はてなキーワード: 創作物とは
初号機がキャノン型
弐号機でようやくガンダム登場
第三新サイドコロニー。
使徒と呼ばれる巨大な小惑星アクシズと一体化した鶴巻は庵野秀明政府に独立戦争を挑んだ。
しかし戦争は膠着状態を迎え結局は脚本に庵野秀明が入らないわけにはいかないのであった。
よーし、としお大先生が言ってた庵野秀明の創作手法を僕なりに取りれてボクチンも自分の大好きなもので自分の創作物を埋めてくぞ!!
アクシズはとしおからヒントを得るのが大好きですがそのヒントをうまく理解が出来ません。
せっかくのトップ2を「主人公が概念と化す」というエンディングまとめるための画期的なヒントも活かすことが出来ませんでした。
そしてその手法はある大ヒットアニメにいただきされることになるのです。
たぶんアクシズはそれを見て、あああのときとしお言ってたのこういうことだったのかあ、と思ったのかどうかはしりません。
という夢をみていました。
長い昼寝でした。
普段「創作物の影響で事件が起きても創作物は悪くない」と言ってる連中が言ってるんだぜ?
我が国の主食である米に不足が起きたら報道した結果がどうであれ報道するだろ、ジャーナリストなら
自分の創作物が、嫌い、でも好きでもなく、何の感情も抱いていない。これが10年位ずっと続いている。
ので知り合いの一次創作の自キャラ萌えも全く理解が出来ないし、二次創作で活動を続けてる。二次創作は萌えを発散させる為に解釈を平面に出力してる感覚に近い。のと絵を描くという行為自体はとても楽しい。
オフイベでも有り難いことに絵が好きです!と言って頂ける機会があるけども、自分は自分の絵好きじゃないので嬉しさを感じつつ、変な感覚になり、少しばかり罪悪感がある。正直二次創作じゃなかったら誰も自分の絵見向きしないんじゃないか(これは多分正しい)すら思える。自分の絵が好きじゃないから。
絵を描くのは好きだったので勢いで芸術系の学校に行ったものの、課題は勿論オリジナルキャラで、自分で何とも思わない作品を制作して、周りからは褒められて、妙な気持ちになりつつ、当たり前のようにポートフォリオは自分が好きじゃない創作物だらけになり、何も分からず卒業してしまった。
自分の創作物が、嫌い、でも好きでもなく、何の感情も抱いていない。これが10年位ずっと続いている。
ので知り合いの一次創作の自キャラ萌えも全く理解が出来ないし、二次創作で活動を続けてる。二次創作は萌えを発散させる為に解釈を平面に出力してる感覚に近い。のと絵を描くという行為自体はとても楽しい。
オフイベでも有り難いことに絵が好きです!と言って頂ける機会があるけども、自分は自分の絵好きじゃないので嬉しさを感じつつ、変な感覚になり、少しばかり罪悪感がある。正直二次創作じゃなかったら誰も自分の絵見向きしないんじゃないか(これは多分正しい)すら思える。自分の絵が好きじゃないから。
絵を描くのは好きだったので勢いで芸術系の学校に行ったものの、課題は勿論オリジナルキャラで、自分で何とも思わない作品を制作して、周りからは褒められて、妙な気持ちになりつつ、当たり前のようにポートフォリオは自分が好きじゃない創作物だらけになり、何も分からず卒業してしまった。
投稿件数の増減:はてな匿名ダイアリー(通称「増田」)の投稿数は2010年代半ばに大きく増加し、2016年前後にピークを迎えたとみられます。その後2018~2019年頃には日々の投稿数がやや減少に転じたという分析があります。一方で2020年代に入ってから投稿総数自体は必ずしも減少していません。むしろスパム投稿やAI生成と思われる短文投稿の大量発生により、1日あたり数千件もの日記が投稿される日も見られました。例えば2020年10月中旬のある日は約6,000件以上の投稿がありましたが、これらの多くは数十文字程度の極端に短い記事で、内容のないスパム投稿が急増した結果でした。2023年頃の通常時でも1日2,000件前後の投稿が確認でき、投稿数そのものは依然として多い状態です。しかし、その内訳を見ると文字数中央値が40~50字程度と非常に短く、挨拶程度や一言だけの投稿が大量に含まれていることがわかります。総じて、量的には投稿数は高止まりまたは増加傾向にあるものの、その質や実質的なユーザー参加率という点では低下している可能性があります。
平均ブックマーク数の低下:投稿数が膨大になる一方で、各記事が獲得するブックマーク数は全体的に伸び悩んでいます。2019年の統計によれば、同年に増田全体で付けられたブックマーク総数は約998,454件にのぼりました。一方、月間の投稿件数は毎月6万~7万件規模に達しており、単純計算すると1記事あたり平均1~2件程度のブックマークしか獲得していないことになります。実際にはごく一部の人気記事が何百件ものブックマークを集める一方、大多数の記事はブックマーク0~数件にとどまる ロングテール の状態です。たとえば2000ブックマークを超えるような大反響の記事は全体のわずか0.2%程度であり 、中央値で見ればブックマーク獲得数は0件に近いと推測されます。2020年以降もこの傾向は大きく変わらず、むしろスパム的な記事増加により相対的に平均ブックマーク数は下がっている可能性があります。つまり、「増田」に投稿された大半の記事はほとんどブックマークされず埋もれている状況であり、ユーザーの関心が集中する記事はごく一部に限られてきています。
