はてなキーワード: 実態とは
削除されてしまいましたが、先日、スタートアップ界隈で話題になったQiitaのアドベントカレンダー記事はお読みになられましたか。
『チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?』という、パンクなタイトルの記事でした。
内容は、とあるスタートアップの開発チームに、社長の鶴の一声(と投資家への忖度)で、文字通りの「チンパンジー(パンジくん)」が配属されるというお話。
記事では、マネージャーが奔走してパンジくんを隔離し、誰も傷つかずにハッピーエンドを迎える「成功ルート」が本線として描かれ、一方で、対応を間違えた場合の「失敗ルート(IF)」では、パンジくんが暴れて社員の指を食いちぎるというショッキングなバッドエンドも提示されました。
「不適切で消されちゃったけど、チンパンジーが配属されてきたらどうマネジメントするか?の話、勉強になった。ただの匿名記事だと思ったら企業Blogだったのかww」
「マネジメントしようなんて思わずにそっと転職準備を始めるよ…」
その不条理さに頭を抱え、あるいは共感した人々が見られました。
しかし、かつて大学で動物行動学を専攻し、チンパンジーの社会構造を研究してからこの人間社会というジャングルへ足を踏み入れた身として、あえて言わせてください。
「たった一頭のチンパンジーで大騒ぎするなんて、スタートアップの世界はなんと平和で、牧歌的なんだろう」
私たちパンピー(一般人)こそが檻に押し込められ、燃料としてくべられる。
それが、生物学的に見たこの社会におけるマネジメントの「正解」なのです。
世の中には、元記事で「最悪のIF」として描かれた地獄絵図が、「日常(デフォルト)」として機能している業界が存在します。そう、永田町(国会議員秘書)、大手広告代理店、そして学校の世界です。
私たち「多頭飼育」のプロフェッショナルたちが導き出した、残酷な最適解。それは、猛獣を隔離することではありません。
「猛獣(カネと権力の源泉)を守り、その価値を最大化するために、人間(一般社員や生徒)を燃料として燃やし続けること」
なぜ、そんな理不尽がまかり通るのか?
それを理解するには、少しだけ「チンパンジーという生き物の仕様」について、講義をする必要があります。
皆さんはチンパンジーを「バナナを食べる動物」だと思っていませんか?
動物行動学の視点では、それは間違いです。チンパンジーとは、餌よりも先に「序列」と「権力」をめぐる動物だと定義したほうが、その本質を理解しやすくなります。
野生の群れに関するフィールド研究では、オス同士が同盟を組み、毛づくろいや餌の分配をテコにして「誰が誰の味方か」を積み上げ、厳しい序列を作ることが報告されています(Goodall 1986, de Waal 2007)。
恐ろしいのは、彼らの生理機能そのものが、このゲームに最適化されている点です。
優位なオスほどテストステロン値が高く、地位争いが激しい時期には、群れ全体でコルチゾール(ストレスホルモン)が上昇します。彼らはリラックスしているのではなく、筋肉維持と闘争準備のために、常時エンジンを吹かしてアイドリングしている状態なのです(Muehlenbein 2010, Wrangham 2004)。
彼らの社会は一枚岩ではありません。日中は小さなサブグループに分かれ、餌場やメンバーの顔ぶれに応じて離合集散を繰り返す「フィッション・フュージョン(離合集散)社会」です(Arcadi 2018)。
この流動的な派閥構造の上に、オス中心の強固な序列が重なる。これ、何かに似ていませんか?そう、人間の「派閥」や「部署」そのものです。
3. 「戦争」をする隣人
そして、彼らは他群れの個体に対して容赦のない暴力を振るいます。
オスたちがパトロール隊を組んで隣接群を襲撃し、時に相手を殺害して縄張りを拡大する「小規模な戦争」が、自然状態で起きていることが確認されています(Goodall 2019, Gilby 2014)。
この「生物学的な仕様」を頭に入れた上で、私たちの住むジャングル(日本社会)を見渡してみましょう。
そこには、驚くほど忠実にチンパンジーの生態を再現した「多頭飼育現場」が広がっています。
まず、国内最大級かつ最も危険な飼育現場が、永田町周辺の「国会議員秘書」という聖域です。
ここでは、高いテストステロンと強固な血縁同盟を持った猛獣たちが、「公設秘書」という名の檻の中で放し飼いにされています。
公設秘書の給与は、最大で月給百数十万円ほどが税金から支払われます。そして、その席に座っているのは「妻」「息子」「兄弟」、あるいは「愛人」です。
これは生物学的に言えば、血縁個体への資源分配(Kin Selection)」と「配偶者防衛」です。
さらに最近話題になった、「秘書給与のピンハネ疑惑」のように、群れのボス(議員)が構成員のエサ(秘書給与)を強制的に寄付させ、自分の懐に還流させる行為。これは、霊長類特有の序列確認行動(マウンティング)に他なりません。
パンジくんはバナナを食べるだけでしたが、彼らは国民の税金を二重にも三重にも貪り食うシステムを構築しているのです。
ここで燃料としてくべられるのは、コネのない「一般秘書」たちです。
彼らは政策立案という実務をこなしながら、猛獣たちの汚物処理(不祥事の揉み消し、愛人対応)をさせられます。
チンパンジーの生態学的に見れば、彼らは「劣位個体のストレス生理」を強いられています。
野生でも、いつ殴られるか分からない劣位個体は慢性的にコルチゾール値ストレスのパラメーターが高くなります(Preis 2019)。一般秘書たちが心身を壊していくのは、精神的な弱さではなく、長期間の捕食恐怖にさらされた生物としての正常な反応なのです。
ここには、社会心理学でいう社会的支配志向(SDO)」の高い個体が集まりやすい傾向があります。
SDOとは、社会の序列や不平等を肯定し、それを維持しようとする心理傾向のことです(Sidanius & Pratto 1999)。
広告業界のヒエラルキー構造は、高いSDOを持つ個体にとって居心地の良いジャングルです。
そこに、「大口クライアントの社長令嬢」「政治家の息子」といった、生まれながらにして最強の「体格(資本)」を持った個体が投入されます。
彼女たちは、一般社員が過労死ラインで働いている横で、経費を使って優雅に飲み歩きます。なぜなら、チンパンジー社会において「高順位個体がリソースを独占するのは自然の摂理」だからです。
猛獣が人を殺めても、檻には入れられない
過去には、有力者の息子である社員が同僚に危害を加え、死に至らしめた事件さえありました。
なぜなら、群れの論理において「高順位オス(太客)の機嫌を損ねること」は、群れ全体の生存(売上)に関わる最大のリスクだからです。
パンピー一匹の命より、群れの序列維持。これが代理店というジャングルの掟です。
学校:一校に一頭、必ず紛れ込む野生
永田町や代理店という「群れ」のお話をしてきましたが、学校では「フィッション・フュージョン社会の末端」として、全国津々浦々に野生のチンパンジーが配置されています。
私立校なら「母校愛(同盟)」で採用された卒業生が、公立校なら「教育委員会の親族(血縁)」枠の教員が、授業をサボっても誰にも注意されず、腫れ物として扱われています。
生徒や保護者に暴言を吐くモンスターティーチャーがいても、せいぜい異動で済まされ、数年後には別の学校で何食わぬ顔で教壇に立っています。
完成された「隠蔽の仕組み」
そして最も恐ろしいのが、「性犯罪(野生の発露)」に対する隠蔽システムの完成度です。
かつて学校現場では、教員が生徒にわいせつ行為をしても、懲戒免職ではなく「依願退職」させることが通例でした。
懲戒なら記録に残りますが、依願退職なら残りません。それどころか退職金まで支給され、ほとぼりが冷めれば免許を再取得し、再び他校で子供たちという獲物を物色することが可能だったのです。
最近になってようやく「わいせつ教員対策法」や「日本版DBS」といった法整備が進みましたが、現場の「事なかれ主義」や「校長による口止め」といった文化までは消えていません。
これは、群れが「不都合な個体」を一時的に視界から外すことで、群れ全体の体面(なわばり)を守ろうとする防衛本能の発露と言えます。
その過程で、子供たちという最も弱い個体が燃料にされているのです。
さて、これら生物学的知見を持って、Qiitaの元記事を振り返ってみましょう。
記事の本線である「成功シナリオ」で、あのマネージャーはパンジくんを隔離し、リモートワークで接触を断ち、見事にハッピーエンドを勝ち取りました。
「相手がたった一頭で、たかだか月額5000万円の案件だったから」
一頭なら、専用の部屋を用意して閉じ込めることができます。
しかし、永田町や代理店のように猛獣が群れをなし、学校のように全国規模で配置され、動くものが「国家予算」や「数十、数百億円規模」になった時、隔離などという選択肢はハナからありません。
檻に入りきらないほどの猛獣が溢れかえった時、誰が檻に押し込まれるのか?
研究室にいた頃、私たちは猛獣を管理するために、何重もの鍵がかかった檻と、緊急用の麻酔銃を用意していました。対象が危険であればあるほど、隔離を徹底するのが「飼育」の鉄則だったからです。
しかし、人間社会という多頭飼育の現場における「飼育」の実態は、全く異なります。
「猛獣の持つ価値(票、カネ、権力)を最大限に搾り取るために、周囲の餌と燃料(パンピー)をどう配分するか」という選別に変質しています。
永田町で公設秘書の椅子に無能な親族を座らせるとき、そこに「税金の無駄遣い」という倫理的な悩みは考慮されません。それは「血縁同盟の強化」という生物学的合理性に基づいているからです。
広告代理店で一般社員を使い潰すとき、そこに躊躇はありません。「劣位個体のストレス」など、高順位個体の繁栄の前では些末な問題だからです。
そして、授業・部活・事務・保護者対応に追われる「一般教員」と、理不尽な指導を受ける「生徒」は、まとめて燃料にされます。「学校の評判」を守るために。
おわりに:あなたはどちら側に立つか
畜産学徒の目で見ると、あの牧歌的なスタートアップに限らず、人間の職場の多くは「チンパンジーの群れの変種」として読むことができます。
集団を支配する少数の高順位個体が、票や広告費といった餌場を押さえ、血縁やコネで自分の周囲を固める。
その外側に、慢性的なコルチゾール過多とストレス生理を抱えた多数のパンピー個体が、燃料として並べられている。
この社会システムは、最初から「パンピーが何人か死んでも、猛獣が生きている限りは問題ない」という、野生の論理で組まれています。
マネージャーの仕事とは、「部下を守ること」だけではないのかもしれません。
「システムの冷酷な設計図(生物学的仕様)を理解したうえで、自分の体と部下の体をどこまでその燃料として差し出すかを、自分で決めること」。
知恵を絞って隔離施設を作れるのは、まだ規模が小さく、守るべきものが明確な「幸せな時期」だけかもしれません。
群れをなした猛獣が押し寄せ、数十億円利益という組織論理とテストステロンで迫られた時、あなたは部下を守れますか?
