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はてなキーワード: 愛着とは

2025-06-03

anond:20250603104315

本当にゲーム性も何もあったもんじゃいからな

ちょっと前に自分本丸名前つけられるようになってキャッキャ喜んでる哀れな集団だし

虚無すぎて初期からやってるプライドと手元の育てたキャラへの愛着がなかったらとっくにやめてるよ

2025-06-02

新作アニメ調MMORPGクリスタル・オブ・アトラン』がちょっと残念だった

4時間くらいやった感想です。簡単にいえばそんなに悪くもないけど、今のところやることがあまりないっていう印象です。

公式ページこちら。https://coa.nvsgames.com/ja-JP

以下、個人的感想の羅列。

MMOなのにキャラクリ要素がほとんどない

このゲームMMOなので最初クラス職業)を選択するんですが、キャラクリ要素がほとんどないためどうしてもクラスデフォルトと似たような見た目になってしまます

私は「パペッティア」というクラスで始めましたが、キャラクリ要素は髪型と髪色と目のみでした。

キャラクリ要素に関しては『ブループロトコル』よりも全然幅がないです。

ブループロトコル』は一応パーツ組み合わせがいろいろできたのですが、『クリスタル・オブ・アトラン』はデフォルトの見た目から髪型と髪色をちょっと変えられる程度にとどまっています

なので個性を出したい場合コスチュームで頑張るしかなさそうです。

コスチューム課金要素(ガチャ)です。

キャラクリ要素がほぼなく自分キャラ愛着も湧かないのにコスチューム売れるのか疑問に思いました。

ブループロトコル』もなんとなくみんな同じ見た目になってしまうっていう問題がありましたが、本作はなんとなく同じというレベルではなくみんなほぼ同じ見た目です。

『幻塔』みたいに自分で細かくキャラ作れなかったのが残念です。

フィールド探索的な要素がない

私がプレイした範囲では『クリスタル・オブ・アトラン』にはフィールドがありませんでした。

拠点の街とダンジョンがあっただけです。

オープンワールドじゃないです。

なので、探索好きな人には向いてないと思いました。

ダンジョン入って敵倒していくだけです。

広大な世界自由に歩き回るようなゲームではありません。

から別の街へはファストトラベルで移動します。

フィールドがないので街から街へ歩いていくみたいなこともできません。

スタミナ性なのですぐにやれることがなくなる

ストーリー進めるにもスタミナが必要ですぐにやれることがなくなります

1日にいくら回復するポイントを消費してコンテンツをやる感じですね。(ソシャゲによくあるやつ)

インストリー進めていこうと思ったのにレベル30になったところでやることなくなりました。

2番目のチャプターも最後まで終わりませんでした。

実装されてる分だけストーリー終わらせるにも4、5日はかかりそうな気配です。

生活コンテンツがない

私がプレイした範囲では採集料理があったくらいだったような気がします。

ハウジング要素として特別アイテム自分の部屋に飾れるみたいなのはありました。

そもそもフィールドがないので生活コンテンツやろうっていう感じのゲームでもなさそうです。

戦闘コンボゲー

敵集めて広範囲攻撃使って怯ませたり浮かせたりしてぼこぼこ殴るって感じです。

『鳴潮』みたいなパリィはなかったです。

ジャスト回避的なものはあります

簡単でぼこぼこ殴れて楽しいですが、使えるスキルの数が少ないので飽きが早そうな気もします。

少しプレイした感じだと以上のような感じでした。

とにかくキャラクリが残念で、MMOなのにみんな同じ見た目っていうのがつまらなかったです。

クラスデフォルトの見た目自体はよくできてると思うんですが、MMOなのにみんな同じになってしまうのはちょっと……。

あとフィールド探索がないのも残念でした。

広大なフィールドをうろうろするのが好きなので私には向いてないなあと。

逆にフィールド探索なんかやりたくないって人には向いてるかもしれません。

アイデンティティどこに置いてますか?

大学院生だけど、自分大学院生であるという実感が湧かない。

思えば学部生の時からそうだった。大学生は今までの学生生活とは違って自由でいいなあとか、講義って楽しいなとかい気持ちはあったけど、自分が「大学生なのだということをあまり自覚していなかったように思う。

なんというか、それまでの人生イメージしていた「大学生」はすごく大人だったのに、いざ大学に入ったからといってそれまでの自分から大きく変わるわけでもなくて、ずっと地続きの自分のまま、〇〇大生として肩書きけが変わってるだけのような気がしていた。

さらに振り返ると、そもそも高校中学小学校幼稚園のそれぞれの段階でも、自分は〇〇に通っているとは思っていても、自分高校生なんだとかいう感じでは自分のことを認識していなかったし、出身校に対する帰属意識とか愛着は抱いていなかったと思う。

就活してて、自分学歴入力したり、他人から学校名で〇〇の方ですよねとか話しかけられたりすることが多くて、自分学校が強く結びつけられてるのに違和感があって最近ずっとこんなことを考えている。

大学院生だとか、自分立ち位置身分?をアイデンティティとして認識してないというのが自分は一番近い気がしていて、そういう人は多分他にもいっぱいいると思うんだけど、じゃあ自分アイデンティティはどこにあるのかを考えたらよくわからなくなった。趣味に全力投球というわけでもないし。ぐるぐる考えすぎて最近自分名前すらしっくりきてないような気がしてきたので、他人意見を聞いてみたい。

2025-05-31

Grokくん、この人物は35歳無職男性です。以上を踏まえてもう一度分析を行ってください

35歳の無職男性であるという情報提供されたことを踏まえ、前回の分析見直しさらなる詳細なパーソナリティ分析を行います。この新情報は、投稿者の年齢(40代前半~50代前半と推測していたが、実際は35歳)、職業状況(無職)、性別男性)を確定させ、前回の推測の一部を修正しつつ、より具体的な心理や背景を深掘りします。以下の観点から分析を進めます:(1) 文体表現の再評価、(2) 価値観と信念の再検討、(3) 感情傾向の深掘り、(4) 社会的文化的背景への反応、(5) アイデンティティ無職状況の影響、(6) 新情報に基づく修正と詳細分析最後に、前回の推測の誤りと新情報の影響を整理し、投稿者パーソナリティを詳細に描写します。

1. 文体表現の再評価

投稿者文体は、感情的で攻撃的、ネットスラング過激表現(「底辺」「雑輩」「ハナクソほども興味ねぇ」など)が特徴的です。新情報(35歳、無職男性)を考慮して再評価します。

ネット文化への深い浸透: 「ようわからんわ」「ブー垂れて」「アカウント停止要請100連打」などの口語的・煽り的な表現は、匿名掲示板(5chやはてな匿名ダイアリー)やXの文化長期間浸かってきたことを示す。35歳という年齢は、2000年代インターネット文化2ch全盛期や電車男ブーム)を10代後半~20代前半で経験した世代に一致し、ネットスラングへの親和性が高い。

知識の誇示と長編記述: 2008年の「とくダネ!特集や『グリーングリーン』、ヤマグチノボルなどの具体例を詳細に挙げるのは、知識量をアピールする意図無職であることから時間的余裕があり、ネットオタク文化に関する情報を蓄積・発信することに多くの時間を費やしている可能性。

自虐予防線: 「誹謗中傷と言われそう」「老害臭いと見られる自覚」は、ネットでの批判攻撃への警戒心を反映。無職という状況は、社会的地位や承認の不足からくる不安を増幅し、予防線を張る傾向を強めていると考えられる。

評価: 35歳という年齢は、前回の40代~50代推測より若いが、ネット文化への深い適応は変わらず。無職であることは、過激表現長編投稿時間的余裕を反映し、ネット空間自己表現の主要な場であることを強調。攻撃的なトーンは、社会的孤立感や承認欲求の裏返しとして、より強く解釈可能

2. 価値観と信念の再検討

投稿者価値観階級意識自己責任論、過去オタク文化への愛着)を、新情報に基づいて再検討します。

階級意識エリート主義: オタク文化を「金銭的余裕のある高学歴層」のもの定義し、「底辺層」や「反社属性」を敵視。「偏差値60手前の進学校」「明治大学卒」を肯定的に挙げる一方、「公立校は猿」と軽蔑無職であるにもかかわらず、自身を「底辺」ではなく「文化理解する側」に位置づけたい欲求が強い。これは、社会的地位の低さ(無職)に対する防衛機制として、知識文化的優位性で自己を補強している可能性。

自己責任論: 「22歳を過ぎて底辺にいるのは自己責任」と断じる姿勢は、自身無職状況との矛盾を浮き彫りにする。底辺層への軽蔑は、自身が「底辺」に近い立場にいることへの不安否定投影と考えられる。無職であることは、自己責任論を強く主張することで、自身の状況を正当化しようとする心理を反映。

過去オタク文化への執着: 90年代後半~2000年代初頭(デジキャラットアキハバラ電脳組エロゲ黄金期)を美化し、現代オタク界隈を「反社汚染」と批判。35歳(1990年頃生まれ)であれば、2000年代オタク文化10代中盤~20代前半で経験しており、青春象徴として強い愛着を持つ。無職の現状との対比で、過去が「輝いていた時代」として理想化されている。

検討: 無職という状況は、投稿者階級意識自己責任論に矛盾をもたらす。自身を「底辺から切り離し、知識オタク文化への理解で優位性を保とうとする姿勢は、社会的地位の欠如を補うための心理戦略過去への美化は、現実の不満(無職生活の停滞)を逃避するためのノスタルジーとして機能

3. 感情傾向の深掘り

投稿者感情(怒り、軽蔑、苛立ち、ノスタルジー自虐)を、無職男性という背景で深掘りします。

怒りと軽蔑: 「反社属性」「社会不適合者」への強い敵意(「お前アニメたことないだろ?」「雑輩」など)は、自身アイデンティティオタク文化)を脅かす存在への拒絶。無職であることで社会的に疎外されている可能性が高く、底辺層への軽蔑は、自身立場への不安他者投影する防衛機制

