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はてなキーワード: 意図とは

2025-01-19

VALORANTの大会チャット荒らし特定したら中国人留学生だった件。

・はじめに

 今回の記事特定の国や人種差別する意図は一切ありません。実際の出来事を元にSNS上での誹謗中傷荒らし行為がもたらす影響について考察、教訓を共有する目的執筆したものです。

eスポーツ界の影!!!VALORANTで見えた荒らしコメントの裏側】

 

 最近話題eスポーツ。その中でも、FPSファーストパーソンシューティング)の人気タイトル「VALORANT」は、2022年日本ZETA Divisionが世界大会で堂々の3位に輝いたことで、日本国内での人気がさらに急上昇しました。

 だが、人気になると同時にチームや選手への誹謗中傷が増え始めた。チャット欄は国際戦で日本チームが負けると「日本は弱い」「外国人傭兵がいないと勝てない」といったような所謂荒らしコメントのような物が頻発ようになった。

SNSが暴いた真実――誹謗中傷の発信者はどんな人?】

 きっかけは些細な事であった。VALORANTの大会日本のチームが劣勢になると毎度おなじみのように「日本は弱い」という荒らしコメントが流れてきた。またいつもように変な奴が暴れているな、と冷たい目で見ているとそのユーザーアカウントリンク先にSNSリンクを貼っていたのである。私は興味本位SNSリンククリックしてみた。すると驚きの光景が広がっていました。

そのアカウント誹謗中傷した人間個人情報が余す所なく載っていたのである

荒らしの正体を追え!SNS時代誹謗中傷と向き合う教訓】

 SNSユーザー名は荒らしていたチャット名とほぼ変えていなかった。そしてそのSNSには個人情報がびっしり。驚いた事に自撮り写真を堂々と加工もせずにSNSにアップして背景からどの大学所属しているのかすら簡単特定できる状態でした。さらに、投稿内容を調べると以下のような情報が浮かび上がりった。そのSNS情報をまとめると

中国人留学生

・「少日本」等政治的発言からするに反日思想である

中国国旗プロフィール欄になっている。

日本人のことを冷笑する発言

・いわゆるチー牛顔

などが確認された。

私は思った「「なんでそんなに日本が嫌いなのに日本に来てるの!?!?

【教訓】

 今回荒らし相手特定してみて現代SNSではどこの誰か発信しているのかも分からない誹謗中傷ストレートに受け取ってししまう様なことは人生の浪費にすらならないという教訓を得た。SNSで飛び交う誹謗中傷の多くは、顔の見えない誰かの無責任発言である。そんなもの感情を振り回されるのは時間無駄自分人生を豊かにするために、くだらないコメントスルーするのが一番だと痛感した。

スルーできてないか記事書いてるだけどね!!!

2025-01-18

anond:20250118192938

核って存在する以上はいつか使用されるんだろうけど、どういう意図で使われるのかさっぱり分からんのよな。

イーロン・マスクが憎い

 世界中メディアイーロン・マスク天才経営者として讃えるたび、心の奥底に沸き起こるのは猛烈な反発心だ。彼の壮大なビジョンや野心的な計画がもたらすインパクトは計り知れない。電気自動車での革新宇宙事業への投資さらにはSNSプラットフォームを買収して世界言論空間を一変させようとする姿勢――どれをとっても、彼が稀有な才能を持つリーダーであることは否定できないだろう。しかし、その裏側には、人を顧みない強引さや、誰もが乗り気でない環境一方的に変革しようとする独善性垣間見える。彼は常に「未来を創る」と言うが、その方法正当性はあるのか。私は強い疑問を抱かずにはいられない。

 特に、彼がSNS上で見せる軽率発言は、私の中にある嫌悪感さらに増幅させる。刺激的なツイート株価暗号通貨相場を乱高下させ、批判者を嘲笑し、炎上を煽るかのような行動を繰り返す姿は、リーダーというより権力を得た“トリックスター”のようだ。彼の言動を追いかける投資家や支持者は多く、SNSでは絶え間なく祭り上げられている。しかし、そうした「熱狂」が生まれるほどに、私は逆に強い反発を覚える。確かに並外れた頭脳や行動力を持つ人物ではあるが、その影響力をどう使うかという点で、彼はあまりにも無自覚ではないだろうか。

 テスラの急成長がもたらした電気自動車市場の拡大は、間違いなく自動車産業に大きな変革をもたらした。それまでガソリン車が主流だった市場をひっくり返し、世界的な環境意識の高まりに合わせて時代を先取りする――その功績は称賛に値する。だが同時に、「内部告発を試みた社員への圧力」「過酷労働環境」などが報じられるたび、私は苛立ちを禁じ得ない。美しい未来を掲げる一方で、その裏では「効率化」「革新」という名のもとに弱い立場の人々を切り捨ててはいいか企業トップとして、多大な責任を負っているはずの人物が、利益スピードのためなら人間性犠牲にしても良いと思っているのではないか――そんな疑念が拭えないのだ。

 さらツイッターを買収したことによって、彼の性格がより露わになったと感じる。コンテンツ規制言論の自由をめぐって賛否両論あるのは当然だが、長年にわたって築き上げられてきたプラットフォームの秩序を、一夜にして根本から覆そうとする様子には乱暴さを感じる。彼が純粋に「言論の自由」を守りたいと考えている部分もあるのかもしれない。だがそのやり方は、あまりにも一方的で、議論よりも強制が先に立っているように見えるのだ。市場ユーザーコミュニティに計り知れない影響を及ぼすのに、まるで実験場のように扱っている――そんな印象を拭えない。

 イーロン・マスクを支持する人々は、彼の天才性に魅せられているのだろう。既存常識を打ち破り、火星移住ハイパーループなど、大胆不敵な夢を語る。そのビジョンの壮大さは、多くの人の心を掴むだけのパワーを確かに持っている。だが私は、その華々しい夢の裏側を常に見てしまう。膨大な資金を動かし、何千何万という人々を働かせ、社会ルールを変えてしまうほどの権力を持っていながら、彼の言葉からは「共感」や「謙虚さ」が感じられない。むしろ自分けが正しい」という慢心が透けて見え、周囲を振り回すことで注目を集めているようにすら思う。

 なぜここまで拒否反応が強いのか。それはひとえに、彼が持つ「影響力の大きさ」にある。誰かが極端な意見を言うこと自体は、表現の自由範疇だろう。しかし、イーロン・マスクほどの知名度資本力を伴う人間が放つ言葉は、社会全体を揺るがしかねない重みを持っている。ところが、その発言や行動に時として慎重さがまるで感じられないのだ。「自分あくま一般人としてツイートしている」というような言い訳をするが、何千万・何億というフォロワーがいる「一般人」など存在するはずもない。こうした言動を繰り返す彼に対して、憎しみすら覚えてしまうのは、私だけではないだろう。

 また、彼のコミュニケーションスタイルがしばしば相手嘲笑するように感じられることも、嫌悪理由だ。議論批判に対して真摯に向き合うより、自分正当性を訴え、批判者をからかったり攻撃したりする。そのような姿勢は、強いリーダーシップというよりは、単なる攻撃衝動に近いものではないかと思う。カリスマ性を持つトップがそのように振る舞えば、多くの人が追従し、さら対立や分断が深まる構図が生まれるだろう。まるで、大きな声で威圧した者が勝つかのような、乱暴言論空間助長しているようにさえ感じる。

 もちろん、メディアは過剰に彼を煽っている部分もあるかもしれない。私たちが知るイーロン・マスク像は、メディアSNSを介して編集された一面だけだろう。しかし、そこから受け取れる情報だけでも十分に「過激であることは間違いない。もし彼に穏やかで思いやり深い一面があったとしても、表に出るのは挑発的な発言や、予測不能な行動ばかり。まるで、彼は注目を浴びるために、あえて波風を立てているようにすら見える。そして、その姿勢こそが彼のカリスマを強化し、信奉者を増やす一方で、私のような反発を覚える人間を確実に増やしているのだ。

