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はてなキーワード: 権威とは

2025-06-03

一休さんってクソガキじゃない?なんでこれが道徳的な話で流布しているの

最近ふと思い出したんだけど、「一休さん」って昔から道徳の見本みたいに扱われてるけど、今改めて見るとめちゃくちゃクソガキじゃない?っていう話。

たとえば有名な「このはしわたるべからず」エピソード。橋を渡るなというお触れに対して「じゃあ端を渡らなければいいんでしょ?」とばかりに堂々と真ん中を歩いて突破する、みたいなアレ。

子どもの頃は「わあ!頭いい!とんちだ!」って素直に感心してたけど、今思うとこれはただの屁理屈であり、命令意図をまったく汲もうとしない反抗的な態度にすぎないんじゃないの?

大人命令には従わなくていい。抜け道を見つければ勝ち」っていう、割とやばいメッセージが入ってない?もちろん権威に疑問を持つことは大事だし、上の人間バカなこと言ってたら抗ってもいい。でも一休がやってるのって「抜け道を見つけて勝ち誇る」こと自体目的化してない?

他にも、「屏風の虎を退治してください」→「じゃあ虎を追い出してください、そしたら斬ります」とかさ。いや、相手は明らかにからかってるわけで、その上で「うまく返してやったぜ」みたいな顔をしてるけど、根本的な対話になってないよね。詭弁で勝った気になってるだけというか。

あと地味にムカつくのが、これを「知恵」や「道徳」みたいな顔して子どもに見せてる日本教育文化。おかげで「屁理屈で切り抜けること=賢さ」と誤認したまま大人になった人、けっこういると思う。

いや、いいよ?痛快なストーリーとして楽しむなら。でも「これが人として正しいあり方だ」みたいな風に扱うのはどうなの?一休さんが「とんちで困難を乗り越える天才」っていうより、「屁理屈詭弁マウント取る少年」って見えてくると、だんだん笑えなくなってくる。

もう少し謙虚さとか誠実さを大事にする道徳話、なかったのかな。なんでこれが「子どもに見せたいアニメ」なんだろうって、改めて不思議に思ってしまった。

2025-06-02

anond:20250602133906

日本上層部には以下のような構造的特徴が浮かび上がります

政官の相互依存システム

政治家官僚の利害共有構造
責任回避の仕組み

司法検察政治的従属

検察政治的中立性の欠如
警察権力濫用

情報統制メカニズム

公文書戦略的隠蔽
統計データ政治的操作

利益供与ネットワーク

組織的な利益還流

推測される権力構造

階層忖度システム

上位者意向下位者先読みして実行する「空気を読む」文化が、明示的指示なしでも不正を実行させる仕組みを形成

相互監視の不在

三権分立機能せず、立法行政司法相互にチェック機能果たしていない。むしろ政治的安定のために共謀する構造

既得権益保護システム

現状維持を最優先とし、透明性や説明責任よりも組織防衛を重視する価値観上層部に浸透

危機管理としての隠蔽

問題根本解決ではなく、発覚の阻止や影響の最小化を図る対症療法アプローチ標準化

この構造は、民主的統制よりも内部結束を重視し、外部から監視批判組織的に排除する傾向を示しており、権力私物化公共性の軽視が常態化した状態と考えられます

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claude 4.0 ソネット

2025-05-30

連続テレビ小説ぱよちん

登場人物

下野剛毛子(しもつけ・たけし)

名門T京大学のおじいちゃん教授たちに可愛がられるうちにいつの間にか我が国における社会学の最高権威となったシンデレラガール

タワマンに住みBMWを乗り回しながら「平等に貧しくなろう」と説いてリベラルエリートから熱い支持を獲得し

独身女子に「おひとり様」という概念を植え付けシングルライフを推奨したにもかかわらず

自分はちゃっかり結婚していたという先進自由体現する姿を世に見せつけ人気を不動のものとする

対馬みず帆(つしまみずほ

反体制の魂が燃える熱血研究者

公然右派排除宣言し公金を頂戴しつつ反権力ができる左派パラダイスである日本学評議会を悪のウヨクどもから守るため

日夜SNSを通じて評議会存在意義無知教養愚民どもに説くものの高尚過ぎる己と愚昧な世間精神ステージが違い過ぎるせいか

啓蒙に熱が入るほど猛反発を受ける結果となっている

疑似科学を信じる人が大勢いるのは当然だ

初めに言っておくが、科学疑似科学は異なるものだ。これらを区別する基準は、反証可能性再現性方法への懐疑、批判への適切な応答、などが挙げられるだろうか。

ただし、一般人科学に触れるとき、内容を自ら検証することは非現実的だ。だから学者書籍公的機関といった「権威」を信じるしかない。そしてこの「権威者の言うことを信じる」という心理は、疑似科学を信じる心理と同じだ。科学を信じる心理疑似科学を信じる心理の違いは、「学者YouTuberのどちらにより権威を感じるか」という点だけなのだ。これを理解している学者はどれだけいるだろうか。

