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2025-12-04

証明者――父と私、そして「存在しなかった」ものたち

春の陽射しが網戸を通して差し込む。父親がレール部分を指さす。「ここが出っ張っているから削ってくれ」。私は黙って見ていた。

彼の指さす先は、網戸の可動部分そのものだった。削れば機能しなくなる。彼は「ちょっとした困難」にすぐ人を頼る。

この癖が、彼の人生を、そして私との関係を、ゆっくりと確実に蝕んでいったのだと、今ならわかる。

水に沈むラジコン

私が小学校六年生のときの話だ。何週間もかけてラジコンカーを組み上げていた。

完成間近になった夜、父は「見せろ」と言った。暗がりの中、私は車体の最終調整をし、父に送信機を渡した。「触らないで」と念を押した。

彼は触った。いや、いたずらした。車体はバックし、深い水たまりにまっすぐ入った。

防水ではない。私は固まった。父は笑っていた。彼は私がキャンキャン騒ぐのを楽しんでいた。

子どもの反応をおもちゃのように弄ぶのが好きな男だった。

後日、母の叱責で父は謝罪した。窓を開け、寝ている私に投げやりに「悪かった」と叫んだ。

謝罪というより、恥辱の表明だった。何も伝わってこなかった。

この瞬間、私は「父」という存在を、一個の「人間」として測り始めた。そして、その測定結果は惨憺たるものだった。

父は幼い子ども特に五歳くらいまでの子に強い興味を示した。無理難題を言って反応を楽しむ。

しかし、子ども自我を持ち始め、「嫌なものは嫌」と言い出すと、彼の目は瞬く間に曇り、興味は失せた。

彼が求めたのは「思い通りになる関係」だった。それは存在しない幻想だ。だが彼は、その幻想依存し続けた。

春の朝暴力と、秋の出向

春になると、父は特別なことをした。早起きして私を叩き起こすのだ。

冬はない。春の陽気が、彼の中の何かを騒がせるらしい。「五分で着替えてグラウンドに出てこい」。それができないと、真っ赤な顔をして殴ってきた。

彼は「猶予を与えないこと」が得意だった。自分が起こされるときは、そんなことは一切ないのに。

時は流れ、父は会社で「懲罰人事」と呼ばれる社外出向を命じられた。

当時はリストラ時代ではない。彼は「出向イコールクビ」と二度繰り返し、絶望した。

青森かどこかへ行かされ、そこでは何もせず、無為時間を過ごし、苦しんでいたと後で聞いた。

不思議ものだ。同じ「出向」という境遇に、私は後に立つことになる。

だが私の感覚は違った。「落ち込んでいたけど、日々の出勤があるからね。なんかできないかなー」そう思った。

二万円のパソコンと、当時としては画期的低価格ソフトを買い、独学で使いこなした。

そして自作の便利なコマンドを作り、部署のみんなに入れてあげた。面白がられた。

そこに、大手IT企業から来たという男がいた。LANケーブルのこともわからず、私に頼ってきた。仕事から逃げる人だった。

「こんなダメ人間がいるのか」と思った。肩書と実力の乖離。父が会社でやっていたことも、おそらくこれに近かったのだろう。

暴力で言うことを聞かせ、逆らうと政治をする」。そんな男が、組織の本流から「放逐」されるのは、必然の成り行きだった。

網戸と算数問題集クラシック音楽

網戸の掃除の一件は、彼の人生の縮図のように思える。

自分で見て、考えて、ためしてみる――この最も基本的プロセスを、彼は常に他者に投げた。

その癖は、家庭の隅々に染み出ていた。

一緒に旅行に行こうと言い出したかと思うと、電車の中で突然言った。「お前は算数問題集を持ってきてやる」。

アホかと思った。旅行という非日常空間に、日常課題を持ち込む。

彼の頭の中には、私という人間感情欲望存在せず、あるのは「教育する父」という自分自身の役割に没入したいという欲求だけだった。

別の日、彼はテレビクラシック音楽番組を楽しそうに見終わると、手元を指さして言った。

ハイ、ここに三十分くらいクラシック音楽」。突然の指令である。私はレコードプレーヤーを持ってくるよう命じられ、むしゃくしゃした。

だって番組を楽しんでいたのに。彼の「いい気分」は、周囲の人間を突然「自分情緒体験の延長」として召喚する許可状になった。

ゴルフ指導もそうだった。一挙一動に大声で口を出し、完全に夢中になる。

彼が夢中になっているのは、私の上達でもない、親子の時間でもない。

指導者としての自分」に酔いしれる感覚のものだった。

水泳でも「それいけ!」とプール中に響く大声を出した。

それは私のためというより、自分自身の熱狂演出するパフォーマンスだった。

「胸がいっぱいです」と、存在しない相手の家

母方の叔母の話をしよう。彼女の息子は三十五歳でようやく結婚式を挙げた。

その場でマイクを握り、「私は胸がいっぱいです」と泣きながら言った。

私は意外だった。ふつう結婚式来賓を労うものだと思うからだ。

だが、これが母方の家系の特徴なのかもしれない、と後になって気づいた。

その叔母もまた、自分の息子が結婚した際、相手の家が存在しないかのような振る舞いを繰り返したという。

母も父と「同じ」だった。私の感情意思を、一個の独立したものとして尊重するという基盤が、初めからそこにはなかった。

母方の家系には、内輪の感情に強く没入し、その外側の他者を軽視する傾向が流れているようだった。

私は、父方の「支配幻想」と、母方の「没入と無視」という、二つの異なる「他者不在」のシステム交差点に生まれ落ちた。

からこそ、私は両方のシステムから自由な、「外部の観察者」となることを運命づけられていたのかもしれない。

高校生背中と、親戚への言いつけ

高校生のある日、私はついに父に「やり返した」。長年の理不尽暴力への反撃だ。

だが私は、顔面は避け、背中から押し倒すという「優しさ」すら守った。

彼は私を殴り返さなかった。代わりに、親戚中に電話をかけ、「息子が父親暴力をふるった」と言いふらした。

そこで私は、彼の「卑怯」の本質を見た。力の論理で負けるやいなや、たちまち「世間体」や「情の政治」という別の土俵に持ち込む。

会社で「逆らうと政治をする」というのも、まったく同じ手口だったに違いない。

