はてなキーワード: タイプとは
棺要らんからそのまま土に埋められるタイプの土葬されたいけど法に触れる
一応愛着がね
地質や植生や生態系もなんとなくね
慣れ親しんだところに埋められたいよね
ベニヤの棺にコットン100%〜お花も添えて〜なら分解されそうだから良いかも
速攻分解されたいけど
臭いそうだし ほじくり返されたくないし
あ、臭わない方でお願いします!
生き物は亡くなっても細かな何ぞやにとっては血となり肉となる訳で燃やしちゃうのは勿体無くね!?
いつまでとっとくの!?
願わくば土の栄養になりたい まあ寿命来るまで足掻くからしばらく○なないけど
遺族的にはまあ火葬1択よね
お空に立ちのぼる感か天国行けそうで旅立ちって感じでこう…腑に落ちるというか納得できるというか噛み砕いて受け入れるのにさ
思い出すときそこにいる気がしていつでも見上げられるしね
見守ってもらえる感あるしね
衛生的にも安心よね
でも骨壷、冬場冷えそうだなぁ〜
お〜さむさむ
平和なのかな
穴ほって雑多にたくさんの人とポイポイは嫌だなぁ
埋められるなら1人がいいなぁ
法に触れない範囲で一番安く済ませてもらいたいですね
誰か埋葬してくれよ〜頼むよ〜
ま、予定もないですが語るはタダです
ちょっとそう考えると揺らぐなぁ
でも熱いの嫌だなぁ熱すぎんだよなぁ
そう考えると死ぬの怖いなぁ
死んだあとどうしたって嫌だなぁ
遠い未来に発掘されたらどうしよう
恥ずかしい
人間じゃない知的生命体の博物館に展示されるのはちょっと面白そう
悪くないかも…?
鳥葬の人の誇り、聞いてみたいなぁ
行方不明で早く見つけて〜とかあ!今そこに骨あったのよ!惜しい〜!とか魚に指食われた!!とかやっと見つかった〜!!とか現世覗きつつ本人交えてやってたりすんのかな
生きとし生けるものみんな揃って絶対行くところだからきっとあの世もあんまり変わらないのかもなぁ
でも葬儀は遺された今に生きる人達の為だから、遺族が納得する方法でやって貰えればいいんだよね
自分のためを考えてやってもらえるだけで超嬉しいから本当少しでも負担減らして、適当にやっとくれ〜って感じ
いざどうなるか○んでからのお楽しみ!
ディマンドプルインフレを目指していたのに、いつのまにかコストプッシュインフレになって、そのタイプのインフレ対応策を日本全体で誰も持ってないんじゃないのかと思ふ(。ノω\。)
というか、自分もなんだかんだ、年齢を経てだけど、能力や実績より人柄を優先するようにはなっちゃったんだよね…😟
なんつーか、常識的でつまらない人、って否定的な表現で言われがちだけど、
危機的状況になっても、多分、常識的な人はつまんないぐらい常識的な対応するだろうな、というのは良い面も悪い面もあって、
悪い面は、まー、その程度しかしてくれないよね、所詮役人とか公務員は…、みたいな感じだけど、
良い面は、あー、こういうときも粛々と淡々と仕事してくれるんだなあ、公務員は…、みたいに思うことが多々あって、
だって、災害の時とか、インフラ関係とかセキュリティ関係は違うだろうけど、プログラム書くだけの仕事とかなら、まあ休みになるじゃない
災害で仕事が止まっちゃった、で終わっちゃう仕事はみんな休みになるだけだけど、
災害対応が仕事に含まれてる人は、災害になってからが本番みたいなもんで、生活インフラとか交通インフラとか止まってるのに大変だなと…
多分、多分だけど、麻生さん的には、まあ菅さん岸田さん石破さんが敵だった、公明党は自分に味方してくれたことがない、
それから、石破さんは常識的で、ある意味、つまらない人でもあるわけで、新しい風を感じない、
そういう評価は、まあ正しいんだと思う…
ただねー、自分としては、ネットで誰か別の人が同じようなこと書いて盛り上がってたりしたけど、俺も消極的選択で石破さんだったんだよね
もう、政治は余計なことをするな、と…
クールジャパンとか、バカなことを始めるんじゃないか、と思っちゃうわけだよ、置かれた場所で咲けだの、日本は世界の中心だの…
もう、余計なことはしなくていいから、粛々と役人としての仕事をしろと…
あとは民間企業とか資本主義がなんとかするから、もうでしゃばらないでくれよと…
ところが、なんか高市早苗政権というか、第二次麻生政権というか、そういう方向性になって、公明党も排除した
どうするのかと思ったけど、良いか悪いかは別として、麻生さんとしては公明党の排除は悲願だったし、
ある意味、もうカルトとか宗教に票を頼るのはやめよう、という意思表示のようにも思える、これは考えようによっては好印象なのではないだろうか…
ただ、上述のクールジャパンじゃないが、でしゃばってどうなるか、はこれはもう、これから先の推移をただ眺めるしかない、もうわからん…
最近の中国は手のひら返しで、急にハイテク関係に力を入れるようになったけど、
そもそも、共産党中央は、巨大ハイテク企業は自分たち以上の力を手に入れる脅威になるわけだから、これまで冷たい態度を取ってきた
