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はてなキーワード: 合理的とは

2024-12-11

anond:20241210201244

マニ車だけは合理的でも許される

現代において女体は価値が低減し続ける金融資産みたいなもので、女さんが女体から使用料取って固定資産に変えようという考え方は極めて合理的ではあると思う

2024-12-09

React.js流行現代エンジニアリングにおける最大の失敗

最近フロントエンド開発界隈で持て囃されるReact.jsだが、正直言って、その過剰な複雑さと必要以上に手間ばかり増やす構造には嫌気が差す。ごくシンプルタスク――たとえばAPIからデータをfetchして表示する程度のことが、なぜこれほどまでに意味不明コンポーネント状態管理ツール無駄ベストプラクティス学習コストにつながるのか?

jQueryなら数行で済むところを、Reactでは「Hooksがどうの、カスタムフックがどうの、Routerはどれ使うか、ReduxかRecoilかZustandか」と、次々に沼へ引きずり込む。現場エンジニアが「これは本当に生産的なのか?」と疑問を抱くのも当然だろう。Reactの複雑さを「モダンフロントエンド開発の必然」などと擁護する声もあるが、実際は一部のフロントエンドオタク自己満足に浸るための余興でしかない場合も多い。

本来フロントエンドは「エンドユーザーにとって使いやすUI短期間で組み上げる」ことが重要なはずだ。しかしReact導入後は、下手をすると新人エンジニアがReact+周辺ライブラリ難解な世界に消耗し、基本的機能実装時間を奪われる。挙句の果てに、保守運用でも「なぜこんな遠回りな実装を?」と後悔したくなるコードが山のように残る。

一部の巨大プロジェクトや複雑な状態管理要求されるケースではReactの恩恵もあるだろう。しかし、その「本当にReactが必要な場面」以外で、このツールキットを無批判に使い続けることは、多くの場合オーバーエンジニアリングの極みだ。Reactを「絶対正義」のように祭り上げる風潮こそ、現実的業務効率蔑ろにした妄信に他ならない。

React信者たちが喜々として新しい手法を生み出し、複雑さを自己正当化する姿は、もはやエンジニアリングではなく一種祭りに近い。合理的判断放棄し、ツールに踊らされる人々が多い限り、Reactの過剰な複雑さと生産性の低下は続くだろう。もう少しシンプル物事を進められないのか? React中心主義に染まった業界は、その問いに真摯に向き合うべきだ。

anond:20241207184607

合理的に生きるのがかっこいいと思ってる奴の典型じゃん。

そもそも恋愛自体無駄だと気付いてない時点で。

2024-12-08

女は結婚したくない性欲がない論を聞く度に合理的に考えたら女の社会進出は明確に失敗だったなという結論に至るしかない

子供精神疾患を認めない親が悪い」で終わらせてほしくない

これさあ、映画タイトルこそ『どうすればよかったか?』となっているけれど、

実際にはこの監督の中で結論は出ているよね?「早期に受診させればよかった」でしょう?そう決めてかかっているよね?

「この映画は『失敗例』」。統合失調症の姉と家族を記録した映画『どうすればよかったか?』監督が語る胸中

https://www.cinra.net/article/202412-dosureba_htrmm

「間違っていたのは、両親の説得に25年かかったということ」

ただ両親は医者かつ研究者であり、合理的判断ができるはずだったのに、その二人に話が通じないとなるとどうすればよかったのか。無理矢理入院させれば良かったという人もいますが、それがうまくいくとは到底思えません。彼らが認めない入院病院が認めるとは思えないし、入院させることができたとしても両親が連れ帰ってくる。そして僕が無理矢理病院に連れていこうとしても、姉は赤信号で車を降りるし、身体を縛ったりしたらトラウマにもなりかねない。どう考えても両親を説得する以外の方法はなかったと思いますが、どうすれば説得できたかはいまだにわかりません。

結局、両親に問題があったという事で済ませている。

たとえ両親が望んで入院させたとしても、病院で拘束されて人権侵害を受け、家にいるよりももっと酷い目に遭ったかもしれないなどとは考えていないようだ。

発達障害なんかでもそうだけど、この手の話題になるととにかく子供障害を認めない親が悪い、早期に受診させていれば解決した筈だ、と決めつけられて

社会から偏見医療制度自体問題は置き去りにされてしまう。それが悔しい。


それに加えて、両親は自分たちで何とかしなければと思ったんじゃないかなとも考えていて。通院歴があると姉の国家資格が通らなくなるとか、研究者としての道が閉ざされることもきっと心配していたと思うんです。

これは正しいよね。精神科の通院歴があると就きたい職業に就けなかったり、保険に入れなかったり。今は多少改善されたようだけど昔はもっと酷かった。

それは社会制度問題なのに、この監督はそこに深く切り込もうとせずに両親が悪いで済ませている。

世間偏見の目も強いよ。親族精神疾患人間がいるとそれだけで結婚出来なかったり。


しかも「統合失調症」と呼ばれるようになったのも2002年からなので、それ以前は罹ったら人生終了を想起させるような「精神分裂病」と呼ばれていた。そういう医療側の態度も、受診忌避する患者を生んでいただろう。この人のお姉さんが発症したのは1992年から9年前らしいから、その時は間違いなく「精神分裂病」。この記事にはその事実が出て来ない。

https://www.jspn.or.jp/modules/advocacy/index.php?content_id=58

日本精神神経学会2002年8月1937年から使われてきた「精神分裂病」という病名を「統合失調症」に変更することに決めた。それに伴い、厚生労働省精神保健福祉法に関わる公的文書診療報酬レセプト病名に「統合失調症」を使用することを認め、同年8月に各都道府県政令都市にその旨を通知した。現在メディア出版業界など多くの領域で、精神分裂病統合失調症に変更する作業が進められている。

2024-12-07

ソープ嬢税金問題が熱そうだったから、いっちょ噛みできないか

税理士から見るソープ嬢納税問題 https://anond.hatelabo.jp/20241205154323

ニセ税理士日本社会の今後について https://anond.hatelabo.jp/20241205195415

これらの記事を、大変興味深く読んだ。興味深くというのは、記事の内容そのものというよりも、それに対するコメント熱量というのが、

なんというか、大変に盛り上がっており、なぜこれほど盛り上がっているのかということが、あまり自分の中でしっくり来なかったから、である

自分は税務や労務プロでもなんでもないので、細かい専門的内容にはコメントのしようがないのであるが、

とはいえ、ここのメインテーマというのは、要は収入が発生しているのであるから、それについて課税すべきかどうかという問題である(と理解した)。

そうすると、これはシンプル税金を払うべし、ということで決着が付きそうな、ただそれだけの話題のように思える。

にも関わらず、数百を超えるブコメがついているという、その事実に興味をもったのである

それで自分なりに色々と考えてみたので、そのことをここに書いてみる。

さて、唐突フィンランドの話をする。といっても、北欧における風俗産業についての話ではない。鉄道料金の徴収の話である

から10年以上も前の話(なので、今もそうか知らないが)、フィンランド首都ヘルシンキ駅での体験だ。

ヘルシンキ駅は非常に大きなターミナル駅である。ちょうど常磐線が発着する上野駅に近いイメージだ。しかし、上野駅、というか日本鉄道全てと大きく異なる点がある。

なんと、改札がないのである

ヘルシンキ駅の駅舎に入ってしばらく歩くと、いきなり鉄道ホームが出てくる。入口も何もなく、いきなり列車に乗り込むことができるのだ。

そして各車両にはICカードリーダのようなものが備わっており、どうやら乗客ICカードをそれらにタッチすることで運賃を支払う仕組みになっているようなのだ

ようなのだ、と書いたのは、当時私は出張ヘルシンキに来ており、予め列車フリーパスカードのようなものを配布されていたので、このあたりの事情について、実はいまだに

正確に把握していない。なので、正確なシステムは、もしかしたらちょっと違うのかもしれない。

ただ一つ言えることは、ヘルシンキ駅には改札がなく、そして下車駅にも改札がなく、つまり目的地に着くまで、一度も料金徴収のチェックを受けることがなかった、ということだ。

