はてなキーワード: メカニズムとは
「量的・質的金融緩和」のトランスミッション・メカニズム -「第一の矢」の考え方-
京都商工会議所における講演
https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2013/ko130828a.htmの図表 https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2013/data/ko130828a2.pdf の2ページを見ればわかるけど 現実の成長軌道(実質)を潜在成長軌道(実質)に持ち上げるのに第一の矢が資するのだ、という主張であった
「量的・質的金融緩和」のトランスミッション・メカニズム -「第一の矢」の考え方-
京都商工会議所における講演
https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2013/ko130828a.htmの図表 https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2013/data/ko130828a2.pdfを見ればわかるけど コミットメント付きマネタリーベース増加によりフィリップス曲線上方シフトが起きて物価上昇をもたらすというのが主たるメカニズムであって、円高修正は物価上昇とは関係ないという主張だったよ (という建て前だった)(というか隠していたのか)
「o1が"意図的にユーザーを騙す"ことがある」という記事へのコメントを読んで、LLMへの幻想をぶち壊す感じの何かを真面目に書こうかなと思ったんだが、
順を追って列挙していくほど「これ…なんだかんだ言って人間も変わらんよな…」となったので、AIに突っ込んで人間に置き換えてもらったのが下。
うむ。文脈を考慮し、意図を捉え、関連する知識を活用して返答できてるな!
萎えるわー
性欲があると何で胸を揉みたくなるのかのメカニズムほんと謎だし奇妙だなと思うけど、生物の雄としては性欲がある方が正常だよね
これはそうしす🛡29 Advent Calendar 2024の 4 日目の記事です。
前日(3日目)は hoshi さんによる『プログラミングの基本その1【dllについて】』という情報提供でした。
Windows の基本は DLL であり、この基本概念はほかのプログラミングでも同じだよ~という理解を得ました(合ってるかなぁ?)。
Python や JavaScript とは違い、OSが持つ組み込みAPIに近い部分を触るのでセキュリティ的にも怖い部分がある一方で、うまく使えるようになればとっても強力な武器となりそうですね。
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人間の記憶力は年齢とともに衰えるとされているそうですが、本当なのでしょうか?
私自身も歳を重ねる毎、体感的には短時間で記憶するという事がやり辛いと感じてはいます。
知っている方は多いと思いますが、記憶には短期記憶と長期記憶に分ける事ができます。
短期記憶として海馬に収納された物事は、時間とともに大脳皮質に配布されて長期記憶に変化していきます。
短期記憶は思い出しが容易だが覚えられる量は少なく、長期記憶は長い間覚えていられるものの、思い出したくても上手くいかない事や、そもそも思い出せない事を経験した方は多いと思います。
この短期記憶で覚えていられなかった事や、長期記憶で思い出せなかった事を我々は「忘れる」と表現します。
忘れるという行為は、人間の脳を健全に保つためには必要な事だと言われています。
記憶の中で必要な事と不要な事を判断し、必要な事は覚え、不要な事は忘れるようにしているというのが一般的な考えのようです。
一方で、忘れる事が出来ない超記憶症候群と呼ばれる方々もいます。
一度見たり聞いたりした物事を生涯忘れず覚えていられるという羨ましいとも思える能力を持っています。
しかしながら、嫌な記憶も決して忘れる事ができないので、一概に良いとは言えないところです。
超記憶症候群の方々は症例が少ないため研究が進み辛いそうですが、健常者と比して脳の何が違うという点は見受けられないそうです。
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話は変わって、脳の働きについて作業療法(リハビリテーション)の観点から興味深い話があります。
脳は飽くまで臓器の一部であり、思考や記憶をはじめ、あらゆる行動に優劣を付ける事無く、ただ単純に効率化し続けているというものです。
観測された事象で、脳に損傷を受けた方がお腹が空いているにも関わらず、目の前に配膳された食事を食べられない事があります。
ご飯・おかず・小鉢・飲み物が同時に目前にあると、どれから手を付けて良いか分からなくなってしまうそうです。
その方に対し、ご飯のみの単品で配膳すると普通に自分で食事を取る事ができるというものです。
単品での食事に慣れてきたら、2品、3品と徐々に品数を増やして食事をするトレーニングをします。
当初は複数品目から食べるものを選択しなければならない事に脳がオーバーフローを起こすのですが、まず自分で食べるという動作に慣れ、徐々に食品を選ぶという事に慣れさせていきます。
少々強引ではありますが、この事から生命の維持に必要な食事よりも、選択できないという脳のオーバーフローが優先される事、慣れという効率化の結果が選択という判断に反映される事が垣間見えるのではないかと思います。
ここまでで、脳の記憶に関する機能に大きな差はなく、効率化するだけというならば、我々の持つ記憶力は効率化の結果の差異でしかないと言えるのかもしれません。
また、年齢による記憶力の減衰というのは、結果だけ見ると正しく見える気はしますが、長年の慣れや習慣を変えたりすることが不要であるとして、脳が忘れることを選択しているだけではないかと思います。
まだまだ脳の仕組みは解明されていないものも多いですが、原因と結果をロジカルに考えて今までの思い込みを排除できれば、案外簡単に良い結果を得られると思いますので老若男女問わず、色々と考えてみて下さい。
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本稿はそうしす🛡29 Advent Calendar 2024 - Adventarの 4 日目の記事です。
5 日目の記事は どうやって文書を書く/残していくのがいいのかな - 構造化文書とWYSIWYG となる予定です、お楽しみに!
