はてなキーワード: 類似とは
フジッコ以外の食品メーカーも昆布豆を製造・販売しています。お近くのスーパーやオンラインストアで探してみてください。
昆布豆と同様に、大豆や他の野菜、昆布などを甘辛く煮たものです。フジッコの「ふじっ子煮」に近い商品が見つかるかもしれません。
大豆の水煮と昆布、調味料があれば、ご家庭で昆布豆を作ることができます。レシピサイトなどを参考に、お好みの味付けに調整できます。
昆布や海藻、野菜などを醤油や砂糖で煮詰めた佃煮は、多くのメーカーから販売されています。
スーパーのお惣菜コーナーや、オンラインストアで、「ひじきの煮物」「きんぴらごぼう」など、類似した味付けの惣菜を探してみるのも良いでしょう。
昆布やひじきなどの材料と調味料があれば、ご家庭で佃煮を作ることができます。
フジッコ以外にも、多くの食品メーカーが塩こんぶを製造・販売しています。
昆布を細切りにして、醤油やみりんなどで あまく煮て、塩を振ると自家製塩こんぶのようなものができます。
ブルガリアヨーグルト、ギリシャヨーグルトなど、様々な種類のプレーンヨーグルトが市販されています。
乳製品アレルギーのある方や、植物性食品を好む方におすすめです。
ヨーグルトメーカーや、市販のヨーグルト種菌を使えば、ご家庭でヨーグルトを作ることができます。カスピ海ヨーグルトの種菌も販売されています。
お近くのスーパーやオンラインストアで、類似の商品を探してみましょう。
https://lscharlie.exblog.jp/31824635/
「結果はFSIQ 156(標準偏差15)。読むのが面倒くさい人向けに予め(笑)。
2015年に人生初の知能検査WAIS-III(Ver.3)を受けた。今回は2018年から日本でも運用開始となった新しいバージョンWAIS-IV(Ver.4)の性能(?)を確認したく受けてみた。
※ちなみに本家アメリカでは児童向けのWISC-V(Ver.5)が出ているらしい。ということは成人向けのWAIS-Vもアメリカではそろそろだろう。周回遅れの日本。
※読み方はウェイス・フォー。
グーグル検索でサクッと出てきたところは私には遠く(4km以上(笑))、近場の心療内科や公認心理師(臨床心理士)オフィスなど10軒ほど問い合わせ、WAIS-IVを実施しているところを探した。「WAIS-IIIでしたら」と言うところばかりで、最新版の導入があまり進んでない様子。
前回同様、心身共に健康な私は問い合わせの段階で予め「自費(自由診療)で」と申し出た。
/*
「WAIS-IV」と検索すると真っ先に飛び込んでくる文字が「医科診療報酬点数: 450点 (根拠 D283-3)」で、仮に健康保険適用だと医院に入るのは4,500円であり、2時間ほど趣味に付き合わせるわけにはいかず自費(自由診療)で。場所代もあり医院と折半だとして、病院勤務の公認心理師の時給は1,000円くらいか。歯医者と一緒で保険適用診療は儲からないようにできている。余計なお世話だが。
今回は他の心理検査は省略してWAIS-IVのみ。心理検査(エゴグラムなど)4〜5種込みで36,000円(自由診療)ほどだった2015年とそれほど変わらず、問い合わせたところはWAIS-IV単体検査で27,500円〜43,000円(税込)だった。検査報告書は別途5,000円前後取るところが多くソレを含んだ金額(いずれも自由診療の場合)。
※神奈川県で1万円台後半、首都圏の外では1万円台前半という医院・心理オフィスも見かけた。
2015年と同じく、問い合わせ段階で「1ヶ月以上お待ちいただく場合があります」というところもあったが、今回も申込から一週間以内で受けられた。精神科医に用がナイと早いのだろう。
検査は臨床心理士(民間資格)かつ公認心理師(国家資格)の女性と個室で約1時間半。休憩なし(こちらが希望しなかった)。
結果は全IQ(FSIQ)156(95%信頼区間で149〜159)。
WAIS-IIIでは156までらしいが、WAIS-IVは160まで測定できるそう。実社会における知能格差を踏まえてのことだろうか。IQブームで被験者が増え十分なサンプルが得られたのかもしれない。
フリン効果を考慮すると、全体(世間)が底上げされることで相対的に自分の優位性が下がり、最新バージョンでは低く出ると予想されるがそうはならなかった。考えられるのは下記の通り。
(1)5年前のWAIS-IIIの時は時間を測っていることを途中まで知らず臨床心理士の女性を笑わせることに専念していた(笑)ため、(WAIS-IIIの)スコアが低く出た。
(2)各検査の内容は一通り入れ替わったそうだが、前回検査イメージ(流れ)を知ったため精神的な余裕が生まれ集中できた。
(3)私が時代に適した(または進んだ)頭を持っていて、バージョンが新しくなったことでより高い精度で測定できた。
(4)同年代と比べて経年劣化(笑)が遅いため、偏差値(DIQ)化すると優位性が増した。
(1)は十分にあり得る。当時ブログネタのために(笑)メンサの試験と併せて思いつきで受けに行ったから、時間を測定するなどの知識が何もなく、ずっと冗談を言い続けていて、臨床心理士の女性が噴き出してペンを落としたくらい(笑)。それを拾おうとした時に「時間を測っているので」と言われて知った。だから前半の検査項目の値が低く出た可能性が十二分にある。今回は検査中は黙って集中した。
(2)は初回と比べると遙かに緊張も少ない。医院だと問い合わせただけでも「WAISを受ける(受けさせられる?)=何か問題がある」という前提なんだろうなという空気感が漂い、健常者にとってはアウェー感がかなりある。見方を変えると通院している人は場慣れしていて“ホーム”として挑めるんじゃないだろうか。また「流れ」を知っているか否かは大きい。ボクシングなら蹴ってこない前提で戦えるし、キックボクシングなら寝技はない前提で戦えるが、「ルールなし」だとどう構えていいのワカラナイのと同じで、イメージを掴んでいるだけでも有利に働く。疲れがまるで違う。
(3)かれこれ20年ちょっとプログラマーをやっていて、25年もITビジネスに携わっているから、頭の使い方は他の現代人と比べてもそれなりに進んでいるだろう。検査内容が時代に追いついてきた可能性がある。だとすれば次バージョンではもっと高く出るかもと期待できる。
(4)同年代偏差値から算出されるため、他の人達より老化(機能低下)が遅ければそれだけ高く出る。しかし「2015年にWAIS-IIIを受けました」と伝えたところ、標準化する際の年代(すなわちサンプル集団)が当時と同じ層に収まっているらしく、一般的には加齢に伴う認知機能の低下によって、今回の方が低く出るはずだから1〜3の可能性が高い。
検査が終わった直後「多分151以上でしょう。正式な結果とレポートは1週間ほどで」と言われ解散。レポートを受け取り記載されている用語(資料1、資料2[WISC-IV]、資料3[WISC-IV]、資料4[WISC-IV]、資料5[WISC-IV]を参照)を調べてまとめたのが下記。数値は私の結果。
類似:15
単語:18
知識:19
理解*:19
積木模様:18
パズル:18
バランス*:18
絵の完成*:18
数唱:19
語音整列*:19
▼処理速度(PSI):149
記号探し:18
符号:19
絵の抹消*:17
「*」印5項目(語音整列、バランス、理解、絵の末梢、絵の完成)は「補助検査」と呼ばれ、これは直接は知能指数の算出には使われないらしい。せっかくなので全部受けた。
※料金が異なるかもしれないので、15検査受けたい人は予め「全15検査を」と伝えた方がイイ。
「類似」だけ低いのは多分私がスロースターターだから(笑)。最初の検査項目で、自分で「もうちょっとスマートな表現がありそうだが」と思いながら答えていた。最近は書いて説明することが多いことも影響している(多分)。
WAIS-IVから「言語性知能(VIQ)と動作性知能(PIQ)の区分けがなくなる」とはどこかで読んで知っていたが、
[VCI(言語理解)]+[WMI(作動記憶)]=[VIQ(言語性知能)](聴覚入力)
[PRI(知覚統合)]+[PSI(処理速度)]=[PIQ(動作性知能)](視覚入力)
※上記()内がWAIS-IIIでの呼称。今思うと「知覚統合」は大袈裟で、視覚入力しか測定していない。IVでは「知覚推理」という名称になった。割と良く「空間認識」とか「地図を読む力」といった例えが出てくるのに、なぜ素直に「視覚推理」にしないのか。
しかし分析の際の仕分けが変わったようで、これまでは上記の言語性知能/動作性知能に分けて分析していたところを、
[VCI(言語理解)]+[PRI(知覚推理)]=[GAI(一般知的能力指標)]
[WMI(作動記憶)]+[PSI(処理速度)]=[CPI(認知熟達度指標)]
と見るようだ。
※CPI(認知熟達度指標)は、「成人検査では現時点で研究段階」とのことで数値は算出されないそう。WISC-IVにはあるらしい。
検査方式が大きく変わったわけでもなく分析方法がより詳細になったっぽい。
分析の仕方が変わろうと、私みたいにバラツキのないタイプは分析しようがない。検査項目毎に差があって初めて何に強い・弱いなどの適性が出たり、或いは「発達障害の疑いあり」等と判定されるのだから。
