はてなキーワード: 無関係とは
『俺の屍を越えてゆけ2』が不評とされた主な理由は、スタッフの個人的な思い入れがゲームの制作に影響したことが挙げられます。具体的には、開発スタッフが小説『鬼斬り鵺子』のファンであったため、開発の早い段階で新キャラクターの鵺子をゲームに登場させることを提案し、開発が進められました。この個人的な提案が、ゲーム全体の流れや質に影響を与え、不評につながったと指摘されています。
公私混同の影響: 開発スタッフの個人的な要望が取り入れられたことが、ゲームの不評を招いた主要因と考えられています。
キャラクターの導入: 小説『鬼斬り鵺子』の登場人物である「鵺子」が、作品の方向性とは無関係な理由で新キャラクターとして導入されました。
誰か教えてくれ
ふつうは命令されてるかどうかとは無関係にゴミ屋敷になってでも楽するようなことはしないだろうと考えるよ。
dorawiiより
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性犯罪自体は命をうばったりあとに残るような傷害とはちがうという理屈はわかるし心の傷は測りづらいというのもわかる
でも
性犯罪があることによってもたらされるインパクトを考慮してないと思う
犯罪者予備軍として不当に扱われるの嫌だよね?
ただでさえ混む満員電車が女性専用車両の影響でさらに混むの嫌だよね?
このテロリズム同等な悪影響の大きさを考えれば
性犯罪はどう考えても死刑ぐらいの最大限の抑止力を使うのが妥当ではないだろうか
性犯罪が激減したら良くなることがたくさんあるんじゃないだろうか
「VTUBERが他のVTUBERのFAに良いねをつけるのは営業行為なのでやめた方がいい」という指摘を受けたVがおり、話題になっている。
https://x.com/calameuyamuya/status/1983024388929941612
「営業行為の何が悪い?」という反応があったが、これはクソである。
反応の中で気になったのは「営業行為の何が悪い?」というもの。
飛び込み営業やDMを例に挙げて「こういうのも文句言うのか」などと言っているバカもいるが、文句はいくらでも言われてるだろ。
お前がポストしたらお前に興味のない人に通知が行くのか?バカめ。
出たよ最近多い「法に反してないんだから嫌うこと自体がおかしい」バカ。
「営業行為」全般はともかく「クソな営業行為」なら批判されて当然だろ。
存在する。
FAの話だと分かりにくいだろうから、文字のみのポストについての事例を挙げよう。
例えばこうしたタイトルの配信をXに共有するといいねがくる。 「雑談 #vtuber」
具体名は避けるが、通常配信の同接が数十~二百程度のVへのリプにつくことが多い。
いいねが付く具体例 「@OshiExample おはよう」 「@OshiExample おつかれさま」
「いいね」を送るのがせいぜい推し本人だけの環境であれば、他人のいいね数を見ればスパムが来ているのが分かる。
スパマーはこのリプ先より小規模な個人勢や、小規模グループだ。
「小規模Vが好きなんですね?チラッチラッ」ってか?クソどもが。
他にも検索でいいねを連打しているのが分かるキーワードがいくつかある。
そういう情報商材でも出回ってんのか?