幸いなことに、今は大半の人が「学者YouTuberより正しいことを言いそうだ」と感じている。この感覚を今後も守り続けなければならない。「YouTuber学者より正しいことを言いそうだ」と感じる人を増やしてはならないのだ。

2025-05-29

ジークアクス、暗記科目の試験会場みたいで全然面白くない

ガンダム視聴歴は鉄血と水星のみで、宇宙世紀は見たことがなかった。

情報として「シャアが出てくる」「宇宙世紀が別展開になったif」ということだけは知っている状態で観始めた。

キャラ中心だからファースト未視聴でも楽しめますよみたいなこと言ってる人いたんだけど、あれは嘘だったようです。嘘つくのやめてもらえませんか?

 

1話:いきなり総集編が始まったかのような印象。カットの入り方にかなりの違和感映画再構成して圧縮しているからか、劇場版未視聴にとってはかなり違和感のある入りになっている。鉄血も水星1話の出来が良く、推しの子とかウィッチウォッチとか1話キャッチーで収まりが良いものが多いから、いよいよ違和感が強かった。コロニー内遠景など、作画はきれい

2話:全然意味がわからず、途中で視聴を止めた。YouTubeガンダムチャンネル無料公開されているファースト1話を見た。これでこの作品が何をやっているのかが初めて分かった。ファースト1話を見てからジークアクス2話を見る面白さを100としたら、ファースト1話を見ずにジークアクス2話を見る面白さは5とか1とかだと思う。

3話:確かマチュがシュウジの全財産水路?ドブ?に落としても謝りもしないで「クラバやろー!」ってなってた回。怖っ…となった

4話:1児の母、すぐ死んだ…。あとマチュがシュウジ一目惚れしてほとんど経ってないのに殺人にまで追いつこうとしている感情に引いて笑った

5話:発熱しているシュウジを見下ろしてニャアンが顔を赤らめたあと、下着姿になりだしたのが本当に!本当に意味からなかった。あとニャアンが人殺してて笑った。ファースト1話で爆破の衝撃でモブが地味に死んでしま描写の生々しさ、人体の脆さと比べて、ジークアクスの死って軽くてギャグっぽいなと思った

6話:何があったんだっけ?

7話:メインキャラクター誰も好きじゃねえ…となった回。新キャラが出てきて名前も覚えないうちにすぐ死んだ。シャリアが新キャラを殺すキケロガの動きが美しくて、この戦闘のシーンが好き

8話:アップルパイケーキ、毒ケーキ1、毒ケーキ2、毒ケーキ3という流れに笑った。毒同期がレーザーで死んだときも「ニャアンがまた殺した!」って笑った。これギャグアニメなのかって思った。前半のシャリア戦闘がやっぱり良かった

 

以上が観た感想。何も心に残らないし、マチュがじわっと嫌になって、7話以降ニャアンもじわっと嫌になって、キャラクターが死ぬ描写が声出して笑えるという露悪体験になってる。

あとキシリア暗殺計画の前に、勢力図みたいなものが全く意味わからんと思って、ファースト地球連邦VSジオンという設定、ダイクンの息子のシャアとザビ家の因縁、ザビ家内権力争い、みたいな説明も読んだ。読まないとマジで意味が分からなかったから。

感想をXで見ると、ファーストオマージュがここにあった、Zのオマージュだ、エヴァだ、と他作品との共通点を示しているだけの内容がバズっていて、ジークアクスという作品は暗記科目の試験会場なんだろうかと思った。

試験範囲ファーストだったり、Zだったり、ZZだったり、スタジオカラーが関わっているかエヴァシリーズだったりもするらしいです。知るかよ。

アニメって覚えゲーなの?「バスク・オム!」「ここがオマージュだ」っていうのが好意的感想のほぼ全てになっていて、旧作品群に出てこない新キャラの行動については基本的に叩かれてばかり。

変なんだよねキャラが。キャラの動き?が。

急に横で服を脱ぎだして下着になるとか、意味がわからないし不気味なんだよ。ニャアンがシュウジのこと好きでも、友情しかなくても、どちらにしろそうはならんだろ…ってなる。

マチュ役の人が前にフォスフォフィライト役をやってたらしいけど、「格好良くてすごいことをやりたい」「大きなものを追いかけて近くの人の扱いが雑になる」みたいなとこはマチュと初期フォスで似てなくもないなと思って。

でもフォスは分かる~!!フォスの周りのストレスも分かる~!!ってなるんだよな。そしてマチュは気持ち悪いの。

なんかさ、ジークアクスの本体ってクイズじゃない?