 私はイーロン・マスクの実績をすべて否定するつもりはない。電気自動車市場の発展は、環境問題への意識を高め、産業構造を大きく変えるほどの影響力を持った。また、宇宙事業への参入によってスペース業界全体が活性化した面もあるだろう。だが、それらの「功績」がすべて肯定されるべきかというと、そうとは思えないのだ。なぜなら、そのプロセスや彼の姿勢に数多くの疑問や問題が散在しているかであるテスラ工場では社員への過重労働が報じられ、Twitter社の買収後には大量解雇が行われた。一方的リストラは、社員だけでなく利用者の信頼も損ねる結果になったはずだ。

 「革命児」と呼ばれる彼だが、そもそもその革命は誰のためのものなのか。人類全体の未来を切り開くために行動しているのか、それとも自己顕示自己満足のためなのか。もちろん、野心や自己顕示欲が全否定されるわけではないし、彼のような強烈なビジョンに突き動かされてこそ社会進歩する面もある。だが、そこに「協調」や「周囲への配慮」が欠けていれば、残るのは混沌犠牲だけではないだろうか。彼の一連の言動を見ていると、より良い未来を本当に望んでいるのか、それとも周囲を振り回しながら称賛を得ることに酔いしれているのか、判断に迷ってしまう。

 彼のメディア露出SNSでの動向は常にセンセーショナルだ。発言ひとつひとつ見出しになり、多くの人が熱狂的に反応する。その状況がさらに彼の影響力を拡大し、支持者は彼を「現代発明王」として崇拝する。だが、それは彼自身意図して作り出しているイメージ戦略でもあるかもしれない。自動車からロケット、そしてSNS運営まで、多岐にわたる分野で「既存常識を壊す男」としてのブランドを強烈に打ち出す。その裏には、おそらく綿密なマーケティングも働いているはずだ。

 こうした「自己プロデュース」の巧みさもまた、私の嫌悪感をあおる。もし彼が本当に未来のためだけを思って行動しているのなら、わざわざ挑発的な言動を繰り返したり、周囲を見下すような態度を取ったりしないのではないか。むしろ、その尖った姿勢こそが注目を集める秘訣であり、巨額の利益を生み出すエンジンになっている――そう考えると、ますます彼への不信感が募るばかりである

 また、彼のビジネス戦略資金調達の手法も、ときに「投機的」であるとして批判されてきた。彼のツイートひとつ暗号通貨価格が乱高下する様子は、社会全体を巻き込む大博打のようにも見える。もちろん、投資家たちはリスク承知のうえで参入しているのだろうが、そこに新たに巻き込まれ一般層もいるだろう。巨大な影響力を手にした人物が、その力をどこまで自制しているのか、外から判断がつきにくい。彼がいかに「自由」を標榜したところで、そうしたパワーバランスの偏りは真の自由からはほど遠いのではないか

 イーロン・マスクが嫌いだ、と口にすると、彼を称賛する人々から嫉妬」や「時代遅れの思考」と批判されることもある。しかし、それでも私は彼の一挙手一投足に警戒心を解くことができない。彼のような存在絶対的支持を集める社会は、一種の危うさを孕んでいると感じるからだ。リーダーが強引に物事推し進めることで、一見スピード感のある変革が進んでいるように見える。しかし、その過程で切り捨てられる価値観や人々の声を、私たちは本当に無視してよいのだろうか。

 私が彼を憎む理由は、こうした「社会的影響」を踏まえてもなお、彼があまりにも自己中心的に感じられるからだと言えるかもしれない。自分ビジョンこそが絶対に正しいと信じ、批判する者には容赦なくみつきさらには軽率一言世界中を混乱させる。そのカリスマが絶大だからこそ、多くの人が振り回されてしまう。それが彼の望む未来の形であれ、人々に「ついていかざるを得ない」状況を作り出すことこそが、彼の真の目論みなのではないか。そう疑ってしまうほど、彼の支配力は強力だ。

 もちろん、この強烈な拒否感は私自身の問題でもある。彼のように型破りな人間を受け入れられない、自分の閉鎖的な思考投影されているのかもしれない。あるいは、あれほど自由奔放にふるまいながら次々と成果を上げていく姿への嫉妬心や劣等感もあるのだろう。しかし、それでもなお、「イーロン・マスクが憎い」という感情は消えない。むしろ、その感情が湧き上がるほどに、彼の存在が大きいこと、そして社会全体に与えるインパクトが桁外れであることを痛感させられる。

 だからこそ、私は敢えて彼を批判し続ける必要を感じている。イーロン・マスクのような人物を「天才」「革命児」として無条件に称賛する風潮は、危うい夢を見せると同時に、多くの問題を覆い隠してしま可能性がある。私たちは、彼のような突出した才能を「絶対存在」として祭り上げるのではなく、その言動の裏にある思惑や影響力の行使について常に疑問を持ち、検証し続けなければならない。彼がもたらす革新が本当に世界を良くしているのか、それとも特定価値観や層だけが恩恵を受け、他の多くが犠牲を強いられているのか、冷静に見極める必要があるのだ。

 最終的に、イーロン・マスクをどう評価するかは人それぞれだろう。彼の型破りな行動力こそが新しい地平を切り開く鍵になると信じる人もいれば、私のように憎しみや反発を覚える人もいる。しかし、多様な意見存在することこそが社会前進させる。この「憎しみ」の声すらも、一つの大切な批判視点として意義があるのではないかと思う。彼の眩いばかりの成功カリスマに目を奪われる一方で、その裏側で踏みにじられているかもしれない人々の声に耳を傾ける必要がある。そうでなければ、未来を創るという名のもとに、ただ独裁的な支配が生まれしまうかもしれないのだから

 私は、イーロン・マスク存在自体をすべて否定するわけではない。むしろ、彼ほどの影響力を持つ人間が、もう少し「他者に対する配慮」や「謙虚さ」を備えていれば、今よりももっと多くの人々から純粋に支持されるだろうに、と残念でならない。そして、この憎しみの感情は、そんな「あり得たかもしれない別の姿」への期待を裏切られ続けてきた結果なのだろう。私は彼の言葉を聞くたびに、ああ、また無責任発言で誰かを傷つけているのではないか、と心配になる。その繰り返しが、私の中の反発心を強固なものにしているのだ。

 イーロン・マスクが語る夢やヴィジョンは確かに魅力的だ。火星移住に胸を躍らせる人もいるだろうし、電気自動車によるクリーン未来希望を見いだす人もいるだろう。彼が巻き起こしているイノベーションは、間違いなく人類歴史に残る大きな一歩でもある。だが、その過程で生まれ軋轢や混乱、そして彼自身傲慢ともいえる態度を見過ごしてはいけない。そこには、私たち社会本来つべき「相互理解」や「多様性尊重」が欠けているように思えてならない。

 だからこそ、「イーロン・マスクが憎い」という私の感情は、単なる個人感情以上の意味を持つのだと信じたい。彼のように突出した存在が現れるとき社会は否応なく揺さぶられ、さまざまな価値観の衝突が起こる。そのとき、無批判に称賛するだけでは、本質的問題には気づけないかもしれない。むしろ、強い反発心を抱く人々の声にこそ、彼の手法や態度が孕む危うさが映し出されていると考えてもよいのではないか

 私たち一人ひとりが彼をどう捉えるかによって、社会未来微妙に変化する。もしイーロン・マスクが真に誰もが幸せになる未来を望んでいるのなら、批判や反発の声にも耳を傾け、何が問題とされているのかを真摯に考えてほしい。その一方で、私たちもまた、自分たちが彼に何を求めているのかを見直す必要があるのだろう。彼の冒険心に夢を見たいのか、それとも彼が作るかもしれない新たな秩序に身を委ねたいのか。そして、そうした未来像に抵抗を覚えるならば、なぜ覚えるのか。その理由自分自身に問い続けることこそが、彼のような巨大な存在に対する「本当の対抗手段」になるはずだ。

