はてなキーワード: TCGとは
TCGもそうだしグッズだけポンって出すんやぞ
簡単にいうと、統率者はMTGを簡単に破壊するし二度と蘇らせないと思ってる。
統率者はMTGにおいて、100枚のハイランダー(各カードを1枚のみ入れる)というデッキで行う多人数戦フォーマット
基本的に4人で回していくため、対戦時間は1時間を超えることもザラ
しばらく前から公式が積極的にこのフォーマットを推しているんだけど、ぶっちゃけアメリカ人が大好きすぎて既にアメリカではMTG=統率者になっている
日本人は基本的にカードゲームを競技的にとらえているせいか、こういう卓を囲んだカジュアルなフォーマットは好まれてこなかった
あるとき「自分の好きなカードを1枚ずつ使って100枚デッキ作って遊ぼうぜ」って感じでユーザーの中で広まった
競技的にガチでやりあうのではなく、好きなカードを使いたい人がもちよって仲間内でボードゲーム感覚で遊ぶことが前提なので、カジュアルが最大の売り
なぜかアメリカ人はこれが大好きなんだけど、逆にアメリカ人からすればカードゲームでガチで競技するって感覚がおかしいらしい
さて統率者がが何を引き起こしているかというと、モダンやスタンといった競技志向のフォーマットが消滅していること
本家アメリカではそういった競技大会がどんどん潰れているし、そういった需要にこたえる記事や情報源もなくなっている
いまMTGのジャッジってどういう風になるのかも実はわかっていない
特に日本だとカードショップにいってそこにいる人に聞いてみないとわからない
遊戯王のように公式が丁寧にフォローするとか一切ないし、単なるルールに詳しいおじさん程度の扱い
特にアメリカは統率者しかみていないし、統率者は総合ルールも結構無視している場合もあって、ジャッジも必要ないし
そうやってカジュアル路線になっていくかというと、これもちょっと違う
統率者の中でもまた競技的なことをしようって人もでてきているし、そういうフォーマットも人気だ
ようするに非公式フォーマットの中にまた別のフォーマットが生まれているというカオスな状況
既に60枚デッキで2人がガチで対戦するってことをアメリカ人は忘れている
で、なんやかんやあって統率者に発言権のある団体がつい数か月前に禁止カードを発表した
この発表内容がまた厄介で、統率者に必須と言われた高額カードが含まれていたりしてまあ大炎上
結果、殺害予告なんかもでて団体は解散、公式がそれを吸収するという運びとなったわけだ
で公式は今まで非公式ルールだった統率者の管理を担うことになったわけだけど、それに伴って統率者フォーマットで強さの基準を決定する試みをしようとしている
けどそもそも、統率者は制御不能な状態に陥っていて内圧によって崩壊したんだよね
だって統率者って近所の仲間とマックで談笑がてらポテト食べつつやるようなものだからね
ルールがあるようでないのが統率者の最大の良い点
それが「統率者ではこのカードを禁止にします」なんて上から言われることがどんだけおかしいかってことか
もちろん各デッキごとに強さはマチマチだがそういうのすら大きな波に乗せられてよくわからない状態になっていた
自由でカジュアルで競技的ではないって言われても、やっぱり競技もしたいって人がハウスルール2を作って楽しむし、内紛状態なわけだよ
カジュアルなものの中ですらガチ・カジュアル論争が起こるとか笑えない
統率者に肩入れしすぎて、統率者専用カードを大量に作っては意味不明な売り方をしたせいで、競技的なことをしたい人から大いに嫌われた
逆に統率者向けセットがバンバン作られて、カジュアルに好きなカードで対戦するって前提も崩れたし
今回のスタン向けのファウンデーションズだって、スタンでは使えないカードが収録されたジャパンアートばっかりが売れてるし
なんでアニメアートのカードをスタンでも使わせなかったんだと多くの人が思ってるけど、たぶん公式は大して理解していない
何が言いたいかっていうと、MTGの1フォーマットに過ぎなかった統率者がMTG全体をくってしまい、どうあがいても初心者が入ってこれる要素がなくなっている
遊戯王とかは「インフレが凄い」の一言でかたずけられるけど、MTGの統率者は存在自体が不思議な文化と暗黙のルールの上になりたっていて、間違いなく初心者には向かない
ただでさえオッサンしかゲームなのに、さらにオッサンしかやらないタイプのフォーマットしか残らなかったら、若い子には「あんな気持ち悪いカードの何がいいの」っていうんだがね
まあオッサンたちはそれに気づくことはないだろうが
草野球が楽しいのは、プロ野球というガチの競技が面白いから自分達も楽しもうって文化が根底にあるわけで、プロ野球が衰退したら草野球だってやりたがらないわけですよ
普通の人は草野球から野球をさせるんじゃなくて、プロ野球をみせるでしょ?
