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2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(中期)

 anond:20241212205415の続きである

 マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリスト風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフ軍人ザインヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌ出会う。コンサートツアーリストキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目リストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベル金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストピアニストとしての活動打ち切りカロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマール宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌ博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということであるカロリーヌ身分を巡る微妙問題に加えて、音楽界の動向的にもリストドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規ピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリスト確立する重要時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年パガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。

1. 超絶技巧練習曲 S.139(1852年出版

 リスト代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれ、チェルニーの影響下にあった「48」や、パガニーニの影響で改訂した「24」と比べてみると明らかに内容的に充実し、演奏効果も増大している。

 この曲集の決定的な録音はウラジーミルオフニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。

2. パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版

 この曲もこの時期に改訂されて完全版になった。初版第4曲は単音アルペッジョになりおとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げたおかげで今日までよく知られている。

 パガ超と違い録音が多い。有名なのはアンドレワッツEMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるが、穴がなく安定している。その他だとフィンランドピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCDNAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを買えば良いだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。非常に高水準の演奏だと思う。

3. ピアノソナタ ロ短調 S.138(1854年出版

 ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタ落ち目ジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンリストソナタはその例だろう。リストソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララタラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリスト最高傑作の一つとして評価されている。

 リスト最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリSONY)の演奏をよく聴いている。

 なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコHyperionHelios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。

4. バラード第2番 ロ短調 S.171 (1854年出版

 ショパン1832年パリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏女性たちの心をわしづかみにした。リストショパン演奏に狂った一人である(またかよ)。リストショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リスト片思いだったのかもしれない。ただし、ショパン練習曲作品10リストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパン練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である

 これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネスEMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。

 (追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソンゲルナーレーベル覚えてない)の演奏もの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTube動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09oコンサート https://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな

5. ハンガリー詩曲第1~15番(1851/53年出版

 トムとジェリーで有名なハンガリー詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リスト採録しているのはハンガリーマジャール)ではなく、ロマ音楽なのだが、リストは、ロマ民謡を素材に使ってハンガリー民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャールからドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。

 ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーリストの再来とされていたかシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自カデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲 op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作ジャズカデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニスマツーエフBMG)、ラフマニノフカデンツァ使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCD廃盤倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。

 第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。

 なお、15番以降19番までハンガリー詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。

6. タンホイザー序曲(1849年出版

 リストドイツ宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナー作品積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分タンホイザー序曲が単独では最上作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。

 ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューローワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナー不倫し、リスト激怒する(後に和解)のだが、自分マリーやカロリーヌやらせいたことだ。

 タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリン気合いが入った演奏https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リスト編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである

7. 詩的で宗教的な調べ(1853年第3稿出版

 30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリスト敬虔さが音楽昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。

 この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽

 全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白いグバイドゥーリナシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。

 宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢劇場でのトラブルカロリーヌ身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。

追記

 前期のところに、ベートーヴェン交響曲ピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。

 リストベートーヴェン交響曲を全曲編曲しているが、初版出版1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別出版されていたようだ。リストピアニスト時代からベートーヴェン作品布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンベートーヴェン記念碑建設のために多額の資金提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマン作曲したのが「幻想曲 ハ長調」だ)。

 リスト作品の中でも記念碑的なものになるが、コンセプトは幻想交響曲編曲同様なので泣く泣く割愛した。

2024-12-07

大麻使用施行後の未来予測

今は法改正後420年後──東京湾上空に浮かぶ宇宙入国審査基地「ハナフサ420」では、まるで宇宙ホタルが大挙して発光ダンスを踊り狂っているかの如く、長蛇の列が奇妙なビートで揺れていた。俺は列の中に立ち、喉の渇き尿意を同時に抱え、先頭でキラキラと光る尿検査ロボットピーピー君」を睨みつけるしかなかった。あいつ、黄金色のボディに「清流」「極上」「芳醇」とか能書きシールを貼りまくって、テンション高くキュイーンと鼻歌なんか歌ってる。芸が細かいというより、ただの悪趣味便器ロボじゃねえか。

しかし俺が本当に腹が立つのは、横で浮遊している別のロボット「Nippy-Stick420」の存在だ。コイツ合法的大麻由来のオイルを吸ってハイになっている。わざわざハッパー型のアロマディフューザーを口元につけ、メタリックグリーンの煙をぷかぷか吐きながら、こっちにニヤリとする。その顔はまさにトリップ宇宙人、脳ミソゆるゆるモード全開で、こっちの深刻さなんて知ったこっちゃない。

Nippy-Stick420が俺を見て、薄笑いを浮かべる。

Yo, my metal brother, you steppin’ in a galaxy without greens, ain’t no buds for yo human lungs, know what I’m sayin’?」

(よう、メタルブラザー人間のお前には緑の恵みなんて無い銀河に足突っ込んだってわけよ、わかるかい?)

