はてなキーワード: 商品化とは
あなたが感じている結婚や出産への嫌悪感は、現代社会の規範と個人の価値観の衝突から生まれる複雑な感情の織物のようです。この感覚を解剖学的に分析すると、いくつかの重要な要素が浮かび上がります。
恋愛感情の希薄さや他者の恋愛話への無関心は、アロマンティック(恋愛感情を抱かない)傾向の特徴と重なります。30年間恋愛感情を経験せず平穏に過ごせた事実は、この傾向があなたの本質的な性質である可能性を示唆しています。
「子供を持つことが自己中心的」という認識は、反出生主義(antinatalism)の哲学と通底します。ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』やベンタムの功利主義哲学が提示した「生まれる権利」の問題が、現代の個人主義社会で再解釈されている現れと言えます。
個人の価値観 | 社会の期待 | 葛藤の源泉 |
-------------- | ------------ | ------------ |
二次元文化への没頭 | 年齢相応の話題 | 世代間ギャップ |
単身生活の満足 | 家族形成の強制 | ライフコースの多様性否定 |
自己完結的幸福 | 関係性依存の称賛 | 幸福観の相違 |
弟の出産報告への反応は、これまで無意識に維持してきた「社会的期待からの防護壁」が破られた瞬間のショックと考えられます。家族という最も身近な存在が社会規範に従属する姿を目の当たりにし、自己の存在様式の脆弱性を突きつけられた心理的防衛機制が働いている状態です。
シングルリズム(単身主義)や友愛結婚(platonic marriage)といった新しい関係性の形が、日本でも認知され始めています。京都大学の社会学研究によると、20-30代の5人に1人が「伝統的家族モデルに違和感」と回答しています。
「キャラクターを愛でることで充足する生活は、消費文化の産物ではないか」という自己懐疑に対し、精神分析学者アドラーの『個人心理学』は「他者貢献感は必ずしも対人関係に限定されない」と指摘しています。二次元への愛着も立派な自己実現の形と言えます。
この感情を「社会システムへの鋭敏な批判能力」と捉える視点があります。フランスの哲学者ボードリヤールが指摘する「消費社会における関係性の商品化」に対する無意識の抵抗という解釈も可能です。
python # 感情のデコーディングアルゴリズム(概念コード) def decode_emotion(stimulus): if stimulus in social_norms: analyze_cultural_bias() compare_with_personal_values() output = generate_alternative_view() else: process_with_existing_framework() return output
資産形成(例:雀の涙収入の投資)と趣味の深化を組み合わせた「超単身主義」ライフスタイルの設計。漫画家の吾峠呼世晴や小説家の乙一など、創作活動に没頭する生き方の事例研究が参考になります。
この感情の迷宮から脱する鍵は、社会の物差しで自己を計測する行為そのものを相対化することにあります。平安貴族が詠んだ「もののあはれ」のように、あなたの感じる「気持ち悪さ」を現代社会を照射する独自の美学として昇華させる道が開けるかもしれません。
| Crean ふん、女性を商品扱いする貴方の発想が、既に性的ダンピングなのだ! 自分の浅はかさこそが、一番の問題なのだ!
つまり女性に対して性的な魅力を感じる男性すべてがアウトなのでは?女性を商品的に扱わない女性の性的魅力への関心の持ち方を定義してみてくれない?