家庭という密室では通用たこ手法が、会社というより広い社会では通用しなくなり、彼は「懲罰人事」という形で社会から排除されていった。

死の間際の「息子、息子」

父が死の床に就いた時、彼はひたすら「息子、息子」と考え続けていたと聞いた。その話を聞いて、私はなお一層、痛々しい気持ちになった。

なぜそこまで、自分を脱することができないのか。なぜ「最初から存在しなかった幼児」への依存から、一生抜け出せないのか。

彼が求め続けた「息子」は、私ではなかった。自我を持ち、意思を持ち、彼の支配を拒絶し、一個の人間として彼と対峙たこの私ではなかった。

彼が恋い慕ったのは、彼の心の中にだけ存在した「言いなりになる幻想幼児」だった。私は、その幻想体現できない「失敗作」として、彼の人生に居続けたのだ。

「生まれてこさせてもらって感謝」という問いの空虚

世間では「生まれてこさせてもらって感謝しなさい」と言われる。だが私は思う。最初から存在していないなら、生の苦しみも何もない。

まれる前の「私」に、生まれることの恩恵不利益もない。問い自体意味をなさない。

父や母は、「子どもを作った」という事実をもって、何かを成し遂げたと思っていたかもしれない。

だが、生物学的な子作りは猫や犬にもできる。なにも偉くない。

本当に難しいのは、その子どもを一個の独立した人格として尊重し、その人生を見守ることだ。

彼らにはそれが決定的に欠けていた。だから感謝」を求めること自体が、服従要求に感じられる。

私もうつ病になり、三十年近く貧しい生活を続けてきた。その中で気づいたのは、生きて給料を得ることすら、ある種の犬や猫が「できること」に過ぎないということだ。

社会はそれを「偉さ」の基準にするが、それができないからといって人間価値がなくなるわけではない。

逆に、それができたからといって、その人が他者尊重できる人間になるわけでもない。父がそうだったように。

理想化された対象と、網戸のパーツ

から私は思う。父のような人は、理想化されたホステスさんに、自分理想女性を「乗り移らせ」て、ぼーっと依存するほうがよほど健全だったのではないか、と。

対価を払い、時間区切り無辜他者を傷つけずに、自分幻想と向き合うことができるのだから

彼はそうしなかった。代わりに、逃げ場のない家族を、自分幻想支配欲の捌け口にした。

網戸のパーツを「出っ張り」と誤認し、削るよう命じたように、彼は現実を歪めて認識し、それを修正する責任他者押し付けた。

私は彼の「人生証明者」である

彼が家庭という密室で、そしておそらく会社という社会で、いか他者尊重せず、いか自己幻想依存し、いかにして孤立排除へと向かっていったかを、誰よりも詳細に証明できる存在だ。

同時に、私は彼の「反対の証明」でもありたい。出向先でパソコンを学び、コマンドを作って笑いをとったように。

網戸のパーツを削るように命じられながら、その誤りを見抜いたように。春の朝暴力に、「背中から落とす」という自制の反撃で応えたように。

彼が「懲罰」と見た場所で、私は「自分が伸びる材料」を見た。彼が「クビ」と絶望した処遇を、私は「日々の出勤があるから」と現実として受け入れた。

彼が「息子、息子」と幻想にすがった最期とき、私は「なぜ自分を脱せないのか」と、彼の孤独を見つめていた。

証拠はすべてここにある。水に沈んだラジコン春の朝グラウンド。網戸の誤認されたパーツ。親戚に言いつけた電話

青森での無為な日々。そして、私の中に残る虚しさと、それでも尚、現実能動的に関わろうとする、かすかな手応え。

子どもはすべて知っている。思う存分にやったことを、一つ一つ覚えている。

私は父の、そして母方の家系の、その「思う存分」の人生の、生きている証明なのだ

この証明書に刻まれ文字は、時に怒りに、時に哀れみに、時に深い虚無に染まる。

だが、それが私という人間の、否定しがたい一部であることも、また事実である

私は、彼らの「不在」の証明であることと引き換えに、少なくとも自分自身の「存在」の証人ではあり続ける。

2025-11-26

単純明快映画が好きなんだな

アマプラを見ていたらプロジェクトAに2がある事を知った。

親がジャッキーチェンが好きで、小さいころ兄弟と一緒に家で見た覚えがあるような、ないような。

でも2は見ていない気がする。親は香港警察が好きで、兄弟ラッシュアワーが好きでそればかり見ていただからかもしれない。

どんな話だったかなぁなんて思いながら見ていたが、めっちゃ単純。

明らかな悪役、カメラが激しく揺れずにしっかり見せてくれる戦闘シーン、そうはならやんやろなっとるやろがいなギャグシーン。

コテコテの「どうぞ!コミカルシーンです!」って感じがあるのがいい。ドシリアスだと疲れてしまう。

ドロドロの裏切りとか、クソみたいな人間関係とか、めんどくさい恋愛とか、ややこしい悪役のバッググラウンドとかない。

最後ジャッキーをすり潰そうとしているシーンなんてコテコテThe悪役で、一周回って良い。

プロジェクトA2で一番笑ったのは女性の家に3組も潜入されていて「潜入されすぎだろ!」って画面前で笑っていたらジャッキーが「どんだけ入り込まれているんだ!」って突っ込んで笑いが止まらなかった。



そして相変わらずNGシーンを見るたびに「よく死なないな…」と思うのである

こういうのでいいんだよ、こういうので、って感じだった。

ジャッキーの戦い方って小物を使うから動きが少ないけど、それが気持ちいいというか爽快というか。

コミカルで単純名器な映画、もう人気ないのかな。

エンタメ映画を見て、あー楽しかったって思える作品だった。

2025-11-06

岡山大学敷地内にサッカースタジアムを作ればいいんだよ

岡山大学学生さんも多く署名しているだろう

そもそも署名が50万あるから反対する理由はないはずだ

グーグルマップを見れば十分な大きさのグラウンドがあるのでそこを活用する

産学とプロスポーツ連携世界モデルケースになる

2025-10-26

anond:20251026040812

裏庭でのマヨネーズグルメ実験は、私たちの新しい日常になった。ポテトチップスに、庭で採れたトマトに、泉がこっそり作ってきたオムレツに。エイリアンソースをかけた瞬間、世界は味覚の頂点に達した。