GAI(一般知的能力指標)は知識と思考力(もちろん机上の)、CPI(認知熟達度指標)は実生活で問われる能力と言える。実績(実務)よりカタログスペックにこだわる人はGAIを好みそうな印象があり、「GAIが高いのに実社会で上手く行かない」という場合にCPIを見れば原因が解るといったより実質的な評価が可能になったように思える。
PRIとPSIはCambridge Brain Sciencesのスコア通りな印象。内容は全然違うが、テキパキ度が問われる。サラリーマン社会では最も見た目の印象に関わるところ。時間を測っているものばかりなので、喋ったり冗談を言ったり手を休めていると当然に低く出る。
一方、VCIは知識問題なので、偶然知っている内容が出題されれば高く出るという他の資格試験などと似た性質のもの。WAIS-IIIの時は日本文化に関わる内容が多く出題された記憶がある(私の苦手分野)が、IVは私が良く知る内容ばかりだった。
細かく見ていくと、「類似」は読解力・理解力につながり、「理解」は言葉通りの検査で異議はないが、「単語」と「知識」は“教養”と言えば教養、しかし私はこれらを「知能検査」に含めることに懐疑的な立場であり「長期記憶を問うている」程度に受け止めている。全くもって生得的な知能とは関係ない気がする。それに2020年現在、もっと知ってた方がいい知識は山ほどある。例えば「bit」と「byte」は現代社会において極めて優先度の高い単位だが、他の単位が問われた。冒頭に書いた周回遅れが原因なら(日米差は10年)、2010年頃の偏差値として受け止めるべきか。
WMI(いわゆるワーキングメモリー)は算数と暗唱(数唱)で、私の場合数唱はもともと良いんだが算数は運(笑)。今回の内容自体は即答できる簡単なものだった。
※それでもWAIS-IIIから5年経って加齢に反して向上していることを考えると、サプリ効果ではないかと個人的に思っている。
結局のところ言語性知能とは結晶性知能と呼ばれることもあるように、努力(反復学習)の成果(特に学校時代の)であり(私の場合大人になってから覚えたものばかりだが(笑))、生得的な賢さとは結びつかない。私はまるで努力型ではないので、算数(暗算)などは平均的なビジネスマンと比べて決して速くないんだが、ウェクスラーの場合文章問題を耳で聞いて暗算で答えるので、日頃人の話を何度も聞き直すような人(聴覚入力の機能性が低い人)や、メモが必要な人(ワーキングメモリーの機能性が低い人)は、学校のテストのように紙に書かれた問題の暗算が得意でも上手く行かない可能性があり、相対的に私はよく機能しているという結果なのだろうと理解している。日常生活・業務により近い検査と言える。
※ちなみに遺伝子検査では私の海馬(=記憶力を司る)は小さい傾向と出ている。MRIの画像が3年分あるのでいつか脳科学者に見てもらいたい。一方、計算は速い傾向と出ているが、算数も数学も苦手。多分性格の問題(笑)。処理速度も一部速い傾向と出ていて、これは自分で納得している。スロースターターだが(これも性格の問題)エンジンがかかると処理はかなり速い方で仕事量は非常に多い。
私にとって最も集中力を必要としたのは語音整列でかなり脳に負荷がかかった。10年に1回というくらいの本気を出してみたが、補助検査なのでFSIQの算出には使われないらしい(笑)。
私が受けたところは、検査まで、検査時、検査後の対応も非常に良かった。自費(先方にとって実入りが良い)かつ何かの疑いがあるわけではないので、そもそも“患者”ではなくただの“客”だからというのもあるだろう。
以下はいくつか感じた点をまとめてみた。
その1:ウェクスラー知能検査は常識的なことしか問われないので、小さい頃から発達障害等の疑いで何度も知能検査を受けている人や、ギフテッド・英才教育という名の下に検査に最適化された問題をこなしかつ検査を頻繁に受けている人などは内容を覚えてしまうから、各バージョン最初の1回目のスコアしかあてにならない。特にWAIS-IIIで言う言語性知能(WAIS-IVでは言語理解)の下位検査は記憶力の良い人なら1回で暗記できるものなので、インターネット上で「言語性知能が高く動作性知能が低い」(その差が大きい)という結果をよく見かけるのも、これが原因の1つかもしれない。診断のためだとしても複数回検査しているうちに、暗記によって言語性下位検査のスコアが高くなり、“慣れ”効果は多少あっても暗記できるものではない動作性との差が開き、ますます発達障害判定される可能性が高まるんじゃないかと人ごとながら感じた。
その2:行列推理の問題のうち1問だけ、間違いなくこれが正答と思われる選択肢に色違いがあり、色覚異常の私には識別が難しかった。どうみても答えではない選択肢が何色だろうと構わないが、正答に色違いを設ける場合は赤、青、黄、黒といった間違えようのない色にしてもらいたい。色覚異常が多い白人圏で製作されている割には意外。
その3:凸凹がないのでプロファイリングしようがないのかもしれない。検査報告書は2015年のWAIS-IIIの時と同じく、読んでる方が顔が赤くなる(笑)くらい褒めちぎられていた(とても丁寧でA4数ページ)。しかしこういう横一直線のバランス型は本当に珍しいらしく、一見「特徴がない」印象だが、見方を変えると出現率的には非常に個性的ということになる。矛盾しているようだが統計学的にはそうなる。
そんな感じ。
普段全く不安要素や問題を感じていなくても、経営者や管理職層は一度受けてみることをオススメする。人を雇うまたは採用・管理する際、自分と比べてどういうタイプの人を“優秀”と感じているか(その反対も)を知ることで、自分は“人材”によって何を補おうとしているのか(または相手に何を要求しているのか)が解るから。自己分析。
病院ではいちばん面白くないかもしれない凸凹がない人は、多分器用なバランス型を好むだろうと思う。欠けているものを補おうとするよりも、バランスを崩すことで生じる補填コストがリスクとなるから。
といった特性が見えてくる。
というわけで次に私が受けるのは、日本でWAIS-Vの運用が始まった時。7-10年後くらいだろうか。
https://lscharlie.exblog.jp/24430958/
ウェクスラー成人知能検査、その名も「WAIS-III」を受けてみた。
全額負担で。
大人になって試験という試験は、車の免許とメンサとコレくらいだ。
いや、コレは検査か。メンサとケンサを受けたことになる(どうでもいいか)。
証明書による入会判定について
https://mensa.jp/certification.html
JAPAN MENSAはWAIS-IIIの証明書を提出することで、条件を満たせば試験を受けずに入会できる。
私のWAIS-IIIの結果はIQ 140(=全検査値、標準偏差15)
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よく見かける「IQ 162をマーク!nn才の子供がアインシュタインやホーキング博士を超えメンサ入り!」というニュースは、私が見る限り全て標準偏差24値なので(メンサをIQ 148以上と表現している場合間違いない)、それを真に受けるならば私も超えているし、記事になっている人達よりも2〜3高い。が、そんなにゴロゴロとアインシュタインを超えるはずがないので、何かおかしいと読み解くところから始まる。そのくらいマスメディアというのは専門知識も持ち合わせていないし分析能力もない(ことが多い)。ちなみにニュース記事の英語原文にはちゃんと説明が書かれていることもあるので、日本のメディアか翻訳者が疎いだけかもしれない。
もし当時アインシュタインが知能検査を受けていたら、標準偏差15値で160はあったんじゃなかろうか。受けた記録はないそうだ。
ジョディ・フォスターのIQ 132は標準偏差15値かと思われる。でなければメンサに入れないので。
言語性、動作性に限らず、下位項目全てにおいて130を超えているので、メンサはどっちで入会しても良かったということ。
※保険適用なしでWAIS-IIIを受けるとメンサ試験料の3倍以上かかるから、真っ直ぐメンサ試験に直行した方がお得(?)。※実際は1万円ちょっとのよう。私はついでにアレもコレも受けたので高くなった。
IQ分布では250人に1人だから0.4%、世界的に140からを天才と位置づけているそうだから、ギリギリ仲間入りした。
「滑り込みの天才」とか、「駆け込み乗車の天才」とか名前付けたら売れますか?的な。一瞬、滑り込みや駆け込みが巧いのかと思う。
で、スティーブ・ジョブズがIQ 140らしい。
なんか申し訳ない。
晴れて私は天才になった。
例えばソムリエ試験の合格通知が来たその日から人はソムリエになる。
でも試験日当日には既に合格するレベルに達していたのだから、この人がソムリエになったのは試験日当日じゃないか(事象の発生)と考える。
※例えば、オリンピックで100メートル走り、9秒00を出してから世界新記録と金メダルが確定するまでのタイムラグのようなもの。