「たった一頭で大騒ぎできるうちは、まだ幸せだ」
削除されてしまいましたが、先日、スタートアップ界隈で話題になったQiitaのアドベントカレンダー記事はお読みになられましたか。
『チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?』という、パンクなタイトルの記事でした。
内容は、とあるスタートアップの開発チームに、社長の鶴の一声(と投資家への忖度)で、文字通りの「チンパンジー(パンジくん)」が配属されるというお話。
記事では、マネージャーが奔走してパンジくんを隔離し、誰も傷つかずにハッピーエンドを迎える「成功ルート」が本線として描かれ、一方で、対応を間違えた場合の「失敗ルート(IF)」では、パンジくんが暴れて社員の指を食いちぎるというショッキングなバッドエンドも提示されました。
「不適切で消されちゃったけど、チンパンジーが配属されてきたらどうマネジメントするか?の話、勉強になった。ただの匿名記事だと思ったら企業Blogだったのかww」
「マネジメントしようなんて思わずにそっと転職準備を始めるよ…」
その不条理さに頭を抱え、あるいは共感した人々が見られました。
しかし、かつて大学で動物行動学を専攻し、チンパンジーの社会構造を研究してからこの人間社会というジャングルへ足を踏み入れた身として、あえて言わせてください。
「たった一頭のチンパンジーで大騒ぎするなんて、スタートアップの世界はなんと平和で、牧歌的なんだろう」
私たちパンピー(一般人)こそが檻に押し込められ、燃料としてくべられる。
それが、生物学的に見たこの社会におけるマネジメントの「正解」なのです。
世の中には、元記事で「最悪のIF」として描かれた地獄絵図が、「日常(デフォルト)」として機能している業界が存在します。そう、永田町(国会議員秘書)、大手広告代理店、そして学校の世界です。
私たち「多頭飼育」のプロフェッショナルたちが導き出した、残酷な最適解。それは、猛獣を隔離することではありません。
「猛獣(カネと権力の源泉)を守り、その価値を最大化するために、人間(一般社員や生徒)を燃料として燃やし続けること」
なぜ、そんな理不尽がまかり通るのか?
それを理解するには、少しだけ「チンパンジーという生き物の仕様」について、講義をする必要があります。
皆さんはチンパンジーを「バナナを食べる動物」だと思っていませんか?
動物行動学の視点では、それは間違いです。チンパンジーとは、餌よりも先に「序列」と「権力」をめぐる動物だと定義したほうが、その本質を理解しやすくなります。
野生の群れに関するフィールド研究では、オス同士が同盟を組み、毛づくろいや餌の分配をテコにして「誰が誰の味方か」を積み上げ、厳しい序列を作ることが報告されています(Goodall 1986, de Waal 2007)。
恐ろしいのは、彼らの生理機能そのものが、このゲームに最適化されている点です。
優位なオスほどテストステロン値が高く、地位争いが激しい時期には、群れ全体でコルチゾール(ストレスホルモン)が上昇します。彼らはリラックスしているのではなく、筋肉維持と闘争準備のために、常時エンジンを吹かしてアイドリングしている状態なのです(Muehlenbein 2010, Wrangham 2004)。
彼らの社会は一枚岩ではありません。日中は小さなサブグループに分かれ、餌場やメンバーの顔ぶれに応じて離合集散を繰り返す「フィッション・フュージョン(離合集散)社会」です(Arcadi 2018)。
この流動的な派閥構造の上に、オス中心の強固な序列が重なる。これ、何かに似ていませんか?そう、人間の「派閥」や「部署」そのものです。
3. 「戦争」をする隣人
そして、彼らは他群れの個体に対して容赦のない暴力を振るいます。
オスたちがパトロール隊を組んで隣接群を襲撃し、時に相手を殺害して縄張りを拡大する「小規模な戦争」が、自然状態で起きていることが確認されています(Goodall 2019, Gilby 2014)。
この「生物学的な仕様」を頭に入れた上で、私たちの住むジャングル(日本社会)を見渡してみましょう。
そこには、驚くほど忠実にチンパンジーの生態を再現した「多頭飼育現場」が広がっています。
まず、国内最大級かつ最も危険な飼育現場が、永田町周辺の「国会議員秘書」という聖域です。
ここでは、高いテストステロンと強固な血縁同盟を持った猛獣たちが、「公設秘書」という名の檻の中で放し飼いにされています。
公設秘書の給与は、最大で月給百数十万円ほどが税金から支払われます。そして、その席に座っているのは「妻」「息子」「兄弟」、あるいは「愛人」です。
これは生物学的に言えば、血縁個体への資源分配(Kin Selection)」と「配偶者防衛」です。
さらに最近話題になった、「秘書給与のピンハネ疑惑」のように、群れのボス(議員)が構成員のエサ(秘書給与)を強制的に寄付させ、自分の懐に還流させる行為。これは、霊長類特有の序列確認行動(マウンティング)に他なりません。
パンジくんはバナナを食べるだけでしたが、彼らは国民の税金を二重にも三重にも貪り食うシステムを構築しているのです。
ここで燃料としてくべられるのは、コネのない「一般秘書」たちです。
彼らは政策立案という実務をこなしながら、猛獣たちの汚物処理(不祥事の揉み消し、愛人対応)をさせられます。
チンパンジーの生態学的に見れば、彼らは「劣位個体のストレス生理」を強いられています。
野生でも、いつ殴られるか分からない劣位個体は慢性的にコルチゾール値ストレスのパラメーターが高くなります(Preis 2019)。一般秘書たちが心身を壊していくのは、精神的な弱さではなく、長期間の捕食恐怖にさらされた生物としての正常な反応なのです。
ここには、社会心理学でいう社会的支配志向(SDO)」の高い個体が集まりやすい傾向があります。
SDOとは、社会の序列や不平等を肯定し、それを維持しようとする心理傾向のことです(Sidanius & Pratto 1999)。
広告業界のヒエラルキー構造は、高いSDOを持つ個体にとって居心地の良いジャングルです。
そこに、「大口クライアントの社長令嬢」「政治家の息子」といった、生まれながらにして最強の「体格(資本)」を持った個体が投入されます。
彼女たちは、一般社員が過労死ラインで働いている横で、経費を使って優雅に飲み歩きます。なぜなら、チンパンジー社会において「高順位個体がリソースを独占するのは自然の摂理」だからです。
猛獣が人を殺めても、檻には入れられない
過去には、有力者の息子である社員が同僚に危害を加え、死に至らしめた事件さえありました。
なぜなら、群れの論理において「高順位オス(太客)の機嫌を損ねること」は、群れ全体の生存(売上)に関わる最大のリスクだからです。
パンピー一匹の命より、群れの序列維持。これが代理店というジャングルの掟です。
学校:一校に一頭、必ず紛れ込む野生
永田町や代理店という「群れ」のお話をしてきましたが、学校では「フィッション・フュージョン社会の末端」として、全国津々浦々に野生のチンパンジーが配置されています。
私立校なら「母校愛(同盟)」で採用された卒業生が、公立校なら「教育委員会の親族(血縁)」枠の教員が、授業をサボっても誰にも注意されず、腫れ物として扱われています。
生徒や保護者に暴言を吐くモンスターティーチャーがいても、せいぜい異動で済まされ、数年後には別の学校で何食わぬ顔で教壇に立っています。
完成された「隠蔽の仕組み」
そして最も恐ろしいのが、「性犯罪(野生の発露)」に対する隠蔽システムの完成度です。
かつて学校現場では、教員が生徒にわいせつ行為をしても、懲戒免職ではなく「依願退職」させることが通例でした。
懲戒なら記録に残りますが、依願退職なら残りません。それどころか退職金まで支給され、ほとぼりが冷めれば免許を再取得し、再び他校で子供たちという獲物を物色することが可能だったのです。
最近になってようやく「わいせつ教員対策法」や「日本版DBS」といった法整備が進みましたが、現場の「事なかれ主義」や「校長による口止め」といった文化までは消えていません。
これは、群れが「不都合な個体」を一時的に視界から外すことで、群れ全体の体面(なわばり)を守ろうとする防衛本能の発露と言えます。
その過程で、子供たちという最も弱い個体が燃料にされているのです。
さて、これら生物学的知見を持って、Qiitaの元記事を振り返ってみましょう。
記事の本線である「成功シナリオ」で、あのマネージャーはパンジくんを隔離し、リモートワークで接触を断ち、見事にハッピーエンドを勝ち取りました。
「相手がたった一頭で、たかだか月額5000万円の案件だったから」
一頭なら、専用の部屋を用意して閉じ込めることができます。
しかし、永田町や代理店のように猛獣が群れをなし、学校のように全国規模で配置され、動くものが「国家予算」や「数十、数百億円規模」になった時、隔離などという選択肢はハナからありません。
檻に入りきらないほどの猛獣が溢れかえった時、誰が檻に押し込まれるのか?
研究室にいた頃、私たちは猛獣を管理するために、何重もの鍵がかかった檻と、緊急用の麻酔銃を用意していました。対象が危険であればあるほど、隔離を徹底するのが「飼育」の鉄則だったからです。
しかし、人間社会という多頭飼育の現場における「飼育」の実態は、全く異なります。
「猛獣の持つ価値(票、カネ、権力)を最大限に搾り取るために、周囲の餌と燃料(パンピー)をどう配分するか」という選別に変質しています。
永田町で公設秘書の椅子に無能な親族を座らせるとき、そこに「税金の無駄遣い」という倫理的な悩みは考慮されません。それは「血縁同盟の強化」という生物学的合理性に基づいているからです。
広告代理店で一般社員を使い潰すとき、そこに躊躇はありません。「劣位個体のストレス」など、高順位個体の繁栄の前では些末な問題だからです。
そして、授業・部活・事務・保護者対応に追われる「一般教員」と、理不尽な指導を受ける「生徒」は、まとめて燃料にされます。「学校の評判」を守るために。
おわりに:あなたはどちら側に立つか
畜産学徒の目で見ると、あの牧歌的なスタートアップに限らず、人間の職場の多くは「チンパンジーの群れの変種」として読むことができます。
集団を支配する少数の高順位個体が、票や広告費といった餌場を押さえ、血縁やコネで自分の周囲を固める。
その外側に、慢性的なコルチゾール過多とストレス生理を抱えた多数のパンピー個体が、燃料として並べられている。
この社会システムは、最初から「パンピーが何人か死んでも、猛獣が生きている限りは問題ない」という、野生の論理で組まれています。
マネージャーの仕事とは、「部下を守ること」だけではないのかもしれません。
「システムの冷酷な設計図(生物学的仕様)を理解したうえで、自分の体と部下の体をどこまでその燃料として差し出すかを、自分で決めること」。
知恵を絞って隔離施設を作れるのは、まだ規模が小さく、守るべきものが明確な「幸せな時期」だけかもしれません。
群れをなした猛獣が押し寄せ、数十億円利益という組織論理とテストステロンで迫られた時、あなたは部下を守れますか?
「たった一頭で大騒ぎできるうちは、まだ幸せだ」
削除されてしまいましたが、先日、スタートアップ界隈で話題になったQiitaのアドベントカレンダー記事はお読みになられましたか。
『チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?』という、パンクなタイトルの記事でした。
内容は、とあるスタートアップの開発チームに、社長の鶴の一声(と投資家への忖度)で、文字通りの「チンパンジー(パンジくん)」が配属されるというお話。
記事では、マネージャーが奔走してパンジくんを隔離し、誰も傷つかずにハッピーエンドを迎える「成功ルート」が本線として描かれ、一方で、対応を間違えた場合の「失敗ルート(IF)」では、パンジくんが暴れて社員の指を食いちぎるというショッキングなバッドエンドも提示されました。
「不適切で消されちゃったけど、チンパンジーが配属されてきたらどうマネジメントするか?の話、勉強になった。ただの匿名記事だと思ったら企業Blogだったのかww」
「マネジメントしようなんて思わずにそっと転職準備を始めるよ…」
その不条理さに頭を抱え、あるいは共感した人々が見られました。
しかし、かつて大学で動物行動学を専攻し、チンパンジーの社会構造を研究してからこの人間社会というジャングルへ足を踏み入れた身として、あえて言わせてください。
「たった一頭のチンパンジーで大騒ぎするなんて、スタートアップの世界はなんと平和で、牧歌的なんだろう」
私たちパンピー(一般人)こそが檻に押し込められ、燃料としてくべられる。
それが、生物学的に見たこの社会におけるマネジメントの「正解」なのです。
世の中には、元記事で「最悪のIF」として描かれた地獄絵図が、「日常(デフォルト)」として機能している業界が存在します。そう、永田町(国会議員秘書)、大手広告代理店、そして学校の世界です。
私たち「多頭飼育」のプロフェッショナルたちが導き出した、残酷な最適解。それは、猛獣を隔離することではありません。
「猛獣(カネと権力の源泉)を守り、その価値を最大化するために、人間(一般社員や生徒)を燃料として燃やし続けること」
なぜ、そんな理不尽がまかり通るのか?