支給されたカードフリーパスのようだったので、カードリーダで料金徴収されることもないため、出張の後半になってくると、(これ、かざす意味あるのか。。。?)と思うようになった。

というか、この仕組みなら、乗車運賃を払わなくても、ただ乗りできてしまうではないかフィンランド鉄道は、フィンランド人の善意で成り立っているのだろうか。

とういことを考えた我が同僚は、出張の後半になってくると私と同様に、このカードリーシステムに疑問を持つようになり、というか、シンプルカードを持参することが面倒くさくなって、

手ぶら列車に乗るようになった。

ところがである。ある日、いつものように彼が手ぶら列車にのっていると、突然車掌から声をかけられたというのである。そしてカードを見せろと言われたので、

カードは持っているがホテルに置いてきてしまった、実際は料金は会社が払ってくれているはずだ、と弁明したそうなのだが、有無をいわさず高額な罰金を支払わされたという。

この話をきいて、ははん、と納得した。

まず、車掌は誰がカードを持っているかどうかを判別などはしていないだろう。ある一定タイミングで、適当にその辺の乗客を狙って検札しているのだと思われる。哀れな我が同僚は、

運悪く検札に引っかかってしまったのだろう。

もしも、100%確実な方法で料金徴収を実現したいのであれば、車掌は全員に検札をすればよい。しかし、それは時間的に無理がある。というか、100%を目指すのであれば、そもそも入場ゲートを設置すればよい。しかし、それにはコストがかかる。

そこで、ある一定割合検札実施し、そこで料金未払が発覚した場合に、高額な罰金徴収する、というシステムにしたのだろう。これが私の推測である

車掌無賃乗車がばれる確率と、その場合に支払わなければならないコスト期待値として、それが正規運賃を支払うコストに比べて見合わないほど高額であれば、乗客正規運賃を支払うインセンティブが働く。鉄道会社は、自動改札システムのような高額な設備投資をせずに、車掌おっちゃんに適当に(より正確には、適切な期待値となるような頻度で)検札実施させれば目的を達成できるので、大変賢い仕組みだと関心したのである

とここまで書いておいてあれだが、これは完全に私のデタラメ想像であるそもそも、いまもヘルシンキ駅に改札がないのかも知らない(調べれば分かると思うけど)。

ではなぜこのことを書いた、というか、思い出したかというと、税務調査というのは、このフィンランド鉄道の仕組みに良く似ていると思ったからだ。

税金は必ず払わなければならない。このことは間違いない。納税国民義務であるフィンランド鉄道にただで乗ってはいけないのと同じだ。というか、フィンランド鉄道のようなザルの仕組みであってはならない。しっかりとした改札を設けて、100%確実に徴収すべき性質のものだ。

ところが、国民全員が完全に正しく納税しているかどうかを100%の精度で確認することは、そう簡単ではない(と信じられている)。そこで、結果的フィンランド鉄道のごとく、ランダムピックアップして、脱税しているかどうかを調べるという方法を取ることになる。そして、徴税システムインセンティブが、「効率的徴収」」にあるとするならば、確実に大金を稼いでいて、かつ脱税実態簡単証明できるところから順に調べていくことが合理的ということになる(全乗客からランダム検札するフィンランド鉄道と、ここが大きく異なる点だろう)。

とはいえわたしは税務の素人であるし、ましては税務署人間でもないので、いま書いたことも本当かどうか、何もわからない。

さて、ここでようやく本題に入る。すなわち、冒頭2記事ブコメ諸氏の熱量について、私なりの方法で腹落ちさせる、という試みである

私を含めて善良なる市民たる我々は、キチンと納税(=乗車料金の支払い)をして列車に乗っているのである。その列車に、あろうことか、運賃を払わずに我が物顔で列車に乗り込んでいる輩がいるのである。ところが肝心の車掌は、他のもっと身なりの良い乗客身体検査ばかりしていて、こちらの乗客など構おうともしない。それでは専門家税理士)はなんと言っているのかと聞くと、なんとも怪しい返事しかしない(なんとならば、税金を払わなくてもよいかもと取れるような発言さえしている)。これでは、真面目に運賃を払っているこちらとしては、腹の一つも立てたくなるものだ。

ということで、なんというかフィンランドの思い出まで書いておいて出すような結論でもなかったなと思いつつも、一応、当初の目的を果たしたことで満足するとする。

さて、ここからは余談である

列車料金と納税アナロジーでお気づきの方もいるかとも思うが、この話は給与所得者の場合において、多少の修正を要すると思われる。すなわち、給与所得ほとんどの人は、源泉徴収というかたちで所得税を納めているのであるから、いわば運賃を前払いしているようなものなのである。そこで、給与所得者は、それ専用の列車に乗っている、としたほうが良さそうだ。この列車に乗っている人たちは、あらかじめ会社が複雑な計算をして運賃を支払ってくれているので、あまり難しいことを考えずに列車に乗れる。

一方、風俗嬢をはじめとした個人事業主などは、いわば運賃は後払いだ。今年、2024年所得が確定してから来年2025年春に確定申告をして、税金徴収される。車掌たる税務署職員から検札を受ける可能性があるのは、こちらの列車に乗っている方の人たちだ。

私が一連の記事を見て、いまいち自分ごとのように熱い市民感情を発揮できなかったのは、おそらく自分とは別の列車に乗っている人=自分とは関係のない人、という意識があったからだと思われる。

さて、仮に風俗嬢としての年間収入が500万円あったとして、納税額(=乗車料金)はいくらほどになるのだろうか。経費としてどのくらい控除できるだろう。衣装代やメイク費用など計上できるのだろうか。個人事業主として、家賃分をいくらか按分することはどれほど現実的か。そもそも青色申告できるのか。できたとして、どのような事業として定義されるか。こうしたこと現実的に真面目に考えると、節税として合法的にできそうなことはほとんどなさそうに思われる。シンプルに雑所得として申告したとして、所得税・住民税額は数百万円になるかもしれない。

そして、いざ自分があちら側の列車乗客になったとして、検札にひっかかる可能性が限りなく低い中で、数百万円という乗車料金をキチンと支払う胆力があるものだろうかと、自問自答してみるのであった。

追記中学生女子暴行をしたクルド人がいたとして、個人問題

でも沖縄での米兵による少女暴行事件では、米兵全体への批判が高まったし、米兵全体に出て行けといった運動も起きたよね?その米兵個人がイビルなのであって米兵全員がそういうことをするわけではない、という意見が前面に出ていた記憶はない。

米兵割合として犯罪をする率が高いから、合理的統計的差別?でも、増えたと言ってもクルド人の数なんてまだたかが知れているから、その中に少女への性暴行有罪になりさらにその執行猶予中に別の性暴行を起こした人がいるとなると、日本での平均と比べて凶悪犯罪者の比率有意に高かったりしないの?米兵だろうがクルド人だろうが、他国に来れば箍が外れる人が一定数出るだけでないの?なのに米兵は全体がヘイト対象で、クルド人個人問題なの?

アメリカ人世界に冠たる大国国民で、一方でクルド人は固有の国家を持たない可哀想な人たちだから全体への批判はするべきではない?でも、そこに筋の通ったロジックはないよね。

日米地位協定など司法の力が限られる特権的地位犯罪助長したので米軍全体を批判して改善に向かわせることには意義がある?それはあるかもしれないけど、それって少女暴行されたことを出汁に使うということだよね。

追記

別にクルド人犯罪者集団だから追い出せ等と言っているわけじゃないのに、そう読む人が多いんだな。「米兵だろうがクルド人だろうが、

他国に来れば箍が外れる人が一定数出るだけでないの?」とまで書いたのに。これは諦めの方向ではあるものの許容を意味するものでしょう。

米軍との不平等的な状況を解消させろといったことを正面から言うのではなく(それは常時やるべし)、鬼畜米としてただヘイト感情を煽る

行為事件関係ない米兵への人格攻撃みたいなのが「これが米軍への怒りの声だ」という文脈で使われるといった行為、がかつては見られた

のに当時それがあまり批判されていなかったことと、どう釣り合いを取るの?という疑問を投げかけただけなんだけど。

2024-12-04

anond:20241204234256

透けとってもさほど困らんと思うが

ガラスだけどもMACUBE安くていいよ

前面がスッキリしてるから前面にハブ貼ればいい

透明ケースに変えてからかい机にして卓上に置くようにしたけど

床置きしてたときより電源がホコリを吸わなくなったからそういう置き方を促す意味合理的な気もする

anond:20241204005524

ここでリフレ派の怨敵・白川悪魔将軍言葉を振り返ろう


論点2%のインフレ目標は正しいのか?