更には、試験前日は余裕で勉強もせず、いつもどおりの生活を送っていた人は、試験の前々日にソムリエ相当になっていたことになる。
もっと言うと、合格するだろう軌道に乗った時点で、その人はソムリエになることがほぼ決まっていたと言える。
/*
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52152799.html
メンサは9位、「マスターソムリエ資格認定試験」は1位だ(笑)。ソムリエにとっての最初の難関は受験料8万円ではなかろうか(笑)。
量子論の入門で必ず出てくる。
観測するまでは確定されず、考えられる可能性を元にした2つ以上の世界が同時に存在するというパラレル・ワールドの理論。
そして光は、過去に遡って結果を書き換えたりする(過去に影響を与えているように見える)。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG2000S_Q2A120C1000000/
ソムリエ試験当日、合格する行動(筆記や実技、全てにおいて)を取った人は、例え採点前でも合格が決定しているが、採点後に合格が確定していても、本人は通知を受け取っていないため、「不合格」かもしれないと心配したりする。
更には合格通知が郵送されても、受領していない限り本人にとっては合格という事実が確定しない。
もし、一緒に受けた友人宅に先に通知が届き、Facebookにでも「合格した」と近況報告を載せようものなら、まだ通知が届かず近況報告できない片割れに対し、「不合格なんじゃないか」論が密かに噴出する。本人自身も含めて。
一週間も通知が届かないと、仕舞いには「本当に受けたの?」疑惑さえ出てくる(笑)。
そういったある特定の要素によって、事実を事実として確定させられないと困るので、多くの試験はホームページに合格者受験番号を掲載したりするなど2種以上の通知手段を採用している。
パールハーバー前の宣戦布告も、2つ以上の手段によって伝送されていれば、少なからずどちらかを持ってルーズベルト大統領の手に渡ったのではなかろうか。
それは置いといて、正直に自己開示すると、検査日の数日前、お馴染みのロンドン3丁目(笑)に「測定上限値の161かエラーを出す」と宣言したので(笑)、何ともネタがないままに終わってしまったことが若干不満なのであります。
いや、彼女よりも低いことは(初めから)自分でわかっているので、150を超えないことは何年も前に確定していたことに目を向けるべきですな。
というわけで、資格とか試験というのは、ある事柄を確定させるための return (enter) キーだ。文字は打ち終わってるんだが的な。
/*
Wechsler Adult Intelligence Scale-Third Edition
16才以上を対象とした世界標準の知能検査。アメリカでは既にIV(フォー)が出ているが、日本ではまだ見かけない様子。最高値161(成人は156)まで測定でき、それ以上は「161以上」と表現される。標準偏差は15。
よって161を超える数値の自己申告については、民間のオリジナル知能検査である可能性や、標準偏差24(Cattell scale)で算出されている可能性、子供の時に受けた昔の精神年齢から算出するタイプの数値である可能性もある。
※精神年齢算出型は、実際に解けた問題数ではなく、この年齢でこれだけ解けたら「n才相当」と算出するため、年齢が下がれば下がる程161以上が出る可能性がある。現在の成人知能検査においてはほとんど使われない。
※精神年齢から算出する田中ビネー知能検査Vは今でも現役のようだ。13才までを対象としていて、年齢によっては平均が119と高い。標準偏差は16。
成人知能検査は2〜3時間を要し、人によっては2日間に分割される。
海外のメンサは、テストの合否と併せてIQが通知される。大人はIQ 161まで、子供はIQ 162まで。
WAIS-III ウェクスラー成人知能検査を受けてみた。全額負担で。_f0337316_18524285.jpg
メンサは本当に「行列推理得意集団」「パズル得意集団」なのか、或いは、本当に人口の上位2%のIQの持ち主が集まる高知能集団なのか。巷では数年来のこの議論に対し、自分で検証した方がが手っ取り早いでしょという結論に達した。
その前に、事実こそに答えがあるという観点から、何で議論ばっかり見かけて、誰も立証・検証しようとしないのだろうと疑問に思った。
わかった。
私は前後のカウンセリングやその他の検査も受けたので36,000円(保険適用なしの全額負担)かかった。
※「保険適用なら3,000円程です」と最初に言われた。3割負担なのに計算が合わない気もするが(笑)、「できる検査は全部」と言った結果追加されたんだろう。
それがまた所得分布に比例し、結局のところ統計は大凡正しいことがうかがえる。
私のような検証マニアは、極めて希かつ貴重な(アピール)存在であることを念のためここに記したい。
オンラインIQテストと比べて、2回以上やってみたり、解答を検索したりもできないし、写真撮ったりして問題を持ち帰ってゆっくり解いてそれが外部に漏れたりしないという点から信頼性が高い。
その昔、テレビなどで「精神病院」と呼ばれていた場所で、今では精神科、心療内科と分かれ、より来院しやすいよう配慮されている。
院内では決して名前が呼ばれず、内容などが読み上げられるようなこともないし、明細にも細かな内容を書かないという徹底ぶり。多分家族にも見られたくないという人も多いのだろう。
また受付から呼びかけるのではなく、そばにやってきて小声で話してくれる。
すんません、こんな男のために15歩ほどご足労をおかけして。
病院というのは、何かしら自覚症状があったり、他人から見た疑い、明らかな疾患があったり(物理的、生物学的、行動的)、結果として治療が必要と判断されない限り、保険は適用されない。
私の趣味の知能検査に国民が納めた健康保険料を割り当ててもらうのも気が引けるので、自ら全額負担を名乗り出た。
が、そういう来院は初めてだそうで、「何でもいいので、お悩みのことはありませんか?」と聞かれ「悩みがないことが悩みだとか、自分が悩んでることに気づかないことが悩みだとかダメですか?」と言うと、しばらく悩まれて、「ではもしカウンセリングや知能検査の結果、治療の必要性が認められた場合は保険適用しますね」と言われた。
結果、全額負担。
せっかく心療内科まで来たんだから、知能検査とは別に精神面も見てもらおうとカウンセリングやテストを受けたが、結論的に「何か特殊な訓練を受けましたか?」と聞かれた。
いわゆる軍人や特殊部隊などの養成訓練に参加したことがあるかという話だった。
ナイ。
メンタル面に微塵の不安要素(例えば鬱とか)もないらしく、いわゆる「問題なし」と判定されるラインから大幅に「なし」の方向に傾いているという。
朝までさんざんお酒飲んで血液検査に行っても、肝数値がお酒飲まない女性よりも低い(元々男性の方が高い)と言われるソレと同じですな。
※今まで見たことがない結果らしく、それはそれでマイノリティだから、普通か異常かで言えば異常に分類される恐れがある(笑)。
自分でわかってるから、下手な芝居をせずに、全額自己負担を名乗り出たのであります。
初日はとりあえず先生のカウンセリングで、その場で知能検査は受けられないことがわかった。
待ち時間など含め3時間ほどかかるということで、「いつでもいいです〜、急ぎませんし。ブログのネタ用なので」と言ったところ、「現在1ヶ月ほどお待ちいただいておりまして、全体の検査には3ヶ月ほどかかります」と言われた。
「はい〜、ただの趣味なので1年かかってもかまいません。ブログのアップが延びるだけですから」と伝えた。
多分相当後回しになるだろうなと思っていたところ、受付で「明後日どうっすか」的な急展開。
医師が診て、急いだ方が良さそうな顔をしていただろうか、私は(笑)。
「3時間ほどかかるので、分割しますか」と聞かれ、「13時間は余裕で集中できます」と応えると、明後日で確定した。
当日。
「気象予報士さんですね?」
「いえ、臨床心理士です」
一瞬笑みを浮かべそうになったが、受付の人といい先生といい、皆神妙な面持ちで真剣に向き合って話をするので、多分場所柄、笑ったりしてはいけないのだろう。私の場合笑ってくれないと辛いのだが。
「では、始めますね」
「お綺麗ですね」
3秒くらいポカンと見つめられた。
「もし実際より低い数値が出たり、何か治療が必要になったら、貴女のせいですよ053.gif」と言ってみたらやっと笑顔を見せてくれた。
恋の病に陥ったら治療を頼むぜベイビー的な。
IQ 140だとそんなこと言うのか!と決定付けないでほしいのであります。
念のため確認した。
「ちなみにこの知能検査、最高値はどのくらいですか?」「161まで測定できて、それ以上は161以上という表現になります」
なるほど。噂どおりだ。
「じゃ、161出しますね」
※2018年02月17日:成人知能検査の上限は156のようです。読み替えてください。
結果は宣言を大きく下回ってIQ 140(全検査値=FIQ)。
