はてなキーワード: 実家とは
なんか、昔からちょっと相性悪いなーとは薄々思ってはいたんだけど、いよいよしんどくなっている
発端は高校入学時に伯父が入学祝いとして時計をプレゼントしてくれたこと
そしたら母親になんかスイッチが入ってしまったらしく、事あるごとに
「高校につけていったら盗まれるかもしれないからつけるのはやめなさい」
「高校生にはもったいない、お母さんがつけてあげようか?」←マジで何?
という感じで、隙あらば使おうとしてきた
怖いので逆に毎日つけて登校してた
そしてメルカリでseikoの時計を買い漁り、日替わりでつけるようになった
いいでしょ〜とかなり自慢されたが、別にそう興味なかったので反応するのが大変だった
次が成人の際、振袖を借りなかった(家にあるのを着た)のでお金が浮いたからということで、成人祝いにダイヤのネックレスをもらった
そしたらまた母親のスイッチが入って、なんか高いのを買っていた
いつも私のと並べて「ほら!輝きが全然違う!」と言っていた
2回目くらいまでは本当に値段が違うと全然違うんだなあと感心したものの、3回目以降は完全に飽きていたので、反応に困った
自分でニューバランスのスニーカーを買って愛用していたら母親が大量にニューバランスを買っては自慢してきたり、ライダースジャケットを買ったらいろんな素材のライダースを取り揃え出したりしていた
実家を出てからは、なるべく新しく買ったものは母親の視界に入らないようにしている
うっかり新しく買ったバッグを使っていたら似たようなバッグを欲しがって面倒だった
親戚の助けは多分にあったとはいえ、女手一つで育ててもらって感謝しているけどあんまり会いたくない
まあ実際なるべく避けてて会ってないんだけど
なんか結婚とかすることになったら超めんどくさそうで紹介したくないなあ…
単身なら手洗いでいい派だけど、つい溜め込みがちなら食洗機あった方がいいし家族が複数人いるならでかい食洗機あった方がいいわな
実家時代誰が洗い物するかでギスりがちだったけど食洗機導入したらギスらなくなったから、共同生活において争いを少しでも減らしたいならあった方がよいと思っている
結婚相談所やけど
最近『おぢアタック(35歳以上の中年男性が8歳以上歳下の女性にアプローチすること)』ってのが社会問題になってるらしい
結婚相談所の立場としておぢアタックが成功した事例について説明する
おぢアタックが成功する事例というと金持ちの男が金に力を言わせてってイメージだが実際はそんなことはなく
(もちろん金持ちや高年収の男性は年の差婚が多いがそれはそういった男性が高齢であることが多く、高齢者はそもそも年の差婚が比較的多いことが原因なんだ)
実際は40前後で年収800万円程度の底辺寄りの男性でよく見られる
障がいのない場合でも
・底辺地方国公立や日東駒専未満、短大や専門卒どころか高卒までいる
へええ手洗いなら5分で終わると主張している人なんているんだ。
一人暮らしでカップ麺のカップ捨ててお箸だけあらってるのかな。
なんて煽ってみてもたのしいんではないでしょうか。
手が太くできてるので水筒とか腕までつっこめないんだよね
「津波がおきたら、他の人のことは気にせず、それぞれで逃げろ」という意味だ。
いい教訓だと思った
実際に逃げる人が増えることでみんなの正常性バイアスを破る効果もある
個にも、全体にもいい最適な戦略
我が家は木造一戸建て、コンクリ建てで背の高い近くの避難所に行くのがいいと思った
今回が大したことなくても、避難する習慣をつけるのは良いことだ
数年経って、故あって実家が引っ越すことになった
親父はコンクリの、丈夫なマンションの上方にこだわって探しているようだった
なんでかと聞いたら、親父は小さくこういった
俺はハッとした
親父はあの時のことを気にしていた
ひょっとすると、静かに傷ついていた
なんとなく、気まずく感じた
俺がいざというときに家族を見捨てる側の人間だと糾弾された気がしたのだ
今もそう思っているし、もし何かあっても一人で逃げる
正しい行動だからだ
しかし正しいことは、気まずくもある
周りのやり方や考え方、感じ方が理解できない。昔からそうだった。鬱とかじゃなくて、知的障害かもしれない。
そうやって泣くので、とりあえず精神科へ。
ワイはFラン農業大学卒、嫁そこそこ経済系大学卒と、まぁ、もし娘の言う通りだったら、確実にワイのせいやな。
そんなことを思いながら言われた結果は、IQ130後半の、かなり頭のいい子ですね、だった。
逆に頭が良すぎて周りと合わないとかなんとか。
ほぉーん?
