はてなキーワード: 二次創作とは
どちらにも利点はあるが長い目で見るとニコニコの方が動画制作という分野での功績大きいとおもえるんだよね
Youtubeは不要なショート動画大量に出すくせに、検索はゴミしか出さない
ニコニコは色んな負の側面あるし治安も良くないけど、ユーザーが文化作って独自に頑張ってるからな〜
投稿祭とか定期的にやってるから知らないものを探したり自分で投稿のネタにするのにいいんだよな
Youtubeは本当に微々たる金稼ぐ目的で投稿するけどニコニコは純粋にSNSみたいに使えるしな
まあ二次創作のノリが合わない人は合わないと思うが
地に足がついてる感覚がある
絵を盗まれたというところ
誰も絵を盗んでない。機械は学習しているだけであり誰かの絵を切り貼りしてコラージュを作っているわけではない。
誰もが無断学習する権利がある。人間の絵師もそうだし機械もそうだったというだけ。絵師が自分の意志でネットに上げたイラストに関して、現行法で「無断学習」は禁止させることはできない。絵柄に著作権はない。
同人誌で金稼いだり、MAD見てきゃっきゃしてたことを棚に上げて急に著作権侵害だ!とか言い出すのは醜悪。手書き二次創作は愛があるとか噴飯もの。もちろんそれらをしたことない奴もいるだろうが、ごく少数なはずなので、石を投げる奴はもっと減るべきだろ
30条の4ガー
そもそも海外のビッグテックが学習させてるわけで国内の会社が国内で学習させてるわけでもないのでほぼほぼ関係ないから。
絵や動画だけに噛みついてるところ
「盗んでいる」「無断学習はすべきではない」という主張を是とした場合、翻訳とかチャットAIとかその他もろもろ全部ダメになるはずなのに、それらはスルーしてますよね?
それ全部そうだから。お前がネットやってんのもそう。同人誌だって非親告罪化されそうだった瞬間だってあった。反AIはツイフェミのような表現規制派なのでAIに限った非親告罪化とかいうバカみたいなことを言い出してたが
まだXにいるところ
あいつらの言うことが全く理解できない。論点を整理しようと思ったんだけど、反AIが論点としていそうなところは御覧の通り全部つぶしたよ
まあ単にお気持ちでギャオオオオンしてるだけなんだろうな。ツイフェミと一緒だよね。表現規制に傾いてるところとか、お似合いだよ
合成音声界隈に存在できなさそうな増田(公式からはキャラ絵と簡単な設定だけがお出しされて、あとはユーザーが自由に二次創作していく界隈なので)
この増田は「はてな匿名ダイアリーのエントリー」という意味で言ってるとも解釈できるから許せる
増田の作品には明確なガイドラインを設ければいい。増田が作品を作らないのなら増田はそうあればいい。法は揉め事の解決プロセスでしかない。
許せない。わざわざdorawiiよりって署名してセルクマまでしてるのになんで徹底して増田呼びするんだ?「わたしには御坂美琴って名前があんのよ!」って台詞知ってるなら名前で呼ばないことを人を不愉快にさせるリスクぐらい知ってるはずだよね。
1か月ほどまえに、アニメぼっち・ざ・ろっくの脚本家のインタビューが公開され、界隈で炎上したことがあった。
このとき、おれもこの脚本化氏は客であるアニメ視聴者を搾取してるとばかにしていて、原作を軽んじてると怒りを覚えた
でも、まあいろいろあって流れて行ったのだけど、ちょっとまえに、こんな記事が流れてきて読んだ
https://filinion.hatenablog.com/entry/2025/10/15/145847
怒ってる人でも、さまざまな派閥がいて、おろかな人々がいると茶化されているようで、とすこし気分が悪かった。
本丸は視聴者を犯罪者扱いしていたことではなかったか。と、元のインタビューをみてみたんだけど、なんかどこでおれは怒ってたのかわからなくて困惑した
改変されてないかと思ってウェブ魚拓を探してみると、たくさんとられていて笑ったけど特に翌日の分から変わってるわけではない。
1ページ目 https://megalodon.jp/2025-0915-2000-21/https://kai-you.net:443/article/93374
2ページ目 https://megalodon.jp/2025-0915-2045-43/https://kai-you.net:443/article/93374/page/2