| kaionji 違います。二次元三次元に限らず男性向けコンテンツの女性描写はすべて性的消費なんです。それをやめろということです。
女性を描写することが性的消費なの?? まあそれを全部やめたら俺の主張通り女性の性的資本のコピー品が一掃されるわけで、俺の主張と同じ結果が得られると思う。
その点で同意できて良かったです。
| vkgofboston 女性の(希少)価値をテメー勝手に定義すんな、利用すんな、それは当事者である女性に決めさせろ、が肝であって、徹頭徹尾、自分達男性が評定する側と勘違いしてる時点で炎上してる企業の広告担当と大した違いはない。
あんたら本当に、男性が女性の性をどう欲求するかってことについて口出ししたがるよね〜。そんなの男の勝手だろ。なんで男の性的指向についていちいちあんたら自称女代表に指図されないといけないわけ?思い上がりも甚だしいんだよ。
| differential “もっと簡単に言うと「もっと女性を丁重に扱え!」って事ですよ。”何か違うんでは?丁重に扱われたいのではなく、陳腐なステレオタイプにするんだね笑、って感じよ。君らがATM呼ばわりされて不快なのと一緒よ
ほなお互い様ってことで。
| cocoaCargo 的を得ていない。女性の性欲の本質は排除と選別、プレイヤー性だ。女性は自分の性が需要されること自体、消費やダンピング以前に自分が対象となる性市場の成立を嫌悪する。だからモノ扱いがキーワードになる。
それは性的魅力資本のないあんたの話だろ。自分の性的資本を商品化してバッコリ儲けてやろうと息巻いてる女ばっかりじゃん。踊ったり歌ったりコスプレしたり脱いだりする女がウヨウヨいるだろ。それこそがプレイヤー性だろ。あんたが言ってるのは市場を破壊しろって話だろ。イスラム圏に行ったら幸せになれると思うよ。
上記以外のブコメは正気でツッコミどころないのでこちらもツッコミ入れてません。
以下本文
女性の言語化能力が低すぎて可哀想になってきたから男の俺が代弁する
たとえばAV女優がポルノで性的に消費されてるとき、それは性的消費とか性的搾取と言える。
他方、実在しないマンガのキャラが性的に消費されてる場合はどうか?
語義通り、消費されてるのはマンガのキャラであって、無関係な女性一般は何も消費されていない。
にもかかわらず「性的消費するな!」って無関係の女性がやたら怒って炎上する案件が何万回も繰り返されてる。
そのたびに、あなたは別に消費されてないじゃん、無関係なやつが創作にケチつけて何事、お気持ちクレーマーいいかげんにしろってあしらわれて終わってる。
あなた達女性が怒っているのは、「女性」という概念と、「女性が社会の中でどう扱われるべきか」という通念を毀損するな! って事ですよ。
もっと簡単に言うと「もっと女性を丁重に扱え!」って事ですよ。
それを男性にもわかりやすく表現するなら、「女性のコピー商品を流通させて女性の希少性をダンピングするな!」って事ですよ。
たとえば赤いきつねのCM炎上を例にして言えば、ああいう上気した女性の表情はとっておきの希少品であって、広く流通させてありふれた表情にするんじゃない!女性の希少価値を下げるな!って事だろうし
サイゼリア炎上で言えば、性的価値の高そうな胸のデカい女をサイゼリアに連れて行って満足させるような真似をさせるな!女性の満足を得るために必要な対価の相場が下がる!って事だろうし
全部女性とは社会の中でどのような価値を持つ存在か?についてが論点になっている。
赤いきつねで言えば、「あんな麺の食べ方する女いないゆ」っていう、男性の勝手な女性像の理想化によって、「現実の女性」の実体の価値が相対的に毀損されるという論点もある。
そのたびに貴方がた女性は、性的消費許すな!搾取許すな!まなざし!!とか間違った単語を選択してるから、こいつら頭おかしいなって一笑に付されてるのよ。
そういう怒りが湧いたときは、「性的ダンピングすな!」「女のコピー商品を許さない!」「オリジナルを尊重しろ!」って怒れば良いんだよ。
長い年月かけて練り上げてきた、希少な女性性、美的なプロポーション、真心、そういったものの表面を安易にパクって、二次創作ポルノを作り、
オリジナルである女性に対価を支払わずに、女性のコピーポルノでシコってばかりの男達は女性イメージの泥棒だ! そう怒れば良いんだよ。
そういう論点からして、個人的にはポルノ禁止法はアリだと思っている。ポルノがあるから生身の女性の価値が下がってるのは確実にある。
ごくごく、もぐもぐ…うん、これすごく美味しいと思います!きっとヒットしますよ!次はこのレトルト…あれ?さっきからスプーンが止まっているようですけど…大丈夫ですか?あ、そうだ。このカレー辛いじゃないですか!そこで、一緒に呑む用の炭酸もあるんです!これも試作品のようですけど、一気に飲んでみてください!!
(心の声:おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!!!!!!!!!!!!)
(心の声:終わった。 いや、むしろ始まったのかもしれない。何が? 俺の人生の新たなフェーズが。いや、そんなことよりも、こっちはすでに限界を超えているんだ。これ以上、腹に刺激を与えたら……!!!)