それを理解するには、少しだけ「チンパンジーという生き物の仕様」について、講義をする必要があります。
皆さんはチンパンジーを「バナナを食べる動物」だと思っていませんか?
動物行動学の視点では、それは間違いです。チンパンジーとは、餌よりも先に「序列」と「権力」をめぐる動物だと定義したほうが、その本質を理解しやすくなります。
野生の群れに関するフィールド研究では、オス同士が同盟を組み、毛づくろいや餌の分配をテコにして「誰が誰の味方か」を積み上げ、厳しい序列を作ることが報告されています(Goodall 1986, de Waal 2007)。
恐ろしいのは、彼らの生理機能そのものが、このゲームに最適化されている点です。
優位なオスほどテストステロン値が高く、地位争いが激しい時期には、群れ全体でコルチゾール(ストレスホルモン)が上昇します。彼らはリラックスしているのではなく、筋肉維持と闘争準備のために、常時エンジンを吹かしてアイドリングしている状態なのです(Muehlenbein 2010, Wrangham 2004)。
彼らの社会は一枚岩ではありません。日中は小さなサブグループに分かれ、餌場やメンバーの顔ぶれに応じて離合集散を繰り返す「フィッション・フュージョン(離合集散)社会」です(Arcadi 2018)。
この流動的な派閥構造の上に、オス中心の強固な序列が重なる。これ、何かに似ていませんか?そう、人間の「派閥」や「部署」そのものです。
3. 「戦争」をする隣人
そして、彼らは他群れの個体に対して容赦のない暴力を振るいます。
オスたちがパトロール隊を組んで隣接群を襲撃し、時に相手を殺害して縄張りを拡大する「小規模な戦争」が、自然状態で起きていることが確認されています(Goodall 2019, Gilby 2014)。
この「生物学的な仕様」を頭に入れた上で、私たちの住むジャングル(日本社会)を見渡してみましょう。
そこには、驚くほど忠実にチンパンジーの生態を再現した「多頭飼育現場」が広がっています。
まず、国内最大級かつ最も危険な飼育現場が、永田町周辺の「国会議員秘書」という聖域です。
ここでは、高いテストステロンと強固な血縁同盟を持った猛獣たちが、「公設秘書」という名の檻の中で放し飼いにされています。
公設秘書の給与は、最大で月給百数十万円ほどが税金から支払われます。そして、その席に座っているのは「妻」「息子」「兄弟」、あるいは「愛人」です。
これは生物学的に言えば、血縁個体への資源分配(Kin Selection)」と「配偶者防衛」です。
さらに最近話題になった、「秘書給与のピンハネ疑惑」のように、群れのボス(議員)が構成員のエサ(秘書給与)を強制的に寄付させ、自分の懐に還流させる行為。これは、霊長類特有の序列確認行動(マウンティング)に他なりません。
パンジくんはバナナを食べるだけでしたが、彼らは国民の税金を二重にも三重にも貪り食うシステムを構築しているのです。
ここで燃料としてくべられるのは、コネのない「一般秘書」たちです。
彼らは政策立案という実務をこなしながら、猛獣たちの汚物処理(不祥事の揉み消し、愛人対応)をさせられます。
チンパンジーの生態学的に見れば、彼らは「劣位個体のストレス生理」を強いられています。
野生でも、いつ殴られるか分からない劣位個体は慢性的にコルチゾール値ストレスのパラメーターが高くなります(Preis 2019)。一般秘書たちが心身を壊していくのは、精神的な弱さではなく、長期間の捕食恐怖にさらされた生物としての正常な反応なのです。
ここには、社会心理学でいう社会的支配志向(SDO)」の高い個体が集まりやすい傾向があります。
SDOとは、社会の序列や不平等を肯定し、それを維持しようとする心理傾向のことです(Sidanius & Pratto 1999)。
広告業界のヒエラルキー構造は、高いSDOを持つ個体にとって居心地の良いジャングルです。
そこに、「大口クライアントの社長令嬢」「政治家の息子」といった、生まれながらにして最強の「体格(資本)」を持った個体が投入されます。
彼女たちは、一般社員が過労死ラインで働いている横で、経費を使って優雅に飲み歩きます。なぜなら、チンパンジー社会において「高順位個体がリソースを独占するのは自然の摂理」だからです。
猛獣が人を殺めても、檻には入れられない
過去には、有力者の息子である社員が同僚に危害を加え、死に至らしめた事件さえありました。
なぜなら、群れの論理において「高順位オス(太客)の機嫌を損ねること」は、群れ全体の生存(売上)に関わる最大のリスクだからです。
パンピー一匹の命より、群れの序列維持。これが代理店というジャングルの掟です。
学校:一校に一頭、必ず紛れ込む野生
永田町や代理店という「群れ」のお話をしてきましたが、学校では「フィッション・フュージョン社会の末端」として、全国津々浦々に野生のチンパンジーが配置されています。
私立校なら「母校愛(同盟)」で採用された卒業生が、公立校なら「教育委員会の親族(血縁)」枠の教員が、授業をサボっても誰にも注意されず、腫れ物として扱われています。
生徒や保護者に暴言を吐くモンスターティーチャーがいても、せいぜい異動で済まされ、数年後には別の学校で何食わぬ顔で教壇に立っています。
完成された「隠蔽の仕組み」
そして最も恐ろしいのが、「性犯罪(野生の発露)」に対する隠蔽システムの完成度です。
かつて学校現場では、教員が生徒にわいせつ行為をしても、懲戒免職ではなく「依願退職」させることが通例でした。
懲戒なら記録に残りますが、依願退職なら残りません。それどころか退職金まで支給され、ほとぼりが冷めれば免許を再取得し、再び他校で子供たちという獲物を物色することが可能だったのです。
最近になってようやく「わいせつ教員対策法」や「日本版DBS」といった法整備が進みましたが、現場の「事なかれ主義」や「校長による口止め」といった文化までは消えていません。
これは、群れが「不都合な個体」を一時的に視界から外すことで、群れ全体の体面(なわばり)を守ろうとする防衛本能の発露と言えます。
その過程で、子供たちという最も弱い個体が燃料にされているのです。
さて、これら生物学的知見を持って、Qiitaの元記事を振り返ってみましょう。
記事の本線である「成功シナリオ」で、あのマネージャーはパンジくんを隔離し、リモートワークで接触を断ち、見事にハッピーエンドを勝ち取りました。
「相手がたった一頭で、たかだか月額5000万円の案件だったから」
一頭なら、専用の部屋を用意して閉じ込めることができます。
しかし、永田町や代理店のように猛獣が群れをなし、学校のように全国規模で配置され、動くものが「国家予算」や「数十、数百億円規模」になった時、隔離などという選択肢はハナからありません。
檻に入りきらないほどの猛獣が溢れかえった時、誰が檻に押し込まれるのか?
研究室にいた頃、私たちは猛獣を管理するために、何重もの鍵がかかった檻と、緊急用の麻酔銃を用意していました。対象が危険であればあるほど、隔離を徹底するのが「飼育」の鉄則だったからです。
しかし、人間社会という多頭飼育の現場における「飼育」の実態は、全く異なります。
「猛獣の持つ価値(票、カネ、権力)を最大限に搾り取るために、周囲の餌と燃料(パンピー)をどう配分するか」という選別に変質しています。
永田町で公設秘書の椅子に無能な親族を座らせるとき、そこに「税金の無駄遣い」という倫理的な悩みは考慮されません。それは「血縁同盟の強化」という生物学的合理性に基づいているからです。
広告代理店で一般社員を使い潰すとき、そこに躊躇はありません。「劣位個体のストレス」など、高順位個体の繁栄の前では些末な問題だからです。
そして、授業・部活・事務・保護者対応に追われる「一般教員」と、理不尽な指導を受ける「生徒」は、まとめて燃料にされます。「学校の評判」を守るために。
おわりに:あなたはどちら側に立つか
畜産学徒の目で見ると、あの牧歌的なスタートアップに限らず、人間の職場の多くは「チンパンジーの群れの変種」として読むことができます。
集団を支配する少数の高順位個体が、票や広告費といった餌場を押さえ、血縁やコネで自分の周囲を固める。
その外側に、慢性的なコルチゾール過多とストレス生理を抱えた多数のパンピー個体が、燃料として並べられている。
この社会システムは、最初から「パンピーが何人か死んでも、猛獣が生きている限りは問題ない」という、野生の論理で組まれています。
マネージャーの仕事とは、「部下を守ること」だけではないのかもしれません。
「システムの冷酷な設計図(生物学的仕様)を理解したうえで、自分の体と部下の体をどこまでその燃料として差し出すかを、自分で決めること」。
知恵を絞って隔離施設を作れるのは、まだ規模が小さく、守るべきものが明確な「幸せな時期」だけかもしれません。
群れをなした猛獣が押し寄せ、数十億円利益という組織論理とテストステロンで迫られた時、あなたは部下を守れますか?
