はてなキーワード: 欲求とは
古くは子どもがオーバーサイズな下駄をハイてるときのカランコロンもそうだし
現代の子供靴の踏みしめるたびピーピー鳴るやつとも類似性がある
足音を立てることは幼児性、つまり被愛玩欲求の表れなのではないか?(名推理)
ちなみに愛玩の反対は支配
死に別れた恋人たちが転生して巡り合う物語のように見せかけて、実は女の方は確かに前世の女の生まれ変わりだが、男の方は別人(前世男の飼ってた犬)だと衝撃の事実がアクエリオンEVOLにて判明する糞アニメ
男の方は女よりも早いサイクルで転生を繰り返したため、もう女に対して保護者意識のようなものが芽生え「前世の悲恋をやり直したい」という欲求がなくなり、女への思慕を断ち切れぬ犬にその座を譲っていた
イケメン二人が時に反発しつつも協力しあいお姫様を守り奪い合う三角関係もののように見せかけて、お姫様がいきなり出てきたおっさんに寝取られて結婚してしまう糞アニメ
闇落ちしてた銀髪イケメンは姫のNTR結婚にショックを受け降伏し投獄され、黒髪イケメンは監獄へ通っては銀髪を見舞うようになり、「投獄された男と見守る男萌え」という監督のBL嗜癖から生まれた物語だと最終回後に明かされる
anond:20241209190903 の表題が混乱を招いたので解説
元増田表題は後述するように広義の山梨県下は富士五湖周辺などで観光経験があること、および甲府市内限定で巡ったわけでもないことから、
山梨県の中心部の(山エリアではない)市内観光という意味合いを手抜き的にまとめた結果
諸般の事情でブチっとなって中央線に飛び乗ってから泊まれる安宿を検索した
ブチっと泊ったはいいがどうしたものかと考えあぐねた末、上記スーパー銭湯での欲求の不充足を埋めるべく
ゆるキャンの地に行くことにした
電車で最寄り駅まで移動したあと黙々と歩いて到着
一人で浸かって、なんか色々と落ちるものが落ちた
終始、見晴らしがいい上に一度登ってしまえばひたすら下るだけなので
展望台のレストランはカロリー消費後なこともあり、とても美味しい
上記1回目は山梨を全く意識しておらず、観光目的でもないためノーカン
この公園なら高低差があるため紅葉が見れる帯域があるのではと川口湖畔から強行
結果は外れ
当初は箱根で紅葉狩り予定だったものがズルズルと足を伸ばしたものなため
笛吹川フルーツ公園に対する家族の印象が良くないものに終わったことに懸念を抱き
長野旅行に行く途中でほったらかし温泉の来迎を組み込んでのイメージアップ作戦を図る
そこそこ成功
長野旅行の立ち寄りという体裁のため山梨観光という認識がなくノーカン
観光目的で立ち寄ったという認識からことごとく外れているという結果だった
今後軌道修正を図っていきたい
(追記)
みんな構ってくれてありがとう。夫は今夜も飲みに行ってる。
・子供はすぐに作ろうと思ってたけど、私が内臓の病気をしてしまって治療→結婚式→夫の異動で、うやむやになってしまった。結婚直前はこの人と子育てできたらいいなと思っていたけど、今は子供はいらない。少なくとも夫の子供は産めない。
・セックスはしなかったけど一年半くらい付き合ってから入籍した。利害だけではなく、本当にパートナーになりたかった。
・結婚前に婚外恋愛はないとお互い話していた。特に夫の方が倫理的にあり得ないというスタンスだった。
私も夫も、性的欲求が薄くセックスはおろか接触そのものが苦手だったので、無理やり恋人を作っても自然消滅みたいなことを繰り返していた人生だった。お互いこんな長期でパートナーシップを結んだ相手はいないから、倦怠期と言えば倦怠期なのかも。
鉄は熱いうちに打てじゃないけど、可能なら結婚後即子供を作った方が夫婦関係は長続きするのかもなあ、と実感している。
前提として、私はアセクシャル(他人に性的欲求を持たない)女である。恋愛感情は持つが相手にムラムラしない。若いうちは恋人を作って無理してセックスもしていたが、だんだん億劫になって適当な理由をつけて恋人を作らなかった。