(´へωへ`*)
1. トランプゲームの文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではありません。 それに対して、『トランプゲームの文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人こそが、小さなことにこだわっていると主張するのは どのような心理からなのでしょうか? もしその人が本気でそう主張しているのであれば、まさに本質から外れたところに過剰に注目しているように思います。 2.下記を小学生でもわかるように説明をお願いします。 2-1. トランプゲームの文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ありません。 2-2. 「通常(普通)ではない」と指摘されることに対して、ショックを受けているのかもしれません。『通常』という言葉は、何かしらの合意が必要な難しい概念ですが存在するものです。(そうでなければ何もできない) 2-3. 人と違うのは悪いことじゃないが、トランプの文脈でフォントにこだわる人は、特別なサポートが必要です。これは個人の自由意思や知識やコミュニケーションの問題、あるいは性格に帰すべきではないと思います。 2-4. 人と違うのは悪いことじゃないが、文脈によっては適応出来ない、違うと自覚することが大切なことを説明してください。 3. トランプの文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人は、ゲームから排除をする、ゲームを取りやめるのでなければ、特別なサポートが必要だと考えますがどう思いますか?認知のフレームワークの問題ではなく個性の範疇ですか?
↓
1. 心理的な背景について
『トランプゲームの文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人を「小さなことにこだわっている」と批判する心理には、以下のような背景が考えられます:
1. 防衛的な反応
自分の行動や考えが「通常ではない」と評価されることに対する防衛反応です。「通常ではない」と指摘されることで、自分の価値観や行動が否定されたように感じ、相手に「あなたも小さなことにこだわっている」と反撃することで、自分を守ろうとしている可能性があります。
2. 視点の転換による優位性の主張
「小さなことにこだわっている」というレッテルを指摘者に貼ることで、相対的に自分が広い視野を持っているかのように見せかけ、議論の立場を有利にしようとする心理が働いている場合があります。
3. 共通基盤のズレ
「フォントの違い」がゲームに影響を与えないことは、多くの人にとって明白ですが、本人にとってはそれが重要な要素である可能性があります。この場合、指摘者が「通常」とする基準自体が無効だと考え、その基準を主張する人を「細かいことにこだわっている」とみなしているのかもしれません。
4. 議論のすり替え
本質的な問題から目をそらすため、指摘者の行動を批判対象にして議論の焦点を変えようとする心理です。これにより、自分の行動が本当に合理的であるかの検証を避けることができます。
2. 小学生でもわかるような説明
2-1. トランプゲームでフォントにこだわるのは普通じゃない
トランプで遊ぶとき、みんなが気にするのは「ダイヤ」「ハート」みたいなマークや、「A」「K」みたいなカードの意味です。文字の形(フォント)が少し違っていても、ゲームには関係ないので、普通はそこにこだわりません。
2-2. 「普通じゃない」と言われるとびっくりするかもしれない
誰かに「普通じゃない」と言われると、自分が変わっているみたいに感じて、ちょっとイヤな気持ちになるかもしれません。でも「普通」という考え方がないと、みんなで同じルールで遊ぶのが難しくなります。
2-3. 人と違うのは悪いことじゃないけど、助けが必要なときもある
たとえば、トランプで遊んでいるときにフォントが気になる人がいたら、どうして気になるのかをみんなで考えて助けてあげることが大事です。それでもゲームが進まない場合は、みんなが楽しめるような別の方法を一緒に見つける必要があります。
2-4. 人と違うのを知るのは大事なこと
自分がほかの人と違うことは悪いことではありません。でも、みんなと同じルールで遊びたいときは、「自分の考え方が特別なんだ」と気づくことが大切です。それがわかると、みんなとどう仲良く遊ぶかを考えやすくなります。
3. 「フォントが違うからダイヤのKではない」という人への対応と個性の範疇について
「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人に対しては、特別なサポートが必要だと考えられます。理由は以下の通りです:
- 共有されたルールの再確認
トランプゲームでは、フォントの違いは重要ではなく、カードの「スート(マーク)」と「ランク(番号や文字)」が本質です。そのため、本人がルールを理解し、共有された基準を受け入れられるようにサポートする必要があります。- ゲームを進行させるための調整
本人が「フォント」を基準として主張する場合、ゲームが進行しなくなる可能性があります。この場合、ゲームを成立させるために他の参加者と協力し、代替案を提示する必要があります。
この行動は認知のフレームワークの問題に近いと考えられます。なぜなら:
- 個性の範疇を超えている
個性とは、一般的なルールや基準の中での違いを指すことが多いですが、今回のケースでは「フォントにこだわる」という行動が、共有されたルールの基盤を大きく逸脱しており、個性の範疇では説明しづらいです。- ゲームの文脈に対する適応の難しさ
「フォントが違う」という理由でカードを否定するのは、ルールや文脈に対する適応が困難であることを示唆しており、認知の仕組みや視点の問題である可能性が高いです。