いっぱいオマージュを詰め込みました、元ネタは何でしょう!という、深夜から早朝のXで開催されてる早押しクイズなんじゃない?

戦闘作画はきれいで、特にキケロガは観てよかったなーと思ったんだけど、作画技術進歩以外で良いところって何かある?

作画技術進歩ファースト1話と見比べたことでもすごく感じた。でもジークアクスの死は数字ギャグで、ファーストモブの死亡描写のほうが笑えない生々しい死だったんだけどね)

キャラクターどいつもこいつもよくわからなくない?そうだ、最新話でエグザベ君が同期全員毒殺とレーザー蒸発で全滅した直後に「窓が大きいなあ」って言ってニャアンの才能トークしてたのもなんか気持ち悪くて面白かった。

声優の人って理解して演じられてんのかな?どういう人たちがキャラクター作ってんの?やべえやつ、しかカリスマ性があるとかじゃなくてなんか一言言葉にいい表せない気持ち悪いタイプのやべえやつしかいねえ…としか思えないんだけど。

シャアが出てくる2話を理解するためにファースト1話だけ見た立場からオマージュ早押しクイズには参加できないし、そうなると新しい要素を楽しめるかだけになってくるんだけど、

キャラクターが見事に内面…?行動や発言…?が気持ち悪くて、さすがについていけなくなってきたので切ります。フォスも宝石なんだけどね、なんかジークアクスのキャラクターってプラスチックとかでできてそう。

キケロガまとめ」みたいな動画YouTubeに出てるからそれだけで良いやと思う。

これエヴァ新劇場版アマプラで観た)の感想と同じだった。気に入った使徒がいて、その変形シーンがYouTubeにアップされてて、それだけ観りゃいいなと思ったんだよね。

カラーが作るストーリーキャラクターは破綻していると思う。特にキャラクターの中身がすごく気持ち悪い。だから死んでも「ジュッと蒸発して草」みたいな感想しか出てこない。

人物は本当に気持ち悪いけど、物体が変形するシーンの作画だけは良い。機械物体が得意なアニメスタジオだと思う。

 

追記

トラバはそうでもないけどブコメに内容を読めてなくて単語に反応しているだけのやつ多くね?

とりあえず「バスク・オム!」って言っとけばいいSNSノリと結局同じなんだなとしか思えないんだけど

あとファースト教養だみたいに言われても59歳の監督が親より年上なので観てないのが当たり前です

フリクリウテナも観てねえよ知らねえよどんだけ古いアニメオマージュ多いんだよ

とりあえず新キャラ中心だからファースト未視聴でも楽しめるというのは噓ですよね

教養」ってせめて世代差が大きい流行ものじゃなく世界史かに対して言ってくれないか

自分若いころに流行った娯楽コンテンツについて「履修」だの言いだす権威化、気持ち悪いんだよ

anond:20250529104938

トランプ政策はやり過ぎだと思う面も多いが、イッチを鵜呑みにするなら、ちゃんとした反権威・反知識人としての反知性主義がやっぱり大きいんかねえ

森本あんりの「反知性主義アメリカが生んだ「熱病」の正体―」、積んでるけど今度読むかあ

2025-05-28

dorawii

求人ボックスCM役所広司と共演してる名もなき俳優ってそういう神経でその場にいるんだろう?

圧倒的な業界権威を前に常に緊張している感じか?それともああい無名俳優はほぼ一般人なのでそのメンタルもほぼ一般人で、

とりあえず有名な俳優を一目見れてファンとしてあるいはミーハー精神的に嬉しいみたいなことぐらいしか考えてないのか?

2025-05-27

e-sportsってアホみたいだよな

チェス囲碁なんかも実はマインドスポーツとしてIOCも認めてるけど

俺たちもスポーツなんだー!それを認めろー!!みたいな主張全然しないもんな

結局自分たち歴史権威がないか他人にハクをつけてもらいたいだけ

情けないと思わんのだろうか

警察悪口を書くと、ある日突然家に多人数でやってくるんですって!

これが国営暴力団桜田門組流の「制裁」です

彼らは日本平和市民安全よりも、自分たちの金と面子が大切です

「ぷらいど」を傷つけられると、権威による脅しをかけてくるんです!