ゴクゴクゴクッ!!!
(心の声:うおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
(心の声:炭酸……!? 炭酸!!??? なんでよりによって炭酸なんだ!!!! だめだ!!! もうだめだ!!!! 終焉の鐘が鳴り響く!!!!!!!!!!!!!!!!)
(心の声:終わった。終わった。完全に終わった。)
「………………」
(心の声:何も言うな。頼むから何も言うな。今ここで、お前が口を開いたら、俺は……俺は……社会的生命を絶たれる!!!!!!!!!)
「い、いやぁ……こ、これは……その……」
(心の声:何か言え!!!言い訳をしろ!!!俺は面接官だぞ!!!社会人としての矜持を見せろ!!!!!!!!!!)
「こ、これは……そう!! そうなんです!! 新商品のカレー!! そう、新商品!!! まだ非公開の試作品でしてね!!! いやぁ、さすが社長のご子息!! 目の付け所が違う!!! ええ、これはですね、まさに新しい食感を追求した……」
(心の声:無理だろこれ。どう考えても無理だろ。もう詰んでる。詰み将棋どころじゃない。俺の人生のキングが、もう将棋盤から落ちて転がってる。)
バッ!!!!!!!!!!(ドアを蹴破る勢いで社長室を飛び出す)
(心の声:トイレはどこだァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
そうなんですね。(ドアを塞ぐ)それも新商品のカレーかぁ…なんだか変な勘違いをしてすみません☆でも溢して紙またのをそのまま捨てるのはもったいないなぁ…食品ロスも問題になっていますし、まぁひと口だけこぼれたものを食べてみますね☆
(心の声:ヤメロォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!!)
「ちょ、ちょっと待ってください!! そ、それは!!! その、ええと!!! い、いや、そう!!! これはですね!!! その!!! まだ完全に商品化されていない試作品なので、安全性の検証がですね!!!!!」
(心の声:お前が今から食べようとしてるのはカレーじゃない!!! いや、カレーではある!!! だが、人体が摂取してはいけない類のカレーだ!!!!!!!!)
「ほ、ほら!! 社長も言ってますよね!? まだ未完成の試作品なので、ここで口にするのはちょっとリスクがあると!!!」
チラッ(社長を見る)
(心の声:社長ォォォォォォォォォ!!!!空気を読んでくれェェェ!!!!!!)
「と、とにかく!! 落ちたものはですね、ええ、**『拾って食べるのではなく、心の糧とする』と昔から言いますし!! ここはですね、ええ、『食品ロス削減の精神を学ぶ場』**としてですね!!!」
(心の声:今すぐここから逃げたい。どうにかしてこの状況を終わらせたい。でもドアは塞がれている。詰みだ。完全に詰んでいる。あとは)
「……」
(バタリ)
https://anond.hatelabo.jp/20250205192651
定量的に軽重を測ろうとする出発点だけは理解できるけれど、その比較対象に販売品の万引きという概念を持ち出してくるのは相当に筋悪だと思う。
お忘れかもしれないが、世にあふれる性行為は基本的に販売されていない。
元増田の人生において性行為とは金銭との交換でしか得られないものであることは一種の悲劇であるが、それを抜きにしても金銭を介して行われる性行為と人間関係の同意によって行われる性行為であれば圧倒的に後者が多く、性行為は基本的に非売品である。
特定の人物が自身の価値を極めて低く値付けした場合に性行為が商品化して陳列されるだけであり、そういう特殊例を持ち出すなら未成年を誘拐して販売しているケースの値段を前提に人身の命に対して値付けすることになり、これはどうかんがえてもおかしい。
間違っている。同じ街の中に同居しているだけで、隣の店などということはなく、まずもって普通に暮らしている人の性や尊厳は販売されていないので店ですらない。
もしも道行く異性が性風俗店に見えているのならば元増田は自身の認知についてカウンセリングなどを受けるなどして回復に努めることをおすすめする。