カードゲームだって、魅力的なプレイや有名選手がいるから流行る背景があるわけで、カジュアルオンリーなゲームはオッサンたちのボードゲーム大会でしかないわけ
いや別にボドゲが悪いわけではないけど、そこに競技的要素は二度と持ち込めないし、初心者は入ってくることもないだろう
日本は世界第2のMTGプレイヤーを誇るけど、たぶん10年以内に全てのプレイヤーは統率者に移行するだろう
だって競技志向が薄れていけば残るのは統率者だけになるんだから
こうなるよ
そこではアメリカで起こった数々の問題が噴出するだろうし、統率者の内部でも変な独自フォーマットが作られて阿鼻叫喚になる
それでも統率者は推されていくだろう
本当に厄介なのは、MTGの売り上げって世界全体でみると結構売れてる方なんだよ
MTGのゲーム性が崩壊しようと大会がゼロになろうとどうでもいいと思うよあの会社
ゲーム内の内紛に誰が関わりたいんだろう
「統率者を楽しく遊んでいる人もいっぱいいますー」って言えるのあと何年だろうね
MTGアリーナも耐用年数が近いから、あと数年で統率者専用のDCGにとってかわられるだろう
もうそうしたら競技TCGなんて誰も思わないし、やってる人の中でも問題が紛糾してしまう
でも全部がMTGの中だけで進行するから、外部の人にはなんか騒いでいるけどある日MTGがサ終したってことになるんじゃないかな?
仲間内はカジュアルに楽しみ、大会などの競技性も同時に確保できたらいいんだろうけどさ
競技性とカジュアルは天秤にかけるものじゃないが、特に競技性を捨てたゲームは日本では生きていけないし、本家アメリカももうやばいだろう
はい、じゃあこれでターンエンド
コイントス環境の激化ですでに致命的な運ゲー化。あまりにもしょーもないため「カードをコレクションするおまけでゲームも出来る」という扱いに。カードダスやシールのような扱いに
ロストあり バグあり 更新停止 もうだめでしょ~~~。令和のゲームなのにグラが10年以上前のWIZオンラインばりというのも致命的。ちょっと色々と雑すぎる。皆ゆったりと飽きてる
アノマリーが追加されたぞ!なのに全く話題に上がってないぞ。全てを察するよね。流行の編成がレッスンパート飛ばせるような編成であることも「あっ・・・プレイすることそのものがしんどい時期なんだ・・・」となるね。
今まで存在忘れてたやろ?マジで一瞬で消えたと思う。なんだったのってぐらいに影が薄い。まあゆーてなんちゃってパリイ入れて元素爆発削除した原神でしかないしこんなもんよね。
コイツもすでに影が薄い!まだマシだけど!とにかくキャラのインフレがヤバイよ!新キャラが出てきたら同属性キャラの上位互換って状態がずっと続いてる。もうバランスや編成を語るようなゲームでは無くなったと言えるね。新キャラ使えばいいんだよ新キャラ。
ロボ系ソシャゲって定期的に出てきてわ「あっ、この程度ね」みたいな感じで消えてくよね。もうそれ以外の感想はいらない。
うん。
ブルカアやスタレあたりを最後に「もう◯年前のゲームだけど未だにプレイヤー増えてるなあ」ってなるようなゲームが出てきてないね。
遊戯王とMTGを比較できるのはそれぞれが古参勢同士だからなんだよね
互いに影響を受けてきた経緯があるのと歴史が長いせいもあって細かい部分での対立が起こりやすい
遠くの敵より近くの隣人同士が一番トラブルになりやすいのと同じ
双方がゲーム性やルールで雌雄を決しようとしても、最後に決めるのはユーザーの人気でしかないし、そもそもどちらもこれ以上ルールやゲーム性が改善する兆しはない
遊戯王はどんなに自由度が上がっていようとそれが面白さに繋がっているというよりは、より先鋭化して上級者好みにしかなっていない
MTGはシステム自体の硬直化もそうだが、昨今の統率者優遇が本家アメリカを中心に危険水域になってきて競技TCGの座を降りつつある
だいぶ亀だけど思ったことを
遊戯王には隠れたストーリーや人気のアニメキャラやメディア展開など他のTCGにはない魅力が詰まっている。なのでそこを強調するしかないが新規アニメがOCG発でないため、過去の栄光にすがるしか今はない。
一方でゲーム性は昔から破綻しているので手の施しようがなく、現代のTCG界隈では傍流としかいいようがない。
どんなに自由度が高い動きをしたとしても、プレイするまえに多くの人が断念しかねないため、入り口で失敗しがち。それを埋めるのがMDなのでMDは必須。
特に今のカードは推しキャラを動かすことが遊ぶ訴求力に繋がりやすく、そこに研究しつくされたゲーム性が加われば遊戯王の独特な動きはより敬遠されがちになる。
今はなんかラブコメとかなろうとかウケ狙いの作品作ってるタイトルばっかりだけど、さすがに2012年投稿作となるとあるていど独自設定の創作興行バトル物をお出ししてきた。
第18回電撃小説大賞銀賞
読んでみて、うーん銀賞。といった感想。
いや、100ページでギブアップしたんですが。100ページで主人公タッグが二日過ごしたかな。
出会って、主人公を無理やり従わせて、学校いって、ヒロインの過去戦を見て、もっかい学校いって、主人公の初期ステ確認して、あとは世界や名前やゲームや金回りのを設定ペラペラペラとつまびからにしていって…
100ページ。
ここまで盛り上がる部分無し。
あ、ヒロインも金回りで束縛されやらなきゃいけない理由あるんすね。うん、そういう話まだ続くの?あーじゃあもういっか。
みたいな。
文章はね、読める。とても読める。クセもなくて読みやすい。グッド。
年収200万以下地下住民、1億以下地表中流住民、1億以上で天空住民。
地下住民は白髪赤目のアルビノ人種になるぐらい地下世界で進化してるし名前もカタカナでわかりやすいぞ!