「たった一頭で大騒ぎできるうちは、まだ幸せだ」
同じ質問をAIにしたら、全く違った答えが返ってくるわ。AI合戦。
いい問い — やはり「日本の実質賃金は1990〜2025年のあいだで大きく上がっていない/ほとんど変化がない」という見方には、かなり根拠がある — というのが普通の学術/統計データの示すところです。以下、補足します。
✅ なぜ「あまり変わっていない」はかなり正しい
・厚生労働省(など)の統計によると、1990年代後半をピークに、実質賃金は長期にわたって低迷または低下傾向が続いています。 具体的には、あるデータでは「1997年をピークとして、1998年以降 2023年まで約26年で▲19.3ポイントの下落」と報告されています。
・また、他の分析では、2000年代以降 は実質賃金の上昇はほとんど止まっており、たとえば 2010〜2018年での上昇総幅がわずか 1.2% にすぎなかった、という指摘があります。
・国際比較でも、「1990年と比べて約30年後でも、実質賃金はおおよそ +4〜5% 程度の上昇にとどまっていた(=大幅な上昇ではなかった)」、という報告があります。
→ これらを総合すると、確かに「±5%のレンジで上げ下げを行ったり来たり」というあなたのイメージは、おおむね「実態に近い感覚」を反映している、という評価になります。
⚠ ただし「まったく動いていない」わけではない — 変動・構造の注意点
・とはいえ、「ずっと同じ」ではなく、以下のような変動や条件付きでの事情があります。実質賃金は年によって上下を繰り返しており、ボーナスの有無・額、消費者物価の変動、雇用や産業構造の変化などで波があります。たとえば 2023年には前年から実質賃金が-2.5% 減った、という報道があります。
・最近では、名目賃金(総支給)は上がってきており、物価上昇が実質賃金を圧迫する構造が続いています。
・また、統計の「働く人の構成(年代、雇用形態、本採用 vs 非正規など)」の変化も賃金指標に影響を与える — つまり「みんな同じ人」が前後で比べられているわけではない、という構造的な注意があります。
だが週末、熊本でなにかあるのか知らんがホテル満室で追い出されたので旅に出る。(泊まれるが法外に高い)
どっちがいいかChatGPTに聞いたら「どっちもいいよ!」みたいなふざけた回答しやがった。
おまえはいつもそうだよ。二択で質問してるのに玉虫色の回答で責任を回避しようとしやがる。
どっちか選べと指示したら「鹿児島」だと答えたので鹿児島に決定、はい責任はChatGPTな。
途中吉野家で朝食をとる。「牛すき鍋定食肉二倍盛り」。朝なのでビールは無し。バス旅でおしっこ危険。
俺は吉野家では「並牛」「牛鮭定食」「牛すき鍋定食肉二倍盛り」しか頼まない。
人生初吉野家から40年間これを貫いている。あと吉野家以外の牛丼屋はパチモノでありクソである。
キン肉マン問題や嫌なら食うな問題などどうでも良い。牛丼は吉野家である。異論は認めない。
吉野家下通店のドアは手動である、なぜ自動ドアにしないのか謎。理解不能。これだけは吉野家を許せない。
熊本の大衆は育ちが悪く品性が低めなので開けたドアを閉めない。ドアをきっちり閉めたら負けだと思っている。
熊本にはそこらじゅうに「あとぜき」の張り紙がある。熊本弁で「開けた扉を閉めろ」という意味だが、
そんな張り紙をあちこちで見かけるほど奴らはことごとく閉めない。
まして吉野家の手動ドアなど完全に閉まることはまずない。閉めろと念入りに張り紙はしているが誰も閉めない。
徒歩、桜町バスターミナルに着くと20分後出発の便がある、鹿児島行きバス路線があるのは知っているが時刻表までは調べていない。
チケットを購入。
旅慣れている俺はファミマで颯爽とお茶とチョコとワッフルを購入。
バスに乗る。
熊本のバスはクソ遅い。市内慢性的渋滞なのに市内から高速道路までのアクセス道路が無い。首都高的な、バイパス的な道路がなく
桜町バスターミナルから熊本ICにたどり着くだけで一時間かかる。新幹線ならもう鹿児島に着いている。
だがバスなら4200円で鹿児島まで行ける、新幹線だと7700円
バス一択である、金は無いが時間はたっぷりある。そもそも急ぎの旅ではない。バスの車窓も含め旅なのだ。
それにしても遅い、市内でいちいちバス停に止まり乗客を乗せる。高速バスなのにぜんぜん高速じゃない。
ようやく高速道路に入り山中をひたすら走り、無駄に鹿児島空港に立ち寄り、3時間半で鹿児島中央駅に到着。14時くらいだったと記憶している。
鹿児島は20年ぶり。今の駅ビルに建て替わる直前の鹿児島中央駅(当時西鹿児島駅)にしか来たことがなく現在の立派な駅ビルには薩摩藩の貫禄を感じた。観覧車もあるし。
駅前をふらついていると市内観光循環バスを見つけた。230円でぐるっと一周できる。80分乗って230円。どう考えてもお得。乗るしか無い。これで主要観光地全部行ったことになる。
乗ってから数分で気付いたが、そういえばこれ20年前も乗ったわ。見覚えあるわ。行動パターンが20年変わってない俺。
西郷どんの洞窟ショボっとか思いつつ、20年前も見たわ、みたいな。
俺は日本全国、世界各地行っているのでたいていのモノは初見でも感動も無いが、二度見であるからさらに新鮮みもまったくない。
16時。アホらしくなり途中天文館で降り(ほぼ一周してる)、銀だこで腹ごしらえ。
安定の銀だこ、どこで食ってもハズレはない。
鹿児島に来たからと言うて嬉しそうに黒豚だの地鶏など食わない。どうせまずい。よくて値段相応
高度に資本主義が発展し、かつ食品の保存、輸送が極限まで進化した我が国。
朝に豊洲で仕入れた魚が午後には那覇空港に到着し空港の中の寿司屋で提供されるのだ。
美味い魚や肉や野菜は大資本が狩り尽くし、一般市場にはそのお溢れしか回ってこない。
地元だから新鮮で高品質で安い、なんて幻想にすぎない。もうそんな時代ではない。
美味いもの食いたきゃ金を出さなければならないし、品質は都会も田舎も変わらない。
ハイボールとたこ焼き、最高であり、庶民の幸福であり、食いながら宿を探す。
宿は取っていない、取れなきゃ満喫でもいいのだ。この時間になるとホテルは空室よりもマシと捨て値で部屋を売り出す。
案の定、東横イン7000円を見つける。予約し銀だこお会計しチェックインに向かう。徒歩5分
ちなみに銀だこのスタッフはみな可愛かった。鹿児島は女子のレベルが高いように思う。熊本には悪いが熊本はアレだ。
熊本は男は扉を閉めない、女はヘチャ。ではいいとこ無しのようだが、俺は熊本が大好きだ。なんなら引っ越ししてもいいと思っている。
息子が友達と離れたくないと拒絶したので断念したが、でもキミクラスで浮いててボッチって嘆いてなかったっけ?まぁいい。
ともかくホテルにチェックイン、暇つぶしにテレビを見る、スマートテレビはネトフリにも対応、颯爽とログインして「斉木楠雄のΨ難」の続きを観る。鹿児島まで来てなにやってんだと思うだろうが、いいのだ。こういうのでいいのだ。
21時。小腹が空いた。週末の鹿児島の繁華街、どんなものかパトロールに出発。
グッと来る店がまったくない、Bar、キャバクラ、居酒屋、なんでもいいから1軒くらいと思ったが、無い。
仕方がないので客がそこそこ入ってるラーメン屋に入ったが、ぜんぜん美味くない。な?だろ?
ホテルに戻り寝る。
朝、さてどこに行くか、ノープラン。アホらしいので即戻りでもいい気がしてきたが、せっかくだし、桜島に行く。
フェリーに乗る。チケットは無く桜島の下船時に支払うという合理的オペレーションはグッドである。そして安い。250円だったか。
金額を確かめようと念の為にググったら検索要約に130円と出てきた。どっからそんな値段が出てきたのか。これだからAIは。
古い値段なのか、小児運賃を誤判定しているのか、意味わからん。
それにしても桜島は偽物である。おまえ島を名乗っているが島じゃねぇじゃん、繋がってんじゃん、現状ただの半島であり錦江湾のノドチンコである。桜半島に改名しなさい。島じゃないんだから。
無論、ただの地名であるという言い訳もありましょう、例えば島原は島でも無いし原っぱでも無い、島が付く地名などゴマンとあり、地名と実態は別物であり、安田さんが安いわけでも田んぼなわけでもない、それらの一種であるという言い訳だろうが、俺は許さない。
とか思いながら桜半島を眺めていると船は出発した。デッキではアホみたいにうどんを食うてるアホがいる。クソ高いのに美味いわけが無い。
テレビでタレントがうまいうまいと言うてるのを見て自分も食いたくなったのだろう、美味いわけが無い。
船は15分で到着。元船乗りの俺としてはこの手のフェリーの操舵技術には感服する。
自動車のCMなどでキツキツ駐車スペースにスピンで滑りながらピタリと止める、みたいな演出あるじゃん。
ともかく桜半島に到着。
降りる、250円払う。Suicaで払おうとしたが使用する人はほとんどいないのだろう、都度タッチ端末を起動しているのか知らんが応答がすこぶる遅い。
なんぞ?
なんか人がたくさん走ってきた。マラソン大会してやがる。うっざ、さっきのはスタートの合図
この手の観光地にはたいていレンタル自転車があるもので、案の定あったので借りに行ったら今日はマラソンだからダメだと。ふぁっく
わざわざ活火山の真下でマラソン大会やってんの。3000人集まってんの、アホかと。
徒歩で海岸沿いに向かう
ビジターセンターなる観光施設があったので入る、土産屋があり溶岩石が売っていた。300円。
マイクラにハマってる息子が最近やたらと溶岩溶岩とうるさいので買っていこうと思ったが、
ここってそこらの石全部溶岩じゃねぇの?
海岸沿いに恐らくかつて溶岩だったのではなかろうか的な石ころを拾ってカバンに詰めた。300円儲かった。
なぁに子供にはわかるまい。ただの石でもいいのだ。
かつこの行為が厳密には法律違反ではなかろうとかいう懸念もあるが、俺の中では違法性は阻却されると判断している。
鹿児島に戻る。
ちなみに船の出発ジングルが長渕剛であった。俺は長渕が嫌いである。
人格、品格というのはその人がアイデンティティ確立において誰もが何かしら持つ劣等感をどのように消化するか、が大きく作用する。
彼は音楽に関しては天才である。体系的音楽教育を受けずギター一本で多くの人の記憶に残る名曲を生み出してきた才能は凄いのであり、俺も若い頃、まだ自分でピアノを弾いていた頃には彼の曲をいくつか弾いた。コード進行はシンプルであり、奇抜な音楽要素を取り入れるわけではなく、しかし優しく強いメロディーは誰の頭にも残る。
が、彼は自己プロデュース能力やタレント性、カリスマを宗教にしてしまった。
アホを信者に搾取することは悪いことではない。宗教屋はみなやってる、それで救われるやつもいる。
が、彼は劣等感の克服を歪んだ形で完結させ、歪な宗教に昇華させた。俺はそれを嫌悪するのだ。
ワンテイクというYoutubeのチャンネルにも出ているが、説法がながぇのよ、普通のアーティストは「行きます」程度の一言で演奏開始するのだが、彼は人生口上を長々と30分近く喋ってから演奏に入る。うぜぇぇぇぇ、のであり、嫌いだ。
さて、俺は帰りのフェリーの甲板で涼んでいた。外気温19度、日差しもあり普通に暑い。散々歩かされたので汗ばんでいる。
が、近くに高校生の修学旅行のグループ行動らしき集団がいて、「さーむーい」「マジありえなーい」みたいな私弱いアピールして女子の真横でTシャツであり、俺がおかしいのか、JKがブっているのか、みたいな絵面であり、俺はJKたちに笑われていた。
鹿児島中央駅まで戻り指宿まで行く、まだ時間はある、片道1時間ちょい。指宿で降りずにそのまま乗り続けるとJR路線最西端の西大山駅まで行けるらしく、かなり魅惑的であり、てかそのまま枕崎まで行きたいが、アホではないので帰りをシミュレーションすると無理ゲーであることがわかり諦めて指宿で降りる。
というか、鹿児島県は上白石萌音様を生み育てた聖域であり、指宿はかの大漫画家川原泉先生を生み出した伝説の地である。
堪能せねばならない。
指宿駅前に食堂だか居酒屋だか料理屋みたいなのがあり、2500円の定食を食う。きっと川原泉先生もここで飯を食われたに違いないと考えると美味さは倍増する。実際美味かった。だが、どうやらその日は指宿で全国かつお祭りとやらが開催されているようで(店にポスターが貼ってた)、車で10分ほどの会場でなんかやってるらしい。13時半なのでまだ間に合う。俺が計画的に行動し、事前リサーチしていれば間違いなくそれをターゲットにしていただろう、カツオは俺の好きな魚ランキング10位内には入るほど好きだ。残念
地ビールがあったので飲む、美味い、おかわりしてしまった。これが間違いだと気づくのは30分後である。
14時半、帰路、鉄路かバスか。どちらもアリのようだ。来るときJRだったので時間かかるが景色の良さそうなバスもよかろうとバスで帰ることにした。ちなみにJRはクソであり、せっかく海岸沿いを走っているのに藪で景観が台無しである。
JRが軌道外の雑草を放置しているため車窓は最悪のコンディション。
言い訳をすると乗車直前にトイレには行ってる、アホでは無いのだ。
あと1時間ちょい我慢は「むり」との決断を下し、途中「観音崎展望所」バス停で途中下車。
道の駅だからトイレくらいあるだろう、あった、おしっこした。セーフ。間に合った。次のバスを検索すると絶望しか無かった。2時間後。
最寄り駅まで徒歩20分。20分くらいは歩くが、列車が来るのは1時間後。ふぁっく。ド田舎死ね。
結局小一時間海岸で桜半島を眺めながら佇むことになった。気候が良いのが救い、桜半島はきれいだった。
ようやく時間が来たので生見駅から列車に乗る。「ぬくみ」と読むらしい、勉強になった、残り人生で活かせる機会は無いだろうが。
生見駅での乗客は俺一人だが、枕崎や指宿から乗ってきたのであろう観光客で空席ゼロ。外人だらけ。
ちなみに生見駅の側には「この付近で大便した奴はぶっ殺す 家主」的な看板があちこちにありどんな治安だよと思った。
本来の目論見では鹿児島中央から4400円でバスで熊本まで戻る予定だったが、この時間だともはや新幹線ワープしかない。
指宿在来線から新幹線に乗り換えようとしたのだが、改札内に新幹線切符売り場は無いらしい、一度改札を出てから買い直しだとか。
都会育ちの俺は新幹線とは5分に一本走っているものという常識がありそのような感覚だったが、時刻表を見ると絶望しかなかった
はぁぁぁぁぁ?
