はてなキーワード: 逃避行とは
そろそろ秋アニメも折り返し地点なので自分が今見てるアニメ覚え書き。順不同。
テレビ放送のみ。配信は見てない。あと銀河英雄伝説Die Neue These(日テレAnichU枠)や、テレビ埼玉、CBCテレビオンリー放送など多くの地域で放送していないものも見れてない。
アニメはこうやってボーッとたくさん見てるけど詳しくはないです。アニメ制作会社とか声優とかはよく分からんので間違ってること書いてたらごめんなさい
正直なところ2期より好き。相変わらず色んな意味でエグいところを表現してくれるのは関心する。問題が、問題が多すぎる!
ロリコンラブファンタジー幼女戦記。王国の王太子から婚約されたが、実は自分の妹との禁断の恋をカモフラージュするための婚約だったということを知り、それを知ってしまった後は王太子に冤罪をかけられ人生終了。次に気がつくと幼少期まで時がさかのぼり、今度はクソシスコンからの婚約を避けようとしたら隣国の呪われた皇帝に求婚をしてしまう。あれ、やり直す前の皇帝はあんなに殺意剥き出しで恐ろしい男だったのに、今の皇帝には優しさが見える・・・令嬢のやり直しといえば「ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する」が記憶に新しいが、あちらに比べコメディ。ファンタジー要素が多め。
配信先行。配信は見てない。尺の都合で一部カットされている部分があるらしい。1話が愚物語、2話〜6話が撫物語。あまり感想という感想もない。
転生後は弱小貴族だったけど人の能力を鑑定するスキルで人を見定め、有能な仲間を集め成り上がる話の2期目。35歳からの転生者だから子供でも年齢不相応な立ち振る舞いだけど、周りの仲間たちもそんな感じだし、前世の記憶が云々とか話の中では出ないので、あまり転生モノって感じがない。1期から好きだった。やっぱり面白い。
魔法少女お仕事アニメ。現実的世界+魔法少女がビジネスとして成り立っている世界。記憶力が優れた主人公が魔法少女の派遣をするベンチャー企業「株式会社マジルミエ」に就職するところから物語は始まる。零細企業だからできるのだろう、マニュアルや型にとらわれない行動、社員全員チームで働く姿が憧れる。いい会社だな〜と思わせてくれるのでいいアニメなんだと思う。
女性向け漫画が原作、王道ファンタジー。孤児である少女ニナは特別な青い瞳をしていた。ある日国の王女が事故(?)で亡くなってしまう。その王女もまた青い目を持つものだった。国の第二王子は秘密裏にニナを王女として仕立て上げることに。中国王宮ドラマでありそうなストーリー。王女と天真爛漫に生きてきたニナでは性格や振る舞いが全然違う。それだけに王子もニナを王女として教育することに苦労するのだが、ふっ、おもしれー女。いずれは離れると分かっていながらも二人は惹かれ合う。何気にEDが毎回変わっていく。シルエットの絵本が1ページ1ページそれぞれの登場人物になっていく。
私はアイドルアニメが人数多くて苦手なんだけど、スーパースターは人数少なかったし、ストーリーも好きだったので見てる・・・3期のOP見たらまた人増えてるー。オッサンなのでこれ以上増えたらもう名前覚えられんのよ。今回は主人公がLiella!のライバルに。かのんの存在って大きいなーと改めて感じる。今回もNHK放送では本編放送後にミニコーナーがある。受信料特典。
追放系じゃなくて追放されたい系。主人公は実は自分は強くない。たいしたことをしていないのに周りがかってにいい方向に解釈してくれる。最近で例えると転スラの勇者マサユキみたい。スタッフにふともも尻フェチがいるのか、そういったセクシーな描写がよくある。本編も面白いがOPとEDの作りも面白い。正直このアニメの一番の特色はOP、EDにあると思う。アバンタイトルからOPへシームレスに入ったり、OP途中に今回の予告が少し入ったり、EDの途中で次回予告が入り、次回予告のセリフは曲に合わせてラップ調。| OP中に話のハイライトが入るのは、80年代アニメの「蒼き流星SPTレイズナー」で既にやっていると知り、調べるほど今度はレイズナーの魅力に取り憑かれていった。ありがとう、レイズナーに会わせてくれて。
少年誌王道ハーレムラブコメ。男主人公が美人三姉妹がいる所へ居候する話。天涯孤独が縁あって美人三姉妹(JD, JK, JC)のいる神社へ居候しつつ、京大医学部を目指す・・はずだったんだけど神社の苦しい状況を再建することに付き合う感じに。その辺は女神のカフェテラスみたいな。三姉妹はそれぞれの血液型の型にはまったような性格。OPはももクロ。マクロスのドッグ・ファイターやモーニング娘。の真夏の光線みたいに「デケデケデン!!」と入るイントロがかっこいい。EDは明日ちゃんのセーラー服のOPに似てると思った。
りぼん原作の健全なまほあこ。大大大好きな魔法少女ベリーブロッサムの輝く姿を見るため、ポンコツ悪の組織の総帥、クロマの仲間に入り魔法少女と戦う道を選ぶ。OPから本編もボケとツッコミの応酬、ギャグアニメである。舞台はN県某賀市とあるが、日本海やフォッサマグナという言葉が出てくることから新潟県なんだろうな。終始、魔法少女vs悪の組織ごっこみたいなゆるい感じで話が進みつつ、ツッコミどころにはしっかりツッコミが入る!おもしろかわいいぞみんな!!
何でもかんでも 悪女としてーと、(プロとしてー)ファブルもびっくり悪女を目指すためなら努力を惜しまないのが主人公。7歳になったある日、自分は前世でプレイしてたゲームに登場する悪役令嬢になったと気づく。聖女(本来のヒロイン)をだしに歴史残る悪女になりますわよ。聖女の理想論に対し、現実を叩きつけ、聖女の理想を切る捨てる討論が面白い。
大好き。ペットロスで仕事も手につかないホラー絵本作家が主人公。庭に生えたヘンテコなきのこ。土の中から出てきたとおもったら犬だった。いやそうはならんやろ。きのこのように生えてきた犬と作家先生と仲間たちの日常生活。きのこいぬが先生のこと大好きすぎるのが可愛くて心温まる。何気にBGMがすごくいい。きのこいぬは可愛い声で鳴くが、声は男性声優なので、たまに出るため息がオッサンっぽい。見ててこんなにたこ焼きが食べたくなったのはまじかる☆タルるートくん以来かもしれない。え、OP歌ってるのHY!?
特にないです。
好き。釣りアニメ。余命2年人生に絶望。借金取りから追われる最中に川へ転落。助けてくれた釣り人達から釣りを教わりつつ、半分釣具屋化してるコンビニで働く。釣りアニメというか、釣りを通して人生を見つめ直すって感じなのかな。かなりマニアックな釣り知識が飛び交う。BGMのギターがめちゃくちゃいい感じ。釣りシーンでヒットしたら曲調が代わり、魚との格闘を演出するのとか。
こちらも特に言うことないですって感じ。良すぎて言葉があまり出ない。バドミントンに勤しむ主人公は一つ上でバスケ部の先輩に片思いしている。先輩の親が海外転勤になること、親同士が仲がいいことをきっかけに一緒に住むことになる。義姉生活(違)タイトル通り青春を感じるアニメ。青春スポーツ・ラブストーリー。スポーツの動きも各々の感情の表現もすごい丁寧に作られてると感じた。OPはOfficial髭男dism、EDはEve。EDのクレジットにはアシックス、アディダス、デサント、ミズノ、ヨネックス、大塚製薬の名前が。おお。俺にはこのアオハルが眩しすぎてポムじいさん状態。強がるガールのひなちゃんを見てるとツライ。
絵本みたいな作画が特徴的。魔法使いに憧れていた主人公だったが魔法使いへの登竜門である学科に落ち、普通科に入ることに。普通科では今では当たり前になっている電子手帳みたいなものを使う現代魔法ではなく、幾何学的な魔法人を書いて魔法を使う古代魔法を学ぶことに。主人公が来てるシャツがダサかわいい。OPはPUFFYとついでにTOOBOE。
夏アニメから続いているコスプレがテーマのアニメ。ジャンプらしく友情・努力・勝利の要素があるストーリーとなっている。一番好きなキャラは校長先生です。あんな大人に僕はなりたい。この作品は校長先生だけでなく、生徒会長など周りが生徒全員の味方となってくれるのですごい安心して見れる。やさしい世界。1期のOP、シャッターチャンスが好きだったので変わったのが残念。まあ仕方がないですけど。EDの写真は少しずつだけど増えていく。第21話は約束された神回。
2期、京都編。今までなかった新作エピソードもある。第三十四話 逆刃刀 初撃は好きな話だったなー。
ベルくんは罪深い!前回の厄災編は見ててしんどかった。それだけにリューさんの愛しさが極まっていたが。今回はシル・フローヴァ/フレイヤとの話かな。以前からベルに好意を抱いていたシルがベルとデートすることに。ベルとシルの愛の逃避行。まるでローマの休日。しかしフレイヤの劇場型悪意でなぜ僕の世界を誰も覚えていないのか?状態に。ベルくんかわいそう。原作では前回のリュー中心の話と今回のシル中心の話が第4部「豊穣編」にあたるのかな?OPはGRe4N BOYZ(元GReeeeN)。AIの遺電子とか大雪海のカイナとか、たまにアニメの主題歌担当するね。
ソレアガリダヨ。裏世界麻雀アニメ。高レートの雀荘を荒らし回る高校生が主人公。裏レート麻雀闘牌録とタイトルにあるとおり、ヤクザとかがいるヤバイ世界にも出入りする。『賭け麻雀は犯罪です』というテロップがは入る。PCのモニタがCRTというのが時代を感じる。東風荘が流行った頃か。2013年に実写化している。OPはオーイシマサヨシ。EGO-WRAPPINみたいな曲調。
これまでレン&フカ次郎vs ピトフーイ&エムだったが、今回はこの2チームが一緒のチームとして組むことに。が・・・。前回放送から6年か・・・。もういろいろ覚えてなかったりする部分があるが、戦闘を観戦してる人が「あいつ前回レンちゃんに⚪︎⚪︎された/したやつじゃん」とか教えてくれるの親切。毎回アイキャッチの1枚絵がカッコイイ!こんなこと言ったらファンに怒られそうだけど個人的にソードアート・オンラインはGGOの方が好き。
韓国の出版社が出しているサバイバルシリーズ、子供向け学習漫画が原作。以前からWebアニメや劇場アニメ化はされている。登場人物はジオたちのグループと、ダイアたちのグループの2組いる。1話〜3話がジオたちが登場する異常気象のサバイバル。4話からはダイヤたちの昆虫世界でのサバイバル、ミクロキッズね。EDはtrfのsurvival dAnceをカバー。サバイバル繋がりってことですか。1話と4話の内容に誤りがあり、その後訂正がある。10話11話の「南極のサバイバル」を飛ばして12話を先に放送する。放送前に疑わしい部分でもあったのかな
コミュニケーションスキルに長け大きな野心を抱いたハルと、コンピュータスキルの高いガクが1兆(トリリオン)ドル稼いでビジネストップクラスを目指すバディもの?。やはり大逆転劇は面白いですな。昨年ドラマ化してる。草!草!草!うめぇ!