2025-05-26

anond:20250526231325

能力や実力に権威がついてくるだけで、権威主義なんて言葉価値のない人間言い訳だと思うぞ

警察悪口書いてる奴等全員逮捕されないか

自分大丈夫って思ってたやつ

権威に逆らう事を恐れぬ愚か者

そういう奴等なんて即時逮捕、そして裁判無しで終身刑死刑でいいでしょ

中国北朝鮮はそうしてるが?

2025-05-24

内田樹研究室> 内田樹による「内田樹の墓碑銘」

序:言論の場に吹く風の変化を前にして

世の中には、時代というものがあって、それは時にゆっくりと、時に急激に、人の心のありようや言葉の響き方を変えていく。2010年代の初め頃、私の書くものや語ることは、どこかで多くの人に「なるほど」と頷かれ、共感の輪を広げていたように思う。『日本辺境論』や『街場の教育論』が、ある種の教養を求める人々の心に響き、ブログ内田樹研究室」は、専門の知と日常感覚を橋渡しする場として賑わっていた。しかし、2020年代に入り、世の風向きが変わった。私の言葉が、かつてのように多くの人に届かなくなった気がする。これは、私一人の問題ではない。日本言論空間そのものが、大きく揺らいでいるのだ。この揺らぎを、時代と人の関わりの変化として捉え直し、知識人役割がどう変わりつつあるのか、考えてみたい。

一:時代という風が変えた言論の地平

世の中は、技術と人の暮らしの変化によって、目に見えない形でその土台を揺さぶられる。2015年からスマートフォンSNSの普及は、まるで川の流れを変えるように、情報のやりとりを一変させた。XやYouTubeといった新しい「広場」では、短く、鋭く、心に刺さる言葉が求められる。私の書くような、じっくりと論を重ね、哲学歴史を織り交ぜた文章は、こうした新しい場では、どこか「遠い話」に聞こえるのかもしれない。Xの投稿を見ると、「内田樹の話は高級すぎて実用的でない」との声がちらほら聞こえる。これは、言論が「消費財」となり、注目を奪い合う「経済」の一部になったことを示している。

この変化は、技術けがもたらしたものではない。東日本大震災コロナ禍という、世の中を揺さぶ出来事が、人々の心に「今、ここで生きる」ことへの切実さを植え付けた。経済格差が広がり、若い世代は「明日をどう生きるか」を考えることに追われる。私の言う「脱成長」や「日本辺境性」は、こうした現実を前にすると、どこか「悠長」に映るのだろう。たとえば、Xでは「内田低所得層には冷淡だ」との批判も見られる。また、グローバルな課題——気候変動やAI進化——に目を向ける若者たちにとって、私の日本中心の話は、どこか狭く感じられるのかもしれない。時代は、ゆっくり考えることより、即座に答えを出すことを求める風に変わった。

二:知識人の立つ場所の揺らぎ

かつて、知識人とは、世の中の大きな流れを俯瞰し、歴史哲学を糸口に、人の生き方を照らす存在だった。私も、レヴィナスの「他者への責任」など先人の智慧を借りながら、世の中のありようを解きほぐそうとしてきた。しかし、今、言論の場は多様化し、誰でもが発信者になれる時代になった。XやYouTubeで、専門家でもない人が、専門的な知をわかりやすく語り、共感を呼ぶ。こうした「インフルエンサー」と呼ばれる人々は、街場の語り部のように、身近な言葉で人々の心をつかむ。私のブログも、SNS時代適応しようとした試みだったが、短く鋭い言葉が求められる場では、どこか不器用だったのかもしれない。

この変化は、知識人の「権威」が揺らいでいることでもある。かつては、大学や本という「制度」が、知識人言葉に重みを与えた。しかし、SNSでは、誰もが検証者となり、知識人言葉もすぐに「それ本当?」と問われる。Xで「内田樹論理杜撰だ」との声が上がるのは、こうした「集合的検証」の時代の現れだ。言論は、権威から共感」や「わかりやすさ」へと、その重心を移している。私の書く文章が、時に「高級な教養話」と揶揄されるのも、この新しい場のルールに合わないからだろう。

三:分断された言論の場と、つなぎ直す試み

今の日本言論空間は、まるでいくつもの島に分かれたように、バラバラになっている。政治的立場世代、使うSNSの種類、専門分野、そしてリアルデジタル世界——これらの「島」の間で、言葉は行き交いにくくなっている。私の主張は、リベラルな考えを持つ高齢層には響いたかもしれないが、若い世代経済的に苦しい人々には「遠い」と感じられた。Xでは「高齢富裕左翼の代弁」との声もある。これは、世代立場の分断が、言論の受け取り方を変えている証左だ。