しかし、私の胸には別の熱があった。それは、世界を覆った「膜」のせいで中断してしまった、高校サッカー最後大会への想いだ。私はエースストライカーとして、全国制覇を夢見ていた。世界が変わって以来、サッカーボールに触れることさえ億劫になっていた。

ある日の午後、泉がエイリアンソースをかけた焼きそば差し出してきたとき、私は思わず言った。「こんなに美味いソースがあるのに、この世界じゃ、もう誰とも勝負できないんだな」

泉は、静かに私の目を見つめた。「誰とも? 私がいるじゃない」

次の瞬間、彼女植木鉢があった場所――あの光の柱が昇った地面を指さした。「この『膜』が世界を閉ざしたんだとしたら、その法則を決められるのは、私たち二人だよ。ねえ、試してみようよ、あなたサッカー。このソース生命力を高めるなら、あなた身体能力も極限まで高まるはず」

泉の言葉は、私のスポ根魂に火をつけた。彼女が作った、エイリアンソースまみれの「エナジー焼きそば」を平らげた私は、その夜から猛烈なトレーニングを再開した。世界が停止したことで、学校グラウンドは貸し切り状態。泉は植木鉢の場所で、エイリアンソースを混ぜ合わせながら私を見守る。

「私のソース世界一。だからあなた世界一にならなきゃね」

彼女の期待を背負い、私はボールを蹴る。ソースの力か、泉の視線のおかげか、私のシュートは以前より遥かに鋭く、速くなっていた。私たち特別な愛と秘密は、世界を閉じ込めるだけでなく、私を世界最高のストライカーへと導こうとしていたのだ。私のゴールが、この閉ざされた世界を再び動かす、唯一の希望のように思えていた。

2025-10-23

サッカー試合中に草むしりをする息子

息子は小3男子

試合中に草むしりをしていた。彼はゴールキーパーで、自チームは攻めていた。

息子に目をやると、ペナルティエリアライン付近でしゃがんでいた。

最初は靴紐でも触っているのかと思ったが、どうやらグラウンドの草を抜いていた。

コーチチームメイトも、チームメイトの親たちも、おそらく誰も気がついていない。攻めている反対側のゴール付近をみているから。

息子は草を抜いては足で踏みつけ、少し前方に目をやると、また草を抜いていた。

しばらくすると、ボールグランド中央付近まで返ってきた。息子は手にしていた草を放り投げると、何事もなかったように試合に戻った。

後で聞いたら、彼のもっているロイシュのキーパーグローブは草むしりには向いていないそうだ。

2025-10-22

岡山サッカースタジアム岡山大学の敷地内に作るのがいいだろう

署名が50万あるなら岡山大学だけで1万くらいの署名があったはずなのでそれは学生の半数をゆうに超えている

岡山大学学生の半分以上が新スタジアムを望んでいるなら岡山大学にとりあえず作ってみるというコンセンサスを得ることは簡単だろう

岡山大の野球場などがあるグラウンドエリア津島中二丁目の東半分をつぶせば土地は確保できる

作ってしまえば入学式でも使える

試合の日はオープンキャンパスとすれば観客を入れることが出来る

大学管理なので稼働率問題なし

普段管理は新スタ予定地から西に200m程度の農学部が担えばよい

大学なら寄付金も相当集まるだろう

J1スタジアムのある大学なんて広島にもないよ

サッカー文化から商業的になってはいけない

まず大学が中核となる

2025-10-21

学生論文で生成AI使うの仕方ないわ。「小論に整理して」だけでこれ

下の山手線催涙スプレーに関するツイートを読みこませて、

多少ChatGPTと議論して「小論に整理して」とお願いするだけでこれなら

凡人の俺様がちんたらキーボード叩いて書く必要なんてないじゃんもう!

https://togetter.com/li/2618627

 

ただしここはハルシネーションぽいのでよろしくない

彼女自身が繰り返し使う「悔しかった」「お灸をすえたかった」という語は、

 

1. 弱者防衛暴力の線引き

今回の事件で多くの人が揺れたのは、「恐怖を感じた人の防衛行為」が、どこまで許されるかという点である

身体障害透析など、外見では分からない「見えない弱者」が社会で繰り返し軽視されてきたことは事実だ。

からこそ、彼女の感じた恐怖や屈辱には共感が寄せられた。

しかし、口論の段階で武器使用し、無関係他者まで巻き込んだ瞬間に、それは防衛ではなく攻撃へと転化する。

法的にも倫理的にも、暴力他人を傷つけた時点で、その正義は失われる。

 

2. 「40-50代じじい」――言葉に滲む敵意の構造

彼女SNS上で相手を「40-50代じじい」と呼んだ表現は、単なる感情の発露にとどまらない。

それは、相手行為ではなく属性のもの(年齢・性別)を攻撃対象とする言葉だ。

この瞬間、個人的トラブルは「中高年男性という集団」への敵意にすり替わる。

フェミサイドが「男が女を属性として殺す」構造だとすれば、

この言語構造はその**鏡像――“ミサンドリー的反射”**と言える。

弱者が自らを守る物語の中で、他者が“敵の象徴”として消費されていく現象は、暴力の形を変えた再生産に他ならない。

 

3. 恐怖と屈辱の混合

人が暴発する時、そこにあるのは純粋な恐怖だけではなく「屈辱」も強く関与する。

若いから座るな」「病気でも見えなければ認められない」という社会視線に対する怒りが、

個人攻撃者を超えて「社会全体への報復」に変わったのだろう。

彼女自身が繰り返し使う「悔しかった」「お灸をすえたかった」という語は、

生存防衛ではなく名誉回復を求める衝動を示している。

まり彼女の行動は、社会的な不平等への“象徴報復”として遂行された可能性が高い。

 