しかし、35の声を聞き、もしも子供を持つならラストチャンス、と思い、友情結婚を目的としたマッチングアプリで今の夫と知り合った。
夫は同じくアセクシャルで、どちらかといえばゲイ寄りとのことだった。私たちは結婚して、共働きをしながら家事も分担し、適切なタイミングで人工授精などを試みて子供を持つことを決め、結婚した。
最初の1年目は、私たちは仲が良かった。結婚式の準備、新居の準備など、やることは山ほどあったし、家事の分担もしっかりできていた。料理好きの夫は、わざわざパンやケーキまで焼いてくれた。私は結婚したことを嬉しく思っていた。
2年目になると、なんとなく夫のテンションが下がってきた。料理が簡単なものになり、趣味だと豪語していたパンやお菓子を作らなくなった。以前は定時で帰ってきて土日も家にいたのに、不在が増えた。夫曰く、部署異動により飲み会が増えた、資格の勉強のために土日はカフェなどにいるとのことだった。家事分担がやや私に偏り始めたが、私も一人暮らしが長かったし、そこまで気にはしていなかった。
3年目が近づいた頃、夫が無断の外泊や、突然の旅行の予定が増えた。私も友人と旅行に行ったりするのであまり気にしていなかったが、結婚記念日前後やクリスマスも出かけたり旅行の予定を入れたりするので、さすがに抗議した。夫は、自分たちは別に恋愛結婚じゃないんだし、イベントにこだわらなくてもいいのでは?と返してきた。それはそうなんだけど、もモヤモヤした。
そして先週末、夫が出張中だったので、夫の仕事部屋の換気をしようと思い部屋に入ると、床に病院の領収書を見つけた。風邪でも引いてるのかな、と机に戻してやろうとしたところ、性病検査の領収書だった。当たり前だが我が家は結婚前から現在に至るまでセックスレスである。だというのに性病の検査をしているということは、外でセックスしているということだろう。
どうせ子供を作るための契約結婚みたいなもので、恋愛感情はないとはいえ、家族としての情とか、信頼とか、そういうものは結婚する以上欲しかった。しかし、夫といえば外に恋人(もしかすると不特定多数の相手かも)と奔放な性生活を持ち、家には帰らず、私とのコミュニケーションも取らない。そんな状態で子供を持つなど無理だし、夫がたまに「もし子供がいたら」「家を買うなら」みたいな話をするだけでこいつ正気か?とおもってしまう。
今すぐ離婚してしまいたい気持ちもあるが、離婚は体力も時間も使うであろうことは想像に難くないので、ちょっと躊躇っている。ただ、子供や家について夫が何かアクションしてきた時か、夫が浮気相手を家に連れ込んだ時がトリガーになるだろうな、と他人事のように考えている。
もうすぐ22歳になる。
私は中坊の時からTwitterをしている最悪のクソガキなのだが、痛いオタクが叩かれてる光景を見かける度に(こうはなるまい)と事の顛末まで見届ける癖がついてしまっている。
なんかよくわかんないけど炎上してる時もそう。
なんなら最近は某同人女専用悪口掲示板みたいな所に張り付いて、(こうはなるまい)の為の知見を読み漁る日々。
実際にそれを生かして同人女をやっているつもりが、それでも痛いオタクBBAという未来が迫ってくる。
どうしよう。あんなになりたくなかったものに今メキメキと変化しつつある!
身内ノリ、楽しい。オタク女しか好まない個性的なファッション、好きだ。自分語りしたい。ニチャニチャしていたい。内輪でよちよちされるのうれしい。キモイ言動をしたい。ドヤ顔したい。村のルールがめんどくさい。自我アカウントと作品宣伝用アカウントを分けたら最後、自我アカウントはどんどん痛くなっていくばかり。
抑え込もうとすればするほど、人のそれが気になってくる。私より年上で社会経験も地位もあってそれ言っちゃう?自分語り多すぎない?それは痛くない?キラキラアピール乙です!そのチラッチラッ感なんとかなんない?ちょっとその絡まれ方しんどいかも。アラサー過ぎててはわわ……///とかヤバくない?
