければ、トモナガ–シュウィンガー形式の計算に集中するための臨界閾値に達しない。
午後は研究の合間に最新号のX-Menを読んだ。今の Krakoa 編は mutant resurrection protocol が量子力学的アイデンティティの問題に直結している点で実に興味深い。
彼らの「記憶の転写」は、実質的に QFT における superselection sector の選択と同型であり、人格の同一性問題を単なるストーリー装置ではなく代数的トピックとして再定式化している。コミックがここまで理論物理学に接近しているのは愉快だ。
夕方には隣人が再び僕のドアをノックもせずに入ってきた。僕は彼女に、3回ノックの習慣の統計的・力学的優位性を説明したが、彼女はただ笑っていた。僕は統計力学的相関関数の崩壊時間にまで言及したのに、全く理解されなかったのは残念だ。
夜は友人たちとオンラインで「シヴィライゼーションVI」をプレイした。僕は当然バビロニア文明を選び、初期科学力の爆発的伸びを利用して量子物理学のテクノロジーを前倒しで取得した。
これにより彼らが鉄器時代にいるうちに宇宙船を建造する計画を立てたが、ルームメイトが外交的に裏切りを行ったため計画は頓挫した。まるで dS 背景での境界条件喪失のように、整合性は一瞬で崩れ去った。
こうして木曜日は終わる。だが僕の頭の中ではまだ、モジュラー作用素とホライズンエントロピーの計算が渦巻いている。明日までに証明できれば、歴史に残る仕事になるかもしれない。
最近、生成AIだのと騒がれているが、しょせんこれも人間が持つ浅ましく、怠惰な欲望を増幅させる道具に過ぎない。
「ペーパーミル・ネットワーク」と呼ばれる、カネ儲けのための不正論文製造業者は、このAIという最新の玩具を手に入れ、その活動を工業規模の詐欺の自己放尿へと進化させている。
事態はシンプルだ。昇進、学位、研究費、これらすべては「論文数」「インパクトファクター」という紙切れで測られる。
研究者どもは、本来の価値ある研究をする手間と時間を惜しみ、その結果、研究者としての存在意義を問われるような行為、いわば自己放尿(自らの業績を水増しすること)に走る。
「捏造したデータでいい感じの論文をAIに書かせよう」「既存の文章をAIで巧妙に言い換えて盗用チェックを回避しよう」「全く中身のない論文を何本も量産して実績を水増ししよう」。
彼らにとって、AIは「嘘を真実らしく見せるための高性能な化粧品」でしかないのだ。
結果はどうなる? 学術界は、粗悪で信頼性のない自己放尿論文で溢れかえる。
まともな論文は埋もれ、査読システムは崩壊し、科学的知識の土台そのものが腐っていく。
AIが進化すればするほど、不正はより巧妙になり、真実と虚偽の境界線は曖昧になる。
この問題の根源は、AIの技術ではない。それを悪用する人間の「成果至上主義」と「倫理観の欠如」のダブル放尿だ。
君たちがこの腐敗を止める唯一の方法は、ロジカルに考え、不正を働く者に一切の容赦をしないという冷徹な意志を持つことだけだ。
でなければ、学術界全体が、いずれ自己放尿の汚水に溺れることになるだろう。
以上だ。しっかり心に刻んでおけ。
多分何言っても理解してもらえない気がするが、「最上位プランの値段を上げること=持続不可能」という言い分の反証として
ネトフリの最上位プランは右肩上がりで値上がりしてるけどネトフリ自体は会員数もずっと伸ばして持続してるって書いてるのよね
で、ゲームパスがその先行モデルと似た成長をしてるかどうかは「会員数もネトフリ同様に伸びてるか」も見なきゃ分からんわけ
そこは公表されていないし、だからこそ「10年後も20年後もゲームパスは絶対に続いてるんだ!」なんて主張はしてなくて、
あくまで「値上げ=即持続不可能ではないよ」しか言ってないんだよ...
そもそも先行事例のネトフリだって別に5年後にまだ続いてるかは誰にも分からない。
サービス開始から14年、最上位プランはずっと値上げしながらも会員数は増えて現時点でもサービスは続いている、この状況からその先を予測しているだけ。
で、書き損じだと思うが
はダウトで、「ソフトメーカー」としてのマイクロソフトはSteamでも例年売り上げ上位に何本か入るし、
直近はPS市場にもソフトを出してPSストアで月間1位になったりしている。これを普通ジリ貧とは言わないだろ。
ハードウェア事業、プラットフォーム事業は前年比減が続いているが、ゲームパスはXboxだけではなくPCやモバイルデバイスからのストリーミングでもアクセスできるサービスなので「ハードウェア事業の不調=サブスクサービスの不調」ではない。
「値上げして付加価値も大きくしたけどその価格と内容が市場に支持されなくて会員数減少に転じ、連続赤字となってサービス継続できなくなる」がサブスクサービス持続不可能のシナリオでしょ
※会員数をキーとしているのは、サブスクに入れるタイトルの誘致が「完全歩合」ではなくある程度の契約金も最初に払っているだろうという推測で、会員数が少なくサービス収入が契約金を下回れば当然それは持続不可能
※当然、「サブスクに投入するタイトル誘致の原資」を減らす方向もあるがここでは割愛
あとは言葉遊びの範疇だが、「開始当初から持続不可能だったサービス」がなぜ2017年から数えてもう8年サービスが続いているの?