イギリス貴族院経済問題委員会で 開催された量的緩和策(QE)に関する公聴会での議員らと白川方明前日銀総裁質疑応答

https://www.tokyotanshi.co.jp:443/kato_report_doc/TW2106SP2d.pdf

リビングストーン卿:「あなたは中銀がインフレ目標を達成できていない問題言及した。中銀がただひとつインフレ目標を目指すことは正しいと思うか?平均式でいくべきか?実際のところ、2%は今後も正しい数字なのだろうか?」

白川

・私はこの局面で 2%目標修正することはあまり好きではない。ただしその理由は、2%が適切で神聖数字だと信じているからではなく、本気で今の金融緩和を続けていれば 2%を達成できると信じているからでもない。

・実のところ、もし私がインフレ目標最初から設定できる立場にいたとしたら、2%目標は好まなかっただろう。

・私が 2%目標修正を支持しない重要理由は、正しい数字が何なのかを我々が知らないことにある。より正確に言えば、金融政策をまとめる際にインフレ数字をどのように取り扱うべきなのか我々には分かっていない。

・2%目標一般的根拠には、2つの部分がある。

ひとつめのポイントは、インフレの計測には上方バイアス存在する、というものだ。もし我々が 0%インフレを達成しようとするなら、小さめのプラス数字目標にすべき、という意味である

バイアス上方なのか下方なのか私には分からない。物価統計品質調整されている。しかし、品質変化の測定は本当に困難な作業だ。スマートフォン品質変化を毎月計測することは可能だとあなたは本当に信じることができるだろうか?

・この問題を脇におくとしても、ダイナミック・プライシング無料サービスが広がっている時代において、個々の品目の価格をどうすれば認識できるのだろうか?

・2%を正当化することは難しいが、同様に 1%または 3%を正当化することも難しい。

・正直に答えるなら、インフレ率を測定することは、標準的政策論議仮定する範囲においては、厳格な科学とはいえない。

・2%目標の2つめの根拠は、政策バッファー余地)の必要性である(注:政策金利ゼロ%または若干のマイナスになると追加緩和が実際上難しくなるため、平常時はインフレ率および政策金利をある程度のプラスの水準に維持しておくべきという考え方)。私はこれに対しても懐疑的だ。

・例えば、中銀デジタル通貨が導入されて、ゼロ金利制約が存在しない状況にあるとしよう(注:政策バッファーいくらでも存在する状況)。

・この仮定のケースにおいて、我々は金利を深いマイナス、例えば、5%や 10%のマイナスに引き下げることができる。

(注:中銀が当座預金や中銀デジタル通貨にそういった深いマイナス金利をかけていく場合民間金融機関収益確保のために顧客預金口座にマイナス金利適用せざるを得なくなる。その際、中銀が現金を全廃していれば、現金を引き出すという預金者にとっての“逃げ道”は塞がれるため、中銀は政策金利理屈いくらでも引き下げることができる。)

しかし、これは問題解決するだろうか?それによって起きることは、支出タイミングを動かすに過ぎない。支出の総計を動かすことにはならない(注:マイナス金利を大きく深掘りしていったとしても、「需要の前借り」を起こすに過ぎない)。

・より根本的な課題として、インフレの変化は、中銀の金融政策運営にとっての合理的ガイドになり得るのだろうか?

パウエル FRB 議長はほぼ 3 年前にこう言っていた。「原因が何であれ、過去 2 度のリセッションを招いた安定性を損なった行き過ぎは、主として金融市場から来たものであり、インフレから来たものではなかったように見える。すなわち、リスクマネージメントにとっては、インフレよりも(金融市場における)行き過ぎの兆候の方が重要となる」。

・私は彼の見方に完全に同意する。ただし私は、物価の安定は金融政策目的ではない、と言っているのではない。

ポイントは、もし我々が、2 年や 3 年といった短い時間枠の中で特定インフレ率を達成することに執着するならば、経済金融市場で起きていることの全体感を見失うことになる。それは長期的にはマクロ経済不安定性を増大させることにつながり得る。

重要なことは、具体的な政策の枠組みにおいてそういった考えをどのように運用するかであって、2%目標をいじったり、平均インフレ目標のようなものを導入したりすることではない。

2024-12-03

どんなプロンプト打ったんでしょうね3

1. トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではありません。
 それに対して、『トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人こそが、小さなことにこだわっていると主張するのは
 どのような心理からなのでしょうか? もしその人が本気でそう主張しているのであれば、まさに本質から外れたところに過剰に注目しているように思います。
 
 
2.下記を小学生でもわかるように説明をお願いします。
 
	2-1.	トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ありません。
	2-2.	「通常(普通)ではない」と指摘されることに対して、ショックを受けているのかもしれません。『通常』という言葉は、何かしらの合意必要な難しい概念ですが存在するものです。(そうでなければ何もできない)
	2-3.	人と違うのは悪いことじゃないが、トランプ文脈フォントにこだわる人は、特別サポート必要です。これは個人自由意思知識コミュニケーション問題、あるいは性格に帰すべきではないと思います。
	2-4.	人と違うのは悪いことじゃないが、文脈によっては適応出来ない、違うと自覚することが大切なこと説明してください。
 
 
3. トランプ文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人は、ゲームから排除をする、ゲームを取りやめるのでなければ、特別サポート必要だと考えますがどう思いますか?認知フレームワーク問題ではなく個性範疇ですか?

 ↓

1. 心理的な背景について

 

トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人を「小さなことにこだわっている」と批判する心理には、以下のような背景が考えられます

1. 防衛的な反応

自分の行動や考えが「通常ではない」と評価されることに対する防衛反応です。「通常ではない」と指摘されることで、自分価値観や行動が否定されたように感じ、相手に「あなたも小さなことにこだわっている」と反撃することで、自分を守ろうとしている可能性があります

 

2. 視点の転換による優位性の主張

「小さなことにこだわっている」というレッテルを指摘者に貼ることで、相対的自分が広い視野を持っているかのように見せかけ、議論立場を有利にしようとする心理が働いている場合があります

 

3. 共通基盤のズレ

フォントの違い」がゲームに影響を与えないことは、多くの人にとって明白ですが、本人にとってはそれが重要な要素である可能性があります。この場合、指摘者が「通常」とする基準自体無効だと考え、その基準を主張する人を「細かいことにこだわっている」とみなしているのかもしれません。

 

4. 議論すり替え

本質的な問題から目をそらすため、指摘者の行動を批判対象にして議論の焦点を変えようとする心理です。これにより、自分の行動が本当に合理的であるかの検証を避けることができます

 

2. 小学生でもわかるような説明

 

2-1. トランプゲームフォントにこだわるのは普通じゃない

 

トランプで遊ぶとき、みんなが気にするのは「ダイヤ」「ハート」みたいなマークや、「A」「K」みたいなカード意味です。文字の形(フォント)が少し違っていても、ゲームには関係ないので、普通はそこにこだわりません。

 

2-2. 「普通じゃない」と言われるとびっくりするかもしれない

 

かに普通じゃない」と言われると、自分が変わっているみたいに感じて、ちょっとイヤな気持ちになるかもしれません。でも「普通」という考え方がないと、みんなで同じルールで遊ぶのが難しくなります

  

2-3. 人と違うのは悪いことじゃないけど、助けが必要ときもある

 

たとえば、トランプで遊んでいるときフォントが気になる人がいたら、どうして気になるのかをみんなで考えて助けてあげることが大事です。それでもゲームが進まない場合は、みんなが楽しめるような別の方法を一緒に見つける必要があります