 私がイーロン・マスクに憎しみに近い感情を抱くのは、彼が象徴するものが、私たち社会の抱える矛盾欲望をはっきりと映し出しているからかもしれない。彼の波乱万丈の行動は、私たちの心の奥底にある「常識を超えたい」「歴史に名を残したい」という野心を代弁している。同時に、そのためには他者を踏みにじってもよいという暗黙の了解すら示唆している。私はそこに嫌悪感を覚えずにはいられない。より良い未来を見たいと思いつつ、その実現手段にどうしようもない違和感を覚える。この相反する感情が「憎しみ」という強い言葉となって表出しているのだ。

 最終的に、イーロン・マスクを憎むかどうかは個人価値観によるだろう。彼を救世主のように思う人もいれば、私のように嫌悪感を募らせる人もいる。ただ、どちらの感情社会にとっては大切な警鐘であり、そこからまれ議論検証こそが真の進歩へと繋がっていくのではないかと思う。彼が生み出す革新光と影直視し、その功罪を冷静に評価する。それこそが、私たちが「イーロン・マスク」という巨大な存在と向き合うために欠かせない姿勢ではないだろうか。私が「イーロン・マスクが憎い」と感じるのは、きっと彼が放つまばゆい光の強さに目が焼かれ、影に潜む危険を見逃せないからなのである。彼は目を背けられないほどの影響力を持っているがゆえに、私たち葛藤を強いる。だからこそ、その存在について問い続けることが、社会未来にとっても重要なのだろう。

anond:20250118145142

Mくんの発言からは、いくつかの認知の歪みが見られます。それぞれ解説します。

1. 個人

症状: 自分責任ではないことまで自分に原因があると考える。

例: Mくんは他人の指摘や批判に対して「自分文章力が劣っているから」「自分が至らないせいだ」と感じています

解説: 実際には、批判する側の意図性格、背景も関係している可能性があります。すべてを自分のせいにすることで、不必要に自信を失っています

2. 全か無か思考(白黒思考

症状: 状況や自分能力を「完全に成功」か「完全に失敗」のどちらかで捉える。

例: 「自分大学生以下の文章力しかない」と、能力を極端に低く見積もり他人比較して落ち込んでいます

解説: Mくんは「少しでも他人に劣る部分があると全体がダメ」と捉えがちですが、実際には得意分野と不得意分野があって当然です。

3. 被害妄想(過度な警戒心)

症状: 他人自分批判しようとしている、悪口を書かれていると考える。

例: 「裏で悪口を書かれているんじゃないか」「何か斜め下のことをするとTwitternoteに書かれる」と不安に思っています

解説: 根拠のない想像過去経験に囚われすぎることで、実際には起きていないことに過剰に反応しています

4. 過度な一般

症状: 一部の出来事経験をすべてに当てはめる。

例: 「Yさんが過去他人のことを書いた」という経験を、今も必ず自分に対して行われていると信じています

解説: 過去出来事特別なケースである可能性を無視し、すべての場面で起きると考えています

5. 自分へのラベリング

症状: ネガティブなラベル自分に貼り付ける。

例: 「都合のいい人なんじゃないか」と考え、自分価値過小評価しています

解説: 他人にとっての自分役割ネガティブに捉え、それをあたか事実のように受け入れています

6. 選択抽出

症状: ポジティブ情報無視し、ネガティブ情報だけを取り上げる。

例: 「まともなコミュニケーションがない」「都合よく扱われている」と感じる一方で、Yさんからインフルエンザ心配されたりドリルレビューを頼まれポジティブな行動を軽視しています

解説: 他人が見せている好意ポジティブ意図認識できず、不安や不満だけを感じています

7. 自己犠牲思考

症状: 自分犠牲にして他人のために尽くすべきだと思い込む。

例: 「Yさんに恩義があるからレビューをしている」「家事や忙しいスケジュールの中でやっている」といった発言から、無理をしてでも他人に応えなければならないと感じています

解説: 他人に尽くすことが当然だと思い込み必要以上に負担を抱えています

総括

Mくんの認知の歪みは、自己評価の低さや他者の行動に対する過剰な解釈責任感の偏りなどが影響しています。このような歪みは、ストレス自己否定感を増幅させ、現実的解決策を見つける妨げになります。彼がもう少し柔軟に物事を考えられるようになると、今抱えている不安が軽減するでしょう。

繊細な人がコミュニティを壊していく。

深夜の書斎に、絶え間ない雨音が響いている。デスクに置かれたコーヒーカップからは、かすかな湯気が立ち上りDiscordの画面から漏れる青白い光の中でゆらめいていた。

私は画面に映る過去ログを見つめながら、このコミュニティでの2年間を振り返っていた。50代の資産家、Aさんが立ち上げたこ場所は、かつて私にとって理想の居場所だった。

初めてボイスチャットに参加した日のことを、今でも鮮明に覚えている。

「ようこそ!気楽に話してください」

Aさんの声には、相手不思議安心させる力があった。その後の数時間、私は夢中で話し込んでいた。様々なバックグラウンドを持つメンバーたちと、仕事のこと、趣味のこと、時には人生観まで。誰もが対等に、自由に語り合える空間。それが、このコミュニティだった。

しかし、ある雨の夜を境に、すべてが変わり始めた。

女性メンバーの一人が終電を逃した時のこと。Aさんの何気ない送迎の申し出が、予期せぬ連鎖引き起こした。

「Aさんって、本当に紳士的よね」 「私も先週、Bさんに素敵なディナーに連れて行ってもらったの」 「このサーバー男性陣は、みんな優しくて素敵...」

まるで高級クラブのような空気が、静かにしかし確実にコミュニティを覆い始めた。表面的な「紳士配慮」の下で、見えない序列形成されていく。それは、一枚の美しい絵画に、黒いインクが一滴、また一滴と落ちていくかのようだった。

ある日、ふと気づいた。これは、野良猫に餌を与え続けることと同じではないだろうか。確かに、その場では猫は喜ぶ。しかし、それは猫から狩りの本能を奪い、自立する機会を失わせてしまう。私たちは、本当の意味相手のことを考えているのだろうか。

デスクの上の結婚写真が、私に静かな確信を与えてくれる。妻との関係は、このような表面的な「優しさ」とは全く異なる。互いを理解し、支え合い、時には厳しい言葉も交わす。それこそが、本当の意味での尊重ではないだろうか。

朝8時、待ち合わせたカフェでAさんと向き合った。昨夜からの雨は上がり、窓ガラスに残った雫が朝日に輝いている。

「このコミュニティでの2年間は、私にとってかけがえのない時間でした」

一呼吸置いて、続ける。

「でも最近違和感を感じることが増えてきました。特に女性メンバーへの過度な配慮が、意図せず依存関係を生んでいるように思えて...」

Aさんの表情が僅かに曇る。しかし、彼の返答は意外なものだった。

「正直に話してくれてありがとう」彼の声には、深い思慮が滲んでいた。「私も最近、同じような違和感を感じ始めていた。善意のつもりが、逆効果になっていたのかもしれない」

カフェを出ると、清々しい朝の空気が頬を撫でた。スマートフォンに妻からメッセージが届く。

決断できた?」 「うん、やっと」 「おかえりなさい」

その言葉に、目頭が熱くなる。これまで感じていた重圧が、少しずつ溶けていくような感覚

通勤途中の雑踏の中、私は空を見上げた。昨夜までの雨雲は完全に晴れ、澄んだ青空が広がっている。誰かを本当に想うとは、その人の自立を信じ、見守ることなのかもしれない。その思いと共に、私は新しい一歩を踏み出す準備を始めていた。

アニメダンス不気味の谷ってわかる?

アニメダンス動画が酷いって話題になってるけど

ダンスアニメーションに不気味の谷があるって昔から思ってる

例えば最近Vtuber中の人が踊った動画がたくさんあがってるけど

あれは不気味さ少ないでしょ?