「いいね」が届く、つまり営業をされるのはFAを書いた絵師だ。
つまり「いいね」の意図は「私の絵もタダで書いてくれると嬉しいな」である。
これ自体は悪いことではない。
Vtuberは本人の生身の見た目以外の部分を売りにしているコンテンツなのだから、好きなものを「いいね」することを制限するのはおかしな話だ。
ただし誤解を招く可能性はある。
本当に個人的な趣味を楽しんでいるのが分かるようなサブアカウントで行うとか。
雑に上げたが、上記はあくまで筆者がスパムではなさそうだと判定したことのある要素の一つに過ぎない。
それで思ったのは出来るようになる前は動画で勉強して「後ろにボールがあるイメージで蹴るようにする」とか聞いて必死にその通りにしようと頭のイメージに対して実践のたびに実際の動作とすり合わせようと必死になるけど、出来てしまうとそのイメージと無関係にできてしまうし、むしろ動画のフォーム通りにやろうとするとかえって失敗するようになるってこと。
つまり結局はこういうものに対する人からの教えというのはどこまでいっても、自分にとって成功できるやり方に身体感覚がたどり着くための参考でしかなく、教えと寸分たがわない方法でやらなければいけないって考えはかえって毒であるということ。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251029130057# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaQGRgQAKCRBwMdsubs4+ SCnPAP9+3dpUzOohRjMnpakhafUYo4XOY2TPLQIEJf+Jfamv0AD/WmGloBg+XTm/ 4OlnxtGcQWhFFMBt/VmAY9kK0aEfJAQ= =oJ6O -----END PGP SIGNATURE-----
大抵山手線に各駅停車(普通)以外の種別として快速などを導入するといった時に出てくる内容は以下の通り
鉄ヲタじゃないにわかな人間でも流石に特急や新幹線は知っているので、そうした駅は必ず停車駅に指定されている
東京・品川・上野は新幹線、新宿・池袋は特急が止まるので指定されやすい
快速運転の可能性として京浜東北線のレール案の定期もあり、湘南新宿ラインや上野東京ラインなどの停車駅を踏襲するパターンもある
このため並行したレールがあっても山手線のホームしかない大塚・巣鴨・駒込やその付近はダサい駅もあって通過されがちである
テレビで特集される際に山手線の車両基地も紹介されるが、この車両基地の存在で池袋と大崎は停車駅に指定されることも多い
池袋については前述した理由で指定されやすいが、大崎は大崎止まりのうざさで通過されることも少なくなかった
近年はコミケや相鉄直通の存在もあって以前と比べるとマシにはなりつつあるが、待避線が存在する理由も含めてヲタじゃないと指定されない運命にある
別の定期ネタであるインターネット老人会の乾電池FLASHで出てきたチャレンジングクイズ号や
東京始発東京止まり途中停車駅無しの山手特快(特急パターンなどもあり)という今となっては氷河期以下に寒いネタが入れ込まれることもある
コリアタウンのある新大久保駅は2ちゃんねるのコピペなどでは各駅停車すら通過することも見られる
前述した山手特快のように韓国特快と称して新大久保始発新大久保止まり途中停車駅無しを入れてフォロー()することも見られる
前記事(anond:20251027134053)では、篠田氏が明言しているとおり「青の純度」はラッセンに着想を得たがラッセンのモデル小説ではなく、篠田氏がラッセンのモデル小説であることを否定した点をもって同氏が嘘つきであるかのように非難するのは的外れである旨を説明した。
さて、そうだとしても、「青の純度」は原田氏の研究を参考にしたにもかかわらずそれに言及しておらず不誠実でないか、という主張がある。なお、著作権侵害ではないこと(したがって表現の剽窃が無いこと)は原田氏自身も認めるとおりであるから前提としてよかろう。
ここから先は出題編だけでなくオチまで含めた全面的なネタバレがあるので、ネタバレを読みたくない未読者にはブラウザバックを推奨する。