平均ブックマーク数の推移例:2019年の月次データでは、1月に投稿約71,267件・ブックマーク計65,570件、2月に投稿61,454件・計81,330件ブックマーク、3月に投稿62,855件・計71,860件ブックマークといった数値が報告されています。月によってばらつきはありますが、いずれも投稿数とほぼ同じ桁数のブックマーク総数で推移しており、1記事あたり平均約1件前後のブックマークとなっています。これに対し、中央値のブックマーク数は0件であることがほぼ確実です。実際、**半数以上の記事がブックマーク「ゼロ」**のままという指摘もあり、特に2020年以降は投稿の質の低下に伴って読者の反応(ブックマーク付与)がより選別的になっていると考えられます。
ブックマークコメント:増田におけるコメント機能は直接のコメント欄ではなく、はてなブックマーク上でのコメント(ブコメ)が事実上の議論の場になっています。人気記事には数十件~百件規模のブックマークコメントが付くこともありますが、平均的な投稿ではブコメ数もごくわずかです。ブックマーク数が0~1件程度の記事にはコメントも付かないため、全投稿の中央値で見ればコメントも0件となります。したがって、コメントが活発に付くのも一部の注目記事のみという状況です。例えば2019年のデータでは、被ブックマーク数トップクラスの記事でもブコメ数は数十件規模で(それでも一般記事よりは多いものの)限定的でした。2020年以降、この傾向はさらに顕著になっています。投稿の大量増加で一つ一つの記事への注目度が薄れたことや、後述するようなコンテンツ傾向の変化により、ユーザー同士の議論が盛り上がる記事が減少していると考えられます。
言及(トラックバック)的な動き:はてな匿名ダイアリーでは他の記事への「言及」機能も提供されており、2021年6月には記事本文から直接「言及する」リンクで他記事に応答できる仕組みが追加されました(過去記事をまとめ読みできる人気記事アーカイブ機能とともにリリース)というアナウンスがありました。この機能によりユーザー間で相互に日記を参照し合うハードルは下がりましたが、実際に頻繁に言及(トラックバック)される記事もごく限られています。2019年の統計では、年間で被トラックバック件数がもっとも多かった記事でも170件程度で、上位50位以内に入るには10件以上の被言及が必要でした。しかしこれらは例外的な人気記事であり、大半の記事は言及されることなく終わります。2020年以降も傾向は類似しており、人気記事にはTwitterやブログ等から言及されて話題が広がるケースがある一方で、増田内で記事同士が言及し合うコミュニティ的な盛り上がりは縮小しています。ユーザーからは「最近は互いに絡み合うような増田同士のやり取りが減った」という声もあり、コメントや言及といった双方向のコミュニケーション面でも過疎化が進んでいると評価されています。
トップエントリのブックマーク推移:各年の「人気エントリー」を見ると、トップクラスの記事が獲得するブックマーク数には若干の上下はあるものの、おおむね数百~数千件規模で推移しています。2020年では、年間トップの増田が2260ブックマークを集めました。これは過去の「保育園落ちた日本死ね」エントリ(2016年、約1400ブックマークと言われる)などを上回る水準で、2020年前後は過去最大級のブックマーク数を稼ぐ増田が現れた時期と言えます。さらに2021年には2558ブックマークという記録的な記事(「当たり屋対策の集合知」)が登場し、増田史上でも屈指の反響を得ました。一方、2022~2023年になるとトップのブックマーク数は1500~2000件台が中心で、2021年のピークと比べ若干減少傾向にあります。例えば2023年の年間トップは推定で約2060~2100ブックマーク前後(「ゲームさんぽの次に見るべきYouTube教養コンテンツ」に関する記事)で、2021年の記録には及ばないものの依然として2000件近い注目を集めました。
ランキングボリュームの変化:人気エントリ上位の顔ぶれを見ると、トップ50やトップ100に入るためのブックマーク数も徐々に変化しています。2020年は年間50位前後の記事でもおおよそ300~500ブックマーク程度を集めていましたが、2023年では50位前後で200~300ブックマーク台となり、ボリュームゾーンがやや下がったようです(正確な順位データによる比較では、たとえば年間200位のボーダーは2021年約666件→2023年約605件と減少傾向 )。これは「突出したバズ記事以外はブックマーク数が伸び悩むようになった」ことを示唆しています。要因として、読む側のユーザー数・熱量の減少や、話題の分散化(多数の記事が投稿され競合するため一極集中しにくい)などが考えられます。つまり、ごく一部の超人気増田を除けば、多くの記事のブックマーク獲得数は往年より低調になっていると言えます。