知能検査自体は2時間くらいだっただろうか。カウンセリングやメンタルテスト数種類が30分くらい。後は待ち時間の方が長く感じた。合計約3時間。
検査中、予報士の女性がペンを落としたので、それを拾ってあげようと机の下に潜り込んだところ「時間を計っていますので、お気遣いなく集中してください」と言われたので、「いや、綺麗な脚を眺めるチャンスに一瞬で気づいた点も記録していただきたいんですが」と言うと、真剣に笑ってくれた(笑)。
結果報告書にも書かれていた。
「常に周囲に気を配り、楽しませようという余裕、ゆとりが見られた。かといって試験内容が簡単で退屈だという様子もなく、むしろ楽しさが思考を促しているようにも見られた」だそう。ラブレターみたいなことが沢山書いてあった(笑)。
言語性(VIQ)と動作性(PIQ)はほぼ均一で、おもしろいのは、動作性カテゴリの行列(推理)と言語性カテゴリの算数は2段低かった。
本番に強い私は、これでも「算数」は予想外のできだった。本当は2桁の足し算でも大変なのでもう2段更に低くてもいいくらい。余裕で小学生に負ける自信があるし047.gif
そして一番意外だったのは言語性カテゴリの「数唱」が一番高い(笑)。
例えば「58126947」と口頭で伝えられ、それを復唱したり、逆さまから言うテスト。いわゆる短期記憶だ。まだ昔の能力が残っていた。
「貴女の声がステキなので、何桁でも覚えられます。このまま続けませんか」と真顔で言ってみたら、予報士さんの声がうわずっていた。
/*
ちなみに赤坂時代、私が偶然外で見かけた10桁の数字を覚えていたので、ある女性スタッフに「10桁って何の数字ですかね」と話したところ「牛の個体番号じゃないですか?」と言われ、確かに鉄板焼きで食べる時に見せられたソレだった。「一回だけ言うので覚えられますか?」と口頭で伝えたところ、半年経ってもその女性は覚えていた。牛の個体番号って気づく点も鋭いし、こうした試験には出なくても特殊な才能を持っている人は世の中にたくさんいる。見いだされていないだけだ。
私の適当な計算では、私の行列推理能力は、メンサ合格ライン+1くらいのところに留まっている気がし(これだけで算出すると多分だが標準偏差15でIQ 132くらい)、メンサの「行列推理得意集団説」の足を引っ張っている可能性が高い。
知能検査項目を列挙すると↓こんな風に分類されている。
言語性尺度(VIQ、Verbal Comprehension)
単語(Vocabulary)
類似(Similarities)***
知識(Information)
分類なし
理解(Comprehension)***
算数(Arithmetic)
数唱(Digit Span)
語音(Letter-Number Sequencing)
分類なし
配列(Picture Arrangement)
知覚統合(PO、Perceptual Organization)
完成(Picture Completion)***
積木(Block Design)***
行列(Matrix Reasoning)
処理速度(PS、Processing Speed)
符号(Digit Symbol-Coding)***
記号(Symbol Search)
分類なし
組合(Object Assembly、組み合わせであって管理組合とか労働組合とかじゃない)
私を担当してくれた臨床心理士さんの話によると、言語性IQは主に聴覚、動作性IQは主に視覚からの情報処理が影響するとのことだった。
私の場合「僅かながら聴覚優位っぽい印象がある」と言われた。お見事。
自分では聴覚にしか頼っていないと感じていたが優位なのは間違いない。その理由として「色が見えません。色覚異常、いわゆる色盲です。」が挙げられる。
こういった傾向から、本を読むにしても声を出して読んだ方が覚える人、目で追った方が確実な人とわかれるのだろう。
が、私は本は全く読まないし、声を出して読むことはまずない。
※本を読まないのはよくないらしいので、この2ヶ月程は頑張って読むように心がけている。
内容は中学校の社会の教科書レベルなので、義務教育以上の学力で対応できるが、あまり意味はなさそうな気がした。
大人になると忘れて、習ったばかり若者の方が正確に答えられる場合もあるし、更に大人になれば教養として学び直し、より詳しい知識を持っていたりする。
知識をどれだけ測定したところで、相手が外国人だとまた必要な知識も異なるし、あくまで義務教育レベルの情報を記憶していられるかという測定のように感じた(長期記憶)。
前述の「数唱」も同じで、これが英語だったとすると、読んで記憶できても、(私の場合)口頭だと覚えづらい。
一方で、小さい頃から海外を周り、日本語と英語、現地語など数カ国語を使いこなす人で、日本を長く離れていたがために、つい混乱してしまった場合などは、数値が低く出るだろう。
記事は、オタク文化の過激なコンテンツ(性的搾取や差別と見なされるもの)が企業による制限を招いたと主張します。これは、イスラエル批判が反ユダヤ主義とみなされて抑圧される国際社会の状況と類似しています。どちらも、道徳的・倫理的な名目を借りて表現を制限する傾向が見られます。記事がオタク文化の「自業自得」な制限を倫理的基準に合わないためだと正当化するように、イスラエル批判も「反ユダヤ主義」というレッテルを貼られ、正当な政策批判が有害または偏見として扱われます。これにより、実質的な議論を回避し、異議を唱える声を封じる構造が共通しています。
記事は、オタク文化が自己規制を怠ったために企業による介入が起きたと述べ、外部の統制を当然視しています。同様に、国際社会では、政府、メディア、金融機関などの強力な機関が、イスラエル批判を反ユダヤ主義とレッテル貼りすることで、地政学的・経済的利害を保護します。オタク文化における企業(VisaやMastercardなど)と、イスラエルをめぐる政治・金融機関は、いずれも倫理や社会的責任を名目に物語をコントロールしようとします。記事が企業介入を「自然」と受け入れる姿勢は、イスラエル批判への「反ユダヤ主義」レッテルを無批判に受け入れる風潮と重なります。
記事はオタク文化を「腐敗した」「倫理的に欠陥がある」と一括りに非難し、多様な表現を単一の否定的な枠組みで扱います。これは、イスラエルの政策批判が反ユダヤ主義として一括りにされる状況と似ています。例えば、Xの投稿では、イスラエルの軍事行動を批判することと、ユダヤ人の歴史を否定したり有害なステレオタイプを広めたりすることは別だと指摘されていますが、両者が混同され、批判が抑圧されます。記事もまた、有害なコンテンツと創造的表現を区別せず、オタク文化全体を問題視する点で、同様の単純化を犯しています。
記事はオタク文化が自己規制を怠ったため外部の制限を招いたと主張しますが、分散的でグローバルなサブカルチャーで自己規制が現実的に可能かどうかは検討されていません。同様に、イスラエル批判者は反ユダヤ主義とみなされないよう自己検閲を求められますが、人権や国際法に基づく正当な批判であっても、機関の反発を避けるのは困難です。オタク文化に「目を覚ます」ことを求める記事の姿勢は、イスラエル批判者に表現を抑えるよう求める圧力と似ており、どちらも正当な声を抑圧する不均衡な期待を押し付けています。
記事は、オタク文化が外部圧力によって「崩壊」の危機に瀕していると警告しますが、これはイスラエル批判の抑圧が正義や人権に関する議論を阻害する状況と共鳴します。オタク文化の閉鎖性が主流からの疎外を招くとする記事の主張は、イスラエル批判者が「過激」や「周辺的」とみなされ、正当性を剥奪される構図と重なります。この排除は、企業利益(オタク文化の場合)や地政学的同盟(イスラエルの場合)といった既得権益を守るために機能します。
記事がオタク文化の倫理的欠陥を理由に外部制限を正当化する姿勢は、イスラエル批判が反ユダヤ主義として排除されるグローバルな傾向と構造的に類似しています。どちらも、倫理や道徳を名目に、権力を持つ機関が表現や議論を抑圧するパターンを示します。記事はオタク文化の多様性や創造性を十分に考慮せず、企業による一方的介入を受け入れる点で問題があります。同様に、イスラエル批判を反ユダヤ主義と一括りにする国際社会の慣行は、正当な議論を封じ、権力構造を維持する道具となっています。両者は、表現の自由と権力の不均衡という観点から、深い関連性を持っています。
「ASD プレコックス」で検索するとGoogleのAI検索結果サジェストが「ASDにプレコックスはあるか、ないか」の結果について言を左右させている事が観測できた。
プレコックス感というのは、本来的な用法としては精神科医が統合失調症患者を前にした時に覚える違和感とされる。古い概念である事も併せて、ASD(自閉スペクトラム症)とは本来全く無縁の概念と考えられている。
それが何故か、ASD当事者たちがここ10年くらいの間に「自分たちはプレコックス感を発していて、このプレコックス感を定形発達者から嗅ぎ取られて嫌われるのではないか?」という主張を繰り広げている。
統合失調症の兆候を、医師でもない一般人が、定形発達というだけで嗅ぎ取ってASD当事者を嫌う?