人も自分も痛くある事を許せないのに、痛くなりたい欲求は止まらない。同年代でSNSを上手くやれている人は、だいたいリアルが充実している。そして上手くインターネットと距離を置いている。私のリアルはカスだ。友達も恋人もいないしちゃんとした仕事をしていない。たぶん改善する希望もない。
もはや「痛いオタクBBAになる」ことは不可避なのかもしれない。今から入れる保険ありますか?
文体が年齢にそぐわないのは自覚している。反応みてやっぱりか!文章が老けてるのか!と震えた。数年前までは本当にオタク女のお姉さん達が純粋に楽しそうに見えて、そのコミュニティに属するためにそれを目指していたのに。
SNSの仕組みや時代の変化によって、痛くない同世代や痛さを叩く人を見かけ始めて、このままじゃ自分も叩かれる!と思って危機感を抱いた次第です。
書いてある通り読めないのはなんでなん?(2回目)
個性の範疇に無いとはどういう意味ですか?
↓
「個性の範疇に無い」とは、ある特定の個性や特徴に含まれない、という意味です。「範疇」という言葉は、同じ性質のものが含まれる範囲や部類を指します¹。したがって、「個性の範疇に無い」とは、その個性や特徴のカテゴリーに入らない、ということを表しています。
例えば、「彼の行動は私の理解の範疇に無い」と言う場合、その行動が自分の理解できる範囲を超えている、という意味になります²。
他に質問があれば、どうぞお聞きください!
↓
「個性の範疇にない」という表現はAIにとって理解が難しいですか? Aが極端過ぎることに驚いています <文脈> A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる たぶん、個性の範疇に無い
↓
「個性の範疇にない」という表現は、AIにとっても理解可能です。この場合、BはAの極端な無頓着さが一般的な個性の範囲外であると感じていることを示しています。つまり、Aの行動や態度が通常の人々の行動パターンや価値観から大きく外れていると考えているのです。
Aの極端な態度に驚くのは自然な反応です。Aが他人に対して無関心であった理由や、その変化のきっかけについてもっと知りたいと感じるのも理解できます。
この文脈での「個性の範疇にない」は、Aの行動が一般的な人々の行動や価値観の範囲外であることを強調しています。
他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。
↓
人全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。 - 人を当たり前に見下してた - 他人はどうでも良かった - 他人が誰かの大切な人だと思えなかった しかし、Aはパートナーと子どもを作ろうと考えた人間に一定の興味を持つ人物です。 それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的な個性ですか? また、Aがここまで他人に無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか? 通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います
↓
Aの行動や態度についての疑問は、共感性や人間関係に対する無頓着さに関する心理学的な視点から考えると理解しやすいかもしれません。
まず、Aが他人に対して無関心であった理由として、共感性の欠如が考えられます。共感性の欠如は、発達障害や自己愛性人格障害などの心理的要因によって引き起こされることがあります¹²。これらの状態では、他人の感情や立場を理解する能力が低下し、自分の欲求や感情を優先する傾向があります。
Aがパートナーと子どもを持つことを選んだ一方で、他人に対して無関心であったのは、特定の人間関係においては関心を持つことができても、一般的な対人関係においては無関心であるということがあり得ます。これは、自己中心的な行動パターンや、特定の状況下でのみ共感性が発揮される場合があるためです²。
また、Aが自分の無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか、無視されていた可能性があります³。
Aの行動が極端に見えるのは、一般的な社会的規範や期待から大きく外れているためです。しかし、これは必ずしも病的なものではなく、個人の経験や環境によって形成された行動パターンであることもあります。
もしAの行動や態度についてさらに深く理解したい場合、心理カウンセリングや専門家の意見を求めることが有効です。これにより、Aの行動の背景や原因をより明確にすることができるでしょう。
他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。
¹: [共感性の欠如についての解説](https://www.touch-wood.jp/understanding-empathy-lack/)
²: [自己愛性人格障害と共感性の欠如](https://psy.selfe-study.space/empathy-lack/)
³: [人間関係における心理学的視点](https://liberary.kddi.com/liberalarts/relationships/)
(1) 人の気持ちに寄り添えない病気とは?大人の共感性欠如を徹底 ....
(2) 共感力の欠如とは?自己愛性人格障害の特徴|自己防衛心理学.