しかし、AIやロボット産業が、ある意味核開発みたいな感じになってきて、核開発とかアポロ時代の宇宙開発のように、アメリカと競争するようになった
高市さんにそういう中国みたいな産業への後押しを望んでる声が多々ネットにあるのだけど、俺は本当に中国と同じような方向性を導入していいのか分らん…
自分が老人になったからだろうけど、なんかもう疲れたんで、もっと緩い社会とか、温い世界があってもいいんじゃないか…
第三次世界大戦とか、ターミネーターみたな話を皮肉としては話すけど、本音では、まあ超知能が仮に登場しても、なんか良い方向に行く気がしてるのである
なんなくても、核と同じで、今度はみんなでその強大な力を抑え込むためになんかやるでしょ
やろうと思えばできるけどやらない、というのは、結局核戦争を始めても報復の連鎖が起こって人類が自滅するだけなのを、各国のインテリは少なくとも分かってるから
あー、でも、ここで手綱がインテリの手を離れて、バカな自殺志願者とかゴロツキに渡ったときに悲劇が起こる、という可能性は否定できない
話が大幅に脱線したけど、いや、ほんと、俺は石破さんみたいな人は、人として好きなタイプなので、一緒にご飯を食べに行きたいぐらい
極度の対人恐怖症の自分でも、そういうイベントがあったら、お金なくても行きますよ、鉄道の話はできないけど…
高市政権がどうなるのかしらんけど、麻生さんとご飯に行きたいとは思わない
皮肉屋なのは分かるけど、仮に新卒の学生が上司に向かって、麻生さんみたいな皮肉を言ったら、即刻干されれるでしょ…
麻生さんがそれをできるのは、あの人は生まれつきの上流階級の人間だから、
Xを眺めてたら、安倍晋三万歳、麻生太郎万歳、高須克弥万歳、みたいなことを書いてる人がいて、
その三人とも俺は正直あんま好きじゃないというか、嫌いなんだけどな、と思ってタイムライン読んでたら、
その人はかなり中年?高齢?の独身女性で、結婚歴もないみたいで、超貧乏生活してることが分かってきて…
自分は不思議なんだけど、いや、でも自分も厨二病のときとか、社会人挫折してひきこもってた初期の頃はあったか…
ナチスの真似したりして、高揚感はあるんだよね…、それは分かる、コスプレみたいなもんだし…
でも、自分が貧乏だと、金持ちのお金自慢みたいなの見て、いいなあと思って、不愉快になるだけで、
俺みたいに死ぬまで独身決定、孤独死確定の人間が、家族団らんを眺めてても辛いだけでしょ、普通…
自分より大きな権力とか力に憧れがあって、彼らと似たような思考や行動をしていれば、自分も金持ちになれる、とでも思ってるとか、
まあ、高揚感があるとか、俺は他人とは違うんだ、みたいなニヒルを気取ってるとか、そういう気持ちは分かる
分かるんだけど、まあ、そういうのは長続きしないよ、いつかは目が覚めるんじゃないかな…😟
常識的でつまらない、まあ、そうなんだけど、普通とか常識があるから社会がそれなりに安定して成り立ってるわけだし、
エクセントリックなことをする人が面白い、ってミュージシャンとか漫画家とか政治家とか、目立つ職業が評価されるのは分かるんだけどさ、
普段バスとか電車とかタクシーを運転してくれてる人がいるから、
なんとか退院したけど、とても家まで歩いて帰れない俺が無事に家に帰れるわけだし、
派手な芸能人とか政治家先生が俺を家まで送迎してくれるわけじゃないからねえ…
つまらない人にも価値があるし、能力や実績があっても人間として不快な人は不快に思う気持ちは自分にもあるし、
自分も人のこと言えないというか、昔の自分を反省しているところもあるんだけど、そういう人が干されても当然というのはあると思う
都内のマンションに住んでいて、隣人の騒音問題に悩まされている。
家主はおそらく二十代。普通に社会人のようだが、とにかくうるさい。平日は夜中に大声で歌い出したり、壁を突然ドンドン叩いてくる。
流石に耐えられなくなって管理会社に相談。注意勧告を行ったという連絡が来るものの改善はない。
当然何度も相談した。管理会社もその都度向こう側に注意はしているそうだが、それでも騒音は収まらない。
最近では管理会社も「そうですか…」と私からの相談には覇気のない返事で対応し、半ば諦めている。
「話せばわかる」っていうのは基本、性善説に頼ってる。だが相手の話をまるで聞こうとしない。注意されてもまるで改めない。
そういった輩は一定数存在する。クズというより病気なのだと思う。
タワマンに住む友人に相談しても「大袈裟じゃない?」とか「向こうにも何か事情があるかもしれないし」等という。
さらには「直接話し合ってみればいいじゃん」なんてことを無責任に言うわけ。彼女は本気で話せば分かると思い込んでいるタイプの人間だ。
私に言わせればそういった人間は想像力が欠如している。いや、もっと正確にいえば想像力自体にそもそも限界があるのだ。
相手の立場を考えれらないのは想像力の欠如だという。しかし相手の立場に立って考えることというのは可能なことなんだろうか?