だが、こうした分断を越える動きもある。学問の知を持ちながら、SNS共感を呼ぶ新しい発信者たちが現れている。彼らは、専門と日常グローバルローカルの間を「翻訳」するような役割を果たす。私の試みも、どこかでその「翻訳」を目指していたが、SNSの速さと軽さに追いつけなかったのかもしれない。これから知識人は、こうした「翻訳者」として、異なる島をつなぐ役割を担う必要があるだろう。たとえば、XやYouTubeを横断し、短い言葉で深い知を伝える試みが、言論の新しい形を作りつつある。

四:日本の「空気」と言論のゆくえ

日本言論空間には、独特の「空気」がある。タテマエとホンネ、集団の和を重んじる文化は、SNS時代にも生きている。私の言葉は、この「空気」に寄り添いつつ、時に突き放すことで、考えるきっかけを提供しようとしてきた。しかし、SNSの場では、こうした微妙バランスが伝わりにくい。政治的議論過熱する中、私の「中立」を志向する姿勢は、かえって「どっちつかず」と見られることもあった。また、少子高齢化高齢層の発言力が強い日本では、若者地方の声が埋もれがちだ。私の話が、都市部教養層に偏りがちと見られたのも、この日本文脈を映している。

五:内田樹以後の知識人の道

私の支持が減ったのは、私の言葉時代に合わなくなったからだ。だが、これは私だけの話ではない。知識人という存在自体が、時代に問われている。かつての知識人は、世の中を高みから見下ろし、導く存在だった。しかし、今は、共に考え、対話する「仲間」であることを求められる。SNS時代に、専門の知を短く、共感を持って伝える。AIメタバース言論の場を変える中、知識人は、異なる世代価値観の間をつなぐ「通訳者」として生きるべきだ。私の試みは、その一歩だったが、道半ばでつまずいたのかもしれない。

結:言論の場を、共に耕すために

言論の場は、風に揺れる草原のようなものだ。私の言葉が、かつてのように多くの人に届かなくなったのは、その風の向きが変わったからだ。だが、風が変わっても、草原は枯れない。新しい知識人は、SNSの速さや共感の力を借りつつ、深い知を伝え、異なる人々をつなぐ役割を担うだろう。AIや新しい技術が、言論の場をさらに広げる中、私たちに求められるのは、ただ発信することではなく、共に考え、対話することだ。内田樹という一つの試みが終わりつつある今、新しい「語り部」たちが、草原に新たな種を蒔くことを願う。

2025-05-23

スターウォーズ英語を学ぼう

Lord Vader, am I still in command?」と「So I'm still in command?」の英語的なニュアンスの違い、そしてどちらがより傲慢(arrogant)に聞こえるかを解説します。

1. 「Lord Vader, am I still in command?」のニュアンス

この言い方は、

より丁寧であり、

ベイダーへの敬意(Lord Vaderと呼びかけている)が強調され、

形式的礼儀正しい印象

を与えます

このフレーズは「私はまだ指揮官でよろしいのでしょうか?」という、やや控えめでお伺いを立てる表現です。

傲慢さはあまり感じられません。

2. 「So I'm still in command?」のニュアンス

一方で、劇中の「So I'm still in command?」は、

呼びかけがなく、

いきなり結論確認する形で、

少し自己中心的、または焦りや苛立ちがにじむ表現です。

この「So」は、「じゃあ」「つまり」といったニュアンスで、

「(いろいろ言われたけど)結局、俺が指揮官ってことでいいんだよな?」

という自己主張自分立場への執着が強く表れています

このため、ベイダーに対して「俺の立場をはっきりさせろ」と迫るような、やや生意気傲慢自己中心的な印象を与えます

3. どちらが傲慢に聞こえるか?

「So I'm still in command?」の方が、より傲慢自己中心的に聞こえます

Lord Vader, am I still in command?」は丁寧で、上司への敬意が感じられる。

「So I'm still in command?」は、呼びかけもなく、結論だけを急ぐ印象で、相手説明権威を軽視しているようにも取れる。

そのため、ベイダーが苛立ち、フォースチョークを使ったのも、「So I'm still in command?」という言い方のほうが、より不遜で生意気だったからだと考えられます

まとめ

Lord Vader, am I still in command?」= 丁寧・控えめ・敬意あり

「So I'm still in command?」= 自己主張・焦り・やや傲慢

劇中のクレニックの言い方は、ベイダー逆鱗に触れるに十分な、やや生意気ニュアンスが含まれていた、ということです。

警察悪口あんま言わない方がいいよ?