原田氏が「青の純度」が自分の業績の盗用であると主張する主な根拠は次の4点である。
①悪徳商法と切り離して美術的評価を検討するという視点は自分が言い出したことである。
②「インテリアアート」という用語は自分たちが世に出したものである。
③日系人の墓が西を向いているという話は自分が現地で伝え聞き紹介したものと同じである。
④偽ラッセンが8年前の嵐で自宅を被災したという設定は、ラッセンが2023年のハワイ島大火災で一時行方不明になったという自分が発見した事実に酷似している。
このうち②は原田氏のラッセン展(2012)よりも前から「インテリアアート」という用語が広く使われていたこと、③は原田氏自身も現地で伝聞した旨を述べているとおり原田氏の独創ではないこと、④は「8年前の嵐」と2023年の火災は似ても似つかず、8年前の嵐は物語の重要な小道具であり、2023年の火災はエピローグで軽く触れられていることなどから、いずれも牽強付会と言ってよかろう。
そして、この点でも、以下の理由から、原田氏らの研究を参照したとは考え難いように思う。
まず原田氏らの研究について、ラッセンを再評価してみるというアイデアだけなら、永野の「ゴッホより普通にラッセンが好き」というネタを掘り下げれば容易に行き着くアイデアであって(それにしても「普通に」を入れた永野は慧眼である。)、研究成果とは言えない。研究的価値があるのはその先の、再評価するとどうなるかという部分だ。
それでは原田氏らの研究はラッセンをどう再評価するのか。これについては原田氏らの論考集に対するAmazon読者コメントがよくまとめてあるので引用する。
1.美術界がラッセンを無視した理由:純粋美術はラッセンの属するインテリア・アートを一段と下に見ていた。アートの美意識を理解しない層に支持されていて、大きなマーケットを獲得していることへの反発があった。また、芸術には必ずあるはずの作家の自己の投影がない「空っぽ」の作品としてラッセンを排除していた。ラッセン以前にも美術界は古くは藤田嗣治、岡本太郎、草間彌生、バブル期にはヒロ・ヤマガタ等に対して無視の態度をとってきた。
2.ラッセンの作品への評価:マーク・マッカイやロバート・ネルソンなどのマリンアートの模倣であって彼のオリジナルではない。同じ素材(イルカ、クジラ、星、波など)の組み合わせを替えて使い回す自己反復が顕著である。特徴は圧倒的な情報量と人工的な空虚さである。「調和」「エコ」「静寂」「浄化」などのイメージを散りばめることでリラクゼーション効果を発揮している。ラッセンはいわばアロマキャンドルである。
3.日本人がラッセンを愛した理由:バブル期に豊かになった市民は百貨店で自宅の装飾用に絵画やインテリア・アートを買うようになった。それはアールビバン(株)がヒロ・ヤマガタやラッセン展示会を地方都市で巡回して売りまくる素地となった。ラッセンの作品は、過剰であり、大衆的である。リアルで過剰な演出がバブル期の人々の心性と符合した。見た目がカラフルでわかりやすい、専門知識がなくても理解できる。1作品を1000枚単位で刷る大量生産によって全国で強引に売りまくった。
4.ラッセンのプライベート:ハワイの工房に100人の従業員を雇って作品を制作している。公式サイトでの肩書きは画家、詩人、作家、音楽家。ラッセンが愛好するものとして海、サーフィン、高級車、有名ブランド品、美食、マウイの豪邸などの徹底した成金趣味。彼が出しているCDアルバムの収録10曲のうち自作は2曲のみで他の8曲はカバーである。しかし、自作を装っているところにラッセンという人物の本質が窺える。
これに対し作中の偽ラッセンの作品の評価や背景は次のようなものである。
絵の特徴点とされるものが軒並み先行研究に表れていない篠田氏の独創である。特にその技巧的特徴や日本人に受けた理由を画家の日本人の血で説明している点は、本作のテーマに関わる重要な特徴だろう。そうなればこそ本作はハワイ在住日系人に関する参考文献を多数掲載した、現代の日系人と在ハワイ日本人の物語なのだ。
そして、作品の特徴を日本人の血に求める以上、本作の画家とラッセンの評価は全く無関係だ。本作はラッセンの再評価などまったく目的としておらず、ラッセンの再評価についての文献を参照する必要に乏しい。というか、もしラッセン研究での再評価を借用したならば、「青の純度」の物語は全く成り立たない。