ウッゼェ、こいつ。俺は言いたい。「なんでお前は合法的にキメてんだ?なあ、同じ大麻成分だろ?なんで人間がアウトでお前は政府公認ハイなんだよ?」

ことの発端は、アムステルダムだ。俺はそこに旅立ち、夢見心地で「Amsterdam 420 Kush」を一服かました。それは舌の上で葉っぱが宇宙クジラの子守歌を歌うような極上の体験だった。ところが同じ頃、面識も無いクセに宇宙有名人になっていたインフルエンサー「420BlazeChica」がSNSやらかした。「アムステルダム合法ハッパ最高~!」なんて調子に乗った配信をやって、銀河規模で炎上し、日本政府は大慌て。結果、法改正後420年の平和だった(建前上)日本は「アムステルダム帰りは全員、尿検査ガチャに参加」なんていう悪夢イベントを開催するハメになった。

そして俺は見事にハズレ──いや、当たり──を引いたらしい。今やピーピー君が俺の前に迫ってくる。そいつは超ハイテンションで、発声モジュールからアイドル声優みたいな声を出す。「お兄さん、今がチャンス!最高品質検査液を排出してねっ☆」なんて言いやがる。

「てめえ、検査液って俺の尿だろうが!」と叫びたいところだが、その瞬間、Nippy-Stick420が俺に向かってスパスパスモークリングを吐く。

Chill, my leafless homie, da universe ain’t got no sympathy for yo dried-out fate. Just pee and roll with it, ya feel me?」

落ち着けよ、葉っぱ無しの相棒。この宇宙はお前のカラカラ運命に同情なんざしちゃくれねえ。とっととションベンかまして流れに乗れ、わかる?)

何が「流れに乗れ」だよ!俺は流れなんて乗りたくない。流れに乗った結果が、合法的ハイロボットと、合法的に俺を捕まえる便器ロボだぞ?

ピーピー君は検査モードに入ると、警察官風情の監査ドローンを脇に従えて、まるで江戸時代奉行よろしく判決を読み上げる。「ハイハイこち大麻判定モード入りま~す。違反は即アウトですぅ♪」その声はアイドルから一転、判決ドSナースみたいなトーンに変化。

俺が出発前に地球新聞で読んだとおり、帰国時に陽性なら即逮捕。それが法改正後の新しい現実らしい。

「Ain’t no mercy in this big ol’ cosmic playground, my dude. You gon’ be locked up tighter than a stoner’s snack stash.」

(この広大な宇宙の遊び場に慈悲なんてねえぜ、ダチ公。お前はハイな奴らのおやつ隠し棚より堅くロックアップされる運命だ。)

Nippy-Stick420がトロけた声で宣告するたびに、俺の血圧は上がる一方。おまけに周囲の客は、俺をまるで珍獣でも見るかのような目で見ている。中にはSNSライブ配信している奴もいるんじゃないかインフルエンサーのせいで俺たち全員が疑われてるのに、皆あの女と俺を同列に語るな!

ピーピー君が結果をババンと大画面に表示する。「Amsterdam 420 Kush成分、陽性出ちゃいましたっ☆ あ~残念♪」

周囲がどよめく中、監査ドローンが青白い光を放って俺を拘束する。空気がヒヤリと凍り付き、Nippy-Stick420は相変わらず気怠い笑みを浮かべている。

Dat’s how da cosmic cookie crumbles, my friend. Next time, stick to dat robot oil, it’s on da house.」

(なあ、相棒、これが銀河クッキーの砕けっぷりってわけだ。次回はロボットオイルでキメな。タダで振る舞ってやるぜ。)

不条理だ。ロボットハイでも合法人間一口吸っただけで逮捕。俺は銀河の果てで、圧倒的に理不尽な巨大便所ビジネスに飲まれたような気分だ。

こうして、法改正後420年後世界で、俺はアムステルダムの甘い葉っぱの記憶と共に、宇宙ジョークの渦中へと引きずり込まれていく。スモーキーで、皮肉コメディが倍増した、カラカラ銀河物語はこれから裁判所行きのシャトルで続くことになる──俺に笑う余裕なんて、一片もないけれど。

2024-12-05

【急慕】昔あった作曲に関するテキストサイト

最近作曲意欲が再燃して昔見ていた作曲方法が書かれたテキストサイト(白背景で文章のみで構成されているサイト)を見たいがみつからない!