軟骨がすり減って骨がこすれてるということで
まぁもう80近いし医者的には痛み止めを飲みながら余生を過ごすでも手術するでもどっちでもいいって感じ
母は関節の置き換え手術なんか誰でもやってるんだからやるべきという立場
母が「男の人ってすぐそういうリスクの話するよね。女は子供産んでるだけあって強いからそんなの気にしない」
って言ってたんだけど、男女云々関係なく単にお前の想定が甘いだけでは?
俺も父も98%成功すると思ってるよ
でも残りの2%で今よりもっと悪くなった時に困るのは母だし
面倒見ることになったら嫌だなぁということを「想定」してるからリスクはあるって言ってるだけで
別に男が危機を乗り越えた経験がないから臆病なのとは別の話だと思うぞ
と思いつつも口答えしたらヒステリー起こすだけなので頑張ってきてね^^って流して帰ってきた
私は再びロトの地に舞い降りたわよ!
無事にHD-2D版のドラゴンクエストI・IIの1をなんとかクリアして、
ドラゴンクエストI・IIの2に突入したんだけど、
でも今はもうムーンブルクの王女までサマルトリアの王子も含めて3人旅よ!
やったー!
なんかサマルトリアの王子の妹がついてきてくれて、
超絶強くて気を効かせて回復も惜しみなくやってくれるし、
適当に私たちが選ぶコマンドの作戦のバッチリ行こうぜより気の効いた立ち回りをしてくれて、
以外と一人旅も辛くなかったしすぐにサマルトリアの王子にも出会いつつ、
ムーンブルクの王女とも呪いを解いて無事3人旅ってところまで進められたことに、
あまりにドラゴンクエストI・IIの1が一人旅で苦難過ぎたので3人で回復とか攻撃とか手分けしてバトルの戦闘ができる、
マジこれ仲間の大切さ?
そう言うのをもうとうの昔にクリアして忘れかけているHD-2D版のドラゴンクエストIIIで、
楽しく仲間と大冒険をしていた頃を思い出すの!
一人は辛いけど、
今は3人いるわ!って
ムーンブルクの王女が合流するまでルーラの移動する呪文が使えないので、
ローレシアの王子とサマルトリアの王子とで二人旅で何が困ったか!っていうと、
キメラのつばさ不足に陥るのよ!
薬草は例の如くたくさん買い込んでローレシア大陸の薬草経済界を回すほどの希望で買い込むからまさにタニコーの五徳のようよ。
なんか
目の前に遠くに見える街が歩いて行けるの分かっていてもルーラ使っちゃう病におかされてしまったので、
えーん、
歩いて帰る辛さを痛感したわ。
中村あゆみさんか!って思うほど
ってそれは翼の折れたエンジェル!
あともう何気に便利過ぎるのが
HD-2D版のドラゴンクエスト全てにおいて序盤役に立つブーメランはグループ攻撃の垣根を越えて全体攻撃ができる序盤の頼れるアイテムの武器なので、
よーし!私のターンよ!って
いやなんでもやらなくちゃいけないマンだったので
3人旅は楽しいわ。
そんでね、
サマルトリアの王子とローレシアの王子の2人旅ではフィールドの音楽がなんか淋しい感じだったけれど、
ムーンブルクの王女が加わって、
なんか変わった?って思ったらフィールドの曲が豪華になっていて感動して泣いちゃったわ!
3人でこれから頑張ろうね感でるじゃない!
