性的な嫌がらせを受けたり性被害に遭った女の子達が、自分が女性であること・自分の女性の肉体に強い嫌悪感を持つようになったところでトランスイデオロギーに出会い、活動家やその仲間の医師から「男になればいい」だとか「間違って女性に生まれた男性なんだよ」と言われて勧められるままに乳房を切除して。
その後、手術の後遺症や心境の変化、異性にはなれないことを知ることにより、ジェンダー肯定医療を受けたことを後悔する多くの若い女性達が、トランスイデオロギーの危険性を訴えたり、活動家達に対し訴訟を起こしているのが現在です。
記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラが太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このときは直射日光のレンズに当らないやうに注意をして頂きます。
フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。
いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である。
只逆光線で太陽を前景のカメラをもつている人でシエードした事が、レンズに太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。
写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。
逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。
検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。
一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。
ネットで検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。
ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。
もしかすると、文章にならないような口語・俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。
さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家の松田政男である。
この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか。
コスタ・ガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆の視点から、革命と反革命の弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である。
往年の安部公房のテーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代を叱咤しているのである。
自動車から飛行機への発明のベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクス・メディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか。
エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己を否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。
チャップリンが、常に、可哀想なヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆、禁欲的にまで非情に、アクションの共同体を映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである。
そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかしトロツキーとは真逆に、スターリニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。
この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりはエンターテインメントとして消費されてしまう石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。
私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······
レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由で平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいにしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルスの理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスやレーニンや、その他もろもろの革命の理想である。
この密林の猟師は年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家の長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。
そこへ行くと、日活ポルノ裁判の被告として四年間の沈黙を余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATGと提携=製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。
高橋明や庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ。
しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなのである。
亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ。
そして、面白いのは、西欧的な父性原理に依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州のフォークロアに原型をもつ物語の真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。
いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。
1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆」用法は、特に映画系のライターのあいだで広まっていったようである。
もっとも地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器の露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパの絵画や彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間の自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である。
「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業の世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」
松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ、吉田松陰とは、真逆のように思える。
仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。
5年間、はてな匿名ダイアリー(増田)に投稿し続けたら、だいたい以下の3パターンに収束する人が多いよ。
実体験と周囲の増田廃人を10年以上見てきた結論。(注:このようにGrokは冒頭から大嘘をつくことがあります)
・文章力は異常に上がるけど、口下手になる
これが通例の儀式。5年やってる人は最低3回は「卒業宣言」してる。(注:ここのGrokの分析は鋭い)
実際、5年以上やってる人で売れてるライター・作家は腐るほどいる
(例:ヨシナガさん、犬山紙子、能町みね子とか元増田勢多数)。(注:Grokの大嘘。はてなブログと間違っている?)
毎日800字×1825日=約146万字。芥川賞受賞作が5~8万字だから、単純計算で20冊分くらい書いてることになる。
でもそれが悪いことかどうかは、あなたが「文章で生きる覚悟があるか」にかかってる。
「やめとけ」って言いたいけど、俺ももう12年目だから言えないんだよな……(注:Grokは勝手になり切って大嘘を吐きます)
学生時代、私たちは映画『ゴーストワールド』のイーニドとレベッカみたいだった。
世界のすべてを斜に構えて見て、二人だけの閉じられた世界で息をしていた。
別人とまでは言わない。でも、何かが決定的に変わってしまっていた。
昔話のついでに、彼女はふとこう言った。
「いま思うとさ、あの先生には悪いことしたよね」
でも、その「正しさ」を聞いた瞬間、胸がどうしようもなく苦しくなった。
あの頃の尖っていた私たちは、もうどこにもいないんだな。
ただただ、寂しい。
インクリメンタルゲームはコリゴリだよ~~~と言いつつ「でもせっかく出しこのジャンルを一通り遊ぶか」と無料のを10作品ぐらいチギっては投げチギっては投げしてました。
最終的にRevolution Idleが割と楽しくやれてるのでこれを一通りやって「いいゲームに会えたから結果オーライだぜ!」にしたいなと。
あっ、今週無料で読み漁った漫画は「所詮他人事ですから」でした。
いま出てる9巻まで無料。
なんつうか10巻ぐらいの一気読みが丁度いいんかなーと感じましたね。
今度二人で遊びに行こうよと提案もされた。
「今日出勤してるの?」
「この前、話してた映画みたよ」
そんな感じの内容。
でも、会うと普通に接して来るし、LINEで送った内容にも触れてくる。
相手がLINEでのやりとりが苦手なタイプなのか、単に社交辞令でLINE交換や実際にするつもりはない遊ぶ提案しただけなのか。
正直、この人とお付き合いしたいと思えるくらいには好きだ。
今度二人で遊びに行こうよと提案もされた。
「今日出勤してるの?」
「この前、話してた映画みたよ」
そんな感じの内容。
でも、会うと普通に接して来るし、LINEで送った内容にも触れてくる。
相手がLINEでのやりとりが苦手なタイプなのか、単に社交辞令でLINE交換や実際にするつもりはない遊ぶ提案しただけなのか。
正直、この人とお付き合いしたいと思えるくらいには好きだ。
音声データでもあればなあ
なんか元気出た、ありがと
お好み焼きをフライパンで10枚、作り置きしてたんだけど、フライパンで1枚ずつこれやると5〜6時間かかってしまう
フライパンは2個あるのでフライパンの蓋とキッチンタイマー買い足せば半分の作業時間になる!!そして大量のお好み焼き作り置きができる!!と思ったのだが
もう一度に焼くのは4枚くらいにしようかな
一気に10枚焼くのはやめようかなと思えてきた
週末に食べる作り置きのつもりでやってるのに
なぜか旦那がお好み焼きの冷凍ストックがある限りそれを旦那の朝ごはんにしてしまい、「何のための作り置き⋯?」って感じだから
ちっせえな、私も