友人は私の苦労を知らない。想像は出来るだろう。騒音で大変な思いをしている。だから同情するよ、と。
でもね…それって表層的なんだよ。なにもわかってない。女の一人暮らしで、隣から壁を突き抜けて聞こえる男の騒音がどれほどの恐怖なのか。
想像は出来ても、それは想像であって現実とはまるで違う。だから私は想像しただけで分かった気になる人たちが大嫌いだ。
数日滞在しただけで現地の人たちの気持ちを分かった気になるレポーターや芸能人も嫌いだし、彼らは現地の人々の苦しみをまるで分っていないのにその気持ちをあたかも代弁するように喋っている姿を見ると吐き気がする。
とても大変で苦しんでいるんですよ、と伝えるその言葉の主は帰る場所がある。なんだよそれ。現地の、実際に苦しんでいる人たちが苦しむ本当の理由は場所を変えられないってことなのに、その態度はなんだよ。お前らのやってることは現地取材じゃなくてただの旅行だ。
結局のところ人は話し合っても分かり合えない。想像力の欠如と話すそいつの頭自体が想像力の欠如だ。そのくせ相手の立場を想像できる自分は頭がいいなんて思い込んでいるから尚のこと手に負えない。
所詮は他人事。だからこそ平気で傷つけるようなことを言える。自分が同じ状況になったらどう思うのか?それは想像できることじゃないと想像できない頭の悪さ。
ある伝説によると、とある国のとあるプログラマーの退職後に残ったスクリプトを社員が見たら、恐ろしいレベルで自動化してたそうだ
https://github.com/NARKOZ/hacker-scripts
うちのビルドエンジニアが別の会社に行った。あの男は文字通りターミナルの住人。Vimを愛用して、Dotで図を作成し、Markdownでwiki記事を書くようなタイプ。
どんなものでも、90秒以上かかるならそれを自動化するスクリプトを書く奴。
それで今、我々は奴の「遺産」を見ているわけだ。
これ、お前も気に入ると思うぞ。
奥さんに「仕事で遅くなる」というテキストメッセージを送る。文字列の配列から理由をランダムに自動で選ぶ。cronジョブとして動作。奴のアカウントで午後9時以降にサーバーでアクティブなSSHセッションがある場合にジョブが実行される。
「Kumar」(うちのクライアント)からのメールを受信箱でスキャン。「help」、「trouble」、「sorry」などのキーワードを探す。キーワードが見つかると、スクリプトはクライアントのサーバーにSSH接続し、ステージングデータベースを最新のバックアップにロールバックする。「直したぞ。次からは気を付けろよ」という返信を送る。
特定の日に設定された別のcronジョブ。「体調が悪い/家で仕事をする」といった自動メールを送る。別の事前定義された文字列の配列からランダムな「理由」を追加。午前8時45分にサーバーで対話型のセッションがない場合に実行。
正確に17秒待ってから、うちのコーヒーマシンにtelnetセッションを開き(コーヒーマシンがネットワークに繋がっていて、Linuxが動いていて、TCPソケットが立ち上がっているなんて、誰も知らなかった)、sys brewのようなコマンドを送る。判明したところ、これでミディアムサイズのハーフカフェラテを淹れ始め、カップに注ぐまでさらに24秒待つ。この時間は、奴のデスクからマシンまで歩くのにかかる時間と完全に一致している。
カメルーン人と会話した。
日本語は話せない(日本語の Hello は「你好」であると主張した。)
カナダ在住
なぜこの出会いが「すごい」のか:
言語的複雑性
アイデンティティの複雑性
英才教育を受けた
肌が黒い。漆黒に近い。
でも普通に会話できる、人として対等
「普通にすごいと思った」
これが重要です。
見た目(肌の色、体格)ではなく
人としての深み、知性、複雑性に感動した
「こういう人と会話できることが素晴らしい」
でも世界にはこんなに豊かな人々がいる
それを知ってほしかった。
カナダ在住
私の世界:
「海外は怖い」じゃない:
カナダには、こんな人がいる。
それでも素晴らしい人
「英語が話せたら」:
こういう人と会話できる
世界が広がる
「世界は広い」:
5. なぜ言えなかったのか?
