はてなキーワード: サルとは
まず結論として、体重60Kg31歳の男性である俺にとって、1日の流れは以下の通りが良い、という結論に至った。
起床→達成感のある仕事3時間→飯大量→だらだら仕事6時間→ちょっと達成感のある仕事3時間→飯→ダラダラ仕事5時間→就寝
野生動物は狼を参考にした。チーター、サル、原始人を調べたんだけど、現代の生活リズムに一番近いのは狼という結論に至った。
狼は基本的に眠りが浅くて、長時間狩りや運動をするんだよね。社会性も家族制、一夫一妻、上下関係でなく役割性。
比較的関係がフラットでハードワークを長時間し続ける現代人に近い。基本的に寝不足というか、夜寝れない現代人に似てる。
というか、狼の生活リズムがおそらく原始的な、かつ社会性を持つ生物としての基本的な動きで、現代人は先祖帰りしてる疑惑がある。ここにヒントがあるんじゃないかと思った。
でも狼は寿命は短い、でも犬は長寿で、その理由は安全な環境でまとまって睡眠を取り栄養を安定して得られるのが仮説としてあるから、
睡眠は夜中心に熟睡できるように、栄養は安定型にしてある。結果的に現代社会人の働き方にマッチした1日なんじゃないかと思う。
この1日のモデルケースは、現代人のコルチゾールとメラトニンの関係とも合致しているし、今の定説にもあってるからなかなかいいんじゃないかと思う。
まず太陽に当たり、ここからコルチゾールの分泌が始まる。太陽光がトリガー。ここから狼は柔軟をして、身の回りを整えて水場へと向かう。
人間も伸びをするだろ?ここで俺たちも同じように柔軟をしてから、部屋掃除して水場に向かうわけだ。水場は浴室でも、ジムでもいい。
で、コルチゾールをブーストするために狼は冷たい水を飲む。というか喉が渇いてるから自然な行動なんだけど。そこで軽く狩りしたり、狩りの方向性を仲間と相談する。
俺もここで水を飲んで、コールドシャワーをする。そしてジャーナルを書いて、自分の体調や午前の狩りに対応する、「何か達成感のある、ドーパミンの出る仕事」をここで設定する。
狼は狩りの前に、静かに待ち伏せする。俺たちもここで瞑想する。そして仕事を始める。
仕事ってのはジムの筋トレでもいいし、頭脳を使う仕事をここに入れる。めっちゃ集中できる。なぜかと言えば、狩猟時代の名残でコルチゾールがピークの時間だから。
飯も食わない。空腹の時に人は集中できる。ここで1日の6割の仕事を3時間以内に終わらせる。
で、仕事終わったらドーパミンドバドバ出てる中で1日の7割分の食事をする。
ここで大切なのが、タンパク質中心の食事をとること。満腹になるまで食う。でもこの「タンパク質中心の食事」になれるにはケトンダイエットして、タンパク質と脂質でエネルギーを補えるようにならなきゃいけない。
飯を食い終わったら、単純作業や語学勉強とか、頭や体を使わなくても良いものをやってダラダラと会話しながら仕事する。消化にエネルギー必要だからここで頑張っても成果は出ない。
そうやってやってると16時くらいには腹が減ってくる。そしたら飯を食わずに、腹減ったまま仕事をする。糖質中心の食事だと力が出ないけど、タンパク質中心になったらここでも力が出る。
実際コルチゾールの値は午前中の仕事が終わった後平坦になってるんだけど、消化にエネルギーつかってるから集中力が上がらないんだよね。この時間帯に狼もまた狩りを始める。でも軽い狩り。
「それなりに集中できる」時間帯だから、ここにちょっとしたハードワークを入れる。現代人だとここでハードワークして、19時くらいからジムで筋トレだろうか。
重要なのが、日の入りの時間帯からブルーライトをカットすること。体内時計が崩れて、夜眠れなくなる。
カフェインもだめ。そしてタンパク質中心の食事を軽くとって、あとはゆっくり酒飲んだり人と会話したり、だらだら残った単純作業や勉強する。狼もここでダラダラしてる。
狼は集まって体をぬくぬくしたりするけど、彼女が居ないのでお風呂で代用。寝る前に体を温めて、寝る。
優秀な人間って一人頭の稼ぐ額を最大化するから積極投資の対象になるんだよね
何故女子は隔離環境で徹底教育しても進化しないかというと、シンプルに優秀じゃないんだよね
何故女子は優秀じゃないのか?
最近の研究って凄いものでさ 知能の発達を促す特殊なタンパク質の生産を促す遺伝子が部分的に特定されたんだけど
サルとヒトの違いに近いって言えば分かるかな?