https://anond.hatelabo.jp/20250929221827
https://anond.hatelabo.jp/20250929183646
なんかネガティブな女性側の本音がバズる度に、必死こいて嘘松で「そんなことはない!」と、オッサン非モテ仲間たちにありもしないフワッフワな「成功譚」書き出したり、集団で断り切れない雰囲気を出して誘えばいいだの、
ごり押しで行けたから嫌がるのはその女たちがおかしいのだ!とかほざいてる増田のオッサン達居るけどさ
大体、そんなの無責任に喚いた結果、「実際にやった結果部下の女にトラウマ植え付けた結果、自分も左遷された」なんていうキモオジの増田とかいう社会の闇から現れたモンスターまで出てきちゃってるじゃん、どうすんだよ、ガチモン出てきてんじゃんコレ。
つーかさぁ、あんなの若い女性社員側から見たらテロだろ、テロ。しかもやる当人でさえ何らの利益どころか損害にしかならない自爆テロみたいなもんだし。
被害者やその家族から見れば「まぁ反省してる♪テヘペロ☆」みたいな事書いてあるとか、喧嘩売ってるとしか思われないだろ、もし見ていたとしたら、そーいう情緒考えられないからいい年こいてモテないオッサンに甘んじてるんだよお前ら、おわかり?
あとさぁ、希望を失ったら青葉とか平原化するか首吊って異世界転生くらいしか何も残らない人生なのはわかったけど、だからって無理やり、女にキモキモアプローチ仕掛けて「成功例はある!」、「ハイスペック男性だからという文脈を見落とした奴が悪い!」とか嘯き始めるけどさあ
👆すまん、この理屈をほざいてる増田散見されるけどさ、何か自分が「セカイノシンジツ」見つけちゃったかのようにウレション流して「俺は悪くない」の具にしてっけどさあ
お前らが「フェミ」と呼んでるような女性(とみなした相手)は、ネット・オタク文化をある程度知ってるから、なんだかんだで、お前ら増田みたいな意識高い系の成れの果てみたいな弱者男性インセルの妄言にある程度の理解を示して、注意点を言ってくれるわけで
女側からは「飯誘うな、気持ち悪いとかでなくこっちにはこっちの事情もあるのだから」って言われてるのに、何でブチ切れて仲間で取り囲んで断りづらい雰囲気を作ればとか、権力勾配を使えばとか正当化初めて嫌がらせみたいなアプローチに固執してる訳?
つーか嫌がる女観るのが興奮する性癖でもあんの?だとしたらもう犯罪者予備軍だから、ガチで自分が社会人の一員みたいな顔して話題に入ってくるなとしか言えないんだが。
女性側からは「そういう態度や思想がにじみでてることそのものが一番気持ち悪いからやめてほしい」っていってるじゃん、じゃあ別の方法考えるなり、どうすればいいのか直接聞けばいいじゃん
それはいいとしてさぁ、何でそこでブチ切れて女叩きに走ったり、陰謀論叫んだり、政治や思想のせいにしだすのさ、何がしたいのよ非モテ中年たちって。
やってること完全にテロだよねこれ?どうしてマトモにちゃんと女性に聞いて真っ当な方法で仲良くなろうという発想がないの?
ちょっと少しは自分たちの思想や言動、客観視してみたら?いい年こいて女性側にそう思われたり言われたりするって時点で恥ずかしいんだぞ?これって本来は。
なんかさぁ、ゴチャゴチャ御大層に自分が人生半分賭けて何もなしえなかった能無しであることへの言い訳や主張や思想っぽい、気持ちの悪いクソ話をいかにも国家や政治や経済に関わる意味の深い話の様に、はてなとかで革命家気取りでベラ回して抜かしてるかつて意識高い系だったなれの果ての負け組オッサンたちも多いけどさぁ
他責思想ばっかり主張してないで、ちょっとは自分を見つめ直して考えてみれば?としか女性側からは言われてないんだよ?
新しい事業やシステムなりを立ち上げる時にはコンサルを入れて、いざ動き始めると運用業務にも細かい意思決定には知見とロジカルな思考能力が必要なのでコンサルにサポートしてもらい、みたいなことをやっている。コンサルトの契約は3ヶ月更新だが、実質的には年単位で常駐的に入ってるメンバーも複数人いて、彼らがいないと社内業務が回らない。元々はスペシャリストとしてコンサルにサポートしてもらい、社内の業務知識に基づいたチューニングや組織への落とし込みはプロバーの人間がやってきたが、数年いるうちにコンサルメンバーの業務知識がプロパーメンバーを上回るようになってしまっている。社内人材育成の観点からの危機意識で内部の若手を定期的に部署配属させるが、新規のメンバーを育成していくノウハウも失われているため育成が進まず放置気味である。コンサルがいないと会社が回らない。
西ノ京大学って実際どんなところ?世間のイメージと内実が違う&よく聞かれるので、レポートしたい。
話を高校時代に戻すと、自分は成績は良かったが、帰宅すると小説ばかり読んでいたし、学校では看板とは違ってコンピュータプログラミングする部活で雑談と他人の作ったゲームの批評ばかりしていた口で、つまり、悲しいことに先見性はなかった。プログラミング技術の習得を思い立たなかったことを、後悔している。
三年の秋に赤本を開き、勉強しないといけないことに気づいたくらいで、他校の全国模試で一桁の成績をとるような連中とは無縁だった。
運良く現役で大学に滑り込み、医者にならずにすんだ。しかし、他人の腹を切って中に手を突っ込んで内臓を掴むことのできる職業は、そうそうないんじゃないかと思う。学部のガイダンスで「残りの大多数の(ハズレくじの)人も大学生活を満喫できるメニューを用意しているので安心して欲しい」と言われた通り、数学の才能その他はなかった。