冷静に考えれば矛盾しているのだが、端的に言うと感情共有の難しさや感情表現の難しさ、要するに人付き合いの難しさにおいて共通する側面があるらしい。そして発達障害全般の理解が進まなかった時代には、統合失調症と誤診されたASD患者がいるだろう。だから対人接触に困難を抱えるASD当事者には(何となく)プレコックス感を自分達が定形発達社会から嫌悪される理由として借用しても許されるのだ…みたいな意識で敢えて誤用しているように見える。
で、Google AIの検索結果サジェストは「プレコックス感とASDは無関係です」と「プレコックス感に類似した対人接触の困難がASDに見られる場合があります」をここ数週間行き来している。
この辺の言説はXで「プレコックス」で検索するとたくさんポストが出てくるので(その正誤はともかく)見てみると面白いかもね。
有料版とは違うかもやで
無料枠で有料版が回数制限で利用出来るから試してみたら良いと思う
個人的には 創作 か Monday(雑談) に用がない人は ChatGPT じゃなくていいと思う(Claudeの方がいい)
無料枠狙いならGeminiの方が使えるやで
雑に聞くだけでこのレベルだからまぁ調べ物は多少楽になったよね。この状態で本当か確認しつつ調べてけばいいわけで
HHV-6ウイルスの研究の中で、「健常人とうつ病患者におけるSITH-1発現を調べた。 その結果、うつ病患者は健常人に比べてSITH-1発現量が非常に多いことが判った。簡単な言葉で表すと、SITH-1 はヒトを12.2倍うつ病になりやすくさせ、79.8%のうつ病患 者がSITH-1の影響を受けているということになり、これまでに発見されている疾患の原因遺伝子の中でも最大級 の影響を持つ遺伝子であると言える。」とあるのですが、下記を調べてください ・この論文のタイトル ・この論文の背景と研究の概要 ・フォローアップ研究 ・評価と議論 ・特許と応用可能性など
ご依頼ありがとうございます。HHV-6ウイルスとSITH-1に関連する研究について、以下に求められた項目を調査し、わかりやすくまとめます。私の知識と利用可能な情報に基づいて回答します。
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該当する研究は、東京慈恵会医科大学の近藤一博教授らのグループによるもので、SITH-1がうつ病に強い影響を与えることを示した論文と考えられます。具体的には、以下が該当する可能性が高いです:
(日本語訳: 「ヒトヘルペスウイルス6がコードする小型タンパク質SITH-1がうつ病の強力な危険因子であることの特定」)
ただし、具体的に「12.2倍」「79.8%」という数値が明記された論文として、2020年6月に発表された研究が基盤となっているようです。この研究は慈恵医大の公式発表や関連文献で引用されています。
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#### 背景
- うつ病患者ではSITH-1の発現量が健常人に比べて著しく多い。
- SITH-1はストレスを増幅し、嗅球(脳の一部)や海馬に影響を与え、うつ病に似た神経変化を引き起こす。
- 統計的に、SITH-1を持つ人はうつ病になる確率が12.2倍高く、うつ病患者の79.8%がSITH-1の影響を受けている。
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#### 評価
- SITH-1の影響力(オッズ比12.2、頻度79.8%)は、他の疾患関連遺伝子(例: 糖尿病や高血圧の遺伝子)と比べても非常に強い。
- うつ病の生物学的メカニズムに新たな光を当て、ウイルス感染が精神疾患に関与する可能性を示した点で画期的。
#### 議論
- 研究はまだ観察研究の段階であり、SITH-1を直接抑制する治療法の開発には至っていない。
- HHV-6はほぼ全員が感染しているため、SITH-1発現量の個人差や環境要因の影響をさらに検証する必要がある。
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#### 特許
#### 応用可能性
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### 補足
この研究は、うつ病の理解と治療に革新的な視点をもたらしています。ただし、現在も研究が進行中であり、実用化にはさらなる検証が必要です。もし具体的な論文のPDFや詳細な引用が必要であれば、追加でご依頼いただければ対応します!