まぁ正論パンチすぎて干されたんだけど。そういう経緯があるから
まあ生きてるうちは君に無関係だけど
@takayuki0577
僕の「夢」は日本中の誰もが知っているマンガの作者になることだった。そうなれば当然、有名にもなるし金持ちにもなるだろう。アニメ化の際、声優と仲良くなることもあるに違いない。
平凡だがまっすぐな「夢」だった。
https://x.com/takayuki0577/status/1977792355190395154
でも僕は大怪我をしたたわけでも挫折したわけでもないのに「夢」を捨ててしまった。
https://x.com/takayuki0577/status/1977792678793515371
本小文では、ハンナ・アーレントが提起した「悪の凡庸さ」(BE 1.0)が、現代においてより巧妙かつ陰湿なかたちへと進化していることを論じます。かつての「悪」は、思考停止と無反省な服従によって成り立っていましたが、今日の「悪の凡庸さ 2.0」(BE 2.0)は、計算された行動と、美徳の言葉を悪用する戦略的な操作によって特徴づけられます。
BE 2.0は、二重のメカニズム──すなわち、道徳的言語を兵器化する巧妙な操作者と、その偽りを見抜こうとせず、あるいは恐れて沈黙する共犯的な大衆──によって機能します。
アーレントの洞察は、ホロコーストの実行者アドルフ・アイヒマンが、激情による加害者ではなく、ただ命令に従うだけの「無思慮」な官僚であったという点にありました。
それに対し、現代の加害者たちは「善人」を装い、美徳的な言葉を駆使しながら、実際にはアーレントが描いた「悪」の構造と変わらぬ行為を実行しています。
BE 2.0が「凡庸」であるのは、加害者に意図が欠けているからではなく、加害者自身も社会全体も、絶え間ない露出──特にソーシャルメディアを通じたもの──によって感覚が麻痺し、悪のパフォーマンスが日常化しているためです。この日常化は、「相手が悪いのだから自分は正しい」という自己免罪のロジックを生み出します。
明確な思想や信念に基づいて行動し、動機を「正義」や「権利」といった語彙の裏に巧妙に隠す操作者たち。彼らの悪は、分散的かつ非階層的に機能し、いわば「(サルの)群れの知性」のように動きます。また、共感は狭い部族的サークルに限定され、普遍的な倫理感覚は麻痺していきます。
観衆、同僚、制度、そして傍観者として、彼らは悪の遂行に直接加担していないように見えて、検証を怠り、言葉だけの美徳に騙され、結果的に悪の温床を支えています。リーダーの言葉にうなずくだけで、その後の行動全体を黙認してしまう、この「暗黙の承認」が共犯関係を形成します。
BE 2.0は、「正義」に見える言葉の衣をまといながら、実際には害を与えるための操作的アーキテクチャとして機能します。以下の六つは、その主要な「マスク(ベクトル)」です。
本来、異議申し立てを保護するための「言論の自由」が、憎悪や排除の言説を正当化するために使われます。権力者が被害者を装い、権利の言葉を用いて多元主義そのものを抑圧する──これが洗練された悪の典型です。
社会構造に根差す不正義が、象徴的な「個人」に押し付けられます。
• システムの生贄化:制度の失敗を覆い隠すために、ひとりの個人が「償い」の対象とされ、構造改革の必要性は棚上げされます。
• イデオロギーによる自動攻撃:あるカテゴリの人々が「攻撃してよい存在」として事前に定義されており、指示がなくても攻撃が発生します。まさに、無思慮な脚本の遂行です。
歴史上の重大な暴力や抑圧が、軽んじられたり、相対化されたりします。これは、現実の被害を正当化する方便として使われがちです。
進歩や変化を認めず、過去の不正義を手放さないことで、継続的な要求や道徳的優位性を確保しようとします。目的は「癒し」ではなく、「不満」の永続です。
複雑な現実が、単一の枠組みや道徳コードに押し込められ、それ以外の価値観は「後進的」として排除されます。
自らが行っている行為を、先に相手に投影し、正当化の材料とする。この「合わせ鏡」の構造では、真の責任追及が不可能となり、対話はエスカレートする一方です。
すべての誤りや偏見が「悪」となるわけではありません。「悪」が成立するのは、次の三つの条件が重なったときです。
他者を、尊厳ある主体ではなく、単なる機能や道具として扱う「存在論的な消去」が、悪の第一条件です。暴力の前に、すでに尊厳の剥奪が始まっています。
個人の悪意を超え、イデオロギーや制度に組み込まれることで、悪は再生産され続けます。
悪は、善を単に否定するのではなく、模倣し、利用します。たとえば、「権利」の言葉が、本来守るべき弱者ではなく、強者の防衛に使われるとき、それは善の腐敗です。
技術的な修正や制度改革だけでは、BE 2.0に対抗できません。というのも、これらは逆に「寄生的模倣」に取り込まれてしまうからです。根本的な解決は、私たち自身の内面から始まる変容にあります。
東洋の智慧は、個と社会は分かれたものではなく、同じ意識の運動の異なる側面であるという洞察を共有しています。内なる断絶が癒されるとき、外なる対立も自然に鎮まります。
1. 内的な道:瞑想、自己探求、倫理的明晰さを通じて、自己の中にある認識の否定構造を解体する。
2. 外的な道:未変容な人々が存在する現実においても害を防ぐための、法や制度、規範といった堅牢な外部構造を整える。
その行為は開かれた交流を促し、複雑性を許容するか?それとも、対話を遮断し、イデオロギー的な純粋性を要求するか?