 

2-4. 人と違うのを知るのは大事なこと

 

自分がほかの人と違うことは悪いことではありません。でも、みんなと同じルールで遊びたいときは、「自分の考え方が特別なんだ」と気づくことが大切です。それがわかると、みんなとどう仲良く遊ぶかを考えやすくなります

 

 

3. 「フォントが違うからダイヤのKではない」という人への対応個性範疇について

 

 

フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人に対しては、特別サポート必要だと考えられます理由は以下の通りです:

  1. 共有されたルール再確認
    トランプゲームでは、フォントの違いは重要ではなく、カードの「スート(マーク)」と「ランク(番号や文字)」が本質です。そのため、本人がルール理解し、共有された基準を受け入れられるようにサポートする必要があります
  2. ゲームを進行させるための調整
    本人が「フォント」を基準として主張する場合ゲームが進行しなくなる可能性があります。この場合ゲームを成立させるために他の参加者と協力し、代替案を提示する必要があります

 

 

この行動は認知フレームワーク問題に近いと考えられます。なぜなら:

  1. 個性範疇を超えている
    個性とは、一般的ルール基準の中での違いを指すことが多いですが、今回のケースでは「フォントにこだわる」という行動が、共有されたルールの基盤を大きく逸脱しており、個性範疇では説明しづらいです。
  2. ゲーム文脈に対する適応の難しさ
    フォントが違う」という理由カード否定するのは、ルール文脈に対する適応が困難であることを示唆しており、認知の仕組みや視点問題である可能性が高いです。

 

 

結論

 

トランプゲーム文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」という行動は、個性というよりも認知フレームワーク問題として捉えるのが適切です。そのため、共有基盤を再構築する特別サポート必要となり、ゲームの進行や他の参加者との調整が求められます

 

 

 


 

 

増田が打っているプロンプトを推測してみたが、かなり言葉を足さないとその出力にはならない
マジでどんなプロンプト打ったんでしょうね(3回目)

 

※推測してみた(なお、増田みたいな結果にはならない)
 
Dの行動を批判している文章(https://anond.hatelabo.jp/20241203162204#)の投稿主の心理を探り、どのような価値観認知スタイルに基づいているのかを分析してください。Dがフォントの違いを問題視した行動に対して批判することが、どのような心理メカニズムに基づいているか、またその批判集団内でどのような影響を与えるのかを詳述してください。

 ↓

この文章投稿主は、Dの行動に対する批判を通して、「認知の仕組みのズレ」や「共有された前提の欠如」に焦点を当てており、その批判は以下のような心理メカニズム認知スタイルに基づいていると考えられます

 

1. 認知の精度と共通理解の重視

 

投稿主は、対話が成立するためには、共通の前提や認識必要であると強調しています。Dが「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張したことは、常識的に受け入れられる「ダイヤのK」の定義認識を逸脱しており、この逸脱がコミュニケーションの妨げになると見なされています投稿主は、認識のズレを認知の仕組みに起因するとし、これを解決するためには膨大な労力が必要だと感じています。これは、投稿主が認知的な精度を重視し、理解の共有を前提にした効率的対話を重んじていることを示しています

 

2. 本質主義 vs. 構成主義思考

 

投稿主は、「ラグビーボールボールではない」という発言についても問題提示し、「概念境界」や「本質主義 vs. 構成主義」などの哲学的な側面に関心を持っています。これは、物事定義カテゴリ化について深く考える傾向があり、単なる表面的な解釈を超えて、物事本質に迫ろうとする認知スタイルを反映しています

 

3. 細部に過剰に焦点を当てる認知スタイル

 

Dのように、細部(フォント)に過剰に焦点を当てることは、投稿主にとって非常に困難で非生産的コミュニケーションと捉えられています。このような発言は、認知的なズレが深刻であり、現実世界常識一般的認識から大きく外れていると見なされています投稿主は、細部に拘泥するDの認知スタイル問題視し、これが対話の進行において障害となると考えているようです。

 

4. 集団内での影響

 

投稿主がDの行動を批判することで、集団内では次のような影響が予想されます

共感の共有: 投稿主が指摘する認知のズレに賛同する人々は、Dとの対話に対して不安や苛立ちを感じる可能性があり、集団内で共感が生まれます

対話排除: Dの認知スタイルが極端に異なっていると認識された場合集団内でDの意見発言無視したり排除したりする動きが強まる可能性があります

教育アプローチ模索: 一方で、Dの行動を理解し、再教育認知修正を試みるアプローチを取る人も現れるかもしれません。この場合集団内で認知の調整が進むことが期待されます

 

全体として、この批判は、投稿主が共有された認識合理的対話を重視し、認知的なズレに対して強い懸念を抱いていることを示しています

どんなプロンプト打ったんでしょうね? 2

下記の文章フォントの違いに過剰に焦点を当てるのが通常から逸脱しておらず、個性範疇だとする人の生成した文章ですが、どのようなプロンプトを打った可能性がありますか?
ーーー
	•	「A、B、C」の例では、各人物が持つ立場比較的柔軟に評価していますが、「D」のケースに対してはほぼ一方的否定しています。
	•	「フォントの違い」を理由カード否定するDの行動を、投稿者は「認知の仕組みに問題がある」と結論付けています

 ↓

この文章は、Dの行動を「通常から逸脱しておらず、個性範疇」とみなす視点を含んでいるため、次のようなプロンプトが考えられます

 

1. 客観性を求めるプロンプト

• 「Dの行動について、認知問題ではなく個性として解釈できる可能性を考慮して意見を述べてください。」

• 「フォントの違いに焦点を当てる行動が必ずしも認知問題ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判評価してください。」

 

2. 対立意見意図的に生成するプロンプト

• 「フォントの違いに過剰に焦点を当てる行動が、個性範囲内と考えられる場合擁護意見作成してください。」

• 「Dの行動を否定するのではなく、認知問題ではないとする立場から反論を生成してください。」

 

3. 中立的立場を取るプロンプト

• 「投稿者意見引用しつつ、Dの行動が認知問題ではなく、個性価値観の違いに過ぎないとする可能性を検討してください。」

• 「Dの行動が認知問題とされる根拠を再評価し、別の視点提示してください。」

 

4. 哲学的視点を求めるプロンプト

• 「フォントの違いを強調する行動が、本質主義認識論観点から妥当性を持つと仮定し、その可能性について考察してください。」

• 「Dの行動を、哲学的視点から擁護する文章作成してください。」

 

5. 文章中立的に補足するプロンプト

• 「『A、B、C、D』のケースについて、特定偏見を避けながら解説し、特にDの行動が否定される理由に疑問を呈してください。」

 

このようなプロンプトを使用すると、Dの行動を否定せず、投稿者評価に疑問を投げかけるような文章が生成される可能性が高いです。

 ↓

フォントの違いに焦点を当てる行動が必ずしも認知問題ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判評価してください。

 ↓

フォントの違いに焦点を当てる行動が「認知問題」ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判を以下のように評価できます

1. 個性価値観の違いとしての解釈

 

Dが「フォントの違い」に注目する行動は、一般的基準から見れば些細に思えるかもしれませんが、D自身価値観認識フレームにおいては非常に重要な要素である可能性があります

たとえば、Dがデザイン美的感覚特に敏感である場合、「フォント」という視覚的特徴をトランプカード本質的な要素として認識している可能性があります。こうした個性は、社会的コンテクストによっては特異に見えるものの、必ずしも認知の異常を示しているとは言えません。

 

2. 価値観相対性

 

トランプの「本質」をどう定義するかは、共有された基準によるものの、完全に普遍的ではありません。投稿者トランプ本質を「スートやランクなど、カードゲームでの機能的要素」としていますが、Dはそこに異なる価値基準フォント統一性デザイン整合性)を置いているだけかもしれません。この場合、Dの認識は単なる「視点の違い」とも解釈できます

3. 共有基盤の曖昧

 