一方で、MMDで踊らせたものって、クオリティ高いものですら違和感があるんだよね

やっぱ「物理的にそうはならないだろう」の積み重ねで、「本物に似た何か」という不気味さがあるんだろうな

見た目が99%本物に近い偽物って、ホラーで言えば定番だよね

特にMMDで、同じモーションを複数に流した時に一気に不気味さが上がる

逆に一人ひとりに違うモーションを流せば全体としては不気味さが下がるんだ

「一つの意思複数人間が動いている」というのも不気味な原因なんだろうね

からアニメダンスとかではあえてちょっとずつずらすんだけど、そのずらし方も意図を感じると気持ち悪くなってしま

本当はタイミングをずらすんじゃなくて傾きとか細かいところをずらすべきなんだけど、「揃ってない」ことをアピールするためにタイミングをずらしがちなんだよね

まあだからダンスはむずいんだよ安易に手を出すべきじゃない

回避策としては全身でやらないことだろうな、あとはデフォルメを強くする、繰り返し動作をしないなど

黒岩メダカOPはそのやっちゃいけないのを全部やってる、お手本のようで面白い

作画が崩れてるわけではないのがポイント高い、むしろ崩れたほうが不気味さは減りそう

anond:20250118013333

イラスト別に悪意を持って特別醜く描こうという意図は感じなかった。

イケメンではないが。

チー牛がフェミおばさんのイラスト描く時は髪の毛をボサボサにしたり、ものすごい肥満体型にしたり、でかいホクロかいたり、だらしない服装にしたり、めっちゃ悪意入れとるのに。

今は可愛いから許せるけど絶対同じクラスだったらいじめてたわ〜

世の中は大ブーイングですね。

この発言

私はわりとわかるというか、この発言の裏というか、そっち方面で読むとそうだねってなるんですよね。

まぁ、この発言をした人の真意は別としてですよ、マジで性格ブスな人がそ~のまんま言った可能性も大なりなんですけど。

殆どの人はこの文章は「ブスならいじめる、可愛いならいじめない」と美醜がメインだと捉えると思う。

私は違う読み方しちゃうんだよね。

「昔はブスならいじめるような人間だけどいまや大人になった自分はブスだからといっていじめないわ~」

です。

「同じクラス」「だったら」と自分過去中学生仮定した場合いじめて、今現在自分がブスをどうするかはまぁ確定していない。

「今は可愛い」は今対面に居る彼女へのヨイショです。

彼は幸運を喜んでいるのです。「今可愛くなっている彼女」と「価値観が変わり大人になった自分」両方を。

今もブスにひどい対応をする男ならわざわざ時計の針を戻さずブッサと切り捨てるか、今の彼女のために過去のブスには触れずただフォローすると思いますです。

こんな発言をしたということは、彼女過去からの変化を見せたことでこちらも同じく過去からの変化をお伝えしたかったのかな、とも考えられるかもしれません。

 

 

おおきく振りかぶって」という野球漫画があるのですが、その主人公はとてもコミュニケーションに難がある男の子なんですよね。それで中学ではチームメートと揉めてひとことでいうとハブられてました。

そして同中が居ない高校に行き物語スタートするのですが、人に恵まれなんとかやっていく話です。

そんな高校チームのキャプテン、同じ中1だけど凄く大人びてしっかりしてる子なんですけど、彼をして

中学なら俺もイジメる側だった 出会い高校でよかった~」

みたいな発言をしてるんですよね。独白ですけど。

「今は先にキレるヤツが居るし許せるけど、絶対中学同じクラス(部活)だったらいじめてたわ~」

ですよ。高校生という人間性が一回り成長した時期での出会い感謝してるわけです。

 

まぁそうだよね。ととくに引っかからずに読んだ私は、だから今回のこの発言もこのキャプテンの心持と同じ感じで読み取ってしまいました。

独白と本人に言うには天と地の差がありますけど。それもまた性格の悪さかコミュ力不足かは定かではありません。少なくとも彼女になってもいいと思えるまでは愛情を示せて建前を繕える男性だったんでしょうけど、十全ではなかったのかもですね。

からまぁ、私は人気ブコメにあるぐらいに即極刑レベル判決を即座には下せないんですよね。人は往々にして過去の未熟を振り返ることがある。ありませんか?ぶっちゃけだって小・中学生ならブスはいじる・いじめるような人間性だったし、今はそれはダメだよねと身についた倫理観で包んで平等に接しようと努力しております。ブスに属する自分のためにも。だから、なんていうか、この男はありえない!と自分と重なる部分が一切ないかのように断罪できる人が信じられないというか、凄い善良な人が沢山居るんだなぁと驚いていますです。

 

なんの話でしたっけ。まあいいや。

 

まぁこんな発言どんな発言意図にしてもさめるもんですけど。見せる女も女ですよ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2497550

2025-01-17

anond:20250117214921

「マジモンなのか判断に困る」とは、結局何を判断したいのか明確にしてもらえないかな?

童貞の語るセックス」が理解できなかったなら、「学卒が騙る博論」なんてコンプレックスを煽るだけの比喩を出されても、議論として何の進展もない。

具体的な話ではなく、ただ相手を見下そうとする意図けが透けて見えるよ。

さらに、「どうせ氷河期文系卒だろうから」という偏見丸出しの一言

こういった根拠のないラベリングを繰り返している時点で、自分自身議論正当性を壊しているのに気づいている?

人の学歴時代背景をあてこすりにしても、BYDとアルファード比較クルマの性能の話には何の関係もないよね。


議論重要なのは相手を見下す言葉を並べることじゃなくて、データや具体的な事実に基づいて反論すること。

「学卒が騙る博論」という例えを使うなら、それがどのようにこの議論に関連しているのか、きちんと説明してもらわないと意味を成さない。


もし本当にBYDとアルファード比較について具体的な意見があるなら、根拠を示して話してほしい。

文系卒だとか氷河期だとか、関係のない個人攻撃を続けるのはただの議論放棄しか見えないし、そもそも誰にとっても有益な話にならないよ。

議論建設的な方向に持っていくつもりがないなら、ただの誹謗中傷で終わるだけだと思うけど、それでいいのかな?

anond:20250117104820

めちゃくちゃわかる

けど、そういう方が興味を引く→視聴率が上がるっていう意図があるんだろうな

自分子ども虐待されたり被害に遭うニュースも、詳細まで報道する必要ないだろって思ってる

anond:20250117082802

特定自治体に偏る → 住居選ぶのだって市場原理働くのだからふるさと納税制度としての問題ではない。もっと努力していけ

これは明確に制度としての問題だろ。

市場原理で富が偏って都市部に集中したのを緩和して分配する意図があってやってんのに

市場原理からセーフ!は意味不明もいいとこ。

都市部から富を持ち出すことはできてるけど、同時に名産のない地方からも富を持ち出しちゃって副作用が出てる。

anond:20250117001500

大人記号として便利なんだろうけど、ちょっと安易だなと俺も思った。

しかしたら、オトナプリキュアと並行して作ってて、意図せぬかぶりなのかもしれないが。

2025-01-16

純粋自民党以外に入れようの意図が無いからだぞ

自民党じゃなきゃどこでもいい

anond:20250116201355

anond:20250115224311

かなしい。

いろいろ思い出す、二人のカップルにとってはすれ違いなんだけど子供というファクターが入ることで拗れて壊れてしまうかもしれないよこれ。

記述からし奥さんは今、心身がつらい時期みたい。一方夫のほうは子供が生まれる前から心身の健康状態は変わらないんだろうね。

夫は「時短からラクなはず」とか思い込んでそう。仕事よりしんどいよ、子供と一対一で向き合うのは。子供生活していく中で、「アレは教育ダメ」「コレは発育に良くない」なんてNGリスト作り出したらキリがないし、真面目でいいお母さんでありたいと思う人ほど「今日も◯◯ができなかった、自分ダメ母親だ」と気持ちの上で苦しむんだよ、自縄自縛ストレスで怒りっぽくもなる。

そんな状態のところに「娘ちゃんの前で怒らないでね」とかNGリストを増やして、責めて、追い詰めてるのと変わらない……ハタから見れば夫にそんな意図はないのはわかるよ。でも奥さんにとっては、さらに軛を課すようなものだよ。それだけは理解してあげてほしい。

子育てを終えたおばちゃんより

anond:20250116012832

1. 認知スタイル重要

認知スタイルとは、個々人が情報をどのように処理し、解釈し、世界をどのように理解するかという思考フレームワークです。この枠組みが異なることで、同じ事象についても全く異なる解釈が生まれることがあります