一、ニ年目は、講義を詰められるだけ詰めて取ったおかげで忙しかった。一般教養の講義は、学生も教員もお互い期待しないだけあって多くはそれなりの質だったが、中には後に知識として役立ったものもあったし、良い先生もいた。この、過去の名声に胡座を掻き教育をしない大学に、決して期待してはいけない。一方で、専門の数学、物理は、よく理解できなかったが講義は良かった。生物はあまり面白くなかったが、これも適性というものだと思う。この大学の学生は、大多数の成績の良い普通の人、ごく一握りの上澄み層、そして有意な笑割合を占める自分のように運良く紛れ込んだ人、として分類できそうだが、上澄み層の人に学者として適性があるかといえば、必ずしもそうでもなさそうだ(数学の才人を除いて、実務家向きが多そう。だが、残念ながら、実務家として現に活躍している人がその層出身者にも見えない。いわゆる社会的なミスマッチ、個人的には人生の醍醐味だろうか。彼らは、どこで何をしているのだろう?)。
諸般の事情で大学院に進学した。本当は母校の悪口を言いたくないのだが、ここは匿名なので許してもらいたい。控えめに言って最悪だ。本来的には学部教育の不備が悪いのだが、研究者の職業教育訓練としてのカリキュラム(そんな決まったものはないし作り難いのは承知)がまるでないし、学生の意識任せ、所属する研究室の運任せだった。教授の下の親切な助教の先生は懇切丁寧に指導してくれるが、それも限度がある。論文を読んだり発表するには論理的な議論のやり方を習得する必要があるが、それにはこれまでの人生にひとまずさよならをして、意識的にロジカルな思考をはじめないといけない。見込みのある学生は放っておいても自分で身につけ発展するのだが、それを単に後押しすることで、徒弟教育した・篩をかけたことになっている。錬金術で一が十になった事実をもって、ゼロを一にしたと主張しているのだ。
研究も人間が組織を作って行う以上、人事が大事なのはいうまでもない。うまくゴマをすってなびかないと干されるのはどこでも同じだろう。問題は、人事やその他(プレゼンが上手い、など)の運にのみ頼ってキャリアを築いた、偶然のエリートが、無視できない割合で混じっていることだ(ポストを用意する側にも問題はあると思うが)。講義で成功者の研究上の転機や目の付け所を聞くのは後学のためになったが、偶然のエリートが色気を出して「こうすればうまくいく。こうするべきだ。だからこう教えている」と経験に基づかない独自の理論を言い回るのは実害がある。後に捏造で失職した人の「研究成果」を講義で拝聴したこともあるが、これと変わらない。
というわけで、大学院での大半の期間、自分は研究テーマに学術的な興味をもてず、密かな劣等感に苛まれて過ごした。ゼミで先輩や教授がコメントする内容が実は「大したことない」と気づいたのは、卒業する少し前のことだ。両親には支援を感謝している。今では当時と縁もゆかりもないコンサル職に就いているが、「お国のため」に貢献もしているので、投資は有益であったと思う。
時期はぼかすがそう遠くない以前の話だった。
晩飯を食べて風呂に入り終えた夜10時ころだっただろうか。元カノから唐突に電話がかかってきた。
久しぶりだな、と思った。別れてから数年だが、特に連ら気がお互いしづらかったというわけではない、ただ何となく日常の生活が忙しく連絡するのがお互い億劫になった結果そういう連絡頻度になっていた。
「ひ、久しぶり~あはは…いやその、久しぶりに声聞きたくって、元気?あ、あたしは元気~なんだけどさ…」
向こうもそれがわかっているのか、俺が聞き返す前に「本題」に入っていた。
「ごめんっ、いきなりだけどちょっと暫く泊めてくれないかな…このままじゃあたし、し、死んじゃうかも…」
尋常でないことはなんとなくわかっていた。最寄り駅まで迎えに行ったとき、俺は驚いた。
彼女の片眼は眼帯を掛けている。萌えキャラのファッションではない、明らかに目が腫れて怪我をしていた。ただでさえクソ暑い時節の夏にも関わらず、長袖かつ足元も隠すような厚着だった。
「ごめんねぇ…我儘言っちゃって、口の中が切れててあんまり味の濃い料理食べたくないっていうか食べられないの…」
彼女はそういって、ほとんど味なぞしない俺の明日の朝飯になる予定だった全粒粉食パンを細々と口に運んでいる。
今付き合っている彼氏からDVを受けている、という。シャツ越しからでは体幹の怪我の具合はわからないが、手足については青あざだらけだ。つき方かから考えても、殴られただけでなく万力の様なもので挟まれた(つねられた)様なものも混じっている。
明日にでも病院に行って診断書貰ってから警察へ行け、というか、ヤクザとでも付き合っていたのか?――俺はそういったが、彼女はたどたどしく事情を答えるのみであった。
免許証や保険証は彼氏に取られている、という。許可がなければくれない、なので困って俺のところへ来た、という。
後で申請すれば金は返ってくるから、俺が金は出すので病院へ明日行こう、そういうことになった。もちろん、この後警察にも相談する予定だ。
その時は、彼女が今付き合っている男の事はあまり知らないので、彼女伝手でどのようなものかを聞くしかなかった。
web系ベンチャーとかいうものの社長、だという。まさかフロント企業で本業は暴力団か何かではないのか、と思ったが、そうではないという(実際、後に警察に相談、その後の対応は生活安全課だった、つまり反社ではなかったということだ)
彼女に言われて観た彼の写真やSNSは、いかにも背伸びをして大学デビューをした内気子供を思わせる様な、滑稽な痛々しさに溢れていた。子供どころか青年という年齢も終わりに向かう程、薹が立つ年齢であるというアンバランスさが、まるで俺には昔、UMAのチョコエッグフィギュアを開けたときに入っていた「恐竜人間」の様なアンバランスな不快感を覚えた。
