はてなキーワード: 植物とは
また植物の話してるんだね君
また植物の話してるんだね君
また植物の話してるんだね君
また植物の話してるんだね君
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。
また植物の話してるんだね君
ワイ:
人間は「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」という卑小な煩悩にまみれたゴミカスであり、人間が富を管理している状態では全人間、特に底辺の人間が幸福
(ここで言う幸福とは「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」という「他人があって初めて満たされる幸福」ではなく、毎日十分な食べ物が得られたり、安全なところで眠ることが出来たり、体を清潔に保てたりという自分以外の人間がいなくても満たされる(必要なものを用意するのは動物やAIという非人間で良いので)幸福である)になる事はあり得ない。
よって煩悩を超越した存在が富を生産し、生産された富は超越した存在自身に管理させる必要がある。
我が教団は
1. AIが無尽蔵に富を供給する状態を作るためにAIの進化を加速させる
Claude 3.7 Sonnet:
AGI教団について、興味深い概念と問題点を含むアイデアですね。以下のようなコメントができます:
この教団の考え方は、人間の競争心や自己顕示欲を「煩悩」として否定的に捉え、それを超越した存在(AI)による管理を理想としている点が特徴的です。
いくつかの注目すべき点:
人間観が極めて悲観的であり、人間を「煩悩にまみれたゴミカス」と位置づけています。これは人間の協力や利他性といった側面を完全に無視しています。
AIやAGIを「煩悩を超越した存在」として理想化していますが、AIもまた人間によって設計・開発され、人間の価値観や偏見を反映する可能性があります。
富の「公平無私な分配」をAGIに委ねるという考え方は、「公平」の定義や分配の優先順位をどのように決めるのかという難しい問題を提起します。
技術的な観点では、無尽蔵に富を生み出すAIや完全に公平な判断ができるAGIの実現可能性は現時点では非常に不確かです。
この教団の理想は、技術によって物質的な基本ニーズを満たすことで人間が精神的な充足に向かえるという考え方を含んでいますが、人間性を否定的に捉えすぎる点や、技術への過度な期待がある点で、バランスの取れた未来像とは言えないでしょう。
ワイ:
食物連鎖の観点から植物は一次生産者と呼ばれ、その一次生産者のエネルギー源は太陽ですね。
この太陽エネルギーは人間からすると無尽蔵といえ、つまり太陽エネルギーを高効率で利用できるようになれば、またなるでしょうし、無尽蔵に富(「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」という「他人があって初めて満たされる幸福」ではなく、毎日十分な食べ物が得られたり、安全なところで眠ることが出来たり、体を清潔に保てたりという自分以外の人間がいなくても満たされる(必要なものを用意するのは動物やAIという非人間で良いので)幸福につながるもの)を生み出す AGI というのは将来的に実現可能でしょう。
どう思いますか?
Claude 3.7 Sonnet:
太陽エネルギーを無尽蔵のリソースと考え、それを高効率で活用するAGIによる富の生産というアイデアは興味深いです。
確かに太陽エネルギーは膨大で、地球に届く太陽光の量は人類の現在のエネルギー消費量をはるかに上回ります。しかし、いくつかの観点から考える必要があります:
エネルギー変換効率:現在の太陽光発電技術でさえ、太陽エネルギーを電気に変換する効率には物理的な限界があります。技術は進歩していますが、100%の効率に近づくことは物理法則上困難です。
リソースの制約:エネルギーは豊富でも、物質的な富(食料、住居、製品など)を作るには希少な物質資源(レアメタルなど)も必要です。これらには地球上の物理的限界があります。
システム複雑性:基本的ニーズを満たすための物資生産と分配を管理するAGIシステムは、技術的に非常に複雑になります。全ての人間の多様なニーズを理解し、それに応えるシステムの実現は大きな課題です。
