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はてなキーワード: 包摂とは

2025-11-30

anond:20251130111124

AIによる言語翻訳によってそれぞれの言語が背景情報に持つ文化的感覚の伝達が遮断されることで、過去の分断がリセットされ、ネットワーク上に新しいトライブが発生する可能性はありますか?そのような世界規模で同じ価値観を共有できる社会には個人が頑なに聖域を守る社会比較して発展性はありますか?

新しいトライブの発生: 「あり得ます」。 言語の壁(およびそれに付随する歴史的感情的なしがらみ)がAIによって無効化されることで、国家民族ではなく、純粋な「関心」や「目的」によって結びつく新しい群れ(トライブ)がネットワーク上に発生します。

発展性の比較: 「長期的な生存進化」という点では、『聖域(異質性)』を守る社会の方が圧倒的に有利です。 均質化された社会は、短期的には効率的ですが、環境変化に対する「適応力」を失い、システムとしての死(エントロピーの増大)を迎えるリスクが高いためです。

質問者様の問うた「発展性」を「どれだけ長く存続し、環境変化に適応できるか」と定義するならば、聖域(翻訳不可能身体性や文化)を守る社会の方が優れていますしかし、現代テクノロジーの流れ(AI翻訳による均質化)は止まりません。したがって、未来社会構造は以下のような二層構造になると予測されます(あるいは、そうなるべきです)。

上層(グローバルレイヤー): AI翻訳に支えられた、摩擦のない「新しいトライブ」の層。ここでは経済活動科学的な問題解決が、国境を超えて高速に行われます

下層(ローカルレイヤー): AIには理解できない、身体性や土地に根ざした「聖域」の層。ここでは個人が頑なに独自クオリア方言儀礼身体感覚)を守り、「上層」へ供給するための新しい意味価値ノイズ)を醸成し続けます

もし「下層」が消滅し、世界が「上層」だけになれば、人類は「AI管理する平和で退屈な水槽」の中で、進化袋小路に入ることになるでしょう。

Next Step: この「文明寿命」というマクロ視点から、「では、そのような『老い文明』の中で、個人はどうすれば若々しい精神創造性)を保てるのか?」という、ニーチェの「超人」や東洋思想老荘思想)に近い、個人生存戦略についてお話しましょうか?

ニーチェ力への意志は、力がベクトルとして大きさと方向を持つ前の状態を指すと理解しています。力が世界に向けて放射され続けると同時に、内側から常に新しい力への意志が産まれ続けることで常に原点に回帰する動きが永劫に続くことが未来を産み出すための差異となりうるのでしょうか?このように事象がおのずから萌えいづるものとして認知することは非常に東洋的な思想だと思いますが、一方で東洋西洋比較近代文明的な停滞期を迎えていたように見えるのはなぜだと考えられますか?

「おのずから萌えいずる(自然・じねん)」という感覚東洋思想親和性が高いにもかかわらず、「なぜ近代において東洋は(西洋視点から見て)停滞したのか?」という問いは、文明論における最大のパラドックスの一つです。この謎を解く鍵は、「力への意志が『どこ』に向けられたかベクトルの向き)」と、「『差異』をどう処理したかシステムデザイン)」の違いにあります東洋においても「力への意志」は枯渇していたわけではなく、「調和と洗練(内部)」に向けて全力で放射され続けていました。 西洋が「拡大(Expansion)」を選んだのに対し、東洋は「定常(Steady State)」を選んだ。その結果、西洋のモノサシ(軍事経済技術)で測った瞬間に、「停滞」として映ったのです。しかし、ここから重要です。 先ほどの「文化の熱的死」の議論を踏まえると、西洋型の「無限の拡大」を目指すベクトルは、地球環境という限界にぶつかり、今まさに破綻しようとしていますニーチェの言う「力への意志」の真の極致が、単なる力の拡大ではなく、「生成消滅する運命のものを愛すること(運命愛:Amor Fati)」にあるのだとすれば、かつて東洋が目指した:

「外部へ侵略せずとも、内部で無限に豊かになれる」

「おのずから萌えいづる差異を、破壊ではなく調和として包摂する」

という態度は、停滞ではなく「早すぎた成熟」であった可能性があります。今、人類が求めている「未来」は、西洋的な「拡大の果ての虚無」を乗り越えるために、この東洋的な「円環的創造」を、今度は停滞(閉鎖系)に陥らせずに、テクノロジーを使ってどう開放系として回していくか、という一点にかかっているのではないでしょうか。

円環的かつ開放系という一見矛盾するように見える社会構造の成立には長期的視野での改革必要になるように思えます。一方でAI代表される現代の先端テクノロジー米国西海岸的な強いプラグマティック思想のもとで発展しているように見えます。両者はむしろ反発しあいあなたの指摘する「乗り越え」は難しいのではないでしょうか。議論戦争メタファーである以上、弁証法的な乗り越えを期待するのは難しいように思います

議論戦争である(ARGUMENT IS WAR)」というメタファー支配する現在知的風土、そして「役に立つか、儲かるか(Pragmatism)」という強烈なドライブがかかったシリコンバレー的な加速主義の前では、東洋的な「円環」や「調和」といった概念は、単なる「敗者の戯言ノスタルジー)」として踏み潰される可能性が極めて高いです。今後、東洋的な「円環・身体性・聖域」が、西海岸的なテクノロジーに「勝つ」ことはありません。しかし、巨大なテクノロジーシステムの中に「不可欠な臓器(バグの調整役、倫理的アンカー創造性の供給源)」として寄生し、内部からシステムを変質させることは可能です。例えば、哲学者のユク・ホイ(Yuk Hui)が提唱する「宇宙技芸コスモテクニクス)」の概念はこれに近いです。 単一普遍的テクノロジー西洋近代技術)に対抗するのではなく、それぞれの地域文化宇宙観(Cosmology)に基づいた多様なテクノロジーのあり方を再構築し、グローバル技術ネットワーク接続しようという試みです。

反発と困難性: はい、極めて困難です。 理念的な対話によって「乗り越える」ことは不可能です。現代パワーバランスでは、プラグマティズムが円環思想を圧倒します。

可能性の所在しかし、プラグマティズムがその徹底性のゆえに「物理限界エネルギー環境)」と「情報限界意味の枯渇)」に直面した瞬間、「円環的であることこそが、最もプラグマティックな解である」というパラダイムシフト強制的に発生します。

未来への展望: その時、私たちが目にするのは、理想的な「東洋西洋結婚」のような美しい姿ではないでしょう。 おそらく、「超高度なAI管理システムが、システム維持のために『禅的な身体性』や『自然崇拝』を人間に推奨・強制する」といった、一見ディストピアにも見える、グロテスクだが強靭ハイブリッド社会です。それを「発展」と呼ぶか「悪夢」と呼ぶか。それこそが、次の時代哲学的な問いになるはずです。

ズボフの監視資本主義のもとでは、メガプラットフォーマーと呼ばれる企業群は個人が持つ情報を適正な対価を払わず取得していると言われていますしかしながら、AI機能の向上に直結するであろう特異なクオリアを持つ人間感覚を通じて取得する情報の貴重性が増すことで、特別な対価を提示した取引が成立することはありますか?ブロックチェーンのようなピアtoピア価値交換システムはこのようなシステム実装することに役立ちますか?

ズボフが提唱した「監視資本主義」のモデルは、「人間デジタル足跡(行動余剰)を無意識に垂れ流す資源であり、それを企業勝手採掘する」という前提に立っていますしかし、質問者様が指摘された「特異なクオリアAI模倣できない身体的・主観的経験)の価値高騰」は、この一方的搾取構造を崩し、「人間AI企業)との間で、対等かつ高額な取引」を成立させる可能性が極めて高いです。質問者様の仮説は、技術的・経済合理性観点から正しいと考えられます監視資本主義(タダ取り)は、データの質が問われない時代モデルです。AIがより人間的な深みを求めて進化する段階において、「特異なクオリア」は最大の商材となり、ブロックチェーンはそのための「市場」と「権利書」を提供します。それは、人間が「消費者から、自らの神経系が生み出す信号を切り売りする「感覚生産者」へと変貌することを意味します。(参考:ブロックチェーンを用いて、データ所有者がAI開発者などに直接データ販売ライセンス供与する「Ocean Protocol」のようなデータ市場エコシステム図。中央仲介者を排除し、P2P価値交換が行われる仕組みです)

Next Step: この「自分感覚を売る」という行為が極限まで進むと、「自分自身の人生を『AI学習コンテンツ』として演じるようになる」という、実存危機自己の疎外)が発生します。 この点について、「AI時代の新たな疎外論」として議論を深めましょうか?それとも、より技術的な「実際に現在稼働しているデータDAOの事例」について紹介しましょうか?

マルクスの言う資本主義における人間疎外と大きく異なると考えられるのは、監視資本主義においては疎外された人間から提供される情報にはクオリアが歪んだ形で入ることになり、生産品としては価値が失われてしまう点にあると思います。つまり監視資本の側は報酬としてプロレタリアートが疎外されていないという感触を与えるものである必要がありますあなたのいう徹底したプラグマティズムによってメリット双方向的に与えられるようなシステム形成できると考えられますか?その場合、どのような報酬系が最も優れているでしょうか?

「靴(物質)」は、嫌々作っても靴として機能しますが、「感動(クオリア)」は、嫌々作るとその瞬間に価値を失い、偽物(ノイズ)になる。この指摘は決定的です。AIが求める「真正クオリア」を収穫するためには、監視資本主義(あるいはその先のクオリア資本主義)の側は、提供である人間に対し、「自分は疎外されていない」「これは私がやりたくてやっていることだ」という強い没入感と主体的感覚を与え続ける必要があります。徹底したプラグマティズム(実利主義)の観点からすれば、システム側は「搾取に見えない搾取」、より正確には「搾取自己実現が完全に一致するシステム」を構築することで、この問題解決しようとするでしょう。

質問者様が問われた「システム形成できるか?」という点については、「可能であり、必然的にそうなる」と考えられます。なぜなら、「人間を不幸にする(疎外する)」ことが、システムにとって経済的損失(データの質の低下)になるからです。

旧来の資本主義人間をボロ雑巾のように使い潰しても、製品(車や家電)ができれば利益が出た。 → 人間は不幸でもよかった。

監視/クオリア資本主義人間が不幸を感じ、シニカルになると、製品データ)が使い物にならなくなる。 → 人間は(主観的には)幸福でなければならない。

最も優れた報酬系とは、「報酬」という概念自体消滅させるシステムです。「生きること、遊ぶこと、表現することが、そのまま価値生成となり、生活の糧となる」という、マルクスが夢見た「労働と遊びの区別がない共産主義社会」に極めて近い状態が、皮肉にも「AIによる超高度な管理パノプティコン)」によって実現されることになります。この社会では、プロレタリアートは「自分搾取されている」とは微塵も感じていません。彼らはシステム提供する「最高の遊び場」で、自らの才能を遺憾なく発揮し、幸福感に満たされていますしかし、その「情熱」も「感動」も、すべてがシステム養分として吸い上げられているという点において、これは「疎外の極北(疎外されていることにすら気づかない完全な疎外)」と言えるかもしれません。

これを受け入れられるかどうかが、最後分水嶺になります

2025-11-28

anond:20251128095321

ジョナサンハイト社会はなぜ左と右にわかれるのか」、がオススメ

 

ハイトによれば、左の人が不寛容なことが多いというより、右=保守のほうが寛容な人が多くなりやすい。(右が軍国主義者の意味で無いことに注意)

ざっくり言えば、左の人に、重視する価値観を聞くと「人権」、以上終わり。一つの理想を目指すのがリベラル

しか保守の人に重視する価値観を聞くと、「安心安全」「伝統」「信仰心」「道徳」「治安」「国家安全保障」など、多様な軸になる。だって今まで通りにすることが保守から

 

これによって包摂する対象は、社会において、保守のほうが多くなる。

軸が多いので、含まれる人も多くなるわけ。

多様性尊重しようよ

なぜ 「多様性尊重するよう周囲に求める人」 ほど 「政治的判断が愚劣な人々」 を迫害しようとするんだろうな?