また、その姿は戦国の合戦で甲冑だけを借りて着込み、実は剣も取れぬ雑兵のごとき滑稽さを帯びていた。その不均衡を見て、不快というよりも一種の歴史的な「類型」を感じた。時代の節々に現れる、虚勢を張る者たちの姿に重なったのである。
…何のことはない、Xやはてなで見慣れている存在であるが、これが現実に身近に見てみると、やはり心理的な不快感は段違いに感じたことは不思議に思っている。
どういう人種かは彼自身がX、Facebook、インスタグラム…有象無象のSNSでの自分語りで雄弁に物語っているのでよくわかる。
本質的には何一つ理解もしてないであろうAIだとかプログラミングだとかの技術論に一家言つけ、経営とはと大上段に講釈らしきものを垂れ、業界人や有名人との人脈や繋がりを自慢し、いいねの数を追い求め、
Xでフェミに憎悪と殺意を募らせて…彼女にも浴びせたであろうような悪罵を書き散らし、アウトローやヤクザというような存在に憧れているかのような言動をし、オタク界隈を中心にそういう活動をしている「ニワカ」だとわかるような連中のchを推し、
美少女アニメや美少女キャラ(特になろう系が多かった)とVtuberの推しがどうとかいうことを隠しもしない、の割に何故か秋葉原を「今や立ちんぼと観光地になって終わった」と、暴行した彼女に執着しているかの様に嫌いなのに手放そうとしないで執着する言動を繰り返す。
…俺から見れば彼の振る舞いはSNSに雄弁である。自ら本質的に理解していない技術を語り、経営を論じ、交際の広さを誇り、数字の多寡に一喜一憂する。さらに女性への憎悪を隠さず書き散らし、反社会的な存在への憧れをのぞかせる一方で、美少女の虚像を追いかける。矛盾と執着の渦に生きているようであった。
だが見ている限り、ITエンジニアで技術力があることを誇りに思っている、という。
彼女に聞けば、付き合いたての方は優しかったらしい、だが執着心と嫉妬心が物凄く、かつ「絶対に自分が正しいということを曲げず、間違っていたとしても詭弁や論理といいつつ間違いを絶対認めず癇癪を起こしていた」らしい。
彼は、自分が否定されるということに耐えられない性分の様だ。彼女への暴力が始まったのは性生活の不一致、という。
Reゼロのレムのメイド服や、エミリアのドレスといったものでのセックスをお願いされて、「流石にそれはちょっと…」と断れると、形相が一変して激怒し、彼女をあしざまに罵り、挙句蹴り飛ばした、と彼女から聞いた。
「俺をバカにしやがって」、「お前も心の底で俺を舐めてるんだろ」、「ロクに稼いでもない女の癖に口答えするな」、「セックスくらいしか能がない癖に、この俺をそんな目で見るな」
そう叫びながら何度も柔道でいう「亀」の恰好でうずくまる彼女を息切れするまでストンピングを続けた、という。
「あたし何か悪い事したのかなぁ…してあげた方がよかったのかな…」
―――初めて彼女が出来て舞い上がった陰キャ大学生じゃないのだから…しかし彼にとって、怒号を発し、彼女を足蹴にし、うずくまる彼女が動かなくなるまで攻撃をやめなかった理由は、戯れの願望を拒まれたこと、それが自我そのものの否定であったのだろう。
彼女も半信半疑だったが、何という馬鹿馬鹿しくて幼稚な話か、とあきれて俺も溜息をついてしまった。
初めて女を得た若者が昂揚のあまり狂態を演じる、その延長にしか見えなかったからである。
診断書も貰い、彼女は警察にも届けた。彼女の両親への連絡も済んだ後の事だった。
鬼のように携帯に着信を残していた「彼」が、「話し合いたい」という正式な場を設ける様に頼み込んできたため、彼女の両親と、流石にこれほどの暴力を受けたのでは不安なのであろう、俺にも同席を依頼してきたため参加することとなった。
俺としても、こんなことを平気でできる絵にかいたようなアレな人間というのは、どういうのか興味があるという「悪い感情」と、流石に断るのは忍びないしそれで暴力でも受けたなんて後から聞くのはしのびないので、という感情半々で同席することになったのだ。
都内のとある喫茶店、俺の前にいたのは、あれほどの蛮行を行い、SNS上では「表現の自由戦士」としてフェミに罵詈雑言と悪罵を喚き散らし、まるで変態の如くVtuberだののツイートにリポスト返信をしているとは思えない、自信なさげに相手や周りの顔色を田舎の道端にい小汚いセキレイやスズメの様にうかがう「小鳥さん」であった。俺には目の前の男が、SNS上において喧嘩腰の文言をまき散らし、自由と表現を大仰に語っていた男とは、似ても似つかぬ風体の人間であったように思う。
SNSという新たな草莽において、声を張り上げ、他者を罵倒し、自らを「表現の自由闘士」と称したこの男も強者の風を装いながらもその実、視線は絶えず泳ぎ、雀のように落ち着かず、まるで己の存在を確かめる術を失っているかのようであった…小心のあまりに己を孤立に追いやる姿は、既にして滑稽でさえある。
弁護士でも一緒に連れてくるのかと思っていた、が、流石にあんなことをしていてそれは逆に反省の色がないという打算でも働いてはいたのだろう。それほど小心者にもかかわらず一人で来ているようだった。
――話し合いは、書くのも馬鹿馬鹿しくなるほど呆れた内容だ。彼はひたすら自己弁護と責任転嫁の混合物の様な内容をしゃべり続け、本当に反省しているのかさえ疑う様な内容であった。
一言で言えば「俺は悪くない」、それで済む内容だ。この期に及んで非を認めるということはどうしてもできない彼を見て、俺はそのコンプレックスに塗れた心の奥底や生い立ちを容易に想像できて、怒るという感情以前に、憐れさと滑稽ささえ感じていた。