主人公は中流行きの裏パスを買ったやつから奪い地上に出てすぐそばの屋敷に忍び込み即ヒロインに捕まったぞ!
ラノベなんてそんなもんでいーんだよ。主人公が高等教育も受けてない地下住民でもそういうキャラだっけ?とそこらの不良レベルに落ち着いても、中流以上の世界の先端技術やシステムを紹介されても頻繁に「地下で長に聞いたことがある」とかで物分りよくされてもいいんだよ。
そんなんでも、読めるんだよ。
無表情無関心キャラいいよね!ボクも大好きだ!
だからこそ二人ともたいして重要視してない学校にいかせるなんてことに尺を使わないで、もっと能動的に動いてほしかったよね。学校はヒロインが有名であるってところや過去片鱗を見せる程度で別に無くてもよかったなぁと。
せっかくの西遊記システムなんだからもっとヒロインに首輪をグイグイひっぱらして脅して競技や競技道具の店を回らせるとかで設定説明と交流を同時進行すればいいのに、第三の大人メインキャラクターがかなりでしゃばっちゃって、二人のキャラがうっすーーくなっちゃってる。ぼかんメールで脅すところはまあよかったよ。
その物語を円滑に回す操り大人となんか知らんが他人から奪って年収億り人になって天上に行きたいなるほど低知能な主人公がなんか喋ったり考えたりしてるうちにページが進んでいっちゃった結果、これ作者はキャラやゲームより経済格差や搾取構造とかに興味があって気持ちよくなってんな?と邪推を募らせていく。
そんなんを100ページかけて対人タッグ戦の「ウィザード&ウォーリアー・ウィズ・マネー」WWWMはヒロインの過去の一戦をビデオ観戦するだけなんだけど。
んーまぁ、面白くなりそうな気配がある設定ではある。インタビューにもあるけど、やっぱりMTGとかを連想するよね。
才能や属性は生まれつきでありつつスキル(カード)は生まれつき固有と金を出して買う汎用スキル(カード)があるってTCG部分を入れ込んでるよね。でも現実のプロの競技シーンでは全てのカードプールが前提で、金次第ってのは下々の一般享楽プレイヤーの視点だし。
属性でコストが増減するし反対属性もあるし、でも2属性持ちはレアだしとやや複雑な設定で、5枚のスキルで戦う公平な知略的部分と、鍛錬による基礎バフと生まれの属性制限の属人的部分があって面白そうではあるけど、どこに入れ込んで見ればいいのか短い描写ではわからなかった。
5枚スキルもプロなら公開しない秘匿に割くのが常道、とワールドトリガーでシールドやバッグワームにスロットさかれがちでショボーン…みたいな気持ち。
さらに興を削ぐのがスキル発動。額につけたハチマキの台座の溝にスキルカードを走らせる。
テイマーズ、いいよね。剣、いいよね。
うーんしかし、額のハチマキにカードを走らせる。どうイメージしても、カッコよくない。
描写を読んでも
「頭に巻きついた機械である。ハチマキのように巻かれているのだが、額の部分に台座の出っ張りがあり、細い線が引かれている」
よくてナルトの額当てをイメージしてみても「出っ張りがあり」となんだかレジのカード読み取り機のような外付け機器的やぼったさがある。
動作も、アイドルがするような横ピースを目の位置で走らせるやつを額でしたり、野球帽の鍔を回すように親指と人差し指でさっとする姿をイメージしてみたのだが…でもやっぱり額はないよ。
イラスト担当も苦労したのかあまり魅力的なデザインにはなっていない。耳に月と太陽のピアスをつけている設定もあって、結構頭部がごちゃごちゃしている。
そんなヒロイン、狂える二律背反の死神(ルナティック・ザ・デス)の!太陽と月の相反属性を唯一持つヒロインの!代名詞スキル「太陽と月の女神の気まぐれ」の効果とは!