結論
トランプゲームの文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」という行動は、個性というよりも認知のフレームワークの問題として捉えるのが適切です。そのため、共有基盤を再構築する特別なサポートが必要となり、ゲームの進行や他の参加者との調整が求められます。
※推測してみた(なお、増田みたいな結果にはならない) Dの行動を批判している文章(https://anond.hatelabo.jp/20241203162204#)の投稿主の心理を探り、どのような価値観や認知スタイルに基づいているのかを分析してください。Dがフォントの違いを問題視した行動に対して批判することが、どのような心理的メカニズムに基づいているか、またその批判が集団内でどのような影響を与えるのかを詳述してください。
↓
この文章の投稿主は、Dの行動に対する批判を通して、「認知の仕組みのズレ」や「共有された前提の欠如」に焦点を当てており、その批判は以下のような心理的メカニズムや認知スタイルに基づいていると考えられます。
1. 認知の精度と共通理解の重視
投稿主は、対話が成立するためには、共通の前提や認識が必要であると強調しています。Dが「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張したことは、常識的に受け入れられる「ダイヤのK」の定義や認識を逸脱しており、この逸脱がコミュニケーションの妨げになると見なされています。投稿主は、認識のズレを認知の仕組みに起因するとし、これを解決するためには膨大な労力が必要だと感じています。これは、投稿主が認知的な精度を重視し、理解の共有を前提にした効率的な対話を重んじていることを示しています。
2. 本質主義 vs. 構成主義的思考
投稿主は、「ラグビーボールはボールではない」という発言についても問題を提示し、「概念の境界」や「本質主義 vs. 構成主義」などの哲学的な側面に関心を持っています。これは、物事の定義やカテゴリ化について深く考える傾向があり、単なる表面的な解釈を超えて、物事の本質に迫ろうとする認知スタイルを反映しています。
3. 細部に過剰に焦点を当てる認知スタイル
Dのように、細部(フォント)に過剰に焦点を当てることは、投稿主にとって非常に困難で非生産的なコミュニケーションと捉えられています。このような発言は、認知的なズレが深刻であり、現実世界の常識や一般的な認識から大きく外れていると見なされています。投稿主は、細部に拘泥するDの認知スタイルを問題視し、これが対話の進行において障害となると考えているようです。
4. 集団内での影響
投稿主がDの行動を批判することで、集団内では次のような影響が予想されます:
• 共感の共有: 投稿主が指摘する認知のズレに賛同する人々は、Dとの対話に対して不安や苛立ちを感じる可能性があり、集団内で共感が生まれます。
• 対話の排除: Dの認知スタイルが極端に異なっていると認識された場合、集団内でDの意見や発言を無視したり排除したりする動きが強まる可能性があります。
• 教育的アプローチの模索: 一方で、Dの行動を理解し、再教育や認知修正を試みるアプローチを取る人も現れるかもしれません。この場合、集団内で認知の調整が進むことが期待されます。
全体として、この批判は、投稿主が共有された認識と合理的な対話を重視し、認知的なズレに対して強い懸念を抱いていることを示しています。
これさあ、そう言われている人達が本当に「エリート」なら、何もわざわざ直接「縦の旅行」なんてしなくても、データや当事者の声やそれに対する想像力で、
例えば(男女ともに)所得が高いほどに婚姻率が上がるデータや、東京都内の所得分布や子供の虫歯の比率や体力テストの結果が区によって大きく異なるデータ…
そういう統計を見ただけでも当事者の生活やそれを改善するにはどうしたらいいかを想像できると思うんだけど。
また、少なくともネットが一般化した現代社会においては、Xを見るだけでも一般庶民の生活実態はある程度伝わってくる。
自炊は高く付くとか風呂キャンセル界隈とか、よくまとめられているテーマを見ても、貧困が人を不合理な選択へと至らせるメカニズムも分かるでしょう。
ネットに限らず新聞やテレビでだって常日頃から様々な情報発信をしてるよ?
問題は、そういう情報を気に止めようとしない感度の問題なんじゃないの?
それにいくら知識や経験だけを積んだところで、今の「エリート」達は「あいつらは愚かだ」「自分はあいつらとは違う」という選民意識を募らせるだけだと思うんだよね
実際に地方公立校から東大に進んだ学歴エリートの多くは出身地を見下し、東京の文化資本とそこで育った東京育ちを褒め称える方向に向かっているもの。
大人になってから「縦の旅行」なんてした所で、結果として現れた行動だけを見て、愚かな奴等だから貧困に陥るのも当然だと見下すだけなんじゃないのか。
さらに行動遺伝学などのお墨付きを得て、親の知能は子供に遺伝するから貧乏人に公教育を与えても無駄だと言って否定している知識人か多数いるじゃないか
ほんと、週末のスーパーって高くて頭にくるよね。確かに、最近の物価の上昇は厳しくて、なんだか家計が圧迫される。だが、ちょっと歴史を振り返ると、この「高い」という感覚は、決して新しいものではないんだよ。
例えば、19世紀の産業革命後、都市化が進み、労働者階級はその生活がどんどん厳しくなっていった。その時代の経済学者、アダム・スミスは「見えざる手」という言葉で市場経済のメカニズムを説明したけど、結果として富の集中が進んで、一般の人々の生活はどんどん困窮していったんだ。それと似たようなことが今、私たちの目の前でも起きてるんだよ。