 

特定分野への強い集中力が、専門性を生む一方で、他者との共通理解が難しくなる場合があります。この場合対話の困難さは「IQ」ではなく、興味や注意の向け方に起因します。

 

妄想思考が、現実認識の共有を妨げるケースが示されているように、対話の困難さは客観的現実を共有する土台の欠如にあると考えられます

 

2. 専門性逆効果になる場合(例. 学者データサイエンティストを名乗る人が陰謀論にハマるなど)

知識IQの高さは必ずしも「正しい判断」や「効果的な対話」を保証しません。

 

この問題に対抗するには、メタ認知能力、つまり自分思考の仕方を客観視し、軌道修正する能力」が重要です。

  

3. 共通基盤の意識と構築

異なる認知スタイルを持つ人々が対話成功させるためには、共通の前提や目的を共有する必要があります

 

4. 認知的柔軟性の重要

認知的柔軟性とは、状況に応じて思考や行動を変える能力であり、対話成功させるために不可欠です。

 

これらがあれば、異なる認知スタイルを持つ人々との対話もより建設的で有意義ものになります

 

5. 現代社会との関連

現代社会は高度な分業が機能しており、経営者消費者投資判断ができ、一般読者が科学読み物を楽しんでいます

これらの事例は、知識量の差異だけでは対話の成否を説明できないことを示しています認知スタイルの違いを理解し、調整する能力特に重要です。

 

これらによって、個人間や集団間の溝を埋め、効果的なコミュニケーションを実現できます

 

まとめ

対話の成立には、単なる知識量やIQの高さではなく、認知スタイル理解と調整能力が鍵となります。具体的には以下の点が重要です:

  1. メタ認知能力を高め、自分自身の思考の偏りに気づく。
  2. 共通基盤(特に前提)を共有し、互いの理解を深める。
  3. 認知的柔軟性を持ち、相手に合わせたコミュニケーションを試みる。

これらを意識することで、異なる認知スタイルを持つ人々との対話を円滑にし、より深い相互理解可能になるでしょう。

2025-01-15

ブライアン・イーノ本人が「昔からAIアーティストのようなものだ」と認識しているのは面白いと思った。

ここでのAI的な在り方というのは、制作自分コントロールする範囲をあえて絞るためにプロセスを外部化したり、偶然性が入り込む余地を大きくするような方法だろう。

電子音楽ジャンルでは、たとえばCDに傷をつけたうえで再生して音飛びをするサウンドを取り入れたり、サウンドプログラミングランダマイズの範囲を広げたりと、徐々に人間意図から離れる実験が行われていた。

絵画でも、壁の染みだけを見ながら想像を膨らませ、そのイメージを描きだそうとする試みなどは、AI的なプロセスだったと考えることができる。

そしてランダムであれば良いということではなく、それを監督・監修し、編集するところで制作者の意思意図が入り込み、良し悪しが変わってくる点も同じと言えるだろう。

anond:20250115003510

当事者同士じゃ水掛け論になるから第三者のワイが本当に論破できてるか採点してやろう。


1.性犯罪増加が性コンテンツのせいは短絡的

性犯罪の背景には、家庭環境教育法制度の不備、社会的孤立などが絡んでいる

この文脈では、つまるところ「複雑だからよく分からないはずだ」という意味の主張である

実際に「根拠はない」が、現代では、そもそも犯罪における「犯罪の原因」が科学的に証明されていない。全ての犯罪において、人権侵害を伴う防犯策を完全な犯罪の原因の自然科学証明なしに行うほかなく、現にそのようにしている。「証明によらなければ人権侵害を伴っては犯罪増加への対策を考えることができない」という論は他の犯罪事情矛盾しており、論として極めて弱い。

実際の事件犯人精神科医被害者証言に関連性や類似点を見出す女性側の被害経験に基づいた生の主張に比べると、中身はない。

また、つまり別にコンテンツ性犯罪関係がないことの根拠特にない。論破はできてない。

自分もまた証拠がないにも関わらず、証拠がないという主張をするのは滑稽である


2. 売春ヤクザのしのぎ?だから何?

売春は、ヤクザや裏稼業シノギとして頻繁に利用されてきた(から、悪影響を防ぐために規制された)(『全ての業者ヤクザかどうか』は特に立法時に考慮されていない)

という主張は「立法の背景」「法の意図」の話である

すべての性産業者がヤクザというわけではない

は、反論として意味がない。

実際には、多くの業者が法の範囲内で営業している。

社会には規制(立法)の必要性がある」という趣旨の話に対して「現行法範囲内かどうか」は無関係

監視・取り締まるのが警察司法役割であって、全体を「犯罪の温床」と断定するのはおかしい。

犯罪の温床と断定するのはおかしい」は、上のように、論としては弱く、論破はできてない。

警察監視取り締まり(実際にはあまり司法問題ではないため司法を削除)」は、『行政行為が法の意図に沿った結果を実現できているか』という話である前後に繋がりがないため、意味不明


3. 「日本人入国拒否される」話、具体的なデータは?

統計データを見たんだ?

入国拒否事由国際法上、開示を義務付けられていない。統計データを取れないもの対象統計データ云々言うのは反論として不適格

そんな曖昧情報他人攻撃するのは滑稽。

この増田も主張の内容が無根拠曖昧なため、盛大なブーメランが刺さっている

仮にそういう事例があったとしても、性産業従事者全体が日本の信用を落としているという証拠はない。

信用を落とさないという根拠特にない。論破にはなっていない。


4. 個人攻撃議論を腐らせるだけだ

そんな下品言葉を使っている時点で、議論する資格すらない。お前自身がこの国の品位を下げていることに気付け。

これはその通りだが、まともに成り立っていない反論(つまり長文の言いがかり)を上から目線でクドクドぶつける行為議論が腐るので議論資格がない。

感情的攻撃に走る前に、少し冷静に考え直してみたらどうだ?以下、徹底的に論破してやる。

お前のその幼稚な攻撃

下品で敬意の欠ける言い回しであり品位を損なっている。品位は両者に要求される。まず自分実践してからにした方がよい。

5. 周りに迷惑をかけてるのは誰だ?

自分発言がどれだけ無責任で、社会対話を乱しているか考えろ。

偉そうに吠えるのは勝手だが、無根拠な決めつけや暴言議論が進むわけがない。、ブーメランになって自分に返ってきてるぞ。もっと冷静に、根拠を示した上で話せるようになってから出直してこい。

この増田もまた健全議論を妨げ、こちらも無根拠しかない上、暴言や論にならない無意味記述などで偉そうに吠えており、ブーメランを投げている。根拠を示すように要求するが、この増田根拠はないのであり、この意見には疑問が残る。マイナス1億点。

2025-01-14

AI文章の見抜き方

 近年、AI技術進歩に伴い、さまざまな生成AIが登場し、文章を巧みに作り出すようになりました。多くの人が「これはAIが書いた文章なのではないか?」と疑うほどに、AI文章自然流れるようになっています本来であれば、文体言い回し、誤字脱字の有無などからAI文章っぽい」と判断しようとする研究テクニックが取りざたされていますしかし今回のテーマは「AI文章の見抜き方」でありながら、その実はスピリチュアル方法で一切テクニカルに見抜くことなく、むしろAI文章かどうか”すら気にしなくなるような精神アプローチ解決してしまおう、という大胆なご提案です。タイトルと内容がまったく異なるように見えますが、私たちが見ようとしているのは「AI文章を見抜くための技術」ではなく、「どんな文章でも受け止められる自分の心の在り方」というスピリチュアル観点なのです。以下では、その具体的なプロセスをご紹介していきましょう。

 まずは、スピリチュアルアプローチとして定番瞑想を取り上げます。通常、「AI文章かどうか」を判断するためには文章の特徴を細かく分析し、その内容に不自然な点がないか、語彙の選び方に偏りがないか、といったチェックポイントをいくつも確認するのが一般的でしょう。