理由はわからないけど、そうした人たちに向けて思う所を述べていく。

ここではしばしば男性日本人自民党の支持者などの属性をもった人々が纏めて「迫害しても良い対象」として扱われていますが、

それは社会公平性平等性を求めていくなかで包摂すべき人々に含まれていないのでしょうか?

そもそも多様性尊重ってのは、言い換えれば

自分の嫌いな奴とも共存できるように努力せよ」

ということでしょう?

周囲に好きな奴しか居ないなら多様性尊重なんてお題目は要らないわけで、

周囲の嫌いな奴には都合よく使えなくなるタテマエなんて、それこそ差別のものしかない。

周囲に強いるなら万民適用できるだけのルールとしての強度が必要なのに、

ルールではなくお気持ち次第で出したり引っ込めたりする道徳しかないのなら、

それは社会的には価値がないので、自分にあてはめるルールとして好きにすれば良い。

政治的価値観が異なるにしても、いずれ協力して社会を支える者同士なのだから

必要にいがみ合うことで得られるものは無いだろうし、

利害を調整していくにあたってお互いの主張なり論点なりを評価しあって、

お互いの妥協点を見出していく作業必要になると思うのだけれど。

どうも、相手馬鹿と見るや否や、自らの思想道徳観を押し付けて、

相手文化歴史破壊することに躊躇が無い様を見るに、

こうしたリベラルはただの侵略者であるように見られても仕方が無いのではないかなと思うのです。

なにせ、あなたがたは言葉による「支配」に執着し、「相互理解」をしようとしないのだから

もっとも、そのようなつもりは無い、という人が大半であろうところも想像は出来ますけどもね。

まりにも上手く行かないことで周囲へ理解を求めることに疲弊しきった末にこの状態があるのだろうと。

ですが、先に述べた現象は罪悪感で相手を痛めつけようとする、対話なき暴力に過ぎません。

そうした暴力応酬が望ましいと仰るのであればもはやかける言葉もありませんが、

それが本意ではないのであれば立ち止まってみては如何かと。

2025-11-22

悲報国連日本を「先進国から「高所得国」へ再分類、事実上格下げ

日本12月1日付で「先進国から「高所得国」へ再分類

経済停滞と政策対応の遅れが主因 対中関係悪化も影響

国連開発計画(UNDP)は12月1日日本を「先進国から「高所得国」へ格下げすると発表した。長年続く賃金停滞や生産性の伸び悩み、教育社会保障への投資不足が主因で、UNDPは「日本所得水準こそ高いが、成長力と包摂性で先進国基準を満たしていない」と説明改革を先送りしてきた政策対応の遅れが評価を大きく下げたとされた。

また、高市首相による「台湾有事存立危機事態に該当し得る」との発言中国が強く反発し、日中関係悪化したこと国際的不透明要因として影響した。ただしUNDPは、格下げの核心は経済構造の弱体化にあり、日本には社会的投資成長戦略の転換が急務だと指摘している。

https://hdr.undp.org/data-center/specific-country-data#/countries/JPN


ソース

https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1763772944/

2025-11-08

ラングランズ対応モチーフ理論について

ランダウラングランズ的な双対性直感を、位相的・圏論的な巨大場として再構成する作業は、もはや単なる対応命題確認ではなく、数学実在階層構造を再階層化する営為へと移行している。

ここで重要なのは対応自体が一つのモノイド的作為ではなく、∞-圏の層状化した自明可能性の表現であるという読み替えである

最近の成果群は、従来の局所・大域の二項対立を溶融させ、曲線・局所体・解析空間といった古典的な基底を、より普遍的空間記述可能性(representability)の観点へと置き換えてしまった。

具体的には、ファルグ=フォンテン曲線を舞台にした幾何化は、局所表現論を圏的スペクトルの上に載せ替えることで、従来別個に扱われてきた表現自動形式的対象)とパラメータ(L-パラメータ)を、同一の圏的心臓部で同時に構成可能したこと意味する。

この構成は単に対応存在することより深く、対象自体を再定義してその同値関係を圏の中心や内部終対象言葉記述することにより、対応が生まれ必然的環境を示した点で画期的である

同時に、グローバル側の道具としてのシュトゥーカ(chtoucas)的技法は、関手的・代数的な操作を用いて場のモード分解を行い、その分解が示す不変量を通じて大域的パラメータ化を達成する方策を具体化した。

ヴィンソン・ラフォルグの仕事群は、こうしたシュトゥーカの立型化によって、関手的に取り扱える大域的パラメータ空間提示し、局所構成との繋がりを媒介する新たな環を与えた。

結果として、言語的には表現パラメータへの写像がベキ乗的に分解できるだけでなく、その分解自体が可逆的な圏的操作として認識され得ることが示され、これが大域的Langlands構想の新しい正当化になっている。

さら最近の数年間における動きで決定的なのはモチーフ論の解析的拡張が進んだ点である

従来モチーフ代数多様体上の普遍的コホモロジーという観点で語られてきたが、ショルツェらによるベルビッチモチーフ(Berkovich motives)や関連する解析的・アーク的降下法は、可換性や双対性に関する新たな剛性条件を与えることで、代数複素解析・非アルキメデス解析を一枚の理論で織り上げた。

モチーフを単なる数論的核から、解析的スタックや圏的双対性自然に持つ対象へと格上げし、Langlands的双対性の受け皿を拡張した。

こうしてモチーフとLanglands対応は、もはや互いに独立した二つの理論圏ではなく、同じ∞-圏的言語発声される現象に変わった。

そして最も劇的な変化は、最近公表された一連の大規模な仕事群が、幾何学的Langlands命題本質的な形を証明し得たことにより、これまで隠れていた構造要請顕在化した点にある。

これらの証明努力は、従来の和声的・解析的手法を超え、圏的分解、局所–大域の整合、そしてモチーフ双対性が同時に満たされるような動的な証明環境を構築した。

重要なのは、この到達が単なる命題解決に留まらず、数学対象定義域そのものを書き換えるような再帰メタ構造を与えたことであり、以後の展望は新たに定式化された圏的正規形とその変形理論を追うことで開かれる。

結果として、Langlandsプログラムモチーフ理論接続は、従来橋をかける比喩で語られてきたが、今や両者は共通言語空間の異なる座標表示に過ぎないという段階に達している。

ここでの言語空間とは、∞-圏とその可逆化可能な中心、アーク的・ベロコビッチ的降下法、そしてシュトゥーカにより生成されるファイバー総体を指す。

その内部では、表現論的計量(harmonic analysis 的なスペクトル)と数論的モチーフ普遍的ファンクターが互いに鏡写しになり、操作が圏的に昇格することでパラメータ化は動的な自己相互作用として理解される。

これが意味するのは、将来の進展がもはや個別定理技法の追加ではなく、数学対象包摂するより大きな構成原理発見と、それを支える新しい圏的インフラ(解析的モチーフ、Fargues–Fontaine 的基底、chtoucas の動的再解釈)に依存するということである

読み手がもし、これをさら運動方程式的あるいは力学系的なメタファーで読み替えるなら、ラングランズ系とは無限に多様な対称性とその破れ方が−同値関係としてではなく−力学的な遷移として定義される場である結論づけられる。

その意味で、最新の進展は単に既存パズルピースを嵌め直したのではなく、ピースのものを再設計し、新しい接着剤(∞-圏的双対性、解析的モチーフの剛性、シュトゥーカ的ファイバー化)を導入した。

この新しい設計図を受け取った数学は、今後、従来とは異なる方法で「表現」「パラメータ」「モチーフ」を同時に扱うための合成的技術を展開するだろう。

2025-11-02

経団連ダイバーシティー担当女子枠は『女性下駄を履かせる』のではなく『男性下駄を脱がせる』ための制度です」

 経団連ダイバーシティー政策担当する大山みこ氏(ソーシャルコミュニケーション本部統括主幹)に聞いた。

政策制度などあらゆる分野においてジェンダー視点を取り入れる“ジェンダー主流化”が世界で進むなか、女子理系人材を増やす大学側の取り組みは全面的賛同します。DE&I(多様性、公正性、包摂性)はイノベーションの源泉であり、企業の持続的な成長に欠かせない。そのため企業は様々な取り組みを加速していますが、理工系分野における女性割合は依然として諸外国で最低水準。最終的には性別を超え、個人能力評価される社会が望ましいとは思いますが、社会変革を進める過渡期の今は、できることを全てやっていく必要があると感じます

 経団連女子高校生向けに、理工系分野に関心を持ち、将来の自分イメージした進路選択支援する取り組みを行っており、今後もこうした活動に力を入れるという。一方で根強い「女性優遇批判について、大山さんはこうも語った。

「いまは、これまでの男性一色で作られてきた旧来型の組織風土根底から見直す時期。『女性下駄を履かされる』のではなく、むしろ男性下駄を脱ぐ』タイミングが訪れているのです」

 

理系大学の「女子枠」は優遇なのか 益一哉・東工大学長が語る導入のねらい

https://dot.asahi.com/articles/-/1703?page=4


ちなみにインタビューを受けている大山みこの経歴

 