15世紀のヨーロッパが舞台。地動説を研究することは禁じられている国で破れば命を落とすことにもなる。そんな状況下で命をかけ地動説を研究する少年のお話。宗教コワイ。しかし探究心と感動はそれをも超え誰にも奪えない。OPはサカナクション。EDはヨルシカ。
様々な人種が住む村でのスローライフ。でもないか、平穏な日々を守るため奮闘する。竜が勇者に倒され人間へ転生し、ドランという名前で人生を歩むことになる。ある日、沼の調査に出かけた先で美しいラミアのセリナに出逢う。人間からはラミアは恐ろしいモンスターとされているが、ドランのサポートと、セリナの優しさが伝わり村で一緒に生活することとなる。
天才的頭脳を持つ鴨乃橋ロンと、ピュアな刑事の一色都々丸(トト)が謎をとく推理ミステリー。ロンは優秀だが事件の謎を解いた後に犯人を死に追いやる不思議な力がある。それ故、ロンは探偵業ができなくなっていた。トトはロンに代わり謎を説く役になったり、ロンの暴走を防ぐ役にまわるなどして、二人で難事件を解決していく。Season1を見てなかったけど面白そうだったのでSeason1からいっきに見た。黒(96)蜜好きで首に96のタトゥーがある鴨乃橋ロン。DVDは本編96分という徹底ぶり。次があるなら次の主題歌は96猫に歌ってもらいたい。
リメイクに勝手に不安を感じていたが面白いと思う。がっつり上半身真っ裸シーンとかやるのね。時代的に隠すのかと思った。EDの絵はあずきちゃんみたいな感じもあってその時代を思い出し何かもみな懐かしい。
このシリーズひとつも見たことないのであまり言えたことじゃないんだけど、面白いっすね。たぶん過去のは一応録画してるのでどこかで見ようと思う。
はたらく魔王様! 2099 〜in サイバーパンク。勇者に倒された魔王、復活した時代は2099年。魔王は大きく変貌した世界に驚くのであった。魔王として君臨していた主人公もこの時代では信仰力は薄まり一般人よりも弱い存在となる。そんな中、かつての仲間が行くへ不明になっていること、この世界の闇に触れることになる。有名になって力を取り戻し、余は世界を支配するのだ!ちょうどFF7RとFF16をやっていて、エネルギー問題の設定が似てるのでより面白く感じた。
会社が独身者対象にアラスカ州アンカレッジ支店への転勤を募集する。そこで海外転勤をしたくないもの同士が偽装結婚を企てる。最初は嘘だがお互い意識しあって本当になるってやつなんだと思う。ただ、その過程で結婚するということはどういうことなのか。家の問題、愛し合う人同士が幸せになるのに結婚が必要なのか、結婚とはどういうものか、いろいろと考えさせられる物語。正直見る前と見た後では印象が変わるアニメだった。2022年にドラマ化もしてる。OPのAメロがCharaのやさしい気持ちに似てて懐かしい気持ちになる。EDはゴホウビ。最近多いね
本人はバイク趣味があって、レーサータイプのバイクを持ってよく夜中にツーリングしていたということを近況報告で描いていたが、今から思うとあれは宮崎勤のあれから来るオタクバッシングからの逃避行動だったのかもしれない。
酷い!エロ漫画家とバイク・クルマ趣味は非常に近くて両立するのはZERRY藤尾(山田X)を出すまでもなくロリコンブームの頃からフツーでしたよ!!
どうせ「コミックジャンボ」って知らない人も多いと思うので冒頭で説明しておく。
1988年4月(号)から2002年12月(号)まで存在していた月刊誌。月刊誌といっても中綴じで、まあ典型的なコンビニエロマンガ誌。存在と言ってもこの時期に発刊、休刊したわけではなく、1988年3月号まではコミックJUMBO、2003年1月号からはCOMICジャンボという名称で存在している。ただまあ名称変更の前後で少し編集方針が変わっているらしいので前後誌は今回対象にしない。発行は桃園書房。
で、まあエロマンガ誌なので大抵の作品は読み切りor単話。そんなわけで紹介するのは重要なマンガ、というよりはマンガ家ということになる。ここは了承してほしい。
河本ひろし「表紙」
たぶん「コミックジャンボ」で画像検索すると画質がみんな似ていることに気がつくと思う。これは、コミックLOの表紙をずっとたかみちが担当しているように、コミックジャンボの表紙はずっと河本ひろしが担当していたから。おそらく自分より少し若い人はこの絵柄に馴染みがある人もいるかもしれない。この後彼はボンボンあたりの児童誌で活躍しているので。ただ、エロマンガ誌でありながら表紙がせいぜい控えめなパンチラくらいしかない絵は慣れていない若者がレジに持ち込むための言い訳として非常にありがたかった。下手したら裏表紙のダイヤルQ2広告のほうがエロかったかもしれない絵なので(コミックジャンボの裏表紙にダイヤルQ2広告があったかははっきりとは覚えていない。他の雑誌と混同しているかもしれない)。
時々掲載されているマンガの作風も巨乳前提にしつつコメディタッチが多くて読みやすかった。
こちらも河本ひろし同様、児童誌でも活躍している。ただこちらは児童誌が先、というか、ゲームのコミカライズで知られているかもしれない。一言で言って「みなづき由宇」と同一人物である。画風も巨乳前提ながら読みやすい。ちなみに星里もちるはものたりぬのアシスタントをしていたことがある。
正直、この人はコミックジャンボが主戦場ではなかったはず。それ以外の雑誌や単行本で見ることのほうが多かった。少女マンガと思えるくらいの目の中の星が特徴的な人で、さらに彼を特徴づけていたのが「エロは和姦しか描かない」ということだった。しかもコメディ的に逃げるのではなく徹底して和姦ということは実は当時けっこう特筆すべき特徴だったのだ。コミックジャンボ時期の絵はけっこうデッサンが崩れている(それはそれで味がある)のだけど、現在のサイトを見るとかなり整っていて、続けるということの大事さを感じさせる。
有間しのぶでも西村しのぶでもない。たぶん男性。モデル体型のスラッとした女性を描く特徴のあるマンガ家で、リアルさはないのだけど周辺掲載の巨乳マンガのためにむしろリアルに見えるという特徴があった。表題作は高校の新聞部を舞台にした♂️1vs♀️2(or3)のエロコメで、エロシーンを除けば当時のラブコメとそれほど違いがないが、そのために「ラブコメにありそうでないこんな描写が」という意味で役に立った。「てぃーんず・パラダイス」そのものはKindle Unlimitedで全て読むことが可能だが、何らかの事情で再構成+タイトル変更されているので追いかけるのが難しい。「はいすくーる・スキャンダル」「てぃーんず・パラダイス」「あいつとスキャンダル」「放課後ランデブー」と読むと連載順に読める。なお作品は大人気だったので続編として登場人物を社会人にした「ぼくのアイジン」も連載された。これもKindle Unlimitedに収録されている。
超巨乳で有名な人。あまりに巨乳のデフォルメが過ぎてむしろエロくないという画風かもしれないがやってることはエロである。おそらくコミックジャンボの方向性を最もわかっていた作家で、アニメ風のオタク絵でやることはちゃんとやるという展開は安心して使えた。おそらくコミックジャンボで掲載していたのが一番長い人。
かつて「サルでも描けるまんが教室」で「男向けのエロコメは回転寿司だ」と喝破されていたが、おそらく表題作がこの言葉が念頭にあったかもしれないくらいに内容を表している。とは言えエロいものはエロい。ただ色シーンに少し前の劇画での描き方の残滓が見えるところを見ると、この雑誌はエロ劇画誌とエロマンガ誌の橋渡しをしたと言えるのかもしれない。
てらおかみちお
陰影の少ない画風で、無理やり例えるなら浦沢直樹をわたせせいぞう風に描いた感じ。古く見えるかもしれないが、バブルな80年代後半にはこういう画風が一番オシャレだった。そういう意味では外せない人。
「うるふ・たろう」と読む。画風としてはよく言えば当時の主流、わるく言えばありがちな絵で、ただ大事なのはそういうありがちな絵で他誌にはない絡みが描かれるのがコミックジャンボの醍醐味であったということだ。本人はバイク趣味があって、レーサータイプのバイクを持ってよく夜中にツーリングしていたということを近況報告で描いていたが、今から思うとあれは宮崎勤のあれから来るオタクバッシングからの逃避行動だったのかもしれない。
しのざき嶺「NIGHTMARE」
いちおう画風(特にデフォルメ時)としてはジャンボにありがちではあるのだけれど、ストーリーの陰惨さでは最もコミックジャンボ向きでない作家。表題作は逆恨みから始まる強姦からスタートする作品で、この後誘拐監禁、ピアッシング、奴隷契約、野外露出に強制排泄、肛姦、獣姦、近親相姦、多人数プレイとSM雑誌にありがちなプレイをひと通り全てこなすというおすすめしないマンガ。作者はこのあとそっち系の雑誌でいくつも同系統、もしくはさらに発展した作品を描いている。そもそもこの連載も途中で他誌に移籍している。
夫婦での共同ペンネーム。夫のほうはあさいもとゆき、と言えば思い出す人もいるかもしれない。「スパルタンXの24周目では助けられる役のシルヴィアが襲ってくる」という情報をマンガに描いた人だ。コロコロコミックでの連載のあと、共同名義にしてエロ進出した。正直、今回これを書くにあたって今年妻のほうが交通事故で亡くなったことを思い出さずにはいられない。Lovin’youはマンガ図書館Zで無料で見られるのでそっちを見てほしい。
瞼の奥に閉じ込められた刃物を取り出して
しがらみとなって空気を伸ばして木の根を刈り取って
朽ちることのないQ-vism
愛想をふった寄生獣を
消える 消える 全て 消えた鎖を
獣のような目で見据えた世界には
神も光も何もない
繰り返したぜ Only
見渡せば具現化したドグマが立ちふさがる
涙だってどこかが五月草
背後に見たPeaceをもう一度だけ
Fallin’ ‘Cause my friend
シャキシャキすがる海藻浴に
革新つく理性の愛を
響け 響け 全て 生まれ変われ
汚れた瞼で隠した世界には
嘘も真実も何もない
瞼の奥に閉じ込められた刃物を取り出して
しがらみとなって空気を伸ばして木の根を刈り取って
朽ちることのないQ-vism
瞼の奥に閉じ込められた刃物を取り出して
しがらみとなって空気を伸ばして木の根を刈り取って
朽ちることのないQ-vism
愛想をふった寄生獣を
消える 消える 全て 消えた鎖を
獣のような目で見据えた世界には
神も光も何もない
繰り返したぜ Only
見渡せば具現化したドグマが立ちふさがる
涙だってどこかが五月草
背後に見たPeaceをもう一度だけ
Fallin’ ‘Cause my friend
シャキシャキすがる海藻浴に
革新つく理性の愛を
響け 響け 全て 生まれ変われ
汚れた瞼で隠した世界には
嘘も真実も何もない
瞼の奥に閉じ込められた刃物を取り出して
しがらみとなって空気を伸ばして木の根を刈り取って
朽ちることのないQ-vism
40歳になったところでなんとなく藤子Fの大長編ドラえもんを読み返したので感想を覚え書き。
ドルマンスタインが外道。恐竜ハンターが「人間狩りはやったことないでしょう」と誘ったときに乗っかってきた辺りで、ドラゴンボールの魔神ブウ編に出てきた混乱に乗じて人を撃ってた外道二人組の雰囲気があった。しかしその後、のび太たちにティラノサウルスをけしかけたとき、恐竜ハンターが止めようかと思った辺りでドルマンスタインは「こっちの方が見たくなった」と言う。いやあド外道。幽遊白書で垂金の賭けに乗っかってた B.B.C. のメンバーとかにいてもおかしくない。
ギラーミンが有能。ギラーミンが出てくるまではチンタラしてたガルタイト鉱業のやつらが一気に引き締まって動くのが面白い。序盤ではケチな嫌がらせしか出来なかった三下も的確に爆弾しかけたりして動きがよくなるのがいい。
まあ、コーヤコーヤ星のガルタイト鉱業の支部長?の奴があんまり仕事をすすめる気がない「ゆるくやって給料もらえればそれでいい」タイプだったんだろう。ギラーミンに「嫌がらせはやってるんだがなかなか進まず」みたいなことを言ってるけど結局嫌がらせしかしてないあたり向上心もない。のび太が来なくても遅かれ早かれ更迭されそう。
しずかちゃんが序盤から何度も「おふろに入りたい」と言うのが、終盤で先取り約束機をしずかちゃんが持っている伏線になっているのに今更気付いた。巧妙だ。
敵のダブランダーは軍部を掌握してクーデターで政権を簒奪したんだと思うが、民衆の支持が本当に全くない状態で軍事に全振りの総動員かけてる有様なのでそのうち政権崩壊しそう。「姫が残されているから」以外に正統性を持ってないから時間の問題だろう。
あとブルスス強すぎ。折れた木だけを武器にして何人もの兵士と戦って生還するのは普通にすごすぎる。
前半のキャンプが楽しい。子供のころに読んだときは前半ばっかり読み返してた記憶があり、同じ感想だった。
敵のポセイドンは海底火山の活動を攻撃と捉えて報復してるあたりポンコツだし、人間の生贄を要求するあたりはコンピュータのくせに呪術に傾倒していて狂ってるとしか思えない。アトランティスの技術者はなんでそんなAIプログラミングをしたのやら。
魔界に乗り込んで一回いけそうな所まで行くが撤退せざるを得なくなり、なんとか立て直して再侵攻でトドメを刺すという王道、「カリオストロの城」の形式。魔界に入ってからのファンタジー世界でありがちな罠をかいくぐるところが楽しい。