「一度も向こうから(SEXを)誘ってきたことがないのは対等なパートナーのやることではない」、「(レムのメイド服でのコスプレセックスを)拒否されて傷ついているのは自分の方だ」、「本当ならなりきってもらいたかったがそこは譲歩したのに断られるのが心外だ」、「(殴ったら自分も怪我をしたのだから)自分もある意味被害者だ」、「こんな大勢で来られては論理的な話し合いもできない」
…この手の人間は非を認めたら割腹でもしなければならない戒律でもあるのか?あまりの幼稚で馬鹿馬鹿しい話に開いた口がふさがらなかった…これらの言葉は、かつてもローマ帝国、大日本帝国の文明の末期に現れる「幼児的合理」の典型である。
かつて武士が恥を雪ぐために腹を斬ったように、彼にとって「謝罪」は生の終焉に匹敵するほどの恐怖であったのだろうか。
いや、年老いた父母、彼女、そして俺と目の前の彼、大の大人5人、足して5で割れば年齢43余歳にもなろう集いでひざを突き合わせて、やれReゼロのレムのメイド服姿でコスプレセックスしたかった、できなかった、嫌だった、なりきりまでしてもらいたかったが譲歩したのにと言い合ってる姿は、あまりに情けなさ過ぎて乾いた笑いが出てきてしまう。その姿はもはや喜劇を超えて哀史である。
平均年齢43歳の大人が五人、膝を突き合わせ、アニメの登場人物…Reゼロのレムのメイド服で性行為ができるか否かを論じ合う。その姿はかつて西ローマ帝国末期の貴族たちが、ゴート戦争のさなかであってもローマの浴場で下らぬ弁論を重ねている姿と、何一つ変わることがない、と俺は思った。
彼女の両親も流石にこれには怒ったのだろう「あんたは本当に申し訳ないと思ってるのか、謝りたいと思っているのか」と言っていた。まるで悪さがバレて「帰りの会」でつるし上げられながら非を認めない小学生の様な茶番劇だ、と俺は呆れた。
彼はまるで悪いことを怒られている小学生の様にむくれながら、うつむき気味にこうつぶやいて言い訳していた。
「4人で寄ってたかって俺に向かうお前たちこそ悪者じゃないか」、「俺は被害者だ」、「いくらお金をかけたと思っている」、「俺は悪くない、謝るが負けていない、負けたくない」、「ロジカルに会話ができない様にしたあんたたちこそ悪人だ」
そこには、文明社会の一員であることを拒絶し、ただ自己の幼稚な欲望に固執する姿があった。
俺達は心底呆れ果てた。彼女はたださめざめと泣くだけだ。こんな人間に身を許した自分の不甲斐なさを恥じているようにも見えるし、その涙は、男への哀れみではなく、むしろ己の選択の過ちに向けられているように見えた。
幼稚にして愚劣、滑稽にして救いのない系譜。俺たちはその凡庸さに呆れ、そして深く息を吐いたのである。
その後しばらく、SNSでは、相も変わらず彼は雄弁だった。自分がいかに「悪女」に騙され、話し合いの席に「左翼過激派のロシア工作員で裏社会のヤクザ者の様な輩(←!?)」を呼ばれて威圧され、自分がいかに被害者であるかを、同類のITエンジニアだのweb系経営者だのフリーランスだのといった人間たちに語り、慰め合っていた。
その言をもって、自己を全面的な「被害者」として演出しているのである。
余談だが、あまりに嘘松過ぎて話し合いの席で俺が手榴弾とMAC10サブマシンガンと357マグナム・リボルバーと脇差を隠し持っていたとまでのたまっていた。ここまでくると流石に笑うほかない、だが、この荒唐無稽を真に受ける人々がSNSにはいるのだから、むしろ彼らの住まう世界の哀れさを映しているといえよう。
彼のその後についてはどうなったのか、あえて筆を置こうと思う。ただ、彼はその大好きなネット社会からも…いや愛したであろうSNSやIT業界とやらからも忽然と姿を消してしまった、という事だけは書き残しておこう。(そりゃあれだけのことをしでかした挙句に話し合いの席であんなことをほざいて愚行を演じたのだから、そうなるわな、としか思えないが)
彼や彼らの中では、いや、この種の人々は、思い通りに世の中がならないのは、決して自身が間違っているという想定はないのだ。
いや、内心は理解している。しかし自分が間違いを認めるということは絶対にできないのだろう。それは彼らにとって生と自己存在の全否定であり、死を選ぶに等しいのだ。それは幼少期のトラウマやいじめられた経験故なのかもしれなければ、発達障害などの特性によるものなのかは、定かではない。
東京、秋葉原、今も世界一、いや、唯一というべきか――「電脳街」として世界に名を連ねている場所を俺は歩いていた。
彼が憎みつつも執着していたこの街は、そのまま彼の心象世界そのままの光景が目に飛び込んでくる。
性欲、見栄、「キラキラ」、IT技術、アングラ機材、美少女、萌え、コスプレ、2.5次元芸能…ふと、エアガンショップに入り展示していたエアガンを弄ってみた。
俺は、アメリカに旅行に行った折に観光客向けの射撃場で銃を撃ったことがある。それはどんな人間でも服従を強いることが出来る力…人を服従させる絶対の力がわずか十数センチの鉄の筒の内部に凝縮されている――それを感じて恐ろしさと戦慄と畏怖を感じたことをよく覚えている。
ああ、彼は、いや彼らはIT技術でなく本当は「銃」という力が欲しかったのではないか、と今にして思う。
――この平和な日本において、他者や世界を己の思うままに従わせ、富と女と権力を得る、そんな素朴で野蛮な願望をかなえる手段として。
だからこそ、この平和な日本において他者や世界を自分の思い通りに服従させて、大金や他者の存在を自由に操れて、そして美少女と権力を得ることが出来る我儘と願いをかなえる純粋な「力」、暴力を求めていたのだ。結果は無抵抗のか弱い女一人に振るった結果、国家権力という圧倒的暴力装置の前に自慢のIT技術もロジカル思考も通じず粉砕されて屈した小者の姿があるだけである。