誰か教えて!!!

詳細追記)

見ていたのは2014年ごろ

白背景で文字のみの構成

基本的コード理論から解説

鼻歌メロディをつくって、一まとまり自然に4小節にならないヤツは作曲あきらめろ」的な理論があった

2024-11-15

サルの魂

師走喧騒スクランブル交差点の渦。信号待ちの人波に揉まれ灰色に染まった空を見上げた。「サルの魂」は、焦燥感に胸を締め付けられていた。バナナの皮ですべって転んだ日から、どうもツイていない。仕事は山積み、財布は空っぽ恋人には振られた。ああ、今年も終わりか。ため息が白い吐息となって消えた。

その時、視界の端に鮮やかなピンクが飛び込んできた。風船のように軽やかにスキップする「阿呆の魂」。鼻歌を歌いながら、落とした手袋を拾い、誰かにプレゼントするチョコレート吟味している。その無邪気な姿に、「サルの魂」は思わず目を奪われた。まるでクリスマス妖精みたいだ。

「いいなぁ、あんな風に何も考えずに生きていけたら」

呟いた言葉は、騒音にかき消された。でも、「阿呆の魂」はまるで聞こえたかのように、くるりと振り返り、「サルの魂」に満面の笑みを向けた。

こんにちは!素敵なマフラーですね!」

唐突言葉に、「サルの魂」は面食らった。素敵なマフラー?十年選手毛玉だらけの、ただの赤いマフラーだ。でも、その笑顔はあまりにも眩しくて、思わず口角が上がった。

「あ、どうも…」

それから、二つの魂は一緒に歩き始めた。阿呆の魂は、道端に咲く小さな花に感動し、ショーウィンドウの子犬に心を奪われ、行き交う人々に笑顔を振りまいていた。その純粋な喜びに、「サルの魂」の凍てついた心が少しずつ溶けていくのを感じた。

焼き芋の甘い香りに誘われ、屋台に並んで温かい芋を頬張る。阿呆の魂は、半分に割った芋を「サルの魂」に差し出した。

はい、あーん!」

子供みたいな仕草に苦笑しながらも、「サルの魂」は芋を受け取った。ホクホクとした温かさが、体だけでなく心まで温めてくれる。

何でもない、小さな幸せ。でも、それが今、「サルの魂」にはかけがえのないものに思えた。師走の冷たい風が、少しだけ優しく感じられた。来年は、きっと良い年になる。そんな予感がした。

2024-11-10

アルプス一万尺」を聴くともう「ラストエンペラー」のことしか頭に浮かばなくなった

ラストエンペラー」を観たことがある人なら分かると思う最終盤のシーン、ほんの一瞬だけど「アルプス一万尺」が流れる場面がある。

それまで何時間も、溥儀の逐われ釣られの生涯を見届けてきて、変わり果て誰もいなくなった紫禁城へ漸く“帰ってきた”溥儀と少年の関わり、筒から出てきたコロオギに幾らかの救いさえ見出されるようなクライマックスから一転、(公開当時の)現代に移り変わって最初流れるのが、平べったい電子音の「アルプス一万尺なのだ

その音はガイド女性観光客を溥儀の玉座へ注目させるためにメガホン状の機械から流したものであり、2回ほど響いた後、彼女は溥儀の生年と、彼が最後皇帝であったこと、そして没年について説明する。愛新覚羅溥儀の壮絶な生涯を見事に描写した大長編は、生きている彼に直接会ったことさえ無いであろう1人の女性が発する情感も何もない異国の電子音楽と、たった二言三言の解説だけであっさりと幕を閉じてしまう。

だけど、私はこのラストシーンが堪らなく好きだ。

人の生涯、歴史の中の出来事、それらのすべてには決してひと言では表せない様々な事象感情が複雑に絡み合っているが、そういったことに直接関係ない立場からすれば、「○○年にこういうことがあった」「この人はこういう人だった」という程度にまで情報を押し潰すことはいくらだって可能なのである。数時間をかけて「ラストエンペラー」という映画は、観る人々にとって溥儀という男への感情移入を促し、決して赤の他人のままにさせない作りをしているくせに、自発的にそれまでのすべての時間をペシャンコにしてやるこの最後の一瞬だけで、まるで頭から氷水を浴びせられたような気にさせてくるのだ。