そこら辺の酒場で声かけて集めてきたドラゴンクエストIIIの仲間とはちょっと違う気持ちになるわ。
あとドラゴンクエストIIIでは
なにかと実家に帰ったらみんなの面倒をお母さんが見てくれて宿代もいらなくて重宝していたけれど、
ドラゴンクエストIIはみんな王子王女だから実家って概念がなく、
ライオンの親がライオンの子どもを捕まえるために虎穴に入らずんばって感じの厳しさなの!
そう言えばさ、
ドラゴンクエストIIIでなんで薬草あんなに買った記憶が無いか?って今思ったら
レヴェルアップしたらHP・MP全回復する設定になっていることをオフにするのを知らなくて、
それで暮らしていたけれど
だからかなり甘めのドラゴンクエストIIIの冒険だったのかも!って今思ったわ。
その甘めな甘さの設定をオフにできるのは
ドラゴンクエストIからで私は自分に厳しめに行くための冒険の手続きとしてその設定をオフにしたの!
もちろん今回のドラゴンクエストIIでもレヴェルアップしたらHP・MPポイント全快設定はオフにして厳しい世の中に喰らいつこうと思っているの。
そんなことだから、
とりあえず、
3人そろっての冒険なので、
ドラゴンクエストIの何でもやらなくちゃいけないマン1人の冒険とは違い、
まあいきなり
3人揃っていざ行かん!ってなったけど
次はどこに行ったらいいのか分からなくならないドラゴンクエストIIのバイブスが弱まらないうちに、
この感じでドラゴンクエストIIも辛かったらどうしよう?って思っていたけれど、
いまのところなんだか楽しく冒険できている感じがするわ。
ドラゴンクエストって
帰り道で力尽きてとりあえず全滅して協会に戻ったけどアイテムは回収できちゃっている、
まさにお金は半分になるけれど
捨て身の作戦が効いていたけれど、
そこリレミトの使い手としては
たまにはリレミトも唱えてあげようって思ったわ。
リレミトの使い道なさすぎない?
うふふ。
サンドイッチのタマゴのボリュームとパンのふわふわさ加減が絶妙な美味しさで元気が出るわ!
朝めちゃ寒かったので、
私の起きたての心も沸かしてくれるわ。
ホッツを飲んで温まってって感じかしら。
やっぱり冬本番待ったなしってところね。
風邪引かないようにしなくちゃね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
久しぶりにド田舎の実家に帰ったんだけどさ。 地元のイオンモールで、中学時代の同級生たち(いわゆるマイルドヤンキー層)に遭遇したわけ。
EXILEみたいな髪型した旦那と、茶髪のプリンヘアの嫁が、子供3人連れてフードコートで丸亀製麺食ってギャハギャハ笑ってる。 駐車場にはデカいアルファード。 正直、昔の自分なら「うわぁ…」って見下してたと思う。知性のかけらもない会話、洗練されていないファッション、閉じた世界。
でも今回、東京で消耗しきった頭で彼らを観察してたら、ある恐ろしい事実に気づいてしまった。
「生物としての幸福度」において、どう考えても俺(都内勤務・年収1000万超・独身)より彼らの方が圧勝してるんじゃないか? ということ。
悔しいから色々考えたんだけど、これ単なる「隣の芝生」じゃなくて、構造的な理由があるわ。言語化できたので書いておく。
東京のエリート(笑)である俺たちは、常に「最適解」を探し続けてる。 もっといい会社、もっといい年収、もっといい住居、もっといいパートナー。 選択肢が無限にあるから、「今の選択がベストなのか?」という疑念が一生消えない。 これを心理学で「マキシマイザー(最大化人間)」って言うらしいけど、まさにそれ。
一方で地元の彼らは「サティスファイサー(満足化人間)」だ。 地元にはイオンとパチンコと数軒の居酒屋しかない。就職先も親のコネか地元の工場。結婚相手は中学の先輩か後輩。 選択肢がないから、迷いようがない。 「ここで生きていく」という覚悟が強制的に決まってる。 「もっといい人生があったかも」というノイズがない分、彼らは目の前のうどんと家族に100%のリソース(関心)を投下できている。