(3) 共感性が欠如する「大人の発達障害」の特徴と対処方法 ....
(4) 人間関係とは?心理学的観点からみる定義と良好な関係を築く ....
「個性の範疇にない」という表現はAIにとって理解が難しいですか? Aが極端過ぎることに驚いています <文脈> A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる たぶん、個性の範疇に無い
↓
「個性の範疇にない」という表現は、AIにとって十分に理解可能です。ただし、その理解は文脈によります。
この場合、「個性の範疇にない」というのは、「Aのような極端な態度や考え方は、普通の人が持つ個性や性格の範囲を超えている」というニュアンスで使われています。つまり、Aの考え方や行動が、一般的に想像される「個性」の幅を逸脱している、という意味です。
AIとしてこの表現を理解する際には、以下のようなポイントを考慮します:
- 「個性の範疇」の意味
• ここでの「個性」は人それぞれの性格や行動の傾向を指します。
• 「範疇」は、その枠組みや許容される範囲を指します。- ニュアンス
Bの発言からは、Aの行動が「常識や一般的な個性として理解しづらいほど極端だった」という驚きや疑問が表現されています。
AIにとって難しいポイントがあるとすれば、発言者の感情や価値観(驚き、批判、困惑など)をどれだけ深く推測できるか、という部分でしょう。しかし、基本的な意味や文脈は問題なく解釈可能です。
↓
人全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。 - 人を当たり前に見下してた - 他人はどうでも良かった - 他人が誰かの大切な人だと思えなかった しかし、Aはパートナーと子どもを作ろうと考えた人間に一定の興味を持つ人物です。 それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的な個性ですか? また、Aがここまで他人に無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか? 通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います
↓
Aの言動や考え方については、いくつかの観点で理解できますが、その一部は確かに異常または極端に見えるかもしれません。
Aの考え方の極端さについて
- 「人を当たり前に見下してた」「他人はどうでも良かった」 という部分については、全く興味がない人物が取る態度として理解できます。社会的な共感や他者に対する思いやりが欠けている状態は、自己中心的な性格や共感性が欠如していることを示唆します。こうした態度はある意味で一般的な個性の範疇にあるかもしれませんが、極端に見えるのは確かです。
- 「他人が誰かの大切な人だと思えなかった」 という発言も、冷淡で他者に無関心な性格を示しています。この部分も個性の範疇であるとはいえ、他人を「大切な人」として認識できないことは、一般的には不自然に感じられるかもしれません。特に他人に関心がない人物でも、家族や親しい人に対する愛情や共感は存在するのが普通だからです。
Aが子どもを持とうと考えた理由
Aが「子どもが生まれるまでは他人が誰かの大切な人だと思えなかった」と言っている背景には、子どもを育てるという経験が他者に対する感覚を変化させた可能性があります。子どもを持つことによって「他者の存在」や「他者の感情」に対する理解が深まることはあります。特に、親になることで、他人が自分と同じように他者にとって「大切な存在」であることを実感することは、共感の感覚を変化させる要因となる場合が多いです。この部分がAの変化を説明しているのかもしれません。
しかし、それまで他人の重要性を認識しなかったことは、確かに極端に感じられる点ではあります。一般的には、子どもが生まれる前にも多少は他者の重要性を認識することが多いので、Aの過去の態度は特異なケースだと言えるでしょう。
なぜAはここまで無頓着でいられたのか?