みんな、最近警察罵倒したり叩くけどさ

そんなことしてると、しらないよ?

理由なく、存在しない別件で逮捕したり

取り調べで心が折れるような暴言吐いたり

でっちあげられた罪で牢屋にぶちこまれたり

そんなことされちゃうよ?

警察って、世の中の平和よりも自分たちメンツと点数稼ぎが大切だからね?

逆らったら、ぶち切れて権威を用いた報復されるよ?

なにせ、『国営暴力組織桜田門組』だからね?

2025-05-19

anond:20250519170539

はてなブックマーカー

「だから誰が言ってようが、罵倒集並べても何の意味もないこと分からない?」

権威が言ってることは全て正しいと思ってる権威主義者?」

anond:20250519170502

地球平面論者

「だから誰が言ってようが、罵倒集並べても何の意味もないこと分からない?」

権威が言ってることは全て正しいと思ってる権威主義者?」

anond:20250519170405

ワクチン

「だから誰が言ってようが、罵倒集並べても何の意味もないこと分からない?」

権威が言ってることは全て正しいと思ってる権威主義者?」

anond:20250519165806

から誰が言ってようが、罵倒集並べても何の意味もないこと分からない?

権威が言ってることは全て正しいと思ってる権威主義者?

ブクマカノアスミスを好んで読む理由

ノアスミスNoah Smith)がはてなブックマーク利用者に好まれやす理由はいくつか考えられます。以下に整理してご説明いたします。

1. 「リベラル理系」的な視点との親和性

はてなブックマークユーザー層には、リベラル志向かつ理屈を重視する層、いわば「リベラル理系」的な感性を持つ人が多い傾向がありますノアスミスは元経済学者(元アカデミック)、現エコノミストブロガーとして、データを用いながら進歩主義的な議論を展開するため、こうした層にとって「理知的かつ価値観が近い」と映りやすいのです。

2. 米国発のテック経済ネタを早く拾える

ノア経済に限らず、テック業界地政学新興国経済AI社会制度など幅広く取り上げており、知識層のインテリ好奇心をくすぐる内容を定期的に発信しています英語が得意で海外情報に敏感な層にとって、「彼の視点を押さえておけばひとまず話題に乗れる」という安心感があります

3. 権威としての「ちょうどいい」距離感

ノアスミスノーベル賞学者でもなければ政府高官でもありません。一方で、かつて大学経済学を教えていたバックグラウンドと、著名メディアブルームバーグなど)での寄稿実績もあり、**「一般人よりは上、世界権威よりは近い」**という絶妙距離感が受け入れやすいのです。いわば「賢い兄貴分」的な立ち位置

4. 「自分でも理解できる経済」の語り口

経済系の話題は難解になりがちですが、彼は専門家のくせに(良い意味で)説明が平易でキャッチーです。はてブユーザーの中でも「専門家気取りを嫌う人」にとって、彼の語りは「わかりやすいし、気取ってない」という印象を与えやすいです。

結論:信頼のおける「単なる一般人」か?

おっしゃるとおり、彼は官庁政策決定に直接関わっているわけでも、超一流学者でもないので、鵜呑みにすべき人物ではありません。しかし、情報キュレーション能力思考整理のうまさによって、「参考になる情報源の1つ」としては非常に有用存在です。

はてブのような場では「信頼性が完全に保証された人」というよりは、「自分たちと価値観が近く、情報感度が高く、論理もそこそこ通る人」が人気を集めやすい傾向がありますノアスミスはその代表格というわけです。


AIに聞いたらスッキリした

anond:20250519163819

MMT を主張する人たちは〔意見がちがう人たちへの〕軽蔑がはげしくて,ソーシャルメディアでの攻撃がきつい.当然ながら,あたか経済学者たちが MMT 文献をまじめに読んでいないかのように彼らはほのめかしてる.

普段学問的なMMT権威を用いて自説を展開するが、都合が悪くなると「それは誤解であって、MMTはそう主張していない」「論敵はMMT勉強が足りていない」と言って反撃する傾向がある。


典型的陰謀論脳じゃん😆😆😆

anond:20250519163521

よし読んだ!次は!?

ノアスミスポピュラー経済学本:読んでおくべき本、読むべきでない本」(2025年2月27日

https://econ101.jp/popular-econ-books-what-to-read-what-not-to-read/

ステファニーケルトン『財政赤字神話』〔邦訳あり〕

The Deficit Myth, by Stephanie Kelton

この本は読んでないよ!