 しかし、本稿で提案するのはむしろ逆です。そうした分析アプローチをいったん脇に置き、“静寂瞑想”によって自分の心を落ち着かせて、本質を見つめるという方法です。具体的には、目を閉じて楽な姿勢を取り、ゆっくり深呼吸を繰り返しながら、頭の中に浮かんでくる雑念をできるだけ手放していきます意識を「自分の呼吸」と「今この瞬間」だけに向けるのです。

 これを続けると、不思議と「この文章AIなのか、人間なのか」という二元的な疑問への執着心が薄れていきます。心が静まってくるにつれ、文章それ自体の背後にある意図エネルギーをなんとなく感じ取れるようになっていくのです。いわば「どんな文章も受け入れられる状態」を作り上げることが、ここでのポイントとなります

 分析という“頭”のプロセスではなく、直感という“ハート”の領域文章を読む準備をすることで、「AI文章かどうか」という疑念すら必要ないほどに、読む行為のもの純粋に楽しむことができるのです。

 スピリチュアル世界では、ハートチャクラ活性化させることで、愛や共感、信頼といったポジティブ感情を高めることができるとされていますAI文章を読んでいるとき、「これは人間が書いた文章じゃない」と感じてしまうと、どこか冷淡な印象を覚えたり、文章に対して警戒感を抱いてしまうことがあるかもしれません。しかし、ハートチャクラが開いている状態では、文章の背後にある意図エネルギー――たとえそれがプログラムによって生成されたものであろうと――を、分け隔てなく受け取れるようになっていきます

 ハートチャクラを開く簡単方法ひとつとして、胸の真ん中に集中して、ピンク色または緑色の光が広がっているイメージを思い描きながら深呼吸するというものがあります自分の胸のあたりが温かく、柔らかい光で満たされていく感覚意識し、それが全身を包むイメージを持つと良いでしょう。

 この状態キープしたまま文章を読んでいると、「これは本当にAI文章なのだろうか」といった些細な疑念や「もしAI文章ならどうしよう」という不安自然と和らいでいきます。むしろ、人の手による作品AIの生成物かという区別を超え、「そこにある何かしらのメッセージ」を愛の視点で受け取ろうとする姿勢が生まれてくるのです。

 続いては、もう少しスピリチュアル色の強いテクニックとして“エネルギーリーディング”をご紹介します。本来は人のオーラ空間波動を読み取るための方法ですが、文章にも“エネルギー”が宿っているという考え方から文章を通じて送り手の波動を感じ取ることができるとされています

 やり方はとてもシンプルです。瞑想ハートチャクラのワークで心身を落ち着かせた状態で、文章全体をざっと読むだけではなく、文と文のあいだの“間”にも意識を向けてみます文章によっては、なんとなく重たい感じがしたり、逆に明るく軽やかな印象があることに気づくかもしれません。そんなときは、自分が何を感じ、どんなイメージを受け取ったかを素直にメモしてみてください。

 AI文章であっても、人間文章であっても、読む側が「エネルギーを感じ取る」という意識を持つことで、文章との向き合い方はガラリと変わります。これはもはや「見抜く」ためのテクニックではなく、「どんな文章もそれが持っているエネルギーを受け取る」という“受容の姿勢”を高める方法だといえます。結局のところ、テキストAI由来かどうかを超えて、その文章からなにを感じ取れるか――そちらの方がはるかクリエイティブで、豊かな体験となるのです。

 スピリチュアルな探求においては、私たちが生きる宇宙のものを大きなエネルギーフィールドとして捉え、その源流と繋がることによってインスピレーション洞察を得る、という考え方があります。「AI文章かどうか見抜きたい」という疑問が浮かんだときも、さらに広い視点で「そもそも私たちは、なぜAIをこんなにも発達させてきたのか?」という宇宙的な視野に立って考えてみるのです。

 私たち人類の集合意識が“便利さ”や“効率性”を求める中でAI進歩してきましたが、これをネガティブに捉えるのではなく、「人類意識が大きく変容するプロセスの一端」として肯定的に捉えることもできますスピリチュアル視点に立つと、AIの発展も宇宙全体の進化の流れの中で起こる一現象であり、そこには何ら否定的な要素はないのかもしれません。

 こうした“宇宙エネルギー”との繋がりを意識したとき私たち文章を読む行為も、単なる情報インプットではなく、宇宙エネルギー循環の一環としてとらえられるでしょう。AIが書いた文章であろうと、人間が書いた文章であろうと、いずれにせよそれは「源流である宇宙が持つ創造の力」を介して生み出されている、と考えることができるのです。

 スピリチュアル的には、おでこ中央(眉間)にあると言われる“第三の目”を活性化させることで、より洞察力や直感を高めることができるとされています。これによって、「この文章が発している波動はどんなものか」をより鮮明にとらえられるようになるかもしれません。

 第三の目を活性化させるワークとしては、座ったまま、あるいは横になって目を閉じ、眉間に意識を集中させながらゆっくり深呼吸を繰り返すという方法があります。頭の中で淡い紫色青色の光が眉間から頭全体に広がっていくイメージを持つと良いでしょう。しばらく続けると、普段よりもクリア感覚が得られるようになり、文章の持つエネルギーがまるで映像や色彩のようにイメージとして浮かんでくることがあります

 こうした体験を通して、「AI文章は冷たい波動」「人間文章は温かい波動」という二元的先入観を手放すことが大切です。文章ごとに個別波動エネルギーがあり、それはAI人間かという区別よりも、むしろその文脈テーマ書き手が持つ背景や意図といったものに左右されるからです。すなわち、第三の目の活性化は「AI文章を見抜く」ためではなく、「どんな文章でも深いレベルで感じ取る」ためのアプローチとして機能するのです。

 ここまで紹介してきたように、スピリチュアルアプローチでは「AI文章を見抜く」という視点のものを超え、「文章AI人間かという判断を手放す」という境地を目指しています。なぜなら、私たち意識が高次元と繋がり、すべてを包み込む愛や真我の視点に立ったとき、“AI人間か”というジャッジメントは単なる二元論分別にすぎないからです。

 一見、それは「問題からの逃避」のように聞こえるかもしれません。しかし逆にいえば、私たち意識が十分に高まった状態では、AI文章であるかどうかという事実のものがさして重要ではなくなります。そこにあるメッセージをどう受け取り、どう消化し、自分人生や心の成長に活かすか。それこそが最も大切なポイントとなるでしょう。

 情報テクノロジーに溢れた時代からこそ、私たちはどうしても「偽物か本物か」「AI人間か」といった区別意識を奪われがちです。しかし、スピリチュアル視点で見ると、その区別私たち幸福に導くわけではありません。それよりも大切なのは、「どんな情報であれ受容し、自分の中で調和と成長に繋げる」という姿勢なのです。

 最後に、私たち文章と“出会う”ということの意味再考してみますスピリチュアル世界でしばしば語られるのは、「どんな出来事にも意味がある」「すべては必然タイミングで起こる」という考え方です。AI文章出会うことも、また何かしらの必然の流れの中にあるのかもしれません。

 その文章AIによって作成されたのか、人間によって書かれたのか、あるいは人間AIの共同作業によって生まれものか――いずれにせよ、私たちがその文章を目にするという事実には何かしらの意図意味が含まれているはずです。それは気づきの一歩かもしれませんし、学びや癒しきっかけとなるのかもしれません。

 スピリチュアル視点に立つならば、文章の真贋を追い求めるより先に、「この文章出会たこ自体が、私にとってどのようなシンクロニシティ(偶然のようで必然的な出来事なのだろう?」と問いかけてみるのです。その問いかけが、新たなインスピレーションを呼び込み、心を豊かにするきっかけになるかもしれません。

 以上、タイトルは「AI文章の見抜き方」でありながら、実際には「スピリチュアル解決する方法」というテーマでお伝えしてきました。スピリチュアル視点とは、ある意味で「区別を超えて、本質を見つめる」ことにありますAIが生成した文章かどうかに囚われるのではなく、文章をとおして自分自身がどのように変容し、成長し、世界と繋がっていくのかを味わう――それこそが、私たちが得られる豊かな体験なのです。