Aがここまで無頓着だった理由については、いくつかの可能性が考えられます。
- 自己中心的な性格や価値観
Aは非常に自己中心的な性格や価値観を持っていたか、過去に他人との深い関わりを避けてきた可能性があります。自己中心的な人は、他人の感情や存在に無頓着であることが多く、自分の生活に他人の影響を最小限にしたいと考えがちです。- 過去の経験や環境
Aが過去に他人と深く関わる経験がなかった、または社会的なスキルや共感を養う機会がなかった可能性もあります。例えば、孤独だったり、家庭環境が共感を学びにくいものであったりすると、他人への無関心が続くことがあります。- 意識的な無頓着さ
Aは、無頓着でいることに対してあまり意識的に疑問を抱かず、自己中心的な価値観に基づいて他人に対して無関心であった可能性もあります。自分の考えや行動が極端だとは思わず、むしろそれが自然だと感じていたかもしれません。
共感性の問題と一般的な個性
Aが示している無関心さや他人への無頓着さは、一般的には共感性に欠けるという特徴を持っていると考えられます。人は通常、他人の感情や存在にある程度の共感を持ち、理解しようとします。Aがこの点で極端に無頓着だったことは、共感性の欠如や、他人との関わりを意識的に避けていたことが背景にあると思われます。従って、Aの行動が一般的な個性の範疇に収まるとは言い難く、むしろ特異な性格や心理的な背景があると言えるでしょう。
結論として、Aの過去の態度は極端かつ無頓着に見えますが、それがどのように変わり得たのか、またその理由について考察すると、心理的または環境的な要因が影響していることが考えられます。
功利主義という言葉がある。どんな主義かというと、「全人類の幸福を全て足し合わせた総量が最大になるように判断/行動していこう」という主義である。その主義を支持する人は一定数いる。
それに似た考えで、私は「全人類の労働の総量が最小になるように判断/行動していこう」という主義を持っている。驚いたことに、どんなに調べてもその主義には名前がついていないのだ。誰でも思いつきそうな考えなのに、誰も命名していないのだ(私の調べ方が悪かっただけかもしれないので、名前を知っている方がいたら教えて欲しい)。これを「怠け主義」と名付ける。
怠け主義を意識することがいかに重要か、例え話を通じて説明しよう。
例えば、小さな小さな島国があるとしよう。その島国には、労働力人口が100人いる。100人は、水汲み、漁、狩猟、農耕、調理、林業、埋葬、建築、製造、修理、流通、あらゆる「それがないと生きていけない労働」をこなしていて、おかげで生活が成り立っている。労働時間は一日あたり4時間程度。貨幣制度はあってもなくてもよい。
やがて、彼らは日々に退屈し、エンタメを欲する……音楽家、噺家、大道芸人が現れた。エンタメ需要は高まり、やがてエンタメだけで食っていける人が続出する。楽器職人、イベンター、広告代理、音楽教師も現れた。手の込んだ服の生産や、手の込んだ料理をする人も現れた。←なくても死にはしない職業という意味で、エンタメに含める。人々からのエンタメ需要はどんどん高まっていったために、職業も多様化した……気づくと労働力人口100人のうち、50人がエンタメに依存する職業になっていた。人々は、なぜか疲れを覚えていた。なぜかはわからないが、自分の労働量が倍に増えた気がするのだ。彼らは一日あたり8時間働いていた。
岡目八目である。神目線から見ると「そんなの、本来100人でやってたはずの ”死なないための労働” を、今は50人がやることになってるのだから、労働力は倍くらいになるだろう」と思うかもしれない。でも、島民目線から見ると、「エンタメのために金を払う行為が、自分の労働量を増やすことに繋がっている」というのは、気づかないのではないだろうか。その2つは一見繋がっていないように見える。
現実世界も、この例え話と同じである。娯楽を消費することが自分の労働時間を増やす事に繋がっているとは誰も思っていない。
そう思っているので、皆が「趣味で消費すること」を「経済が回る」と呼称し、ポジティブなイメージを付与しようとしていることには違和感がある。
よく「人々が○○を消費しなくなると、所得が減るし、働き口が減る」と言われるが、冷静に考えて、減った所得というのは減った支出に等しいのでメリットとデメリットが釣り合っているし、働き口が減ったなら、それまで毎日8時間かけてやっていた仕事を6時間にすれば働き口が33%増えるだろう。
趣味での消費なんてしなければしないほど労働時間が減って安らかな生活に近づくに決まっているじゃないか。←これが本記事のメインの主張である。
現代、労働時間が長すぎて精神や体を壊す人間がたくさん観測される。私の友人知人にもたくさんいる。贅沢している場合ではない。皆、消費をするのを(=この世に発生する労働を増やすのを)やめてくれ。