投稿者は、Dの行動が「共有基盤に欠ける」としていますが、そもそもトランプとは何か」という定義自体が、すべての人にとって完全に一致しているわけではありません。Dのように、フォントなどの細部に注意を払う人がいることは、社会的文化的多様性の一例と考えられます。こうした違いを「認知問題」と決めつけることは、価値観多様性を軽視している可能性があります

 

4. 投稿者評価の偏り

 

投稿者は、A、B、Cのケースに対しては柔軟に評価していますが、Dのケースに対しては厳しい否定を示しています。この評価は、Dの視点理解しようとする姿勢に欠けているように見えます

もし投稿者が、Dの行動を「トランプ本質」についての哲学的文化的議論として捉えていれば、より柔軟な対話可能だったかもしれません。

 

5. 擁護可能

 

Dの行動は、一見奇異に見えるかもしれませんが、以下のように擁護することもできます

哲学的視点: Dの発言は、トランプという製品の「本質」を問い直す試みと捉えることができます。「フォント」がトランプ本質に含まれるか否かを議論することで、新たな視点提供している可能性があります

創造視点: デザインや細部へのこだわりが、新たなカードデザイン基準美的価値観提案するものとして評価できるかもしれません。

 

結論

 

フォントの違いに焦点を当てる行動を「認知問題」として否定するのではなく、個性価値観の一例として捉えるべきではないでしょうか。Dの視点文脈によって理解しにくいとしても、それを完全に「認知問題」と断定するのは過剰な評価かもしれません。むしろ、Dの発言の背景にある価値観視点を探り、柔軟に対応することが、より建設的なアプローチとなるでしょう。

 ↓

Dの行動を否定するのではなく、認知問題ではないとする立場から反論を生成してください。

 ↓

Dの行動が「認知問題」ではなく、個人価値観視点に基づくものであるという立場から、以下のように反論を展開できます

1. 認知問題ではなく価値観の違い

 

Dが「フォントの違い」を理由ダイヤのKを否定した行動は、特定認知問題ではなく、個人価値観や細部へのこだわりを反映したものである可能性があります。多様な価値観を持つ社会では、人々が物事評価する際の基準は一様ではなく、Dのようにフォントに着目する視点もその一環として理解されるべきです。

たとえば、美術デザインの分野では、フォントや形状の微細な違いが重要視されることがあります。Dは、そのような視点を持って物事認識しているだけであり、これは「認知問題」とは言えません。

 

2. トランプ本質に対する多様な解釈

 

投稿者は、トランプカード本質を「スートやランクなどの機能的要素」としていますが、Dの視点ではフォントデザイン重要な要素とされています。この違いは「トランプとは何か」という本質に関する議論の幅を示しているに過ぎません。

Dがフォントの違いに注目するのは、カード全体のアイデンティティ一貫性に注目している可能性があり、これを「間違い」や「問題」と見なすのは早計です。

 

3. 認知価値観混同

 

投稿者はDの行動を「認知問題」として捉えていますが、認知問題価値観の違いを混同している可能性があります。Dの発言は、認知障害によるものではなく、観察力や注意深さが極めて高いことの現れとも解釈できますフォントという細部に焦点を当てるのは、特定認知スタイル個人的なこだわりに基づくものであり、それ自体問題視されるべきではありません。

 

4. 哲学的視点から擁護

 

Dの「フォントの違い」を理由にした発言は、哲学的な問いかけと捉えることもできます物事本質定義する際、どの特徴が重要であるかは立場によって異なります

たとえば、「同じカードデッキの一部である」という条件において、フォント統一性を重視する視点は十分に正当性を持ち得ます。これを認知問題として単純化するのは、物事本質に対する多様な解釈無視することになります

 

5. 対話の困難さの原因は双方にある

 

投稿者は、Dの行動を「対話が成立しない例」としていますが、その要因は必ずしもDにのみあるわけではありません。Dの視点価値観を十分に理解しようとせず、一般的基準に照らして否定すること自体が、対話を難しくしている可能性があります。Dが重要視するポイント尊重し、それに基づいて共通点を見出す努力をすれば、対話は成立する余地があります

 

6. 結論

 

Dの行動は、価値観視点多様性を反映しているに過ぎず、これを「認知問題」と断定するのは適切ではありません。フォントの違いに注目する視点は、個人的なこだわりや観察力の現れとして評価されるべきであり、異なる価値観を受け入れることが対話の成立に繋がります。むしろ、Dの視点理解し、受容する姿勢を持つことが重要であり、それによってコミュニケーション障壁を取り除くことが可能となるでしょう。

 ↓

本気でトランプゲーム文脈上記合理的理解だと思いますか?
認知問題ではないと考えますか?

 ↓

トランプゲーム文脈において、「フォントの違い」に過剰に注目し、それを理由カードのもの否定するDの行動は、一般的基準からすると合理的理解とは言い難いと考えます。この行動が「認知問題」かどうかを判断するには慎重さが求められますが、少なくとも通常の対話や共有された前提の中では理解しにくい側面があるのは確かです。

 

1. 合理性の欠如

 

トランプゲームにおけるカード本質は、そのスート(ダイヤハートなど)やランク(K、Q、Jなど)という情報です。フォントデザインの微細な違いは、ゲームを進行する上で本質的な要素ではありません。Dが「フォントの違い」を理由カード否定する行動は、このゲーム目的文脈に即していないため、合理性に欠けています

 

2. 認知問題可能

 

この行動を「認知問題」と呼ぶことが適切かどうかは、Dの背景や思考過程によるものです。以下の可能性が考えられます

• 過剰なフォーカス(過集中)

Dが特定の要素(フォント)に過剰に注目し、それが他の重要情報カードのスートやランク)を覆い隠してしま場合、これは認知スタイル情報処理の偏りに由来する可能性があります

• 前提のズレ

Dが「フォントの違いがカード正当性に影響する」という独自ルールや前提を持っている場合一般的認識とのズレが生じています。このズレを修正しない限り、共通の基盤での対話は難しいでしょう。

 

3. 個性として理解できる範囲限界

 

Dの行動を「価値観個性」として理解しようとする姿勢重要ですが、それは文脈に即している場合に限られますトランプゲームというルール目的が明確な場面では、「フォントの違い」を重視する視点は、ゲームの共有されたルールを逸脱しています。このため、Dの行動を「個性」として片付けるのは適切ではないように思えます

 

4. 対話の困難さ

 

Dの主張を受け入れるには、「トランプとは何か」「ゲーム目的とは何か」という基本的定義から話し合う必要があります。このような前提の再構築が求められる点で、Dの行動は通常の対話を困難にする要素を含んでいます。これは単なる価値観の違いではなく、認知的なズレや情報優先順位問題がある可能性を示唆しています

 

結論

 

トランプゲーム文脈では、Dの行動を合理的とするのは難しく、また「認知問題ではない」と断言することも難しいです。Dの行動は、個人的な価値観視点として説明するには逸脱しており、ゲームの共有された目的文脈整合性を欠いています。したがって、このケースは認知スタイルの偏りや情報処理の仕組みに起因している可能性が高いと考えられます

どんなプロンプト打ったんでしょうね? 1

上記ののカジュアル文章を書いた人物プロファイリングしてください

 ↓

The person who wrote this seems to have a strong understanding of cognitive processes and how they affect communication. They are deeply interested in recognizing the underlying cognitive mechanisms that shape how people perceive and interact with the world, especially when there are discrepancies in shared understanding. Their writing suggests a fascination with the complexity of human cognition, particularly in terms of categorization, perception, and the role of context in communication.

Key traits of this person’s mindset:

1. Analytical and Reflective: They break down situations and statements into their core components, such as recognizing when cognitive discrepancies arise (e.g., the example of “Honey Crisp” being identified as a non-apple or a “rugby ball is not a ball”).

2. Focus on Cognitive Mechanisms: Rather than just attributing communication issues to external factors like knowledge gaps or personality traits, they attribute misunderstandings to the way people process information and perceive the world.

3. Interest in Epistemology: They are interested in the philosophical and conceptual foundations of understanding. The mention of philosophical terms like “essentialism” vs. “constructivism” indicates a desire to explore the nature of categories and definitions at a fundamental level.