しかし、そうして冷えた頭の前に今度現れるのは、先ほどまで印象的なシーンを演出していた溥儀の玉座──主たる皇帝を喪い空っぽになったそれと、「ラストエンペラーテーマ」なのである。劇中の様々なシーンで流れたフレーズ繋ぎ合わせたようなこの名曲は、主なき玉座を目にした時に初めて「愛新覚羅溥儀の生涯とその激動」を感覚的に突き付けるものとして完成するように思えてくる。

中の人々の中から彼ひとり分の人生が消えて見えなくなったとしても、スクリーンの目の前の人間の中に溥儀は確かに息づいている──あのラストシーンはそういった独特な感触を私に与えてくれるのだ。

ラストエンペラー」にしかない読後感のようなものを味わうにあたり、そこへ至る物悲しさを得るために「アルプス一万尺」の能天気音色ガイドの無感情解説は無くてはならないものだと私は思っている。

たまたますれ違っただけの小学生手遊びするのを見かける時、YouTube動画から偶然それが流れてくる時、或いは何の気なしに鼻歌として自分の中から出てくる時、私はその折々で「ラストエンペラー」のことをこれからも思い出し続けるのだろう。空っぽ玉座と、年老いた溥儀の微笑みを瞼の裏に映しながら……。

2024-11-09

職場で歌うおばさんのせいでコ●クロまで憎んでしまいそう

どこかばれるかもだけど、別にいい。

百貨店の別館で働いている出向社員増田です。


店の本館で毎日コ●クロの歌が1時間ごとくらいに流れる

増田が働いてる別館にも本館と同じ音楽アナウンスが流れているので

それに合わせて、隣の席のおばさんが、合いの手拍手したり、机を叩いたり、一緒に歌う。


♪2025 チャチャッチャ チャッチャ!(歌いながら手や机を叩く)未来見にいこう チャチャッチャ チャッチャ!


キエエエー!うるさい。すごくうるさい。きもちわるい

他にも雑談も多いし、独り言や、鼻歌も、普通に歌うのも、頻繁でうるさい。辛い。

耳をふさいで、嫌だと表明してみても、ため息ついても、舌打ちしても、やめない。

それを見て、むしろ楽しそうに更に歌う。

嫌すぎて顔や体に蕁麻疹が出た。


週明け、耳栓は持っていこうと思うが、やはり一度直接

「やめていただけませんか」と言うべきか悩む。

別の部署だし、あっちは正社員だし。

普段の様子を見ていても話が通じなさそうな雰囲気で、気持ち悪いなあと思う人なので、関わりたくない。


増田と同じポジションの前任者も引き継ぎの際に「隣のおばさんが歌うし独り言もうるさくてすごく嫌だ」と話していた。

増田はまだ半年だが、それでも積もり積もってもう限界と感じる。

それがなければ、仕事に不満はない。

つらい。

くだらない悩みだが、本当につらい。

同じ部署社員には話しづらい。(ずっと席にいるわけではなく会議や店に出て行くことも多い忙しい人たちなので)

イヤーマフ?とか使ってみようかとも思うが、そんなの自腹切るのも嫌だし。

コ●クロが流れたら離席するのが良いかもしれないけど、仕事中だと手が離せないことも多い。

本当に殺意が湧くほど嫌になっている。

自分も過敏でおかしいと思うが、嫌なものは嫌だ。

(ミソフォニアというものかもしれない。今回調べて初めて知った言葉

殴りたいけど殴れないので、書き殴った。

2024-10-18

家族と何気ない会話ができないのが苦痛

家族鼻歌歌われると苦痛

家族喧嘩すると苦痛

2024-09-30

anond:20240930030803

鼻歌を歌うと犬が「なんスか!?」って顔で見てくる

2024-09-26

anond:20240926092021

待ちに待ったサントラ配信されて嬉しい増田だけど曲は聞いたことがあるのにタイトルが分からない曲ってたくさんあるわよね鼻歌検索しても分かりませんって機械に言われるし余計に辱めを喰らってしまう女やさかいってもうふんふんふんってご機嫌でなんにも考えなくて鼻歌を歌ったときに限ってスマホが反応してくれて鼻歌タイトルバッチリ表示されているけれど私はその歌知らないけどってただ単に私が鼻歌を知ってるだけのタイトルを知らないって山脈に向かってヤッホー!って叫んでしまうわ、そういう過ちってあるわよね折れたタバコの吸い殻でバレるのは「うそ」よ。

2024-09-14

怪獣鼻歌みたいなのが最近の若者にウケてるの?