具体的にはどのように行動していけば労働総和を減らしていけるのか、それはこの記事への反応があったら詳しく追記したいけど、とりあえず一つだけ挙げておこうと思う。
・よく、課金に多額を費やす人は正気を疑われ、狂人かのように扱われる風潮がある。
例えば旅行に毎年40万使う人と課金に毎年40万使う人を比べると、一般的には後者の方が疎ましい人に思えるのかもしれないけど、怠け主義的に考えると前者の方が疎ましい人に思える。後者の方が、その趣味を消費することによって世の中に追加で発生する労働が少ないと思われるためである。
私の趣味は古い名作をデジタルで鑑賞することだ。過去の人が作った本や映画のデジタルコピーをしまくるだけで無限に未来の人類の欲求を満たせるなら、それが一番楽じゃないか。
>「若手がドンドン辞めてる!これはまずい!飲み会だ!BBQやろう!」
というツイート
この人の他のポスト見てても思うけど
みんな自分の欲求に合う嘘松を取り上げて、それが真実であるという前提で自論を展開してるだけ
例えば、自閉症のほかに重度の知的障害を伴う場合、強度行動障害があったりしたら、
施設には入れない、入れても不幸なことに繋がるかもしれないので、小さな頃から訓練するのが良識ある親なので
共感を持って、詳細に具体的に理解し、心を育てる
1.強度行動障害の理解
筆者は自閉症児の親であり小児科医でもある。息子の育児と教育は困難を極めたが、二次的、三次的な障害をできるだけつけないで育てることができた。自閉症児のパニック、問題行動、こだわり、コミュニケーション障害、学習の困難さなどは、認知機能の障害(悟りにくさ・理解しにくさ・判断力のなさ・要領の飲み込みの悪さ)による生半可な理解によって生じていると確信している。不適切なまちがった育児と教育の結果、諸問題は大人になるにつれて深刻化し、強度行動障害へと発展し、家庭生活や地域社会での生活を極めて困難にし、両親も本人も不幸になっていく予後。家族や支援者たちを悩ましている生活態度と問題行動には、強い欲求、拘束への抵抗、自由への要求、反抗、拒否、恐怖、混乱、怒り、失望、悔しさ、嫉妬、強い興味、愛されたい思い、望郷、プライド、淋しさなど、様々な感情・思い・心からの叫びが読み取れる。
2.トモニ療育センターの自閉症児の育児と教育、および強度行動障害への取り組み
適切な家庭療育が自閉症児を救う。母親が「知識ある愛をもって行き届いて」自閉症児を理解して適切に導いていく時、強度行動障害予備軍も好ましく育っている。
適切に向き合うためには、実態を把握のための個別セッション(検査と課題学習)は欠かせない。詳細な問診票によって過去と現在を知った上で、筆者自身が自閉症児を詳細に深く観察することからトモニの療育が始まる。トモニでは月3回の自閉症関係の勉強会と、ファクシミリやメールによる家庭生活記録やレポートから療育の状況を読みとり、問題行動やパニックなどにもきめ細かな指導をしている。個別課題学習を中心において、具体的に7つの項目に取り組んでいる。「失敗は成功の元」と励まし、指示に従ってやり遂げる力をつけ、self-esteem(自尊感情)を高め、幸せに生き抜く心を育てている。
具体的目標(できるだけの自立をめざして)
基礎学習と家庭科技術と職業技術の3種を同時進行で獲得させていく
コミュニケーション力をつける
読み書き計算の基礎学習と同時進行で家庭科技術(料理)を課題とし、同時に職業技術(ビーズ暖簾作り、ボールペンの組み立て、箱づくり、折り紙など)に取り組めば、幼児から青年まで長期にわたって一貫した指導が継続できる。
3.トモニの指導に沿った強度行動障害への対応事例
(1) 社会福祉法人みくに園での取り組み
家族や施設職員を対象に自閉症セミナーを毎月1回日曜日に定期的に1年間開催した。その後、毎月1回出かけ自閉症と行動障害を示す利用者ほぼ全員(26名)に個別セッション(テストと課題学習)を実施し、同時に参加者(支援員・看護師)に詳細に解説した。「本当はこんな人だったのか!」と感動的な理解の深まりがたびたびあり、利用者への見方が一変した。それまでの不適切な支援を反省した支援員の向き合い方には適切さが増した。一方で療育室を設け、定期的に療育専門のA支援員が課題学習やクロスステッチ刺繍やビーズ暖簾の大作に取り組んだ。言葉のない自閉症者の拠り所となり代弁者となって、self-esteemを高め、心の痛みを感じながら、対等に話し相手となり、孤独感を解消し、生活を満たしている。その中で、強度行動障害は短期日に見事に改善され、素直で純粋な活き活きとした幸せと信頼の表情を見せてくれ、愛しい存在となってきている。諦めていた家族もその変化を喜び、協力的になってきてはいるが、帰宅するたびに状態像は悪化している場合が多い。