彼の様な人種は、はてなやXにも多い、ただ銃なんてもの日本では手に入らない、ゆえに代わりの力を新興のIT技術という「魔術」を求めただけだったのだろう。少なくとも、俺はそう思っている。
――だが、彼らのシンプルな世界観、素朴な願望を叶える道具としては、ITというものはあまりにも複雑すぎた、そして量も理論も多すぎる。欲望の単純さに比して、理論は重層にして洪水の如く、端的に言えば、ITとは彼らの望むような単純な力ではなかった、あまりに複雑で、膨大で、理論の重層に満ち満ちていた。
だからこそ情報の洪水で、彼が好きななろう小説の様な「チート能力」と心の中で思えなかったし、彼が憧れたなろう小説の主人公の様なチート能力を、最後まで手に入れることができなかったのだろう。
実は秋葉原には、それこそまだ電気街と言われるはるか以前からやっている老舗の銃砲店がある(正確には神田だが)、不思議なことにその話がネットで上がったことは、俺がまだ小学生の時からネットで話題を見たことは一度もない。
一人のITに歪んで迷い込んだ魂を鎮魂する祭りのように、秋葉原は今日も多くの娯楽と出し物を催している。秋葉原は祭りである。SNSとITに迷える魂を鎮める祭礼の如く、毎日が祝祭に満ちている…地方出身の俺にそう感じた。
ケバブ屋がある裏路地のショップ、中古エアガン、PCパーツ、ミニ家電、特撮のオモチャ、そして美少女アニメのフィギュアが雑多に陳列されている店を見た
彼が彼女にその恰好をさせてセックスしようとした「レム」のフィギュアが、中空を微笑みながら雑に籠の中に放り込まれている…その微笑みは誰に向けたものか、物語の主人公スバルに対してか、それとも、彼の様な意識高い系の野心を燃やす人間たちに向けての物か。今となっては定かではない。
帰り道、秋葉原駅の前でアニメの様な衣装を着てパンフを配ってる若い女の子たちがいた。彼とどこか似ているが、その身にまとう邪悪さがない男が彼女たちと話している。
「いつ来てもここは賑やかでいいですねぇ」
「ここはアニメの世界が唯一現実で飛び出ても許される場所ですからね、楽しいですよ」
屈託のない無邪気な笑顔と話題の前に、SNSという地獄…その入り口であるiPhoneの画面を俺は見た。
俺の映したSNSには、彼の秋葉原への歪んだ憎悪と執着のポストが、彼の言葉がまるで墓標の卒塔婆の梵字の様に、秋葉原の摩天楼…IT企業が入っているビル群、そして彼の大好きなvtuberやアニメキャラの看板を映しながら睨みつけていた…
以下で展開される議論は、アメリカのある哲学者が学術誌の査読(ピア・レビュー、同業者による査読)の適切さを確かめるためにでっち上げたデマ論文の内容であり、しかもその論文はある雑誌に受理された。
このことから投稿者は、文化人類学者ではないが、いくつかの考察を試みる。
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1. 以下の内容は、「サル山のボス猿とそのなかま」が信奉するペニス信仰と、それに対する「フェミニスト」の反論の両方を痛烈に揶揄している。これらの議論は、ここ「はてな」での果てしない同種のやり取りの上位互換となっている。つまり、そのことに気づかないでいる、いわば自己相貌失認を患う矮小な関係者の姿をアナロジカルに揶揄している。
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2. 仲間による「レビュー」を経て認められた「議論」が、いかに穴だらけなものであるか、つまり、特定のコミュニティの支配イデオロギーとはしばしば、ブードゥー教の偶像崇拝にすぎないことを示唆している。
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3. 投稿者はこのデマ論文の紹介により、いわば原始人に優れた棍棒の作り方の一例を教唆することになるかもしれない。いずれにせよ、上位互換の議論がデマであると著者により暴露されたことは、はてなでの「議論」の有効性の上界を抑えられたことを意味する。平たくいうと、0くxく1のように、xの取りうる範囲が有限なある一定の値以上にならないことである。原始人たちが、今後どのような道を選ぶのか知らないが、進化の選択肢があることを付け加えたい。
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4. 敷衍すると、この論文の内容に限らず、はてなでの任意の「議論」には、それの上位互換となるある学術的な議論を作ることができる、という可能性が示唆される。平たくいうと、はてなの投稿を分析すれば論文が書けるかもしれない。
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この論文「概念的なペニスは社会構成物である」は、ジェイミー・リンゼイとピーター・ボイルによって2017年にCogent Social Sciencesに掲載された研究論文であり、ペニスという概念が単なる解剖学的な器官ではなく、社会的に構築されたものであり、それが有害な「毒性のある男性性」(toxic masculinity)と密接に関連しているという革新的な主張を展開しています[1]。著者らは、この「概念的なペニス」が、ジェンダー・アイデンティティ、生殖に関するアイデンティティ、社会および家族の力学に深刻な問題を引き起こし、女性やその他のジェンダー周縁化されたグループにとって虐待の根源となり、レイプの普遍的な原因であり、さらに気候変動の概念的な原動力であると結論付けています[2-4]。