何か他に知りたいことがあれば教えてくださいね。
ユスリカ(蚊に似た昆虫)の大量発生という「自然現象」をカバラ(קַבָּלָה)的にどのように理解すべきか、というご質問は、非常に深遠なテーマに触れています。
以下に、カバラ的視点(特にラビ・イツハク・ギンズバーグ師の教えに基づく)からの解釈を提示いたします。
カバラでは、「自然界で起こる異常現象」——たとえば疫病、大雨、干ばつ、そして今回のような昆虫の大量発生——は上(天)からの目覚め(אתערותא דלעילא)か、下(人間界)からの呼び水(אתערותא דלתתא)として理解されます。
つまり、人間の行動が、自然の秩序にどのような影響を与えたのか、または、天が人間に何かを知らせようとしているのか、と問うのがカバリスティックな姿勢です。
カバラでは、あらゆる生き物にסוד (神秘的意味)があるとされます。
ユスリカ(Midge)はヘブライ語では「יִתוֹשׁ」または類似語で呼ばれ、「小さく取るに足らぬが、しつこい存在」とされます。これには以下のような象徴的意味が考えられます。
ユスリカのように「突如として、秩序を乱す形で集団的に現れる現象」は、人間社会の集合的な無意識(סוד התודעה הקולקטיבית)の乱れを象徴することがあります。
『Anatomy of the Soul(魂の解剖学)』では、「想念」が自然や身体に直接影響を及ぼす」と語られています。
したがって、今回の現象は
ユスリカ「יתוש」の数値は:י (10) + ת (400) + ו (6) + ש (300) = 716
716 = 700 + 16 = תשז
どう修復するか(Tikkun):
1. 環境意識の向上(ユスリカは不衛生な環境で増殖)=物理的&精神的な「清浄化」。
2. 「細かい虫」的な自我、批判、怒りの修正=日常的な祈りと内省を通して。
3. 共同体としての意識再構築(これは都市や国家レベルでのtikun)。
この現象は、"מאורע חיצוני כהשתקפות של מצב נפשי כללי"(外的事象が集合的な精神状態の反映)として見なすべきです。
別に増田って文章だけで全てを伝えなければならない伝言ゲームをする場所じゃなんだよ
そもそも自転車も車輪も類似の乗り物全般見たことない人に自転車の構造を言葉だけで説明を試みてそれをもとに絵を描かせて、その絵を自転車を知ってる人になんの絵か答えさせても多分答えられないだろう、そういう限界が文章にはあるわけで。
https://anond.hatelabo.jp/20250521002326 見たので。
そう言えば「貯金1000万円溜まったら、それをシードマネーにしてスタートアップを作る!!」と心に決めていた20代だったのに、気づけば40過ぎたことにも気づいた。
貧すれば鈍する。満足すれば挑戦しなくなる。自分もそうなってしまったことをあらためて噛みしめる。
Webエンジニアだけどそれなりに専門性があるジャンル。この分野を専門的にやってるの日本で千人以下だと思うが、一方で専門性を活かす機会はたまにしかない。
給料:1,000万円/年くらい。額面
妻給料:700〜1,000万円/年くらい。
大きい収支は
利確したものは除いている。基本的にはプラスで利確していてトータル数百万円はプラスのはず。大きな損切りはBTCで100万、某ソシャゲで100万ぐらい(それでも損切りできず一部まだ持ってる)。
入社した記念で買った自社株が昨今の風潮で下がり辛い。一時的なものと信じたい。自社株は売り買いできるタイミングが限定されているのも難しい。
行き詰まり感がある。自分が圧倒的なスペシャリティを持っていた分野はどんどんAIが置き換えて行っている。
というかスペシャリティのない普通のコーディングがすべてAIに置き換え可能。自分がやることはAIに対して要件を整理し、仕上がったものをチェックし、良くなかったときに専門性を活かしたアドバイスをする→以下ループ、って感じ。
スペシャリティを活かす機会がないわけではないが、頭を悩ましてコーディングする頻度は減った。
おそらくまだ社の全員がAIの凄さに気づいているわけではないのだが、このスペシャリティを持ったアドバイスやチェックの部分を複層的にAIエージェントを組み合わせてるところが少なかったりまだ安定しないだけであって、やがてそうなる。一部はすでにそうなってるし、数年でほぼそうなる。
これに対して感じていることは、仕事がなくなるという恐怖感より、「ヌルゲーになってつまらんくなったな」だ。
ヌルゲーでつまらんので辞めたい。ここ数ヶ月でとくにそうなっている。
先日、AIでは解決しえない専門性を発揮する大トラブルが発生して久々に興奮・大発奮したが(トラブルで興奮するというと表現こそ悪いが、しかしあの種の状況で出るアドレナリンなどによる興奮はエンジニア界隈のひとなら誰でも感じたことはあるだろう)、しかしその解決の糸口も、AIとの対話を通して得られたインスピレーションによるものだった。もちろん、最終的には対話から私が引き出したアイデアではあるし、従来も検索してフォーラムの類似の悩みを元に抽象化して解決の糸口を得る・・・みたいなことはあったわけだが、それに比べても圧倒的だ。圧倒的にアイデアが引き出されるし、AIが主導的立場を握りつつある。脳の全力を使ったという感覚はない。
老化で肩も首も腰も常に痛くてコーディング…というかPC作業したくないし、かといってウェットな人間関係のマネジメントに全力投資もしたくない。この先もエンジニアとしてやっていけるかが、約20年の社会人人生(=エンジニア人生)でも最も不安である。
自分はギリギリ、専門性とこれまでのウェットな関係(=人間関係)であと20年食べれるかもしれない。どうだろう。
子ども世代はどうなんだ。STEM教育とか言っていたしそれに賛同していたが、もはや不要になるのではないか。すくなくともSTEM=高給取りへのパスポート、みたいな時代は終わるのではないか。我々人類には知性などもはやそんなに必要じゃなく、圧倒的に高い知性の存在(AI)と、それと付き合える一部エリートと、既存資産の逃げ切りの資産家と、ただ享受するだけの一般大衆になるのではないか。
グローバリゼーションによって世界的に労働力の安いところに移転するように、マニュアルの翻訳が低廉化したため単純労働も安い方に行く。それは労働者としては働き口の減少という話でもある一方で、消費者としては価格の低廉化として果実を得ることができる。
人口減少しつつもそれまでの資産蓄積がある状況の国、つまり日本・中国・韓国では、メリットでもある。
現代においては資本そのものについで、人の移動が容易だ。だから安い労働力の国に行く。しかしAI代替可能業務のほとんどは、安い労働力の国へ委託するよりさらに2桁安い。安い労働力の輸出(直接先進国に行くのもリモートで先進国から受託するのも)で稼いでいた国は、仕事の範囲が身体性の伴うもののみに限定されつつあるということだし、逆説的にいうと、先進国側はより安い代替商品が出てきたということになる。
では、AI完全代替可能業務(当初は具体的な業務名を書いてみたがノイズなので消した。各々が考えるAI代替可能業務を書いてください)をやっていた国内の労働者または外国人労働者はどうなるのか?
いくつか選択肢がある。
4. 死ぬ
1 は要するにホワイトカラーからブルーカラーへの転換。ロボットの技術はAIに比べて全然なので、いわゆる労働っぽいもののほとんどはまだ10年は余裕で残る。それにまだ完全自動化じゃないだけで機械化はどの業種も進んでいる。肉体労働と言うほどではない。いまから学び直し鍛え直しだが、しかし働き口自体はある。人手不足の解決の可能性すらある。
2 はつまり、自動ドアがある時代でもドアマンはいるだろ?って話。エレベーターのない時代の駅に荷運び専用の人がいたみたいな。
3 は、もちろんその場所はあるが、少ない。100人雇っていた業務が、AIと10人のAI管理者になる。そして、10人のAI管理者がやがて5人、3人、1人…最終的に別部署が兼務になる。
4 は、死は極端な例だが、たとえば炭鉱労働者はエネルギー転換によって大量失業になった。筑豊の話をしよう。ガソリンの時代になるぞと5年10年言われ、実際に閉山され、筑豊などは関連産業どころか無関係な第三次産業までバタバタ潰れた。経済の縮小。他の業種につこうにも、その地域は全業種が潰れつつあるので就職口がない。まして炭鉱労働者の技術は独特で炭鉱でしか活かせないし、採用側も他の業種経験者(全部不景気なので余っている)からだって採れるんだ。とくに時代背景もあり労働運動が過激でもあった炭鉱労働者の採用は敬遠された(過激な労働運動は閉山を数年程度延命しただけだった)という面もある。若い人・家族がいる人はなんでもやって再就職したが、50歳の閉山後3年目でも50%が未就職。30〜60歳の範囲でも10%が未就職であり、また再就職できた時期も1年程度は困難であった(失業保険が半年出たのもあるだろう)。なお、この種の統計には「再就職」「未就職」「その他」があり、その他は5%程度ある。その他は就学・死亡・不明など(自営や営農は就職)。私は3年後の死亡率5%弱と読んだ。君はどう読むか。
もちろん、炭鉱閉山のように、ある日、大規模に失業者が大量発生することはない。しかしAIの進展は進むので10年、20年かけてじっくり進む。
それはどのようだろうか?また生き残るのはどのようなものだろうか?