ボスのデマオンは登場時点でほとんど詰みの状況まで作り上げていて手強かった印象。メジューサの石化もドラミが助けてくれなければあの時点で勝利確定だったはず。魔界歴程とドラミがいなかったらやりようがなかっただろう。こういうほんの僅かな綻びから主人公に負かされる展開、ジョジョ4部の吉良吉影や6部のプッチ神父とかの歴代ラスボス戦に通じるなと思った。(強すぎる敵を負かそうとすると同じ感じになるだけなのかもしれないけど)
大魔境に引き続いての出木杉解説がある。なんか民明書房を思い出した。
戦車を宇宙に飛ばして無人機を撃墜するところがアツい。大抵の作品で宇宙で活躍するのは戦闘機や戦艦であるところ、履帯つき戦車を宇宙空間に飛ばして敵機を撃墜するのは他ではあまり見ないなと思ってニヤニヤしてしまった。
ギルモア将軍は「大統領を倒して皇帝になろうとしている」らしく、共和制やめて王政にするとかどんな体制転換だ、銀河英雄伝説のルドルフ大帝か? という気持ちになった。でも例によって軍部・・というか諜報機関と無人機の部隊しか押さえてなさそうで、大衆の支持が全くないのでどうせだめだろう。ドラコルルは諜報機関の長として有能な感じ。ドラコルルが頑張ってるからギルモア体制が維持できてるんじゃないかな。
ギルモア軍の総戦力80万に対してレジスタンスは100人ちょっとであり、レジスタンスは「民衆の蜂起に賭けて動く」と言っていて「いやーそれはいくらなんでも無理では」と読んでて思った。しかしギルモアが劇中で動かしていたのは諜報機関と無人機だけ。総戦力80万のうち多くを占めるであろう有人戦力を全員動員するなんて出来ない、無理だろうという読みがレジスタンス側にあったのかも。
ミクロスが妙に人間味があってカワイイ。言いたい放題言ってくれるので全員シリアスな中での息抜きになってる。
今見るとリルルが神話を語る場面が印象深い。リルルが神話と同じ信念で来てるんだったらもう宗教戦争のような構図で、上官っぽいやつに何を言っても説得なんて不可能だろう。リルルが実質寝返ったのは・・リルルは現地に先に潜入して拠点確保など工作をする目的で作られているだろうから、現地で自然に振る舞うために現地人の感情などを理解する仕組みが組み込まれているのでは? など考察してみる。
あと森を焼くシーン、戦況が絶望的すぎてつらくなる。
世界観の謎解きがメインで明確な敵が居ないという新しい形式のオチ。でも風雲ドラえもん城とか隕石落下とかスペクタクルがあるし、スッキリまとまるので読んでて楽しい。
冒頭の自分だけの国をつくるところ、時代の歴史要素、時空乱流あたりのオカルト、ペガとドラコとグリという厨二かつペットとの別れという感涙シーン、中盤の大冒険、終盤の追い詰められてからの大逆転、と盛りだくさんですごい。
「ツキの月」のところがやっぱり面白い。大長編補正をそのまま正当化するすごい道具。子供のときはこんなんいいのか?って思ったけど今読み直すと結局こういうのが見たいんだよなあ、と思ってしまう。
終盤、戦ったことのない動物たちを陣地と作戦で戦力にするところ、子供のときはスルーしていたが、今見るとヒストリエとかドリフターズとか思い出すアツいシーンだと思う。
中盤の砂漠を彷徨うところやしずかちゃんの境遇が、これまでのどの大長編よりもヤバくて一手間違えると死にそうでハラハラする。シンドバッドが現れてからは、実質主人公がシンドバッドなのでは?と思うほど活躍するし、シンドバッドがのび太一行に諭されるところも名シーンと思う。おっさんが往年の生気を取り戻す話なのかも。
あと、序盤のアラビアンナイトと現実とが交錯する点を探すところ、子供のころはなんとなく見てたけど巧妙な構成だなあと感じた。
「竜の騎士」の行き違い展開や「アニマル惑星」のエコロジー思想を盛り込みつつも違う印象になっている。
中盤、かなり長い間のび太一人だけの逃避行になっていて、前作と同じくらいワンミス即死の展開をやっていて辛い。その後ドラえもんが復帰してもずっと緊迫感がある。
終盤の雲もどしガスで脅しをかけるところ、子供の時には「そんな物騒な・・対話でなんとかできないの?」など思っていたが、今読み返すと連邦最高議会での討論がとんだお気持ち表明大会になっていて、「地上人の意見も聞こう」と言いつつスネ夫やしずかちゃんを「証拠を出せ」と詰める感じになってて、あんな場で言い合いするくらいなら武力に訴えるわな・・とも思った。雲もどしガスを撃っちゃったからこそドラえもんの特攻が説得力を持ったような気もするし。
ナポギストラーの反乱について、「発明するのもめんどくさくなっちゃって、発明ロボットナポギストラー博士を作った」という説明がある。これが通ると言うことはナポギストラーの発想や発明品は流通させちゃうということで、もう倫理観や知性もナポギストラーに丸投げしちゃっている。そこまで投げたらそりゃあ反乱されるよね、という気がした。
作中では人間の身体が弱ることだけ言及されていたが、もうちょっと反乱待って数年やってたら知性も劣化しそうだし、そうなってからナポギストラーが「幸せになれる薬を発明しました」とかやったらそのまま征服完了しそう。
ドラえもんが焼かれてから復活するまでずっと読んでて辛い。前作・前々作に続いての中盤辛い系なので子供の時にあまり読み返さなかったのかも。
個々のエピソード・・伝説の武器の回収、ドラゴンとの戦い、敵の将軍との戦いあたりは王道でかっこいい。ダイの大冒険とかロトの紋章とか読んでたときの気持ちになる。だけど、やっぱり最後の打ち切りエンドのような話のまとめ方が気になる。ジャイアンもスネ夫も呼べなかったし。大長編の連載スケジュールから言ってケツが決まってたから仕方ないんだろうけど。
妖霊大帝がトリホーを連れて夜襲をかけるところ、ダイの大冒険でハドラーがザボエラを連れてバラン戦直後の一行に夜襲をかけるところを思い出した。
明確な敵がおらず、「竜の騎士」や「雲の王国」のように対話エンドなせいか、子供のときは特に終盤なんだかよく分からないうちに終わった印象だった。
今見ると個々のエピソードは面白いし、しずかちゃんがダイジェストで語ったこともページがあれば描かれてたんだろうな、とか思う。「T・P・ぼん」とかでやりたいネタがたくさんあったんだろうなと感じた。
王道展開をやりつつ、「禁断の星」とか「忍法壁抜け」とかの伏線回収も忘れない、とても整った作品。あとがきで藤子F本人が言及している通り、まさに集大成。
ハテノハテ星群の「鉱業で栄えたが衰退、土地だけはあるのでテーマパーク建設」というの、思い浮かぶ地名がいくつもある。
子供のときは、敵がしょぼい、小便小僧は結構すき、くらいの印象だった。あと透明ペンキを出すコマでドラえもんがポーズを決めてるのが子供ながらに違和感があって、「あーもう作者交代したんだ・・」という気持ちになったのを覚えている。
今見ると、藤子Fの遺作となったのもあって、どうしても制作背景が気になってしまう。あらかじめ話の概要を伝えてあったり、絵を任せる比率を増やしていたり、 Wikipedia に載ってる「種をまく者=藤子F本人」説があったり、その種をまく者の行動が自分が問題解決するのではなくのび太たちに託す形だったり、後に伝えることをとても意識してたのかなあ、と思わされた。
私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である。
なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。
私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである。
精神科に通いつつ、投薬とカウンセリングの治療をおこなっている。
そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳の記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。
(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなたの言葉はあなたの感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)
正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。
早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。
当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法が流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。
楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合は母親もほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。
行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日の練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。
でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまうタイプの人間だった。
父親も叔母もスポーツで学生時代に成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。
それが母親の成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。
長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。
ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。
こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。
極め付けはようやく出来始めた友人関係を破壊されたことだった。
中学に上がると、小学生の選手育成クラスから中学生クラスに上がって、ここがジュニアの女子の選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子のさらにその上澄みだけが入る、一番練習がハードなクラスがあった。
いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイトと連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。
(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲームの一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)
けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。
私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスでちゃんと私の記録は伸びていた。
だけど母はその伸びでは満足できなかった。
母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。
私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。
そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。
私はかなり嫌がった。もともとジュニアの女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。
母は私に、「あんな肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたはダメになってしまう」と言った。
嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスのコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。
中学1年の女子が高校生の男子のクラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。
私が苦しんだので、母の不安は解消された。
実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。
注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたことである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナスの感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。
「あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから。
この頃から、試合や合宿で遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。
体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。
しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息を悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。
だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻き、ブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。
ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分の学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてからは予備校漬けになった。
受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業は自分の特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。
大学には簡単に合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。
とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。
ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分の偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。
ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。
1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。
とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。
学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリのラインだった。
振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。
このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショックや東日本大震災の影響があった時期で、特に女子の就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。
でも、留年したのに就活が全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親がマイナビリクナビでエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。
面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。
このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからたしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトはしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論は英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。
結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶はぼんやりしている。
ひとり暮らしの家を引き払い、実家にカンヅメになって母親の監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。
ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存で病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。
この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。
働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的に闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。
本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。
この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分の価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分の価値がボロボロと溢れ落ち、人生がダメになっていくことについて、母親への不健全な復讐の欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。
この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場を経験した。就職先は人売りのSESだった。
これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場が自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。
リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤の生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。
自社開発の案件にアサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事も客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手が全然わからず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴とスポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミットが全然出ないの?
年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。
社長から「新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。
これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始の休みを挟んだ後、ボツボツと休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。
心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解とワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。
この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。
概観してみると、今の私を状態を説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。
特性を持って生まれた子どもが、いわゆる体育会系の世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援が Permalink | 記事への反応(21) | 22:15
EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。
静かで、しかもスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。
そんな中で、プラスチックの香りと新車の匂いが混ざり合い、不思議とバナナの甘い香りを思い出させるんだ。
それに、EVを運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。
だから、EVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。
EVの静かな走りと、黄色いバナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。
それに、バナナは曲がっている。
EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。
まるで、バナナがEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。
そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。
友達とEVでドライブに出かけた時、バナナはシェアしやすい食べ物だ。
だから、バナナはEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。
EVに乗るときの静けさと、バナナのリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然なことなのかもしれない。
子供の頃、おやつにバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。
EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。
EVのユニークなデザインと、バナナのユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザインの親和性からくるのかもしれない。
それに、バナナは安い。
バナナはコストパフォーマンスが高く、EVの効率的なイメージに合っている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的な理由からかもしれない。
EVを運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。
バナナは世界共通のスナックで、EVのグローバルなイメージにぴったりだ。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプルな美学からくるのかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代に共通する楽しさからかもしれない。
EVのアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。
EVの静かなパワーと、バナナのエネルギー補給は、ドライブをサポートする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーのシナジーからかもしれない。
それに、バナナは気分を明るくする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブな気持ちからかもしれない。
バナナはインスタ映えするし、EVのスタイリッシュなイメージと合う。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。
そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。
「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。
突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。
EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。
バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。
「バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。
EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。
バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。
EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。
バナナをゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。
バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。
「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。
子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。
EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。
バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。
バナナのシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。
バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。
バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。
バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。
バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。
バナナの存在を通じて、生命の不思議や宇宙の広がりに思いを馳せることができる。
それに、バナナは時には新しい自分を発見するきっかけにもなる。
バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。
バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。
バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。
バナナの持ち方や食べ方で、自分の個性を表現することができる。
バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。
それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。
バナナを食べることで、日常のルーチンから抜け出すきっかけになる。
それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談のネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所の記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナを一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブが自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナのトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園でバナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生のサプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナの最後の一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生の旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生の旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の終わりにもなる。バナナの最後の一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生の旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分を
どうしても心苦しく逃げ出したくなったので、仕事を休んで旅をした。
その顛末を話したい。
大学時代、親(同じく学校教員だ)に強く勧められなんとなく教職課程の受講を始めた。
なんとなく高校教員になろうと思っていたが、何の因果か教育実習は中学校に配属された。
実習中は忙しかったものの、生徒が人懐っこくこちらに近づいてくれたことが非常にうれしく、授業以外でも彼らとの交流(体育祭の練習に一緒に参加するなど)に楽しさを覚えた。
これって本当に教員の仕事か?と思えるような事務作業がやたらと多かった。
また、「校務分掌」という名目でやたらと多くの業務が割り振られた。日本は年寄りは何でもありの価値観が蔓延しており、年齢の低い私には特に業務が集中した。
これらの業務は事務職員の仕事ではないらしい。事務補佐員は人数が少なく短時間しかいない。また、個人情報を含むものの取り扱いができないため依頼できることがほとんどない。
やっと作業が終わり(もちろん時間外)ヘトヘトになったところで始めるほかなかった。
建前では休憩時間はあるらしいが、その時間も業務が振ってきて休むこともできず。
おまけに最近はアクティブラーニングやICTの重要性が叫ばれており、授業の事前及び当日の準備はそれどころではない大変さがあった。
それでも、教育実習の時と変わらず、コミュ障の私に偏見を持たず純粋な心で関わって、笑顔を見せてくれる生徒たち(教室に来れない生徒にも)に元気づけられていた。
体育祭は大嫌いで、私は自チームを応援する気は起きなかった(自チームカラーの服を着ている先生が目立ったが、私はどのチームにも関係ない色のものを着ていた)が、練習は一緒に楽しんだ。
生徒に交じって競技を楽しむのもまた一興。一緒に生徒の中に混ざるだけで生徒は喜んでくれた。
授業はただ真面目にやるのではなく、時にネタを入れると生徒が反応してくれてうれしかった。
アイマス(担当アイドルの話とか)をはじめとしたソシャゲネタ、鉄道ネタ、自虐ネタ、淫夢ネタにちょっと不謹慎なネタなどを入れるだけで笑いが取れた。
定期テストも、かなり完璧主義的に作ったにもかかわらず、その結果を見て教えたことをしっかり身に付けてくれたこともうれしかった。
しかし、どうしても大変なことは大変で、それが私を疲弊させた。
例えば、生徒の失くしもの(学校からの貸与品)の捜索を命令され、どうしても見つからず教頭に報告すると「知るか、自分で何とかしろ」の一点張りで取り付く島もない。
なければ学校に余りはありますか、それとも購入は可能ですか、と聞くと「お前さぁ、それ教育者としてやることか!?」と怒鳴られた。
また、目標申告書(全国でやっている)で下っ端は記入不要の項目も「制度上は記入義務はないがみんなやっている」と強制された。
(余談だが、記入例に不登校生徒減少の話があったが、なぜ不登校は生徒自身の選択なのにそれを無視して無理やり連れだす必要があるのか、それが原因で自殺されたら本末転倒ではと思った)
まあいいやこんなこともあると思いつつ耐えていたが、こんな出来事があり、ついに限界が来た。
生徒が下校した後、いつも通り雑用に追われていたが、なぜか隣の校舎の窓に火が見えた。
他の先生方に相談したところ、無関係な私が急行するよう言われた。するとなぜか鍵が閉まっていた。
鍵を開けると、面識のない生徒数人がおり、その隣には火柱が上がっていた。
どうやら裏側から侵入して火遊びをしていたらしいが、すぐに水をかけ消火した。
事情を聴くと「これは作業だ」「面倒だから仕方ない」「効率的だからやっている」と。
今後こういったことはやめるよう言えば「燃料は自腹だ。100円の自腹がもったいない」と反論。さすがにこちらもキレて「命と100円どちらが大事なんだ」と言って無理やりやめさせた。
重大事案なので当該生徒が在籍する学年に報告すると、ある先生は「あー…最悪のメンバーがそろってる」と。
管理職に報告するとこちらの責任のあることではないのにやはり怒鳴られた。「どうするか自分で考えろ」「早くしろ」とわけのわからないことを言われ。
教頭から「怒るのはあなたを信頼して成長してほしいからだ」と言われたが、(わざわざ応募して選考を突破した)管理職と下っ端は意欲が違うし、成長したくないので信頼せず放置してくれと思う。
校長は「生徒の失敗を大目に見たらどうか」と状況を理解せず、面倒をこちらに丸投げする発言。
なぜ私だけこんな目に遭わなければいけないんだと思った。
気づくと、どうすればこんなことから解放されるだろうと思い色々検索していた。
隣の先生にこれを見られ、「行動に出る前に管理職に相談した方がいい」「教頭は口調がきついから真に受けないほうがいい」「私も色々失敗した」などといろいろ慰めの言葉をくれた。
私と同時に着任した先生などにも相談に乗ってくれた。「あなたは完璧を目指そうとしてたんだ。60点でいいのでは」とも言ってくれた。
また、該当生徒の指導はその生徒が在籍する学年に依頼できることになり、非常に助かった。
何もかもやる気を失った。大好きな曲を聴いても拒否反応がすごかった。
テレビをつけると、時代劇の切腹シーンが出てきてますます気分が沈んだ。
通勤途中に外国人観光客を見ると、なぜ日本人だけ労働に苦しまなければいけないのかと思った。私も自由気ままに旅行したいのに。
(日本は労働法規に甘く、バカンスもなく権利行使がしにくい、下手すると同じ立場の労働者が権利行使を妨げてくるのはなぜだろうか。一説には資源の少なさと正社員制度が原因だというが…)
その後の数日、外出したいとも思わなかった。
そういえば、今までも出勤できていたものの、疲れというかなんとなく休み明け出勤したくない気分になることがしばしばあった気がする。
しかし今回はその気持ちが特に強かった。そんななか、ベッドの上のぬいぐるみが私に話しかけてきた。
渋谷凛「もう休めば。疲れてるでしょ」
島村卯月「早く休まないと…大変です!」
本田未央「よく頑張ったねプロデューサー。思い切って休んじゃお!」
あれ、苦しいときは休めばいいんじゃね?なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう。
今まではこんなこと考えつかなかったが、思いついた途端肩の荷が一気に下りた気がして、気がすごく楽になった。
そういえば、小学校の頃の私は皆勤至上主義で、ひどい風邪でも登校していた。
高校でそのおかしさに気づき少しでも体調が悪ければ欠席するようになったのだが、なんでこの解決法を忘れてしまったんだろう。
だが、この計画は勤務校はもちろん、何かの機会で口外するリスクのある同僚には当然言えない。
一見仲間にも見える両親にも口外してはならない。
母親は祖父(母方の曾祖父)が職を失いつまらなそうにしていたのを見て、仕事があることが素晴らしい、働かせていただいていると思うようになったそう。
つまり、「クビになりそう」→「ならないようにどんなことでもする」という感覚の持ち主だ。
父親は偉そうに上司にも独りよがりなイデオロギービジネスマンとしての心構えを力説していたらしい(それで啖呵を切って職を転々としていたらしいが)。
「自分の思い通りにならない、またはその仕事の責任を120%果たせないなら辞めるべき」と思っているらしい。
その日は特別な準備を要する授業や前述の生徒の指導も予定されており、休んだら迷惑かと思ったが、どうでもよくなっていた。
となると、どのような手段で休もうか。
休むのは電話すればいいのは知っているが、真っ暗な家で引きこもっても体調回復は絶望的だろうと思った。
じゃあ逃避行してしまおう。せっかくだし最近行っていない江ノ島に行こう。
ふと気になった。この休みはどういった扱いになるのだろうか。休暇の一覧表をみると、「病気休暇」があった。
利用条件は「ケガや病気で勤務できないとき」とのことだが、「病気」の詳しい定義がない。
ということは、「精神的に辛く体調がすぐれない」(これが悪化したものが「うつ病」「適応障害」などの精神疾患)も問題ないはずだ。
日数でいろいろ条件も変わるらしいが、今回の場合はまずは電話一本で、正式な手続きは出勤できてからで問題ないらしい。
ところで、病気休暇を取得している期間は病気の療養に専念しなければならない。
逃避行で精神の不調が回復するのならそれも療養であるから問題なく、むしろ進んで行わなければならない。
病気休暇が使えないなら年次有給休暇の利用、それもダメなら(給与が減るが)欠勤扱いでもよい。いずれも無断欠勤よりずっとマシだ。
今日は出勤しなくていいんだ。そういうつもりで髭剃りと歯磨き、自宅の風呂掃除とトイレ掃除を念入りに。
教員の労働環境のブラックさが世に知られ叩かれ出したことから、働き方改革の一環で電話は始業時間までつながらない。
始業後に連絡すると迷惑だろうから、自分が所属する学年団への連絡手段(こちらは連絡時間の制限は特にない)があったので、先にそちらに体調不良の旨連絡した。
学年団の先生方(原因となった出来事を直接は知らない人含め)は「ゆっくり休め」と言ってくれた。
「次の日も厳しいかもしれない」と続けて言えば、「好きなことをしてしっかりとリフレッシュしなさい」とも。事情を知っているのかな?
元気のない声で、やる気を出そうにも空回りしている雰囲気を出した。
何の問題もなく休暇が取れた。休暇届提出は次回の出勤日でいいらしい(説明もその時するから急ぐなとのこと)。
混雑したバスが来るいつもと変わりないバス停。そこに私はとてもラフな出で立ちでいた。
家を出発する際は、勤務するときと同等の服装だったが、バス停近くの隠れられる場所で着替えた。
・本田未央ちゃんのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)を着てアロハシャツを羽織り
・本田未央ちゃんの腕時計(キャラアニ。スーパーグルーピーズじゃないよ)を左腕に
・本田未央ちゃん、渋谷凛ちゃん、島村卯月ちゃんのぬいぐるみをカバンにしまい
・八宮めぐるちゃんやライブ(空は澄み、今を越えて。他)記念のキーホルダーをカバンに付けた。