今すぐkiss meとか弾いてる場合じゃないの?😟<今すぐkick-ass me♪

2024-07-09

曲、作っても作っても似た曲ある

凡才宿命!!!!!

子どもおもちゃピアノを買ったら自分がそれを使って曲を作るのにハマってしまい、子どもたちの寝かしつけが終わってから遊んでいる。

作ると言っても人生音楽を履修したことがないのでコード意味も分からないし楽譜も書けない。なのでLINEの1人グループの部屋に音階を書いて貼り、演奏アプリ編集アプリもまったく分からないのでおもちゃピアノ人差し指ぽちぽち弾いたメロディを録音しているだけである

誰に公開するでもなく(強いて言うならごくたまに配偶者か親に聞いてもらっている)、ただの趣味しかない。

本当はニコニコYouTubeにサッと上げてカッコよく決めたいがいかんせんとてもひとさまに聴かせられたものではない。

というのも理由ではあるが、本当のところを言うと、タイトルの通り作っても作っても聴いたことあるようなメロディばかりで、「私が書きました!」なんて言ったらパクリ間違いなしなシロモノしか出来ないかである

作れたと思ったら好きな曲に激似、これ作ったんじゃなくて下手くそ耳コピじゃん...なんてことはもはや日常、聴いたことない(気がする)曲が出来ても安心できない。Google鼻歌検索オリジナリティをチェック、整合率(?)7%とか10%とかの曲しか出てこなくて安心...かと思いきやその7%とか10%の曲が不思議と良く似ているのだ。自分が作ったと思っている曲に。もう全部模倣だ。無意識に。

から売れ線の曲を作って世の中を盛り上げてるアーティストは改めて本当に本当にすごい。今ならYOASOBIさんとか米津さんとかだろうか。全部聞いたことない上にキャッチーメロディ。すごすぎる。

増田はそんなのできないしこれからも誰かに聞かせられるものを作るのは難しそうだけど、でも思いついた短いフレーズちょっとずつメロディ足していってきちんと曲のカタチになっていくのは楽しいし、あと趣味としても全くお金からなくてリーズナブルだし(笑)、飽きるまではおもちゃピアノに付き合ってもらおうと思っている。初期投資ランニングコストもかからずに楽しめるので、はてなー諸兄にもオススメしたい。

2024-06-29

懐かしい病になった 2020

メモ帳アプリの片隅で、四年前の下書きを発見した。せっかくだから供養のつもりでここに書き留めてみることにする。

ちなみに今ではこの状態が当たり前になったようで、過敏な反応はなくなった。しか音楽に対する興味が大幅に減じたことは変わりがないように思う。そして何とも奇妙なことに、この文章自分で書いた記憶ほとんどない。自己紹介が一致しているので、確かに自分が書いたのだろうが、それでもまるで他人が書いたかのような気持ち悪さが残る。思い返せば、記憶健全性が感受性に影響を与えた結果なのだろうと思う。四十歳そこそこの年齢でここまで記憶が薄れるものなのかと、ただただ加齢を呪うばかりだ。

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数日前から音楽に対する感受性が急激に変わってしまい、困惑している。

この変化をどう捉えるべきか自分でも分からないまま、こうして文章にしてみた。

まずは自分のことについて。30代後半、職業IT系エンジニアほとんど在宅勤務をしている。趣味映画ゲーム、そして音楽。いたって普通生活を送っている。音楽に関して言えば、2歳から15歳までピアノを習っていたが、パソコンに夢中になってからは興味を失い、それ以降は真剣ピアノと向かい合うことはなくなってしまった。それでも音楽聴くのは好きで、日常的にストリーミングで何かしらの音楽を流している。昔はCDを買っていたが、最近は好みのジャンルMixラジオを流すことが多くなった。

本題に入ろう。誰しも頭の中に音楽流れることがあるだろう。

大抵の場合、それはドラマ挿入歌お気に入りの曲、直前に聴いたものや何度も聴いたものだろう。自分もそうであり、特に違和感を感じたことはなかった。だが、ここ数日、全く異なる現象に見舞われている。