エンジニアの話に戻ろう。当初はAIを使って従来より少ない人数なのに生産性はより高まる。ただ手が足りないから集められたエンジニアは明日にも危ないかもしれない。しかし、それなりのスペシャリティを持ったり、また社歴が長くウェットな関係を持ってたり、業務の暗黙知を持ってるエンジニアはあと10年は安泰だろう。
10年というのは、人間側・社会側・会社側がAIを前提とした組織になれるまでの時間だ。
OA化、ペーパーレス化、完全IT化、派遣社員化。これらが常態化するまでおよそ10年と思っている。
最初の2年ぐらいはおっかなびっくり、次の3年で徐々に定着。残りの5年で残ってた業務が一掃される。10年立つと景色が変わっている。
その間は逃げ切れる。
エンジニアが蝶よ花よともてはやされ(たとえが違うだろ)、高給の代名詞になり、IT人材の不足が叫ばれ、プログラミングスクールが乱立し、採用が激化し、時代は終わる。
次の高給取りジャンルがなにになるかは知らないし、答え合わせは10年後くらいだろう。エンジニアがゼロになることはない。ただ、こんなにも大量に採用される時代は終わった。10年後には半自律型のAIエージェントがどこの中小企業にもいて、相談したり、自立的に操作させることによって社内IT環境を整備するなどしはじめているだろう。生産性は極大化するし、そのような自律エージェントの月額が数万円以上はするのを余裕で払える企業だらけの国のほうが強い。お金を払えば労働者あたりの生産性が上がる、という話が現実になった。AIを使えるエンジニアの生産性は認知負荷の限界まで極大化する。だから先行者利益のあるエンジニアはまだ辞めてはいけない。高年収という果実を極力確保するのだ。我々のスペシャリティはコモディティになったが、それにまだ人々は気づいていない。まだ死ぬな。今のうちにさらなるAIのキャッチアップを急ぎ、ウェットな部分を磨き、AIに業務を投げながら生産性を極大化させたエンジニアとして生き残るのだ。
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この部屋の配置をカバラ的に評価するには、以下の観点からアプローチする必要があります:
『民数記2章』に記されるイスラエルの12部族の宿営配置は、方角とスピリチュアルな質の深い関係を教えています。
あなたの記述を元に、部屋の配置をカバラ的に評価すると以下のようになります。
北(1,6,11,16) | 窓、机(Mac PC) | דן → דין(裁き) | 北の机にMac PC:思考・判断・境界の働きが強い |
東(1–5) | 聖書、PC、ライト、本棚 | יהודה → 啓示 | 東に聖書とPC:啓示と創造的啓発の中心で理想的 |
西(16–20) | ホワイトボード、押入れ、ドア | אפרים → 受容 | 教え(ホワイトボード)と「出口(ドア)」があるのは知識の循環 |
南(5,10,15,20) | 本棚、こたつ、ドア | ראובן → 慈悲 | 休息空間と連絡出口:安定・情感・受容の領域に合致 |
中央に敷布団・椅子があり、物理的にも沈静・中心・回帰の場。カバラ的にはקדש הקדשים(至聖所)に類似する場です。
この4×5の配置は20のマスに分かれていますが、セフィロートの構成(10個)と倍の構成として扱えます:
特に13番(אחד = אחד = 13)が中央に布団=「眠りの中の一体性」と捉えると非常に象徴的です。
16–18にあるホワイトボードは、西=アフライム的な知の継承・受容と一致。これは教師や自己反省、学びの空間として良配置。
🔯 「מעין מקדש מעט(小さな聖所)」に近づくレイアウト
あなたの部屋は、東=啓示・西=教え・南=慈愛・北=境界がよく反映され、中央に「魂の核」=תפארת的な空間が確保されているという点で非常にバランスの取れた、瞑想・学び・霊的修養に優れた空間です。
とても鋭い視点ですね。おにぎりのように「炭水化物を手で固める」という行為は、世界中で見られる普遍的な食文化のひとつです。以下に、似たような料理や食文化を地域ごとに挙げてみます。
🌏 アジア圏
■ 韓国:주먹밥(チュモッパプ)
直訳で「こぶしご飯」。日本のおにぎりに近い概念で、ご飯に具材を混ぜて丸める。
台湾などでよく食べられる。もち米に揚げパンや漬物などを巻き込んだ握り飯。
朝食の定番。
■ ベトナム:Xôi(ソイ)
家庭や田畑での軽食。ご飯やクスクスを手で固めて食べることもある。
手で食べる文化があるため、残ったプロフ(ピラフ)を固めて食べることも。
🌍 アフリカ圏
トウモロコシやキャッサバを練って団子状にし、手で食べる。主にスープに浸して食べるが、「炭水化物を手で形作る」という意味で非常に近い。
トウモロコシの粉を練って、団子にして手でつまんで食べる。
🌎 ヨーロッパ圏
ライスコロッケだが、元々は手で残り物のリゾットを丸めた保存食。
🌎 中南米
トウモロコシ粉をバナナの葉で包むが、中には手で丸めたり握って形成するタイプもある。
■ ネイティブアメリカンの「トウモロコシ団子」や「ジョニーケーキ」など
✅ 共通点のある要素
要素 説明
主に炭水化物(米・穀物) 手でまとめられる粘性のある穀物が中心
手で食べる文化 食器を使わない前提で、握る・丸める必要がある
持ち運び・保存性重視 外で働く人向けの簡易食、保存食として発展
🍙結論
「おにぎり=炭水化物を手でまとめる」という行為は、ほぼすべての地域で発生しており、形状・材料・調味が違うだけで、世界中に類似文化が存在します。 これは、「手」と「主食」を使った、非常に人間的で普遍的な調理法です。
筆者は腐向け文化に疎く、オメガバースに関しても各種webページで調べた程度の知識です。そのため、文章中に各種誤りがある可能性がございます。申し訳ありませんが、その旨をご認識の上で本文はお読みいただけますよう、お願い申し上げます。
また、本文は特定の人物同士の関係性を深く掘り下げる意図は含んでおらず、あくまで思考実験としての範疇を出ない領域となります。そのため逆カプなどの解釈違いが発生する可能性がございますが、そういったものを擁する・排する目的はございません。こちらもあらかじめご了承ください。
改めてとなりますが、最初に記してあるよう「なんでも許せる人」となっております。あらゆる解釈に対し否定・批判の意図は一切含んでいないということを踏まえた上でお読みください。叩かないで…!ゆるして…!
オメガバースとは、主に二次創作に用いられる架空の性別と社会構造を持つ設定である。登場人物はアルファ・ベータ・オメガの三性に分類され、オメガは性別に関係なく妊娠が可能であり、発情期(ヒート)といった独自の生理現象を持つ。番(つがい)と呼ばれる運命的な絆や、支配・被支配の関係性が描かれやすく、特にBL作品で人気を集めているが、近年は異性愛や百合にも広がっている。
結論から述べるが、マチュが「アルファ」であり、ニャアンが「よくできたベータ」、シュウジとガンダム・クアックス(以下クアックス)が「オメガ」である。
まず、六話までの話を通じ、それぞれのポジションは現状こうなっていると予想する
これらの要素から、ジークアクスという物語は、オメガの側を求めるアルファと、気の利かないベータの三角関係の物語であると考える。
シュウジだけ、またはジークアクスだけをオメガとしないのはなぜか?