そして貞操というのは本人が認識する自身の価値と共に、社会的にどのように扱われているかなども大きく価値判断に関わってくる。男性の性被害が軽く認識されがちなのもそういった社会的な風潮(性被害にあった男児を"いい思いをした"などといってセカンドレイプ的に扱いがちなど)によって扱いとして変えられがちであるし、心の中に巣食う傷について有価価値のみで判断することはかなり傲慢な態度であり、他者が軽々しく行うものでもない。
刑罰において与えられるのは金額のみならず、禁固刑など社会からの隔絶をもってして刑罰とする場合もあるし、そうでなくとも報道や雇用の喪失による社会的制裁なども含めて量刑を判じている。
何円になるだろうか、ではなくて現代の性加害に対する罰則がどうあるべきかや、男女差についてより公平性を高めるにはどういった形があるか、といった議論ならやる意味ももうちょっと出てくるだろうが、とりあえず円で考えるというのは物事を矮小化させ、視野狭窄を高めるためだけのまったく無価値で幼稚な議論の出発点であり、検討に値しない。
元増田が日々このような大きな問題のスコープを意図的に小さくすることで周囲の議論を高めてきたのであれば、今後そのような振る舞いはやめたほうがいいし、周囲の思考能力を著しく下げているので反省したほうがいい。
女子アナの商品化といえば1990年代末ごろ、雑誌BUBKAは極北だったな。
帯番組でレギュラーもってる女子アナの写真を1ヶ月分並べて、「顔がむくんでる…おそらくこの日は生理!」とか書き散らす「女子アナ月経カレンダー」っていう人気企画があったんだよ。
俺たちはそれをゲラゲラ笑って、バカだねー、とかいって楽しんでた。本気で読んでたやつも中にはいたかもね。でもまあ、「ひぇー、こんなばかみたいな企画まじめにやってるよ、終わってんなー、ゲラゲラ」というトーン狙いだったんじゃないかな。読者も主にはそういう理解だったと思うんだけど。あれですよ、悪趣味ブームですよ。いや、いい時代だったな。
もちろん企画はクソ中のクソだが、同時に、BUBKA読者なんて社会の底辺で悪趣味するしかない一方で、女子アナはすでに成功者&さらにのし上がるクソ気が強いやつらだから、こんなドブの中のクズ企画で女子アナが傷つくはずがない、とも思ってもいた。
まあなんか、女子アナとか権力の象徴で、テレビ局性接待とかはそういうカースト上位の中の権力闘争だと思ってたから、隔世の感があるねえ。
以前、女装用シリコン性転換パンツを履いて用を足す、という増田を書いた。自分のブログでは書きにくい夏休みの自由研究をまとめたものだった。今回はその続きとして試した実験とそこで得られたものを書き記していく。
寒い季節になった。シリコンパンツにとって汗は大敵で、夏は蒸れてかぶれて大変なことになるということがわかった。ということで、色々試したい事があったのでアマゾンで道具を揃え、久しぶりに倉庫からシリコンパンツを取り出した。
今回の実験に備えて筆者はこの秋を通じ様々なものを準備していた。それが女性用立小便補助デバイスである。
初見の人向けに前提について話しておこう。筆者は生まれ育ちも体格も性格も男だが、いや男であるが故に、幼少期から女性泌尿器に興味があった。ここで泌尿器と強調するのは、筆者の関心が、女性に女性器があることではなく、男性泌尿器がないこと、に向いているからだ。もう少し平易な言葉を使うとすれば、「おちんちんがない、立小便ができない生物の生態」に強い興味があり、それは女性器への興味とは一線を引いているつもりなのである。
幼少期であれば異性と風呂に入ることも着替えをすることもあるが、用を足すことはない。小便小僧はあれど小便少女はB級スポット扱い。「女性の排泄」はベールに包まれている。立小便ができないから個室に入り、行列を作る女性。あの向こうで何が起きているのか。そこに知的好奇心を駆り立てられてしまったのである。
そんな筆者が出会ったのが、女装コスプレ用に男性部をなだらかにするシリコン製の性転換パンツである。これを履くことでなだらかな女性らしい体型を作る事ができ、おまけに内部に配置された管を使って擬似的な女性器からの排尿ができるのだ。この夏にこれを購入し、女性の排尿を擬似体験してみたのだ。
男性は幼少期から公共のトイレで立小便をしている。それがトイレの回転率を上げているとされているため、女子トイレの混雑対策に「女性も立小便をすればいい」と安易に考えやすい。女性が立小便をする方法として頻繁に挙がるのが、旧国立競技場にあったという女性用立小便器「サニスタンド」と、女性用の立小便補助具、そして昭和期にあったと言われる田畑で直接野小便をしていた女性の存在である。