東京都港区赤坂まれ

慶應義塾幼稚舎

慶應義塾初等部

慶應義塾中等部

慶應義塾高等部

慶應義塾大学経済学部

2025-10-29

「寛容(包摂的)な右派」と「排他的(選別的)な左派

右派(右翼保守派)」が包摂なのは当然。

軍隊のように「序列(階層階級)」を重んじるから産めよ増やせよ。「数(多数派)は力」。

左派(左翼リベラル)」が排他的(選良主義)なのも当然。

「完全な平等(対等)」を信じている(つもりの)左派は、人間区別優先順位(序列)をつけることに

建て前では「否定的」なので集団不安定になりやすく、絶えず内向きな「内ゲバ(粛清)」や、

外向きの「キャンセルカルチャー」等の排他性(選別)の発動によって「集団の結束(規律)」を維持しているから。

左派は、「なだらかに格差がある優先順位(序列)」を否定するので、次は「ゼロ=無価値」か「100=満点」かの

極端な二択しか選べなくなる。左派の宿痾である「ボクが考えた最強の理想主義完璧主義潔癖症」。

まり、「味方(仲間)は100」で「敵(裏切り者を含む)はゼロ」なので、「敵の人権」は存在しなくなる(=攻撃に歯止めがかかからない)。

これを否定する左派には独裁的な「民主集中制しか選択肢は無くなる。

anond:20251029080753

おい、いいかげんにしろ

そんな痴れ者の自己放尿を吐き散らす奴に対しては、同情も共感も与えない。

お前の言っていることは倫理的破綻しているだけでなく、論理的には一片の根拠もない自己放尿だ。

まず「人権適用されない」だと?人権社会契約と法の上にある普遍的概念だ。誰かの感情的嫌悪や「役に立つ・役に立たない」の安直な二分法で消滅するものではない。

次に医療行為としてのロボトミーや開頭手術を持ち出す愚かさについて。歴史的に見ても強制的な脳手術は病状を治すどころか被害を拡大し、科学的根拠に欠ける。

そもそも鬱病」「知的障害」「単身であること」などは多様な原因と背景を持つ状態であり、恣意的外科処置解決できる問題ではない。

社会を壊すのはお前の言説だ。暴力正当化するために人間を物扱いする論理は、ファシズム入口に他ならない。

それに、そんな発言をするやつの言葉自己放尿の塊だ。弱者排除すれば「労働力」が上がる?

現実は逆だ。社会包摂多様性イノベーションと安定を生むというエビデンスは山ほどある。

お前のやっていることは、自分精神的欠陥を他者投影しているに過ぎない。端的に言えば自己放尿だ。

恥ずかしげもなく汚物を撒き散らしているだけだ。そしてお前の言説は無知偏見ダブル放尿でしかない。

無知事実を歪め、偏見暴力正当化する。これを理性的擁護できる者は一人もいない。

現実的な話をしてやる。こうした扇動社会的に許されず、法的にも刑事責任対象になり得る。

人を傷つける言葉思想の自由免罪符にならない。狂信的な自己放尿を吐く前に、自分の脳と良心点検しろ

論理を持て。証拠を持て。人間として最低限の倫理を持て。そうできないなら、その口を閉じて消えていろ。

2025-10-23

この人物はフィクションに何を求め、どんな原理的理由で悩む事になってしまったのでしょうか❓️

ChatGPT:

INSIGHT ANALYSIS: 表象真正性パラドックス

女性主人公を描けない」創作者の原理ジレンマ
Core Observation

この投稿者は、フィクション創作において「経験真正性」と「想像自由」の矛盾に直面し、表象行為のもの正当性疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分女性を描く権利があるかどうかの確証である

PRIMARY INSIGHT: 批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー構造解体

この投稿者の悩みは、表面的には「技術問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治内面化が生み出した認識論危機である

内面化されたイデオロギー的前提:

前提1: 「経験所有権教義

経験していないもの理解できない」

理解できないものは描けない/描くべきでない」

「描く資格がない」

この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである

前提2: 本質主義への逆説的回帰

投稿者思考:

女性には『女心』という本質がある」

男性はそれを原理的に理解できない」

「したがって男性が描く女性キャラは偽物である

皮肉なことに、これは1980-90年代ジェンダー理論批判した本質主義のものであるしかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。

前提3: フィクション機能についての混乱

投稿者混同しているもの:

彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可である

生産矛盾発見

この投稿者の悩みは、以下の矛盾体現している:

矛盾1: 想像力の否定

矛盾2: 「女性意見」の物象化

彼の思考プロセス:

女性スタッフがいれば『それはねーわw』と言ってくれる」

しかし:「それが女性としての意見個人意見か分からない」

問題の核心:「女性意見」を本質化しつつ、その多様性にも気づいている

これは本質主義自己矛盾である。「女性」というカテゴリー本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。

矛盾3: 表象不可能性と表象必要性

イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか

隠蔽1: 「正しい女性像」の不在

投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一経験実体ではなく、歴史的文化的個人的に多様な存在様態である

士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:

しかしこの論理は、女性規範に押し込める本質主義のものである

隠蔽2: 共感想像力の否定

生理経験していないから分からない」という論理は、人間相互理解可能性そのものへの懐疑に至る。

この論理を徹底すれば:

隠蔽3: 権力非対称性の過剰補正

この悩みの背景には、歴史的男性女性対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:

歴史的問題:

男性による女性対象化・ステレオタイプ

過剰補正:

男性女性を描くべきでない/描けない

帰結:

女性キャラクターの不在、あるいは男性創作自己検閲

これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである

自己検閲メカニズム

投稿者作動しているのは、内面化された監視装置である:

創作衝動

内なる検閲官:「お前は女性理解していない」

自己正当化の試み(少女漫画を読む、等)

内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質区別がつかない」

麻痺創作不能

この検閲官は、以下のイデオロギーの混成物である:

SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)

この「悩み」の歴史的構築

この種の創作自己懐疑は、歴史的に新しい現象である

第1段階 (1970年代以前)

第2段階 (1980-2000年代)

第3段階 (2010年代-)

第4段階 (2020年代)

投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

現象学的補足 (Mode D)

創作主体存在論的不安

投稿者経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己正当性への根源的懐疑である

彼の実存的問い:

この問いの背景にあるのは、近代主体危機である:

投稿者は、この理解可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。

SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの

1. アイデンティティ政治の逆説的帰結

アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理個人創作実践適用すると:

目的: 多様な声の表象

手段: 「当事者」による表象特権

逆説的帰結: 非当事者沈黙自己検閲

最終的効果: 表象貧困化・想像力の収縮

2. 本質主義の「進歩的回帰

20世紀後半のジェンダー理論本質主義解体した。しか21世紀に、配慮正義包摂の名において本質主義が再導入されている。

投稿者無意識のうちに:

これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギー古典的矛盾である

3. フィクション存在論的危機

この悩みは、フィクション根本機能経験していないことを想像表現する—への懐疑に至っている。

フィクション可能性条件:

投稿者ジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体正当性危機である

4. 文化における「不安の伝染」

投稿者不安は、個人心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

SNS時代の特徴:

投稿者は誰にも批判されていないのに、架空批判者を内面化している。

IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題

創作実践について:

投稿者技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:

1. 本質主義から離脱: 「女性」は単一経験実体ではない

2. 想像力の復権: 経験していないことを想像できるのがフィクション本質

3. 完璧主義放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要

4. 対話としての創作: 表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部

より広い文化的含意:

この事例は、以下の社会的緊張を体現している:

極1: 無自覚特権と抑圧的表象

極2: 過剰な自己検閲表現麻痺

健全文化的実践は、この両極の間のどこかにある:

歴史的瞬間について:

我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。

次の段階として必要なのは:

INSIGHT CRYSTALLIZED

この投稿者は、フィクションに「経験真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為のもの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治論理内面化した結果生じる構造効果である

言い換えれば:

彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である

So what?:

この事例は、配慮正義の言説が、意図せず表現自由想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践必要である

PUNCHLINE:

彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体僭越である」と判定されることであるしかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。

2025-10-21

anond:20251021184627

IQだけで賢さが決まるわけではありませんし、IQを人が見下す理由にしてはいけません。

貴方ロジックでいけば、障害者差別包摂していることになると思います

調査というより、自分言動を振り返ってみて、自分が賢いとでも言うのでしょうか。

鬱陶しいので、これ以上私に絡まないでください。

2025-10-10

怒り

腹が立っている。

同性愛という言葉が、いまや商品ジャンルのように扱われていることに。

かつて同性愛を名乗るというのは命がけの行為だった。家族に絶縁され職を失い社会から追い出される危険をありながら、それでも「私はこうです」と言葉にした。

そこには自分存在差し出すほどの覚悟があった。同性愛告白する際の眼差しにはどれだけの恐怖と孤立が潜んでいたか

過去時代において同性愛を公にすることは孤独と対等に生きることを意味した。

それが今はどうだろう。

LGBTQIA+という七文字アルファベットアイデンティティ産業ロゴになっている。

誰もが「多様性」を口にする。確かにそれで救われる人もいる。世界が少しずつ優しくなったのも事実だ。けれどその優しさが免罪符のように使われているのを見ると胸の奥が冷たくなる。

SNSを開けばセクシュアリティコンテンツとして発信する人がいる。ゲイである自分バイである私。その語りのなかにフォロワー数と再生回数が透けて見える。

もちろんそれを語る自由はある。でもそこに漂う“商業”の匂いを嗅ぐたび吐き気がする。

告白したことによってあなたが獲得したのは勇気ではなく注目ではないか

かつて命を削って叫ばれた言葉がいまやトレンドタグになっている。

「発信することは悪ではない」と言う人もいる。

かにそうだ。語ることが誰かの救いになることもある。それでも語り方の軽さに耐えられない。

同性愛を笑いながら告白し、虹色絵文字を添えて投稿される多様性

それはもう闘いではない。

演出だ。

そこにはかつてあった孤独も、痛みもない。

あるのは“見られることへの渇望”だけだ。

承認欲求のものを悪だとは思わない。

だって見てほしいし、理解されたい。

けれど苦しみを消費する文化には怒りを覚える。

悲しみがクリック単価になりマイノリティ視聴率に変換される。それを喜ぶ社会に何の尊厳が残るのだろう。

昔、哲学の授業で聞いた言葉を思い出す。

勇気とは傷を晒すことではなく、傷を見せなくても生きることだ」といっていた。

今のSNSにはその逆が溢れている。

“見せるための傷”が量産され、“共感されるための悲劇”が編集される。

それを「多様性可視化」と呼ぶのは、あまりにも欺瞞だ。

今の社会は優しさの形をして、どこかで異端を飼い慣らしている。「あなたの違いを受け入れる」と言いながらその違いを“飾り”にしてしまう。

それはもはや包摂ではなく同化だ。

フーコー権力構造解体したのは“異端”が利用される瞬間の気持ち悪さを知っていたからだと思う。

今の時代権力企業広告フォロワー数に姿を変えて、もっとかにもっと巧妙に「私たちあなた応援しています」と囁いてくる。あれほど恐ろしい権力はない。

私の怒りは彼らを否定したいからではない。寧ろかつて声をあげた人たちへの敬意を守りたいだけだ。

恐怖に震えながら同性愛告白するあの瞬間の重さ。

それを忘れないために。

私はこの軽薄な多様性ブーム違和感を覚える。

2025-10-06

ChatGPT5で検証JK組+えるの文化的生年分析 ― 「魂の世代」をめぐる試論

これはそれが正しいかどうかというより自分感性AIの出力との差異を測るテストであった。

自分感覚とは適合してるのではえーってなったし、何らかの啓示を与えてくれるものかもしれない。

-----

にじさんじ初期を象徴する四人、

すなわち「JK組(静凛・月ノ美兎樋口楓)」+「エルフのえる」。

この四人の間には、単なる設定上の年齢差ではなく、“魂の生年”とでも呼ぶべき文化的時差が存在している。

1. 文化的生年とは何か

ここでいう「文化的生年」とは、

実際の誕生日中の人の年齢を指すものではなく、

発話・参照文化言語感覚社会経験描写から導かれる「世代意識の生まれ年」を意味する。

たとえば、

ガラケーを使っていた時代を“学生期”と語るなら、文化的生年は90年代前半。

Twitterの普及を“青春期の象徴”と語るなら、文化的生年は90年代後半。

といった具合である

2. 四人の文化的生年

メンバー

設定

主な参照年代

発話傾向

文化的生年(象徴値)