2020年前後のトレンド:2020年は新型コロナウイルス感染症の流行が匿名ダイアリー上でも大きなテーマとなりました。政府の休校措置への批判や、ワクチン・変異株(例:「N501Y変異株の爆発的な増加を知ってほしいという話」)に関する記事が多数投稿され、いずれも大きな反響を呼んでいます。リモートワークや自粛生活の体験談、コロナ禍での社会批評的な増田も増え、2020~2021年は時事問題や社会問題を扱う記事が目立った時期でした。一方で、「意識の低いフリーランスの生存戦略」や「100分de名著を100冊読破して人生変わった」等、自己啓発・仕事術・ライフハック系の増田も2020年前後に人気を博しており、多様なジャンルでバズる傾向がありました。
2022年頃の傾向:2022年になると、コロナ禍の話題は徐々に落ち着き、代わりに日常生活や人生観に関する増田が人気化する例が散見されました。例えば「子供は作っておいた方がいい」という家庭観に関する記事や、「独身中年男性、狂ってきたので今のうちに書き残しておく」といった生き方・人生相談系の増田が注目を集めています。また、「セックスレス解消に足りなかった視点」 のような男女関係・ジェンダー問題を扱う増田が話題になるケースも増え、従来から一定の人気テーマである恋愛・結婚やオタク文化に関する投稿もコンスタントにホッテントリ入りしています。2022年前後は、社会全体のムーブメントというより各個人の体験談や意見表明が多様なテーマで発信・拡散される傾向が強まったといえます。
AI生成コンテンツと虚偽投稿の台頭(2023~2025年):2023年以降、匿名ダイアリー界隈で特に注目された変化が生成AI(人工知能)を用いた創作投稿の増加です。ChatGPTをはじめとする文章生成AIが一般化した影響で、増田でもAIを活用したと思われる長文記事や創作物が散見されるようになりました。実際、2023年後半になると「バズっている増田記事の相当な割合がAIによって書かれている」との指摘もあり、この風潮に対してあるユーザーは「長文増田=AI増田という疑念が広まり、人力の力作長文が敬遠されるようになった。真面目に書いても誰も書きたがらなくなれば増田は滅びてしまう」と危機感を表明しています。AI投稿の氾濫により読者がコンテンツを疑うようになり、結果として良質な投稿者のモチベーション低下を招いているという懸念が広がっているのです。
また、2024年~2025年にかけて露見した出来事として、特定ユーザーによる虚偽投稿問題が挙げられます。2025年1月、はてな運営が匿名ダイアリー上で「差別的表現の通報があった記事」を調査したところ、同一アカウントから内容の異なる複数の創作記事が投稿されていたことが発覚しました。そのユーザーはあたかも犯罪被害者の親族や様々な当事者を装い、時事ネタに乗じたフィクションを量産していたとされ、運営はこのアカウントを停止し過去投稿もすべて削除すると発表しました。この件は増田利用者の間で大きな波紋を呼び、「やはり最近の増田は嘘松(虚偽)ばかりではないか」「釣り記事が横行し信用が落ちている」という批判や嘆きが聞かれました。注目を集めた増田が実は虚構だったという事例が続いたことも、ユーザー離れや過疎化感につながる一因となっています。
定量的評価:表面的な投稿数だけを見ると、はてな匿名ダイアリーは2020年以降も一日数千件規模の投稿があり賑わっているように見えます。しかしその内実を精査すると、スパムや短文ばかりが大量発生している側面が大きく、ユーザーコミュニティとしての活力はむしろ低下していると考えられます。アクティブな執筆・閲覧ユーザー数に関する公式発表はありませんが、前述のように平均ブックマーク数やコメント数は極めて低水準で、読者の反応が乏しい記事が大半です。これは裏を返せば、「書き捨て」のような投稿や質の低い記事ばかり増えて濃いユーザー同士の交流や共感を呼ぶ投稿が減っていることを示唆します。定量データ上も、2010年代後半から投稿者・ブックマーカーのアクティブ率が横ばい~減少傾向であることが指摘されており 、コミュニティ全体としての熱量低下が伺えます。総合すると、「過疎化」は単に投稿数では測れないものの、実質的な参加者エンゲージメント(相互作用や反応の量)が落ち込んでいる点で進行していると評価できます。
ユーザー間で語られる背景・原因:過疎化の背景にはいくつかの要因が考えられ、ユーザー間でも議論されています。大きな原因の一つは前述したコンテンツの質的低下です。増田特有の「匿名だからこそ赤裸々に語られる深い話」が減り、代わりにAI生成文や虚偽の創作ネタが増えたことで、「読み応えがない」「信用できない」という声が増えました。これにより従来コアだった読み手・書き手が離脱し、悪循環的に良質な投稿がさらに減るという構図が懸念されています。加えて、Twitter等他のSNSや掲示板にユーザーの発信の場が移った影響も指摘されています。かつては増田で日記を書くしかなかった層も、現在は短文ならTwitter、長文ならnoteやはてなブログ実名アカウントで発信するなど選択肢が広がり、匿名ダイアリーにあえて投稿する必然性が薄れたとも考えられます。