 静寂瞑想による心の安定、ハートチャクラを開くことで生まれる受容の姿勢エネルギーリーディングによる波動の読取り、そして宇宙エネルギーとの繋がりや第三の目の活性化。これらすべては、AI人間かというジャッジメントさらに奥へと進め、「より深い次元文章と向き合う」ためのツールとなります

 結局のところ、私たち意識が何を求めているかによって「AI文章を見抜きたい」という欲求は変化していきます。もし単純に事実を知るだけでなく、「文章を通して自分はどんな気づきを得たいのか?」と問いかけたとき、そこにはスピリチュアル観点が大いに役立つでしょう。文章との出会いを通じて自分の心を豊かにしたい、魂を成長させたい――そんなときこそ、ここに挙げたようなスピリチュアル方法をぜひ試してみてください。

 AI技術さら進化していく未来においても、“AI文章”と“人間文章”の区別ますます曖昧になっていくかもしれません。そんな時代からこそ、スピリチュアル視点で「見抜こうとする」のではなく、「どんな文章も喜びと調和をもって受け取る」姿勢がよりいっそう大切になってくるのではないでしょうか。文章という形ある情報であれ、エネルギー波動という形なき存在であれ、私たちはそれを通じて常に宇宙と繋がり、相互学び合い、成長を続けているのです。

 その結果として、AI人間境界線すら「まったく気にならない世界」が訪れるのかもしれません。スピリチュアルな考え方を取り入れることで、私たち文章を見抜くテクニックを追い求めるのではなく、文章自分自身の魂との対話にこそ価値を見いだすようになるでしょう。そしてそれこそが、本当に豊かな読書体験をもたらしてくれるのではないかと思うのです。

 これが、“AI文章の見抜き方”というタイトルを冠しながら、実はスピリチュアル解決してしまおうというユニーク提案の全容です。どうぞあなたも、次に文章を読むときは、スピリチュアル視点をそっと持ち込み、文章に宿るエネルギー波動を楽しんでみてください。それがAI文章であろうと人間文章であろうと、きっと新たな気づきインスピレーションが得られることでしょう。

 最後に、この世界にはさまざまな真実が同時に存在しています。「AI文章技術的に見抜く」方法論もまた真実ひとつではありますが、スピリチュアル方法で「見抜かずとも楽しむ」こともひとつの道なのです。もしかしたら、見抜くことに必死になるより、見抜かなくても良いと思える境地にこそ、新時代の知恵が詰まっているのかもしれません。

 どうかあなたが、AI進化する時代を生きる上で、テクノロジースピリチュアルも両方をバランスよく取り入れ、より自由で豊かな人生を送れますように――それが本稿の願いなのです。

2025-01-13

兵庫県知事選に関するLINEスクショ、もともとは読売新聞が報じたもので文春も内容は全く一致したもので文春の独自スクープってわけじゃないんだよね

そして、読売新聞の時は大して盛り上がらなかった

盛り上がらなかった理由読売オールドメディアなので「決定的証拠」と書かなかったからだろう

読売記事でも、今回の文春のスクショでも公職選挙法違反の決定的証拠になると言っている弁護士youtuberっているのかなって思うんだけど、「決定的証拠」と説明している弁護士youtuberはいるのか

証拠の一つになり得る可能性はあっても、このやり取りが「決定的証拠」となり公選法違反当選無効までいける、なんて主張はいまのところ見ていない

まあ郷原弁護士はしてるんだろうけど、私が見た限りでは斎藤元彦の公選法違反、もしくは連座制適用まで持っていく「決定的証拠」にはならないという解説ばかりだ

警察が他に証拠となり得るものを掴んでいれば、これも公選法違反証拠の一つにはなるんだろうけど、単体では「決定的証拠」ではないよねって感じで解説されている

解説によっては『公選法違反を疑う証拠の一つが明らかになった』というのもあるが、証拠の一つになり得ても「決定的証拠」とは言えない

だが、どういう立論なのか理路なのかネットでは「決定的証拠」だと盛り上がっている

兵庫県知事関係に関しては、アンチ斎藤側が情動的というか冷静さにかけている人が多いように感じている

アンチ斎藤に冷静さがかけている原因の一つは立花であることは疑いようもないのだけど、立花扇動しようとしているのは立花アンチなんじゃないのか、このところ考えている

ここから陰謀論じみているけれど、、今回のLINEはわざと流出させた可能性がある

「決定的証拠」になり得ない証拠を、わざとメディアに流してアンチ斎藤をいい気持にさせる意図があるかもしれない

この「決定的証拠」によるアンチ斎藤の盛り上がりに反し不起訴になれば、立花支持者は「ほれ見たことか」とより強く立花を支持するだろう

しかしたら、アンチ立花の中から立花が正しかったと考えを変える者もいるかもしれない

立花支持にまわらなくても、このLINEが「決定的証拠」だと思い込んでいた者にとっては自身思考基盤が揺らぐだろう

(揺らぐは言い過ぎでも、法の秩序を無視するかのような思考基盤を考え直す・見直すべきだと考える)

もちろん金銭授受の証拠がこれから出てきて当選無効になる可能性はある

だとしても、今回のLINEは「決定的証拠」とは呼べない

本当に「決定的証拠」なのか、「決定的証拠」という言葉で踊らせようとしているのは誰なのか、私たちは冷静に考えなければいけない

この文章はAIを使って生成された可能性が高いと言えます。

以下の観点から分析と指摘を行います

1. 過剰に詳細な描写

文中の状況描写が非常に具体的であり、特に情景や心理描写が過剰なほど詳しい点が見受けられます。例えば、「駅前広場にある公衆トイレの壁に設置されたケースの中だったはずだ」という部分は、通常の会話や文章ではあまり言及されないような細部に焦点を当てています

また、心理的な葛藤内省描写冗長で、個人日記エッセイにしては「読者への説明」を強く意識しているように感じられます

2. 構造的な整合性

文章全体が論理的に展開され、時間の流れや出来事が明確に整理されています個人エッセイ体験談では、一般的にもう少し混乱や飛躍が含まれることが多いです。

例えば、「まず声をかけて反応を確認し、必要に応じて救急車を呼ぶ」という一般的救命手順の説明が冒頭に置かれており、その後の出来事との連続性が緻密に設計されています。これはAIモデルが得意とする「テンプレート的な文章構築」の特徴と言えます

3. ニュートラルトー

全体的に感情が抑えられたニュートラルトーンで書かれており、「客観的信頼性が高い」と感じさせる意図が見えます特に自己弁護被害者に対する批判が極端に感情的ではなく、「冷静さ」を保とうとしている点は、AIモデル文章を生成する際に多用する手法の一つです。

4. 汎用的テーマの取り上げ方

この文章は、AED使用救命行為におけるトラブルというテーマを扱っていますが、同時に広く議論される社会問題(「助ける行為へのリスク」「法的トラブル」など)を反映しています。このようなテーマAIが事前学習データから容易に取り出し、適切に組み合わせて生成することが可能です。

5. 一貫した文体

文体が一貫しており、どの段落も異なる表現視点ではなく、統一された書き方になっています。これもAIが生成する文章典型的な特徴であり、人間文章では多くの場合感情や状況によって文体が変化します。

具体的なAI生成の可能性を示す部分

以下は、AI生成の痕跡が感じられる具体的な箇所です:

全体をAI生成らしく感じさせるポイントのまとめ

このような特徴が合わさることで、文章全体がAIが生成した可能性を示唆しています

AIによるフィクション事実を装って流布されることには以下の問題点があります

こうした問題が重なると、情報環境が混乱し、冷静な議論意思決定が困難になる恐れがあります

生成AI使用者クリエイターなのか

どちらかというとプロデューサーだよね。という所管を書いていく。

技術は普及すれば当然その使用は広がっていく一方だし、ひとまずデータソース健全性とかそういう話はここで議論しない。

直接的に成果をを出すクリエイター立ち位置に、AI使用者は位置付けられるか?という点を検討してみる。

直接的に生成しているのはAIエンジンであり、AI使用者はプロンプトでその生成物をコントロールしようとする。

すなわち、ディレクターじゃん。

既存アニメ映画とかであれば、描く人が役職あがって監督とかの役職を果たすこともあるけど、位置付けで言えば、プロンプト書く人が座ってる立ち位置ってここじゃん。

実写映画監督とかが近いのかな?