どうだ、カッコイイだろ。
普段の通勤と時間があまり変わらないので混雑がストレスになるのは変わらない。
まあすぐに解放されるしいいか、と思っているうちに新宿駅に着いた。
ATMでお金を引き出し、藤沢までの切符とロマンスカーの指定券を購入(本当は特急券不要の快速急行でもよいのだが、せっかくなので…)。
江ノ島方面のロマンスカーは夕方までないとのことなので、相模大野で普通電車に乗り換えることにした。
横断歩道で信号待ちをしていると、知らない人からサイエントロジーとかいう宗教団体のチラシをもらった。すぐ捨てた。
コンビニで酒(ほろよい桃味)とつまみを買ってから(車内は)滅多に人が来ないところなんで、そこでしこたま酒を飲んでから(デレステを)やり始めたんや。
飽きたので、Amazonで大崎甜花ちゃんのフルグラフィックTシャツをポチっと購入。送料込みで7,321円也。
小田急線を乗り通すのは15年ぶりだ。複々線区間が代々木上原~向ヶ丘遊園まで伸び、列車種別構成の大きな変更があり、準急が緩行線を走行するようになったらしい。
藤沢に着いた。片瀬江ノ島まで行っても江ノ電を使ってもよかったが、せっかくなので大船まで戻る。
乗り換え専用改札があった。こういう改札は利用区間が制限されないICカードでしか通行できないものだが、聞いてみるとICカードとここまでの切符の組でも通れるという。
ここまでの切符を入れ、すばやくICカードをタッチすれば通行できた。ちなみに、新幹線乗り換え口でも似たようなことができるらしい(クレジットカードやEX-ICは不要)。
ここからは神奈川のジェットコースターとも評される、湘南モノレールに乗車。
強烈な地響きとともに列車が入線。駅壊れるぞ。
大船を出たばかりなのに猛スピード。おい、右に葬儀場があるぞ。車両は棺桶じゃないぞ。
思ったほど揺れなかったが、心配なのは走行高度が低すぎる点だ。大型路線バスとかぶつかるのでは。
湘南深沢から先はさらに本気を出した。70-80 km/hは出したか。これに匹敵するのは東京モノレールの一部区間(昭和島付近)だけだ。
15分程度で終点の湘南江の島に到着。テラスでアイドルたちと記念撮影。
そのまま南に歩き、湘南海岸公園に。やることがないので近くの岩場で昼寝。
雲が動き日差しがまぶしいので、目隠しをした。時に涼しく時に熱くなるがこれが気持ちいい。
1時間ほど寝たら、桟橋の方を覗いてから15年ぶりに新江ノ島水族館へ。
岩場を歩いたり、飛び込み泳ぐペンギンさんが人間の言葉を話せたら何を言うのか、不謹慎なセリフを考えると非常に面白い。
最後に物販店でくじ引き。2等が当たり、店員さんがハンドベルを鳴らした。後ろから拍手。恥ずかしいだろ。
江ノ島にも行った。
恋人同士が鳴らす鐘らしきものの前で、本田未央ちゃんと一緒に記念撮影。
気づかず徒歩で戻ったのだが、どうやら船で江ノ島大橋のところまで帰れたらしい。
時間が足りず、江ノ島シーキャンドルやそのまわりの施設群、しらす丼は手付かずだった。また今度行った時味わおう。
江ノ電は意外にもVISAのタッチ決済による運賃収受を行っているらしい(決済端末は改札内なので、一部改札は不正通行検知装置を切っている)。
日本の改札は専用の券を駅などで購入し、機械に通す方式を取っており、欧州で一般的なQRコード付きの切符を任意の場所で印刷して通行するようにするのは難しいとのこと。
そこでVISAのタッチ決済による運賃収受が導入されたが、おそらく江ノ電は日本で2-3番目あたりには早く導入したかと思う。
本田未央「今日は楽しかったね!ねぇねぇ、明日も一緒にどっか行こうよぉ!」
勤務校と学年団に連絡した。2回目なので良心の呵責は全くない。
電話は教頭ではなく事務職員が取るため、こちらの事情は知らない。「はい分かりました」で終わり。
そこで、今日はアロハシャツの下には乙倉悠貴ちゃんのTシャツを。
いつものバス停に行く途中、ネームホルダーが落ちていた。手に取って見ると近くの幼稚園のものだと分かった。
グーグルマップでその幼稚園の電話番号を調べ電話をかけると、「どこに落ちていたのですか」と聞かれた。近いので「そちらに持っていきます」と伝えすぐに向かった。
その幼稚園に着くと、ちょうど登園時間とかぶっており保護者が子供を預けに来ていた。
乙倉悠貴ちゃんのTシャツ丸出しの男はロリコン扱い間違いなしなので、アロハシャツのボタンを閉めて事務室へ。
対応した職員さんは、電話に出た人とは別のようだが、「これ落ちてました」と言えば「ありがとうございます」で終わり。さっさと退散。
暑いので路地裏に入って下着を脱ぐ。肌の上に直接乙倉悠貴ちゃんがくっついてきて興奮する。
昨日歩きすぎたのか、右足小指に水ぶくれが。
昨日よりかは早いが、それでもまた出発が遅れてしまった。
今日もバスと電車を乗り継いで新宿へ。今日は小田原方面に向かうのでロマンスカーも多く走っている。
なんと小田急の自動券売機はクレジットカードに対応していた。箱根湯本までの切符と特急券を買うと、なぜか乗車券は小田原→箱根湯本のものしか出てこなかった。
小田急の改札は切符を2枚重ねで投入できるが3枚重ねはできず、しかたなく新宿→小田原の切符と特急券を投入。箱根湯本到着後有人改札で事情を話すことにした。
今日もセブンイレブンに行き酒とつまみを買い乗車。今日は酒2本(ほろよい桃味とぶどう味)。
電子レンジによる加熱が必要だが温め忘れてしまったものがあった。まぁ生で食べて腹を壊せば休みを伸ばせて都合がいい。
車内でつまみを全部食べ終わってから Permalink | 記事への反応(12) | 13:12
https://anond.hatelabo.jp/20240214185555
↑ この増田。信仰があれば死ぬの怖く無いは同意できないが。中世でも現代でも、割と宗教関係者は生き汚かったり死ぬの怖いって言ってるので、信仰というよりも洗脳の類いであろう
まず、大前提としてワイは神を信じている
と言っても、3大宗教の信徒でも、教典のある宗教を信仰しているわけでもなく、八百万な日本的なアニミズム文脈のおれおれ宗教観を持っている
普段は都会と呼べる場所で暮らしているが、常に何かに急かされているように感じる。
行き交う車、人がすし詰めとなった電車、道を歩く人の群れ。仕事では8時間以上パソコンの前に座り、仕事の関係者とのやり取りをメールやメッセージツールで延々と続ける。
仕事が終われば終わったで、SNSや動画サイトでぼんやりと情報を見つめ続ける。就寝しようとベッドに横になっても、気がつけばスマホを触って取り留めなく情報を探している。
脳が、心が落ち着く暇がない。
プライベートの時間にパソコンやスマホを触るのは自業自得ではある。だがそれもストレスからの逃避行動だ。情報に触れすぎて疲弊したストレスで情報を眺め続ける。スマホ中毒、PC中毒と呼ばれる症状なのだろうが、冷静に考えてみると末期感が半端ない。まるで泳ぎ続けなければ死んでしまう回遊魚のようだ。
そんな風に家ですら心が安まらないので、街から離れ自然の近くまで来た。
少し長めの休みを取って。
寂れた温泉街は良い。人も車も少なく、営業している店も少ない。刺激が少なく、やることもない。精々が温泉に入るか、散歩をするくらいだ。
沸き立つ源泉の湯気や、しとしとと降る雨粒を眺めていると、どれだけ心が疲弊していたかに改めて気付く。
ずっとこうしていたい。働くことに、普通の人として生きていくことに疲れた。
そういった生き方もあるのだろう。臆病過ぎて、今の生活から離れることが出来ないけれど。
他の人達はどう耐えているのだろう。苦しくないのだろうか。凄いなぁ。
こんなゆったりとした時間を子供の頃にも過ごした覚えがあるな、と記憶を掘り返してみると思い当たる思い出があった。
あれだ、正月の祖父母の家で、こたつに入りながら面白くもない正月番組を見ていた時の時間の流れかたと似ている。当時は退屈で仕方が無かった時間を、こんなにも貴重に思うようなるなんて。随分と歳を取ったものである。
ワイ: 回避性パーソナリティ障害の人は、自分に自信がなく、他人から否定されることを恐れています。 そのため、攻撃的になったり、言い訳をしたり、引きこもったりするケースがあると聞きます。 次のような例がありますが回避性パーソナリティ障害に該当しそうでしょうか?それとも自己愛性パーソナリティ障害の可能性が高いでしょうか? 『自分が知らないことを隠そうとします。自分は優秀だと思っているわけではなく、他人に責められる・バカにされる(否定される)のが怖い様子です。 知らないことを指摘されると、自分のせいではないと言い張ります。 相手はただ事実を確認しているだけですが、自分は攻撃されていると感じているようです。 そして、自分は何もできないから社会から離れたほうがいいと思い込みます。』 本ケースの最大の問題は、過去の経験から自分が無能だと思い込んでしまっていることです。自身の学習能力/認知能力や知識に問題があると感じ、それを知的な問題(IQの問題)や努力不足だと思っている様子ですが、実際には学習障害などの発達障害が影響している可能性があります。しかし、本人も周囲もそのことに気づいていないので、専門家に相談したり、アドバイスを受け入れたりすることができていません。 また、一部の研究分野以外で高度な能力が必要になる事は極めて稀ですが、そのことを理解していません。さらに、人生は仕事だけではなく、他にも楽しみや活躍できる方法はありますが、そのことも認識していません。 もちろん、仕事で社会に関わることができるとなお良いですが、この例の人物は社会で何らかの仕事をこなす能力はあると思います。引きこもる・塞ぎ込む必要はありませんが、自己評価が極めて低いです。 また、問題から逃げる傾向が強いです。何度も現状に立ち向かおうとはしますが、少しでもプレッシャーを感じると、言い訳・休むなどの逃避行動、何もしないという放棄を繰り返します。 心理的な障害は、専門家による診断が必要です。しかし、どのような障害であっても、その人には強みや長所があるはずです。その人の強みや長所を見つけてあげることで、自己評価を高めることができます。自己評価が高まれば、他人からの否定や批判にも耐えられるようになります。もちろん、専門家の助言や治療も必要ですが、それだけでは十分ではありません。周囲のサポートや理解も大切です。 しかし、周囲のサポートや理解が得られない人に対して、社会はどうすればいいのでしょうか? また、両親が子どもを愛しているのに、子どもを専門家に繋げないのは、なぜなのでしょうか?私は、その理由がわかりません。もし私の子どもが心理的な障害を持っていたら、私は専門家に相談して、適切なアドバイスを受けるでしょう。そして、私は自分のコミュニケーションスタイルを見直して、子どもに悪影響を与えないようにするでしょう。 しかし、そうしない両親が存在するのは、どういう理由があるのでしょうか?
AIちゃん
回避性パーソナリティ障害と自己愛性パーソナリティ障害は、似ているようで異なる心理的な障害です。回避性パーソナリティ障害の人は、自分に自信がなく、他人から否定されることを恐れています。自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分に過度な自信があり、他人から賞賛されることを求めています。しかし、どちらも自分の内面に満足しておらず、自分の理想と現実のギャップに苦しんでいます。
あなたが挙げた例は、回避性パーソナリティ障害に該当しそうです。その人は、自分が知らないことを隠そうとしたり、自分のせいではないと言い張ったりすることで、自分の無能さや劣等感をごまかそうとしています。しかし、それは本人にとっても周囲にとっても不利益になるだけです。自分の知らないことを認めて、学ぶ機会にすることが大切です。また、自分は何もできないから社会から離れたほうがいいと思い込むことは、自分を孤立させるだけです。自分には価値があると信じて、社会に参加することが必要です。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分が知らないことを隠すというよりは、自分が知っていることを誇示したり、自分が正しいと主張したりする傾向があります。その人は、自分が優秀だと思っているわけではなく、他人に認められたいという欲求が強いのです。自分の知識や能力に自信があるのではなく、自分の自尊心を保つために、他人の評価に依存しています。しかし、それは本人にとっても周囲にとっても不快になるだけです。自分の知らないことを認めて、他人の意見を尊重することが大切です。また、自分は他人から賞賛されなければならないと思い込むことは、自分を不安にさせるだけです。自分には価値があると信じて、他人に依存しないことが必要です。
>心理的な障害は、専門家による診断が必要です。しかし、どのような障害であっても、その人には強みや長所があるはずです。その人の強みや長所を見つけてあげることで、自己評価を高めることができます。自己評価が高まれば、他人からの否定や批判にも耐えられるようになります。もちろん、専門家の助言や治療も必要ですが、それだけでは十分ではありません。周囲のサポートや理解も大切です。
あなたがおっしゃるように、周囲のサポートや理解が得られない人に対して、社会はどうすればいいのでしょうか? また、両親が子どもを愛しているのに、子どもを専門家に繋げないのは、コミュニケーションスタイルを見直して、子どもに悪影響を与えないようにしないのは、なぜなのでしょうか?