そしてヒロインはなんと毎回これを有利に決めてくるのだ!
……
パルプンテで毎回良い効果でますよ。みたいな感じなんでしょうか。
いやーこれ、魅力的か?チート能力と解釈しても、魅力的なチートか?
互いの身体能力をランダムに変化させるユニークスキルヒロインです!
面白いのならそれを100ページ、全体の1/3までに描写してほしかった。
文体で2連敗したあとに読んだ作品で、読めるだけでありがてぇと読んだが流石に一章まるごとでこれはつまんない時間が長かった。
ガマン強い人やシステムにワクワクする人、徐々に盛り上がるのが好きな人なら余裕で読めると思う。
私には没入するための、ページをめくるための燃料が足りなかった。
でもこれから「友達の妹が俺にだけウザい」とか「義妹生活」とか売れる作品書いていくんですよね。わからんもんです。
お金がなくてもカードゲームで勝てる!? 第18回電撃小説大賞銀賞受賞『ウィザード&ウォーリアー・ウィズ・マネー』三河ごーすと先生インタビュー
他にいくらでも遊びの選択肢はあるし、ゲーム性だけを考えるなら遊戯王の悪名は広がりすぎているだと思うよ
ぶっちゃけ遊戯王はぶっこわれ具合が楽しいってだけでゲーム性や戦略性なんて二の次でいいと思うよ
遊戯王はその出自や歴史のせいでMtGプレイヤーから言いがかりに近い攻撃を受けることが多かったのですが、それも今は昔。
MtGは今、盛り上がっているポケモン、遊戯王、ワンピースなどの国内他ゲームと比べ明らかに勢いが落ちており、プレイヤーはとても不安なのです。
近年のMtGはスタンダードフォーマット関連の度重なる改訂、高レアリティカードのアルターアートや別仕様カードの乱発によるショップの疲弊、
統率者やレガシー、モダン、パイオニアなどのエターナルフォーマットにおける不適切な禁止改定、オーバーパワーなモダンホライゾンセットのカードによる環境激変と禁止改定
コラボセットの乱発などなど。販売元のWotCの迷走が続いています。
遊戯王を馬鹿にしてフラストレーションを発散するしかない、かわいそうな人たちとでも思っておきましょう。
変わって遊戯王ですが、近年はデモンスミスのミスはあれど、なかなか良いカードを作ることが多くなりました。
またマスターデュエルでは素晴らしい調整の結果、2022年に刷られたカードたちが実装されてもメタゲームは健全さを保ちつつ今に至っています。(もちろん大なり小なり波はありましたし、フェスが面白くないことが多いという課題はあります)
最近も天杯龍が環境入りしましたが、大方の予想を覆しメタゲームはバランスがとれた状態のままです。KONAMIの調整チームの地力の高さが伺えます。
おそらくデモンスミスもベアトリーチェやエルフを禁止にするなど必要な対策を行ったうえで刷るはずです。これからも良いメタゲームが続くことでしょう。
ちなみに「ターン毎にマナ加速して4ターン目くらいにはほぼデッキを引き切った上で高火力で殴りつづけるアグロデッキをWotCに刷って貰えばいい。」と書かれていますが、
現代のMtGのエターナルフォーマットではマナ加速が速いのではなく、低マナ域のカードの性能が著しく向上しており、2マナ程度でゲームエンド級の打点を出す生物を盤面に送り込めますし、
4マナまで行くと打つだけでゲームを終わらせられるカードや1枚引きながら実質エクストラターンを得られるカードなどが刷られています。これはドローと土地を増やす速度がデザイン上厳しく縛られているからです。
MtGはもともと土地というリソースがゲームレンジを決めていたのですが、カードパワークリープの中で低マナ域のカードの性能がどんどん向上する中土地や手札の増える速度はデザインで縛られたままだったため、
手札にある低マナ域のカードを着地させて、それが殴りきるまでの間を残りの手札+2~3ドローにある妨害札で守る動きがが強い、という環境ができてしまいました。
私は最近まで、MtGの土地システムは言われるほどに悪いシステムではないと思っていたのですが、MtGにおける土地というリソースを増やす速度と土地を盤面から除去する方法をデザイン上で強く縛ったこと、
マナ以外のリソースによるカードの使用を限定的にしすぎたことにより、パワークリープが支払ったマナに対して得られるリソースの増加、という点でしか行えなくなってしまって、カードデザインが硬質化してしまっているなという印象を持っています。
近年の遊戯王が、手札、場、墓地、エクストラデッキ、除外領域と、ありとあらゆるリソースを使った斬新なギミック(最近だとM∀LICEの除外領域を使ったギミックが非常に面白かったです)を世に送り続けていることと比較すると、現代TCGにおける土地システムの是非についてはちょっと考えてしまいますね。
そんなかんじです
文脈として、君は遊戯王の良さを語っているのに主語をTCGに変えたら論理破綻するだろう?