さらに、コミュニティ内のリアクション文化の変化も原因の一つです。増田に投稿しても「どうせ誰も読まない/ブクマしない」と感じるユーザーが増え、結果として反応が乏しい記事がさらに増えるという状況になっています。実際、「増田で頑張って書いても損するだけ」というユーザーの嘆きが2025年時点で表明されており 、参加者のモチベーション低下が見られます。また、2025年の運営による問題ユーザー削除の件では「運営による統制や検閲が強まった」と感じた層もおり、萎縮効果で投稿を控えるユーザーもいるようです(もっとも、多くのユーザーはむしろ歓迎する対応でしたが)。
以上を総合すると、はてな匿名ダイアリーは2020年以降、量的には賑わっているようで実態はユーザーエンゲージメントが低下した状態にあります。ブックマーク数・コメント数など定量的指標の低迷 、およびAI・虚偽投稿の横行やユーザー離れといった定性的な要因  が重なり、コミュニティとして緩やかな過疎化が進行していると言えるでしょう。その一方で、毎年数本は数千ブックマーク規模のバズ記事が生まれており、匿名ならではの告白系エントリや鋭い社会批評が大きな話題になる土壌自体は残っています。今後、質の高い投稿をどう維持・促進していくかや、AI時代における信頼性確保が課題となっており、これらに対応できなければさらにユーザーが減少する恐れがあります。一部ユーザーからは「このままでは増田文化そのものが滅びかねない」という危機感も示されており 、コミュニティの立て直しが求められている状況です。
エロ広告とか過激なホラー映画の広告もそう、不快なものを子供に見せたくないっていう気持ちすごくわかる。
でもツイフェミや左翼に口を出されるのはおかしいよね、だってうどんの広告ですらエロ広告にしちゃうんだもの。
だから消費者庁みたいに、国が専門の委員会を作って、広告はもちろん、映画や小説、漫画みたいな創作物を全部「事前審査」するのってどうかな?
国民の精神衛生に配慮して、健全でためになる作品だけに「公開許可証」を出すの。
これなら、不快なものを見ずに済むし、クリエイターさん達も「国が求める良い作品」のテーマが明確になって作りやすい。まさにWin-Winじゃない?
だな。非公開アカウントにすることをゾーニングと考えるのはイレギュラー。
投稿ができるどんなサイトでも、個別の投稿ごとにその投稿が年齢制限が必要かどうか申告したりチェックされる機構があり、それが本来のゾーニングなんだよ。
非公開化は、自分という存在自身を隠すことで、本来的にはインターネット上の衆目から隠れたい、クローズドな友好関係をそのプラットフォーム上で持ちたい人のためにあるものだろう。
だが、社会とインターネットがほぼ等しくなっている現状、実際には、非公開アカウントを作る人は、社会的によろしくない犯罪(売春や薬物など)やテロなどにまつわる、後ろめたい人を利する仕様になっている。
プライベートなメッセージングは、公開アカウント上でもDMなどの機能で実現できるわけだから、世の中のWebサービスでは非公開アカウントが作れないようになってきている向きがある。
BL趣味やナマモノ趣味は犯罪ではないのだから(国や程度によっては犯罪かもしれないが創作物ということで基本的に守られるだろう)、犯罪者のようにコソコソする必要はないが、
好き嫌いの分かれるものだという自覚があるせいで、一般的なゾーニング機能を信じられず、自分で一人ひとり承認するために鍵をかけているような側面があるのだろう。
確かに一般的なゾーニングは自己申告ベースなのでくぐり抜けることも可能で、未成年が成年コンテンツを見たり、悪意ある人が興味外の分野を見に来ることも可能ではある。
だが、そのような性悪説にもとづくのではなく、性善説にもとづき、自分のbioかどこかに然るべきサイン(自分は○○な者なので嫌いな人は近づかないでね的な)をしっかり残してさえいれば、
勝手に入ってきて騒ぐものを無視したりどう扱っても構わないという強い心を持つべきだと俺は思う。そしてノイジーな人間を無視するのが難しいのであれば、各自でNGワードやら何やら、コンピュータ的な自衛手段がいくらでもあるはずだ。
ネットというのは昔から、気の狂ったようなゴミクズ野郎がそこら中にうようよいるものであり、それはそういうものとして、どう心理的距離を置いていくかということを考えるべきだ。
そうしたノイジーな群衆を個人の裁量でコントロールしようと思うことが間違いであり、それが非公開アカウントというやり方の筋が悪い理由でもある。
ネットにはまとめサイトや週刊誌記事を読んで真に受けるようなアホがゴロゴロいるが、知人が週刊誌まとめの言うような悪意・偏見を垂れ流していたら「うわぁ…信じられない」と態度で示して縁を切るだろう?