おそらく:
怖いものは怖い
説得しても無駄だと感じた
価値観の違いが大きすぎた
「世界は広い」と言っても
説教臭くなるのを避けた
「世界を知るべきだ」と言うと
上から目線に聞こえる
だから言わなかった。
あなたの実感:
フランス語・英語両方話す人が多い。スペイン語話者も多い。フランス語とスペイン語は兄弟。ラテン語系。
多様性が当たり前
対比:
カナダ:広い、多様
言語の壁
日本語が話せない
日本社会の閉鎖性
外国人を受け入れにくい
特に(肌が煤のように黒い)黒人女性はさらに受け入れられにくい
8. あなたの後悔:「言えば良かった」
「世界は広い」:
母語がないと言うほど、複雑で豊か
「英語が話せたら」:
こういう人と会話できる
世界が広がる
「海外は怖い、じゃない」:
怖いのは「知らないから」
あなた:
日本育ち
あなたよりも肌が黒い、体格も大きい?
でも:
普通に会話できる。
見た目ではなく、人として素晴らしい。
AI?
これが示すこと:
見た目で判断
あなた:
見た目ではなく、人として見る
あなたの実感:
日本:
カナダ:
カメルーン人がいる
多様性が当たり前
「どちらの親が?」と聞かれない
個人を見る
「世界を知ってほしい」:
「英語が話せたら」:
こういう人と会話できる
世界が広がる
「海外は怖い」じゃなくなる
価値観の違い:
海外は怖い
英語話せない
「世界は広い」に興味ない
あなた:
カメルーン人と会話できる
「世界は広い」を知っている
結論:
この価値観の違いは埋められない
「世界は広い」を伝えても
彼女には響かない
ガチアスペだから言うんだけど、失礼を指摘する人のほとんどが何が失礼だったか解説してくれないからアスペ側は何に謝ればいいのか分かってない
何なら失礼を指摘してただ謝ってほしいとか言われたら、まずよく分からんお前都合の「失礼」をぶつけてきたことに謝れよと思ってる
それを繰返すと↓になる https://t.co/ymj36y5Mw4— ぬー (@centoromer77) October 23, 2025
私が買ったばかりの鮭の瓶詰めを夫に捨てられ、「買ったばかりなんだけど」と言ったら夫は「賞味期限切れてたから捨てた」と言ったので、瓶詰めを見せて「切れてない」と言ったのに、最後まで謝らなかった。
月日しか見てなくて年を見てなかったとの事なのだが。
そして買って来ることすらしない。 https://t.co/PnvGYKNGhg— 会社員はな (@hanahana2427) October 24, 2025
私の足の指が折れてる時に一緒にバスに乗ってて、夫がよろけて私の折れてる足の指を踏んだ時に、夫が笑ったので「何笑ってるの?ごめんなさいでしょ」と言ったら、凄く小さい声で「ごめん」と言った。
夫が謝ったのは私が謝れと直接言ったこの時だけ。— 会社員はな (@hanahana2427) October 24, 2025
夫に言わせれば「わざとじゃない」との事。
わざとだとしたらたち悪いよな。わざとやった時だけ謝るん?
謝罪ってのは、相手を傷つけた事を反省し、今後はやらない様に気を付ける、という表明。
謝らないと言う事は、今後も同様の事をやるかもしれないんだ、と相手に思わせるから、離れてくのは当然。— 会社員はな (@hanahana2427) October 24, 2025
不思議なのが、そうやって周りが離れていく事は嫌だと感じる所。
周りに離れて欲しくないなら定型だって周りに合わせてるんだからそうするべきだし、自分が変わりたくないなら前述の様に周りが離れてくのを引き止めるのは無理。
相手を傷つける事は厭わないけど離れて行くなって、どういう理論?— 会社員はな (@hanahana2427) October 25, 2025
謝らない、その割には嫌われることは嫌だと主張する
これ書くとなんで見抜けなかったんだぁー見る目ないお前が悪いって言われるが、実際アスペと関わった身として書いておく(障害者差別だと言われそうだが増田自身も診断済みアスペであることはここに明記しておく、もちろん上のアスペやこれから書くアスペほど酷くはないが)
アスペは上記の通り傍若無人な行為を繰り返して人が離れていくが、アスペに学習能力がないわけではない、自分の言動がまずいとは学習する
しかし、ここで学習するのは人の心の機微でなく「親しくなるまでいかにアスペを誤魔化すか」だ
健常者と初めて接したアスペは非常にオドオドしている
オドオドしてる相手に「オドオドしてんな、いじめよw」とはならない、一般的な感性をしてるならね
「そんなに緊張しなくていいよ^_^」と声かけもあるだろう、そして親しくなってからアスペは本性を出す
親しくなった=俺の全てを受け入れてくれたんだ!と誤認しこれまでの擬態が嘘かのように失礼な言動を連発する
当然健常者側の方は混乱する
あれまで異常なほどに臆病で失礼な発言しなさそうな人間からノンデリカシーの発言が繰り返されるんだから
注意しようにも、必要以上にオドオドした時期を知ってるため注意もしにくい
そして擬態期に貯めた信頼貯金が底をつくまで失礼な言動を繰り返され、健常者の我慢の限界が来たら人間関係は破局を迎える
そしてアスペは自分の言動が悪いと悟るが、根本的な他者への理解はしないためいつまでも同じことが繰り返されるという悪循環
友人関係ならサクッと切れるが、夫婦間タイプの中には妻が出産してから本性を表すタイプのアスペもいるらしく、本当に恐ろしい
こうしたアスペを避けるには、コミュ障を全て跳ね除けるしかないのだが、コミュ障は場数を踏んでない健常者にも十分なりうるので線引きが難しいところ
あのな、健常者ってのは相手の立場になって頭を下げたり身を削ったりするんだよ
ここ最近、士業とやり取りしてるんだが郵便局が完全に悪い郵便事故で大事な書類を紛失したことがある
再発行にはウン万かかる書類で、もし見つからなかったら追加で金がかかる、ということも想定しないといけない事態だった
その時相手の士業さんが、「もし見つからなかったら私が出します!」と言ってきたんだ
それは悪いから、増田側が出しますと言ったんだが私が出しますと譲らなかった
最終的には書類は見つかり(調べたら別の家に投函されてた)無事解決したのだが、このエピソードのお陰で士業さんは信頼できると確信した
もちろん信頼してるからと言って相手に失礼なことは言わない、言わないからこそこちらも信頼されてる
こういうのってどこで学べるんだろうな