よんじゅうよんぷん?待ち?なんで接続列車にしないの?その前が3分間隔出発で次が44分の空白ってなんなの?
なんでばらけないの?アホなの?
が、良い、許す。俺はちょっと機嫌が良い。
実は指宿からの帰路に衝撃的な出会いがあった。途中でJK3人組が乗ってきたのだが、その一人が俺の初恋の人にそっくりだったのだ。
瓜二つというて良い、とはいえ初恋の人に最後に合ったのは35年前なので記憶が定かではなく写真も持っていないので相当補正がかかっているかもしれんが、顔立ち、スタイル、雰囲気がそっくりだった。俺が余命一ヶ月とかならアレでソレしてしまったかもしれない。だが俺はあと50年生きる予定なのでそんな事で刑務所には入りたくない。
コーヒーを飲む。そういえば出張に電動鼻毛カッターを持ってくるのを忘れた(バックのどこを探してもない、入れたはずなのに)ので隣のヨドバシで買うか思案、だが、よくよく考えてみると鼻毛カッターを使うのは1週間から10日に一度である。
出張はあと2週間だから使っても1回、もしくはせいぜい2回であり、自宅に戻れば前のがある、別にそれで困ってない。
パナソニック製で10年前に購入したものだが、電池式なのでバッテリーヘタリもない。そもそも毎日使うものでもない。
そしてこの歳で新しい電動鼻毛カッターを購入したとしてあと何回使うだろうか。鼻毛がどうでもよくなるのが80歳くらいだとして、週一使うとして残りざっと1400回である。
あ、けっこうあるな、新しいの買ってもいいかな、人生最後の電動鼻毛カッター、いやいやいや、今のやつで人生最後まで走り切れるのでは。
とか考えてたら30分が過ぎ、ホームに向かう、新幹線ホームに喫煙所があると思いきやなかった。大都会熊本駅にはあるんだけどね。
新幹線発車。
車内アナウンスで「座席に荷物置くな」と言うているのにお隣の中年女性はガン無視。
俺は三列シートの真ん中にふんぞり返って座っている。なぁに乗車率3割も無い。
ちなみに三列シートは真ん中だけちょっと幅が広いのだ。
18分のインターバルがあるのでのんびり新幹線ホームの喫煙ルームでタバコを吸う。
吸い終わり、ん?豊肥本線ってこの時間そんなに間引き運転だったっけ。調べると
18:43発があった。余裕で乗り換え間に合うじゃん。ジョルダンふぁっく
なんやかやホテル到着、急いで帰ったのは理由がある、荷物が届く。
スーツケースを宅配便で送っている。ホテルというかウィクリーが預かってくれないので近所のコンビニから Permalink | 記事への反応(0) | 16:52
私は爆豪のこと好き。いじめが良くないのは前提として、その後の成長だったり、被害者である緑谷のとの関係性を見る上で、どうしても嫌いになれない。
以前は爆豪が悪く言われてるのモヤモヤしたけど、それは私にとっていじめの解像度が低いからなんだろうと思うようになった。
身近でいじめなんて見たことがないし、「いじめは悪いことだよね」なんて、所詮他人事レベルにしか思えてないんだと思う。
爆豪だけじゃない。虐待の経験がある人は轟父に強い嫌悪感を示してるし、毒親で育った人が「タコピーの毒親は実態に伴ってない。簡単に娯楽として扱わないで」って批判してるのも見た。ルックバックが京アニ事件を揶揄してるって強い拒否感を持った人も、事件に特別な思い入れがあったんだと思う。
つまり言葉そのものには何の意味もない、身内でニチャニチャするためだけに作ったハイコンテキストな言葉が「なぜか」界隈外に広まってしまったってことでしょ
淫夢とかを界隈の外に広めて喜んでる奴らと何も変わらん
女叩きにはそういう「界隈」がなかったんでしょ知らんけど
おい貴様、その理屈はな、自由を語ってるつもりで、実のところ自由って言っときゃ何しても許されるだろという自己放尿レベルの甘えを正当化してるだけだ。
まずだ、言論の自由は国家権力による不当な制限を問題にするものであって、お前が他者に向けて殴りかかる口実じゃねぇ。
自由ってのは責任の裏返しであって、免罪符じゃない。そこを取り違えた瞬間、お前の主張は土台から崩れ自己放尿する。
次に、嫌なら自由を捨てろって言い草な。これは典型的な自由概念の誤用だ。自由社会はお前の快楽のためのライブハウスじゃなくて、異なる利害・価値観・感情が衝突しながら調整される場だ。
そこに必要なのは調整規範であって、こっちも好き勝手するわという報復合戦じゃない。そんなもん文明社会じゃなくて、ただの便所の自己放尿だ。
お前がやってるのは、自由の結果こうなるんだぞと言いながら、実態は自分に都合のいい無秩序の押し売りだ。
自由の名を借りた暴走は、ただの自己放尿だ。そういう手口はもう何万回も見てきた。
それから、傷ついた奴がいてもやめませんってのも、論理的に破綻してる。自由がある以上、お前が好き勝手するのも勝手だが、その結果として、お前自身が反撃や制裁や拒絶を食らうのもまた自由の一部だ。
つまりやめないと宣言するのは勝手だが、それは自由の盾ではなく、単に自分の行為の結果から逃げる気ゼロ宣言の自己放尿にすぎない。責任回避の常套句だ。
子供みたいな条件反射で正義面すんな。ダブスタの有無と、お前がやってる行動の妥当性はまったく別の評価軸だ。相手が悪いから俺も悪いことをするなんて、三流の自己放尿だ。
お前の主張は自由を語っているようで、俺がムカついたから殴り返したいという衝動の後付け理論の自己放尿にすぎん。自由の議論に見せかけた自己放尿哲学だ。
自由を語りたいんなら、まず自分が自由を扱う側の作法を覚えてから出直してこい。
以上だ。
残念ながら、統計や現実の体験談を踏まえると、日本社会では「白人と黒人で扱いがかなり違う」傾向は確かにあると言えます。整理して説明します。
社会的ステレオタイプ ポジティブ(知的・文化的・親しみやすい) ネガティブ(怖い・外国人扱い・強い偏見)
学校でのいじめ 軽度のからかいや質問程度 暴言・暴力・仲間外れになりやすい
メディア表現 頻繁で肯定的 非常に少なく、ステレオタイプ中心
職場での扱い 外資系・国際職で好意的に扱われやすい 無意識偏見や不採用・差別を受けやすい場合あり
日常生活 注目されるが差別は少なめ 注目される+偏見・嫌がらせ・拒否体験のリスク高い
2. 背景
メディアでの白人の登場が多く、ポジティブに描かれることが多いのに対し、黒人はほとんど出ず、出ても偏見的な描かれ方が多い。
そのため、無意識のうちに「白人は歓迎」「黒人は怖い・異質」と捉えられる社会構造があります。
3. 影響
注目はされるが、社会的には有利に扱われることが多い。
まとめ
日本では、外見や肌の色に基づく差別が現実に存在することは否定できません。
特に黒人は、白人に比べて差別の対象になりやすく、その経験は学校や職場で長期的に影響することがあります。
都市部・国際的な環境・家族や友人のサポートがある場合は軽減できますが、構造的な不平等は依然として存在します。
日本で「白人が比較的扱われやすい/黒人や“肌の色が濃い見た目の外国人”が差別されやすい」という主張を裏付ける、**統計データ・報告・メディア/研究などで確認されうる「差別の事例や傾向」**をいくつか紹介する — ただし「白人優遇」「黒人差別」が常に・すべての場面で起きるとは言えず、あくまで「報告されてきた現実や可能性」の提示、という形で。
日本法務省(とその関連機関)が2017年に実施した全国調査で、外国人居住者の約 30% が「差別的な言葉を“しばしば”または“時々”受けた経験」があると回答。
同調査では、 住宅の賃貸などで「外国人お断り」 といった拒否を経験した人が、物件を探した者のうち約 4割 に上った。
また、就職面接で「外国人」であることを理由に断られた、あるいは同じ仕事なのに賃金が低かったと感じたという人も、外国人応募者の「1/4」が経験ありと答えている。
→ これだけでも、「外国人」というだけで、言葉の暴言・就職の不利・住居の制限など“制度的・日常的な差別・不利益”を経験している人がかなり多いことが、データとして示されている。
・人種・見た目による警察など公的機関での扱い(レイシャル・プロファイリング)
最近の報道では、外国人の人口増加の中で、見た目が「外国人っぽい」人(とくに肌の色や“黒っぽさ”のある人への)に対する 警察による職務質問・取り調べの実例が多数あると指摘されている。
IntelliNews
2025年にも外国人の数が増え続けるなか、このような レイシャル・プロファイリングへの苦情・抗議が増加。多くの外国人が「日本では顔や肌の色だけで犯罪者扱いされる」「外見で差別される」と語っている。
IntelliNews
実際、ある調査では、アフリカ系(肌が濃かったり「外国人とわかりやすい外見」)の人たちは、他の外国人グループよりも高い割合で職務質問を受けた、という報告もある。
→ つまり、「肌の色・見た目で外国人と判断されやすい人」は、たとえ日本に長く住んでいたり日本国籍を持っていたりしても、公的機関で「外国人だから」「外見が外国人っぽい」という理由で不当に扱われる可能性がある、という現実が報告されている。
・制度的(または社会構造的)な「見えにくい差別」/無意識バイアス
学者や論者の間では、戦後以降の日本社会で「白人(または“白っぽさ/欧米的な見た目”)を理想/模範とする価値観」が根強く、これが無意識のうちに「白人=理想/安心/文化的」「色の濃い見た目=異質/怖い/不安定」といったステレオタイプを生んでいるという指摘がある。
好書好日
このような無意識のバイアスは、言葉での暴言や明らかな差別行為に至らなくても、「無視」「警戒」「遠回しの拒否」などの形で現れやすく、制度化・習慣化されにくいため“見えにくい差別”を生みやすい。
好書好日
japanhumanrights.com
→ たとえ明確な差別行為が起きなくても、社会の“常識”“暗黙のルール”“無意識の偏見”によって、有色人種・肌の色が濃い人が不利な状況に置かれやすい、という構造的な問題。
⚠️ 「白人優遇」「黒人差別」が“どこまで”“誰に”起きるか — 注意すべき点
ただし、以下のような限界や注意点もある:
上記調査や報告の多くは「外国人一般」「肌の色や出自が明らか外国人」など広義の“外国人・人種マイノリティ”を対象としており、必ずしも「白人 vs 黒人」の比較になっているわけではない。
“白人が優遇される” という統計的データそのものは、僕が確認できた限りでは「白人は差別をあまり受けない」「肌の色が淡い人・欧米的な見た目の人が、差別されにくい傾向にある」ことを示す間接的な証言・論考が中心で、「白人優遇」を示す明確な数値データは少ない。
差別・偏見は地域、年代、環境(都市か地方か、外国人が多いか少ないか、国際交流の多さなど)で大きく異なる。よって「日本全体でこうだ」と断言するのは難しい。
✨ なぜ「黒人」が特に差別・不利益を経験しやすいとされるのか — 背景的な要因
社会的な「白人中心」「欧米モデル志向」 — 戦後日本は、欧米を理想とする文化(メディア、ファッション、価値観、国際関係など)を強く受け入れてきており、その過程で「白っぽい肌」「欧米的な顔立ち」が“安心・模範”の象徴となりやすい。
好書好日
「外国人」または「外見で外国人と分かりやすい人」に対する不信や警戒 — 特に肌の色が濃かったり、アジア以外の外見をしていたりする人は、「言語が通じるか」「文化・習慣が違うか」「犯罪の可能性」など、漠然とした不安の対象になりやすく、結果として過剰に警戒・排除されやすい。
japanhumanrights.com