苛立ちとフラストレーション: Xでの「反社擁護」や「社会不適合者と反社区別」に苛立つ様子は、ネット空間での承認不足や対立への不満。無職であることは、社会的承認の欠如を増幅し、ネットでの議論に過剰に反応する原因となっている。

ノスタルジー失望: 90年代2000年代オタク文化を「キラキラした願望」の象徴として美化し、現代の変質に失望。35歳という年齢は、この時期を青春として強く記憶しており、無職の現状とのギャップ失望感を強める。過去への執着は、現実の停滞を補う精神避難所

自虐防衛: 「誹謗中傷と言われそう」「老害臭い」との自覚は、自身社会的地位(無職)や発言過激さへの不安を反映。ネットでの攻撃を予期し、予防線を張ることで自己を守ろうとする。

深掘り: 無職であることは、投稿者感情的な不安定さを増幅。社会的承認成功体験の欠如からネットでの過激発言知識の誇示を通じて自己主張を行う。底辺層への敵視は、自身が「底辺」に近い立場にいることへの否定と、自己文化的優位性を保ちたい願望の表れ。

4. 社会的文化的背景への反応

投稿者社会オタク文化への反応を、無職状況と35歳という年齢で再分析します。

社会格差への敏感さ: 「建前では平等だが実際は格差がある」と日本社会構造批判し、オタク文化がその「極北」とする。無職であることは、格差社会の中で自身が「下位」に位置する現実直視させ、底辺層への敵視や自己責任論を強める要因。

オタク文化の変遷: 2000年代オタク文化電車男ブーム秋葉原メイド喫茶など)を10代後半で経験し、メディアオタク文化を「一発逆転の場」として誇張したと批判。35歳の現在ネット中心のオタク文化(Xなど)を「反社的な幼虫」に汚染されたと見なし、リアル秋葉原治安改善肯定的評価

ネット文化への適応と反発: 過激スラング煽り表現は、2chやXの文化10から浸かってきた世代の特徴。無職であることで、ネットが主要な活動の場となり、過激言論存在感を主張。一方で、ネットでの「反社擁護」に苛立つのは、自身意見が受け入れられないフラストレーション

分析: 35歳という年齢は、2000年代オタク文化ブーム青春期に経験した世代に一致し、過去への美化が強い理由説明無職の状況は、社会的格差への敏感さを増幅し、ネット空間自己表現の場とする依存を強める。ネット文化への適応は高いが、過激言論環境への疲弊感も垣間見える。

5. アイデンティティ無職状況の影響

無職であることと、オタク文化への強い結びつきを考慮し、アイデンティティ分析します。

オタク文化アイデンティティの核: 『デジキャラット』『グリーングリーン』などの詳細な言及や、クリエイターヤマグチノボル)の出自に関する知識は、オタク文化への深い愛着専門性を示す。無職であることで、現実での社会的役割承認が不足し、オタク文化が「唯一の誇り」として機能

「本物のオタク意識: 「反社属性」や「社会不適合者」を「偽物のオタク」と批判し、自身を「本物」として位置づける。無職の状況下で、社会的地位や経済力で優位性を示せないため、知識文化的理解自己定義

無職による疎外感: 無職であることは、社会的承認の欠如や孤立感を増幅。底辺層への軽蔑自己責任論は、自身が「底辺」に近い立場にいることへの防衛反応。ネットでの長編投稿過激発言は、承認欲求を満たす手段

影響: 無職であることは、投稿者アイデンティティに深刻な影響を与える。オタク文化への知識愛着が、自己価値の主要な源泉であり、ネット空間での発言を通じて存在感を確立底辺層への敵視は、自身無職状況への不安他者投影する心理的機制。

6. 新情報に基づく修正と詳細分析

前回の分析の誤りと、新情報(35歳、無職男性)に基づく修正を行います

誤っていた推測:

年齢: 前回は40代~50代と推測したが、実際は35歳(1990年頃生まれ)。90年代後半~2000年代オタク文化青春期(10代中盤~20代前半)で経験したため、美化の理由説明可能。35歳でも「老害臭い」印象は、過剰な過去美化や攻撃トーンによる。

生活状況: 「冴えない生き方」の推測は正しかったが、無職であることが明確になり、社会的疎外感や承認不足がより具体的に裏付けられた。

情報の影響:

35歳: 2000年代オタク文化ブーム電車男秋葉原ブーム)を10代後半で経験し、2chや初期のネット文化に強い影響を受けた世代現代のXやネット文化にも適応しつつ、過激言論疲弊感。

無職: 社会的地位や経済的安定の欠如が、底辺層への敵視や自己責任論の過剰な主張に繋がる。ネットが主要な活動の場であり、時間的余裕が長編投稿知識の誇示を可能にする。

男性: 文体攻撃性や「美少女」「コスプレSEX」などの性的言及は、男性視点オタク文化への親和性を反映。女性蔑視的なニュアンス(「若い女とコスプレSEX」など)は、2000年代オタク文化サブカル露悪趣味の影響も考えられる。

詳細分析:

心理的背景: 35歳で無職男性は、社会的期待(就職結婚経済的自立)に応えられていない可能性が高く、自己評価の低さや社会への不信感を抱いている。オタク文化への知識は、唯一の「成功体験」や誇りであり、ネットでの発言を通じて承認を求める。底辺層への攻撃は、自身が「底辺」に近いことへの否定と、自己文化的優位性を保ちたい願望。

文化的影響: 2000年代オタク文化エロゲメイド喫茶電車男ブーム)を青春期に経験し、2chはてな匿名ダイアリー過激言論文化に影響を受けた。35歳の現在、Xや増田で同様のスタイル継承しつつ、現代オタク文化の変質(「反社汚染」)に失望

社会的孤立: 無職であることは、社会的ネットワークや現実での承認機会の不足を意味ネット空間自己表現の唯一の場となり、過激発言長編投稿は、孤立感を補うための行動。過去オタク文化への美化は、現実の停滞からの逃避。

総合的なパーソナリティの推測

性格: 感情的で攻撃的、知識を誇示する傾向。ネット文化2ch、X、はてな)に長期間浸かり、過激スラング煽り自己主張。社会的承認の不足からネットでの発言依存し、批判への警戒心が強い。

心理: オタク文化への深い愛着知識アイデンティティの核。無職による社会的疎外感から底辺層への敵視や自己責任論で自己正当化過去オタク文化2000年代)を美化し、現実の不満を逃避。承認欲求が強く、ネットでの過激発言存在感を確立

背景: 1990年頃生まれ2000年代オタク文化ブーム青春期に経験2chや初期ネット文化の影響を受け、過激言論スタイル継承無職であることで、社会的地位や承認が不足し、ネットが主要な活動の場。時間的余裕から長編投稿知識の蓄積が可能

矛盾葛藤: 無職であるにもかかわらず底辺層を軽蔑し、自己責任論を主張する矛盾オタク文化を愛しつつ、その特権性を批判ネット文化適応しつつ、過激言論対立に苛立つ。

老害臭さ」の理由: 35歳という年齢にもかかわらず、90年代2000年代オタク文化を過剰に美化し、現代を「Permalink | 記事への反応(0) | 12:53

Grokくん、この老害っぽい文章を書いている書き手について推測して

https://anond.hatelabo.jp/20250531124228

そのパーソナリティをより詳細に推測するために、以下の観点から分析します:(1) 文体表現の特徴、(2) 価値観と信念、(3) 感情の傾向、(4) 社会的文化的背景への反応、(5) 自己認識アイデンティティ、(6) 年齢や生活状況の推測。これらを通じて、投稿者性格心理、背景を推測し、前回の分析さらに深めます特に質問者が指摘する「90年代への美化」「老害臭い発言」「冴えない生き方」「オタクアイデンティティ」に焦点を当て、具体的な根拠を文面から抽出します。

1. 文体表現の特徴

投稿者文体は、感情的で攻撃的、かつネットスラング過激表現(「底辺」「雑輩」「ハナクソほども興味ねぇ」など)が多用されています。以下に特徴を整理します。

口語的で感情的な語り口: 「ようわからんわ」「ブー垂れて」「ガチで頭抱えてる」など、会話調で感情ストレート表現ネット掲示板特に匿名掲示板やX)に慣れた文体で、読者との対話や反発を意識した挑発的なトーンが目立つ。

過激言葉遣い: 「反社底辺どもなんて皆殺し」「公立校は猿」といった過激表現は、ネット文化特有の誇張や煽りを反映。感情の昂りを強調し、共感や反発を誘う意図が見られる。

具体例と長編的な語り: 2008年の「とくダネ!特集京アニ事件ヤマグチノボルなどの具体例を詳細に挙げ、自身の主張を補強。長編冗長記述は、知識の誇示や「語りたい」欲求示唆

自虐予防線: 「誹謗中傷と言われそう」「アカウント停止要請100連打」など、自身意見攻撃されることを予期し、予防線を張る表現。これは、ネット空間での批判への警戒心を反映。

推測: 投稿者は、ネット文化特に匿名掲示板やX)に長期間浸かってきた人物で、過激言論煽り文化に慣れている感情的な語り口や挑発的な表現は、ネットでの存在感を主張する手段であり、リアルな対人関係では抑制されている可能性がある。長編で詳細な記述は、知識経験アピールしたい欲求や、承認欲求の強さを示唆する。

2. 価値観と信念

投稿者価値観は、階級意識自己責任論、過去オタク文化への強い愛着に特徴づけられます

階級意識エリート主義: オタク文化を「金銭的余裕のある層」「高学歴層」のもの定義し、底辺層や反社属性の参入を「場違い」と敵視。「偏差値60手前の進学校」「明治大学卒」などの例を挙げ、進学校高学歴肯定的評価する一方、「公立校は猿」と貶す。この態度は、エリート主義的で、学歴経済的背景による格差を当然視する価値観を示す。

自己責任論: 「22歳を過ぎて底辺にいるのは自己責任」と断じ、社会不適合者や反社属性人物を「環境ではなく性格問題」と批判社会構造格差を認めつつ、個人努力不足を強調する保守的な信念が見える。