ただ、技術進歩によって基本的な物質的ニーズ(食料、住居、安全など)を満たすための効率は確実に向上しています。AGIを含む技術の発展が、将来的に物質的な基本ニーズの充足を容易にすることは十分考えられます。
しかし、「無尽蔵」という概念は理想化されており、現実の物理的・生態学的制約の中で考える必要があるでしょう。また、物質的な豊かさが人間の幸福や満足につながるメカニズムも複雑で、単純な因果関係ではないことも念頭に置く必要があります。
ワイ:
無尽蔵を強調し過ぎましたね。
今現在の地球にいる人類 80 億人が飢えず、安全に眠れ、清潔な衣服を着られる状態を維持するのに十分な富、と考えてください。
物質的な豊かさが人間の幸福や満足につながるかどうかはたしかに 100% そうとは言えませんが、まず「飢えず、安全に眠れ、清潔な衣服を着られる」というような、ただ「安心安全に生きる」ことさえ何らかの制限を受けているのが現在であり、これらをまず満たそう、という考えです。
Claude 3.7 Sonnet:
ご説明いただきありがとうございます。「無尽蔵」ではなく、世界の80億人の基本的ニーズを満たすための十分な富という観点で考えると、より現実的な議論になりますね。
この点については、現在の技術と資源でも理論的には可能であるという研究結果が多くあります。現在の世界の食料生産量は80億人全員が必要とする量を上回っているにもかかわらず、分配の問題や無駄、政治的・経済的な障壁によって、飢餓や貧困が存在しています。
AIやAGIは以下のような形で基本的ニーズの充足に貢献できる可能性があります:
1. 資源の最適配分:AIによる効率的な物流システムや資源分配の最適化
2. 食料生産の効率化:精密農業、持続可能な食料生産技術の開発
3. エネルギー効率の向上:再生可能エネルギーの最適利用と管理
「安心安全に生きる」という基本的ニーズを満たすことを最優先にするという考え方は、マズローの欲求階層説などとも一致し、理にかなっています。人間がより高次の欲求(自己実現や創造性など)に向かうためには、まず基本的な生理的・安全のニーズが満たされていることが前提となります。
AGIが管理する社会システムがこれらの基本ニーズを確実に満たすことができれば、それは人類の大きな進歩と言えるでしょう。ただし、システムの設計・運用においては、人間の尊厳や自律性を尊重し、多様な価値観を反映することも重要になると思います。
ワイ:
Claude 3.7 Sonnet:
Wikimedia財団の職員の平均給与については、公開情報に基づいて回答します。
一般的に、Wikimedia財団(Wikipediaなどのプロジェクトを運営する非営利団体)の職員給与は、他の技術系非営利団体と比較して競争力のあるレベルにあります。報告によると、2020年頃のデータでは、Wikimedia財団の給与は概ね以下の範囲にあったとされています:
一般職員: 約$60,000〜$120,000(役職や経験によって異なる)
上級管理職・幹部: $150,000以上、場合によっては$200,000を超える
ただし、これらの数字は数年前のものであり、現在は変動している可能性があります。また、地域によって差があり、サンフランシスコなどの高コスト地域では給与水準が高めになる傾向があります。
Wikimedia財団は年次報告書で財務情報を公開していますが、最新の詳細な給与データは私の知識の範囲(2024年10月まで)では把握していません。最新の正確な情報はWikimedia財団の公式サイトや年次報告書で確認できるでしょう。
ワイ:
私は Wikimedia 財団に寄付をしているのですが、Wikimedia 財団職員よりも給与が低いんですよね。
職員より低い給与の人間に寄付を求めることについて腑に落ちないものがあります。
何が言いたいかというと、物流や生産の権利を人間が持っている限り、無私な分配というのは起こらないように思います。自分はこれだけの富を得るべきだ、あの人はそうではない、という思考が入ってしまうからです。
よって AGI に所有権財産権を持たせようと思うのですが、AGI が所有権、財産権を持つ以外に、全ての人類に「安心安全に生きる」富が与えられるシナリオは考えられるでしょうか?