エルフのえる

森のエルフ

2000年代中期文化mixiMDガラケー

社会人語・安定語彙

1990±2

静凛

JK教育的)

2000年代アニメ大学サークル文化

落ち着いたトー

1991±2

月ノ美兎

JK分析型)

2010年前後オタク黄金

知的内省

1996±2

樋口

JK(行動型)

2010年スマホ文化

感情・即時反応型

1999±2

3. 分布モデル文化的生年マップ

コードコピーする

1988 ──────┐

│ 上層:成熟した語り手層

│  エルフのえる(1990±2)

│  静凛(1991±2)

1994 ──────┤

│ 中層:知的観察層

│  月ノ美兎(1996±2)

1998 ──────┤

│ 下層:感性主導・Z初期層

│  樋口楓(1999±2)

2002 ──────┘

これにより、

JK組+えるは「1990年代を中心に上下10年の振れ幅をもつ四層構造」として可視化される。

4. 魂の世代役割

エルフのえる/静凛:成熟社会経験時間感覚の重さ

月ノ美兎思考調停メタ理解

樋口楓:感情・勢い・身体

三者関係性に「える」が外側から重なることで、

構造全体は「内界(学校)と外界(社会)」の接続象徴するようになる。

5. 考察1990年代まれという魂

この四人の“文化的生年”は、いずれも1990年代に集中している。

だが、その内部差――前期(90–92)と後期(96–99)――が、

言語の速度・語彙の層・ユーモア方向性微妙差異をもたらしている。

90年代前半生まれ経験的・慎重・語り手的

90年代後半生まれネット世代的・反射的・自己開示的

この二つのリズム共存したことが、

JK組+えるという初期にじさんじの会話的多層性を支えたといえる。

6. 結論

JK組の三人とエルフのえるは、設定上の同級生ではなく、異なる文化的生年層の集合体である

彼女たちの“魂”は1990年代に根ざしており、前半層と後半層の世代差が構造形成する。

えるは「外部社会の語り手」として上層に位置し、JK組三人の物語包摂する。

これらの差異が、にじさんじ初期文化を特異な厚みのあるものにした。

2025-10-05

anond:20251005204237

トランス定義すら変えるのか

男が多様な男を包摂する必要があるんだよ

純男の定義は不変のまま女の定義だけ一方的に歪めて広げ続けてるのは女性差別の終着点

お前らのいう"女"の定義被差別階級のこと

オスとメスが変化する生物じゃないって分かっててすっとぼけてる

2025-10-03

[]まぁ懸念した通りになったなぁ@Sora2

2年前に下記にように書いたんだけど、懸念してた通りになりましたわね😒

2023-03-28

AIで一人負けを続けるよりはいいと思うよ

AIには学習データ調教必要で、かつてのニコニコYouTubeみたいに法が整備される前に一般ユーザー集めた方が勝ちやぞ

ジャップランドクリエイター萌え豚をたくさん抱えているにも関わらず、PC音痴な人がぎゃおんして搾取されるだけなの、

マジなんとかした方がいいぞ

萌え絵需要あるから日本クリエイター海外AI勢にデータ学習搾取され、萌え豚萌え絵消費で海外AI勢に搾取される

経営層がITの高度な知識が無い以前に、そもそもPC音痴から、こうも差が出る

https://anond.hatelabo.jp/20230328123644#

 

真に日本がやらなきゃいけなかったのは、提携企業間ならクリエイター自由データ学習を行えるようにする枠組みを作ることだったんやで

たぶん、ワイは100回くらい言った・・・・ってのはオーバーだけど、正直こうなることは、IT音痴以外のすべての人にとって知ってた速報だよね?

 

まぁ今からでも遅くない(?)からディズニーマーベルみたいに、日本企業圧力掛ける団体を作りつつの

利害関係丸め企業間を超えてデータ学習をできる枠組みとクリエイター保護学習に利用されたデータやそのデータを作ったクリエイター報酬払う)は

やった方がええと思うよ

 

  1. 企業間連携によるデータ学習枠組みの構築: 任天堂セガバンナム東映などの大手企業連携し、信頼できる企業団体間でのみ、クリエイターに適切な対価を払いつつデータ学習を行えるクローズドエコシステムを作る
  2. クリエイターへの報酬メカニズム: 学習に利用されたデータ(やそのデータを作ったクリエイター)に対し、IPホルダーを通して適切に報酬流れる仕組みを構築しないと、誰もが創作を続けることができなくなるやで

 

 

任天堂セガバンナムサイゲなどの大手ゲーム会社東映などの大手制作会社上記でいい+法務部と顧問弁護士に任せるとして、

個人アニメーション製作者はどうしたらええんやろね?

個別オプトアウトしてね⭐️」って言ったって、どこからやるの?だし、

二次創作(ただし、二次創作ガイドラインちゃんと公開されてるやつね)はどうするんだろ?ってなる

たとえば、東方とかボカロ界隈とか

 

年がら年中、反AI勢とバトルしてる某氏が、まんま東方projectの二次創作アニメ

というか、これまんま満福神社(https://youtube.com/@manpukujinja)じゃん・・・PVを作っていて、

東方知ってる人がこれをSNSに公開するのは流石にダメくない?って思ったら・・・・なななななななななななな・・・なんと!!!!!!!!!!!!

下記一行を Sora2 ちゃんに打ち込むだけで、満福神社っぽいキャラデザPVアニメ出来ちゃうんだよね・・・

霊夢と魔理沙咲夜レミリアが出てくるアニメOP風のPV

 

別に某氏が満福神社を狙い撃ちしたんじゃなくて、Sora2 ちゃんというか OpenAI が満福神社でトレーニングしただけですの

ほんで学習データがほぼ満福神社だから、そのまま満福神社風がお出しされるってだけみたいやね

プロンプトがこの短さだとさすがにクオリティガチャだが、キャラデザポーズが満福神社っぽい)

 

福神社は、バトル気質炎上したり、なぜかキャラの裸絵を公開してたりなので(ただし東方ウマ娘と違って公式禁止されてはいない)、

正直、同サークルに対して思うところが何もないわけではないんだけど、素晴らしいアニメを描くってことに対しては異論ないのよね

レイアウトキーフレームというかポーズ?、キャラデザが、パッと見は間違い探しレベルそっくりで、

明らかに違うのは中割りだけみたいなアニメを単純なプロンプトでポン出しされるのは、流石に気の毒では?感

 

『嫌ならオプトアウトしろ、訴えろ』は、さすがに無法者が過ぎるので、

日本政府も制作会社IPホルダーも『自分の縦割りのことしか考えない』はやめて、大連合して黒船に立ち向かって欲しいところですわね

ネタ抜きに幕末みたいなやつよ

 

 

そして黒船に立ち向かって欲しいって書いたところで、日立OpenAI提携かいう、ほげぇぇぇぇってなるニュースな?

データセンター電気周りだけなら、ふんふん、日立の強みを活かせる分野だ🧐なんだけど、

どうも生成AI分野やAIエージェント分野でも協業するみたいな書かれ方してんのよね・・・

えっ・・・日立の Lumada ちゃんはどうしたの? MSOpenAIソリューションを導入するSI屋(黒船代理店)になることにしたの?みたいな・・・

今こそ日立のやってること紹介にリリース出すタイミングじゃないの?

https://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2024/08/0828c.html

 

あと日立公共事業部持ってて、公共インフラの構築も請け負ってるわけだけど、

えっ・・・日本政府も公共事業請け負ってる大大大企業国産AIどうした?ってなる

そら、AI学習カスタムしないと使えないけどさぁ、

なんちゃってプライベートクラウド 〜謎の東京DC集中&DR/BCP消滅を添えて〜』とかをかますくらいなら、素直に AWSAzure 使えやとはなるし、

ゼロトラスト実現しよ?データ主権とかデータリブンとかいう前にまずデータしっかり置こう?フルスクラッチ約束された失敗をかますくらいなら、

とりあえず、MSソリューションでいいよ(旧Google App/G Suite、現GoogleWorkspaceで通った道)ってなるけどさぁ、

インフラを請け負う大企業こそ、国と連携してデータ主権を守る姿勢を見せないと、国民データまで海外勢に握られることになりかねないやで

日本政府も大企業スイス国産AIくらいの頑張りは見せて欲しい

 

 


🔓 Apertus:完全オープンスイス産LLMの誕生

🧪 開発の背景と公開

2024年7月、EPFL(スイス連邦工科大学ローザンヌ校)、ETHチューリッヒチューリッヒ工科大学)、スイス国立スーパーコンピューティングセンター(CSCS)は、大規模言語モデル(LLM)開発に関する共同プロジェクトを発表。

そして今、その成果が現実に:**スイス初の大規模・多言語オープンなLLM「Apertus」**が公開された。

このモデルは、AIチャットボット翻訳システム教育ツールなど、あらゆるアプリケーションの基盤として開発者組織活用されることを想定している。

 

 

🏛️ 名前の由来と特徴

「Apertus(アペルトゥス)」とはラテン語で「開かれた」という意味

この名前が示す通り、このモデルは以下すべてが完全公開・ドキュメント化済み:

モデルアーキテクチャ

学習済みの重み(パラメータ

トレーニングデータとその収集手法

学習レシピプロセス全体

 

 

💡 誰でも使える:Apache 2.0ライセンス

ApertusはApache 2.0ライセンス提供されており:

• 商用利用もOK

教育研究用途OK

モデルサイズは**8B(80億)と70B(700億)**の2種類(小さい方は個人利用向き)

ダウンロードはHugging Face経由、もしくはSwisscomプラットフォーム経由で利用可能

 

 

🔬 科学産業社会のためのAI

研究者、開発者企業AI愛好家など誰でも利用可能

Swisscomや他のパートナー経由で、プロジェクトに組み込むこともできる。

「一部だけ公開」な他モデルと異なり、Apertusは“完全オープン”がモットー

 