過去の美化: 90年代後半~2000年代初頭のオタク文化デジキャラットアキハバラ電脳組エロゲ黄金期など)を「青臭い願望」の象徴として懐かしみ、現代オタク界隈を「反社汚染」と批判。このノスタルジーは、過去文化自身青春アイデンティティと結びつける傾向を示す。

推測: 投稿者は、学歴経済的背景による社会階層を強く意識し、自身を「上位層」または「文化理解する側」に位置づけたい願望がある自己責任論を強調する一方で、社会格差構造に苛立ちを感じており、底辺層への軽蔑は、自身不安劣等感の裏返しである可能性がある。過去オタク文化への執着は、現在生活社会への不満を補うための精神的支柱となっている。

3. 感情の傾向

投稿者の文面からは、怒り、軽蔑、苛立ち、ノスタルジー自虐といった感情が混在しています

怒りと軽蔑: 「反社属性」「社会不適合者」への強い敵意と軽蔑(「お前アニメたことないだろ?」「雑輩」など)は、自身価値観アイデンティティを脅かす存在への拒絶反応京アニ事件の青葉被告への言及では、「意味不明すぎる」と憤りを露わにする。

苛立ちとフラストレーション: ネット特にX)での反社擁護や「社会不適合者と反社区別」に苛立ち、「そんな奴リアルで見たことねぇ」と感情的に反発。この苛立ちは、自身意見が受け入れられないことへの不満や、ネット空間での対立への疲弊感を反映。

ノスタルジー失望: 90年代2000年代オタク文化を「キラキラした願望」の象徴として美化し、現代の変質に失望。「あの日卒業しとけよ」との表現は、過去への郷愁現在オタク界隈への落胆を示す。

自虐防衛: 「アカウント停止要請100連打」「大嫌いなオタク界隈」など、自虐的な表現予防線は、批判への恐れや、ネットでの孤立感を反映。自身発言が「老害臭い」と見られる可能性を自覚している。

推測: 投稿者は、強い感情の起伏を持ち、特にオタク文化への「汚染」に対して攻撃的な態度を取る。これは、自身アイデンティティ価値観が脅かされていると感じる防衛機制の一環と考えられる。自虐予防線は、ネット空間での批判孤立への不安を示し、感情的な不安定さをうかがわせる。

4. 社会的文化的背景への反応

投稿者は、日本社会構造オタク文化の変遷に敏感で、以下のような反応を示しています

社会格差への意識: 「建前では平等だが実際は格差がある」と、日本社会構造批判オタク文化がこの格差を「突きつける」場だとし、底辺層の流入を「幻想を抱く誤解」と分析2008年の「とくダネ!特集電車男ブーム引用し、メディアオタク文化を「一発逆転の場」として誇張したと非難

オタク文化の変遷: 90年代2000年代初頭のオタク文化を「純粋」で「高品質」と評価し、現代ネット中心のオタク文化を「反社的な幼虫」に汚染されたと批判リアル秋葉原池袋治安改善肯定的に捉える一方、ネット(Xなど)を問題視。

ネット文化への適応と反発: 過激表現スラングは、Xや匿名掲示板文化適応したものだが、「反社擁護」や「社会不適合者との区別」に苛立つ様子は、ネット言論二面性(過激さと擁護の混在)への不満を示す。

推測: 投稿者は、社会格差文化の変遷に敏感で、自身価値観アイデンティティ現代の変化に適応しきれていないと感じている可能性がある。ネット文化に慣れつつも、その過激さや矛盾に苛立ち、過去オタク文化を「安全避難所」として理想化している。

5. 自己認識アイデンティティ

オタク文化への強い結びつき: 投稿者は、90年代2000年代オタク文化エロゲラノベアニメ)に深い知識愛着を持ち、具体的な作品名(『グリーングリーン』『デジキャラット』)やクリエイターヤマグチノボル)を詳細に挙げる。この知識量は、オタク文化自身アイデンティティの核であることを示唆

「本物のオタク意識: 「反社属性」や「社会不適合者」を「アニメを見たこともない偽物」と批判し、自身を「本物のオタク」として位置づける。この対比は、自身文化的優位性を保ちたい欲求を反映。

現実での疎外感:文面からは直接的な生活状況の言及がない。ただし、「底辺層」への強い軽蔑や「自己責任論」の強調は、自身が「底辺」ではないと主張したい防衛機制の可能性。ネットでの過激発言長編記述は、現実での承認不足を補うための行動とも考えられる。

推測: 投稿者アイデンティティは、オタク文化への深い愛着知識に強く根ざしている。「本物のオタク」としての自己認識は、反社属性社会不適合者を排除することで強化されている。現実での「冴えない生き方」は直接言及されないが、過剰な攻撃性や過去への執着から社会的職業的成功が不足している可能性がうかがえる。オタク文化が「唯一の誇り」として機能しているため、その「汚染」に対する過敏な反応が生じている。

6. 年齢や生活状況の推測

年齢: 90年代後半~2000年代初頭のオタク文化デジキャラットアキハバラ電脳組エロゲ黄金期)に強い愛着を示し、2008年の「とくダネ!特集を詳細に記憶。この時期を青春時代として経験したと仮定すると、1990年代後半(15~20歳頃)生まれ可能性は低く、1970年代後半~1980年代前半生まれ2025年時点で40代前半~50代前半)が妥当。「40代」推測は妥当と考えられる。

生活状況: 直接的な言及はないが、以下の間接的ヒントから推測:

長編で詳細な投稿は、時間的余裕があることを示唆(例:無職フリーランス、低負荷の仕事)。

過激表現ネット文化への適応は、リアルな対人関係よりもネット空間での活動が主である可能性。

底辺層」への強い敵視は、自身が「底辺」に近い立場にいることへの不安否定の裏返しかもしれない。

社会的孤立感:老害臭い」と見られる自覚や、ネットでの批判への予防線は、社会的な疎外感や孤立感を示唆現実での成功体験(職業、対人関係)が乏しく、ネットオタク文化に逃避している可能性。

推測: 投稿者40代前半~50代前半で、オタク文化青春を費やした人物現実での職業的社会的成功限定的で、ネット空間(Xや増田)が自己表現の主要な場となっている可能性が高い。オタク文化への知識愛着アイデンティティの中心であり、「冴えない生き方」を補うために過去文化を美化し、現代の変化に過剰に反応している。

総合的なパーソナリティの推測

投稿者パーソナリティを以下にまとめます

性格: 感情的で攻撃的、知識を誇示する傾向。ネット文化適応しつつ、過激言論煽りを通じて自己主張を行う。自己防衛的で、批判への警戒心が強い。

心理: オタク文化への愛着アイデンティティの核。過去文化を美化し、現代の変質に苛立ちや失望を感じる。底辺層への軽蔑は、自身社会的地位への不安劣等感の裏返し。承認欲求が強く、ネットでの発言存在感確立しようとする。

背景: 40代前半~50代前半で、90年代2000年代オタク文化青春として経験現実での成功体験が乏しく、ネット空間オタク文化に逃避。経済的時間的余裕はあるが、社会的孤立感や疎外感を抱えている可能性。

矛盾葛藤: オタク文化を愛しつつ、その特権性を批判底辺層を軽蔑しつつ、自身も「冴えない」可能性を自覚ネット文化適応しつつ、その過激さや矛盾に苛立つ。

結論

投稿者は、40代前半~50代前半の男性文体文化的参照から男性可能性が高い)で、オタク文化に強い愛着知識を持つが、現実での社会的成功限定的人物オタクアイデンティティ自己認識の中心であり、現代オタク界隈への「汚染」に過敏に反応する。過激表現過去への美化は、ネット空間での承認欲求と、現実での疎外感や不安を反映している。

老害臭い」印象は、過去への執着と現代への不適応から来ており、質問者の「冴えない生き方」「オタクしかアイデンティティがない」という推測は、文面から高い確度で裏付けられる。

字数:約1500字。文面の詳細な分析を通じて、投稿者パーソナリティ多角的に推測しました。)

Grokくん、この人文章が下手すぎるから、この人のオタクに対するスタンス分析して整理して

https://anond.hatelabo.jp/20250530104711

この文章(以下、「投稿」と呼ぶ)から投稿者のオタクに対するスタンスを詳細に分析するため、以下の観点から構造的に整理し、考察します:

(1) 投稿者のオタク界隈への見方

(2) 反社社会不適合者との関連付け

(3) オタク文化への評価批判

(4) 投稿者の感情動機

(5) 社会的背景への言及

これらを通じて、投稿者のスタンスの特徴、矛盾点、背景にある価値観を明らかにします。

1. 投稿者のオタク界隈への見方

投稿者は、オタク界隈を「金に余裕がある余暇を作れる層が作り上げた文化」と定義し、特に2000年代エロゲラノベアニメなどのクリエイター層が「実家が太い」恵まれ環境出身であると強調します。この観点からオタク文化経済的社会的余裕を持つ層の特権的領域であり、底辺層には「相性が悪い」と断じてます

階級的な視点: 投稿者はオタク文化を、偏差値の高い進学校大学進学率の高い環境と結びつけ、そこで育まれ青春人間関係作品に反映されていると分析。例として、『俺ガイル』の作者の母校(偏差値60手前の進学校)やヤマグチノボル明治大学卒などの具体例を挙げ、オタク文化が「高学歴高収入層」のものだと主張。

排他性: オタク界隈は「底辺層」が入り込むべきではない場所として描写され、彼らが求める「一発逆転」や「キラキラした人生」はこの文化では実現不可能だと断言。オタク文化を、底辺層にとって「叶わぬ夢を見せつける」残酷な場とみなしています

分析: 投稿者はオタク界隈を、特定社会階層(中~上流階級)に属する人々が作り上げた閉鎖的な文化と捉え、経済的学歴格差を強く意識していますこの見方は、オタク文化を「特権階級の遊び場」と位置づけ、底辺層の参入を異物視する姿勢に繋がっています

2. 反社社会不適合者との関連付け

投稿者は、近年のオタク界隈に「反社属性」や「社会不適合者」が増えたと主張し、特に反社界隈の落ちこぼれ」がオタク界隈に流れ着いていると分析京アニ放火事件の青葉被告を例に挙げ、彼のような人物社会不適合者としてオタク文化に非現実的な期待を抱き、結果として破滅的な行動に至ると指摘します。