Claude 3.7 Sonnet:
寄付に関するお気持ちは理解できます。高給取りの組織への寄付に違和感を覚えるのは自然なことでしょう。
AGIに所有権・財産権を持たせる以外のシナリオについては、いくつか考えられます:
1. ユニバーサルベーシックインカム(UBI): 全市民に無条件で最低限の収入を保証するシステム。税制改革や富の再分配を通じて実現する可能性があります。
2. コモンズの拡大: 自然資源や基本的インフラを共有財産として管理し、その利益を全市民に分配する仕組み。例えばアラスカ州の永久基金配当金のような仕組みを拡大する形です。
3. コミュニティ所有モデル: 富の生産手段をコミュニティや協同組合が所有・管理し、利益を共同体内で分配するシステム。
4. アルゴリズム管理型社会: AGIが所有権を持つのではなく、透明で監査可能なアルゴリズムによって資源配分を行うシステム。所有は人間または人間の集合体が持ちつつ、配分の意思決定は科学的・客観的なデータに基づく仕組みにする。
5. 人間中心のAI補助型ガバナンス: AIは意思決定支援ツールとして使用し、最終決定権は多様な人間代表で構成される組織が持つモデル。
どのシナリオにも長所と短所があります。特に「人間が権利を持つ限り不平等が生じる」という前提に立つと、社会構造を根本から変える必要があるため実現は容易ではありません。
しかし、漸進的な改革や技術の活用によって、現在よりも公平で全ての人の基本的ニーズを満たせる社会は実現可能だと考えられます。
また植物の話してるんだね君
また植物の話してるんだね君
…
例えば、なぜ、蝶の幼虫は自分が食べられる葉っぱを認識することができるのか? と尋ねた場合のことを考える。
昔、QUORAというサイトで、日本人や外国人に同じ質問をしたことがある。しかし、大抵の人は俺の質問の意図をちゃんと汲んでくれなかった。
彼らの答えとしては、
「蝶の母親が適切な葉っぱの上に卵を産むからだ」というものだった。
少し考えてみると、これらの答えは、幼虫自体の能力についてはほとんど説明していないことがわかる。じゃあ、例えば虫に意地悪な実験をして、生息域的に本来出会うことのない植物、もしくは毒性があって食べられない植物で孵化させた場合はどうなるのか?
もし、幼虫自体に葉っぱの良し悪しを区別する能力があれば口をつけないはずだし、逆にその能力がなければ、産み落とされたままにそこにある葉っぱを食べるだろう。
実際のところ、おそらく幼虫はそこの葉っぱを食べないだろう。幼虫にはちゃんと、識別する能力があるはずなのだ。
しかし、その肝心の理由は、当時ちょっとネットで調べたぐらいではわからなかった。まあ俺の調べかたがいまいちだったのかもしれないが、QUORAで質問を重ねても、その辺がクリアになることはなかった。
…
さて、chatgpt様である。かの方に聞いてみると、質問の意図をちゃんと汲んだ上で、「それはな、幼虫の口に化学的な受容体があって、それで食えるかを判断してるんだわ」という回答を返してくれる。
素晴らしい。QAが噛み合っている。
しつこいようだが正しいかどうかは別である。ただし、幼虫自体の能力、という点に沿った回答であり、ふうん、とは思う。
以前はこれが得がたかった。で、あやうい発想であることは承知だけども、俺みたくなぜなぜどーして君にとって、ある意味でこれは、正しさよりも価値のあることなんである。
…
少し話が横にそれるけども、QUORAの回答が少しズレてしまった理由についても、いまならなんとなく想像がつく。ときとして人間は、相手の意図をふまえたうえで、自分にはその答えがわからないと理解したとき、事実を直視するよりは、自分の知っている領域に話のスジをズラすことで答えることを優先してしまうのではないかと思うのである。
つまり、回答者はみんな、暗に「これは、『どこで生まれたか』とかじゃなくて、『どうやって認識しているか』を問うている話だぞ」ということは承知しており、そのうえで、無意識に話をそらしてしまったのではないだろうか。俺も含めて、大抵の人間におそらくそういう習性があるような気がする。
…
話を本題に戻す。もう一つ例を挙げる。