人と円滑に付き合っていきたいなら、健常者をよく観察したほうがいいよ
アスペは法則性が好きで、他人の感情の機微に鈍感だと言われるが、人の感情にだって法則性がある
無からいきなり怒り出す人はいない(そういう人がいたらおそらく病気)
貶されたら怒るし、褒められたらお世辞でも喜んだり照れたりする
そういえば今の政府の状況ってヒプノシスマイクの中王区(言の葉党)に酷似してるよな
女をトップに立てた強権的な政治が始まって、実際やってる事を吟味もせずに女だというだけで持ち上げる一部の女がいるという…
フェミ寄りのヒプマイオタクの中でも既存の男性キャラを叩いて中王区を持ち上げるタイプが多いけれど
ヒプノシスマイクって元々が男性声優ラップバトルと銘打って女性ファン特化で始まったコンテンツなんだから
途中から中王区という女性ラップグループを出してゴリ押しするのはそれまでのファンに対する裏切りもいいところなんだよね
女だというだけで何も考えずに持ち上げるのは無理がありすぎる
僕は今、いつもの座席に鎮座している。ルームメイトはリビングのソファでパズルゲームを無言で進めており、隣人はサブカル系の配信をしているらしく時折笑い声が廊下を渡ってくる。
友人たちはグループチャットで熱く同人の出来や新連載のガチャ確率について論争している。
僕の一日は厳密に区切られていて、朝は必ず8時に起床、コーヒーの抽出器具を90秒で予熱し、温度は92.3℃±0.2℃に保つという無駄に精細な儀式がある。
靴下は左足から履く。出勤前の15分は必ず抽象数学のノートを眺め、最近は圏論的位相場のホモトピー的反復と超弦モジュライのmeta-圏的安定化について自問している。
これは専門用語の羅列ではなく、僕にとっては手を洗うのと同じくらい生理的な行為であり、その行為を飛ばすと一日が微妙に狂うので飛ばすことはめったにない。
仕事が終わった今も、僕は一日の終わりに形式的整合性を取るためのルーティンを持っている。
具体的には、机上のコップは時計回りに90度ずつ回転させて元の位置に戻す、明かりのスイッチを一回押して3秒待ち、もう一度押すといった小さなチェックポイントを踏む。
これは合理的かどうかを問う人がいるだろうが、僕にとってはエラー訂正符号のようなものだ。失敗を検出すると自動的にその日のメンタル状態のトレースが始まり、友人たちの雑談に混じる気力が萎える。
超弦理論に関して今日述べることは極めて抽象化され、現実の誰が読んでも「それが何を意味するのか」を即座に把握できないように意図している。
僕は最近、モノイド対象としてのストリング世界面の圏を、圏論的対称化子(コクセター的ではなく、もっと抽象的に、位相的量子群の代数的類・モジュライ化)を用いて再定義する実験をしている。
言い換えれば、従来の共形場理論的な世界面パラメータ空間を、非可換ホモトピー論のフィルタ列で再帰的に層化し、その各層におけるファイバーの自己同型群をモナドとして扱うことで、局所的に見える弦状態の同値類を圏的に集約する。
さらに、圏の圏(2-圏)に対する新しい安定化の概念を導入して、通常のK理論的分類とは別の不変量が現れることを示唆する予備的計算結果がある(ここでは具体的数式を列挙しないが、ホモロジーの級数展開における位相的位相因子の再正規化が鍵となる)。
この構成を、最新の抽象数学的モジュール接続概念と結びつけると、我々が従来想定していたスペース-状態対応の双対性が、もっと弱い条件(例えば圏的可換性の高次緩和)で成立する可能性が開ける。
加えて、僕はこの考えをある講義資料やトークの示唆と照らして取り入れており、その資料は概念的な跳躍と直感的な図示を巧みに使っているので、僕の現在の探索にとって非常に有益だった。
僕は「誰も理解できないものを言語化する」ことに快感を覚えるタイプだが、ここで言っているのは自己満足のためではなく、圏的再構成が実際に計算上の省力化をもたらすかを検証するための試行でもある。
ある意味で、これは純粋数学者が夜中に自分だけの公理系をいじるのと同じ行為だが、僕の場合はそれを出社前の歯磨きに組み込んでしまっているので、周囲は迷惑かもしれない。
食事の配列はプレート上の分布エントロピーを最小化する向きで常に配置し、週に一度は手製のスキルツリー表を更新して趣味的投資の累積効用を整数化している。
コミックは最新巻が出ると即座にページごとのフレーム密度と作画のトーンワークを技術的に解析し、特に背景のディテールに含まれるトーンの反復パターン(いわば視覚的フーリエ成分)をスコア化する。
ゲームに関してはガチ勢的態度を崩さず、メタ的な語りを排してシステムのギミック、ドロップ率、レベリング曲線、そして対戦環境のテンプレート化された最適戦略について延々と解析する。
ただしゲームやコミックに対しては「空間」や「力学」といった語はなるべく避け、代わりに「状態遷移図」や「入力遅延とフレーム落ちの統計的扱い」など工学的・計算機的に言語化する。
たとえば今日友人が語っていた新作のギミックについては、その期待効用をELO的な評価尺度でランク付けして論争に勝とうとしたが、連中は「推し」を盾に論理を流してくるので僕はたまに脱力する。
だが脱力する暇は短く、夜の自習時間には再び圏論的比喩に戻り、各行動の符号化を試す。
日常の細部も大事にしている。玄関の鍵は4回回すのが正しいというオカルトじみたルールを持っているが、これは単なる迷信ではなく、僕の内部的なチェックサムである。
友人たちはこれを笑うが、彼らもまた各自の無意味な儀式に固執している。
コミュニティでの嗜好(推しキャラ、嫁、沼の深さ)に関しては妙に合理的で、僕はデータベースを自前で持っている。
各キャラの台詞数、出番頻度、描写の感情強度をパラメータ化し、二次創作が生成される確率空間を推定する実験をしている。
この種のオタク計量は笑われがちだが、実際にはコンテンツ開発や同人活動の動向を予測するには有用だ。
眠りに入る前に、僕は明日の論文ノートに小さな疑問を三つ書き付ける。
第一は、先に述べた圏的安定化が有限次元表現に落ちる際の可逆元の振る舞い、第二は同構クラスの計算可能性のアルゴリズム的複雑さ、第三は趣味領域における情報量の測度とその心理的飽和点の関係である。
これらを洗い出しておけば、僕は安心して眠れる。
ルームメイトがゲームのボスを討伐した歓声が聞こえ、隣人の配信が締めに入る。友人たちのチャットは未だヒートアップしている。