私がこの宇宙存在覚醒していられる時間は限られているから、MMTに関する336ページの本を読むつもりはない。

知らない人のために言っておくと、MMTは擬似理論であり、政府赤字安全理由や、経済の実際の動き方を具体的に示すことなく、政府赤字無限推し進めようとする議論だ。

財政赤字神話』は読んでいないが、MMT論文はいくつか読んでおり、それで要点は十分理解できた。

ノアスミス現代金融理論 (MMT) を詳しく検討してみると」(2019年3月31日; 2021年11月20日更新) – 経済学101

https://econ101.jp/%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%80%8C%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E9%87%91%E8%9E%8D%E7%90%86%E8%AB%96-mmt-%E3%82%92%E8%A9%B3%E3%81%97%E3%81%8F%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E3%81%97%E3%81%A6/


ケルトンの本を読んだ経済学者は、みんな同じ結論に至る。MMTには実際にはなんの理論もない。フランス銀行経済学者2人組は次のように言っている。

全般的に見て、MTTは真正経済理論というより政治的マニフェストに見える。

ハートリー(Hartley 2020)が述べるように、MMTは「反証可能科学理論ではない。むしろ進歩主義目的を果たすために無限政府支出を行うのが正しい(そして可能だ)と考える人々の、政治的道徳的意見表明だ」。

カリフォルニア大学サンディエゴ校のジャコモ・ロンディーナ(Giacomo Rondina)は次のように述べている。

MMT学術文献を読んだ限り、MMTは未だ、政府介入のミクロ経済学についての十全に一貫した理論提示していない。

結果、MMTの「ボンネットの下を覗いた」マクロ経済学者の多くは、エンジンが実際にどう動いているのかを理解できず挫折感を抱かざるを得ない。


私よりもMMTナンセンス議論我慢した勇敢な人々に敬意を表したい。

いずれにせよ、私からの友好的なアドバイスとしては、私がやったようなことはせず、MMTのために精神的労力を使わないことだ。


ノアスミス現代金融理論 (MMT) を詳しく検討してみると」(2019年3月31日; 2021年11月20日更新

https://econ101.jp/%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%80%8C%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E9%87%91%E8%9E%8D%E7%90%86%E8%AB%96-mmt-%E3%82%92%E8%A9%B3%E3%81%97%E3%81%8F%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E3%81%97%E3%81%A6/

なじみがない人のために言うと,MMT 〔を主張している人たち〕とは,「政府もっと借り入れてもっと支出しろ」と言ってまわってる結束の固い集団だ.

MMT は「現代貨幣理論」(modern monetary theory) の略で,この名称をぱっと見たら,「ああ,経済の仕組みについての理論があるんだな」とふつうは思う.

これまでのところ,経済学者たちが MMT の文献をじっくり調べてみても,ネットミームにとどまらないまとまった理論と言えるものはないという結論になってる――そこにあるのは,特定政策を支持するあれこれの論証であって,経済の仕組みを十全に展開してはいない.

MMT を主張する人たちは〔意見がちがう人たちへの〕軽蔑がはげしくて,ソーシャルメディアでの攻撃がきつい.当然ながら,あたか経済学者たちが MMT 文献をまじめに読んでいないかのように彼らはほのめかしてる.)

MMT信者インフレ期に決まって口にすること

https://diamond.jp/articles/-/339710

単純に、MMTの支持者たちはインフレなど眼中にないのだ、と結論づけたくなる。誰でもそうだが、彼らもインフレが起こらないに越したことはない、と思っている。

しかし、実際にインフレが起きると、彼らは目先の経済的な痛みを避けようとして、あわてて適当言葉で取り繕ったり、説得力に欠く解決策を提案したりする。

そもそも印刷機現代における物価安定の最大の脅威)が政府債務を穴埋めする最も手軽で信頼できる道具だ、と信じる学派なのだから、それもしかたないのだろうが。

彼らもまた、財政政策金融政策から完全に独立していると口では言いつつも、テイラーバートンと同じ道〔財政政策と金政策が結びつくこと〕を歩んでいるのだ。

しかし、従来のアプローチMMTアプローチには1つ、大きな違いがある。従来のフレームワークの支持者は、金融政策に対する財政支配財政当局が先導的な立場に立ち、金融政策財政政策従属している状態。←→金融支配〕を嫌う。政治的ご都合主義物価不安定性を高めるだけだ、と心配しているからだ。