だって比較しているのは遊戯王とTCGだよね?君の中で遊戯王とTCGを全然区別できていないし、勝手に推測させようとするなよ
一言も言ってないんじゃなくて、余計な言葉を足して必要なことを言ってないだけだよ
あと、手札誘発増やせばどうにかなるっていうけど、本当にどうにかなってるの?
カードプール増やして単に複雑性が増して面倒になっただけじゃないかと推測できるけど?
というか、カードが増えるっていうのはTCG全般において当たり前すぎて何を誇らしげにしているのか全く分からないんだが
それをいったら、他のタイトルも全く同じ条件なのにね
遊戯王がMTGを元にしてとか言ってる奴は知ったかすぎる。遊戯王はごっこ遊びの延長から発展してきたゲームだからあえて真似する必要が薄いし似たようなルールにすると再現性高すぎて新規グッバイになりやすい
https://b.hatena.ne.jp/entry/4761763270010782048/comment/shiori_lov
遊戯王OCGが「漫画向けチューンされたMtGであるMagic&Wizards」」に多少ゲーム性を持たせたキャラグッズ、キャラゲーだったのは事実です。
遊戯王初期のテストプリントとされている流出カードには裏面が「Magic&Wizards」となっているものがあり、当時は遊戯王の原作に登場したカード、であるというバリューのほうが大きかったでしょう。
それらを手にした子供が、ルールブックやルールカードを斜め読みして、遊戯王の漫画のようなデュエルに興じていた、という面もあったと思います。
ただ、「漫画向けチューンされたMtG」」というのもまた事実です。これはジャンプ紙面上でも言及されています。元にはなっているわけです。ゲーム部分もMtGの影響を大きく受けてます。
漫画の展開上描かれなかったためカードを使用するためのリソースの概念はまったくないですが、それ以外のデッキ、手札、墓地、除外ゾーン、ターン開始時ドロー、交互にターンが回るなど多くの部分はMtGを踏襲してます。
むしろ、MtGが提唱したスタンダードなTCGのスタイルを持っていたからこそ、今日まで「新規グッバイ」にならなかったとも言えるのではないでしょうか。
また、遊戯王OCGが「ごっこ遊びのツールとして優れている」という点ですが、こういった言説は、元カードキングダムの池っち店長から広まったものだと思っていますが、個人的にはやや雑な見方かなと思っています。
遊戯王OCGはそのゲームが作中で遊ばれるアニメ、漫画を販促手段の大きな柱としていたTCGです。
そのため、プレイヤーが作中で出たカードを使ってアニメキャラクターのロールプレイをする、というような遊び方はもちろんKONAMIも把握していたと思いますが、ただ、それはあくまでキャラクターIPを使った商品としての面であり、
「そういう遊び方もできるゲームである」というものでしかありません。カードゲームとしての遊び方も重要で大きな販促の柱となっています。
「再現性」は昨今TCG語りをする方がよく使われる言葉なのですが、今の遊戯王に関してはむしろ「再現性が高い」と言われることが多いので、後段については何を言いたいのか判然としません。
ただ、相手の妨害がない場合は高確率で相手を圧倒する展開ができる所謂「再現性の高い」ゲームなのですが、相手の妨害を対処するための方法を自分の残りリソースから捻出したり、自分の展開をどこまで通すか、展開後のリソースで相手の展開をどう防ぐか、という攻防が派手でほかのTCGより争点が見やすいという魅力はあります。そうした面から、再現性が高いといわれる現代遊戯王でも新規プレイヤーに対する訴求力はまだまだあるんじゃないかなと思っています。
そんなかんじです。
この人、遊戯王エアプって訳ではないと思うけど多分真面目に遊戯王やったことはないと思うんだよね。何故なら、
あれだけ伝説級の活躍をした「ドラグーン・オブ・レッドアイズ」は制限復帰後は一切見かけることがない
もちろん使うデッキが強いからこそ活躍できたのだが、だとしてもこの状況は元禁止カードとは思えないし、なんなら明日から3枚使えたとしても誰も使わないだろう
ドラグーンは当時セットで使われていた相性の良いカード(アナコンダ、リリーサー)が禁止だから使われていないだけで、例えばアナコンダが解禁されれば今の環境デッキに出張するパワーはある。