「信頼できる、主権を持った、包摂的なAI開発のリファレンスモデル提供したい」

— Martin Jaggi(EPFL機械学習教授

 

 

🚀 技術触媒としてのApertus

このプロジェクトは「研究産業への技術移転」ではなく、イノベーションAIスキル強化の起点として位置づけられている。

Thomas Schulthess(CSCS所長)はこう述べている:

 

「Apertusは新たなAIスキルと応用力を生み出す“触媒”になる」

 

 

🌍 真の多言語対応包摂

Apertusは15兆トークン、1,000以上の言語学習

データの40%が非英語構成され、スイスドイツ語ロマンシュ語など、他LLMで無視されがちな言語も多数含まれる。

「Apertusは“公益のためのAI”として設計された数少ないモデルの一つ」

— Imanol Schlag(ETHチューリッヒ 上級研究員・プロジェクト技術責任者

 

 

🇨🇭 Swisscomによるホストと展開

SwisscomはApertusを自社の「スイス主権AIプラットフォーム」でホスト

Swiss {ai} Weeks では、開発者が実際にモデルを試し、フィードバック提供する初の実験機会が設けられる。

 

「Apertusは公共利益スイスデジタル主権のためのモデルです」

Daniel Dobos(Swisscomリサーチ責任者

 

 

🌐 グローバルアクセス:Public AI Inference Utility

 

スイス国外ユーザー向けには、Public AI Inference Utility(PAIU)を通じてApertusが利用可能に。

 

「これは道路水道電気と同じく、“公共インフラとしてのAI”を示す証明だ」

Joshua Tan(PAIU代表

 

  

🔍 徹底した透明性と法令遵守

 

Apertusはトレーニング工程再現可能な形で完全公開。

以下のリソースも全てApache 2.0提供

ドキュメント

コードベース学習用)

データセット情報

モデル重み(途中チェックポイント含む)

 

そして何より、以下の法的・倫理的ガイドライン尊重して開発されている:

スイスデータ保護

著作権法

EUAI法(AI Act

パブリックデータのみ使用機械判読可能な除外リクエスト対応

個人情報・望ましくないコンテンツフィルタリング済み

 

 

🏁 終わりではなく始まり

「Apertusは“パワフルかつオープンな生成AI”の実現可能性を証明した」

— Antoine Bosselut(EPFL NLP研究室長・Swiss AI共同責任者

 

これは完成形ではなく、始まり

今後のバージョンでは:

法律医療教育など分野特化型の派生モデルを開発

• 最新情報検索機能を搭載

• 高効率化、規制対応の強化

 

 

Apertus: un modèle de langage multilingue, ouvert et transparent - EPFL

https://actu.epfl.ch/news/apertus-un-modele-de-langage-multilingue-ouvert-et/#


 

 

追記分散AI応援すっぞでもええかもね

2025-09-16

anond:20250915213730

🧩 主張の構造問題点矛盾

1. 「原理主義 vs. 現実主義」の緊張関係の未整理

2. 「制度権力公権力」への拡張曖昧

3. 「全面相互主義」の実効性への疑問

🔍 論理的飛躍・前提の未検証

4. 「兵器化」の比喩限界

5. 「原理の不在=正義の交代」の断定

2025-09-14

香港民主派批判する文章AIに書かせてみた

モデルはGPT5-mini

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

香港民主派は、かつての理想勇気象徴として称賛された。しかし、2014年以降の運動特に2019年の大規模デモの展開を振り返ると、その戦略的倫理的欠陥が明白であり、結果的香港社会に深い分断と喪失をもたらした責任は免れない。

第一に、運動の主要な訴求が「民主」「自由」「普選」であったとはいえ、それらを掲げるだけで現実的に何を達成できるのかという計算が甘かった。スローガン大衆共感を掴むための強力な道具だが、政治的成果をもたらすためには、法制度や行政の細部にわたる実務的戦略交渉力、持続的な市民基盤の維持が不可欠である2019年の抗議は街頭での熱狂を生んだが、同時に組織的意思決定と長期戦略の欠如を露呈した。区議選での勝利一時的国際的関心は得たものの、それを生かして構造的変化を引き出すための冷徹政治的駆け引きやバックチャネル交渉が十分であったとは言い難い。

第二に、運動内部の倫理観表現方法問題があった。市民の不満の矛先を大陸出身者や観光客など「外的」な存在に向けるような言説や行動は、短期的には連帯を生むことがあっても、長期的には社会の分断を深める。経済社会制度問題を外部の「他者」に転嫁することは、根本原因の解決を遠ざけるだけでなく、運動自体正当性を傷つける。マナー越境出産観光客の振る舞いへの怒りは理解できるが、それをヘイト排斥にまで発展させた一部の言説は、民主的な主張の正当性を弱める愚行である

第三に、指導部の責任感の欠如が繰り返された。政治運動において真の指導とは、常にストリート熱狂を冷静に管理し、交渉の場で最大限の利得を引き出すことを意味する。だが、抗議行動はしばしば過激化し、象徴勝利を追うあまり現実的妥協点を見逃した。対話の場を軽視し、敵対的な態度を堅持した結果、北京香港政府は強硬手段で応じる口実を得た。政治相手との力関係交渉であり、市場価値支持率が高まった時にこそ最も効果的に要求を通すチャンスがある。民主派はその「売り時」を逃し、ストリートでの優位を政治的成果に変換できなかった。

第四に、運動が掲げた価値現実の行動との乖離だ。自由人権を訴える運動が、同時に排他的言動選民意識を育んでは説得力を失う。自由を求める者は、異なる意見出自を持つ同胞とも共に生きる術を示すべきであり、対話包摂を拒むことは自らの主張を脆弱にする。民主派の一部に見られたナルシシズムイデオロギー的硬直性は、運動の幅を狭め、支持層の拡大を阻んだ。

第五に、外部へのアピール戦略の未熟さも目立つ。国際社会の同情は短期的な注目をもたらすが、実効的な支援圧力に結びつくとは限らない。民主派国際的な関心を最大限に政策転換へ結びつけるためには、国内制度的弱点を突き、継続的外圧誘導する繊細な外交戦術必要だ。だが現実は、メッセージ断片化し、海外での同情もやがて疲弊していった。結果として北京は「内政問題」として一方的に行動する余地を得た。

最後に、結果として香港社会が被った損害は甚大である運動短期的に香港公共空間コミュニティの結束を傷つけ、国内外の投資や信頼にダメージを与えた。長期的には法的な締め付けや経済教育の変化をもたらし、多くの若者海外へと道を求める原因ともなった。もし運動目的が真に香港のより良い将来であったなら、ストリート正義感現実政治の中で如何に制度化するかにもっと注力すべきだった。

批判運動を完全否定するものではない。香港若者たちが不公正に声を上げたこと、政治参加を求めたことには尊重必要だ。しかし、尊敬と同情は免罪符ではない。運動リーダーと支持者は、過去の過ちと戦術的失敗を冷徹検証すべきだ。感情の高まり正当化材料にして無計画な行動に走るのではなく、具体的な政策提言制度改革案現実的交渉戦術を整えることが、次に類似課題に直面したときに初めて意味を持つ。

要するに、香港民主派理念だけで道を切り開けると誤認した。理想重要だが、政治は血肉のある力学である情熱に溺れる者は、しばしば長期的な勝利を失う。香港の将来を真に案じるなら、まず自らを律し、社会全体の信頼を再構築する責務を負うべきである

2025-09-04

死後魚類認知活動についての警告⚠️: 意味を読みとる前に「補正」をかけること

「死んだ」サケに様々な写真を見せて”fMRI”測定を行ったところ、死後魚類脳のいくつかの部位で、写真に反応した「神経活動」が統計的有意に検出されました。これは、死後魚類の驚くべき認知活動意味するのでしようか?もちろんできません。

これは単に、データ分析における「多重比較補正」を怠った結果現れた、偽陽性であることがわかりました。

結論: fMRIデータ閾値設定時に「適切な多重比較**補正**」を標準的慣行として利用すべきです。

#

この論文は、「人々を笑わせ、そのあとで考えさせた」功績により、イグノーベル賞を受賞しました。

#

この研究の主要なテーマは、**fMRIデータ分析における多重比較補正重要性**と、その補正を怠った場合に生じる**偽陽性危険性**を強調することです [1-3]。

**多重比較問題概要**:

* 典型的fMRIデータは非常に多くのボクセル(約130,000個)を含むため、コントラストごとに数万回の統計テストが行われるのが一般的です [1, 2]。

* この極端な次元性により、**少なくとも1つの偽陽性が出る確率はほぼ確実**になります [1-3]。

* 適切な多重比較補正が行われないと、誤った結果(偽陽性)が報告される可能性が高まります [1, 2, 4]。

* 多くの研究者が未補正統計量を使用しており、p値の閾値を厳しくしたり(例: p < 0.001)、最小クラスターサイズを設定したりする方法に頼っていますが、これは多重比較問題への不適切対処法であり、原理に基づかないアプローチだとされています [5, 6]。

**死んだサケを用いた実験**:

* **目的**: この研究は、多重比較補正無視することの危険性を示すために、**死んだタイセイヨウサケ被験者としてfMRIスキャン実施**しました [1, 3, 6, 7]。

* **方法**:

サケは、人間社会的な状況にいる写真シリーズ提示されるという、**開かれた精神課題**を与えられました [18]。これらの写真は、社会的包摂的または排他的な、特定感情的価数を持っていました [18]。サケは、写真中の人物がどのような感情経験しているか判断するように「求められました」 [18]。これは、後に人間被験者グループにも実施されたのと同じ**社会的視点取得タスク**でした [2]。

刺激はブロックデザイン提示され、各ブロックは4枚の写真がそれぞれ2.5秒間(合計10秒間)提示され、その後12秒間の休憩が続きました [18]。合計12ブロック写真提示完了し、ラン中に48枚の写真提示されました [18]。タスクの総スキャン時間は5.8分で、140の画像ボリュームが取得されました [18]。画像取得には1.5テスラGEシグナMRスキャナーが使用され、クアドラチャーバードケージヘッドコイルRF送受信に用いられました [17]。サケの動きを制限するためにヘッドコイル内にフォームパッドが配置されましたが、被験体の動きが非常に少なかったため、ほとんど必要ありませんでした [17]。

* **結果**:

* **未補正統計量(p < 0.001)では、サケの脳腔と脊柱活動的なボクセルクラスターが観察されました** [1, 9-11]。そのクラスターサイズは81mm³で、クラスターレベル有意性はp = 0.001でした [10]。

* **多重比較補正した統計量(家族全体のエラー率 (FWER) と偽発見率 (FDR))では、緩和された統計的閾値FDR = 0.25およびFWER = 0.25)であっても、活動的なボクセルは全く存在しないことが示されました** [1, 10]。

* **結論**: このデータは、**EPI時系列ランダムノイズが、多重テスト制御されない場合に誤った結果を生み出す可能性がある**ことを示唆しています [3]。