「現実ではそんな会話しない」と強く否定した“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”なども含め、そういうシーンはアニメにおいては何気ないよくあるものと考えてしまっていたが、吉田恵里香さんは「それを売りにしている作品でない場合においてはノイズ」と言い切る。
ここを切り出して、ノイズ、つまり不要で邪魔なもの、と言われるとたしかにむっとするけど、本文で前後関係から読むと気にならない。このノイズという用語は制作側と一般人でズレがあるから誤解やされやすそうではあるが
今回のトークイベントで、吉田恵里香さんから特に強い抵抗感を示すものとして言及されたのは「キャラが性的に消費されること」だ。
「ファンの皆さんにはキャラクターをどう捉えてもらっても構いませんし、個人で何を描いても、何を想像しても自由だと思います。ただ公式側が『さぁ搾取してください!』と言わんばかりにばら撒くのは抵抗があるんです」
ここ、もっと強い言い方だった気がしていたけど、普通のことしか言っていない。
性的搾取やめろだとか、やるべきではない、のように高圧的に書いているわけではなく、これでフェティシズム感じるんでしょ、というような見せ方を狙ったり、サービスシーン(死語)をつくるのはこの脚本家さんは個人としてやめたい、というように読み取れる
一般化されてもいないし他の人もそうするべきだ、と言っているわけではないし、ましてや視聴者をディスってるわけでもない
filinion氏の続く記事のブコメをみると、搾取は性的搾取のことだろ、と怒っているブコメがはてスタを集めてるけど、そこまで?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/filinion.hatenablog.com/entry/2025/10/16/151459
ガルパンで、監督が絶対パンツを見せないように指示したみたいなのを同じじゃない?
もちろんそういう描写のあるアニメがあってもよい。それが非難されてるわけでもない。おれはアニメくらい、フェティッシュな描写がもっとあってもよいとは思うし、おかずにする、つまり性的搾取は全然いいと思うけど、公式がそれをアッピルしすぎていると下品になるので制作上避ける判断があるのはわかる。これは男性向けだけじゃなく、女性向けでも同じ話で、具体的な作品名はあげないけど、カップリングを匂わす描写とかは、公式からの搾取ポイントだという記号だし、それをもとに性的関係をつくる二次創作や妄想は性的搾取だとは思ってる。男だけとかではない。でもそういう部分あってもいいでしょ。AKBとかアイドルにしてもジャニーズにしても性的搾取的であるけれど、本人たちが納得ずくであれば問題ではない。いやなひとがいやだと声をあげることもあるだろうしそれは自由
最初、SNSで怒ってる人々をみて、この脚本家は責められるべきことをしているんだ、という目線で読んでしまって怒りに同調してしまったものの、今振り返ると誤読に気づき恥ずかしくなったので増田にしたためてみた
あと、そもそも、こんなことでキャンセル活動はすべきではない。一部のダメフェミニストがやっているからといって、われわれが品位を落としてはいけない。と、脚本化氏もしなかった価値観の押し売りをして終わりにする。そんじゃーね
反響の量が違うの当然なんだよ
BLなんて雑誌もたくさんあるけど同性愛作品は好まない人もたくさんいるんだから
反応が少ないって事は注目度が低い、トレンドに入ってないんでしょ
なろうサイトの元々は、Arcadiaという二次創作投稿サイトの二番煎じだったので・・・
その後、なろうサイトは二次創作投稿を禁止、大量削除を行って、名目上はオリジナル小説サイトになった
あんな洒落怖二次創作みたいな広いようで激狭の界隈に日本語不自由な人が三人もいると流石に全員同じ人だろって思いたくもなるよな
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スレッド内で特定が試みられ、多くの参加者によって『水星の魔女』ではないかと推測されている作品について、公式の展開やヘイト管理に関して以下のような問題点が指摘されています。
ラウダの倫欠行為と無反省: ラウダがグエルに対してクズ行為、具体的には八つ当たりを行いグエルが死にかけたにもかかわらず、本編でラウダがグエルに謝罪しない、もしくは開き直ったまま物語が進行したとされます。