2. 「相対的剥奪感」の欠如
東京は天井がない。 年収1000万になれば2000万の奴が視界に入る。タワマンの低層階を買えば高層階の奴に見下ろされる。 SNSを開けば、自分より若くて成功している起業家が流れてくる。 どれだけ努力しても、常に「敗北感」を味わわされる構造になってる。終わりのないラットレース。
でも地元は違う。 アルファード乗って、持ち家(土地代タダみたいなもん)建てて、子供が3人いれば、その時点でもう「地域の王」だ。 ゲームクリアの条件が明確で、しかも難易度が東京に比べてイージーモード。 一度クリアしたら、あとは余生としてマリオカートを楽しむだけ。 彼らはもう「足るを知る」状態に入ってるのに、俺だけがレベル99の上限解放待ちのクソゲーを必死にプレイしてる気分になった。
俺たち都会人が金で買っているものを、彼らは「人間関係」で無料調達している。 子守りは近くのジジババがやるから無料。 車が壊れたら先輩の整備工場で安く直す。 野菜は近所から貰う。
俺たちは孤独を埋めるために高い家賃を払い、承認欲求を満たすために高い時計を買い、家事代行やシッターに金を払う。 彼らはそのコストが全部ゼロ。 可処分所得で見たら俺の方が多いかもしれないけど、「精神的な可処分所得(安心感)」で言えば、地元のツレとの強固なネットワークを持つ彼らの方が圧倒的に富裕層なんじゃないか。
高学歴エリートが都会でやってるのは、 「無限に湧いてくる選択肢の中から、正解かどうかも分からない最適解を選び続ける」という、リソース消費が激しいだけの苦行だった。
マイルドヤンキーたちは、 「限られた選択肢を愛し、その中で最速で満点を取り、あとは仲間と笑って過ごす」という、コスパ最強の攻略法を実践している。
フードコートで笑う彼らを見て、俺は日能研に通ってた小学生の頃から、ずっと「幸せになるための競争」をしてきたつもりだったけど、実は「幸せを感じるセンサー」を鈍らせる訓練をしてただけなんじゃないかと絶望した。
そもそも実家に無いものは食いなれていないのだから、食いなれていないのだ。
これ1つで味を決めようとすると全部同じ味になるし使いどころが難しい。えぐみもある。
これも味が染まりすぎて使いづらい。
麺は確かに美味しいと思ったがスープが独特に過ぎる。だったらマルタイでいい
ドラム式とは言わなくとももうちょっといいやつにすればよかったかも。
洗浄力が弱い気が。水量を手動で多めに設定して乗り切る
46歳男性。3児の父です。
最近この先の人生の方向性に迷っており、何を目指して生きていこうかと日々悩み中なのでアドバイスをもらえたらうれしいです。
現在こんな感じです。
自分で書いてて別に何も不満に思うことないじゃん、という気もするし、「こいつすごく恵まれてるくせに何を言ってるんだ」という感じがします。感じ悪いです。読んで不快になった人もいるかと思います。ごめんなさい。
でも、「熱中できず、満足できなくて、日々鬱々としている」のです…。
究極的には人生なんてずっと暇つぶしなのだから、時間の無駄とか、自分の成長がとか言ってないで何か楽しいことをやって満足できればいいのだろうというのは頭ではわかっているのですが…。
小さいころからずっと、稼げるようになるために勉強しまくって、ブラックな職場でも頑張って仕事しまくって。子供ができてからは子供に時間をささげまくって。ひと段落しちゃってやることなくなって趣味に力を入れてみたけど、いろいろと思い通りにいかなかったり先が見えてきてしまって。
よく言う、仕事ばっかりやっていた人が退職した後にやりがい無くして…みたいな感じの軽いやつを今味わってる気がしてます。おそらく多くの人が状況は違えど多かれ少なかれこういう感じになる時期があるんじゃないかと思うのですが…。
こういう時ってどういう感じで思想を広げて、感じ方を変えていけるんでしょうか?