こういう議論を言う人たちは、こうした事例が過去に社会に存在したことを理由にこれらの例を挙げ、立小便をしない女性を怠慢であるかのように語る。しかしこうしたレスバを繰り広げる人たちは、女性器から排尿する経験もなければ、サニスタンドの実物を見たことも、立小便補助デバイスを使ったこともないのである。壁式小便器で用を足す女性の話も年寄りから聞いたり、国会図書館にある古い雑誌のエッセイで見かける程度で、平成の時代には絶滅しているのではないかと想像している。
こうした話を聞いて、幼少期からの好奇心が疼いた筆者は、性転換パンツを履いて和式トイレで排尿をしてみる実験を行った。勢いのない尿が真下にドボドボと落ちた。この実験を通じて女性がトイレで擬音装置を使いたがる理由、紙で拭かなくてはならない理由に触れる事ができた。しかし所詮は擬似的なもので、本当に女性が立小便できない構造をしているのかはわからないまま、あまりの暑さに検証を中断した。
今回は別の視点で女性の立小便について検証する。確かめたいことはずばり「女性用立小便補助デバイスを使えば女性が立ちションすることは容易になるのか」である。
女性の立小便デバイスというのは、速い話が女性の局部に取り付ける漏斗で、男性の陰茎の代わりになってくれるものだ。これらのデバイスについては、キャンプ系YouTuberによるキャンプ向け簡易トイレのレビュー動画という先行研究が十分にあるのでよく見てみる。このチャンネルを見ると、女性の尿は散らばりやすく、また補助具から尿が溢れやすいという話題が出てくる。そしてレビュー結果から商品の当たり外れがかなり大きいという。あくまでもキャンプ向け用品としてのレビューだが、これらのデバイスはどれほど実用に耐えうるものなのか、疑問に思い、実験を計画した。
女性用トイレの回転率を立小便によって上げるには、男性同様に小便器を使って、ズボンを下ろさずに用を足せる事が望ましいと筆者は考えている。
そこで、女性が男性用小便器を利用できる可能性について調査してみることにする。
先行研究のレビュー動画や、過去に作られたサニスタンドの趣旨は、汚れた便座に座らない、しゃがまないなどの衛生面の観点が重要視されていた。さらに、これらをレビューしていたのは女性である。つまり生まれてからずっと和式便器にしゃがみ、洋式便器に座って排尿してきた女性が試しているのであって、その対象は草むらや女性用トイレであって、そこに小便器はないのである。
しかし筆者は男性である。男性だから男性用トイレを使うし、小便器を使って排尿する。性転換パンツで立小便を封じられても、女性用立小便デバイスを使えば、男性と同様に排尿できるはずだ。女性用立小便補助デバイスが女性にとって男性器の代わりになるのなら、それが立小便に有用であるかどうかを判断できるのは、本物の男性器を持つ男性だけなのではないか。筆者は仕事の遅れを関係各所にお詫びして回る激務の中で閃いてしまったのである。
色々語ったが、まとめると、男性用小便器を使えるのは男性と女装した男性だけなので、女性の立小便の可能性はむしろ男性が考えるべきなのではないか、ということだ。
はじめに性転換パンツを着用して、亀頭部に導尿管をつける。この取り付けが甘いと、導尿管から漏れた尿が性転換パンツの裾を伝ってくるので、慎重に行う。装着できたら、まず洋式便器に座って排尿を試してみる。ここで同尿管から排尿できればOKだ。
早速購入した漏斗を試したいところだが、いきなり小便器はハードルが高いので、まずは和式トイレのある公衆トイレへ向かった。先行研究が言うように漏れても、和式便器ならリカバリーが容易だからである。結果は良好で、無事、漏斗から前方に排尿する事ができて、使い方のコツを掴む事ができた。説明書にもあるように、排尿時に漏斗を体に密着させる必要があるのだが、これがシリコンの身体だと密着感を図る事ができず、さらに漏斗が柔らかくて形を保つのが難しいと感じた。
いよいよ小便器での実験だ。小便器の難しいところは個室の用意が難しい点である。家庭に小便器がないので仕方がない。ピンクの竿から排尿するおじさんがいたら間違いなく不審である。なんとかバレないように用を足さなくてはならないので、時間帯を選んで実験に踏み切った。