4.まとめ
大人になっている自閉症や強度行動障害の人たちの行動改善は可能である。
そのためには施設職員全体のレベルアップ、すなわち、自閉症や問題行動への理解と信頼関係の深まりが必要である。支援員と利用者の間に信頼関係が育ち、人間らしい生活が少しずつできるようになってきても、施設職員の警戒心や恐怖心は消え去ってはいない。行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服薬させられ、その上に自分の意思で開けることのできない居室に隔離されている。行動障害が軽減されたとしても、皆無になったとは言えない。支援員不足によって、やむを得ず夜間には鍵を掛けられているが、果たして支援者を信頼することができるのだろうか。障害福祉施設での身体拘束状態は、夜間の支援員の増員によって、解決できる問題である。
支援員の質の向上の機会と待遇改善と支援員の増員を心から切望する。
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/jiritsu-report-DB/db/20/134/report/report08.html
anond:20241208104126 anond:20241208170711 anond:20241208171227
けどさ、やってるやついるじゃん?
俺、悔しいよ!
父さん、俺、悔しいよ!
なんで複垢でセルクマしてる奴が新着エントリ、人気エントリに入っちゃうの?
俺、これ以上は我慢できないよ!
俺だって複垢、複垢さえあれば、みんなにブクマやトラバしてもらえて、自己承認欲求を満たせるのに!
ねえ、いいじゃん!
「父さんは1000ブクマを10回達成したレジェンドなんだぞ!」って昔から口癖のように言ってたじゃん!
父さんなんて、父さんなんて大嫌いだー!
うわわーーーん!!
ごめん…言いすぎたよ
父さんがズルしたっていっても、数ブクマだもんね
ごめんなさい
うん、俺も頑張るよ
父さんの跡を引き継いで、立派な増田になるよ!
複垢なしで!
もし取ったらさ…また、昔みたいに二人で増田で会話しようよ
引退なんて言わないでさ
父さんも、増田再開しようよ
約束だよ?
…いいの?ありがとう!
よし、頑張るぞ!
PCの前にしかおらんのやから清潔で爽やかな匂いに決まっとるやろ
具体的な作品挙げるとこういうマウントキッズが湧いてくるのはありがちやけどだからといって怯んで口をつぐんでしまうのは、愚か者のレベルに合わせる愚行やとおもうからよくないで
元増田も果敢にどんな反応も跳ね返す勢いで自分の好きを具体的に発表していったらええねん
そうやってオープンにしていくことでしか本当の理解ってのは得られんもんよ
ちなみに真面目に返すのも無意味やけど一応返しとくと、消費者に徹しとるのになんでワナビーと言われなあかんねん
それはともかく元増田への言及としての要旨は「ワイもアニメがつまらんくなったけどそれは今のアニメがつまらんわけでも自分がつまらなくなったわけでもなく趣味が変わった(ゲーム偏重になった)からやでワイの場合はな」というだけの他愛ないウザ絡みや
人生に疲れたというか負けたというか諦めてしまったので、あんまり高いものを買おうという欲求の底がかなりなくなってしまった。
なので、このインフレ下ではあるが1000円未満のものしか出さないし、3つくらいしか言わない。
憎悪に満ちたはてなにおいて、おそらく唯一と言っていいほど純粋に知ることができて良かった今年のマストバイアイテム的なもの。
今までは100均でド安いスポンジを使い捨てるのが最上と認識していて、目についた数百円のを買ってみても、結局ヘタって大差ないみたいな感覚があったがこいつだけは違った。
少なくとも今年の4月に買ってから今になってようやくちょっとヘタったかという印象を覚える程度までの物持ちの良さだったので、本当に知ることができたことを感謝している。
基本的にボールペンにこだわりはないけど、強いて言えばJETSTREAMとかはなんとなく使い心地がいいかな、なんて感じることはあった。
1000円単位くらいの庶民の消耗品のラインを超えた代物は自分には縁の遠い話だったので比較したことはないが、正直今までにない使い心地の良さで知れてよかったと思う。
大言壮語に違わず非常にブレにくく書き味がスムーズで心地よい。同じくはてなで見たFelxofficeとかいうボールペンみたいな、ちょっと力を入れる書き味も安定して嫌いじゃないのだけど、スムーズでありながら安定感を保っているというバランス感が価格帯のボールペンの中で頭一つ抜けている。
終わりです。
まずそれが分からない
性の商品化と同じでいいんですか?