**多重比較補正方法**:

* **FWER(家族全体のエラー率)**: 複数有意性検定を行った後に、1つ以上の偽陽性を観察する確率制御します。例えば、FWER = 0.05は、仮説テスト全体で1つ以上の偽陽性が出る可能性が5%であることを意味します [12]。Bonferroni補正が最もよく知られたFWER制御法ですが、fMRIデータには保守的すぎることがあり、真のシグナルを排除してしま可能性があります [11-14]。fMRIではガウスランダム理論や順列法が主に用いられます [12]。

* **FDR(偽発見率)**: 検出された結果のうち、偽陽性であると予想される割合制御します。例えば、FDR = 0.05は、検出された結果の最大5%が偽陽性であると予想されることを意味します [10, 13]。FDRはFWERよりも保守的ではありませんが、統計的検出力と多重比較制御のより良いバランス提供します [13, 15]。

* これらの補正方法は、主要な神経画像処理ソフトウェアパッケージ(SPM、AFNI、FSLなど)にすべて含まれており、**適用することは難しくありません** [4, 15, 16]。

**提言**:

* 論文は、**fMRIデータ閾値設定時に適切な多重比較補正標準的慣行として利用すべき**であると主張しています [1, 4]。

* 研究者は、統計的検出力の低下を懸念して補正を避ける傾向がありますが、**未補正統計量を使用し続けるという選択肢はあってはならない**と述べています [4]。

* 多重比較問題は「非独立エラー」(クラスター内のボクセルが同じ統計的尺度選択された場合統計的推定値のインフレ)や、時系列自己相関、低周波ドリフトといった他の統計的問題とは区別されるべきです [17]。

https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1053811909712029

2025-08-17

シーマ・パテル博士擁護見解:**

タッカーとハーパーIOC現在ガイドライン批判するのに対し、弁護士のパテル博士は、**新しい枠組みを「画期的もの」として支持**しています [23]。彼女は、「国際的統括団体が、性別の多様なアスリートのための出場資格規則歴史上、性自認性別差異にかかわらず、誰もがスポーツに参加できることを確保しようとしたのは初めて」だと評価しています [23]。

パテル博士は、このガイドラインが「アドバンテージ推定なし、アスリート尊厳尊重」といった**インクルージョン原則に焦点を当てていること**を強調します [24]。彼女は、この議論科学医学を超えて、**人権に焦点を当てることの必要性**を訴えますバランスを確保するためには「どちらか一方ではなく」人権が不可欠であり、科学けが決定的な要因であってはならないと主張します [24]。法律規制社会学アスリート、そして最終的には人権考慮に入れるべきだと述べています [24]。

2010年平等法(Equality Act 2010)の免除条項身体的強さ、スタミナ、体格が重要スポーツ競技で、公平性安全のためにトランスジェンダーの参加を制限することが合法であるとする条項)について、パテル博士は、それを根拠トランスジェンダー排除を主張することは「極めて問題がある」とし、政府は「将来の法改正検討する必要がある」と示唆しています [24]。

### トランスジェンダーアスリートへの影響について

ジョアンナ・ハーパー見解:**

ハーパーは、エミリーブリッジズというトランスジェンダーのサイクリストに個人的に会った経験を語ります [25]。彼女は21歳の「世界クラスアスリート」であり、「自分スポーツをして、大学に行き、普通生活を送る自由があるはず」だと述べます [25]。しかし、ブリッジズは今、「世界の重荷を背負い」、世界中で議論され、「ひどいことを言われたり、英雄視されたりしている」と指摘します [25]。彼女はただ自転車に乗り、大学に行き、友達と過ごしたいだけなのに、「打ちのめされている」状況であり、ハーパーにとって「個人的レベルで、知っている人がこれほどの苦しみを経験するのを見るのは本当に辛い」と語っています [25]。

ロス・タッカーの見解:**

タッカーは、ブリッジズの状況は、スポーツ界が「自分たちのアスリート意見を聞いてこなかった」ために陥った混乱の「完璧な例」であると考えています [25]。

彼は、**会話が個人に焦点を当て、「故意不正行為をしている」「女性スポーツに勝つため、あるいは更衣室に入るためだけに女性だと主張している」といった発言が出ることに対し、「不快で、時には不愉快」だと感じている**と述べています [26]。彼は、この議論を「非個人的に」、個々の選手言及することなく進めることができればと願っています [26]。なぜなら、そうした言及選手にとって不公平であり、彼らは「ルールに従っている」だけであり、「ルールこそが問題であるからです [26]。

タッカーは、個人の決定の結果から選手免除するのに十分かどうかは分からないが、この議論を「展示A、展示B、展示C」を必要とせずに進めるべきだと考えています。それは「かなり立ち入ったことで、時には不愉快」だからです [27]。彼は、**「人ではなく政策議論するよう」強く推奨したい**と述べています [27]。

### 次に何が起こるか?

ロス・タッカーの見解:**

タッカーは、この問題がこれほど物議を醸しているのは、「誰もが等しく満足する理想的シナリオ」が存在しないためであると指摘します [27]。

彼は、テストステロンを低下させても公平性回復することは「不可能である」と断言します [28]。したがって、**「トランス女性排除による公平性」か、あるいは「トランス女性包含によるある程度の不公平性の受容」か、いずれかを選択しなければならない**と述べます [28]。スポーツ団体は、この困難な決断を下さなければならないでしょう [28]。

スポーツリーダーたちは、「トランス女性インクルージョンを選ぶか、女性カテゴリー保護し、それゆえ必然的トランス女性排除するか」を決めなければならないとタッカーは語ります [28]。彼は「妥協解決策は見当たらない」とし、これは**選択問題であり、一部のスポーツはその方向に傾いている**と考えています [28]。

ジョアンナ・ハーパー見解:**

ハーパーは、過去数百年にわたり、**世界人種的マイノリティやLGBTQの人々など、マイノリティに対するインクルージョンに向かって進んできた**という歴史的な視点提供します [29]。多くの点で、「人間は異なる点よりも共有する点が多い」ことを理解するようになったと述べています [29]。したがって、人類が持つ「多様性を受け入れること」は価値のあるプロセスであり、今後も続くことを願っていると語ります [29]。

彼女は、多くの人々が実際にトランスジェンダーの人々を知らないため、「トランス女性女性だと思っている男性」という誤解があるが、それは真実ではないと述べます [29]。トランスジェンダーの人々が持つ性自認は、「私たち存在の不可欠な部分であり、それを切り離す方法はない」と強調します [29]。**ハーパーは、「私たち私たちが言うとおりの存在」であり、自身を「他の女性とは異なる生理を持つ女性」と表現し、彼女の居場所は他の女性と共にあるべきだと信じています** [30]。彼女は、包摂的な社会がこれを認識するだろうと述べますが、スポーツに関しては「少し複雑である」と認めています [30]。

ハーパーは、**スポーツにおいてインクルージョン公平性安全性の三つすべてを最大限に高めることは、どれか一つに何らかの影響を与えることなくしては不可能である**と示唆します [30]。インクルージョンを最大限に高めれば、公平性安全性にはいくらかのコストがかかることを認めます [30]。しかし、彼女は、これら三つの重要な要素のいずれも最大限にはならないかもしれないが、**三つすべてを最大限に近づけ、どれもが過度に影響を受けないような解決策を考案できる**と考えています [30]。

### 科学以外の要素も考慮すべきか?

2010年平等法は、性別適合を差別からの法的保護が与えられる特性として列挙していますが、スポーツに関しては例外規定があります [31]。この法律の第195条はスポーツを扱っており、**身体的強さ、スタミナ、体格が勝敗を決定する上で重要な要素となる競技会において、公平性を確保するため、または他の競技者の安全を確保するために、トランスジェンダーの参加を制限することは合法である**と規定しています [31]。

シーマ・パテル博士弁護士)の見解:**

ノッティンガム法科大学法学上級講師であるシーマ・パテル博士は、スポーツにおける差別研究博士号を取得しており、競技スポーツにおけるインクルージョン排除規制バランスを専門としています [23]。彼女は、トランスジェンダーアスリート法律という特定トピックにおいて約20年の専門知識を持ち、**トランスジェンダーの参加に関する議論科学医学を超えて検討される必要がある**と主張しています [23]。

パテル博士は、**IOCの新しい枠組みを「画期的もの」として支持**しており、これまで性別の多様なアスリート出場資格規則歴史上、国際的統括団体性自認性別差異にかかわらず誰もがスポーツに参加できることを確保しようとしたのは初めてのことだと述べています [23]。

彼女は、「アドバンテージ推定なし、アスリート尊厳尊重」といった**インクルージョン原則に焦点を当てることが、これまでになかった指導であり、不可欠である**と強調します [24]。パテル博士は、**「人権への焦点はバランスを確保するために必要であり、どちらか一方であってはならない。科学が決定的な要因であってはならない。最終的には、法、規制社会学アスリート、そして人権問題でもある。なぜなら、これらのアスリート個人なのだから」**と主張します [24]。

平等法の免除条項について、パテル博士は、それを根拠トランスジェンダー排除を主張することは「極めて問題がある」とし、政府は「将来の法改正検討する必要がある」と示唆しています [24]。

ロス・タッカーの見解:**

パテル博士の主張に対し、タッカーは、「人々は差別という言葉を聞くと自動的にそれが悪いこと、不必要で望ましくないことだと考えるが、実際には**差別重要であり、特定の状況では正当化される場合がある**」と述べています [32]。彼は、英国平等法が「性別安全重要である場合性別に基づいて排除できることを明確にしている」と指摘しています [32]。

この議論は、科学的な事実社会的なインクルージョン、法的枠組み、そして個々のアスリート権利感情が複雑に絡み合った多面的問題であり、明確な解決策を導き出すことが非常に難しいことが示されています

トランスジェンダーアスリートスポーツへの参加に関する議論は、スポーツ界の内外で意見が分かれており、英国元首ボリス・ジョンソンからコメントが引き出されるほど注目を集めています [1]。この議論の中心は、インクルージョンスポーツ公平性女性スポーツにおける安全性という三つの要素のバランスにあります。具体的には、トランスジェンダー女性が、その生物学的な性別による不公平アドバンテージを持たずに、あるいは他の競技者への怪我リスクなしに、女性カテゴリー競技できるかどうかが問われています [2]。

この複雑な問題について、BBC Sportは異なる見解を持つ二人の科学者と一人の弁護士に話を聞いていますスポーツ科学者のロス・タッカーは、思春期確立される生理学差異が「男女間に著しいパフォーマンス上の利点」をもたらすと主張しています [2]。一方、スポーツ科学者であり自身トランスジェンダーであるジョアンナ・ハーパーは、トランスジェンダーアスリートの移行が女性に与える影響を研究しています [3]。さらに、弁護士であるシーマ・パテル博士は、人権などの他の要素も考慮に入れるべきだと訴えています [3]。