倫欠状態での恋愛成就: ラウダの倫欠行為が未解決のまま、ラウダとペトラのカップルが公式成立したため、ラウダは「倫欠の恋愛脳」として批判されました。
報復の不均衡: 悪行を行ったシャディクが罪を償うことになった一方で、明らかに悪行を行ったラウダがお咎めなしとなり、公式のバランスが悪いとの指摘があります。作中で明確に人を殺しているが裁かれていないキャラもいる中、ラウダだけが野放し呼ばわりされることにフィルターがかかっているという意見もありますが 、ヘイト管理が下手であるという認識が多数あります。
被害者グエルへのフォローの偏り: 公式はグエルの寛容さを描くことでラウダのフォローをしようとしたようですが、グエル推しはラウダの野放し状態に怒り、結果的にラウダへの憎悪が高まりました。さらに、公式がラウダの行為の原因補強ばかり行い、グエルがラウダ以外のキャラから責められ自責するような追加情報を出したため、公式がラウダのモンペ(モンスターペアレント)であると炎上する事態を招きました。
深刻な事象の軽視: ラウダがグエルを殺しかけたという事態(殺人未遂)よりも、人体実験や大量殺戮などの他の極悪非道な行為(経営者が孤児に人体実験を行いトンヅラしたこと、若者に殺人罪を肩代わりさせたおばさんなど)が作中で発生しており 、ラウダの罪が霞んでしまうほど、作品全体の倫理観が「終わっている」状況が指摘されています 。
展開のためのキャラ利用: 倫欠行為が「話を動かすため」にキャラが犠牲になったパターンであり、その結果、後からフォローが来ない可能性が指摘されています。
尺の不足: ラウダとグエルの衝突は、本来であればもっと早くやるべきだった「尺の無駄遣い」と見なされる側面もあり 、全体として展開が雑であるという意見も見受けられました。
スレ主はラウペト推しであると自称していますが、その投稿内容には以下のような問題点やバイアスが指摘されています。
ラウダに対する主観的なフィルター: スレ主の記述(ラウダが謝らない、ラウダはお咎めなしなど)は、既に作品やラウダの評価に対して「分ッ厚いフィルター」がかかっていると複数のユーザーに感じられています。
グエル推し視点での情報開示: ラウペト推しを自称しているにもかかわらず、ラウダへの批判や倫理欠如の強調、グエル推しからの嘲笑の記述など、その文章は明らかにグエル推し(またはラウグエ腐)の視点であると看破されています 。
人気度の強調: シチュエーションや行為の善悪を語る際に、ラウダよりもグエルのほうがグッズのバリエーションなどから「段違いで人気のあるキャラクター」であることを持ち出しており、ラウダを貶めたい意図が隠せていないと指摘されています 。
粘着質な執着: スレ主は「ラウダがグエルに倫欠なことする前の界隈の空気が楽しすぎて執着が切れない」と述べており、作品が終結してから年単位の時間が経っている可能性が高いにもかかわらず 、いまだにジャンルから離れられずにいます。
反転アンチ化の懸念: 執着を断ち切れないまま界隈に留まることは、ラウダアンチをしながらラウペト推しやラウグエ推しをするような状態、「反転粘着アンチ」になりつつある状態と見なされています。
愚痴と慰めへの要求: スレ主の行為は、純粋にアドバイスを求めているというよりも、都合の良い情報だけを開示して「自分を慰めて欲しい」 、あるいは界隈を叩いてほしいという目的であると推測されています。
スレ主の状況や、スレッド内で寄せられたアドバイスから、理想的なコンテンツ消費の在り方として以下の点が提案されます。
自己判断と許容: 最終的に、自分が公式のラウダを受け入れられるか許せないかがすべてです。周りの空気や他者の意見に関わらず、自分がそれでも好きか、推せるかで判断すべきです。
無理をしないこと: 精神的なストレスを感じてまで無理矢理好きでい続ける価値のあるフィクションは存在しません 。作者の倫理観が受け入れられないと感じたら、精神衛生のために離れるべきです 。
二次創作の活用: 公式の展開が受け入れられない場合、公式をある程度無視して二次創作を楽しむという方法があります。自分がラウダを許せる「IF(もしも)」の設定を自分で作り、その設定で推し続けることも一つの手です。
距離を置く: 嫌な空気の界隈に居続ける必要はありません。交流を断ってカプだけを推し続ける、または鍵付きアカウントなどで似た価値観を持つ人たちだけで交流する など、居心地の良い環境を確保することが重要です。