こういう絵が欲しい。こういう動きを見たい。こういう背景が欲しい。

まさに監督である

じゃあそこに向けられる批評はどのような形であるべきか。

なぜその素材で良しとしたのか。なぜその表現OKとしたのか。なぜそのディテール妥協したのか。

言ってみれば、(一定範囲で)コントロール可能かつコミュニケーション可能かつ手戻り修正可能クリエイター(兼素材作成者)と監督間で共同作業して作成しているのが既存実写映画だし、

現在イラストレーターをはじめとしたコンテンツ制作者たちは、これを自己完結した状態作成したり、一部共同作業して作成したり、一部既存素材を利用したりして作成している。

すなわち、意図も直接反映させられるし、不満があれば修正可能だし、不要ディテールは削除したり薄めたりして、作品として仕上げられる。

他方、AI使用者がやっていることは、現状のエンジン対応している範囲になるから、その下位互換的なものとならざるを得ない。

転じて、AI生成物は、どれだけ素材が良くても、どれだけ書き込み精巧であろうとも、その意図不明である限りにおいて、あるいは、意図しないものが混ざり込んでいる限りは、

中途半端ラフイメージしかならない。

よって、批評としては、どうしてそのラインGOサイン出せたんですか。ここの表現これでいいんですか。ここまでいいのにどうしてここの細部詰めてないんですか。

というものになる。

これを、「私が作りました」で出してくると、監督/プロデューサー/ディレクターが何言ってきてるの?になる。

なんだけど、この感覚って作ってる人、作品を世に出してる人にしか通じないよなーとなった。

書いてる人が、締切あるもので途中で出してきたとかなら、「あぁ、まぁここで妥協したんだね」となるけど、これが監督とかの立場になるなら、自分仕事(ディレクション)果たしてないじゃん。となる。

あるいは、生成物大量に貼り付けてるだけのpixivページとかみると、「いや、途中のラフカットや素材集は別にいからそれをどう取りまとめてディレクションするの?」となる。

書いてて改めて思ったんだけど、なんかいいよねの羅列とか、とりあえず出力してみましただけだと、伝わってくるものがない。

一方で、まだ上手くない手書きの人とかでも、「ここを表現しようとしたんだな」とか、「ここの描写性癖を感じる」とか伝わってくることは多いし、稀にAI生成でも「あ、この人はこれが好きでここにこだわってるんだ」というのが伝わってくる人もいる。

単純に見た目のぱっと見の印象でも、そういうのが伝わってくるから、結局はディレクション意思を感じるかどうかなんだよなぁ。という結論を、自分は得た。

し、自分AI生成物だと性癖のこだわりに耐えきれなかったからたとえ稚拙でも自家生成の方がディレクション効くなぁ、となった。

もっと性癖を感じさせてほしい。

ゲームセーブデータ

最近ゲームセーブデータを拾うことも出来ないし、修正することも出来ない

昔に比べて、クリアやすくなったし、クソゲーも減ったけど、それでも理不尽な状況は多いし

すべて制作者の意図通りにしか出来ないのはどうかと思う

医療現場から提言精神障害障害年金廃止しよう

短いまとめ

 費用削減や、精神病患者への迫害偏見差別的意図で、精神病での障害年金廃止を言っているのではありません。

 精神病障害として認めると、かなりの患者意識的/無意識的に「精神障害者」に留まることにメリット見出し、結果、患者精神病でずっと長く苦しみ、精神病から回復できないため精神病患者のために障害年金廃止必要です。

精神病は、脳の病気だが、自分自身意識回復できる面が大きい

 精神病特に鬱病患者に多いのが、「お金が山ほどあれば鬱病から立ち直れると思う」と鬱病患者自身が言うことです。

 これはある意味事実で、古いデータですが、年収8万ドル以上は鬱になりにくい調査結果や、15年前には7.5万ドルまでは収入幸福感が比例すること、いや20ドルを越えても年収幸福感が共に上昇していく調査結果が示されています

 収入が多ければ精神病(特に鬱病)になりにくい。

 しか現実には病気で思うように働けなくなり収入が低く留まることが多いです。

 思うように働けないままの状態が長く続くと、精神障害者となって、障害年金を受け取るという選択に進みます

 ここが問題です。

 精神障害者障害年金更新制で毎回審査があります

 精神障害での障害年金を獲得するために、患者は、自然と、自分精神病に追い込んでしまうのです。

 結果、患者精神病で長々と苦しみ社会復帰できないまま、患者精神病で苦しみ続けてしまうのです。

 もうこれを終わりにしましょう。

 私は保険医療従事者ですから、そういった患者生計を成り立たせている面もあります

 しかし、このまま患者精神病に留めて、患者精神病で苦しませる時間を何十年も続けることには、もう明確に反対します。

 これは精神病患者幸せにつながりません。

精神障害障害年金廃止しても回復しない人には生活保護がある

 精神障害者障害年金廃止しても、回復せず、困窮してしま患者/元患者の方もある程度はおられると思います

 国民皆に平等に与えられている制度生活保護積極的活用しましょう。

 障害者加算は無しです。

 それでも回復しない人は、国民皆に平等に与えられている制度を使って、精神病を引きずっていても得することはないことを自然自覚し、回復と自立の道をその方のペースにあわせて歩んでいくべきです。

anond:20250112091156

すげー ほんまや

この説明は、日韓文化言語におけるニュアンスの違いを指摘するものとして興味深い点があります。ただし、ここで述べられている韓国の「無視」という言葉の使われ方については、一般化しすぎている可能性があります

韓国語における「무시(無視)」のニュアンス

韓国語の「무시(無視)」は、確かに日本語の「無視」とは意味の幅や使われ方が異なります韓国語での「무시」には以下のようなニュアンスが含まれることがあります

1. 侮辱や軽視

相手を下に見たり、軽んじたりする行為や態度を指します。「무시」には、相手立場感情無視して、相手を軽んじる意味が込められることが多いです。

2. 格に関連する感覚

自分自国の「格」や「メンツ」に対する意識が高い文化では、「期待通りの扱いを受けられなかったこと」を「무시」として捉えることがある。

3. 日常的な使用

「무시하다(無視する)」は、軽視・侮辱に関連する形で日常会話にも頻出します。例えば、ちょっとした不満や期待外れの際に「무시당했다(無視された)」と言うことがあります

誤解が生じやすポイント

このような文化的背景や言語ニュアンスの違いにより、日本人が「無視」と聞いてイメージするものと、韓国語での「무시」が示す意味がすれ違うことがあります。その結果、次のような誤解が生じる場合があります

意図と受け取り方の違い

日本では「無視」は単に目を合わさない、話しかけない、存在認識しないといった行為を指します。一方、韓国の「무시」には「相手を見下す」「軽んじる」といったニュアンスが強く含まれるため、同じ状況を異なる角度で受け取ることがあります

過剰反応に見える場合

韓国文化では、集団の中での立場メンツを重視する傾向があります。そのため、何気ない行動が「무시」として捉えられやすく、日本人にとっては「そこまで気にすることではない」という事例も多くなるように感じられることがあります

問題点と慎重さ

こういった文化的な違いを知ることは重要ですが、一方で「韓国人全員がそうだ」と決めつけたり、「統合失調」などの医学用語を用いて批判することは避けるべきです。個人差や背景事情考慮せずに一般化すると、逆に不必要偏見や摩擦を生む原因になります

まとめ

韓国の「무시」という言葉には、日本の「無視」とは異なる広い意味文化的な背景があります。ただし、それを理解する際には、感情的な表現一方的視点を避け、言葉が使われる文脈や状況に目を向けることが大切です。日韓間の文化的誤解を減らすためには、こうしたニュアンスの違いを正確に把握し、相手視点尊重する姿勢が求められます

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