4. 弱者の「正義加害者」化

近年のSNS言説では、「女性」「障害者」「被害者」といった立場道徳的免罪を得やすい。

しかしその構造固定化すると、

被害の語りが暴力正当化する装置になりかねない。

「やり返して当然」「スカッとした」という共感連鎖は、

弱者を“聖なる報復者”として祭り上げ、暴力責任を薄めてしまう。

だが、恐怖や怒りが他者身体を傷つけた時、

それはどれほどの弱者であっても「正義加害者」となる。

この線を超えた瞬間、社会被害者を守る仕組みを失い、

誰もが「自分で裁く社会」へと堕ちていく。

 

5. 銃社会予兆としての事件

もしこの事件銃社会で起きていたら、催涙スプレーではなく発砲事件として報じられただろう。

「怖かった」「迫られた」と主張する発砲者が免罪される構造は、

アメリカの“スタンド・ユア・グラウンド法”の問題と同じである

恐怖を根拠にした先制攻撃が認められる社会では、暴力の独占は失われ、

全員が「潜在的加害者」として武装正当化するようになる。

今回の事件は、銃社会論理が非銃社会の中で萌芽した象徴的な出来事でもある。

 

6. 結語:正義の名を借りた暴力を見抜くために

この事件が投げかけたのは、

「恐怖と正義境界をどこに引くのか」という普遍的な問いである。

彼女の置かれた弱さには共感できる。

だが、その弱さが他者への攻撃免罪符になった瞬間、暴力正義模倣し始める。

フェミサイドミサンドリーも、根は同じ――恐怖を根拠他者人間として見なくなること。

私たちが考えるべきは、個人暴力報復しなくても済む社会的回路、

すなわち「恐怖を理性的に処理できる支援環境なのだ

2025-10-17

dorawii@執筆依頼募集中

文体文量以上に書いてるその内容やそれを書くに至ったバッググラウンドいかにも独特

そもそもあんなやつに高度になりすます理由もない

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2025-10-12

anond:20251012094311

上坂すみれさん、って、オタクなら、一度は上坂すみれさんでシコったことがある。

と断言してもいいくらオタクのツボにハマる女だよな。

オタクとは、ロシア語に堪能である、とかそういうバッググラウンドストーリーにエレクトして粗チンをしごく生き物だから

2025-10-10

anond:20251010021033

3割の男は生涯未婚なんだから15人中嫌いな男子4、5名はグラウンド20州させとけばいい

2025-10-02

anond:20251001204518

ぶっちゃけこれって構造的な問題であって、お母さんも子供もそれの犠牲者なんですよね。

なんで子供たち(に限らないですが)が靴のかかとを踏むかというとちゃんと靴を履くのが面倒だからですよね。

で、なんで靴を履くのが面倒かというと、日本の家や生活習慣や教育機関が靴をちゃんと履ける環境になっていないからです。

日本の家は、といっても一軒家を除くんですが、玄関で靴を座って脱ぎ履きするようになってないんですよね。

一軒家でちゃんと上がり框がしつらえてあれば座って靴を履いたり脱いだりできるんですが、集合住宅だとたたきと5cmくらいの段差があるだけで座れる構造になってなくて、立ったまま靴を脱ぎ履きしないといけないようになっています。脱ぐときに靴ひもをほどいて、履くときは靴ひもを緩めて足を入れて靴ひもを締めて結ぶというのがきちんと靴を履くということですが、立ったままこれをやるのはかんりしんどいし、腰への負担にもなります。それでどうなるかというと、いちいち靴ひもを緩めたり締めたりしなくていいようにずっとゆるゆるにしておく、それでも面倒だからかかとは踏んでサンダル草履みたいに履けるようにしてしまう、と。まあもともと日本人は草履下駄を履く生活をしていたわけである意味原点回帰といえるかもしれないですね。最近バリアフリーということで一軒家でも玄関の段差も低めになってたりスロープになくしたりするみたいで、ますます靴を履きにくくなっているのかもしれませんね。玄関に段差があるのは、日本では家屋を高床式にして基礎を30~50cm高く作るようになっているからで、これは湿度が高い気候で地面が湿っていて水害もままある土地木造住宅を建てるには必要ことなんでしょうね。

それで次の問題は、そういうあまり靴をちゃんと履けるようになっていないところで靴をちゃんと履いても子供たちが学校に行くとせっかく履いた靴を脱げとなる上靴下文化ですね。せっかく靴を履いても30分もしないうちに脱げと言われるんじゃ、まともに履く気にはならないですよね。そして上靴を履くときに靴を履くための環境は全く用意されておらず、登校してきた子供たちがひしめく中で立ったまま履かないといけないわけです。立ったまま靴を脱ぎ履きできるようになることは新小学一年生最初にできなくてはならないことの一つだそうです。学校が率先して靴の変な脱ぎ履きの仕方を教えているということですね。それで、休み時間グラウンドで遊びたいと思ったらまた上靴を脱いで下足に履き替えないといけないし、休み時間が終わったらまた下足を上靴に履き替えないといけないし、グラウンドでの体育や校外学習があったりするとその時も同様ですね。なんというか日本小学校に足育なんて夢のまた夢、学校がかかとを踏む子を育てていると言っていいでしょう。

大人子供たちほど靴を脱ぐ場面があるわけではないですが、子育てしていると保育園の登降園時に発生しますし、職場スリッパに履き替える人がいたり、履き替えないといけない職場だったり、デスクの下で靴を脱いでいたり、昼食や夕食に行った先が座敷だったり、ということもありますね。ちゃんと座って靴を脱いだり履いたりして、靴ひもを結びなおしている人がどれだけいるでしょうか。そもそも靴ひもは毎回結びなおさないといけないということを知らなかったりしますよね。子供のころからそういう風に指導されてませんからね。


まあ、そういうわけで靴のかかとを踏んでしまうのは、靴をきちんと履ける場所がないことと、それにもかかわらず高頻度での靴の脱ぎ履きを要求されるから、ということになりますね。

とりあえず学校上履き文化をやめませんかね。

2025-09-29

岡山大学付属ファジアーノ岡山 これしかない

J1に岡山大の名前を出して地域活性化

若いイメージ演出

企業名は駄目だが大学名が弾かれるなんてあってはならない

岡山大に寄付を行う地域の有名企業が増え岡大生露出が爆上がり

学生ファンサポーター東京流出せず、地域に好循環をもたらす

スポンサーも鈴なりに集まり年俸も確保

引退後は岡大教員というセカンドキャリア選手安心

岡山大のグラウンド解体し200m四方サッカー新スタを建設

サッカー開催日毎週土曜日曜にオープンキャンパス

これは地域に愛される

広島どころかイングランドにも真似できない快挙

これしかない

anond:20250928235706

そうか?