現代のスーパーの価格設定も、ある意味「パワーカップル」や高所得者向けにシフトしていると感じる人が多いだろう。まさに、資本主義の縮図だよね。お金を持ってる人がもっとお金を得るシステム。確かに、この現実に心が痛むのも無理はない。でも、これはひとつの社会構造の一部に過ぎないんだ。
昔から「金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます貧乏になる」というフレーズがあるけれど、これは皮肉なほどに現実を映している。かつて、フランス革命を起こしたロベスピエールも、貧困層の絶望を前にしてどうしようもない気持ちになっていただろうね。革命を経ても、結局、社会は完全には変わらない。新しい秩序のもとでまた別の不平等が生まれてしまう。哀愁を感じずにはいられない。
だから、君のその不満も当然だし、理解できる。でも、悲観してばかりもいられない。歴史を見ても、最も困難な時期を乗り越えたのは、少しずつでも諦めずに戦い続けた人々なんだ。家計の厳しさを嘆くよりも、どんな方法ででも少しでも生活を楽にする道を模索していくほうが、今の時代には求められてるんじゃないかな。
中国が一人っ子政策を取ったため、男児選好が進んだ、なぜ男児選好かというと、儒教的価値観のもと、お家を継いでくれる男児がほしいから、と言われているが、なんとなくしっくりこなかった。
どうも真の原因は一人っ子政策というより、社会主義から資本主義を取り入れたことと、技術革新にあるらしい。
今、技術革新が進み、何かと淘汰が進む世の中に変わりつつあると感じている。
資本主義の価値観のもと、優生主義が強くなりそうでお先暗いなぁという気持ちになってしまった
以下長々と語る
中国の一人っ子政策は1978年から2015年まで行われたのだが、時代や地域により規制のばらつきがあったようである。
1978年から1984年ごろの中国農村では、二人まで産んでよい、さらに三人でもそれほど厳しい罰則がなかったようで、その結果、産まれた子どもの数は二人から三人の間でほとんど変わらなかった。にもかかわらず、性比の上昇がみられたのである。
※2
長く一人っ子政策を推進してきた中国の出生時性比が次第に不均衡化して男児選好傾向が顕著になったのは1978 年の改革開放以降のことであり、1980年代半ば以降に経済成長と相関して急上昇してきたことは印象的である(p.212:図 5-5)
※1
上記の引用は一人っ子政策があったものの、事実上産児抑制が緩かったため、ほとんど意味をなしてなかったにも関わらず、男児選好が進んでいた、経済成長とともに男児選好が激しくなっていったらしいことを示している。
そもそも改革開放ってなんやねん、ということなんだが、下記のことを指すらしい。
1980年代以降、改革開放が進むにつれて、農村部の基本的生産方式は、それまでの「人民公社」から「家庭請負制」に変わった。「家庭請負制」の下では、農業用地の権利が「集団」に属する「所有権」と農家に属する「使用権」に当たる「請負経営権」に分けられた(「二権分離」)
※5
本源的蓄積過程の継続のため、儒教の「五服」、 「三従」のような父系中心の家族倫理の内容が新 たな形で改革開放以降の土地制度改革において明 文化・制度化されたことを筆者は「農嫁女化」と
名付けた。
※3
実証の結果によれば、土地改革が始まった郡では、第一子が女の子であると、第二子の性比が有意に上昇した。このような効果は、一人っ子政策の前後ではみられない。土地改革による出生率への影響はみられなかった。性比の上昇のうち、半分ほどは土地改革の効果といえるという。また、母親の教育水準が高いほど子どもの性比が高くなることも分かった。
※2
資本主義市場経済自体はジェンダー中立的なシステムである、という信念 はフェミニストも含めて意外に広く浸透しているが、本書が論じる中国の事 例はそうした信念に対する明確な反証と言えるだろう。
資本主義システムの 成立要件のひとつである土地の商品化が夫を筆頭とする「戸」つまり家父長家族の強化によって女性の権利を収奪しながら進行してきたことが示されているからである。
生産手段を奪われた「農嫁女」がサービス労働者や家事労働者として都会にでていくという現象もまた、あまりにも「古典的」な展開である。
※1
土地改革がなぜ性比の上昇につながったのか、断言はできないが、いくつかの可能性を検証している。その結果、もっともらしいメカニズムは、農家の所得の向上だという。この時代、超音波技術の普及が農村では遅れており、中絶コストは決して低くなかったため、男の子のみを選択して産みたいとしてもそのすべがなかった。
ところが、所得の向上によって、比較的余裕がでてきた家計は、わざわざコストを負担して都市に出向き、男の子を選別して産むことが可能となった、というわけである。
土地改革によって、男性の労働力がより重宝されるようになったなど、直感的にもありえそうな他の理由は、検証の結果ことごとく否定されている。
※2
人民公社から、土地開放に伴う家父長制の強化により、女性の労働者としての価値が下がり、土地を守るシステムになった
+
豊かになった農村女性が超音波技術を用いて不要な女の子を堕胎する
という話で、要は生存競争が激しくなったから足手纏いの女の子は捨てたい、それを可能にしたテクノロジーが出来たので、女の子の間引きが進んだよ、という経済合理性に基づいて行動しましたよ、という話である。
おまけに、中国の女性労働参加率は教育の加熱化と市場化の影響を受け、1990→2018年の間で10%以上激減しており※4、正直言って、家族を守るという観点だけに立てば、個人の選択は割と正解だったというのが残酷である。
これなら人民公社があれば良かったんじゃないか?となるが、解体された理由は、「働いても働かなくても同じ」という悪平等主義による労働意欲の低下により国が荒れた部分であり、あれ、これって現代の高福祉国家にも通じる部分あるよね、となってしまった