何よりもティアラメンツが3年後には環境に入らないと言う予想をするYPは殆ど居ない。なぜならティアラメンツは(主にマスターデュエルで)規制後も墓地利用グッドスタッフ的に使われていて、墓地利用テーマが強化される限り(つまり遊戯王OCGが続く限り)強化され続けるテーマであって、仮に純粋なティアラメンツとしての動きが時代について行けなくなったとしてもデッキのエンジン役としては3年後も強いに決まっているというのが一般的な見解だからだ。
近年の遊戯王OCGのテーマは基本的に1枚のカード(初動)からデッキ、エクストラデッキの全てのテーマ内ギミックにアクセスできるように設計されている。つまり初動さえ通ればデッキ内のテーマカードは全て試合中に使える前提でデッキが構築されている。全てにアクセスできると言うのは自由に思えるかも知れないが実は逆で、手順が多少変わる事はあっても最終的には全てにアクセスした上でほば同じ制圧盤面が作り上がるプレイング面での不自由さを内包していることになる。
実際遊戯王OCGで新しいデッキを組む際、最初にやることは基本となる数パターンの展開ルートと呼ばれるプレイを覚えることで、その後実戦の中で相手に妨害を受けた場合の分岐ルートを覚えていく事になる。つまり遊戯王OCGにおけるプレイングとは実の所その多くが展開パターンの暗記と言うことになる。もちろんそれで決着が付かない場合もあるのでアドリブの終盤力も必要となるが、まずは序盤中盤を乗り越えるための暗記が必要になる。
ここまでの前提を置いた上で自分が主張したいのは、遊戯王OCGは(MTGライクなカードゲームと比較して)対戦時にアドリブ的に発生する対話よりもデッキ構築を重視したカードゲームだと言うことだ。デッキ内のギミックを全部使って構築時に決めた動きをするカードゲームと引いたカードでアドリブ的にプレイングを組み立てるゲームとでは採用するカード一枚に対する重みが違う。遊戯王OCGは一見なんでも出来る自由さ故に初動率やエクストラデッキの枚数、サーチできるテーマ内カードと素引き前提のテーマ外汎用カードの比率と言ったデッキ構築時の制約が直接的にプレイングに影響する不自由なカードゲームでもある。一枚一枚の採用理由を明確化して環境と対話し、事前研究の結果をデッキに詰め込んでぶつけ合うのは遊戯王OCGの魅力の大きな部分を占めていると思う。
因みに同じく国内長寿TCGの双璧を成すポケモンカードも似たような特徴を持っていて、あちらはよりデッキすべてを使って対戦する特徴が強い。今の使用率トップデッキは毎ターン4エネ(MTGでいうマナに近い)加速した上でデッキを引き切る『アグロ』デッキである。遊戯王OCGだけが地雷の上で飛び跳ねる特異なカードゲームであるというのであれば、ターン毎にマナ加速して4ターン目くらいにはほぼデッキを引き切った上で高火力で殴りつづけるアグロデッキをWotCに刷って貰えばいい。
世の中には、MTGこそが至高のカードゲームであると公言してはばからない人達が一定数いる。その人達がそう思うのは勝手なので好きにすれば良いと思うが、その際に雑に他のカードゲームを引き合いに出すのは行儀の悪いことだと理解したほうがいい。こんなことはわざわざ書くのもアホらしいことだが、MTG的な楽しみ方という軸で優秀なカードゲームを選ぶと勝つのは常にMTGなのである。しかしMTG至上主義者はMTGこそがthe カードゲームだと(意識的、無意識的に)信じ込んでいるので、おかしな比較をしていることに気付かない。
公平な観点で他のカードゲームとMTGを比較したいのであれば、まずは世の中のカードゲームは全てMTGから派生した物である(これはある面では事実だが、世の中のカードゲームはあらゆる娯楽の影響を受けた派生であり得るという点で間違っているし、MTG自体もなんらかの非電源ゲームの派生である)という見方を捨てる必要があるのではないだろうか、
カードゲームについて語る奴らの多くが「MTGが始祖」と勘違いしてる
この増田が主張してる内容はちょっと範囲が広がりすぎているように見える。
要するに増田が言いたいことは私がタイトルに書いたような内容ぐらいでしかないのでは?