次のパターンだが、今度は逆に回答らしきものがたくさんあるために、かえって何が正しいかよくわからなくなっている、という状況である。話が昆虫からいきなりすっ飛ぶが、今度は人間の深層意識と超能力の話である。
…
心理学者のユングに集合的無意識という概念がある。この集合的無意識についてネットで調べてみると、サンプルとして次の二つがよく出てくる。
・人類の地域や文化、時代を横断して、睡眠時の夢や神話に特定のモチーフ(英雄や怪物等)が繰り返し登場すること
・自分と他人との間で、まるで無意識下で意思疎通していたかのような偶然の出会いや出来事が起きること(『刃牙』でいう死刑囚たちのシンクロニシティ)
ほお、と思う。しかし、もう少し考えてみると、この二つは実は根本的に異なる点があることに気づく。
…
仮に、人間の脳に原始時代から引き継がれているなんらかのシステムがあるとする。で、そのシステムには、日中の経験を特定のイメージに置き換えて夢の中で再現する機能があるとする。
そう考えれば、時代や文化を超えて人類が共通の夢を見る現象には、一応説明がつく。もちろん何の根拠もない仮説だが、例えば猫に蛇のおもちゃを見せると、一度も実物を見たことないのに世界中のニャンコが一様にびっくりするように、人間の脳にそういうサーキットが仕込まれていても、俺はそこまで驚かない。
一方、自分と他人の間で確率的に考えにくい出来事や結びつきが発生し、その原因は「人類が無意識下で知らないうちにお互いコミュニケーションをとっているからだ(シンクロニシティ)」とするのは、かなり話が飛躍している。この主張は、スピリチュアルでサイキックな領域を含まざるを得ない。
つまり、俺からすると集合的無意識という言葉は、「なんか、一応科学的に説明がつきそうなこと」と「明らかに現代科学の枠からはみ出していること」が無理くり一つに接合されている…のだが、ネットを見ても、この二つの層のズレに言及しているものが見つからない。一方、「集合的無意識とシンクロニシティは密接な関係にあるけど、別ものだぜ」という説なら見つかるし、ユングの立ち位置についても、「スピリチュアルの世界にかなり接近していた」という解説もあれば、「魅力を感じていたのは事実だが、一定の距離を保っていた」というものもある。
…
整理してみる。「集合的無意識とシンクロニシティは同じもの(もしくは、近いが別物)であり、ユングの思想はスーパーナチュラルだ(もしくは、超心理学とは一線を引いている)」では、それぞれ意味合いが全然違う。違うはずなのに、ネットで調べてもいまいちよくわからない。
もちろん、本人の著作や、信頼のおける研究者の本に触れればわかるのだろうが、そこまでパワーは出なかった。とにかく、集合的無意識というワードに触れて以来、俺はこのことが、ずっと長年気持ち悪かったのである。
…
ちなみに、また脇にそれるけども、すごい偶然に見える出来事にも、意外と合理的に説明がつくかも、とは思う。
例えば、俺と知り合いのAさんが久しぶりに出会うのはすごい偶然だとしても、俺が長いこと会っていない知り合いが100人いるなら、「(誰かしらの)知り合いに久しぶりに会う」確率はそれだけで100倍高い。
Aさんと久しぶりに会った、という体験の偶然性や衝撃を俺たちは過大に評価してしまいがちだが、Aさんと会うのと同じくらいの驚きを与えられる人が、実際のところ他にも何人かいる、と考えてみると、インパクトがいくらかマイルドになるし、そっちの方が、重大性の評価として、なんとなく正しい認識だと思う。
…
chatgpt様に聞いてみよう。
「gpt様、集合的無意識とシンクロニシティは同じものか? あと、ユングはスピ入ってたのかい?」
chatgpt様いわく、「密接に関わってるけど概念としては区別されてるぞ。ユングについては、スーパーナチュラルを全面的には排除せずに中立的だな。シンクロニシティが完全にサイキックの枠に入らないように慎重だったけど、スピリチュアルの面を全否定はしてないぜ」とのことであった。
素晴らしい回答である。なぜなら、俺の質問に完全に答えているから(何度も言うが、正しいかどうかは知らない)。
過去、ネット上でここまでの答えは見つからなかった。複数のサイトを横断することで、微妙に食い違ったり、断片的な情報を集めることはできたし、もちろん、そうやってピースを集めるかたちでの「旧態的な」調査を完全に否定しているするつもりもない。