なんというか時代って繰り返すのねと思う
でも、今後は北欧が失敗してるのを諸外国が見ているので、高福祉国家に戻しましょう、にはならないと思うんだよな
そうなると、資本主義を出産の分野にも取り入れたような、技術を利用して生産性が高い人だけ残しましょう、胎児の間に生産性が低い人は取り除けますよ、という優勢主義が促進されるのが自然なのかなと思う
今だって貧乏人や病弱なら子を残さない方がいいって価値観は強まってるしね
今後福祉制度も脆弱化していくと思われるので、デザイナーベビー、クローンで自分たちが働けなくなった時の保険として、優秀そうな子を育てるようになるのかなぁと思うが、なかなかお先は暗そうである。
調べながら書いたので、間違ってる部分などあったら教えてほしい
引用文献
※1
新刊紹介●『現代中国の高度成長とジェンダー』123 ― 農嫁女問題の分析を中心に』(東方書店 2022 年 7 月) 伊田久美子
https://www.jstage.jst.go.jp/article/wsj/30/0/30_123/_pdf/-char/ja
※2
第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響 牧野百恵
https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Column/ISQ000002/ISQ000002_059.html
※3
https://researchmap.jp/yajiao-li/misc/46528819/attachment_file.pdf
※4
女性の労働参加を更に促進、シニアの労働参加は次なる課題(中国)
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=67335?pno=2&site=nli#anka1
※5
https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/200415kaikaku.html
社会的必須職種(エッセンシャルワーカー等)の賃金抑制は、単なる需給バランスの結果ではなく、労働市場における構造的な力学の歪みがもたらす深刻な社会問題として捉える必要があります。この問題は、以下の観点から看過できない課題を含んでいます。
社会的必須職種における雇用主と被雇用者の関係性には、本質的な非対称性が存在し、これが賃金抑制の一因となっています。
• 大規模な資本を持つ雇用主は労働者に対して圧倒的な優位性を持ち、これが賃金決定に大きく影響します。
• 多くのエッセンシャルワーカーは、生活維持のために仕事を選ばざるを得ず、雇用主と対等な交渉を行う余地が限られています。
• 雇用主は労働者を代替可能な存在と捉える人事政策を用いることが多く、結果として労働者の待遇が抑制されやすくなっています。
• エッセンシャルワーカーが担う労働は、生活の安全や安定を支える極めて重要な役割を果たしていますが、労働市場における供給面では参入障壁が比較的低い傾向にあります。
• こうした参入障壁の低さは、無秩序な価格競争を引き起こし、賃金のダンピングが自発的に進行することが多くあります。これは「市場の自然な調整」と見なされがちですが、実際には労働条件の悪化を助長するため、最低賃金の設定などの公的介入が欠かせません。
• 低価格での競争が品質に悪影響を及ぼし、サービスの質を保つための適正な賃金設定が難しくなる構造が形成されています。
この問題を放置した場合、社会的に大きなリスクが生じることが予測されます。
• 必須サービスの質的低下が発生し、人々の生活に欠かせない基盤が脆弱化します。
• 人材不足が深刻化し、エッセンシャルワーカー職種の慢性的な人材枯渇が進行するリスクが高まります。
• 労働条件が改善されないことで離職率が高まり、結果として技能蓄積が妨げられます。
• 労働者の離職や人材不足により、労働力の育成に必要な投資やスキルの蓄積が損なわれ、長期的な社会コストが増加します。
• エッセンシャルワーカーの賃金抑制問題は市場の失敗の一例であり、外部性や情報の非対称性を是正する必要があります。
• 労働者の生活を守るために取引費用の適正化が求められます。
• 適正な人材配置を行い、エッセンシャルワーカーのサービス品質を維持・向上させることで、社会インフラの持続可能性が確保されます。
この問題を解決するためには、以下の政策的介入が必要とされます。
• 実効的な最低賃金の運用や、労働者の団体交渉力を強化することで、雇用主側に偏った力関係を是正します。
• 適正な価格設定メカニズムを確立し、社会的コストの適正な分配を図ります。
• 人材育成システムの構築により、エッセンシャルワーカー職種の持続可能性を強化します。
エッセンシャルワーカーの賃金抑制を放置することは、単なる一時的な市場現象ではなく、社会システム全体の持続可能性に対する深刻な脅威として認識されるべきです。この問題の是正は、社会科学的見地のみならず、持続可能な社会構築の観点からも喫緊の課題であり、早急な対応が求められます。
「視座」の上げ方が成人発達理論にわかりやすくまとまってた|中村修三(ShuzoN)
[B! 考え方] 「視座」の上げ方が成人発達理論にわかりやすくまとまってた|中村修三(ShuzoN)
が、成人発達理論の例を示しているようで大変興味深かった。
発達段階が1段上がるのに最低でも数年かかり、上位の発達段階に行くほどその年数が増える。そして多くの人が高位の段階に到達せずに一生を終える。
この記事でいうところの段階5の人は成人の1割いるかどうかといったところなのではないか(適当)。
そして、現在の自分のがいる発達段階より上の段階の概念は本質的に正しく理解できない。