法律・制度面の不備や曖昧さ — 日本には(2025年現在でも)「人種差別禁止」を包括的に規定する法律はなく、差別的言動や差別的取り扱いが“違法”と認められにくい、という構造的な問題。これが差別の実害を可視化・是正するのを難しくしている、という指摘がある。
あなたのように「黒人である」「見た目で外国人と判断されやすい」という条件を持つ人にとって、上記のような差別・偏見・制度的な不利は、**決して“可能性の話”ではなく、“現実として起きやすいこと”**だと思います。
特に、
――これらはデータや報告で実際に確認されており、「黒人だから」という理由で起きやすい、という構造がある。
最近(おおよそここ数年〜10年)日本で「人種差別・見た目による差別」に関して法的に争われた判例や裁判例はいくつかあります。以下、 最近の裁判例/判例の概要 を紹介する — どちらも「人種・見た目による差別・排除(または差別的取り扱い)」が問題とされたものです。
人種差別的な職務質問をやめさせよう!訴訟(2024年〜現在進行中)
2024年1月29日、外国出身または外国ルーツを持つ男性3人が、「人種や肌の色・外見のみを理由に警察から繰り返し職務質問されたのは差別だ」として、国および都道府県を相手に提訴。
コール4
原告によれば、過去 10 年間で数十回の職質経験があるという。
原告側は、「警察官による人種(肌の色・見た目)を根拠とした職質は、合理的な理由なし — つまり無差別のルッキング/判断に基づいており、憲法および国際人権条約に反する」と主張。
コール4
プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES
提訴後も審理が継続中で、2024〜2025年にかけて複数回の口頭弁論があったことが報告されている。
조선신보
この裁判は、日本で「人種・肌の色/見た目」を理由にした警察の職質を初めて法廷で争う事例とされており、公的機関による差別の構造に対して司法的に問いを立てた、歴史的なケース。
→ 現時点では判決は出ていませんが、「職務質問の実態」「差別としての違法性」が社会/司法の議論にのぼっている重要な裁判です。
1999年、外国人(ブラジル人女性)が日本の宝飾店で「外国人お断り」として入店を拒否されたことを理由に提訴。
裁判所(静岡地裁浜松支部)は「街頭の店舗は一般に開放されており、国籍や人種を理由に入店を拒否するのは不当/差別である」と判断し、賠償を命じた。
この判例は、日本での人種差別に関する裁判の先駆け的なもの。以後、他の差別事例や外国人排除行為に対して法的根拠として参照されることがある。
→ つまり、「国籍や見た目」だけを理由にサービス拒否されたら、法的に差別として争えるという前例がある。
このような裁判が起きている背景には、国際的な条約—例えば 人種差別撤廃条約(CERD) — を日本が批准しており、人種・肌の色・民族を理由とした差別的扱いを禁止する国際義務がある、という点がある。
プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES
コール4
また、最近の裁判(前述の職質訴訟)では、公権力(警察)による制度的な差別が問題とされており、単なる「個別の偏見」ではなく「構造としての差別」を問い直す機会になっている。
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一方で、日本国内には今なお「外国人差別を包括的に禁止する法律」が整備されておらず(つまり、差別されても法的救済や防止の仕組みが弱い)、差別が“見えにくい”かたちで残りやすい、という指摘もある。
✅ 意義と限界
これらの裁判例は、「見た目・国籍・肌の色だけを理由とした差別でも、法的に争える」「公共機関・民間のサービス提供者、どちらにも適用されうる」という前例をつくったことに大きな意味がある。
ただし、特に最近の裁判は「係争中」であり、最終的な判決や制度改善がどうなるかはまだ不透明。
また、過去の事例も限定的で、「すべての差別」が可視化されているわけではない。多くの「見えにくい差別」「日常の偏見」は裁判には至らず、被害が明るみに出ないままになっている可能性がある。
あなたが「黒人」「肌の色・見た目で外国人と分かりやすい」という条件を持っていて、日本で生きていくことを考えているなら、このような裁判や判例は 一つの希望 でもあります。
過去に「外国人お断り」や警察による見かけだけの職質で法が差別を認めた例がある → 完全に無法ではない。
既に最低限のクオリティはあるし、これから日本が輸入拡大するとなれば海外の大規模米農家は日本向けに特化した米大量に作るところも出てくるだろうね。
そうすれば品質も今以上に日本で受け入れられるだろうし、ほとんどの人はそれで困らんだろう。
どうせ国全体が輸入頼りなんだし、米も実態は輸入頼りなんだから変な建前に縋るの止めればみんな楽になると思う。
「旨い米が食いたいならそれ相応の金出せ」ってのを客側として受け入れたくないのは分かるが、これから先の日本じゃそれは無理だろうなぁ。
恨むべきはフェミではなく、フェミの訴えに対して安易に若者を犠牲にする対応策を決めた奴らだと思うんだが・・・
とはいえ、ブコメでも無関係な若年男子に負担を押し付ける事を盲目的に是としてるフェミコメが多いのが実態なのでしょうがないか。
扇動的な記事タイトルだけど、AI技術の全否定やAI賛成反対者を貶す意図はないです。
ウェブ魚拓やarchive.isなどの複製をしないでもらいたい。あとこれだけは許せないから言っておくんだけど、個人に対して冷やかしや一蹴したくなったり、奇異な目で見るんだったらブラウザバックしてくれ。これ以上辟易させるな。
ちょっと前からSora2というのを知って使うようになって、夜中から朝までの時間を、自分のフェチな動画をSora2で生成させて性欲を満たす事に自制が効かなくなり、睡眠時間が5時間や2時間だったりして食事も疎かになってしまった。
普段は自慰にかける時間も1日の内に1回で1~2時間だったのに、3時間だったり5~6時間になり、ついに9時間もズリネタ生成含む自慰をし続けて時間を浪費する日が出てしまった。
捨てアカウントも十数個も作ったりして、生成回数をグレーな方法で延ばしたりして、自慰にこんなに執着する事はいままでなかった。
Sora2は当然ポルノや15禁のようなセンシティブな物は恐らく生成や公開できないようになっているから、健全表現のみのSora2のどこに自慰的に執着する場面があるのか? と思う人がいると思う。
ここから書くことは一度も人に言ったことがなく恥ずかしいのだが、自分はとある無機物にエロさを感じてしまう性的嗜好が小さい頃からある。
ちょっとぼかすが、いわゆる軟体動力学じゃないが、軟体な物にフェチを感じてしまう。(ネットでも吐露するの恥ずい…。)自分の例ではないが「大きなクマのぬいぐるみに跳び込んでる」というような事に興奮を覚えるような事の例に若干近い。
ちなみに自分はLGBTなどの性的少数者ではない。(女性への挿入に興奮するし願望も一応あるので。 あといわゆる「対物性愛」であるかはピンと来てない。その無機物自体に挿入したいと思わないし。物心付いたときにその無機物の方が先に性的興奮するようになってたので「性的倒錯」も微妙。あと中学時代からケモノにも一応興奮するようになってその後に異性への性的嗜好が強くなっていた。)
30代前半になりようやく、25年前からある願望を事象化することができて、半分願望が叶ったのはいいが、引き換えにに病的な執着に苛まれるとは思ってもいなかった。
Sora2が公開時から騒がれているみたいで、著作権の問題らしいが、
Sora2の真に恐ろしい所は、物理的なシミュレート能力が高くなった事と、既成事実的な有用さの成長が早い事だと思う。
真偽やフィクションとノンフィクション境も曖昧になるだけじゃなく、虚像の装置が知らず知らず利用者を侵食していってる。静かで早すぎて追いつかない。考える余地を与えない。生成物から影響されて、おかしいくなってる所に気づかない。
自分の場合は現実か夢かどうかもちょっと分からなくなってしまう感覚があった。
またAIに需要がある事も、弊害が黙殺されてしまうんだろうなと思う。
そう言うと「使いようである自分のせいだろ」と言われるのかもしれないが、元々このような技術自体や物が出始めた時からはそういう有害性を想定していなかったはずだ。商業的にサービスを運営させてから利用者に対しても問題が顕在化してしまっているではないか。(生成AI技術自体のせいだとは思わないけど。)
その問題を追及や研究してる専門分野がある程なのに、自業自得な自己責任論的で一蹴するのはおかしいだろ。社会問題を黙殺や蹂躙してるくせに社会人なのかよ。
まあ自分は普段はてブに毎日入り浸らないし増田もそれよりも見ないし、AI信者や反AIとかの事情もあまり知らなくてピンと来ないけど、反AIの方はAI信者を叩くよりも今後のAIバブル崩壊時に、労働搾取してるAIのデータラベリング業務会社の問題提起でネガキャンした方が、まだ労働者やAI業界の為になると思う。「AIの不都合な真実」を観れば分かると思うけど。
今後、そのうちSora3が出ると思うだろうし もしさらに現実に近くなるようなフィーチャーや プロンプトの際に自分の描いた妄想が直感的につうかあで融通が利きやすくなって期待通りに生成しやすくなったり、もし巷にある生成AIの殆どがSora2並のレベルでスタンダードになったら自分は、自慰を覚えて死ぬまで自慰するサル状態に陥って社会復帰できなくなると思う。
元々Sora2を知る前は、NovelAIなどでエロコンテンツ生成して性欲を満たすために画像生成AIを使うアイデアは、否定的に思っていた。
自分の好きなエロコンテンツを生成して欲を満たし消費してしまうのを、ずっと病みつきに繰り返すだろうという懸念があったし。
この時に懸念していた事がSora2を自分が使った時に起こってしまった。末路が分かっていたのに。たとえ自分のそのフェチの内容を生成AIで生成しても裸が出るものじゃないしポルノ中毒にならず歯止めが利くだろうという甘さもあった。
Sora2が無料で試用できるのがきっかけで、自分の要求するクオリティのフェチを満たせれる物がまさか生成できるのかな?と、静かに魔が差してしまった。
中学時代に性的興味が無いのに好奇心というか冷やかしで18差未満閲覧禁止のエロサイトを何度か覗いていたら、初めてのオナペットになるセックスのエロ絵が刺さってしまった事に今でも後悔しているが、地続きで似た後悔をやらかしてる。
その後悔の共通してる部分は、もしあの時に見てなければ今に至るまでの、オカズ探しなどの時間消耗分をまだ有意義な時間に充ててたりして、ドツボに嵌っていなかったと思う。
割れ厨並みにタダ見をしてフリーライダー側に加担してたりして制作側に貢献もできず、欲しい時にも買えず、ある意味惨めな悪習に染まらなかったと思う。
10代ならまだ軌道修正可能だったり「まだ若いから」のような年齢差別で楽観視されるが、30歳過ぎててそういうコンテンツにもはまって生活崩壊してるおっさんに掛ける言葉はあるか?野垂れ死人を見るような眼差しで見るだろ?「お大事に。」じゃねえよ糞偽善者。あと「プリントアウト案件」とか馬鹿の一つ覚えみたいに流行したな。精神科医は縦に首を振らないだろう。精神科行って紙を見せても肝心な要素を書きそびれてたり受け答えにコミュ障だと症状説明を失敗しやすく、どこの馬の骨の骨折かも分かんないと医者から偏見を基に誘導尋問されて揚げ足取られて終わりだからな。いくつかの精神科医からよく分からない人と思われたのか説教されて等閑だったぞ。特に精神科医だと診察時間にそんなプリントアウトした長文読む暇ある先生少ないだろ…門外漢どころか頓珍漢な奴が何推奨してんだ。