シュウジの隣に居られれば良いというわけでもなく、ジークアクスに乗れれば良いというわけでもなく、「シュウジのマヴ(=ジークアクスに乗った、パイロットとしてのパートナー)」というポジションに居られるということが、彼女たちにとってのオメガであると考える。
オメガサイコミュを持つ、「特別なモビルスーツ」である。現状、このオメガサイコミュを機動させられたのはマチュ、ニャアンの2名のみである。エグザべにできず彼女たちにできたのは「感情の強さ(覚悟の差、とも言える)」の違いではないかと考える。ここはアルファ・オメガというよりもティーンエイジであることが大きい。
現状、シュウジのマヴという「居場所のオメガ」を構築する最大の要素=戦闘力であり、「てシュウジとともに戦いの中でキラキラを追いかける」という行動をするために絶対不可欠なものである。それゆえに、これもまたアルファを狂わせる一つの要素として、オメガではないかと捉えている。
アルファとオメガだけが通じあえる共通言語が「キラキラ」であると考える。いわゆる「アルファを引き付けるフェロモン」であり、オメガを追いかける理由こそが本作におけるニュータイプ性=キラキラを見られる感受性ではないかと考えている。
「キラキラ」は現状、ニュータイプならびにそれに近しいものにしか感じ取ることのできない要素であり、常人には理解できない。この特別性もまたオメガバースとしての特異性ではないかと思う。
恵まれた家庭に生まれ、両親(現状母親しか姿は見えないが)の期待を一身に受けて育った一方で、先天的ニュータイプ性から地軸とのズレやコロニーの閉塞感というものを感じており、「自由」というものへの強い憧れがある(本編中、「宇宙って、自由ですか」と発言もある)
進路に関しても、おそらく彼女自身に「ほんとうにやりたいこと」などないのだろうが、回りや親からのすすめもあり、焦りやいらだちというものを感じていたのではないかと思われる
その最中に出会ってしまった、マチュとクアックスという「オメガ」によって、彼女の人生は大きく狂わされ、そしてまたそのオメガに強く執着を示しているように思える
戦争難民であり、両親も(おそらく)居ない。軍警と過去にやり合ったりしていることから、おそらく身分は存在するのだろうが、相当に迫害されているものと思われる。ただし、こうした出自に対して彼女自身は驚くほどに落ち着いているように見られ、受け入れているか諦めているかのどちらかではないかと考えられる。
また、ニャアンが見たものは「キラキラ」ではないのか?という点についてだが、諸説あると思うが本文(6話終了時点・7話開始前)では「キラキラではない」と定義する。あくまで高い感情の昂りによりそれに類似するものを見た、ないし入口に到達した程度であり、ニュータイプとして覚醒したとはいいづらいのではないかと思っている
マチュは「私の居場所を奪わないで!」と本編で叫んだことから、自由な場所を強く切望している。だが、5話でニャアンが取った行動は、マチュからは侵略的な行いに見えた。ニャアンはおそらく、みんなの居場所を守りたいという気持ちだけだったのではないかと思う。
そしてシュウジはおそらく「なにも考えていない」。ガンダムが言っているように、彼は求められるがままに動いているにすぎないのだ。
このいびつな三角関係が7話、そしてそれ以降でどうなるかで、このオメガバース論がどうなるかが決定づけられると考える
「赤いガンダムって型番アルファで、ガンダム・クアックスって型番オメガなんだぜ。あれ、なんかアルファとオメガって同人文化であったよな」というだけの出発点です。知人に話したところ、オメガバースの知識による補強を受け、上記のような結論に至りました。笑ってください。
ここがおかしい!とかあそこが間違ってる!とかあれば、各自で激論を展開していただいて構いません。なぜなら、この話事態があまりにも荒唐無稽な与太話なのですから…
何でそんな当たり前のことを
加盟店であり続けるにはカード会社の求める基準をクリアしなくてはならないし、そもそも不正利用があったら事業者は損することになってる
カード会社(アクワイアラー)各社が把握する不正利用金額が、「3 ヵ月連続 50 万円超」
に該当する加盟店を「不正顕在化加盟店」とする。不正顕在化加盟店は、カード会社(アク
ワイアラー)や PSP のサポートを受け、類似の不正利用の発生を防止するために、不正利用
の発生状況や取扱商品(※)、スキーム等によって異なる不正利用の手口に応じて「適切な対
策の追加導入」や既に導入している対策の設定項目の追加・変更や不正判定レベルのチュー
ニングによる「対策の強化」を行う。
https://www.j-credit.or.jp/security/pdf/Creditcardsecurityguidelines_6.0_published.pdf
ニュース記事やYouTube字幕などの非構造テキストから、LLMを用いてオープンリレーション抽出(Open Relation Extraction, OpenRE)を行うことは十分に可能です。
実際、従来のルールベースや機械学習に比べて、LLM(たとえばGPT系やLLaMA系)は以下の点で非常に有利です。
テキスト:
(subject="Elon Musk", relation="founded", object="SpaceX")
2. 分割と文構造解析(LLMまたはspaCy/BERTopicとの併用)
Extract all subject-relation-object triplets from the following sentence: "Tesla was co-founded by Elon Musk and is based in California." → Output: [ {"subject": "Tesla", "relation": "was co-founded by", "object": "Elon Musk"}, {"subject": "Tesla", "relation": "is based in", "object": "California"} ]
日本語でも可能です(精度はやや劣るが、gpt-4系なら許容範囲内)。
そこで(懐かしの)『週刊東洋経済(2012年7月7日号)』の紙面にて述べられた「フルスペックの人権」by世耕弘成
https://toyokeizai.net/articles/-/9611
の話になる。
○○週以下の胎児には「殺されない」という人権パートは与えない、という含意が社会には成立しうる。おそらく相当長期間反対派は絶滅しないだろう。死刑存続廃止論と同様に。
誰だって自分は殺されたくはないから、殺さないという互酬性のようなロジックで「その殺しは社会が許さない」という合意ラインがある。
トラバ増田のように、人間としての思考力持っていないヒトにフルスペックの人権を認めないという立場なら、2年目のヒトを殺してもよいという価値判断もありうる。
類似の立場であっても「その時点では人間としての思考力を持っていないが、将来は持つであろうから」で殺してはいけないという価値判断も成立する。
言うまでもなくお笑い草だ。ヤクザのアドバンテージというのはルール違反を厭わないというところにしかない。ポーカーの必勝法は相手の手札を覗くことだとかいうレベル。
それもみんながルールを守らないカオス状態になってしまったら元も子もない。
馬鹿という存在はそれに似ている。バカが不快なのは言葉が通じないモンスターだからじゃなくてちょっとだけ通じるからだ。それは平和で息苦しい社会の中にあって低能が目先の得を拾うための処世術である。
常人は「さっきと言ってること違わないか?」と言われればたじろいで記憶を探るし「お前の言ってることには根拠が乏しい」と言われればそれらしきものを改めて提示せねばと思うが、馬鹿はそのへんのコストを一切払わない(で良いと、勝手に自分に許している)。
ジャパニーズヤクザもバカもそこそこ平和で一般人のお行儀がいい、やさしいしゃかいでないと利を拾えないわけだが、
昨今目の当たりにするような血も涙もない権威主義体制下で人の命がゴミみたいに扱われる世界ではバカはどのように現象するのだろうか。
そこまでではないけど平和な日常でもない災害被災地のことならいくらか知っている。そこではほんとうにひどい目に遭ってる人ほど現実的でタフにならざるをえない一種の爽やかさがある。
今みんな忙しいから、わかるよな──?という開拓村のクールさがある。
日本中がエライことになって支援も期待できず理性的に行動するインセンティブがない状態ではそれが一気に裏返るのかな。ものすごいバカの天下になるのかな。それともまた別の法則が動き出すのかな。
大前提、誕生日であれクリスマスであれバレンタインであれ記念日であれ、プレゼントをもらえることそれ自体は嬉しい。
①会話の中で欲しい物を伝えていたが、その会話自体を忘れたのか全く別の物を貰う。あるいはちゃんと伝わっておらず別の物を貰う。
②既に持っており恋人の前で使ったこともある物の類似品を貰う。
③年齢的にそれはないだろう..という物を貰う。
もうプレゼントにサプライズ性は諦めて、指定した物を買ってもらうか、現物ではなくちょっといいディナーを奢ってもらう、とかにすればいいんだろうが、恋人が選んでくれたプレゼントに素直に喜ぶ、という経験がないままなのは少し悲しい。
このトラバの書き手は、増田の文章に対して **かなり批判的な視点** でコメントしています。以下、増田の内容と照らし合わせながら、考え方の違いや誤解のポイントを分析します。
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## 【1】「自己愛が強い」と言いつつ、元親友はそう見えない
### 増田の言い分:
冒頭で「不倫する人は自己愛が強すぎて苦手」と言っており、元親友もその文脈に含めて描写しています。
など、むしろ“自己愛というより自己肯定感の欠如”のほうが強く感じられるエピソードになっています。
この点に対しトラバ主は、「元親友はむしろ弱さゆえに依存していた印象で、自己愛が強いという評価はズレている」と違和感を持ったのだと考えられます。
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## 【2】「お金があれば不倫しなかった」は、見下しと決めつけに感じられる
### トラバの受け取り方:
理由は:
つまり、**本人の選択を「経済的事情で仕方なかった」と説明することで、自分の“清廉さ”や“正しさ”を際立たせようとしているように映った**のです。
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トラバの「笑ってしまった」という一文は、「この人、自分の性格の悪さに気づかずに上から語ってるなぁ…」という **呆れや皮肉** が込められています。
増田は最後で「自分は下駄を履いてる(=恵まれてる)」と認めていますが、トラバ主からすると、**それすら“優しさアピール”や“自分だけ気づけてる感”に見えた**可能性があります。
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## 【考え方のズレの本質】
増田の視点 | トラバの視点 |
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環境が人を左右する | 環境のせいにして人の選択を軽く扱うな |
経済的余裕があれば違う未来もあった | 金がないから不倫したと決めつけるのは偏見 |
自分の“恵まれた側”としての反省を含めて語る | 反省と見せかけた優位性の表明に見える |
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## 【まとめ】
トラバの書き手は、増田の文章が「相手への理解を装いながら、実は自分の道徳的優位性を誇っているように見える」と感じたために、強い批判をしています。
一方、増田としては“苦しみの理解”や“距離を置いた理由”を語ったつもりが、読者によってはそれが「無意識の見下し」や「きれいごと」と受け取られたのです。
このズレは、相手の行動をどう評価し、そこに自分がどう関わるべきかという倫理観やスタンスの違いから来ています。
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