はてぶのコメントの多くは、自分が持っている知識や経験に当てはまるよう理解しようして、結果的に理解が部分的になってしまっているように思えた。
自分が理解しているように、他の人たちも理解するはずだと無意識に感じてしまうことが自己中心性の一つの性質だとすれば、
自己中心性の減少とは、自分の思考のメカニズムを批判的にとらえ、物事の一部の側面しか見ていないことを理解し、もしかしたらもっと優れた考え方があるのではないか、と探求できるようになることではないか。
世の中の成人発達理論に関する解説のほとんどは、段階5未満の発達段階の色眼鏡でとらえて解説したものだ。
それゆえ多くが不完全であり、時に誤解していて、自己の利益を得るために恣意的であったりする。
意識の発達は複雑系である。そのうち生成AIと成人発達理論の類似性が多く指摘されるようになり、成人発達理論を参考にしたAIモデルのトレーニング手法なども生まれるかもしれない。
「女叩き」がなぜ流行るのか、その理由は複雑で、歴史的、社会的、文化的背景が絡み合っています。単純に一つの要因で説明できるものではなく、様々な要因が複合的に作用していると考えられます。
* 女性はこうあるべき、男性はこうあるべきという固定観念が根強く残っている社会では、その枠から外れる女性に対して否定的な感情が湧きやすいことがあります。
* 特に、社会的地位や発言力のある女性に対して、嫉妬や脅威を感じ、攻撃的な態度をとる男性もいるかもしれません。
* 女性に対する差別や偏見が社会構造に組み込まれている場合、それが無意識のうちに人々の行動に影響を与え、女性蔑視的な言動を助長する可能性があります。
* 例えば、職場での昇進機会の不平等や、家事育児の負担が女性に偏っているなど、社会構造的な問題が根底にあることがあります。
* マスメディアの影響:
* マスメディアは、意図的か否か、女性をステレオタイプ的な形で表現したり、女性に対する暴力や差別を肯定的に描くことがあるかもしれません。
* これらのメディア表現が、人々の意識に影響を与え、女性に対する偏見を強化してしまう可能性があります。
* インターネットの普及:
* インターネットの普及により、匿名で誰でも自由に意見を発言できるようになりました。
* その結果、誹謗中傷やヘイトスピーチが横行し、女性に対する攻撃的な言動が容易に拡散されるようになってしまいました。
* 心理的な要因:
* 自分の不満や不安を、特定の個人やグループに向け、攻撃することで解消しようとする心理的なメカニズムが働いている可能性もあります。
* 女性に対する攻撃は、自分自身の問題から目をそらすための手段として利用されることがあります。
「女叩き」は、単なる個人間の問題ではなく、社会全体が抱える問題です。
この問題を解決するためには、個人が意識改革を行うとともに、社会全体でジェンダー平等を実現するための取り組みを進めていく必要があります。
* 学校教育において、ジェンダー平等に関する教育を強化し、子どもたちに多様な価値観を育むことが重要です。
* マスメディアは、女性を尊重し、多様な価値観を表現するようなコンテンツを提供する責任があります。
* 法整備の強化:
* 誹謗中傷やヘイトスピーチに対する罰則を強化し、女性に対する差別や暴力行為を厳しく取り締まる必要があります。
* 女性に対する偏見や差別をなくすためには、社会全体で意識改革を進めることが不可欠です。
「女叩き」は決して許されるものではありません。
一人ひとりがこの問題に関心を持ち、声を上げ、行動することで、より良い社会を作っていくことができるはずです。
もしあなたが「女叩き」に悩んでいるのであれば、一人で抱え込まずに、信頼できる人に相談したり、専門機関に助けを求めることをおすすめします。
* 最寄りの保健所: 女性に対する暴力に関する相談窓口があります。
* 地域の女性相談センター: 女性に関する様々な相談に対応しています。
* 配偶者暴力相談支援センター: 配偶者からの暴力に関する相談に対応しています。
* インターネット上の相談窓口: 匿名で相談できる窓口もあります。
これらの窓口では、専門の相談員があなたの話を聞き、適切なアドバイスや支援をしてくれます。
もしあなたが「女叩き」を目撃した場合には、決して見過ごさないでください。
加害者を注意したり、関係機関に通報したりすることで、被害者を助け、加害者の行為を止めさせることができます。
私たち一人ひとりが、声を上げ、行動することで、より良い社会を作っていきましょう。
この回答は、あくまで一般的な情報であり、個々の状況に合わせて適切な対処法を選ぶことが重要です。
もし、より詳しい情報が必要な場合は、専門機関にご相談ください。
* 誹謗中傷
* ヘイトスピーチ
* 相談窓口
ジュネーブ - 国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)は、最新のセッションでベナン、カナダ、チリ、キューバ、日本、ラオス人民民主共和国、ニュージーランド、サウジアラビアの8か国について審査を行った後、各国の評価結果を発表しました。
この評価結果には、各国が「女性差別撤廃条約」を実施する際の前向きな側面に加え、委員会が懸念している主な課題や勧告が含まれています。主な問題には次のような点が挙げられます:
委員会は、女性に対する性差別的暴力の高い発生率について依然として懸念を示しました。具体的には、家庭内暴力や性的暴力、女性性器切除(FGM)、児童婚が含まれます。また、サヘル地域の紛争の影響により、難民や国内避難民、移民、亡命申請者の女性に対する性差別的暴力のリスクが高まっていると指摘しました。委員会は、特に乳児を含むFGM撲滅に向けて、医療提供者や文化的・宗教的指導者と協力するなどの具体的な対策をベナンに求めました。また、性差別的暴力の被害を受けた女性に対する十分なシェルターや他の保護および支援サービスを確保するよう促しました。