「覚えのない曲が流れ始め、懐かしさを感じる」のだ。

矛盾しているようだが言葉通りの意味だ。「覚えのない」というのは、音程リズム発音ぼんやりとわかる程度で、鼻歌を歌えるかどうかも怪しいレベルと思ってほしい。それでも、その鼻歌に対して「ああ、この感じ、昔に何度か聴いたことがあるような気がする」「何かのコンピレーションに入っていたかも?」という哀愁を伴う感傷的な心情が湧き上がる、なんとも奇妙な状態なのだ

そして、とにかく次から次へとうるさくて仕方がないのだ。

まりにうるさいのでいつものようにYouTube適当音楽を流し始めたのだが、ここでも困ったことが起きた。

「初めて聴いたはずの曲に、懐かしさを感じる」のだ。

参考までにその時のURLを貼っておく

https://www.mixcloud.com/catalin-iovu/best-of-trip-hop-downtempo-hip-hop-instrumental-vol-2/

ほとんどすべての曲に対して、さっきの頭の中に現れる鼻歌と同じような感情が湧き上がるのだ。懐かしい(ような気がする)曲が続くので、自分の持っていたCDを丸ごとサンプリングしているのではないかと詳しく調べたりしたが、どうやらどんな曲に対しても起こっていることがわかった。

この出来事を境にして、音楽への向き合い方が激変してしまった。

自分音楽ジャンルという枠のなかで創造される、音作りの多様さや新規性、奇妙さを楽しんでいた。それらがすべて「懐かしい」という感情に塗り潰されてしまい、素直に楽しめなくなってしまったのだ。

しかするとこれは、加齢による感受性の変化で、誰にでも起こり得ることなのかもしれない。音楽への思い入れが強かった分、強い違和感を感じただけで、心配するようなことではないかもしれない。

とはいえ、できることなら元の感受性に戻りたいし、その方法が知りたいと思っている。

もし同じような経験をした方がいたら、話を聞かせてほしい。

2024-06-15

部屋の録音再生したら妻が慌てた

妻の鼻歌が入ってた

結構全力で歌い出して

止められた。

録音したかったペットの鳴き声

聞けなかった

2024-06-03

鼻声』が何を意味するかわからなくなった

何でこんなことが気になったのかというと、フランス語の鼻母音練習をしてたからなんだけど。

フランス語の鼻母音は『鼻声』と言われる。

それだけでなんとなく納得しそうなんだけど、ちょっと待て、そもそも鼻声』ってなんだ? とよくわからなくなった。そういう経緯。

 

気になるポイントは要するに、鼻声って以下のどっちかということ。

  1. 鼻が詰まったような、鼻に響かない声
  2. 鼻歌のように鼻に響かせる声

これ、どっちも『鼻声』って言う気がするけど、やってることは全然逆。

フランス語の『鼻声』って、上に近くて、下のように無理に鼻を使おうとすることだと思うと逆効果というか凄い苦しいということに気づいた。

鼻声』って言い方曖昧すぎない?

2024-05-02

anond:20240502234748

じゃあ増田さんは親父の鼻歌を聞いてください

私はSpotifyArctic monkeysを聴きますので

anond:20240502233411

じゃあYouTubeSpotifyで聴けないものが大したものなの?

うちの親父が鼻歌作曲したオリジナルソングとか?

2024-04-03

anond:20240403102514

あるっちゃあるし、歌うとしたらそういう自分の好きな曲だろうなとは思うよ

でも普段音楽聞いてても口ずさんだりはしないか

歌うこと自体自分はそんなに好きじゃないのかもしれない

カラオケ好きな人は好きな曲聞いたらつい鼻歌混じりで歌っちゃうような感じだと思うんだけど

2024-03-19

究極の選択絶対私語できる雰囲気じゃない職場」「無駄にでかい声で独り言なり鼻歌なり何かしら口から音を出してくるおじさんがいる職場

私は前者を希望です

2024-03-12

何かきっかけがあったわけではないが、ふと思い出してしまったので書く。

子どもがまだ幼稚園に通っていた頃、父の日あたりに父兄参観のようなものがあった。親子で一緒になにか紙工作みたいなものを作りましょうというやつだ。正直、知らない人がたくさんいる空間は苦手なのだが、子どもも楽しみにしていることだし、せっかくの機会だからと行くことにした。結論から言うと、僕はその催しを台無しにして、子どもを深く傷つけることになる。

当日、まずは親子で教室へまりクラスごとにかんたんな朝の会をする。基本的には園児一人につき保護者の参加は1名までとなっていたが元々広くもない教室はすでに満員御礼となっていた。