あとは異性を惹きつけるための広告とか、サービスシーンか? *2
直接的にはポルノじゃないけどカッコいい男や可愛い女の子を広告に使うのは男性性、女性性を利用して顧客を誘引してるよね
最近のドラマで「あのクズを殴ってやりたいんだ」ってのがあって唐突に男のシャワーシーンが出てきたけどああいうのも性的消費?
イケメンとか女優出すだけで性的消費だと大分意味合い変わってきそうだけど、原則的には性的消費?
これが一番性的消費って感じがする。
で、何が悪いんだっけ?
いや昔ながらの倫理観で「はしたない!」「不潔!」「性は神聖なものであって商品化されるべきではない」「公序良俗に反する」とかなら分かるよ
金払ってねえんだから
金払えよって話
でも買ってんならいいんじゃないの?
女も男を性的消費してんじゃん、とかはさ
いや、それを悪いとする価値観はもちろん昔ながらのアレであるんですけど
男女平等という観点からは性的消費そのものを悪とすることにはつながらないよね
そのほうがしっくりくるね
じゃあ悪い性的消費ってなんだろう?
これは悪かな?
じゃっかん悪よりだよね
でもこれは悪よりだけど許されると思う
じゃあ表現することは?これはかなりアウトに近いと思う
昔、中学生のころBL好きの友達が男の子と喧嘩したとき「あいつを〇〇とかけ算してやろうかと思った藁」みたいなことホムペで書いてた
あとは言葉だけでなくコラだのAIだので性的画像を作るともうアウトでしょ
自分の性的なことがらというのはその人の尊厳や名誉にかかわることであって、これを他人が勝手にあれこれするのは悪い事だ
これは全然セーフでしょ
③男→女の直接違法的性的消費(↑の違法利用、セクハラ、レイプ)
④女→男の直接違法的性的消費(↑の違法利用、セクハラ、レイプ)
⑤男→女の間接合法的性的消費(サービスシーン、可愛い女の子による広告など)
⑥男→女の間接合法的性的消費(サービスシーン、イケメンによる広告など)
でも明らかに男の方が女を求める数が多いので、数が平等ではない
これは主に性欲に起因する違いと思われる
①に関して、風俗で働かざるを得ない状況を維持するものとして批判することができそうかな?
そうすると人類の存続は非倫理的なものみたいな過激思想になって都合が悪いので性欲そのものは悪くないってことにしておくね)
問題は③だよな
これがなくなればいいんじゃない?大体満足なんじゃない
とくにポルノの違法的利用、セクハラ、痴漢、レイプは公正な取引や人間の尊厳を毀損するものなので悪いことです
よってこれらが行われないように対策をしていきましょう
当たり前じゃねえか!もうええわ
死に値するみたいな扱いになってるけどさ
ぶっちゃけレイプって三大欲求に分類されるぐらい強い生物的な欲求で、普通に起こり得る暴力じゃん
だって見知らぬ誰かを殴りたいと思うやつはほぼいないけど、見知らぬ誰かでもセックスしたい男は山程いるんだしさ
当たり前だけど男はレイプするとは言わんよ
山程見知らぬ誰かとセックスしたい男がいるんどから、その中の欲求抑えられないやつはそりゃあ暴力に走るだろうと
例えば、学校の小さいヒエラルキーの中でイキってるやつやヤンキー気取ってるようなやつらは、まあ思い通りにならなかったら暴力に走るわけでさ
そういう奴に近づいちゃいけないのに、そういう奴らに限って女たくさんはべらしてるじゃん
そういうところから性教育で教えて行かなきゃいけなんいんだよな