俺はクソガキの頃から田舎に住んでいるが、以下のアクティティをしたぞ。

2025-09-25

anond:20250924190655

さて、盛岡以外の岩手

とりあえず花巻周辺から花巻宮沢賢治故郷であり、花巻高校があることからこれ絡みのスポットもそれなりにある。また周辺の町を合併しているのでそちらにあったものも今では花巻にあるものになっている。

とりわけ宮沢賢治絡みは非常に多い。

宮沢賢治記念館: 宮沢賢治について考える際にこの施設を抜きにしては語れない。新花巻駅そばの山の上(歩いていくにはちょっと遠い)にある。麓には「宮沢賢治童話村」という関連施設もあり近くなので必見っぽいが少し低年齢向けかもしれない。

羅須地人協会: 現在花巻空港に隣接する花巻農業高校敷地内に移設されている。宮沢賢治が書いたとされる黒板「下ノ畑ニ居リマス」は現在もかすれるたびに生徒が書き足して保存している。移設前の場所は記念館の南の方にある「雨ニモマケズ記念碑」がある場所にあった(この記念碑の字を書いたのは高村光太郎宮沢賢治の弟を頼って花巻疎開している)。

イギリス海岸: 記念館よりは花巻市に近い北上川沿いのとある場所現在ダム治水のせいで海岸を思わせる川岸が全く見えなくなっているが命日の9/21前後にはダムの放水量を調整して川岸が見えるようにする挑戦が毎年行われている。

そのほか、銀河鉄道絡みの壁画とかオブジェとかはあちこちにある。

花巻高校現存する高校で当然関係者以外は立入禁止だが、この学校公園に隣接していて、高校野球グラウンドがその最たるもの。このため菊池雄星大谷翔平、ついでに佐々木太郎の記念モニュメント公園から見える側に設置されている。なお在学中に大谷翔平が通ったとされるラーメン店スープカレー店はどちらも高校最寄りの店が閉店していて現存しない(支店現存するので食べてみたいときはそっちにいくといい、バガボンドもしくはスープカレーしっぽで検索のこと)。

高校の南隣にはるんびにい美術館がある。アール・ブリュット多めの展示(それだけではないけど)。観覧無料

花巻市内はあまり見るものが多くない。宮沢賢治生家は現在も使われているので中に入れないし。ただそこから少し北に歩いたところにあるマルカビルの大食堂は唯一と言っていいほどの活気がある。いわゆるデパート最上階大食堂の体で営業しているのでメニュー寿司からホットケーキエビフライまでなんでもあるが、来た人はたいていソフトクリーム、腹に余裕があればナポリカツを注文する。なぜかソフトクリームは箸で食べるのがここのやり方。この2つのメニュー花巻空港食堂でも出しているが空港価格になっているので他に替えがないときだけの候補にすべき。

宮沢賢治絡みだが別に見るべきでもないところと言えば花巻文化会館。実はこの敷地宮沢賢治が教鞭をとっていた花巻農学校の跡地である。近くに宮沢賢治の墓がある寺がある以外は特に賢治絡みで語るものはないのだが、この敷地に隣接して「ポパイ」という名前レストランがあり、ここが花巻特産であるプラチナポークこと白金豚を養豚している会社直営店で食べる価値がある。

花巻周辺地域といえば、石鳥谷東和、そして花巻の名がつく2つの温泉郷(峡)

石鳥谷周辺は南部杜氏の郷であり、酒蔵がいくつか存在資料館存在する。この資料館は有料試飲も可能おすすめなのだが、唯一の欠点はこの建物道の駅に隣接しているということ。ハンドルキーパーを用意するかタクシーを使わないと試飲出来ない。

東和は毎年クラフト市が秋に開かれる。今年は10月12,13日。興味のある向きには時期を合わせて行くべき賑わいを見せる。そうでない時期にもここ出身画家萬鉄五郎作品を集めた記念美術館一見価値あり。

花巻は市全体の温泉を「花巻温泉郷」としてPRしているが、地元の人は花巻温泉(と、台温泉)とそれ以外の温泉区別して考えることが多い。それ以外のほとんどがあるのが花巻温泉から尾根一つ南の川沿いにある花巻温泉峡。

花巻温泉は4つの宿があるが、全て同じ会社経営している。一番奥の旅館ランク上で、あとの3つは価格帯的には似たようなもの宿泊者向けイベントが(食べ物企画含め)多いし、宮沢賢治絡みの施設(花壇)もある。

花巻温泉峡で有名なのは大沢温泉鉛温泉大沢温泉自炊宿が併設されている。鉛温泉は立って入っても背が立たないこともある深い湯船で有名。いちおう、近辺には廃校を利用した昭和グッズ博物館がある。


項を分けて書こうかと思ったけど、北上もここに書いておこう。

実は北上工場な街で、見るところあんまりない。施設としては鬼の館くらい(民俗芸能として鬼剣舞がある関係北上は鬼を推している)。公園としては北上川展勝地が桜の名所だが桜以外のシーズンはまあ……な感じ。いちおうすぐ側にみちのく民族という古民家展示施設があるので、興味があれば。資料は多い。