この真剣に罪を告白した文章を読んで「AIっぽい」だとか「ネカマの書いた文章だ」などの意見が散見され、非常に残念な思いになっている。
愛する彼にイクイク詐欺(なお、この日はスパイダー騎乗位でおまんこに杭打ちピストンを繰り返した後のけぞり絶頂し太ももをぶるぶる震わせながら「イクゥ〜!」と叫ぶパフォーマンスをした)をはたらいた罪悪感から、一文字一文字誠心誠意、彼への懺悔の気持ちをこめながら書いた文章である。
それをまさかAIやましてネカマの文章に誤読する人間がいるだなんてにわかには信じ難い。
きっとそのような人たちは、ヤマハの低価格帯のバイオリンとストラディヴァリウスの音色の違いも分からないような人々なのだろう。
ぜひ反省し、この「またイクイク詐欺をしてしまった」記事の文章をノートに10回書いて射精して欲しい。
さて、AVのような創作物には責任はないとの意見もあげられたが、個人的には否と言いたい。
良き大人というのは、創作物の持つ社会的影響力の強さを自覚し、ある程度責任を感じるべきだはないかと思う。
おっぱいで硬くなったおちんぽを挟み込み刺激する行為ーーいわゆるパイズリであるが、その最中に「あぁん♡あぁん♡」と喘ぐ女優すらいる。そんな声出るわけないだろうと内心呆れてしまうが、その馬鹿げた演技に興奮する男性も多いのだろう。
また、これはAV全体に言えることであるが、喘ぎ声が過剰すぎる。
イクイク詐欺常習犯である私がこんなことを書くのもあれだが、喘ぎ声がうるさいと演技っぽくて萎えてしまう。
そのため私個人がオナニーでおまんこをほじるときに使用するのは睡眠姦や時止め物くらいになってしまうが、喘ぎ声が静かなかわりにこちらは絶頂描写が過剰すぎて、やはり作りもの感が強く女としては萎えてしまう。
実際は中イキなんてしていないのに、「イクゥ〜!」と叫んで腰をビクビクさせてしまった。
いまは彼氏への罪悪感で気を病んでいる。
男は射精という明確な絶頂があるけど、女の場合は出るものは特にないので、お互いの気分を盛り上げたくてついイク演技をしてしまう。
潰されたカエルのように「ィグッイグゥッ」と低く唸ると、リアリティがあるのか彼氏はより興奮するようだ。
でもそれもイクイク詐欺なんだよなあ。
絶頂はしていないけどおちんぽが入っている充足感は好き。でも気持ち良くはない。
いつかイクイク詐欺で逮捕される日が来るかもしれないと思うと、震えて夜しか眠れない。
イクイク詐欺が出来ない男にうまれて射精を体感してみたかったなあ。
この深刻な罪の告白に、嘘増田だと茶化すようなコメントが来て憤慨しているので追記する。
なぜイクイク詐欺に手を染める女性が後をたたないのか、真剣に考えてみてほしい。
私はすべてAVのせいだと考えている。
というかほぼ全ての男女の性の不一致はAVが原因だと考えているため、業界関係者は重く受け止めて欲しい。
JAPAN製アダルトビデオを幼少期から繰り返し学習してきた日本人男性は、セックスとはとにかく女をヨガらせることだと思っている節がある。
本来、女はおまんこをおちんぽでごしごしされるようとそこまで気持ち良く感じないのだが、無言でいると「気持ち良くない?」と男は勝手に不安がりおちんぽがしなしなの椎茸みたいになってしまうので、女は過剰にアンアンと喘ぎ声を出し「気持ちいいです♡」アピールをする。
しかも近年の男たちは、ただ女をヨガらせるだけではなく、AVの過剰な絶頂アピールのせいもあり、 「女はイカせてなんぼ」という価値観を植え付けられているように感じる。
そのため、女は喘ぎ声だけではなく、明確に絶頂を迎えた「イク」演技を求められるようになったのだ。
あなたに身に覚えはないか?女が「イクゥ!」というまで射精を我慢し続けた経験は?