原田氏自身が、「青の純度」と自身の研究の類似性を研究成果ではなく再評価というアイデアしか挙げることができていないように、これで篠田氏が原田氏の研究を剽窃した、不道徳だと言うのは、無理があるのではないか。
政治に詳しい人たち「中国が台湾に攻めてくるぞ!日本も無関係ではいられないだろ!」「たしかに緊張は高まっているが、そこで日本が軍拡を進めることは、むしろ緊張を余計に高める行為だろ!」
政治に無知なくせに詳しいふりをしたいだけの人たち「中国が日本に攻めてくるぞ!」「中国が日本に攻めてくるわけねーだろwバカじゃねーのw」
ああ、等々力競技場。その名は、Jリーグファンにとってある種の聖地であり、また、アウェイサポーターにとっては試練の場でもある。 中でも、ホーム側の熱狂的な応援に比べ、アウェイ側の静けさと、そして——あの「がっかりドッグ」の存在は、ある種の伝説となっていた。
物語は、等々力競技場のゴール裏、アウェイ側スタンドの、日陰の片隅から始まる。
主人公は、増田。 首都圏から遠く離れた街をホームとするJ1クラブの熱心なサポーターだ。等々力での試合は、年に一度の大遠征。朝早くから新幹線に飛び乗り、高揚感と少しの緊張を抱えながら競技場にたどり着いた。
しかし、アウェイ側のグルメブースはいつも寂しい。 ホーム側が華やかなケータリングカーで賑わうのに対し、アウェイ側はひっそりとした売店が一つ。そこで売られている「ホットドッグ」は、サポーターの間でいつしか「がっかりドッグ」と呼ばれていた。
その名の通り、フランクフルトは細く、パンは水分が抜けて少しパサつき、キャベツの千切りとケチャップ・マスタードが申し訳程度にかかっている。シンプル、というよりは、簡素。
増田はため息をつきながら、500円玉を差し出した。 売り子の女性は、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔でドッグを渡してくれた。
それが、アヤとの出会いだった。
アヤは、その売店で働く、短大生のアルバイト。 彼女はホームであるフロンターレのサポーターではない。ただ、近所に住んでいるという理由で、週末の試合のたびにこの「アウェイ側売店」に立っていた。
「あの…いつも、ありがとうございます」 アヤは、申し訳なさそうに言った。
増田:「いや、こちらこそ。でも、このドッグ…本当に名前の通り『がっかり』ですよね。ホーム側はすごく美味しそうなのに。」
アヤは少し肩を落とし、苦笑いをした。 アヤ:「知ってます。私も正直、そう思います。でも、ここはアウェイ側ですから。お店の人も、『遠くから来た人たちに、最低限のエネルギーを』って言ってて…華やかさより、シンプルさを追求してるんです、一応。」
増田は、彼女の真面目な受け答えに、少し意地悪な気持ちになった。 増田:「最低限のエネルギー、ですか。でも、このパサパサのパンと細いソーセージ…これを食べたら、逆に力が抜ける気がしますけどね。」
アヤは、増田の鋭い言葉にひるむことなく、逆にまっすぐ彼の目を見つめた。 アヤ:「それでも、遠くから来て、ホームの熱気に圧倒されながら応援する皆さんの姿を見ていると…このドッグが、少しでも心の支えになればって、いつも思ってるんです。」
その瞬間、増田の胸に、今まで感じたことのない何かがこみ上げてきた。 それは、試合の勝敗とは無関係の、一種の切なさ、そして、共感だった。
がっかりドッグ。それは、華やかさとは無縁の、アウェイサポーターの孤独と、ちょっとした惨めさを象徴しているかのようだった。しかし、その簡素さが、かえって彼らの純粋な「応援」の原点に立ち返らせる。
増田は、ベンチに戻り、ドッグを一口食べた。 パサつくパン、細いソーセージ…だが、ケチャップの味が、いつになく甘く感じられた。
それ以来、増田は等々力での試合を心待ちにするようになった。 がっかりドッグを食べることが、彼のルーティンになった。
増田:「…やっぱり、がっかりドッグですね」 アヤ:「…はい」