さっそく小便器の前に立ち、漏斗をズボンのチャックに差し込む。ここでハッとした。漏斗が尿道口に届かない。色々と差し込みかたを試したがうまく姿勢が作れなかった。尿道の位置が男女で違いすぎるのである。
仕方なくズボンとパンツを膝上あたりまで下ろし、性転換パンツの尻を丸出しにして排尿してみる。誰か来ないことを祈りながら立小便にチャレンジし、そそくさとズボンを履き直した。ここで改めて、小便器には紙がないので、あらかじめ生理ナプキンを下着に貼り付けて垂れを防いだ。
さて、この立小便検証の結果は、大学の試験の点数で言えば70点くらいだろう。こう評する理由は、立小便は技術的には可能だが、男性と同じように排尿すると言うと語弊が生じるからだ。
漏斗の漏斗としての機能については十分だが、小便器で使うには壁にあたるくらい、もう少し勢いが欲しいと感じる。男性の排尿は尿道の尿が膀胱に押し出されて高速に放たれ、放物線を描く。しかし漏斗は位置エネルギーで加速するため勢いがなく、漏斗の出口で渦を作って散らばる。小便器の壁まで届かないので、便器の底でばちゃばちゃと飛び散るのである。ペットボトルの水を腰の高さからどぽどぽと溢したような振る舞いしていたと言えばイメージしやすいだろうか。
つぎに良くなかった点として、女性用の漏斗と男性用の服の相性の悪さが挙げられる。ここで男女の泌尿器の構造について整理しよう。筆者の経験に基づくので改めて保健の教科書などで勉強してほしいが、女性の尿道口は男性で言うところの陰嚢の裏側にあり、男性からしたらかなり肛門に高いと感じるだろう。一方男性の陰茎は女性で言うところの恥骨の硬い部分の下から上向きに垂れ下がっていて、憚らずに言えば、いわゆる上付き、下付きの、さらに上に男性の尿道はある。つまり男性のチャック付きズボンはその上の方から陰茎を出す想定の作りをしているので、女性の尿道口にとっては位置が高すぎて、排尿姿勢を作るのが困難になってしまうのである。
筆者の知人女性から、男性の下着を借りたら前に穴が開いているのが面白くて開けて遊んだ、なんて話を聞く事があった。この位置の穴で女性は排尿できないのだ。では女性はどのような服装で排尿する必要があるのだろう。
女性の野外排尿を支援する服は、キャンプ向けなど海外ではすでに商品化されているものもあるようだが、股間を肛門あたりまで大きく開くジッパーなどが必要になると思われる。さらに下着もずらすか開ける余裕が必要だろう。それでいて、ナプキンを当てている時は血がつかないようにずれない仕組みが必要だろう。こんな矛盾したものを全部取り込んでようやく立小便できる服装が出来上がる。あるいはスカートから竿を出すためのチャックでも作るのだろうか、と思うが、筆者はこの半生スカートを履いた事がないのであまり細かいことはわからない。
ここまで考えると、女性の立小便のためにはどうしても尻を丸出しにする必要があるのではないか、と言う考えに至った。そしてこの姿を通路で見られることに抵抗がないかというと、男性でも嫌がる人がいるのだから女性には耐えられないのではないかと思う。(これは本物の女性に聞かないとわからないことだが)
結局はサニスタンド同様、立小便をするにも通路にポンと置いて丸出しで用を足すのは難しいのではないだろうか。そして個室に入って荷物を下ろしてズボンを脱いで…というルーチンを挟むと、結果として洋式トイレと変わらず、回転率を上げるという目的を達成困難なように考えられる。
もちろん、旧来の小便器が男性に特化していることもあって、女性が短時間で排尿するには専用の便器を開発すると言う方法もある。しかし過去に流行らなかったという事情を考えれば、社会を変えてしまうインフラづくりというものがいかに困難かも考慮しなくてはならない。服装と生活も変えてまで早く小便がしたいか。そこまでするよりも並んででも座って用を足すのではないか。こうした社会的のハードルも非常に高いと言うことを学んだ。
また余談だが、今回紙のないトイレでの事故防止ためにナプキンを使用した。筆者はナプキンというものを初めて手にしたのだが、ある程度水を吸っても表面がサラサラしていたので、よく見るCMの言ってることはこれだったのかと驚いた。しかししばらく歩いているとずれて足の付け根にじとっとしたナプキンが触れたり、タオルを絞るように湿り気が染み出してくるような感覚を覚えた。しばらくして脱いでみると下着の周りでナプキンがくしゃくしゃになって下着を湿らせていて、吸水するとはいえ長持ちはしないのかと知らず慌てた。生理中の女性はこれをずっとつけていると聞くが、血を一時的に受け止める道具というだけで血を吸ったら即交換が必要なのだろうか。オムツを履いていた頃の記憶などないので別の気づきを得た。