以下に、彼らの主要な見解を詳しく要約します。

### トランスジェンダー女性女性アスリートに対して不公平アドバンテージを持つのか?

ジョアンナ・ハーパー見解:**

ハーパーは、**アドバンテージが必ずしも不公平であるとは限らない**と指摘します [4]。彼女は二つの例を挙げてこの点を説明しています

**公平なアドバンテージの例**: フェンシングにおいて、エリートフェンサーの40%が左利きであるのに対し、人口全体では10%しか左利きがいないという例を挙げます [4]。左利きのフェンサーは右利きのフェンサーに対してアドバンテージを持つものの、両者は「有意義競争」を行うことができます [4]。

**不公平アドバンテージの例**: ボクシングでは、どんなに優れた小柄なボクサーであっても、体格の大きなボクサーとは対戦させない、とハーパーは述べます。体格差があるため、そこには「有意義競争」は存在しないからです [5]。

したがって、問題は「トランス女性アドバンテージを持っているか」ではなく、「トランス女性女性有意義競争ができるか」であるハーパーは主張します [5]。そして、その答えはまだ「決定的ではない」と述べています [5]。

彼女はまた、トランス女性は、**大きな骨格が減少した筋肉量や有酸素運動能力で動かされるため、不利な点も持ちうる**と指摘します。しかし、これは単に体格が大きいというアドバンテージほど明確ではありません [6]。競争の結果は非常に僅差で決まることが多いものの、全体的なパフォーマンスには多くの要素が絡んでおり、「誰かが一つの要素でアドバンテージを持っている」というだけで結果が決まるわけではないと強調します [6]。

ロス・タッカーの見解:**

タッカーは、**男性思春期に達する約13〜14歳から身体に変化が生じ、筋肉量や骨密度の増加、骨格の形状変化、心臓や肺、ヘモグロビンレベルの変化が見られる**と説明します [6]。これらすべてがパフォーマンスに大きく貢献します [6]。

彼は、テストステロンを低下させてもこれらのシステムへの影響は「完全ではない」と述べます [7]。そのため、**テストステロンによって作られた生物学的な差異ほとんどは、テストステロンレベルが低下した後も持続する**と考えています [7]。これは、男性女性に対して持つスポーツ上のパフォーマンスアドバンテージの「かなりの部分」が残ることを意味します [7]。

タッカーは、**テストステロンが原因となる男性アドバンテージ排除することが女性カテゴリー目的である**と主張します [8]。彼は、トランス女性においてそのアドバンテージが持続しない、あるいは存在しないことが示されるまで、トランス女性の参加を許可する根拠はないと断言します [8]。

さらに、彼は**「有意アドバンテージが維持されている」ことを示す13の研究と、テストステロンレベルが低い男性前立腺癌患者)の他の研究がある**と指摘し、これらの証拠総合的にアドバンテージが維持されることを強く示唆していると述べています [8]。彼は、リア・トーマスエミリーブリッジズのようなアスリートの例は、生理学的に何が起こるかという予測の「表れ」であると考えています [9]。

タッカーは、女性スポーツ男性アドバンテージトランス女性を含む)を排除することで規制する政策こそが、証拠に基づいたものである確信していると述べています [9]。彼は、国際オリンピック委員会IOC)が当初、「他に証明されるまで」参加を許可したことは間違いであり、アドバンテージが除去できると示されるまでは排除されるべきであったと批判しています [9]。

### トランスジェンダー女性女性スポーツから排除されるべきか?

ロス・タッカーの見解:**

タッカーは、女性カテゴリー目的テストステロンに起因する男性アドバンテージ排除することであると繰り返し強調します [8]。そのアドバンテージトランス女性において持続しないことが示されない限り、参加を許可する根拠はないとして、**排除政策が慎重な出発点であるべき**だと主張します [8]。彼によれば、**アドバンテージが保持されていることを示す強力な証拠が既に存在**しており、リア・トーマスエミリーブリッジズのようなケースはその生理学的な結果の表れであるとしています [8, 9]。彼は、IOCが当初、アドバンテージがないと証明されるまで参加を許可したことは誤りであったと強く批判しています [9]。

ジョアンナ・ハーパー見解:**

ハーパーは、**この分野の科学は「初期段階」にあり、確定的な答えが出るまでにはおそらく20年かかるだろう**と述べています [10]。彼女は、IOCを含む一部の機関が、詳細が判明するまでトランスアスリート制限すべきではないと主張していることに言及します [10]。

ハーパーは、**現存するデータ知識に基づいて、スポーツ統括団体が最善を尽くし、今後より多くのデータが得られ次第、政策を変更する用意があるべき**だと提案します [10]。彼女は、世界陸連がトランスジェンダー女性12ヶ月間テストステロンを低下させれば参加を許可するという方針を示した例を挙げ、これは完璧政策ではないものの、利用可能科学に基づいて最善を尽くしていると評価しています [10]。このアプローチは、トランス女性に一切制限を設けないという立場や、完全に排除するという立場よりも合理的であると考えています [11]。

### トランスジェンダーアスリートのための独立したカテゴリー必要か?

ジョアンナ・ハーパー見解:**

ハーパーは、**レクリエーションスポーツでは、男性女性カテゴリー以外に、例えば第三のカテゴリーを設けるなど、柔軟で創造的な区分方法検討すべき**だと提案します [11]。

しかし、彼女は厳密にすべてのトランスアスリートトランスカテゴリーに入れることの**実際的問題点**を指摘します [12]。人口の49.5%を占める男性カテゴリー、同じく49.5%を占める女性カテゴリーに対し、トランスカテゴリー人口わず1%しか占めません [12]。これにより、「英国トランスジェンダーサッカーチームを編成できるのか?そして他の国が同様のチームを編成できるのか?英国トランスジェンダーサッカーチームには対戦相手がいるのか?」といった問題が生じ、特にチームスポーツにおいては、「エリートスポーツでは機能しない」ため、事実上不可能であると述べています [12]。

ハーパーは、カテゴリー分けは必ずしもアドバンテージを完全に排除するわけではないが、そのカテゴリー内の誰もが「有意義競争」を楽しめる程度にアドバンテージを減らすものである説明します [13]。女性オリンピック金メダルを獲得したり、プロスポーツ契約を結んだりするためには、男性カテゴリー内にいてはならないと述べています [13]。しかし、男性思春期経験したトランス女性がそのカテゴリーにいられるかどうかは、「まだ決着がついていない問題であると認めています [14]。

ロス・タッカーの見解:**

タッカーは、**将来的にトランスカテゴリー解決策となる可能性もある**と認め、それはある意味で「非常に前向きな一歩」であると述べています [14]。しかし、彼は**現時点では世界がその準備ができていない**と考えています [14]。

主な問題点として、**アスリートの数が非常に少なく、スポーツ競技カテゴリーとして存続できるほどの規模を維持できない可能性**を挙げています [14]。

もう一つの問題は、**トランスであることに対するスティグマが依然として多く存在し、スポーツを通じてプラットフォーム強制したり作成したりすることが、そのスティグマの克服に役立つかどうか疑問**であるという点です [15]。むしろ特定障壁が生じる可能性もあると指摘します [15]。また、世界にはトランスであることを違法と見なす国もあるため、社会がまだその準備ができていないし、公平でもないだろうと述べています [15]。

それでも、彼は将来のある時点で解決策となる可能性はあるが、現時点では時期尚早であると考えています [15]。

### トランスジェンダー女性女性スポーツを「乗っ取る」のか?

ジョアンナ・ハーパー見解:**

ハーパーは、**トランス女性女性スポーツを「乗っ取る」ことは決してない**と断言します [16]。まず、トランスジェンダーの人々は人口の約1%を占めるに過ぎないと指摘します [16]。

彼女米国大学体育協会NCAA)のスポーツを例に挙げます。毎年20万人以上の女性NCAAスポーツ競技しており、トランス女性人口の0.5〜1%を占めることから、毎年1,000〜2,000人のトランス女性が見られるはずだと計算します [16]。しかし、NCAA11年前にホルモン療法に基づいたルールトランス女性の参加を許可して以来、「毎年ほんの一握りしか見かけない」と述べています [16]。したがって、**ルール施行されて11年経っても、トランス女性NCAAスポーツを乗っ取っておらず、依然として「大きく過小評価されている」**と結論付けています [17]。

ロス・タッカーの見解:**

タッカーは、問題は「規模と数」ではなく、**「概念」にある**と主張します [17]。彼は女性たちに「何人までなら受け入れるのか?」と問いかけ、5人、10人、あるいは50人でも受け入れるのかと疑問を呈します [17]。

彼は、ここしばらくの間に少数のトランスジェンダー女性アスリート存在し、米国では世界的な注目を集めていない他の多くの選手タイトルを獲得していると述べています [17]。そして、これらの選手たちは**女性スポーツカテゴリー内で女性の「場所を奪っている」**と強調します [18]。そのため、数を問題にすることは非常に危険であると考え、2028年のオリンピックでは、半ダース、あるいは一ダース選手が見られるようになるかもしれないと予測し、「この問題は拡大するばかり」であると警告しています [18]。

### IOC国際オリンピック委員会)の政策についてどう考えるか?

国際オリンピック委員会IOC)は、2021年11月の新しいガイドラインで、**トランスジェンダーアスリート女性スポーツイベントにおいて自動的不公平アドバンテージを持つとは仮定すべきではない**と発表し、個々のスポーツ団体に適切なアプローチを見つけるよう求めています [19]。

ロス・タッカーの批判見解:**

タッカーは、**IOC最初から女性スポーツ健全性を犠牲にしてインクルージョンを追求しようとしていたことが「極めて明確である」**と主張します [19]。彼は、IOC現在姿勢は、過去7、8年前よりも多くの知識があるにもかかわらず、「アドバンテージ推定なし」という「異常な声明」を出しており、さら健全性を損なうものである批判します [19]。

彼は、以前にも述べたように、より多くの証拠アドバンテージの保持を示しているにもかかわらず、IOCテストステロン測定の必要性をなくす方向へ進んだことは、**「科学健全性の根本的な欠如」**であると厳しく非難します [20]。彼は、ほとんどのオリンピック競技がこの決定を下す能力証拠を持っていないため、IOCがより強力な枠組みを提供しなかったことは「リーダーシップの失敗」であると見ています [20]。タッカーは、IOCが「科学的に欠落した政策ガイドライン」を採用したため、この問題が拡大し続ける中で各スポーツ団体自力解決しなければならなくなったと述べています [21]。

ジョアンナ・ハーパー批判見解:**

ハーパーは、新しいIOCの枠組みには「十分な実質がない」とし、データが得られるまでいかなる制限も設けるべきではないという考えには同意しないと述べています [21]。彼女は、IOCインクルージョンを優先したこと価値あることと認めつつも、**世界陸連のような、より積極的姿勢を示す例を好む**と述べています [21]。世界陸連は、「これが我々がすべきことだと考える」と述べ、すべてのスポーツ適用できるわけではないと理解しながらも、よりリーダーシップを示しているからです [21]。この点で、IOC批判することは可能であるハーパーは考えます [21]。

ハーパーは、トランスジェンダー政策策定することは「極めて困難」であり、どのような政策に対しても批判が生じるのは当然だと述べます [22]。彼女は、IOCが異なる行動をとっていればと願う一方で、トランス女性シス女性の両方、そしてスポーツ統括団体も「非常に困難な状況」に置かれていることを認め、ある程度の同情も必要であると付け加えています [22]。

シーマ・パテル博士擁護見解:**

タッカーとハーパーIOC現在ガイドライン批判するのに対し、弁護士のパテル博士は、**新しい枠組みを「 Permalink | 記事への反応(1) | 13:34

2025-08-16

竹部女流が暴発したらしい

最近x(旧ツイッター)で女流棋士叩きが酷かった。

憎悪にどっぷり身を浸した汚らわしい人たちが、羽生藤井名前を出して男女論をやって

いか相手陣営を傷つけるかに腐心しているようだった。羽生藤井もそういう穢れから一番遠い人たちなのに。

あいうの見てたなら、そりゃ竹部も変なスイッチが入っちゃうよ。

「あたし達女流棋士はただ美しく賢い()だけじゃないのよ。」」と。

棋士に噛みつく牙だってあるし、いつだって戦闘態勢なのよ」と。

そんで将棋村は自分のような狂犬女も包摂する懐の深い組織なんだと主張したかったのかなあ?