きっと、現状を変えるという手もあるけど、完全に今の状況のままで心穏やかに毎日満足しながら幸せに過ごせる感じ方に自分が変われればそれでよいのだと思うのですけれども。
頭ではそう思っててもなかなかそうはいかないんですよね。
同じように感じていたところから、感じ方が変わった人がいたら、どういう経緯をたどったのかなど教えてもらえると嬉しいです。
妹の出生届も、同じ住所だ。
でも俺の出生届だけ、親が別居していた時代の、親戚のアパートの住所で出されている。
それだけじゃない。
でも俺のは、「父親欄が空白」で、後から記入された形跡がある。その字体が、他の部分と違う。
母さんに聞いても、最初は「その時はそういう事情があってね」ぐらいしか言わなかった。
俺は「ふーん、そっか」と流した。
別に親が離婚してるわけでもないし、兄妹と仲が悪いわけでもないし、戸籍とか出生届とか、そんなのどうでもいいじゃんと思ってた。
でも、よく考えてみると、変だ。
なぜ、俺だけ別の住所なのか。
なぜ、母さんはそれを「事情があってね」で済ませているのか。
兄貴に聞いてみた
「俺さ、親戚のアパートで出されてるんだよ。しかも父さんの名前が後から書き込まれてる形跡がある」
その沈黙が、ほぼ全てを語っていた。
「何だよ。ちゃんと言えよ」
「いや、その...両親が、その時点で別居していたらしい。で、お前が生まれたのが親戚のところで...」
「待て。じゃあ、父さんはその時...」
その瞬間、何かが腑に落ちた。と同時に、腑に落ちない部分が増えた。
出生
届の日付が、合致しない
その後、いろいろ調べてみた。
俺の出生届の日付と、兄貴の出生届の日付を比べると、なぜか時系列がおかしい。
でも、俺の出生届に「父親欄を後から埋めた跡」が残っているということは、その時点では父親の欄が空白だったということだ。
つまり、俺が生まれたとき、親は「正式な婚外子」として届け出したのかもしれない。
それが何年後か経ってから「認知」という形で、父親欄が埋められた。
その間隔が何年なのか、母さんはいまだに明確に言わない。
法的には、何か問題あるのか
認知というのは「婚外子が法的に父親から保護されるための手続き」らしい。
もし俺が本当に婚外子で、その後数年経ってから認知されたのだとしたら、その間、俺は法的には「父親のいない子ども」だったわけだ。
その状態が、何年続いたのか。
そして、なぜ、そんなことになったのか。
母さんが口を開きかけた
昨日、母さんに直接聞いた。
「お母さん。俺、婚外子だったの?」
母さんは、固い表情で「...そう言えば、そうかもしれないね」と言った。
「『かもしれない』って何だよ。何があったんだよ」
母さんは、長い沈黙の後「その時、お父さんと別居していて。あんたが生まれたのは、実家に帰ってたときで...」
「待てよ。じゃあ、親戚のアパートっていうのは、おばあちゃんのことか?」
「そう。その時、お父さんはあんたが生まれたことを...すぐには認めなくて」
「え。認めなかったって...」
その瞬間、俺の中で何かが壊れた。
なぜ、父親は俺が生まれたことを「すぐには認めなかった」のか。
なぜ、そのことを誰も俺に言わなかったのか。
なぜ、今になって、こんなに曖昧な形で教えられるのか。
考えてみたら、出生届というのは、人間の人生の最初の「公式記録」だ。
それが全てだ。
その最初の記録が「曖昧」だと、何か、人生全体がどこか曖昧に感じられてくる。
戸籍の上では、今はちゃんと嫡出子(認知されたから)として書かれている。
でも、その「嫡出子」という状態は、生まれた時点ではそうではなかったわけだ。
つまり、俺の法的身分は「生まれた時点では、何者でもなかった」ということか。
ここからは、単なる推測だ。
もし、俺が生まれたとき、父親が俺を認めていなかったとしたら。
そして、その状態が何年か続いたとしたら。
その間、兄貴と妹は「親の嫡出子」として、全く違う時間軸を生きていたことになる。
俺だけ、別の時間軸で、どこか宙ぶらりんの状態で生きていたわけだ。
後から認知されて、法的には「同じ戸籍」に入ったけど、その「時間」は取り戻せない。