それ以外には、北上駅の西口。何もない場所だが、呪術廻戦の最終回近くでの舞台となった。

温泉は、夏油温泉という温泉おすすめ。唯一の難点は露天風呂が全部混浴だったこなのだが、今調べたら5つある露天風呂の1つは女性専用になっているらしい。

それ以外に、北上金ケ崎インターそばにある「メフレ市場食堂」という食堂海鮮丼リーズナブルおすすめなのだけど、そう言えば海鮮には興味がなかったんだっけ?元増田は。

追記: 北上で1ヶ所、超重要場所を書くのを忘れていた。カケタ養鶏場。107号が東北本線と交差する陸橋の手前に直売店がある。ここの唐揚げうまい

2025-09-04

会社の同期、運動部の男と運動部女子マネージャー運動部取材する学生新聞部員ばっかりでイライラしてきた

どいつもこいつも自分が大舞台応援されて当たり前みたいなノリで生きてて腹立つわ

運動部の奴も野球とかじゃなくてフェンシングとかそういうマイナー部活の奴だし

マネージャー新聞部に関しては別にプレイヤーでもないのになんで大会成績について自分の手柄みたいな言い方してんだよ それが一番腹立つわ

野球やったことないくせに、グラウンドに立つ歓び……!(笑)みたいなこと言ってんの意味不明

あ〜早慶戦?ね(笑)早慶戦は準備大変だよ、でも得られるものも多かったよ……(笑)

↑お前は日大なのになんで早慶の話してんの?

2025-08-31

富士通OEMばっかりやってたからだめな会社になった」

しかOEM 製品とは、富士通出身のやつが入れ知恵しそうなことだ。

ただ富士通にしても三洋電機にしてもoemで、実績を積んでいったことが、最終的に自分製品を強くしてるかと言うとしてないんだよ。富士通事業を変えたし、三洋は潰れたし。

車なら技術交流としてありだが、業種によってはヤバイ

まり何かを作るってことは?企画とかデザインとか上の方の部分まで含めて製造なわけですよ。生産だけ自分たちでやっても製造の中でも抽象的なグラウンドデザインの部分がいつまでたっても育たないまま売上だけが大きくなるから組織の中と実態で不協和が起こるんですまあ実行してるやつが光通信出身から光通信なんていうのは営業代行会社

もっと製品ことなんてどうでもいい人たちだからものづくりどころか、現場の作り方もよくわかってないんだよね。

これはグランドデザインっていう意味でもそうだし、安全コンプラみたいなところでもそうだよ

私、光通信のやつ3人知ってるけど、全員同じような曲線をたどって、最終的に事業をたたまざるを得ないところに進んでいく。

ましてや OEM に手を出した時点で伸びるスピードは速いかもしれないけど、実質ドーピングみたいなもんだからな。グラデーションの塗り方が甘いよ

まあ、富士通出身のやつと光通信出身のやつがみんなはクリエイティブを楽しんでいる中で、自分たちだけ OEM をやってそれで虚構の実績作りとかいビジネスの中でもかなりあくどい事例をやってるわけだから闇鍋というしかないよ。発注した人間たちの良心を疑う。

ちなみになんだけど、富士通って大昔のコンピューター時代から一貫して下駄を履いてる会社なので、あれは実力的に売上ほどではないです

銀行システムの話昔のコンピューター政策の話とか調べれば俺の言いたいことは多分わかってもらえると思う。

富士通光通信と違って、ちゃんとまともに大手な所っていうのは売上のために自分たちの会社の中でノウハウが積み上がらないとはそういうことしないんだよ。

そして、売上に婉曲的に影響する現場の人たちが共有しないといけない価値観っていうのをしっかり共有できてんだよ。見たからわかるよ

いつまでも中小企業だったり、いつまでも尊敬されない(裏でこそこそ笑われる)会社っていうのは、直接の売上に影響するところ、ばっかり大事にすんだよ。これも見たことあるからよくわかるんだな。

上辺の売り上げが印象ばっかり大事にしてる会社っていうのは残念ながら実在するんだよ。 そしてそれはちゃん社会経験がある人間なら言葉聞けば分かるんだよ。この社会経験っていうのは勤務した年数とかじゃない。価値観のぶつかり合いと修羅場経験した人間ね。

価値観がぶつからないと売上が大事なのか、もっと大事なことがあるのかさえ抜本的に考えないんだよ。俺は考えたけどな

まあ、僕より年上で社会ステータスも高かった人たちが価値観のぶつかり合いや修羅場経験してないということが分かって「サラリーマン名刺実績バトルってばかばかしいな」と改めて思うよ。

就職活動が嘘つき合戦なのは、ハリボテの実績を並べる人を好んでた、時代企業があるからです ただ、私の場合リボテの実績や名刺みたいなものは無しで、勝負し続けてちゃん自分が成長したり、理解したりアイデアを出したり、愛情を持って他人に接することで信頼を勝ち取りました。同じことができるものならやってみろ。生まれ変わったってお前たちには絶対にできない 。

私にだってその道の人が聞けばあっと驚くような実績はあるよ。でも言うよりもやって見せた方が格の違いを見せつけられるので言わないんだよ。

俺が自分のために作ったマニュアル会社採用されるという珍現象が起こったんだぞ!!自慢したいのは山々だけど自慢するのも恥ずかしい話だよ

それ以前の問題として過去仕事ですごかった人間でも今いる現場に合わせたチューンナップができないならそいつ無能だ。無能に騙されるな 私がブチ切れてるのは頭の悪い人間というのは一定数いて頭の悪いトレンドを作ったり、悪人虚構お金や実績を提供したりするバカ一定数いるということだ。

自分に近いコミュニティバカ一網打尽したい

https://www.youtube.com/watch?si=KrH1d8fZob6Aq83N&v=9hJLzzmbQAY&feature=youtu.be

もはや富士通の人と光通信の人に対してバカだなとしか思わない。腹が立つのはむしろバカに餌をあげてる増殖したバカだ。なまじ富士通光通信というビジネス界の阿片窟みたいなところから悪知恵をインターネットに持ち込んでるもんだからバカは騙されるというわけさ。今はそいつらに頭に来てる。