朝の会のあと、なぜか園児全員でグラウンドに集まり園長先生お話を聞く時間があった。園児たちはグラウンドに並び、保護者達は端の方でそれを見守る。そう、そこまでは別になんの問題もなかった。問題はその直後に起きたのだ。

「それではお父さんお母さんと一緒にもう一度教室に戻りましょう」

司会の先生が告げた途端にワッと散開するおよそ200人の全園児とその保護者たち。右に左に移動する人、人、人。あっという間に僕は我が子を見失った。

ひとまず建物入り口の辺りに立って、自分の子どもを探す。周りには仲良く手を繋いで教室へ向かう園児保護者たち。この時点では僕は、自分の子もも僕を探しているに違いないと信じて疑わなかった。だってさっき先生が言ったばかりだ。保護者と"一緒に"教室へ戻りましょう、と。グラウンドからは人が減っていく。我が子はいない。まだ見つけられない。焦りが募る。どこか物陰で遊んでしまっているのか。もしかして何かを間違えて園の外に出てしまったのではないか。いやさすがにそんなことはないか。頭の中でぐるぐるといろいろなことを考える。

そして気がつくと、外にはもうほとんど人がいなくなっていた。先生たちが遠目にチラチラと見てくる視線が痛い。あの人大丈夫かな、不審者だったりしないかな、そんな声が聞こえてくるようだ。恥ずかしさと戸惑いと、とにかく頭の中はもうパニックだった。どうすれば良いのか、もうわからない。

念のためと思いながら園舎に入り、階段を上がった先の教室へ向かう。果たして我が子はそこにいた。廊下でひとり、鼻歌を歌いながら何事もなかったように遊んでいた。

「なんでひとりで行っちゃうの?」

極力怒りを抑えた(つもりの)声で子どもに問う。子どもは黙り込んで答えない。何が問題だったのかわかっていないような様子だった。この時点ですでに他の子たちは保護者とワイワイ楽しそうに作業を始めている。僕がいつまでも外で子どもを探している間に今日やることの説明などは終わってしまったらしい。当然、教室内にはもう我々が入り込めそうなスペースなど残っていない。

保護者と一緒に行ってって言われてたよね?なんで勝手にいなくなっちゃうの?パパ何もわからないんだよ?このあとどうするの?そんなようなことをまくし立てた気がする。子どもうつむき、答えは返ってこない。周りのチラチラと様子を伺うような視線けが突き刺さる。恥ずかしい、いたたまれない、どうして自分はこんなところでずっと晒し者のような扱いを受けているのか。このあとどうすれば良いのか。何もわからない。そして僕は「もう知らない」とだけ告げて子どもを置き去りにして家に帰ったのだ。最低だということは百も承知子どもの泣き叫ぶ声が聞こえたがしかし、それに構えるような余裕はもうなかった。

その後のことは詳しくは知らない。幼稚園から徒歩3分距離にある自宅に帰り、驚いた妻が慌てて幼稚園に向かって後を引き継いでくれたこと、泣きじゃくる子ども先生がつきっきりでいてくれたということだけは聞いた気がする。

あれから6,7年が経った。今でもこうやって思い出して自己嫌悪で気分が沈む。妻が上手くフォローしてくれたこともあり、謝って仲直りをしたものの、おそらく子どもにもこの件は嫌な記憶の上位として残り続けることだろう。

あのとき一体どうするのがベストだったのか。おそらく「最初から行かない」ことが唯一の正解だったのだろうと思う。当時の僕には誰の助けもない中であの状況を上手く立ち回ることは到底できなかった。でも行かないという選択肢を選ぶこともまた少なから子どもを傷つけることになっただろう。だから結局のところはわからない。

これを読んだ人には世の中にはこんなクソ親エピソードがあるってことをぜひ反面教師にしてほしい。僕みたいにこの先一生後悔し続けるような失敗を避けられるなら、それがきっと一番だから

2024-03-01

anond:20240229044739

全部見終わった 。まず番組の作りへの不満。30年前に書かれた本に今日的な価値を見出そうとするなら、その後の状況変化、新たに生じた条件を踏まえて今でも通用する部分・陳腐化した部分を検討するべきである。ざっくり古典としてたてまつるには早い。