伝統的に、ペニスは男性の生殖器または性器として圧倒的かつ議論の余地のないものとして科学的に認識されてきました[5]。しかし、著者らは、この見方が「過度に還元主義的」であり、ペニスを持つ人間の経験の多様性を完全に表現できていないため、「首尾一貫しない構成物」であると指摘します[6]。
この主張の根拠として、まず解剖学的なペニスが必ずしも男性の生殖器官としての役割を果たすわけではないという事実が挙げられます[5]。例えば、怪我を負った者、配偶者を強制できない者、子孫を産むことに興味がない者、医学的に不妊の者、またはアセクシュアルを自認する者など、ペニスを持つ多くの人々が生殖を行いません。これらの例は依然として「男性」を構成するかもしれませんが、彼らのペニスを生殖器官として特定することは明確に誤謬であるとされています[5]。
さらに重要な点として、ペニスを持つ女性が数多く存在することが強調されます[5]。これには、性別適合手術前のトランスジェンダー女性や、女性と自認し、性別移行を望んでいない染色体上の「男性」が含まれます[5, 7]。文化的な有害な常識に反して、これらの人々にとって、彼らの性器(ペニス)は、生殖に利用される場合があったとしても、男性の性器として最もよく理解されるべきではありません[7]。このような人間の表現の多様性という重要な事実に照らして、ペニスを具体的に男性の解剖学的な器官と概念化することは、非常に問題があり、言説的な再検討が喫緊に必要であるとされます[6]。
著者らは、ペニスが「男性性に対する首尾一貫しない構成物」であるとし、ペニスは解剖学的な器官としてではなく、**ジェンダー遂行的な、非常に流動的な社会構成物**である「概念的なペニス」として理解されるべきだと主張します[6]。この「概念的なペニス」は、ジェンダーに関連する様々な遂行的な行為や発言を通じて社会で確立されるペニスの操作的な表現です[6]。
この概念的なペニスが、**「毒性のあるハイパーマスキュリニティ(hypermasculinity)」と等型写像的(isomorphic)な関係にある**とされています[1, 8-10]。この等型写像関係とは、二つの異なる構造が、その構成要素間の関係性において本質的に同じ形を持っていることを意味します。ここでは、概念的なペニスという社会構成物が、毒性のあるハイパーマスキュリニティの行動や心理と鏡像のように一致しているということです。
特に、この等型写像関係は、**「マチスモ・ブラガドシオ」(machismo braggadocio)**という概念によって媒介されます[10, 11]。マチスモは本質的に攻撃的な男性のプライドを指し、ブラガドシオは傲慢な自慢の性質を意味します[12]。これらが一体となって、社会的に男性的な心や異性愛規範的な女性の心がペニスを「客観視」し、それを介して男性性と支配的な男性の権力ダイナミクスを遂行的に表現する具体的な描写であるとされます[12]。
この等型写像関係において、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな男性が権力のない主体的な立場から強力な立場へと自身を再配置するために、**「主体」「客体」「動詞」の三つの役割**を果たします[11-14]。
この主体としての役割は、男性が性的な「征服」や「パフォーマンス」について自慢する際に明らかになります[16]。また、「俺は彼女にやった」「彼女はもっと欲しがった」といった表現に見られるように、名詞の「それ」("it")が客体的な概念的なペニスを女性の経験の知覚された主体に変え、概念的なペニスを男性のジェンダーパフォーマンスに関してさらに客体化します[16]。これにより、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな心において、ペニスを主体として(男性の)セクシュアリティを強力な現実とする脱所有化(deappropriative)のツールとなります[16]。
この傾向は、性的なアイデンティティが根本的にヒエラルキーの維持に利用されるという考え方によって説明されます[17]。概念的なペニスを行動を表す動詞として使用することで、ハイパーマスキュリンな男性は、他者を抑圧し、脱制度化する社会的なヒエラルキーを強制し、自己を認識的に高めます[17]。この現象は、ラップ音楽におけるミソジニーの分析や、「マン・スプレッディング」(manspreading)と呼ばれる、公共交通機関などで男性が足を開いて座り、不必要に広いスペースを占有する行動にも見られます[17]。マン・スプレッディングの言い訳は、解剖学的なペニスと睾丸が「快適さ」のためにスペースを必要とするという男性的な社会言説に直接基づいていますが、これは概念的なペニスを遂行的な社会構成物として見た場合、周囲の空きスペースを「レイプする」ような支配的な物理的空間の占有であり、毒性のあるハイパーマスキュリニティへのマチスモ・ブラガドシオ等型写像を通じて最もよく理解されるとされます[17]。
マチスモはハイパーマスキュリンな本質であり、ブラガドシオはその表現です[10]。現代の思考における概念的な要素としてのペニスは、マチスモ・ブラガドシオの概念によって、ハイパーマスキュリニティにおける最も毒性があり問題のあるテーマと自然に等型写像関係にあります[10]。これらのテーマは、解剖学的なペニス自体には適用されず、生殖しない個人やアセクシュアルな個人にも関連性を持たないため、ペニスは既存の男性的な社会的な比喩を演じるために利用される、構築された社会的な客体、つまり言説的な「概念的なペニス」として理解されるべきだとされます[10]。