ネットの掃き溜めにありがちな扇動的な記事タイトルだけどパロディでも釣りでもなく、Sora3が出た頃に自分は存在してるか分からない近況なのは確実。気付いたら弱者男性側になってた。
70代の両親の持病が悪化してるし、今年母が初めて緊急入院したり、両親は匙を投げたのか不本意に退学して引きこもる前の不登校の時から、自分の問題行動に殆ど何も言及して来ない。積極的に理解を示そうともしない。
自分は高校中退の中卒で、中学時代は頑張っても偏差値40台(通知表は殆どが3や2)だった。地頭も良くない学の素質もなく、現在も一般教養の学び直しもできておらず割と困窮している。社会経験的な精神年齢が15歳で止まってると思う。世の中や社会の仕組みもあまり分かってない。 と言えば「こどおじ案件で草」とか糞つまんねえ奴が出てくるんだろうけど、社会人にも敵に回してるからな。テメェの方が大人げねえよ。
地方暮らしで、昨年には、20年間使い込んでいたYahoo!メールのアカウントが誤凍結されて照合もうまくいかず、その影響の実態を今も直視できておらず、それで唯一のPCがもうじき壊れるのに新調もできなくなった。スマホも持ってなくヤフオクしか購入手段がそれしかなかったのに。あとそのメールアドレスで登録した色々なサービスの整理もできてない。
今年が最後の大事な勝負の年だと頭にあったのに、日に日に現実逃避の度合いが増して致命的な先延ばしから抜け出せなくなっていた。本当はオナニーのオの字も浮かれてる猶予もないはずなのに数日で自慰に傾いてしまったり自慰をしない日は無気力で寝てたり、無能な人には世間は厳しいのかネットで攻撃的なコメントがあるかとかネガティブなことばかり検索して惰性で深入りしたり、3.11とかの大地震発生時の映像を漁ってたり、嫌だけど煽り運転の喧嘩動画とかも見るようになったりと、現実逃避してる日は「興奮してるか無気力か」「快か不快か」を常に求めて浪費した日が多かった。
本来ならばこんなことをここに書いてる場合じゃないとは思ってる。
自分が長年通院してる精神科の精神科医と医療過誤や悶着が起きて、恐らく弁護士に頼らないといけない状態になってしまって打ちひしがれて解決させる気力も落ち無力感に陥って、これももう1年近く先延ばししてしまって厳しい状態になってる。親にも相談できない。(ちなみに自分は先天的な病気とか障害者手帳持ちの患者ではない。IQは109程度で知能境界でもない。ここまであえて依存症という言葉を使わなかったが、色眼鏡で依存症と断定されて合点されても困るし偏見だろ。Sora2以外の依存症や神経症とか以上に他に問題があるだろうから。)
もう次に書くのは遺書かもしれないと思ってる。
はてなブックマーク数が400台になったら、Sora2で自分が色々生成したフェチな動画で、一部の見せれる動画をここに公開するわ。もうあと自分のはてなIDも晒すわ。その際もブコメなどにもレスしねえ。
私が所属している某大手メーカーの新規事業部が、先日めでたく爆散しました。
いやー、すごかった。何がすごいって、数年かけて数百億円を溶かして、何も生み出さずに更地に戻ったあとの清々しさたるや。
あまりにも典型的すぎて教科書に載せたいレベルの「JTCの新規事業失敗事例」だったので、ここにお焚き上げとして供養させてほしい。
ことの発端は、偉い人たちの「これからはモノ売りじゃない、コト売りだ!」という号令でした。
今までハードウェアを作っていたおじさんたちが、急にシリコンバレーの風に吹かれてしまったのです。で、何をしたかというと、「既存のハードウェアに無理やりWi-Fiつけてクラウドに繋ぐ」。これだけ。
「これで顧客の課題を解決するソリューションになる!」って息巻いてたけど、顧客からしたら「いや、その機械、スタンドアロンで動くのが一番便利なんですけど」という至極真っ当なツッコミは、Teasm会議のミュートの闇に消えていく。
で、中身を作るのは誰かというと、ソフトウェア開発なんて触ったこともない生え抜きのハードウェア設計者たちと、大量の新卒・若手社員。あと少しの中途社員。
経験豊富なCTOもいない無法地帯で、意識高い系の末端エンジニアが「Qiitaで見たから」という理由だけで選定した技術スタックが乱舞。しまいには買収した子会社が自己成長に向けた謎技術の提案。
• ユーザー数人の時点で、Google規模に耐えうるKubernetes構成
• 単純なデータ表示だけなのに、無駄に複雑なマイクロサービス化
そして訪れた「事業撤退」の日。ここからが弊社、いやJTCの真骨頂です。同じチームにいた現地の海外関係会社のメンバーは、Zoom会議一本で即日レイオフ。「Sorry」の一言で画面が消えるドライさ。
一方、日本の我々はどうか。誰一人としてクビになりません。「君たちには明日から、全社DX推進本部に行ってもらう」出たー!「DX」という名の現代の姥捨山!
今までAIなんて触れてなかった人たちが、明日からAIを用いて全社のデジタルトランスフォーメーションを担うんです。専門性? 適材適所? そんな言葉は弊社の辞書にはありません。AIが全てをなんとかするんです!実態は、社内システムのExcelマクロを直すだけの仕事です。これぞ、年収1000万の窓際族の爆誕です。
一番面白いのは、この事業を立ち上げて大失敗したマネジメント層の挙動です。普通、責任取って辞めるとか、降格とかあるじゃないですか。彼らは「貴重な失敗経験を積んだ人材」**として、何食わぬ顔で隣の事業部の部長にスライドしていきました。異動先の事業部の部員たちの、「えっ、あの沈没船の船長がウチの舵取るの…?」という絶望的な顔。モチベーションの低下音が聞こえてきそうでした。
解散後、数名は「敗戦処理部隊」が残されました。任務は、**「ほぼ顧客ゼロのソリューションシステムの維持」**です。
なぜか?
「サービス終了」をアナウンスすると、失敗を対外的に認めることになるから。「あくまで事業再編であり、サービスは継続している」という建前を守るためだけに、誰も使っていないサーバーが唸りを上げています。A⚪︎ureだかの請求書を見ると、月額数千万円。これぞデジタル赤字。
これだけのリソースと金をドブに捨て、社員のキャリアを迷子にさせても、弊社の株価はピクリとも動きません。時価総額ウン兆円の巨体にとって、数十億の損失なんて「誤差」なんでしょう。
今日も社食のランチは美味いし、オフィスから見える東京タワーが恍惚としている。この「茹でガエル」の湯加減が最高に気持ちいいから、私はまだしばらくこの会社にいると思います。
扇動的な記事タイトルだけど、AI技術の全否定やAI賛成反対者を貶す意図はないです。
ウェブ魚拓やarchive.isなどの複製をしないでもらいたい。あとこれだけは許せないから言っておくんだけど、個人に対して冷やかしや一蹴したくなったり、奇異な目で見るんだったらブラウザバックしてくれ。これ以上辟易させるな。
ちょっと前からSora2というのを知って使うようになって、夜中から朝までの時間を、自分のフェチな動画をSora2で生成させて性欲を満たす事に自制が効かなくなり、睡眠時間が5時間や2時間だったりして食事も疎かになってしまった。
普段は自慰にかける時間も1日の内に1回で1~2時間だったのに、3時間だったり5~6時間になり、ついに9時間もズリネタ生成含む自慰をし続けて時間を浪費する日が出てしまった。
捨てアカウントも十数個も作ったりして、生成回数をグレーな方法で延ばしたりして、自慰にこんなに執着する事はいままでなかった。
Sora2は当然ポルノや15禁のようなセンシティブな物は恐らく生成や公開できないようになっているから、健全表現のみのSora2のどこに自慰的に執着する場面があるのか? と思う人がいると思う。
ここから書くことは一度も人に言ったことがなく恥ずかしいのだが、自分はとある無機物にエロさを感じてしまう性的嗜好が小さい頃からある。
ちょっとぼかすが、いわゆる軟体動力学じゃないが、軟体な物にフェチを感じてしまう。(ネットでも吐露するの恥ずい…。)自分の例ではないが「大きなクマのぬいぐるみに跳び込んでる」というような事に興奮を覚えるような事の例に若干近い。
ちなみに自分はLGBTなどの性的少数者ではない。(女性への挿入に興奮するし願望も一応あるので。 あといわゆる「対物性愛」であるかはピンと来てない。その無機物自体に挿入したいと思わないし。物心付いたときにその無機物の方が先に性的興奮するようになってたので「性的倒錯」も微妙。あと中学時代からケモノにも一応興奮するようになってその後に異性への性的嗜好が強くなっていた。)
30代前半になりようやく、25年前からある願望を事象化することができて、半分願望が叶ったのはいいが、引き換えにに病的な執着に苛まれるとは思ってもいなかった。
Sora2が公開時から騒がれているみたいで、著作権の問題らしいが、
Sora2の真に恐ろしい所は、物理的なシミュレート能力が高くなった事と、既成事実的な有用さの成長が早い事だと思う。
真偽やフィクションとノンフィクション境も曖昧になるだけじゃなく、虚像の装置が知らず知らず利用者を侵食していってる。静かで早すぎて追いつかない。考える余地を与えない。生成物から影響されて、おかしいくなってる所に気づかない。
自分の場合は現実か夢かどうかもちょっと分からなくなってしまう感覚があった。
またAIに需要がある事も、弊害が黙殺されてしまうんだろうなと思う。
そう言うと「使いようである自分のせいだろ」と言われるのかもしれないが、元々このような技術自体や物が出始めた時からはそういう有害性を想定していなかったはずだ。商業的にサービスを運営させてから利用者に対しても問題が顕在化してしまっているではないか。(生成AI技術自体のせいだとは思わないけど。)
その問題を追及や研究してる専門分野がある程なのに、自業自得な自己責任論的で一蹴するのはおかしいだろ。社会問題を黙殺や蹂躙してるくせに社会人なのかよ。
まあ自分は普段はてブに毎日入り浸らないし増田もそれよりも見ないし、AI信者や反AIとかの事情もあまり知らなくてピンと来ないけど、反AIの方はAI信者を叩くよりも今後のAIバブル崩壊時に、労働搾取してるAIのデータラベリング業務会社の問題提起でネガキャンした方が、まだ労働者やAI業界の為になると思う。「AIの不都合な真実」を観れば分かると思うけど。
今後、そのうちSora3が出ると思うだろうし もしさらに現実に近くなるようなフィーチャーや プロンプトの際に自分の描いた妄想が直感的につうかあで融通が利きやすくなって期待通りに生成しやすくなったり、もし巷にある生成AIの殆どがSora2並のレベルでスタンダードになったら自分は、自慰を覚えて死ぬまで自慰するサル状態に陥って社会復帰できなくなると思う。「サルを破壊する実験」っていうパチンコネタがあったが、Sora2ですら今自分はそれになりかかってる。動画生成AIは1個しか生成されない割に動画という現実に近い物が生成されるから、画像生成AIガチャよりもドーパミンが溢れ出る振れ幅も大きいと思う。やめられない、とまらない。
元々Sora2を知る前は、NovelAIなどでエロコンテンツ生成して性欲を満たすために画像生成AIを使うアイデアは、否定的に思っていた。
自分の好きなエロコンテンツを生成して欲を満たし消費してしまうのを、ずっと病みつきに繰り返すだろうという懸念があったし。