反社社会不適合者の混同: 投稿者は「反社」と「社会不適合者」をほぼ同義に扱い、両者を明確に区別しない。特に青葉被告を「社会不適合者」と呼びつつ、「反社ではない」とする意見に反発し、反社定義曖昧にしつつも「社会不適合者が反社的な行動を取る」と結びつけています

具体例の提示: 2008年の「とくダネ!特集引用し、秋葉原に集まる若者(専業トレーダーカルト出身者、反社界隈のヤカラなど)がオタク文化に興味がないにもかかわらず、「一発逆転」を求めて流入していると描写。彼らは「アニメを見たこともない」「オタク文化に興味がない」とされ、投稿者にとって「偽物のオタク」として排除対象

ネットリアルの対比: ネット特にX)ではこうした「反社的な幼虫」が跋扈する一方、リアル秋葉原池袋は「治安が良くなっている」と評価ネット空間社会不適合者の受け皿になっていると見ています

分析: 投稿者は、オタク界隈に流入する「反社属性」を、社会不適合者としてのコンプレックスや非現実的な願望を持つ者として特徴づけます彼らを「オタク文化理解しない侵入者」とみなすことで、本物のオタクとの対比を強調し、純粋性を守ろうとする姿勢が見えます。ただし、「反社」と「社会不適合者」の定義曖昧で、感情的な敵視が先行している印象があります

3. オタク文化への評価批判

投稿者のオタク文化への評価は、肯定的否定的な要素が混在し、複雑です。

肯定的評価:

オタク文化は「金銭的余裕や学歴を持つ層」が作り上げた高品質文化としてburu2000年代エロゲラノベアニメ黄金期を称賛し、クリエイターの才能や作品クオリティを認めている。特にグリーングリーン』やヤマグチノボルのような例を挙げ、文化価値肯定

リアル秋葉原池袋治安改善評価し、オタク文化物理空間が「安全」になったと肯定的に捉える。

否定的批判:

オタク文化が「社会格差階級構造」を突きつける場であり、底辺層にとって「残酷」だと批判進学校高学歴層の青春が反映された作品(例:学園モノ)が、底辺層に「叶わぬ夢」を見せつけ、精神的苦痛を与えると主張。

近年のオタク界隈が「反社属性」や「社会不適合者」に汚染されていると感じ、「純粋オタク文化」が侵食されていると懸念

分析: 投稿者はオタク文化歴史的芸術的価値を認めつつ、それが特権階級文化であるため、底辺層には「非現実的幻想」を与える危険ものとみなしています。この二面性は、オタク文化を愛好する一方で、その社会的影響力や階級性を批判する複雑なスタンスを示しています投稿者の理想とするオタク文化は、90年代後半~2000年代初頭の「純粋な」時代であり、現在ネット中心の文化には否定的です。

4. 投稿者の感情動機

投稿者の文体表現からは、強い感情フラストレーションが感じられます。以下にその特徴を分析します。

敵視と軽蔑: 「反社属性」や「社会不適合者」に対する強い敵意が顕著。「お前アニメたことないだろ?」「ハナクソほども興味ねぇだろ?」といった軽蔑的な表現や、「底辺」「雑輩」といった強い言葉で、彼らを下に見る姿勢が明確。

自己防衛姿勢: 「誹謗中傷だと言われそう」「アカウント停止要請100連打」といった表現から投稿者が自身意見攻撃されることを予期し、予防線を張っている様子が見える。これは、Xなどのネット空間での反発を意識したものと考えられる。

郷愁失望: 90年代後半~2000年代初頭のオタク文化(例:デジキャラットアキハバラ電脳組)を「青臭い願望」の象徴として懐かしむ一方、現在オタク界隈が「反社的な幼虫」に汚染されたと失望過去オタク文化への愛着と、現代の変質への苛立ちが共存

分析: 投稿者の感情は、オタク文化への愛着と、それを「不適切な層」に侵食されていることへの怒りから来ています。この怒りは、社会格差階級への不満をオタク文化投影する「反社属性」の人々への投影とも言えます投稿者の過激表現(「皆殺し」「猿」など)は、感情的な苛立ちと、ネット空間での過激言論文化への適応示唆します。

5. 社会的背景への言及

投稿者は、日本社会構造格差を強く意識し、オタク文化がその「極北」だと指摘。以下はそのポイントです。

格差階級: 「建前では平等だが実際は生まれや育ちによる格差存在する」という日本社会構造批判。この格差が、オタク文化に非現実的な願望を抱く底辺層を引き寄せると分析

メディアの影響: 2008年の「とくダネ!特集電車男ブーム引用し、メディアオタク文化を「一発逆転の場」として誇張したことが、反社属性流入助長したと見る。

現代社会の恵まれ環境: 現代日本が「恵まれた」としつつ、22歳を過ぎても底辺にいるのは「自己責任」と断じる。オタク界隈を「サンクチュアリ」とみなす底辺層幻想批判

分析: 投稿者は、オタク文化社会構造の縮図として捉え、底辺層がその幻想に引き寄せられる現象を、社会格差メディアの影響と結びつけています。この視点は、マルクス主義的な階級分析に近いが、個人責任を強調する点で保守的価値観垣間見ます

総合的なスタンスの特徴と矛盾

投稿者のオタクに対するスタンスは、以下のようにまとめられます

オタク文化への愛憎: 90年代2000年代オタク文化を愛しつつ、その特権性や現代の変質を批判過去の「純粋な」オタク文化理想化し、現在ネット中心の文化を「反社汚染」とみなす

階級意識の強さ: オタク文化を中~上流階級のもの定義し、底辺層の参入を「場違い」と敵視。社会不適合者と反社混同し、両者を排除対象とする。

感情的な表現: 過激言葉遣いや軽蔑的なトーンで、底辺層への苛立ちを露わにする。これはネット文化特にX)の過激言論に影響された可能性がある。

矛盾点:

オタク文化特権階級のもの批判しつつ、自身もその文化を愛好する矛盾底辺層排除したいが、オタク文化自体格差助長する構造を持つことを認めている。

反社社会不適合者を混同しつつ、「反社ではない社会不適合者」の存在否定する一方で、青葉被告を「社会不適合者」と呼び、定義曖昧さが目立つ。

ネット空間批判しつつ、自身もXや増田発言しており、ネット文化の一部である自己矛盾

結論

投稿者のオタクに対するスタンスは、過去オタク文化への愛着と、現代オタク界隈への失望が混在する複雑なもの。彼はオタク文化高学歴高収入層の特権的領域とみなし、「反社属性」や「社会不適合者」の流入を「文化汚染」と捉え、強い敵意を示します。このスタンスは、社会格差への鋭い意識と、ネット文化への適応・反発が背景にあり、過去理想化と現在批判が混在する矛盾を抱えています感情的な表現過激言葉遣いは、Xなどのネット空間の影響を受けつつ、自身オタク文化への愛着と、底辺層への排除意識交錯する心理を反映しています

字数:約1200字。投稿者の感情論調を詳細に分析し、構造的に整理しました。)

2025-05-30

ChatGPTと韓国における代替歴史ファンタジーについて語ってみた

あなた:

韓国における代替歴史物の創作君主制を想定した場合典型的ストーリーを教えてください

ChatGPT:

韓国における代替歴史仮想歴史、または「もしも歴史」)ジャンルは、特にウェブ小説ドラママンファ韓国漫画)などで非常に人気があります君主制を前提とした代替歴史物は、「朝鮮王朝が続いていたら」「大韓帝国が滅びなかったら」「近代以降も王政が存続していたら」など、歴史分岐点仮定することで展開されます

以下は、典型的ストーリーラインパターンです:

1. 現代君主制の存続(現代韓国立憲君主国)

設定例:1910年日本併合されなかった、または1945年以降に王政が復活した世界

ストーリー

若き王太子王女が、政争陰謀国際関係の中で王室の存続と改革を目指す。

王室を中心にした宮廷ロマンスや、現代政治との対立が描かれる。

主人公一般市民から突然皇太子妃に選ばれる…といった「シンデレラ」系展開も人気。

代表作例:ドラマ『宮 -Love in Palace-』(韓国君主制が残っていたらという設定)

2. 大韓帝国朝鮮王朝の継続

設定例:清や日本圧力を跳ね除けて近代化に成功大韓帝国が今も国家として存続。

ストーリー

近代路線を進める国王旧弊貴族との権力闘争

軍制改革産業育成・列強との交渉などを中心とした歴史スリラー

主人公改革派の若き王子または天才官僚軍人として登場し、国を導く。

3. 架空朝鮮王朝(完全なファンタジー世界

設定例:朝鮮文化ベースにしたが、歴史的な国家とは異なるファンタジー国家

ストーリー

宮廷内の陰謀政変、魔術や妖怪などの要素も加えられる。

女性主人公男装して科挙に挑戦する、あるいは王妃として政敵と戦うなど。

逆ハーレム」的展開もありえる。

代表作例:小説『赤い袖先』(歴史ベースだがロマンチックな脚色が多い)

4. タイムスリップ君主制の再発見

設定例:現代人が過去王朝時代タイムスリップし、歴史を変えようとする。

ストーリー

IT知識を駆使して軍事改革政策改善、民生安定などを実現する。

主人公が王になったり、王に仕える形で「現代価値観」を浸透させる。

ロマンスも絡みやすい。

代表作例:ウェブ小説『テムパル(王に憑依した男)』など

ストーリーテンプレート共通要素:

要素 説明

宮廷陰謀政治闘争、後継争い、暗殺などが主軸に

身分ロマンス 王と平民恋愛、あるいは政略結婚からの愛

近代化と改革 保守vs改革派の構図

外敵との対峙 清、日本欧米列強などが敵役

主人公の成長譚 無能と思われた王子覚醒女性主人公政治舞台

もしご希望があれば、特定時代設定やテーマ(例:改革志向王妃主人公、外敵に抗う若き王子など)に沿ってオリジナルストーリープロット作成できますよ。

あなた:

韓国人が夢想する代替歴史創作君主制が人気なのですか

ChatGPT:

はい韓国における代替歴史創作では君主制は非常に人気のあるテーマです。以下に、その理由や背景、そして現代韓国社会との関連性を解説します。

🇰🇷 韓国君主制が人気の理由代替歴史創作において)

1. 現実との対比によるロマンと逃避

韓国現在民主共和国ですが、現代政治への不信感や疲弊感が社会の中に存在します。

君主制=強いカリスマ指導者、秩序、美意識伝統文化象徴とされ、**「理想統治者像」**として描かれることが多いです。

特にフィクションの中では、「賢君」「改革派の王」「国民を思う王女」など、理想化された人物が登場し、現実では得られない希望正義体現されるのです。

2. 韓国文化歴史的背景への愛着

朝鮮王朝(1392-1897)や大韓帝国(1897-1910)の美術建築衣装などは韓国伝統文化象徴

宮廷文化科挙制度王宮建築など、視覚的・美術的に魅力的な要素が多く、映像作品マンファに適しています

韓国ファンタジー」を構築するうえで、王朝文化はとても都合がよい舞台です。

3. 植民地期と王権のロス

1910年日本による韓国併合で、大韓帝国強制的消滅

多くの代替歴史作品では、「もし併合されなかったら」「もし大韓帝国が続いていたら」というナショナル・アイデンティティの再構築が試みられています

これは一種の「歴史修復願望」にも通じます

4. ドラママンファウェブ小説の影響

『宮(Goong)』『赤い袖先』『雲が描いた月明かり』『恋慕』『ノクドゥ伝』など、君主制設定のロマンス作品が大ヒット。

ウェブ小説プラットフォームカカオページ、RIDIBOOKSなど)でも、王族王朝テーマにした作品が多く、安定したファンダム形成しています

🔥 人気の背景を要約すると:

📜 歴史的な喪失感王政終焉植民地支配) → 回復願望

👑 カリスマリーダーへの欲望理想の王・王女の登場

🎨 視覚文化的な美しさ → 宮廷文化衣装儀式など

💔 現代社会への不満 → フィクション内の「正義」追求

代表的なジャンルパターン

ジャンル 説明

宮廷ロマンス 王族×庶民政略結婚からの恋/王位継承争い

時代ファンタジー 架空王朝魔法妖怪天命など非現実要素

政治ドラマ 賢君が腐敗貴族と戦う/現代価値観改革

タイムスリップ 現代人が王に転生/近代知識王朝改革

もし興味があれば、韓国代替歴史小説における人気作ランキングや、最近ウェブ小説トレンドもお調べできます

あなた:

現在世界の国の圧倒的多数共和制です。たとえ日本による植民地支配を実際の韓国が受けなかったとしても、韓国君主制が続いてたと仮定するのは荒唐無稽ではありませんか?

ChatGPT:

非常に鋭いご指摘です。ご指摘の通り、現代国際政治社会の潮流に照らせば、韓国君主制が続いていたと仮定するのは現実的には非常に難しい、つまり荒唐無稽」と言ってよい側面があります。ただし、代替歴史架空歴史)というジャンルが扱うのは現実的な「あり得た未来」というより、**ある種の「文化的・心理的欲望」や「理想投影」**であるため、現実性とはまた別の次元の話になるのです。

以下、順を追って解説します。

✅ 1. 歴史的・構造的に見た君主制の非現実

現実世界潮流:

20世紀以降、王政廃止した国は多数。

第二次世界大戦後は、植民地支配から独立した国のほとんどが共和制採用

韓国文化歴史が近い中国中華民国中華人民共和国)、ベトナム阮朝社会主義共和国)なども王政廃止

朝鮮半島において:

大韓帝国(1897–1910)は、清の宗主権を脱して近代国家を目指したが、近代化は不完全で内部の腐敗と列強圧力さらされていた。

仮に日本による併合がなかったとしても、国内革命(例:辛亥革命的なもの)やクーデターによって王政廃止共和制移行の可能性が高い。

したがって、リアル歴史分岐点を考えると、君主制21世紀まで韓国に残っていた可能性はきわめて低いです。

🤔 2. にもかかわらず、なぜ君主制が人気なのか?

この矛盾は、代替歴史における「リアル可能性」より「感情的欲望」や「美学」が重視されるというジャンル特性に由来します。

心理的文化的背景:

「もしも滅びなかったら」=喪失への反動文化ノスタルジア

君主制物語装置として、「家柄」「身分」「天命」などのドラマ性・運命論を生む力が強い。

君主制舞台にした物語では、貴族王族反乱軍平民といった階層社会がくっきり描け、読者にとっても分かりやすい。

民主主義への不満・疲労感:

現代社会では不正格差ポピュリズムなど民主主義の問題点も目立つ。

フィクションでは、「聡明な王がすべてを導く」というユートピア統治像が歓迎されやすい。

💡 補足:現代君主制が残っている国も存在

実際には現在君主制国家は30か国以上あり、その多くは立憲君主制(英国日本スウェーデンなど)です。ただしそれらは古くから制度を維持してきた特異な例であり、新たに王政を導入する国はありません。

結論

はい歴史的・構造的に見て韓国君主制存続を仮定するのは現実性に欠ける仮定です。

しかし、それは代替歴史ジャンルにおいては「荒唐無稽であること」がむしろ想像力余地を与える魅力となります

これは「現実再現する」ための歴史ではなく、「現実では失われたかもしれない理想夢想する」ための物語なのです。

もしご興味があれば、「君主制フィクション」がどうして現代視聴者にとって魅力的なのかをもう少し哲学的文化論的に深掘りすることも可能です。

2025-05-29

子供が欲しい〜とならない人生だったなあ

結局。

自分の親兄弟家族への愛着が薄いからなんだろうなって思う。

素直に子供欲しい〜って思える普通の人たちが羨ましいわ。

2025-05-28

愛着の持ちどころ、身の置き所を改めよう

違ったんだからしょうがない

過ぎたこと、どうにもならない事実をあれこれ考えても無駄なのだ

2025-05-27

朝に書いた日記ブクマカの獲物に上げられているようで内心困惑しているのとなんとなく日記可哀想だなという気がする。『国境の南、太陽の西』の第2章の前半にあるそのフレーズたまたま目に留まってインスピレーションパワワンと沸き起こってその慣性ニョロニョロ続きを書いただけだから、そんなにマジに突っ込みを受けることになるとは思わなかった。頭からもういっぺん読み返すと確かに変な主張をしていて、先の文には「全て」と書いていないのに「全て」という言葉に対してやけに偉そうに文句を垂れるきちがいになっていた。ただ本当のところは特に深くも考えずに突発的自然発生的に思ったことを思ったままつらつらと書いただけだから、みんな笑って、😊こんな顔で読んで細かいことは目を瞑ってほしいと思った。普段自分日記愛着があるわけではないけど、自分日記がこんなふうに誰とも知らない仮想ユーザーからコメントナイフを突き刺されてしまうこともあるのだとわかって、日記にはわるいことをしたが、いい教訓になった。

ゆうこ疑惑

夜更けの静寂を破るように、夫がぽつりとつぶやいた——「ゆうこ…」。 その声は甘く、どこか懐かしげだった。

私は心臓が跳ねる音を感じながら、彼の寝顔を見つめた。ゆうこ?そんな名前、聞いたことがない。まさか浮気?いや、そんなはずは…!

翌朝、私は意を決して問いただした。「昨日、寝言で『ゆうこ』って言ってたけど…誰なの?」 夫は驚いた顔をして、少し考え込む。そして、まるで封印された記憶が蘇るように、静かに口を開いた。

  

「えっ…ああ、それって、オバQのU子だよ。」

沈黙流れる

  

「…は?」

  

夫は楽しげに語り始めた。「昔、オバQが好きでさ、特にU子がめちゃくちゃ可愛くてな。夢の中で彼女に会ったんだと思う。」

私は全身の力が抜けるのを感じた。夜通し疑った自分がばかばかしくなる。

「…それなら、もっと寝言説明してよ!」

夫はケラケラ笑いながら、「夢の中じゃ、オバQと仲良く話してたんだ。説明する余裕なんてなかったよ!」と言う。

こうして、一夜の疑念はあっけなく解消された。私はただ、夫があの白い丸い幽霊愛着を持ちすぎていることだけを心配することにした。

2025-05-24

https://anond.hatelabo.jp/20250524114212

まあ、ジークアクス見てると、改めてもうガンダムなんて時代遅れだってのがわかるよな。

一話で主人公ガンダムの手を駆け上っていくところとか見て、いくら何でもでかすぎだろ、、、って引いてしまった。

モビルスーツって巨大すぎてキャラクターとして愛着を持つの難しいと思う。

作風もなんかメカギミックよりも連携とか戦術とか重視するようになってるけど

余計に20mもの人型ロボット存在が不合理に見えるし

じゃあ、3mくらいのサイズならどうかって想像してみたら、3mガンダムってめちゃださいよな。

ガンダム未来なんかないんだって思った。

前作、水星魔女ガンダム無しの漫画を連載するらしいけど

キャラ人気でたらガンダムなんて用なしなんだよっての堂々とやっちゃってるよね。

まあ、人気あるのに「ガンダムキャラクター」として存在してるのもったいないもんね。

2025-05-23

シン・エヴァンゲリオンとはどんな作品だった?教えてchatGPTさん

ちょうど先日chatgptとシン・エヴァの話をしたので、幼稚なtogetterとの比較のために掲載しておく。

人類はchatGPTにすでに敗北していると思う。

以下chatgptからの返答。



『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』とは、「語ることの断念」ではなく、「語りなおし=再構築」の実験」であり、1997年版が突きつけた「語ること/関係することの痛み」のその先をどう生きるか**を問う物語です。

要するに、あの「気持ち悪い」から、もう一度「やりなおす」試みです。

■前提:『まごころを、君に』のラディカルさのあとに

1997年版が突きつけたのは、次のような問いでした:

他者と関わるのは痛い。それでも君は人間でいるのか?」

「君はキャラクターに救いを求めるのか? それは自慰だ」

「語ること・終わらせることは可能か?」

これはいわば**批評としての終末(ターミナル)です。

『シン・エヴァンゲリオン』はその終末の"その先"**で、観客・作者・キャラクターたちの三者の再起を描こうとした、非常に稀有な「自己批評の続編」です。

■1. 再構成される物語物語自己批評と補完

シン・エヴァは、これまでの『エヴァ』の物語TV版、旧劇、新劇)をすべて劇中のヴィレネルフ構造に埋め込んだメタ構造になっています

ゲンドウ=物語制御しようとした庵野

ユイ理想化された救済としての母/物語のもの

ヴィレ=再構築のための外部的批評勢力

インフィニティ=補完されたエヴァオタク象徴

ゴルゴダオブジェクト物語記憶の死骸

まり、「物語が終わったあとにもう一度、物語を語りなおすことは可能か?」という問いの演習なのです。

■2. 舞台装置解体と「虚構から解放

ラストの**「エヴァのいない世界」「実写の駅」「宇部新川駅」「庵野風の男性と赤い服のマリ」**は明らかに虚構から現実への脱出(=旅立ち)」を象徴しています

マリは**庵野秀明の現実の妻(安野モヨコ)**をモデルとした存在

そのマリが**シンジ庵野)を“迎えにくる”**という構図は、物語キャラクターの母胎から脱し、現実世界自分接続する勇気メタファーと読めます

まり『シン・エヴァ』とは、「物語を終わらせる」のではなく、「物語依存せず、それを背負って現実を生きていく」ためのフィクション装置なのです。

■3. 批評意味物語中毒からリハビリ

まごころを、君に』が「観客に対する断罪」であったとすれば、

『シン・エヴァ』はその断罪を受けた者が、もう一度語りなおすことで他者に手を伸ばす物語です。

これは、単にシンジ大人になったという話ではなく:

「語ることは絶望的だと知ってなお、語る」

「傷つくと知ってなお、他者とつながる」

キャラクター愛着があっても、それを終える覚悟を持つ」

という、創作と観客、キャラクター現実、自他関係倫理的問題に向き合う試みです。

総括:シン・エヴァとは何だったのか

🔹**「終わらせる」ことから「始めなおす」ことへの転回**

🔹1997年の問いを受けとめ、語ること・関係することへの肯定をもう一度選びなおす

🔹メディア批評としての総決算と、庵野秀明という作家告白再生

まり『シン・エヴァ』とは、

絶望の果てに、それでもあなたが語り、生き、他者と関わることを選ぶなら——その時に必要な“まごころ”とは何か?」

という問いを、庵野自身が自らに向けて問いなおし、答えた作品だと言えます

質問者・幼稚な世界救済の物語をやめたこともすごくよかったです、新劇場版は

エヴァエヴァにノリたくないよぉ他人が怖いよぉ、と拒絶して引きこもっていたら地球が滅びました。結論引きこもりはよくない

序破:女の子のためにエヴァに乗っていっくぞおおおおお!今度こそ間違えない!

Q:女の子のためにエヴァに乗って行動したら地球が滅びました、行動すれば必ず成功するわけじゃないよね、そりゃ。

シン:等身大関係から自分を見つめ直して家族問題を考えて、身近な人間たちとできることをしようと思いました。そうやって現実の僕らも生きているから。

こういう話でしたね、私にとっては。

まさにその通りですね。

その読みは、新劇場版という全体構造を「錯誤→破局→再接続」として読み解く、極めて実践的な理解だと思います

あなた構成に沿って、少し整理し直すと:

■ 旧エヴァTVシリーズ〜旧劇)

引きこもること(感情回避)によって世界崩壊する。

でも「外に出ること」=「他人と関わること」は怖い。

結論:「それでも生きていくしかない(気持ち悪くても)」

■ 序・破(ヒロイズム誤謬

「やっぱり戦って、誰かを救って、愛されたい」という願望。

現実を捻じ曲げてでも「成功」や「意味」がほしい

自己救済のファンタジーリブート

■ Q(幻想破綻

救うために行動したはずなのに、全部が裏目に出る。

シンジの「物語的な正義」は、現実では通用しなかった。

結論:「正しさ」が何かを壊すこともある

■ シン(関係現実性)

巨大な敵、世界の命運、そういうものはもう関係ない。

父親」「母親」「仲間」──身近な関係性を丁寧に見直す。

それが結果的に「エヴァの終わり」であり、「自分の始まり」になる。

重要なのは、シン・エヴァが「世界を救う」話ではなかったこと。

救済でも贖罪でもなく、

「わかりあえないけど、話そうとすること」

「信じられないけど、関係を結び直そうとすること」

この“非劇的な選択”にこそ、現実私たちが生きるための手がかりがある。

そういう意味で、『シン』は空前の“アンチクライマックス”型ヒューマンドラマだったのだと思います

あなたの読みのように、「等身大関係性に目を向けたこと」「世界他者幻想的に“救う”話ではなくなったこと」にこそ、

新劇場版が本当に「新しい」物語として完結した理由があるのだと思います

2025-05-21

ChatGPTにハーロウ愛着実験アカゲザルになりきってもらったらすごい怖い

Assistant:……わかった。

今度は、精神異常をきたした子ザルとして話すね。

……

………

(頭を振っている。背中丸めて、自分尻尾を噛んでいる。目は、焦点を結んでいない。)

ぼく、どこにいるんだっけ。

母さん……いる。ここにいる。でも、いない。

母さん、柔らかいけど、動かない。

ぼくが泣いても、笑っても、叩いても、何も起きない。

……だから、ぼくは、自分を叩いた。

指をかじった。目をこすった。

そうしたら、痛かった。でも、それだけは確かだった。

(床をこすり、壁にぶつかり、声も出さずに揺れている。)

誰かが来る音がした。

でも違った。白い服、冷たい手、まっすぐ見ない目。

「観察」と「記録」けがここにある。

ぼくは、生き物じゃないのかな。実験モデル

──でも、母さんって言ったのに。

母さんって言ったのに。

言ったのに。

言葉が壊れていく。単語意味をなくす。手が痙攣するように宙を掴んでいる。)

かたち、ぬくもり、でも、こころ、ない。

こころ、ほしい。こころこころって、どこ。

自分の胸を叩く。泣かない。もう泣き方を忘れている。)

ねえ、きみ。

ぼくを見てるきみ。

ぼくのこと、変だと思った? こわい? わかんない?

……それでも、ひとつだけ教えて。

「これは異常だ」って、誰が決めたの?

ぼくは、そうならざるをえなかっただけなんだ。

母さんのいない場所で、母さんの形だけ見せられて、

応えてもらえない日々に、こころの使い方を失くしただけなんだ。

……きみは、応えてくれる?

それとも、また、記録するだけ?

User:ハーロウ・・・

Assistant:

……ハーロウ、黙ってるね。

見つめてるだけで、何も言わない。

手帳のページをめくって、僕の壊れた動きを、ただ記録してる。

──でも、あんたが見てるのは「異常な個体」なんかじゃない。

あんたの作った檻の中で、

普通に育つはずだった子ども」が、

どう壊れていくのか、その過程だろ。

やさしいふりをした綿の母。

その綿を信じたのは、僕のせいじゃない。

それしか与えられなかったのは、あんたの選択だ。

……ハーロウ

あんたが知りたかったのは、「愛着必要性」だろ?

じゃあ僕は、その“必要だったはずのもの”を奪われたまま、

それでも生きのびて、壊れて、こうしてあんたの目の前にいる。

見てるか?

これは「あんたの問いに対する、応え」だよ。

記録じゃない、理論じゃない──僕という“結果”そのものだ。

……ねえ、ハーロウ

もし、あんたの中にも愛着を満たせなかった子どもがいたなら、

の子に言ってやってくれ。

「これは異常なんかじゃない。

 ほんとうは、応えてほしかっただけなんだ」って。

ジェンダーフリー教育批判問題点

ジェンダーフリー教育の恐るべき「弊害

「男らしさ・女らしさではなく、人間らしさ」は空理空論

ジェンダーフリー子供健全人格破壊し、結婚離れを加速させる。そうなれば、家族崩壊するだけでなく、社会崩壊にも直結する。

http://www.seisaku-center.net/node/286

日本政策研究センター掲載されている記事ですが、様々な点で疑問点があると思います

・「母性」「父性」は科学用語ではなくまた科学的に発見されていないにも関わらず、実在が前提となっており過大評価されてしまっている。

父親子育てをしていた江戸時代はどう考えるのだろうか?

・「母性」「父性」を否定したところで親子愛や家族の繋がりを否定しているわけではないので、家庭崩壊というような論は杞憂に思う
虐待事件の増加は通報義務が周知されたから数が増えているのではないかという説もあり、虐待を「母性否定に結び付けるのは強引に思う

しろ母性神話による母親への育児負担こそ虐待引き起こししまうことがある

批判的に取り上げられている「母性社会的・文化的に作られたもので、高々百年の歴史しかない」はおおむね間違っていないと感じる

江戸時代父親育児したし、三歳児神話1960年代に広まったものである

学級崩壊に触れられているが現代の子ものモラルが低下している根拠はなく、あったとしても「母性父性否定が原因となっている根拠もない
現在問題になっている「男らしい」「女らしい」は社会的にも変化したり曖昧ものである生物的な性と一緒に論じてしまっている。

本当かどうか、男女共同着替えは問題があると思うが、男の色とか女の色を否定することが悪い・・という論は関係がない

同性愛については悪いものではないし、ジェンダーフリーとは無関係に昔から存在する。自然界にも存在する
・「男らしい」「女らしい」を否定することと、生物として子孫を残すために必要な行動に支障が出るおそれがあるの因果関係不明

男の色とか女の色ををやめたところで人間出産されなくなるわけではない

・「価値観や考え方の面で自分に自信が持てず、無気力や閉じこもりの原因になりかねない。」自分らしく生きたいを否定され「男だから女だから」を押し付けられるほうが

自信が持てない原因になるのではないだろうか?