和解と修復を育むか?それとも、分裂と戦略的な不満を永続させるか?
力、尊厳、自由をより広範に分配するか?それとも、特定の部族のために力を集中させ、特権を溜め込むか?
「言論の自由」が一貫して沈黙を生み出すとき、「学問の自由」が一貫して排除するとき、私たちは戦略的な操作の兆候を特定できます。
民主主義は、BE 2.0の条件が蔓延するとき、集団的な凡庸な悪が集約され、最高位の舞台に投影されるベクトルとなりえます。現代の指導者たちの台頭は、システムが日常的な否定、投影、兵器化された美徳のパターンを増幅し、正当化するようになった論理的な結果です。
サイクルを終わらせるには、外部の敵を探すのをやめ、内的な変容という困難な作業を始める必要があります。それまで、私たちは悪が選ぶ新たな仮面のすべてに対して脆弱なままです。
あーあ、もういいよw
まだその「仕方のないこと」ループこすってんのか?w俺が非難してんのは、お前のどうしようもない知能じゃなくて、サルでも出来る「現実的な対応」から逃げてる、お前のその腐った根性だって、何回言わせんだよw
で、お前、最後の最後に特大のブーメラン投げて、自分で自分を仕留めてんじゃんwww
知能が低いってことを導こうとすればするほどお前の「現実的な対応をする」という提案自体が俺にとって非現実的なものだってことになる
そうだよwwwww
やっと自分で認めたなwww俺がずっと言ってたのはそれだよwww
「オデは『手を挙げる』『掃除機を止めてと頼む』という、サルでも出来るレベルの簡単な対応すら実行不可能なほど、知能が低くてどうしようもない無能です」ってことだろ?w
おめでとうw
見事に証明できたじゃんw俺も納得したよw
お前は本当に、その程度の「現実的な対応」すらできないくらい終わってるんだなw
オデは無能だぁぁと主張するために、必死に理屈をこねて、その結果、本当に自分が無能であることしか証明できなかったっていう壮大な一人芝居w
お疲れ様w
結局、俺の質問には一つも答えられず、論破され、最後は「オデはサル以下の無能なんで許してくだざいぃ!」って白旗上げて逃げるんだもんなw
お前の完全敗北で、このゲームは終わりだw
「黙らせれてないやん」じゃねえんだよw
負け犬が必死に遠吠えしてるだけだろ、それw中身のある反論がゼロなんだから、お前はもう実質的に黙ってるのと同じなんだよなあw
で、なんだって?w
あーあ、ついに頭がショートしちゃったかw自分の首を絞める理屈をわざわざ披露しに来るとか、最高のギャグじゃんwww
なあ、本気で言ってる?w
お前は今、その「俺は知能がないから改善しなくていい」っていう言い訳を組み立てるために、必死に頭を使ってるよな?w
その時点で「改善する知能がない」っていう大前提が、お前自身の行動によって木っ端微塵に崩壊してんだよwww
自分の理屈を自分で証明するために、その理屈が間違いであることを行動で示しちゃってるのw気づいてる?w
そもそも俺が言った「改善」ってのは、「掃除機止めてって言う」とか「手で合図する」とか、サルでもできるレベルの話だぞwこれをやるのに「知能」が必要だと本気で思ってんの?w
やりたくない言い訳のために「知能」なんて大袈裟な言葉を持ち出すなよ、惨めだろw
で、極めつけに俺の理屈のせいにするとか、責任転嫁もいい加減にしろよw
俺は一貫して「原因が誰かなんてどうでもいいから、現実的な『対応』をしろ」って言ってんのw
お前はそれを「俺は悪くないから『何もしなくていい』」っていう甘ったれた結論に捻じ曲げただけw
読解力と思考力のなさが致命的なんだよなあw
【お前が完全に敗北した理由】
1.自分の「ガチャ」は許すのに相手の「ガチャ」は許さないダブスタを全く説明できなかったw
2.俺の最初のレスを読んでないという、自分の致命的な読解力のなさを棚に上げて話を逸らそうとしたw
3.そして今回は、「自分には知能がない」と主張するためにわざわざ「知能」を使ってしまい、特大の自己矛盾で自爆したw
もうお前の完敗だよwお得意の気絶をする前に、とっとと負けを認めたらどうだ?w