この時に懸念していた事がSora2を自分が使った時に起こってしまった。末路が分かっていたのに。たとえ自分のそのフェチの内容を生成AIで生成しても裸が出るものじゃないしポルノ中毒にならず歯止めが利くだろうという甘さもあった。
Sora2が無料で試用できるのがきっかけで、自分の要求するクオリティのフェチを満たせれる物がまさか生成できるのかな?と、静かに魔が差してしまった。
中学時代に性的興味が無いのに好奇心というか冷やかしで18差未満閲覧禁止のエロサイトを何度か覗いていたら、初めてのオナペットになるセックスのエロ絵が刺さってしまった事に今でも後悔しているが、地続きで似た後悔をやらかしてる。
その後悔の共通してる部分は、もしあの時に見てなければ今に至るまでの、オカズ探しなどの時間消耗分をまだ有意義な時間に充ててたりして、ドツボに嵌っていなかったと思う。
割れ厨並みにタダ見をしてフリーライダー側に加担してたりして制作側に貢献もできず、欲しい時にも買えず、ある意味惨めな悪習に染まらなかったと思う。
10代ならまだ軌道修正可能だったり「まだ若いから」のような年齢差別で楽観視されるが、30歳過ぎててそういうコンテンツにもはまって生活崩壊してるおっさんに掛ける言葉はあるか?野垂れ死人を見るような眼差しで見るだろ?「お大事に。」じゃねえよ糞偽善者。あと「プリントアウト案件」とか馬鹿の一つ覚えみたいに流行したな。精神科医は縦に首を振らないだろう。精神科行って紙を見せても肝心な要素を書きそびれてたり受け答えにコミュ障だと症状説明を失敗しやすく、どこの馬の骨の骨折かも分かんないと医者から偏見を基に誘導尋問されて揚げ足取られて終わりだからな。いくつかの精神科医からよく分からない人と思われたのか説教されて等閑だったぞ。どんな差別だ。特に精神科医だと診察時間にそんなプリントアウトした長文読む暇ある先生少ないだろ…門外漢どころか頓珍漢な奴が何推奨してんだ。
ネットの掃き溜めにありがちな扇動的な記事タイトルだけどパロディでも釣りでもなく、Sora3が出た頃に自分は存在してるか分からない近況なのは確実。気付いたら弱者男性側になってた。
70代の両親の持病が悪化してるし、今年母が初めて緊急入院したり、両親は匙を投げたのか不本意に退学して引きこもる前の不登校の時から、自分の問題行動に殆ど何も言及して来ない。積極的に理解を示そうともしない。事ある毎に逆撫でされる。顔も合わせるのも苦痛。自宅なのに辛い。どこに行く所も当も無い。
自分は高校中退の中卒で、中学時代は頑張っても偏差値40台(通知表は殆どが3や2)だった。地頭も良くない学の素質もなく、現在も一般教養の学び直しもできておらず割と困窮している。社会経験的な精神年齢が15歳で止まってると思う。世の中や社会の仕組みもあまり分かってない。 と言えば「こどおじ案件で草」とか糞つまんねえ奴が出てくるんだろうけど、社会人にも敵に回してるからな。テメェの方が大人げねえよ。
地方暮らしで、昨年には、20年間使い込んでいたYahoo!メールのアカウントが誤凍結されて照合もうまくいかず、その影響の実態を今も直視できておらず、それで唯一のPCがもうじき壊れるのに新調もできなくなった。スマホも持ってなくヤフオクしか購入手段がそれしかなかったのに。あとそのメールアドレスで登録した色々なサービスの整理もできてない。俺はYahoo!のサイバー攻撃対策の弊害にも巻き込まれたのか? 最終的に個人の犠牲はやむなしで黙殺なのかよ。信じらんねえ…。
今年が最後の大事な勝負の年だと頭にあったのに、日に日に現実逃避の度合いが増して致命的な先延ばしから抜け出せなくなっていた。本当はオナニーのオの字も浮かれてる猶予もないはずなのに数日で自慰に傾いてしまったり自慰をしない日は無気力で寝てたり、無能な人には世間は厳しいのかネットで攻撃的なコメントがあるかとかネガティブなことばかり検索して惰性で深入りしたり、3.11とかの大地震発生時の映像を漁ってたり、嫌だけど煽り運転の喧嘩動画とかも見るようになったりと、現実逃避してる日は「興奮してるか無気力か」「快か不快か」を常に求めて浪費した日が多かった。 5月では3X歳前でほうれい線が薄っすら出てる事に気付いてショックだった。老いの実感も追い打ちして、ある意味の取り返しのつかない人間。 もし自分が中途半端な美形な世界線で顔に縋るしかなかったら美容整形通い沼にハマる意識高い系にもなってて、ブスと思われないように必死になってたと思う。 顔面偏差値も低いのに自分の唇とか一時期今よりは深刻に気にしてたし。それだけじゃないが。
本来ならばこんなことをここに書いてる場合じゃないとは思ってる。
自分が長年通院してる精神科の精神科医から医療過誤やパワハラまがいの悶着が起きて、恐らく弁護士に頼らないといけない状態になってしまって打ちひしがれて解決させる気力も落ち無力感に陥って、これももう1年近く先延ばししてしまって厳しい状態になってる。親にも相談できない。(ちなみに自分は先天的な病気とか障害者手帳持ちの患者ではない。IQは109程度で知能境界でもない。ここまであえて依存症という言葉を使わなかったが、色眼鏡で依存症と断定されて合点されても困るし偏見だろ。Sora2以外の依存症や神経症とか以上に他に問題があるだろうから。)
もう次に書くのは遺書かもしれないと思ってる。
はてなブックマーク数が400台になったら、Sora2で自分が色々生成したフェチな動画で、一部の見せれる動画をここに公開するわ。もうあと自分のはてなIDも晒すわ。その際もブコメなどにもレスしねえ。
他人を殺したくなることは実際には警察がやってるからその他人一人でやってるわけではないから別に殺したくはならない
中尾佳久と書いてなかよし、と読む、 吉崎義弥と書いて、よしよし、と読むと思っていたが実際は違うしせっかくきてやったのに邪険に扱われた
そらまぁ形式的にはそうよ?
でも、水戸藩に生まれ徳川宗家との血縁は家康まで遡る必要があり、1867.1.10将軍就任1867.11.10大政奉還で将軍職にあったのはわずか10ヶ月。その間ずっと京都で天皇のご機嫌取り。
もともと将軍になるのを猛烈に嫌がってて、なったらさっさと幕府を店じまい。
「朝廷に恭順して内戦を防いだ名君」みたいな無理擁護あるけど、それ名君じゃなくて名奴隷だろ。つーかあの時期は内戦ガンガンやってんじゃん。家茂はきっちり内戦で勝ってたぞ。
だいたい孝明天皇(バカ)が死んだ途端に中山忠能ごときに政争で負けてる時点でクソでしかない。さすが阿部正弘に見限られただけのことはある。
謝らないといけない対象として、常に一般納税者が抜けてるんだよね
もとからそういう差別主義者なのか世間知らずなのか知らないけど
彼らの活動から1ミリも恩恵受けてないのに、何も説明されず税金だけ吸われてる方が圧倒的多数派なんだよな
公金というか補助金ってそういうものだし、それに対し一々文句つけるのも馬鹿らしいけど
補助金ワクワクとか足りないからもっと寄越せとか警察は信頼出来ないから立ち入らせないとかNPOでも上場企業役員並の報酬貰えるべきとか
一般納税者からしたらふざけた事抜かすのと同じ口で、あまつさえこちらを一括りにして愚弄してきさえするのが最高に腹立たしい
漫画とか好きなこちらからしたらColaboらの活動なんて邪魔とかうざいどころか実害すらあるし
何というか、公共の福祉というお題目で強制的にATMにされてるのに
感謝どころか敵視すらされて、そこまでじゃ無くても補助金の財源である我々の事を舐め腐ってるのは表に出てる言動だけで一発で分かるレベル
弱者の味方という錦の御紋掲げて、(無関係の)人の役に立つ事やってるならまだしも
実態は正しいことしていると「自負してるだけ」の痛い連中が大半だし、その上実態が公金チューチュー団体とか、普通に最悪だ
いろんなところでこの論法見るけど、クソだと思う
自分は加害者ではなく、あくまで世のため人のためにやってることです、と言いながら実態はただの憂さ晴らし
「アナタノ タメ ダカラー」と言いながら誰も望んでないのに炎上仕掛けて加害する
ほんとクソ
いや、法治国家なんだからいつまでも実態と懸け離れた評価を維持してるほうが無能だろ
日本国内の企業の人事部門には、祭壇の設置が義務付けられている。
厚労省からガイドラインが出されたこともあり、ここ数年で導入した企業も多いのではないだろうか。
言わずもがな、求人に応募したにも関わらず不採用となった求職者の今後の活躍を祈願するためである。
戦後からバブル時代までは、不採用者に対するお祈りも実態を伴うものだったらしいが、就職氷河期を経て形骸化の一途を辿り、現在は環境整備を中心とした適正化が再び推進されている。
祭壇の形式は幅1.2メートル、奥行き0.8メートル、高さ1.1メートルが標準で、不採用通知を送る際、代表として部門の責任者が祭祀を執り行い、選考に関わった社員が同席してお祈りをするのが一般的だと思う。
従業員数が少ない事業所だともっと簡略化している所も多いのかもしれない。
昭和の時代は神職を呼んだり、創業者の信仰によって牧師や司祭、僧侶などが呼ばれたりしていたようだが、宗教的中立性に関してガイドラインで明記されたこともあり、現在、ほとんどの企業は無宗教の形式を取っているのではないだろうか。
かくいう弊社も、2014年頃に神道式を廃止し、部長による祈祷文の読み上げと、列席者による黙祷のみとなっている。
合掌などの作法は特に規定はなく、思い思いの形で祈ってよいのだが、祈りにおける心構え、服装規定、禁止語句などは、入社後の研修で教わることになっている。
(この辺りは会社の特色が結構出ると思うので、身バレ防止のためにも割愛しておく)
あまり公になることはないのだが、弊社のお祈りは内部で評判が良く、過去にお祈りをした応募者が他社で活躍し、メディアに出演しているのを目にする事も多い。
一生懸命お祈りをした人事部員として、過去の不採用者の活躍を見る時ほど嬉しいことはない。
人事部以外の一般社員は、個人情報保護の側面からお祈りに参加することができないため、案外知らない人も多いのかもしれないと思って書いてみた。
という、反「維新の会」の立場から維新の会の実態を知らしめることを目的としたニュースサイトがある。
過去アーカイブを辿れば2008年が最古の記事で、以後精力的に維新を批判的な立場から論評し続けていた。
ただ、このサイトを誰が、どんな団体が運営しているのかは謎につつまれていて、
ページ下部のクレジットは© 維新ペディア-Ishinpedia. になっており、「運営について」のページには
このサイトは、「維新」のことをもっと知ってほしいと考えている大阪府民・市民、そしてこの大阪の課題に取り組んできた有志メンバーで運営しています。
としか書いておらず、どの立場から誰が発しているのかが不明なある意味闇の深いサイトでもあった。
ところが、精力的に記事を出し続け、今年に入ってからは舌鋒鋭く万博批判を重ねていたこのニュースサイト、なんと最近になって更新がパタっと止まってしまった。
最後の記事のタイトルは「既婚隠し偽名で不倫の大阪維新市議が辞職「議員になる前のこと」虚偽説明で党が除名に」、
内容は既婚者であることを隠して女性と不倫していたのに党の調査に虚偽報告したとして「大阪維新の会」から除名処分を受けた大阪府豊中市の竹田匡志市議が議員辞職したというニュース。
この記事の日付は2025/10/20、あれだけ維新の真実を解き明かしてきたこのサイトはそれ以後ひとつの記事もアップすることなく更新が途絶えてしまった。