定義するなら媒介者?いや、むしろ培養者と言った方がいいかバカバカ培養するな。誰も幸せにしないものが世の中に増えるだけだよ。

それを黙って見ているほど、私は人の心を捨てたつもりはない。態度が悪いのは100も承知だが、言うべきことは言わせてもらう

2025-08-30

「われわれなりのロマンティック」の感想

アンケート用紙にあったwebアンケートこちらのQRコードを読み込み忘れたから代わりに感想をここに書こうと思う。

演劇は一応、年に2、3回くらい気になるのがあれば観るけど...みたいな感じで、とにかく期待してがっかりするのも嫌だし、傷つけられるのも嫌だから、警戒して警戒して観終わるまで警戒し続けるのが癖になっている。

ちなみにいいへんじの公演は初めて見た、そして恥ずかしながら出演者はじめ誰のことも存じ上げずただタイトルだけで気になってビビりながら予約してしまった。

自分クィアセクシュアリティジェンダーアイデンティティも明かさないけれど、少なくとも黙ってたら無いことにされがちな存在だ。自分自身でも自分が何者なのか油断したら自分輪郭も分からなくなりそうなくらい。

「われわれなりのロマンティック」を観て、驚いたことがある。自分想像したことのない、想像するという発想すら思い浮かばない「未来」みたいなのが「存在する」かもしれないということに気づいた。

自分のこの性的指向性自認人間未来に、こういうことが起きる可能性もある、その場合にはこんなことが起きる可能性もある、と、知らない未来みたいなのがなんか沢山出てきて本当に驚いた。

自分が「将来」を想像できていなかったことに初めて気がついた。

なんていうか、自分にも「将来」があるってことに、初めて気がついて本当にどうしよう、という気持ちが正直なところだ。そういえば「将来」になる前に死ぬか、もしくは永遠に将来が来ない生活を送るような感覚でいたな。

小中学生性的少数者当事者として物語(ロールモデルとか?)に触れられるように....」みたいな話を聞いたことはあったけど、自分は成人してから自分のことに気がついた人間から、それは大事なことだけど自分とは関係ない話、自分対象ではないことだと思っていた。

だけど、めっちゃ自分の話でもあったんだということに今回のことで気づき本当に驚いている。

もしかして一般的」とされる、シスヘテロ異性愛規範に当てはまれる人たちは、普段から将来像みたいなものを小さい頃から数えきれないほど、いろんなメディアで、テレビcmや教材のレベルで触れてきたのか??と思うと、まじかよ!いいな!!!!!おれも沢山ほしい!!!!!!知りたい!!!!!!!!

ほんでずっと自分が遠い話として見てきたいろんな物語はなんだったんだろう。友達とどっちのキャラがいい?みたいなのも、もしかして互いに違う感覚のまま話してたんかな、とか色々思い出した。

引っかからない点がないわけではなかった、グラウンドルールの1番に「何でも話していい」があるのに、「相手ジェンダーセクシュアリティを決めつけない」とかがないのは気になったし、あと開演前と終演後のBGMが割とガチャガチャしていてプレイリストを順番に流している感じも気になった。上演の中にある音楽と同じくらい大切に扱ってくれたらいいのにとちょっと思った。

そんなんもちょこちょこ思ったりもしたけど、でもとにかく、本当に、自分にとっては本当にびっくりする出来事で、とんでもないことを教えてくれたかありがとうという気持ちでいっぱいである。

自分登場人物全員をキャラクターと俳優の姿をしっかり認識して観終われたのは、書いた人が、つくった人たちが丁寧に向き合ったからだと思う。2人とか、3人だけじゃなくて、9人で書いてくれたから、9人の俳優がいてくれたか最後まで座って観ていられたし、助けられた。

最終公演まで、みんな元気に駆け抜けてほしい。

そして座席の数がゆるす限りできるだけ多くの人がこの公演を見て、分からなくても考え続けて生きていってくれたら、自分は多分どこかでほんの少し救われる。

もし自分みたいな人がいたら、演劇を観たことがない人でも、試しに、恐る恐るでいいから観に行ってみてほしい。東京三鷹ってとこでやってるよ。

https://wareroma.studio.site/

「われわれなりのロマンティック」の感想

アンケート用紙にあったwebアンケートこちらのQRコードを読み込み忘れたから代わりに感想をここに書こうと思う。

演劇は一応、年に2、3回くらい気になるのがあれば観るけど...みたいな感じで、とにかく期待してがっかりするのも嫌だし、傷つけられるのも嫌だから、警戒して警戒して観終わるまで警戒し続けるのが癖になっている。

ちなみにいいへんじの公演は初めて見た、そして恥ずかしながら出演者はじめ誰のことも存じ上げずただタイトルだけで気になってビビりながら予約してしまった。

自分クィアセクシュアリティジェンダーアイデンティティも明かさないけれど、少なくとも黙ってたら無いことにされがちな存在だ。自分自身でも自分が何者なのか油断したら自分輪郭も分からなくなりそうなくらい。

「われわれなりのロマンティック」を観て、驚いたことがある。自分想像したことのない、想像するという発想すら思い浮かばない「未来」みたいなのが「存在する」かもしれないということに気づいた。

自分のこの性的指向性自認人間未来に、こういうことが起きる可能性もある、その場合にはこんなことが起きる可能性もある、と、知らない未来みたいなのがなんか沢山出てきて本当に驚いた。

自分が「将来」を想像できていなかったことに初めて気がついた。

なんていうか、自分にも「将来」があるってことに、初めて気がついて本当にどうしよう、という気持ちが正直なところだ。そういえば「将来」になる前に死ぬか、もしくは永遠に将来が来ない生活を送るような感覚でいたな。

小中学生性的少数者当事者として物語(ロールモデルとか?)に触れられるように....」みたいな話を聞いたことはあったけど、自分は成人してから自分のことに気がついた人間から、それは大事なことだけど自分とは関係ない話、自分対象ではないことだと思っていた。

だけど、めっちゃ自分の話でもあったんだということに今回のことで気づき本当に驚いている。

もしかして一般的」とされる、シスヘテロ異性愛規範に当てはまれる人たちは、普段から将来像みたいなものを小さい頃から数えきれないほど、いろんなメディアで、テレビcmや教材のレベルで触れてきたのか??と思うと、まじかよ!いいな!!!!!おれも沢山ほしい!!!!!!知りたい!!!!!!!!