しかも最近では「女ってもしかしてイク演技してるんじゃね…?」という噂が出回ってしまい、イクイク詐欺の難易度も上がっている。
イク演技のリアリティも求められるようになったのだ。
可愛いあえぎ声は演技をしていると言われるから呼吸を荒げ「ゔぉっゔぉっ」と獣のように喘いでみたり、おまんこをギュッギュと動かしてみたり、時には潮吹きと偽りおしっこを漏らしてみたりと、イクイク詐欺の高度化が顕著だ。
エッチの後、「今日気持ちよさそうにしてたね?何回もイッちゃった?」と彼氏が嬉しそうに聞いてくると、詐欺に手を染めたものは良心の呵責に苛まれる。
「うん、すごく気持ち良くてたくさんイっちゃった…」答えながら、もう1人の自分が心の中でごめんね、とつぶやく。
愛ゆえに犯罪に手を染める。こんな悲しいことがあっても良いのか。
愛のためとはいえ、そのおまんこは罪に汚れているのだ。イクイク詐欺をしている女たちを代表して書くが、女たちは決して現状に満足しているわけではない。
むしろ、詐欺を行っていることで彼氏への後ろめたさや罪悪感で苦しんでいるのだ。
中には、「信じていたのに…イクイク詐欺なんかでだましやがって!クソ女が!」と憤慨する男性もいるかもしれない。
しかしイクイク詐欺の多くは、男性に気持ち良くなって欲しい、より興奮して欲しいという愛から行われる事が多い、悲しい詐欺なのだ。
ならば、女たちも本当にセックスでイケばいいのではないか。そう考える人々もいるだろう。
私もオナニーでは中イキが可能だ。しかし、オナニーのように同じリズムで、同じ場所に刺激を与え続ける…そんなことが人間のおちんぽに出来るだろうか。
何度も書くがおまんこは基本的に刺激に疎い。抜き差ししてもおちんぽやクリトリスを触った時のような鋭い快感はうまれない。
ただ、おちんぽをおまんこに入れている、という事実は女も興奮するのだ。
中イキ出来なくても、エッチは決して嫌いな行為ではない。むしろ好きだ。
だから男性は女をイカせることにこだわらないで欲しい。あなたのそのスタンスが、次のイクイク詐欺犯罪者を産んでしまうかもしれないのだから。
この真剣に罪を告白した文章を読んで「AIっぽい」だとか「ネカマの書いた文章だ」などの意見が散見され、非常に残念な思いになっている。
愛する彼にイクイク詐欺(なお、この日はスパイダー騎乗位でおまんこに杭打ちピストンを繰り返した後のけぞり絶頂し太ももをぶるぶる震わせながら「イクゥ〜!」と叫ぶパフォーマンスをした)をはたらいた罪悪感から、一文字一文字誠心誠意、彼への懺悔の気持ちをこめながら書いた文章である。
それをまさかAIやましてネカマの文章に誤読する人間がいるだなんてにわかには信じ難い。
きっとそのような人たちは、ヤマハの低価格帯のバイオリンとストラディヴァリウスの音色の違いも分からないような人々なのだろう。
ぜひ反省し、この「またイクイク詐欺をしてしまった」記事の文章をノートに10回書いて射精して欲しい。
さて、AVのような創作物には責任はないとの意見もあげられたが、個人的には否と言いたい。
良き大人というのは、創作物の持つ社会的影響力の強さを自覚し、ある程度責任を感じるべきではないかと思う。
おっぱいで硬くなったおちんぽを挟み込み刺激する行為ーーいわゆるパイズリであるが、その最中に「あぁん♡あぁん♡」と喘ぐ女優すらいる。そんな声出るわけないだろうと内心呆れてしまうが、その馬鹿げた演技に興奮する男性も多いのだろう。
また、これはAV全体に言えることであるが、喘ぎ声が過剰すぎる。
イクイク詐欺常習犯である私がこんなことを書くのもあれだが、喘ぎ声がうるさいと演技っぽくて萎えてしまう。
そのため私個人がオナニーでおまんこをほじるときに使用するのは睡眠姦や時止め物くらいになってしまうが、喘ぎ声が静かなかわりにこちらは絶頂描写が過剰すぎて、やはり作りもの感が強く女としては萎えてしまう。
背面騎乗位で激しくおまんこを打ち付け、「イヴッ!」と声をあげておちんぽを抜いた。力が入らないといったように上半身をベッドに預け、ケツを高くあげて激しく震わせる。愛する彼にケツアナとおまんこを見せつけながらの虚偽オーガズム。
よし、決まった。
心の中で勝利を確信した。この虚偽オーガズムは芸術点が高いはず。
狙い通り、興奮したのか彼のおちんぽは硬さを保ったまま、今度はバックで挿入し射精に至った。
愛する彼を射精に導けた喜びと同時に、胸の中に広がる罪悪感。
ああまた、罪を重ねてしまった…。
私が赤裸々に罪を告白したこの記事が、多くの女性からの賛同を得る事ができ、嬉しく思う。
予想通り、イクイク詐欺に手を染めたことのある女性は多かった。
イクイク詐欺師たちの手口は巧妙で、警察の認知件数も少なく、逮捕に至る例は非常に稀だと言われている。
男性陣には恐ろしい話だろう。イクイク詐欺とは、暗数が多い犯罪なのだ。
しかし、加害者たちの殆どは、愛のために詐欺を働いているのだということを、再三伝えておく。愛ゆえの悲しい犯罪とは前述したとおりである。