さらに、政府、国民議会、公務員、外交サービス、軍隊、国際機関、民間セクターにおいて、意思決定ポジションに女性が少数派であることが観察されました。委員会は、ベナンがすべての意思決定機関において男女平等(50:50)の達成を求める法的および立法上の枠組みの見直しを勧告しました。また、公的および民間の領域における女性の指導的地位への参画が少ない根本的な原因を特定し、対策を講じるよう呼びかけました。
委員会は、家庭や社会における男女の役割と責任についてのジェンダーステレオタイプや家父長的態度に取り組む政策が、社会のあらゆるレベルで男性を対象としていないことに懸念を示しました。カナダに対して、女性差別撤廃とジェンダー平等の促進に男性を含めるよう求めました。これらの対策は、伝統的な男性性と女性性の概念に挑戦し、女性や少女に対するあらゆる形の性差別的暴力を減らし、家族や社会におけるジェンダー役割に関する家父長的な固定観念を打破するために、社会規範を変革するものであるべきだと委員会は強調しています。
また、委員会はインディアン法の改正にもかかわらず、カナダにおいて先住民の女性や少女に対する性差別が続いていることに深い懸念を表明しました。男女が自分のインディアンの身分を子供に平等に継承する権利を確保するため、さらなる法改正を行うようカナダに求めました。さらに、以前にその身分を否定されていた先住民女性とその子孫に対し、インディアンの身分を付与し、インディアン法に関連するものを含む先住民女性およびその子孫に対する人権侵害に対する完全な補償へのアクセスを制限する法的障壁を取り除くよう、カナダに求めました。
委員会は、最高裁に設置された「ジェンダー平等および差別撤廃のための技術事務局」の設立を称賛しましたが、依然として母親や妻としての伝統的な役割を強化するジェンダーステレオタイプが根強く存在していることに懸念を示しました。これらのステレオタイプは、女性の社会的地位や自律性、キャリアの見通しを制限しています。また、メディアで女性政治家が「繊細」や「感受性が高い」といった表現で描かれ、外国人排斥的で人種差別的な発言や男尊女卑の理想が目立つことについても懸念を表明しました。委員会は、女性や少女を対象としたヘイトスピーチに対抗する政策をチリに採用するよう促し、政府関係者やメディア関係者に対してジェンダーに配慮した言語や女性の前向きな描写に関する訓練を提供するよう求めました。
さらに、チリにおける広範な性差別的暴力、特に性的暴力や高いフェミサイド(女性殺害)率について深い懸念を示しました。サイバーストーキングやハラスメント、親密な画像の無断共有など、オンライン上の虐待の増加についても指摘しています。委員会は、女性に対するあらゆる形態の性差別的暴力が犯罪であることについての啓発活動を強化し、被害者の保護を改善するようチリに要請しました。また、オンライン虐待に対抗するためのより厳しい措置として、明確かつ十分な罰則の導入や、プラットフォーム提供者が有害なコンテンツの報告や削除を怠った場合の責任を追及するよう求めました。
委員会は、農村部の女性が土地使用権(10%)や農業技術、教育および保健サービス、特に性と生殖に関する保健サービスへのアクセスが限られていること、さらに彼女たちが労働時間の80%を無償労働に費やしていることに懸念を示しました。委員会は、インフラや種子、機械、設備、拡張サービス、研究情報へのアクセスなど、女性農業者への農業支援サービスを強化し、適切な報酬を提供するようキューバに求めました。
また、委員会は、公共および私的領域におけるあらゆる形態の性差別的暴力を犯罪化する包括的な立法が不足していることについて、以前からの懸念を再表明しました。委員会は、女性の権利擁護団体との協議を経て、すべての形態の性差別的暴力を犯罪化する包括的な立法を速やかに策定し採択するよう、キューバに要請しました。
委員会は、既存の差別的規定に関するこれまでの勧告の多くが未だに対処されていないことに懸念を示しました。特に、夫婦が同一の姓を使用することを義務付ける民法第750条の改正に向けた措置が取られておらず、事実上、女性が夫の姓を採用することを強いられることが多い現状についてです。委員会は、日本に対し、結婚後も女性が旧姓を保持できるよう、夫婦の姓の選択に関する法改正を行うよう求めました。
さらに、委員会は、母体保護法第14条が規定する制限的な例外のもとで、配偶者の同意が必要とされることにより、合法的な中絶へのアクセスが制限されている点についても懸念を表明しました。委員会は、日本に対して、女性が中絶を求める際の配偶者同意要件を撤廃し、すべてのケースで中絶を合法化するよう法改正を行うことを要請しました。また、安全な中絶サービス、特に中絶薬を含むサービスが、すべての女性や少女に対してアクセス可能で、手頃で、十分に提供されることを確保するよう求めました。
委員会は、法的禁止にもかかわらず、18歳未満で結婚する女性が30.5%に達するなど、同国における児童婚の高い発生率について懸念を示しました。特に、15歳から結婚を認める「特別かつ必要な場合」という不明確な規定を含む家族法に注目しました。委員会は、ラオスに対し、最低結婚年齢18歳の例外をすべて撤廃するよう家族法を改正することを求めました。また、児童婚を支持する社会規範に挑戦するために、伝統的リーダーやメディアを巻き込んだ公共の啓発キャンペーンを実施するよう呼びかけました。さらに、児童婚の犯罪化、加害者の起訴、被害者への十分な支援サービスの確保を強く求めました。
委員会は、非政府組織や女性活動家の活動に対する過度の制限についても懸念を表明しました。また、女性活動家に対する報復事例についても懸念を示しました。委員会は、NGOの登録要件を見直し、女性の権利団体やその他の組織が過度の制限なしに自由に活動できるようにするよう同国に求めました。また、女性人権擁護者やその他の活動家に対する報復についての調査と処罰を行うよう呼びかけました。