オミットするべからざる状況変化の第一アメリカ孤立主義傾向であるトランプはそれを始めたのでなくその流れに乗っかりダメ押ししているだけだ。

もう一つはいわずもがなインターネットだ。特に近年目につくようになったのはいわばデマデジタル物量飽和作戦であるロシアの得意技。当局の雑すぎるウソ発表を、当初我々はナメて嘲笑していなかったかしかしその雑さは「東側」的な要領の悪さ・いい加減さの結果というよりそれ自体が場を荒らし言論のものを無力化する作戦だったのだ。今後はそれにAIが加わる。公共の「情報空間」そのもの腐海に沈む。

https://m.youtube.com/watch?v=fBiGeCxXoNI

「疑い」を輸出するロシアプロパガンダ真実よりも不信感!騙される人が続出する巧妙な仕掛け|奥山真司



第三夜以降の内容に目新しいものはなかった。エクスキューズたっぷり挟みつつ基本的チェリーピッキングリトアニア独立非暴力による成功例と言われても、そんなのいわばソ連崩壊過程余録だろう。

数々挙げられている「成功例」は、非暴力が勝ったのではなく体制が瓦解する時に民衆の側から追加の暴力はいらなかっただけだ。

独裁体制側に暴力の口実を与えないための非暴力というが、プーチンアサドみたいにヘッチャラでガンガン殺すパターンは?

「多少やられてもいずれはこっちが勝つ」その多少の死体になりたくないし近親をならせたくないのが人間本音だ。

非暴力手段に命をかけさせる煽動もまた暴力であると言える。

畢竟、独裁体制を倒す「さえたやりかた」なんかないのだ。あると思うのが思い上がりである安全から上から目線アドバイス

暴力的な独裁体制下の民衆はやり過ごし耐え忍ぶしかない。独裁体制本来的に不安定なのだから。なんかの弾みに瓦解する日を待つのだ。俺ならそうする。

シャープ理論への興味が尽きたところで思うのは「民主主義体制もまた本来的に脆い」ということだ。これぞお手本という民主主義ロールモデル存在しない。民主主義国の数だけブサイクな異形が存在する。イスラエルなんかわりとお手本に近いような先進的でシステマチックイメージもあったような気がするが今やすっかり自己コントロールを失ってひどい体たらくだ。

独裁体制民主主義体制か」が今日課題なのではないではないということだ。ポイントはそこじゃない。

今日的に重要ポイントはそれぞれにダメな国々がいかに協力して虐殺や抑圧の「悲惨」を避け得るかということ、でもそのための枠組みが死んでいるということだと思うのだが詳論は他日。

平和な国での平和運動」に、膾吹きカルチャー現実主義的なふんいきをまとわせる箔付けにはシャープ本は格好のモノだろう。

なんかずっと何かに似てると思ったら伊勢崎賢治だ。さも実務家の触れ込みで全然中身は伴わないという。

ところで「先生役」の清泉女子大名誉教授中見真理という人を知らなかったがぜんぜんダメだった。完全に仕上がった人である和田春樹とかの類。

日本人平和憲法を棚ぼたでいただいたので、外国のように自分の手で自由を勝ち取る発想がない」

コスタリカ軍隊をなくす決断をした素晴らしい国」

アメリカはそれであのー経済的観点からもね、あーの軍事的な、あのー介入を抑えていきますねこからね当然ねそういう、そこへ、日本がのほほんと、その(失笑軍事力を、増強してなんて出ていったら、ほぉーんとにバカみたいですよね」

他者に決定を委ねる方が楽だと思う人が増えているのではないかっていう気がします。独裁的なリーダーの出現を防ぐことができるかは私たち一人一人の自覚にかかっているということです」

他国に脅威を与えるような“専守防衛”になっていないかどうか。他国不安を与えるならば必ず日本不安となって跳ね返ってくるわけです」

血みどろの「今」を生きてる人の肌感覚じゃない。伝統芸能業界内でのんべんだらりとやってきて勝ち逃げ確定の人の鼻歌みたいな言論

2024-02-29

多分ピアノ協奏曲曲名教えて!

🎼ラ│シードドーーーミ│ミーミファーミ,ラ│シードドーーーミ│ミーミ#ファーーー、│シーミー、ミ♮ファミ│ミラレーー、ミレ│#ドーー

  

リズムは4/4で三連符、アウフタクトから始まる。

2小節めの長さを4分音符ごとに区切って書くと

シード│ドーー│ーーー│ーーミ│

になる。

  

調は違うかもしれない。黒鍵のない調しかからない。

鼻歌検索では何もヒットせず。

パリは燃えているか」に似てると思うけど似てないかもしれない。

あ、三連符じゃなくて普通に付点8分音符と16分音符かも。

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