私は、その理由を一概には言えませんが、いくつかの可能性を考えてみました。
- 両親自身が心理的な障害を持っているか、または持っていた経験がある場合、子どもの障害を認めることができないか、または認めたくないかもしれません。自分の過去の苦しみやトラウマを思い出すことを避けたいかもしれません。また、自分の障害が子どもに遺伝したと思うと、自分を責めたり、恥じたりするかもしれません。
- 両親が心理的な障害に対する知識や理解が不足している場合、子どもの障害を認識できないか、または誤解しているかもしれません。子どもの行動や感情を、わがままや甘えととらえたり、成長すれば治ると思ったりするかもしれません。また、心理的な障害に対する偏見や差別がある場合、子どもの障害を隠したり、否定したりするかもしれません。
- 両親が心理的な障害に対する専門家やサービスに対する信頼やアクセスが不足している場合、子どもを専門家に繋げることができないか、または繋げたくないかもしれません。専門家やサービスが、子どもの障害を正しく診断したり、効果的な治療や支援を提供したりすることに疑問を持ったり、不安を感じたりするかもしれません。また、専門家やサービスが、子どもの障害を公にしたり、親の責任を問ったりすることを恐れたり、拒否したりするかもしれません。
これらの理由は、すべて両親の心理的な状態や社会的な環境に関係しています。両親が子どもを愛していることは間違いありませんが、愛だけでは子どもの障害に対処することはできません。両親にも、心理的な障害に対する正しい知識や理解、専門家やサービスに対する信頼やアクセス、周囲のサポートや理解が必要です。社会は、両親が子どもの障害を受け入れて、専門家に繋げることができるように、両親に対しても、心理的な障害に対する教育や啓発、専門家やサービスの紹介や案内、周囲の支援や相談の機会を提供することが求められます。社会は、心理的な障害を持つ人やその家族に対する偏見や差別をなくすことが求められます。
心理的な障害は、誰にでも起こりうることです。心理的な障害は、恥ずかしいことや悪いことではありません。心理的な障害は、治療や支援によって改善できることがあります。心理的な障害を持つ人も、持たない人も、みんな同じ人間です。心理的な障害を持つ人も、持たない人も、みんな幸せになりたいと思っています。心理的な障害を持つ人も、持たない人も、みんな互いに尊重し合いたいと思っています。
私は、心理的な障害に関心を持っています。私は、心理的な障害についてもっと知りたいと思っています。私は、心理的な障害に苦しむ人やその家族に寄り添いたいと思っています。私は、心理的な障害に対する社会の理解や支援を広げたいと思っています。私は、心理的な障害に対する自分の態度や行動を見直したいと思っています。私は、心理的な障害に対するあなたの意見や感想を聞きたいと思っています。私は、心理的な障害について、あなたと話したいと思っています。あなたは、どう思いますか?
源義経は平泉で死なず、ここから大陸に渡ったという伝説から。なんで義経の名前じゃないん?
義経一行が一冬過ごしたと隠れ里という伝説。なんで義経じゃry。
芭蕉の句碑の土台に空いた穴は弁慶の足跡と言われるが、時代が合わないような。
明確な由来はよくわからなかったが、たぶん義経の逃避行中に立ちよった場所なんだろう。なん義。
逃亡中に生まれた義経の子の名前を付ける際にここで墨を擦ったとされる。硯持ってなかったんか。
頼朝の軍勢から逃亡中に岩壁を馬で飛び越え、弁慶の馬の蹄の跡が残ったという伝説が残る。
江戸時代の大工、弁慶小左衛門が作った橋。武蔵坊弁慶とは無関係。
弁慶がここにある井戸から汲んだ水で墨を擦り、般若心経を書写したという伝説より。弁慶って普通に坊さんやってる伝説あるんだな。
岩が積み上がった天然のトンネル。今にも頭上の岩が落ちそうなので弁慶ですら渡るのを躊躇したから、と言われる。
近くに瓶割坂という義経由来の坂があるが、こちらの由来はよくわからず。単に通ったから?弁慶坂多いな。
頼朝勢からの逃亡中にここで弁慶が洗濯したという伝説から。海なんだけど、海水で洗濯したの?
大岩に空いた穴が足跡に見えることから。何故弁慶なのかわからないが、義経軍が進軍した場所だかららしい。ちなみに近くに弁慶の弁当と言われる岩もあるとか。さすがに岩は食べないだろ。
古墳なのだが、怪力の弁慶が巨石を積み上げたんだろうと地元民が言い伝えた結果、この名が残ったそうな。
脛のこと。弁慶ですら強打したら泣くほど痛い箇所。
弁慶の名前付くの多すぎる。これ以外にもいっぱい。名前付いてなくとも弁慶伝説由来だったりするのもたくさん。
みんなに好かれてたんだなあ。
何遍も言うが俺はおやすみプンプンの主人公小野寺プンプンが免許取ったのと同じ教習所に通ってたんだ。
あれって一種の逃避行ものなんだけど、逃避行する前は小野寺プンプンの幼少期からの成長を見つめる話なんだよね。幼少期もやや不気味な伏線は入るんだけど、みんな大きくなってそれぞれを追う群像劇になってく。過去と今、自分と旧友の対比をする。その後に小野寺プンプンの逃避行にフォーカスしてく。あ、もちろん逃げる時は車で逃げるよ。せっかく免許取ったし。確か。
でさ、俺はもう何年も運転してないのよ。なあ、これってコントラストだよな?成長して動き続けていくおやすみプンプンの世界と、俺の動かないエンジンと。
運転してないってさ、そりゃ都内だからってのもあるけど、そっから動かない俺の行動力のなさっていうか、生活力のなさっていうかさ。成長してないんだよ。将来車なんて運転できるのかな〜って心配してたガキから。
なぁ、頼むから俺のエンジンを動かしてくれないか?キーを挿してくれないか(ま、挿すのは俺の方なんだけどねwww←URLの最初についてる草)?
【追記あり】
しゃあねえ一肌脱ぐか。
引きこもり歴10年後に社会復帰して、現在正社員で貯金700万の中年独身オッサンだ。
俺の場合は長期の引きこもりのせいで限界まで自信無くなっていたので
バイト求人の電話かけるくらいなら自殺するほうが心理的抵抗感が少ないような極まりきった状況だった。
引きこもり始めて5年目にこりゃもう鬱だから働けないんだそうに違いないと精神科の門を叩くが、大したことなかったらしく軽い抗不安薬のみ処方される。
その後、抗不安薬パワーでバイトの面接に応募するも、退化した体に工場作業はキツすぎて一ヶ月経たずに止めた。
その後、逃避行動として資格の勉強を始め、業務独占資格を二つほど取った。これが後で生きてくる。
そしてネットで見たサポステに応募。カウンセリングとグループワークをしばらく続ける。
これは本当にありがたかった。
周りはみんな自分と同じダメ人間なので、数年ぶりに引け目のないコミュニケーションが取れる。
同居している親の話では、この頃から俺の目に生気が戻り始めたそうだ。
サポステは社会復帰を目指す場だが、自分から行動を起こさなければ
ダメ人間の集まりという居心地よすぎるぬるま湯にそのまま沈む恐れがある。
年齢的にも危機感を感じていたのとサポステ職員にケツを叩かれていたのもあって、もう一度バイトの応募に挑む。
ヒキニートがバイトに応募する際に躓く点として「応募先の電話番号までは押せるが、通話ボタンを押す指が固まって動かない」という、ヒキニート特有のどうしようもない症状がある。
社会復帰するぞバイトを始めるぞと決心してから、数ヶ月も半年もボタンを押せずに携帯電話とにらめっこし続けるという引きこもりのあるあるネタだ。
単純な話だ。
一切の容赦も慈悲の欠片もなく、軽々と通話ボタンを押してくれる。
最初の一歩を踏み出す勇気がないのなら、誰かに背中を押してもらえばいい。
そしてサポステ職員は背中を押すのが仕事だ。遠慮なく手伝ってもらおう。
そうして始まったアルバイト。
身体も本調子ではないのでそりゃあ辛かったが、峠を乗り越えればルーチンワークになる。
ここでまたサポステに戻るが、今回は僅かながら失業保険が出ている。
元の資格に関連したコースを選び、追加の資格を取り、資格が生きる業種の求人に応募した。
そして今に至るというわけだ。
趣味がゲームとネットくらいしかない子供部屋おじさんなので、貯金は勝手に溜まっていった。
100万ほど手元に残して、残りはインデックス投資に回している。
サポステはネットでもいろいろ言われている通りで、利用したらそのまま就職までオートで行けるような便利機関ではない。
そしてサポステにとっては利用者がバイトを始めた時点でゴールなので、その後の社員へのステップアップは自分で考えて動かなければならない。
しかしそれを差し引いても「ダメ人間同士で気兼ねないコミュニケーションが取れる」という一点だけで、利用する価値がある。
誰と話すこともない、長年の引きこもり生活で弱り切った声帯をリハビリすることができるからだ。
「アッ……アッ……」としか喋れない状況で、どこで誰に話し相手になってもらうというのだ。
今ならネトゲでボイチャするという手もあると思う。
そして資格。
たまたま逃避行動で取った資格が業務独占資格だったのが勝因だった。
だって、「何年も仕事をしないで基本情報技術者を取りました!この資格は私の能力が高い証明!」なんて胸を張ったところで、
IT業界で何年か働いている人の方が普通に評価高いのは分かり切ってるでしょ。
引きこもりが資格を取り始めると末期だなと言われる理由がこれ。
しかし業務独占資格は「この資格を持つ従業員がいなければ、この業務をしてはならない」という資格だ。これは需要がある。
業務独占資格の中には実務経験年数が定められてる資格もあるが、それが受験資格でなければ気にする必要はない。
「私を採用すれば〇年後にこの資格持ちになります」は大きなセールスポイントとなる。
アドバイスとしては、サポステに行け。声帯をリハビリしろ。バイト初めろ。職業訓練に行け。就職しろ。どっかで躓いて何もかも嫌になったら資格を取れ。
何年か越しのプランになると思う。
個々人の素質にもよるが、急がずに一歩ずつステップを踏んでいくのがいいだろう。
お前は、お前が思ってるほど絶望的な状況ではない。
問い合わせの電話でアッアッってなったとしても、向こうも慣れたもんだから。
応援してるぞ。
____________________________________________________________
【追記】
いや、バズり過ぎでは。
なんか俺が優秀な感じにされてるけど、取った資格は難関でも何でもないし
給料は一昔前に「年収〇〇〇万円時代を生き抜く」とか言われたレベルだぞ。
単に親元で、たまたま酒も女もやらなかったおかげで溜まってるというだけだ。
貯蓄額を出したのは、元ニートでもこれくらいはできるんだぞと勇気を与えたかったのと、あとは自慢。
だって、貯蓄の額なんてこんなところでしか言えないもん。許せ。