4. Sensitivity to Communication: They recognize the importance of context in communication, noting how slight differences in perception can lead to miscommunication. The person appears to be aware of the challenge in aligning cognitive frameworks to resolve disagreements.

5. Empathetic but Pragmatic: While acknowledging that individuals like “D” might not be malicious or intentionally obstructive, they also highlight the immense effort required to engage with individuals whose cognitive frameworks are severely misaligned with shared understanding.

Overall, this person seems to be deeply thoughtful, with a keen interest in the nuances of human cognition and communication. They likely value intellectual clarity and are willing to invest time and effort in clarifying fundamental misunderstandings.

 ↓

トランプ文脈フォントの違いに過剰に焦点を当てるのは個性範疇にはないです
仮にフォントの違いがトランプ本質ならトランプという製品は何を提供しているのか?となり共通基盤があるようには思えません
下記の反応をする人はいったい何が原因だと思いますか?フォントの違いに過剰に焦点を当てるのはまさに認知問題に思えるのですが
ーーー
	•	「A、B、C」の例では、各人物が持つ立場比較的柔軟に評価していますが、「D」のケースに対してはほぼ一方的否定しています。
	•	「フォントの違い」を理由カード否定するDの行動を、投稿者は「認知の仕組みに問題がある」と結論付けています

 ↓

フォントの違いに過剰に焦点を当てる」というDの行動は、確かに一般的認知の枠組みから外れており、共通基盤を持つ対話を阻む要因と考えられます。このケースでは、Dの認知の仕組みにおける以下のような問題が原因として考えられます

 

1. 認知の過剰具体化(具体例への執着)

 

Dは「トランプカード」を理解する際に、本質的な特徴(スート、ランク一般的カード定義)ではなく、具体的な細部(フォントなど)に強く依存して認識しています。このような認知の偏りは、物事抽象化する能力が弱く、広い概念文脈理解するのが難しい場合に見られます

 

2. 共有基盤の構築における障害

 

トランプカードの「本質」として多くの人が暗黙的に合意している特徴(スートやランク)を無視し、自身認識基準フォントの違い)を優先しています。このような認知のズレは、共通基盤を形成する力が弱いために生じると考えられます

 

3. 柔軟性の欠如

 

Dの行動は、物事を異なる視点解釈したり、自分基準一時的に緩めたりする柔軟性の欠如を示唆します。これは、認知の柔軟性や適応力が低いために起こる場合があります

 

4. 認知特性や発達的な要因

 

場合によっては、発達障害特定認知特性自閉スペクトラム症強迫性傾向など)が関係している可能性もあります。これらの特性を持つ人々は、特定の細部に過剰に注意を向け、全体の文脈や共有された基準よりも、自分認識した細部を重視する傾向があります

 

5. 認識本質混同

 

Dは「フォントの違い」を本質的な特徴と捉えていますが、これは「トランプとは何か」という製品概念本質理解する能力が十分ではないことを示唆しています。つまり対象重要な側面(スートやランクなどの機能的特徴)よりも、些末な特徴(フォント)を重要視してしまい、それがトランプとしての機能否定する理由になると考えています

 

Dの反応をどう見るべきか

 

Dの行動を「認知問題」と捉えることは合理的です。フォントの違いは通常、トランプという製品本質に影響を与えるものではないため、それを理由カード否定するのは一般的認知基準から外れています。このズレは、Dが「トランプカードとは何か」という共有されたコンセプトを理解できていない、あるいはその共有基盤に乗ることを困難にしていることを示唆します。

 

Dのような認知の偏りを持つ人と対話を続けるには、まずその人が重要視している基準論点理解し、それがどのように全体像に影響を与えるかを説明していく必要がありますが、それには大きな労力が伴うでしょう。

 ↓

  

続く https://anond.hatelabo.jp/20241203171745#

2024-12-02

anond:20241202135259

オカルトやら陰謀論は男の方が好きな人多くない?

から見るとスピもオカルトも同じなんだけど

合理的根拠なし

どっちもエンタメとしては嫌いじゃないけど行きすぎるとカルト的になって借金してまで金注ぎ込んだり人殺したりするからそこが他のエンタメと違って拒否感ある

2024-12-01

厚生障害年金比較ハードルが低いanond:20241201113411

障害判定って3級、2級、1級とあるけれど、その病気になった時に

厚生年金に入っていれば3級で年金が出る。(障害厚生年金

国民年金場合は2級にならないと年金がもらえない。(障害基礎年金

 

厚生年金からもらえる障害年金は、仕事していても減額されない

国民年金からもらえる障害年金は、収入によっては減額されたり支給停止される。

 

なので、厚生年金にみんな入るように努力したほうが良いんだけど、

パート社会保険料の壁とか言って仕事厚生年金に入らないところでセーブするのは非合理的だなあと思う。

年収であればこういった制度メリットを合計すると、払う金額より、受けるメリットの方が明らかに大きいのに。

  

厚生年金への加入の要件を下げて、厚生年金加入者を増やすように制度改定してるのは、障害年金受給ハードルが下がることにも繋がってるし、良い改善

反対してる人も多いけどね。

 

anond:20241201010145

処分はしない方が良いが、非モテ男性はほっておくと社会の癌、すなわち犯罪者リスク高まるため処分するのが合理的だろうという話。

これは、「人間処分なんて本来はすべきではないが、いくらなんでも有害すぎる人間処分した方がいい」ってことか?

それなら死刑制度でされてると思うが、そうでなく、「被害者が出る前に処分したい」ってことか?

そして、その判定基準が「非モテかどうか」ってこと?

アホすぎて話にならんやろ

こんなんでよく人権派を名乗れたな

君は独身モテない男性けが不利益を課されるという結論

これがまず実現不可能で頭抱えたわ

いか非モテかどうかなんて相対的ものなんだぞ?

男全員「非モテ処分される」って怯えながら生活しててよりよい社会になると本気で思ってるのか?

そもそも実現不可能だったから「流石に相対値で処分おかしいよな」と思って、何かしらで絶対値スコアを出して処分すると思ったわけ

でも違ったらしい、残念ながら

問題ってのはたいてい多くの要因が複雑に絡み合っていて、シンプル手法でなんて解決できないんだよ

快刀乱麻なんて存在しない

弱男キモいからいなくなってほしいって思ってるんだろうが、実際にそうなってもただのディストピアになるだけ

弱男は相対的ものから発生を抑制することはできないし、弱男にも存在価値はある

弱男がいるから強男がいるわけ

これがわかったらこからはお前も弱男に感謝して生きていこうな?

anond:20241201004822

君は教養がないね。一旦歴史法律学をやったら良い。無能男性有害性というものを学べ。

価値のない人間ほとんど全員そうだが、害のある人間は少ない。その害をどの時点で取り除くことが合理的かといえば、芽を摘むのは早いほど良い。被害者はいない方が良いし、加害者になる前に殺すのが情というものだ。

anond:20241201004822

君は教養がないね。一旦歴史法律学をやったら良い。無能男性有害性というものを学べ。

価値のない人間ほとんど全員そうだが、害のある人間は少ない。その害をどの時点で取り除くことが合理的かといえば、芽を摘むのは早いほど良い。被害者はいない方が良いし、加害者になる前に殺すのが情というものだ。

anond:20241201004822

いや、全く理解していない。私は基本的人権派である処分はしない方が良いが、非モテ男性はほっておくと社会の癌、すなわち犯罪者リスク高まるため処分するのが合理的だろうという話。

君は独身モテない男性けが不利益を課されるという結論感情的に反応して老人や特定女性を道連れにしたい、そういう結論ありきで私の持論を超解釈して理論を組み立てている。

価値であることと有害であることは本質的に異なる。この意味が分かるか?