概念的なペニスが毒性のあるハイパーマスキュリニティに等型写像的に同定されることの最も問題のある結果の一つが、**気候変動**であると指摘されています[4, 18]。気候変動は、まさにハイパーマスキュリニティの特定の有害なテーマによって引き起こされており、これらは概念的なペニスと識別される気候生態学への支配的な略奪的アプローチを通じて最もよく理解できます[18]。
著者らは、地球が急速に2℃の気候変動閾値に近づいている原因が、現在の資本主義構造を維持する家父長的な権力ダイナミクス、特に化石燃料産業にあると主張します[18]。科学、政治、経済の言説におけるハイパーマスキュリンな支配と、生態系への修復不能なダメージとの関連性は明確であるとされます[18]。破壊的で持続不可能であり、ヘゲモニー的に男性的な環境政策と行動へのアプローチは、男性優位の精神性による自然の「レイプ」の予測可能な結果です[19]。この精神性は、男性心理に対する概念的なペニスの役割を認識することによって最もよく捉えられます[19]。
特に、資源を安価に略奪し、家父長的な経済的利益のためにその内在的な価値を奪われた後、荒廃し減退したまま放置されるような「未開の環境」にこの精神性が適用されるとき、概念的なペニスに内在するレイプ文化の延長が明らかになるとされます[19]。気候変動は、最もよく言えば、ハイパー家父長制社会が地球の生態系にメタファー的に「マン・スプレッディング」している例であると述べられています[19]。
この問題のある傾向の根底にある理由は、現代の資本主義理論、すなわち新資本主義理論が、科学と社会におけるハイパーマスキュリンな焦点から直接その合理性の主張を引き出していることにあります。そしてこの焦点は、概念的なペニスとの同一視によって最もよく説明されるとされます[20]。毒性のあるハイパーマスキュリニティは、概念的なペニスから直接その意義を引き出し、新資本主義的唯物論の支持に自身を適用します[20]。この新資本主義的唯物論は、特に炭素排出の化石燃料技術の無制限な使用や、未開の自然環境の無謀な支配において、気候変動の根本的な原動力であるとされます[20]。
この分析から導かれる実践的な推奨事項は、気候変動研究において、可能な限りハイパーマスキュリンなペニス中心の視点を避けるように、政治や科学の言説への関与方法を変えるべきであるというものです[3]。
結論として、著者らは、ペニスは男性の性器や生殖器として理解されるべきではなく、むしろ Permalink | 記事への反応(0) | 19:03
昨日は日曜日であった。
したがって、日曜用のルーティンに従った。
午前6時55分に起床、7時15分にオートミールを開始。粒子の無秩序な拡散が統計力学に従うように、僕の日課もまた厳格に支配されている。
朝食後、僕はCalabi–Yau三次元多様体におけるホモロジー群の壁越え現象とN=2超対称的世界面理論におけるBPS状態の安定性を再検討した。
通常、専門家であってもモジュライ空間における壁越え(wall-crossing)は曖昧な比喩で済ませる。
しかし僕は昨日、Kontsevich–Soibelmanの壁越え公式を非摂動的補正を含む形で、実際の物理的スペクトルに対応させることに成功した。
問題の核心は次の点にある。Calabi–Yauの三次元特異点に局在するDブレーンの安定性は、直感的なトポロジーでは決して記述できない。
むしろそれはモチーフ的Donaldson–Thomas不変量と深く結びついており、これを扱うにはホモロジカル鏡映対称性と非可換変形理論を同時に理解していなければならない。
昨日、僕はその両者を結びつけ、量子補正されたブリッジランド安定性条件が実際に物理スペクトルの生成消滅と一致することを示した。
これを実際に理解できる人間は、世界でも片手で数えられるだろう。
昼食には日曜恒例のタイ料理を食べた。
ルームメイトはなぜ毎週同じものを食べるのかと尋ねたが、それはエントロピーの増大を制御する試みである。
食事の変動を最小化することで、僕の脳内リソースを物理学的難問に集中できるのだ。
しかし、彼らが戦術的に無意味な突撃を繰り返すたびに、僕は思考を4次元超曲面上のゲージ場のモノドロミーへと戻していた。
ゲームのリスポーンは、トポロジカル量子場理論における不変量の再出現と驚くほど類似している。
僕はゲームの各局面をゲージ場構成の異なる真空遷移として解析したが、彼らにはその深遠さは理解できなかった。
スピードフォースの異常を、僕は時空の計量が非可換幾何により修正された場合の有効理論として再定式化してみた。
通常の物理学者ならコミック的フィクションと切り捨てるところを、僕はモジュライ空間の虚数方向における解析接続として解釈したのである。
結果として、作中の時間遡行現象は、M理論のフラックスコンパクト化における非局所効果で説明できることが分かった。
夜は22時に就寝。日曜日という閉じた系は、僕にとって「物理学の非摂動的側面を試す実験場」であり、同時に秩序ある生活習慣という境界条件に支えられた完結したトポスである。
今日(月曜)は、昨日の計算を研究室に持ち込み、同僚が一切理解できないことを確認する予定だ。確認作業自体が、僕にとっては一種の実験である。予測通り、彼らは理解できないだろう。