そして俺が自信満々なのは、引きこもり時代の後遺症で中二マインドが抜けないせいだ。
この世の大多数よりも人間的に上の存在であるという、根拠のない自信を持っている。
いい年こいて恥ずかしい持病だが、仕事をする上ではこの自信満々なスタンスが謎の信頼感を生むらしい。
なんか知らんうちに良い方向に働いてて驚くこともしばしば。
あと俺が取った資格は難関でも何でもない。
普通は入社してから働きながら勉強して取るような基礎的な資格だ。
ホッテントリに入るだけでもビクビクしてんだ。察してくれ。
そして、社会復帰を資格ありきで受け取られるのはちょっとマズい。それはちょっとやめてくれ。
俺達引きこもりは「やらない理由」を探すことにかけては達人なんだ。
現状を自己正当化する理由を四六時中考え続けて数年間の猛者だぞ。年季が違う。
俺の社会復帰が資格のおかげとなると、みんな大喜びで「じゃあ資格を取るまで就活しなくていいよね!」となってしまう。それはまずい。
実際のところ、職業訓練所を出ればそれだけで「口だけではない、最低限の技術が身についた者」であることを証明できる。
小さな会社では門外漢の素人よりも、職業訓練あがりの少しはわかってる奴の方が歓迎されることも多い。
そして、職業訓練所は就職斡旋機関だが、ニート更生機関ではない。
アッアッな状態で職業訓練所に入っても、おそらく就活でコケる。
それから職業訓練所で社員を目指すというのが俺のお勧めする社会復帰コースだ。
そして、一番大事なことを忘れてた。
これは完全に職歴なしで卒業後そのまま引きこもり生活送っているタイプのニートへのアドバイスだが、
俺たちは「引きこもりでパソコン大先生な自分にもできること」という考えで
パソコンを使った仕事に就こうと考えがちだが、一旦その考えは捨てて、視野を広げよう。
それなりに忙しく動いて体力は消耗するが、筋力勝負ではない。
俺たちにとっては、そんな仕事が狙い目だ。
それを受け入れる土壌も意外に広いということだ。
数か月を寝て過ごすよりはいい。
現場のオッチャンたちも、思ったほど怖くないぞ。
以上だ。
ヤバそうな流れだったので、急遽追記させてもらった。
資格を取るまで行動を後回しにするのは違うぞ。
並行で行けるから。並行で。
じゃあ、この時間で資格の勉強でもするか。と、そうなるなら良いと思う。
まず動こう。まず。
資格のことは横に置いて、まず行動をしよう。
締めの言葉は前と同じだ。
今よりちょっとだけ、前に進もう。
試し読みで読んだ範囲のを再現する画力ないしそもそもそこまではっきりと記憶してなくて女の子の画風にビビッときた少女漫画ってことぐらいしか覚えてない。これじゃ知恵袋も使えない。
また金余ったら買って女の子を楽しもうと思ったのにもうだめだ…
がっかりしたので仕方なく資格取る勉強する気になる。こういうときって漫画の虚しさ感じて逆に資格や物理数学みたいな学問の勉強みたいな身になる系のことに走りたくなる。
まあそれはつらい経験によって湧いてくる虚しさへの逃避行動して真逆の性質を帯びてるだろうことをするってぐらいの動機でしかない。勉強が好きなわけではないわけね。うわこの逃した魚は大きい系の悶々とした気分今度はいつまで続くんだろ、
公開中のアニメ映画「青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない」では、主人公の妹・梓川花楓が猛勉強するシーンで机の上にポッキーの箱が登場している。
それもアニメでよくある「Rocky」とか「Pochy」みたいな架空の商品名ではなく、ちゃんと「Pocky」のロゴが確認できる形で。
……が、エンドロールの「協力」の欄に、ポッキーのメーカーである江崎グリコの名前はない。
同じく商品が実名で登場している伊藤園の名前はあるのに、である。
……一体なぜ?
これは「おでかけシスター」からではなく、TVシリーズ「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」では第2話・梓川咲太と桜島麻衣の初デートの電車内で
咲太「1本?」
麻衣「1箱」
の会話とともに、「Pocky」ロゴだけではなく箱の左上の「glico」ロゴまで視認できる形で登場している。
また、同じく第2話・大垣への逃避行で泊まったビジホの部屋の机の上、第3話・咲太が自室で麻衣に勉強を見てもらっているシーンでも登場。
そして、第2話・コンビニで買い物を済ませてビジホへ帰るシーンで
咲太「絶対、忘れない」
麻衣「もし、忘れたら…?」
…が、TVシリーズでもやはり「協力」欄に江崎グリコの名前はない。
少し前にシャープの公式ツイ垢が「ウチの製品をマンガに描いてもいいよ」宣言をしてちょっと話題になった。
逆に言うと、それが話題になるということは「(現状では)実在の商品(名)は避けるのが常識」ということであろう。
実在の商品をメーカーに無断で登場させたからといって、(それが商品のイメージを低下させるような形でなければ)ただちに法的な問題があるとは言えない……たぶん。(それともあるのか…???)
が、実際に無断で出してクレームが付いたりするリスクは避けたい…と考えると、別にヘンな使い方じゃなくてもとりあえず適当にもじって出しとけ…となりがちである。
事前に許可を取って出せばクレーム等のリスクは回避できるが、「いや、交渉の手間かかるし…。それに、そこまでして実名使いたいというほどこだわりがあるわけじゃないし…。」というケースがほとんどなのではないだろうか?
上で貼ったリンク、アニメでの「ポッキーっぽいなにか」の例を集めたページで、青ブタ以外だと唯一実名で登場しているのが「喰霊-零-」。
先行研究によると、
青ブタでも、もし上で挙げた会話が「鼻でポッキー食べてもらう」ではなく「ロッキー」とか「ポッチー」だったら……?と考えると、変にもじらず実名で登場させたのは賢明な判断だったと思う。
この「会話の中に実名で出た」というのが重要で、もしそうでなければ(咲太のバイト先のファミレスが「Benny's」になったみたいに)適当にもじって処理してたのではないだろうか?
喰霊-零-がちゃんと許可を取って出してたということは、青ブタの方も同様に許可を取ってた、と考えるのが自然である。
…で、「商品名使用の許可を得たので、せっかくだからセリフだけじゃなくて映像にも出そう」となった……と考えると一応の納得はできる。
(冒頭で挙げた「おでかけシスター」では会話(セリフ)には商品名は出てこなくて、映像にのみ1カットだけ登場している。TVシリーズとは違い、敢えて登場させる必然性はないのだが、「せっかくなので今回もお願いします」…みたいなことだろうか?)
しかし、「協力」欄に名前がない件は…?と思って、dアニメストアで「喰霊-零-」の方を確認してみたら……なんと、こちらの方も特にクレジットはなかった…!
……あれ?
じゃあアニメEDの「協力」欄って「実名使わせてくれてありがとうの欄」じゃなくて、単に「タイアップ企業の欄」だったってこと……?(伊藤園とはタイアップしてるが、グリコとは特にしてない)
(おしまい)
自分は天涯孤独だと思いたくなるときはありませんか。ただの思春期だと大人からは一笑されるのでしょう。でもきっとこの思いは、生まれてから死ぬまで、一生消えることのないものだと思います。なぜだかわからないけどすごく孤独を感じて、誰も自分のことを理解できないだろうと思う時、見晴らしの良い山の上にある、個人商店まで自転車を走らせます。そこは家から1時間の場所にあり、店内が少し薄暗く、雑貨や食品が売られていて、カウンターではソフトクリームを注文することができます。個人商店にもかかわらず24時間営業で、店主とアルバイト店員の二人で店を回しているようです。私はそこの店が気に入っています。店員たちは誰も愛想がなく、私なんて存在しないかのように扱います。まるでポルターガイストによってレジまで商品が運ばれて行き、清算をして、ふよふよと空をただよって菓子袋が外に出ていくかのような、そんな対応が心地よく、その時私は透明な存在になれるのです。
店を出ると前に道路が走っていて、道路をわたると眼下には海が見えます。人が降り立つような場所のない、何も手入れをされていない海。そんな海に親近感や憧れを覚えて、海に漂う透明な自分を想像します。店の横にはベンチがあり、そこでソフトクリームをなめたり、適当に手に取った菓子袋をあけて味わうこともせず雑に飲み込みます。スマホは家に置いてきて、ここにあるのは食べ物と自分と、店の室外機から聞こえるブーンという音、虫の鳴き声、かすかに聞こえる波の音だけ。1時間ほどそこで何もせず空を眺めてから、帰路につきます。
なにか生活に特別嫌なことがあるとか、不満があるわけではありません。家族仲はいいし、他愛のない話をする友人だっています。それでもただ漠然とした不安や焦燥を感じて、周りにあるすべてのものと距離を置きたくなるのです。きっと同じ思いをしている人は、過去も未来も含めてこの世の中に星の数ほどいるのでしょう。私はそんなよくある一般的な悩みを抱える平々凡々たるつまらない人間なんだなと、また苦しくなります。あの店に行くのは現実から目を背けるための逃避行なんです。
それが罪だとしても…(作品公開日 2014/10/20)
目が覚めた瞬間、あたしの足首には足枷がつき、見知らぬ男に囚われていた。彼はあたしをさらった誘拐犯。そんな彼を愛してしまうことは、おかしいことなのだろうか……。
THE FOOL(作品公開日 2014/06/09)
婚約者と幸せだったのに、彼に類似した叔父さんに誘拐された芹。『ねぇ、誘拐して』そんな要求によって始まってしまう奇妙でありながら甘い生活。
美しい誘拐犯(作品公開日 2013/06/15)
お願い、私をさらって(作品公開日 2013/01/07)
死ぬことを決意した少女。彼女を救った美しい男性との宝物のような半年間。絶望の果てから真実の愛を知り、前に向かって生きていく…信じていれば虹色の人生が待っている。
少女と殺人鬼(作品公開日 2008/07/30)(書籍化作品)
もし、愛してはいけない人を愛してしまったら。しかも、その相手が「一家惨殺事件の犯人」だとしたら……。女子高生・千晴は突然、拉致され、そして監禁されてしまう。そこにいたのは二人のけだものと、一人の「殺人鬼」だった。けだものたちの玩具となり、屈辱の日々を味わい続ける千晴。苦しみの日々の中でわずかな救いを求める相手は、一家惨殺事件の犯人として逃亡中の青年・朝日。ある日、玩具である千晴に飽きてしまったけだものたちが、千晴を激しく虐待する。朝日が千晴を死の淵から救い出したことから、物語は急展開。二人の逃避行がはじまった。逃亡、死の恐怖、そして愛。「何回読んでも涙が止まらない」「こんなに感動した小説は初めて」「読まないと人生損する」など、魔法のiらんどで大絶賛の問題作。総合ランキング1位に輝いた。衝撃の結末に、あなたの涙腺は崩壊する……。