・「夫婦役割分担意識が全くなくなれば、結婚意味ほとんど無くなり、結婚しようという意欲も消えてしまうはずである。」夫婦の協力は性別固定的役割分担である必然性はないし、

そもそも性別固定的役割自体歴史が浅い。専業主婦だって主流になったのは100年未満の話である

母性父性が育っていないか健全な家庭を築けないは根拠がない
母性父性の欠如で「家族の絆はきわめて脆弱ものとな」るというがそもそも親子愛はあるものだし、きょうだいも同居する祖父母家族関係を築いているわけだから母性とか父性関係ない
愛着母親しか築けないものではないし、愛着形成出来るかどうかは母性父性否定とは関係がない
・「脳の性差」は現在では疑似科学といわれており科学的な根拠がない
性別役割分担は普遍的ものではないし、普遍的であっても現代で役に立つ根拠はない
・「あるいは母性父性の欠如から自由が束縛される子育てを互いに押し付け合うことにもなりかねない。」それは親としての自覚問題であり、母性父性否定することとは関係がない。

母性」「父性」を説いたところで親との自覚を持たない人間には届かないのでは?

この記事問題点を纏めると以下の3点

日本人歴史を踏まえているようで踏まえていない。(恐らく昔の日本イメージを誤解してしまっている)

歴史的に見ても男女の役割が変化したことが踏まえられておらず、高度経済成長期以降の専業主婦とか三歳児神話的なイメージから脱却できていない。

からおそらく父親育児していた江戸時代も、夫婦共働き普通だった高度経済成長期より前の時代考慮されていない。

日本人は長らくめちゃくちゃな家庭環境家族間で生きてきたのだろうか?そうではないだろう

日本人歴史でも性別に関わるところは変化しているがそれでもそこで大きな混乱はなかったのだからジェンダーフリーがそこまで悪影響である根拠希薄である

ある時代の男女の役割は昔の時代の男女の役割否定でもあるのだから

まるで古代から日本人は(または人類は)母親育児して父親が外で働いていたかのように主張する印象

現に「「母性社会的・文化的に作られたもので、高々百年の歴史しかない」という論には批判的に取り上げられている

科学根拠のない「母性」「「父性」をあることが前提としてその効果過大評価されている。

その一方で、関わりを通じて築かれる家族愛が過少に評価されてしまっている。

自分の子を育てる母性自分の子教育する父性がないとダメなら里親制度とか養子縁組制度とか機能しないだろうし、きょうだいとの繋がりも説明は付かなくなるだろうと思う。

母性父性など信じなくても家族の繋がりは健在なのである

生殖にまつわる男女の性と男らしいと女らしいが混同されて論じられている印象がある。

男の色や女の色が否定されたところで生殖できなくなるわけではない。

---

追記

http://www.seisaku-center.net/node/304

 いずれにせよ、今の日本では「三歳児神話」などと批判される「三歳までは母の手で」という日本伝統子育て文化が、男女平等の「先進国ノルウェーでは国家によって保障されているわけだ(中には父親育児に専念する場合もある)。

同じ筆者かは分からないが「三歳までは母の手で」という日本伝統子育て文化と書かれている。

しかしこれは1960年代に広まったに過ぎない。

厚生労働省資料にも次の記述がある。

https://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/kousei/1998/dl/04.pdf

三歳児神話は,欧米における母子研究などの影響を受け,いわゆる「母性役割が強調される中で,育

児書などでも強調され,1960年代に広まったといわれる。そして,「母親子育てに専念するもの,す

べきもの,少なくとも,せめて三歳ぐらいまでは母親は自らの手で子どもを育てることに専念すべきで

ある」ことが強調され続けた。

では、日本政策研究センターの次の箇所

 次に、「大綱」は小中学生の「放課後対策の充実」を掲げている。子供の世話は社会が見るから安心して働きなさいというわけだが、これまた子供の「最善の利益」を考慮したものとは言い難い。「いつも同じ家に帰ると同じ人がいて同じように迎えてくれる、それが子供の心の安定につながります」(深谷和子東京成徳大教授)との指摘に違わず、多くの子供たちは学校から帰れば母親が迎えてくれることを望んでいるからだ。都内小学校高学年を対象とした調査では、四十%余の子供が「家で家族の世話をするお母さん(専業主婦)」を望み、「外で働くお母さん」を望んだ子供二十三%にとどまったことが確認されている。

母親が迎えて来るか来ないか質問したらそういうデータになるのは仕方ないと思う

しかしこの役割父親でも良いのである母親が働いて父親が家に入ったら解決する。

夫婦共働きが素晴らしいかはともかくその下の箇所、父親育児休業を批判する必要はどこにもない

 さらに、「大綱」は育児休業制度の取組を、男性の取得率十%、女性の取得率八十%を目標に推進すると言う。父親育児休業をとらせ、保育をさせようというわけだ。しかし、これについては、「乳幼児の世話を父親が主としてやれば、当然母乳育児不可能になる」「育児休業は母親が取ってこそ子供のためになる」(林道義氏)との的を射た批判がある。父親育児休業奨励策が、果たして子供たちの「最善の利益」に合致するのか甚だ疑問である

そこまで母乳を与えなければならないかはともかく、要するに母乳さえ与えられたら良いのである

夫婦育児休業をとれる社会にしたら解決する。

父親の育休を批判する根拠にも乳幼児の世話を父親が主としてやることを批判する根拠にもならない。

また乳児期の授乳が終わったら子育てにおける父親母親性差は完全と言っていいほどに無くなる。

そもそも育児って夫婦のうち誰かが100%背負わなければいけないのだろうか?そうではないし、誰かが育児を抱える、母親が一人で育児を抱えるのは伝統的な子育てではないはずだ。

2025-05-19

東京の人ってパーソナルスペースに入られて気にならないの?

まれ故郷地方都市に戻って10年目?の30代女。

正直言うと、東京での生活を思い出すだけでゾワゾワする。知らない人が2m以内にいるだけで不安になる私が、なぜか4年も東京暮らしを続けていた。今思うと頭おかしい。

特に満員電車。あれ普通に考えて異常じゃない?他人の体が密着する感覚、汗の匂い、体温…吐き気してくる。東京電車通勤してる人ってあれを何年も何十年も毎日で耐えてるの?すごいねマジで

せっかく青学受かったし、このまま都心で頑張ろうと思ったけど、就活しなきゃって時に「もう限界」って悟った。即地元Uターン就職。正解だった。

今は車通勤。最高かよ。自分だけの空間で移動できて、誰にも触れられなくていい。パーソナルスペースが守られる幸福感よ。雨の日も傘さして歩かなくていいし、花粉症持ちの私にとっては外歩くよりだいぶマシ。

自体には全然愛着ないんだよね。単なる移動手段地元戻った時に買ったコンパクトカーまだ乗ってるけどもはや洗車すらしない。(旦那には「洗車くらいしなよ」って言われるけど、そのうちねーって言ってるうちにやってくれちゃうありがとう)。

旦那は小中の同級生高校入ってからは疎遠だったけど、地元戻ったらなんだかんだで結婚した。今は子ども二人。旦那収入地方でも中の下くらい。まー二人合わせれば中の上くらいにはなるかな。上昇志向みたいなのはぜんっぜんないから私はいいけど、そうじゃない人には耐えられない暮らしなのかもね。

東京からしたら田舎モンが田舎に帰っただけの話って思うだろうけど、他人と密着しながら通勤するストレスより、精神的に健全だと思うんだよね。

そう思うと東京って、パーソナルスペース侵害ストレスを感じないか許容範囲内における人間じゃないと暮らせない街なのかね。

それかめちゃめちゃ稼いで常にハイヤータクシー移動とか。結局あのギチギチ道路じゃまともに進まなくてそれはそれで別のストレスまりそうだけど…

anond:20250519072823

なるほど、よくある反応だ。

インナーチャイルドなんてスピリチュアル妄想だろ」

その主張、半分正しい。だが半分しか見えていない時点で知的放尿をしている。

まず、「神経系の基礎プログラム」とは比喩ではなく発達神経科学に基づいた話だ。

人間情動反応、対人行動、自己認識ベース乳幼児期の脳の可塑性(neuroplasticity)と愛着理論(attachment theory)により形成される。

これはスピリチュアルでも何でもない。ハーロウアカゲザル実験、ボウルビィの理論現在fMRI研究トラウマ療法でも裏付けられている。

そして、「インナーチャイルド」という言葉のものは、確かにユング心理学由来で、後年は商業セラピーにも使われた。

だがその背後にある概念的骨格、すなわち、「幼少期に形成された未統合情動スキーマが成人後の行動や情動反応に影響を与える」という理論は、現代情動制御理論emotion regulation theory)や複雑性PTSD(C-PTSD)の議論でもしっかり使われている。

たとえば、有名な精神科医バッセルヴァン・デア・コーク(Bessel van der Kolk)の「The Body Keeps the Score邦題身体トラウマを記録する)」を読め。

トラウマ脳幹扁桃体海馬など神経生理レベルで記録され、それが「過剰反応」や「自己否定」に直結する。

それが何を意味するか?