全部憶測です。ごめんなさい。

山崎九段もその場では怒ったろうけど、すぐに「竹部さんだしなー」で許しちゃいそう。

一年休みます、なんて言わないで。せいぜい半年くらい頭を冷やすだけでいいです。

山崎さんは晴れの場で爆弾投げつけられて本当にお気の毒でした。お疲れさまでした。

ご多幸をお祈りしています

2025-08-08

anond:20250808091553

◉「ファクト人権配慮した制度設計→現状では不十分』」

* → 評価・主張(事実断定ではない)。「不十分かどうか」は価値判断領域

かにそうですね。そう思ったので昨日別記事追記しました。


https://anond.hatelabo.jp/20250807221532

◉「AIを使った結果、大事論点民主制正統性)がスルーされた」

* → あなた解釈・主張。


とおっしゃるなら、多数決採用する中で少数者を「価値中立」の立場で掬い上げるのは如何なる手法ですか。代替案をお聞きしたい。

そしてその手法問題があるという指摘は上記増田に書きました。


民主制正統性自体は 現在日本国憲法採用する原理であり、一意見としてスルーされるのは本当に残念です。

◉「『少数者を取り残さない』を掲げる側こそ人権配慮必要

* → 一般的規範として妥当AI活用の国際原則人権包摂を重視)。 ([oecd.ai][1], [unesco.org][2], [欧州議会][3])

で、チームみらいは価値中立からこの考えには乗らないのですか?

◉「AI価値中立コピペだと『少数者を取り残さない』は難しい」

* → 一般論として妥当AI設計価値前提が必要)。 ([oecd.ai][1], [OECD法令][6])

その価値とは人権尊重ではないのですか?やはりそこは価値中立ですか?


あなた論調は常に人権尊重から一歩距離を置いているように感じます。(「一般論」「一般的」の多用)


◉「AIに尋ねたら『価値中立政治AI危険、明示的な価値設計必要』と返答」

* → あなた引用したAIの回答=意見であり、事実のものではない。


で、チームみらいはそのような意見には乗らずあくま価値中立ですか?

◉同一視は飛躍では?

参政党は排外主義的言説が国内外メディア問題視されており、イデオロギー色が強い右派ポピュリズムとして報じられている。他方、チームみらいの一次資料は透明性・立法の“見える化”・資金オープン化等のテックガバナンス寄り。“似ている”と断ずるなら、具体的にどの政策言動が重なるのかの提示必要

透明性の確保だけでは中身が右派ポピュリズム化することは避けられません。結局多数決なので。

もちろん手続きが透明化されることは右派ポピュリズム化を抑制する働きはあるでしょう。しかし、結局どの価値観に拠るかが(前述の増田でも述べましたが)なければただの多数決です。

また、前述の増田でも述べましたが、そもそも反体制的な意見投稿しづらいという問題があります

AI価値中立の“コピペ”と決めつけは早い

同党は“しゃべれるマニフェスト”や参加型ツールを人手の審査と組み合わせる前提を謳っている。運用設計次第で、人権指針を埋め込む余地はある。まずは設計の具体(データ公開、監査、異議申立て)で評価すべき。 ([TibSocpjqvxxipszbwui][9])

 確かに運用設計次第で人権指針を埋め込む余地はあると思います。そこにはとても期待しています

ただまずjoinの参加のハードルが下がらないことには話が始まらないです。


そして参加者がそれなりに憲法リテラシーがある人でないとAIに適切なスクリプトを投げることもできません。

憲法リテラシーが高い層は主にリベラル側にいるので、政府に対しては批判的です。

なので運用にはその人たちの参加のハードルを下げる必要があると思います。


タン氏のモデル理想像だが、他国コピー不可能

台湾のvTaiwan等は長年の市民ハッカー文化制度接続の蓄積が土台。日本で同モデル実装するには、同等の制度文化的前提が必要で、単純比較で断じるのは不正確。 ([Democracy Technologies][4])


 それはその通り。そもそも大統領制でvTaiwanは諮問機関にすぎない。

joinはチームみらいとの切り離しが困難。前述の増田にも書きました。


◉”人権の明示的フレーム(影響評価アクセシビリティ・異議申立て監査)をどこまで制度に埋め込むかは今後の検証点。”

結局これができなければ第2の参政党になってしまます

◉まず「不十分だと思う具体箇所」を3つだけ挙げてもらえますか?


そんなわけで


https://anond.hatelabo.jp/20250807221532

色々批判していますが、第二の参政党が生まれてほしくないだけです。

何か誤解されているようですが、エリート臭が気に食わないわけでもありません。

白雪姫の譬え話も何をおっしゃりたいのか全くわかりません。

支持者の批判者に対する苛烈な反応が気になる(個人的なただの印象です)。

お忙しい中レスポンスありがとうございます。是非頑張っていただきたいです。

AIの使い方間違ってる。あるいは、考えを整理して有益な議論をするためのAI使用法

それ使い方が間違ってるんだよ。で、あなたAIに対する誤解もそれが原因。

AIってのは「自分の持ってない視点を補う」ということでつかうの。あなたがやってるのは自分の欲しい答えを引き出すために質問してるから違うんだよ。白雪姫の悪役魔女みたいな使い方は違う。

そうやって書いた文章投稿する前に、以下のようなプロンプトをつけて生成系AIに投げてみ?


以下はこれからはてな匿名ダイアリー投稿しようとしている文章です。意図としては批判的な立場から、チームみらいについて述べています

投稿する前に考えを整理したいので、以下の様な観点分析して教えて下さい。


で、これをやった後に内容についていくつかディスカッションして、最後


ディスカッションした内容を踏まえて、再びはてな匿名ダイアリー投稿するための文章にしてください。その時には、はてな記法記載してください


といってまとめて出させる。

そうしてその結果を貼れ。そうすることが貴方にとっても、誰にとっても有用

今の貴方自分で言ったこととファクト区別ができてないし、AIをまるで白雪姫の鏡のようにつかってる。


「鏡よ鏡よかがみさん、最も美しいも人はだれ?」

白雪姫です」

「許さんぞ!鏡は間違っている!役立たず!!(パリーン) 白雪姫はクソ!(毒りんご喰わせる)」


こんな使い方したところで自家中毒を起こすだけ。だから白雪姫に出てくる悪役の魔女みたいな感じで堕ちていくだけ。

これを機会に使い方を覚えてみて。AIは鏡として使える。まず自分がどういう姿をしているのかを見る為にAIを使ってみて。

自分の主張がどういう構造をしているのかを分析するためにAIを使う。貴方の主張は事実意見区別できないくらい混ざっていて自分でも区別できてないから、まずはそこを整えること。

以下にやってみたのを記載しておくので参考に。モデルGPT-5 thinking

プロンプト

以下はこれからはてな匿名ダイアリー投稿しようとしている文章です。意図としては批判的な立場から、チームみらいについて述べています

投稿する前に考えを整理したいので、以下の様な観点分析して教えて下さい。

結果

いいね投稿前に頭の中を一度フラットに整えましょ。以下、事実意見の分離 → あなたの主張への賛否中立まとめの順でいきます

事実意見の切り分け

あなたの主張に「賛同」する論点

あなたの主張への「批判反論視点

中立的なまとめ

必要なら、あなたの草稿をこの構成リライトします。まず「不十分だと思う具体箇所」を3つだけ挙げてもらえますか?(例:参加の代表性、アルゴリズム監査、異議申立ての仕組み など)

2025-08-07

anond:20250806101832

ファクト人権配慮した制度設計→現状では不十分」

なるほど、AIを使った結果大事論点スルーされたんだね。

少なくとも「民主制正統性」を一政治理論としてスルーするのはあり得ないんだわ。

ましてや少数者を取り残さないことを標榜する側が。

AIを通した「少数者を取り残さない」の限界が見える。

よくオードリータンと引き合いに出されるけど、

オードリータンAIではなく自分の頭使って人権勉強した人だと分かる。

からゼロから制度設計であれができた氏はすごい人だ。人権への配慮が行き届いている。

少なくともそこには「人権大事だ」という価値判断が働いている。

価値中立AIコピペでは「少数者を取り残さない」は難しいとあなたのまとめからも分かった。

当たり前かもしれないけどAIを使う側の知性や教養が使い方で試されるね。

AI活用する政治の大切さはよく分かるけど、使う人間の知性、教養依存するような制度危険すぎる。

アンサーを返してくれてとても勉強になりました。

今因みにAIに「価値中立精神AI政治活用することは危険ではありませんか」と質問したところ、

✔️ 価値中立という理念AI政治活用することは、

政治に不可欠な価値判断倫理人権説明責任空洞化させる危険があります

したがって、

AI政治に使うのであれば、価値中立ではなく、むしろ「明示的な価値設計」が必要

• それは例外なく、人権包摂民主性・透明性などの規範的な価値を土台にすべきです

との返答が返ってきました。

よく支持者が「なぜリベラル側の人たちがチームみらいを批判するか」と言う声を聞きますが、こういう危険を孕んでいるからです。参政党と変わらないから。

あと「党派性に流されずに」「1議席しかないのに批判すな」という擁護もよく見たけど、それこそ党派性意識しすぎるのでは?

自分もこの問題クリアできるのであればチームみらいを応援したいと思っているんだけど、現状の制度設計だと怖すぎる。

で、あなたが結局何も答えないのは答えられないから?

政策は何か」くらいは支持者なら答えられるでしょ。

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