その違いが、今、なぜか俺の心の中に、小さな溝のようなものを作っている。
「知らない方が良かったのか」という問い
「なあ、お前は、この事実をいつ知ったんだ」
「中学の時かな。親が喧嘩してるのを聞いてて、何か雰囲気で察した」
「それで、別に何とも思わなかった?」
「ん...思ったけど、別にどうしようもないじゃん。今はちゃんと父さんの子どもなわけだし」
でも、「知ってしまった」以上、その事実は俺の中から消えない。
出生届の「曖昧性」が、俺の心の中の「曖昧性」になってしまった。
俺の名前。
俺の生年月日。
その手書きの文字を見ていると、何かすごく哀しい気持ちになる。
誰が、どんな気持ちで、その欄に「父親の名前」を書き込んだのか。
「やっぱり、この子は俺の子どもだ」と思った瞬間があったのか。
それとも、単に「手続きが必要だから」という理由だけで、埋められたのか。
出生届は、人生の最初の「物語」であり、同時に「秘密」でもあるんだなと思う。
その秘密が、40年近く経った今、俺の前に開かれている。
そして、その開かれた秘密は、兄弟との時間軸を、ほんの少しだけ、ズレさせてしまった。
それが良いのか悪いのか、未だに分からない。
タイトルが強い言葉になってしまって恐縮ではあるが、現実的に障害者にマッチングアプリは厳しい。
筆者は男なので女性の場合は不明で申し訳ないが、少なくとも男性の場合はそうだと思う。
マッチングアプリを始めた経緯:
歳も歳であるし前々から結婚したいと思っていたが、直近で好意を寄せていた女性に振られた。
そこで漸く結婚相談所に入る決心をつけたが、私的な事情により今年中は入ることができないため、お試しで一ヶ月やってみることにした。
無論遊び目的ではないし、彼女ができたのであれば真剣に付き合うつもりではあった。
利用したアプリ:
with
著者のスペック:
性別: 男
年齢: 32
学歴: 旧帝院卒
年収: 800万円
身長: 160cm
体型: スリム
顔: チー牛の系統だが最低限の毎日のスキンケアや眉毛サロン等は済
活動内容:
自分のスペックは身長・病気・実家暮らしの部分で他の男性会員と比較して劣後しているため、選ばれにくい状況ではあると推測。
競合の少ない(=いいねの少ない)女性会員を中心にいいねとメッセージ付きいいね(ポイントにも限りがある為、こちらは特に好みの女性に絞って)を送信、巡回して足跡付け。
検索した際の女性の条件は27〜35歳、近辺の都道府県、子供なし、タバコ吸わない。
結果:
マッチ0。
調べたところによると足跡の平均は筆者の地域×男性で40程度であるし、確かに他の同性会員より多めとアプリ上で表記がなされている。
プロフィールを盛ることも一瞬考えたが、筆者は嘘をつけない性分な為にせず、自己紹介文や写真も色々変えてみたがすべて空振り。
彼女は過去3人おり、それ故コミュ力はそれほど悪くないと自負していたが、そこまでのメッセージのやり取りできる土俵にすら立てなかった。
雑多な感想:
マッチングアプリはハイスペ恋愛強者のためにあるというのはどうやら正しいらしい。
結婚するだけなら結婚相談所に行ったほうが近道ではあるのだろう。
ここまで辛辣に書いてきたが、逆に良い面もあった。
女性の検索条件を設定する上で、自分がお相手に対して本当に求めていることを見出すことができたし、プロフィールを表現する中で自分でも気づきは多く、また男女問わず友人たちにアドバイスをいただき、自己を客観視することができた。
自己認知を行うことができるという点では素晴らしい物であると思う。
さぁ〜頑張ろ(笑)
すべての者に幸あれ…!
【追記】
建設的なご意見いただいた皆様ありがとうございます。
女性には選ぶ権利があり、相手の素性や内面も分からない、殊マッチングアプリではリスクがある人を避けるのは自然な行動かと自分も思います。
■まじだる
結婚してくれと言ってた男いたけどお前らが家庭内めちゃくちゃにしててどうにもならなかったって話前にもしただろうがよ
どの口がいい男居たらいいのにねとか言ってんだよ