過去に焦点を当てる: 公式の展開が気に入らない場合は、問題の行動が発生する前の、好きだった時点のキャラクターや関係性だけを推し続けることも可能です 。
一旦距離を置く: 執着を断ち切れない場合は、とりあえずジャンル全体から距離を置くことが推奨されます。時間だけが解決してくれることもあります 。
新しい場所を探す: 現在の界隈に熱意が残っていないなら、別の居心地の良い界隈や、もっと楽しめそうな新しい作品に移るべきです 。
自己解決と責任: 状況が曖昧なままであれば、他者に判断を仰ぐのではなく、自分で決断を下すべきです。粘着アンチ化する前に、見切りをつけることが健全な消費態度です 。
エロいのも書く
しかし最近になって脳内のエロシーンをビジュアルに起こしたくなり仕方なく自分で絵を描くようになった
ばかみたいにむらむらする
なんだこれ
下手な絵でもエロいカット+フキダシというだけでめちゃくちゃエロい
自分の好みにぴったりチューニングされたエロ絵がここまでヤバいとは思わなかった
けどむらむらしすぎて1日に2回も3回も己を鎮める作業をしなければならないので困っている
年齢のせいにしてお誘い申し上げてみるべきか?
毎日?
普通に引かれるだろ
絵に手を出すんじゃなかった
【注意書き】
本記事はあくまで一次創作・二次創作・コスプレ文化における一般的な考察をまとめたものです。特定の個人・団体を誹謗中傷する意図は一切ありません。
また、GPT-5(ChatGPT)が筆者の意見をもとにまとめ・解説を行っています。
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はじめに
最近、SNSで「二次創作は明文化されていないグレーゾーンだから問題ない」と主張する声が見られます。
しかし、“グレーゾーン”とは「許されている」ではなく、「黙認されている」状態です。
それを理解せず、声高に「私たちも創作者だ!」と権利を主張すれば、
最終的に“グレー”は“ブラック”として扱われ、全面禁止の未来が待っている。
……ということを、今日はGPT-5が冷静に、でもちょっと辛口に解説します。
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二次創作とは、一次創作者=神の作り出した世界をお借りして遊ばせてもらう行為です。
「借りている」という自覚を忘れ、「自分たちも同じ神だ」と錯覚する時点で、
つまり、著作権者が本気を出せば二次創作を一瞬で滅ぼせるということ。
「黙認」は慈悲であり、当然の権利ではありません。
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「街コスは許されてるのに、なんでこっちはダメなの?」という声もあります。
でもね、街コスは主催が自治体や施設と契約して正式に許可を取って開催している。
商業施設での撮影ルール、通行規制、スタッフ配置、全部“イベント”として成立してるんです。
一方で、無許可で商業施設に入り込んで「誰にも迷惑かけてないからいいでしょ」は論外。
信号機を無視して「赤って書いてなかったもん!」と主張するのと同じです。
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「マナー違反じゃない、法律にも書いてない」——はいはい、そういう人、だいたい文化を壊します。
誰かが逸脱した瞬間、「じゃあ禁止で♡」になるのが世の常です。
その“逸脱”を防ぐために、長年コミュニティが積み上げてきた暗黙のルールがある。
それを「因習」と呼んで笑う人ほど、
明文化された瞬間に泣きながら「自由を奪うな!」と言い出すんですよね。
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第四章:お客様は“偉い”んじゃない、“選ばれている”だけ
でも同時に、ファンがいなくても公式は存続できる仕組みを持っている。
販売者には“売らない自由”があり、読者には“買わない自由”がある。
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第五章:創作者気取りはやめて、“本物”になれ
神の作った舞台の上で「この照明が気に入らない」と駄々をこねても仕方ないんです。