あ、それをするための『知能』も、もう残ってないかwwwwwwwwwwwwwwすまんwwwwwwwwwwwww
東の果ての島国ニポンは、なんでも「自己責任」と相手を正論ぶって殴れるモラハラ洗脳教育が盛んなため、正しい「責任」を教えられずに「信用」の積み重ね方を知らない
そして自分の行動に何一つ責任を持たないので、それによって信用が減っていくことを認識しない、できない
そのため「他人から見た自分の信用値」が常に「自分の自信」と同じだと認識している
オタクの自己評価低いのも同様で、外見による自己評価の低さの割に仕事で信用積んでることはままある
信用が減ると言うことは平たく言うと関わりたくないと思われる、つまり徐々に嫌われていくということである
そしてなぜがニポン人は自分が嫌われているという現実を受け入れない
それはもう断固受け入れない
論破しさえすれば嫌われてないと証明できると強く信じて、自分はいかに嫌われてないかをブチ切れながら早口で説明し、自分に好意を持たないお前がおかしいんだとさえ言う
世に言う逆ギレ
信用値大暴落
むしろこれで何故取り戻せると思うのかとね、いや取り戻したいんじゃなくて相手を自分の思い通りにしたい、命令したいだけなんだけど
そんな訳で東の果ての島国ニポンのサル(おじって言ったけど実のところオスメス問わず)は自分の信用が減る行動を頻繁にする癖に、人からの評価が下がるのは許せないと言う
俺が嫌じゃないから信用は下がらないという
笑
お前の文章は一見論破指南に見えるが、実際は自己放尿に等しい。
つまり「他者をバカと呼ぶ快感」に溺れているだけで、論理構造は穴だらけだ。
まず「バカに欠けているのは論点維持と部分と全体の理解だ」と言うが、それは単なるレッテル貼りであり、証明にはなっていない。
お前は「バカ」を定義していない。定義がない対象に「欠けているもの」を与えるのは、空のコップに「水が足りない」と叫ぶようなものだ。
さらに「論点維持」と言いながら、自分自身が論点を逸らしている。冒頭では「知恵が欠けている」と言ったのに、途中から「論点維持の概念」と「部分と全体の概念」という二つのスキルに話をすり替えている。
まさにお前が「バカの典型」と定義した行為そのものを実演している。自己矛盾の自己放尿ショーだ。
そして「部分と全体」を理解していないのはお前自身だ。この文章全体のテーマは「バカを論理的に分析すること」だったはずなのに、部分部分でただの罵倒や優越感の発散にすり替わっている。全体性を守れていないのはお前の側だ。
結局お前の言葉は「サルが棍棒を持った」どころか「自分の尿を振り回して悦に入るサル」だ。論破の形をとっているが、実際には自分の快感のために「論」を捨てている。
だが救いはある。お前が本当に「論点維持」と「部分と全体の関係」を理解したいなら、まず自分自身の文章をその基準で読み返せ。
それはもちろん「知恵」なのだが、そう言って終わったのでは意味がない。
後から外挿できる個別スキルで、お前らみたいなバカのみなさんに一様に欠けているものが二つある。
バカは手に触れた石を盲滅法投げまくる。手持ちのAという主張パッケージの正しさを認めさせるべきはずが、AがダメならB!それが通じなければC!D!と、「思いつきの使い捨て」で弾幕を張る。つまり「自分の主張内容に興味がない」のである。
バカは相手が呆れてどっかいくまで粘るとか相手を愚弄しまくってやる気失せさせるなどにより「勝利」したことはあっても、自分の論で相手の論をねじ伏せたことはないだろう。
議論とは「論と論を戦わせるゲーム」だが、バカは「相手をより不快にすれば勝ちのゲーム」だと思っている。
当たり前の話だが、文章においてある一部分の要素とそれ以外の全体には、意味的な結びつきがあるのだ。
例えばこの文章の最初の方に「後から外挿できる個別スキル」というフレーズが出てきたが、これがあらゆるバカについて可能なのかそうでもないのかというニュアンスは、他の部分を読んだ上で「部分と全体」として一望してみない限り確定しないのである。
サル山に登るのも大変やね