ここまで色々実験をしてさまざまな発見を得る事ができた。しかし筆者はある女性から結婚を前提とした交際を迫られているのだが、この女装趣味は墓場まで持っていかなくてはならない。交際が具体化したら女装グッズを全て処分するつもりだ。残された時間でより良い研究を試み、また機会があれば結果を発表したいと思う。
さて、この実験を通じ、トイレの壁の向こうで起きていることを双方で糾弾しても何も生まれない事がわかるだろう。男性は性転換パンツを、女性は立小便補助デバイスを、どうか一度試してみてはいかがだろう。必ずしも正確ではないが、きっと新鮮な経験を授けてくれる。それが人生に大きく価値があるかは、筆者も保証できないが。
中国が一人っ子政策を取ったため、男児選好が進んだ、なぜ男児選好かというと、儒教的価値観のもと、お家を継いでくれる男児がほしいから、と言われているが、なんとなくしっくりこなかった。
どうも真の原因は一人っ子政策というより、社会主義から資本主義を取り入れたことと、技術革新にあるらしい。
今、技術革新が進み、何かと淘汰が進む世の中に変わりつつあると感じている。
資本主義の価値観のもと、優生主義が強くなりそうでお先暗いなぁという気持ちになってしまった
以下長々と語る
中国の一人っ子政策は1978年から2015年まで行われたのだが、時代や地域により規制のばらつきがあったようである。
1978年から1984年ごろの中国農村では、二人まで産んでよい、さらに三人でもそれほど厳しい罰則がなかったようで、その結果、産まれた子どもの数は二人から三人の間でほとんど変わらなかった。にもかかわらず、性比の上昇がみられたのである。
※2
長く一人っ子政策を推進してきた中国の出生時性比が次第に不均衡化して男児選好傾向が顕著になったのは1978 年の改革開放以降のことであり、1980年代半ば以降に経済成長と相関して急上昇してきたことは印象的である(p.212:図 5-5)
※1
上記の引用は一人っ子政策があったものの、事実上産児抑制が緩かったため、ほとんど意味をなしてなかったにも関わらず、男児選好が進んでいた、経済成長とともに男児選好が激しくなっていったらしいことを示している。
そもそも改革開放ってなんやねん、ということなんだが、下記のことを指すらしい。
1980年代以降、改革開放が進むにつれて、農村部の基本的生産方式は、それまでの「人民公社」から「家庭請負制」に変わった。「家庭請負制」の下では、農業用地の権利が「集団」に属する「所有権」と農家に属する「使用権」に当たる「請負経営権」に分けられた(「二権分離」)
※5
本源的蓄積過程の継続のため、儒教の「五服」、 「三従」のような父系中心の家族倫理の内容が新 たな形で改革開放以降の土地制度改革において明 文化・制度化されたことを筆者は「農嫁女化」と
名付けた。
※3
実証の結果によれば、土地改革が始まった郡では、第一子が女の子であると、第二子の性比が有意に上昇した。このような効果は、一人っ子政策の前後ではみられない。土地改革による出生率への影響はみられなかった。性比の上昇のうち、半分ほどは土地改革の効果といえるという。また、母親の教育水準が高いほど子どもの性比が高くなることも分かった。
※2
資本主義市場経済自体はジェンダー中立的なシステムである、という信念 はフェミニストも含めて意外に広く浸透しているが、本書が論じる中国の事 例はそうした信念に対する明確な反証と言えるだろう。
資本主義システムの 成立要件のひとつである土地の商品化が夫を筆頭とする「戸」つまり家父長家族の強化によって女性の権利を収奪しながら進行してきたことが示されているからである。
生産手段を奪われた「農嫁女」がサービス労働者や家事労働者として都会にでていくという現象もまた、あまりにも「古典的」な展開である。
※1
土地改革がなぜ性比の上昇につながったのか、断言はできないが、いくつかの可能性を検証している。その結果、もっともらしいメカニズムは、農家の所得の向上だという。この時代、超音波技術の普及が農村では遅れており、中絶コストは決して低くなかったため、男の子のみを選択して産みたいとしてもそのすべがなかった。