ほんでずっと自分が遠い話として見てきたいろんな物語はなんだったんだろう。友達とどっちのキャラがいい?みたいなのも、もしかして互いに違う感覚のまま話してたんかな、とか色々思い出した。

引っかからない点がないわけではなかった、グラウンドルールの1番に「何でも話していい」があるのに、「相手ジェンダーセクシュアリティを決めつけない」とかがないのは気になったし、あと開演前と終演後のBGMが割とガチャガチャしていてプレイリストを順番に流している感じも気になった。上演の中にある音楽と同じくらい大切に扱ってくれたらいいのにとちょっと思った。

そんなんもちょこちょこ思ったりもしたけど、でもとにかく、本当に、自分にとっては本当にびっくりする出来事で、とんでもないことを教えてくれたかありがとうという気持ちでいっぱいである。

自分登場人物全員をキャラクターと俳優の姿をしっかり認識して観終われたのは、書いた人が、つくった人たちが丁寧に向き合ったからだと思う。2人とか、3人だけじゃなくて、9人で書いてくれたから、9人の俳優がいてくれたか最後まで座って観ていられたし、助けられた。

最終公演まで、みんな元気に駆け抜けてほしい。

そして座席の数がゆるす限りできるだけ多くの人がこの公演を見て、分からなくても考え続けて生きていってくれたら、自分は多分どこかでほんの少し救われる。

もし自分みたいな人がいたら、演劇を観たことがない人でも、試しに、恐る恐るでいいから観に行ってみてほしい。東京三鷹ってとこでやってるよ。

https://wareroma.studio.site/

2025-08-29

プロでも誤審は無くならない。

こんな環境でする人はいない。

人生が変わる理論だと高校野球以外にも都市対抗大学野球中学校小学校まできりが無い。

設備お金必要です。選手がそこまで求めるなら選手お金を出す仕組みでやれば良い。

金ださずに口は出すは良くないです。

私も審判しています選手より早く行きグラウンド作り、一〜二試合やって選手より遅く帰る。

審判しない人が頑張っている人を批判する、私も引退を考えなければ。

から言うのは簡単だがやるのは大変。

皆様ぜひやってみましょう!

返信

kos********

25分前

非表示・報告

野球経験者で審判感謝していない人はいません。

草野球審判でさえ大変。

一度でも経験すれば審判文句言う気は無くなります

球審する時は「全球スイングしろ」と思いながらやってます

きわどい球を見逃す打者には殺意が湧きます

2025-08-28

広陵高校暴力事件は「昭和」的なものではない

広陵高校暴力事件がまだまだ炎上中だが、「昭和から連綿と続いている暴力体質」などの批判が多くみられたので、いやいやそれは違う、同じ暴力でも昭和野球部暴力とは根本的に質が違うんだということを、ここでメモ書きしておきたい。


昭和時代の野球部暴力

暴力文字通り日常的で、建前的にも指導上の暴力は許されていた。

不特定多数の人の見てるグラウンドでも公然と殴る。

指導者やOBも、殴った殴られたという事実を隠すことはなく、普通に懐かしそうに振り返って語る。

選手の側も、小さい頃から親や教師、近所のおじさんに、さんざん殴られ続けているので、基本的に大したショックは受けていない。指導者や先輩に反抗した、というエピソードも珍しくない。

暴力が嫌になったら簡単野球部をやめて、高校に通い続けてそのまま卒業した。


平成後期以降の野球部暴力

暴力の回数自体は減り、指導上の暴力も建前的には許されなくなった。

・全寮制や室内練習場が完備された私学が増え、密室の閉鎖的な空間で殴る。人が見ているグランドでは絶対にやらない。

指導者は、表向きは「暴力は今は許されない」と語る。OBもせいぜい「寮生活地獄野球どころじゃなかった」という話にして誤魔化す。

選手中学まで人に殴られた経験がないので、入部してからショックを受けて、そのまま指導者と先輩に絶対服従になる。

暴力が嫌でも全寮制なので逃げ場がなく、平日の授業も野球部で固まったクラスで受けているので、逃げるには中退しか方法がない。

2025-08-13

甲子園好きの親父の見解

うちの親父は野球好き。

そして何よりも高校野球が好きだ。

そんな父親過去に「こんな選手高野連権限で退場させろ!」と息巻いていた場面がある。

それは花巻東のカッティング東海大四校の山なりボール

なぜ許せないのか聞いたところ「こざかしい」と。

身体の小さな選手の生きる道ではないか?」と聞くと「野球ってのは全力で投げて打つもんなんだ!!ちんちくりんがちょこまかちょこまかしてると鬱陶しくてしょうがないだ!!」と言っていた。

父が好きなのは大谷選手、藤浪選手松井選手松坂選手など。

プロ入りした後は基本的に興味を失うようで、大谷翔平以外のプロ野球には全く注目していない。

今回の広陵について聞いたところ「本当に広陵の辞退はもったいないよ!良い選手もいて本当に続きが見たかった!」と太ももを叩いて悔しがっていた。

いじめについて聞いたところ「いじめがあったかどうかとか、内容とか、誰がやったとかは知らねえけどよ!グラウンド野球ルール守ってりゃ別にいいだろ!この前もテレビでも誰かがわーわーやってたけどよ!『いじめられたのはおめえか?違うだろ!』って言ってやりたかったな!」と言っていた。

野球好きの感覚なんてこんなもんだろうよ。

2025-08-12

野球部ソフトボール部相互監視すればいいんじゃね?

相手の部で暴力事件が起きて活動自粛かになったらグラウンドが広く使えるようになるから監視してチクリあうようにすれば、学校内で自浄作用機能するようになるんじゃね?天才じゃね?

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