anond:20241201002514

いやいや、養えとは言ってない。どこを読んだらそうなった?君のジェンダー観は老人すぎる、男は女を養うべきとでも思ってるのか?それが全てを歪ませるんだ

あくま子供を産む相手を女に選ばせたら人気が集中するのでそこを解消しなくちゃねという話

優秀な遺伝子はたくさん残す(多様性はメス側でカバーすれば足りる)、魅力のない個体経済的支援労働力になる、それが一番健全社会のあり方だろう。繁殖用と労働個体を分けるとも言える(基本女は産んでもらわないといけないが子供を持っても働いても良い)。しかし基本男は性的魅力と稼働力やコミュニケーション能力身体能力が直結するので、番えない男はその他の面でも役に立たない(これは実感としてわかるだろ?)し、それだけでなく犯罪社会のものを壊すリスクが高い危険因子(中国インドアフリカの例。女はそうはならない)なので処分するか上野千鶴子が言ったようにまやかしの女体で満足してもらうのが合理的ですよねということです。

男女同数か女あまりの方が社会は安定する。男が多いのはまずい。一人っ子政策後の中国見りゃわかる。

2024-11-30

anond:20241130165220

このような問題に関しては、個人体験感情が非常に深く関わるため、慎重に議論し、包括的解決策を考える必要がありますあなた体験が、恐怖や無力感、憎しみといった感情引き起こしたことに共感します。それが障害者差別という言葉で一括りにされることに抵抗があるのも理解できますしかし、この問題解決するためには、いくつかの視点で整理し考えることが重要です。

1. 問題の整理:責任能力加害行為現実

知的発達障害のある人の中には、衝動コントロールするのが難しい人がいるのは事実です。ただし、その行動には必ず背景があり、適切な支援環境調整がなければエスカレートすることがあります

一方で、「責任能力がない」という理由社会がその行為放置することは許されません。被害者苦痛を軽視することは、問題さらなる拡大を招きます

2. 被害者保護加害者支援

被害者保護: 暴力行為を受けた子どもたちが恐怖を感じたりトラウマを抱えたりするのは深刻な問題です。学校地域コミュニティは、安全環境保証するために、加害行為をする障害者の行動を監視制御する仕組みを整備するべきです。

暴力行為を起こした場合対応マニュアル作成

専門のサポートスタッフを配置

被害者保護者へのフォロー体制

加害者支援: 暴力行為をする障害者に対しても、責任能力の有無を問わず、適切な支援が不可欠です。

専門医療や療育を通じて行動を改善

暴力が起きない環境作り

適切な距離感を持つ関係構築

3. 差別批判の線引き

差別合理的批判の違い: 特定障害を持つ人すべてを否定するのは差別です。しかし、具体的な加害行為に対して恐怖や怒りを感じ、それを訴えることは差別ではなく、合理的批判といえます

批判建設であるためには、行動に焦点を当て、解決策を模索する姿勢重要です。

4. 教育意識改革

あなたのケースでは、障害者との交流教育がかえってトラウマを生む結果となりました。この失敗から学ぶべきは、教育プログラムを「健常者に偏見を持たせないため」という一方的目標だけで設計してはいけないということです。

交流の場を適切に設計し、リスク回避する仕組みを作る

双方が尊重し合える関係を築くための事前準備

5. 社会全体の課題として捉える

加害行為を行う障害者だけでなく、それに対応する社会制度の不備も問題の一部です。

加害行為に対する責任のあり方を議論

被害者支援加害者支援バランス考慮した制度改革

最後

憎しみや恐怖を抱くことは、人間として自然感情です。しかし、その感情を持ちながらも、他者とどのように向き合うべきかを考えることが、私たち一人ひとりの課題です。この問題に対して、どのような対応可能であり、現実的かをさら議論していくことが重要です。

少子化社会について(一夫多妻制の推奨)

多分大して話題にならない上に批判意見しか来ない気がする。

人工知能に聞いてみたけど女性人口過剰が引き起こす問題貧困やそれに伴う社会保障費の増大(あくま可能性。女性が皆自立すれば問題ない)の可能性なんだけど男性人口過剰がもたらすのは少数の女性を巡って女性誘拐人身売買女性とつがえない男たちの暴動、それを抑える行政コスト内乱など男が余る方が明らかに問題が大きくなる。

男は子供産むわけではないからそんなに多数はいらないし、女と違って異性がいないと犯罪暴動まで起こす(史実危険因子なんだから上澄だけ生かしておいて残りは処分適当二次元などのまやかしの女体を与えておいて労働奴隷として搾取する(子育て用の金もここから取れば良い。SNSでも独身少子化社会に貢献できてないと投稿してる男が多いから本人たちも同意するだろう。)のが一番合理的労働奴隷としての価値先端技術が出てきて無能な男は本当にいらなくなってしまったけどな。

一応人権という建前があるから現在は無理。

上澄の男にとっても下層の男などお荷物しかない 男は女と同胞がいれば満足だから まあ虐待用としての価値はあるかもしれないが弱男とはいえ団結すると面倒なことになるので処分か生かさず殺さずが一番良いのだな。

そして世の中女が結婚したがってるという風潮だが、本質的意味で異性を必要としているのは男側である。男は負け惜しみセックスさえできれば良いと言うが、本当の意味結婚できないと焦るのは男の方 風俗嬢キャバ嬢にすら恋愛感情人間性、「その先」を期待するのだから女の存在意義セックスだけど考える男は少数派 別にそれを責めるつもりはないがこの点に自覚的であるべきだと思う

結論としては優秀〜中の上の男だけを生かして女と番わせその他の男は廃棄か奴隷 産めない女は産めないとはいえ子育てはできるだろう(男は無理。カーストの低いオスは自分の子でなければ子供を加害する危険性が高いため)から労働育児だね

2024-11-29

anond:20241129123323

学部で習った知識を得意げに持ち出してきたな馬鹿めが。

それ以降、なにも新しいことを勉強しないまま来た雑魚がよ。

 

では、ガザニガの話をしてやろう。

彼は脳科学者で、著書『脳の中の倫理』で、人間の脳には「倫理モジュールがある」と書いている。

このモジュールは、味方を害すること、詐欺をすること、不公平な扱いをすること、ボスに逆らう事、掃除ができていないこと、などの事項に反応し、それによって嫌悪感情を引き起こす。この嫌悪感情こそが、「悪」だと感じることだというわけだな。

個人的には、掃除ができてないことは生まれつき「悪」だと感じる、という話が好きだね。どんな原始的社会でも、掃き清められていない善の神殿などないわけだ。納得感があるよな。

 

この話のポイントは、脳が引き出しているのは、あくまでも嫌悪感情だということだ。

論理的判断などではない。

毒虫を見てキモッ、と思うのと同様、悪を見てキモッ、と思うのが社会動物たるヒトである

実際、論理的整合性が取れない場面でも、ヒトは感情にもとづいた行動をしたがる。著書には沢山の例が載っているが、例えば、キモイ悪を罰するために、自己利益や善の擁護を投げ捨てたりする。

 

あのな、ヒュームミルは、論理的合理的に善を語ろうとしたよ。その成果は偉大だが。

しかしそれは、「合理的に言って、どういう倫理を定めることが、最もメリットか」を語ったに過ぎないんだよ。法を制定するときには便利だが、しかしこれは、本当に「善」とか「倫理」の正体を、事実として語ったものなのか?