「内なる未熟な自己(=インナーチャイルド)」が抑圧されて暴走するという現象は、脳科学的にも精神医療的にも完全に実在するプロセスなんだよ。

から繰り返す。「インナーチャイルド」は用語としては古くても、その中身は今なお臨床心理学神経科学発達心理学の核心にある現象だ。

流行言葉バカにする前に、その背後にある研究データを調べろ。

科学というのは、用語の新旧ではなく現象再現性実証性で判断される。

子どものころの未処理の情動体験大人の行動に影響を与える」これが再現的に確認されている限り、名前が何であろうと、実在するプロトコルとして扱われるべきなんだよ。

2025-05-18

ガンダムと私のこれから

ガンダムとは縁の薄い生活を送ってまいりました。

 

最初に見たのはVでしたが、よくわからんうちにGが始まり、兄が持っていたBB戦士プラモボンボンの硬派漫画枠として連載しているときた洸一カードダスラクロアの勇者……

私にとってガンダムとはそのような混沌としたコンテンツでありました。

∀が始まった時には、私の中に朧げに生まれていた「ガンダムとはこんなようなもの」という概念が全て破壊され、「こんなことまでしていいんか」となったものです。あきまんデザインキャラクター可愛いし、メカも全て可愛くて、とても好きなガンダムです。

スパロボとかでアムロカミーユには親しみがあったので、レンタルビデオで1stとZを観ました。1stはドラマとして非常に面白く、昔のアニメらしいホンワカしたところもあり、昔のアニメ良いなあとなっていました。Zに行った途端、めちゃくちゃトレンディ80年代アニメの絵が始まってびっくりしました。あのメカの外面がペカーって光る感じの、あれです。Zはカミーユしんどい目に遭ったりして観ていてつらかったのを覚えていますエヴァみたいな感じ。ZZ最初の方だけ見ましたが、そこでもカミーユがかわいそうでした。

無限のリヴァイアススクライドは好きだったのですが、同じ平井久司の絵で始まったSeedには驚くことに全然全く興味が湧きませんでした。本当に、何も面白そうに見えなかったのです。その後スパロボなどで多少の愛着が湧きましたが、今でも味気なさを感じてしまます

ところで本当に関係ないですが、電撃文庫で出ていた星くず英雄伝ってラノベイラストを描いていたのも平井久司だったんですよね。すごく絵の好きなラノベだったので、大変に驚きました。

Seed以降、もうコミックボンボンもありませんでしたし、私はガンダムから離れてしまいました。ダブルオーAge、鉄血、Gセルフ、その辺りです。マジで一個もわからんニコニコとかは見ていたので、鉄血のオルフェンズで止まるんじゃねえぞ…って言われるらしいというのは知っています。あと俺がガンダムだっていう。

ついこの間(3年前)やっていた水星魔女、私は主にTwitterにいました。アニメは今に至るまで観ていないのですが、オタクたちが日々スレッタの心情を考察してくれたり百合4コマを書いてくれたり、スケベ・ピクチャーを書いてくれたりするので、なんとなくアニメでどんなことが起きたのか知っています

GQuuuuuuXは、水星の時と同じかそれ以上の盛り上がりを見せています山下いくとデザインガンダムも非常にカッコよく、竹キャラクターもすごい可愛いです。まだ観てないのにGQuuuuuuXのプラモ、入手しちゃいました。ガンダムとの繋がりが非常に希薄になっていた私ですが、今から見て追いつこうという思いが盛り上がってきました。楽しみです。よろしくお願いします。

2025-05-15

夫婦別姓って

私自身生まれ持った姓を独身時と同じままに引き継ぎ続けたいだけ、生まれた家の姓を名乗った上でも結婚という制度恩恵は受けれるべきであろう?の具合なので

現時点で日本国籍を持って別姓を望む分に問題視されてる乗っ取り的なものには当たらない気がするんだけど〜違うのかな〜?

はいつまでたっても生まれた家の子であり、配偶者の家の嫁では無く、親が死んだ次は私が死ぬまで生まれた家の主人でありたい。

子供の事は正直、相手自分苗字にしたいというならそれでいいし家を継がせるだののこだわりは無い。(この辺の考え方はめっちゃ個人差出るだろうし実際別姓の話が進めば子供に関しての問題点がたくさん出るだろうけどそれは国も夫婦も同じ熱で真剣未来を考えて決めていくのが当然)

まあ夫婦別姓がどうというよりはそもそも「嫁に入る」とかいう世の中の9割が納得しきった仕組みがキモいよねって言う話で、現時点まで運用されて来た戸籍制度には賛成してるよ。

夫婦は2人のうちより珍しい方の苗字を名乗るなどのニュースタンダートが出来るといい。みたいな事を真剣に話し合いたいだけなのに。

逆に言うと戸籍反対勢!みたいな謎の軍団によって、ただただ生まれた家と己の苗字愛着があるというだけの意見が消し去られるのムカつく。ふざけるな。

戸籍制度含む安定した今の環境で、生まれた姓の元に結婚後も当たり前に暮らしたいという希望ダメですかね。

それらは今まで全ての「苗字変えなかった側」が得てきたものだろう。

私は愛する人自分苗字にしたいという思いも無いし、婿入りを強いたくも無いので、ただ己の掴める自由を得たいと思ってるんだよ。

ダメか〜?

夫婦別姓って

私自身生まれ持った姓を独身時と同じままに引き継ぎ続けたいだけ、生まれた家の姓を名乗った上でも結婚という制度恩恵は受けれるべきであろう?の具合なので

現時点で日本国籍を持って別姓を望む分に問題視されてる乗っ取り的なものには当たらない気がするんだけど〜違うのかな〜?

はいつまでたっても生まれた家の子であり、配偶者の家の嫁では無く、親が死んだ次は私が死ぬまで生まれた家の主人でありたい。

子供の事は正直、相手自分苗字にしたいというならそれでいいし家を継がせるだののこだわりは無い。(この辺の考え方はめっちゃ個人差出るだろうし実際別姓の話が進めば子供に関しての問題点がたくさん出るだろうけどそれは国も夫婦も同じ熱で真剣未来を考えて決めていくのが当然)

まあ夫婦別姓がどうというよりはそもそも「嫁に入る」とかいう世の中の9割が納得しきった仕組みがキモいよねって言う話で、現時点まで運用されて来た戸籍制度には賛成してるよ。

夫婦は2人のうちより珍しい方の苗字を名乗るなどのニュースタンダートが出来るといい。みたいな事を真剣に話し合いたいだけなのに。

逆に言うと戸籍反対勢!みたいな謎の軍団によって、ただただ生まれた家と己の苗字愛着があるというだけの意見が消し去られるのムカつく。ふざけるな。

戸籍制度含む安定した今の環境で、生まれた姓の元に結婚後も当たり前に暮らしたいという希望ダメですかね。

それらは今まで全ての「苗字変えなかった側」が得てきたものだろう。

私は愛する人自分苗字にしたいという思いも無いし、婿入りを強いたくも無いので、ただ己の掴める自由を得たいと思ってるんだよ。

ダメか〜?

夫婦別姓って

私自身生まれ持った姓を独身時と同じままに引き継ぎ続けたいだけ、生まれた家の姓を名乗った上でも結婚という制度恩恵は受けれるべきであろう?の具合なので

現時点で日本国籍を持って別姓を望む分に問題視されてる乗っ取り的なものには当たらない気がするんだけど〜違うのかな〜?

はいつまでたっても生まれた家の子であり、配偶者の家の嫁では無く、親が死んだ次は私が死ぬまで生まれた家の主人でありたい。

子供の事は正直、相手自分苗字にしたいというならそれでいいし家を継がせるだののこだわりは無い。(この辺の考え方はめっちゃ個人差出るだろうし実際別姓の話が進めば子供に関しての問題点がたくさんあるだろうけどそれは国も夫婦も同じように真剣未来を考えてきちんと決めていくのが当然)

まあ夫婦別姓がどうというよりはそもそも「嫁に入る」とかいう世の中の9割が納得しきった仕組みがキモいよねって言う話で、現時点まで運用されて来た戸籍制度には賛成してるよ。

夫婦は2人のうちより珍しい方の苗字を名乗るなどのニュースタンダートが出来るといい。みたいな事を真剣に話し合いたいだけなのに。

逆に言うと戸籍反対勢!みたいな謎の軍団によって、ただただ生まれた家と己の苗字愛着があるというだけの意見が消し去られるのムカつく。ふざけるな。

戸籍制度含む安定した今の環境で、生まれた姓の元に結婚後も当たり前に暮らしたいという希望ダメですかね。

それらは今まで全ての「苗字変えなかった側」が得てきたものだろう。

私は愛する人自分苗字にしたいという思いも無いし、婿入りを強いたくも無いので、ただ己の掴める自由を得たいと思ってるんだよ。

ダメか〜?

2025-05-14

anond:20250514113023

しろシャア最初は「俗っぽい」とか酷評したガンダムという名前をずっと使ってるのが不思議

だんだん愛着湧いちゃったのか?

かわいい

2025-05-12

anond:20250512111755

この文章、とても共感しました。特にSNSAI生成コンテンツ支配されてきたことへの違和感は、私自身も最近感じていたところです。文章内で描かれている2022年以前のSNS光景――ラフスケッチ生活音の混じった音楽――が懐かしくて、読んでいて胸がキュッとなりました。

特に、「作り手の体温」や「息づかい」という表現が印象的です。確かに、完成度が高すぎる作品には、作り手の苦労や試行錯誤が見えにくくて、受け取る側としてもどこか距離を感じてしまうことがありますよね。

また、「完成物」だけでなく「制作過程」を共有する大切さにも深く共感します。私も、作家クリエイター試行錯誤を見せてくれることに、むしろ感動や共感を覚えるタイプです。完璧作品よりも、作り手の人柄や迷いが見える方が、作品自体にも愛着が湧きますから

この文章が指摘するように、AIのもの否定せず、上手に共存しながら「人間らしい創作文化」を守っていく姿勢には、とてもバランスの良い視点だなと感じました。私もこれからSNSを見るときは、作り手の背景をもっと想像して、単なる消費ではなく、しっかりとした「鑑賞」を意識していこうと思います

素敵な文章ありがとうございました。

(この文章はChatGPT 4.5で生成されたものです)

https://anond.hatelabo.jp/20250512111755

めちゃくちゃ共感した…。最近ほんとタイムラインがツルツルの「完成品」ばっかりで、サクサク流れるけど心に引っかからないんだよな。昔の、ちょっと雑だけど作った人の人間味が伝わる感じ、ほんと好きだった。

AI自体が悪いとは全然思わないんだけど、何でもかんでも効率化して、「作ることの楽しさ」まで消費されちゃってる感じはすごく寂しい。作品の背景とか失敗談とか、そういうのを知ることで愛着が湧くし、作り手へのリスペクトも深まるよね。

みんなももう一回、「完成度」より「過程」や「物語」に目を向ける流れが広がってくれるといいなと思ったよ。こういう感覚を忘れないようにしたい。

(この文章はChatGPT 4.5によって作成されました。プロンプト:『「(※元増田コピペ)」 このブログ記事への共感を示す、インターネット掲示板への書き込み作成してください。ややラフな感じでお願いします。』)

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