さて、コメントを眺めていて、実はある疑念がわいた。私がイクイク詐欺のみならず、射精カツアゲを行っていたのではないか。思い当たる節はある。
私と彼のセックスは、キスで始まり、私の偽オーガズムで盛り上がり、彼の射精とともに閉幕する。
たまに彼のおちんぽが途中で元気を失ってしまう事があるが、そのような時私はとても落ち込んでしまう。
ゴム着用だと彼のおちんぽが萎えてしまう事が多いこと、ゴムをつけるとおまんこが痛みを感じる事があること等の理由から我がカップルのエッチは生ハメ中出しを基本スタイルとしている。
(※月経不順もあるため自費でミレーナを挿入している※2ミレーナを挿入しているが避妊率100%ではないため勿論生ハメ中出しは非推奨である※3ナマでおちんぽをおまんこに挿入することは当然の行為ではないため、彼女や妻に強要することはやめてほしい)
なので、彼氏は「イッたふり」=射精詐欺ができず、最後はおまんこに精子を放出するしかないのだが…この射精ごまかしがきかないというのはなかなか心理的負担が大きいのではないか、と不安が募る。
さらに、男は射精していても気持ち良いとは限らないとのコメントも見かけた。
男の体について、私は何もわからない。
おまんこに精子を出すことまで許しているのに、気持ち良くないなんてことがあるの?という気持ちにもなる。
そこで私は、「男の人に自分の体で気持ちよくなって欲しい」という欲望に気がついた。
女をイカせることを目的にしないでほしい、と願う自分は、男をイカせることに躍起になっていた…皮肉な話だ。
それにしても、男女の体の溝は大きい。知れば知るほど、出口のない迷路にに迷い込んだような気分になる。
言いたいことほぼタイトル。
耳障りのいいことばかり書けとは言わないし、全肯定イエスマンになれとも言わないがなんというか、なんというか…。
ネガティブってつけておけば何言ってもいいと思ってる人、最近多くないか?
先日、流行ったゲームの「Not for me」感想がバズった。
ゲーム自体が流行っていたので、その感想も瞬く間に広まった。その感想は私も拝読したが、よくまとまって褒めるべきは褒めていた記事だったと思う。
だが不思議なことに、その感想がバズった直後から同様に「Not for me」を謳った「ネガティブ感想」がものすごく増えた。
それを見て私はものすごくこの流れ嫌だな…と思ったのだ。
例えばなんだけど…とても親しい家族や友達が「パスタ」を好きだったとして、その人が同じ場で「あそこのパスタっておいしいよね」みたいな話を他の誰かとしているとき「ネガティブな感想なんだけど、そこのパスタ超まずかったよ」って言うか?
知り合いじゃなくてもいい喫茶店の少し離れた席で「あの映画良かったよね」と聞こえてきたとして、でかい声で「ネガティブな感想なんだけど、あれマジでゴミだったわ~」って言うか?
言わないよね?
いやごめん、もし言うなら私はあなたと友達になりたくない。あなたもそうだろうけども。
でも最近そういう、突然「ネガティブな感想なんだけど~」を口に出す人をよく見かける気がするのだ。
「ネガティブな感想」だと自覚があるということは、「これを口に出すことで誰かが傷つくかもしれない」とわかっている側面もあるように思うのだが、違うのだろうか。
そもそも、批判というのは批評の意味合いを持つ言葉である。「ここを改善してほしい」という意味を込めた意見のことだ。ちょっと誇張して言えば、「あなたのことを愛しているのでここを直せないでしょうか」という気持ちが根底になければそれは批判ではない。非難や悪口である。
対象になるものや人との感情のぶつかり合いのコストを払ったとしても、「そこを直してほしい/何とかしてそれを愛したい」というメッセージが批判なのだ。
直したところで愛するつもりがないのなら、自分はそれを「嫌い」なのだと認めてそっと静かに離れるべきだ。誰かがそれを愛しているかもしれないということを考えるなら、そうしたほうがいいと私は思う。
それなのにどうも、世の中の人は「嫌い」だとは認めたくないらしく「合わなかった」と表現してくる。それは違うだろう。
まあ生ぬるいこと言ってんじゃね~、批評や批判で物事はブラッシュアップされるべきだろという意見はわかる。
だが「合わなかった」と言いながら「嫌い」と思った気持ちを強い言葉を声高に叫ぶのならそれは批評ではなく悪口であり扇動であるし、誰かがそういう風に言っているからと同調したり威を借りて「そうだそうだ」するのはかっこ悪い。
世の中悲しいことにプラスの言葉よりデカい声の悪口のほうがよく響く。「Not for me」という言葉が便利に使われるようになってから、これを前置けば何を言ってもいいような風潮が広まっている気がする。
「合わなかった」と「嫌い」を混ぜこぜにした人が最近多い。合わなかったなら何を言ってもいいわけじゃない。ネガティブと前置けばどう言ったっていいわけじゃない。
もちろん「ネガティブってわざわざ書いてあるんだから、好きな人間は避けろよ」という気持ちも意見もわかる。でも避けられないものは?