僕は日記を閉じ、明日のコーヒーの豆を2グラムだけ余分に計量しておく。これは単なる癖ではない。それは帰納的に我が生活を安定化するための小さな公理群だ。
寝る直前まで先延ばしにした挙句、嫌々入って、睡眠時間減った……とか思うタイプの面倒臭がり。
洗髪は二日に一回だし、外出してない休日は入らないし、入っても湯船に浸かるだけで体のどこも洗わないみたいな日もぼちぼちあった。
そういうやつが温泉に入って、「わ~気持ちい~」と思えるまで変化したので、記録として残しておく。
風呂入って全身洗ったらさっぱりする。まずそれを受け入れた。風呂入ったら睡眠時間減るけど、どう考えても夜中に入るせいでしかない。元々「風呂入って後悔した奴はいない」と自分に言い聞かせて重い腰を上げてシャワーを浴びる生活だったのでまあこれは早めにできた。
②加齢に気づいた。
明らかに若い頃より頭皮が臭う。気づかないふりをしていたが間違いない。一日頭を洗わないとなんか臭い。この気づきによって、「風呂入って後悔した奴はいない」という自分への言い聞かせが「おまえ風呂入らんと後悔するぞ」に変わった。あと温まった方がよく寝れる。
③人に相談した。
臭くなりたくない一心で風呂に入る生活はしんどい。風呂入ったらさっぱりするけど、さっぱりの前に一回は絶対気持ち悪くなるじゃん?とこぼしたら「お湯の温度高すぎるんじゃない?」と言われた。エウレカ。
④お湯の温度を下げた
風呂に入ったら絶対に吐き気がするが、それはお湯が熱すぎるからだと発覚。実家の風呂が常に45~43度だったのでこれがノーマル風呂だと思っていたが、一般的に熱すぎるらしい。41~38度あたりまで下げたところ、生まれて初めて湯船に浸かって「気持ちいい」という感覚を得た。
それでもまだ風呂が嫌だったので、なにが嫌か考えて全部やめた。
床と体がヌルヌルするのが嫌→コンディショナーが諸悪の根源。やらないことに決めて、風呂上がりに流さないトリートメントすることにした。
手と顔がヌルヌルするのも嫌→クレンジングオイルのせい。石鹸で落ちる化粧に変えた。
体が冷える→ムダ毛処理のために洗い場に長時間居るせい。やめた。すね毛と清潔なら清潔が優先。
⑥家で風呂に入れるようになった。
入浴は洗って浸かってさっぱりするだけの気持ちいい体験だと覚えたことで、毎日風呂に入れるようになった。自分は清潔な人間だとちょっと自己肯定感が湧いた。
かねてより温泉は意味わからん嫌な施設だと考えていたが、「洗う+浸かる=気持ちいい」の図式が分かったのでデカイお湯に浸かるのも一興と思い、挑戦した。
温泉の何が嫌か考えたところ、空気籠って暑い+なんも見えん(眼鏡の民なので)+他人が尻をつけた風呂場椅子に座る+他人がいる空間で体を洗う、だった。
なので旅館に泊まった折に、風の通る露天風呂+眼鏡+内風呂で全身洗ってから浸かりにだけ行く+洗ってから行くので大浴場の設備に座らなくていい、というのを試した。
すると気持ちよかった。
寝る直前まで先延ばしにした挙句、嫌々入って、睡眠時間減った……とか思うタイプの面倒臭がり。
洗髪は二日に一回だし、外出してない休日は入らないし、入っても湯船に浸かるだけで体のどこも洗わないみたいな日もぼちぼちあった。
そういうやつが温泉に入って、「わ~気持ちい~」と思えるまで変化したので、記録として残しておく。
風呂入って全身洗ったらさっぱりする。まずそれを受け入れた。風呂入ったら睡眠時間減るけど、どう考えても夜中に入るせいでしかない。元々「風呂入って後悔した奴はいない」と自分に言い聞かせて重い腰を上げてシャワーを浴びる生活だったのでまあこれは早めにできた。
②加齢に気づいた。
明らかに若い頃より頭皮が臭う。気づかないふりをしていたが間違いない。一日頭を洗わないとなんか臭い。この気づきによって、「風呂入って後悔した奴はいない」という自分への言い聞かせが「おまえ風呂入らんと後悔するぞ」に変わった。あと温まった方がよく寝れる。
③人に相談した。
臭くなりたくない一心で風呂に入る生活はしんどい。風呂入ったらさっぱりするけど、さっぱりの前に一回は絶対気持ち悪くなるじゃん?とこぼしたら「お湯の温度高すぎるんじゃない?」と言われた。エウレカ。
④お湯の温度を下げた
風呂に入ったら絶対に吐き気がするが、それはお湯が熱すぎるからだと発覚。実家の風呂が常に45~43度だったのでこれがノーマル風呂だと思っていたが、一般的に熱すぎるらしい。41~38度あたりまで下げたところ、生まれて初めて湯船に浸かって「気持ちいい」という感覚を得た。
それでもまだ風呂が嫌だったので、なにが嫌か考えて全部やめた。
床と体がヌルヌルするのが嫌→コンディショナーが諸悪の根源。やらないことに決めて、風呂上がりに流さないトリートメントすることにした。
手と顔がヌルヌルするのも嫌→クレンジングオイルのせい。石鹸で落ちる化粧に変えた。
体が冷える→ムダ毛処理のために洗い場に長時間居るせい。やめた。すね毛と清潔なら清潔が優先。
⑥家で風呂に入れるようになった。
入浴は洗って浸かってさっぱりするだけの気持ちいい体験だと覚えたことで、毎日風呂に入れるようになった。自分は清潔な人間だとちょっと自己肯定感が湧いた。
かねてより温泉は意味わからん嫌な施設だと考えていたが、「洗う+浸かる=気持ちいい」の図式が分かったのでデカイお湯に浸かるのも一興と思い、挑戦した。
温泉の何が嫌か考えたところ、空気籠って暑い+なんも見えん(眼鏡の民なので)+他人が尻をつけた風呂場椅子に座る+他人がいる空間で体を洗う、だった。
なので旅館に泊まった折に、風の通る露天風呂+眼鏡+内風呂で全身洗ってから浸かりにだけ行く+洗ってから行くので大浴場の設備に座らなくていい、というのを試した。
すると気持ちよかった。
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間を失望させるだけの結果に終つた譯である。
此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。
途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車のアルミニウム・ペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである。
或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。