ところが、所得の向上によって、比較的余裕がでてきた家計は、わざわざコストを負担して都市に出向き、男の子を選別して産むことが可能となった、というわけである。
土地改革によって、男性の労働力がより重宝されるようになったなど、直感的にもありえそうな他の理由は、検証の結果ことごとく否定されている。
※2
人民公社から、土地開放に伴う家父長制の強化により、女性の労働者としての価値が下がり、土地を守るシステムになった
+
豊かになった農村女性が超音波技術を用いて不要な女の子を堕胎する
という話で、要は生存競争が激しくなったから足手纏いの女の子は捨てたい、それを可能にしたテクノロジーが出来たので、女の子の間引きが進んだよ、という経済合理性に基づいて行動しましたよ、という話である。
おまけに、中国の女性労働参加率は教育の加熱化と市場化の影響を受け、1990→2018年の間で10%以上激減しており※4、正直言って、家族を守るという観点だけに立てば、個人の選択は割と正解だったというのが残酷である。
これなら人民公社があれば良かったんじゃないか?となるが、解体された理由は、「働いても働かなくても同じ」という悪平等主義による労働意欲の低下により国が荒れた部分であり、あれ、これって現代の高福祉国家にも通じる部分あるよね、となってしまった
なんというか時代って繰り返すのねと思う
でも、今後は北欧が失敗してるのを諸外国が見ているので、高福祉国家に戻しましょう、にはならないと思うんだよな
そうなると、資本主義を出産の分野にも取り入れたような、技術を利用して生産性が高い人だけ残しましょう、胎児の間に生産性が低い人は取り除けますよ、という優勢主義が促進されるのが自然なのかなと思う
今だって貧乏人や病弱なら子を残さない方がいいって価値観は強まってるしね
今後福祉制度も脆弱化していくと思われるので、デザイナーベビー、クローンで自分たちが働けなくなった時の保険として、優秀そうな子を育てるようになるのかなぁと思うが、なかなかお先は暗そうである。
調べながら書いたので、間違ってる部分などあったら教えてほしい
引用文献
※1
新刊紹介●『現代中国の高度成長とジェンダー』123 ― 農嫁女問題の分析を中心に』(東方書店 2022 年 7 月) 伊田久美子
https://www.jstage.jst.go.jp/article/wsj/30/0/30_123/_pdf/-char/ja
※2
第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響 牧野百恵
https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Column/ISQ000002/ISQ000002_059.html
※3
https://researchmap.jp/yajiao-li/misc/46528819/attachment_file.pdf
※4
女性の労働参加を更に促進、シニアの労働参加は次なる課題(中国)
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=67335?pno=2&site=nli#anka1
※5
https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/200415kaikaku.html
カルピスという素晴らしい飲み物が誕生するまでには、数々の試行錯誤と失敗があったことをご存知でしょうか?
「カルピス」の生みの親である三島海雲は、「醍醐味」「醍醐素」「ラクトーキャラメル」など、様々な乳酸菌飲料の開発を試みました。しかし、これらの商品は、
これらの失敗を積み重ね、三島海雲は「醍醐素」を改良し、よりおいしく、体に良い飲み物として「カルピス」を開発しました。
カルピスの歴史を振り返ると、成功の裏には多くの失敗が隠されていることが分かります。このことから、私たちは以下のようなことを学ぶことができます。
常に現状に満足せず、より良いものを目指して改善を続けることが大切です。
困難に直面しても、諦めずに努力を続けることが成功への鍵となります。
カラダにピース 「カルピス」: https://www.calpis.info/knowledge/developer/