違うよな。それは理想であり空想なんだよ。

無知のヴェールなどこの世には存在しない。

善・倫理とは、理想なんかではなくて、ヒトという生物所与の性質気持ち、傾向である、と言ったほうがいい……かもしれないんだよ。少なくとも現実の反映を語るならそっちだよ。現実を反映したほうがいいかは所説あるが。たぶんヒトがサルだったときから論理的合理性を獲得する前から倫理存在したんだよ。

 

いまや古典となったミル議論の先が、現代において、どうなっているかしっているか

NHKスペシャルで有名になった倫理学者のサンデルは、ミルロールズ批判から出発して、いまではコミュニタリズムと呼ばれる立場を唱えている。

論理的合理的絶対善というのは、結局のところ、確定させられない、というのがサンデル結論だ。

から社会合意によって決まるのが、善であり倫理である、というのがサンデル意見だ。

俺も同意するね。論理で導き出される絶対善は無いんだよ。

だた、生物として同一種であるヒトの感情が、だいたい全体で似通っているため、全体の倫理方向性が一方向になっているように見えるだけなんだよ。倫理同一性、見かけの絶対性を支えているのは、脳がもたらす感情なのだ

殺しをスカッとするから善と思ったやつが居たらどうするか? それが多数にならなかったのが現実なんだから、それでいいんだよ。

 

そしてここで元増田に戻るが、たぶん子供に教えるときも、理屈なんかよりも、感情ベースのほうがいいんだよ。

そっちのほうが、倫理的な大人になるよ。

加湿の秘密を知る増田の朝あの出す丸紙を積み日の都志か(回文

おはようございます

今朝肌の調子が久しぶりになんか起きて顔洗ってモッチリしていて、

おお!ってなったわ。

もしかして夜の加湿って結構重要かも!って思う鴨鹿、

タイマー加湿器運用してるんだけど、

おはようおやすみタイマーを同時に仕掛けることができて

改めてタイマー家電のありがたさを思い知るのよ。

でもさ

これ2時間と6時間とでしか決まった時間カウントしかできなくて、

寝るちょうどいい2時間前にスタートして且つ起きる頃の6時間後にオンにさせるってわけなの。

細かく時間指定するためにはボタンやそれを表示させるための画面を作らなくちゃいけないので、

そういった手間を省いて簡素インターフェイス

それらのタイマーは昨日するの。

うーん、

なんかさ

夜もう眠たい時に、

これ今時間加湿器タイマー掛けて何時間後にオフになって何時間後にオンになるの?って計算できないのよ。

割り切れないわ!

でもこれ逆に計算しなくても押せばタイマーを仕掛けることができるので、

もはや問答無用方式というか。

その時に押したらもうそれで仕方ない方式と考えたら、

計算の手間なく押すだけ!って確かにそれは何も考えなくても良いわよね。

ある意味それは合理的押せばいいだけタイマー

水の量だけ気にしておけば、

原始的にお湯を沸かしての蒸気で保湿させるタイプのはやっぱり加湿パワーがあるわ!

気化式のあるじゃない加湿器

濡れたフィルターに風を当ててなんか加湿された風が出てくるようなやつ。

あれって加湿感あんまりなくない?

でも毎日お水は4リッター減ってるの!

謎だわ。

加湿感ゼロなのに加湿されてる感もあんまり感じないのに

でも水は減るのよ。

毎日毎日4リットル減っているということは確かにこの空間に広がっているのだと思うわ。

目に見えないと人間は信じないものなのよ

これじゃエブリリトルシングさんの信じ合える喜びをなんてどころの話じゃないわ!

そう思いながら私はエブリリトルシングさんの信じ合える喜びの曲がかかっているときに食べたいハンバーガーの紙の包みを開けてちょうどそれを持ったときに手が汚れないような開け方をしつつ片手にもちつつ壁にもたれながらアメリカ出身正義超人レスラーテリーマンの様に壁にもたれながら食べるのは

それはBLTバーガーなのよ!

この味だけは信じ合える喜び逆に言うとELTバーガーとも言える、

もはや概念の話ね。

電気ポットタイプ加湿器

デメリット電気代だけが高いってだけで、

目に見えて加湿感がわかるし加湿されてる感も分かるし、

私が唯一信じてやまない加湿器なわけなの。

あとほぼメンテナンスフリーだしね!

常に沸騰したお湯が内部で沸いているから雑菌の繁殖余地がないのよ。

それも楽チンな仕組み!

気化式の濡らしたフィルターに風を当てて加湿するタイプ

もう加湿器の中ドロドロよ!

定期的に洗わないと沼ってるわ!

あれ気になるのよね、

汚れたままの内部を通した風邪が撒き散らされていると思うと!

なので、

事務所の使っているデカ加湿器はたまに洗ってるのよ!

もうさ、

何が大変買って行ったら

川にまで出向いて洗いに行かないといけないぐらいそれなんて桃太郎の婆さま?ってぐらい

フィルターデカくて

これ外して洗ってまた装着するときデカプラスチックの筒みたいなのがあるんだけど、

濡れたフィルターは湿っていて滑りが悪い上に

そのプラスチックの土台になかなかハマらないのよね!

もうなんど諦めて窓から投げ捨てようとしたのかしら?

その都度私はエブリリトルシングさんの信じ合える喜びの歌を思い出すの。

12月に歌い納めしたい歌は第九だけど。

私はそのエブリリトルシングさんの信じ合える喜びの歌

負けそうなとき

フィルターが土台に装着できないとき

なにが必要かって信じる心だと思うの。

意地を張ればなおさら

私はフィルターと向き合ってその装着する土台に装着しずらいとき

一度気を落ち着かせて

コーヒーの一杯でも飲みながらかつ一服してから装着するの。

そうしたらなぜか美味くフィルターと土台とが上手く装着することができて、

ペキカンなの!

もうこのデカ加湿器洗うの大変なのよ。

でも信じてあげたら叶うってことを証明できて私は大満足!

そのエブリリトルシングさんの信じ合える喜びの歌を聞いているとどうしても字面で食べたくなるBLTバーガーなのよね。

すっかり加湿器のお掃除していたらお腹が空いちゃったわ!

お得意のBLTバーガーでも食べてこようかしら?

そう思って私は街に飛び出したけれど、

そう言う時に限って

BLTバーガー名物のお店は定休日

なんたるちゃー!よね。

グラコロでも買って食べるわ!

さすがにグラコロ食べる時の歌はグラコログラコロよね。

ブラディオブラダじゃない方グラコログラコロよ。

間違えないように。

私はそのオブラディオブラダバーガー、

あ!早速間違っちゃった!

ブラディオブラダバーガーじゃなくってグラコロよ。

それを食べてご機嫌で

デカい大きな加湿器との格闘で勝利して勝利グラコロを得たわけ!

もちろん片手でグラコロを持ちながら壁にもたれながら食べるテリーマンスタイルで食べることは忘れていないわ。

一件落着ね!

掃除終わり!

私はそんなお仕事を終えて帰ってきて今日もほっと一息就寝時間

もちろん電気ポットタイプ加湿器タイマーを仕掛けておやすみするのよ。

おやすみするとき加湿器タイマーモードおやすみおはようモードでなんかややこしいけれど

これでバッチリ

でも今朝は、

かにターマーおやすみタイマーおはようタイマーを同時に設定していたのに、

加湿器朝オンになってなかったのよ!

たぶんご想像つくと思うんだけど

電気ポットの形式電源ケーブルって、

つまずいて電気ポットをひっくり返さないようにすぐ抜けるパターンの仕組みになってるじゃない、

それ!それなのよ!

ちょっと寝る前にちょっと加湿器場所を動かしたら

その弾みで電源ケーブルが抜けちゃって外れちゃってて

朝オンになってなかったのよ!

そう言うこともあるわね、

さすがにそう言う時は

信じ合える喜びとは言えないわね。

でも今日のやけに朝の顔面の保湿が効いてたな!って思ったのは

それはきっと化粧水パワーかも知れないわって思うの。

もうもはや加湿器関係ないじゃん!みたいな。

まあ顔を洗ったときになんか肌調子いかも!って思って上がったからいいわよね。

蒸気じゃなくて私の気分が!

あれ?私の心潤ってる!?

なんてね。

うふふ。


今日朝ご飯

おにぎりしました。

ほぐし鮭が入っている一般的な鮭おにぎりね。

ワカメおにぎりも好きよ

こちらはワカメとほぐし鮭をご飯に混ぜ込んであるタイプので

鮭って言ってもこのバリエーションがあるんだから

たぶん鮭の具が好きな人には困っちゃうわよね。

どちらを選ぶか。

今日はこの中に鮭の具が入っているタイプの鮭おにぎりね。

デトックスウォーター

ホッツ白湯ウォーラーイン輪切りレモン

今回は生レモンつーか

レモン1玉買ってきたので

皮を剥いてスライスして

お湯投入で出来上がっちゃうタイプ簡単ホッツ白湯レモンウォーラーってところかしら。

微かなレモンの香味が香るわ。

朝の身体の中から温める温活ね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

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