彼らはまた、財政政策と金政策という2種類の政策的な「てこ」を分離できる、と思い込んでいる。そのほうがすっきりしているからだ。

対照的に、MMTの支持者たちは、財政支配を支持している。その根底には、政府印刷機の誘惑に逆らえるはずだ、という歪んだ歴史観があるように思えてならない。

まり彼らの世界では、信用できない存在金融当局だけなのだ。だが、それは虚構世界であり、じっくりと観察のなされた事実とはいえない。

MMTの話

https://note.com/stairlimit/n/nb76f64b326bd

現状、MMTという理論肯定的議論しているグループは二グループに分かれている。

片方は学問的なグループであり、もう片方は政治的グループだ。

おそらく大半のまともな経済学者はこのグループを分離して語るべきであるという前提に同意すると思われる。

政治的グループは極めて悪質で、彼らが「MMTである」と主張する出典不明学説から荒唐無稽しか言いようのない結論自由に引き出し、それを用いて政治的対立者を罵倒している。

僕の知る限り彼らは何度も事実と異なる主張をして、そのたびに反例を突きつけられているのだが、彼らの中ではこれは論破されたことにはなっていない。

この理由は多岐に渡っており、主張自体がなかったことになる場合もあれば、「それは誤解であり、この例は反例にならない」と主張される場合もある。

いずれにせよこのグループは、上で挙げた学問的なグループ自身らのグループを都合よく使い分けており、普段学問的なMMT権威を用いて自説を展開するが、都合が悪くなると「それは誤解であって、MMTはそう主張していない」「論敵はMMT勉強が足りていない」と言って反撃する傾向がある。

したがって、MMT政治的グループについては、大半のまともな経済学者は数年前の時点で「議論にならないため、無視すべき」という結論に達している。

ただ、彼らは別に学問的に勝とうとしておらず、単に自分お気に入り政策を実現したいか、あるいはもっと単純に政敵を都合よく罵倒したいだけなので、この無視は結果としては彼らにとってまったくダメージになっていないのが現状である

一方で学問的なグループは、それほど支持を集めているとは言えないものの、書籍出版される程度には活動実績がある経済学の一部分である

ただ、それはたいして肯定的評価ではない。というのも、僕の知る限り、1980年代から新しい学派と呼ばれるマクロ経済学流派は乱立しており、その多くは学問的に成功したとは到底言えず、忘れ去られていっている。

MMTは現状でそれらの学派と異なる結末を得られる保証がなく、「たまに話題になる新しい一学派」という程度の立ち位置にとどまる。

........................


まとめると、MMT学問的には、現状では勉強するに値する魅力的な理論とすら思われていないので、まずは状況証拠を集めて、最低限勉強するに足るだけの魅力があるということを立証するところから始めるべきではないかということです。

そして現状はそれができているようには見えず、さら政策に無理やりねじ込もうとするグループが悪目立ちしすぎるので、僕は少なくとも距離を取っている。

正直その連中に炎上させられたくないか言及すらしたくないが、将来的にこの理論政治的に大問題引き起こしときに、おまえ反論しなかったじゃん!と言われないために、こういう理由相手にしなかったんですよという証拠を残しておきたかったと、はい、実はまあそんなところです。

anond:20250519143911

キスギィ!イクイクイクイク…ンアッー!ガンダム権威がでかすぎる!

anond:20250519125640

本質を突いているかもしれません。

古典文学が「マウントを取るためのもの」だったという視点、確かに歴史の中でそれが一部の階層にとっては**機能**していたのは事実です。

とくに古代中世近世支配層や知識階級において、文字を読めること、ましてや漢文ラテン語和歌詩文などを理解することは、**選ばれた者だけが持つ資格**として扱われました。

「秘伝」という形でわざと難しく、閉じられた知識体系にしておくのも、その地位を維持・強化するための戦略だったわけです。

たとえば、源氏物語解釈ですら江戸時代には「特定の家」だけが継承できるようなものとされていたこともあります

ただ、それだけではないとも思います

文学は、ある種の「美しさ」や「真理」を言語で捉えようとした記録でもあります

から、そうした意図――たとえば**人間とは何か、愛とは何か、死とは何か**――を真剣に追求した書も確かに存在する。

マウント道具として利用された一方で、それを超えて人の心を揺さぶる力を持ち得るのも、古典文学のもう一つの側面です。

でも、それが今に残っている理由が、「単にエラい人が残したから」だという冷めた見方も、やはり拭いきれません。

残す側の「都合」が大きく影響していたのは、どうしても否定できない。

結局、どちらの側面もあるんです。

権威の道具でありながら、同時に**魂の叫び**も含んでいる。

からこそ、古典文学は 今でも「読む価値」があるのかもしれません。

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