その論拠としてあれやこれやを並べすぎて、結果として増田自身も雑語りのようになってしまっているのがこの増田の難点だ。
増田はただ「MTGのシステムは半分ぐらいがコズミック・エンカウンターのパクリ。決してゼロベースでの発明ではない」とだけ言えば良かったんだよね。
そのうえで、世の中にクソほどいる「カードゲームはMTGから始まりました。そしてそこから遊戯王やデュエマが生まれたのです。創造神リチャード・ガーフィールドを崇めよ。何もなかったカードゲームの宇宙に彼が0から全てを生み出したのです」みたいな連中を一人一人晒し上げていけばよかっただけなんだと思う。
もともと言いたかったことが正しかったとしても、やり方を間違えるだけ総ツッコミを食らうだけに終わるという一例。
俺も増田の意見そのものには賛成だったので擁護したかったんだけど、結果的に「お前、言い方が下手すぎ」と攻撃するだけに終わってしまった。
ごめん。
ゲーム・マンガ・アニメが他の趣味と比べてわかりやすいという事は事実ではないし、ガイジが可視化されがちな事と因果もない
まず
●人と協力しないと成立しない趣味だとコミュ力がないガイジには無理だからいなくなる(スポーツなど)
●一人でも出来るけど気長だったり手軽ではない趣味からもいなくなる(釣りや園芸など)
わからないからではなくコミュ力がないから上のような趣味に入れないわけ
現に最近某カードゲームを紙で始めて10ヶ所近くのカードショップの様子を見たが、
紙のTCGでは流石にDCGのディスコードにいるようなコミュ障は見なかった
それに、実際にはゲーム・アニメ・マンガの「虹オタ趣味」よりも
の方が圧倒的にガイジが多いしガイジ向けにわかりやすくされてるコンテンツも多い
要するに、「虹オタは他の趣味と比べてわかりやすいからガイジが多い」論は
アンチオタクにしろオタクの自虐にしろ、虹オタ趣味に無知かそれ以外の趣味に無知かの残念な連中が言ってるに過ぎず
虹オタ趣味よりも、わかりやすかったり、ガイジ向けに作られてたり、ガイジが多かったりする趣味はあるって事
確かにPSN含めたら1年程度でPCと同額になるのにPS5proに拘ってるやつはガイジで間違いないんだけども
普段は爺の記憶を頼りに増田を書いたり消したりしておりますが、ここまで反応がもらえたのは初めてなのでとてもうれしいです。
いくつか言及したいこともあるのですが、あいにく徹夜明けで頭があまり回っていないため、ここで少しお返事します。頭回ってないので読みにくかったらすみません。
単純なように思えますが、追加で出せるカードの方にポイントの増減やゲームそのものをスキップできるなどの特殊ルールがあって一定の駆け引きポイントはあること、
スカウターを使用して隠された能力を使ったり、モビルスーツに合わせて原作準拠でキャラ出したりなど、原作のフレイバーを感じやすい遊び方が多く結構楽しいです。
ただ、この追加効果についてはのちのシリーズで複雑化しすぎたため、か後年のスーパーバトルでは単純なポイント比べだけのバトルになってしまっています。
ナイトガンダム物語1~3などのゲーム版でカードダスバトルがフィーチャーされていて大人気だったので誤解されやすいのですが、SDガンダム外伝シリーズの円卓の騎士編まではカードを集めてセット内にいるボスに勝てる方法を見つける、という遊び方が公式ルールでした。
そのあと機兵バトルという遊び方も導入されたと思いますが、ルールは前述の遊び方と同じだったんじゃないかなと思います。(現物を見れば確認できるのですが、ちょっと倉庫から資料をあさる余裕が無くてすみません)
これらからわかる通り、カードダスの対戦ゲーム部分はめんこ遊びの延長線上のような「出して強い方が勝つ」「じゃんけん」を繰り返すゲーム性となっています。(ちなみに遊戯王のカードダス版でも同じようなルールなので一貫しています)
私としてはカードダスは広義の「TCG」ではあれど、歴史的には駄菓子屋文化から派生した「カードダス」というホビージャンル(このあとポケモンの最強シール列伝や国産トレカブームにつながっていくライン)としてとらえるべきで、TCGの歴史上「そういうものもあった」ぐらいの立ち位置なのではないかと思います。
ぜひ伺いたいです!SS版でパワーメモリが壊れてデータが飛んでもしまっても続けていたのですが、PS版エキスパンションで大量破壊カード連打デッキを使う友達に勝てずにゲームを投げてしまったので、初代から3DS版に至るまでの話などあればぜひ読んでみたいです。
個人的には持っておられたら紙のカルドセプトのプレイフィールなどもうかがえると嬉しいのですが。。。
カルドセプトにかかわらず、いろいろなカードゲーマーの語りを見てみたいです。
例の遊戯王10年増田のせいでTCG雑語りするブコメや増田が増えて大変喜ばしいんですが、爺としてはいろいろ気になる部分はあるので都度追記をさせていただいてはおります。
というわけでこの増田に対する補足を今回も。
MtGの元になったゲームはコズミック・エンカウンターというボードゲームです。
あのゲームがプレイヤーの使う異星人の組み合わせでいつでも斬新なゲーム体験ができることにMtGのデザイナーとなる人物が着目したのが最初で、
その他 strat o matic baseball や King of the Tabletop、ビー玉遊びなどのエッセンスをもとにMtGが開発されました。