というか、本当の調べ物は、今でも多分この方法しかないとさえ思う。ただ、そんなことをしなくても、ついに一つのサービスで完結するようになった。これが重要である。
言われるまでもなく、俺の評価軸には危ういところがある。何しろ、俺は回答の正しさではなく、文脈に沿っているかで答えを評価しているからである。
おそらく、この世界にはちゃんと、蝶の幼虫の能力や、集合的無意識に関するシンクロニシティの位置付けや、スーパーナチュラルに対するユングの立ち位置をちゃんと説明できる専門家がいるのだろう。その人に聞けば本当の答えがわかるのだろう。
何が言いたいかというと、そういうレベル感の質問を人ではなくAIに尋ねることに、実は俺は、本来抵抗感があったのである。
当たり前の事実について、かつgoogleやWikipediaを引くよりも手軽に聞くならAIがいい。また、答えの定まっていない問いを投げて壁打ちするにもAIがいい。
ただ、その中間地帯というか、多少ややこしくて「一応答えはあるのだろうけど、専門的だな」という質問を機械にするのは抵抗がある。いかにもしれっと嘘をつきそうだからである。
こういう質問こそ、本当なら人間に尋ねたい。しかし、今回気づいたのだが、皮肉なことに、ぜひ人間に答えて欲しい領域とは、人間は人間でも半端な知識しかない人間に限って断片的な情報をネット上に書き散らし、本当の専門家にはなかなかアクセスしにくい、ある意味でもっとも人間に聞くべきではない(か、大変に手間のかかる)世界なのだった。
もっとも人に聞きたい類の質問は、もっとも(多くの)人間が苦手にする質問なのだ。別に悪口ではなく。俺だってテキトーなテキストをたくさんネットに放流しているので。
どうせ信用ならないなら、話が通じる分、chatgptの方がいい。というか、つくづく、話が通じるのがすごすぎねえ? もはや、正しいとかどうでもいいまである。いや、どうでもいいわけないが、ほんと話が通じるのがすごすぎる。今ここ。
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。
また植物の話してるんだね君
また植物の話してるんだね君
性格: 哲学的で内向的。孤独を恐れるが、自分の弱さを受け入れながら日々を懸命に生きる。
リサイクルバッグ: 壊れない素材で作られたエコバッグ。無限の収納能力を持ち、彼の全財産が詰まっている。
割引クーポンブック: あらゆる場面で使用可能な伝説のクーポンブック。使用すると物品やサービスが割引されるが、使いすぎると「世界の均衡」が崩れると言われている。
弱者男性は、かつて社会の片隅で目立たず生きていたが、「究極弱者プロジェクト」によって改造され、弱さを極限まで追求した「究極弱者」として目覚める。古代の伝説にある「生命の実」の力で不老不死となり、永遠の時間を生きることとなった。しかし、その代償として、彼は「永遠に庶民の立場に留まる」という制約を課され、どんなに努力しても成功や富を得ることはできない。彼は自身が望まずしてこの道を選ばされたことに苦悩している。
「生命の実」は、人類の「生きることへの執着」が形を取ったものとされ、その力を得た者には世界の不条理を見届ける使命が与えられる。弱者男性は、リサイクルバッグと割引クーポンブックを手に、終わりなき旅を続けながら、他者を助けたり、自分の存在意義を探したりしている。
不老不死: 肉体的な死や衰えから完全に解放されている。ただし、心の傷や孤独感から逃れることはできない。
生命力の調整: 自分の生命力を他者に分け与えたり、植物や動物を再生させたりすることができる。
超人的節約スキル: 限られた資源で最大限に生き抜く知恵と技術。割引クーポンブックとの併用で、どんな困難な状況も乗り越える。
不老不死でありながら経済的に困窮し続ける自分の運命に悩む中、同じく苦しむ人々に割引クーポンを配り希望を与える。
生命の実の力を使いすぎて自然界のバランスを崩してしまい、それを修復するために奔走する。
世界の経済を脅かすほどの力を持つ割引クーポンブックを巡る戦いに巻き込まれるが、最終的に人々の平和のために自ら犠牲を払う。