noteやらコラムやらのタイトルからワンクッションあるものならまだしも、直で目に飛び込んでくるようなSNSで全部回避するのは無理だ。
ぶつかった相手に「避けなかったほうが悪い」というのなら、ぶつかってきたほうには罪がないのだろうか?
伏字やらなにやら、衝突を避ける方法はいくらだってある。言い方だって柔らかくしようと思えばいくらでもできるはずなのに。
それをしなかった言葉を「ネガティブ」の一言で片づけるのは違うんじゃないか…と思うし、そもそもネガティブというのは「消極的」とか「悲観的」とかそういう意味合いなのだ。
今度から「ネガティブ感想」じゃなくて「ちくちく言葉感想」とか「意地悪感想」とか言ってくれ。
ちなみにこれらはすべてちくちく言葉です。
「オタク界隈に反社会的・下層階級的属性を持つ人物が増えているのではないか」という指摘には、一部共感できる側面がある。
一方で、そこにはかなり飛躍した推論も含まれていると感じる。
つまり「もともと恵まれた層が築き上げたオタク文化に、社会的に報われない層が入り込み、格差に耐えられず暴発する」という構図は、一部の傾向を捉えているかもしれない。
たしかに、90年代後半から2000年代初頭のオタク文化、特にエロゲーやアニメ、ラノベの創作物を牽引した作り手の多くは、中産階級以上の家庭出身だった。
実際に、時間的・経済的余裕が必要な創作活動には、ある程度の「実家の下支え」が必要だったのは事実だ。
また、90年代の同人文化やPCゲーム開発にも、設備投資とスキルの習得という高いハードルが存在していた。
しかし、インターネットとスマートフォンの普及によって、こうした文化は広く一般層にも行き渡るようになった。
今では、貧困層や社会的に孤立した人々でもアクセスできる環境が整っている。
そこに「異世界転生」や「俺TUEEE」のような物語が刺さりやすいのも理解できる。
投稿者が指摘するように、これらのコンテンツが「幻想」を提供し、それが壊れたときに怒りや暴力へ転じる。
これは一部にはある現象だ。
しかし、それがすぐに事件化につながるというのは、過度な一般化である。
京アニ放火事件の青葉真司を例にしても、彼の犯行には精神疾患や生活苦、社会的孤立といった複数の要因が確認されている。
文化は「きっかけ」にはなり得ても、「原因」ではない可能性が高い。
また、プロレタリア文学の例――たとえば小林多喜二『蟹工船』のような作品は、もっと直接的に階級闘争を描いていた。
だが、それは現実と向き合うものであり、怒りを政治的な運動や集団行動へと昇華させていた。
現代のオタク文化は、「現実との闘争」ではなくむしろ「現実からの逃避」を描くものが多い。
そこには連帯も革命もなく、「自分だけが選ばれる」という個人幻想がある。
それが自己肯定感につながることもあるが、時に現実とのギャップで苦しむ人も出てくる。
その幻想が壊れたとき、孤立した人間が暴発する危険性は否定できない。
ただし、そうした人々を「文化の外に出て行け」と切り捨てるのは短絡的だ。
彼らにとって、その文化こそが最後の“居場所”であることもあるからだ。
本当に問うべきは、こうした人々がなぜオタク文化にしがみつくしかない状況にあるのかという点である。
孤立や困窮に対して、社会が支援やつながりを提供できていない現状こそが、問題の核心ではないか。
文化を悪者にするのではなく、それを必要とする人たちの背後にある社会的現実に、もっと目を向けるべきだ。
オタク文化に惹かれる人々の多様さを認めつつ、彼らが孤立せずに生きられる仕組みを作ることが、より本質的な解決につながるだろう。
Supported by ChatGPT 4o