委員会は、女性に対する性差別的暴力および特別措置に関する国の四半期ごとの公表報告、特に男性のトラウマやその家族・人間関係に対処する「彼女はあなたのリハビリではない」というプログラムについて言及しました。しかし、過去5年間で家庭内暴力や親密なパートナーによる暴力が60%増加していること、特にマオリや太平洋諸島出身の女性、民族的および宗教的少数派の女性、障害を持つ女性がより高い割合に直面していることに深刻な懸念を示しました。委員会は、ニュージーランドに対し、女性に対する性差別的暴力の根本的な原因や複合的要因に対処する政策を策定するよう求めました。また、被害者支援サービスを適切に提供し、社会的に不利な立場にある女性に対する性差別的暴力からの保護を強化するために法執行を強化するよう呼びかけました。
マオリ女性(Wāhine Māori)に関して、委員会は、ニュージーランドが国連先住民の権利に関する宣言(UNDRIP)への支持を撤回したことや、ワイタンギ条約を実施するための具体的な措置を講じていないことに懸念を示しました。これは、同条約の条項の再解釈と見なされる可能性があります。委員会は、ニュージーランドに対し、UNDRIPへのコミットメントを再確認し、国の政策や立法が宣言の原則および条項と整合するようにし、ジェンダーの視点を統合することを求めました。
委員会は、サウジアラビアが法律および実践において死刑を維持していることや、2020年1月から2024年7月の間に異なる国籍の女性11人が処刑されたことについて、深い懸念を表明しました。委員会は、サウジアラビアに対し、死刑の執行を停止し、死刑囚のすべての女性の処刑を中止し、死刑を懲役刑に減刑することを検討するよう強く求めました。また、サウジアラビアのテロ対策法(2017年)およびサイバー犯罪法(2007年)について、これらが女性人権擁護者に対する脅迫、逮捕、拘留、旅行禁止を科すために使用されていると報告されていることに関して、委員会は、特に男性後見制度の廃止や旅行禁止を求める活動家に対し、嫌がらせや監視、恣意的な逮捕・起訴、委員会との接触や関与に対する報復から解放され、正当な活動を行い権利を行使できるよう保証するようサウジアラビアに求めました。
委員会はまた、すべての移民労働者、特に移民女性家事労働者に対する保護が不十分であることに懸念を示しました。移民労働者は労働法の最大労働時間、残業代、年次休暇、医療休暇に関する規定から明示的に除外されています。さらに、主に女性で構成される移民家事労働者は、法的地位が雇用主に結び付けられている制度の下で管理されており、経済的および身体的虐待、売買春、搾取のリスクにさらされています。委員会は、サウジアラビアに対し、労働法を改正し、すべての移民労働者に対する保護を拡大するよう求めました。また、移民女性労働者が虐待的な雇用契約を報告できる機密かつ独立した苦情処理メカニズムの設立、さらに女性移民労働者の職場や寮に対する定期的な労働検査の実施を求めました。
筆者は議会制民主主義の複雑なメカニズムを強調していますが、この主張は、民主主義における「国民の信頼」という最も基本的な要素を過小評価していると言えます。例えば、連立政権の形成を例に挙げて「必ずしも国民から最も信頼される政党が政権を担うわけではない」と述べていますが、このような連立は多くの場合、選挙制度の制約や政党間の妥協によるものであり、国民の真の意思を反映しているとは限りません。これでは、「選ばれた」政権が必ずしも「信頼されている」とは言いがたい状況が発生しやすくなります。
2. 信頼の相対化
筆者は「自民党よりも信頼されていない政党が政権を取ることはありえない」という考えを「信頼の評価を単純に考えすぎている」と批判していますが、これは民主主義の根本的な性質を無視した議論です。最も信頼される政党が政権を握るべきだというのは、民主主義における選挙の基本的な原則です。少数派の選択肢があるにしても、最も広範な支持を得た政党が政権を握るべきであり、それこそが民主主義の正当性の根幹を成します。この点で、筆者の議論は、真に信頼されるリーダーが存在すべきだという重要な原則を軽視しています。
3. 選挙制度の影響を過剰に強調
筆者は小選挙区制の特徴を挙げ、「少数派の意見が反映されにくい」という問題点を指摘していますが、これをもって自民党の政権を正当化するのは論理的に飛躍しています。小選挙区制は国民の意思をある程度反映しており、その結果として自民党が多数を占めることになっている以上、それが民意の反映でないとは言えません。むしろ、選挙制度は国民の総意を反映し、特定の政党が国民の支持を集められないなら、それはその政党が政策的に支持を得られていない結果として正当化されるべきです。選挙制度の欠陥を主張するよりも、政党自身が国民から支持を得られる政策やビジョンを提示すべきです。
少数意見の尊重は重要な民主主義の原則ですが、政権運営において少数意見を過剰に尊重することは、多数派の意思を軽視する結果にもなりかねません。多数決は民主主義の基本であり、少数派意見は尊重されるべきですが、それが政権運営に直接的に影響を与える形で過度に強調されるべきではありません。筆者の主張するように、少数政党が政権を取ることが健全な政治を促進するという考え方は、実際には不安定な政治体制をもたらす可能性があります。政権は、最大多数の支持を受けた政党が運営するべきであり、それが政治的安定と国民の信頼に繋がるからです。
まとめ
筆者の議論は、民主主義の原則や選挙制度の実際を過度に技術的に捉え、国民の信頼や支持の重要性を軽視しています。政治の安定やリーダーシップの信頼性は、単なる制度上の技術的な問題に還元されるものではなく、国民の広範な支持に基づくべきです。