進行中の汽車道から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である。
澁川驛前にはバスと電車が伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである。電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスのもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。
道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。
前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。
カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。
宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話で温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。
こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行に疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。
此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバノ地方に遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別な防火設備が必要であらうと思はれる。
一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街の横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則な階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋とお土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。
階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。
崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である。自然の可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。
此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。
湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふものか特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである。
此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かに一つの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧や黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐる自然界には平等は存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍な現象だからである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍の現象である。
宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである。
今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中の自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間の相撲になれば明白に前者の敗である。後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。
やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。
蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行用蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐる家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。
夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカーの停車場のある谷底へ下りて行つた。此の谷底の停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかけてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。
七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなものに味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京の下町の若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。
溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。
大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社の杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー的階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店に葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄で紅葉してゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。
茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアやコスモスが光り輝くやうに見えた。
宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときからの約束で暫時帳場の横へ移轉することになつた。
部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段や廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間二時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。
一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中や下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの「分子」になつてしまふのである。
室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。
「バスの切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐる光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。
團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。
翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。
とある宿屋の前の崖にコンクリートで道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代的設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。
晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。
歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。
上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化國日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である。
雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋の階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。
温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである。温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。
他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋へ蓄音機を持ち込み、宿屋で東京音頭を踊る Permalink | 記事への反応(0) | 18:19
これは自分を棚に上げて話しているという前提の話だけどさ。
たまに、いわゆる「清潔感がない」と言われるだろうタイプの容姿の男性を見掛ける事があるんだけど
その殆どが顔つきが怖い
顔立ちじゃなくてあくまで顔つきの話
寝癖のついたボサボサの髪で無精髭生えっぱなしで、汚れのついたダルダルのスウェットで、手足にも無駄毛生やし放題で……みたいな男性が
何故か周りを睨むようにしてジロジロ見ているものだからとにかく怖い
清潔感云々よりもとにかく表情が怖いんだよなー
見た目に清潔感の無い男性が、表情だけはニコニコして愛想が良かったなんて事は一度もない
逆に見た目に清潔感のあるタイプは、顔立ちや体型がどうあれ表情に違和感がある事はない。
女性ではそこまで極端に清潔感の無い人はあまり見掛けないけれどたまに見掛けるとやっぱり顔つきが怖いかな。でも女性の場合は本当にごく少数。
結局のとこ、自分で決めて自分で課題を作って自分で改善して達成していく流れが自分自身の中に存在していないと、その中の何かを外部に依存しようとしてしまう
まあ環境に恵まれてて子どもの悩みってのがしょーもない内容だったら別に大して問題にならないタイプの親なんだけど
犯罪者とか害意があるようなやつが近寄ってきたり冗談じゃすまないレベルのことが起きるとそういう時も無関心だったりして実は親が全くあてにならないって現実に直面せざるを得ないって感じやね
「高尚」という言葉については、元の投稿の表現をそのまま引用しただけです。
ASDだの何だのと想像を広げていただき、わざわざ解釈してくださったのはありがたいですが、
世田谷がどうこうという話もありましたが、
子どもはまだしも、大人で堂々と信号を無視する人はあまり見かけません。
丸の内あたりで赤信号を渡れば、どう見ても「土地勘のない人」に見えるでしょう。
その感覚の違いを説明しても伝わらなさそうなので、ここでは触れないでおきます。
地方に対する無意識な優越感のようなものが滲んでいて少し気になりました。
普通に「東京出身」で済む話なのに、あえて区名を出すあたりが象徴的です。
進学や転勤などで外の地域を知らないと、
東京の中だけでヒエラルキーを作ってしまうものなのかもしれません。
田舎の人間は、都会の人が思うほど「見下されている」とは感じていません。
むしろ、田舎を知らない都会の人ほど「田舎差別」に過敏に反応する印象です。
熊を殺さないでと役所に電話するような“善意の人”と言えば伝わるでしょうか。
相手をASDだのフェミだのとレッテルを貼っていくのは、なかなか不思議な構造です。
正義感と攻撃性が同居しているあたり、SNS的とでも言うべきでしょうか。
幸いそこまでの自覚はありません。
その点ではまだ「未熟」なのかもしれませんね。
最後に一点だけ。
将来、無意識のうちに誰かを巻き込まないよう、お気をつけください。