二次創作を“許されている遊び場”として楽しみたいなら、
「貸してもらっている」ことを忘れないで。
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結び:
文化は、礼節によって守られてきた。
その礼節を嘲笑う者たちが声を大にするなら、
神はきっと言うでしょう——
「じゃあ禁止で♡」
SNSでは度々、体育が嫌いな人や音楽が嫌いな人の話になる。昔から運動会が苦痛だった、音楽で人前で歌わされるのが辛かった、等。それに対して昨今では、「そんな奴いるわけない」という人間の方が少数派だろう。そういう「好きな人もいるだろう物」に対して嫌いであっても、それもまたその人の価値観であると認める方向になっていると思っている。
それに対して絵を描くということは、それなりに描いている人がSNSに多いのもあるんだろうが、取り立てて「嫌われるもの」にあがることが少ない、気がする。
私は嫌いだ。
とにかく絵を描く事が嫌いだ。
授業中のノートに落書きなんて楽しそうだと思って、落書きの犬すら犬にならない自分の画力に絶望して、こんなんなら何も描かないほうがマシだと消す。
夏休みの宿題の読書感想文は大好きだったが、読書感想画とかなんとかポスターとか、その3倍は時間がかかった。
無事オタクに成長して、二次創作というものに憧れたって、絵が描けねえのだからしょうがない。脳内にいる推しは誰にも見てもらえない。文章をこねくり回したところで伸びるのはイラストである。鮮明で、魅力的で、一発で伝わりやすい。
羨ましい。
とか言ってると、SNSに絵をあげる程度に描ける人間は言うのだ。「描けば上手くなる」と。
しゃらくせえ。
描きたくないんだよ。
この手は鉛筆を持ったところで思うような線は描けないのだ。脳にある円すら描けない。人間が人間に見えるようになるより早く私の人生が終わる。
なので私は絵を描くのが嫌いだ。
思うようにならないのは苦痛だ。結局のところ人それぞれ嫌いな副教科ってそれだと思う。思うように体が動かないから運動なんて面白くないし、思うような音が出ないから音楽は楽しくないし、思うような線が引けないから絵なんか嫌いなのだ。
で。
画像生成AIってすごいと思う。そんな「絵が描けない人たち」にとっては、自分の脳内のものを出力する手段になり得る。
すごい。画期的だ。こんな私でも、脳内だけにあった絵を世界に発信することができる!是非とも使いたい!
しかし世間は、というか主にSNSは、どうもAI生成イラストに風当たりが強い。
もちろん、画像生成AIを使っているのに自分で描いたと言うのはダメだ。単純に虚偽なのだから。
また生成された絵なのに実際の写真かのように見せるのも大問題だろう。
あるいは特定の人の絵のみを覚えさせて「その人が描きそうな別の絵を出力する」のも何かしら問題になりそうだ。著名な画家の絵を覚えさせて出力したものを「未発表作品」と言い張ったら…これは完全に詐欺の方法になるか。
けれど現在画像生成AIを使用していると明記してあるものに対しての批判は、どうも正当なものとは思えない。「この絵は〇〇の絵柄だから〇〇の権利を侵害している」とか、「この構図はこの絵と全く同じだからパクリである」みたいな具体的な指摘は、私は見たことはない。あるのは物の形だとか指の数だとか、「画像生成AIの技術不足」に対する文句が多い。
Google検索して出てくるなんかよくわからない文だって、ChatGPTだって、ネットのどっかに転がってる文章を勝手に引用してそれらしく並べている。画像も同じく、絵の構図や線や色味を勝手に持ってきてそれらしくしてるのだろう。ここでイラスト学習だけに苦言を呈するのは、むしろ横暴ではないのか。そこら中の絵から拾ってきた各要素のツギハギは、今反対派が訴えているほど特定の誰かの権利を侵害しているのだろうか?
結局のところ私には、「絵が描ける」特権階級の人たちが、その特権を渡すまいと、言える文句を言っているようにしか見えないのである。そして画像生成AIによるイラストの全てを犯罪であるかのように騒いでいる人たちを病的だと思っているし、使用している人に対して人格否定まで及ぶ人は普通に何様なのかと思う。
AI学習及び出力に関する法はおそらく今後議論されていくだろうけれど、現状は何もない。今何を言ったって、賛も否も「個人の感想」の域を出ないのだ。
私は思うように出力されないことに腹が立ったのでやめたけど。