そんなやり取りが、年に一度、二度、繰り返された。 いつしか、増田はアヤに、自分のチームのこと、遠征の苦労、そして何よりも「がっかりドッグ」への複雑な感情を話すようになっていった。
増田:「初めて食べたときは、本当にがっかりしました。でも、今は…このドッグこそ、俺たちの等々力での勲章みたいに思えてきたんです。ホーム側の豪華なグルメは、俺たちには関係ない。この寂しさが、俺たちの闘志を燃やす。」
アヤは、そんな増田の言葉を、静かに受け止めていた。彼女の眼差しは、ただのアルバイトのそれではなく、アウェイ側の厳しい環境に理解を示す、一人の人間としての温かさがあった。
やがて、二人は連絡先を交換し、試合のない日もメッセージを交わすようになった。 アヤは増田に、「今度、等々力のホーム側グルメ、一緒に食べませんか?」と誘った。
増田:「いや、それは遠慮します。俺が食べるべきは、がっかりドッグですから。でも、もし良かったら…試合がない日に、君が『がっかりドッグ』を作ってくれないか?」
アヤは笑った。心からの、明るい笑顔だった。 アヤ:「いいですよ。とびきりがっかりな、最高のホットドッグを。」
そして、次の等々力での試合の日。 増田は、再びアウェイ側の売店に立った。
増田:「がっかりドッグ、一つ」 アヤ:「はい。今日のは、特別に力を抜いて作りました」
アヤは、彼にドッグを差し出す際、そっと付け加えた。 アヤ:「ねえ、増田さん。このがっかりドッグ、食べ終わったら、少しだけ、私に時間をくれませんか?その…競技場を出たところで待っています。」
増田の心臓が、ゴールが決まったときよりも激しく高鳴った。 彼はドッグを掴み、その場で一口、大きくかぶりついた。
パサパサのパン。細いソーセージ。申し訳程度のキャベツ。 しかし、その簡素さの中に、二人の間で育まれた、誰にも理解できない、純粋で、ひたむきな「愛情」の味がした。
増田は確信した。 この「がっかりドッグ」こそ、等々力競技場がアウェイサポーターに贈る、最高の、そして一番の「ご馳走」なのだと。
そして、増田は、スタンドの喧騒を背に、最高のエネルギーを胸に、アヤの待つ競技場の外へと歩き出した。彼の手に残ったのは、最後のケチャップの甘い名残と、新しい未来への期待だった。
仮にそのゲームをAと呼ぶ
X(旧Twitter)でいつもハッシュタグを検索してAの情報収集をするのを楽しみとしている
最近、このゲームとは直接関係のない、ただし開発・運営会社は同じで内容そのものもよく似たゲーム(仮にこのゲームをBと呼ぶ)についての内容を、AとBのハッシュタグを併記して投稿する人がいて、地味に迷惑に感じている
Aについての情報を知りたいのに、その人が投稿するのはほとんどがBについての情報なのだ
AとBはよく似たゲームなのは確かだが、別のゲームであることも確かなので、知りたい情報とは無関係な内容を毎回目にすることになる
ちなみにこの人以外にABハッシュタグを併記している人はいない
Aの投稿にはAのハッシュタグ、Bの投稿にはBのハッシュタグのみをつけ、きちんと住み分けている
さらに、最近その人はAとBのハッシュタグを使いつつ「ゲームとは関係ないけど今日食べたごはん!」と日常投稿までし始めるようになってしまった
その人はAとBのゲーム界隈ではそこそこ有名な人で、AB双方のゲームユーザーとの人脈も広いし、チームヘルプなども積極的に行っているので人望も(たぶん)ある
おそらく悪意もない……ので注意できない
今日、AとBのゲームに関するオープンチャットでシェアされた情報とスクショを、その人が投稿者に無断でX(旧Twitter)に転載してるのを目撃してしまった
借りた画像です、教えてもらった情報です、とも何も書かずに、まるで自分のプレイ画面のスクショであるかのように平然と投稿していたのだ
普段の言動からみて「情報をシェアしたらみんなが喜ぶから」という純粋な善意からやっているのは疑いようがない
だからこそ救いようがない
もうほとほとうんざりしているのだが、ゲームコミュニティのハブのような存在なのでミュートもできない
一体どういう心理で無関係なハッシュタグを使うのか(ハッシュタグを使い分けないのか)?
いかなる理由でゲームのハッシュタグを自分の日常生活の投稿に使うのか?
その謎を探るべく我々はアマゾンの奥地へと向かった