(MtGに初期にSFの匂いのするカードがいくつか含まれていたり、すこしおふざけの入ったカードが含まれているのはこのためです。
高潔のあかし/Righteousness の イラストの上部にはスタートレックのカーク船長にとても良く似た人が描かれていたという話もあります)
MTGが本当に発明したのはカードゲームのルールではなく、トレーディングカードをゲームとして本格的に遊ぶというフォーマットぐらいなんだよ。
正しいです。ただ、かなり省略して書いている、というか雑かなと思います。
「トレーディングカードをゲームとして」の部分は「TCGとしての拡張セットの概念」の発明であり、
「本格的に遊ぶ」という点は「解釈揺れのない一貫したルールで他人同士が遊べるゲーム」という発明となります。
MTGの最初の拡張セット「アラビアンナイト」は最初の基本セットとは別のデザインの裏面で発売される予定だったのを、印刷直前で今の同じ裏面に変更した、という話はとても有名です。
MtGはごく初期に「Magic」をゲームの正式名称としていて、Magicの後の「:」は、「The Gathering」が拡張セット名に置き換わる予定だったとか、そのあたりからも分かるのですが、
当初MTG拡張セットはボードゲームの拡張製品のように、基本セットとは別の製品としての色が強いものでした。
元増田がドミニオンの名前を出しましたが、これを例に考えるとわかりやすいと思います。
ドミニオンは基本セットとカードを混ぜて管理したりはしません。基本セットだけで遊ぶこともあります。
この変更こそが現代のTCGの拡張セットとしての考え方を決定づけた歴史的な決定だったと思いますし、発明ではないかと思います。
MTG好きな方なら最近Rule 0という言葉を知られた人も多いと思います。アナログゲーム好きにも知っている方はいるんじゃないでしょうか。
アナログゲームではしばしばルールの解釈がプレイヤーごとに異なってゲーム自体に影響を与えることがあります。
そのため、ゲーム開始前のインストで、ゲームのルールに関する簡単な説明や質疑応答を行ったり、ゲームをしっかりルールに沿ってやるのか、カジュアルにやるのかのすり合わせをプレイヤー間で行います。
こうしたやり取りを Rule 0 と呼ぶのですが、これは競技性の高いゲームと相性が悪く、トラブルの種にもなったりしていました。
なによりゲームをやりたいだけなのに、わざわざゲーム前に参加者とすり合わせをするなんて、今の時代からすると想像しづらいですよね。(麻雀をやっている人はもしかしたら頷いてくれるかもしれません)
対して、MTGはルールを整備しジャッジングを導入することで、こういったあいまいさや齟齬をでどんどん取り払っていきました。
これにより他人と非常に遊びやすく、ルール理解で齟齬が起きにくいという競技性の高いゲーム環境が生まれました。
MTGが最初アナログゲームの待ち時間にプレイする小さなゲームを意図して作られたことも、こういったインストの簡便さを追求する理由になったのかもしれません。
その後、WotCは競技プレイをプロモーションの一環として推進することで、コレクション、競技プレイという2つの柱を持ったTCGという文化が生まれたわけですね。
参考文献:
テクニカルガイド for マジックザギャザリング(新紀元社)
https://mtg.fandom.com/wiki/Magic:_The_Gathering
そんなかんじです。
>>カードゲームについて語る奴らの多くが「MTGが始祖」と勘違いしてる
カードゲームについて語る奴らの多くが「カードゲーム=TCG」の意味で使ってるから間違ってない。この風潮は個人的にもどうかと思うが普及してるので仕方ない。
それは分類としてはカードゲームではなくボードゲームなんや。ドミニオンもボードゲーム。
>>そしてそういうゲームは売上が伸びると定期的に拡張パックでカードを増やしていた。
>>MTGはこのシステムをトレーディングカードとくっつけただけ。
逆。拡張パックでカードを増やすトレーディングカードが先にあり、それに本格的なゲームをつけたのがMTG。
>>MTGのマナのシステムも別に画期的ではなく、MTGがベースにしたカードゲームよりも更に以前から、そもそもボードゲームという文化の中にコストという概念があった。
>>デッキという概念はそれこそカードがまだゲームとして遊ばれてもいないタロットカードの時代からあった。
>>手持ちの兵隊をぶつけあうのなんてのはボードゲームの初期の初期からあるものだし、そこに特殊なオブジェクトを加えるのは軍棋などでは当たり前の要素だ。
マナシステムの画期性はデッキやその中の”兵隊”と合わさっってのものだから、これらを分けて論じるのはマナシステムの何が画期的だったのか解ってない。
>>MTGが本当に発明したのはカードゲームのルールではなく、トレーディングカードをゲームとして本格的に遊ぶというフォーマットぐらいなんだよ。
MTGが発明した「デッキ構築」はカードゲームのルールでしょう。
>>ソイツは元から無電源ゲームの世界に無数にあった要素を上手い具合に再配置しただけなんだ。
無電源ゲームの世界に無かった「トレーディングカード」という要素を持ち込んだからMTGは「TCGの始祖」であり、「カードゲーム=TCG」と認知される程に流行してるんだ。そこが分かってからアレコレ喋ってほしい。